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イタリア旅日記 (4−b) ベネティアの成り立ち
「水の都」と素敵そうなイメージだけれど,ここで生活するのは大変じゃないのかな?
なぜこんな条件の悪いところに,人が住みつくようになったのか不思議でならない!
調べてみたので,ここに地盤沈下のことも含めてまとめてみた。
ヴェネツィアは,海に連なる潟湖(ラグーナ)の上に出来た町だ。
ラグーナには大小の島々が点在し,堤防のように細長い島が連なって外海から遮断されている。
ヴェネツィアの正面に細長くのびているのがリド島。
ラグーナの平均水深は約5mくらいだそうだ。 下に示す「空中写真画像」でこのことがよく分かる!
ヴェネツィアは将来,海に沈んでしまうか?
ヴェネツィア付近の空中写真 |
世界遺産の町ヴェネツィアは,現在水没の危機にされている。
海面の上昇と,ベニス自身の地盤沈下で!
この200年間で相対的に80cmも水位が上昇。今世紀中には,もう50cm水位が上がると予測されている。
島々は元々は,沼地の中に出来た泥や砂からなる低平な高みであって,住みついた人々がドロを盛り上げ,干潟に松くいを打ち込み,それを基礎として建物を築いた。
八郎潟の埋立地とか島根県の中海の干拓地みたいな感じではないかと考えられる。
とにかく地盤はやわらかく,いまだ圧密沈下が終了していない地盤である可能性もあり,これに石造りの街の重みもかかり,さらに地球温暖化による海水準の上昇もあって年々,高潮に見舞われる回数が多くなっている。
対策として
なんと水門を作るというプランがあるようだ。
お金さえかければそれなりの方法はあるだろう。 しかし,いまの町の雰囲気とか景観が損なわれてしまっては何にもならない。
長期的には建物の下層部分が沈水することは,避けられないのではないか。
自然の力は凄いぜ!自然にまかしたほうがいいのではないか?
こんな条件の悪い場所に人々がなぜ住みついたのか?
古代末期から中世初期にかけて西ローマ帝国が崩壊し,フン族の侵入が相次ぎ一般住民も抵抗しなくても,何もかも奪われ,殺され,焼き尽くされるといった状態となった。
助かるには逃げるしかなかった時代であった。、
常識では大勢の人達が,生活していけるとはとうてい考えらないような干潟の中の低平な島々に移り住んで,執念で町造りを果たしたのがヴェネツィアである。
移住は452年に始まり(この年がヴェネツィア誕生の年とされる),その後200年に渡って何回にも分けて行われたと言われている。
陸上ではいくら逃げても馬で疾駆するフン族に追いつかれることは目に見えている。
残るは潟の中に散在している島々しかない。
潮位が上ると水没してしまう島もあったが,いずれにしても草が茂るだけの低湿地で,樹木は生えていない。魚が獲れる以外
食べ物もない。
それでも人々は船を集め、食料、水、衣類、材木等を積み込んで潟の中の島々に逃避した。
当初はトルチェッロ島が中心地で,ヴェネツィアの町があるリアルト島には,ごく少数の漁民などが住みついた。
次第に水上輸送業と製塩業で本土との河川交易を発展させ,697年,住民投票によるドージェ(総督OR元首か))を選出する共和制を確立した。。
ドージェは最高権力者だが,同時に幾つかの委員会の監視を受けているので独断専行はできない。立法府が独立し,元老院が外交を司り10人委員会が治安を受け持つというように権力の集中を避けた一種の民主政治だ。
810年,フランク王国の攻撃を受け,リド島の首都マラモッコを占領されたが,フランクの艦隊を泥湿地帯の浅瀬に誘い込んで座礁させ打ち破った。
本土から近いリド島は危険であると考え,潟の真中にあって本土のどこからも遠いリアルト島に本拠を移した。
その後,アドリア海の付け根という地理的有利性を利用して,海洋国家としての地位を確立していく。
13世紀初めにはドージェのエンリコ・ダンドロが自ら十字軍を指揮して出撃。十字軍本来の使命である「聖地の奪回」はそっちのけにしてコンスタンチノープルをひたすら攻め,略奪品をヴェネツィアに持ち帰る。
ヴェネツィアの宿敵はイタリア半島の反対側のジェノヴァである。
このジェノヴァとの戦いに1381年に勝利し,14〜15世紀にかけてヴェネツィアは絶頂の時代を迎える。
1453年,トルコ軍によるコンスタンチノープル征服後,ヴェネツィアに陰りが見え始め,17世紀まで断続的に続くオスマントルコとの海上覇権をめぐる戦いで,さすがのヴェネツィアも消耗してしまう。
さらに15世紀末,バスコ・ダ・ガマによる希望峰周りの東方航路の開拓,コロンブスのアメリカ大陸到達など世界は大航海時代を迎え,地中海は単なる内海になってしまった。
海洋国家としての足場を崩されながらも,貿易立国から農業・手工業を基盤とする経済への転換が行われたが,1797年,ナポレオンの侵攻で,ほぼ千年にわたるヴェネツィア共和国の歴史が終わる。
18世紀以降は,芸術と文化の都市に脱皮。
世界で最も早い時期にアドリア海の女王と讃えられる観光都市として名乗りを上げ今に至っている。