周り巡る連月
(つらなづき) (11)



 山寺は未だ激しく燃えている。
 しかしそれにも関わらず近隣の住民達や領地内の侍共が誰一人来ない所を見ると、予め戦闘に備えて何かしらの手回しが成されていたのだろう。もしくはこの寺に潜んでいた者達によって、近隣の土地などはとうの昔に食い荒らされてしまっているのかもしれなかった。
 炎の中で、余人の預かり知らぬ所で、異能の衆による熾烈な争いは、今尚も繰り広げられている。

 しかし忍としての能など何も持たない者は、崖の淵に立ってただ眼下の火事を見つめる事しか出来ない。髪を熱風に揺らし、瞳に炎を映しながら菜津がぽつりと呟いた。
「一番隊と言うのは、一番強い方々がいらっしゃる隊という認識で……いいですか?」
「そうなりますかな。我々一番隊は大将の――九郎様の、まあ馬廻り衆のようなものと思って下されば」
 崖に立つ菜津に頷きながら応えを返したのは、秋津と呼ばれていた男である。
 一番隊を侍で言う所の馬廻り衆であると例えるならば、それは郎党の中でも中核を担う戦力と言う事だ。忍の身では馬など無いが、上中下忍の身分を問わずに一ヶ谷内で腕利きだけを選りすぐって構成した隊で、今は亡き先代の側役だった自分が一応その筆頭だと、秋津は世間話の様に声を出す。
「筆頭でいらっしゃるなら……でしたら」
 菜津の声は硬い。
「お願いします、どうぞ九郎様の所へ。私はここに置き捨てて下さって構いませんから、どうかあの方を」
 そして唇を噛む。
 山の夕暮れは短い。日の陰り始めた中、菜津の目には乱戦の模様は薄闇に溶けてほとんど見えない。明るさの消えた中では、薄暗い空に柔らかい姿を現し始めた月の光の頼りなさだけが余計に際立ち――……それが尚一層、菜津の焦燥を誘う。
「――大将が心配ですか」
 芯の通った堂々たる威勢で菜津の隣に立ち、秋津が太い声で問う。
 自分如きが心配せずとも、道顕達を追って崖を駆けて行った九郎の隣には腹心中の腹心である高次が居るであろうし、一番隊もその殆どが九郎に付いて行った。
 心配だと素直に心中を吐露するのは、この忍軍に対する侮りになってしまうだろうかと少しだけ逡巡し、菜津はほんの一瞬口を噤む。

 しかしそれでも堪えきれずに呟いた。
「……とても」
「うむ、それで結構。そうでなくては大将も戦う甲斐が無い」
 周辺を探りつつ、一人前の顔をしながら見張り番をするこや達にも予断無く目を配り、秋津は満足気に頷いた。
 子供好きだと彦左が以前称していた通り、片耳が削げ落ちて古傷が顔を縦断する恐ろしげな外見や野太い声とは裏腹に、秋津の物言いはどこか優しい。
 事実、その性根は穏やかなのだろう。基本的に侍も忍も主の前で功を見せる事を戦では最も重視するが、秋津は一番隊のほとんどが出陣した後も自ら進んで崖上に残り、菜津や子供達をその場で守るためだけに待機している。

 悲壮な顔をして黙り込んだ菜津を見、秋津が口を開いた。
「あの坊主とは元々因縁ある仲。あんた様に執着するあの侍に対しても、それに与する百舌党に対しても、あらゆる事に決着をつける良い機会だと大将は申しておられた。……あまり思い詰めなさるな」
 九郎と道顕は確かに初対面ではなさそうだった。見た限り、かなり険悪な仲だ。
「……あの僧侶の事を、九郎様はよく知っていらっしゃる様でしたが……」
「百舌党のですか? ……ああ、昔にあやつらがこの近隣を酷く荒らした事がありましてな」
 秋津の視線がちらりと子供達の方を見た。だがそれは一瞬で、すぐさま次の言葉を紡ぐ。
「大将の――九郎様の初陣は、忍仕事ではなくて夜盗退治だったのですよ」
 その時には決着がつかず、その後一ヶ谷衆を継いだ九郎は、互いに勢力地が近い事もあってか何かと道顕と因縁があったと秋津は語る。

「百舌……党」
 愛らしい野鳥と、あの荒くれ共を引き連れた僧侶はなかなか結びつかない。
 秋津が大きく頷いた。
「モズの習性が表す通りですな。うちの大将が申し上げておった通り元々は隣国の夜盗の集団で、襲った屋敷の者や旅人などを、わざわざその場に串刺して犯行を誇示する手口からそう呼ばれておりまして。……あのエセ坊主が頭目になってからは急激に郎党の数が増え、勢いも良くなりましてな。戦にこそ出ぬものの、忍軍の真似事までもしだした輩です」
 秋津の口調は淡々としつつも渋い。一ヶ谷衆と百舌党の間には相当の因縁があるという事だろう。……何度対峙しても、決着がつかない程の。
 そんな強敵と、九郎達は命を懸けてやりあっている。――菜津を助けに来たが為に。


 長い沈黙の後、菜津がとうとう口を開いた。
「秋津様」
「何ですかな」
 秋津の目を見る勇気は無かった。下を向いたまま言葉を続ける。
「……九郎様は、私に触れた事がありません」
 呟いた言葉に、秋津が表情を変えた空気が伝わってくる。
 言いにくかった言葉ではあったが、一度声に出せば不安はするりと喉を通った。
「私は、一ヶ谷の皆さんに命を賭けて守っていただけるような立場じゃあ、本当は無いんです。皆に妻だと認めてもらえるような『何か』は全く無いんです。……妻と、そう呼ばわって下さってはいるけれど、それは……」
 言葉の上だけだと、小さく呟く。
 主人の伴侶でないのなら、彼らが命をかける謂れは無いだろう。そして九郎の妻たる資格すらも、己には無いと菜津は思っている。そんな者の為に戦わされている一ヶ谷衆の事を思うと、死線に赴いた彼らを思うと、菜津は言わずにはいられなかった。
「――ああ、その事なら」
 だが、秋津の言葉は沈み込んだ菜津とは正反対に明るさを得た。顔を伏せたままの菜津に向け、なんだそんな事かと安心したように歯を見せて笑う。
「里の大概の者が知っておりますが」

 その言葉にそうですかと沈鬱に頷きかけ、言葉の意味をもう一回心中で反芻し、菜津は気付いて顔を上げる。
「――え?」
「要はまだ何もしておらんのでしょう? 男女の事を」
 さらりと告げた秋津の言葉は簡潔だが分かりやすい真実だ。しかし何を言われたのか、菜津には理解出来なかった。
「え、え?」
「祝言の晩から今の今まで、肌を合わせた事が無いとあんた様は仰りたい訳で」
「え、は、はい」
 秋津の声は軽快だ。
「あんた様に手出ししていない事も、侍の殿様の御妾であった事も、大将は別段何も隠しておられない。隠すような事でも無い。だから里の皆が知っておりますよ。何をそう気鬱に思ってるのか知りませんが、そういうのを全部ひっくるめて、我らはあんた様をお助けに上がった次第で。ええ」
 だが、軽かったその声が急に陰る。
「……ですが、相当なご苦労をなさっておったようですな。その心中、お察し致す」
 先程の道顕たちとのやりとりを聞いていた秋津が、苦々しげに顔をしかめて呟いた。


「……うちの大将――九郎様はですな、女子と深く多く縁のあった父御の背中を見て育ちましたので、まあ何と言いますか、色恋に関しては普通よりも冷めておられると言うか……いや、冷めてと言うか、達観されておりましてな」
 百舌党との戦況に時折厳しい視線を走らせながらも呟く言葉は、どこか溜息混じりだ。
 唐突に始まった話に目を瞬きながらも、菜津はただ黙ってそれに耳を傾ける。
「ご自身の実母様は早くに亡くなられましたので、ご弟妹は総て腹違い。先代が屋敷に入れる『母親』は数年……いや、早い時はそれが月単位で代わる……」

 葛木家の先代は、女関係に関しては非常に大らかな男だったようだ。
 先代が町で遊んだ浮かれ女
(め)が、どこで知ったのか一ヶ谷の里に押しかけてくる事が度々あった。屋敷でかち合ったそれら同士が悋気(りんき)を起こし、掴み合いの喧嘩を起こす事もあった。
 後妻の座を狙い、嫡男に取り入ろうと、当時まだ子供と言っても過言ではなかった九郎に色仕掛けで迫るような女も、中にはいたのだ。

「……そんな諸々の所業が祟ったか、あの子の口癖は『俺は女は一人でいい』で――……周囲がどれだけ勧めても嫁取りの類には興味を示さず、許婚も無かった。高次から伝え聞いた話では、九郎様は、女は面倒だと申しておられたそうで」
 別に女嫌いと言う訳では無さそうだったが、それでも跡継ぎであるにも拘らず、九郎の周囲に女の匂いが少なかった事は事実だった。
 故に、だったのだろうか。十代半ば過ぎで父も喪い、葛木家当主と一ヶ谷衆を引き継いだ時、親族を含む皆がせめて許婚をと勧めたが、それでも九郎は首を縦に振ろうとはしなかったのだ。

 女子に関する何やかやが相当面倒だったのでしょうな、と言って秋津は大きく笑う。
 一ヶ谷衆先代頭目の側役として間近く仕えて来た秋津にとって、九郎は実子にも等しいのだろう。当時の事を思い出したのか、九郎の事を語るその表情は穏やかだ。
「そんな子がある日我らを集めてこう言いました、妻にしたい女がいると。親戚一同も里の一同も、そりゃあもう大喜びだった。嬉しかったですよ」
 笑んだ秋津の目が菜津を見る。
「あんた様の事です」
 菜津と視線を合わせて笑う秋津の顔は、優しい。
「……毎日泣いていて可哀相だと、我らに仰られましてな。助けてやれるなら、助けたいと」

 きっと加後院家より縁談の勧めがあった直後の事だろう。
 宴の日、勝島のあの無体を間近に見た九郎なら、縁談に乗る事が菜津を助ける手段になると考えてもおかしくない。
 やはり九郎は菜津を救うつもりで娶ったのだ。
 元々そのつもりで娶ったなら、嬲られて心身ともに疲れ果てた女に手出しなどしないだろう。――菜津の唇から、小さく溜息が漏れた。
 薄々分かっていた事だ。それが今、九郎の腹心の言葉で裏打ちされただけに過ぎない。
 吐き出した息に苦さは無かった。

「九郎様は……私を助けようと、この縁談を……」
「あ、それはどうだか」
 しかし漏れた独り言を即時で否定され、菜津は秋津を仰ぎ見た。
「でも今」
 助ける為にと言っただろうと視線で問うも、大きく咳払いをし、前を向いてしまった秋津の声は素っ気無い。
「ま、これが全部終わったらご本人の口からお聞きなさい。こういう話は当人同士でするものと相場が決まっており申す」
 唖然とする菜津を余所に、秋津は悠然と腕を組み、そして眼下を眺めて呟いた。
「ああ」
 月が昇り始めた夕空に、声は静かに響く。


「……そろそろ決着が、着きそうですな」


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