周り巡る連月(つらなづき) (9) 得体の知れない集団に菜津が連れてこられたのは、茅野からやや離れた国境近く、緩やかな稜線の山に挟まれた寂れた寺だった。 周囲樹木だらけの中で目を惹くものと言えば、傾き始めた日の光が山の中ほどに張り出した崖を照らしているくらいで、辺りは人家らしきものすらない。 「駕籠を担いでこんな短時間で山道をここまで来れるってのは、凄いもんだろう」 菜津を乱雑に担ぎ上げながら駕籠を降りた道顕が配下の健脚を誇ったが、一ヶ谷の里を出る事が殆ど無い菜津にとって、この辺りの土地は見知らぬ異郷に過ぎない。距離感など全く見当がつかない。そして、日も落ち始めて人気の無い山寺の風景と、これから予測される事の恐ろしさにかたかたと小刻みに震えたまま、最早言葉すらも無い。 「ここは俺の伏地でな、幾つかある拠点の一つだ。――おうテメエら! さっさと用意しな!」 姿だけ見れば閑静な山寺に相応しい慎ましやかな僧姿から、山賊の如くに荒れた下知が飛ぶ。それに応えた声々も同様に荒い。 「さて、ここからは歩いてもらおうか」 道顕の腕から石階段にとんと降ろされ、ここでようやく菜津の猿轡(さるぐつわ)と縄とが解かれた。 「……もう暴れるような気力も残って無さそうだしなァ」 道顕の軽口に、周囲の男達がくぐもった笑い声で返す。 姿だけ見れば盗賊か人攫いにしか見えないこの集団は、例え賊徒としてでも異様だった。頭目らしき者が僧形なのがその最たる所だが、ただの賊にしては何かが違う。 ……眼だ。単なる賊とは一線を画す、その惨憺たる色合いの眼。それらが持つ暗さと厳しさ。 だが、どこか似通った色を纏う者達を、菜津は知っている。どことなく薄闇を感じさせるその眼を、眼を持つ者達を、つい最近どこかに見なかったか。……それもひどく身近で。 背を押され、よろけながらも震える足を運ぶ菜津の脳裏に浮かんだのは―― 「――おお、菜津……!」 しかしその思案も霧散する。 階段を上がり寺の境内を抜けた敷地、決して手入れが行き届いているとは言い難い、荒れた庭に据えられた茶室に連れ込まれた菜津が見たものは、喜色を満面に現した勝島の姿だったからだ。 「久しいな菜津、おお、相変わらずの美しさよ」 「……っ!」 通常と異なり、内部を広く高く造ってあるこの茶室には勝島と菜津、そして道顕のみが居る。勝島の顔を見た瞬間に逃げようと身を翻した菜津の腕を掴み上げ、素早く絡め取りながら道顕が穏やかに笑った。 「これはお菜津さま、大恩ある勝島様にご挨拶も無しで遁走とはご無礼ですぞ」 「道顕、菜津に可哀相な事をしてやるでないわ。身体に痣でもついたらどうしてくれる」 舌なめずりせんばかりの態で勝島が指を伸ばす。だが、こちらへ寄越せとの無言の求めに、しかし道顕は応えない。 「さて勝島様、我ら一同無事御役目を果たしましたが」 菜津の腕を掴んだまま、艶やかに笑む。 「此度の褒美は如何ほどで?」 「その話なら後よ。さあ早う菜津を寄越さんか」 夜毎可愛がった元愛妾を目前に、上機嫌の勝島には道顕の姿は目に入っていないようだ。その言葉にチッと小さく舌打ちをし、道顕は菜津を勝島に向けて強く押しやった。 「おっとっと、さあさあこっちぞ」 道化めいた声を上げて腕を広げた勝島に、よろめきながらも菜津の身体は抱きすくめられる。高価な絹の胸に抱えられ――途端に香った男の体臭に、蘇った記憶に、菜津の背を怖気が走った。 「ひ……あッ」 恐怖は最早、声にすらならない。 「これよこれ、久方振りで身体がどうにかなってしまいそうじゃ」 「や……ッ、いや、やぁっ」 「良い香りだ、そなたの肌の香りよな」 面白く無さそうな顔を隠そうともしない道顕の前、勝島は菜津を立ったまま抱きすくめて一人悦にいっている。菜津の蒼白な顔での抵抗も、じゃれ合い程度にしか捉えていないらしい。 「しかし随分と鄙(ひな)臭い小袖を着せられておるな。葛木め、あやつ一体何をやっておるのだ」 だが、勝島が何気なく出した名前に菜津の動きが止まった。 そんな機敏には一切気付かず、勝島は尚も菜津の身体をまさぐりながら言葉を紡ぐ。 「儂の妾を勝手に下げ渡すとは、奥の悋気(りんき)にも困ったものだが……まあそれでも葛木とは知らぬ仲では無いからな」 独り言の範疇なのか、それとも菜津に聞かせているつもりなのか。勝島は尚も続ける。 「暫し菜津を預けるが、断じて手出しならぬと重々言い含めておいたが、どうだ? あやつはそなたに血迷うたりせなんだろうなあ?」 その一言。 機嫌よく笑う勝島と対照に、菜津の顔からは途端に表情が抜け落ちた。 ――九郎は菜津に一切手出ししていない。 夫婦と称される身であるにも関わらず、その寝所は依然として別々であるし、九郎が夜に訪ねて来る事も無ければ、菜津が呼ばれる事も無い。 (――いやダメだ。いかん、不味い) ただ一度、ほんの一瞬だが触れ合いそうになったあの時。――九郎が呟いた一言。 それは、与えられていた厳命に叛しそうになったからこその自制であり、抑止だったのではないか。 暇を出された妾を手元で保護し、そして頃合を見計らって主人へと返し戻す。……九郎は、菜津の再嫁先を知った勝島からそんな命を受けていたのではないか。 「そ、んな……」 自らの中で符合した事実に、菜津の口から吐息同然のかすれ声が漏れた。 「まあ良い、それも今からゆっくり確かめるとしようか」 ますます機嫌の良い勝島が、茫然自失の菜津を茶室の半ばへと引きずって行く。そして詫び数寄を味わう場で女を愉しもうとでも言うのか、うんざりした顔の道顕に下がれとばかりに手を振りながら、菜津をその場へ突き倒した。 「あー、勝島様ァ?」 「何だ道顕、褒美の話なら後にせよと申しただろうに! 儂はしばらく忙しいのじゃ」 腕から逃げる菜津を追う事に忙しく、もう自分の方を見向きもしない勝島にあからさまに舌打ちしながらも道顕はその場から踵を返す。だが茶室のにじり口をくぐろうとした道顕は、何故かぴたりと動きを止めた。 ――刹那の間が空く。 「勝島様」 「だからやかましいと言うて」 「外ォ見ろつってんだよ!!」 低く叫ぶや否や、畳へ駆け上がった僧衣の裾が大きく翻って茶室の障子を蹴り被る。 ――優雅な白足袋が勢い良く蹴り開けたその外には。 「こんにちはー!」 幼い少女が、茶室から距離を置いて立っていた。 場違いに響いた愛らしい声に道顕の眉が寄ったのも束の間、少女は小首を傾げつつ再度口を開く。 「菜津さまを返してくださいっ」 遊びにでも誘いに来たかのように、その声は明るい。 「何だ……?」 ぽかんと茶室の外を眺める勝島の腕から這う様にして逃れた菜津も、一拍遅れながらその光景を見る事となる。……その少女は紛れもなくこやだった。 障子を蹴り開けた道顕が、蹴った障子を踏んだ姿のままで大きく舌打ちして低く唸る。――茶室の外にいた筈の配下数名の姿がいつの間にか消えているのだ。人気の無い境内を吹く風には、かすかに血の臭いが混ざっていた。 「いつ来やがった……!」 凶悪な顔付きで威嚇する道顕に僧形の清らかさは無い。己の本性をさらけ出し、目の前の子供――否、その後ろに控えるものに対して牙を剥く。 しかし、そんな道顕に構う事無くこやは更に口を開いた。 その幼い貌から甘さは既に消えていた。その場に立つのは自分ひとりであるにも関わらず、少女は殺気すら孕んだ厳しい目付きで真っ直ぐに、道顕だけを見据えている。 視線同士が短く絡む。 「菜津さまを返して。じゃないと」 そして刹那に響いた発砲音。 少女の語尾に被るようにして放たれたそれは、過たず道顕の足元近くを撃ち抜いた。 「――容赦しないよ」 幼い声が、無慈悲を告げる。 「このクソ共が……いつから知ってやがった」 自分の足元、白足袋に掠るか掠らないかの直近を撃たれたにも拘らず、何ら動じていない道顕の唇が凶悪につりあがった。 「挙句に何だァ? ガキを矢面に立たすのがここいらの田舎じゃ流行ってんのか?」 僧衣の足で踏みつけた障子を庭に蹴って捨てると同時、本堂の方から道顕配下の人波がこやに向かってわらわらと寄ってくる。だが、道顕は主の声を聞きつけて寄せて来る配下や眼前の少女など見ていない。 僧形の男は双眸に好戦的な色を浮かべて茶室を振り返り―― 途端、勝島のくぐもった悲鳴が聞こえた。 「人攫いで小金を稼ぐ手合いの動向なぞ、千里先まで筒抜けだ。――貴様らの鳴き声はやかましい」 その静かな声の足元には悶絶して畳に転がる勝島の姿。苦悶の呻き声は華麗に無視し、菜津を腕に抱き寄せた人影の言葉に道顕が笑んだ。 ……それは、仇敵を戦場で見つけた時の愉悦の笑みだ。 道顕の目に映るのは、茶室の陰に濃く融け込む紺染め揃えの立ち姿。 濃紺の忍装束に同色の長羽織を重ねて纏った『それ』は―― 「――来たか、葛木」 「往け」 命じた九郎の声と同時、低く駆け出した影から伸びた切っ先が道顕の喉元へと迫る。それをかわして道顕は、僧衣の裾を翻して茶室から鋭く飛び出でた。 「やっぱりな! 案の定テメエも来てたか腰巾着!」 「……」 その嘲りに鋭い一瞥のみを返したのは、主と同じく紺染めの忍装束に身を包んだ高次だ。茶室から駆け出た僧形を追い、主の命に忠実な猟犬の如く、獲物に向かって波状の斬撃を繰り返す。 「相変わらずの忠犬ぶりだな!」 異変を聞きつけ本堂から駆けつけて来た筈の配下達は、境内の樹々から一斉に降って来た集団と乱戦となって罵倒と共にあちこちで斬り結んでいる。――降って来た者達は皆一様に九郎達同様濃紺の忍装束に身を包んでいた。 静かな筈の山寺は俄かに戦場と化した。 荒れた剣戟が響き、山郷に不釣合いの集団同士がぶつかり合う。 「仏僧に刃を向けるたァ、お前、ロクな死に方出来ねえぞ」 変則的に迫り来る高次の乱撃を、袈裟の裏側から抜き出した二丁の仕込み鎌で受け流しつつ斬り結ぶ道顕の表情は、それでもどこか余裕がある。 仕込み鎌の柄から急速に伸びた鎖を避けて横飛びに駆け、その攻撃から生まれた隙に乗じて、高次は僧衣の懐へと飛び込んだ。 「貴様に言われる筋合いは無い。……が、主の命だ、暫し付き合ってもらおうか!」 乱戦の中、僧衣と忍装束が激突した。 その一方、茶室の中には奇妙な静けさがある。 「九……郎、さま……?」 「俺はお前がここに連れ込まれた時点で突入するつもりだったんだがな、今しばらく時機を計れと……まあこれは言い訳だな」 奇しくも、それは初めて出会った時の繰り返しだった。ただあの時と違うのは、震える菜津を上着ではなく九郎本人が包んでいるという事。 無体をする勝島を、今回は遠慮なく足で蹴り上げて菜津から引き離した九郎が呟く。 「……怖かったろう、遅くなって済まなかった」 暖かい手の平が、腕の中に抱き寄せた菜津の頭を緩く撫でた。 「葛木……っ! き、さま……ァ」 しばらく痛みに悶えていたが、何とか持ち直したのか勝島がゆらりと立ち上がった。足蹴にされ女を取られ、且つ目の前で寄り添われ、勝島の激昂は治まらない。 「貴様! これは一体どういう事だ! ……誰に向かって何をしたか、分かっておろうな?!」 「うちの女房が不逞の輩に襲われておりましたので、救い出しただけですが」 「だ、誰が貴様の女房か!! 手出し無用と、預けただけと言うたであろう!」 唾を飛ばして怒鳴り散らす勝島のその言葉に、菜津は思わず九郎を仰ぎ見た。 ――少々長めの沈黙の後、九郎がああと声を漏らす。 「……そう言えば、そんなド阿呆な話も出ておりましたな」 「貴様ぁああ!」 勝島の正妻は、務めを果たした妾の再嫁先を実家である加後院家に頼って手配した。勝島本人に知られる事の無いよう重々頼み置いての手配ではあったが、勝島の菜津への執着心は見事に再嫁先を探り当てたらしい。 九郎が勝島に内密の呼び出しを受けたのは、菜津が奥方に呼ばれる二日前の事だった。 「思い出しました。頃合を見て迎えを寄越す故、しばし葛木家にて御愛妾様をお預かりせよと、その間決して手出しはならぬと、そういうお話でしたな」 「そうだ!」 「加後院家への建前上夫婦となるは止むを得ないが、決して建前以上とならぬよう、己が身を弁えよと」 「しっかり覚えておるではないか……! それを貴様、何度文を送ろうと菜津に返事を出させぬし、近況を報告せよと再三言うてものらくらのらくらはぐらかし、挙句にここしばらくは全く以って音沙汰無しとは何事だ!!」 菜津の手元に勝島からの文が届いたのは一度きりだったが、出した方はどうやらそうではなかったらしい。勝島が地団太を踏んで歯噛みするが九郎は平然としたままだ。 「そうですね」 菜津の腰へ廻した腕は離さないまま、抑揚なく呟く。 「さっきまで忘れておりましたので」 ――初めて知った事実に菜津が呆然とする中、勝島は金魚のような間抜けさで口を開け閉めさせている。 二度三度と何事かを怒鳴りかけ、声にならないような素振りを見せた後でようやく一声絞りを上げた。 「貴様の忠義を高く買ってやっておったのに……儂を裏切りおって……!」 「人聞きの悪い」 だが、そんな恨み言への返事は簡潔だ。 「あんたに人を見る目が無いだけだ」 青くなったり赤くなったり忙しい勝島を他所に、九郎の腕に抱かれたまま菜津はただ呆然とするのみである。 何が何やら分からない。茶室の内部は勝島の上げる唸り声以外は静かなものだが、そのすぐ外では血生臭い大乱闘が始まっている。……遠いような剣戟は夢の中の物音の様に茫洋と聞こえるが、菜津には何故こんな乱戦が始まっているのかもよく分からない。 加えて言えば、さっきから九郎が菜津を離そうとしない事も困惑に拍車をかけている。腰に廻された腕は揺らぐ事無く、菜津は九郎に寄り添い張り付くような形になっている。 「あ、あの、九郎様」 とりあえず名を呼ばわって見上げた頭上、九郎が見下ろすように視線を向けて、何かに気がついた顔で一つこくりと頷いた。 「……では菜津に決めさせましょう」 「え」 「なん、な、何だと?!」 各個人の困惑は他所に、更に続ける。 「妾だ女房だと各々が言い募っていても始まらない。ならば菜津本人に身の振り先を選ばせればいい」 それが一番簡単だと呟いて、菜津から腕を離した九郎は押し黙った。 淡々と抑揚なく突き放したような物言い。 さあ、と菜津を見やる視線は、平生の如く何の感情も感じさせないものだ。 「……菜津、儂の元へ戻って来い! 奥に対しての気遣いももう不要じゃぞ、こんな鄙(ひな)ではなくどこぞの賑やかな町に良い屋敷を購ってやる。お前をそこの女主人としてやろうではないか!」 勝島がなりふり構わず口説き始めた。一度家を出された妾としては破格の扱いを上げ連ね、あれを買ってやろう、これも与えようと更に加えて言い上げていく。 だが、それらの甘言でも九郎から離れず、立ちすくんだままの菜津の姿に焦れたのか、大きく歯噛みすると更に叫んだ。 「――……子にも会わせてやるぞ! どうだ!!」 「子供には俺が必ず会わせてやる」 対する九郎の言葉は静かであり、そして続いた言葉も同じく落ち着いていた。 「しかしそれ以外に約束してやれる事はないな。こんな稼業だ、苦労させるだろうし心配も色々尽きんだろう。……だが、そこは何とか諦めて、これからも俺と添い遂げてくれ」 真面目な顔で囁かれたそれは、紛れもない求婚の言葉だった。 だがしかし、人前で堂々と成されたそれに菜津の頬が染まりあがると同時、九郎はニヤリと微笑んだ。 「それに、俺の方が若くて上手くてよっぽど良いと、お前も言っていただろう?」 幼い頃、高次や周囲を巻き込んだ悪戯をする時は、いつもこんな表情を見せたのだろう。 そういう顔で大きく鮮やかに笑った九郎は、見せ付けるかのように菜津を大きく抱き寄せた。 「菜津ぅうぅうッ!!!」 勝島の怒りは収まらない。 「本当か?! 今の話は真の事か!」 激昂し、掴みかかりかねない勢いで唾を散らす。 が、ふと我に返ったようで、引きつった笑みを浮かべると小さく小さく呟いた。 「……いや、まさか。うむ。……そんな戯言など、そこな葛木の謀り事に、決まっておるわ」 完全な独り言である。自らを納得させるかの様に何度も頷くと、菜津に対して再度指を伸ばす。 「……全部本当です」 だが、空を泳ぐ指と男の未練を遮るように、茶室に声が凛と鳴った。 朱唇が再度、鮮やかに動く。 「全て真実です。戯言でも、嘘でもありません」 菜津の声は最早震えていない。先程までの怯えは払拭され、強い眼差しで真っ直ぐに勝島を見据えて口を開く。 「――私は、身も心も既にこの方の妻です」 妻だと声にした瞬間、胸の奥が今までになく高鳴ったのが自分でも分かった。 先程の話は全て嘘だ。そもそも九郎は今まで菜津の身体には触れようとしていない。触れるという文字通りの意味で捉えて鑑みても、それは指先が軽く頬や髪を掠める位の戯れでしかなかった。 先刻のは言うまでも無く勝島を煽る為の芝居であり、口からの出まかせである。れっきとした戯言であり謀り事だ。 ――それでも嬉しかった。 今この瞬間だけは、自分は誰に憚る事無くこの男の妻なのだ。 肩に静かに置かれた九郎の掌の温度に後押しされ、菜津の唇からは強がりでも意地でもない素直な言葉が紡がれる。 「……私はこれからもずっと、九郎様から離れません」 その声は澄み、そして強い。 菜津に気圧された勝島が口を噤んだ静寂も、それはほんの束の間だった。 「では」 一声が響く。 「菜津は俺が貰う!」 言うな否や九郎の長羽織が大きく翻る。 その一瞬、紺染めの羽ばたきが、狭い茶室の視界を遮るように巻き起きた。 「――な……っ?!」 そして、風など感じる筈の無い室内でそれでも強風を感じた勝島が、思わず閉じていた瞼を開けた時。 茶室には、呆然と立ち尽くした自分と、残像鮮やかな濃紺の軌跡だけが残されていた。 |