周り巡る連月
(つらなづき) (13)



 勝った、と道顕は思った。
 疾駆する馬上からの一撃、それも振り下ろす大太刀の斬撃は何よりも重く、短く軽い忍刀風情に受け止めきれるものでは無い。斬ると言うよりも叩き付けると同様の一撃が、生意気な顔を粉砕し破壊した様を刹那に思い浮かべ、勝利を確信し、道顕は歓喜に吼えた。
 侍崩れの乱破風情が――それもとうの昔に士分から落ちた家が、鼻高に気取った家の者が、選ばれたような顔をした男が、生意気にも剣士の真似をして居合い抜刀とは片腹痛いと大きく嗤いながら。

 目の前を何か大きな塊が飛んだのはその時だ。
 先ず最初、視界の真ん中を銀色の『何か』が横切った。そして次の瞬間、間髪を入れずに『何か』が飛んだ。
 その『何か』に重なる様に、赤い『何か』が噴き出して散る。
 それら全ての『何か』が何なのかを、道顕がしっかり認識するには時間がかかった。
 そしてまた赤い『何か』が散る。

 今まで何度も相討ちと再戦を繰り返してきた仲だ。疾走する馬上からの一撃とは言え、初撃の一閃如きで忌々しいあの男がくたばるとは到底思えない。
 馬首を返し、取って戻り、生意気な顔の付いた首をこの手で刈り獲って初めて勝利と言えるだろう。道顕は振り下ろした大太刀を構え直し、勢い込んで手綱を引いた。

「はは……ッ!」

 つもりだった。

 構え、肩に担ぎ直した筈の大太刀が妙に軽い事に違和感を覚え、道顕は機敏に――しかし何故か身体の動きはゆっくりと、其方に首を巡らせる。
 途端、真っ赤な湯のようなものが頬にかかり、不思議な事に、その熱さで却って頭が冷えた。
「何」
 大太刀は無かった。
 否。――手にしていた筈の武器は、腕ごと無くなっていた。

 顔を巡らせた視線の先に、馬の首が落ちているのが見えた。しかし自分を乗せた馬は未だ前方へ、手綱を引いた方へと進んでいる。首を無くしたまま、それでも尚走りつづけている馬に乗っているのだと、そこで初めて認識した。
 時間が妙に長く感じられた。額の真ん中が妙な熱を帯びてやけに疼く。そこから熱いものが止めどもなく噴き出している。それなのに、身体は急激に冷えていく。
 実際には数瞬も経っていないだろうに、それらの光景はやけにゆっくりと、そして酷く鮮明に道顕の目に映る。

 斬り飛ばされて地に刎ね落ち、それでもなお狂ったように血泡を噛み続ける馬の首。
 中空に高く噴き上がる血飛沫。
 その血よりも更に紅い火炎。燃え上がる本堂。生え立ったまま焚き火と化した境内の木々。強く立ちこめた血臭。
 地面に転がった墨染めの袖。
 その袖から覗く、大太刀を握ったままの白い腕。

 そして、その傍らに静かに立ち、道顕を冷ややかに見つめる黒い瞳。


「か……つら、ぎ……っ」

 宿敵の名を叫んだ刹那、道顕の視界は朱一色に染まった。
 自らの意思に反してぐらりと身体が傾いで行くのが分かった。周囲一体は炎に包まれており、何よりも熱い筈なのに何故か酷く寒い。さっきまで己の血で染まって朱かった筈の視界の先も、いつの間にか漆黒に塗り込められてしまっている。
 目が見えない。瞼が上がらない。瞼を上げるだけの、そんな些細な力も入らない。

 負けたのか。
 まさか。
 負ける訳が無い。
 そんな、筈は。

 最後の力を振り絞り、道顕は己が目をこじ開けた。
 疾走を止めた時に初めて死ぬのだとでも言いたげに、馬は未だ走っている。地を踏む蹄の動きは今にも崩れ落ちそうに乱れていたが、止まってはいない。まだ負けと決まった訳では無い。負けられない。
 その一念のみで道顕は両の目を見開く。

 双眸に入り込んだのは、凄絶な火の赤。
「――……っ」

 焼け崩れる本堂と引き換えにこの世に顕現した、地獄の釜の炎。




 頭が飛んだ事に気付いていないのか、首を無くしてもなお脚を動かし続けていた馬に跨ったまま、燃え盛る火炎に道顕は呑み込まれて消えて行った。
 馬上の墨染めの衣が大きく傾ぎ、火炎の海に包まれたと同時、騎馬が突っ込んだ事で本堂の屋根が完全に陥落した。
 響く轟音に、火炎が吹き立つ。


 自ら達の頭目が斃れた事を知った百舌党たちが一斉に恐慌を来たし、わらわらと逃げ始めたがそんな事には構っていられない。
「――九郎様!!」
 逆さ瀑布の如く巻き上がる火の粉と熱波に視界を遮られて煽られながらも、高次は自らの主の名を絶叫して駆け寄った。
「九郎様! ご無事ですか!?」
「……それなりにな」
 馬の物か道顕の物か。返り血を全面に浴び、恐ろしく凄惨な姿にはなっていたが九郎の軽口は健在だ。だが利き腕であるその右腕は指すらも力無く、だらりと垂れ下がっている。
 通常の刀よりも短い造りの忍刀で、馬の首と騎乗者の腕を――しかも全力で駆けて来た騎馬のものを、文字通りに『飛ばした』のだ。その衝撃は計り知れない。
 垂れたまま全く動かないそれに高次が絶句しかけたが、九郎はそれを目線で制して口を開いた。
「流石に力任せが過ぎたようでな、少々壊れた。……しばらく使い物にはならんが、そんなに酷くはない筈だ」
 左腕で握っていた己の忍刀――こちらも高次の物同様、派手に折れている――を投げ捨て、動く左腕で道顕の残した腕を拾い上げ、三々五々逃げていく百舌党を横目に九郎は、深追い無用の命を下す。
 戦い方一つを見ていても、百舌党が道顕支配でのみ成り立っている集団である事は明らかだった。党首を失った今、深追いせずとも、鳥の名を冠したこの集団は勝手に崩れて世に消えゆく筈だ。

「……終わったな」
 道顕の消えていった本堂は大きく焼け崩れ、最早原形を残していない。渦巻く火炎はこのまま百舌党の拠点総てを呑み込み、焼き払い、総てを清めていくのだろう。
「百舌との事は終わりましたが」
 九郎の右腕の怪我を丁寧に検分しながら、言を受けて高次が問う。
「ご自分がたの事はよろしいのですか」
「――おお」
「……また忘れてましたね?」
「……アレに関してはあまり眼中に無かったからな」

 総ての元凶――勝島をこの大火事の中から探し出すのは少し骨が折れそうだが、しかしここに今居るのは忍の集団だ。無理な話という訳では無い。
「二度と菜津に近寄ろうなど、天地が裂けても思えないくらいに脅しておかねば……」
「そうですね。良い考えだと思いますよ、あの手の輩に同情の余地はありません」
「いっそ潰すか切っておくか」
「……何を、とは敢えて訊かないでおきましょうか」
 右腕の手当を受けつつ、高次の言に九郎が微かに笑う。

 火攻めの際の最重要事項として、風向きを充分に考慮して火を放ってある。周りは火の海だがよくよく見れば燃えていない箇所も境内にはあるし、逃げ道もきちんと残されている。九郎たちが今居る辺りも火は少ない。火事場中に身を置きながらも、会話の余裕があるのはその為だ。
 ――だが、あの崖の上からでは黒煙に紛れて此方の様子などは見えず、判らないだろう。
 自分を見送った心配そうな瞳を思い出し、九郎が小さく呟いた。
「早く安心させてやらんとな。色んな意味で」
「そうなさって下さい。あの方ならば長く上手に貴方の手綱を取ってくれそうで、私は大いに期待しておりますので」
 高次が珍しく軽口を叩き、そして笑う。
 それに併せる様に、九郎が頭目たるに相応しい大音声を上げた。

「一ヶ谷衆! 総力を挙げて勝島の殿をお探し申せ!」
 火勢に負けずの下知が飛ぶ。
「言いたい事が山程ある故、生かしたままお連れしろ。――……さっさと死んでいたなら骸だけでも構わんがな」

 道顕の腕を担ぎ上げ、微かに笑んで発した九郎の声は、しかしながら酷く低い。




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