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イタリア旅日記 (3) ミラノからヴェローナ,ベネティアへ

2/27(金)続き

 さ〜て次は,食休みもそこそこに,今回旅行のお目当ての一つ

           「最後の晩餐」だよ!

 サンタ・マリア・デッレ・グラッツィエ教会はミラノ中心部のやや西方にある。
 着いたのが13時20分過ぎ。
「ドミニコ会サンタ・マリア・デッレ・グラッツィエ修道院」にある,当時の食堂の壁に描かれているのがレオナルド・ダ・ヴィンチの最高傑作といわれている「最後の晩餐」だ。

サンタ・マリア・デッレ・グラッツィエ教会 最後の晩餐見学入り口


  見学は完全予約制で1回に25人,15分間ごとに入場者を入れ替えるシステム。
予約した時間に行かないと見ることはできない。予約無しで当日行って見学することはまず無理だろう。

 待合室で前の見学者が退場するのを待ってからの入場となる,わたしたちは13時45分に入場。
自動ドアで仕切られたふたつの部屋があり,各々の部屋で1〜2分間留まらないと次のドアーが開かない。湿度と温度を2段階で調整して食堂に入るようになっている。ちょうどクリーンルームへ入る前のシャワールームと思えば間違いない。

 そこを通りぬけて、いよいよご対面。
 
 やや薄暗いかなり大きな長方形の部屋の右手の壁一面に,本などで何度も見たことのある,あの「傑作」がどおーんと目の前にある。
見た瞬間は,「えっ こんなにうすっぽい色彩になってしまってるんだ!」と感じたが,説明を聞きながらじわじわと感動が身体中に沸き起こってくる。
 テンペラ画法という手法で描かれたことが災いして,完成直後から絵の具が剥落し始め,幾度も繰り返された修復,第二次大戦中は爆撃のため修道院がほぼ全壊して,3年間も屋根のないまま風雨にもさらされていたなど,かなり損傷が進んでいるようだ。

 だが
        
実物の迫力はやはり凄い。さすが天才ダビンチ、素晴らしい。

 「最後の晩餐」はミラノのドメニコ教会のパトロンであるロドヴィコ・スフォルツァ公の依頼で1494年製作が始まり5年後の1499年に完成した。
 
 食堂に巨匠の絵とは何とも贅沢なことと思うのだが,
 修道僧たちにとっては,いつもこの場面を想起しながらつまり「最後の晩餐」を追体験しながら食事を取ることがひとつの修行だったと考えられる。したがって食堂に最後の晩餐画を描くというのは、当時よくあったことだそうだ。

 最後の晩餐(Last Supper)とはイエス・キリストが磔刑の前夜に12人の弟子とともにした晩餐のことで,「主の晩餐」とも呼ばれる。

 イエスが裏切者を指摘するとともに、パンとブドウ酒をとって自らの体であり血であると言う場面である。
 
 「汝らの中の一人、我を売らん。」と言う悲しげな顔をしたキリスト,お互いに顔を見合わせ,誰について言ったかと動揺する弟子たち,その瞬間を見事に描ききった絵だ。弟子たちの動きが非常に大きい中で,最も動きの少ないのがユダで・・・・・・・・。

 というような説明を聞いているうちに,見学時間の15分があっという間に終わってしまった。

もっとゆっくり見たかったあ〜

 以前はノンフラッシュでのカメラ撮影は許されていたようだが,いまは全面禁止となっている。

 下の写真は,役所工事絵葉書美術館から拝借しました。クリックすると大きくなります。素晴らしい遠近画法が実感できますよ!

 帰りに出口際のショップで,日本語の説明書「最後の晩餐」を購入。

 「最後の晩餐」のガイドをしてくれたSさんは豊富な知識をバックに明瞭かつ丁寧な説明をしてくれました。音楽を勉強しにイタリアに来たそうですが,結婚してそのまま居ついたそうです。

ヴェローナ経由ベネツィアへ

 ミラノ発 14時20分 高速道路(A−1号線)で280km東方のベネツィアへ移動。アルプス寄りのちょっと標高の高いところでは雪が降っていた。
 私達の乗ったバスは高速道路の料金所はフリーパスだ,よく見ていると「TELLEPASS」と表示されたゲートを通過している,日本で言う「ETC」という奴だ。料金所はすべて無人である, と言うことはイタリアではすべて「ETC」になっていると言うことだ。日本ではよく料金所渋滞と言うのがあるがこちらはスイスイきわめて快適だ。イタリアの方が一歩進んでいる。

 
ヴェローナ着 17時

 
ヴェローナはヴェネト州第2の都市で人口25万人、「ロミオとジュリエット」の舞台としても知られている。
ヴェローナの円形競技場 交通の要所として古代ローマ時代から栄えてきた。
 1136年に都市国家となり,13世紀末から14世紀にかけてスカラ家の下で全盛期を迎えその後,ミラノのヴィスコンティ家に攻め入られた事から,1405年自らヴェネツィア共和国の支配下に入り,以後ヴェネツィアの拠点都市として栄える。
 
 1796年ナポレオンの侵略によってヴェネツィア共和国崩壊。その後オーストリアの支配下に入るが,1866年イタリア統一時点に共和国の一員となったという歴史を持っている。

 街の長い歴史ゆえに旧市街には古代ローマや中世の建造物が残り,2000年に世界遺産に登録された。
数ある遺産のなかでも特に古代ローマの闘技場(アレーナ)はイタリアで最も保存状態が良く,夏にはここで音楽祭が行われ,世界中から音楽ファンが集まるそうだ。


 ちょっと雨模様なので傘を持ってジュリエッタの家へ向かう。

 歩き始めてすぐ右手にすぐアレーナが姿を現す

 高級ブランドショップの建ち並ぶマッツィーニ通りVia Mazziniを10分ほど歩き,突き当たったところがカペッロ通りVia Capello。
右に折れるてすぐ左側にジュリエットの家がある。
 
 シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」はヴェローナで実際にあった話を元にして創られたと言われ,そのジュリエットの家がここである(シェイクスピアはヴェローナには来たことは無い)
 入口を入ると中庭で,ここにバルコニーがあって,その下にジュリエット像が立っており,この胸に触ると幸せになると言われているので皆がおさわりして,つるつるになっている。
 また建物の壁には小さな紙片がいっぱい貼り付けられている。恋が成就することを願って恋人同士が名前を書いて貼り付けていったらしい。

ジュリエッタの家のバルコニー
壁にはおまじない?の紙片がいっぱい貼り付けられている
  ジュリエッタ像
右の胸がピッカピカ
茶色っぽいカリフラワーみたいな野菜
エルベ広場の屋台果物屋さんで


 帰りがけに広場の屋台市場のおばさんからバナナとみかん(しめて1.6ユーロ)を買う。

ヴィローナ発 18時15分

 すっかり日が落ちて,皆さんお休みの時間?
日本からヨーロッパに来て二日目の夕方が一番,時差ボケがきつい時だと言われている。これを乗り越えると身体が現地時間にフィットする。わたしもついウトウト・・・・・・。

 
20時ちょっと前,リベルタ橋を渡ってヴェネツィア着

 今夜のホテルはリド島の「VILLA MABAPA」。
 タイミングよく20時発のフェリーに間に合って20数分の船旅。左舷側に明日観光するデゥカーレ宮殿だろうかサンマルコ寺院だろうかライトアップされた姿が美しい。

 20時30分ホテル着

 さっそくシャワーを浴びる。浴室と洗面所にはスチームが通っている,これは洗濯のチャンスとばかりに二日分の着替えを洗濯してラジエーターの傍に吊り下げる。これで明朝には殆ど乾燥している筈だ。
 
 妻は時差ボケが最高潮に達した頃合なのか「眠くて眠くてしょうがない,夕食に出かけるのが面倒くさい」と言う。
夕食は持参のカップラーメンとヴェローナで買った果物で済ませることにした。
海外旅行する時,わたしはいつも,インスタントラーメンを2,3個バッグの中に放り込んでおく。小腹をすかした時や日本の味が恋しくなった時などに絶好な一品である。もちろん湯沸しポットは必携であるが。

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