スイスオーストリアのロマネスク
              Romanesque
             in Switzerland and Austria

              















 スクオルの旧市街

 
Altstadt/Scuol
 Unter Engadin
 
Swiss


         
 アルプスの北側には稀少ではあるが、興味深いロマネスクの遺構が
         残されている。スイスではライン・ロンバルディア・ブルゴーニュな
         ど、隣接する地方からの影響が大きい。
          オーストリアのロマネスクの中心は、ウィーンではなくザルツブル
         グだった。代表的な三つの寺院を探訪してみた。
    

     

    
    
     ミュスタイア大修道院付属教会
       Müstair/Stiftskirche
    
    
   北イタリアのメラーノから65キロ西
  に走り、国境を越えてスイスに入った最
  初の集落に、このベネディクト会の洗礼
  のヨハネ大修道院が建っている。
   訪問の目的は、三廊式の身廊に三つの
  祭室が有る付属教会で、カロリング建築
  の上部はゴシックに改修されている。し
  かし、壁面を飾るフレスコ画は、カロリ
  ング朝からロマネスクにかけての作品で
  あり、保存も良くその秀麗さに眼を見張
  ってしまった。
   写真のフレスコ画は、身廊の壁面に描
  かれている、幼児虐殺を回避するための
  「エジプトへの逃避」の場面である。壁
  画全体が朱色を中心に描かれており、悲
  壮な主題としては珍しい表現だ。
   三つの祭室に描かれたフレスコは荘厳
  で、天使に囲まれた栄光のキリストを中
  心に、キリスト生涯の物語や使徒達の逸
  話によって埋め尽くされている。
   石柱に彫られたカール大帝の像と、キ
  リスト洗礼のレリーフは見逃せない。   
       

    
    
     ムラルト(ロカルノ)聖ヴィットーレ教会
       Muralto (Locarno)/Chiesa di San Vittore
    
    
   美しいマジョーレ湖畔の町ロカルノの駅近くにム
  ラルト地区が有り、湖と駅の望める小高い場所にこ
  の教会が建っている。
   聖堂は三廊式で各々が祭室を持っているが、目的
  のフレスコ画は正面扉口を入って直ぐ、身廊右壁面
  の上部に残されていた。
   写真は、カインが神に奉げ物をするという、旧約
  聖書の場面である。淡い色彩ながら、ロマネスク期
  特有の人間的な温か味が感じられる素晴らしいフレ
  スコだった。残存するのはごく一部なのだろうが、
  他にも、神に罰を請うアベルやアベルを埋葬するカ
  インなど、アベルとカインの逸話が主題になってい
  る。自己犠牲と神への忠誠という、なんとも難しい
  テーマである。
   中央祭室の下の地下クリプトは、20本の柱を持
  つ三廊式の美しい空間だった。天井は塗り替えられ
  て新しいイメージだが、柱頭と柱礎に彫られた彫刻
  は、清楚だが幻想的なイメージに満ちた図像だ。人
  物や動物の顔と、植物模様とを組み合わせたものが
  大半で、プリミティブだが確たる美意識が感じられ
  て感動した。
         

    
    
     ジョルニコ聖ニコラオ教会
       Giornico/Chiesa di San Nicolao
    
    
   聖ゴッタルド峠を越えて、ミラノとチューリッヒ
  を結ぶ国道沿いに在るこの町は、高速道路の開通に
  よって取り残された宿場町といった風情であった。
  渓谷に架かる石橋からは、古い家並みの向こうにこ
  の鐘塔が良く見えた。
   不揃いな切り石を積んだ、窓の少ない純朴な感じ
  のする構造で、単身廊のバジリカ聖堂である。方形
  に半円形の付いた祭室が飛び出しており、軒下のロ
  ンバルディア帯装飾が美しい。
   彫刻による装飾は比較的少ないのだが、随所に意
  匠の優れた細工を見ることが出来る。正面扉口には
  ロンバルディア特有のライオンが柱を支えており、
  柱頭部分には髭男の顔、その他あちこちに奇妙な動
  物像が散りばめられているのである。写真に見える
  南の扉口周辺にも、妙な図像の彫刻が在る。
   さらに面白いのは内陣半地下のクリプトで、細い
  柱と半円アーチが印象的なのだが、柱頭の彫刻には
  眼が釘付けになってしまった。兎・犬・獅子・羊・
  鳩などをモチーフとした、彫刻の動物園である。夫
  々が何かを象徴しているのかと考えたが、思いつか
  なかった。   
         

    
    
     ネグレンティーノ (プルージアスコ)旧聖アムブロジオ教会
       Negrentino (Prugiasco)/ Chiesa di Sant'Ambrogio vecchio
   
    
   ビアスカからルコマーニョ峠へと通じる街道の
  途中に、プルージアスコの小さな村がある。街道
  から離れ、集落を抜けて山道をかなり登って行く
  と、渓谷の展望が開けたあたり、一面の花に囲ま
  れた山腹に、写真のような愛らしい教会の後陣と
  鐘塔が見える。
   礼拝堂のように小さな教会で、二つの祭室が見
  えるが、塔に近いほうが11世紀の建築である。
  隣は後世に追補されたと思われる。西門の扉口は
  現在は閉鎖されており、南側の入口から中へ入っ
  た。入ってみて驚いた。外側からは想像もつかな
  いが、全ての壁や柱や祭室は鮮やかな色彩のフレ
  スコ画で飾られているのである。
   心を静めてよく見ると、ほとんどはゴシックや
  ルネサンス時代のフレスコらしい。しかし、11
  世紀側の閉じられた扉口上部のフレスコだけは、
  燦然とロマネスクの光を放っている。キリスト昇
  天と、それを祝福する六人の使徒を描いた部分で
  ある。
   落ち着いた彩色と具象の品格が、ロマネスクを
  追いかけて来て良かったと実感させてくれる。   
        

    
    
     ツィリス聖マルティン教会
       Zillis/Kirche Sankt Martin
    
    
   単身廊のバジリカ式聖堂はロマネスク様式だが、
  祭室は明らかにゴシック以後の補修による。山に囲
  まれた美しい聖堂も魅力だが、ここではすぐに内陣
  へ入り、上を向かねばならない。
   12世紀に制作された天井画で、153枚のパネ
  ルが組み込まれている。見学者のために手鏡が用意
  されていて便利だが、左右逆に見えているのが何と
  なく厭で使わなかった。見学には双眼鏡を使い、撮
  影は望遠レンズを用いた。
   9列17段に組まれているが、外周の内の40数
  枚だけは、黙示録の原初の大洋や怪物を主題とした
  抽象的な図像である。
   残りの大半は、キリストの生涯の場面と、聖マル
  タンの伝説が描かれている。写真はその内の6枚で
  あるが、左上が「ヨルダン川のキリスト洗礼」、右
  上が「石をパンに変えろと試みるサタンの最初の誘
  惑」、左中は「カペナウムの町の収税吏に招かれる
  イエス」、右中は「魔物にとり憑かれた子供を癒す
  イエス」、左下は「障害者を癒すイエス」、右下は
  「聖ペテロと聖トマに従う人々」である。
   全ての図像が示す説得力にすっかり魅了され、い
  ったい何時間上を向いたままだっただろうか。 
        

    
    
     カスティ教会
       Casti/Kirche
    
    
   ツィリスの在るヒンターライン渓谷が
  造る急峻な山の斜面には、村の礼拝堂と
  もいうべきこじんまりとした教会が点在
  している。パスペルス
(Paspels)、カジス
  
(Cazis)、クルギン(Clugin)などの教会に
  はいずれもロマネスク時代の面影を伝え
  るフレスコ画が残されていた。
   その中で最も高い場所に建っていた、
  このカスティの教会が一番印象に残って
  いる。後陣の裏からは、遥か崖の下の先
  にツィリスの教会が見える、そんな牧歌
  的な場所である。
   写真は教会南側の牧草地から、塔や後
  陣と背後に広がる山の斜面を眺めたもの
  である。飾らぬ素朴な建築が、この一帯
  の風土と融合して絵のようだった。
   幸運にも正面の扉は開いており、内部
  を見ることが出来た。祭室のドーム部分
  の壁には、明らかに栄光のキリストと、
  四福音書家のシンボルである動物が描か
  れているのが分かる。かなり剥落してい
  るが、ロマネスクを充分伝えて美しい。
           

    
    
     ミスタイル聖ペーター教会
       Mistail/Kirche Sankt Peter
    
    
   サン・モリッツからツィリスへ向かう途中の、
  ティーフェン・カステル
(Tiefen-Castel) の町外
  れの谷底にこの教会は在る。
   私道かと思われる細い砂利道を下ると、一軒の
  農家の庭にたどり着いてしまう。教会はその奥に
  隣接しているので、母屋に声をかけるが留守の様
  だった。教会の扉は開いているようだったので、
  失礼を承知で庭先を抜け、内陣に入る。祭室は三
  つ有るが単身廊で、塗り替えた壁の白さが目に付
  いてしまう。
   中央の祭室の壁面に、鮮やかな色彩のフレスコ
  画を見ることが出来る。天使に守護された玉座の
  キリスト像である。十二使徒や聖母子像なども見
  られるが、特に顔などは修復の痕跡が強く、ロマ
  ネスクが生き残っているのを探すのに苦労した。
   カロリング朝以来の聖地として著名だが、その
  面影はほとんど見当たらなかった。
   教会の背後から眺めた後陣と鐘塔は、深い谷の
  鬱蒼とした森の中で羽ばたく白鳥のように優美に
  見えた。
        

    
    
     グルク大聖堂
       Gurk/Der Dom

                        Österreich

    
   オーストリア南部の中心都市であるク
  ラーゲンフルト
(Klagenfurt) の真北、山
  あいの鄙びた谷間にこの教会は建ってい
  た。かつては司教座参事会大聖堂であっ
  た。現在は観光化されていて自由に入れ
  るが、目的のロマネスク壁画とクリプト
  を見るためには、申し出てガイドを依頼
  せねばならない。
   ロマネスク壁画は玄関の真上にある司
  教礼拝堂
(Bischofskapelle) に残されて
  いる。狭い螺旋石段を登ると、いかにも
  神聖な空気に満ちた部屋に着く。
   小さな空間だが、壁から天井まで隙間
  無く描かれたフレスコは、貴重な図像と
  して注目に値する。赤がやや色褪せ、緑
  が主体となって残っている。
   写真は「東方三博士」だが、「天上の
  エルサレム」「エジプト逃避」「アダム
  とイヴ」「聖母子」など、格調高い図像
  を見ることが出来た。
   半円アーチと交差
穹窿が、単純だが美
  しいクリプトも見応えが有った。
      

    
    
     ミルシュタット修道院付属教会
       Millstatt/Stiftskirche

                          Österreich

    
   イタリアのヴェネツィアからウディーネを経由
  してオーストリアに入り、ザルツブルグを目指す
  道の右手に美しい湖が見える。ミルシュタット湖
  といい、夏には賑わう一流のリゾートである。
   修道院は湖を見下ろせる斜面の中腹に位置して
  おり、菩提樹の茂る中庭が濃い陰影に浮かび上が
  って、訪れる者に安らぎを覚えさせてくれる。
   教会扉口の彫刻はロマネスクの装飾で、タンパ
  ンにはキリストと創建当時の修道院長の姿が彫ら
  れている。扉口を飾る彫刻は壮麗で、植物や網目
  の模様の間から人物の顔が覗いているという奇妙
  な意匠である。
   内陣はゴシックやバロックに改修されており、
  かなりの金きらである。人間の持つ美意識と時代
  性について、考えざるを得ない。
   かつては繋がっていたはずの回廊が、孤立して
  残されていた。壁面が塗り替えられているので、
  やや違和感があるものの、写真のような、清楚で
  優美な柱頭が、ストイックだった修道院の面影を
  伝えているようだった。教会とを結んでいた、か
  つての扉口周辺の彫刻が見事だった。
         

    
    
     ラムバッハ修道院付属教会
       Lambach/Stiftskirche

                         Österreich

   
   ザルツブルグからウィーン方面へと約100キロ
  走り、リンツの手前で高速を下りる。ラムバッハの
  町の入口を流れる川辺からは、崖の上に聳える壮大
  なバロック修道院が眺められた。
   この建築の一体何処にロマネスクが有るのだろう、
  と思わざるを得ない程完璧なバロックなのである。
   事務所で案内を請うと、一人の初老の司祭が私た
  ちを奥へと誘導した。ロマネスク時代の聖堂の袖廊
  部分だけが、バロック建築の裏側に保存されていた
  のだった。ほとんど埋もれていたフレスコ画が、近
  年発掘され修復されたのだという。
   11世紀末の制作とのことだが、主題については
  余り理解出来なかった。中央は聖母子像なのだが、
  東方三博士以外はローマ皇帝ヘロデを主題にしてい
  るという話が特に難解だった。司祭の英語がまずい
  のか、私のヒアリングがお粗末なのか。
   この側面の写真は上手く撮れたけれど、中央祭室
  は暗くて撮れなかった。第一、司祭が余り良い顔を
  しなかったので、枚数は限られたのである。
   いずれにせよ、ビザンティンの雰囲気をも感じさ
  せるこれらの美しいフレスコ壁画が、このバロック
  の国に残されていた事が嬉しかった。   
        

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