奥穂高岳(おくほだかだけ)涸沢岳(からさわだけ) 

(横尾〜涸沢〜奥穂高山荘〜涸沢〜横尾まで) 1人で登る  2009.08.18〜19
涸沢から見上げる奥穂高岳と涸沢岳
 
場所 長野県松本市
(岐阜県高山市)
地形図はここをクリック
断面図,概念図はここをクリック
全日程(7日分)  1日目〜2日目分(通算5〜6日)
標高 奥穂高岳 3190m
涸沢岳 3110m
歩く標高差 累積 計3100m
歩行距離 計 約17Km
行動時間 1日目
約5時間半
横尾(槍ヶ岳下山後テント泊)〜60分〜本谷橋〜120分〜涸沢テント場〜60分〜ザイテングラード取付〜70分〜穂高岳山荘 (穂高岳山荘泊)
歩く標高差累積1400m
歩行距離約7km
2日目
約6時間
穂高岳山荘〜30分〜奥穂高岳〜30分〜穂高岳山荘〜20分〜涸沢岳〜15分〜穂高岳山荘〜55分〜ザイテングラード取付〜15分〜パノラマコース分岐〜40分〜涸沢ヒュッテ〜75分〜本谷橋〜50分〜横尾 (横尾テント泊)
歩く標高差累積1700m歩行距離約10km
データ  
■■■■■■■■■■■■■■■ 1日目(奥穂高岳へ) ■■■■■■■■■■■■■■■

 
槍ヶ岳を終え、横尾にテント泊をした。今回のテント設営ももう4泊目なので、設営、撤収も自分なりのノウハウができあがってくる。一番いい方法というのはないが、自分なりにこうやるよいという取り決めができると行動に迷いがなく素早くなってくる。この横尾では隣に東京から来た40歳の方がテントを立てた。道具の数々にこだわりを感じる方であり、夕食ひとつにしても野菜を切って料理の時間を楽しんでいる。フリーズドライの食品で事足りる私にとってはその姿は感動に値するものだった。「せっかくなら、おいしく食べて、栄養をつけたいですから」と彼は語る。こういう楽しみ方もあるんだなあと。お互い饒舌に語るわけではないが、話を投げかけるとていねいに受け答えをしてくれる。お互いにとつとつと思い出したように会話をしながらの時間がまた心地よい。この方とはこの後、何度も会うこととなる。話の都合上、彼を「笑顔くん」と命名しよう。
  
 朝、5時に目が覚めると、すでに笑顔くんは準備万端、出発の用意ができている。私に負けず劣らずの重そうな荷物である。今日は同じ行程のようでまた会いましょうと声をかけて、笑顔くんは先にスタートした。今日も天気がよい。なんと5日連続の晴れである。槍ヶ岳に登った日が快晴だったので十分満足であったが、できれば奥穂高も晴れていればうれしいがなと思いつつ、出発の準備を急ぐ。今日の予定は、涸沢にまずテントを立てておき、余分な荷物をデポする、そして奥穂高山荘に泊まることとする。せっかくの北アルプス、全部テント泊も味気ない、一日だけ山荘泊まりを経験してみよう。そこで選んだのが、穂高岳山荘である。そして、次の日は憧れの涸沢テント場でのテント泊をしようと予定を立てた。
 
 
横尾橋を渡って本日の山登りがスタートした。朝の風がとても気持ちいい。梓川の音と小鳥の声にさわやかさをもらいながら、比較的なだらかな道を歩いていく。左前方には迫力ある屏風岩が姿を見せている。川を隔てた向かいの道は屏風岩を取り巻くように続き、屏風岩の向こうには北穂高岳が見え、山頂に立つ北穂高山荘が青空の中に映えている。
 
 
60分ほど歩くと、本谷橋へ。ここは沢近くに降りることができ、絶好の休憩場所となっている。多くの方が休む中、笑顔くんの姿が見えた。調子はどうと声をかけ合いながら、山道を進む。ここからしばらく涸沢まで登り道が続くことになる。北アルプスに来て、感じるのはみんな多くの人が地形図を持っていないということがである。色のついたガイド地図を持つ人が主で、ガスに巻かれた場合や天候が悪化したときはどうするのだろうと思っていた。笑顔くんに、今の位置をそれとなく聞くと、さっと地形図が出てきた。そう、ちゃんと磁北線も引いてある。なんだか、この笑顔くん、同じ血を引く兄弟みたいな気がしてきた。
 
 
お互いのペースで歩くので、私の方が涸沢に早く着いた。涸沢の手前では雪渓の中を少しだけ歩く。ステップが切ってあり、ストックで体勢を保持しながら慎重に歩けば大丈夫だ。
 
大きな石が累々と並ぶその先に涸沢が全貌を見せた。鋭く切り落ちたその谷合いの迫力にしばらく圧倒される。急な斜面の先にそそり立つ穂高連峰。斜面には雪渓がいたるところに残り、足下まで迫力ある流線型を描いて迫ってくる。白と緑と空の青のコントラストに立ち止まって見入ってしまう。ふと、我に返って、しばらく上がると、涸沢のテント場に着いた。カラフルなテントが立ち並ぶ、テント泊好きにはたまらない憧れのテント場である。石だらけの場所にどうやってテントを張るのか興味があったが、ひとつひとつの区画のように石が並べてあり、大きな石をどけて整地することで、寝床を作ることが可能となっていた。
 
 
テントを立てて荷物を選別し、荷を軽くしたザックを背負う。やっぱり荷が軽いと楽だ。涸沢小屋でカレーをほおばり、さあザイテングラードを目指す。ザイテングラードの取り付きの前は、涸沢槍を見上げる緩やかな傾斜の道である。落石に注意しながら歩いていると、前方に笑顔くんだ。少しずつ間を詰め、ザイテングラードの取り付きでやっと追いついた。ずっと一緒に歩いているわけでもなく、どこで会おうと約束しているわけでもないので、また会うとお互いうれしくなる。取り付きからは、涸沢のテントがもうすでに小さく見えていた。
 いよいよザイテングラードだ。きっと登りは大丈夫だろうが、下りは滑らないように要注意である。過去5年間で4名の死亡事故が発生している場所である。少しの気の緩みが大敵である。登り出すと、急な道ではあるものの、難しい岩場が連続するわけではない。慎重にバランスを保ちながら登っていけば大丈夫である。だだし、岩が濡れている場合は細心の注意が必要であろう。60分ほどかけてこの岩場をひたすら登っていく。高度があがるにつれて、やはり息が苦しくなってきた。酸素が薄いのである。槍ヶ岳でやった半歩歩きにスタイルを変え、一歩一歩進んでいく。
 
 
やっと、穂高岳山荘に到着した。再び標高3000mの場所に立つ。山荘の中はとてもよい雰囲気だ。少し薄暗い落ち着いた光の中で、読書をするスペースや語らうスペースが作られていた。荷を部屋に下ろして、外に出て笑顔くんの到着を待つ。半歩歩きをしながら、立派にテントの荷物を抱えての到着に思わず拍手で迎える。その後、笑顔くんは、テント場にテントを設営に向かった。
 
初体験の山荘の夕食はとてもおいしかった。白く炊きたてのごはんがこんなにおいしいものかと涙が出そうになる。温かいみそ汁のうまさ、たまたま同じテーブルになった人達との温かく楽しい会話。山好きが集まるからこそ生まれる不思議な楽しい空間である。雰囲気も管理も行き届いた素晴らしい山荘だった。
 
が、一度眠りに着いた後、同じ部屋の人のすごいいびきで目が覚めた。再び寝ようとするが、もう眠りつけない。結局4時間も寝ただろうか。山小屋はすばらしいが、ぎっちりと布団を寄せ合って、落ち着けない空間はどうも苦手なようである。自分にはテント泊が向いているのだなあと何度も確認し続けた長い真夜中だった。
 
■■■■■■■■■ 2日目(奥穂高岳、涸沢岳、涸沢を経て横尾へ) ■■■■■■■

  寝不足ながらも朝は5時起床。山小屋の朝食も5時スタートである。スタッフは寝る時間はあるのだろうかとちょっ心配になる。お腹いっぱいの朝ごはんを済ませ、奥穂高岳に向かう。
 
奥穂高岳に行くには、山荘の横の岩場を登ることとなる。下から見たり、登りながら下を見るとなかなかの高度感があるが、印にそって三点確保で登り、鎖とはしごをしっかり越えれば後は大丈夫である。しかし、ここは、山荘のテラスから休憩している人が登り降りをしている人をじぃ〜と見ているところが実は一番の緊張の原因だったりする。「そこ、ちがうよ。もうちょっと右の方!ゆっくりね。」などと下から声がかけられたりしていた。
 
 
30分ほど歩くと奥穂高岳に着いた。南西方向に見えるジャンダルムの岩場が迫力満点である。また、前穂高に向かう吊尾根に目を奪われ、遠く槍ヶ岳の姿に感動し、梓川の蛇行に下界の世界を思ったりする。前穂側の広い場所に休憩し、またまた姿を見せてくれた槍ヶ岳をしばし感慨深く眺めてみた。
 
奥穂高を後にし、山荘に向かう。そこでまた笑顔くんと再会した。お互いの行程を考えると、ここでの出会いが最後になりそうである。名前も聞きはしなかったが、山での知り合うと旧知の友のような感じがする。笑顔くんと最後の会話を交わすと、彼はパソコンも携帯も持っていないそうである。今時、このアナログさがとてもいい。地形図でしっかり山を歩くことができるそんな経験をお互いに積んでいければと思った。笑顔で手を振って、またいつかと言葉を交わして、別れた。
 
 
山荘に一度戻り、北側にある涸沢岳に登る。山荘から20分で涸沢岳山頂である。ここからは槍ヶ岳から北穂高岳を経て、涸沢岳に向かう迫力ある登路が眼前に広がる。その迫力に圧倒されて眺めていると、ヘルメットをかぶった人達がぞくぞくと登ってきた。この難しい登路を踏破してきた人達である。その顔はみんな満足そうで、こちらもなんだかうれしくなる。妙な一体感に包まれる涸沢岳の山頂だった。
 当初は、この後涸沢にテント泊をするつもりで、涸沢にテントを張っていたのだが、ババ平で茨城のご夫婦から進められた蝶ヶ岳の眺望が気になってしかたがない。ここまで晴れが続いたら、この山登りの総括に、素晴らしい眺望を見てみたい。
蝶ヶ岳を往復し、明日までに松本まで出ようと考えると、今宵は横尾まで出ていた方が無難である。一度設営した涸沢のテントは家主に泊してもらうこともなく、一晩荷物を置かれただけで撤収の憂き目にあった。涸沢にテントを張ったという事実だけは写真に残ったのでまあいいか。
 
 
横尾まで降りて、最後のテント泊である。この一週間、夕方5時に食事を作り、6時までに食べ終え、まったりと寝支度をし、7時前の天気予報をラジオで聞き、うつらうつらと日暮れと共に眠りにつき、朝5時に起床して、6時半に歩き出すというパターンが確立した。一週間の山生活に思いを馳せ、梓川の沢音が心地よい最後のテントの夜を過ごした。
 

 
1日目
 
 
横尾でテント泊。朝は今日もさわやかだ。
夜は熟睡できないのだが、まどろみながら、10時間も横になっている。

朝の横尾橋を渡り、涸沢に向かう。
 
 

左に迫力ある屏風岩を眺めながら、道は石がごろごろとした登山道に変わっていく。
人間、目の前のものを理解するのに、自分が知っているものになぞらえると気が落ち着くようで、
北アルプスを歩きながらも、この道は多良みたいだなあとか、この道は久住みたいだなあとか、
考えながら歩いている。
 

 
 
本谷橋に着く。涼しい場所でたくさんの人が休憩している。
ここで、笑顔くんと再会、重い荷物をがんばって背負って登っている。
まだまだ、この坂は続きそうだねえと、励まし合ってまた別れる。

おっ、涸沢はもうすぐだ。
 
 

涸沢に到着。雪渓の中から涸沢小屋と北穂高岳方面の眺め。
 
 
 
涸沢カールと吊尾根から前穂高方面。
 
 
涸沢にテントを張って、荷物をデポする。
 

 
テント場は石ごろごろとばかり思っていたが、立派な石畳の通路が中央に走っている。
涸沢小屋を経て、ザイテングラードを目指す。
 
 
涸沢小屋から登ってしばらくすると、テント場があんなに小さく見える。
涸沢カールと向こうにそびえる前穂高岳がせまってくるようだ。
 

 
ザイテングラードの取り付きを目指す。おや、前方に笑顔くんである。
「おおい、こっち見て、前穂をバックにいい写真がとれるよぉ〜」
と声を掛けた一枚。
 
 

いよいよ、ザイテングラードに取り付く。ここから1時間ほど、岩をぬって登っていく。
滑らないように注意注意。
 
 
あと何分の表示あると、見通しが持ててほっとする。
今夜のお宿、穂高岳山荘に到着する。

 
 
穂高岳山荘から、涸沢を見下ろす。結構登ってきたなあ。
 
 
読書ができる一画もあり、とても雰囲気のよい山荘だった。
ただ夜は、どうも私は人がいると眠れない。
寝るのだけはテントがいいなあ。
 
 
2日目
 
 
朝、まずは奥穂高岳に向かう。
日本で3番目に高い山、3190mの山である。

最初の取り付きがなかなかスリルがあるようだ。
 
 

岩場を手と足を使って登っていく。
下を向いてしまうとなかなかの高度感である。
 

 
 
最初の取り付きを過ぎると、あとは石がごろごろとした登山道になる。
20分も歩くと、奥穂高岳山頂に到着する。
 

 
西穂高方向にあるジャンダルム。時々人影がちらほらしている。
 
 
槍ヶ岳方面を振り返る。
 
 
穂高岳山荘に戻る途中で、雷鳥の親子と出会う。
べったり着くわけではなく、少し離れながら過ごす親鳥とひなの様子が観察できた。
 
 
雷鳥と眺める槍ヶ岳。
んっ、彼は横向いとるなあ。
 

 
そして、笑顔くんともまた出会う。
笑顔くんに写真をとってもらって、
またいつかの再会を願ってそれぞれの目的地に進んだ。

 
 
穂高岳山荘に戻り、涸沢岳に。ほんの20分で涸沢岳。
しかし、あなどることなかれ、涸沢岳は、日本で8番目に高い山なのである。

 
 
日本8位の高峰の名に恥じない厳しい岩の芸術を見せてくれる涸沢岳である。
槍ヶ岳から北穂高岳に向かう厳しい縦走路。
 
 

北穂高から涸沢岳に向かう登り。よく見ると、中間地点に人がいる。
ここを登ってきた人はみな達成感に溢れていた。

 
 
ザイテングラードを慎重に降り、涸沢に下って、しばし涸沢ヒュッテで休憩する。
テント料金を払い、撤収して、今日の宿泊地、横尾に向かった。
 
 
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