周り巡る連月
(つらなづき) 追章(2)――こや



 幼い少女は、うわ言の様にただ一言を繰り返す。
「敵は百舌党、仇は道顕」
 不思議と涙は出なかった。忍里独特の簡潔すぎる葬儀の間中、両親の位牌を握り締め、忘れないようにと――それは道顕の行った暗示による刷り込みの所為であったかもしれないが――仇の名前をただ繰り返す。
 一ヶ谷の里で初の百舌党の犠牲者となってしまったこやの両親二人の遺体は、死とはいつも隣り合わせの忍衆ですら目を背け、口を噤むような殺され方だったと言う。
 首を刎ねられ四肢を切り離され……その全ての部位が、モズが餌を枝に刺すが如く、燃え上がる家の近隣に群生する竹を使って刺し留めてあったのだ。挙句、殺された母親のその白い背には、誰の凶行かを天に示すように文字が刻まれていた。
 ――曰く、百舌、と。

 その現場の一部始終を見てしまった少女が心を壊すことは、至極当然の仕方のない事だと葬儀に集まった皆が囁く。
「……こや……大丈夫か」
 傍に寄り添う幼馴染の少年の声すら、今のこやには届かない。母の友人の暖かな腕にしっかりと抱えられながらも、それでも唇はただ無心に仇の名を呟き続ける。


 至極簡潔な葬儀はあっという間に終わり、山間の墓地――とは言え、この時代の墓地はただ単に木々と雑草が刈られただけの空き地と同様だ――に棺桶代わりの二つの丸桶が運ばれた。里の男衆の手で深く掘られた穴にその丸桶は入れられ、手早く土が被せられていく。最後に一目なりとも棺の中の両親に会いたいと、周囲の皆にこやは小さく訴えてみたが、それは誰からも許されなかった。
 それほどに、酷い殺され方だった。

「敵は百舌党……仇は道顕」
 土が一鍬被る度、こやは小さく呟く。
 止める大人は居ない。怨嗟を絶えず吐き出す事で、この幼い子供はようやく己を保っているのだと皆分かっていた。
「――敵は百舌党」
 完全に土が被せられて両親の入れられた丸桶はすっかり見えなくなり、その上にささやかな土饅頭が作られ、こやは彦左の母親に連れられて皆と一緒に里へと戻った。
 ……その途中、里の見張り役である『目』の数人が、一ヶ谷衆頭目の住まう屋敷へ走って行こうとするのが見えた。
「――仇は……」
 一ヶ谷の里の近隣、街道沿いの村が百舌党に襲われたらしい。
 大きくはない村のそれでも半数が殺され、家々には火がかけられ、目ぼしい物は全て略奪されていった。難を逃れた者達も生きているのがやっとであると言った惨状であり、目の前で繰り広げられた……もしくは自らを襲った凶行と蛮行に耐えられず、自ら命を絶ったような者達も少なくなかったと、『目』の男が埋葬から戻った者達に早口に告げる。
 『目』の一人が言う。殺された者達は老若男女――親も子も関係無かったが、その殺された全てが、死体を串刺されて捨て置かれていたと。
 串刺されて事切れた両親の死体のすぐ傍、呆然と座り込んで動かない幼子の姿すらあったと。

「……道顕……ッ!」

「こや!」
 繋がれていた暖かな手を振りほどき、こやが猛然と走り出す。
 敵は百舌党、仇は道顕――……奴らはまたしても凶行に及んだ。両親を殺した時のように、きっと笑いながら人を殺した。
 弄び、踏みにじり、そして子から親を引き離した。――また、同じ事が起きた。
 こやは走る。制止する大人たちの足元をくぐり抜け、捕まえてくる手を無茶苦茶に振りほどき、荒い息を吐きながら、生前の母に連れられて今までに何度かくぐった門を駆け抜ける。
 そして叫んだ。
「ねえ、強いんでしょ?!」
 屋敷の奥を目指しながら、駆けながら、幼い少女は血を吐くように叫び続ける。
「ここには強い人がいっぱいいるんでしょ?! だったらはやくあいつらを殺してよ!」
 その声を聞きつけ、あちこちから大人たちが沸いて出た。
「何だこのチビ」
「お前、どこから」
「待て! 止まれ!」
 とうとう捕らえられ、こやの足は屋敷の深部に到達する前に止まった。しかし一度溢れ出てしまった感情は止まらない。
「おかあちゃんが言ってたよ! 葛木のお屋敷には強い人がいっぱいいるって! ……なのになんで助けてくれなかったの? どうして? ねえ! ……ねぇっ!」
 後はもう、声にならない。


「おかぁちゃ……」
 働き者だった母の手が、こやに触れる事はもう二度と無い。
「……おとうちゃん……っ」
 優しかった父は、首も身体も腕も脚も全部が離れ離れになった挙句、ついさっき冷たい土の中に埋められてしまった。もう会えない。
「返してよ……!」
 二人にもっと甘えておけばよかった。
 そうでなければ、あの時にさっさと押入れの中から飛び出して、二人と一緒に殺されておけばよかった。そうしていたならば今、こんなにも寂しく、口惜しく、苦しい気持ちにはなっていなかっただろう。
「誰も助けてくれないなら、誰もできないなら、……だったら自分でやるから、わたしが、やるから」
 一様に黙り込んだ大人達の視線を一身に集めながら、こやは叫ぶ。胸の中に巣食った黒々しく熱い塊を、幼く拙い怨嗟に変えて周囲に向けて撒き散らす。
 それは喉を削り、乾いた血を吐くような叫びだった。

「わたしがあいつらを殺してやる……!」

 騒ぎを聞きつけて屋敷内からも人が集まり始めていたが、その誰もがこやの素性を察知して顔を見合わせる。こやを止める者はもう誰も居なかった。


「――……すまなかった」
 場に、静かな声が響いた。
 途端にこやを取り囲んでいた人垣が割れる。場に居た数人が素早く地に膝を付き、残りの数人がその声の持ち主の名を囁いた。
「九郎様」
「若」
 青年と呼ぶにはまだ少し幼い――それでも後の伸び代を感じさせる目付きをした若者だった。現れた九郎の姿を見、慌ててこやを取り押さえようとした下人達を視線だけで制し、九郎は続ける。
「あの晩、異変の察知に遅れたは我等の責だ。里境に置いていた『目』が殺されていると気付いた時にはもうお前の家は燃えていて、百舌党は既に場から去っていた。……病床の当主になり代わって俺が謝ろう」
 こやに目線を合わせて地に片膝を付き、隠し切れない憔悴を含んだ声音で九郎が呟く。
「……お前がこやだな」
 間近い位置から名を呼ばれ、目に涙を溜めたまま、こやは頷いた。
「怖かっただろう。助けに行ってやれなくて、お前の家族を守ってやれなくて、本当に……済まなかった」
 温もりを持った手が、こやに触れる。
 剣術の稽古と毎日の修行とで酷く荒れた手の平が、泣き濡れた少女の頬をそれでも優しく撫でた。
「……ごめんな」
 その呟きは自嘲を強く含んでほの苦い。

「おにいちゃんが、若さま?」
 堪えきれない嗚咽に乗せてこやが呟いた。
「ああそうだ」
 簡潔な響きで九郎が返す。
「おかあちゃんが、お屋敷の若さまはすごく強いって、言ってた」
「俺はまだ弱い。現に、お前の家族を凶賊どもから守ってやれなかった。……気付く事すら出来なかった」
 伏せた視線は九郎の本心の現れなのだろう。声に混じる歯噛みも後悔も、もうそんなに遠くない未来で自分が引き継ぐであろう次期当主としての責を、忍軍だけではなく里の民全てを背負う重みを、それらを強く再認識している響きだった。
「わたし……、あいつらを許さない」
「それは俺も同じだ」
「あいつらを殺すための……力が、欲しい……!」
「そう望むなら、忍軍一ヶ谷衆としてお前を迎え入れよう」
 嗚咽を堪えて自らを見上げてくる幼い少女の声に真正面から応え、頷き、そして九郎は言う。
「悔しいなら奴等を憎めばいい。強くなりたいなら、俺がその力を与えよう。――だが、もう泣くな。泣いてばかりではお前まで不幸になる。お前を心配する周囲の優しさも感じなくなる。……それは、お前の両親が望んでいた事ではない筈だ」
 駆け去って行ったこやを追いかけて来たのであろう彦左達の慌てた声が、門の方から聞こえてくる。
 それらを含んで述べた九郎の声と視線は、真っ直ぐに澄んでそして強い。

「皆の仇は俺が取る。――必ず」


 中庭に、少女の嗚咽が静かに響く。


追章 こや ―― 終

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