一ヶ谷歳時記
(いちがやさいじき)(9)



【一月一日 元旦、言祝(ことほぎ)


 日はすっかり昇り、きんと冷えた朝の青空に白雪が映えて大層目映い。
 葛木家の大広間は全ての戸が開け放たれており、そんな冬の日差しが明るく差しこんでいる。よく磨かれた飴色の板床に、日の光が照り輝く。

 有事の際なら戦装束の厳めしい忍衆がずらりと並ぶこの大広間も、正月元旦の今日は真新しい晴着に身を包んだ晴れがましい笑顔が老若問わず並んでいた。これらは全員葛木家やその敷地内に住まいながら仕えている者たちで、云わば里内で最も間近く葛木の家に仕えている者達だ。
 皆が身を包んでいる晴着は、当主である九郎から新年の祝いとして下賜
(くだ)されたものである。この家で子飼いされている下忍達やこの屋敷で日々働く下男下女を始め、見習いのような扱いで屋敷で養われている小太郎など末端に至るまでの全員がその晴着を身にまとい、この大広間の下座に集められている。
 人数はそれほど多い訳では無いものの、下座の前方には先代時分から務める包丁頭
(ほうちょうがしら/料理長)や門番といった古参の者達、後方には年若い者やそれらの子供が、それぞれの家族や知り合い同士で固まって坐していた。小太郎は共に居るような親も家族もいないので、それらの端っこに所在無げに黙ってちょこんと座っている。
 葛木という一つの家としての新年言祝の儀、当主からの新年の挨拶がこれから始まるのだ。


 皆が思い思いにさわさわと会話を交わしているうち、葛木家大広間上段の間――とは言ってもささやか程度の広さだが――近くの襖
(ふすま)が品良くさらりと静かに滑った。途端に皆がしんと静まり返る中、襖口(ふすまぐち)で膝を揃えて三ツ指をつき、深々と頭を下げたこやが口を開く。
「――お方様、大奥様、並びに御嫡子
(おんちゃくし)であらせられます菊様、皆々様の御出座(おでま)しにございます」
 告げたこやの声にいつもの浮ついた響きは無い。厳かに告げられたそれに、ざざと波のような音が一斉に立ち、居並んだ下忍衆や下男下女、幼げな子供達までもが板床に諸手をついて平伏する。
 
 当主の正妻として、皆の先頭に立って現れたのはまず菜津だ。
 ゆったりと滑らかな動きで敷居を跨ぎ、微かな衣擦れをそよがせながら広間へと菜津が現れた途端、その身と黒髪とに焚きしめられた清々しい薫りが冷えた空気を彩った。
 白練
(しろねり)を基調とした肩裾模様の小袖をまとい、吸い込まれるように鮮やかな瑠璃紺地に金糸の青海波と吉祥の花鳥紋様を艶やかに散らした打掛の裾を引き、長く垂らした黒髪を揺らして、紅をさした涼しげな目元を伏せながら菜津は歩を進めゆく。
 華やかながらも怜悧なその姿に座の後方、特に三つ四つほどの幼い女の子たちから、お姫様だとの歓声がわあっと上がった。
 菜津が少々照れ笑い、親が子達を急いでたしなめる中、続いて広間に入って来たのは姑のシエである。
 銀糸を用いて細かな刺繍の施された淡い蒲葡
(えびぞめ)色の小袖に、竹垣と枝垂れ梅を全体に配置した打掛は柳染地の何とも品の良いもので、若い頃の清楚さを未だ残すシエの佇まいによく合っていて好ましい。蒔絵の櫛を挿して結われた髪は最早殆どが白かったが、武家の出であるその顔(かんばせ)は、面食いだった先代が選んだ後妻だけあって未だ衰えぬ気品がある。――ちなみに実子の高次とは全く以って似ていない。
 名こそ呼ばれなかったが、淡萌黄の瑞々しい地色の小袖に多色使いの打掛を重ねて出てきたのは小春だ。
 羽織った打掛は白綸子
(しろりんず)地に薄紅や山吹の色とりどりの花々が刺繍された色鮮やかなもので、この山里ではなかなか見かけない色合いが、大きな呉服問屋で生まれ育ったこの娘らしさを出している。小春が歩く度に打掛裾から見え隠れする濃紅梅の裏地が、小袖の地色に映えて愛らしい。
 大店とは言え商家の出ゆえにこういった場には慣れておらず、身の運びや動きは少々のぎこちなさが目立ったが、それもまた一興だ。

 美しく着飾った女衆の最後、入口に控えるこやが一層深く頭を下げる中へ姿を現したのは、当主の一人娘たる菊である。その黒髪の耳元で鮮やかにちりちりと揺れるのは、叔母から先程与えられたばかりの菊花細工だった。
 色鮮やかな小袖を身にまとっているのは皆と同様だったが、打掛の裾を長く優雅に引いて歩く母たちとは違い、菊の打掛は身丈
(みたけ)と同寸に仕立ててある。小袖は薄藍と白藍と緋色の段替りに辻ヶ花染でそれぞれ異なる菊花を配し、目にも色鮮やかに仕立ててあったが、重ねた打掛は紺装束を身にまとう一ヶ谷衆の次期当主である事を示すかのように、唯一色(ただひといろ)鮮やかに青い。
 動きにくいものは着たくないと嫌がった菊をどうにかこうにか着飾らせる為、菜津と小春とこやがああでもないこうでもないと散々話し合って用意したそれは、少女と少年のちょうど狭間といった趣の装いである。たおやかな姫君たちを守る若武者であるかのように、最後に広間へ入室してきた菊のその佇まいと視線は凛として真っ直ぐだ。
 生まれついた身体こそ女だが、菊の有りようは次期当主を担う嫡男のそれである。色鮮やかで艶やかだがどことなく性別の無いその衣装は、菊の持つ凛々しさに良く映えた。
 菜津、シエ、小春の三者が広間に居並んだ者達から大きく間を空けた最前列に坐したのち、菊だけは単身そのまま上段の間へ向かい、据えられている上座の脇へちまりと座る。そして母達が皆同様指を揃えて平伏するに合わせ、自らも深く頭
(こうべ)を垂れた。
 
「葛木家御当主、九郎景勝様の御成りである」
 当主の臨席を告げる高次の、よく通る低い声が場に響く。上段の間入口脇にまず高次が膝を付き、次いで秋津も並んで膝を付いた。
 それと同時、広間の空気が引き締まる。
 側近二人が跪き、一同が平伏する中へ、月無き闇夜の如き濃紺の、素襖
(すおう/礼装の一種)の大袖を静かに捌いて九郎が姿を現した。


「――皆、大儀である。面
(おもて)を上げよ」
 同じく素襖姿の側近二人を引き連れた堂々たる振る舞いで上段を進み、着座して九郎が口を開いた。
 正月である本日は九郎も正装姿だ。葛木家の紋を背負った素襖を纏い、髪油を用いて丁寧に黒髪を結い上げた九郎のその姿は凛々しく、冷厳な貫録に満ち満ちて見目麗しい。
 年若い者達は主人のその眉目の秀麗さにほうと素直な賞賛の嘆息を漏らしたが、この主を子供の頃からよく知っている古参の者共は、ここまで化けさせた菜津の努力と苦労の方へ嘆息した。

「今日のこの佳き日を皆で迎えられた事、当主として嬉しく思う」
 淡々とした抑揚の少ない声音はいつものそれと変わらない。だが、九郎は下座をぐるりと見渡し更に続ける。
「しかし我が家はこんな稼業だ、誰一人欠けずに無事でと言う訳にはなかなかいかん。――……茂吉、お英」
 名を呼ばれた老夫婦が、最後列からははと畏まる。それと同時、打掛の裾をさらさらと揺らして立ち上がった菜津が、屠蘇器
(とそき)に乗せた盃台と水引の付いた銚子を上段の間前にそっと据えた。
 何事かと視線の揺らいだ皆を置き、老夫婦を呼びながら九郎は続けて言葉を紡ぐ。
「お前達の忠義、葛木の当主として有難く思う。己らの息子を誇れ」
 上段の間から進み出て、手ずから酒杯を与えながらの九郎の声は静かだった。
 その言葉に夫婦からの返答はない。だが、亡き息子のものらしき位牌を抱いて膝行してきたその老夫婦は皆に先駆けての盃と言葉とを賜り、深く叩頭して九郎に礼する。

「続いて毘沙門よ」
 ひどく仰々しいその名前は、呼ばれた老爺が戦忍
(いくさしのび)として戦場を駆けまわっていた頃の通り名だ。身体を壊して勇退し、戦道具を包丁に持ち替え厨房へその活躍を移した昔も今も、九郎は子供時分からの顔見知りであるこの包丁頭を、親しみを込めてこう呼んだ。
 普段は滅多に笑わない九郎だが、そのぶん稀に笑うとそれは何とも穏やかな雰囲気を醸し出す。張りつめていた場が、九郎が笑んでみせた途端にふっと緩んだ。
「今年も俺はお前の作る飯を食う為に帰って来るぞ、長生きしろよ」
「無論でござる。屋敷の皆と共に、御頭様のお帰りをお待ち致しておりまする」
 当主の言葉に片頬緩めて返した老爺の笑んだ顔は、眩しいものを見た時のように晴れがましい。
「次、伊之介と須磨」
 順々に屋敷の者の名を呼び、一言を与え、当主である九郎自ら盃を与えていく。
 その隣には打掛の裾を美しく流して坐
(ざ)する菜津が控え、注がれる都度に銚子へ御屠蘇を足し、時折自らも屋敷の者に一言を与えつつ、九郎の介添えを行う。

 忍軍を率いる頭目であり葛木家当主である九郎自らが下々に盃を授けるのも、その奥方たる菜津の間近へ香が薫るほど寄る事を許されるのも、今日が正月元旦の祝い日だからこそだ。だがそれと同時、葛木の家に間近く仕える忠義を労う面も大きい。この盃は誰もが受けられるものではない。
 この場にいる皆の顔は、厳粛ながらも誇らしげだ。

屋敷の外、庭の垣根を越えた向こうから、里人たちの賑やかな声が風に乗って聞こえてくる。
家それぞれの挨拶や朝餉を済まし、親戚や知り合いなどへの挨拶回りに繰り出し始めたのだろう。子供たちの楽しげな声や大人たちの笑い声が、厳冬の澄んだ空気に響いている。

 
 大人達へは酒杯を与え、幼子達へはシエと小春が用意した菓子包みの紙ひねりを与え、場が随分と和やかになっている中、九郎がさてと息をついた。
「……そう言えば重蔵はどうした。姿が見えんな」
「重蔵は、後ほど火縄隊でまとまって挨拶に伺うと聞いております」
 背後で控えていた高次が九郎に返す。その言葉に、九郎がふむと頷いた。
「ならば屋敷の者はこれで終いか。あとは――」
「はい父上、はいっ! 私もやりたい!」
 と、それまで上座で大人しく座って父母と屋敷の者達のやりとりを見ていた菊が、元気よく手を上げた。そして何をと目だけで問うた九郎を余所に菊は上段の間から小走りに出て、父の隣、屠蘇器の前に陣取って座る。
「小太郎、こっちに来い!」
 何だ何だと大人達が注視する中、呼ばれて素直にやってきた小太郎が菊の前にちょこんと立った。
「なに、菊、どしたの」
「私も父上の真似をするぞ」
 大人達の無遠慮な視線を集めて萎縮する小太郎など気にもせず、菊は座らせた小太郎の手に半ば無理矢理盃を握らせる。
 ふふんと得意気に持ち上げた銚子は、直前に溜息まじりの母の手で空のものと差し替えられた。父を真似た態で空っぽの銚子で盃に注ぐふりをして、菊はこほんと一つ咳払いする。
「えーと何だっけ……、えー今日の佳き日を皆で迎えられた事、当主の娘として嬉しく思う。今年も息災で、怪我に気を付けて、えっと、修行に勉学に尚一層励むように。あといじめられたら全力でやり返せ私が許す」
「いや最後のはちょっと」
 大人びた口調の余所ゆき声で父を真似た口上を述べる菊ときちんと突っ込んだ小太郎に、真顔の高次が葛木の未来は今年も明るいなどと感銘を口にしていたが、それには誰も触れず菊の父真似は更に続く。
「あとは……そうだ小太郎、お前がいっつも真面目に頑張ってること、私が一番よく知ってるからな。今年も一緒に頑張ろうな」
 小さな手の平が、盃を手にした小太郎の頭をよしよしと撫でる。
 小太郎はしばらくされるがままに撫でられていたが、ひとつふたつ目を瞬くと、
「俺も」
 と嬉しそうに口を開いた。
「俺も知ってる。菊が一生懸命頑張ってるの、俺、知ってるから」
 返って来た言葉に、今度は菊が目を瞬く。
 しばらくきょとんと小太郎の顔を見つめ、そして楽しげに歯を見せて笑う。
「じゃあ、おそろいだな」
「うん」
「今年もおそろいだ」
「うん!」
 嬉しそうな小太郎が、先程の大人たち同様に盃を傾ける。こちらも大人の真似をして、盃の中身を飲み干すふりをして、そして二人は大人達が見守る中で再度嬉しそうに笑いあった。


「そうだ、秋津にも」
「儂ですか?」
 高次と並んで九郎の背後に控えていた秋津に、銚子を持った菊が膝立ちでにじり寄る。先程同様秋津に盃を握らせ注ぐふりをして、菊は秋津に笑いかけた。
「あのな、昨日も今日もいっぱい起こしてくれてありがとう。起きられなかったのは、あれは、……まあ来年は絶対起きてみせるからな、もう絶対笑うなよ」
「そうですな、来年こそは除夜の鐘にも御来光にも行きましょう。この秋津、不肖ながら御伴
(おとも)いたしますぞ」
 何とも楽しげに秋津が笑い、無骨な手で菊の頬を撫で回す。そのまま捕まえて膝の上に乗せようとする秋津の腕からきゃあきゃあ笑って逃げた菊は、次はこやの所に駆け寄った。
「こや!」
「えっ、こやにも御言葉あるんですか? やった!」
 子供たちに菓子を配っていたこやが、駆け寄ってきた菊を抱きとめて抱え上げて喝采を叫ぶ。
「うちのお嬢さまは三国一ィ!」
「今年こそはそういうこと言うのをやめてくれ」
 下座の皆がどっと囃して笑う中、それだけですかぁと不満タラタラなこやの腕からするりと抜けて、菊は次にシエと小春の元へ向かった。
「おばあさま、小春どの」
「ハイなあに」
 抱きついてくる菊を打掛の大袖で包み込んでシエが笑う。その隣から菊をのぞき込んだ小春の顔も、とても明るい。
「おばあさま、どうか今年も息災で。膝が痛いときは私がいくらでもさすります」
「ありがとう、菊さまもどうぞつつがなきよう」
 穏やかな祖母の指に頭を撫でられながら、菊は続いて小春へ言葉をかける。
「小春どのは……」
 だがそこで言葉を切って、菊は九郎の背後に目をやった。意味ありげな視線に気が付いた高次が片眉を上げると同時、菊は小春に向かって堂々と告げる。
「高次にいじめられたらすぐ私に言ってくれ。私がうんと怒ってやるから」
「まあ頼もしい!」
 でも高次さまはそんな事しませんからね、と幸せそうに続けた小春に菊は笑む。
 そして祖母の膝から立ち上がり、今度は高次の元へと向かった。大きな肩を揺らして笑っている秋津の隣、対照的にむっつりと黙り込んだ高次へ近づいて行くが、手が届く範囲には決して寄らず、離れた所から声をかける。
「高次、今年はあんまり怒らないように」
「菊様が怒られるような事をしなければ、何の問題も無いはずですが」
 落ち着いた勝色
(かちいろ)の素襖(すおう)の腕を組み、返してくる高次の声音は呆れ半分の響きがある。
「怖い顔ばっかりしてると、小春どのに愛想を尽かされてしまうぞ」
「生憎この顔は生まれつきですので」
「正月くらい笑ってみたらどうだ?」
「……努めてみましょう」
 菊にとって高次はもう一人の父も同然だ。怒られる事も多々あるが、父母と並んで最も間近い大人であり、師でもある。そして何やかやと口うるさく言いつつも、菊の事を一番認めてくれているのが高次である事を、菊はよく分かっている。
 ぎこちない笑みを浮かべようと努力している高次の側に寄り、きちんと座って礼を示して菊が言う。
「高次よ、今年も必ず帰って来いよ」
「何です突然」
「高次に何かあったら小春どのが悲しむからだ。もちろん私も悲しいし、小太郎も悲しむ」
 なあ、と菊が小太郎を見る。小太郎も真顔でこくこくと頷いていた。

 高次の部屋はいつも綺麗に片付いていて物も少なく、乱れていた試しがない。仕事で出かけて長く留守にする時は尚更で、しんと静かで文机以外何もなく寒々しい高次の部屋の前を通る度、このまま帰って来ないんじゃないかと菊も小太郎もいつも少しだけ寂しくなった。
 それは、高次がいつ死んでも良いようにと常日頃から用意をして、そして里の外へ行くからだ。高次が長らく独り身だったのも、九郎と一ヶ谷のために悔いなく未練なくいつでも身を投げ出せるようにとの備えである。
 だが、小春が来てからは高次の部屋にも賑やかさが増えた。溢れて片付ける場所の無い小春の私物が置かれるようになったと言う面もあるが、何よりも高次の帰りを心から待つ者がいる部屋にはしっかりとした温みがある。
 高次の無骨な文机に据えられた、やけに愛らしい布地の手作り座布団を見るたびに、これに座って小春の淹れた茶を飲む為に高次は必ず帰って来るだろうと、菊も小太郎も心底安心できた。
「努めます。――必ずやそのように」
 子供二人に向けた高次の微笑みにぎこちなさは無く、それは慈父のように穏やかで優しい。

「あんまり帰りが少ないと嫁に愛想尽かされるって皆が言ってたぞ、気を付けたほうがいい」
「お黙りなさい」
 もっとも、付け加えられた一言のせいでその笑みは立ち消えたが。


 そして菊は、下座の者達が囃し立てて喜ぶ中を父親のすぐ隣へ戻って来た。鮮やかに青い打掛の裾を翻しつつちまりと座り、満足気に息を吐く。
「気は済んだか」
「はい!」
「ねえ菊、私たちには何も無いの?」
 ここまでやったら親にも何かあるべきと菜津がそわそわと訴える。だが菊は笑顔で首を振った。
「無い」
「ひどいわ」
 菜津が整った頬を膨らませるが、菊は父の袖の陰に顔を隠して笑うばかりだ。
「では今度こそ終いだな」
 菊を身体にくっつけながら、九郎が大きく伸びをする。 
「よし高次、酒持って来い」
「もうですか」
 まだ昼にもなっていないのにと言外に含ませた高次の声は、少々の呆れはあったがそれでも明るい。言いながらも素襖の袖をゆったりと捌き、庭へと開け放たれた広間の扉を指し示す。
「外の者達にも挨拶をさせてやって下さい。宴会はそれからです」
 見れば重蔵を始めとした里の面々が、自分たちの番はまだかと庭に大挙し広間の中をのぞき込んでいる。その表情は皆なんとも楽しげだ。
「兄者ァ! 終わったか! 良い酒いっぱい持って来たぜ、皆で呑もうや!」
「こら小六、宴会は最後の最後だよ、まだ早いよ」
 仕立ての良い晴着に身を包みつつも大きな樽酒を担いで現れた小六の大声が響き渡り、その後ろから病み上がりらしく子供のように着膨れた弥三郎が姿を現す。更にはそれぞれの妻が菜津たち同様に着飾った形
(なり)でやってきて、場は一気に賑やかさを増した。

「菊よ」
 やかましくもある広間の中、九郎が菊に小さく囁く。
 その声はいつものように決して大きくは無かったが、菊の耳へとすんなり届いた。
「当主として他に考える事は山程あるが、親としてはお前の成長が一番嬉しい」
 大きな手が菊の頭を優しく撫でる。
「葛木の次代として、母上や皆を頼んだぞ。――お前は俺に似て見所がある」
 菊が思わず見上げた父の双眸は、いたずらな光を湛えてはいたものの、穏やかに深く澄んでいる。

 返事の代わりに父の暖かな腕に抱きついて、菊は大きく頷いた。








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