■ 白川郷へ
今日は,白川郷まで移動(約2時間),トンネル工事見学(約2時間),白川郷観光・昼食(約2時間半),新穂高温泉まで移動(3時間半)とややハードな行程である。不案内な新穂高温泉には明るいうちに着きたい。
6時起床,一風呂浴びて,ホテルのレストランが開くのをまって朝食を手早く済ませ,7時55分に出発する。
御母衣ロックフィルダム |
御母衣湖 |
カーナビは目的地白川郷まで,81kmと示している。高山〜荘川間は途中から東海北陸自動車道があるが,1区間だけの利用で時間節約も10分程度だと言うことで一般道を行くことにする。標高1086mの松ノ木峠越えがあるが,道路はよく整備されていて交通量も少なく,自動車専用道みたいな感じで快調に進み9時前に荘川を通過する。
ここは,”荘川桜”で有名な村である。もう時期を逸っしているが,新緑の山肌にちらりと山桜が見え隠れし,花盛りの時期の素晴らしさは如何ばかりかと思わせてくれる。
今回はJ-POWERの”荘川桜”のサイトで楽しませてもらうこととする。
荘川〜白川郷はおよそ30km,道幅も狭く,とくにトンネル内はバス・トラックとすれ違うときは神経をかなり使う。交通量もやや多くなり慎重運転を心がける。
しばらく進むと広大な湖面が現れる。”御母衣(みぼろ)湖”だ。
”御母衣 ダム”は昭和30年代前半,国策会社電源開発鰍ノよって建設された,高さ131m・長さ405m・堤体積795万m3の巨大ダム。ダムの方式は,岩石を台形に積み上げ,内部に粘土や砂を封じ込めて造られる「ロックフィル式」で,このタイプとしては世界でも有数の規模だ。
発電所はダム左岸直下210mの地下にあり,2台の発電機で21万5千kWの電力を生み出し,昭和30年代後半の高度経済成長を支えた。
道はダム際を一気に下流に下りしばらくは平坦となる。
道路脇の斜面には,赤い花びらをつけて木々が目立つ。何の花だろう?ツツジ?ハナミズキ?ウツギ?(帰路 一枝折ってきた,タニウツギと思われる)
更に下流の鳩ヶ谷ダムを過ぎて橋を渡り,9時40分過ぎに飛騨トンネル工事企業体事務所に到着。
■ 飛騨トンネル見学
所長のAさんとは10数年ぶりの再会である。お互いの現況やら工事の状況など話を交わし,Rさんに工事の概要を映したビデオを見せてもらった後,Rさんの案内でトンネルに入る。
飛騨トンネルは名神高速愛知県一宮JCから北陸自動車道小矢部砺波JCを結ぶ東海北陸自動車道の未開通区間である飛騨清見〜白川郷に位置する長さ10.7kmの長大トンネルである。トンネルの掘削は,ダイナマイトを使ういわゆる発破工法では無く,トンネルボーリングマシーン(TBM)が使われている。地下鉄などでは機械掘削が一般化しているが,岩盤を対象として,直径13mにも達する山岳トンネルで施工されるのは,世界でも珍しいことである。
2007年1月13日開通した。 |
トンネルは,いまおよそ3kmほど進んでいるが,手前2kmくらいは地質が悪くて大量の湧水(60t/min 1分間にドラム缶300杯分)
にも遭遇し通常の発破工法で大変困難な掘削を強いられたそうだ,ようやく地質も落ち着いた今年の2月からTBM工法に切り替えたばかりだという。いまは1日に6mくらいしか掘進できていないが,もう少し岩盤が硬くなれば10数m/日の掘削ができると思われる。
発破工法のトンネル工事では,トンネル内は粉塵だらけのなかを掘削したずりを運ぶダンプトラックが走り回ったりして,非常に作業環境の悪い仕事場であるが,ここは,普通の工場内にいるような感じである。
トンネル内で働いている人の数は数えられるくらい少ない。機械自体はたった一人のオペレーターで遠隔操作されている。掘削した土砂もベルトコンベヤーで坑外に自動的に運び出される。現在は地質状態が悪くて,カッターで岩盤を切削するまでも無く,岩盤が崩れてくるので,”掘削”していると言うより”ずり出し”をしているといった状態だという。
【TBMのカッター】 | 【TBM先端部】 | 【オペレーター操作盤】 | 【掘削のおわった区間】 |
カッターの直径12.84m,4階建てビルの高さに相当する。人の大きさと比べ見て。 | 右の写真(カッター部)の裏側 | カッター回転の速度・押し付け力・ずり出し・支保コンクリート板のセットなどすべて一人のオペで操作できる。 | 右上はずり出しコンベアー |
はじめてトンネル工事現場に入ったおばあちゃんの感想:
自動車や電車に乗っている時はあっという間にトンネルを通過するけれど,大変な苦労をして造っていることがよく分かった。機械の大きさと技術の素晴らしさに驚いた。 普通の人が入れないトンネル工事を見学できて,貴重な経験をさせてもらった。 |
■ 白川郷
トンネル見学を終えてから,展望台から白川郷の合掌造りの里全体を眺める。
家の方向はすべて南北方向に揃っている。屋根に積もった雪が屋根の両側で同じように融けるようにして屋根に片荷重がかかって壊れるのを防ぐためだそうだ。
【萩町合掌部落全景】 | 【民宿”ふるさと”】 | 【稗めし】 ゆば,朴葉みそ焼,にじますの甘露煮,山菜など |
”ふるさと”という民家で稗めしと山家料理をご馳走になる。この家は,皇太子をはじめ皇族方が寄ったりして知る人ぞ知る有名な場所だそうだ。
合掌造りの家にはじめて入ったが,柱とか梁の木材が凄い!
いま新たに作るとしたら大変なことだと思う。
人々が現に生活を営んでいる世界遺産というのは珍しいということだ。先だって行ったベニスの町も同じ範疇に入るのかな。
白川郷は,全体として観光地化が進みすぎているような印象を受けた。
観光客の村滞在時間は平均1時間半だそうだ。
交通が便利になって,宿泊せずに観光バスで来てさっと見てさっと次の観光地へ向かっていくと言うことらしい。高速道路が全線開通するとますますこの傾向が強まることは必定。これがこの村の頭の痛いところだという。
わたし達も同じくとんぼ返りで,次の目的地へと出発。(13:10)
走り出してすぐ,御母衣ダムのゴロゴロした堤体を真近に見ることができる。
おばあちゃんが「え〜っ こんな石を積んだようなダムってはじめて見る! 水がどうして漏れないの?」と疑問を呈する。
「ダムは使う材料から ”コンクリートダム” ”ロックフィルダム” ”アースフィルダム”に分けられる。 構造形式からコンクリートダムには,”重力式ダム” ”アーチ式ダム” ”バットレス式ダム” フィルダムには”中央遮水壁式” ”表面遮水壁式”等があること。
ロックフィルダムはコンクリートダムと比較して,基礎となる岩盤が良質でなくとも容易に築造できる利点があること,比較的安くできること。御母衣ダムは中央部分に粘土を突き固めた壁を造り両側に岩石の大塊を積んであり,我が国のロックフィルダムの先駆的役割を果たしたこと」
などなどを話しているうちに御母衣湖ともお別れして,一路今朝来た道を高山に向かう。
■ 再び高山散策
14時45分 高山着。
地図とにらめっこしながら,この後,飛騨古川の町並みを眺めて神岡経由で今夜の宿新穂高温泉へ向かうことを思案したが,時間的に無理そうなので止めて,高山市内で昨日行けなかった場所に寄ることにした。
先ずは駄菓子の”音羽屋”へ。
飛騨地方独特のお菓子の味を今に伝える,築100年の旧家を店舗に利用した駄菓子屋。
昔ながらの手作りの工程を経て,この地方ならではの素朴な味のお茶菓子や飴やかりんとうが人気。
かりんとう&あめ各種を買う。
”春慶会館”へ
白壁土蔵造りの春慶会館を見学(入館料 300円)
江戸・明治・大正・昭和各時代における飛騨の匠が創作した逸品が数百点展示してある。またその技法を工程順をおって説明する展示もある。
春慶塗は,飛騨の大自然が育てたヒノキ,サワラを素材に透き漆(すきうるし)をかけ,天然の木目(割目,批目,鉋目など)の美しさをそのまま生かして琥珀色に塗り上げた什器の逸品である。
見学者もまばらな静かな館内で心豊かなひと時を過ごすことができた。
出口横の販売所で,小判型のお弁当箱(9,900円也)を買う。
■ 新穂高温泉へ
16時20分ごろ春慶会館を後にする。
この頃から雨脚が強くなってきた。 一昨日通った国道158号を東に向かう。
安房トンネルの手前で左折して,新平湯温泉,福地温泉,栃尾温泉を通過して,槍・穂高の西側山腹から流れ下る蒲田川を遡った新穂高温泉郷の最奥部にある今夜の宿「ホテル穂高」に17時15分到着。
何はともあれ,温泉へ!
ここの温泉は,単純硫黄泉,無味無臭,肌がすべすべしてくる。100mの井戸から揚湯し,源泉は75.3℃・湯量260g/minと掲示してある。
露天風呂もなかなかのものである,白く泡立つ蒲田川の激流の瀬音を聞きながら新緑溢れる自然に包まれてゆったり,たっぷり身体をほぐす。
夕食は例のとおり,地ビールと地生酒”氷室”を飲みながら・・・・ ふと周りを見たら8時前だと言うのに,食堂にはわたし達を含めて二組だけになっていた。
就寝前にもう一度お風呂に入る。
まだ,雨が降っているようだ。明日はロープウェイで標高2100m余りのところまで登るので晴れは無理としても少しは山が見える程度の天候を期待して眠りに着く。