一ヶ谷歳時記
(いちがやさいじき)(10)



一ヶ谷、正月絢爛(しょうがつけんらん)


 日は上天に昇り、家々や庭先を真白に染め上げた雪を煌
(きら)と輝かせてひどく眩しい。そんな中を一ヶ谷に住む人々は足取り軽く行き、挨拶を交わし、朗らかな顔を見せ合って笑う。
 各家での正月元旦の言祝も済み、葛木家周辺に人が続々と集まって来た。
 先程の広間の内には、葛木家の面々に加えて頭目直轄である一番隊が今や勢揃いしずらりと並び、上段に坐する九郎を先頭に、その時が来るのを待っている。その他、広々しいはずの庭や屋敷周辺にも人が溢れ返り、祭か何かのように賑々しい。
 よくよく見れば、身分の上下や所属隊の違いはあれど、広間や庭などの葛木家内に居るのはみな忍衆だ。普段は揃いの忍装束の所を、年嵩の者たちは濃紺、まだ年若い者達は瓶覗
(かめのぞき)の薄青色の晴着を纏って、一番隊以外はそれぞれ庭に立っている。数は少ないが幾人かは女もいた。
 反対に門の外、屋敷の周辺や門前の大通りを囲むように集まっているのは近隣に住まう里人達だ。道の端に老若男女がずらりと並び、今か今かと何事かを待ちわびて浮かれている。


「――それでは御頭」
 忍軍一ヶ谷衆当代頭目の側役である高次が、厳かに時を告げた。
 それに伴い、秋津を始めとした大広間内の一番隊全員と葛木家の面々が、衣擦れを揃えて一斉に叩頭する。それに続き、庭に居た者達すべても一斉に膝を付いて深く深く頭を下げた。
 先程までの賑やかが嘘のような厳かさで静まり返った中、口の端を微かに上げて笑んだまま、九郎が一人立ち上がる。
「空は晴れた。雪も無い。……一ヶ谷の武者振りを見せつけるにはちょうど良い好天だ」
 若き当主の声がその場に響く。

「総軍、頃良し!」

 常に無い、庭まで轟く堂々たる声で九郎が一言そう言うや、男達が応と野太くこたえて立ち上がる。
 九郎はそのまま素襖の袖を翻し、広間を抜けて庭を通り、広く開
(ひら)けた葛木家の門前へと向かう。側役たる高次がそれに続き、秋津、弥三郎、小六と一族の男が九郎の後について広間を出、次いで一番隊の面々が堂とした足取りでそれを追った。
「行ってらっしゃいまし」
 それらを見送るように、広間外の庭に面した広庇
(ひろびさし/縁側)へと、菜津を始めとした妻女たちが色とりどりの打掛を翻してずらりと並ぶ。外から見える場所へと御出座したそれらの姿に大人も子供も歓声を上げ、一旦静かだった庭先がまた賑やかさを取り戻す。

「火縄隊、揃え」
 葛木家玄関から姿を現した九郎を見、老爺とは思えない大音声
(おんじょう)で重蔵が声を張り上げた。その指図に合わせ、広い庭へ隊列を組んだ火縄隊が一斉に口火を切る。
「構え」
 常ならば殺気を孕んだその号令も、弾込めの無い正月の今日はただ勇ましいだけだ。景気付けの空砲を天に掲げた火縄隊にちらりと視線を流し、我が自慢の鉄砲隊をとくと見よとばかりに重蔵爺が咆哮する。
「撃
(テェ)ッ!」
 途端、厳寒の空に轟音がとどろき渡り、見物人の大歓声と共に銃口から硝煙が立ちのぼる。
 轟砲の余韻が鳴りやむと同時、巨体を揺すり上げて小六が吠えた。
「忍軍一ヶ谷衆二番隊、三番隊! てめえら出陣
(で)るぞ!」
 地を揺るがす大喝に応じ、庭に男達の吠え声が鳴り渡る。
 紺地に葛木家の紋を染め抜いた旗指物
(はたさしもの)を翻しつつ、戦さながらの迫力と男ぶりとで行軍を始めて門から姿を現した二番隊三番隊のその姿に、門前へつめかけた里人達から万雷の如き拍手が沸き起こった。
 晴れ着姿の忍衆たちが、里人たちの大喝采の中を胸を張って勇と行く。


 元旦に葛木家で行われるこの出陣式は、何の事は無い、単なる墓参りへの出立である。
 二番隊三番隊で露払いをし、その後に頭目を筆頭とした一番隊が列を成して、一ヶ谷の里の開祖を祀った廟
(びょう)へと向かう。ただそれだけの事だ。
 最初の内は一族郎党で列を成して歩いて向かい、皆で一年の無病息災を祈る他愛もない物だったらしい。だが一ヶ谷衆の名が広がり、一番隊二番隊と忍軍の数が増えるに従い、いつの頃からかこの行列は里の内外から見物人が現れる程の華やかさとなった。

 戦国乱世の出陣式であれば、それが今生の別れの場合もある。忍であれば尚の事、里を出る事は自らの命を使い捨てにされに行くに等しい。
 なればこそ出陣式は勇壮に、且つ晴れがましく賑やかに。――そうやって武威を示し自らを鼓舞して、忍達は死地へと向かう。しかし元旦のこの行列は、誰も死なず誰も損なわず、ただ勇ましく壮烈で賑やかで、必ず皆が戻ってくる出陣だ。

 この一年、何度出陣
(で)る事があろうとも、この行列の如く必ず皆で帰って来るように――
 葛木家正月元旦の出陣式は、そんな切なる願掛けでもある。


 当主の弟である弥三郎と小六とを先頭に、二番隊三番隊が門から出
(い)でて道を往く。
 この場に居る事を誇り、晴着の胸を張って進む老若の列がやがてふつりと途切れて、門から新たな列が現れた。その先頭に立つのは、先代頭目の側役であった秋津である。
「忍軍一ヶ谷衆、一番隊! さあ行くぞお前さん方ァ!」
 人懐こい笑みを満面に浮かべた秋津が、堂々たる体躯の腹から太い声を張り上げる。その声は空気を震わせながらもよく通り、晴れ渡ったこの蒼天のように朗らかだ。
 二番隊三番隊が餓狼の群れの如く吠え猛りながら威勢良く出陣したのに対し、応と一声こたえた一番隊に喧しさは無い。だが、頭目のいる云わば本陣はここである。笑顔の秋津が大きく一歩を踏み出し、それに太刀持ちの高次が堂々と続き、そして濃紺の袖を翻しながら当主たる九郎が門の外へ姿を見せた時、門前に集った観衆からはこの日一番の歓呼が上がった。

「ちょ……通してくれ、どいて」
 雪庭の垣根を潜り、雪道に人混みを成す大人の股下をすり抜けて、菊と小太郎が見物人の足元へと顔を出す。打掛を祖母に預けて身軽な格好で駆けて来て、何とか一番隊の出立には間に合った。凛々しく立つ皆の姿に目を輝かせて、菊も小太郎も歓声を上げる。
「父上! 高次! 秋津―!」
 菊の呼ばう声が聞こえたらしく、笑んだ秋津がこちらに向かって太い指をひらりと振った。高次も菊達に気が付いて、微かに笑んで目礼を寄こす。九郎だけは別の所に目をやっていて気が付かない。
「父上! ……ちーちーうーえっ!」
 どうしても振り向いて欲しくて、諦めずに菊が声を張り上げる。それに合わせて小太郎も声を張り上げた。
「お、御頭さまあ!」
 子供二人の声でようやく気付き、九郎がこちらへ振り向いた。
 人混みの中で一生懸命に手を振っている我が子を見、その隣にくっついて目を輝かせている小太郎を見、まさかいるとは思っていなかったのだろう九郎が目を瞬く。
 二度三度と瞬きをし、口の動きだけで「こんな所に」と呟いた後で、楽しそうに口の端を上げて九郎が微笑む。刹那の間だったが子供二人と目線を合わせ、微かに頷いてそしてそのまま歩み去る。
 その背中には里人たちの大歓声と拍手とが覆い被って、一行の姿はあっという間に見えなくなった。

「俺もいつか、あそこに立ちたい」
 ぽつりと小太郎が呟いた。その幼い目には、九郎達が残した濃紺の残影が刻まれている。
「私もだ」
 そう応えた菊の頬は薄紅に上気して、声は高らかに澄んでいた。
「いつか二人で立とう、父上たちみたいに」
「立てるかなあ」
「立てるとも」
 二人そう言ってどちらからともなく、互いの手を繋ぎ合う。
 しっかり繋がれた小さなその手は、凍空
(いてぞら)の下でも暖かい。

 里人の喧騒が行列を追って遠ざかっていく中、菊も小太郎もその場に立ち尽くしたまま動かない。
 だが、二人の顔に浮かんだ笑みは清々しい。
「あそこに立つために、まずは一体何をしようか。どんな修行をすればいいかな?」
 小太郎に向けた菊の声が、朗らかに弾む。
「読み書きもしないとダメなんだろうなあ……」
「お前はまず泣き虫を治さないと」
「治るかな、俺ちょっと心配だ」

 正月元旦の賑やかな喧騒は、途切れることなく里中に満ちている。
 いつもは血の香りすら時折漂うこの忍里も、今日だけは賑やかで浮かれて明るく、そして人々の笑顔で溢れている。
「父上たちが戻って来たら宴会だから、今日は正月のごちそうが出るぞ。それ食べながら考えよう」
 菊の言葉への返事代わりに、小太郎は握った手指に力を込める。そして繋いだ手を高く掲げて、再度庭へと駆け出した。

 冬の日差しの差す雪道に、二人の明るい笑い声が溶けてほどける。
 


―― 一ヶ谷歳時記 終






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