周り巡る連月
(つらなづき) (4)



「……勝島が屋敷の外にも幾人か女を囲っていて、挙句にはとっくの昔に子まで成していた事があの宴の日に判明したらしくてな」

 先ほどの男――葛木九郎が、少ない荷を積んだ馬を引いて旅装で歩きながらボソリと呟く。
 元々菜津の持ち物は少ない。勝島から与えられた金襴緞子の艶やかな小袖や高価な装飾品の類は全て不要と屋敷に残し置き、身の周りの最低限と、丹精込めて縫ったものの結局使われる事が無かった赤子用の産着だけを早々にまとめて持って勝島邸を出た、すぐの事だった。
「御家の為にと身を斬る思いで妾を本邸に入れる事を許したと言うのに、この仕打ちはあんまりだと奥方が実家に泣きついた結果がこれだ。……加後院の大殿からはこれ以上無いくらいに吊るし上げられ、内外で可愛がっていた妾達全員に暇を出され、あの男としては大層面白くないだろうよ」
 奥方は大喜びだろうがな、と小さく付け加えつつ、九郎は市女笠姿の菜津に先立って道を往く。
 菜津は本日言われて初めて離縁と再嫁を知ったが、九郎はそれよりも早い内からこの話を知っていたらしい。菜津を自邸に迎えるために配下の者をこの先に幾名か寄せてあるのだと言う声は、まるで預けてあった荷物でも引き取りに来たように抑揚無い。
 そんな九郎が世間話のように語る言葉を聞きながら、菜津の心は冷えていた。

「そう言えば子供の顔も見ないまま出てきたが、良かったのか」
「……どうせ会わせてもらえないでしょうから」
 馬への騎乗も駕籠も断り、自らの足で歩く菜津の声は諦めを多く含んでいる。
「そうか」
 生来言葉少なであるらしい九郎と冷えた表情の菜津の間に、会話らしい会話は続かない。
 そうして暫く、二人は無言で歩を進めた。


 意志を伝える事も身の振り方も制限され、自らの与り知らぬ所で物か何かのようにやり取りされる。そこには自分の意志など存在しない。
 繰り返されるそんな理不尽は、菜津の心を固く閉ざしていく。
 馬を引き、半歩前を菜津の歩調に合わせてゆっくりと進んでいく新しい『夫』の背中を眺めても、何の感慨も持てない。
 時折九郎が必要な事を告げる為に口を開く以外ほとんど会話の無いままで、二人は武家屋敷の塀が立ち並ぶ閑静な通りを進んでいく。


「妻、って……」
「ん?」
 しばらく歩いた後、俯きがちな菜津が不意に漏らした言葉を耳聡く聞きつけ、九郎が緩く振り向いた。
「……どうした、言ってみろ」
 一言呟いただけで口を閉ざした菜津に視線を流し、歩みはそのままで続きを促す。
 存外暖かく響いた九郎の促しに菜津は視線を上げ、二度三度瞬きをしてから言葉を紡いだ。
「……私みたいな女を妻にさせられて、貴方はそれでいいんですか」
「それでいいとは?」
「……言葉の、意味そのまま……です」
 質問に質問で返され、少々言葉に詰まりつつも菜津は返す。

 屋敷の主人に手篭めにされただけでなく、子を生む道具にされた女。家族であると信じていた者達からもそんな様に扱われ、駒や物のようにやり取りされた女。
 菜津は何も持っていない。――頼る者も帰る家も、財も身分も何も無く、強がってみてもそれは虚勢でしかなく、儚く脆い立場しか持ち得ない女。
 勝島を放り投げ、それでも上手く言いくるめて退けたしたたかさから見て、九郎ならばそんな女を娶らされるこの嫁取りを角を立てずに断る事は容易く出来た筈だ。
 それなのに何故諾々と従っているのか。断るだけの力を、持っているのだろうに。
 ――言外にそんな意図を含ませて、菜津は九郎の目を見やった。

「……先々月に、末の妹が嫁に行ってな」
 歩んでいた足を止め、九郎が言う。
「うちの親父殿は筋金入りの女好きで、俺の弟妹は全員腹違いだ。半分しか血は繋がっていないし、正直親父殿の種かどうかも怪しいもんだが、それでも親父殿が死んで以降は跡目を継いだ俺が父親代わりで今までやってきた」
 唐突に何を言い出したかと眉をひそめ、こちらも足を止めた菜津と真向かって九郎は続ける。
「高次は余所にあと二人ほど兄弟がいると酒の席で聞いたそうだが、俺は三人と今際の際に聞かされた。あれはまだ何人か隠していると見て間違いない」
「……」
「まあ会った事の無い兄弟姉妹はさておき、俺が把握している弟妹は全て婿や嫁で家を出て身を立てた。……これで肩の荷が降りたと、正直思った」
 菜津は眉をひそめたまま無言だったが九郎は全く気にしていない。平然とした顔で菜津の目を見据え、至極淡々と言葉は紡がれる。

「――……だから、ようやく俺も」


 その時だ。
 二人の頭上、道脇の樹木の陰で唐突に小鳥がさえずった。


「……皆が待ちわびているらしい」
 束の間やかましくさえずって、しかしピタリと鳴き止んだその音に話を切って軽く上を見上げ、九郎が呟く。
「え?」
「疾く来たれよ、だそうだ」
 そのまま菜津の手を取り、引いて、大股に歩き出した。
「な、何ですか? え……っ」
「ああ、あそこか」
 当たり前のように握られ、引かれた手の力強さに菜津が慌てるうち、九郎の歩みが塀の切れ目で止まる。
 武家屋敷が連綿と続く中にぽっかりと空いたそこには、朱塗りの小さな鳥居が据えられていた。そのまま九郎に手を引かれ、境内に続く鳥居を幾つかくぐり、鳥居周辺の木々の囲みを抜けるとそこには入口からは想像できない広さを持った神社があった。
 周辺武家屋敷の白い塀が囲む中に木々が繁る、神威で切り取られた異空間のような佇まい。
「……良い場所だ」
 九郎が周囲を見渡して呟くと同時、またしても小鳥がさえずった。そのさえずりを受け、九郎の足が神社の境内を奥へと進む。

 境内の最奥には数名の人影。
 木々に囲まれて薄暗い中、現れた九郎の姿を見、その場にいた人影が一斉に膝をついた。

「待たせたな」
 落ち着いた九郎の声に、それらの人影たちは更に深く頭を垂れる。
 人影の姿形は皆恐ろしく不揃いだ。故郷へ菜津を連れ帰る九郎と同じような格好――半袴に脚絆を巻いた旅装姿の者は一人のみ。行商帰りのような篭や仕事道具らしきものを担いだ商人風の壮年の男が三人ほどいるかと思えば、腰に大小二本挿しの侍髷の浪人もいる。それらと並ぶようにして、大店の主人と形容しても良さそうな仕立ての着物を身につけた、白髭に穏やかな笑みを浮かべる老爺までいた。
 挙句、呆然と男達を見やる菜津の脇をすり抜けてその群れにするりと加わったのは、手の平ほどの大きさの笛を握り締めた、十をやや過ぎたか過ぎないかくらいの男の子だ。
 ――九郎の配下が寄せてあると聞いてはいたが、この統一性の無さは何なのだろうか。これら総てが九郎の配下なのだろうかと、あまりの不可思議さに先程の比ではなく眉をひそめて菜津が沈黙していると、膝を付いた男達の一人が口を開いた。
「……御頭、こちらが?」
「ああ」
 耳に飛び込んできた『オカシラ』という耳慣れない言葉に菜津は九郎の顔を見やるが、肝心の九郎はその視線を気にしない。一様に面を伏せた男達の中、唯一顔を上げている男からの声を受けて穏やかに頷くのみだ。
 その男はちらりと菜津に視線を流し、更に続ける。
「お荷物が少ないようですが、これで全てですか?」
「義母上が心配するから人数を用意したが、わざわざ伏手の者達にまで集まってもらう必要は無かったようだ。……予想以上に少なかった」
 女の引越しは荷物が多いと思っていたんだがと腕を組んだ九郎の存外気安い声に、地に片膝を付いたままの男達から軽く笑い声が上がる。そんな笑い声に混じって聞こえてきたのは先程の男の深くて渋い溜息だ。
「……先々月のアレは別格です。鹿野
(かの)様は多すぎです」
「嫁ぎ先が広くて幸いだったな。まさか嫁がせて早々そんな事で向こうの家に頭を下げる事になるとは思わなかったが」
 九郎の物言いは今まで同様淡々としていたが、笑い声は更に上がる。
 皆風体はバラバラで、一括りとしてしまうにはどこか異質さを感じさせる者達ばかりだったが、年若いが当主なのだろう九郎には良く仕えている様だ。地に片膝を付いて面を伏せた厳然な態度こそそのままだが、場の空気は主人の軽口に呼応して柔らかくなっている。

「………」
 いつまでも状況が把握できずに戸惑っているのは菜津のみだ。
 自分は一体どんな家に、どんな男に嫁がされる事になったのかと、皆の笑い声が軽やかに聞こえる中で今更ながらに不安が募ってくる。
(葛木家……)
 加後院家で重用されている家の者だと、あの時奥方は言っていた。加後院の当代は、公家には珍しく雅よりも武芸を尊んで第一とし、郎党を率いて戦場へ出る事を厭わない、切れ者と聞いている。

 ――そんな武断の家で重用される男がただの商人であったり、ましてや百姓とは到底思えない。身のこなし等を量るような目利きは菜津には無いが、しかしながら単なる侍と言う訳では無さそうに見える。
 武門である事に間違いは無いだろうが、何か、侍とは別の異質さを持つ――……

 不安を隠しきれなくなったそんな菜津の様子に気づいたのか、配下に向けていた軽口を止めて九郎が振り向いた。
「この者等は伏手として周辺の町々に潜めてあった者達だ。あんたの荷物を運ぶのに必要かと思って人足代わりにここに寄せておいたんだが……」
「不要でしたな。その程度でしたら御頭の馬だけで充分でしょう。……そもそもこの人数は少し多いと、私は思っていたのです」
 先程の男が九郎の言葉を継いで言う。
「人手の手配だけしておいて、必要に応じて呼びにやるからと当初は言ってあったのですが、全員が全員とも奥方様となる方にお会いしたいだのとゴネてこの様です。隠居の市蔵までが我侭を申しまして……」
「だってそりゃあ、すごい美人が来るってみんな聞」
 横槍を入れた子供の言葉は途中で遮られた。
 男が、鉄拳で黙らせたからである。

「配下への躾が足りず申し訳ございません」
「痛ってえー!」
 平然と頭を下げた男の隣で痛い酷いと子供が涙声でうなるが、男は一顧だにしない。その様子にほんの少し笑みを浮かべながら九郎が口を開いた。
「そういう事だ。あとは俺と高次が居れば充分だろうから、ここで散開とする」
 述べた声は良く通り、静かな神社の境内に澄み渡る。
 了解の意を以って短く応じた男達の声がそれに続き、皆は立ち上がった。

 どうやら隠居らしい老爺が、高次と呼ばれた男に声をかけた。
「高次様、妹様の御輿入れはそんなに凄かったんですかな」
「うむ、……鹿野様のお荷物だけで、嫁入りの行列が荷の大小併せて続きに続いてな……お陰であちらでは何処の御大尽の姫君が嫁いで来たのかと、無駄に噂になったのだ」
 高次と呼ばれた男が本日数度目の深い溜息をついた。その渋い声に反し、散開の号がかかっても誰一人去らずに立ち並ぶ男達は皆笑顔だ。
「我ら伏手はなかなか里へは帰れませぬからなぁ。妹様の花嫁姿を見る事は叶いませんでしたが、御頭様の祝言の日くらいは戻りたいものです」
「ああ……お互いに副業が無駄に繁盛しておりますからな。挙句に一ヶ谷のあの山道は小田原でやらかした腰に堪えて敵わんしの、帰るに帰れんわ」
「まあ商売繁盛は良い事よ。今日も息子の嫁に店番を任せてきましたが、御役放免ならば早う戻らねば」
 孫の世話もせねばいかんのでと隠居が笑う。

「……あの、折角ご足労下さったのに……すみません」
 そんな場に、消え入りそうではあったが確かに響いた声があった。
 得体が知れないと感じてはいたが、それでもここにいる者達は自分の為に集められ、そしてそれに応じて来てくれたのだと思い至った菜津の口からは、自然とそんな言葉が出た。
「ありがとうございました」
 皆の注視を受けつつも、菜津は丁寧に頭を下げる。

「――……いやいやなんの。我ら一同、里の者どもに先立って奥方様にご拝謁賜り、嬉しゅうござる」
 菜津の言葉により一層笑みを深くし、そう穏やかに返してきたのは、男達の中で一番の年配である白髭の老爺だ。
「その上望外に優しい言葉まで掛けていただけた。それで充分、今日此処まで来た甲斐が有り申した」
 笑んだ無精髭を撫でつつ浪人姿の男が一礼をする。鳥笛の少年も、殴られたコブをさすってはいたが、他の皆と同様に破顔してひょこりと頭を下げた。
 高次は菜津の言動に一瞬意外そうな顔を見せたが、すぐに平静に戻ると何も言わずにただ佇んでいる。
 そして、最後に九郎が口を開いた。

「何はともあれ、あんたは今日から俺の女房だ」
 菜津の目を見て静かに告げつつも、相変わらず抑揚の無いその声からは感情は読み取り難い。
 ――だが、尊大とも取れる口調で発せられた言葉は、それでも乱暴から菜津を救ったあの時と同様に確固たる温もりを持っている。
 九郎の腕が、手が、その熱と共に傍らに立つ菜津に向けて差し出された。

「……以後、末永くをよろしく頼む」

 静かな境内に、声は凛と澄んで響く。




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