日付は新しい日記が下に続いていく構成です
【週間日記1:2002.2.2〜2002.5.25分】

■ウェブページを立ち上げて
【2002.2.2】
ひょんなことからとあるホームページを見る機会があり、すっかり虜になってしまった。それからというものそのサイトに毎日アクセスしないと気がすまないから困ったものだ。個人のホームページを見ることはこれまであまりなかったので、我ながら意外な結果。かくして3ヶ月がたち、自分のホームページを作ってしまった。
ホームページを作ってみての感想は、ページ作りの過程は予想以上におもしろいこと、それにやっぱりそうではないかとうすうす感じてはいたけれども、ひどく大変だ。
ところで更新の少ないホームページは自分でも再び訪れる気がしないものだから、ほんとは日記形式のようにして毎日更新する方が面白いに決まっている。でも息切れしてしまってもいけないので、初めは無理をせずにウィークリーぐらいで更新することにした。
気長にマイペースでがんばろう。
■返り咲き銭湯ファン
【2002.2.9】
銭湯を探索するきっかけになったのは、町田忍氏の「銭湯の謎」という本を読んでから(実はつい最近のこと。もちろん昔はよく行っていたのだけれども・・・)。返り咲きファンというところで、筋金入りいりではない。そもそも風呂好きではあるのだけれども熱めは結構苦手で、カラスの行水に近いかも知れない(話は違うが、お酒も同じか。味わうのは好きなのだけれども、浴びるほど飲んだりは決してできない!)。
銭湯にノスタルジーを感じるとしたら、それはかってなじんでいた時期があり、その後に遠ざかっていた時期があったからこそ。そして一たびそういう思いを抱いたら、そういう感覚というのは長く消えないような気がする。
銭湯に来てはしゃぎ回っている子供たちは、もちろんそんな感傷的なこととは無関係なわけで、ただ単純に広くて大きな体育館のような空間を楽しんでいる。いっそのこと子供は無料にして今のうちにせいぜい銭湯になじませてやれば、産卵のために川を溯ってくるサケのように、きっといつか大人になってノスタルジーを感じたときにまた銭湯に戻ってくるに違いないなんて思う。
■骨董のはなし
【2002.2.16】
何でも鑑定団は今でもよく見ている。面白いと思ったのは鑑定団を見始めてからだが、骨董市のおじさんはそういうのをとてもバカにする。むかしのお客はよかったねーなどと好き勝手にしゃべっている。だから鑑定団みてます、とは口が裂けてもいえない。
飽きっぽいけれども凝り性なので、骨董の本を読みあさった。骨董市も行きまくり、それで一つ二つと購入するようになって、だんだんエスカレートしていった。こうして金銭感覚が麻痺していくのだなとよくわかった。始めは一枚の皿に何で5千円も出さなくてはいけないのかと思ったのに、あれやこれや見ているうちに古伊万里の世界では数万円が相場とわかると5千円のものが安く感じてくる。奮発するということは、二桁万円のものをゲットすることだ。でももしそれにも慣れてしまうようなことがあれば、今度は百万円以上のものでなければ奮発すると感じられないようになるのかもしれない。
ある程度わかってきて、今は少し冷静な気持ちで骨董が見られるようになった。新しい焼物も面白いし、体験陶芸教室にも参加した。いろいろやるのは楽しいことだ。
■写真
【2002.2.23】
中学校の頃、いとこのお兄さんが写真部に入っていてげーじゅつ的な写真を部屋に飾っているのを見て随分うらやましく思った。それから少しは本を読んで独学で勉強してみたが、中学生にはちんぷんかんぷんですぐにあきらめた。その後何度か写真をやろうと思ってはいたものの手がつかず、いつしかコンプレックスを感じるまでになって何年、何十年が過ぎた。そんな去年のある日、個人のカメラマニアの人から何と新品の一眼レフをプレゼントされた。何回目かのコンテスト入賞の副賞だというのだ。それからというもの久しぶりに眠っていたものに火がついて写真を撮りまくるものの、ちっともげーじゅつ的でない。それからまた本を読みまくり、今度は以前の時よりは何とかしくみがわかってきた。カメラの性能、特にオート類のたぐいの進化が目覚しく、素人でも撮りやすくなっていることがわかった。にもかかわらず、その後の写真もたいして変わっていないのは納得できない。思い余って1日写真教室に参加してみたが、技術的なことはあまり教えてくれず、「どうしてもみじの鮮やかな赤い色がでないのですか!」と先生を問い詰めてもリバーサルフィルムにしたらとか、現像を別の店にだしたらとかその程度の、どこの本にも書いてあるような答え。1日でエキスを引き抜こうと思った自分が甘かった。まあ、ぼちぼちいこうと少し寂しさを感じる今日このごろ。
■サイトのあっぷあっぷロード!
【2002.3.2分2002.3.6深夜】
ごめんなさい!
この1週間ほどの間にこのサイトを訪れて下さった方々にご迷惑をおかけして、大変申し訳ありませんでした。実はこれまでの記録はシャドーアップロードとでもいいますか、アップロードしたつもりで自分で練習していたのです。先週やっと本当にアップロードしてみたらとんでもない事が立て続けにおきてしまってお手挙げ状態となってしまいました。プロバイダーやホームページ作成ソフト(ホームページビルダー)のサポートセンターに電話で問い合わせ、四苦八苦の末やっととりあえず完成。
一番の敗因は許されていたサーバーの許容範囲(2Mb)があまりにも小さかったこと、括弧をつけたファイル名など転送ファイルの名前としてふさわしくないものがいっぱいあったことなどでした。許容メモリーの件は致命的と思われましたが、3つのスクリーンネームを作成・駆使して相互にリンクでつなぐことで、何とかすべてを収めることができました。
1ページに貼り付けた写真が多すぎてページの立ち上がりが非常におそい(作成中もブラウザーで確認はしていたもののやはり実際とはだいぶ違う)。これから作成する分は少しづつ変えていけるとして、これまでにできている分についてはごめんなさい。なが〜い目で見てやってください。
■散歩道(さんぽどう)極める
【2002.3.9】
ホームページのタイトルはそのホームページの顔だ。「とっておき」や「お気に入り」に登録すると自動的に現れるのもタイトルだし、検索エンジンに引っ掛けてもらうのもタイトルだ。このホームページのタイトルもなかなか決まらず、貼り付けてはとりやめ、また別な名前にしたりということを繰り返してアップロード直前まで二転三転した(決まってしまった今はとても気に入っているのだけれども)。ところで最後まで候補に残ったのが「散歩道きわめる」だった。「さんぽどう」と読んでもらってこそ意味があるのだが、どう考えても「さんぽみち」と読まれてしまうだろうと思ってこのタイトルにするのを断念した。
これまで抱いていた「散歩」のイメージとしては、天気のいい日にラフな服装で何も考えずにぶらぶらと歩き回ることで、散歩する場所としては花咲く小道であったり、はたまた歩行天のようなショウウィンドウの続くショッピング街などであった。ところが散歩も極めるようになると、もっと生活感のある街中の入り込んだところ、つまり非日常的なきれいに飾られたところではなく、日常的な生活の場そのものが対象となり、普段しょっちゅう眼にしているもの、気づかずにやり過ごしているものが違って見えてくるということになるのだ。デジカメでも手に持って出かけた日には、新発見ばかりを狙って眼を皿のようにしてあたりをきょろきょろ見回しながら歩くことになり、気分はまさに徘徊に近い心境だ。これはもう散歩道という修練の世界と言えるかもしれない。とはいえ散歩の喜びは新しいものとの出会いや発見にあることに変わりない。これからもこころにゆとりを持ちながら新しいもの、いや古いものに新たな気持ちでめぐり合いたい。
■思いは三鷹とオックスフォード
【2002.3.16】
今月の初めより三鷹芸術文化センターで銭湯の背景画(ペンキ絵)展をやっている。先週はペンキ絵の実演や町田氏の公演もあった。今日、明日は銭湯鑑賞ツァーと銘打って西荻に集合してな・なんと杉並区の銭湯を回るとでも言うのか。現在も仕事中のわが身はこれらのどれにも参加できず。せめて背景画展だけでも見に行きたいと思いを馳せているが、どうなることか。
明日から1週間、出張でオックスフォードに行かなくてはならない。もちろんそんなことはしょっちゅうあるわけではなく、ヨーロッパへ行くのも久しぶりのことで、オックスフォードは初めてだ。だからいったいどんなところなのだろうと思いを廻らしている。いつもドロナワで直前にならないと調べたりしない。今週はあわててガイドブックを購入して下調べ。オックスフォードがイギリスのどこにあるのかも知らなかったがロンドンから電車で1時間で行けるらしい。列車の予約を頼んだら指定席などないような普通の電車らしい。ガイドブックによるとオックスフォード大学という大学はなく、30を超える個々のカレッジの総称らしい。現皇太子殿下が御留学されたのはマートン・カレッジなど。地図にあるクライスト・チャーチも教会ではなく、カレッジだというからよくわからない。不思議の国のアリスはココを卒業し、話の舞台もこのあたりらしい。イギリスで2番目に大きい図書館や、近郊にはイギリスで2番目に長い図書館もあるらしい。ギネスブックがあるようにイギリス人は何番目というのにこだわりがあるようだ。それにしても「2番目」にも意味があるのだろうか?これからロンドンの銀食器の骨董やなどを調べなくてはいけない。狂牛病がちょっと心配だ。
■ポートベロー・マーケットから帰国
【2002.3.23】
オックスフォードの町全体がいぶし銀の骨董品だった。曜日の関係でロンドンのカムデン・パッセージには行かれなかったが、代わりに訪れたコベント・ガーデンは魅力的だった。最終日に金曜日のポートベロー・マーケットへ。街商の英語はほとんどわからないが、店を構えている店主の多くはわかり易い英語で優しく迎えてくれる老夫婦だった。ロンドンとオックスフォードの町の風景を散歩と骨董のページに綴るつもりだ。
■尾張瀬戸
【2002.3.30】
関東ではせとものと言う呼び方をしてきた。織部、志野、黄瀬戸、瀬戸黒などのやきものがこのあたりの焼物ということ、古瀬戸というときの瀬戸は六古窯のひとつに数えられるものであることなどは本で読んで知っていた。ロンドンの余韻も消えないうちに、そんな焼物のふるさと尾張瀬戸を訪れることになった。
始めに陶土の採掘場を訪れて広大な景観に圧倒された。古瀬戸は古くは縄文・弥生時代の流れを汲む猿投窯(さなげよう)から面々と続くやきものの歴史の中で生まれてきたものであることを知った。驚いたことは織部、志野、黄瀬戸、瀬戸黒などのやきものは実は瀬戸の近傍の岐阜県美濃で発展したもので、美濃桃山陶と呼ばれるものらしいということだ。瀬戸が瀬戸物として磁器を生産するようになったのは江戸時代も末期になってからというのも意外であった。
少し瀬戸のことがわかってきたような気がするし、美濃へ行って美濃桃山古陶の逸品を見てみたいという思いが強くなった。
■イギリスはどうでした?
【2002.4.6】
イギリスには仕事で行ったので、職場の人に「イギリスはどうでした?」と聞かれると、どう答えたらいいのか戸惑ってしまう。いやあ、本当に楽しかった、どこそこの骨董市はいいものがいっぱいあったし、地下鉄も乗りやすくて町中あちこち出かけたし、オックスフォードの町もロマンチックでとっても感激した。とでも言いたいところだが、「何しにいったんですか!」と言われてしまいそうで、うん、まあ、楽しかったんだけど・・・・などという答え方になってしまう。そして最後に「そうそう、自分のホームページがあって、それに乗せておくからそれをみてね。まだ、現時点では乗せてないんだけど。」などと付け加えたりして。そんなわけで早くホームページにアップしなければいけなかったのだけれど、デジカメで撮った写真が200枚近くもあり、それをWeb用の写真に加工するだけで何時間もかかってしまった。おまけに瀬戸の写真も50枚ぐらいあって。でもやっとロンドン編が完成。ポストやゴミ箱やちょっと見逃しそうなものも写真にして来ました。とにかく見てみてくださいね。オックスフォード編と瀬戸編も近日、公開です。乞ご期待。
ところで仕事の方もきちんとやってきましたので悪しからず。
■1010
【2002.4.13】
早いものでもう4月も中旬ですね。テレビのキャスターも言っていたけれど、花水木やらさつきやら、すべての草花が平年でいえば5月の頃のように咲き乱れている。
そういえば花で気になっていることがひとつある。去年、自分のうちの庭に植えてあるやまぼうしが全く花をつけなかったのだ。今年はちゃんと咲いてくれるのだろうか。実は今年も、梅の木にまったく花が咲かなかった。枯れてしまったのかと思っていたら、はっぱはちゃんと生えてきた。
ある人がいうには、前年に咲き乱れたときに花を切り取ってしまわないと、次の年に花をつけないというのだ。でもきれいな花をやっとつけたのに、それをカットしてしまっては咲いた花を観賞できないのでは?切るタイミングの問題なのか。そうこう思っているうちにそろそろやまぼうしの季節になるぞと考えている今日この頃です。
1010というのは、東京都公衆浴場業生活衛生同業組合の機関紙のタイトルだ。このあいだ地下鉄に乗っていたら、自分の前に立っている男性が1010を読んでいるではないか。電車の中にまで1010を持ち込んで読んでいるとは、よっぽどの銭湯ファンに違いない。ひょっとしたらこの人がよく見るホームページのつかささんか?!などと思いをめぐらせて、すんでのところで声をかけてしまいそうになったのを必死で辛抱したのだった。職場につくと、自分が銭湯好きだと知っている複数の同僚が「これもってますか?」と1010を持ってきてくれた。なんと地下鉄の駅においてあってご自由にどうぞ状態だったと言うではないか。
知らなかった。地下鉄の駅に置いてあるなんて。すぐに駅に行って見たが、もう跡形もなかった。中を読むと「1010の配布場所は今後も続々”増殖”していきます」と書いてある。信用組合、都営地下鉄駅、品川、杉並等々の区役所など、果ては宝田歯科医院、三阪犬猫医院、松江堂薬局まで(これらの店はいったいどこにあるのか!)。これまでは銭湯の脱衣室でゲットしていたのに。内容もますます充実していて、プレセントも豪華だ。ミュージアムやコンサートのお知らせまで掲載されていて、これでただとは。とにかくも地下鉄のなかで前に立っていた人に話しかけなくてよかった、よかった。
P.S.オックスフォード、瀬戸、やっとできました。
■横浜中華街へ行こう
【2002.4.20】
「横浜へ行こう」といって東京の人が横浜に行くときは、みなと未来+中華街とか、本牧+中華街とか、中華街で締めないと気がすまないようなところがある。中華街に行くためだけに横浜に行くことも珍しい話ではない。何も横浜にいかなくたって赤坂にだってどこにだっておいしい中華の店はいっぱいある。でも首都高を飛ばして「中華街へ繰り出す」という行為に意味があるのだ。
この日はみなと未来の遊園地、コスモワールドでひとしきり遊んで、ナイトクルージングのただ券をもらったので、その後はディナークルーズと決め込もうかと思っていたのに、遊園地が長引いてしまって結局クルージングの方は断念して横浜中華街で締めることになった。だいたい計画なんていうものはそんなもの。
ところで菜香新館という店に初めて飛び込んだのだが、1階が飲茶フロアーになっている広東料理の店で、味はおいしく雰囲気も変わっていてとてもいい店だった。おみあげコーナーがあって、いろいろなフルーツ味の中国菓子の新作品が斬新だった。また、横浜中華街へ行こう。
■深いかも?和菓子の世界
【2002.4.27】
お茶をどうぞ、のコーナーで和菓子を出していたが、それを新しいのに更新するのをきっかけに和菓子のページを新設してしまった。東京の和菓子屋さんを紹介している本も2冊ゲットした。あまりたくさんはない。だけれどホームページを検索してみたらやはりいるいる、和菓子をテーマにホームページを作っている人が。それでもいまいちどこの店にどうやって行けばいいのかよくわからない。
老舗の店で和菓子を購入したときは、少し緊張が走った。他にお客さんがいなくて、いかにも職人堅気という感じの主が出てきて相手をしてくれた。何もしゃべらずにじっと待っている。いつもは店番をしているお姉さんかおばさんが今日はたまたま留守なのだろうか?この人は作るのが専門であまり客相手は慣れてないに違いない。などといろんな思いが頭の中ををぐるぐるめぐりつつも、とにかく購入する上生菓子を決めた。ところが一つ一つに銘がついていて、その中に何と読んだらいいのかわからないのがあった。それで思わず発した言葉が、これなんと読むのですか?という唐突な質問。別にこれくださいと言えばよかったのだけれども、緊張していたせいか、つけられている銘で呼ばなければいけないような気になってしまったのだ。
これが始めての和菓子購入記。思い込みかもしれないが、和菓子の世界は奥が深いかも。
■循環の法則
【2002.5.3】
甘いものの後に辛いものを食べると、また甘いものが食べたくなり、しばらく甘いものを食べ続けるとまた辛いものが食べたくなる。人の五感なんて、結構だまされやすくてそんなに精巧なものじゃない。でもそのおかげで結構助かっているのかもしれない。
熱しやすく冷めやすい性格のものにとっては、なおさらこの法則があり難い。何か催し物があったりすると、銭湯、銭湯と盛り上がるのに、結構すぐしゅんとなる。それで骨董を見に出かけたりすると、今度は骨董で盛り上がるのだが、またしばらくすると潮が引く。それで和菓子にはまってみたら結構面白かったりして。あれやこれやでしばらく銭湯とご無沙汰していると、また銭湯のほうで何か動きがあってギュッと引き戻されたりして。
考えてみれば、晩御飯のメニューなんかもこれと全く同じだ。そんなにバラエティーに富んでいるわけでもないが、適当に循環しているからその都度新鮮で、その都度「やっぱり・・・はおいしい。」と繰り返し感動するのだ。ひとつのテーマにだけ的を絞って徹底的に追求し続けている人はやっぱりえらい。
骨董に始まって銭湯に終わった3月、4月だったけれども、いい季節なのだからたまには菜の花畑(イメージ)みたいなところでも散歩してみたいものだ。ゴールデンウィークなのだから。と思いつつ、今日も仕事の憲法記念日。
■沖縄第一ホテル
【2002.5.11】
沖縄を訪れたことのある人、ない人。訪れたことのある人でもそれぞれの思い入れがあるはずだ。そういう自分も何回沖縄を訪れただろうか。
沖縄で思い出すのは、中学生の頃か、兄がボーイスカウトの遠征で返還前の沖縄に行ったときのことだ。まだ、小さかった自分は見送り組みで、どこかの岸壁から離れる船を紙テープで見送ったことを鮮烈に覚えている。外国の沖縄に行ける兄がうらやましく、いつか自分も沖縄に行ってみたいという思いが募ったものだ。
結局、その夢がかなったのは大人になってからであった。大学の頃、沖縄の無人島でキャンプ生活を送るという、沖縄青年の家主催の催しに応募をして参加したときのことだ。今、思い出されるのは夜空の万点の星と、宮古島から参加していて同じテントで過ごしたあらくれ青年と、そして砂場で焼いた豚の丸焼きのこと。
その後、本土のリゾート地へお決まりの観光旅行はあったものの、スキューバダイビングと出会ってから、状況が一変した。慶良間の海に魅せられて訪れること数回。世界一のさんご礁の海と小高い丘からの夜景のすばらしさは忘れられない。西表島でマンタ(大エイ)を追っかけて泳いだこと、マングローブのジャングルをすり抜けてのクルージング。数え挙げればきりがなく、沖縄の夏を満喫した。
近年はすっかりご無沙汰していた沖縄であったが、琉球ガラスの存在を知り、沖縄の瓦やシーザーのことが気になり始めていた。そんな矢先、沖縄第一ホテルのことをリポートするテレビ番組を偶然見ることができた。そこで紹介していたのは海のことでもなく、民芸品のことでもなく、意外にも琉球朝食料理のことであった。それも今までイメージしていた沖縄料理とはまったく異質な、精進料理とでもいえるようなもので、大きな衝撃をうけた。このホテルのことを始めて紹介したフードエッセイスト向笠千恵子さんの書いた「日本の朝ごはん」(新潮文庫)という本を早速、購入して読み始めたところだ。(つづく)
■チャンプルー
【2002.5.18】
沖縄第一ホテルは那覇の国際通りの裏にあり、木造2階建てで、屋根は沖縄独特の漆喰で固めた赤瓦、入り口には一対のシーサーとハイビスカスの鉢が置かれているような小さなホテルだ。旧首里士族の家柄の出である女主人、島袋芳子さんが切り盛りしている。食事は予約制で、朝食しか作らないという変わった宿で、採算は度外視で洋風感覚を取り入れた琉球朝食に力を注いでいるらしい。
「日本の朝ごはん」の著者の向笠さんが体験したときの朝食のメニューは、オレンジジュース(セミノ−ルという小粒のオレンジ)、2杯目のジュースとして苦瓜ジュース(りんごとレモン風味)、ゆし豆腐と薬味としての赤唐辛子、苦菜とツナの二杯酢和え、かん草(百合科の野菜)のおひたし、4種類(島にんじん、島らっきょ、青パパイヤ、苦瓜)のチャンプルー、よもぎの天ぷら、昆布イリチ−、もずくの酢の物(三杯酢和えににんにく)、蒸かし紫芋、五穀めし(白米、玄米、押し麦、粟、緑豆)、デザートのパイナップル。いくら食べてももたれないという。チャンプルーとは豆腐、野菜、肉を中華風に炒めたお惣菜のことで、沖縄の食文化の象徴だとのことだ。とはいえ朝食のメニューとしては一般的ではなく、豆腐と肉は抜いてあるとの事。なんとも苦そうで、体に良さそうな朝食ではないか、と関心することしきり。これが長寿の秘訣だというし、怖いもの見たさではないけれども、実に後ろ髪を引かれる思いのレポート(テレビ番組)であった。次に那覇に行く事があれば、きっと・・・。
■散歩の達人たち
【2002.5.25】
このホームページを作る動機付けになったのが、金子ケイさんが運営している「江戸ッ子散歩日記」というサイト。ケイさんはテレビにも出演されたりして、今や超売れっ子だ。作家の糸井重里さんが展開している散歩のすすめに共鳴して散歩を実践されている。毎日の散歩で体験したでき事を一枚の写真と日記形式のエッセイで綴った楽しいホームページだ。先日は糸井さんがプロデュースした「スローライフで行こう」という番組の中で、ケイさんの穴あきブロックのすくらっぷも紹介された(ケイさんのコレクションの中にはこの他にも、散歩のかたわらに集めた井戸ポンプ写真や鉄条網などがある。井戸ポンプはサンポ(散歩)イズムという町なかのさりげない風景を写真にしているグループの写真展に参加して出展された)。
この番組を見たのをきっかけに、近所の穴あきブロックをチェックしてみることにした。そういう目で見てみると意外にあるわあるわ、いろいろなデザインの穴あきブロックが。すでにケイさんのホームページに紹介されているものでも、不思議な事に、実際に自分が遭遇した瞬間には新鮮な気持ちになれるのだ。まして亜種や新種を発見した日にはもう嬉しくて。そんなわけでラッキーにも新種に出くわすことができて(ビギナーズラック?)、早速報告させていただくことにした。ちゃんと認定のお返事までいただいて、満足満足。しばらくはたとえブロックをもう見るまいと決めたとしても、どうしても見てしまいそうで、それがまた今は嬉しい気がする。
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