日付は新しい日記が下に続いていく構成です

■謹賀新年
【2003.1.4】
あけましておめでとうございます。お陰様で年末の晦日前日に早くも銭湯入湯100軒を達成してしまいました。というのもこの日は期せずして北千住で銭湯のはしごをすることとなったからで、思いがけない1日早い記録達成と相成りました。めでたしめでたし。実は年頭の銭湯報告には何処の銭湯がよいかと考え抜いた挙句、北千住の「タカラ湯」しかないという結論に達したわけです(キング・オブ・銭湯の大黒湯はすでに入湯しているので・・・)。ところが思いがけないことに外観の見事なレトロぶりに反して内部は意外にもニュー銭湯ばりの趣きでペンキ絵などは全くなし。根っからのレトロ好きとしてはどうにも納まりが悪く、急きょもう1軒入湯することになったわけです。そんなわけで、噂の赤富士のペンキ絵がある千代の湯にすぐ決定。この赤富士が早川師による比較的新しいものにもかかわらず、実にすばらしいできばえで、うれしい99軒目となりました。晦日には根津のレトロ銭湯の山の湯へ、そして最後に大晦日には国分寺の孫の湯で岩風呂に浸かることができ、銭湯(1010)にちなんで年内101湯の入湯で区切りをつけることができたぞ。それでは今年も免許皆伝(?)を目指して頑張りましょう。ことしもどうぞよろしくおねがいします。
■水の女
【2003.1.11】
いつもは安物の腕時計で済ませいたが、ふと見た時計が気に入って購入(KIKUCHI TAKEOデザインのもの)。そうしたら慣れないものをしたせいか、ぽろっと地面に落として針が動かなくなってしまった(年末の話)。それで修理に出そうと思って購入店の東京本店の場所を調べたら、渋谷のパルコパート3の1階にあるとのことで、久しぶりにパルコパート3へ行くことになったのだが、何とその目の前の建物がシネマライズで、銭湯を舞台とした映画「水の女」を上映しているではないか。これはもう神様の思し召しに違いないと思い、久しぶりの映画鑑賞をすることになった。
ストーリーよりも映像美を追求した作品のようで、主人公の涼(りょう)がいわゆる雨女で何かと雨を降らせるという設定だ。涼は両親から銭湯を引き継いで一人で銭湯を切り盛りするが、雨が原因でいろいろな事故が起きたりする。銭湯の洗い場の中にも雨が降ったりして幻想的な「水」の映像が繰り広げられている。話の展開としてはそこに「火の男」が現れて水の女に絡んで行くというものだ。火の男は指名手配中の放火魔で、窯場の窯番として雇われるのだ。当然の成り行きとして涼と深い関係になっていくのだが、最後はあっけない結末を迎えることになる。幻想的な場面として銭湯の洗い場が使われることが多く、またそれとは別に男女で賑わった銭湯の洗い場のシーンがあるのだが、超満員で妊婦あり、じいさんありと、老若男女が入り乱れたようなシーンで、少なくとも今の銭湯の情景とは程遠いものであった。
細かいところで気になったのは、浴槽のお湯が7分ぐらいの所までしか入っていなかったこと、背中が泡だらけの女性がそのまま湯船に入ってしまったこと、しかもその女性は眼鏡をかけたままだったこと、番台脇で牛乳を飲んだおまわりさんが空き瓶を番台に返したことなど。
東京では今月17日までの上映なので、興味のある方はお早めにどうぞ。
火の
■手作りの地図
【2003.1.18】
ホームページにはよく地図などが載せてあって、なかなかいいもんだなあと気になっていた。地図入りで銭湯の位置などを掲載できたらすばらしいかもしれないと考えて、例によってまず本屋で調べて見ることにした。すると「Illustrator ver.10、トレーシングマスター」というタイトルの本が目について、ぱらぱらとめくって見ると実におあつらえの内容だった。地図というのはこうやって描くことができるのかとつくづく感心した。出来上がりはとても精密にできているし(かなり根気のいる作業のようだが・・・)、簡素でカラフルで洒落た仕上がりの地図なんかもある。それですっかりその気になって勇んでIllustrator ver.10を買いに行ったところまではいいが、なんとIllustrator ver.10って7万円以上もするしろものではないか。とんでもない!こんなものを買う人がいるのかと、もうあきれてしまった。おまけに「トレーシングマスター」の解説によるとPhotpshopというソフトも同時に必要と書いてあったのだが、こちらもまた7万円以上というお値段。これらを2つそろえたら15万円?信じられない。
それでもあきらめきれずに、素材集などで、もっと簡単に手に入れられる地図はないものかと探しまくった。すると、あるではないか、いいソフトが!それはA.I.soft社というマイナーな会社が売り出している「まっぷっぷ」というソフト。お値段もじゃーんの7千円!で、Illustratorばりのベジェ曲線(自由に線がなぞれるもの)も描けるし、レイヤー機能もあるし、スキャナーで下絵を取り込むこともできる。さらには株式会社ゼイリンと提携していて「電子地図帳Z」から本物の地図を取り込んで加工することもできるし、ホームページビルダーやMSWordへもボタン一つで転送できるようにもなっているのだ。もう、嬉しくなって迷わずこれを購入して、早速いろいろな地図を作って遊んでみた。橋を架けたり、地下鉄を走らせたり、これはもう「地図を描く」という範囲を越えたおとなのおもちゃだ。そんなわけで、我がホームページに手作りの地図が登場する日もま近だ。
■暖簾の先は極楽浄土
【2003.1.25】
今日は高円寺の並乃湯を会場として行われた町田忍師匠(風俗研究家)のトークショー、題して「暖簾の先は極楽浄土」を聞きに行った。あらかじめ高円寺文庫センターで購入しておいた前売り券、いや前売りバッチ(ゆ、と一文字書き込んであるバッチだが、これはバンダイの「Canバッチgood!」(対象6才以上)で作ったものだということがすぐ判明したが)、これを胸にいそいそと会場へ。玄関を入るといきなり町田先生が椅子に坐っていて、ワハハ、と談笑している。さすが、銭湯舞台のトークショーと言う感じで、早くも気持ちが盛り上がる。こんにちは、とその場は軽くやり過ごして会場へ。もう大勢の老若男女で桟敷が埋め尽くされていて今か今かとトークショーの始まりを待ち焦がれているといった感じ(ちょっと大袈裟か)。そこへ颯爽と現れた町田先生、なんとばりっとしたジャケットに衣替えしているではないか(今下であったときは普通のよれシャツだったのに・・・!?)。
いきなりかわされるラフな会話に雰囲気も最高潮に達する。次々と繰り出されるスライドの見事な写真に「ほ〜」と感心することしきり。そのうちにだんだんと話は霊柩車の唐破風のことに及んでいった。ん〜、霊柩車というのもいろんなのがあるのだね。名古屋のでっかい竜の乗った1000万円(車体価格を除く)のものや、京都の白木作りのものなど、これはもうすばらしいげいじゅつ品だ。遊郭の館の入り口にも唐破風屋根が使われているらしく、銭湯と霊柩車と遊郭、この一見共通点のなさそうな3つものを結びつけるキーワードが「極楽」だと・・・。そういうわけで暖簾をくぐればその先は極楽浄土で、おじいさんやおばあさんは熱い湯船に浸かりながら思わず「極楽極楽」とお経を唱えてしまうのだと・・・。わかったようなわからないような。
トークショーの後は銭湯仲間と夜遅くまで一献交わしながら銭湯談義に花を咲かせた一夜でありました。おかげですっかり風邪をこじらせて布団の中に身を横たえつつ、「今日はどこの銭湯に行こうかな」などとまどろみながら考えているところだ。
■山の手線内の銭湯は
【2003.2.1】
このお正月現在での東京の銭湯の数は1171軒だ。その内どのぐらいの数が山の手線内にあるのかと思って調べて見たら、何とたったの81軒で、割合で示すと約7%に過ぎなかった。エリアとしてそんなに広い地域ではないが、ほぼ4つの区から成り立っているから、全体の6分の1ぐらいにはなるはずだ。そうすると単純計算でも200軒ぐらいはあってもいいわけだから、やはりだいぶ少ないことになる。で、逆に郊外、つまり多摩地区の銭湯の数はどうかというと111軒で、だいたい1割ぐらいだからやはりそんなに多いわけではない。それではどのへんの地域に多いかというと、東京23区の外輪部を構成している、面積の大きい区部に密集しているようだ。東京の住宅地がドーナツ状に拡大していることを考えれば当然と言えば当然の結果だが、多摩地区に意外と少ないのは不思議だ。
さらに東西南北の分布には片寄りはないのだろうか?と疑問に思って計算してみたところ、北部4区で約250軒、東部5部で約300軒、西部5区で約250軒だった。中央の6区では約100軒で、最後に南部の3区で180軒だ。銭湯王国と言われているのは大田区だから、ちょっと意外な感じがしたが、北に奥深いような印象も持っていた。しかし意外にもダークホースの東部に最も多くの銭湯が残っていた。山の手線内の銭湯の分布もこのような北高南低の傾向を反映して北部に多い印象だ。文京区や新宿区を中心にかなりの数の銭湯が残っており、予想通り千代田区や港区にはほとんど残っていない。中央区は山の手線からは外れるが、月島や日本橋界隈にわずかに残っているだけだ。東京の銭湯の数が1010軒を切る前に東京の銭湯1010湯の入湯ができるかどうかを憂う声もあるが、この半年での廃業数は15軒だから少し廃業のペースもブレーキがかかっているようにも見える(ある予想の記載では1週に1軒のペースで年間50軒とのことだった)。今後は沿線別の銭湯の特徴を調べて見ようなどともくろんでいる。
■陰暦の謎
【2003.2.8】
この間雑誌をぱらぱらめくっていたら、「赤穂浪士の討ち入りが敢行された12月14日は陰暦での話しだから、今の暦でいうと1月30日だった。」と書いてあった。また、先週の土曜日、すなわち2月1日は旧正月とのことで、中国、韓国や北朝鮮では一斉にお正月のお祝いが行われたと報道されていた。日本でも明治5年までは陰暦が使われていたとのことだから、歴史に登場する日本のお正月も2月だったことになる。この時期、ところによっては梅の花も咲き始めていたり、日もだいぶ長くなって夕方の5時過ぎまで明るかったりするから、新正月と比べてずっと華やいだ雰囲気ではないか。こんな頃が昔の人にとっての正月の気候だったのかと思うと、何だが正月に対する認識がすごく間違っていたように思えてきた。年賀状に初春などと書くのも違和感があったが、それが旧正月ならば話は合うではないか。
ところで話を討ち入りに戻すと、討ち入りが1月30日だとするとそれは旧正月の2日前と言うことになってしまって、何だか計算が合わない。陰暦でも日付はあくまで12月14日なのだから旧正月はそれから2週間後になるはずだが・・・。そうすると毎年旧正月の日付が変化するのだろうか。ん〜、もう、全くわからなくなってしまった。これは少し陰暦について調べて見なければ!知っている人がいたらどうか教えてください。
■銭湯は日常?
【2003.2.15】
銭湯の情報交換サイト:つかさの銭湯・温泉・サウナ王国のメーリングリストでは、連日のように銭湯に関する熱い議論が交わされている。入湯600軒とか、銭湯生活10何年とかいう超ベテランぞろいだから、勉強になることも多いし、なるほどと感じ入ってしまうことも多い。まだまだその会話の中に入って行ける状態ではない。
ところで、今週話題になっていることは何かと言うと、「どのようなスタンスで銭湯に通っているか?」ということ。とにかく多くの銭湯をクリアすることに夢中になると1日に何軒も入湯したりしで、でもそうしていると1軒1軒の銭湯の良さをよく噛みしめていないのではという意見。つかささんは銭湯は日常だから基本的には1日1軒で、なるべく長湯をして楽しんでいるとのこと。銭湯の好みもいろいろで、つかささんが薬湯やら電気風呂やらサウナといったように「いろもの」の多いスーパー銭湯風の銭湯が好きだと言えば、やはり銭湯を日常としている松岡さんは体を洗う目的だけに徹することのできるシンプルでレトロな銭湯がいいという。
それでは自分はどういうスタンスかというと、このような銭湯マニアの人達のスタンスとはちょっと違っているように思う。そもそも銭湯のレトロな外観に惹かれて銭湯回りを始めたわけだから。そうして実際に銭湯に入るようになって感じていることなのだが、静かでレトロな銭湯の脱衣場で格天井を眺めたり、大きな引き戸のガラス越しに鯉の泳ぐ庭を眺めていると、いつの間にか懐かしの昭和の時代にタイムスリップしているということだ。平成のこんな時代にこんな実体験をできるのは銭湯をおいて他にはないのだ。とはいうものの、銭湯通いを重ねていると銭湯生活もすっかり板に付いてきていて、いつの間にか「銭湯が日常」になりつつあるのも事実。理屈はともあれ、のんびりゆったり銭湯の湯船に浸かって、幸せな気持ちになれるのならそれでいいのだろう。
■すぎなみ銭湯まっぷ
【2003.2.22】
今週の出来事としては「杉並文化問題懇談会」のY.T.さんからメールをいただいたこと。Y.T.さんたちは今年度の杉並区の「まちづくり助成金」を受けて、「区民がつくる すぎなみ銭湯まっぷ」というパンフレットを作成しているとのことで、区内の銭湯の経営者にアンケートを書いていただいたものやみんなで銭湯に入りに行ったレポートをまとめて掲載するとのこと。一年間かけて準備をされてきて、今月中に1000部程度印刷して3月のまちづくり博覧会で発表する予定(無料配布)とのこと。それでY.T.さんから依頼されたことは、1)このホームページで掲載している銭湯の写真のいくつかを冊子に掲載、2)各銭湯の紹介記事の一部を冊子へ掲載、3)冊子の「銭湯に関係するホームページ紹介コーナー」にリンクを希望とのことで、もちろん喜んでお受けさせていただいた。
それで改めて当サイトの杉並区の銭湯の写真やコラムの文章を見直してみたのだが、申し訳ないことに意外と美しく撮れた写真が少なく、コラムも結構未熟だったりする。杉並区の銭湯紹介と銘打っておきながら本当にお粗末な話だ。いいわけをするわけではないがその原因としては杉並区の取材(そんな大それたものではないが・・・)は比較的に初期に集中しているため、写真の撮り方もコラムの書き方もまだ未熟だったのだ。最初はデジカメも持っておらず、一眼レフで撮った写真をスキャナーで取り込んで画像処理していたといった具合(広角レンズを使うと近くから建物全体を撮影できる利点はあったのだけれど・・・)。このところは2回に1回は杉並区の銭湯に入るようにしているので、少しずつ写真とコラムをリニューアルしていくつもりだ。
「すぎなみ銭湯まっぷ」欲しいひとは博覧会会場へ。
第6回まちづくり博覧会
2003 新たなパートナーシップを求めて
3月1日(土)10:00〜19:00 展示
3月2日(日)10:00〜16:00 まちづくり助成活動報告会
セシオン杉並(梅里1−22−32)
■昼間はちょっと一休み
【2003.3.1】
いつも持ち歩いて使っているノート型パソコンがガタが来てしまい、とうとうドックインさせることになった。何が調子悪いかというとファンがいかれているらしく、1時間もつけているとひどく熱くなってしまい、キーを押している指が(大袈裟でなく)やけどしそうになるのだ。何とか休みを入れながらだましだまし使っていたのだが、熱くなるまでの時間がだんだん短くなってきた上に、今度はパソコンを床に落として(電話コードをひっかけてしまって)、蝶番のところが折れてしまった。そうしたら中を通っていたコードの束(本体からディスプレーの方へは蝶番の中を通っているコードの束でつながっているのだ)がむき出しになってしまい、もうこれはほっておけなくなってドックインすることになった。購入してからちょうど1年ちょっと経っていたために保証書は効かず、おまけに修理に2週間かかるということで、手足をもがれた状態となってしまった。これまで日中は仕事の合間を見ては電話回線を利用してメールを見たり、ネットサーフィン(といってもいつも見るサイトはほぼ決まっているのだが)をしていたので、これからしばらくはそれもできない(そんなわけでADSLなどのブロードバンドも使用不可だった)。もっとも最近は職場で私用のインターネット禁止例が出ていたので、なかなかやりにくい状況にはなっていたのだが(プロバイダーは自分の物を使っているのだけれども)・・・。
修理のついでに久しぶりに売場を散策したら体験ADSLのコーナーがあって、ためしに自分のサイトなどを覗いてみたら、その立ち上がりの早いのに驚嘆してしまった。おめけにディスプレーが大きくて綺麗なこと。ここまで進化しているとはちっとも知らなかった。でも、結局はノートパソコンを使っている限り、これらのものはぜんぜん使えないのだよね。これ、何とかならないだろうか。
そんなわけで今は自宅に帰ってからおんぼろ98で何もかもやらなくてはならないので、ほとんど気が遠くなる状態だ(特にデジカメの画像の処理にひどく時間をとられるのだ)。しかし、日中は本を読む時間が増えて、なんだか久しぶりにいっぱい本を読んでいる。少し昔を思い出したような・・・。ホームページを立ち上げてちょうど一年が経ってしまったので、ここで一息ついてせめて昼間はちょっと一休みするのもいいかも。(それでも夜は今日も銭湯に行ったのだ!)
■トレンチコートの男
【2003.3.8】
手ぶらで朝の通勤電車に乗るということがこんなに楽ちんなこととは知らなかった。これまではいつもノート型パソコンにお風呂セット(これは手ぬぐい2枚に旅行用のシャンプー、リンス、ボディーシャンプーのセット)、それにデジカメ1台とこれだけのものをいつでもどこへでも持ち歩いていたのだ。昨日はパソコンなしのお風呂セットだけを鞄に詰めて出かけたのだけれど、今日は思い切って何も持たずに出かけてみることにしたのだ。それでわかったことは、足取りは段違いに軽くなるし、そうすると気分も爽快になって何だが朝からるんるんしてしまうのだ。仕事に行くと言うよりは何処かぶらっと遊びに行くような気分になるせいかもしれない。
それで、手ぶらで通勤している人がどのくらいいるものなのかが急に気になってあたりを見回してみた。すると意外にも手ぶらの人っていないものだということがわかった。手に大なり小なり鞄やバッグをぶら下げているか、肩に引っかけているか、肩の後ろに背負っているか、その方法も色々だけれど、どこかに何かを持っているのが普通で、何も持っていない人ってほとんどいない。そうなると手ぶらの人を見つけないと気が済まなくなって、目を凝らして必死に捜してしまった。そうして20人目か30人目にようやく手ぶらの人を1人発見。トレンチコートのおじさんで、もう仕事もリタイア寸前という感じ。これなら手ぶらでもしょうがないかと納得してしまい、また別な人を捜してみることにした。で、また一人発見。ところが!なんとその人もトレンチコートを着ているじゃないか。まさか、そんな馬鹿な、とさらに捜し続けて見つけたその次の手ぶらの人の服装がどうかと言えば、恐ろしいことにまたトレンチコートだったのだ。作り話だと思うかもしれないがこれは本当の話。それで、人は手ぶらだとついトレンチコートを着てしまうのか、トレンチコートを着るとつい手ぶらで家を出てしまうのかどちらかに違いないと考えるに至ったら、目の前に4人目の手ぶらの人が現れた。で、その人の服装はというと今度は見事に期待を裏切って普通?のヤッケ姿で、やれやれと一安心。でもちょっと待てよ。今日の自分の服装って似たようなヤッケ姿だと気がついたら、また恐ろしくなってしまった。ちなみに女性で手ぶらの人は1人もいなかった。
■気持ちいい
【2003.3.15】
今週はちいさんのふるさとの大田区羽田を散策して銭湯めぐりをすることにした。むかし仕事で京浜急行羽田線の大鳥居に通っていたが、そのときとは随分様変わりしていた。昔はこの路線もまだ単線で駅の間隔も短くて小さなかわいらしい駅ばかりだった。それが今や直通の急行列車が走り、駅もすっかり近代化している。今回下車したのは隣の穴森稲荷駅だけれどここは始めて。産業道路からも少し奥まっていて、少し歩くと多摩川の防波堤に行き当たる長閑な川べりの町だった。駅名にもなっている穴守稲荷の言われは、防波堤に決壊穴ができないように守ってもらうように祀ったもの(稲荷だけあって石の狐がいっぱい)。でも、羽田空港の建設のために移転を余儀なくされて、確かむかしの鳥居だけが取り残されているのだと記憶している。このあたりの多摩川河口付近は六郷川呼ばれるが、それは江戸時代に代官の小泉次太夫と言う人がこのあたりの中州左岸に用水路を作り、六郷新田を開拓したことによる(たまたま先週読んだ本「地名の秘密」にそう書いてあった!)。川べりの中州には海鳥たちがいっぱい餌をついばんていた。それとは対照的に左手の先はもう羽田空港の滑走路で次から次へとジャンボ機が着陸してくる。船付き場には漁師さんの小船が何隻も横付けされていて細々ながら漁を続けているようだ。住所は大田区(ちなみに大田区とは昭和22年に大森と蒲田が合併したときに一文字づつをとって大田としたとのこと、これも「地名の秘密」より)、ここには羽田1丁目から6丁目までがあって銭湯も6軒あるから各町内会に1つという銭湯密集地帯。うらやましい。この中で一番レトロな重の湯へ入ることにした。日差しもポカポカと暖かくなってきて、のんびり散歩するにはほんとうに気持ちのいい1日だった。もちろん散歩のあとの早目の銭湯が格別だったのはいうまでもない。
■ドーラク
【2003.3.22】
また町田師匠の書いた銭湯特集が掲載されている雑誌が出版された。辰巳出版発行の「ドーラク」という雑誌だ。これを青山のかなり大きめの本屋さんで探し求めたのだが意外にも置いてない。店員の人に聞くと「そういう名前の雑誌、ありますよね」とは言ってくれるものの、どうもその本やでは常設してないらしい。タイトルが変わっているから一度耳にすると忘れられない名前なのだけれど、やはりかなり「おたく」の雑誌なのだろう。最近はインターネット書店があるほか、オーダーをインターネットで行っておいて本は駅前で受け取る、なんていうシステムの商売も行われているようだが、とにかく欲しいと思うといても立ってもいられなくなる性格だから、オーダーをして待つなんて言うことはとても性に合わない。というわけで東京駅に行くついでがあったのでその足で丸善本店に出向いてみることにした。丸善は駅から遠いいのが玉にきずだが、置いてない本はないといってもいいぐらいの品揃えなので、思い通りお目当ての雑誌を手に入れることができた。本屋で雑誌の場所を聞いたら、ジャンルによって係りの人が決まっているらしく、「男性趣味」の係りの人が迷うこともなく「ドーラク」ところまで案内してくれた。ちなみに紀伊国屋書店ではコンピュータ検索をして場所を探し当ててから案内するのに、丸善では担当の店員の頭の中にすべてインプットされているからすごい。そんなわけで50ページ近い銭湯の特集を満喫する事ができた。写真も満載でこれで780円は安い!町田先生が撮影したという夕日をバックにした銭湯の煙突の写真に感激。「こんな写真が撮れるように僕もなりたい」なんちゃって・・・。「今のうちに入っておきたいレトロ銭湯64」というリストがあるのだが、東京の銭湯が24載っていて、このうちちょうど半分の12は入湯済みのものだった。そのほかに埼玉、鎌倉、京都の銭湯3軒も訪れたことがあった。全国各地の銭湯にも心惹かれてしまった今週であった。(ちなみに「今のうちに」ということだが、北区上十条の千代の湯はすでに廃業しているようなのだが・・・)
■魚河岸の一年
【2003.3.29】
岡本綺堂という人は小説「半七捕物帳」の作者だが1872年(明治5年)生まれで1939年(昭和14)没とのことだから明治から大正を生き抜いた人である。この人が1901年(明治34年)以降にいろいろな雑誌に寄稿したという「風俗明治東京物語」とこれと平行して著された「風俗江戸物語」が合本のかたちで河出書房から(再)出版された。この本を偶然にも読むことができ、そしてちょうど100年前の東京の様子を伺い知ることができてとてもおもしろかった。この本の294ページに「魚河岸の一年」と題した項目があったので、その冒頭の部分をここに紹介することにした。
「お江戸のまん中といえば日本橋、江戸ッ子の見本といえば魚河岸のあにい。その日本橋の魚河岸の一区は1年365日、火水の中でも商売すると誇っているだけに、問屋・仲買、さては小揚げの者どもまで、朝市・夕河岸の混雑はたとえようもなく、旧幕の昔から明治の今日まで、ここと吉原は別世界、別天地と唱えられた。しかし、吉原には自由廃業の風が吹きすさみ、ここには移転問題の火の手があがるという始末で、300年来のいわゆる別天地、別世界にも、浮き世の潮水がようやく侵入すると同時に、吉原にも四季の形容が次第にすたれ、ここにも年来の旧い習慣が消えたのは、まことに自然の数、やむを得ざることであろう・・・。」この冒頭の文章の後、1月から12月までに分けて魚河岸の1年の様子が紹介されている。ちなみにこの日本橋の魚河岸は関東大震災の後、築地に移されたそうだ。

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