ノルマンディー地方
      のロマネスク
 
  Normandie Romane 
 
   
 
     聖母教会 Eglise Notre-Dame
 
   PORTBAIL  
Manche
     
 
 パリを流れるセーヌ河の下流から河口までの
一帯から、コタンタン半島までをノルマンディ
ー地方と呼んでいる。
 第二次大戦の上陸作戦で知られている地方で
あり、印象派の画家達が愛した豊かな陰影に満
ちた風光美も見所だろう。
 ロマネスクの遺構としては、余り知られてい
ない地味な教会が多いのだが、じっくりと観て
歩けば多くの素晴らしい発見が約束されている
はずである。
 フランスでは珍しく、ロマネスク分布とワイ
ンの産地とが合致していない分だけ興味が半減
するのだが、隣接するロワールやセーブル・エ
・メーヌは見逃すことはできない。
 
 
 
 
  県名と県庁所在地
     1 Seine-Maritime (Rouen)
     
2 Eure (Evreux)
     
3 Calvados (Caen)
     
4 Orne (Alençon)
     5 Manche (St-Lô)
 
 
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 グルネー・アン・ブレイ
    聖イルドヴェール教会

  Gournay-en-Bray/
     Église St-Hildevert
   
   
       1 Seine-Maritime 
      
 
 
 
 パリの北、ボーヴェ Beauvais の町から西へ
32キロ、ノルマンディーとの県境を越えて直
ぐの町である。
 12世紀の創建だが大半がゴシック以降に改
造されており、現在残っている当初の面影は、
身廊のアーケード部分のみとなっている。三廊
式だが、天井は交差リブヴォールトで、後陣は
フラットになっている。
 唯一注目すべきなのが、写真の柱頭彫刻であ
る。何を表現しようとしたのか全く不明で、怪
物や蛇と戦っているのだろう、くらいの推測し
か出来ない。他にも、夢に見そうなほど恐ろし
い怪物や、植物に絡んだ魔物のような図像が連
続する。彫刻としては稚拙に見えるが、抽象的
であるが故の表現の奥に潜んでいる神秘性が魅
力だ。
 
 
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 ヌフルス・サン・マルタン
     路傍の十字架

  Neaufles-St-Martin/
      Croix de Chemin
   
   
       1 Seine-Maritime 
      
  
   
 
 ヌフルスの郊外、ジソール Gisors へ通じ
る国道
D10 の北側土手に、この石の十字架
がポツンと立っている。
 大型トラックが行き交う自動車道であり、わ
ざわざ車を止めて眺める人は全くいない。まし
てやパリから車を飛ばし、ここを目的にやって
くる物好きなんぞは居ないだろう、と家人とは
自嘲し合った。

 後述のカルヴァドスのグリスィー
Grisy
見たノルマン十字よりも、輪郭のある分だけ更
にアイルランドのハイクロスに似ていると思わ
れた。
 11世紀のロマネスク十字架、とものの本に
記されている通り、朽ち果てる寸前といった風
情がたまらなく素晴らしい。
 十字架に耳付きリングを巻いた格好なので、
シルエットは風車のように見えた。

 ハイクロスのような彫刻や装飾がほとんど見
られないのが残念なのだが、素朴な信仰の名残
りだったと思えば、野仏や道祖神にも通じる愛
おしさが感じられてくる。千年もの間、こうし
て風雪に耐えながら立っていたのである。
 十字架を支える支柱部分には、楔形が縄目の
ように刻まれた装飾模様が確認できた。当初は
もう少しきらびやかな存在だったのだろう。
 
 
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 ジュミエージュ修道院聖母教会
   Jumièges/ Église Notre-Dame
            de l'Abbaye
   
   
       1 Seine-Maritime 
      
  
   
 
 ルーアンに泊まった翌日、車をセーヌ河に沿
って下流へと走らせた。
 セーヌが巾着形に大きく蛇行しているあたり
に、この壮大な修道院の廃墟が残っている。
 かつての栄華の残骸とはいえ、余りに壮麗で
膨大な規模の建築であることに驚かざるを得な
い。
 7世紀の創建と言われる古い修道院で、10
世紀に征服王ウィリアムにより再建された。
 広大な敷地には、多くの遺構が保存されてい
るが、写真のノートルダム教会が、最も往時の
イメージを伝える美しい建築である。

 手前の祭室部分は崩壊しているが、三廊式身
廊の全容をアーチの向こうに見る事が出来る。
リズム感のあるアーケード、その上のトリビュ
ーンと、さらにアーチ壁装飾と入口左右の鐘塔
など、天井は落ちてしまったが、奇跡とも言え
る保存状態である。
 側廊に立つと、高さと大きさを得るために積
み重ねられた、量感に満ちた石の迫力に圧倒さ
れてしまいそうだった。

 この集落とセーヌ対岸とを結ぶ短い渡し船は
フェリーにもなっていて、折角だからと車ごと
乗船した。詩情に富んだ数分の船旅だった。
  
 
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 サン・マルタン・ド・
   ボッシェヴィル

     旧聖ジョルジュ修道院

  St-Martin-de-Boschèrville/
   Ancienne Abbaye St-Georges
   
       1 Seine-Maritime 
      
  
 
 
 1997年の正月に、ノルマンディー地方を
旅した時の写真。旅の最後に訪ねた教会だった
のだが、手持ちのブローニーのカラーフィルム
が終わってしまったので、仕方なくモノクロで
撮影したものである。
 教会の背後は広い草原で、前日降った雪がま
だ残っていた。

 聖堂は12世紀に創建され、革命の破壊から
は逃れたという。後陣や塔の眺めが壮麗で、建
築全体に大きさを感じさせない穏やかな調和が
見られる。
 身廊は三廊式で翼廊の付いた十字形である。
トリビューンのアーケードは飾りで、側廊は一
層の高さしかない。天井はリブヴォールトの交
差穹窿であり、塔上部等もゴシック的な要素が
強い。
 正面のファサードはカーンの聖エチェンヌに
類似しているが、簡潔な美しさという点からは
こちらに軍配を挙げたい。
 聖堂北側に隣接する参事会室の、回廊の柱の
ような装飾アーケードを見逃してはならない。
  
 
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  サン・ジャン・ダベト
    洗礼の聖ヨハネ教会

   St-Jean-d'Abbetot/
    Église St-Jean-Baptiste
   
   
       1 Seine-Maritime 
      
  
   
 
 赤い煉瓦と白い石を交互に積んだ身廊の外壁
が美しい聖堂だが、実はこの部分は後世の建築
で、11世紀創建時のものはどうやら祭室・後
陣とクリプトだけらしい。
 写真で見るとおり、建築は細長い単身廊のチ
ャーミングな教会である。大きな二つの半円ア
ーチ部分の上が塔になっており、その奥のフレ
スコの描かれた白壁部分が祭室である。
 フレスコ画は12~16世紀と、色々な時代
が混在しているらしい。残念ながらクリプトの
フレスコは、公開されておらず見ることが出来
なかった。
 身廊の建造はロマネスク期ではないが、いか
にもノルマンディーらしい、船底を想起させる
半円筒形の木製天井がすっかり気に入ってしま
った。
 建築の外観は全体に小じんまりとして、時代
の差を感じさせない統一感に満ちている。
 見所はやはり後方から眺めた後陣部分だ。装
飾は質素で、軒持ち送りの彫刻と盲アーケード
だけが施されている。
 ここに掲載した以下の三教会と未見の聖ワン
ドリ-ユ教会
St-Wandrille共に、セーヌ
下流地域
Cinq Petites Églises 五つの小教会
と呼ばれている。
  
 
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 マネグリス聖ジェルマン教会
  Manéglise/Église St-Germain   
   
       1 Seine-Maritime 
      
  
 
 
 印象派の画家達が好んで描いた Etretat
トルタ海岸へ向かう途中に立ち寄った小さな村
の教会である。
 写真は、身廊から祭室内陣を眺めたもので、
側廊を区切るアーチ列柱がとても美しかった。
変則的な三廊式で、翼廊は無い。
 交差部の鐘塔は立派なことから、袖廊は失わ
れたものと思う。
 教会の案内によると、交差部と塔が11世紀
末、身廊は12世紀のものらしい。
 太い円柱、繊細な彫刻の施された柱頭、トラ
ンセプト(翼廊)との境の半円アーチなど、ロマ
ネスク空間を形成する見事なハーモニーを感じ
て感動した。
 こうした小さな規模のロマネスク教会が心安
らいで良い、というのが家人との一致した感想
だった。
 正面扉の鍵を開けてくれた近所の家の親切な
老人は、先の大戦で足を負傷したそうで、義足
を付けていた。レジスタンスのような精悍な風
貌が、今でも印象に残っている。
 
 
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 グラヴィーユ (ル・アーヴル)
     聖オノリ-ヌ教会

  Graville(Le Havre)/
      Église St-Honorine
   
   
       1 Seine-Maritime 
      
  
 
 
 大規模な港湾都市であるル・アーブルの山手
地区に
Abbaye de Graville グラヴィーユの修
道院が在る。聖オノリ-ヌはその付属教会であ
る。修道院は現在博物館となっているが、教会
は修復されたものの12~13世紀建築の面影
を色濃く留めている。
 三廊式の身廊で、柱頭も含めこの部分が最も
古そうである。
 数多くの柱頭彫刻は見逃せないが、ロマネス
クらしい謎めいた怪物や妙な人物の図像ばかり
なのである。
 ここでも、これら一連の不思議な図像がどう
いう意味で彫られたのか、という素朴な疑問に
突き当たってしまう。イメージが高度に抽象化
されたものなのか、単なる石工の遊びなのか。  
 写真は、その中で最も具体的なイメージが表
現されたもので、聖オノリーヌを描いたものか
もしれない。
  
 
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 キルブフ・シュル・セーヌ
    ボンポールの聖母教会

  Quillebeuf-sur-Seine/Église
    Notre-Dame de Bonport
 
   
       1 Seine-Maritime 
      
  
 
 
 セーヌの河口付近には新しいノルマンディー
橋とタンカルヴィユ橋が架かっているが、その
上流30キロの間には橋が無い。その不便さを
補うのが小さな渡し船のようなフェリーで、こ
こキルブフと対岸のポルト・ジェロムを結んで
いる。
 キルブフはノルマンが開いた古い港町で、教
会の中にも木造の船が祀ってあることからもそ
の歴史が知られる。
 教会の名前の通り、港の守護神として聖母が
祭られたらしい。
 身廊は三廊式で整然としているが、どうやら
柱頭彫刻以外は、部分的に改築されている。
 12世紀創建時の姿を留めるのは、正面扉口
の装飾彫刻である。四重のヴシュールには、単
純な連続模様が彫られている。赤い煉瓦と白い
石を交互に使用した意匠は素晴らしいが、どう
やらこれも後世の補修らしい。
 妙に大きな鐘塔も不釣合いなのだが、全体に
ロマネスクの雰囲気が満ちていて、とても気に
入った教会だった。庶民の信仰に支えられた小
さな教会が好きだ、ということなのである。
  
 
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 ベルネイ旧修道院付属
         聖母教会

  Bernay/Ancienne Église
     Notre-Dame Abbatiale
 
   
       2 Eure 
      
  
   
 
 ベルネイの町の中心に建っている、この荘重
な教会堂をようやく見つけたのだが、鍵が掛か
っていて中へは入れなかった。張り紙には隣接
する美術館に申し出るようにと記してあった。
事務所に行って頼むと、快く受け付けてくれ、
係りの青年が案内をしてくれた。
 建築は近年に修復されたとのことであり、ま
た一部にゴシック的な改造も見られたが、全体
的には充分、ロマネスク聖堂建築の魅力が保存
されていたのだった。
 建築は保存されているが、教会としては廃墟
同然の博物館である。しかし、それがかえって
粛然とした雰囲気を創出し、ロマネスクならで
はの落ち着いた空間を、余計な装飾にだまされ
ることなくじっくりと眺めることが出来たのだ
った。
 写真は、側廊から祭室を見たものだが、半円
アーチのみによって構成された不器用な石積建
築であることがよく分かる。イメージに合わな
い正面の、窓の多い祭室は、後世の再建とのこ
とであった。
 案内してくれた青年の情にほだされて見学し
た美術館は、地方色豊かとはいえまことに退屈
な作品ばかりであった。 
  
 
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 グリスィー単石造十字架
  Grisy/ La Croix monolithe   
   
       3 Calvados 
      
   
   
 
 「高い航空運賃を払って、こんなものを見に
行くのか?」と私の友人は呆れている。趣味の
違いというのは、埋めがたい天地ほどの差なん
だなと感じている。

 このロマネスク時代に立てられた十字架が、
何のためのものなのかは判然としない。かつて
の村の辻に立っていた道祖神のような祈念塔な
のか、或いは教会の墓地に立っていた単なる墓
碑だったのだろうか。

 これはノルマンの十字架とのことだが、英国
南部コーンウォールで見たケルトの十字架にと
てもよく似ているような気がする。
 コーンウォールのものは、十字の中心にキリ
スト像が彫られていたが、ここではキリストを
象徴する文字らしきものが円環の中に彫られ、
組紐模様の十字がその下の基礎部分まで延びて
いる。

 苔むし摩滅しているので図像は判然とはしな
いが、中世の時代からこうして何かを示しなが
ら立っていたことを想うと、石の持つ普遍性そ
のものが美しいのだと思えてくる。高さ2m2
0、牧歌的な路傍に立つ、なんとも不思議な石
造品なのである。
 
 
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 サント・マリー・オウ・アングレ
         
旧聖母教会
  Ste-Marie-aux-Anglais/
  Ancienne Église Notre-Dame
  
   
       3 Calvados 
      
    
 
 
 征服王ウィリアムスの誕生地として著名なフ
ァレイズ
Falaise の町の郊外にある牧歌的な
村で、教会の鍵を管理されている農場を訪ねた
が、その日は留守で涙をのんだ。仕方なく再度
訪問した翌日の朝、ようやく鍵を借りることが
出来た。
 村の礼拝堂のような地味な外観からは想像も
出来ないが、内部の壁や天井は隙間の無いほど
壮麗なフレスコ壁画によって覆われていた。私
も妻も思わず感動の声を上げていたのだった。
 デッサンは稚拙だが端正な筆致や慈愛に満ち
た抽象が、私たちを夢の世界へと誘ったのであ
る。
 写真は聖母子に礼拝する東方三博士で、その
愛らしさを妻が最も気に入った図像だった。褪
色は致し方の無いところで、赤色を中心にして
黄色が少しだけ残っている。
 聖母教会の名にふさわしい主題が多く、三博
士への夢のお告げや、受胎告知とエリザベス訪
問、マリア昇天なども見られた。
 この地方に残るフレスコ壁画は誠に稀少で、
隣接するロワールの影響が大きいと感じた。
 
 
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 カーン三位一体教会
  Caen/Église de la Trinité   
   
       3 Calvados 
      
    
   
 
 カーンには、中世を代表する男子修道院と女
子修道院とが在る。
 写真は、11世紀中ごろに王妃マチルダが設
けた女子修道院
Abbaye aux Dames の中の、
ラ・トリニテ教会である。
 御覧の通り、建物正面に左右二つの壮麗な鐘
塔を配した、典型的なノルマン様式のロマネス
ク建築である。
 扉口から祭室までが60mもある壮大な建築
であり、好き嫌いは別として、見事と言わざる
を得ない。
 身廊は三廊式で、翼廊との交差部分に鐘塔が
建っている。建築の大半は11~12世紀のも
のでトリビューンの有る高い天井には、既に交
差オジーブ・ヴォールトが使用されている。
 後陣や袖廊の小礼拝堂は後世の補修だが、ゴ
シックの精神にも通じるような時代を先取りし
た建築であったことは確かだ。
 真冬正月元旦の朝に訪ねた時の写真なので、
周辺が凍て付いていたのがお分かりいただける
だろう。この中で行われた新年のミサは、精神
の引き締まる思いがしたものである。
 
 
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 カーン聖エチェンヌ教会
  Caen/ Église St-Étienne   
   
       3 Calvados 
      
    
   
 
 征服王ウィリアムが創建した男子のための修
道院
Abbaye aux Hommes に付属する教会で
あり、遠くからも壮大な建築群が眺められる程
の、豪壮な修道院である。
 ノルマン様式の二本の塔が正面ファサードに
建っており、さらに翼廊周辺に大小五本の鐘塔
がそびえる姿は、ロマネスクを通り越してゴシ
ックの世界へと飛び越してしまった感がある。


 写真は三廊式の身廊から、周歩廊の有る祭室
方向を眺めたものである。身廊は11世紀、祭
室後陣は13世紀の建築と言われている。

 精神性を象徴的に表現したロマネスクの時代
に続いて、神の世界を実際の形に具現しようと
するゴシックの時代へと移り行く過程を如実に
示した建築、と言う事が出来るかもしれない。


 カーンにはもう一つ、聖ニコラス
St-Nicolas
という重要なロマネスク教会が在るのだが、扉
が閉まって入れず、肝心の内陣建築を見ること
が出来なかった。
 
 
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 バイユー聖母大聖堂
  Bayeux/Cathédrale
        Notre-Dame
   
   
       3 Calvados 
      
    
   
 
 カーンの西20キロにある古都で、バイユー
のタピスリーで知られている。ロマネスクを旅
するようになる以前に、タピスリーだけを目的
に訪ねたことがあった。今思えばタピスリーは
11世紀に制作されたのだから、これもロマネ
スク時代の遺産だったのであるが、いずれにせ
よそれ以来の訪問となった。

 この大聖堂は11世紀の創建だが、12世紀
に破滅的な火災に遭い、13~14世紀のゴシ
ック時代に再建されたものである。
 現在の聖堂にロマネスクを発見することは出
来なかった。しかし祭壇下の地下には、創建当
初の記憶を留めるクリプトが残されていたので
ある。
 太い円柱群が創り出す荘厳な雰囲気が、当初
の聖堂の重厚さを物語っているようだった。
 柱頭には、植物模様を中心とした様々な意匠
が見られたが、大聖堂に飾られていた柱頭が数
基、壁際に置かれていたのだった。
 写真はその一基で、キリストが幼児のような
人物を抱いて座っている。左右には二人の天使
が守護するが如く立っている。
 もう一基には、二人の聖人(ペテロとトマ)
に挟まれて立つキリスト像が彫られている。こ
れらの柱頭で飾られた時代の聖堂を見たかった
ものと強く感じていた。
 
 
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 ブイィ聖マルタン教会
  Bully/Église St-Martin  
   
       3 Calvados 
      
    
 
 
 元旦の朝訪れたカーンの男女それぞれの修道
院は、余りに壮大で絢爛とした雰囲気だったの
で、私たちは畏敬の念に駆られしまい、すっか
り萎縮させられていた。
 そんな私たちを救ってくれたのが、カーン郊
外の寒村に在ったこの小さな教会のタンパン彫
刻であった。これが正面の扉口なのだから、教
会の規模は容易に想像出来るはずである。半円
の輪郭には、連続する幾何学模様が丹念に彫り
込まれているが、気に入ったのは中心の図像で
あった。
 一人の人物と二頭の動物であることは明白な
のだが、それ以上は難解である。左右対称の図
案がオリエントを想起させ、とすれば動物はラ
イオンなのか、であれば人物はダニエルなのか
と想像は果てが無い。
 半円の中に収める為の意匠とは言え、かくも
シュールな図像がロマネスクの時代に創造され
た事に感動する。この後図像はゴシックの写実
へと移行する。写実から抽象さらに写実へと歴
史は繰り返す。写実と抽象の、一体どちらが頽
廃なのだろうか。
  
 
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 ターン旧聖ピエール教会
  Thaon/Ancienne Église
         St-Pierre
   
   
       3 Calvados 
      
 
   
 
 バイユーで憧れのタピスリーを見てから、カ
ーン郊外に点在する後述のルッケヴィルとセッ
ケヴィル、更にこのターンの三教会を巡った。
 それぞれが個性的で美しかったので、感動の
余興に、有名な「プロヴァンスの三姉妹」修道
院に倣って「カーンの三姉妹」と勝手に命名し
た。
 ターンの教会は深い森に囲まれた静寂の中で
廃墟と化してひっそりと建っている。
 前日降った雪の残る夕闇の中で見た聖堂は、
ほんのりと薄いピンク色にも見えて、とても石
を積んだ建築とは思えぬ程軽快で優雅だった。
 手前の小川に架かる橋を渡ると、祭室後陣部
分と鐘塔が目に入る。時代毎の改造や増補が有
るらしいが、この部分は比較的11~12世紀
創建当初の面影を伝えているようだ。反対側の
正面に近い方の壁面はかなり改造が目立ってい
る。
 装飾アーケードばかりで窓は少なく、ロンバ
ルディア帯などで飾られている事がロマネスク
の証明になっている。
 単身廊の素朴なプランだが、鍵が固く閉まっ
ていて、残念ながら内部には入れなかった。
  
 
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 ルケヴィル旧聖ピエール教会
  Rucqueville/
     Ancienne Église St-Pierre
   
   
       3 Calvados 
      
 
   
 
 かなり積もった雪に覆われた村はひっそりと
静まり返っており、人の気配の無い教会の扉は
押せども引けども開かなかった。鍵を管理する
一軒の農家にたどり着き、ようやく鍵を拝借出
来たのだが、冬のロマネスク巡礼にはこの覚悟
が必要だ。
 しかし、小さな教会の内部に一歩入れば、こ
こを訪ねて良かったと心底感じさせてくれる美
しい柱頭彫刻群が、あらゆる苦労を忘れさせて
くれるのである。

 写真は「東方三博士の礼拝」である。ロマネ
スクの主題としては頻繁に見られるが、主イエ
スの誕生を知り、オリエントから博士が礼拝に
訪れるという何ともロマンに満ちたテーマを描
いた図像は、きっと多くの人を魅了したに違い
ない。この彫刻も量感が豊かで、幼児キリスト
を抱く聖母マリアの毅然たる容貌が魅力的だ。

 この他にも「エジプトへの逃避」や「不信の
聖トマ」など、更に多くの聖人や天使の像が彫
られている。全体に端正な彫刻であり、「カー
ンの三姉妹」にふさわしい美しい図像に満ちて
いる。
  
 
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 セッケヴィル・アン・ブサン
       聖スルピス教会

  Secqueville-en-Bessin/
        Église St-Sulpice
     
   
       3 Calvados 
      
 
   
 
 「カーンの三姉妹」の三つ目である。ルッケ
ヴィルからは雪の田舎道を車を走らせ、至近の
この村へと向かった。
 緩やかな小麦畑の起伏の向こうから、尖塔の
先が少しずつ、竹の子が生えるようにして次第
に見えてくる。
 村はうっすらと雪に覆われていたが、教会の
扉口は運良く開いていた。聖堂の手前が墓地に
なっており、家人と記念撮影をした。墓地で記
念に写真を撮る奴などそうは居まい、と笑い合
った。

 扉口に小さな半円形タンパンが有り、幾何学
模様が彫られていた。
 聖堂は三廊式で翼廊の付いた十字形だが、従
来は半円形の後陣が交差部の塔の右側に在った
筈であり、従って右側の祭室部分は後補なので
ある。
 身廊壁面の窓は二段になっており、上層の窓
は単なる明かり採りで、盲アーケードと軒持ち
送りの装飾が成されている。
 半円形の後陣が無いので聖堂全体がやや無骨
に見えるが、静寂そのものの村の中に在って、
ロマネスクならではの落ち着いたたたずまいを
見せていた。
 
 
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 ドムフロン水辺の聖母教会
  Domfront/Église
     Notre-Dame-sur-l'Eau
   
   
       4 Orne 
      
 
   
 
 ドムフロンは、砂岩が造った断崖の上に立つ
丘陵の町だ。丘を下った町外れ、麓を流れるヴ
ァレンヌ川
Varenne のほとりに、この美しい
名前の教会が建っており、遥か彼方からでも美
しい鐘塔が目に飛び込んでくる。
 後陣のすぐ背後にヴァレンヌの流れが有り、
そのまま緑一面の牧草地となっている。林檎の
樹が植わっているのも、いかにもノルマンディ
ーらしい光景であり、ここから眺める聖堂は絵
になっていた。
 赤色の小さな切り石が積まれているので、聖
堂全体がレンガで出来ているようにも見え、そ
れがかえって重厚な雰囲気を醸し出している。
 写真は川辺から眺めた後陣で、鐘塔や翼廊と
の均整が見事に取れた建築である。ここに写っ
ている範囲だけが12世紀ロマネスクで、正面
扉口や身廊は柱の一部以外は近年の補修である
らしい。
 身廊が異常に短いのだが、道路建設の際に削
られたそうで、ロマネスクが評価されなかった
時の愚行なのだろう。
 内陣の建築も荘重で、身廊の柱だけは11世
紀のものだという。
 袖廊に置かれた聖母子像はロマネスクではな
いが、素朴な気取らなさがとても気に入った。
  
 
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 サン・セヌリ・ル・ジェレ
       聖セヌリ教会

  St-Céneri-le-Gérei/
       Église St-Céneri
  
   
       4 Orne 
      
 
  
 
  Les Plus Beaux Villages de France フラン
スの美しい村に指定された集落がノルマンディ
ーには幾つも存在するが、この村もその一つで
ある。
 黒い石を用いた屋根が連なる家並みは、ロア
ールの支流であるサルト
Sarthe の流れにかか
る石橋や、丘の上に建つ教会などと共に見事な
景観を作っている。
 芸術家も多く住むという集落を抜け、村外れ
の断崖まで行くと、このチャーミングな教会に
たどり着くことが出来る。

 単身廊のバジリカ式で、単なる方形に袖廊と
礼拝堂の付いた単純な十字形の聖堂である。
 写真はトランセプトの交差部から、祭室を眺
めたものである。半円アーチと直線のみによっ
て構成される建築は、これ以上単純化すること
は不可能だろう。
 一切の贅肉を削ぎ落としたこの簡素なプラン
とすぐ手の届きそうな人間的スケールこそが、
精神の浄化をイメージさせるロマネスクの最も
理想的な姿なんだ、と実感させてくれた教会の
一つであった。
 壁面のフレスコ画は14世紀とのことで、直
接ロマネスクとは関係ないが、雰囲気は十分一
体化していて違和感は感じさせない。   
 
 
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 グール旧聖ミシェル小修道院
   Goult/Ancienne Prieuré
         St-Michel
 
   
       4 Orne 
      
 
   
 
 オルヌ県の首都アランソン Alençon の北
西30キロ、セー
Sées の町からは西へ25
キロ、深い森に囲まれた寒村である。地図に表
記されている
Chapelle St-Michel は村背後の
山の上に建つ新しい礼拝堂であり、目指すのは
集落の中ほどに残る、かつての小修道院附属教
会だった。

 この旧教会は、現在切妻式の屋根に方形の建
物で、農家の納屋のような建築である。
 唯一写真の正面の扉口だけが保存され、よく
見るととても繊細で興味深い彫刻が施されてい
たのだった。
 三重のヴシュールには、従来は細密な連続幾
何学模様が彫られていたようで、弧の両端部分
に少しだけ片鱗が残っている。
 最も注目すべきは柱頭彫刻だろう。
 右側の柱頭には、角笛を吹きながら馬を追う
狩猟の場面が彫られている。鹿等の獲物に食い
付く猟犬や、森の樹木などが鮮やかに描かれて
いる。
 左側の柱頭には、鷲に食いつかれる動物や、
四つ足獣の頭を持った鳥の姿などが彫られてい
る。何を意味するのかは判然としない。寓話的
な主題に哲学的な意味が含まれるのか、それと
も伝統的な彫刻の主題であったのだろうか。
 
 
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 セリシー・ラ・フォレ
    旧聖ヴィゴール修道院

  Cerisy-la-Forêt/
   Ancienne Abbaye St-Vigor
 
   
       5 Manche 
      
 
  
 
 バイユーからは西へ20キロ、県境を越えて
直ぐの町である。
 広大な修道院の敷地の中に、11~12世紀
創建の附属教会の遺構が聳えている。
 緑の森や芝を背景にした佇まいは、その規模
の割にはとても清楚に感じられた。
 残念ながら、西側の正面ファサードは近年修
復された部分であった。しかし、背後から眺め
た後陣や鐘塔の姿は、ロマネスク好きを唸らせ
るほど華麗な景観だった。

 写真は、身廊中央から、南側廊及び南翼廊の
方向を眺めたものである。
 初層は二重のアーチで束ね柱を中心としたア
ーケード、二層目は二連アーチを一つのユニッ
トにした美しいアーケードで、階上のトリフォ
リウムになっている。三層目は三連アーチを用
いた採光窓を構成している。
 従来の身廊は五つの梁間から構成されていた
とのことだが、現在は一つ半しか残っておらず
西側は礎石が残るのみである。
 祭室部分と翼廊南側は創建当初の遺構で、三
層に設けられた十二個の窓が、次に来るゴシッ
クを予感させる意匠となっている。
 
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 トールヴァスト聖マルタン教会
  Tollevast/Église St-Martin   
   
       5 Manche 
      
 
   
 
 港町シェルブール Cherbourg から数キロ
ほど、車をコタンタン半島の中央部に向けて走
らせると、そこはもう一面の牧草に囲まれた酪
農の村であった。
 広大な牧草地や麦畑が眺望できる村外れに、
この小さな礼拝堂の様な教会は孤高な姿で建っ
ていた。扉口が開いていたのは幸運だと言うべ
きだろう。
 正面のアーチ門と円形の後陣はいかにもロマ
ネスクらしいのだが、切妻形の屋根や壁の上部
は明らかに後世の補修によるものだ。
 単身廊の簡素な建築だが、祭室部分と祭室と
身廊の境に作られた仕切りアーチの装飾は、こ
の地方としては見事な装飾彫刻である。
 特に注目させられたのが写真の彫刻で、柱頭
ではなく、祭室のアーチ起拱点部分に彫り付け
られた格好になっている。土俗的とも言うべき
妙な人物像であり、余り類例を見ない。他にも
五つの像が有り、いずれも人物か動物の首であ
る。首といえば、英仏海峡の向こうはアイルラ
ンドであり、隣はブルターニュであるという場
所柄から、ケルトの生首像を思い出していた。
 
 
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 バルヌヴィル聖ジェルマン教会
  Barneville/ Église St-Germain  
   
      5 Manche 
      
 
   
 
 バルヌヴィルは、コタンタン半島最西端のジ
ョブール岬
Nez de Joubourg へと向かう途中
に有る、西海岸に面した小さな町である。
 町の入口に近い位置にこの教会が建っている
のだが、建物の外観が少し変わった建築なので
ある。十字形に三廊式の聖堂なのだが、側廊部
分の窓のそれぞれが切妻式の屋根を持った張り
出しになっているのである。
 内陣に入ってさらに驚いた。側廊と身廊とは
半円アーチの連続するアーケードで仕切られて
いるのだが、そのアーチの輪郭部分が幾何学的
連続模様の彫刻で飾られていたのだった。珍し
い意匠であり、まことに壮麗かつ重厚な雰囲気
を演出していた。
 アーチを支える柱頭部分に、幾つもの彫刻が
施されていて、まるで彫刻展が開催されたかの
盛況ぶりだ。
 写真はその内の最高傑作で、ヨルダン川で聖
ヨハネから洗礼を受けるキリストの像である。
胸にあばら骨の皺が刻まれ、修行の厳しさが表
現されたものだろうが、ガンダーラの釈迦像に
も同じ様な像があったのを思い出していた。
 優れたアイディアとデッサンによって彫られ
た柱頭の彫刻群は見応え充分であり、岬へ行く
ことも忘れて写真を撮りまくってしまった。
  
 
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 ルセー三位一体教会
  Lessay/ Église de la Trinité   
   
       5 Manche 
      
 
  
 
 かつてベネディクト派の修道院付属教会だっ
た教会で、近年大きな修復が成されたようだ。
 しかし、ノルマンディーを代表するような美
しい建築美は見事に保存されている。
  
 この写真は参道からのものだが、塀の向こう
の通常は観光客の入れぬ秘苑に後陣を撮りたく
てこっそりと入ってしまった。罪をも恐れぬ罰
当たりな行為であったらしく、その写真は失敗
に終わったのだった。

 聖堂は三廊式の十字形で、身廊は半円アーケ
ードによって側廊と仕切られ、上部はトリビュ
ーンとなっている。さらに上部に採光窓が設け
られた三層構造となっており、身廊部分の天井
は交差リブヴォールトである。
 左右それぞれの、六つのアーチと七本の列柱
が作り出す空間は、樹木が林立する森の中のよ
うでもあり、このイメージは限りなくゴシック
に近いかもしれない。
 側廊の天井は、半円筒ヴォールトに仕切られ
た中が交差穹窿になっており、西端から祭室ま
でを見通した眺めが、ここでは最もロマネスク
的であった。
  
 
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 モン・サン・ミシェル
     聖ミシェル修道院

  Mont-St-Michel/
    Abbaye St-Michel
   
   
       5 Manche 
      
 
   
 
 誰もが知っている有名な観光地だが、聖ミカ
エル伝説の伝わる昔からの巡礼の聖地であるこ
とを認識している人は少ない。
 ましてや、豪壮な修道院建築の一部がロマネ
スク時代の建築である事は、ほとんど知られて
いない。
 私達は真冬の、それも夕暮れ近い時間に訪れ
たので、話に聞いていた“物凄い人の群れ”を
拝むことはなかった。写真は、見晴台にもなっ
ているテラスから、教会と鐘塔を振り返って見
たところだが、このテラスにも数人の観光客し
かいない程だった。
 島の断崖に建つ修道院は幾重にも階層を重ね
ており、その構造はまことに複雑である。従っ
て、見学していても、自分がどこのどの階にい
るのかさえ把握出来ないままだった。
 建築は総体的にゴシックなのだが、付属教会
聖堂の身廊や地下礼拝堂(クリプト)などに、ロ
マネスク時代のアーチや柱頭彫刻が残されてい
た。
 教会の北側に隣接する
La Merveille メルヴ
ェイユという僧院では、ロマネスク最盛期から
ゴシック草創期へと移り行く時代の建築の変遷
を見ることが出来る。
 島を離れ海岸の波打ち際から眺めたモン・サ
ン・ミシェルの孤高な堂塔の偉容は、沈んでい
く黄金色の夕陽の中で美しいシルエットを作っ
ていた。
  
 
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