東方ビザンチン美術紀行 (3) |
ギリシャ (南部・エーゲ海) のビザンチン教会 |
ギリシャ南部の地方と中心都市 6 ペロポニソス半島 Peloponisos (Patra) 7 キクラデス諸島 Kyklades (Rodos) 8 クレタ島 Kriti (Iraklio) |
ローマと小アジア、そしてオリエントから伝 来した異質の文明の合流の中に誕生した、とも 思えるビザンチン芸術なのだが、地理的には地 中海を介在したこの地域こそが、その接点だっ たのではないかと考えられる。 実際この地方を旅すると、古代遺蹟の中にプ リミティヴなビザンチン教会が残されている場 面に度々遭遇する。 時代の巾がありすぎて同一線上では語れない のだが、旅人の目には何とも魅力的な光景とな っているのだった。 |
サントリニ島イアの教会 Ía (Santorini) |
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ミストラ廃墟/ 聖ディミトリオス大聖堂 Mistrás/Ágios Dimitrios |
6 ペロポニソス半島/ラコニア県 (Lakonia) |
ペロポニソス戦争でアテネと闘った古代スパ ルタ Sparti の都市国家があった場所の近く、 ビザンチン時代に栄えたミストラの町の廃墟が 残っている。 13世紀の初めに十字軍の砦が出来たのが起 源となり、以後東ローマ帝国の総督府が置かれ る程の繁栄を誇った。ビザンチン文化の中心と して、多くの教会が建造され、フレスコ画が描 かれた。 広大な町は山頂に城砦のある“上の町”と、 その麓の“下の町”に分かれている。 南北に細長く広がる下の町の門を入ると、城 壁に沿った右側に、堂々たる鐘楼と角張った後 陣を持つこの大聖堂が見えてくる。 13世紀末に建造された聖堂で、三廊式のバ ジリカ形式である。ギリシャ十字ではなく、細 長い身廊は西ヨーロッパ的な印象を受ける。 写真は、身廊中央から祭室方向を眺めたもの で、円柱の列が構成するアーケードが美しい。 後陣のドームに描かれているのは聖母子像で 13~14世紀の作品だと言われている。 左側の身廊の壁には、聖ディミトリオスの殉 教場面が描かれている。 また、右側後陣のドームにはビザンチン十字 架を載せた空位の玉座が描かれ、これを天使達 が囲っている場面が描かれている。最後の審判 に再来する、キリストを待つ場面を象徴してい るのだそうで、いかにもビザンチンらしい図像 である。 |
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ミストラ廃墟/ ヴロントヒオン修道院 (聖テオドリ教会) Mistrás/Vrontohión (Ágios Theodoros) |
6 ペロポニソス半島/ラコニア県 (Lakonia) |
この修道院には院内に二つの教会が在り、そ の一つがこの教会である。 創建は13世紀末なので、先述の大聖堂と共 にミストラでは最古の部類に入る。 写真で見る様に、ギリシャ十字形の交差部に 特徴的なクーポラが設けられており、ビザンチ ンの最盛期を髣髴とさせるようだ。 八つの開かれた半円アーチ窓と、八つの閉ざ された盲アーチが交互に付けられている。 内部は開口窓の下にアーケードが構築されて いるので、八つのアーケードがあり、身廊と袖 廊に仕切られた四隅には方形の礼拝堂が設けら れている。 かつて後陣は陶器のタイルで飾られていたそ うだが、現在は全く失われてしまった。フレス コ画は若干だが、柱や壁に残されている。 |
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ミストラ廃墟/ ヴロントヒオン修道院 (オディイトリア教会) Mistrás/Vrontohión (Ágios Odigítria) |
6 ペロポニソス半島/ラコニア県 (Lakonia) |
修道院のもう一つの教会で、聖テオドリ教会 からさらに奥へと入った緑濃い渓谷の近くに建 っている。丁度、下の町の北端に位置する。 一般的には、アフェンディコ教会と呼ばれて おり、聖母マリアに捧げて14世紀に建てられ たそうだ。 建築はナルテックスや三つの身廊を組み合わ せた十字形で、交差部の大クーポラのほかに幾 つかの小クーポラが立ち上がっている。 写真は小クーポラの一つで、トリビューンの 様な中二階の上に四つのアーチで支えられてい る。大クーポラも基本的に構造は同じである。 ナルテックスにはキリストの行った奇跡の数 々が描かれており、特に印象に残ったのが「井 戸端のサマリア女」だった。イタリアのトレチ ェント・ルネサンスを想起させるような、優れ た画家の仕事だったにちがいない。 ナルテックスから身廊への入口のアーチ上、 タンパンのような半円部分に描かれた聖母子像 も忘れられない。幼児キリストを膝に乗せ、両 手をオランテのように挙げる聖母の纏う赤い衣 装が、何とも素晴らしかった。 私達はここから、左周りで遺蹟を巡ることに なる。聖テオドリ教会の脇から石段を上って、 上の町との境界に近い所まで歩いた。 |
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ミストラ廃墟/ パンダナサ修道院 Mistrás/Pandánassa |
6 ペロポニソス半島/ラコニア県 (Lakonia) |
下の町の最上部、上の町との境界に接して建 つ女子修道院である。 創建は14世紀末から15世紀にかけて、と 言われており、三層の鐘楼と赤レンガのクーポ ラの付いた聖堂が、緑の糸杉やオリーブの木々 に囲まれて、美しく輝いて見えた。 下の町全体を見晴らせる柱廊アーケードが、 聖堂の側面に設けられている。 背後に回って後陣を眺めたが、三つの半円形 に張り出した二層の小後陣の連続アーチ壁など が見事だった。尖頭アーチなど、ゴシック的な 意匠も見ることが出来る。 聖堂は三廊式バジリカ様式で、写真は北側の 側廊を撮影したものである。 ビザンチンというよりは、むしろ西欧的な聖 堂に近いプランかもしれない。 写真で見るように、側廊の円柱アーケードは 古式の大らかな雰囲気で、あらゆる壁面はフレ スコ画で埋め尽くされている。 中央祭室のドームには天使に挟まれた聖母子 像が描かれており、この修道院が聖母マリアに 捧げられていることを示している。 フレスコ画の制作年代は15世紀が中心らし いが、エルサレム入城やラザロの復活といった 場面には、ルネサンス的な生き生きとした表現 力が発揮されている。 |
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ミストラ廃墟/ ペリヴレプトス修道院 Mistrás/Perívleptos |
6 ペロポニソス半島/ラコニア県 (Lakonia) |
今度は石段を下り、小石の道を更に進むと、 下の町の南端に建つこの修道院へたどり着く。 聖堂へ通じるアプローチは荘厳で、美しいア ーチ門を抜けて行く時間は胸が躍る。 立体的に構成された建築で、上部に三廊バジ リカ式の教会があって、下部の建築とは複雑な 石段や通路で結ばれている。 聖堂の中へ入って驚いた。 写真は中央のドーム部分で、壁から柱から、 アーチの内側に至る聖堂じゅうの全ての面がフ レスコで覆われている、と言っても過言ではな い。制作年代は大半が14世紀のもので、ミス トラで見た素晴らしいフレスコの中でも、最も 優れた内容が揃っていると思う。 中央のクーポラには、天使や聖人達に囲まれ た全能の神キリスト像が描かれており、いかに もビザンチンらしい表現である。 クーポラを支える四方のアーチに描かれたフ レスコは、キリストの生涯が主題である。 中でも特に、キリスト降誕・ヨルダン河の洗 礼・エルサレム入城などが卓越した完成度を示 している。絵画的な構成、動きの感じられる人 物のデッサン力、色彩の豊かさなどが他からは 抜きん出ている、と感じられた。 ビザンチン芸術の第三期黄金時代を代表する 建築であり、フレスコ画であると思う。 |
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ミストラ廃墟/聖ソフィア教会 Mistrás/Ágía Sofía |
6 ペロポニソス半島/ラコニア県 (Lakonia) |
写真は、上の町にある聖ソフィア教会の側面 柱廊で、背後の山頂には城塞が写っている。 教会の下方に、領主を意味するデスポテート の王宮が残されており、教会は14世紀に創建 された王宮付属教会であった。 正面に見えるが、この柱廊は聖堂の左側側壁 に設けられており、写真中央の扉口は十字の袖 廊に造られたことになる。 門を入ったところは、聖堂を囲む柱廊に設け られた小クーポラで、更に奥が聖堂の中央クー ポラである。 内陣には多色大理石の敷石が残っている部分 もあり、壁面に描かれたフレスコ画と共に、創 建往時の繁栄振りが伺える。 写真の右側に、独立して建つ方形の鐘楼があ ったのだが、これはシャンパーニュの様式が影 響しているものだろう。 |
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イエラーキ/福音史家教会 Geráki/Ágíos Évangelistria |
6 ペロポニソス半島/ラコニア県 (Lakonia) |
スパルタの町に滞在し、そこを基点として古 代の遺跡やビザンチン教会を巡った。 聖ルカが描いたという聖母マリアの奇跡のイ コンを見るために、絶壁に建つエローナ修道院 へと向かう途中で、私達はビザンチン時代の遺 構が残るこの中世の町を訪ねた。 13世紀半ばにミストラを模して建造された 十字軍の城塞都市だったが、13世紀末にはビ ザンチンの支配下に移ったという。 時間的な余裕が無かったので、城塞へは登ら ず数箇所のビザンチン教会を巡った。 町に最も近い空き地のような場所に、この小 さな教会がポツンと建っている。 中央のクーポラを、切妻式の建物が四方から 囲み、後陣にのみ半円形の祭室が飛び出してい るという、この地方でよく見られるビザンチン 教会の様式である。 12世紀の建築と伝えられているので、城塞 が建造される13世紀以前に、既に教会は建て られていたことになる。 写真は後陣で、素朴な感じが大層好ましい。 反対側の正面には、切妻屋根の上にみせかけ ファサードの様な、細長い鐘塔が設けられてい る。内部にはフレスコ画が若干残されていたの だが、かなり損傷が激しかった。 |
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イエラーキ/聖アタナシウス教会 Geráki/Ágios Athanássios |
6 ペロポニソス半島/ラコニア県 (Lakonia) |
詳しいガイドブックが無いので、手当たり次 第に車で探し回ったのだが、この教会は城塞へ と向かう道路の脇の角地に、墓地に接するよう にして建っていたのですぐそれと判った。 ここは三廊式ギリシャ十字形の聖堂で、写真 で見る通り三つの小後陣が魅力的である。 後陣の窓の周辺や、切妻屋根の下の壁面に造 られたアーチ窓など、赤レンガによる幾何学模 様が素朴だが美しい。 扉が閉ざされていて、見るべきフレスコ画を 断念した。 13世紀初頭の建築だそうで、時代からもロ マネスク建築に通じるような、精神の充実から 生まれた造形の抽象的な美しさが感じられて嬉 しかった。 |
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イエラーキ/聖ソッソン教会 Geráki/Ágios Sossón |
6 ペロポニソス半島/ラコニア県 (Lakonia) |
城塞への道をさらに進んで行くと小さな分岐 点があり、オリーブの林の中へと通じる小道が あった。車を広い場所に停め、細い道を歩いて いくとパッと前が開け、このチャーミングな聖 堂が目に飛び込んできた。 中央にクーポラを設け、四方を切妻屋根で囲 ったこの地方ならではの素朴なプランである。 12世紀の建築であり、窓もほとんど無い、 石を積んだだけのプリミティヴな聖堂である。 ギリシャ十字形の井桁構造で、後陣には三つ の小祭室が張り出している。前記の聖アタナシ ウス教会に、とても類似している様に見える。 紀元前のミノア文明や、究極の美とも言える パルテノンを筆頭とする神殿建築を完成させた 同じギリシャにおいて、かくも簡素で抽象的で 神秘的な聖堂建築が建てられたことは、歴史上 の奇跡としか思えない。 |
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モネムヴァシア/ 聖ニコラオス教会 Monemvassía/Ágios Nikólaos |
6 ペロポニソス半島/ラコニア県 (Lakonia) |
海の中に浮かぶ岩山のようなこの場所は、モ ン・サン・ミシェルのように一本の突堤で本土 と結ばれている。 町へのアプローチはこの突堤しかなく、町の 名はギリシャ語の móni émbassis モニ・エ ンバシスで、唯一の入口という意味らしい。 島の北側は断崖になっていて人は住めず、町 は岩山の南側の崖下に海に面して細長く広がっ ている。車を止め、城門を入ると古びた石の家 並と、一本の石畳の道が延びている。 季節にはリゾートとなるようで、B&Bやタ ベルナやワイン・ショップが軒を連ねていた。 通りを少し歩くと、町の中心で大聖堂のある ジャミウ広場へと出る。 この写真の教会はさらに町の東端に位置する やや高台に建っており、16世紀に建造された ものだという。ヴェネツィアが支配していた時 代でもあり、そう言われればそうした雰囲気が 感じられる、ような気もする。 改造もされており、これぞビザンチンとは凡 そ言えないのだが、珍しい町の教会でもあり、 いかにも地中海的な感じのする遺構なので、写 真だけでもと想い掲載した次第である。 |
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モネムヴァシア/パナイア・ ミルティディオティサ教会 Monemvassía/ Panagía Mirtidiótissa |
6 ペロポニソス半島/ラコニア県 (Lakonia) |
前述のジャミウ広場の上の高台に建つ13世 紀の聖堂で、かつては十字軍の騎士団の拠点と なっていたらしい。 単身廊バジリカで、半円筒カマボコ型の屋根 が素朴である。 写真は後陣で、四方に窓の付いたクーポラが 堂々としていていかにも騎士団が関わった遺構 らしく、堅固な要塞風でもある。 正面のファサードには、ヴェネツィア風の丸 窓などもあり、やはりヴェネツィアとの歴史的 な繋がりは無視できないだろう。 扉口は完全に閉ざされており、内陣へは入れ なかった。 手前の細い道は、アクロポリスと呼ばれる岩 山の頂上にある城塞へと通じている。 |
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モネムヴァシア/聖ソフィア教会 Monemvassía/Ágía Sofía |
6 ペロポニソス半島/ラコニア県 (Lakonia) |
紺碧の海と旧市街を眺望しながら、アクロポ リス(上の町)へと石段を登った。 町の大半は廃墟となっているため土台や礎石 を残すのみで、城塞の門や壁などの遺構以外に 残っている建築はこの教会だけだった。 11世紀に創建されたフランク時代の聖堂遺 構で、一時はシトー修道会に属していた事もあ ったらしい。 方形プランの中央にクーポラの設けられたビ ザンチン式の構造であるが、近年も含め修復を 繰り返してきたそうだ。 写真は北側側面からのもので、手前がナルテ ックス(玄関廊)、左奥が後陣である。 堂々たるクーポラなので、内部の円蓋を見た かったのだが、ここでも入口の扉は開かなかっ た。 ナルテックスの上部に、ビザンチンらしい二 羽の孔雀を彫ったレリーフが残されており、創 建当初のものであるという。 |
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ハルダ (マーニ)/ タクシアルヒス教会 Haroúda (Máni)/ Ágios Taxiargis |
6 ペロポニソス半島/ラコニア県 (Lakonia) |
一般的にほとんど知られていないマーニ半島 に関しては、現地で購入したビザンチン教会の 所在を記した一枚の案内書が頼りとなった。 18世紀のフレスコが残る Areópoli アレ オポリの聖イヨアニス教会を見学してから、最 初の目的地であるこの村へと入った。 写真は後陣からのもので、創建は11~12 世紀と伝えられており、やや無骨ながらまこと に均整の取れた見事な聖堂だった。 ギリシャ十字の聖堂は三つの小祭室を持ち、 やや細長い身廊と立派なナルテックスを擁して いる。 壁面の様々な石やレンガが、過去の修復を物 語る古傷となっているが、獅子を彫ったビザン チンらしい浅浮彫などが嵌め込まれていて往時 を偲ばせる。 |
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ドリアロス (マーニ)/ ビザンチン教会 Dríalos (Máni)/ Ágios |
6 ペロポニソス半島/ラコニア県 (Lakonia) |
マニ半島の西海岸を走る唯一の周遊道路を南 下し、暫く行った所から山側へと入った所にこ の集落はある。 この教会については、ただビザンチン時代と のみ記されているだけで、聖堂の名前すら判ら なかった。 単身廊の礼拝堂のような聖堂が二つ、T字型 に結ばれて建っている。 内部は壁で仕切られているので、何故連結さ れているのかは不明だ。 全く人影が見えず、尋ねることも出来ない。 もっとも、ギリシャ語など皆目解らないのだか ら、その必要も無かっただろう。 入口の素朴な円柱と柱頭、二つのアーチで形 成された扉口、さらに高く聳えるマーニ風の鐘 楼など、地面に埋もれ込んだかのような愛らし い建築がすっかり気に入ってしまった。 こうした叙情的な感動の前では、時代的な考 証など全く無用だった。 しかし、せめて名前ぐらい知りたいものだ。 |
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エリモス (マーニ)/ ビザンチン教会 Érimos (Máni)/ Ágios |
6 ペロポニソス半島/ラコニア県 (Lakonia) |
周遊道路を更に少し南下し、今度は海側へと 入る。ここにはマニでも美しい教会の一つとさ れる聖ヴァルヴァラ教会 Ágia Varvara がある ということだった。 小さな集落なのに、これも皆目判らずに探し 回った挙句、やっと見つけたのがこの教会だっ た。近くに居た親爺に「ヴァルヴァラか?」と 聞くとうなづいたのだが、やはり別の教会だっ たかも知れない。12世紀創建の聖堂とは、と ても見えないからである。 それでも、情緒的旅人の目には、堂々たるク ーポラや、愛らしい後陣、切妻型の屋根、素朴 なナルテックスに立ち上がった鐘楼と、マニ・ ビザンチンの役者が揃っていて嬉しかった。 マーニの教会探しは外れも多いが、謎めいて いて結構面白い。 |
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ガルデニツァ (マーニ)/ 聖救世主教会 Gardenítsa (Máni)/ Ágios Sotirios |
6 ペロポニソス半島/ラコニア県 (Lakonia) |
メザポス Mezapos という鄙びた漁港近く に一軒だけあった食堂で、新鮮な素材の焼き魚 を食べた。鯵に似た青い魚だったが大層な美味 で、調理は漁師の奥さんが手際よくさばいてく れた。親爺が港で網の修理をしているところを 見れば、どうやら食堂の経営は奥さん任せのよ うだった。 その港から数キロのところに、この教会のあ る鄙びた集落が開けている。 11~12世紀に建てられた聖堂で、方形の プランに三身廊という最も簡素で典型的な構造 である。 写真は後陣に張り出した三つの祭室部分で、 堂々としたクーポラには落ち着いた雰囲気があ り、時間が堆積したような歴史の重みを感じさ せる建築だった。 特徴的なのは正面の玄関廊で、中央の身廊の 巾だけが前面に飛び出した格好になっている。 正面が半円アーチ門で、両脇は二連アーチの アーケード風という意匠が面白かった。 ここでも扉口が閉ざされていて、聖堂内部を 見ることができなかった。 マニは観光的には全く未開なので、致し方な いかと諦めた。実際、教会を巡る観光客は他に 全くおらず、教会も使用されずに遺蹟化してし まっているようだった。 |
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タラメス/聖ソフィア教会 Thalámes/Ágia Sofia |
6 ペロポニソス半島/メッシニーア県 (Messinia) |
マニ半島から古都イテッィロ Ítilo を抜け て、一路カラマタ Kalamáta の町を目指しメ ッシニーア湾岸道路をドライブした。糸杉や葡 萄畑の続く入り組んだ海岸線の景色が、とても 和やかで美しかった。 最初の大きな集落がここで、街道沿いに建つ この教会の前に車を停めた。 13世紀に建てられた聖堂との事だったが、 司祭の巡回時間から外れていて扉は開かなかっ た。 方形三廊式のプランが採用され、切妻屋根、 クーポラ、マニ式鐘楼と全てが揃っている。 ファサードに造られた盲アーケードや装飾ア ーチの意匠がユニークであり、美しいアンサン ブルとなっている。 |
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ノミツィ/メタモルフォシス教会 Nomitsí/Metamórfossis |
6 ペロポニソス半島/メッシニーア県 (Messinia) |
タラメスの隣の集落で、家並の少し手前の石 塀の中に、この11世紀に創建された聖堂が建 っていた。 いかにも古びたという風情が何とも言えず嬉 しかったのだが、相変わらず扉口は硬く閉ざさ れていて聖堂内には入れなかった。 壁面は切石積で、目地部分に赤いレンガを用 いてアクセントにしてある。この地方では決し て珍しくは無いが、崩れかかったような雰囲気 には似合っている。 方形の三廊式で、中央にクーポラの円蓋が設 けられた典型的なビザンチン様式である。 扉口の上の方形の窓のようなものは壁龕にな っていて、中にキリストの上半身を描いたイコ ン画が納められていた。 フランス語のガイドブックによると、この教 会は Église de Transfiguration と記されてい るので、メタモルフォシスは「キリスト変容」 を意味していると考えられる。 ノミツィの村の中央あたりの路傍に、聖アナ ルイリ Anárgiri という礼拝堂があった。建造 年代は不明だが、素朴なクーポラのある礼拝堂 で、堂内の壁にはフレスコ画が描かれていた。 |
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プラッツァ/聖ニコラオス教会 Plátsa/Ágios Nikólaos |
6 ペロポニソス半島/メッシニーア県 (Messinia) |
糸杉やオリーブの林が続く中をドライブし、 メッシニーア湾を望む景勝の地に建つこの教会 へ着いた。 ここには珍しく堂守の老人が居て、教会の扉 を開けて中を見学させてくれた。 創建は10世紀まで遡るそうだが、かなり修 復が施されたらしい。 聖堂内はフレスコ画があちこちに描かれてい たが、残念ながらかなり傷んでいたり、後世の 修復が顕著であったりするものばかりだった。 扉口上のまぐさ石部分に彫られた動物の像と 植物模様に、創建時の片鱗を見た思いがした。 窓一つないバジリカ式の聖堂にも、プリミテ ィブな美しさが表れていて嬉しかったので、思 わず教会に献金してしまった。 |
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カルダミリ/聖スピリドナス教会 Kardamíli/Ágios Spíridonas |
6 ペロポニソス半島/メッシニーア県 (Messinia) |
町外れの小高い丘の上に、丸で城塞の様な石 の塀に囲まれてこの風変わりな教会が建ってい る。 13世紀の建造で、先ず目に入るのは正面フ ァサードに取り付けられた鐘楼だろう。屋根の 上にすっくと建つ五層の細身の塔で、この地方 では珍しい存在である。塔には黒っぽい石ばか りが使われているので、浮き立って見えるのだ ろう。 八角形のクーポラは明り取りの窓の無い要塞 風で、やや無骨な印象を受ける。 写真は南側側面の壁で、扉口の周辺やその上 の盲アーケード、窓の周囲などにレリーフが嵌 め込まれている。 よく見ると、ビザンチン特有の孔雀や蔓草が 図案化されたものが多いのだが、壁面の石とは 異質の素材である。その理由については不明だ った。 |
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ティーラ遺蹟 (サントリニ島)/ 聖ステファノス礼拝堂 Arhéa Thíra (Santoríni)/ Ágios Stefanos |
7 キクラデス諸島 (Kyklades) |
エーゲ海に浮かぶキクラデス諸島の最南端の 島で、正式にはティーラ島という。 私達はフィラ Firá の町に滞在して、この絶 景の島を探訪した。 この遺蹟は島の東端に位置しており、飛行場 を見下ろせる岩山の上に広がっている古代の都 市の遺構である。 紀元前9世紀に起源を持ち、前3世紀にはエ ジプトのプトレマイオス朝が支配し始め全盛期 を迎えたという。 壮大な規模の神殿や劇場、石畳の街路、石の 壁や町並の土台などが延々と続いている。 遺蹟の入口付近がビザンチン地区で、ローマ の統治下でキリスト教が根付いたのである。 ここに蒲鉾を二つ並べた様な格好をした、石 を積んだだけの礼拝堂がポツンと建っている。 写真は堂内の円柱で、側廊との境目を示す列 柱である。 天井は簡素な円筒ボールトだが、円柱の間に 半円アーチで構築されるはずのアーケードは見 られない。 いつごろ建造されたものかは不明だが、この 遺蹟そのものが13世紀には完全に廃墟化して いたとのことなので、それ以前であることだけ は確かだろう。 |
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エピスコピ・ゴニアス (サントリニ島)/ ビザンチン教会 Episkopí Goniás (Santoríni)/ Panagía Episkopís |
7 キクラデス諸島 (Kyklades) |
先述の遺蹟からフィラの町へ戻る途中に、西 へ向かって入る細い道がある。 その道の突き当たりに建っているのがこの教 会で、ティーラ遺蹟は背後の山を隔てた反対側 に当たる。 ビザンチン皇帝アレクシウスによって建立さ れた11世紀に起源を持つ古い教会で、島では 最も美しい聖堂だと言われている。 薄いピンク色の聖堂はとても優雅で、この過 酷な火山島にあって生き抜いてきた不死鳥のよ うにも見えた。 中央のクーポラや後陣の三連窓とチャーミン グな円柱などが、創建当時のビザンチン文化の センスの良さを物語っている様に感じられた。 この教会を訪ねたのは、堂内に残された創建 当初のフレスコ画が目的だった。 かなり損傷が激しく、或いは補修の手も相当 入っているのが残念だったが、もっと残念なの は写真撮影が厳禁ということだった。 この島の降り注ぐ陽光の鮮烈さは格別で、海 のコバルトブルーが白い家並に反射して強烈な 景観を創出していた。 (このサイトの表紙写真参照) |
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ミコノス (ミコノス島)/ パラポルティアーニ教会 Míkonos (Míkonos)/ Paraportianí |
7 キクラデス諸島 (Kyklades) |
島の中心リマニ港 Limáni から急坂を登っ た所にある安ホテルに滞在し、Dílos ディロ ス島も含めてあちこちと歩き回った。 港から露地を抜けて、小ヴェネツィアと呼ば れるアレフカンドラ街 Alefkándra に出る直 前の角地に、白い岩の塊りの様な建物造が建っ ている。 一見すると城塞や崩れた壁の様に見えるが、 平面プランは典型的なビザンチン様式である。 ギリシャ十字形が基本であり、交差部にクー ポラが設けられている。 写真は正面から撮ったものだが、ナルテック スと塔が崩れてしまった痕跡が見える。 周辺に建てられた礼拝堂も含めて、紺碧の空 と青い海の中に浮かび上がった白い聖堂が鮮烈 だった。 |
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ゴルティス遺蹟 (クレタ島)/ 聖ティトス聖堂 Górtis (Kríti)/Ágios Titos |
7 キクラデス諸島 (Kyklades) |
クレタ島のクノッソス Knossos 宮殿に代表 されるミノア文明は、紀元前25~11世紀に 栄えたとされる。しかし、紀元前16世紀初頭 のティーラ島大地震によって崩壊し、その後は ミケーネ Mikínes の侵入等ギリシャに融合し ていった。 紀元前1世紀半ばにローマがクレタを支配す るのとほぼ同時に聖パウロが島に渡り、その弟 子聖ティトスが福音伝道者となった。 この町はローマ時代のクレタの首都であり、 7世紀頃から繁栄したらしい。 キリスト教は1世紀の聖ティトスによる伝道 以来根付いていき、迫害などを経験しながら4 世紀にはここゴルティスに大司教座が置かれて いたのである。 聖ティトスの殉教地の跡に建てられたこの教 会は、その7世紀に創建されたと思われる。 現在残っているのは写真の後陣だけで、あと は礎石と土台の石くればかりである。 しかし、この聖堂が三身廊で三つの後陣を有 し、両端に半円形のトランセプト(袖廊)があ るというユニークな十字形の平面プランであっ た事を、これらの遺構が明確に示していて興味 深い。 オディオンという音楽堂は、神話時代にゼウ スとエウローベが愛し合った地とされ、その近 くに伝説のプラタナスの樹があった。 |
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アイア・トリアダ遺蹟 (クレタ島) /聖イヨルイヨス教会 Agía Triáda (Kríti)/ Ágios Geórgios |
7 キクラデス諸島 (Kyklades) |
クレタ島の現在の首都イラクリオ Iraklio は細長い島の中央北端に在り、反対の南端の谷 間にはメサラ Messará 平野が広がっている。 クノッソス宮殿に似たミノアの遺蹟として著 名なフェストス Festós の近くに、別のミノ ア遺蹟であるこの宮殿を中心とした集落跡が残 されている。 この町がたどった歴史は先述のゴルティスと 同じだが、遺蹟の外れに建つこのビザンチン式 の礼拝堂はずっと後の14世紀のものとされて いる。 ビザンチン皇帝のクレタ島支配は4~13世 紀とされるので、その後のヴェネツィア支配の 時代に建てられたものだろう。 長方形単身廊の小堂で、小さな半円形の後陣 が付けられている。 写真はその祭室部分で、ドーム部分や天井に までフレスコ画が描かれている。かなり損傷が 激しいが、キリストやマリアの他多くの聖人像 が確認できる。 正面扉口の周囲は連続する植物模様で飾られ ており、また屋根の切妻部分には十字架や花模 様の浅浮彫が嵌め込まれている。 |
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ヴァルサモネロ修道院 (クレタ島)/ 聖ファヌリオス教会 Monastirí Valsamónero (Kríti)/Ágios Fanoúrios |
7 キクラデス諸島 (Kyklades) |
アイア・トリアダ遺蹟の真北に横たわる山脈 の向こう側へと回り込んだ所にあるのがこの修 道院で、その中の付属教会が目的だった。 写真は後陣を写したものだが、先ず目に付く のが二身廊式である。クレタではよく見る様式 で、近くのヴロンディシ修道院でも見られた。 ラテン教会とギリシャ正教会とに、使い分け られたらしい。 中央の身廊は14世紀のもので、聖母マリア の生涯や多くの聖人像を描いたフレスコ画で装 飾されていた。 片側の身廊には15世紀のフレスコ画が描か れており、同じ様な作風はナルテックスにも見 られた。かつてエル・グレコもここに滞在した ことがあるという。 |
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