周り巡る連月
(つらなづき) (12)



 緩く切り立った崖の下、夕暮れの薄闇に紅蓮を上げて燃え盛る山寺を背景に、異能の衆達は死闘を繰り広げている。

 山寺の境内に、炎に照らされて影が舞った。
 木々の爆ぜる音に重なる様に荒々しい足音が響き、剣戟が鳴り、時折銃声が響き、肉が斬られ骨が断たれて、最前までヒトであったものが呆気なく肉塊へと変わっていく。
 炎に紛れて激しく散った朱色は間違いなく鮮血だ。足元に伏し倒れたそれら肉塊を飾る様に、あちこちを炎より濃い色で彩っている。
 その炎の陰、乱戦乱闘をすり抜けて幾人かが背中合わせに固まった。それは、百舌党の中でも古参の者達だった。

「……おい、どうだ」
「近隣に伏せていた者共がいっかな来んな。援軍無しではもう持たん」
「流石は忍軍一ヶ谷衆、とでも言うべきかよ」
「我らとて攻める準備はしてきていたが、乱破同士の争いで……よもやこんな人里近くで火攻めに遭うとは思わんわな。これでは逃げるしかなかろう、仕方が無いと言う奴だ」
 男が一人薄笑み混じりに呟き、剣戟の騒乱を尻目にその数人を引き連れて戦列をするりと抜ける。
 逃げる姿を見て追って来た紺染めの衆を斬り付け、最早火の海と化した境内を駆け抜けて走り去り――
 否、走り去ろうとしたその瞬間、一同を引き連れて最前を走っていた男の首が飛んだ。

「?!」
 正確には、飛んだのではなく『頭部が爆ぜた』と形容するべき死に様だった。血と脳漿を撒き散らしながら半壊して崩れ飛んだそれに、火勢の中、皆の足が止まる。
 周辺に敵は居らず銃声も無かった。それにも関わらず、男は顎から上を半分以上無くした身体で地に倒れ伏し、残った下顎を物言う様に震わせながら、周辺を血の海に変えてただ壮絶な痙攣を繰り返すのみだ。
「何だ」
「どこから」
 修羅場には慣れているのだろう。何よりも古参の衆でありながら、自軍の劣勢を見、すぐさま逃げる事を決めた者達である。仲間の死にも動じず――むしろ百舌党に仲間という概念があるのかも疑わしいが――急襲にも冷静に周囲を探り、火の海を見回して鋭く叫ぶ。
「気をつけろよ、まだ近くに」

 ――だが、ぼぐん、と言う極めて鈍い音が再度響いた瞬間に、その冷静さは瓦解した。
 もう一人の首が、今度は正に根こそぎ飛んだからだ。

「誰が退いていいと言ったァ?!」
 蛇の様に黒く長いものが――それは分銅が付いた細い鎖だった――首を丸ごと飛ばされて地面にがくりと膝を付いた男の足元から素早く跳ねた。耳障りに擦れゆく金属音を響かせて、その鎖はそれを放った主の手元、墨染めの衣へと生き物の様に舞い戻る。
「テメエらの主は一体誰だ? そいつだったか? ……よもや忘れたとは言わせねぇ」
 炎に照らされたその貌に浮かぶのは、僧形とは掛け離れた兇悪さだ。僧衣にたすき掛けで武器を取って立つ様は仏敵に挑む僧兵そのものだが、その半身と頬に重く返り血を浴び、両の手に鎖鎌を持ってしてでは、さながら獄卒の有様だった。
「誰が主だ?」
 狡猾な荒くれ共の集団である百舌党を率いるのに相応しい残虐さと魔性を見せつけ、道顕が深く嗤う。その背後から、今正に戦りあっている最中である紺染めの集団が音も無く駆けてくるのが見えた。
「ほら、来てんだろうが。……歓迎してやれよ」
 顎でしゃくって見せたそれに、逃げ途中だった男達の歯の隙間からか細い唸りが立ち上がる。後にも退がれず前にも進めず、唸り声と言うよりは最早悲鳴にも近しいそれに、道顕の唇は更に笑み崩れた。

「さあ往け! 一人でも多く道連れにして死にやがれ!!」

 半狂乱の態で叫びながら敵に突っ込んで行った男達の背に、道顕の声が凶器の様に突き刺さる。



「道顕の姿が見えんな……逃げたか?」
「まさか」
 火炎を巻き上げて燃え盛る境内の一角、百舌党に囲まれて背中合わせになりながら、一ヶ谷衆の頭目主従が囁き合う。
 宿敵である道顕とは、先刻まで互いに死闘を繰り広げ、斬り付けあっていた。だが、一瞬の隙をついて僧衣が後ろに翻るや否や、百舌党の数人が自ら達で道顕の姿を覆い隠し、墨染めの黒衣が人の波に消えたと思った次の瞬間に、九郎達の周囲は敵の人垣に厚く囲まれていたのだ。

 じわりと包囲を詰めながら、百舌党の一群が手にした得物を構え直す。
 いくら手練で鳴らした一ヶ谷衆頭目とその側役と言えど、二人対多数の状況だ。しかも周りを二重三重に囲まれており、逃げ場は無い。
 袋のネズミは二匹、しかも大物。
 道顕直々から一ヶ谷衆の大将首にかけられていた多額の報奨金を思い出し、百舌党の男達は舌なめずりする。
 だが。
「あの男がこの期に及んで逃げるとは思えませんが」
 落ち着いた声が放った鈍色の軌跡が、そんな男達の思考を打ち破った。

 自らの眉間から急に深く生え伸びたかの様な棒手裏剣を、男の一人が抜こうとしてそのまま前のめりに倒れ込む。同様に続いた数人は、腕を動かす暇も無いままにガクリと膝から崩れ落ちた。
「……しかしそうだと面倒ですね。煩わしい小鳥共との付き合いは、今日でもう終わらせたい」
 どよめいて緩んだ人垣に追い討ちをかけて、間髪入れずに今度は銀の軌跡が空を切った。白刃の煌きに乗じ、百舌党の鮮血が派手に舞い散る。
「そうだな、ついでに勝島との付き合いもこれきりにしたい」
 首を刎ねた刃を一閃して血払いし、九郎が頷いた。
 だが囲んだ人垣が完全に崩された訳では無い。優勢の揺るがない百舌党達には、未だ九郎達がネズミに等しく見えているのだろう。飛んだ血が火に炙られて焦げる不快な臭いが充満する中、嬲り殺しを何よりも好む百舌党一派の殺気がぎしりと張り詰める。
 その殺気を前に、九郎が悠然と目を閉じた。
 右手で忍刀を構え、左手を鞘に添えた姿で瞼を伏せ、細く息を吸い、そして吐く。

「――そして、百舌党に殺された総ての者の仇を取る」

 その声に荒々しさは無い。
 静かに呟かれたそれは炎の爆ぜる音に掻き消され、百舌党の耳にも届くか届かないかでしかない。
 しかし見開かれた瞳の強さは、周囲の殺気を凌駕する。
「道を作るぞ、続け」
 短い言葉と共に九郎の足が地を蹴った。深く沈んだ身体はそのまま人垣前列の脚を力強く薙ぎ払う。
「ぎゃッ」
「ひ」
 くぐもった悲鳴が数箇所から同時に響く。左手で素早く抜いて構えた鞘で膝の骨を打ち砕かれた者、右手の忍刀で脚の腱を断たれて無様に転がるしかない者達数名を踏みつけ、そのついでと言わんばかりに近くにいた男の腹に刃を深々と叩き込み、九郎が鮮やかに人垣を抜ける。
 それに引き続き高次の身体が動いた。ゆるく揺れただけのような、それでいて強い動きで振り下ろされた刃に合わせて一人が構えていた刀が弾き飛ばされ、そしてその際に刻まれた指が飛んだ刀に合わせて辺りにばらばらと降り注ぐ。
 左右の十指の大半を断ち斬られたその男は、舞った肉片と鮮血に呻く間もなく二太刀目を首元に突き込まれて絶命している。
 瞬き二つ分程度の間で見事に引っくり返された優位に、百舌党の間にどよめきが走った。

「皆の様子はどうだ」
「我らの所に百舌が一番固まっている様です。今の所、死人の報告は出ていません」
「そうか、ならいい」

 主従は二人、人垣を抜けて並び立つ。
 ネズミではなく獣を――それも酷く獰猛な獣を相手にしていたのだとようやく気付いたらしい敵を一瞥し、どちらからともなく静かに笑う。そしてそのまま、再度人垣へと駆け出した。
 繰り出した一閃に、血飛沫が強く舞う。



 燃え盛る炎の紅蓮に、山寺の本堂、その屋根の一角がついに焼け落ち始めた。
 轟音と滝のような火の粉を撒き散らして陥落し始めたそれに、敵味方関係無く声が上がる。
 信じきっていた優勢が崩れ始め、我先にと逃げ出し始めた百舌党も少なくないのだろう。逃げる者にすら容赦しない、正確無比の掃討の銃撃音が、火勢に紛れつつも確実に山間に木霊している。
 戦いの規模は単なる小競り合いを超えている。
 主力と主力がぶつかり合い、この戦いは最早、確固たる戦であった。
 しかしここまで派手な争いであり山火事でありながら、周囲の村落の住民はおろかここら一帯を統治している筈の侍も、未だ誰一人として様子見にすらやって来ない。一ヶ谷衆と百舌党、この 二つの集団の争いに対し、来るはずの中断の間は一向に訪れない。
 ――それは、第三者の介入によってではこの争いは終着しない事を意味していた。
 撤退や投降すらあり得ない。
 どちらかが死に絶えるまで、この戦は終わらない。



「どきやがれェ!!」
 火勢の中、咆哮が響く。
 罵声だったにも関わらず良く通ったその声に、敵味方の区別無く人垣が割れた。燃え盛る本堂の方向から一頭の騎馬が、駆け鳴らす馬蹄の音も荒々しく猛然と現れたのだ。
 泡を吹き散らしながら駆け狂うその騎馬は、避け遅れた者を文字通り蹴散らして、火の粉の中をただ一人を目指し疾駆する。

 それに気付いたのは高次の方が早かった。
 馬上で大太刀を構え、味方をも蹴り倒し薙ぎ払いながら此方へ突っ込んでくるのは紛れも無く道顕だ。遠目でも殺意に満ちていると分かるその眼が捉えているのは、九郎ただ一人。
「九郎様!!」
 しかし高次の叫びは乱戦の喧騒で阻まれて九郎までは届かない。
 一度は崩した人垣だったが、一ヶ谷衆の大物二人の首を狙って再度群がった百舌の残党に主従二人は分断されて、駆け寄る事も安易ではない。道顕を追ってきた幾人かの一ヶ谷衆を見つけ、御頭をお助けしろと怒鳴ったものの、それらが間に合わない事は明白だった。
「く……ッ」
 生じた隙に乗じ、高次を仕留めようと百舌党が一斉にたかる。数が多い。
 主人へと牙を剥いて迫り来る敵首魁を前に雑魚に構っている暇は無いと言うのに、一人を斬り伏せてもう一人に忍刀を突き立てた拍子にその刃が折れた。真ん中から折れて使い物にならなくなったそれに高次は瞬間だけ目をやり、舌打ちする間も無くすぐに九郎へと視線を戻す。駆け出そうと一歩を踏み込む。

 だが、最悪の状景を想定した高次の目に飛び込んできたのは、手にしていた筈の刀を鞘に戻し、長羽織を脱ぎ捨てて静かに佇む紺染めの背中だった。

 ――炎と罵声と混乱、悲鳴、絶叫。
 あらゆる物が入り乱れたこの空間の中で、九郎の姿は不思議と静かだ。その背が不意に沈み、居合いの構えを取る。


 荒馬を駆りながら大太刀を振り上げて迫る道顕と、腰を沈めて刀に手をかけた九郎。
 その両方が、同時に獣の咆哮を上げた。




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