一ヶ谷歳時記(いちがやさいじき)(5) 【大晦日 夜四ツ刻】(PM22:00頃) 「……あらまあ、やっぱり」 夜も更けて、そろそろ頃合いかと秋津の部屋を覗いた菜津が見たものは、猫か犬の仔のように、炬燵でくっついて眠る菊と小太郎の姿だった。 その傍らでは、秋津が菊達に占領された炬燵に片膝だけを入れつつ、火鉢で手を炙りながら一杯傾けている。 「今年は割と頑張られておりましたがなあ。如何せんこちらのチビは昼間によく働いていたようで、疲れたのか早い時間から舟を漕ぎ出しまして……それにつられる形で」 二人を起こさないよう密やかに告げる秋津の声は、隠しきれない笑みに満ちている。 「小太郎は少し寝かせてやる、代わりに私が起きておいて、時間になったら起こしてやるんだ! ――が、菊様の今年最後の御言葉でありました」 「毎年の事ですけど、新年最初の言葉が今から想像できますね」 お世話をおかけしました、と菜津が深々頭を下げた。 「どうせ起こしても起きないですし、このまま寝かせようかと思います。よろしければ秋津様には別の客間をご用意致しますが……」 「いや、儂もこのままここで結構。万一起きたら連れて行ってやりたいですし、年の瀬にわざわざもう一部屋汚す事もござらんよ」 笑う秋津の声は、熾火の温もりと同じように暖かい。 すっかり寝入った子供二人を炬燵から引きずりだし、大柄な秋津用に特別にあつらえた大きな寝具へと移動させて横たえる。秋津が菊と小太郎を二人同時に抱えて布団の上へひょいひょい転がし、菜津がそこへ分厚く真綿の入れられた掻巻(かいまき/当時の掛布団)をかけてやる。――そこまでしても、菊と小太郎が起きる様子は全く無い。 「では儂もそろそろ横になりますかなあ」 平和な顔をして眠りこける子供二人につられたのか、秋津が大きく欠伸した。 「……葛木の方々は大晦日でも寝るんですよね」 子供達の横へ川の字になろうとする秋津を見やり、不思議そうな顔をして菜津が言う。 「私の生家では、大晦日は寝ずに年神様をお迎えする日でした」 ほとんどの部屋で灯りの落ちた葛木家の周辺はしんと静まり返っていたが、屋敷の外――里の下忍達が住まう方面は、騒がしいとまではいかずともそれなりに賑々しい。 降り続いていた雪がようやく止んだ里の往来には、白い道を炎で彩るかのように篝火(かがりび)が灯されて、老若男女の行き来が今のこの夜分にもある。 菜津が生まれ育った地域と同様に、下々(しもじも)はみな大晦日だからと寝ずに新年を迎える様だが、一ヶ谷忍軍を率いる葛木家では早々に灯りが落とされた。 仕事を何とか片付けた高次は、一年終わりの挨拶を憔悴しきった顔でそれでも律儀にあちこちして回ったのちに、一言寝ますと告げて自室へと下がっていったし、九郎に至ってはいつ寝室に行ったのか分からないほど、迅速な眠りへついていた。 幾人かの下人達を除けば菜津や小春、それにシエなどの他所から嫁いで来た女衆だけが屋敷の中で唯一起きている。しばらくは女同士で洗った髪を乾かしたり菓子をつまんで茶などを飲んだりしていたが、葛木家周辺に住まう親戚もほとんどが寝ているようで来客も無く、そのうちに誰ともなく、私達もやっぱり寝ましょうかという流れになったのだ。そうして菜津は、自身も寝る前にと子供達の様子を見に此処へ来た。 「儂らはまあ……寝たくとも寝るにはいかない事も多い様な稼業ですからなあ。一年の最後くらいは、あったかい部屋でぬくぬく寝たい訳でして」 秋津が、頬を大きく彩る古傷と欠けた耳をさすりながら一人うんうんと頷く。 「儂の曽祖父……葛木家先々代のそのひとつ前ですな。その時代の頃は小競り合いから大戦(おおいくさ)まで盆暮れ正月関係なく、年がら年中この国はあっちこっちが血生臭くて、忍仕事も危ないものばかりで、この里でもとにかくよく人が死んでおりました」 昔語りをする秋津の声音は、しみじみと低い。 「……思い残しが多いまま死んでった連中も、上忍下忍関係なくたくさんいましてな。そういう時代だったからか、目先の幸せの方が大事だとか何とか爺さまが言いだして。儂の親父殿や先代の親父殿なんかも力一杯同意してて……。爺様は下戸だったので、夜通しの酒宴が苦痛だったのもあったようですが、確かその時から葛木の本家は大晦日でも寝れるなら寝ておく日になったんですなあ」 ――神頼みも信心も、熱心なのは構わんが儂ァそれより布団が恋しい。 いつ死ぬか分からない世の中なら、年末のささやかな平穏の中にある温もりくらいは十二分に堪能したかったのだろう。 厳つい顔の男衆がいそいそと床に就く姿を想像し、菜津は笑う。 「下忍の中には、御頭様方にあやかりたいと真似して早めに床に就く者共もおりますが、まあ起きてる者も多いですし、皆それぞれです。儂は酒がある内は起きて、無くなったらさっさと寝る事にしております」 そう言いながら秋津は、安らかな顔をして寝こける小太郎の隣に身を横たえた。 「それでは御方さま、寝床から失礼致す。今年一年大変お世話になりました、来年も宜しくお願い申し上げる。……どうぞ良いお年を」 畏(かしこ)まった低い声音で秋津が真顔の挨拶を寄越したが、子供達と川の字になって添い寝したその格好は、孫を寝かしつける祖父にしか見えなくてどうにも可笑しい。笑いを誘われ、菜津も笑んで頭を下げる。 「はい、秋津様もどうぞ良いお年を迎えられますよう」 「……次の一年もこれまで同様、九郎様をお支え下され。貴方が来られてからというもの、あの子の笑顔は本当に柔らかくなった。菜津様のお蔭です」 ありがとう、と続いたその言葉に更に深々と頭を下げて、菜津はそっと部屋を出た。 「次の一年も、か……」 朝の静寂とは違う種類の、穏やかで厳かな静けさに満ちた屋敷の中を、菜津は一人進んでいく。その耳に、微かにだが除夜の鐘の音が聞こえてきた。 宵闇の中に響く荘厳な音色に耳を澄ませ、菜津はそっと瞳を閉じる。 里の面々の誰ひとり欠ける事無く、一年だけでなく、これから先もできるだけ長く。 九郎を支えることができれば。 その傍らにいる事ができれば。 ――心の中でそう呟く。 夜が明ければ元旦、新年だ。 新しい年を、この里の皆は一体どんな形で過ごすのだろう。 |