東方ビザンチン美術紀行 (5)   
 コーカサス
(アルメニア・グルジア)
   のビザンチン教会
 
 
   
 
   ジュヴァリ教会
(ムツヘタ)グルジア
 
 大コーカサス山脈の南側にあって、黒海・ロ
シア・カスピ海(アゼルバイジャン)・ペルシ
ャ(イラン)・トルコによって四方を囲まれた
この地域は、長い歴史の中で東西各勢力による
係争地となってきた。
 4世紀初頭に世界で初めてキリスト教を国教
としたアルメニアはロシアからの独立を果たし
たとはいえ、かつての首都だったアニが現在ト
ルコ領となっているといった悲劇ともいえる歴
史的運命を背負っている。
 やはり4世紀にはキリスト教が伝播していた
とされるグルジアも、ロシア併合からは開放さ
れたものの、南オセチア問題などの民族紛争は
継続した状態のままである。
 複雑だが古い歴史を秘めたコーカサスの国々
で、西欧にも影響を与えたり、また感化を受け
たであろう東方キリスト教の遺構を旅した。
 
   
 
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 エチミアジン
    エチミアジン大聖堂

   Echimiadzin 

         ARMENIA 
    
   
 
 首都エレヴァン Yerevan の西20キロに
在るヴァガルシャバト
Vagharshapat の町
が、一般にエチミアジンと呼ばれるアルメニア
正教の聖地である。
 アルメニアは4世紀の初めに世界で最初にキ
リスト教を国教とした国であり、同時に建てら
れたこの教会は世界最古の教会として創建され
たという。
 現在見られる聖堂建築は、7世紀に最初の大
主教聖グレゴリオスによって再建された様式を
継承しつつ、17世紀に改築されたもので、ア
ルメニア正教の総本山となっている。

 写真は聖堂中央のドーム部分で、正方形の四
本柱井桁アーチの上に、八角形のスクィンチと
呼ばれる台座を設け、その上に十二角錐形のド
ームが載った格好になっている。
 平面プランは単純なのだが、立体的に構築さ
れた空間は荘厳であり、重厚な雰囲気を醸し出
している。

 井桁式の内接十字形プランや、ドーム建築や
円筒ヴォールト天井などの様式が西洋に出現す
る以前に、アルメニアでは6世紀には既に完成
していた事になる。
 ロマネスクなどの西洋建築の祖先と言われる
所以である。
 平面プランだけを見ると、フランス・ロワー
ルの
Germigny-des-Prés ジェルミニ・デ
・プレ教会と瓜二つであることに驚く。
 
 
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  エチミアジンリプシメ教会
  Echimiadzin/Sb. Hripsimei
       Yekeghetsi
 

          ARMENIA 
    
    
 
 エチミアジン大聖堂の在る市街地から少し離
れた郊外に建つ小振りな教会で、7世紀の前半
に建てられた“最もアルメニアらしい教会”と
言われている。創建当初の建築が、ほぼそのま
ま残っている。
 外壁の特徴として、壁面のアクセントとなっ
ているニッチと呼ばれる二本のスリットが刻ま
れていることが挙げられる。
 中央ドームの四方に切妻式の屋根が伸び、簡
素なプランに躍動的な変化を付けている。

 聖堂内の身廊はドーム直下の正方形部分だけ
で、四方にアプスという円形の窪みが設けられ
ている。東側のアプスが至聖所(祭壇)だ。
 正方形の構造体の四隅を斜めに削って小アー
チを組み入れたスクィンチで八角形とし、その
上にここでは十六角形のドームを載せている。
 薄暗い堂内にあって、頭上のドームの窓から
差し込む一条の光がとても神聖に感じられた。

 ドーム式バシリカの典型であり、当時から架
構を工夫する高度な石造技術がアルメニアに存
在したことを立証している。

 リプシメは国王に虐殺された美しい聖女の名
で、教会はそれを悔いた国王によって創建され
たという。聖堂の地下に、聖女リプシメの墓所
があった。
 
 
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 ズヴァルトノツ
    ズヴァルトノツ聖堂遺跡

  Zvartnots  

         ARMENIA 
    
 
 エレヴァン国立博物館で、7世紀に建てられ
たというズヴァルトノツの三層円形聖堂の復元
模型を見た。
 写真は現在の聖堂跡で、地震で崩壊した10
世紀以来、発見された20世紀初頭まで埋もれ
ていたのだそうだ。
 大きな柱頭を載せた円柱が、円形聖堂の外壁
を構築していたのだという。
 円の直径は28mあり、中央には四方にアプ
スを設けた四弁式ドームの聖堂が設けられてい
た。写真はその半円形のアプス部分を復元した
ものである。
 柱頭は頭でっかちでやや無骨だが、蔓で編ん
だ籠のような模様に、ロールケーキのような二
つの渦巻きが載っているという、何とも素朴で
放埓な意匠が面白かった。
 見えるはずのアララト山は、終始顔を隠して
いた。
 
 
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 エレヴァンマテナダラン
    (古文書保管所)

  Yerevan/Matenadaran  

         ARMENIA 
    
    
 
 エレヴァン市街地の北東端は高台になってお
り、この博物館は坂道を少し登った所に建って
いる。
 膨大な数のアルメニアの古文書や写本などを
保管していることで知られ、6世紀の「エチミ
アジンの福音書」などを筆頭に、美術的にも優
れた貴重な写本が所蔵されている。

 その写本の一部を、展示室で見ることが出来
た。写真はその内のひとつだが、それほど古い
ものではないかもしれない。
 しかし、鮮やかな色彩や、図式的でありなが
ら土着性が感じられるところに、アルメニア写
本の特性があるのかなと感じた。

 歴史的にアルメニアでは、かなりの量の写本
が戦禍や迫害によって失われたという。それで
も、この保管所に残されたものや世界に散らば
っている写本の数を思うと、いかにアルメニア
の写本芸術が繁栄していたかが想像できる。
 12~13世紀が最盛期であったらしいが、
ビザンチンやシリアからの影響を強く受けてい
たのだろう。

 写真を自由に撮って良い、というのが不思議
に感じられた。旅人には嬉しいが、褪色を恐れ
て照明を落としたり、撮影を禁じたりするのが
通例だからである。
 
 
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 ゲハルドゲハルド修道院
   Gekhard 

         ARMENIA 
    
   
 
 エレヴァンの東40キロにある、アザト渓谷
という谷間の修道院である。
 写真で見るように、周囲の岩山に同化したか
のような聖堂が建ち、岩盤をくり抜いた部屋も
ある洞窟教会として知られている。

 創建は4世紀とも言われるが、現在見られる
建物は13世紀の建築である。訪ねた日は生憎
の霧と雨だったが、むしろ材質の玄武岩の色の
効果と相乗して忘れ難い雰囲気を作っていた。

 西側の入り口を入ると、そこはドーム聖堂の
前室ナルテックス部分である。ここの中央天井
にもドームがあって、モスクで見られる鍾乳石
のような装飾が施されていた。採光用の丸穴が
天頂部に開いている。
 主聖堂のドームは、四隅を削ったスクィンチ
が用いられており、その上に切石積のドームが
載っている。
 堂内はほとんど真っ暗で、灯明の明りだけが
照らす幽玄の世界にも見えた。

 岩壁をくり抜いた泉の湧く洞窟聖堂には、壁
面にライオンや鳥などのプリミティブな図像が
彫られていて興味深かった。正教では、具体的
な図像を描くことは珍しいからである。

 エチミアジン大聖堂の宝飾館で見た、キリス
トを刺した槍(ゲハルド)は本来ここに在った
といい、この地名の語源となったそうだ。
 
 
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 アララトホルヴィラップ修道院
   Ararat/Khorvirap 

         ARMENIA 
    
    
 
 エレヴァンの南西42キロにアララトの町が
在り、この修道院はそこから更にトルコ国境と
なっているアラス
(Aras) 川へと近づいた田
園地帯の高台に建っている。
 かつてはアルメニア領であり、現在はトルコ
領に聳える大アララト山 (5165m)を眺望出来
る絶好のポイントだったのだが、曇天続きでエ
レヴェン滞在中には一度も見ることが出来なか
った。

 修道院の本教会は17世紀の建築だが、ここ
では横に建つ写真のバシリカ聖堂を見なければ
ならない。
 ゾロアスター(拝火教)の神殿を改築したも
ので、内部は円筒ヴォールトの単身廊聖堂だ。
 アルメニア正教の祖である聖グレゴリウスが
幽閉された地下牢があり、当時のままとすれば
3世紀末の建築ということになる。
 祭壇の脇に地底へと続く細くて長い鉄梯子に
しがみ付きながら地下室へ降りた。煤で黒光り
する壁の石には、信じ難い程の年月を経てきた
もののみが示す重厚感が確かにある。
 いくら食料が差し入れられたとしても、凡人
ならばこの暗黒の空間で13年間はとても生き
られるものではないだろう。
 聖人を幽閉した国王が改悛し、キリスト教を
国教としたという伝説は、パウロの回心にも似
て興味深い。  
 
 
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  セヴァンセヴァン修道院
   Sevan 

         ARMENIA 
    
   
 
 アルメニアの真珠と呼ばれるセヴァン湖畔に
泊まった翌日、昔は島だった半島の先端に建つ
二つの教会が美しいセヴァン修道院を訪ねた。
 雪を戴く山並に囲まれた絶景の地に建つ修道
院は、9世紀の創建と言われている。
 二つの教会以外にも、修道院の遺構と思われ
る礎石が残されており、いかに往時が繁栄して
いたかが偲ばれる。

 手前の小さな教会が十二使徒教会で、12世
紀の建築であり、奥の大きな教会が聖母マリア
教会で、これは創建時9世紀のものだという。
 いずれも内接十字形のドーム式バシリカ構造
で、先に“アルメニアらしい”と言ったリプシ
メ教会と同じ様式である。
 教会背後の高台から両教会の佇まいを眺めた
が、最初は馴染めなかったドーム四方の破風屋
根が、アルメニア教会の看板みたいに感じられ
てきた。しかし、ここには壁の二本のスリット
(ニッチ)は無く、素朴に石を積んだ壁がある
だけだった。

 修道院の周囲には多くのハチュカル(十字架
石)が立てられているのだが、写真は聖母マリ
ア教会の内陣に置かれたハチュカルの逸品であ
る。ハチュカルに聖書の逸話を題材とした図像
が描かれることは珍しい。
 中央に磔刑像、上部には洗礼と十字架昇天、
右は誕生、左は審判かと思われ、下部にはビザ
ンチンでは頻繁に描かれる黄泉に下ったイエス
がアダムを解放する場面である。
 
 
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 ノラドゥズハチュカル墓地
   Noraduz  

         ARMENIA 
    
 
 
 この村はセヴァン湖の中程の西岸に在り、写
真のハチュカル(十字架石)が林立する墓地と
して知られている。
 私達が訪ねた日は雪が降りしきる荒天だった
が、一面純白の墓地に立つ十字架石が強烈な陰
影となって感動的な景観を作り出していた。
 墓碑の様でもあり、日本の板碑にも類似して
いる。
 碑面は様々な意匠の、十字架をモチーフとし
た図像で飾られている。ケルトの組紐模様の様
であったり幾何学的な図案で、十字架が荘厳さ
れているのである。
 単純な線の十字架だけを刻んだものも多い。
12~13世紀のハチュカルが大半らしいが、
一見しただけでは判別出来ない。
 石を立てることから生まれる神秘性への畏敬
は、洋の東西を問わないようだ。
 
 
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 サナヒンサナヒン修道院
   Sanahin  

         ARMENIA 
    
 
 
 中央の高地からグルジア国境に向かって流れ
るデベット川の渓谷沿いに、ここと後述のハフ
パト修道院とが在る。

 修道院の創建は10世紀で、その後13世紀
まで増築が進められたと言われている。
 写真は最初に入った主聖堂の前室(ポーチ)
で、豪快な柱頭とアーケードが重厚感に満ちて
いた。アルメニアの洗練されていない土着性と
は、こういうものなのだろう。この部分は12
世紀の建築だそうだ。
 全救世主教会である10世紀の主聖堂、11
世紀の聖グレゴリー円形教会と図書館、13世
紀の鐘楼等、多くの聖堂や建築が伽藍を構成し
て、壮麗で神聖な宗教空間を創出していた。
 伽藍内のあちこちに置かれたハチュカルから
は、芸術性に満ちた質の高さが感じられた。   
 
 
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 ハフパトハフパト修道院
   Haghbat 

         ARMENIA 
    
   
 
 前述のサナヒンから更に3キロほどグルジア
国境に近い谷間に、やはり10世紀に創建され
たこの修道院が建っている。
 どちらもアラヴェルディ
(Alaverdi) 地方
に属している。

 大きなドームのある聖ニシャン
(Nshan)
大聖堂が創建時のものであり、その後13世紀
にかけて多くの伽藍が増築されていった。
 11世紀の聖グレゴリー教会、13世紀の回
廊や図書館、そして少し離れた場所に建つ鐘楼
などが次々と建てられていったのである。
 聖堂の中に入ってしまうと、次にどの建物へ
移動したかが全く判らず、教会の名前を失念し
てしまったほど多くの聖堂が隣接して建ち並ん
でいる。

 写真は大聖堂のナルテックス(玄関間)で、
無骨で豪快な柱頭と束ね柱が壮大な空間を構築
している。
 13世紀の建築だそうだが、西欧のすっきり
とした意匠と比較すると、力強さは感じられて
もいかにも不細工であり、アルメニア独自の土
着性はここにも発揮されていると言えそうであ
る。
 アルメニア正教の独自性が、ギリシャ正教と
同じ東方正教でありながら異端とされたのは、
キリストの神性と人性の解釈の差にあるという
のだが、宗教芸術にまで波及しているのかどう
か迄言及するのは難しい。
 
 
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 トビリシアンティスハティ教会
   Tbilisi/Antishati Tadzari 

         GEORGIA 
    
    
 
 トビリシの町の旧市街、ムトゥクヴァリ川に
面した小高い場所に、この地味な聖堂が建って
いる。
 6世紀の創建と伝えられる切妻屋根のバシリ
カ建築で、トビリシでは現存する最古の教会で
ある。
 アルメニアやグルジアの教会では、ドームの
存在が看板のようなものだが、ドームの無いこ
の古典的なバシリカ形式の聖堂が無性に新鮮に
感じられた。

 川に面したほうは後陣で、ファサードは商店
の並ぶ旧市街の露地の中にあった。
 素朴な門を入り扉口を開くと、身廊は写真の
ような三廊式であり、素朴なレンガの太い円柱
のアーケードが目に飛び込んできた。素晴らし
い素朴さだ。身廊と側廊を仕切るアーケードは
左右二本づつの円柱が、祭室とは別に天井に三
つのベイを作り出している。
 天井は蒲鉾型の半円筒ヴォールトであり、柱
ごとに横断アーチが設けられているのである。
 円柱の柱頭は扁平な形状で、ギリシャの神殿
を想わせるほど古典的である。

 天井や壁面に描かれたフレスコ画は、精緻な
図像などがあって古色蒼然と綺麗なのだが、お
そらくは近世のものだろう。
 しかし、古い教会建築が放つ独自のオーラの
ようなものが、この聖堂からは感じられた。
 
 
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 トビリシシオニ教会
  Tbilisi/Sionis Sakatedro
        Tadzari
  

         GEORGIA 
    
   
 
 旧市街の静かな一画に建つ、グルジア正教の
総本山となっている重要な教会である。
 6世紀に創建されたと言われるが、現在見る
建築の大半は12世紀から13世紀にかけて再
建されたものである。

 内接十字形だが三廊式になっていて、身廊と
側廊とは中央の四本の柱によって仕切られてい
る。内陣から中央のドームを見上げると、異常
なほどの高さであり、背が高い細長い窓からは
溢れるほどの光が降り注いでいる。
 荘厳に装飾された堂内には、グルジアにキリ
スト教を伝えたとされるカッパドキアの聖ニノ
の十字架が飾られていたが、多分これはレプリ
カであったらしい。

 写真は聖堂背後からのものだが、中央のアプ
スと両側の小アプスとが、西欧の三後陣を見る
様で興味深かった。今回訪ねた教会の中では、
これと類似した様式は、後述のメテヒ教会だけ
だったと記憶する。
 ビザンチンでは方形の中に内陣を包含してし
まうことが多いので、ロマネスク的な後陣スタ
イルを見て喜んでしまった。これは西欧に影響
されたものだろう。

 信者が数多く訪ねており、生きた教会である
ことが分かる。
 聖堂内部の写真は禁じられていた。
 
 
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 トビリシメテヒ教会
  Tbilisi/Metekhis Tadzari 

         GEORGIA 
    
   
 
 ムトゥクヴァリ川対岸の小高い丘の上に建っ
ている、シンボリックな教会である。
 テラスに建つ騎馬像のゴルサガリ王により、
5世紀に創建されたと伝えられている。
 モンゴル侵入後の12世紀に再建されたもの
で、往時の面影を伝えるレリーフなどが、入り
口のポーチなど随所にはめ込まれている。

 聖堂建築はアルメニアにも共通する、典型的
なドーム式バシリカ様式である。
 写真でも分かるように、そのドーム式に西欧
風の後陣が取り付いた形になっている。これも
影響されたものと考えられる。
 今回は行けなかったクタイシ
(Kutaisi)
ゲラティ
(Gerati) 修道院にも12世紀初頭
の類例が在るそうだが、やはり三後陣の原点は
シリアのカラートサマーンかカロリングのバシ
リカに求めるべきだろう。

 内部に入ってみると聖堂の敷地面積は意外に
狭く、その割には天井やドームがとても高い。
荘重な雰囲気を創出するための、立体的な空間
の奥深さを感じさせる工夫なのだろう。
 建物全体が縦長であり、これは時代と共に垂
直性が強まってくるという歴史的法則をも立証
している。ドームの首部の長さととんがり屋根
の勾配が強い程、一般的には時代が下がると言
える。
 
 
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 アナヌリアナヌリ教会
   Ananuri  

         GEORGIA 
    
 
 
 トビリシからグルジア軍用道路を通って、一
日観光に出かけた。ロシアに通じる山岳道路を
使い、国境の町カズベキを往復するのである。
 最初のハイライトがこの教会で、ジンヴァリ
湖畔の景勝地に建つ美しい聖堂群だった。
 写真で分かるように、二つの教会が隣り合っ
て建っている。どちらも17世紀後半の建築で
ある。近代という感じがしてしまうが、日本で
言えば江戸初期に当たる。
 右の教会の壁面に、ユニークな十字架が彫ら
れており、旧アルメニアのトルコ・アクダマル
島の聖堂壁面彫刻を思い出すほど、鮮やかに人
物や動物や植物模様が彫り出されていた。特に
天使や龍の表現が傑出している。
 左の教会は、同時代とは思えぬプリミティブ
な建築で、レンガを積んだドームが特に異彩を
放っていた。
 休憩に立ち寄るだけでは勿体無いほどの、雰
囲気を持った教会だった。
 
 
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 カズベキツミンダ・
     サメバ(至聖三者)教会

   Kazbek 

         GEORGIA 
    
 
 グルジア軍用道路のほぼ終点で、これより先
は国境を越えてロシア領に通じているという、
正に大コーカサス山脈のど真ん中である。
 ここに至るまでに標高2395mの十字架峠
などの難所を通過するが、景観の迫力が全てを
圧倒する。
 写真はカズベキの町からの眺めで、雪のカズ
ベキ山 (5,047m) を背景にした二つの聖堂
が写っている。
 カズベキ山はこの後、なかなか顔を見せては
くれなかった。
 急斜面の丘の上に建つ教会で、ドーム式バシ
リカ聖堂ととんがり屋根の鐘楼が並んでいる。
 残念なことに、登って行くだけの時間も体力
も欠けていたのだった。
 14世紀に建造されたもので、素朴な雰囲気
の魅力的な聖堂であるらしい。だが、想像力は
そこまで及ばず、あそこからカズベキ山を眺め
たらどの様に見えるのだろうか、ということば
かり考えていた。
 
 
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 ムツヘタスヴェティ・
      ツホヴェリ大聖堂

  Mtskheta/Svetitskhoveli
        Tadzari
  

         GEORGIA 
    
   
 
 ムツヘタは古代イベリア王国(紀元前4世紀
~紀元後5世紀)の首都があった町というのだ
が、イベリア王国という名前は初めて聞いた。
いずれにせよ、由緒ある古い町だということだ
ろう。

 11世紀の初めに創建されたこの大聖堂は、
12世紀にトビリシに遷座するまでは総主教座
の置かれた教会だった。
 地震や異民族の侵攻によって度重なる修復を
余儀なくされ、現在見られる聖堂は16~17
世紀の改修によるものである。

 規模は大きいが基本的な構造はドーム式バシ
リカであり、ドームを中心にして切妻屋根が四
方に伸びている。
 写真は正面のファサードだが、バシリカの手
前に前室とナルテックスが付け加えられている
ので、その美しさが低減している様に思える。

 創建時代のものと思われる浮彫彫刻が、壁面
のあちこちにはめ込まれているので、これを見
るだけでも結構楽しいのである。特に正面破風
のアーチ状縁飾りの上の彫刻は、キリストと二
天使を彫った傑作だろう。

 4世紀に建てられたとされる小教会があると
聞いていたのだが、所在を確認出来なかった。
 
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 ムツヘタジュヴァリ教会
  Mtskheta/Jvris Tadzari 

         GEORGIA 
    
   
 
 クラ川 (Kura) を挟んでムツヘタ市街を見
下ろせる高い丘の上に建つ、6世紀に創建され
たという至極古い教会である。
 周辺は広大な草原なので、赤い屋根の集中式
ドーム型の聖堂が堂々と建つ姿がかなり遠くか
らもくっきりと見ることが出来た。
 (本頁巻頭に写真)

 円形の身廊の四方にアプスの付いた四葉型の
構造であり、その間にスクィンチ(小アーチ)
を組み込んで八角形としドームを載せている。
 平面は方形の内接十字形聖堂である。
 ドームの高さが比較的浅いことが、時代の古
さを証明しているようでもある。
 また、壁面やアーチの石が古色蒼然としてい
ることも、いかに古い建築であるかを物語って
いる。

 身廊中央に巨大な木造十字架が立っており、
これが聖ニノの十字架(ジュヴァリ)と伝えら
れていて、そのまま教会の名前となった。

 南側の扉口の上部半円形のタンパンに、彫り
の美しいレリーフが飾られている。
 二人の天使が、円環に囲まれた十字架を捧げ
持つ図像である。先端が三角になったマルタ十
字のような形が珍しいが、キリストの昇天を暗
示した「十字架昇天」の図である。もっと抽象
的な例だが、同じモチーフが前述のアルメニア
・セヴァン修道院のハチュカルに見られた。
 
 
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 アラヴェルディ
    アラヴェルディ大聖堂

   Alaverdi  

         GEORGIA 
    
   
 
 トビリシの東北、カヘティ Kakheti 地方
の中心地テラヴィの北約20キロに建つ聖堂で
ある。
 延々と続く牧草地や葡萄畑の彼方に、すっく
と立つドームの姿を見ることが出来た。

 塀に囲まれた領域が広いのは、6世紀に創建
された修道院が基礎となっているからだろう。
 かつては主教座が置かれていたので、現在も
アラヴェルディ大聖堂と呼ばれている。

 現在見られる聖堂は、グルジア教会建築の黄
金期と言われた11世紀に建てられたもので、
身廊や側廊部分であるバシリカが東西に長い長
方形である。
 さらに大きな特徴は、ドームの高さだろう。
屋根の頂点まで53mという高さは、2004
年にトビリシに至聖三者(ツミンダ・サメバ)
大聖堂が完成する迄は国内最高を誇っていた。
 15世紀末と18世紀半ばに大きな地震があ
り、かなりの部分が損傷したのだそうだ。
 現地ガイドの話では、写真に見えるバシリカ
側面の壁に露出した盲アーケード部分が11世
紀そのままだそうである。つまり、残りの大半
がその後に修復されたものという事になるが、
手前の玄関間を除いて、建築様式は変わってい
ないそうである。
 フレスコが綺麗な内部は撮影禁止だった。
 
 
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  テラヴィ聖マリア教会
   Telavi 

         GEORGIA 
    
   
 
 10~12世紀にはカヘティア王国の首都で
あったテラヴィの町では、旧市街の城砦跡など
を歩いた後、広場の突き当たりに建つこの教会
の建物を発見して直ぐに行って見た。全く想定
に無い教会だった。

 赤いレンガを積んだ、いかにも東方教会らし
い建物だった。東西に細長い聖堂にドームの載
った、典型的なドーム式バシリカ建築である。
 訪ねたのは夕方だったので、建物に夕日が当
たって陰影が美しかった。
 聖堂への扉口は写真の南側にあって、西の門
は閉ざされていた。

 内部はミサが行われていて、余り詳細には見
ることが出来なかったが、立派な仕切り壁があ
り、多くのイコンが飾られていた。高いドーム
が印象的だった。写真撮影は出来なかった。

 聖堂四方の壁面に施された装飾が躍動的であ
り、レンガだけで表現された美しい意匠だ。
 四方に設けられた切妻屋根の下壁に、十字架
が描かれている。両脇に花模様があり、二重の
アーケードが大胆である。壁面に連続するアー
ケードも、統一感のある落ち着いたデザインだ
った。
 偶然立ち寄ったこの教会の設立年代は不明だ
が、15~16世紀かと勝手に解釈している。
 
 
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 グレミグレミ修道院
   Gremi  

         GEORGIA 
             
 
 テラヴィの町の東北20キロに位置する古い
町で、この修道院は町外れの丘の上に孤高な姿
を示している。
 バスで通過した際の休憩のための単なる小休
止だったので、教会の近くまで登って行く時間
は無かった。
 グレミがカヘティ王国の首都だった16世紀
ごろに建てられた教会とのことだったが、城壁
や城砦を伴って生き抜いてきた激動の歴史が見
えるような佇まいである。
 現地ガイドは「大天使教会」と案内していた
が、正式名かどうかは判然としない。
 八角形のドームが載ったバシリカ様式で、大
天使ミカエルを連想させるような毅然とした姿
が美しかった。
 建築は典型的な様式で、破風部分などはテラ
ヴィの教会にとても似ているように思えた。
 
 
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