近江 (東部) の庭園 |
玄宮園庭園 滋賀県彦根市 八景亭と彦根城が望める |
近江(滋賀県)は京の都に隣接しており、か つては都も置かれた古い文化の伝わる土地柄で あった。 庭園や石造美術の隠れた宝庫であり、京都ほ ど華やかではないが、洗練され造形性の豊かな 作品が数多く点在している。 便宜上東西に分けて掲載するが、湖北は旧西 浅井町(現長浜市)、湖東は安土町・東近江市 以東を「東部」とした。 |
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浄信寺庭園 |
(滋賀県長浜市木ノ本町木ノ本) |
旧北国街道の通る木の本宿は、宿場の面影を 色濃く残した静かな町である。彦根の町で飲ん だ、清酒“七本槍”の醸造元を訪ねるほうが先 になってしまった。 浄信寺は木の本地蔵として知られており、眼 病平癒に霊験ありと聞いていた。 庭園は書院後方に在って、国の名勝に指定さ れているという。 前方を小高い築山とし、手前に細長い瓢箪形 の池泉を配してある。右手に亀島が意匠されて おりその奥に滝石組がある。 二段に組まれた滝石組の姿はかなりのものだ が、座敷からはちょっと見難くなっている。 護岸の石組はかなり荒廃しているが、全体的 に美しい景観が保たれていて気持が良い庭であ る。 自由に見学できるお寺の大らかさに敬意を表 したい。 |
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西徳寺庭園 |
(滋賀県長浜市木ノ本町赤尾) |
“七本槍”で名高い賎ヶ岳の近く、赤尾と言 う集落に在るお寺である。 弘安十年(鎌倉中後期)銘の美しい石造七重 塔が、境内奥の山畔に建っている。 国の重要文化財に指定された茅葺屋根の本堂 建築は貴重で、庭園はその本堂の裏側に設けら れている。 急斜面の山畔に細長い池泉が意匠されている が、第一感は江戸初期の庭か、という印象であ った。 手前の斜面は天然の岩盤であり、庭園はその 奥に広がっている。 護岸には変化に富んだ石組が成されており、 岩島等優れた感覚の持ち主が作庭したものと思 われる。山側の斜面は植栽に覆われていて、石 組などがほとんど見えない。 作庭年代の判別には決め手を欠いているが、 訪ねる事が楽しみな隠れた美しい庭である事に 相違は無い。 |
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理覚院庭園 |
(滋賀県長浜市木ノ本町井口) |
現在は観音堂がポツリと建つのみだが、この 地の豪族で浅井家の重臣であった井口氏の菩提 寺であった。近くに井口弾正邸宅跡という石碑 が建っていた。 庭園は観音堂と隣接する公民館との間に残さ れており、かつては池泉庭園だったようだが、 現在は枯池となっている。手前に亀島石組、奥 に滝石組が意匠されている。 かなり荒廃はしているものの、造形的美意識 が鮮烈に感じられる良い庭だと感じられた。池 泉庭園らしく、石組が絵画的に組まれているか らなのかもしれない。 池泉の丸い形状からも江戸中期頃の作庭と思 われる。小堀遠州作という話が一般的に流布し ているが、根拠のない伝説にすぎない。かと言 って、庭の価値が損なわれるものではない。 |
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玉泉寺庭園 |
(滋賀県長浜市三川町) |
長浜を中心とした東浅井郡一帯は、戦国時代 の華麗な舞台となった地域である。浅井家の居 城小谷城、姉川の古戦場、秀吉の拠点となった 長浜城など、つわものの夢の跡としての雰囲気 に満ちていて、旅する者の想像を豊かにする。 旧虎姫町のこの寺は、比叡山延暦寺の名僧良 源の誕生地として名高い。 庭園はかつて存在した書院の庭で、手前に細 長い池泉が造られ、亀島に石橋が渡してある。 この部分はかなり荒廃しており、後世に改修の 手が入っていると思われるのは残念だった。 白眉は写真の滝石組部分で、正面の築山に豪 放な立石を組んで枯滝を意匠している。まこと に優れた石組で、江戸初期の力強さに続く時代 の作だろうと思う。 亀島の石組に対する、鶴石組としての意図も 感じられる。 |
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大通寺含山軒庭園 |
(滋賀県長浜市元浜町) |
大通寺は東本願寺長浜別院という大寺で、含 山軒・旧学問所・蘭亭の三箇所にそれぞれ小庭 ながら美しい庭園が残されている。 写真は含山軒の前庭で、左奥に築山を配し、 そこを背景として立派な枯滝石組が組まれてい る。ほぼ円形の枯池には、亀島らしき中島が意 匠されており、江戸中期の様式をはっきりと見 ることが出来る。 福田寺の庭に似た立石主体の滝石組だが、石 の表情にどこか様式のみに傾斜する弱さが感じ られる。桃山期の豪快な面影を残す江戸初期と の違いは、この様式化しつつ草創期の力強さを 失っていく度合いの差かもしれない。 しかし、地割の意匠と石組との均衡が程よく とれているので、滝石組を中心とした景観はと ても美しく感じられる。 伊吹山の借景を意識して意匠されているとの ことで、実際その山容を眺める事ができるのだ が、敢えて山の見えないアングルから写真を撮 った。伊吹山の美しさを鑑賞するために、この ような豪壮な石組の前景が果たして必要だろう か。借景否定論者としての主張なのだが…… |
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大通寺蘭亭庭園 |
(滋賀県長浜市元浜町) |
蘭亭書院の庭園はやや荒廃おり、現在は枯池 に見えるが、従来は池泉庭園であった。 書院南側の小庭だが、細長い池の向こうが出 島のようになっており、そこに築山を設けて滝 石組を組んでいる。 写真左奥に、その立石群を中心とした滝石組 が見える。林立する様は豪華で、意欲的な石組 なのだが、時代的な弱々しさが見えるのは致し 方ないのだろう。 手前の斜石が魅力で、橋添石か亀頭石と思っ たが、違和感の感じられる切石橋を後補とすれ ば、護岸石を兼ねた蓬莱石と考える方が正しい かもしれない。 荒廃の度は激しいが、趣味良くまとまった雰 囲気のある庭園である。 |
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長浜八幡宮庭園 |
(滋賀県長浜市宮前町) |
八幡太郎義家の創建と伝えられる、長浜曳山 祭りで有名な古社である。 その後盛衰を繰り返していたが、豊臣秀吉が 今浜(長浜)に封じられて以来、その庇護の下に 栄えたという。 現在も広い境内を有しているが、その頃の面 影を伝えるものは少ない。池泉の中島の一画に 残る庭園の石組部分のみが、当時の力強い戦国 時代の美意識を伝えている。 写真中央やや右側に巨石を立てた三尊石組が 在り、その左に向かって枯滝石組のようになっ ている。 かつての庭園のごく一部でしかないのだが、 石組が示す磊落な豪壮さは、これだけで十分観 賞に値する見事な遺構である。 この様なけれんみの無い大らかさが桃山期の 特徴であり、失われたであろう庭の大部分を、 残された石組から想像する程楽しい作業は無い。 |
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旧汲月亭庭園 |
(滋賀県長浜市宮前町) |
現在は三菱樹脂が所有しているので、事前に 見学をお願いしてあった。 かつて前述の長浜八幡宮の別当寺であった、 妙覚院の庭園の遺構である。 秀吉の家来であった曽呂利新左衛門の作庭だ そうで、これは眉唾ものかと思ったのだが、信 頼に足る文献に書かれているそうなので信憑性 は高いらしい。 写真でお分かり頂けると思うが、最奥に三尊 石によって枯滝を組み、見事な立石の辺りから 手前まで、枯流れが意匠されている。 まことに小庭ながら、立石の豪快さと洒脱な 地割とが見事に融合しており、品格も備えてい る屈指の傑作である。 惜しむ無くは、大きな植栽の刈り込みが石組 を隠しており、無駄の無い配石の妙を見るのに 大いに邪魔となっている。 また、手前の飛び石も後補で、折角の美観の 妨げとなっている事を知ってほしい。 <非公開> |
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池氏白雲堂庭園 |
(滋賀県長浜市浅井町南池) |
この庭を訪ねたのは、今から約40年前のこ とである。事前に往復葉書で見学の許可を頂い ていたが、当主夫人の歓待に甘え、かなり長時 間写真を撮っていた事を覚えている。 個人所有の庭園であり、植栽が多いのは致し 方ないが、手入れの行き届いた完璧な維持管理 に感心したものだった。 まことに壮大な庭園で、正面に写真左手の滝 石組が築かれている。 桃山期を連想させるような豪壮な石組だが、 どこかに繊細な翳りが含まれた江戸初期の美し さの特徴を見ることが出来た。 傾斜させた石の美しさは格別で、粉河寺の石 組を見る思いだった。 右手前は亀島石組であり、残念ながら見えな いが後方に立石鋭い鶴島が配されている。 武家の系統とは申せ、民家の庭園として今日 まで、かくも豪壮な景観を保持されてこられた 当家歴代に敬意を表したい。 <要予約> |
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孤篷庵庭園 |
(滋賀県長浜市浅井町上野) |
京都大徳寺孤篷庵の作庭で名高い小堀遠州の 菩提を弔うために、その子小堀宗慶が同名の寺 を創建したものである。 庭園は江戸初期から中期にかけてのものと小 生は感じたが、正しいかどうかは判らない。石 組の力強さと地割全体の弱々しさが、どっちつ かずの中間を考えさせてしまうからである。 しかし、やや荒廃しているとは申せ、三尊石 が構成する滝石組付近の緊張感は見事であり、 周囲の景観を引き締めている。これみよがしで 大袈裟な石組とは対極に位置する、洒脱で俊敏 な感性を感じることが出来る。 池泉部分と枯山水部分とが在るが、特に写真 の三尊石付近は、小庭ながらも繊細な美しさを 示している。 手前に舟石が置かれているが、蓬莱世界を予 感させるという舟石そのものに余り造形性を感 じない小生には、とても脆弱な意匠だと思えて ならない。舟そのものの形をした石を置く、と いう短絡な発想が好きでないのだ。 だが、全体的に清雅な印象を残す、まことに 爽やかな庭である。 |
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赤田氏邸庭園 |
(滋賀県長浜市浅井町太田) |
こんなに整然とした見事な古庭が、名家とは 申せ民家の庭として今日まで保存されてきたこ とに驚愕した。 赤田家に伝わる庭石運搬の絵巻物や、立石中 心の手法からも江戸初期の造庭が推定される。 広い池の手前から最奥の滝石組へ向かって、細 い岬状の出島が変化に富んだ景観を創出してい る。美しい地割に、豪快な石組を施した当代の 傑作、と言えるだろう。 予め見学をお願いしてあったのだが、快く知 的な解説で御案内下さった御当主に心より感謝 の意を表したい。 |
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名超寺平等院庭園 |
(滋賀県長浜市名越町) |
名超寺は長浜市の最南東、幽邃な山奥に位置 する天台宗の大寺院だが、現在は本堂と二つの 塔頭を残すのみとなっている。 塔頭の一つ平等院には、雑草が繁り荒廃はし ているものの、江戸末期の作庭と伝わる池泉庭 園が残されていた。無住のお寺なので致し方は 無いのだが、これだけの古庭が荒れ放題という のは何とも惜しいではないか。 中央奥の枯滝石組が豪快であり、滝添石や遠 山石など立石も見事である。 隣接する塔頭観成院にも石組の美しい庭があ るのだが、石組全体が雑草や灌木に覆われて全 く見えなかった。 何としても、これらの名園を蘇生させたいの だが、滋賀県や長浜市の文化行政に期待するし か方法はないのだろうか。 |
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福田寺庭園 |
(滋賀県米原市近江町長沢) |
福田寺は長沢御坊と呼ばれる、1300年の 歴史を持つ古い寺である。 初めてこの庭を見た印象は、なんと物静かで 上品なんだろうという事だった。しかし、詳細 に眺めてみると、厳選された石が無駄なく、し かも鋭く張りつめた美意識に基づいて組まれて いることに気付いたのだった。 手前を枯池とし、山畔の三尊石による滝組を 中心として、その右の滝添石からさらに右の築 山の石組へと石が豪快に組まれている。 桃山の豪壮な面影の中に、最初に物静かと感 じさせた繊細な緊張感が秘められており、江戸 初期の庭が示す調和の取れた美しさを見せてく れる、小生好みの庭のひとつである。 近年再訪したが、かなり荒廃しており、適切 なる管理維持を強く望むものである。 |
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来照寺庭園 |
(滋賀県米原市近江町高溝) |
高溝には近年ニュータウンが建ったが、従来 は水田に囲まれた小さな集落であった。 お寺は古い家並に囲まれていて探したが、境 内は思ったより広々としていた。御住職にお願 いをて、庭園を見学させていただいた。 本堂の建物北側に築かれた枯山水の庭園で、 それ程広くはない空間に意匠されている。写真 の滝石組が築山の上部中央に据えられており、 絵画的な奥行きが感じられ、優れた景観を創出 した構成となっている。 浄土真宗のお寺だけに、西方浄土を象徴する 三尊形式の滝石組から、栗石で表現された清流 となって石橋の架かる谷を下り大海へと注ぐ、 という構想なのであろう。 とはいえ立石らしいのは滝石組の二石だけで あり、他の石はほとんどが丸石または平石が、 組むというよりは置かれているように見える。 全体的には、石組の背後に力弱さが隠れてお り、作庭は江戸末期頃かと推定できる。 しかし、従来から桃山時代の作とされていた 阿波国分寺庭園が江戸末期の作と判明したそう であり、従来からの既成概念は通用しない場合 もありそうなので、うかうかと時代考証はしな いほうが良いかもしれない。それとしても、は じけるような造形意欲が表面に溢れた江戸初期 あたりとは違って、末期特有の巧妙ではあるが やや穏やかな優しさが感じられるのである。 趣味の良い庭であることには、違いはない。 |
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青岸寺庭園 |
(滋賀県米原市米原) |
初めてこの庭を訪れたのはもう40年も前に なるが、その時にはあまりに広大な庭に所狭し と石組みが施されていることに驚愕し、何処を 見ればよいのか戸惑ったものだった。 のびのびとした地割に、心の赴くままに石を 組んだといった風情の庭だが、奥の滝石組を中 心に鶴亀島や護岸の石組すべてまことに繊細な 美意識に支えられており、石の多さから感じる 上辺の派手さだけを見ていたのではこの庭の本 質は把握出来ないだろう。 美しい庭においては、石は決して単独で存在 するのではなく、常に近くの石との間に密接な 協調関係、もしくは反発する緊張関係を持って 立っている。そのスリリングな力関係をどう演 出するかが、石組の最も面白いところかもしれ ない。 楽々園と作者は同じと聞くが、こちらの方が 自由闊達で、大らかな石組がなされているよう に思える。若干のしまりの無さが欠点かもしれ ないが個々の石組のレヴェルは梵百の及ぶとこ ろではない。 |
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徳源院庭園 |
(滋賀県米原市山東町清滝) |
このお寺訪問の目的は、実は京極家歴代の墓 地に並ぶ宝篋印塔群にあった。最古の塔は永仁 三年(鎌倉後期)の銘がある傑作だった。 庭園の存在を御住職から伺い、驚いて拝見さ せていただいたものである。 山畔の斜面を利用した閑寂な庭園で、枯池の 周辺に護岸石組などを配している。 かつては池泉回遊式の庭だったが、池は現在 枯池となってしまっており、滝石や護岸の石組 もかなり荒廃している。 写真は、そんな中で最も力強さを見せる枯池 左手の集団石組で、豪快に石を組み上げた須弥 山石組のようだ。 この庭が築造された江戸初期らしさを留めて いるのは、どうやらこの石組と山畔の池の形だ けだろう。 滝石組の全貌が、植栽で見えないのが残念だ った。 |
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玄宮園庭園 |
(滋賀県彦根市金亀町) |
殿様が回遊して楽しむために造営された大名 庭園に、何故か偏見を持っていた。剛毅さと贅 沢だけの傲慢な見世物庭園、と認識していたか らだった。 ところが、ここ井伊家の庭は隣接する楽々園 と共に、キラリと輝く鋭い美的感覚に満ち溢れ ており、結果小生に大名庭園を見直すきっかけ を与えてくれた大恩人なのであった。 それは、写真の中島に配された雄渾な立石や 岩島の造形感覚を見ただけで、これはモノが違 うと理解できたからなのだった。この一連の石 組は、鶴鳴渚と命名された鶴石組で本園を代表 する景観である。豪壮な地割に繊細華麗な石組 を組み合せた、見事な調和の世界が創出されて いる。 東京などにも残る大名庭園の先駆的存在であ るが、桃山期の豪快かつ鋭敏な美意識の感じら れる本庭と、江戸以降の単なる田舎大名による 堕趣味庭園との間には、雲泥と言っても良い程 の差がある。一言で言えば、品格と知性を備え た趣味の良さ、そのものなのだろう。 |
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楽々園庭園 |
(滋賀県彦根市金亀町) |
彦根城の名園として知られる玄宮園に隣接す る旧欅御殿の庭で、現在は旅館となっている。 写真は宿泊した翌朝撮ったもので、余りに華麗 な石組に眼の醒める思いだった。 滝石組から護岸に至る立石の羅列は豪快で、 水辺の岬を象徴した平石との対比が鮮やかであ る。桃山期の豪放さから、やや繊細な美意識へ と移行していく過渡期の作かと思われる。 しかし特に正面の植木が大きく繁茂し過ぎて いて、石組の中心部が見えないのが気になる。 植木鋏を借りて、即刻切り取りたい気分であっ た。 玄宮園や青岸寺も同じ作者とのことだが、そ れぞれが個性的な庭ばかりであり、素人には明 確には判断し難い。なまじ余計な先入観念が有 るよりも、より自分の眼で率直に感じるために は知らなくても良いという見方もある。 <要予約> |
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龍潭寺庭園 |
(滋賀県彦根市古沢町) |
彦根の城主井伊家の建立だから江戸初期であ り、寺としては左程古くはないと言える。庭園 も当然、それ以降の築造ということになる。 書院西庭は、築山の手前にやや丸い池泉を配 しており、石組にも丸い小さな石が目立ってい るのは江戸中期の典型と考えて良いだろう。 さらに、築山部分の石組は植栽が多過ぎて、 余り良く見えない。 だが、池泉右側の石橋周辺にこそ、この庭園 の優れた意匠が集中していることに注目せねば ならぬ。 枯滝が石橋の上部に造られているので、写真 左側の石組は滝石組ではなく鶴石組かもしれな い。池の中に、余り優れた意匠とは思えない、 自然石の亀島が浮かんでいるからである。 書院東庭は昭和に造られた枯山水であるが、 石が饒舌過ぎて統一感に欠け、あまり好きにな れない。 |
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多賀大社庭園 |
(滋賀県多賀町多賀) |
私達夫婦は約45年前に、都内の某ホテルで 挙式をした。その神事を司っていたのが近江の 多賀大社だったので、すぐに現地の本社に御礼 の参拝をしに行き、奥書院に在る庭園も拝観す ることが出来たのだった。 秋の日の夕方で、庭園は暗く、写真は余り良 い出来ではなかったが、幽邃で静謐な魅力は伝 わってくると思う。 写真右奥に枯滝が在り、紅葉の陰に蓬莱石、 そして桃山期に相応しい豪壮な石橋、数石の鶴 石組と左端に亀石組が揃っている。 かなり苔むし荒廃した印象を受けたが、詳細 に個々の石組を見ると、抑えた表現の中で何と も華であり剛健なのである。 先般、今日までこの夫婦が無事に続いたこと の御礼を示すために、久しぶりに参拝すること が出来た。 |
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胡宮神社庭園 |
(滋賀県多賀町敏満寺) |
神社の本殿からは少し離れた、社務所の脇か ら眺める庭となっている。 かつては旧敏満寺の建っていた場所で、庭園 はその時のものであった。 神社の本殿が建つ高台の斜面を利用した池泉 鑑賞式の庭園なのだが、写真で見る通り、余り にも植栽の刈込が中心となっているために、小 石とは言え据えられた石組の大半が隠れてしま っているのである。 中央に右側から張り出した出島を意匠した凹 字形の池泉を配し、山畔には意欲的な石組が見 られる。特に左側上下には力強い石組や配石が 確認出来る。 刈込の美しさも、庭園にとっては大切な要素 ではあるのだが、この庭の創建当初にここまで 植栽が繁っていたとは考え難い。双方を引き立 てるような石組と植栽のバランスが命であり、 花を愛でるための庭であれば、石組は全く不要 だろう。 |
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唯念寺庭園 |
(滋賀県豊郷町四十九院) |
古代の池庭遺構が残る阿自岐神社に近い、四 十九院という珍しい名の集落に在る浄土真宗の 寺院である。 昭和十三年に重森三玲氏によって発見された 庭園だそうだが、当初より荒廃甚だしく現在の 姿が案じられたのだが、妙な修復の手が全く入 っておらず、荒廃した状態がそのまま維持され ていたことに驚いた。 御住職のお話では、重森氏から現状維持を指 導されたとのことで、最小限の手入れのみ続け てこられたそうである。歴史的に貴重な庭園が 軽率に改悪された事例は多く、聡明な見識に脱 帽であった。 広大な庭園の大半は荒廃しており、山畔に組 まれた写真の須弥山式の石組が造形的な中心と なっている。まことに豪快かつ戦慄的な立石で あり、滝石組なのかと思われたが、左手に滝石 組や渓流石組が崩壊した遺構が見られることか ら、滝近くの築山に組まれた別の石組と考えら れる。 それにしても見るからに剛毅な立石であり、 須弥山を象徴するのに相応しい巨石である。や や傾斜した立ち姿が魅力的であり、この石組だ けのためにも、これ以上の荒廃を避ける努力を お願いする次第である。 築庭当初は池泉庭園であったと伺ったが、亀 島や鶴島の遺構も見られるので、暫くは往時の 景観を想像して楽しい時間を過ごした。 |
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西明寺庭園 |
(滋賀県甲良町池寺) |
湖東三山と称せられ、近江を代表する古刹で ある。 この庭園は江戸中期の作庭で、小振りの石が 多く使用され、やや脆弱な感じが有るのだが、 なぜか特有の雰囲気が好きで捨てがたい。 意欲的に組まれた石組には、圧倒される様な 迫力は無いが、美の世界を構築しようとする作 者の情熱が伝わって来るのである。 今見れば、丸い池泉、中島、山畔に散りばめ られた小振りの石組等々、江戸中期以外の何物 でもないという典型的様式だが、作者の求めた ものは今までに無かったような斬新な美しさだ ったに違いない。時代が示す様式の不思議さで ある。 境内に建つ国宝三重塔の内部に描かれている 燦然たる壁画や、塔裏の石造宝塔を見ずに帰っ てはならない。 |
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金剛輪寺庭園 |
(滋賀県愛荘町松尾寺) |
ここも湖東三山の一つで、天平年間創建とい う由緒ある古刹である。 この庭園は、正式には本坊明寿院の庭で、色 々な時代の庭が複合した壮大な空間である。桃 山期と思われる南庭、江戸初期の東庭、江戸中 末期と推定される北庭などが仏殿や書院の周囲 に連なっている。 写真は、南庭の中心となっている滝石組であ る。最上部に巨石による三尊手法の滝を組み、 さらに豪壮な石を段状に組んである。立石は強 く傾斜させてあり、豪快で奔放な発想の桃山期 を象徴しているようだ。 植栽の繁茂が甚だしいために、滅多には見ら れぬ桃山時代の剛健な石組がほとんど隠れてし まっている。石楠花など季節に咲く花を愛でる とのことだが、それはぜひ別の場所に優しく移 植し、そちらでしみじみと鑑賞していただきた いものだ。 南庭は護岸や石橋にも桃山時代の優れた意匠 が見られ、本寺庭園群の中では白眉と言える。 他の庭も、それぞれの時代の特徴をよく表し ており、時代による様式の違いを学習できる。 |
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教林坊庭園 |
(滋賀県安土町石寺) |
西国三十三ケ所第三十二番札所である、観音 正寺の塔頭として創建された寺である。 西国巡礼の折に、事前に見学をお願いしてあ ったので、快く客殿の座敷へ通して頂いた。 庭園は客殿南庭で、それほど広い空間ではな いが池泉を配し、豪壮な立石や巨石が所狭しと 配された意欲的な庭である。 最も印象的だったのが写真の立石で、これほ どまでに細長く角張った石を見事に立てた庭は そうざらには無い。 やや傾斜した角度が美しいし、周辺の石との バランスが絶妙である。 左の立石と滝石組を形成しているようにも見 えるし、手前の亀石組との対としての鶴石を演 出しているのかもしれない。 スコットランドで見たメンヒルを連想してし まったのだが、それほどこの立石は象徴的な雰 囲気と存在感を示している。 池泉右手に石橋が掛かっており、これは石組 で洞窟を表現しているようにも見える。 やや伏石が多過ぎるのが目立つので、江戸初 期から中期にかけての作庭ではないかと思う。 |
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大池寺庭園 |
(滋賀県甲賀市水口) |
8世紀の天平年間に創建されたと伝えられる 古い寺で、現在は臨済宗妙心寺派の禅寺となっ ている。 水口城を築城した小堀遠州が、その折に作庭 したと伝えられる。更に、さつきの刈込と白砂 を主体とした意匠が、やはり遠州作庭説の有る 高梁頼久寺との共通点として挙げられるのであ る。だが決定的な確証は無い。 約400年前の刈込がどんな形をしていたか は不明で、たった10年前の写真と比べても部 分的に変化しているのが判るほどなのである。 この独創的な枯山水としてのアイディアが、 どういう発想から生まれたのかについては興味 が有る。 ただ、6月初旬の花の季節になると、庭園の 造形よりも花だけを愛でるために訪れる人ばか りで溢れるのが何故か気に入らない。人それぞ れ好き好きなのだから、それもいいではないか と思いつつも。 |
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松尾神社庭園 |
(滋賀県東近江市八日市) |
この豪快な蓬莱式枯山水が元々神社の庭園で あったとは考えにくく、かつては寺院のもので あったのだろう。 周辺はかなり荒廃しているが、鶴亀と思しき 石組による二つの島が堂々と連なっている。迫 力有る立石が庭を立体的に盛り上げ、全体に張 りつめた空気を漂わせる役目を果たしている。 室町期の上品で貴族趣味的な優雅さが消え去 った後に出現した、価値観をすっかり塗り替え てしまう様な、エネルギーに満ち溢れた造形こ そが桃山時代の美術の特徴だとされる。この庭 は正にそれを庭に具現した作品だと言える。 この神社のように、観光ルートからは全く外 れた場所に有る庭園を訪ねる楽しさは格別で、 自分だけが知っている特別の場所といった趣が ある。 写真の位置から庭全体を眺めると、あたかも 林立する石のオブジェ、或いはモダンアートの 作品ででもあるかのような錯覚すら覚える。 |
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