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| 近江(東部)の庭園 |
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近江(滋賀県)は京の都に隣接しており、か つては都も置かれた古い文化の伝わる土地柄で あった。 庭園や石造美術の隠れた宝庫であり、京都ほ ど華やかではないが、洗練され造形性の豊かな 作品が数多く点在している。 便宜上東西に分けて掲載するが、湖北の西浅 井町と湖東の安土町・東近江市以東を「東部」 とした。 玄宮園庭園 滋賀県彦根市 八景亭と彦根城が望める |
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| 青岸寺庭園 (滋賀県米原市) |
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初めてこの庭を訪れたのはもう40年 も前になるが、その時にはあまりに広大 な庭に所狭しと石組みが施されているこ とに驚愕し、何処を見ればよいのか戸惑 ったものだった。 のびのびとした地割に、心の赴くまま に石を組んだといった風情の庭だが、奥 の滝石組を中心に、鶴亀島や護岸の石組 すべてまことに繊細な美意識に支えられ ており、石の多さから感じる上辺の派手 さだけを見ていたのではこの庭の本質は 把握出来ないだろう。 美しい庭においては、石は決して単独 で存在するのではなく、常に近くの石と の間に密接な協調関係、もしくは反発す る緊張関係を持って立っている。そのス リリングな力関係をどう演出するかが、 石組の最も面白いところかもしれない。 楽楽園と作者は同じと聞くが、こちら の方が自由闊達で大らかな石組がなされ ているように思える。若干のしまりの無 さが欠点かもしれないが、個々の石組の レヴェルは梵百の及ぶところではない。 |
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| 福田寺庭園 (滋賀県米原市近江町) |
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福田寺は長沢御坊と呼ばれる、1300年の 歴史を持つ古い寺である。 初めてこの庭を見た印象は、なんと物静 かで上品なんだろうという事だった。しか し、詳細に眺めてみると、厳選された石が 無駄なく、しかも鋭く張りつめた美意識に 基づいて組まれていることに気付いたのだ った。 手前を枯池とし、山畔の三尊石による滝 組を中心として、その右の滝添石からさら に右の築山の石組へと石が豪快に組まれて いる。 桃山の豪壮な面影の中に、最初に物静か と感じさせた繊細な緊張感が秘められてお り、江戸初期の庭が示す調和の取れた美し さを見せてくれる、小生好みの庭のひとつ である。 近年再訪したが、かなり荒廃しており、 適切なる管理維持を強く望むものである。 |
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| 徳源院庭園 (滋賀県米原市山東町) |
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このお寺訪問の目的は、実は京極家歴 代の墓地に並ぶ宝篋印塔群にあった。最 古の塔は永仁三年(鎌倉後期)の銘があ る傑作だった。 庭園の存在を御住職から伺い、驚いて 拝見させていただいたものである。 山畔の斜面を利用した閑寂な庭園で、 枯池の周辺に護岸石組などを配している。 かつては池泉回遊式の庭だったが、池 は現在枯池となってしまっており、滝石 や護岸の石組もかなり荒廃している。 写真は、そんな中で最も力強さを見せ る枯池左手の集団石組で、豪快に石を組 み上げた須弥山石組のようだ。 作庭された江戸初期らしさを留めてい るのは、どうやらこの石組と山畔の池の 形だけだろう。 滝石組の全貌が、植栽で見えないのが 残念だった。 |
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| 大通寺含山軒庭園 (滋賀県長浜市) |
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大通寺は東本願寺長浜別院という大寺で、含 山軒・旧学問所・蘭亭の三箇所にそれぞれ小庭 ながら美しい庭園が残されている。 写真は含山軒の前庭で、左奥に築山を配し、 そこを背景として立派な枯滝石組が組まれてい る。ほぼ円形の枯池には、亀島らしき中島が意 匠されており、江戸中期の様式をはっきりと見 ることが出来る。 福田寺の庭に似た立石主体の滝石組だが、石 の表情にどこか様式のみに傾斜する弱さが感じ られる。桃山の豪快な面影を残す江戸初期との 違いは、この様式化しつつ草創期の力強さを失 っていく度合いの差かもしれない。 しかし、地割の意匠と石組との均衡が程よく とれているので、滝石組を中心とした景観はと ても美しく感じられる。 伊吹山の借景を意識して意匠されているとの ことで、実際その山容を眺めることができるの だが、敢えて山の見えないアングルから写真を 撮った。伊吹山の美しさを鑑賞するために、こ のような豪壮な石組の前景が果たして必要だろ うか。借景否定論者としての主張なのだが・・ |
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| 大通寺蘭亭庭園 (滋賀県長浜市) |
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蘭亭書院の庭園はやや荒廃おり、 現在は枯池に見えるが、従来は池泉 庭園であった。 書院南側の小庭だが、細長い池の 向こうが出島のようになっており、 そこに築山を設けて滝石組を組んで いる。 写真左奥に、その立石群を中心と した滝石組が見える。林立する様は 豪華で、意欲的な石組なのだが、時 代的な弱々しさが見えるのは致し方 ないのだろう。 手前の斜石が魅力で、橋添石か亀 頭石と思ったが、違和感の感じられ る切石橋を後補とすれば、護岸石を 兼ねた蓬莱石と考える方が正しいか もしれない。 荒廃の度は激しいが、趣味良くま とまった雰囲気のある庭園である。 |
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| 長浜八幡宮庭園 (滋賀県長浜市) |
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八幡太郎義家の創建と伝えられる、 長浜曳山祭りで有名な古社である。 その後盛衰を繰り返していたが、豊 臣秀吉が今浜(長浜)に封じられて以来、 その庇護の下に栄えたという。 現在も広い境内を有しているが、そ の頃の面影を伝えるものは少ない。池 泉の中島の一画に残る庭園の石組部分 のみが、当時の力強い戦国時代の美意 識を伝えている。 写真中央やや右側に巨石を立てた三 尊石組が在り、その左に向かって枯滝 石組のようになっている。 かつての庭園のごく一部でしかない のだが、石組が示す磊落な豪壮さは、 これだけで十分観賞に値する見事な遺 構である。 このようなけれんみの無い大らかさ が桃山期の特徴であり、失われたであ ろう庭の大部分を、残された石組から 想像する程楽しい作業は無い。 |
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| 旧汲月亭庭園 (滋賀県長浜市) |
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現在は三菱樹脂が所有しているので、 事前に見学をお願いしてあった。 かつて前述の長浜八幡宮の別当寺であ った、妙覚院の庭園の遺構である。 秀吉の家来であった曽呂利新左衛門の 作庭であるというので、これは眉唾もの かと思ったのだが、信頼に足る文献に書 かれているそうなので信憑性は高いらし い。 写真でお分かり頂けると思うが、最奥 に三尊石によって枯滝を組み、見事な立 石の辺りから手前まで、枯流れが意匠さ れている。 まことに小庭ながら、立石の豪快さと 洒脱な地割とが見事に融合しており、品 格も備えている屈指の傑作である。 惜しむ無くは、大きな植栽の刈り込み が石組を隠しており、無駄の無い配石の 妙を見るのに大いに邪魔となっている。 また、手前の飛び石も後補で、折角の美 観の妨げとなっている事を知ってほしい。 <非公開> |
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| 池氏白雲堂庭園 (滋賀県長浜市浅井町) |
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この庭を訪ねたのは約25年前のこ とである。事前に往復葉書で見学の許 可を頂いていたが、当主夫人の歓待に 甘え、かなり長時間写真を撮っていた 事を覚えている。 個人所有であり、植栽が多いのは致 し方ないが、手入れの行き届いた完璧 な維持管理に感心したものだった。 まことに壮大な庭園で、正面に写真 左手の滝石組が築かれている。 桃山期を連想させるような豪壮な石 組だが、どこかに繊細な翳りが含まれ た江戸初期の美しさの特徴を見ること が出来た。 傾斜させた石の美しさは格別で、粉 河寺の石組を見る思いだった。 右手前は亀島石組であり、残念なが ら見えないが後方に立石鋭い鶴島が配 されている。 武家の系統とは申せ、民家の庭園と して今日まで、かくも豪壮な景観を保 持されてこられた当家歴代に敬意を表 したい。<要予約> |
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| 孤篷庵庭園 (滋賀県長浜市浅井町) |
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京都大徳寺孤篷庵の作庭で名高い小堀遠州の 菩提を弔うために、その子小堀宗慶が同名の寺 を創建したものである。 庭園は江戸初期から中期にかけてのものと小 生は感じたが、正しいかどうかは判らない。石 組の力強さと地割全体の弱々しさが、どっちつ かずの中間を考えさせてしまうからである。 しかし、やや荒廃しているとは申せ、三尊石 が構成する滝石組付近の緊張感は見事であり、 周囲の景観を引き締めている。これみよがしで 大袈裟な石組とは対極に位置する、洒脱で俊敏 な感性を感じることが出来る。 池泉部分と枯山水部分とが在るが、特に写真 の三尊石付近は、小庭ながらも繊細な美しさを 示している。 手前に舟石が置かれているが、蓬莱世界を予 感させるという舟石そのものに余り造形性を感 じない小生には、とても脆弱な意匠に思えてな らない。舟そのものの形をした石を置く、とい う短絡な発想が好きでないのだ。 だが、全体的に清雅な印象を残す、まことに 爽やかな庭である。 |
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| 玉泉寺庭園 (滋賀県虎姫町) |
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長浜を中心とした東浅井郡一帯は、 戦国時代の華麗な舞台となった地域で ある。浅井家の小谷城、姉川の古戦場、 秀吉の拠点となった長浜城など、つわ ものの夢の跡としての雰囲気に満ちて いて、旅する者の想像を豊かにする。 この寺は、比叡山延暦寺の名僧良源 の誕生地として名高い。 庭園はかつて存在した書院の庭で、 手前に細長い池泉が造られ、亀島に石 橋が渡してある。この部分はかなり荒 廃しており、後世に改修の手が入って いると思われるのは残念だった。 白眉は写真の滝石組部分で、正面の 築山に豪放な立石を組んで枯滝を意匠 している。まことに優れた石組で、江 戸初期の力強さに続く時代の作だろう と思う。 亀島の石組に対する、鶴石組として の意図も感じられる。 |
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| 浄信寺庭園 (滋賀県木ノ本町) |
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旧北国街道の通る木の本宿は、宿場の面影を 色濃く残した静かな町である。昨晩泊まった須 賀谷温泉で飲んだ、清酒“七本槍”の醸造元を 訪ねるほうが先になってしまった。 浄信寺は木の本地蔵として知られ、眼病平癒 に霊験ありと聞いていた。 庭園は書院後方に在って、国の名勝に指定さ れているというが、指定の理由は不明だ。 良い庭ではあるが、国の指定となると些かそ の評価の基準を質したくなる。当サイトが掲載 している庭園の内の無指定のものでも、同等も しくはそれ以上の作ばかりだからである。 前方を小高い築山とし、手前にやや細長い瓢 箪形の池泉を配してある。右手に亀島が意匠さ れており、その奥に写真の滝石組が見える。 全体的に植栽が繁茂しすぎであり、手入れの 眼目が植木にばかり行き過ぎているようだ。 しかし、二段に組まれた滝石組の姿はなかな かのものであり、もう少し石の全貌を見せてい ただきたいものである。 護岸の石組はかなり荒廃しているが、築山の 雑草と植木を除去すれば、滝石組の美しい爽や かな庭園が出現するはずである。 |
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| 西徳寺庭園 (滋賀県木ノ本町) |
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“七本槍”で名高い賎ヶ岳の近く、赤 尾という集落に在る静かなお寺である。 弘安十年(鎌倉中後期)銘の美しい石 造七重塔が、境内奥の山畔に建っている。 国の重要文化財に指定された茅葺屋根 の本堂建築は貴重で、庭園はその本堂の 裏側に設けられている。 急斜面の山畔に細長い池泉が意匠され ており、第一感は江戸初期の庭か、とい う印象であった。 手前の斜面は天然の岩盤であり、庭園 はその奥に広がっている。 護岸には変化に富んだ石組が成されて おり、岩島等優れた感覚の持ち主が作庭 したものと思われる。 山側の斜面は植栽に覆われていて、石 組などがほとんど見えない。 作庭年代判別に決め手が無いが、訪ね ることが楽しみな、隠れた美しい庭であ ることに相違は無い。 |
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| 玄宮園庭園 (滋賀県彦根市) |
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殿様が回遊して楽しむために造営さ れた大名庭園に、何故か偏見を持って いた。剛毅さと贅沢だけの傲慢な見世 物庭園、と認識していたからだった。 ところが、ここ井伊家の庭は隣接す る楽々園と共に、キラリと輝く鋭い美 的感覚に満ち溢れており、結果小生に 大名庭園を見直すきっかけを与えてく れた大恩人なのであった。 それは、写真の中島に配された雄渾 な立石や岩島の造形感覚を見ただけで、 これはモノが違うと理解できたからな のだった。この一連の石組は、鶴鳴渚 と命名された鶴石組で本園を代表する 景観である。豪壮な地割に繊細華麗な 石組を組み合わせた、見事な調和の世 界が創出されている。 東京などに残る大名庭園の先駆的存 在であるが、桃山期の豪快かつ鋭敏な 美意識の感じられる本庭と、江戸以降 の単なる田舎大名による堕趣味庭園と の間には、雲泥と言っても良い程の差 がある。一言で言えば、品格を備えた 趣味の良さ、そのものなのだろう。 |
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| 楽々園庭園 (滋賀県彦根市) |
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彦根城の名園として知られる玄宮園に 隣接する旧欅御殿の庭だが、現在は旅館 となっている。写真は宿泊した翌朝撮っ たもので、余りに華麗な石組に眼の醒め る思いだった。 滝石組から護岸に至る立石の羅列は豪 快で、水辺の岬を象徴した平石との対比 が鮮やかである。桃山期の豪放さから、 やや繊細な美意識へと移行していく過渡 期の作であろうと思われる。 しかし、特に正面の植木が大きく繁茂 し過ぎていて、石組の中心部が見えない のが気になる。植木鋏を借りて、即刻切 り取りたい気分であった。 玄宮園や青岸寺も同じ作者とのことだ が、それぞれが個性的な庭ばかりであり、 素人には明確には判断し難い。なまじ余 計な先入観念が有るよりも、より自分の 眼で率直に感じるためには知らなくても 良いという見方もある。<要予約> |
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| 龍潭寺庭園 (滋賀県彦根市) |
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彦根の城主井伊家の建立だから江 戸初期であり、寺としては左程古い わけではない。庭園も当然、それ以 降の築造ということになる。 書院西庭は、築山の手前にやや丸 い池泉を配しており、石組にも丸い 小さな石が目立っているのは江戸中 期の典型と考えて良いだろう。 おまけに、築山部分の石組は植栽 が多過ぎて、余り良く見えない。 だが、池泉右側の石橋周辺にこそ、 この庭園の優れた意匠が集中してい ることに注目せねばならぬ。 枯滝が石橋の上部に造られている ので、写真左側の石組は滝石組では なく、鶴石組かもしれない。池の中 に、余り優れた意匠とは思えないが、 自然石の亀島が浮かんでいるからで ある。 書院東庭は昭和に造られた枯山水 であるが、石が饒舌過ぎて統一感に 欠け、あまり好きになれない。 |
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| 多賀大社庭園 (滋賀県多賀町) |
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私達夫婦は約35年前に、都内の 某ホテルで挙式をした。その神事を 司っていたのが近江の多賀大社だっ たので、すぐに現地の本社に御礼の 参拝をしに行き、奥書院に在る庭園 も拝観することが出来たのだった。 秋の日の夕方で、庭園は暗く、写 真は余り良い出来ではなかったが、 幽邃で静謐な魅力は伝わってくると 思う。 写真右奥に枯滝が在り、紅葉の陰 に蓬莱石、そして桃山期に相応しい 豪壮な石橋、数石の鶴石組、左端に 亀石組と揃っている。 かなり苔むし荒廃した印象を受け たが、近付いて個々の石組を見ると、 抑えた表現の中で何とも豪華であり 剛健なのである。 もうそろそろ、今日までこの夫婦 が無事に続いたことの御礼を示すた めに、久しぶりに参拝に行かねばな らないだろう。 |
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| 西明寺庭園 (滋賀県甲良町) |
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湖東三山と称せられ、近江を代表 する古刹である。 この庭園は江戸中期の作庭で、小 振りの石が多く使用され、やや脆弱 な感じが有るのだが、なぜか特有の 雰囲気が好きで捨てがたい。 意欲的に組まれた石組には、圧倒 されるような迫力は無いが、美の世 界を構築しようとする作者の情熱の ようなものが伝わって来るのである。 今見れば、丸い池泉、中島、山畔 に散りばめられた小振りの石組等々、 江戸中期以外の何物でもないという 典型的様式だが、作者の求めたもの は今までに無かったような斬新な美 しさだったに違いない。時代が示す 様式の不思議である。 境内に建つ国宝三重塔の内部に描 かれている燦然たる壁画や、塔裏の 石造宝塔を見ずに帰ってはならない。 |
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| 金剛輪寺庭園 (滋賀県愛荘町) |
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ここも湖東三山の一つで、天平年間創建という 由緒ある古刹である。 この庭園は、正式には本坊明寿院の庭で、色々 な時代の庭が複合した壮大な空間である。桃山期 と思われる南庭、江戸初期の東庭、江戸中末期と 推定される北庭などが仏殿や書院の周囲に連なっ ている。 写真は南庭の中心となっている滝石組である。 最上部に巨石による三尊手法の滝を組み、さらに 豪壮な石を段状に組んである。立石は強く傾斜さ せてあり、豪快で奔放な発想の桃山期を象徴して いるようだ。 植栽の繁茂が甚だしいために、滅多には見られ ぬ桃山時代の剛健な石組がほとんど隠れてしまっ ている。石楠花など季節に咲く花を愛でるとのこ とだが、それはぜひ別の場所に優しく移植し、そ ちらでしみじみと鑑賞していただきたいものだ。 南庭は護岸や石橋にも桃山時代の優れた意匠が 見られ、本寺庭園群の中では白眉と言える。 他の庭も、それぞれの時代の特徴をよく表して おり、時代による様式の違いを学習できる。 |
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| 教林坊庭園 (滋賀県安土町) |
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西国三十三ケ所第三十二番札所である、観 音正寺の塔頭として創建された寺である。 西国巡礼の折に、事前に見学をお願いして あったので、快く客殿の座敷へ上げさせて頂 いた。 庭園は客殿南庭で、それほど広い空間では ないが池泉を配し、豪壮な立石や巨石が所狭 しと配された意欲的な庭である。 最も印象的だったのが写真の立石で、これ ほどまでに細長く角張った石を見事に立てた 庭はそうざらには無い。 やや傾斜した角度が美しいし、周辺の石と のバランスが絶妙である。 左の立石と滝石組を形成しているようにも 見えるし、手前の亀石組との対としての鶴石 を演出しているのかもしれない。 スコットランドで見たメンヒルを連想して しまったのだが、それほどこの立石は象徴的 な雰囲気と存在感を示している。 池泉右手に石橋が掛かっており、これは石 組で洞窟を表現しているようにも見える。 やや伏石が多過ぎるのが目立つので、江戸 初期から中期にかけての作庭ではないかと思 う。 |
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| 大池寺庭園 (滋賀県甲賀市水口) |
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8世紀の天平年間に創建されたと伝え られる古寺で、現在は臨済宗妙心寺派の 禅寺となっている。 水口城を築城した小堀遠州が、その折 に作庭したと伝えられる。更に、さつき の刈込と白砂を主体とした意匠が、やは り遠州作庭説の有る高梁頼久寺との共通 点として挙げられるのである。だが、決 定的な確証は無い。 約400年前の刈込がどんな形をして いたかは不明であり、たった10年前の 写真と比べても部分的に変化しているの が判るほどなのである。 この独創的な枯山水としてのアイディ アが、どういう発想から生まれたのかに は興味が有る。 ただ、6月初旬の花の季節になると、 庭園の造形よりも花だけを愛でるために 訪れる人ばかりで溢れるのが何故か気に 入らない。人それぞれ好き好きなのだか ら、それもいいではないかと思いつつも。 |
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| 松尾神社庭園 (滋賀県東近江市八日市) |
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この豪快な蓬莱式枯山水が元々神社の 庭園であったとは考えにくく、かつては 寺院のものであったのだろう。 周辺はかなり荒廃しているが、鶴亀と 思しき石組による二つの島が堂々と連な っている。迫力有る立石が庭を立体的に 盛り上げ、全体に張りつめた空気を漂わ せる役目を果たしている。 室町期の上品で貴族趣味的な優雅さが 消え去り、価値観をすっかり塗り替えて しまう様な、エネルギーに満ち溢れた造 形こそが桃山時代の美術の特徴だとすれ ば、これは正にそれを庭に具現した作品 だと言えるだろう。 この神社のように、観光ルートからは 全く外れた場所に有る庭園を訪ねる楽し さは格別で、自分だけが知っている特別 の場所といった趣がある。 写真の位置から庭全体を眺めると、あ たかも林立する石のオブジェ、或いはモ ダンアートの作品ででもあるかのような 錯覚すら覚えるだろう。 |
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