一ヶ谷歳時記
(いちがやさいじき)(3)



【大晦日 昼八ツ刻】(PM14:00頃)


 秋津もそうだが、普段は遠くに住まう者や任務で各地に散っている者達が、この時期は続々と一ヶ谷の里へとやって来る。
 一ヶ谷に元々の家がある者、親戚などが居て宿代わりがある者は里内
(さとうち)に泊まるが、そうでない者達は近隣の宿場などへと散って泊まる。周辺の宿場町は新年を迎える賑やかさに加えて往来に人が増え、あちこちがにわかに繁盛し、普段は静かな山間の地に活気が増す。
 そんな空気に触れていると不思議とこちらまで活気に満ちてくるようで、こやはこの季節が大好きだった。

「下っ端用振る舞い酒の準備よーし、元旦用下され物の準備よーし、盃磨いたー、三方拭いたー、中庭の雪かきは朝に雪が止んでたら男衆が頑張るから、あとはお方さまがたの晴れ着の準備して、髪結い呼ぶ時間も相談しなくちゃ」
 たすき掛けに前掛け姿で、準備に大忙しのこやが指折りしながら用意を数える。
 こやの忍としての仕事納めはとうに付いた。葛木家の大掃除自体は、大晦日前日までに屋敷中の下男下女総出で全て終わらせてある。後はそれぞれが持ち場の細かい仕事を片付けていくだけだ。
 大晦日特有の浮かれた様な、それでいてどことなく厳かな空気に身を置きながら、こやは葛木屋敷の玄関に間近い板間をひょいと覗き込む。
 そこでは、大勢の下忍達が武器の手入れを一斉に行っていた。

「いたいた彦左ぁ、そっちはどうー?」
 だだっ広いその板間で、道具武具の類を広げて熱心に手入れしていた男達の目が一斉にこやに向く。
「ば、バッカお前、大声で」
 それと同時、こやの声で背筋が急に伸びた人影がひとつ。……こやの幼馴染である、彦左だ。
 女かよ、女が呼びに来た、彦左の分際で、等々と周囲の男達から真っ白な殺意含みの目で睨まれつつ、何故かとても嬉しそうに彦左が小走りに寄ってくる。皆の注視を背中に集めている事をかなり意識しつつ、出入口で待つこやへと口を開いた。
「何だよお前……、こんな所で、みんなが見てるだろ」
「そりゃ見るでしょうよ、ここで仕事してんだから」
 相変わらずバカだねと言外に含ませながらこやが首を傾げ、そして更に続けた。
「そんな事よりもどう? 終わりそう?」
「そりゃあ上々だな。俺は順調過ぎて、御頭様の御道具だけじゃなくて側役様の分まで終わらせてある」

 一ヶ谷では年の瀬に、仕事で使う忍道具や武具の類を葛木家子飼いの下忍総出で丁寧に手入れし、大広間に作った神棚の前に一旦全て供え置いて、一年の感謝と次の年も変わらず無事に務めを果たせるよう祈念する習わしがある。
 刀や槍のような大物は専用の職人にまとめて砥ぎに出すが、その他の刃物類は一本一本自分達で丁寧に砥ぎ、その他の武具も細やかに手入れする。この一年、無事に命を守ってくれた道具たちに感謝の念を捧げ、来年も同じく加護が得られるよう、精を尽くして磨き上げるのだ。死がいつも隣に在る忍衆だからこそ、いざとなれば使い捨てにされる軽さの命しか持たない下忍衆だからこそ、来年も無事でいられるようにとの願いは切なる響きを持っていた。
 だが、悲愴にもなりそうな願いとは裏腹に、広間にいる皆に暗さは一切無い。真面目な面持ちで――しかし新年を無事迎えられる喜びを表情に滲ませながら、皆楽しげに手を動かしていた。
「もう終わらせてあるんだ、早いじゃない!」
 すごいすごいと感嘆を表すこやに、彦左がきりりと頬を引き締める。
「それでよ、俺、もう仕事抜けれるから。……そしたらこや、今夜、俺と」
 彦左のその台詞に、背後の男衆から一斉に殺気が立ち上ったが、彦左はそれには気付かず些
(いささ)か格好をつけた態で更に続ける。
「俺と一緒に……」
「あたしまだ忙しいからあんたと遊んでる暇とか無いし。それよか終わってんならこれも頼むね!」
 だが相手はこやである。
 打撃の勢いで彦左にどかんと荷物を寄越し、言葉をズバリと遮った。
「それお嬢さまの使ってらっしゃる奴だから! くれっぐれも手ェ抜くんじゃないよ! きちんとやんないと殺すよ!」
 じゃっ、と言い置いて軽やかに去って行くこやの背に、男達の大喝采が湧き起こる。

「ざまあ見ろ! ざまァ見やがれ!」
「彦左バーカバーカざまあみろ!」
「今年一番気持ちが良いぜ!」
「あーッうるせえ! ちくしょう嬉しそうにすんな! ちょっとは応援しろ!」

 大喝采と悲痛な叫びは、いつまでも鳴り止まない。





 その騒ぎを余所に同じ広間の片隅では、火縄隊最古参の重蔵
(じゅうぞう)爺による銃器の扱い手ほどきが始まっていた。
 今年最後の犠牲はどうやら小太郎である。この少年は火縄隊の所属でも何でもないが、今日はたまたま武具手入れの手伝いに寄越されていたというただそれだけで捕まって、延々と続く長話に付き合わされているらしい。その様子に、周囲の大人達――皆、火縄隊の面々である――からは、同情と憐憫の眼差しが向けられていた。
「ええか坊主、努々
(ゆめゆめ)おろそかにするんじゃないぞ。舐めて粗雑に扱うせいで、指どころか片腕全部ふっ飛んだ奴を儂はたっくさん見てきてるからな」
 火縄隊は、忍軍一ヶ谷衆に於けるいわゆる鉄砲部隊である。この重蔵は先代頭目の時代から葛木家に仕え、一ヶ谷衆が出陣した主な戦には全て出て、それでも尚生きて帰ってきている古強者
(ふるつわもの)だ。
だが、その昔に大将首を狙って獲り損ね、反対に自分の顔半分を敵兵に持って行かれた古傷がある。――何故それで生きて帰って来れたのかと、当時も今も皆が訝しがるほどに頭と顔が抉
(えぐ)れているのだ。
 小太郎はその傷が怖くて怖くて、この老爺の顔を直視できない。
「こりゃ坊主! お前、聞いてるか!」
「うわああああはい! うひゃああああ」
 一応の普段は、抉れた頭部と片目部分とを不思議な形の頭巾で覆い隠して、周囲に見せないようにはしている。……しかしこの爺さまは少々どころでもなく愉快な性格だった。目の前で怖がるこの子供の反応が楽しくて、今日だけわざと古傷が見えるようにずらしていた。
「ほうれ、震えとらんとしっかりやらねば、お前の指も儂の顔みたいに半分飛ぶぞ」
「やだああああああ」
「こんなふう」
「うわああああああああ」
 小太郎の口から、音量を抑えた悲鳴が漏れる。大声でわめくと違う大人から怒られるので、叫んで逃げる事も小太郎はままならない。しかも道具の手入れを怠れば、後でこれを使った人間が小太郎の所為できっととても酷い事になる。
 前門のジジイ、後門の惨事だ。逃げたくても逃げられない。
「言ってる側から! もっと丁寧に挿し込め!」
「こっ、こここうですか」
「そうじゃ、そこを回して、そう。留め具の楔を入れる時は、女の身体を触るときみたいに奥までじっくり」
 例えの意味が分からない小太郎の手が止まる。
「よくわかんないです……」
「あっそうか。しかしこればっかりは儂が教える訳にもいかんからのう」
 重蔵がふむと腕を組む。
「でもな、それ以外の事は教えてやれる。儂とて先が長いわけじゃない。御頭様がたのお役に立てるよう、儂が知ってる事は、今の内に全部お前ら若造に叩き込んでおかねばならん。それが儂の最後の奉公よ」
 打って変った真面目な声に、小太郎は重蔵の顔に目を向けた。ようやく噛み合った幼い視線に老爺は笑い、小太郎の頭を軽く撫で回す。
「しっかり覚えろよ、そして葛木の方々にしっかりとご奉公せい。ご当代様は先代に似て立派な方であるし、姫若様も大層利発でいらっしゃる。……我々下忍もあの方々と共に、この一ヶ谷の里を支えるんじゃ。何をどれだけ犠牲にしてもな」
 向けられた言葉は真っ直ぐで、顔の怖さも今だけ忘れて、小太郎ははいと強く頷いた。

「こんなふうに」
「うわあああああああああああ」

 小太郎の受難と仕事はまだまだ続く。






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