槍ヶ岳(やりがたけ)
(上高地〜槍ヶ岳〜横尾まで) 1人で登る 2009.08.14〜17 |
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天狗池に映った逆さ槍
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標高 |
槍ヶ岳 3180m
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歩く標高差 |
累積 計3570m
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歩行距離 |
計 約31Km |
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行動時間 |
1日目
約2時間 |
上高地バスターミナル〜50分〜明神〜50分〜徳沢 (徳沢テント泊)
歩く標高差累積140m、歩行距離約6km |
2日目
約3時間半 |
徳沢〜60分〜横尾〜60分〜一ノ俣〜30分〜槍沢ロッジ〜30分〜ババ平 (ババ平テント泊)
歩く標高差累積530m、歩行距離約9km |
3日目
約5時間 |
ババ平〜80分〜天狗原分岐〜60分〜坊主岩小屋〜80分〜槍ヶ岳山荘〜10分(混んでいると30分かかる)〜槍ヶ岳〜10分〜槍ヶ岳山荘 (槍ノ肩テント泊)
歩く標高差累積1200m、歩行距離約5km |
4日目
約6時間半 |
槍ヶ岳山荘〜60分〜坊主岩小屋〜40分〜天狗原分岐〜40分〜天狗池〜40分〜天狗原分岐〜100分〜槍沢ロッジ〜100分〜横尾 (横尾テント泊)
歩く標高差累積1700m、歩行距離約11km |
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データ |
対馬に戻って3年。今年は土日の所用があり、午前中の駆け足登山しかできない。それを見かねた妻が、「今年の夏は10年に一度の長い休みが取れる年なんだから、一番行きたい山に行ってくれば・・・」
とポツリと言った。夏に久住に一回でもいければとスケジュール表を睨んでいた私に衝撃を浴びせるような一言だった。「一番行きたい山って、どこだろう?」 浮かんできたのは、やはり槍ヶ岳である。一生のうちに一度は登ってみたいと恋こがれていた山だ。
よし、行ってみよう。初めての北アルプス、右も左もわからないところから、下調べをし、その歩きに耐えられるような低山での訓練を繰り返し、最悪の天候にも耐えられる装備を揃える。どうせやるなら、単独のテント泊。標高3000mの稜線に自分のテントを張ってみたいと夢は膨らむ。しかし、本当にそこまで重い荷物を担ぎ上げられるのか。単独で大丈夫か。まだ見ぬ世界への大きな期待感と、自分に出来るのかというたくさんの不安を抱きながら、上高地に向かった。
■■■■■■■■■■■■■■■ 1日目(徳沢へ) ■■■■■■■■■■■■■■■ |
上高地に降り立つと、高原の乾いた心地よい風が素肌を撫でていく。梓川に目をやると、白い雲に頂上を隠した穂高連峰が姿を見せる。その雄大な姿を目の当たりにして、ここは北アルプスなんだという実感が胸にわき上がってくる。バスターミナルで登山届を出し、アルピコ山岳クラブの1000円の山岳保険に入る。有効期間は7日間。初めての山、何があるかわからない。高山病には適用されないが、救援者費用は300万円まで出る。ヘリコプター代にはなるだろう。さあ、現実から夢の世界へ、梓川の上流を目指そう。
当初、バスを降りてすぐの小梨平にテントを張ろうと思っていたが、お盆休みのこの時期。すごいテントの数だ。とてもテントを張る気にはなれない。島での生活のため、本土の山歩きもとんと自信がないため、2日目の歩く距離を少しでも短くしておこうと考え、夕方までの2時間をかけて徳沢まで歩くことにした。車が通るほどの広さがある平坦な遊歩道は、木立の間を抜け、梓川の横をぬうように続いている。山に登る人、遊歩道を散策する人、途中まで散歩する人といろいろな人達が、上高地の自然を楽しんでいる。
人だかりがあり、そばに行くと、みんな樹上を見上げている。おっと野生の猿だ。しばらく眺めて、そんなことをしている場合ではないと、先を急ぐ。
明神に来ると、すぐ前に明神岳がそびえ立っている。見た目は険しく、魅力的なのであるが、あまりにも秀逸な穂高連峰の縁にあるため、登山道さえも造られずに佇むちょっと気の毒な山である。明神からまた平坦な道が続いている。歩いている人の様子を観察するとザックを背負った人達が多くなってきた。山深くなるに連れて、この道は登山者の世界となる。
上高地から2時間近く、徳沢に着くと、すでにたくさんの色とりどりのテントが張ってあった。なんとか隙間を見つけて自分のテントを設営する。家族連れ、団体、カップル、単独とさまざまな人達が明日の山を期待しながらテント泊に訪れていた。明るいうちに夕食をすませ、眠りに着く。外はまだまだ団体客の宴が続いているが、長くまどろむ時間が心地よいテント泊である。風や沢の音と一緒に楽しもう。
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徳沢での朝、今日もよい天気である。テントを撤収し、荷物をザックに詰めて、よいしょっと背負う。うっ、重い・・・!実は博多での前泊の夜、ザックのあまりの重さにちょっとびびり、ホテルで荷物を広げて詰め直してみた。そのときの重さは22kg程はあったであろう。テント泊が中心なので、基本的に食事は自分でなんとかできるようにドライフーズを中心に持っていく。その後、水を詰め、いくばくかのパンとガスカートリッジなどを詰めたので、総重量は25kgにはなっているだろう。ボッカ訓練は25kgでやった。しかし、この重さで登るのは相当堪える。20kgならそうはないのだが、この数kgの重さが山歩きを違う物にしてしまう。博多で断腸の思いで、いくばくかの荷を自宅に宅急便で送り返した。しかし、その重量800gくらいか・・・(笑)
さあ、重いザックを背負って出発である。平坦な道はそうでもないが、ちょっと登りになると荷の重さが気になる。無理せぬようペース作りをする。荷物を自分がねじ伏せようとするいつもの歩きから、自分が荷物に合わせた歩きに徹しよう。
徳沢を6時半に出発し、横尾に着くと、堂々とそびえ立つ屏風岩が見えた。この地は、槍ヶ岳、涸沢を経ての穂高連峰、蝶ヶ岳・常念岳の起点となる地である。ここまで来ると登山者ばかりという雰囲気になってきている。まぶしく青い空がこのまま数日続くことを願いながら、槍沢方面に歩を進める。
横尾から一ノ俣に一ノ俣に着く途中に、槍見川原がある。上高地から3時間半歩いて、初めてその姿を現す槍ヶ岳である。木々の間から槍の穂先がその姿を見せた。居合わせた下山者は、槍ヶ岳からはすごい眺めだったと興奮しながら話している。どうかこの青空、私が行くまでもってくれよと願いながら、先に進む。
一ノ俣、二の俣を経て、槍沢ロッジへ。槍沢ロッジに到着したのは、9時半・・・・。しまった、前日時間を短縮しようと歩いたことが裏目に出た。どういうことかというと、今日の目的地まで、あと30分で着いてしまうのである。10時に目的地に着いたら、あとの時間何する・・・? 槍ヶ岳までの自分の想定時間は荷を考慮して6時間ほど。もう3時間も歩いているので、ここからこの荷の6時間は無理だろう。目的地のババ平は日陰も少ないと聞く。雲がない今日のような日はじりじりと肌を焦がすばかりである。槍沢ロッジでまんじりとした時間を過ごす。しかし、午前中、時間をつぶすがもう限界だ。暑くてもいいや、ババ平に向かおう。正午を過ぎて、がまんができず槍沢ロッジを後にした。
ババ平に着くと、すでにたくさんのテントがある。少ない場所を選んでテントを張る。テントの設営はあっという間に終わり、さて何をするかと腰かけると、横のテントの方も同じような雰囲気である。茨城からのご夫婦で、明日、ババ平にテントを置いたまま槍ヶ岳を往復するそうである。午後の時間ずっ〜と、ずっ〜とその方達と会話する。たくさんの山に登っておられるご夫婦で、たくさんの山の話をとても楽しく聞かせていただいた。私の日程等を説明すると、奥さんが、
「そしたら、その予備日の最後の日に蝶ヶ岳に登るといいですよ。自分が登った槍ヶ岳や奥穂高が全部見えますよ。ねえ、ぜひ、ぜひ。」
蝶ヶ岳・・・まったくノーマークの山であった。この奥さんの一言で、最後の山が後で決定することとなる。
ババ平は、これから槍ヶ岳に向かう人と、槍ヶ岳から下山途中の人とが混在した場所である。よって、そのテンションは人さまざまとなる。これから登る人は、明日への期待と不安が入り交じり早く休もうと身を整える。下山途中の人は今までの自分の行程に満足したり、課題を見いだしたりしたりと、少しでも仲間と話したい夜を迎える。今日のババ平もそんな両者が混在する不思議な空間だった。夜8時過ぎ、下山途中の一グループが話を続けている。時折、甲高い笑い声が入る。そのとき、一人のおじさんが、立ち上がって声を震わせた。
「今、何時だと思っているんだ。明日みんな早いからこうやって電気も消えているだろう。少しは考えろ!」
ここは山である。日が暮れて暗くなればみんな床に着く。そして、日が登れば行動開始である。寝不足で3000mの高所に行ったり、無理をしてしまうと高山病の症状が出ることもある。命を守るために寝なければいけないのである。山に入れば山の掟に従う必要があるのである。
すべては自己責任。初めての3000m峰。自分の命は自分で守ることを、改めて誓う夜となった。
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いよいよ槍ヶ岳に向かう朝が来た。夜はテントにぽつぽつと静かな雨音がしていたが、朝は快晴である。これなら槍ヶ岳が見えるだろう。期待に胸がはずませる。しかし、不安はこの大きなザックである。今からこの25kg程の荷物を背負い1200mの標高差を担ぎ上げなければならない。しかしもう、やるしかない。
ガイドブック等からの情報と今日の荷で計算すると、ここから槍の肩まで、6時間程度かかるかもと予想する。一歩一歩焦らずにもくもくと歩き出す。谷の沢横を詰めていく槍沢にはまだ日が射さずとても涼しい。横尾尾根からの沢音が谷にごうごうと響き渡る。槍沢の登りを左に向きを返ると、谷間の景色は一変し、木々の緑と雪渓の白さと空の青さが美しさを増幅させ合うような景色が広がってきた。この迫力ある景色の中では、自分のちっぽけさも、荷の重さも、頂上まで行けるかの不安もぶっとんでしまいそうだ。この夢のような空間に自分がいることだけに神経を集中しないとあまりにももったいない。
気がつくと、天狗原の分岐だった。ここまでの予定時間は、160分。時計を見ると80分しかかかっていない。あれっ、これは予定よりも早くなるか・・・ ちょっとうれしい目算違いに、足も軽やかになる。
槍沢上部のグリーンバンドを抜けると、空への視界がいっぺんに開け、槍ヶ岳がその迫力ある姿を現した。槍見川原で見たあんなに小さかった槍ヶ岳が、もうすぐそこ、手が届きそうである。
しかし、実はここからが長いのである。すぐそこに見えながら、きつい傾斜と標高3000mに近づく空気の薄さは歩を進めるのを拒もうとする。「半歩歩きでゆっくり歩くといいよ。」というそよかぜ姉さんのアドバイスを思い出す。ゆっくりゆっくり息と歩調を合わせながら、高度を上げていった。道々に咲く高山植物が目を楽しませ、またきつい歩きを励ましてくれる。
まだまだ気を抜くなと、自分に言い聞かせているうちに槍の肩、槍ヶ岳山荘に到着した。時刻は10時半。6時間はかかると覚悟をしていたところが、あっけなく4時間で着いてしまった。半歩歩きの徹底と、きついぞという用心と気構えは、実際の歩きを楽なものにしてくれた。これなら対馬での雨の有明山2往復の方がよっぽどきつい。
槍の肩に着いて、テント場の受付をし、さあ、槍ヶ岳登頂である。サブザックを出し、飲み物と上着を詰めて、歩き出す。25kgの荷から解放された体は、ぴょんぴょんと月の上で跳ねるようだ。槍ヶ岳への山頂への道は、手がかり足がかりがしっかりしており、思ったほどではない。平谷から経ヶ岳に登る道と同じ感じで、高度感が違うだけである。しかし、油断禁物、三点確保のセオリーを守って登る。久しぶりの岩登りが楽しく、気がつくと、10分で頂上に駆け上がっていた。
頂上からの眺めは雄大、幻想、感激、迫力満点、吸い込まれそうと、さまざまな言葉の表現を探してみるが、どれもこの眺めを言い表すのに十分ではない。結局この眺めは的確に言葉で伝えることはできず、写真でもおさまりきれず、この地に立ってしかわからないのだと思った。播隆上人が開山した後、たくさんの人がこの地を訪れる所以でもある。そして、憧れの槍ヶ岳の頂上に立っているのだという感慨がじわじわと胸を包みはじめた。一生に一度は来てみたかった6畳ほどのこの山頂にしっかりと自分の足で立っている。
頂上からの下りも気を抜かず三点確保で慎重に降りれば難しくはない。しかし、高度感はあるので、降り終えた時は正直ほっとするものがあった。
さて、ほっとすると腹がなった。槍ヶ岳山荘に入り、カレーライスを注文する。1000円であるが、それでも食べたい。一口、ほおばるとはらわたに染み渡る。この3日間の緊張感がほぐれたのか、カレーをほおばりながら、この山行を実現させてくれた多くの人達への感謝を気持ちがわき出て、恥ずかしながら涙が溢れてきた。こんな長旅を心よく送り出してくれた家族、一人での北アルプスを心配して何度もメールを携帯にくれた山の先輩方、この日程を実現するために仕事の日程を交代したくれた同僚、ぬけるような青空をプレゼントしたくれた山の神様、感謝はつきない。自分は一人で生きていないことを噛みしめるカレーライスの味であった。
カレーで腹を満たした後、テント場に行ってテントを設営する。このテント場がまさに天空のテント場である。標高3000m、すぐ下は崖。風にテントごと飛ばされれば命はない。設営ではいつもよりも厳重にテントをローブで固定する。テントを設営していると、もう一人単独の方が近くに来て、すぐ近くにテントを設営しだした。その様子を見て、思わずにやりと声をかける。
「あれっ、同じテントですね。モンベルのステラリッジ・・・」
山好きはテントもどれがいいか、相当悩んで買っているものだ。悩んだ末、同じテントを買っているということは、それだけで同じ価値観を持った人なのである。山で知り合いを作ろうと思ったときは、その人の持ち物を誉めてみるといい。こだわりを持って買った物を誉めてもらえると、人間心が開いてしまうもの。テントをきっかけにこの横浜から来た単独の人と意気投合し、午後の時間はゆっくり会話を楽しんだ。プライベートには深入りせず、山のことだけを語らうこの時間、とても心地よく、ましてや天空からの眺めはその会話をより楽しいものに演出してくれた。
夜は風もなく穏やかである。しかし、なんか体調が変だ。まず体が寒い。0度でもそこそこ温かいシュラフなのだが、体がいっこうに温まらない。温度計を取り出して計って見ると、4度。寒いはずだ。ダウンを着て、再びシュラフに潜り込むと、寒さは落ち着いた。気温はテント内でも結局2度まで下がり、恐るべし標高3000mの朝となった。
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朝、5時に目が覚める。おっとっと、日が登るぞ。朝陽を見なければ。ダウンの上下を着込んで、外に出ると、たくさんの人がご来光を待っていた。今日も晴れ。山の端をうすく包むように敷かれた一枚の雲の絨毯の上から朝陽が顔を出す。その美しさにみんなため息である。横浜の人は、上高地まで降りるとのことで、日の出を見た後出発した。
私の方は、今日は横尾まで行けばよい。早く尽きすぎては時間をもてあますという経験を生かして、ゆっくりと朝食を取り、ゆっくりテントを片付け、ゆっくり槍ヶ岳を後にした。
一晩経って見ると、槍ヶ岳に来たんだという実感が湧くようになってきた。下山しながら、何度も何度もその威容に目を奪われていた。
下山途中に、天狗池に寄ることにした。槍ヶ岳の姿が池に映り、逆さの槍となって目を楽しませてくれる場所である。雪渓を横切り、ガレ場の中を目印に沿って歩いていく。またまた荷の重さが堪える。40分ほど歩いて、天狗池に到着。
夏の気温で雪渓が溶けてこの池を作るため、7月までは存在しない幻の池である。水量はまだ少なかったが、その水面にしっかり槍の穂先を映してくれていた。
しばし、夢のような美しい景色に身を浸し、再び下山路へ。ババ平を経て、槍沢ロッジ、そして、今日のテント泊地横尾へと歩を進めた。
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1日目 |
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松本に入る前日、博多のホテルで少しでも荷を軽くしようと荷を整理する。
しかし、う〜ん。どれも必要なものに思えてなかなか減らせない。
最後はあきらめて、また荷を詰め直した。
水等を入れれば総重量25kgになるか。ふぅ〜。
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上高地バスターミナルに着くと、眼前に穂高連峰が迫力ある姿を見せてくれる。
北アルプスに来たんだという感慨が胸にせまる。
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上高地からは車が通れるほどの広さの遊歩道が続く。
横の木々の姿が美しく、下ってきて帰路に着くたくさんの登山者とすれ違う。
途中の樹の上には野生の猿が人間を見下ろしていた。
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一日目は2時間歩いて、徳沢園に。
テント泊の手続きを済ませ、テントを設営する。
考えてみれば、半年ぶりのテント設営だ。
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2日目 |
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横尾から出発すると、明神岳がその迫力ある姿の全貌を見せてくれた。
息を呑むほど美しいのだが、これは美しい景色のあくまでも入り口である。
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横尾に到着。槍ヶ岳に行くにはそのまま前進。涸沢に向かうにはこの横尾橋を渡る。
槍見川原に着くと、初めて槍ヶ岳が木々の隙間からその姿を小さく見せる。
槍の穂先を見るだけでも、上高地から3時間半を要する。
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横尾を過ぎると、道はやっと登山道という感じになってくる。
横尾から1時間半ほどで、槍沢ロッジに到着。
まだ9時半、ババ平には30分で着くため、しょうがなくここで地図を見たり、
眺めを見たり、登山者を見たりしながら、時間を過ごす。
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午後1時には、ババ平にテント設営。
次から次に設営者が到着し、
ババ平はたくさんのテントでいっぱいになっていった。
隣のテントの茨城から来たご夫婦と
ずっ〜と、ずっ〜と会話を楽しむ。
それ以外することがない。
することがない時間なんて、
喧噪の中で暮らす日常ではありえない。
なんとも贅沢な時間である。
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3日目 |
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ババ平に朝が来た。いよいよ、槍ヶ岳に登頂する日である。
とてつもない楽しみと荷揚げできるかの不安が、心の扉を交互に開ける。
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槍沢を大きく曲がると、そこにはこれまでと別世界の眺めが待っていた。
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雪渓を横に眺めながらの登り、一ヶ所だけ渡るところがある。
天狗原分岐を過ぎて、50分ほど登っていくと、グリーンバンドの終点となり、
いよいよ槍の穂先が姿を現すことになる。
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槍の穂先が前方に見えた。
その迫力ある姿に感動。しかも、雲一つない快晴。
背景の青い空がどこまでも槍の穂先を美しく引き立たせている。
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しかし、これからが長い。
すぐそこにあるようで、なかなか近くならない。
標高も3000mに近づくと、空気が薄く、足が前に出なくなる。
半歩半歩でゆっくり進む。
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もうちょい、もうちょいと歩くうちに、槍の肩、槍ヶ岳山荘に到着。
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槍ヶ岳山荘近くから見る槍ヶ岳の勇姿。
その迫力に時を忘れて見入ってしまう。とうとう、ここまで来たぞ。
さあ、次はあの槍の穂先に登頂である。
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槍の穂先に取り付き、手足を駆使して登っていく。
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足の下はこんな感じ。小さく点々と見えるのは人である。
槍ヶ岳山荘があんなに小さくなってしまった。
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あまり広くない山頂に到着する。
しかし、眺めは360度。
その眺めのよさに度肝を抜かれる。
こんなに見えるのであれば、どれがどの山か
わかるように学習しておくべきだった。
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南に穂高連峰。槍ヶ岳からの険しい縦走路である。
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東鎌尾根。赤い屋根は殺生ヒュッテとヒュッテ大槍
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槍ヶ岳を下りて、槍ヶ岳山荘へ。
腹が減った。カレーを食べる。
一口ほおばると、空腹にしみわたる。
途端、張りつめていた気がほとびるとともに、
この地に辿りつくまでにお世話、心配、援助してくれた方々への感謝の気持ちで胸がいっぱいになる。
不覚にも涙があふれてきた。
じっと下を向きながら、だれにも悟られないように食べたカレーであった。
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槍ヶ岳山荘でテント泊の受付をする。
一応区画制になっていて、番号札がもらえる。
標高3000mの稜線のキャンプ場。
すぐ下は崖である。
風にとばされると・・・
その先は考えまい。
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テントを設営した後は、槍ヶ岳をじっと見ながらたくさんの時間を過ごす。
夜は星がきれいだった。
星というものは、自分より上にあるものだが、
この地では自分より下の方にも星が見える。
不思議で美しい夜だった。
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3日目 |
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朝、槍の肩から見る朝陽、神々しく、
威厳に満ちた朝焼けである。
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槍ヶ岳の横から登る朝陽、しばし見とれる時間。
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遙か遠くに富士山も見えた。
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昨日は雲をかぶって見えなかった笠ヶ岳も朝陽に照らされて姿を見せた。
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坊主岩小屋(槍ヶ岳を開山した播隆上人が念仏を唱えたという岩屋)を過ぎ、
天狗原分岐から、天狗池に向かう。
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天狗池には逆さに映る槍の姿が美しい。
これから秋にかけて、この天狗池からの眺めは最高のものになる。
なんどもなんども槍ヶ岳を振り返りながら、
今日のテント泊をする横尾に向かった。
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