近江 (東部)
      の庭園
 
 
   
 
 玄宮園庭園 滋賀県彦根市
 八景亭と彦根城が望める
     
  
 
 近江(滋賀県)は京の都に隣接しており、か
つては都も置かれた古い文化の伝わる土地柄で
あった。
 庭園や石造美術の隠れた宝庫であり、京都ほ
ど華やかではないが、洗練され造形性の豊かな
作品が数多く点在している。
 便宜上東西に分けて掲載するが、湖北は旧西
浅井町(現長浜市)、湖東は安土町・東近江市
以東を「東部」とした。
 
 
-------------------------------------------------------------- 
    
     
 浄信寺庭園 
    
    (滋賀県長浜市木ノ本町木ノ本) 
     
 
 旧北国街道の通る木の本宿は、宿場の面影を
色濃く残した静かな町である。彦根の町で飲ん
だ、清酒“七本槍”の醸造元を訪ねるほうが先
になってしまった。
 浄信寺は木の本地蔵として知られており、眼
病平癒に霊験ありと聞いていた。
 庭園は書院後方に在って、国の名勝に指定さ
れているという。
 前方を小高い築山とし、手前に細長い瓢箪形
の池泉を配してある。右手に亀島が意匠されて
おりその奥に滝石組がある。
 二段に組まれた滝石組の姿はかなりのものだ
が、座敷からはちょっと見難くなっている。
 護岸の石組はかなり荒廃しているが、全体的
に美しい景観が保たれていて気持が良い庭であ
る。
 自由に見学できるお寺の大らかさに敬意を表
したい。
 
 
-------------------------------------------------------------- 
    
     
 西徳寺庭園 
    
    (滋賀県長浜市木ノ本町赤尾) 
     
 
 “七本槍”で名高い賎ヶ岳の近く、赤尾と言
う集落に在るお寺である。
 弘安十年(鎌倉中後期)銘の美しい石造七重
塔が、境内奥の山畔に建っている。
 国の重要文化財に指定された茅葺屋根の本堂
建築は貴重で、庭園はその本堂の裏側に設けら
れている。
 急斜面の山畔に細長い池泉が意匠されている
が、第一感は江戸初期の庭か、という印象であ
った。
 手前の斜面は天然の岩盤であり、庭園はその
奥に広がっている。
 護岸には変化に富んだ石組が成されており、
岩島等優れた感覚の持ち主が作庭したものと思
われる。山側の斜面は植栽に覆われていて、石
組などがほとんど見えない。
 作庭年代の判別には決め手を欠いているが、
訪ねる事が楽しみな隠れた美しい庭である事に
相違は無い。
 
 
-------------------------------------------------------------- 
    
     
 理覚院庭園 
    
    (滋賀県長浜市木ノ本町井口) 
     
 
 
 現在は観音堂がポツリと建つのみだが、この
地の豪族で浅井家の重臣であった井口氏の菩提
寺であった。近くに井口弾正邸宅跡という石碑
が建っていた。
 庭園は観音堂と隣接する公民館との間に残さ
れており、かつては池泉庭園だったようだが、
現在は枯池となっている。手前に亀島石組、奥
に滝石組が意匠されている。
 かなり荒廃はしているものの、造形的美意識
が鮮烈に感じられる良い庭だと感じられた。池
泉庭園らしく、石組が絵画的に組まれているか
らなのかもしれない。
 池泉の丸い形状からも江戸中期頃の作庭と思
われる。小堀遠州作という話が一般的に流布し
ているが、根拠のない伝説にすぎない。かと言
って、庭の価値が損なわれるものではない。
 
 
-------------------------------------------------------------- 
    
     
 玉泉寺庭園 
    
    (滋賀県長浜市三川町) 
     
 
 
 長浜を中心とした東浅井郡一帯は、戦国時代
の華麗な舞台となった地域である。浅井家の居
城小谷城、姉川の古戦場、秀吉の拠点となった
長浜城など、つわものの夢の跡としての雰囲気
に満ちていて、旅する者の想像を豊かにする。
 旧虎姫町のこの寺は、比叡山延暦寺の名僧良
源の誕生地として名高い。
 庭園はかつて存在した書院の庭で、手前に細
長い池泉が造られ、亀島に石橋が渡してある。
この部分はかなり荒廃しており、後世に改修の
手が入っていると思われるのは残念だった。
 白眉は写真の滝石組部分で、正面の築山に豪
放な立石を組んで枯滝を意匠している。まこと
に優れた石組で、江戸初期の力強さに続く時代
の作だろうと思う。
 亀島の石組に対する、鶴石組としての意図も
感じられる。
 
 
-------------------------------------------------------------- 
    
     
 大通寺含山軒庭園 
    
    (滋賀県長浜市元浜町) 
     
  
 
 大通寺は東本願寺長浜別院という大寺で、含
山軒・旧学問所・蘭亭の三箇所にそれぞれ小庭
ながら美しい庭園が残されている。

 写真は含山軒の前庭で、左奥に築山を配し、
そこを背景として立派な枯滝石組が組まれてい
る。ほぼ円形の枯池には、亀島らしき中島が意
匠されており、江戸中期の様式をはっきりと見
ることが出来る。
 福田寺の庭に似た立石主体の滝石組だが、石
の表情にどこか様式のみに傾斜する弱さが感じ
られる。桃山期の豪快な面影を残す江戸初期と
の違いは、この様式化しつつ草創期の力強さを
失っていく度合いの差かもしれない。
 しかし、地割の意匠と石組との均衡が程よく
とれているので、滝石組を中心とした景観はと
ても美しく感じられる。

 伊吹山の借景を意識して意匠されているとの
ことで、実際その山容を眺める事ができるのだ
が、敢えて山の見えないアングルから写真を撮
った。伊吹山の美しさを鑑賞するために、この
ような豪壮な石組の前景が果たして必要だろう
か。借景否定論者としての主張なのだが……
 
 
-------------------------------------------------------------- 
    
     
 大通寺蘭亭庭園 
    
    (滋賀県長浜市元浜町) 
     
 
 
 蘭亭書院の庭園はやや荒廃おり、現在は枯池
に見えるが、従来は池泉庭園であった。
 書院南側の小庭だが、細長い池の向こうが出
島のようになっており、そこに築山を設けて滝
石組を組んでいる。
 写真左奥に、その立石群を中心とした滝石組
が見える。林立する様は豪華で、意欲的な石組
なのだが、時代的な弱々しさが見えるのは致し
方ないのだろう。

 手前の斜石が魅力で、橋添石か亀頭石と思っ
たが、違和感の感じられる切石橋を後補とすれ
ば、護岸石を兼ねた蓬莱石と考える方が正しい
かもしれない。
 荒廃の度は激しいが、趣味良くまとまった雰
囲気のある庭園である。
 
 
-------------------------------------------------------------- 
    
     
 長浜八幡宮庭園 
    
    (滋賀県長浜市宮前町) 
     
 
 八幡太郎義家の創建と伝えられる、長浜曳山
祭りで有名な古社である。
 その後盛衰を繰り返していたが、豊臣秀吉が
今浜(長浜)に封じられて以来、その庇護の下に
栄えたという。
 現在も広い境内を有しているが、その頃の面
影を伝えるものは少ない。池泉の中島の一画に
残る庭園の石組部分のみが、当時の力強い戦国
時代の美意識を伝えている。
 写真中央やや右側に巨石を立てた三尊石組が
在り、その左に向かって枯滝石組のようになっ
ている。
 かつての庭園のごく一部でしかないのだが、
石組が示す磊落な豪壮さは、これだけで十分観
賞に値する見事な遺構である。
 この様なけれんみの無い大らかさが桃山期の
特徴であり、失われたであろう庭の大部分を、
残された石組から想像する程楽しい作業は無い。
 
 
-------------------------------------------------------------- 
    
     
 旧汲月亭庭園 
    
    (滋賀県長浜市宮前町) 
     
 
 
 現在は三菱樹脂が所有しているので、事前に
見学をお願いしてあった。
 かつて前述の長浜八幡宮の別当寺であった、
妙覚院の庭園の遺構である。
 秀吉の家来であった曽呂利新左衛門の作庭だ
そうで、これは眉唾ものかと思ったのだが、信
頼に足る文献に書かれているそうなので信憑性
は高いらしい。
 写真でお分かり頂けると思うが、最奥に三尊
石によって枯滝を組み、見事な立石の辺りから
手前まで、枯流れが意匠されている。
 まことに小庭ながら、立石の豪快さと洒脱な
地割とが見事に融合しており、品格も備えてい
る屈指の傑作である。
 惜しむ無くは、大きな植栽の刈り込みが石組
を隠しており、無駄の無い配石の妙を見るのに
大いに邪魔となっている。
 また、手前の飛び石も後補で、折角の美観の
妨げとなっている事を知ってほしい。
 <非公開>
 
 
-------------------------------------------------------------- 
    
     
 池氏白雲堂庭園 
    
    (滋賀県長浜市浅井町南池) 
     
 
 この庭を訪ねたのは、今から約40年前のこ
とである。事前に往復葉書で見学の許可を頂い
ていたが、当主夫人の歓待に甘え、かなり長時
間写真を撮っていた事を覚えている。
 個人所有の庭園であり、植栽が多いのは致し
方ないが、手入れの行き届いた完璧な維持管理
に感心したものだった。
 まことに壮大な庭園で、正面に写真左手の滝
石組が築かれている。
 桃山期を連想させるような豪壮な石組だが、
どこかに繊細な翳りが含まれた江戸初期の美し
さの特徴を見ることが出来た。
 傾斜させた石の美しさは格別で、粉河寺の石
組を見る思いだった。
 右手前は亀島石組であり、残念ながら見えな
いが後方に立石鋭い鶴島が配されている。
 武家の系統とは申せ、民家の庭園として今日
まで、かくも豪壮な景観を保持されてこられた
当家歴代に敬意を表したい。 <要予約> 
 
 
-------------------------------------------------------------- 
    
     
 孤篷庵庭園 
    
    (滋賀県長浜市浅井町上野) 
     
   
 
 京都大徳寺孤篷庵の作庭で名高い小堀遠州の
菩提を弔うために、その子小堀宗慶が同名の寺
を創建したものである。

 庭園は江戸初期から中期にかけてのものと小
生は感じたが、正しいかどうかは判らない。石
組の力強さと地割全体の弱々しさが、どっちつ
かずの中間を考えさせてしまうからである。
 しかし、やや荒廃しているとは申せ、三尊石
が構成する滝石組付近の緊張感は見事であり、
周囲の景観を引き締めている。これみよがしで
大袈裟な石組とは対極に位置する、洒脱で俊敏
な感性を感じることが出来る。
 池泉部分と枯山水部分とが在るが、特に写真
の三尊石付近は、小庭ながらも繊細な美しさを
示している。
 手前に舟石が置かれているが、蓬莱世界を予
感させるという舟石そのものに余り造形性を感
じない小生には、とても脆弱な意匠だと思えて
ならない。舟そのものの形をした石を置く、と
いう短絡な発想が好きでないのだ。
 だが、全体的に清雅な印象を残す、まことに
爽やかな庭である。  
 
 
-------------------------------------------------------------- 
    
     
 赤田氏邸庭園 
    
    (滋賀県長浜市浅井町太田) 
     
 
 
 こんなに整然とした見事な古庭が、名家とは
申せ民家の庭として今日まで保存されてきたこ
とに驚愕した。
 赤田家に伝わる庭石運搬の絵巻物や、立石中
心の手法からも江戸初期の造庭が推定される。
広い池の手前から最奥の滝石組へ向かって、細
い岬状の出島が変化に富んだ景観を創出してい
る。美しい地割に、豪快な石組を施した当代の
傑作、と言えるだろう。
 予め見学をお願いしてあったのだが、快く知
的な解説で御案内下さった御当主に心より感謝
の意を表したい。
 
-------------------------------------------------------------- 
    
     
 名超寺平等院庭園 
    
    (滋賀県長浜市名越町) 
     
 
 
 名超寺は長浜市の最南東、幽邃な山奥に位置
する天台宗の大寺院だが、現在は本堂と二つの
塔頭を残すのみとなっている。
 塔頭の一つ平等院には、雑草が繁り荒廃はし
ているものの、江戸末期の作庭と伝わる池泉庭
園が残されていた。無住のお寺なので致し方は
無いのだが、これだけの古庭が荒れ放題という
のは何とも惜しいではないか。
 中央奥の枯滝石組が豪快であり、滝添石や遠
山石など立石も見事である。
 隣接する塔頭観成院にも石組の美しい庭があ
るのだが、石組全体が雑草や灌木に覆われて全
く見えなかった。
 何としても、これらの名園を蘇生させたいの
だが、滋賀県や長浜市の文化行政に期待するし
か方法はないのだろうか。
 
 
-------------------------------------------------------------- 
    
     
 福田寺庭園 
    
    (滋賀県米原市近江町長沢) 
     
 
 
 福田寺は長沢御坊と呼ばれる、1300年の
歴史を持つ古い寺である。

 初めてこの庭を見た印象は、なんと物静かで
上品なんだろうという事だった。しかし、詳細
に眺めてみると、厳選された石が無駄なく、し
かも鋭く張りつめた美意識に基づいて組まれて
いることに気付いたのだった。
 手前を枯池とし、山畔の三尊石による滝組を
中心として、その右の滝添石からさらに右の築
山の石組へと石が豪快に組まれている。
 桃山の豪壮な面影の中に、最初に物静かと感
じさせた繊細な緊張感が秘められており、江戸
初期の庭が示す調和の取れた美しさを見せてく
れる、小生好みの庭のひとつである。
 近年再訪したが、かなり荒廃しており、適切
なる管理維持を強く望むものである。
 
 
-------------------------------------------------------------- 
    
     
 来照寺庭園 
    
    (滋賀県米原市近江町高溝) 
     
  
 
 高溝には近年ニュータウンが建ったが、従来
は水田に囲まれた小さな集落であった。
 お寺は古い家並に囲まれていて探したが、境
内は思ったより広々としていた。御住職にお願
いをて、庭園を見学させていただいた。

 本堂の建物北側に築かれた枯山水の庭園で、
それ程広くはない空間に意匠されている。写真
の滝石組が築山の上部中央に据えられており、
絵画的な奥行きが感じられ、優れた景観を創出
した構成となっている。
 浄土真宗のお寺だけに、西方浄土を象徴する
三尊形式の滝石組から、栗石で表現された清流
となって石橋の架かる谷を下り大海へと注ぐ、
という構想なのであろう。
 とはいえ立石らしいのは滝石組の二石だけで
あり、他の石はほとんどが丸石または平石が、
組むというよりは置かれているように見える。
 全体的には、石組の背後に力弱さが隠れてお
り、作庭は江戸末期頃かと推定できる。
 しかし、従来から桃山時代の作とされていた
阿波国分寺庭園が江戸末期の作と判明したそう
であり、従来からの既成概念は通用しない場合
もありそうなので、うかうかと時代考証はしな
いほうが良いかもしれない。それとしても、は
じけるような造形意欲が表面に溢れた江戸初期
あたりとは違って、末期特有の巧妙ではあるが
やや穏やかな優しさが感じられるのである。
 趣味の良い庭であることには、違いはない。
 
 
-------------------------------------------------------------- 
    
     
 青岸寺庭園 
    
    (滋賀県米原市米原) 
     
 
 
 初めてこの庭を訪れたのはもう40年も前に
なるが、その時にはあまりに広大な庭に所狭し
と石組みが施されていることに驚愕し、何処を
見ればよいのか戸惑ったものだった。
 のびのびとした地割に、心の赴くままに石を
組んだといった風情の庭だが、奥の滝石組を中
心に鶴亀島や護岸の石組すべてまことに繊細な
美意識に支えられており、石の多さから感じる
上辺の派手さだけを見ていたのではこの庭の本
質は把握出来ないだろう。
 美しい庭においては、石は決して単独で存在
するのではなく、常に近くの石との間に密接な
協調関係、もしくは反発する緊張関係を持って
立っている。そのスリリングな力関係をどう演
出するかが、石組の最も面白いところかもしれ
ない。
 楽々園と作者は同じと聞くが、こちらの方が
自由闊達で、大らかな石組がなされているよう
に思える。若干のしまりの無さが欠点かもしれ
ないが個々の石組のレヴェルは梵百の及ぶとこ
ろではない。
 
 
-------------------------------------------------------------- 
    
     
 徳源院庭園 
    
    (滋賀県米原市山東町清滝) 
     
 
 
 このお寺訪問の目的は、実は京極家歴代の墓
地に並ぶ宝篋印塔群にあった。最古の塔は永仁
三年(鎌倉後期)の銘がある傑作だった。
 庭園の存在を御住職から伺い、驚いて拝見さ
せていただいたものである。

 山畔の斜面を利用した閑寂な庭園で、枯池の
周辺に護岸石組などを配している。
 かつては池泉回遊式の庭だったが、池は現在
枯池となってしまっており、滝石や護岸の石組
もかなり荒廃している。
 写真は、そんな中で最も力強さを見せる枯池
左手の集団石組で、豪快に石を組み上げた須弥
山石組のようだ。
 この庭が築造された江戸初期らしさを留めて
いるのは、どうやらこの石組と山畔の池の形だ
けだろう。
 滝石組の全貌が、植栽で見えないのが残念だ
った。
 
 
-------------------------------------------------------------- 
    
     
 玄宮園庭園 
    
    (滋賀県彦根市金亀町) 
     
 
 殿様が回遊して楽しむために造営された大名
庭園に、何故か偏見を持っていた。剛毅さと贅
沢だけの傲慢な見世物庭園、と認識していたか
らだった。
 ところが、ここ井伊家の庭は隣接する楽々園
と共に、キラリと輝く鋭い美的感覚に満ち溢れ
ており、結果小生に大名庭園を見直すきっかけ
を与えてくれた大恩人なのであった。
 それは、写真の中島に配された雄渾な立石や
岩島の造形感覚を見ただけで、これはモノが違
うと理解できたからなのだった。この一連の石
組は、鶴鳴渚と命名された鶴石組で本園を代表
する景観である。豪壮な地割に繊細華麗な石組
を組み合せた、見事な調和の世界が創出されて
いる。
 東京などにも残る大名庭園の先駆的存在であ
るが、桃山期の豪快かつ鋭敏な美意識の感じら
れる本庭と、江戸以降の単なる田舎大名による
堕趣味庭園との間には、雲泥と言っても良い程
の差がある。一言で言えば、品格と知性を備え
た趣味の良さ、そのものなのだろう。
 
 
-------------------------------------------------------------- 
    
     
 楽々園庭園 
    
    (滋賀県彦根市金亀町) 
     
 
 彦根城の名園として知られる玄宮園に隣接す
る旧欅御殿の庭で、現在は旅館となっている。
写真は宿泊した翌朝撮ったもので、余りに華麗
な石組に眼の醒める思いだった。
 滝石組から護岸に至る立石の羅列は豪快で、
水辺の岬を象徴した平石との対比が鮮やかであ
る。桃山期の豪放さから、やや繊細な美意識へ
と移行していく過渡期の作かと思われる。
 しかし特に正面の植木が大きく繁茂し過ぎて
いて、石組の中心部が見えないのが気になる。
植木鋏を借りて、即刻切り取りたい気分であっ
た。
 玄宮園や青岸寺も同じ作者とのことだが、そ
れぞれが個性的な庭ばかりであり、素人には明
確には判断し難い。なまじ余計な先入観念が有
るよりも、より自分の眼で率直に感じるために
は知らなくても良いという見方もある。
  <要予約>
 
 
-------------------------------------------------------------- 
    
     
 龍潭寺庭園 
    
    (滋賀県彦根市古沢町) 
     
 
 
 彦根の城主井伊家の建立だから江戸初期であ
り、寺としては左程古くはないと言える。庭園
も当然、それ以降の築造ということになる。
 書院西庭は、築山の手前にやや丸い池泉を配
しており、石組にも丸い小さな石が目立ってい
るのは江戸中期の典型と考えて良いだろう。
 さらに、築山部分の石組は植栽が多過ぎて、
余り良く見えない。
 だが、池泉右側の石橋周辺にこそ、この庭園
の優れた意匠が集中していることに注目せねば
ならぬ。
 枯滝が石橋の上部に造られているので、写真
左側の石組は滝石組ではなく鶴石組かもしれな
い。池の中に、余り優れた意匠とは思えない、
自然石の亀島が浮かんでいるからである。
 書院東庭は昭和に造られた枯山水であるが、
石が饒舌過ぎて統一感に欠け、あまり好きにな
れない。
 
 
-------------------------------------------------------------- 
    
     
 多賀大社庭園 
    
    (滋賀県多賀町多賀) 
     
 
 
 私達夫婦は約45年前に、都内の某ホテルで
挙式をした。その神事を司っていたのが近江の
多賀大社だったので、すぐに現地の本社に御礼
の参拝をしに行き、奥書院に在る庭園も拝観す
ることが出来たのだった。
 秋の日の夕方で、庭園は暗く、写真は余り良
い出来ではなかったが、幽邃で静謐な魅力は伝
わってくると思う。
 写真右奥に枯滝が在り、紅葉の陰に蓬莱石、
そして桃山期に相応しい豪壮な石橋、数石の鶴
石組と左端に亀石組が揃っている。
 かなり苔むし荒廃した印象を受けたが、詳細
に個々の石組を見ると、抑えた表現の中で何と
も華であり剛健なのである。
 先般、今日までこの夫婦が無事に続いたこと
の御礼を示すために、久しぶりに参拝すること
が出来た。
 
 
-------------------------------------------------------------- 
    
     
 胡宮神社庭園 
    
    (滋賀県多賀町敏満寺) 
     
 
 
 神社の本殿からは少し離れた、社務所の脇か
ら眺める庭となっている。
 かつては旧敏満寺の建っていた場所で、庭園
はその時のものであった。
 神社の本殿が建つ高台の斜面を利用した池泉
鑑賞式の庭園なのだが、写真で見る通り、余り
にも植栽の刈込が中心となっているために、小
石とは言え据えられた石組の大半が隠れてしま
っているのである。
 中央に右側から張り出した出島を意匠した凹
字形の池泉を配し、山畔には意欲的な石組が見
られる。特に左側上下には力強い石組や配石が
確認出来る。
 刈込の美しさも、庭園にとっては大切な要素
ではあるのだが、この庭の創建当初にここまで
植栽が繁っていたとは考え難い。双方を引き立
てるような石組と植栽のバランスが命であり、
花を愛でるための庭であれば、石組は全く不要
だろう。
 
 
-------------------------------------------------------------- 
    
     
 唯念寺庭園 
    
    (滋賀県豊郷町四十九院) 
    
   
 
 古代の池庭遺構が残る阿自岐神社に近い、四
十九院という珍しい名の集落に在る浄土真宗の
寺院である。
 昭和十三年に重森三玲氏によって発見された
庭園だそうだが、当初より荒廃甚だしく現在の
姿が案じられたのだが、妙な修復の手が全く入
っておらず、荒廃した状態がそのまま維持され
ていたことに驚いた。
 御住職のお話では、重森氏から現状維持を指
導されたとのことで、最小限の手入れのみ続け
てこられたそうである。歴史的に貴重な庭園が
軽率に改悪された事例は多く、聡明な見識に脱
帽であった。

 広大な庭園の大半は荒廃しており、山畔に組
まれた写真の須弥山式の石組が造形的な中心と
なっている。まことに豪快かつ戦慄的な立石で
あり、滝石組なのかと思われたが、左手に滝石
組や渓流石組が崩壊した遺構が見られることか
ら、滝近くの築山に組まれた別の石組と考えら
れる。
 それにしても見るからに剛毅な立石であり、
須弥山を象徴するのに相応しい巨石である。や
や傾斜した立ち姿が魅力的であり、この石組だ
けのためにも、これ以上の荒廃を避ける努力を
お願いする次第である。
 築庭当初は池泉庭園であったと伺ったが、亀
島や鶴島の遺構も見られるので、暫くは往時の
景観を想像して楽しい時間を過ごした。 
 
 
-------------------------------------------------------------- 
    
     
 西明寺庭園 
    
    (滋賀県甲良町池寺) 
     
 
 湖東三山と称せられ、近江を代表する古刹で
ある。
 この庭園は江戸中期の作庭で、小振りの石が
多く使用され、やや脆弱な感じが有るのだが、
なぜか特有の雰囲気が好きで捨てがたい。
 意欲的に組まれた石組には、圧倒される様な
迫力は無いが、美の世界を構築しようとする作
者の情熱が伝わって来るのである。
 今見れば、丸い池泉、中島、山畔に散りばめ
られた小振りの石組等々、江戸中期以外の何物
でもないという典型的様式だが、作者の求めた
ものは今までに無かったような斬新な美しさだ
ったに違いない。時代が示す様式の不思議さで
ある。
 境内に建つ国宝三重塔の内部に描かれている
燦然たる壁画や、塔裏の石造宝塔を見ずに帰っ
てはならない。
 
 
-------------------------------------------------------------- 
    
     
 金剛輪寺庭園 
    
    (滋賀県愛荘町松尾寺) 
     
   
 
 ここも湖東三山の一つで、天平年間創建とい
う由緒ある古刹である。
 この庭園は、正式には本坊明寿院の庭で、色
々な時代の庭が複合した壮大な空間である。桃
山期と思われる南庭、江戸初期の東庭、江戸中
末期と推定される北庭などが仏殿や書院の周囲
に連なっている。
 写真は、南庭の中心となっている滝石組であ
る。最上部に巨石による三尊手法の滝を組み、
さらに豪壮な石を段状に組んである。立石は強
く傾斜させてあり、豪快で奔放な発想の桃山期
を象徴しているようだ。
 植栽の繁茂が甚だしいために、滅多には見ら
れぬ桃山時代の剛健な石組がほとんど隠れてし
まっている。石楠花など季節に咲く花を愛でる
とのことだが、それはぜひ別の場所に優しく移
植し、そちらでしみじみと鑑賞していただきた
いものだ。
 南庭は護岸や石橋にも桃山時代の優れた意匠
が見られ、本寺庭園群の中では白眉と言える。
 他の庭も、それぞれの時代の特徴をよく表し
ており、時代による様式の違いを学習できる。
 
-------------------------------------------------------------- 
    
     
 教林坊庭園 
    
    (滋賀県安土町石寺) 
     
 
 
 西国三十三ケ所第三十二番札所である、観音
正寺の塔頭として創建された寺である。
 西国巡礼の折に、事前に見学をお願いしてあ
ったので、快く客殿の座敷へ通して頂いた。

 庭園は客殿南庭で、それほど広い空間ではな
いが池泉を配し、豪壮な立石や巨石が所狭しと
配された意欲的な庭である。
 最も印象的だったのが写真の立石で、これほ
どまでに細長く角張った石を見事に立てた庭は
そうざらには無い。
 やや傾斜した角度が美しいし、周辺の石との
バランスが絶妙である。
 左の立石と滝石組を形成しているようにも見
えるし、手前の亀石組との対としての鶴石を演
出しているのかもしれない。
 スコットランドで見たメンヒルを連想してし
まったのだが、それほどこの立石は象徴的な雰
囲気と存在感を示している。

 池泉右手に石橋が掛かっており、これは石組
で洞窟を表現しているようにも見える。
 やや伏石が多過ぎるのが目立つので、江戸初
期から中期にかけての作庭ではないかと思う。
 
 
-------------------------------------------------------------- 
    
     
 大池寺庭園 
    
    (滋賀県甲賀市水口) 
     
 
 
 8世紀の天平年間に創建されたと伝えられる
古い寺で、現在は臨済宗妙心寺派の禅寺となっ
ている。
 水口城を築城した小堀遠州が、その折に作庭
したと伝えられる。更に、さつきの刈込と白砂
を主体とした意匠が、やはり遠州作庭説の有る
高梁頼久寺との共通点として挙げられるのであ
る。だが決定的な確証は無い。
 約400年前の刈込がどんな形をしていたか
は不明で、たった10年前の写真と比べても部
分的に変化しているのが判るほどなのである。
 この独創的な枯山水としてのアイディアが、
どういう発想から生まれたのかについては興味
が有る。
 ただ、6月初旬の花の季節になると、庭園の
造形よりも花だけを愛でるために訪れる人ばか
りで溢れるのが何故か気に入らない。人それぞ
れ好き好きなのだから、それもいいではないか
と思いつつも。
 
 
-------------------------------------------------------------- 
    
     
 松尾神社庭園 
    
    (滋賀県東近江市八日市) 
     
 
 
 この豪快な蓬莱式枯山水が元々神社の庭園で
あったとは考えにくく、かつては寺院のもので
あったのだろう。
 周辺はかなり荒廃しているが、鶴亀と思しき
石組による二つの島が堂々と連なっている。迫
力有る立石が庭を立体的に盛り上げ、全体に張
りつめた空気を漂わせる役目を果たしている。
 室町期の上品で貴族趣味的な優雅さが消え去
った後に出現した、価値観をすっかり塗り替え
てしまう様な、エネルギーに満ち溢れた造形こ
そが桃山時代の美術の特徴だとされる。この庭
は正にそれを庭に具現した作品だと言える。
 この神社のように、観光ルートからは全く外
れた場所に有る庭園を訪ねる楽しさは格別で、
自分だけが知っている特別の場所といった趣が
ある。
 写真の位置から庭全体を眺めると、あたかも
林立する石のオブジェ、或いはモダンアートの
作品ででもあるかのような錯覚すら覚える。
 
 
-------------------------------------------------------------- 
         
     このページTOPへ 
 
     次のページ (近江西部) へ 
 
     日本庭園TOPへ 
 
     総合TOPへ    掲示板へ