東方ビザンチン美術紀行 (4)   
 トルコ・シリア・
   ルーマニア
  
のビザンチン教会
 
 
 
 
  サン・シメオン教会
  
カラート・サマーンシリア 
 
 重要なビザンチン教会の残る、旧ユーゴスラビ
アのセルビア、コソボ、モンテネグロをはじめ、
クロアチアやボスニア・ヘルツェゴビナ、マケド
ニア、ブルガリアなどのバルカン諸国へは行った
ことがない。
 おまけに、ロシア各地やその周辺国も、ほとん
どが未訪のままなのである。
 そんな不完全な状態で「ビザンチン紀行」とは
甚だおこがましいのだが、訪ねたことのある国と
教会をまな板の上に載せるだけでも、きっと何か
が見えてくるかもしれない、と思いサイトを立ち
上げた次第。
 何とぞ、その辺りを御理解のうえ、御笑覧賜れ
ば望外の喜びである。
        
 
 
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イスタンブール
   旧アヤ・ソフィア大聖堂

 Istanbul/Ayasofya Müzesi
    
 イスタンブール県 Istanbul トルコ
        
 
   
 
 ローマ帝国の偉大さを回復すべく、6世紀半ば
にユスティニアヌス帝によって建てられた壮大な
大聖堂である。
 15世紀半ばに征服王メフメトによってイスラ
ム・モスクに変えられるまでは、キリスト教世界
最大の教会として君臨していた。
 巨大なドームの真下に立って見上げれば、人知
を越えたこの建築のスケールが私達に大きな感動
を与えてくれる。

 聖堂内は多くのモザイク画で装飾されているの
だが、最も感動したのがこのキリスト像だった。
 ギリシャ語でデエシス
Deesis と呼ばれる請
願図で、中央にキリスト、左に聖母マリア、右に
洗礼のヨハネが並ぶ構図になっている。
 罪深き大衆のために、聖母と聖ヨハネが審判者
キリストに対して「とりなし」の祈りを捧げる場
面なのだそうだ。最後の審判を象徴しているよう
に思える。
 階上のギャラリー南端西壁に在るこのモザイク
は13世紀末の作で、やや剥落があるものの、慈
愛に満ちた心的表現が成されたデッサンの素晴ら
しさと、荘厳な色彩の見事さが印象的だった。

 他に数あるモザイクの中で、特に拝廊の扉口上
にある聖母子のモザイクを見逃してはならない。
10世紀末の作品で、コンスタンティヌス帝がこ
の街を聖母子に奉献している場面である。   
 
 
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イスタンブールコーラ聖堂
     (旧カーリエ・モスク)

  Istanbul/Kariye Müzesi
    
 イスタンブール県 Istanbul トルコ
        
 
   
 
 ビザンチン時代の市街を防御していたテオドシ
ウスの城壁の近くに、この聖堂の遺構は建ってい
る。5世紀の初めにビザンチンのコーラ聖堂(救
世主教会)として創建され、15世紀オスマン朝
以後はモスクとして使用、現在は博物館となって
いる。現在の建築は、11世紀末に建造されたも
のである。

 堂内を埋め尽くす鮮烈なモザイクは、モスク時
代には漆喰で塗りつぶされていたもので、近年に
なって発見された。それだけに、往年の素晴らし
い輝きが復活した、とも言えるだろう。

 13~14世紀に創作されたモザイクは、ラヴ
ェンナ以東では最高のものと言われる程で、確か
に質量共に見応え十分であった。
 堂内へ入ってすぐ目に付くのが、聖堂を奉献さ
れるキリストと聖母の像だろう。
 聖母の生涯や、キリストの逸話が次々と展開さ
れ、正にモザイク美術館に居るような錯覚さえ覚
えるほどだ。
 身廊に描かれた「聖母の永眠」は、ビザンチン
教会では必ずと言ってよいほど取り上げられるテ
ーマである。
 また、パラクレシオンという礼拝堂には、アダ
ムとエヴァを救済するキリストを描いた有名なフ
レスコ画がある。黄泉(よみ)へ降りるキリスト
像、とも呼ばれる傑作だ。
 
 
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ギョレメ (カッパドキア)
     トカル・キリセ

  Göreme/Tokalu Kilise
    
 ネヴシェヒル県 Nevsehir トルコ
        
 
 
 
 ビザンチン時代の岩窟教会が密集するギョレメ
野外博物館の少し外側にある、カッパドキアを代
表する岩窟教会で、創建は10世紀と言われてい
る。カッパドキアでは最大規模の聖堂で、とても
岩山をくり抜いて造営された聖堂とは思えぬ程の
建築美を誇っている。
 新旧二つの教会が結ばれた形になっているが、
新旧の建造年代に1世紀も差は無いそうである。
 何より素晴らしいのが、壁面や天井を埋め尽く
す様に描かれたフレスコ画である。
 写真はキリストの生涯を伝えるもので、一連の
作品に共通するのが背景のブルーの鮮やかさだろ
う。以後私達は、これを“トカル・ブルー”と呼
んで賞賛した。
 素朴な列柱が残る地下の礼拝堂を見逃してはな
らない。
 
 
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ギョレメ (カッパドキア)
    エルマル・キリセ

  Göreme/Elmalu Kilise
    
 ネヴシェヒル県 Nevsehir トルコ
        
 
 
 
 ギョレメ野外博物館を代表する岩窟教会で、名前は通
称の“リンゴの教会”を意味するそうだ。
 堂内には大ドームを中心にして八つの小ドームが構築
されており、そのいずれにも写真のような目の覚めるよ
うに鮮やかな色のフレスコ画が描かれている。
 キリストの生涯が描かれたもので、多くの聖人像も見
ることが出来る。
 それにしても、迫害から逃れ、岩窟に聖堂をくり抜い
た僧侶達によって描かれたこれらのフレスコの美しさに
は、驚かざるを得ない。
 想像を絶する様な深い信仰心によって産み出された、
強烈な説得力を示している。
 “リンゴ”はどこにも見当たらなかった。以前入口に
リンゴの木が立っていたという説と、絵の中の天使が持
っているという説があるそうだ。
 
 
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チャヴシン (カッパドキア)
   /
チャヴシン・キリセ
       (聖ヨハネ教会)

  Çavusin/Çavusin Kilise
    
 ネヴシェヒル県 Nevsehir トルコ
        
 
 
 
 この集落はギョレメとアヴァノス Avanos
中ほどにあり、ゼルヴェ谷
Zelve への分岐点に
もなっている。
 この岩窟教会は町の中央通りに面していて、堂
内へは狭い入口に架かった鉄の梯子を上っていか
ねばならない。
 内部は意外と広く、半円筒の天井に描かれたキ
リスト伝を中心にして、両側の壁面や扉口のアー
チなど、壮麗なフレスコ画で隙間無く埋め尽くさ
れていた。
 四天使に支えられた玉座のキリスト像のほか、
受胎告知や訪問といった聖母伝、三王礼拝やエジ
プト逃避、洗礼や磔刑などといった聖書を代表す
るような逸話が、まるで絵巻物のように描かれて
いる。
 絵で読む聖書、というような意味合いの、庶民
の啓蒙を目的とした図像であったのだろう。
 
 
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ソアンル渓谷 (カッパドキア)
    /
クブベリ・キリセ
  Soganlu Vadisi/
       Kubbeli Kilise
    
 ネヴシェヒル県 Nevsehir トルコ
        
 
 
 
 ギョレメから南へ50キロ離れた Yesihisar
イエシヒサール
に近い山深い谷間で、おそらくこ
この岩窟教会群を知る人はほとんどいないはずで
ある。
 写真は奥がクブベリ教会で、手前は隠された教
会と呼ばれるサクル教会
Saklu である。
 いずれも岩を削ってクーポラを切り出し、内部
をくり抜いて岩窟聖堂としてある。
 ドームのある内陣や、柱頭の施された円柱や半
円アーケード、さらに壁面には飾りアーケードま
で意匠されており、あたかも地下のクリプトに入
ったような感がある。
 かなり色は剥落してしまっているが、赤を主体
としたフレスコ画が残っており、聖母や聖人の像
を確認することが出来る。
 ソアンルには小規模だが多くのビザンチン時代
の岩窟教会が残されている。   
 
 
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ウフララ渓谷 (カッパドキア)
    /
ユランル・キリセ
 Uhlara Vadisi/Yulanlu Kilise
    
 ネヴシェヒル県 Nevsehir トルコ
        
 
   
 
 ギョレメの西南約40キロに位置する全長12
キロの深い渓谷で、切り立った断崖に掘られた岩
窟教会が無数に点在する魅力的な場所である。
 アクセスは両端の村(ウフララとベリスルマ)
からか、渓谷中間の階段のみである。
 渓谷内は全て徒歩となる。

 私達は2日に分けて、渓谷内に散在する岩窟教
会の大半を観て歩いた。
 このユランル教会は別名“蛇の教会”と呼ばれ
ており、その名の由来となった三つの頭を持つ蛇
の絵があるらしいのだが、堂内が暗く見逃したよ
うで残念ながら発見出来なかった。

 聖堂内のフレスコ画は写真でも判るように、か
なり剥落が激しい。それでも、天井や壁面を埋め
尽くす様に描かれた聖人や殉教者の像は、実に丹
念に制作されており、色も鮮明に残っている。
 特に、濃紺を主体に描かれた“四天使に支えら
れる玉座のキリスト”や“聖母子”像には、作者
の並々ならぬ技量が見て取れたのだった。

 この教会とシュムビュルル・キリセ(ヒヤシン
スの教会)、アーチアルトゥ・キリセ(木の下の
教会)の三教会は、ウフララ渓谷中間点の階段近
くにあるので、それほど歩かず比較的楽に見学出
来るだろう。

 ウフララやギョレメなど、他の洞窟教会の写真
を「トルコ/カッパドキアの洞窟教会」に掲載し
てありますので御参照ください。
 
 
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ウフララ渓谷 (カッパドキア)
     /
コカル・キリセ
  Uhlara Vadisi/Kokar Kilise
    
 ネヴシェヒル県 Nevsehir トルコ
        
 
 
 
 私達はウフララの村から谷へ降り、渓谷沿いに
ベリスルマまでを走破した。名も知らぬ洞窟教会
が無数に並んでいるので、随所に難所のある道中
も飽きることは無い。
 この教会は“香りの教会”と呼ばれていたのだ
が、かつては一体何の香りが漂っていたのだろう
か。
 ここも内部は半円筒形のお堂で、写真は天井に
描かれたキリスト像である。玉座に座したキリス
トの光輪を、四人の天使が支えており、十二使徒
が左右六人づつ並んでいる。背景の緑色が鮮やか
だった。
 この絵に続いて、中央に“神の手”が見える大
きな十字架像が描かれている。
 とても素晴らしい“受胎告知”が壁面に見られ
たが、異教徒によるものなのか、表面が刃物でか
なり傷つけられていた。
 
 
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トラブゾンアヤソフィア
  Trabzon/Ayasofya Müzesi
    
 トラブゾン県 Trabzon トルコ
        
 
   
 
 街の中心から西へ4キロ行った黒海沿岸の景勝
地に建つ、赤い屋根が印象的な旧ビザンチン教会
である。
 創建は5世紀と言われているが、現在の建築は
13世紀半ばの後期ビザンチン様式である。
 15世紀半ばにオスマンによって征服されて以
後は、他の教会と同様にイスラムのモスクとして
使用され、近年にはロシア軍の弾薬庫になってい
たこともあったそうだが、現在は博物館として一
般に公開されている。

 中央にドームのあるギリシャ十字形の聖堂で、
写真はドーム直下から祭室方向を眺めたものであ
る。正方形を「井」形に区切った様なプランで、
ドームが中央の一つだけであり、円蓋部分が平ら
になっているのはグルジアの影響とのことだ。
 
 祭室の天井に描かれているフレスコ画は「玉座
の聖母子像」であり、さらにその上部には光輪に
浮遊するようなキリスト像を四人の天使が支える
図柄となっている。カッパドキアの石窟教会でも
多く見られたモチーフである。

 通路となっている拝廊の壁には、保存状態の優
れたフレスコ画が並び、まるで美術館を見るよう
な気分になる。
 最後の晩餐やキリストの奇跡の場面、四天使の
十字架などを見ることが出来た。
 
 
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スメラ聖母マリア修道院
  Sümera/
    Meryemana Manastulu
    
 トラブゾン県 Trabzon トルコ
        
 
 
 
 トラブゾンから南のエルズルム Erzurum
と抜ける道を30
キロ行き、そこから渓谷に沿っ
て人里離れた山岳地帯へと入る。
 深い断崖の上、絶壁に張り付くようにして、こ
の修道院が建てられている。
 14世紀ビザンチン時代の建築で、写真のよう
な外部に突き出た後陣部分以外の聖堂は、大半が
洞窟内部をくり抜いて造られている。

 壮観なのが聖堂内部は勿論、外壁の全てを覆い
尽くすようにして描かれたフレスコ画である。
 最も古いものは9世紀にまでさかのぼれるそう
だが、かなりの部分が19世紀に加筆された作品
だという。これは古そうだ、という部分が幾つか
確認出来たが、結果的には判然としなかった。
 ここでは何と言っても、この修道院の戦慄的な
立地条件を楽しむべきだろう。
 
 
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カルスキュムベトル・ジャミイ
     (旧使徒教会)

  Kars/Kümbetlu Camii
    
 カルス県 Kars トルコ
        
 
 
 
 ここは背景にカルス城の見える場所で、街の北
側に建つモスクの廃墟である。雑草が生い茂り、
扉口が塞がれているので内部へは入れなかった。
 創建は10世紀で、アルメニアの王によって使
徒教会として建てられた。
 16世紀にイスラム・モスクとして利用された
が、中央のドームなど基本的な建築構造は残って
いるという。玄関の柱廊部分は19世紀にロシア
人が増築したものである。
 創建当初のキリスト教会としての面影を最も良
く伝えているのが、ドームの赤屋根の下の壁面を
囲って彫られた十二使徒の像である。
 写真では見にくいが、素朴な像容の珍しい浮彫
だった。
 
 
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アニ遺蹟救世主教会
   Ani/
    
 カルス県 Kars トルコ
        
 
   
 
 アニはカルスの東45キロに位置する広大な都
市遺跡であり、10世紀半ばにはアルメニアの首
都だった場所である。

 その後11世紀半ばにビザンチンが侵略して以
来、ペルシャ、大セルジュク、グルジア、クルド
そしてモンゴルまでが、目まぐるしくこの都を占
拠し、そして荒廃していったのである。
 シルクロードの重要な拠点としての地理的条件
が、この都に過酷な歴史を強要したかのように思
えてならなかった。

 近年旧ソ連が統治した時代もあり、トルコとア
ルメニアの国境紛争地帯として、遺跡も立ち入り
が難しい時代がついこの間まで続いていたのであ
る。

 広大な遺跡の中にポツンと建つこの崩れかけた
聖堂は、11世紀に建てられたもので、写真の後
陣ドーム部分を半分残すだけで、完全に瓦礫の山
となってしまっている。
 窓の少ない、飾りアーチが連続する意匠が、と
ても美しく感じられた。
 ド-ムの向こう側は祭室で、無残にも崩壊した
残骸が積まれており、あたかもこの街の運命を象
徴するかの如き光景だった。
 
 
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アニ遺蹟フェティエ・ジャミイ
    (旧大聖堂)
  Ani
/Fethiye Camii
    
  カルス県 Kars トルコ
        
 
 
 
 遺跡のほぼ中央に建つ最大の建造物で、ビザン
チンの建築家によって、10世紀末に大聖堂(カ
テドラル)として建造された。
 アニにはかつてアルメニア総主教庁が置かれて
いたが、歴史の変遷に従って、この大聖堂もイス
ラム・モスクになったりキリスト教会になったり
という、数奇な運命を背負って来たのである。
 建築は方形のビザンチン様式で、当初には中央
に円形ドームがあったのだが、数年前に崩落して
しまったのだという。
 内陣は高い天井が印象的で、高さを求めるゴシ
ック的な発想が感じられた。
 原野と化してしまった広大な遺跡に在っては、
この余りにも大きな建造物ですら、ちっぽけな人
間の営みの残滓にしか過ぎなく見えてしまう。
 
 
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アニ遺蹟聖グレゴリオ教会
  Ani/Resimli Kilise
       (Tigran Honentz)
    
  カルス県 Kars トルコ
        
 
   
 
 遺跡の最も東側に位置しており、周遊道からは
かなり谷底へ降りて行かねばならない。
 異教徒の蛮行や災害によって激しく崩壊してい
るものの、建築が最も創建時のまま保存されてい
る聖堂である。

 アルパ・チャウ
Arpa Çayu という渓谷が背後
に続いているが、ここがアルメニアとの国境であ
り、アニの歴史的運命を最も象徴する場所だとも
言えるだろう。

 トルコでは
Resimli Kilise レシムリ・キリセ
と呼ばれるそうで、これは“絵のある教会”を意
味するそうだ。
 その名の通り、玄関間から中央ドームの周辺に
至る壁や柱の全てにフレスコ画が描かれており、
保存状態はかなり良好だった。
 聖書の物語や、聖グレゴリオの殉教場面などを
描いた、アルメニア教会の歴史絵巻にもなってい
る。
 別名のティグラン・ホネンツは創建者の名前で
あり、この貴族によって13世紀前半に建てられ
たものである。

 この余りにも穏やかで美しい風景からは、背後
に展開された激烈な歴史を想像することは至難だ
ろう。 
 
 
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アクダマル島 (ワン湖)
     聖十字架教会

  Akdamar (Van Gölü)/
     Akdamar Kilisesi
    
  ワン県 Van トルコ
        
 
   
 
 アナトリア東部、イラン国境にも近い古代ウラ
ルトゥ王国の首都であったワン
Van の町に滞在
したことがある。
 町はトルコ最大の湖ワン湖に面しており、アク
ダマル島は湖の西部、岸からは3キロの沖合いに
浮かんでいる。アクセスには、小さな観光船が就
航し、渡し船の役を務めている。

 この教会は、10世紀前半にアルメニア王によ
って建てられた修道院の遺構である。
 建築は中央に円形ドームのある、アニの聖グレ
ゴリオ教会にも似た、典型的なアルメニア様式で
ある。
 内陣にはフレスコ画が描かれているが、残念な
がら像容がはっきりしない程にまで褪色摩滅して
しまっている。

 何よりも注目したいのが、写真の正面ファサー
ド壁面を中心に施されたレリーフ彫刻である。
 平板な浅浮彫ではあるが、内容豊かで密度の濃
い傑作だろう。
 彫刻の主題の大半は旧約聖書の物語で、私が確
認できただけでも、アダムとイヴ、アブラハムに
訪れる三天使、ダヴィデとゴリアテ、ライオンの
洞窟のダニエル、巨大な魚とヨナ、瓢箪の日蔭に
休むヨナ、聖ゲオルギウスの竜退治などがあり、
全部じっくりと見ていたら帰りの船には間に合わ
なかっただろう。
 レリーフの連続文様に、葡萄のモチーフが多く
用いられており、アナトリアが古くからの葡萄産
地であったことを証明している。   
 
 
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カラート・サマーン
    聖シメオン教会

 Qala'at Samaan/San Simeon   
    
  アレッポ Aleppo シリア Syria
        
 
   
 
 シリアへ行くために、旅行社のパック旅行に参
加した。従前より憧れていたこのカラート・サマ
ーンが旅程に入っているツアーを探し、ようやく
その夢が実現した。
 アレッポの西北50
キロに在る町で、トルコの
アンタクヤに通じる要衝の地でもある。

 36年もの間、死ぬまで柱の上で修行したとさ
れる聖シメオンを記念して、5世紀末に創建され
た修道院である。
 聖シメオンの柱があったとされる場所を中心と
した八角堂(写真)があり、その四方に三廊式の
バシリカ聖堂が十字架状に延びているという、何
とも特殊なプランをもっている。
 東側聖堂には、左右に小祭室が並ぶ三祭室が設
けられており、ここが本来の聖堂の役割を果たし
ていたものと思われる。
 三廊式の細長い身廊、大小三つの祭室、半円ア
ーチの輪郭に施された縁飾り、円柱と柱頭の彫刻
など、ビザンチンというよりも、むしろロマネス
クの源流を見る思いだった。

 聖堂全体の正面は八角堂の南に延びた三廊堂で
(このサイトの表紙写真参照)、三つのアーチと
破風で成り立っている。西側でなく、南側を正面
としたのは、古代シリアの住宅形式に倣ったもの
だそうだ。
 
 
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クルテア・デ・アルジェシュ
    クルテア修道院

  Curtea de Arges/
    Manastirea Curtea
    
  ワラキア地方 (アルジェシュ県)
   
Arges ルーマニア Romania
        
 
   
 
 ブカレスト Bucuresti でレンタカーを借りて
から、シギショアラ
Sighisoara やブコヴイナ地
方へと向かう途中で、このワラキアの古都に立ち
寄ってみた。

 この修道院聖堂は16世紀初頭に完成された建
築だが、中央の主円蓋が修復工事中だった。
 写真では判らないが、その主円蓋の東側は主祭
室であり、南北に側祭室を設けてあるので、半円
形の祭室が三つ葉型に飛び出している。

 何より特徴的なのが、聖堂外壁の装飾だろう。
 写真で見るように、円形や方形の浮彫石板や、
帯状の連続文様彫刻で飾られている。
 おそらくはアルメニアやイスラムの影響だろう
と考えられる。
 全体的に新しい建築のように見えるのは、近代
になって大掛かりな修復が成されたからだろう。

 内陣の床には幾何学文様のモザイクが敷かれて
おり、正面祭室の円形天井には二天使を従えた聖
母子像のフレスコ画が描かれていた。
 ビザンチン特有のイコン画が描かれた衝立が燦
然と輝く、大層華やかな聖堂だった。
 
 
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スチャヴァ
   スチェヴィツァ修道院

 Suceava/Manastirea Sucevita
    
  ブコヴィナ地方  Bucovina
    /
ルーマニア Romania
        
 
   
 
 スチャヴァの町に滞在し、フレスコ壁画で著名
な五つの修道院も含め、世界遺産に指定されたあ
ちこちの修道院をレンタカーで巡った。

 スチャヴァの西北約60キロにある修道院で、
フレスコ画の保存も良く、写真の通り優美な建築
であるにも関わらず、何故かここだけが世界遺産
には指定されていない。

 16世紀後半の創建で、修道院の敷地の規模は
この地方では最大のものである。

 写真は東南から撮ったものだが、こちら側の壁
面には数え切れないほどの聖人や天使の像が描か
れている。
 聖堂左側の南壁には、キリストの系譜を描いた
“エッサイの樹”が綿密に描かれている。エッサ
イから、その子ダヴィデ王へと繋がっていくので
ある。
 北側の壁に有名な“天国への梯子”を見ること
ができる。斜めに渡した梯子を登る修道士達。右
上には祝福する天使の群れ、左下には悪魔に誘惑
されて落ちていく修道士が壮絶に描かれている。
 外壁に描かれたフレスコ画だが、500年以上
も経っているとは思えぬほど鮮やかな色彩を呈し
ている。   
 
 
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スチャヴァ
 モルドヴィッツァ修道院

  Suceava/
   Manastirea Moldovita
    
 ブコヴィナ地方  Bucovina
   /
ルーマニア Romania
        
 
 
 
 前述のスチェヴィツァからは、西南に35キロ
しか離れていない。
 聖堂は16世紀前半に創建されたもので、西側
ファサードに四本の太い角柱のある玄関間が設け
られている。
 柱や壁の全てが、隙間無く鮮やかなフレスコ画
で覆い尽くされていることに感動する。
 玄関の壁に描かれた赤い天国への河と、地獄図
が印象的だった。
 写真は南側の壁に描かれたフレスコ画で、最下
段にビザンチンの都コンスタンチノープルを襲撃
するペルシャ軍との戦闘場面が、一連の絵巻物の
ようにして連続的に描かれている。
 中央が海の向こうの砦で、右側に大砲を据えた
ペルシャの軍隊が見える。
 才能の感じられるデッサンで、ブコヴィナで一
番気に入ったフレスコ画だった。   
 
 
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スチャヴァヴォロネツ修道院
 Suceava/Manastirea Voronet
    
 ブコヴィナ地方  Bucovina
    /
ルーマニア Romania
        
 
 
 
 この教会へは、前述のモルドヴィッツァからは
東南へ38キロ、スチャヴァからは西南へ36キ
ロの位置に当たる。
 創建は15世紀後半で、中央円蓋の東に大きく
祭室を張り出させ、南北に側祭室を三つ葉型に配
置している。写真は、その東祭室と南側を写して
いる。
 描かれているフレスコ画は“聖人伝”で、多数
の聖人像が丹念に表現されている。
 円蓋の西側は長方形の身廊で、さらに前室と玄
関間が設けられている。
 フレスコ画が描かれたのは16世紀半ばになっ
てからで、特に有名なのが玄関間西外壁の“最後
の審判”だろう。
 青緑の地色が鮮やかで、選ばれた聖人達の光背
の金色がより美しく感じられた。

 アルボーレやフモールなど、他の修道院の写真
ルーマニアの壁画修道院群に掲載してあります
ので御参照ください。
 
 
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