フランシュ・コンテ地方
     のロマネスク
 Franche-Comté Romane 
 
   
 
   Église St-Pierre Château-Chalon
   
Jura
 
 アルザスの南、スイスと国境を接するフラン
シュ・コンテ地方はその名が示す「自由の国」
という通り、独立共同体意識の非常に強い地方
である。
 中心の町はブザンソン
(Besançon) で、美
しい町並を残している。
 ジュラ地方は深い谷と鬱蒼とした森林に覆わ
れた山岳地帯であり、その北側の日当たりの良
い斜面では“黄ワイン”とも呼ばれる格別香し
い白ワインが造られている。
 
 
 
  県名と県庁所在地
     
1 Haute-Saône (Vesoul)
     
2 Territoire de Belfort (Belfort)
     
3 Doubs (Besançon)
     
4 Jura (Lons-le-Saunier)
 
 
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 サン・リュピサン
    
聖リュピサン教会
  St-Lupicin/Église St-Lupicin 

      4 Jura    

          
   
 
 ジュラ地区の最東端に位置する小村で、近く
の中心都市サン・クロード
St-Claude から、
25キロ東へ走ればスイスとの国境に達し、道
はジュネーヴ
Genève へと続いている。

 教会は村の中央に建っており、中心部を抜け
D118 号線に面し扉口が設けられている。
 聖堂は三廊式十字形で三つの梁間を持ち、翼
廊との交差部に鐘塔が聳えている。
 身廊及び側廊の天井は尖頭交差リブ穹窿で構
成されているが、身廊のアーケードには豪快な
半円アーチが残されている。特に驚嘆すべきは
アーチを支える柱で、交差部分の四隅と扉口に
近い部分の柱が角柱、間の一本が円柱となって
おり、その豪快とも言える太さに圧倒される。
 実は、建物の規模に比して太すぎる程のこの
柱の太さが、このフランシュ・コンテ地方の特
徴なんだ、と気が付くまでにはもう少々時間を
必要としていたのだった。

 両側廊の延長線上に設けられた二つの小祭室
と主祭室は12世紀当初のままで、写真の後陣
の姿からもその美しさが理解出来ると思う。
 教会の背後は斜面になっているので、ちょっ
と離れた場所からは均整の取れた建築の後姿を
望むことが出来た。
 
 
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 サン・ティムティエール
    
聖ティムティエール教会
  St-Hymetière/
     
Église St-Hymetière 

      4 Jura    

          
 
 
 ジュラ最南端の寒村の外れ、広大な緑に囲ま
れてこの優雅でチャーミングな聖堂が建ってい
た。鮮烈な印象は修復で塗った漆喰が原因と判
っていても、深い森と牧草地の中に在っては、
強烈な色彩の説得力には全く抵抗の余地は無か
ったのだった。

 聖堂建築のプランは創建当初とほぼ変わらな
いのだが、部分的にはかなり修復されている様
だ。
 写真は後方からの後陣と鐘塔の眺めで、半円
形の主祭室と南側の翼廊と小祭室、そして聖堂
南側の壁面等が11世紀の生き残りだそうだ。
 厚塗りの役者みたいな外観に比して、内陣に
はプリミティヴな石積みが残されていた。特に
祭室の半円ドーム部分や、四本の付け円柱で構
成されている盲アーケード部分は、11世紀の
面影そのままのように感じられる。
 身廊と南側廊の天井は、半円筒穹窿で中二本
の半円横断アーチが魅力的だった。身廊と側廊
を仕切る角柱が太いので、アーケードはまるで
壁のような迫力を感じさせる。
 
 
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 ジニー聖トーラン教会
  Gigny/Église St-Taurin 

      4 Jura    

          
   
 
 ジニーの集落は前述のサン・ティムティエー
ルからは、西側の山一つ隔てた隣の谷にある小
さな村だった。ブルゴーニュ地方やアン
Ain
県との境界からは、かなり近い位置に在る。
 集落の中央部から東の山の斜面に向かって少
し登った所に、9世紀末創建のこの教会が建っ
ていた。
 西側正面の扉口、そして後方に聳える鐘塔の
屋根の姿からは、初期ロマネスク建築としての
魅力は全く感じられず少々がっかりした。しか
し、確かに扉口だけは15世紀の再建だが、正
面と身廊南側の壁面は11世紀のものであり、
写真の身廊は北側の壁面(13世紀)以外は1
1世紀の建築だったのである。がっかりする事
は全く無かったのだった。

 三廊式十字形のプランで、六つの梁間を持つ
大きな身廊である。天井は全て交差穹窿で、ア
ーケード上部に採光窓が設けられている。
 アーケード上部は後世の再建だが、見逃せな
いのがアーケード部分だろう。円柱が3本、角
柱が2本づつ並んでいるが、円柱は11世紀で
角柱は10世紀とのことだった。豪快な柱頭が
印象的である。
 柱頭に彫刻は無かったが、付け柱底部に様々
な動物や人面が彫られており、彫刻好きの溜飲
を下げるには十分だろう。
 翼廊交差部までが10世紀で、従来在ったは
ずの半円形後陣は失われ、方形の祭室が13世
紀に建てられたそうである。
 背後の丘の上から、集落を背景にして建つ教
会全体が眺められた。  
 
 
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 ロン・ル・ソーニエ
    聖デズィレ教会

  Lons-le-Saunier/
     Église St-Désiré
 

      4 Jura    

          
   
 
 ローマ時代から温泉で知られた古い町で、塩
取引で栄えた歴史が塩商人を意味するソーニエ
という名に表れている。
 ジュラ県の県庁所在地だ。

 教会は県庁に隣接した、町の中心部に建って
いた。ファサードは近年に、上部がゴシックに
改造されているが、写真で見る通り、聖堂の柱
は見事に太く石積みの美しい、何とも剛直な空
間を構成していた。
 この太い柱を見ながら、ブルゴーニュのトゥ
ールニュやシャペイズの教会を思い出した。ロ
マネスク初期の、不器用で不細工であった筈の
様式が、逆に腰の座ったロマネスクの美しさの
重要な要素となった不思議な価値観の逆転。

 聖堂の平面構造はアルボアの聖ジュスに似て
いるが、祭室や後陣はこちらの方が保存が良い
ようだ。
 11世紀の創建を物語るもう一つの証拠が、
地下に見られたクリプトである。
 細い柱が10本林立する地下祭室で、かなり
修復されてはいたが、それでもこの教会の基礎
となった神聖な場所として、きちんと保存され
ていた。
 
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 ボーム・レ・メシュー
     
旧聖ピエール修道院
  Baume-les-Messièurs/
   Ancienne Abbaye St-Pierre
 

      4 Jura    

          
  
 
 前述のロンの東側、割と近い山岳地に、風光
明媚で知られるボーム盆地
Cirque de Baume
というカール谷が在る。集落はその麓の渓谷沿
いに開けており、かつての修道院の遺構が町は
ずれの高台に残されていた。“美しい村”に指
定されている、花と清流に囲まれた村である。

 修道院は6世紀にアイルランドから来た聖コ
ロンバンによって創建された、という説がある
ほど歴史的に由緒ある存在だった。ブルゴーニ
ュ・クリュニーの初代修道院長
Bernon ベル
ノンはこの修道院から出た僧なのだそうだ。

 現在残っている教会堂には様々な修復が成さ
れてきており、聖堂の基本部分は12世紀、西
側扉口や祭室・後陣部分は15世紀のものが残
されている。
 身廊は九つの梁間を持つ壮大な建築で、太い
柱に支えられた天井は尖頭形の交差リブヴォー
ルトだった。アーケードより上部は採光窓も含
め、ゴシック様式に修復されている。
 ここでもアーケードの太い柱に目を見張らさ
れてしまう。写真は北側側廊部分で、豪壮な円
柱と八角柱、角柱が交互に立てられ、天井部分
は交差穹窿で構成されている。最もロマネスク
様式の残されている部分である。
 
 
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 シャトー・シャロン
    聖ピエール教会

  Château-Chalon/
    Église St-Pierre
 

      4 Jura    

          
   
 
 ここも“美しい村”に指定された一つで、そ
の愛らしい集落は葡萄畑に囲まれた高台の上に
展開する。(当サイト冒頭の表紙写真参照)

 教会は、周辺の村々や葡萄畑を見下ろせる絶
景の地に建っている。7世紀に起源を持ち、1
2世紀半ばに建てられた聖堂が現在まで伝わっ
ているとされるが、実際それはごく一部であっ
て、大半は後世のゴシック様式に改造されてい
るのである。
   
 ゾディアック叢書の写真を見て抱いていた素
朴な石積みの壁や柱は、現在全てが完全に漆喰
で塗り固められていたため、第一印象は「何じ
ゃこれは!」だった。修復や保存のために致し
方ないのか、それとも全く美意識を持ち合わせ
ていない連中の仕業なのだろうか、という疑問
が頭から離れなかった。
 壁も柱も柱頭彫刻さえも、“いっしょくた”
にして真っ白に塗りたくっている。優れた美意
識を持つ筈のフランス人の仕事とは到底思えな
い。折角の太い柱も、豪快なアーケードも、そ
の魅力は丸潰れになってしまっている。

 写真の鐘塔の静かな佇まいとテラスから眺め
たブレス地方の景観、そして当地産の“黄ワイ
ン”だけが心に残っただけになってしまった。
 
 
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 サン・ロタン聖ロタン教会
  St-Lothain/Église St-Lothain 

      4 Jura    

          
 
 
 観光的には全く無名のこの村は、アルボアの
町からは10キロ南西にある
Poligny ポリニ
イに程近い。痩せた葡萄畑が続く寒村で、教会
は集落から離れた斜面に、墓地に囲まれてポツ
ンと建っていた。
 目的は唯一つ、地下の祭室であるクリプトだ
が、運良く鍵は開いていた。留守番の老婦人が
一人、写真のクリプトで椅子に掛けていた。
 写真の許可を頂いたが、親切な婦人は邪魔だ
ろうと言って、撮影の間だけ上の身廊へと出て
行った。
 教会は後世の修復でロマネスクの原形を留め
ていなかったが、壁の修復は成されてはいるも
のの、このクリプトは、当初のストイックな雰
囲気と素朴なアーチで構成された美しい空間を
見事に保っていたのだった。
 少なからず感じていたゴシック病から、完全
に抜けきる時間が持てた。
 
 
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 アルボア聖ジュス教会
  Arbois/Église St-Just 

      4 Jura    

          
 
 
 途中の小さな村にある教会を訪ねながら、ブ
ザンソンから南西に50キロ走ると、アルボア
というやや大きな集落に着いた。ここはジュラ
のワインと、生物学者パストゥールで知られる
町なのである。

 キュイザンス
Cuisance の流れに架かる石
橋を渡ると、すぐに鐘塔のある教会が見えた。
 三廊式の身廊で、側廊のさらに外側に礼拝堂
を備えた複雑な構造になっている。身廊の柱は
11世紀創建当初のものだが、それ以外は12
世紀以降のもので、上部はゴシック様式となっ
ていた。

 写真は側廊から身廊を眺めたもので、角柱と
円柱が交互に立っている。柱の太さがプリミテ
ィヴなロマネスク建築を象徴しており、当時の
ダイナミックな創造性を感じさせてくれた。
 ブザンソンでも感じたことだが、それにして
も何故、ゴシックを陳腐と感じてしまうのだろ
う。単なるロマネスク病で片付けてよいものな
んだろうか、という疑問が頭から離れない。
 この晩は、町の中心に在る旅籠
Jean-Paul  
Jeunet
に泊まり、美味な料理を楽しんだ。
 
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 サラン・レ・バン
    
聖アナトワール教会
  Salins-les-Bains/
    
Église St-Anatoile 

      4 Jura    

          
 
 
 この町に残る世界遺産の大製塩工場を見学し
てから、高台に建つこの教会を訪ねた。
 11世紀に創建された後、13世紀にかなり
の部分が改造されたらしい。
 身廊の梁間は六つあるが、天井は全て交差リ
ブヴォールト構造で、採光窓、盲アーケード、
尖頭アーケードなど、ゴシック様式で構成され
ている。円柱と付け柱、柱頭の一部、そして身
廊のプラン(平面図)にのみ、ロマネスクの名
残が見られた。
 ゴシックの浸透が早かった北フランスで、純
粋なロマネスク建築を探すことは至難なのかも
しれない。
 
 
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 クルトフォンテーヌ
     
旧聖母小修道院
  Courtefontaine/
   Ancien Prieuré Notre-Dame
 

      4 Jura    

          
 
 
 アルボアからブザンソンへと向かう途中、キ
ンゲイという村から西へ進むとドゥー
Doubs
川近くにこの小さな集落へ行き着く。
 12世紀の小修道院の跡地に残る教会堂は均
整のとれた美しい佇まいだったが、残念なこと
に扉口が固く閉まっており、開ける手段が全く
見つからなかった。
 ファサードにはロマネスク的な扉口が残され
ており、鐘塔のロンバルディア帯装飾も綺麗に
残っている。
 外観からの判断だが、三つの梁間を持つ三廊
式の身廊と交差する翼廊、そして三つの後陣で
構成されている。主祭室は方形で、南側小祭室
のみが半円形だった。   
 
 
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 アバン・デス(リューデュー)
      旧小修道院

  Abbans-Dessous (Lieu-Dieu)/
      Ancien Prieur
é
 

      3 Doubs    

          
   
 
 ドゥー川沿いに東へ6キロ行った辺りで、整
然としたこの集落へと到着する。
 この聖堂は、かつての小修道院跡の礼拝堂の
ような建築で、現在は個人の邸宅の敷地の中に
保存されている。
 アバン・デスの集落の北側にリュー・デュー
という通りが在り、その突き当りの森の中にこ
の邸宅がひっそりと建っていた。
 必死の交渉で見学を許可していただき、何と
か内部を見せていただくことが出来た。

 12世紀初頭にアバンの守護神として聖母、
聖ペテロとパウロを祭って建てられた、由緒正
しい修道院であったという。
 かつては五つの梁間を持つ三廊式身廊から成
る十字形の聖堂であり、交差部に鐘塔が建って
いたそうだが、現在は身廊の大半は失われ、身
廊の梁間一つと翼廊、三つの後陣だけが残され
ている。
 写真は主祭室の半円形後陣部分で、プリミテ
ィヴな石積みの壁面やアーチが魅力的である。
 塔の在った交差部は、四隅にトロンプ(扇形
小ヴォールト)を配した八角形ドームで覆われ
ている。
 外に出て、庭の奥から眺めた三つの後陣の形
は、何とも素晴らしかったのだが、見事な逆光
で写真は完全に失敗してしまった。
 内部まで見せていただけただけでも幸運、と
考えるべきだろう。ありがとうございました。
 
 
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 ブシエール聖エチェンヌ教会
  Boussières/Église St-Etienne 

      3 Doubs    

          
  
 
 アバンからブザンソンに向かって更にドゥー
川沿いを走ると、次のやや大きな集落がブシエ
ールである。

 教会は町のやや北側に位置している。
 鐘塔の屋根の派手な色使いはボーヌの施療院
などで見た覚えがあるが、遠くからでも目立つ
のですぐに判別出来る。
 屋根の近代的な鮮やかさについ目が行ってし
まうが、初期ロマネスクの様式でもある塔とポ
ーチが一体となった構造
Clocher-Porche
詳細に眺めると、古びた石の肌合いがとても魅
力に満ちている。

 塔は五層構造で、壁面四方には二連と四連の
ロンバルディア帯装飾の盲アーケードが意匠さ
れており、三層目と五層目には開口窓が設けら
れている。アーチの弧が深い半円形であるのが
特徴で、均整のとれた風格の感じられる鐘塔だ
ろう。

 アバンの南に似たような塔ポーチを持つビア
Byans の教会が在ったが、時間的に立ち寄
ることが出来なかった。
 
 
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  ブザンソン聖ジャン大聖堂
  Besançon/Cathédrale St-Jean

      3 Doubs    

          
    
 
 ディジョン Dijon の旅籠に宿泊した翌朝、
私達は高速道路をA39からA36に入って東
を目指した。目的地はフランシュ・コンテ地方
の首都ブザンソンである。

 観光地である城砦
Citadelle へ登り、塔の
上から町の絶景を眺望した。教会はその登山口
に当る高台に建っていた。
 聖堂の壮大さには圧倒されたが、その大部分
がゴシックに修復されていたのが残念だった。
三廊式の身廊だが、柱から上の天井には歴然と
ゴシックの梁が見られる。

 11世紀から18世紀まで、様々な修復が成
されたため、今日見る姿は誠に複合的だが、そ
れでも、身廊の柱や南側の壁面や祭壇近くの柱
頭群には、明らかにロマネスク時代の痕跡が顕
著に残されていた。

 ヘロデ王の前の場面やキリスト誕生を礼拝す
る東方三博士を描いた柱頭が、創建当初の面影
を伝える傑作だが、祭室に立ち入れず遠くから
眺めただけで写真には出来なかった。
 
 
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 ジューニュ聖モリス礼拝堂
  Jougne/Chapelle St-Maurice 

      3 Doubs    

          
 
 
 写真の柱頭が見たさ故に、アルボアから車を
スイス国境近くまで80キロも走って行った。
 町の聖モリス教会
Église から谷を下った所
に墓地に囲まれたこの小さな礼拝堂が建ってい
た。
 プレ・ロマネスクのような単身廊だが、壁面
のバットレスが後世の修復を証明している。
 12世紀のクリプトがあるのだが、完全に閉
鎖されていた。
 祭室の壁面に、目指す柱頭が保存されている。
怪獣面とオランテ風人物の彫刻は、はるばる来
た甲斐の有る清純な素晴らしいものだった。
 
 
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 フォワッドフォンテーヌ
     
聖ピエール教会
  Froidefontaine/
     
Église St-Pierre 

      2 Territoire de Belfort    

          
 
 ベルフォール Belfort の町の南東10キロ
に在る運河沿いの小さな集落である。
 教会の外観は後世の建築で全く魅力がなく、
がっかりして写真を一枚も撮らなかった。
 しかし17世紀の扉口を入って見て驚いた。
 三廊式の身廊と祭室は、まさしくロマネスク
期の面影を十分伝える建築だったのである。
 太い円柱と素朴な柱頭、大胆なアーケード、
採光窓の付いたその上部壁面、そして半円ドー
ムが印象的な祭室後陣など、むしろ感動的な1
2世紀の建築との出会いだったと言える。
 側廊外壁の窓部分以外の壁面なども、当初の
ままである。
 
 
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 サン・ディジエ・レヴェック
     聖ディジエ教会

  St-Dizier-l'Évéque/
     Église St-Dizier
 

      2 Territoire de Belfort    

          
 
 
 前記教会からは、更に10キロ南下した静か
な集落で、村外れの崖上にこの瀟洒な教会が建
っていた。
 ゴシック式の尖塔式鐘楼の下が扉口になって
おり、聖堂建築は全体がゴシック様式だった。
 ここでは直ぐに、後陣の小祭室へと進まねば
ならない。そこには、7世紀の作品とされる石
造彫刻が保存されているのである。
 写真は、唐草か巻貝のような妙な模様が彫刻
された苔むした石棺
Sarcophage である。
 価値体系の異なる時代の産物か、異様さが先
立って余り面白い彫刻とは言い難いが、ガリア
の東の石工達の熟達した技量を証明するには十
分な遺構ではある。
 組み合わせ模様の石棺風記念碑が、他に二基
並んでいる。
 
 
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 グランデクール
    聖マリ・マドレーヌ教会

  Grandecourt/Église
     Ste-Marie-Madeleine
 

      1 Haute-Saône 

          
   
 
 県の中心ヴズール Vesoul の町の西25キ
ロに位置する寒村で、12世紀創建の教会は集
落北東端の牧草地に面して建っている。

 切妻型のファサードと質素な半円アーチの扉
口が我々を迎えてくれるが、これはやや後世の
建築のような気がする。
 単身廊の細長い聖堂の屋根は木造で、ロマネ
スクの特徴である石積みの天井は見られない。
 しかし、何の装飾も無い側壁の石を積んだだ
けの単調さが、ロマネスクの雰囲気を演出して
いるから不思議ではある。
 数段の石段の上に、方形の祭室が設けられて
おり、後陣も方形のままであり魅力は薄い。

 正面の祭室の地下がクリプトとなっており、
写真のような地下祭室が設けられていて、ここ
がこの教会を訪ねる大きな目的となっていた。
 クリプトは約5m四方の狭い空間で、その中
央に四本の円柱が建ち、“井”の字型に九つの
梁間を形成している。各々の天井は交差穹窿で
あり、柱同士の間には半円アーチが渡されてい
る。単純な葉模様の柱頭も好ましく、この地方
では出色のクリプト、いやロマネスク建築と言
えると思う。久しぶりに時間の経過を忘れさせ
てくれる、素晴らしいロマネスクとの巡り会い
だった。
 
 
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 ファヴェルネ聖ベニニュ教会
  Faverney/Église St-Bénigne 

      1 Haute-Saône 

          
   
 
 ヴズールの北25キロに在る町で、先述のグ
ランデクールからは町の手前でソーヌ川を渡る
こととなる。
 町の東側に建つこの教会は12世紀の創建だ
が大半はゴシックに、その他の部分も様々な時
代に修復を重ねてきたらしい。

 鐘塔の玄関間の付いた三廊式身廊に翼廊を配
した十字形の聖堂で、半八角形の後陣と両翼方
形の小祭室が設けられている。
 写真は最も重厚なロマネスク期の面影を伝え
る身廊を、祭室から玄関方向を眺めたものだ。
 天井から下のアーケード部分がロマネスク様
式で、正八角柱と円柱とが交互に配されるとい
う意匠となっている。この圧倒的な太さの柱が
並立する様からは、天井を支えるためには過剰
な程の基礎が必要であったことが伺え、そのプ
リミティヴな姿こそがロマネスクの魅力である
ことを教えてくれているのだった。

 身廊アーケード部分と側壁の一部が12世紀
で、鐘塔玄関間が13世紀、天井や祭室その他
の大半は14世紀の建築と解説の図面に書かれ
ていた。
  
 この後私たちは、メリセー
Melisey の教会
(荒天のため閉鎖)と、現代の聖堂ル・コルビ
ジェのロンシャン教会
Notre-Dame du Haut
を訪ね、フランシュ・コンテを後にした。
 
 
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