東方ビザンチン美術紀行 (3)   
 ギリシャ
  
(南部・エーゲ海)
    のビザンチン教会
 
 
 
 ギリシャ南部の地方と中心都市
  
 ペロポニソス半島 Peloponisos
       (Patra)

  
 キクラデス諸島 Kyklades (Rodos)
  
 クレタ島
Kriti (Iraklio) 
 
 ローマと小アジア、そしてオリエントから伝
来した異質の文明の合流の中に誕生した、とも
思えるビザンチン芸術なのだが、地理的には地
中海を介在したこの地域こそが、その接点だっ
たのではないかと考えられる。
 実際この地方を旅すると、古代遺蹟の中にプ
リミティヴなビザンチン教会が残されている場
面に度々遭遇する。
 時代の巾がありすぎて同一線上では語れない
のだが、旅人の目には何とも魅力的な光景とな
っているのだった。
 
 
    
 
  サントリニ島イアの教会 Ía (Santorini)  
 
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 ミストラ廃墟
    聖ディミトリオス大聖堂

  Mistrás/Ágios Dimitrios 
     
    
 ペロポニソス半島/ラコニア県
        
(Lakonia)

             
   
 
 ペロポニソス戦争でアテネと闘った古代スパ
ルタ
Sparti の都市国家があった場所の近く、
ビザンチン時代に栄えたミストラの町の廃墟が
残っている。
 13世紀の初めに十字軍の砦が出来たのが起
源となり、以後東ローマ帝国の総督府が置かれ
る程の繁栄を誇った。ビザンチン文化の中心と
して、多くの教会が建造され、フレスコ画が描
かれた。
 広大な町は山頂に城砦のある“上の町”と、
その麓の“下の町”に分かれている。

 南北に細長く広がる下の町の門を入ると、城
壁に沿った右側に、堂々たる鐘楼と角張った後
陣を持つこの大聖堂が見えてくる。

 13世紀末に建造された聖堂で、三廊式のバ
ジリカ形式である。ギリシャ十字ではなく、細
長い身廊は西ヨーロッパ的な印象を受ける。
 写真は、身廊中央から祭室方向を眺めたもの
で、円柱の列が構成するアーケードが美しい。
 後陣のドームに描かれているのは聖母子像で
13~14世紀の作品だと言われている。
 左側の身廊の壁には、聖ディミトリオスの殉
教場面が描かれている。
 また、右側後陣のドームにはビザンチン十字
架を載せた空位の玉座が描かれ、これを天使達
が囲っている場面が描かれている。最後の審判
に再来する、キリストを待つ場面を象徴してい
るのだそうで、いかにもビザンチンらしい図像
である。
 
 
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 ミストラ廃墟
   ヴロントヒオン修道院
      (聖テオドリ教会)

  Mistrás/Vrontohión
     (Ágios Theodoros)
 
     
    
 ペロポニソス半島/ラコニア県
       
(Lakonia)

             
 
 
 この修道院には院内に二つの教会が在り、そ
の一つがこの教会である。
 創建は13世紀末なので、先述の大聖堂と共
にミストラでは最古の部類に入る。
 写真で見る様に、ギリシャ十字形の交差部に
特徴的なクーポラが設けられており、ビザンチ
ンの最盛期を髣髴とさせるようだ。
 八つの開かれた半円アーチ窓と、八つの閉ざ
された盲アーチが交互に付けられている。
 内部は開口窓の下にアーケードが構築されて
いるので、八つのアーケードがあり、身廊と袖
廊に仕切られた四隅には方形の礼拝堂が設けら
れている。
 かつて後陣は陶器のタイルで飾られていたそ
うだが、現在は全く失われてしまった。フレス
コ画は若干だが、柱や壁に残されている。
 
 
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 ミストラ廃墟
   ヴロントヒオン修道院
       (オディイトリア教会)

  Mistrás/Vrontohión
        (Ágios Odigítria)
 
     
    
 ペロポニソス半島/ラコニア県
        
(Lakonia)

             
   
 
 修道院のもう一つの教会で、聖テオドリ教会
からさらに奥へと入った緑濃い渓谷の近くに建
っている。丁度、下の町の北端に位置する。
 一般的には、アフェンディコ教会と呼ばれて
おり、聖母マリアに捧げて14世紀に建てられ
たそうだ。

 建築はナルテックスや三つの身廊を組み合わ
せた十字形で、交差部の大クーポラのほかに幾
つかの小クーポラが立ち上がっている。
 写真は小クーポラの一つで、トリビューンの
様な中二階の上に四つのアーチで支えられてい
る。大クーポラも基本的に構造は同じである。

 ナルテックスにはキリストの行った奇跡の数
々が描かれており、特に印象に残ったのが「井
戸端のサマリア女」だった。イタリアのトレチ
ェント・ルネサンスを想起させるような、優れ
た画家の仕事だったにちがいない。

 ナルテックスから身廊への入口のアーチ上、
タンパンのような半円部分に描かれた聖母子像
も忘れられない。幼児キリストを膝に乗せ、両
手をオランテのように挙げる聖母の纏う赤い衣
装が、何とも素晴らしかった。

 私達はここから、左周りで遺蹟を巡ることに
なる。聖テオドリ教会の脇から石段を上って、
上の町との境界に近い所まで歩いた。
 
 
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 ミストラ廃墟
    パンダナサ修道院

  Mistrás/Pandánassa 
     
    
 ペロポニソス半島/ラコニア県
        
(Lakonia)

             
   
 
 下の町の最上部、上の町との境界に接して建
つ女子修道院である。
 創建は14世紀末から15世紀にかけて、と
言われており、三層の鐘楼と赤レンガのクーポ
ラの付いた聖堂が、緑の糸杉やオリーブの木々
に囲まれて、美しく輝いて見えた。

 下の町全体を見晴らせる柱廊アーケードが、
聖堂の側面に設けられている。
 背後に回って後陣を眺めたが、三つの半円形
に張り出した二層の小後陣の連続アーチ壁など
が見事だった。尖頭アーチなど、ゴシック的な
意匠も見ることが出来る。

 聖堂は三廊式バジリカ様式で、写真は北側の
側廊を撮影したものである。
 ビザンチンというよりは、むしろ西欧的な聖
堂に近いプランかもしれない。
 写真で見るように、側廊の円柱アーケードは
古式の大らかな雰囲気で、あらゆる壁面はフレ
スコ画で埋め尽くされている。
 中央祭室のドームには天使に挟まれた聖母子
像が描かれており、この修道院が聖母マリアに
捧げられていることを示している。
 フレスコ画の制作年代は15世紀が中心らし
いが、エルサレム入城やラザロの復活といった
場面には、ルネサンス的な生き生きとした表現
力が発揮されている。
 
 
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 ミストラ廃墟
    ペリヴレプトス修道院

  Mistrás/Perívleptos 
     
    
 ペロポニソス半島/ラコニア県
       
(Lakonia)

             
   
 
 今度は石段を下り、小石の道を更に進むと、
下の町の南端に建つこの修道院へたどり着く。
 聖堂へ通じるアプローチは荘厳で、美しいア
ーチ門を抜けて行く時間は胸が躍る。

 立体的に構成された建築で、上部に三廊バジ
リカ式の教会があって、下部の建築とは複雑な
石段や通路で結ばれている。

 聖堂の中へ入って驚いた。
 写真は中央のドーム部分で、壁から柱から、
アーチの内側に至る聖堂じゅうの全ての面がフ
レスコで覆われている、と言っても過言ではな
い。制作年代は大半が14世紀のもので、ミス
トラで見た素晴らしいフレスコの中でも、最も
優れた内容が揃っていると思う。
 中央のクーポラには、天使や聖人達に囲まれ
た全能の神キリスト像が描かれており、いかに
もビザンチンらしい表現である。
 クーポラを支える四方のアーチに描かれたフ
レスコは、キリストの生涯が主題である。
 中でも特に、キリスト降誕・ヨルダン河の洗
礼・エルサレム入城などが卓越した完成度を示
している。絵画的な構成、動きの感じられる人
物のデッサン力、色彩の豊かさなどが他からは
抜きん出ている、と感じられた。
 ビザンチン芸術の第三期黄金時代を代表する
建築であり、フレスコ画であると思う。
 
 
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 ミストラ廃墟聖ソフィア教会
   Mistrás/Ágía Sofía 
     
    
 ペロポニソス半島/ラコニア県
        
(Lakonia)

             
 
 
 写真は、上の町にある聖ソフィア教会の側面
柱廊で、背後の山頂には城塞が写っている。
 教会の下方に、領主を意味するデスポテート
の王宮が残されており、教会は14世紀に創建
された王宮付属教会であった。
 正面に見えるが、この柱廊は聖堂の左側側壁
に設けられており、写真中央の扉口は十字の袖
廊に造られたことになる。
 門を入ったところは、聖堂を囲む柱廊に設け
られた小クーポラで、更に奥が聖堂の中央クー
ポラである。
 内陣には多色大理石の敷石が残っている部分
もあり、壁面に描かれたフレスコ画と共に、創
建往時の繁栄振りが伺える。
 写真の右側に、独立して建つ方形の鐘楼があ
ったのだが、これはシャンパーニュの様式が影
響しているものだろう。
 
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 イエラーキ福音史家教会
  Geráki/Ágíos Évangelistria 
     
    
 ペロポニソス半島/ラコニア県
       
(Lakonia)

             
    
 
 スパルタの町に滞在し、そこを基点として古
代の遺跡やビザンチン教会を巡った。
 聖ルカが描いたという聖母マリアの奇跡のイ
コンを見るために、絶壁に建つエローナ修道院
へと向かう途中で、私達はビザンチン時代の遺
構が残るこの中世の町を訪ねた。

 13世紀半ばにミストラを模して建造された
十字軍の城塞都市だったが、13世紀末にはビ
ザンチンの支配下に移ったという。
 時間的な余裕が無かったので、城塞へは登ら
ず数箇所のビザンチン教会を巡った。

 町に最も近い空き地のような場所に、この小
さな教会がポツンと建っている。
 中央のクーポラを、切妻式の建物が四方から
囲み、後陣にのみ半円形の祭室が飛び出してい
るという、この地方でよく見られるビザンチン
教会の様式である。
 12世紀の建築と伝えられているので、城塞
が建造される13世紀以前に、既に教会は建て
られていたことになる。

 写真は後陣で、素朴な感じが大層好ましい。
 反対側の正面には、切妻屋根の上にみせかけ
ファサードの様な、細長い鐘塔が設けられてい
る。内部にはフレスコ画が若干残されていたの
だが、かなり損傷が激しかった。
 
 
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 イエラーキ聖アタナシウス教会
   Geráki/Ágios Athanássios 
     
    
 ペロポニソス半島/ラコニア県
        
(Lakonia)

             
 
 
 詳しいガイドブックが無いので、手当たり次
第に車で探し回ったのだが、この教会は城塞へ
と向かう道路の脇の角地に、墓地に接するよう
にして建っていたのですぐそれと判った。

 ここは三廊式ギリシャ十字形の聖堂で、写真
で見る通り三つの小後陣が魅力的である。
 後陣の窓の周辺や、切妻屋根の下の壁面に造
られたアーチ窓など、赤レンガによる幾何学模
様が素朴だが美しい。
 扉が閉ざされていて、見るべきフレスコ画を
断念した。
 13世紀初頭の建築だそうで、時代からもロ
マネスク建築に通じるような、精神の充実から
生まれた造形の抽象的な美しさが感じられて嬉
しかった。
 
 
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 イエラーキ聖ソッソン教会
   Geráki/Ágios Sossón 
     
    
 ペロポニソス半島/ラコニア県
       
(Lakonia)

             
 
 
 城塞への道をさらに進んで行くと小さな分岐
点があり、オリーブの林の中へと通じる小道が
あった。車を広い場所に停め、細い道を歩いて
いくとパッと前が開け、このチャーミングな聖
堂が目に飛び込んできた。
 中央にクーポラを設け、四方を切妻屋根で囲
ったこの地方ならではの素朴なプランである。
 12世紀の建築であり、窓もほとんど無い、
石を積んだだけのプリミティヴな聖堂である。
 ギリシャ十字形の井桁構造で、後陣には三つ
の小祭室が張り出している。前記の聖アタナシ
ウス教会に、とても類似している様に見える。

 紀元前のミノア文明や、究極の美とも言える
パルテノンを筆頭とする神殿建築を完成させた
同じギリシャにおいて、かくも簡素で抽象的で
神秘的な聖堂建築が建てられたことは、歴史上
の奇跡としか思えない。
 
 
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 モネムヴァシア
     
聖ニコラオス教会

  Monemvassía/Ágios Nikólaos 
     
    
 ペロポニソス半島/ラコニア県
        
(Lakonia)

             
   
 
 海の中に浮かぶ岩山のようなこの場所は、モ
ン・サン・ミシェルのように一本の突堤で本土
と結ばれている。
 町へのアプローチはこの突堤しかなく、町の
名はギリシャ語の
móni émbassis モニ・エ
ンバシスで、唯一の入口という意味らしい。 

 島の北側は断崖になっていて人は住めず、町
は岩山の南側の崖下に海に面して細長く広がっ
ている。車を止め、城門を入ると古びた石の家
並と、一本の石畳の道が延びている。
 季節にはリゾートとなるようで、B&Bやタ
ベルナやワイン・ショップが軒を連ねていた。
 通りを少し歩くと、町の中心で大聖堂のある
ジャミウ広場へと出る。

 この写真の教会はさらに町の東端に位置する
やや高台に建っており、16世紀に建造された
ものだという。ヴェネツィアが支配していた時
代でもあり、そう言われればそうした雰囲気が
感じられる、ような気もする。
 改造もされており、これぞビザンチンとは凡
そ言えないのだが、珍しい町の教会でもあり、
いかにも地中海的な感じのする遺構なので、写
真だけでもと想い掲載した次第である。
 
 
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 モネムヴァシアパナイア・
    ミルティディオティサ教会

  Monemvassía/
     Panagía Mirtidiótissa
 
     
    
 ペロポニソス半島/ラコニア県
        
(Lakonia)

             
 
 
 前述のジャミウ広場の上の高台に建つ13世
紀の聖堂で、かつては十字軍の騎士団の拠点と
なっていたらしい。

 単身廊バジリカで、半円筒カマボコ型の屋根
が素朴である。
 写真は後陣で、四方に窓の付いたクーポラが
堂々としていていかにも騎士団が関わった遺構
らしく、堅固な要塞風でもある。
 正面のファサードには、ヴェネツィア風の丸
窓などもあり、やはりヴェネツィアとの歴史的
な繋がりは無視できないだろう。
 扉口は完全に閉ざされており、内陣へは入れ
なかった。

 手前の細い道は、アクロポリスと呼ばれる岩
山の頂上にある城塞へと通じている。
 
 
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 モネムヴァシア聖ソフィア教会
   Monemvassía/Ágía Sofía 
     
    
 ペロポニソス半島/ラコニア県
       
(Lakonia)

             
 
 
 紺碧の海と旧市街を眺望しながら、アクロポ
リス(上の町)へと石段を登った。
 町の大半は廃墟となっているため土台や礎石
を残すのみで、城塞の門や壁などの遺構以外に
残っている建築はこの教会だけだった。
 11世紀に創建されたフランク時代の聖堂遺
構で、一時はシトー修道会に属していた事もあ
ったらしい。
 方形プランの中央にクーポラの設けられたビ
ザンチン式の構造であるが、近年も含め修復を
繰り返してきたそうだ。
 写真は北側側面からのもので、手前がナルテ
ックス(玄関廊)、左奥が後陣である。
 堂々たるクーポラなので、内部の円蓋を見た
かったのだが、ここでも入口の扉は開かなかっ
た。    
 ナルテックスの上部に、ビザンチンらしい二
羽の孔雀を彫ったレリーフが残されており、創
建当初のものであるという。
 
 
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 ハルダ (マーニ)
     
タクシアルヒス教会

  Haroúda (Máni)/
      Ágios Taxiargis
     
    
 ペロポニソス半島/ラコニア県
       
(Lakonia)

             
 
 
 一般的にほとんど知られていないマーニ半島
に関しては、現地で購入したビザンチン教会の
所在を記した一枚の案内書が頼りとなった。
 18世紀のフレスコが残る
Areópoli アレ
オポリの聖イヨアニス教会を見学してから、最
初の目的地であるこの村へと入った。

 写真は後陣からのもので、創建は11~12
世紀と伝えられており、やや無骨ながらまこと
に均整の取れた見事な聖堂だった。
 ギリシャ十字の聖堂は三つの小祭室を持ち、
やや細長い身廊と立派なナルテックスを擁して
いる。
 壁面の様々な石やレンガが、過去の修復を物
語る古傷となっているが、獅子を彫ったビザン
チンらしい浅浮彫などが嵌め込まれていて往時
を偲ばせる。
 
 
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 ドリアロス (マーニ)
       ビザンチン教会

   Dríalos (Máni)/ Ágios
     
    
 ペロポニソス半島/ラコニア県
        
(Lakonia)

             
 
 マニ半島の西海岸を走る唯一の周遊道路を南
下し、暫く行った所から山側へと入った所にこ
の集落はある。
 この教会については、ただビザンチン時代と
のみ記されているだけで、聖堂の名前すら判ら
なかった。
 単身廊の礼拝堂のような聖堂が二つ、T字型
に結ばれて建っている。
 内部は壁で仕切られているので、何故連結さ
れているのかは不明だ。
 全く人影が見えず、尋ねることも出来ない。
もっとも、ギリシャ語など皆目解らないのだか
ら、その必要も無かっただろう。
 入口の素朴な円柱と柱頭、二つのアーチで形
成された扉口、さらに高く聳えるマーニ風の鐘
楼など、地面に埋もれ込んだかのような愛らし
い建築がすっかり気に入ってしまった。
 こうした叙情的な感動の前では、時代的な考
証など全く無用だった。
 しかし、せめて名前ぐらい知りたいものだ。
 
 
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 エリモス (マーニ)
       ビザンチン教会

   Érimos (Máni)/ Ágios  
     
    
 ペロポニソス半島/ラコニア県
        
(Lakonia)

             
 
 
 周遊道路を更に少し南下し、今度は海側へと
入る。ここにはマニでも美しい教会の一つとさ
れる聖ヴァルヴァラ教会
Ágia Varvara がある
ということだった。
 小さな集落なのに、これも皆目判らずに探し
回った挙句、やっと見つけたのがこの教会だっ
た。近くに居た親爺に「ヴァルヴァラか?」と
聞くとうなづいたのだが、やはり別の教会だっ
たかも知れない。12世紀創建の聖堂とは、と
ても見えないからである。
 それでも、情緒的旅人の目には、堂々たるク
ーポラや、愛らしい後陣、切妻型の屋根、素朴
なナルテックスに立ち上がった鐘楼と、マニ・
ビザンチンの役者が揃っていて嬉しかった。
 マーニの教会探しは外れも多いが、謎めいて
いて結構面白い。
 
 
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 ガルデニツァ (マーニ)
      聖救世主教会

  Gardenítsa (Máni)/
      Ágios Sotirios
 
     
    
 ペロポニソス半島/ラコニア県
        
(Lakonia)

             
   
 
 メザポス Mezapos という鄙びた漁港近く
に一軒だけあった食堂で、新鮮な素材の焼き魚
を食べた。鯵に似た青い魚だったが大層な美味
で、調理は漁師の奥さんが手際よくさばいてく
れた。親爺が港で網の修理をしているところを
見れば、どうやら食堂の経営は奥さん任せのよ
うだった。

 その港から数キロのところに、この教会のあ
る鄙びた集落が開けている。
 11~12世紀に建てられた聖堂で、方形の
プランに三身廊という最も簡素で典型的な構造
である。
 写真は後陣に張り出した三つの祭室部分で、
堂々としたクーポラには落ち着いた雰囲気があ
り、時間が堆積したような歴史の重みを感じさ
せる建築だった。
 特徴的なのは正面の玄関廊で、中央の身廊の
巾だけが前面に飛び出した格好になっている。
 正面が半円アーチ門で、両脇は二連アーチの
アーケード風という意匠が面白かった。

 ここでも扉口が閉ざされていて、聖堂内部を
見ることができなかった。
 マニは観光的には全く未開なので、致し方な
いかと諦めた。実際、教会を巡る観光客は他に
全くおらず、教会も使用されずに遺蹟化してし
まっているようだった。
 
 
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  タラメス聖ソフィア教会
   Thalámes/Ágia Sofia
     
    
 ペロポニソス半島/メッシニーア県
        
(Messinia)

             
 
 
 マニ半島から古都イテッィロ Ítilo を抜け
て、一路カラマタ
Kalamáta の町を目指しメ
ッシニーア湾岸道路をドライブした。糸杉や葡
萄畑の続く入り組んだ海岸線の景色が、とても
和やかで美しかった。
 最初の大きな集落がここで、街道沿いに建つ
この教会の前に車を停めた。
 13世紀に建てられた聖堂との事だったが、
司祭の巡回時間から外れていて扉は開かなかっ
た。
 方形三廊式のプランが採用され、切妻屋根、
クーポラ、マニ式鐘楼と全てが揃っている。
 ファサードに造られた盲アーケードや装飾ア
ーチの意匠がユニークであり、美しいアンサン
ブルとなっている。
 
 
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 ノミツィメタモルフォシス教会
   Nomitsí/Metamórfossis 
     
    
 ペロポニソス半島/メッシニーア県
        
(Messinia)

             
   
 
 タラメスの隣の集落で、家並の少し手前の石
塀の中に、この11世紀に創建された聖堂が建
っていた。
 いかにも古びたという風情が何とも言えず嬉
しかったのだが、相変わらず扉口は硬く閉ざさ
れていて聖堂内には入れなかった。

 壁面は切石積で、目地部分に赤いレンガを用
いてアクセントにしてある。この地方では決し
て珍しくは無いが、崩れかかったような雰囲気
には似合っている。
 方形の三廊式で、中央にクーポラの円蓋が設
けられた典型的なビザンチン様式である。
 扉口の上の方形の窓のようなものは壁龕にな
っていて、中にキリストの上半身を描いたイコ
ン画が納められていた。

 フランス語のガイドブックによると、この教
会は
Église de Transfiguration と記されてい
るので、メタモルフォシスは「キリスト変容」
を意味していると考えられる。

 ノミツィの村の中央あたりの路傍に、聖アナ
ルイリ
Anárgiri という礼拝堂があった。建造
年代は不明だが、素朴なクーポラのある礼拝堂
で、堂内の壁にはフレスコ画が描かれていた。
 
 
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 プラッツァ聖ニコラオス教会
   Plátsa/Ágios Nikólaos 
     
    
 ペロポニソス半島/メッシニーア県
         
(Messinia)

             
 
 
 糸杉やオリーブの林が続く中をドライブし、
メッシニーア湾を望む景勝の地に建つこの教会
へ着いた。
 ここには珍しく堂守の老人が居て、教会の扉
を開けて中を見学させてくれた。
 創建は10世紀まで遡るそうだが、かなり修
復が施されたらしい。
 聖堂内はフレスコ画があちこちに描かれてい
たが、残念ながらかなり傷んでいたり、後世の
修復が顕著であったりするものばかりだった。
 扉口上のまぐさ石部分に彫られた動物の像と
植物模様に、創建時の片鱗を見た思いがした。
 窓一つないバジリカ式の聖堂にも、プリミテ
ィブな美しさが表れていて嬉しかったので、思
わず教会に献金してしまった。
 
 
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 カルダミリ聖スピリドナス教会
  Kardamíli/Ágios Spíridonas 
     
     
 ペロポニソス半島/メッシニーア県
         
(Messinia)

             
 
 
 町外れの小高い丘の上に、丸で城塞の様な石
の塀に囲まれてこの風変わりな教会が建ってい
る。
 13世紀の建造で、先ず目に入るのは正面フ
ァサードに取り付けられた鐘楼だろう。屋根の
上にすっくと建つ五層の細身の塔で、この地方
では珍しい存在である。塔には黒っぽい石ばか
りが使われているので、浮き立って見えるのだ
ろう。
 八角形のクーポラは明り取りの窓の無い要塞
風で、やや無骨な印象を受ける。
 写真は南側側面の壁で、扉口の周辺やその上
の盲アーケード、窓の周囲などにレリーフが嵌
め込まれている。
 よく見ると、ビザンチン特有の孔雀や蔓草が
図案化されたものが多いのだが、壁面の石とは
異質の素材である。その理由については不明だ
った。
 
 
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 ティーラ遺蹟 (サントリニ島)
     
聖ステファノス礼拝堂

  Arhéa Thíra (Santoríni)/
      Ágios Stefanos
 
     
    
 キクラデス諸島 (Kyklades)

             
   
 
 エーゲ海に浮かぶキクラデス諸島の最南端の
島で、正式にはティーラ島という。
 私達はフィラ
Firá の町に滞在して、この絶
景の島を探訪した。

 この遺蹟は島の東端に位置しており、飛行場
を見下ろせる岩山の上に広がっている古代の都
市の遺構である。
 紀元前9世紀に起源を持ち、前3世紀にはエ
ジプトのプトレマイオス朝が支配し始め全盛期
を迎えたという。
 壮大な規模の神殿や劇場、石畳の街路、石の
壁や町並の土台などが延々と続いている。

 遺蹟の入口付近がビザンチン地区で、ローマ
の統治下でキリスト教が根付いたのである。
 ここに蒲鉾を二つ並べた様な格好をした、石
を積んだだけの礼拝堂がポツンと建っている。
 写真は堂内の円柱で、側廊との境目を示す列
柱である。
 天井は簡素な円筒ボールトだが、円柱の間に
半円アーチで構築されるはずのアーケードは見
られない。
 いつごろ建造されたものかは不明だが、この
遺蹟そのものが13世紀には完全に廃墟化して
いたとのことなので、それ以前であることだけ
は確かだろう。
   
 
 
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 エピスコピ・ゴニアス
   (サントリニ島)
       
ビザンチン教会

  Episkopí Goniás (Santoríni)/
     Panagía Episkopís
 
     
    
 キクラデス諸島 (Kyklades)

             
   
 
 先述の遺蹟からフィラの町へ戻る途中に、西
へ向かって入る細い道がある。
 その道の突き当たりに建っているのがこの教
会で、ティーラ遺蹟は背後の山を隔てた反対側
に当たる。

 ビザンチン皇帝アレクシウスによって建立さ
れた11世紀に起源を持つ古い教会で、島では
最も美しい聖堂だと言われている。
 薄いピンク色の聖堂はとても優雅で、この過
酷な火山島にあって生き抜いてきた不死鳥のよ
うにも見えた。

 中央のクーポラや後陣の三連窓とチャーミン
グな円柱などが、創建当時のビザンチン文化の
センスの良さを物語っている様に感じられた。

 この教会を訪ねたのは、堂内に残された創建
当初のフレスコ画が目的だった。
 かなり損傷が激しく、或いは補修の手も相当
入っているのが残念だったが、もっと残念なの
は写真撮影が厳禁ということだった。

 この島の降り注ぐ陽光の鮮烈さは格別で、海
のコバルトブルーが白い家並に反射して強烈な
景観を創出していた。
 (このサイトの表紙写真参照)   
 
 
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 ミコノス (ミコノス島)
    パラポルティアーニ教会

   Míkonos (Míkonos)/
     Paraportianí
 
     
    
 キクラデス諸島 (Kyklades)

             
 
 
 島の中心リマニ港 Limáni から急坂を登っ
た所にある安ホテルに滞在し、
Dílos ディロ
ス島も含めてあちこちと歩き回った。
 港から露地を抜けて、小ヴェネツィアと呼ば
れるアレフカンドラ街
Alefkándra に出る直
前の角地に、白い岩の塊りの様な建物造が建っ
ている。
 一見すると城塞や崩れた壁の様に見えるが、
平面プランは典型的なビザンチン様式である。
 ギリシャ十字形が基本であり、交差部にクー
ポラが設けられている。
 写真は正面から撮ったものだが、ナルテック
スと塔が崩れてしまった痕跡が見える。
 周辺に建てられた礼拝堂も含めて、紺碧の空
と青い海の中に浮かび上がった白い聖堂が鮮烈
だった。
 
 
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 ゴルティス遺蹟 (クレタ島)
       聖ティトス聖堂

  Górtis (Kríti)/Ágios Titos 
     
    
 キクラデス諸島 (Kyklades)

             
   
 
 クレタ島のクノッソス Knossos 宮殿に代表
されるミノア文明は、紀元前25~11世紀に
栄えたとされる。しかし、紀元前16世紀初頭
のティーラ島大地震によって崩壊し、その後は
ミケーネ
Mikínes の侵入等ギリシャに融合し
ていった。
 紀元前1世紀半ばにローマがクレタを支配す
るのとほぼ同時に聖パウロが島に渡り、その弟
子聖ティトスが福音伝道者となった。
 この町はローマ時代のクレタの首都であり、
7世紀頃から繁栄したらしい。
 キリスト教は1世紀の聖ティトスによる伝道
以来根付いていき、迫害などを経験しながら4
世紀にはここゴルティスに大司教座が置かれて
いたのである。

 聖ティトスの殉教地の跡に建てられたこの教
会は、その7世紀に創建されたと思われる。
 現在残っているのは写真の後陣だけで、あと
は礎石と土台の石くればかりである。
 しかし、この聖堂が三身廊で三つの後陣を有
し、両端に半円形のトランセプト(袖廊)があ
るというユニークな十字形の平面プランであっ
た事を、これらの遺構が明確に示していて興味
深い。

 オディオンという音楽堂は、神話時代にゼウ
スとエウローベが愛し合った地とされ、その近
くに伝説のプラタナスの樹があった。
 
 
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 アイア・トリアダ遺蹟 (クレタ島)
     /
聖イヨルイヨス教会
   Agía Triáda (Kríti)/
       Ágios Geórgios
 
     
    
 キクラデス諸島 (Kyklades)

             
   
 
 クレタ島の現在の首都イラクリオ Iraklio
は細長い島の中央北端に在り、反対の南端の谷
間にはメサラ
Messará 平野が広がっている。
 クノッソス宮殿に似たミノアの遺蹟として著
名なフェストス
Festós の近くに、別のミノ
ア遺蹟であるこの宮殿を中心とした集落跡が残
されている。

 この町がたどった歴史は先述のゴルティスと
同じだが、遺蹟の外れに建つこのビザンチン式
の礼拝堂はずっと後の14世紀のものとされて
いる。
 ビザンチン皇帝のクレタ島支配は4~13世
紀とされるので、その後のヴェネツィア支配の
時代に建てられたものだろう。

 長方形単身廊の小堂で、小さな半円形の後陣
が付けられている。
 写真はその祭室部分で、ドーム部分や天井に
までフレスコ画が描かれている。かなり損傷が
激しいが、キリストやマリアの他多くの聖人像
が確認できる。
 正面扉口の周囲は連続する植物模様で飾られ
ており、また屋根の切妻部分には十字架や花模
様の浅浮彫が嵌め込まれている。
 
 
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 ヴァルサモネロ修道院
    (クレタ島)
     
聖ファヌリオス教会

  Monastirí Valsamónero
   (Kríti)/Ágios Fanoúrios
     
    
 キクラデス諸島 (Kyklades)

             
 
 アイア・トリアダ遺蹟の真北に横たわる山脈
の向こう側へと回り込んだ所にあるのがこの修
道院で、その中の付属教会が目的だった。
 写真は後陣を写したものだが、先ず目に付く
のが二身廊式である。クレタではよく見る様式
で、近くの
ヴロンディシ修道院でも見られた。
 ラテン教会とギリシャ正教会とに、使い分け
られたらしい。
 中央の身廊は14世紀のもので、聖母マリア
の生涯や多くの聖人像を描いたフレスコ画で装
飾されていた。
 片側の身廊には15世紀のフレスコ画が描か
れており、同じ様な作風はナルテックスにも見
られた。かつてエル・グレコもここに滞在した
ことがあるという。  
 
 
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