烏兎の庭 第一部
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3.25.04

ちひろ美術館ものがたり(1994)、松本由理子、講談社+α文庫、2003


著者は、いわさきちひろの一人息子、松本猛の妻。正確には、妻だった人。ちひろ美術館・東京の図書室で、単行本の冒頭、まだ50歳を過ぎたばかりで病に倒れたちひろの病室で、学生のまま結婚式をあげるところまでを読んだ。しばらくして、ちひろは帰らぬ人となり、残された作品を展示する美術館を夫婦で始めることになる。

売店には、本書の単行本も文庫本のほか、松本猛による美術館設立を回想する本も並んでいたけれども、その日は何も買わずに帰った。あとで続きが気になり、書店で探した。探したのは、続きが気になったからだけではない。私自身、20年前にけっして近い場所ではなかった「いわさきちひろ絵本美術館」へ出かけた理由を知る手がかりがあるかもしれないと思ったから。

幸い、この疑問に対して明快な答えが本書には書かれていた。私が初めて訪れた1983年は新館が建てられた年。新館にはちひろのアトリエが復元され、展示されるようになった。その建築資金は、前々年に発刊され、ベストセラーになった黒柳徹子『窓際のトットちゃん』の挿画から得られた印税だった。黒柳との出会い、彼女が『トットちゃん』を美術館で執筆していたことや、松本らと挿画を選んだことなども、本書には書かれている。


私の場合、いわさきちひろの名前はもともと知っていたとしても、『トットちゃん』であらためて関心をもち、新館開館の記事をどこかで読み、見てみようと思ったのだろう。小さいけれども、謎が一つ解けたようですっきりした。

家業が美術館という人はめったにいない。まして、夫の母親の作品を展示する美術館を経営する夫婦というのも、きわめて珍しい。今でこそ、文学館や画家、俳優の記念館なども華盛りだけれども、ちひろ美術館が開館した25年近く前には、個人の、しかも絵本画家の美術館など、まだ未知の施設だった。

結婚、美術館開設と思い切った決断のあと、怒涛のように年月が過ぎていく。美術館の設立、発展には、多くの人々が関わった。そうした有名無名の人々の表情をまじえながら、本書は家業美術館の20年間をたどる。登場人物のなかでは、彫刻家佐藤忠良の言葉が印象深い。


どんなに素晴らしい仕事をした人でも、いつかは亡くなる。人が亡くなっても、作品や多くの遺品が残る。とはいえ、時代の移り変わりが激しい現代にあっては、新しい作品を生み出さない故人は、あっという間に文字通り過去の人になり、忘れられていく。そういう流れに逆らって、自分がいいものだと思ったものを残す仕事は、並大抵の困難ではないだろう。

そうした仕事があって、ちひろは今も第一線の画家として、ある意味では生前以上に活躍している。それは、ちひろの作品に人々をひきつける魅力があることはもちろんのこと、それを広める仕事を続けた松本夫妻の仕事があったから。いいものだから残るわけではない。いいものだと信じた人が残す努力をしてはじめて、作品も人も記憶に残り、歴史に残る。


彼女は、もともといわさきちひろの絵画にも、美術館にもたいして興味はなかったという。ところが、美術館経営を通して、彼女は自分が秘めていた平和運動への思いに目ざめていく。その一方で、大きな責任を果たしているにも関わらず、美術館の内外でつねに「ちひろの息子の妻」としか見られないことへ苛立ちを隠しきれない。

それは、なぜ、ちひろの絵を世界へ知らせる仕事をしているのか、彼女自身が自問自答しながら、答えきれずにいる苛立ちでもある。本書は、一人の女性が家業から事業に目覚め、そして自分自身の仕事を見出していく過程として読むこともできる。

彼女は家業と家庭の台所を切り盛りしながら、四人の子どもを育てあげる。本文にも文庫版のあとがきにも書かれていないけれども、奥付に、1998年に猛とは協議離婚したと書かれている。それでも、彼女は現在でも、ちひろ美術館・東京の副館長、財団法人いわさきちひろ記念事業団事務局長の職にある。

詳しいいきさつはわからない。東京に加え、安曇野にも広がっている美術館事業から想像すれば、今、彼女は、「いわさきちひろの息子の妻」としてではなく、一人の女性、松本由理子として、ちひろの絵を広める仕事をしているのだろう。それは、ところどころ文章にも伺われる勝気な性格からも想像できる。



uto_midoriXyahoo.co.jp