山陰山陽地方の庭園 
 
      
 
  三仏寺 投入堂(国宝)
 
鳥取県三朝町三徳山

  岩をよじ登り鎖に伝わって、ようやくこの聖
 地に達する。
 
 京都を中心とした庭園文化が地方へと伝播した背
景に、文化を発信した藩主の趣味の良さが不可欠と
すれば、山口や松江や岡山は大層恵まれていたと言
えるだろう。

 中国地方では、真偽はともかく雪舟作と伝わるに
ふさわしい名庭が数多く残されている。余り知られ
ていない美しい庭も、併せてご紹介する。
 
 
-------------------------------------------------------- 
     
    
  曹源寺庭園
    
          (岡山市中区)
     
      
 
 岡山市街には旭川と百間川が流れており、二つの
川の間に円山という丘陵が横たわっている。円山の
南麓に建つ当寺は、樹林を背景とした誠に風光明媚
な地区である。
 岡山池田家二代藩主綱政公が創建した臨済宗の禅
寺で、歴代藩主の墓所も在る池田家菩提寺である。
 総門、三門、仏殿が直線に連なる寺域は森閑とし
ており、並みの寺とは格段違う格式の高さを感じさ
せる。
 仏殿の右に方丈が建ち、その奥に深い緑を背にし
た壮大な池泉庭園が広がっていた。後楽園などを造
築し、庭園に格別の思い入れがあった藩主綱政公の
家来、津田永忠の作と伝わる。江戸初期の最後、元
禄年間の庭園である。
 楕円形の大池泉で、この期の池泉庭園には中島が
配されるのが通例であったが、ここでは、池の正面
に、あたかも中島と思えそうな出島が意匠されてい
る。石組の大半が、この出島に集中している。
 写真は、その出島の中央部に組まれた石組で、そ
の向こう側に三段の滝組が成されているのだが、樹
木や植栽に囲まれて見えない。写真の石組は、滝石
組そのものではないが、滝組最下部の脇に配された
集団石組である。枯滝石組のようにも見える豪快な
石組で、出島全体の中でも一際目を引く存在となっ
ていた。
 出島の左右護岸にも石組が成されているが、丸石
が多く、江戸中期にかかった時代性を示しているよ
うにも見えた。   
 
 
-------------------------------------------------------- 
     
    
  金山寺庭園
    
          (岡山市北区)
     
    
 
 JR津山線牧山駅の西側の、岡山市内とはいえ何
とも辺鄙な山間に建つ、奈良時代に創建されたと伝
わる古刹なのである。
 現在は天台宗のお寺だが、近年重要文化財だった
本堂が消失したそうだ。
 御住職にお願いをして、江戸期の庭園を見学させ
ていただいた。「重森先生が調査に見えたこと、よ
く覚えています。草ぼうぼうでお恥ずかしいが。」
と申されて案内して下さった。
 雑草が繁茂していたが、池泉の地割や石組はちゃ
んと保存されていたので安心した。
 右奥の滝石組、石橋、飛び石と出島、手前にもう
ひとつの石橋、などが確認出来る。さらに左手の築
山にも趣味の良い石組が見えた。
 雑草を除去すれば、たちまち見違えるような庭園
が出現するだろう。
 
 
-------------------------------------------------------- 
     
    
  妙教寺庭園
    
          (岡山市北区)
     
      
 
 創建は奈良時代と伝わる古刹で、現在は日蓮宗寺
院となっている。正式には最上稲荷山妙経寺と称し
 最上稲荷”とも、地名から“高松稲荷”とも呼ば
れている。豊川稲荷(妙厳寺)も同様だが、明治の
廃仏毀釈を逃れた、神仏混淆の名残ともいえそうで
ある。

 庭園は、客殿書院の奥に展開しているのだが、右
手に茶席、左手に渡り廊下が迫っていて、妙に細長
い平面プランとなっている。当初はもっと広かった
のだろうが、年代と共に建築が増えてきた、ものと
思われる。
 最上部に豪快な枯滝を組み、山畔の斜面を利用し
て枯流とし、中段にも枯滝を意匠して豪壮な石組が
連続している。桃山期とされる理由がここいら辺り
にありそうである。
 写真は、大分前に撮影したものなので現状は判ら
ないが、植栽が繁茂し過ぎて庭の命とも言える石組
を完全に覆ってしまっている。絵の前に紙を貼った
ようなものではないだろうか。この植栽を愛でるの
は、その紙が綺麗だなどと言っているのに等しいの
だ、ということを知るべきだろう。
 ずっと手前に池泉があるが、後世に改悪されたも
ので、実に陳腐な池泉と化している。
 成すべきことは明白で、稀代の名庭を生き返らせ
る見識を、管理者にはぜひ持っていただくことを切
望するものである。    
 
 
-------------------------------------------------------- 
     
    
  旧杉原氏邸庭園
    
          (岡山市北区足守町)
     
     
 
 従前は吉備郡足守町だったが、現在は岡山市北区
に合併されている。
 豊臣秀吉の正室北政所(ねね)の兄木下家定に始
まった足守藩の城下町で、現在も武家屋敷や商店の
家並みを見る事が出来る。
 杉原(椙原)氏は代々伝わる国家老の家柄で、江
戸中期に建築された家老屋敷が庭園と共に残されて
いた。
 円形の枯池の正面に枯滝石組みが三尊形式で組ま
れ、鶴石や亀石、舟石らしい遺構も見られることか
ら、遠州流の庭園と解説に記されていた。
 土地柄の遠州流説はともかく、家老とはいえささ
やかな地方武士の屋敷に、かくも本格的な枯山水庭
園が築かれた事は注目に値する。小庭ながら、当主
の審美眼の洒脱さが感じられて嬉しかった。
 
 
-------------------------------------------------------- 
     
    
  蓮台寺庭園
    
          (岡山県倉敷市児島町)
     
     
 
 奈良時代に行基が開基したとされる由緒深い古刹
で、現在は厄除け霊山として知られる真言宗の寺院
である。
 旧児島市の由加に在るが、正式には瑜伽と記す山
の麓に位置している。
 隣接する由加神社と併せて「由加山」と称してい
る。
 客殿で円山応挙の絶筆「竹鶏図」を拝観した後、
客殿のすぐ裏側に築造されている枯山水庭園を見学
した。
 余りにも植栽が多いので、石組の概要すら見えな
い。奥の院へ登る石段の脇でもあり、傾斜はかなり
急だが、石組はしっかりと組まれているように見え
る。江戸末期作の庭園とされているが、斜面に組ま
れた石組の面白さが予見される。ツツジ鑑賞のため
だけの庭にしておくことは、余りにも見識不足と言
わざるを得ないだろう。
 
-------------------------------------------------------- 
     
    
  頼久寺庭園
    
          (岡山県高梁市)
     
     
 
 小堀遠州が作ったとされる庭というのは数多いの
だが、大徳寺孤篷庵などの数庭以外確証の有るもの
は少ないと言う。天下の大名が直接作庭するなど滅
多に無い筈だから当然だが、ここには実際遠州が滞
在していたという記録が有るらしい。
 石組、白砂、大刈込が主役の庭で、特に背後の刈
込の壮観な眺めが絶賛されるが、私は刈込も含めた
地割の見事さと、写真の鶴島石組の卓越した美意識
がこの庭の価値を決定付けていると思う。
 中心に立つ石と他の石とが作り出す、緊張したモ
ニュメンタルな関係こそが、石組の美しさの原点だ
といえる。
 庭は一人の作者によってのみ造られるのではなく
或る指導者の元で、或る技術集団が携わって完成す
るものだろうと思う。
 その意味では「遠州指揮の庭」程度は信じてみた
い気分になる。
 この辺りは高梁城下の寺町で、しっとりとした古
い町の情緒を味わいながら歩くのも悪くない。他の
何箇所かの寺院にも、古い庭園が残されている。
 
 
-------------------------------------------------------- 
     
    
  旧松山城居館跡庭園
    
          (岡山県高梁市)
     
     
 
 小堀遠州が造築したとされる松山城の御根小屋書
院は現存しないが、跡地には現在県立高梁高校が建
っている。
 その高校の玄関前に、一部だが当時の庭園跡が残
されている。
 写真は池泉庭園の中心であった枯滝石組である。
三尊様式の何とも豪放な立石群で、護岸に亀頭石が
残っていることから、築庭当時には鶴石を兼ねた蓬
莱石組でもあったことが想定出来そうである。
 出島の在る心字池だが、この石組周辺以外の護岸
などは、大半が修復改造されてしまっている。
 それ故に、桃山の気風を伝えるこの石組を含め、
遠州の作庭した遺構であると信じたい気分である。
 
-------------------------------------------------------- 
     
    
  巨福寺庭園
    
          (岡山県高梁市)
     
     
 
 前述の頼久寺から南、臥牛山麓に沿った一帯は龍
徳院、巨福寺と続く寺町である。この寺は、14世
紀に創建された日蓮宗の寺院で、「こうふく」寺と
読む。
 庭園は山側に細長い枯池を配し、中央奥に三尊形
式の枯滝組を設けた枯山水庭園である。
 石は総じて小振りではあるものの、護岸石組など
にも立石が多く、枯滝の右に連なる築山にも多くの
石が意欲的に組まれている。
 余り上等とは言えない写真しか撮れなかったのが
残念だが、江戸初期の地割とやや力弱い中期の石組
という要素が感じられる。景観良く、趣味の良い枯
山水、と言えそうである。
 
 
-------------------------------------------------------- 
     
    
  薬師院庭園
    
          (岡山県高梁市)
     
     
 
 寺町をさらに南へ歩くと、松蓮寺と並んだこの薬
師院が見えて来る。小高い場所に建つ二つの寺は、
その石垣と白い土塀が丸で城壁の様に見える。
 花山天皇の開基と伝わる10世紀創建の古刹で、
薬師如来を本尊とする真言宗の寺院である。
 庭園は山麓の斜面を利用して、細長い流れが二つ
の池泉を結んでいる。
 写真は左手の池泉と築山部分で、護岸や池中、山
畔に至るまで、立石を中心とした意欲的な配石を見
ることが出来る。写実と抽象の間を散歩する気分に
させてくれた、小生の思い出の中では“隠れ傑作”
という存在である。
 やや石が散漫な感は拭えないが、江戸末期にもこ
んな庭が在ったか、という驚きは大きい。
 
 
-------------------------------------------------------- 
     
    
  重森三玲記念館庭園
    
          (岡山県吉備中央町)
     
      
 
 稀代の造園家であり、日本庭園史上に多大な功績
  を残した故重森三玲氏の故郷は、旧賀陽町現在の吉
  備中央町の吉川であった。
   氏に所縁の吉川八幡宮に隣接して、氏を顕彰する
  ための記念館が創設された。
   ここには、氏に関する多くの資料が展示されてお
  り、氏が創作した処女作茶室「天籟庵」が、茶庭・
  露地と共に邸宅から移築されている。創造力に溢れ
  た瑞々しい感性が発揮された、創作的な茶室だ。

   記念館の創設に併せて、天籟庵を背景にした空間
  に、三玲の庭を思わせるような石庭が創作された。
  重森千青(ちさお)氏の力作であり、三玲の境地に
  は程遠いものの、意欲的に組まれた石組からは“石
  を組む”という庭の原点を思わせる、情熱のような
  熱いものが感じられて嬉しかった。

   奥の三尊石組みが「三」を、手前の石組が「令」
  を表わし、写真の左外に組まれた四石による「王」
  を併せて「三玲」を象徴したのだという。
   ストレート過ぎてやや陳腐さが感じられるモチー
  フなのだが、いけばなや書道に格別秀でた才能のあ
  った三玲氏に捧げた、“白砂に描いた石の書”と理
  解できるのではないかと感じた。
 
-------------------------------------------------------- 
     
    
  安養寺庭園
    
          (岡山市中区)
     
      
 
 写真からは想像がつかないほど、手前の建物と庭
園との間には隙間が無かったので、広角レンズで無
理矢理撮ったものである。
 現在の建物と庭とは余りにも接近しすぎているの
で、当初の建築とは全く関係が無いだろう。おそら
く当初の庭の相当部分は削られ、ほんの一部が残っ
ているものと思われた。しかしそれでも、残された
蓬莱山かと思われる豪快な石組は、圧倒的な美しさ
を呈していた。

 崩落したり倒壊した石組も見受けられたが、中央
の遠山石から下方の池泉へと至る階段状の石組は、
桃山期の豪壮な美意識を備えた力強いものである。
 池に掛かる二枚の薄い石橋は、創建当初のもので
はなさそうだが、趣味の良いもので決して邪魔には
なっていない。
 また、植栽がかなり繁茂しており、これが豪健な
石組の魅力を大きく奪っていることに気が付かねば
ならない。一見甚だ荒廃した庭に見えるが、本来の
庭園美を充分に秘めた小生には好みの庭である。
 
 
-------------------------------------------------------- 
     
    
  安国寺庭園
    
          (岡山県津山市)
     
     
 
 津山の町では、衆楽園を見てからこの安国寺を訪
ねた。
 石組主体の庭園が好きな私には、ほとんど石組の
見られない回遊を目的とした大名庭園である衆楽
には失望した。景観は美しいとしても、護岸などの
安易な処理が目立ったからである。
 それ故に、やや荒廃してはいるものの、石組を主
体に意匠されたこの庭の迫力の方に魅力を感じたの
だった。
 山畔に沿って細長い池泉が展開する手法は江戸初
期のものであるが、石組にやや弱さが見られるので
中期に近いかもしれない。
 写真は左側の出島周辺のもので、亀頭石らしき斜
立石が亀島を暗示する。
 さらに奥の斜石は、暗いためにはっきりと見えな
いが、枯滝石組の一部らしい。
 右側に配置された石橋や全体的な護岸石組は、造
形力を失いつつある時代を物語ってはいるものの、
端正な造形には好感が持てる。
 
 
-------------------------------------------------------- 
     
    
  大通寺庭園
    
          (岡山県矢掛町)
     
     
 
 矢掛の宿場町を抜け、しばらく行くとこの静かな
寺にたどり着く。
 石寿園の名の通り、書院の北側に累々と築かれた
石組を中心にして、造形意欲満々の庭園が展開して
いた。
 地元の文人画家の作と判明しているそうで、時代
は江戸末期とのことだ。
 手前の瓢箪池、反石橋の意匠、右手奥の洞窟石組
や左奥の豪壮な三尊石組など、見どころいっぱいの
庭となっている。
 石を組み、理想世界をイメージさせる空間を構築
する、という作者の意図は見事に成功していると思
う。しかも、安直な自然模倣をするのではなく、石
組という抽象的な観念の世界を造形したのであり、
自然主義が横行した時代にあって見事と言うしかな
い。
 角の無い丸石が利用されている事や、回遊用の石
段が目立つこと、不細工な灯篭が存在する事などに
は目をつぶることにした。
 
 
-------------------------------------------------------- 
     
    
  興禅寺庭園
    
          (鳥取県鳥取市)
     
    
 
 鳥取は裏日本へ通じる要衝の地として栄え、城下
町らしい雰囲気を今日に伝える魅力的な町である。

 見るべき古庭園の多い事に驚いた。観音院・旧宝
隆院・芳心寺・本慈院その他、美しい景観を保って
いる名園揃いである。
 中でもこの興禅寺は、石組好きの私にとって、最
も感動した庭だった。
 手前に細長い池泉を設け、山畔へ向けた築山に石
を組む、という典型的な江戸初期の地割である。
 蓬莱庭園であり、築山の石組は枯滝で鶴石組を兼
ね、手前出島の石組が亀石組となっている。
 鶴亀のワンパターンは好みでは無いのだが、そう
した既成概念とも言うべき視点を意識させぬ程の力
強い石の組み方が何とも魅力だった。築山のさりげ
ない石組も、なかなか洒脱である。
 
 
-------------------------------------------------------- 
     
    
  観音院庭園
    
          (鳥取県鳥取市)
     
     
 
 書院に座してこの庭を眺めた時、先ず目に入るの
は手前の大きな池泉と山畔を利用して大らかに傾斜
する築山である。
 広大すぎて対岸の石組が良く見えないのが難点だ
が、左側の中島は明らかに亀島として意匠されてお
り、ここでも蓬莱式のワンパターンかと思ったが、
鶴が見当たらなかった。
 しかし、ここの解説書には、右手前の出島が鶴島
として意匠されていると書かれており、成程そうい
うものかとは思ったが、最後まで感服は出来なかっ
た。
 景色が大きいので捉えどころが無いのだが、全体
的に大らかで広がりの感じられる静寂な空間が素晴
らしい。
 滝石組部分は植栽に隠れて見えず、護岸には小さ
な石が用いられており、格別抜きん出た石組などは
全く見られないのだが、山畔の斜面と池泉の優雅さ
が絵画的であるところに魅力がある。
 
 
-------------------------------------------------------- 
     
    
  本慈院庭園
    
          (鳥取県鳥取市)
     
     
 
 天文年間(16世紀)に創建された日蓮宗の寺院
である次掲芳心寺の塔頭で、山門へ至る参道の手前
の左手にこの寺が在る。
 写真に写っている小さな池と、斜面に組まれた石
組の一団だけで構成された小庭である。この空間だ
けのために意匠されたとは思えず、おそらくはもっ
と大きかった庭園の一部だったのではなかろうか。
 石を組んだというよりも、斜面に石を積み上げた
という方が相応しいかもしれない。中央が滝組のよ
うにも見え、一見無骨な荒廃庭園という印象を受け
る中、少し見直してみる気にさせられた。
 荒々しく見えるが、様式化した中に活路を見出そ
うとする、江戸末期の造形的意欲の痕跡を感じたの
は、小生の思い入れ故の偏見だったのだろうか。
 
 
-------------------------------------------------------- 
     
    
  芳心寺庭園
    
          (鳥取県鳥取市)
     
     
 
 鳥取市には幾つかの著名な古庭園がのこされてい
るが、この庭ですら知る人はあまり多くはないだろ
うと思う。
 芳心寺の山門の脇に小さな池泉庭園が在ったが、
前述の通り塔頭寺院である本慈院の庭園である。
 芳心寺庭園は書院の奥にあり、山畔との狭い空間
が巧みに利用されている。
 ほとんど紹介されたことの無い庭園だが、幽邃な
雰囲気がとても素晴らしいし、石組に鋭い美意識の
片鱗を見ることが出来るのが嬉しかった。
 滝石組や護岸石組が意欲的に成されており、江戸
中期ごろかと思われるにしては、きりりとした美し
さが感じられる。
 残念なことは樹木や植栽が繁茂しすぎており、肝
心の石組の大半を隠してしまっていることだった。
 ここでは石組が命であり、植栽の適度な伐採を切
望するものである。
 
 
-------------------------------------------------------- 
     
    
  深田氏邸庭園
    
          (鳥取県米子市)
     
      
 
 事前に庭園の見学をお願いしてあったのだが、快
くご承諾を頂戴し、当主御夫妻にご案内していただ
いた。小川氏と同様に名門の家系とはいえ、一般の
民家の庭が、それも専門家の判定では鎌倉時代にま
で遡るとされる庭が、今日まで営々と伝えられた事
に敬意を表さざるを得ない。

 蓬莱庭園としての池庭には、恒例の鶴亀両島の石
組が有る。私はこの画一的な様式が余り好きではな
いが、深田邸の鶴亀はものが違う。形状は鶴亀をイ
メージさせるが、石組として生き生きとしているの
が嬉しかった。
 この庭で何よりも注目したのが、写真の三尊石組
であった。石質そのものがいかにも古い時代を想定
させるし、三尊の並び方がなんとも大らかであり、
少しも巧んでいないところに惹かれてしまった。
 三石のバランスの良否よりも、三尊の仏が具現し
たかの如き雰囲気を創出するという稀有の意匠を賞
賛したい。
 出来るだけ植栽を減らしつつ、今日の環境が末永
く維持されんことを心から願うものである。
 
 
--------------------------------------------------------
     
    
  雲樹寺庭園
    
          (島根県安来市)
     
     
 
 安来市の中心から南へ10キロの場所に建つ、鎌
倉末期に創建された臨済宗の禅寺である。参道に在
る同時代の四脚門と、新羅時代鋳造の朝鮮鐘(いず
れも重文)で知られている。
 庭園は、方丈の背後の斜面を背景として造庭され
た枯山水庭園である。
 写真で見る通り、出島の在る池へ山畔から渓谷が
流れ込む様を抽象化してある。築山や護岸の石組は
峨々たる峰々を象徴し、石橋がそこへ至る渓谷の径
を意味しているのだろうが、やや配石の力量不足は
否めないだろう。
 芸術性の高さは抽象の意味深さに比例する筈で、
その意味からはやや凡庸な抽象に終わってしまった
感が強い。
 江戸末期の作とのことだが、当代らしいという見
方もありそうだ。
 
 
-------------------------------------------------------- 
     
    
  足立美術館庭園
    
          (島根県安来市)
     
     
 
 中根金作、小島佐一両氏が作庭した“日本一”有
名な庭園だろう。
 小生はこの庭に何の先入観も偏見も持たずに接し
てみたかったのだが、そもそもそう考えることが既
に偏見になっていたかもしれない。
 ともあれ、いきなりの第一感は「壁いっぱいに描
かれた細密画」だった。
 と同時に思ったのは、これだけの壮大なスケール
に、ちまちました小細工のような植栽や石は似合わ
ない、ということだった。凄いのだが何かが違う。
 修学院上の茶屋には、滝石組も鶴亀石組も不要で
あるように、ここでは通常の植え込みや配石ではな
く、大刈込や大瀑布といったスケールの違う躍動的
な表現方法に挑戦してほしかったというような気も
する。
 常識外れな大きさの空間に、常識的な作庭をつな
ぎ合わせただけの庭、というのが小生のへそ曲がり
的感想であった。
 
 
-------------------------------------------------------- 
     
    
  乗光院庭園
    
          (島根県松江市 <旧東出雲町>)
     
    
 
 この旧東出雲町は、松江、安来両市に挟まれて合
併話が絶えなかったが、近年松江市に併合されたと
いう。
 このお寺は、旧東出雲町の上意東という在に建っ
ている。石段を登り、山門を入ると直ぐに本堂が建
っている。
 庭園は本堂の裏側の山畔の傾斜を背景として築庭
されており、石組と植栽が用いられた枯山水庭園で
ある。
 上部に鶴石を兼ねたような三尊形式の滝石組が組
まれ、そこから渓流となって山裾を右から左へと流
れ出る、という景観となっている。滝周辺に若干の
立石が見られるが、やや弱々しい表現となっている
のは、江戸末期という時代性なのだろうか。
 ここでもサツキの植栽が大き過ぎ、山畔に組まれ
た石組が見えない。残念なことに、石組が主役であ
ることが忘れられているのである。
 
-------------------------------------------------------- 
     
    
  桜井氏邸庭園
    
          (島根県奥出雲町)
     
      
 
 和鉄の大供給地であったこの一帯で、松江藩から
製鉄業務の認可を許されていた桜井家は、この地方
随一の名家として隆盛を極めた。18世紀に建築さ
れた屋敷群は、国の重要文化財に指定されており、
往時の繁栄振りを伝えている。

 庭園は屋敷の書院南部から東部へと鍵型に開けて
おり、山畔から滝が流れ落ちている。松平不昧公が
この庭を訪ねた際、背景の山を寿宝山、滝を岩浪と
命名したそうで、少なくとも不昧公在世の頃(江戸
末期)の作庭と考えられるだろう。

 写真は、鍵型池泉の左側からの眺めで、池泉に突
き出た出島と先端の岩島、岩浪滝から続く渓流と石
組、などを写したものである。
 滝はどこまでが自然なのか判然としないが、穏や
かで清雅な庭園景観の中心を成している。
 迫力に欠けた江戸末期の自然主義の庭、と言って
しまえばそれまでだが、滝下部分や護岸にはかなり
意欲的な立石も見られ、創造性に欠けた時代とされ
る中にも、それなりの造形的な工夫が凝らされてい
たことを表わしている。   
 
 
-------------------------------------------------------- 
     
    
  絲原氏邸庭園
    
          (島根県奥出雲町)
     
     
 
 桜井家と同様に武家の出ながら、製鉄業で成功し
たこの地の名家である。
 壮大な規模の屋敷と庭園は、藩の財政を支える程
であった当家の存在感を証明しているようだった。
 書院の南側に広がる池泉庭園で、右手の山畔を利
用したまことに水清き庭である。写真には写ってい
ないが、右方に自然の滝が落ちている。流れに沿っ
た護岸石組があるが、植栽に隠れてほとんど見えな
い。
 池泉は写真中央奥へと続いており、石橋の向こう
に更にやや小さい池泉が連なっている。手前の立石
が示すように、配石感覚に優れた人が作庭したと思
われ、かなりの数の石組が確認出来るのだが、いか
んせん植栽が密林の如く繁っており、完全に植木の
見本市になってしまっている。
 事業と同様に、ぜひ庭の本質を見極めた管理をし
ていただきたいものと強く念ずる次第である。
 
 
-------------------------------------------------------- 
     
    
  旧卜蔵氏邸庭園
    
          (島根県奥出雲町)
     
     
 
 古代より奥出雲では砂鉄精錬が行われ、近世には
製鉄の豪商が多く輩出された。桜井氏邸、絲原氏邸
と共に著名な卜蔵氏邸だが、現在その庭園は横田町
公民館の庭となっている。
 私達が訪ねたのは99年の夏だったが、かなり整
備されており、かつて枯れていた滝や池には水が有
って、従来の姿に戻っていたようだった。
 豪壮な滝石組は三段になっており、見事な立石が
組まれている。植栽で見えない部分もあるが、なか
なかに見応えのある滝である。
 桜井氏と絲原氏の庭園は江戸末期から明治のもの
だが、ここは明らかに2世紀は遡れるだろうと思っ
たら、案内看板に元禄期の作庭と書いてあった。
 江戸初期、出雲地方屈指の古名庭だと思う。
 
 
-------------------------------------------------------- 
     
    
  康国寺庭園
    
          (島根県出雲市国富)
     
     
 
 平田市のお寺という思いが強いので、現在は出雲
市に併合されてはいるものの、鰐淵寺や一畑薬師と
共にやはり“平田市”でなくては困る。
 鎌倉末期の元亨期に創建された臨済宗の禅寺で、
やや赤味を帯びた一面の砂庭である。唯一の点景が
飛び石と敷石で、茶庭のセンスを枯山水に持ち込
んだというような、当時としては斬新な意匠だった
のだろう。
 松平不昧公の庭師澤玄丹による、天保年間(江戸
末期)の作である。
 松江の菅田庵に見られる露地の美しさと、広大な
枯山水とのコラボだったのかもしれない。
 砂庭を取り囲んでいる大刈込や植栽との対比、さ
らに左側に広がる人工池の向こうの自然、などを取
り込んだ借景の要素も見られる。
 
 
-------------------------------------------------------- 
     
    
  小川氏邸庭園
    
          (島根県江津市)
     
      
 
 山陰旅行の際に私が妻と訪ねた時、当家の奥様が
歓待してくださった。この庭園を誇りに思われてお
り、最も美しい姿で管理維持されることに喜びを感
じておられる、と伺った。名家とは言え民家の、そ
れも気の遠くなるような時代の庭が、今日まで伝わ
った事だけでも奇跡に近いのだが、こうした認識が
家訓として継承されたからこそだろう。
 雪舟作庭説などあまり信じる気は無いが、その山
水を彷彿とさせるような鋭い抽象が成されているこ
とは事実だ。石組には室町期らしい、品格有る絵心
いっぱいのセンスが溢れている。

 近年石組周辺の植栽だけを一切撤去したとのお話
には、思わず膝を叩いてしまった。庭に対するしっ
かりした歴史認識と美意識がなければ、到底出来ぬ
決断である。お陰で、石組の命が蘇った。
 事実古い専門書の写真では、かなりの石組が繁茂
した植木の陰に隠れて見えなかったようで、現状と
は雲泥の差だった。
 三尊石を滝組の中心として、滝が下部の枯池に落
ち込む様を力強く石を組むことによって表現した、
震えるほど感動的な作品である。
 
 
-------------------------------------------------------- 
     
    
  大麻山神社庭園
    
          (島根県浜田市三隅町)
     
     
 
 三隅の町からやや離れた、石見連山一画の大麻山
山頂にこの神社は在る。
 庭園は社務所の書院に面しており、元来は旧社坊
尊勝寺の庭園であったという。江戸初期の造庭との
ことだが、石組の表情がこれを立証している。
 山畔全体に雄渾な石組が意欲的に配されており、
見事な景観を見せる。
 かなり植栽が繁茂して石を隠してしまっているの
だが、それでもなお充分な見応えが有る。
 中央が枯滝を象徴する三尊石組で、景観の中心的
な存在となっている。
 全体に石はやや丸みをおびたものが多いのだが、
配石の妙とでも言うべきか、力感豊かな迫力と美し
さを備えている。
 築山の頂上からは日本海が望め、改めてこの庭の
特異な立地条件を思い知らされることになった。
 
 
-------------------------------------------------------- 
     
    
  龍雲寺庭園
    
          (島根県浜田市三隅町)
     
     
 
 当寺の所在は石州半紙で知られる旧三隅町で、現
在は浜田市と合併している。かつては棚田が広がっ
ていた高城山麓の、穏やかな風光の中に建つ曹洞宗
の古刹である。
 本堂の裏手に、写真の池泉庭園が広がっている。
斜面を利用して築山とし、山裾に細長い池泉を設け
ている。山畔の左右両側に、三尊石手法の滝石組を
置き、池へ流れ落ちる様を石組で表現している。
 写真は右側の滝組付近の景観で、石橋や護岸石組
が見られるが、石が小振りであり何よりも石組に力
が感じられない。しかし、江戸中期頃の貴重な遺構
なので、かなりの荒廃は残念だが、上手に保存して
ほしい。
 四角の刈込は棚田を意匠したものなのだろうか、
完全に浮いている。
 
 
-------------------------------------------------------- 
     
    
  万福寺庭園
    
          (島根県益田市)
     
     
 
 山口の常栄寺と九州英彦山の旧亀石坊には、明確
な雪舟作庭を裏付ける資料が残されているが、それ
以外にも益田の医光寺、前述の小川氏邸、宮島の旧
西方院など雪舟の作庭とされる庭は多く、この万福
寺もまたその範疇に入る。
 短絡に雪舟造庭説を受け入れるつもりは無いのだ
が、寺伝等客観的な資料も有るので、ここは一番信
じてみることにした。

 この庭を前にして最初に感じたのは、築山の須弥
山石組を象徴的に見せるための中景としての集団石
組と、池や汀の護岸、さらに右側の出島と滝組が前
景となっていることだった。大層絵画的であり、ま
たすこぶる抽象的でもある。

 意匠の全てが山口の常栄寺庭園における美意識に
類似しており、また石組の表現にも室町期の気品が
よく表されている。雪舟説を意識せずとも、この庭
園の示す引締まった美しさには感動する。
 
 
-------------------------------------------------------- 
     
    
  医光寺庭園
    
          (島根県益田市)
     
     
 
 益田では万福寺と共に、雪舟作庭説の伝わる庭園
である。素晴らしい庭に違いはないが、こちらの印
象は雪舟の水墨山水の世界とは、やや異質の美意識
で成り立っているように思えた。
 一方、やや小振りの石を絵画的に配した手法は、
室町期の庭を証明しており、出島の石組は万福寺や
旧亀石坊に似ているような気もしてくる。素人の限
界を感じたので、時代的詮索はこのあたりで中止す
ることにした。
 中央の出島は、左奥の亀島に対する鶴島であった
のだろうが、趣味の良い石組で、景観の中心となっ
ている。亀島の右の植栽に隠れた所に枯滝石組があ
り、これも室町期らしい美しさである。
 山畔の刈込は立派だが作為的過ぎて、この抽象絵
画的な石組主体の美しい庭に合わない。昭和に修復
の手が入っているとのことだが、今日見る優れた景
観は、充分に古庭の風格を保持している。
 
 
-------------------------------------------------------- 
     
    
  明王院庭園
    
          (広島県福山市) 
     
     
 
 国宝の本堂と五重塔と合わせ、庭園及び石造七重
塔の見学を事前に申し込んであった。
 庭園は写真の如くこじんまりとした池泉庭園で、
桃山期の作庭とも言われているが、見た限りでは江
戸中期くらいかと思えた。
 書院の背後、護摩堂の崖下に位置し、そこへ通じ
る渡り廊下が庭園を囲んだ形になっている。
 植栽が多く石組や護岸が隠れているが、左側の滝
石組や鶴亀石組あたりには創造的な意欲が感じられ
た。周辺の建造物に調和するような作庭が成された
ようで、大仰な主張は無いものの、品格ある小庭と
言うことができるだろう。
 書院東側の苔の平庭も、落ちつた雰囲気の空間と
なっている。
 
 
-------------------------------------------------------- 
     
    
  安国寺庭園
    
          (広島県福山市)
     
      
 
 足利直義の建立した安国利生塔の一つが鞆の安国
寺だが、その後は荒廃を極め本堂と庭園の一部が残
存しているに過ぎなかった。
 庭園は1965年に故重森三玲氏によって復元さ
れ、安国寺恵瓊によって作られた桃山期の庭が蘇っ
たのである。

 1982年に、仙酔島へ行きたいという家内の両
親の希望で、鞆の浦を旅した際に訪ねて以来、安国
寺訪問は久しぶりだった。現在の庭園の状況がどう
なっているのか気になっていたのだが、周辺はかな
り整備されたものの、庭園は従前のまま保存されて
いるようだった。

 庭園全体は平庭枯山水で手前に鶴島・亀島・石橋
などが意匠され、一番奥に築山が設けられている。
 写真は、築山に立てられた枯滝石組と、流れや護
岸石組などである。斬新な滝の意匠が恵瓊のものな
のか、はたまた三玲氏のものなのかは判然とはしな
いが、いずれにせよ優れた造形感覚を見て取ること
が出来る。

 私はスコットランドのあちこちに見られる、古代
の立石(メンヒル)を連想していた。
 
 
-------------------------------------------------------- 
     
    
  浄土寺庭園
    
          (広島県尾道市)
     
     
 
 聖徳太子開基と伝わる古刹で、国宝の本堂、多宝
塔や石造塔など多くの文化財が保存されている。
 以前見た庭園は、全庭が植栽に囲まれていて、さ
ながら植木見本市状態だったが、大きく繁茂してい
た植栽がすっかり除去され、築山全体の石組が見事
に顔を出していた。
 どのような判断と決断が成されたかは不明だが、
作庭の履歴が立証された江戸末期の名庭がようやく
復活した事は間違いない。
 花を愛で、植物を大切にする精神は尊いが、庭園
の命ともいえる地割や石組を覆い隠してしまっては
本末転倒と言えるだろう。英断に敬意を表したい。
 
 
-------------------------------------------------------- 
     
    
  照蓮寺庭園
    
          (広島県竹原市)
     
     
 
 小京都竹原の町並の一番奥に、小早川家所縁のこ
の寺が泰然と建っている。
 庭園は本堂と書院の間、山畔の池泉を中心にして
展開している。
 江戸初期の築庭とされるが、近年崖崩れの際に土
砂に埋まり、ようやく復元されたものと聞く。
 写真は池泉内の中島で、反り橋と石橋が両岸を繋
いでいる。
 中央に立てられた蓬莱石が印象的だが、島全体が
亀島石組となっている。背後の大刈り込みや山裾の
細長い池泉、鋭い石組など、江戸初期の特徴を残す
落ち着いた庭園である。
 “小祇園”と称され、昔から名園として名高く、
頼山陽も本庭を詠った詩を残している。
 
 
-------------------------------------------------------- 
     
    
  料亭「半べえ」庭園
    
          (広島県広島市) 
     
    
 
 つつじ園として知られた広島遊園地を利用して、
昭和45年に故重森三玲が作庭した壮大な池泉庭園
である。現在は料亭「半べえ」の庭として一般公開
されている。
 氏が晩年に手がけた松尾大社の池泉庭を彷彿とさ
せる程、戦慄的な立石が所狭しと配されている。壮
大な龍門瀑や見事な青石の三尊石組など、贅を尽く
した素材を思いきり用いられた費用リスクの無い仕
事だったようだ。
 純粋に造形的な創造に取り組めたのだろうと思う
と、作庭家冥利に尽きる作品と言えそうである。
 
 
-------------------------------------------------------- 
     
    
  縮景園庭園
    
          (広島県広島市)
     
    
 
 成金自然主義の大名庭園が大嫌いなのだが、栗林
公園や徳島城千秋閣などといった例外も多く、ここ
広島浅野家の縮景園もその一つなのである。
 なぜなら、この庭の築造に、当時広島藩に召抱え
られていた上田宗箇が大きく関わっていたらしい、
という伝承が残っているからに他ならない。
 中国西湖を縮景したとされるが、その規模にして
は大味な印象は少なく、随所に宗箇らしい豪快な意
匠が散りばめられている。
 写真は護岸石組の一部だが、桃山期らしい豪放な
感覚が伝わって来るではないか。宗箇が作庭した粉
河寺や千秋閣の壮絶なまでの迫力には及びもつかな
いが、心なしか和歌山城の庭園には似ているような
気もする。
 
 
-------------------------------------------------------- 
     
    
  永興寺庭園
    
          (山口県岩国市)
     
     
 
 “ようこう”寺と読む。
 余り知られていないお寺だが、小生の父のルーツ
である岩国最古の寺院ということなので御紹介して
みた次第。
 庭園は岩国市指定の名勝とのことで、お寺の説明
では夢窓国師の作とされているようだ。何の根拠も
無いのだが、写真の左手奥に龍門瀑らしき石組の痕
跡が残っており、そのあたりから派生した説だろう
と思う。鯉魚石も確認出来た。
 自然の岩盤と石組を組み合わせた平庭で、通路な
どが設けられており、かなり改造されたらしい。石
組に見るべき部分もあるが、全体的には平板と言わ
ざるを得ない。   
 
 
-------------------------------------------------------- 
     
    
  松厳院庭園
    
          (山口県岩国市) 
     
      
 
 岩国市の南部に藤生(ふじゅう)町という一画が
あり、そこの西側の山裾のような小高い場所にこの
お寺が建っている。
 室町時代の創建で当初は臨済宗だったそうだが、
現在は独立系の寺院となっている。

 本堂の東側は一面苔の平庭になっており、背の低
い土塀の向こうに瀬戸内海を望むことが出来る。

 本堂の南側に隣接して茶室「松濤軒」が設けられ
ており、さらに南側に斜面を利用した築山と、その
裾を囲うようにして池泉が配されている。写真は茶
室に最も近い石橋から、滝石組を眺めたものだが、
上部に建っているのは観音堂である。
 築山の斜面にはおびただしい数の石が意欲的に組
まれているのだが、植栽もまた溢れる程の量が生い
茂っている。折角の石組を覆い隠しており、そもそ
も目障りなほど乱雑に見えてしまう。
 一刻も早く、無粋な石灯篭と共に、植栽の大半を
除去する勇気を持てば、必ずや斜面に展開する石組
の美が復活するだろう。
 最上部の滝石組も植栽でほとんどが隠れており、
美しいと思われている植栽こそが無用なのである。
名画を布で覆っているようなもの、と敢えて申し上
げておきたい。
 
 
-------------------------------------------------------- 
     
    
  漢陽寺庭園
    
          (山口県周南市)
     
      
 
 中国道鹿野ICの東1キロに座す禅寺で、応安七年
(南北朝中期)に大内氏庇護のもと名僧用堂明機禅
師によって開かれた。
 山門からの境内は、禅寺に相応しい凛然とした厳
粛な雰囲気に満ちていた。
 ここには故重森三玲が心血を注いで創作した庭園
が六つもあるという、庭好きにはたまらない別天地
だった。

 山門に至る参道の右手に構築された「曹源一滴の
庭」に度肝を抜かれる。巨石を累々と組み上げた創
造力には感服する。イメージは松尾大社や粉河寺に
通じているようだ。

 写真は庭園群の中心的存在となっている方丈の南
庭「曲水の庭」である。従来は枯山水であるべき場
所なのだが、湧水豊かなこの地の特性を生かし、設
計に敢えて遣水を取り入れたそうである。観音霊場
に相応しい補陀落山をイメージした豪壮で造形力に
溢れた石組、苔を一面に配した築山、そして白砂の
対比が創出する空間の中に流れる静謐な清水。かく
も庭を劇的に演出した造園家はいなかっただろう。
 建物の周囲に築堤された他の四庭も、それぞれに
個性的な造形が成され、伝統を踏まえた上での意欲
的な挑戦に心が躍ってしまう。
 
 
-------------------------------------------------------- 
    
    
  普賢寺庭園 
    
          (山口県光市)
         
     
 
 この庭園にも、他の山口県の庭園同様雪舟の作庭
説が有るのだが、明らかに水墨山水画的な発想とは
異なっており、否定されねばならない。
 広い平庭式枯山水で、石組はこの枯滝石組を中心
として左隅に集中している。
 三尊石組でもあり、中心石は2m余りの巨石でま
ことに剛健である。

 一見桃山期を思わせるが、枯山水の地割と、豪快
な中にも、秘められた繊細でノーブルなセンスが感
じられ、限り無く桃山に近い室町末期とするのが最
善と考える。
 三尊石の前には、畳状の石による石組が成されて
おり、これは大変珍しいもので、不思議なリズム感
に満ちている。
 簡明ながら実に豪放な庭園で、自由な発想から作
庭を行った作者の美意識はまことに非凡である。 
 
 
-------------------------------------------------------- 
    
    
  桂氏邸庭園 
    
          (山口県防府市)
         
     
 
 毛利家の家臣であった桂忠晴が、江戸初期正徳年
間に作庭したものと伝わっている。しかし、石に鋭
さが全く見られないことから、江戸末期の作とも考
えられる。
 案内の解説によれば、禅を修得していた忠晴が、
「碧巌録」の中の「智門般若体」という問答の寓意
を、石組によって表わしたものだそうだが、蒟蒻問
答でもあるまいに、そもそも禅問答を我々素人がそ
う簡単に理解など出来るわけがなかった。
 問答に出てくる兎と月の寓話を具象化したとされ
る、奥のL字型の石組から“月の桂の庭”とも称さ
れる。
 龍安寺の如く、白砂と石のみで表現されているの
で、禅の哲学や理念の奥深さをつい深読みしてしま
いたくなる。しかしここでは、空間芸術としての石
庭を、モニュメンタルな作品として純粋な造形とし
て観る以外に方法は無さそうである。
 高度な禅の理念を具象化したものなのか、それと
も真面目を装った石の冗談なのか、この庭と対峙す
ること、そのものが禅問答のようである。
 
 
-------------------------------------------------------- 
    
    
  宗隣寺庭園 
    
          (山口県宇部市)
         
     
 
 鎌倉南北朝時代の庭園ということで、期待を抱い
て訪山した。

 背後の山畔を利用し手前に池泉を配した、まこと
に幽邃な雰囲気に満ち溢れている庭園だった。
 大小の池泉が瓢箪形で繋がっており、池中には写
真で見る通り干潟が作られ、更に数個の石が二列に
並んでいる。この石組は夜泊石組と呼ばれ、全てが
鎌倉時代を物語っている。
 京都西芳寺や金閣寺、積翠園のものが最も有名だ
が、いずれも夜停泊している宝船の景を象徴してい
るらしい。

 私たちが訪れた時は池がやや涸れて、干潟が露呈
していたが、もう少し水位が高ければ夜泊石らしく
なっただろうと思う。小さな石だけの石組だが、洒
落た概念を抽象的に造形するという、中世の美意識
の奥深さが伝わってくるような貴重な遺構だろう。
 写真は2019年に再訪した時に撮影したものだ
が、日差しが強く上手く撮れなかった。池の水量は
理想的だったようだ。
 重森三玲氏によって修復が成されたそうだが、夜
泊立石の鋭敏な美しさにその痕跡が残されているよ
うに感じられた。
 
 
-------------------------------------------------------- 
    
    
  常栄寺庭園 
    
          (山口県山口市)
         
     
 
 山口に大内氏が居城を構えていた室町時代に、画
僧雪舟が築庭したとされる根拠が明瞭な作品の一つ
である。
 写真で観るように、手前には累々たる山並みを象
徴するが如き石組を壮大に組み、その奥の山畔に池
泉と滝石組を配するという、まことに気宇壮大な構
想である。画聖雪舟でなければとても成し得ない業
である、と言われれば、そんな気もしてくるし、正
直言えば、雪舟の描いた山水図のイメージとは余り
関係の無いデフォルメであるような気もする。
 絵画の如く、近景・中景・遠景を意識した地割が
成されているのは事実だ。
 作者はどうあれ、卓越した意匠から受け取るこ
の出来る感動に、些かの曇りも無い。
 庭園奥部へ歩いて行って見たが、龍門瀑形式の滝
石組や鶴亀石組の有る池泉部分は、より立体的であ
り、また違った表情を見せていた。
 
 
-------------------------------------------------------- 
    
    
  龍蔵寺庭園 
    
          (山口県山口市)
         
     
 
 山口市の西、滝河内川の源流近く、鼓の滝と大銀
杏で知られる山奥の名刹である。
 山門横に在る雪舟伝説の残る庭園を、故重森三玲
氏が補修した。
 山畔に流れを取り込み、細長い池泉を設け、出島
や護岸に立石を配した石組を意匠している。
 雪舟作と伝わるだけの秀逸な説得力のある石組が
見られるが、三玲氏の造形がどこまで食い込んでい
るのかは不明だ。しかし、石組主体の、鮮烈な印象
を受ける秀逸な庭園である事に何の変わりもない。
 
-------------------------------------------------------- 
    
    
  善生寺庭園 
    
          (山口県山口市)
         
     
 
 山口市の東、JR上山口駅の直ぐ裏山に建つ中世
寺院である。
 大内氏の重臣が創建した関係から、ここでも雪舟
作庭説が流布している。
 本堂の南庭だが雑草が繁茂し過ぎているために、
美しいとされる池泉を中心とした地割が全く見えな
いのが無念だ。
 右奥滝組からの枯流れと、両側の石組の片鱗が見
えているが、金網越しに絵画を眺めるようなもので
あり、真の美しさを鑑賞するには程遠い。
 改修されているとは言え、非凡な造形性の感じら
れる庭だけに、適切な整備を切望するのみである。
 
 
-------------------------------------------------------- 
    
    
  花江茶亭庭園 
    
          (山口県萩市)
         
      
 
 萩城(指月城)は毛利輝元が慶長年間に築いた、
毛利氏の居城であった。
 城址の一画に、毛利家ゆかりの茶室「花江茶亭」
が建っており、その前面に枯池を配した枯山水庭園
が残されている。

 庭園の中央へは石橋がかかっていて中島のようで
あり、また築山のようにも見える。
 写真は築山の頂上に組まれた三尊石組で、やや傾
斜した主石や添石の感覚には、鋭い美意識が感じら
れる。
 三尊石を中心にして、山畔から護岸へ至るまでか
なりの石組が成されており、雑草などが繁茂しやや
荒廃はしているものの、全体が傑出した石組中心の
庭園となっている。
 やや後方に陰陽石らしき石組が見られるが、単な
る堕趣味であって庭園の造形に格別の意味は成さな
い。

 城址にはもう一つ庭園が在る。二の丸の東園址苑
池で、大正時代に旧状に復元されたものらしい。護
岸石組の整った、優雅な池泉庭園である。

 山口県(周防・長門)の岩国が小生の第二の故郷
なので、格別の思い入れがあることを御容赦いただ
きたい。
 
 
-------------------------------------------------------- 
        
     このページTOPへ
 
     次のページ (四国庭園) へ 
 
     西日本の庭園 
 
      日本庭園TOPへ
 
     総合TOPへ   掲示板へ