ノルマンディー地方のロマネスク
            Normandie Romane
           
          
        パリを流れるセーヌ河の下流から河口までの一帯から、コタ
       ンタン半島までをノルマンディー地方と呼んでいる。
        第二次大戦の上陸作戦で知られている地方で、印象派の画家
       達が愛した豊かな陰影に満ちた風光美も見所だろう。
        ロマネスクの遺構としては、余り知られていない地味な教会
       が多いのだが、じっくりと観て歩けば多くの素晴らしい発見が
       約束されている。
        フランスでは珍しく、ロマネスク分布とワインの産地とが合
       致していない分だけ興味が半減するのだが、隣接するロワール
       やセーブル・エ・メーヌで我慢しておくことにする。

             

 
県名と県庁所在地
  1 Seine-Maritime (Rouen)
  
2 Eure (Evreux)
  
3 Calvados (Caen)
  
4 Orne (Alençon)
  
5 Manche (St-Lô)

            
                    聖母教会
             
Eglise Notre-Dame
                  
Portbail
                  
Manche


       
     
     ジュミエージュ修道院聖母教会
        Jumièges/ Église Notre-Dame de l'Abbaye

                            1 Seine-Maritime

               
   ルーアンに泊まった翌日、車をセーヌ河に沿って
  下流へと走らせた。
   セーヌが巾着形に大きく蛇行している辺りに、こ
  の壮大な修道院の廃墟が残っている。
   かつての栄華の残骸とはいえ、余りに壮麗で膨大
  な規模の建築であることに驚かざるを得ない。
   7世紀の創建と言われる古い修道院で、10世紀
  に征服王ウィリアムにより再建されたらしい。
   広大な敷地には多くの遺構が保存されているが、
  写真のノートルダム教会が、最も往時のイメージを
  伝える美しい建築である。
   手前の祭室部分は崩壊しているが、三廊式の身廊
  の全容をアーチの向こうに見る事が出来る。リズム
  感のあるアーケード、その上のトリビューン、さら
  にアーチ壁装飾と入口左右の鐘塔など、天井は落ち
  てしまったが、奇跡とも言える保存状態である。
   側廊に立つと、高さと大きさを得るために積み重
  ねられた、量感に満ちた石の迫力に圧倒されてしま
  いそうだった。
   この集落とセーヌ対岸とを結ぶ短い渡し船はフェ
  リーにもなっていて、詩情に富んだ景観だった。  
   

  
   
     サン・マルタン・ド・ボッシェヴィル旧聖ジョルジュ修道院
       St-Martin-de-Boschèrville/ Ancienne Abbaye St-Georges
    
                                1 Seine-Maritime
      
   1997年の正月に、ノルマンディー地
  方を旅した時の写真。旅の最後に訪ねた教
  会だったのだが、手持ちのブローニーのカ
  ラーフィルムが終わってしまったので、仕
  方なくモノクロで撮影したものである。
   教会の背後は広い草原になっており、前
  日降った雪がまだ残っていた。

   聖堂は12世紀に完成したもので、革命
  の破壊からは逃れたという。
   後陣や塔の眺めが壮麗で、建築全体に大
  きさを感じさせない穏やかな調和がある。
   身廊は三廊式で、翼廊の付いた十字形で
  ある。トリビューンのアーケードは飾りで、
  側廊は一層の高さしかない。
   天井はリブヴォールトの交差穹窿であり、
  塔上部などもゴシック的な要素が強い。
   正面のファサードはカーンの聖エチェン
  ヌに類似しているが、簡潔な美しさからこ
  ちらに軍配を挙げたい。
   聖堂の北側に隣接する参事会室の、回廊
  の柱のような装飾アーケードを見逃しては
  ならない。

   
   

     
    
     サン・ジャン・ダベト洗礼の聖ヨハネ教会
       St-Jean-d'Abbetot/ Église St-Jean-Baptiste
    
                                1 Seine-Maritime
     
   赤い煉瓦と白い石を交互に積んだ身廊の外壁が美し
  い聖堂だが、実はこの部分は後世の建築で、11世紀
  創建時のものはどうやら祭室・後陣とクリプトだけら
  しい。
   写真で見るとおり、建築は細長い単身廊のチャーミ
  ングな教会である。大きな二つの半円アーチ部分の上
  が塔になっており、その奥のフレスコの描かれた白壁
  部分が祭室である。
   フレスコ画は12〜16世紀と、色々な時代が混在
  しているらしい。残念ながらクリプトのフレスコは、
  公開されておらず見ることが出来なかった。
   身廊の建造はロマネスク期ではないが、いかにもノ
  ルマンディーらしい、船底を想起させられる半円筒形
  の木製天井がすっかり気に入ってしまった。
   建築の外観は全体に小じんまりとして、時代の差を
  感じさせない統一感に満ちている。
   見所はやはり、後方から眺めた後陣部分だろう。装
  飾は質素で、軒持ち送りの彫刻と盲アーケードだけが
  施されている。
   ここに掲載した以下の三教会と、未見の聖ワンドリ
  −ユ教会
(St-Wandrille)と共に、セーヌ下流地域五つの
  小教会
(Cinq Petites Églises) と呼ばれている。
    

   
    
     マネグリス聖ジェルマン教会
       Manéglise/Église St-Germain
   
                                1 Seine-Maritime
    
   印象派の画家達が好んで描いた、エトル
  タ
Etretat 海岸へ向かう途中に立ち寄った
  小さな村の教会である。
   写真は身廊から祭室内陣を眺めたもので、
  側廊を区切るアーチ列柱がとても美しかっ
  た。変則的な三廊式で、翼廊は無い。交差
  部の鐘塔は立派なことから、袖廊は失われ
  たものと思う。
   教会の案内によると、交差部と塔が11
  世紀末、身廊は12世紀のものらしい。
   太い円柱、繊細な彫刻の施された柱頭、
  トランセプト(翼廊)との境の半円アーチな
  ど、ロマネスク空間を形成する見事なハー
  モニーを感じて感動した。
   こうした小さな規模のロマネスク教会が
  心安らいで良い、というのが家人との一致
  した感想だった。
   正面扉の鍵を開けてくれた近所の親切な
  老人は、先の大戦で足を負傷したそうで、
  義足を付けていた。レジスタンスのような
  精悍な風貌が、今でも印象に残っている。
    

  
    
     グラヴィーユ (ル・アーヴル)聖オノリ−ヌ教会
       Graville(Le Havre)/Église St-Honorine
    
                                1 Seine-Maritime
     
   大規模な港湾都市であるル・アーブルの
  山手地区にグラヴィーユの修道院
Abbaye
  
de Graville が在る。聖オノリ−ヌはその
  付属教会である。
   修道院は現在博物館となっているが、教
  会は修復されたものの12〜13世紀建築
  の面影を色濃く留めている。
   三廊式の身廊で、柱頭も含めこの部分が
  最も古そうである。
   数多くの柱頭彫刻は見逃せないが、ロマ
  ネスクらしい謎めいた怪物や妙な人物の図
  像ばかりなのである。
   ここでも、これら一連の不思議な図像が
  どういう意味で彫られたのか、という素朴
  な疑問に突き当たってしまう。イメージの
  高度な抽象化なのか、単なる石工の遊びな
  のか。
   写真は、その中で最も具体的なイメージ
  が表現されたもので、聖オノリーヌを描い
  たものかもしれない。
    

  
    
     キルブフ・シュル・セーヌボンポールの聖母教会
       Quillebeuf-sur-Seine/Église Notre-Dame de Bonport
    
                                1 Seine-Maritime
     
   セーヌの河口付近には新しいノルマン
  ディー橋とタンカルヴィユ橋が架かって
  いるが、その上流30キロの間には橋が
  無い。その不便さを補うのが小さな渡し
  船のようなフェリーで、ここキルブフと
  対岸のポルト・ジェロムを結んでいる。
   キルブフはノルマンが開いた古い港町
  で、教会の中にも木造の船が祀ってある
  ことからもその歴史が知られる。
   教会の名前の通り、港の守護神として
  聖母が祭られたらしい。
   身廊は三廊式で整然としているが、ど
  うやら柱頭彫刻以外は部分的に改築され
  ているようだ。
   12世紀創建時の姿を留めるのは、正
  面扉口の装飾彫刻である。四重のヴシュ
  ールには、単純な連続模様が彫られてい
  る。赤い煉瓦と白い石を交互に使用した
  意匠は素晴らしいが、どうやらこれも後
  世の補修らしい。
   妙に大きな鐘塔も不釣合いなのだが、
  全体にロマネスクの雰囲気が満ちていて、
  とても気に入った教会だった。
   庶民の信仰に支えられた小さな教会が
  好きだ、ということなのである。
    

      
     
     ベルネイ旧修道院付属聖母教会
       Bernay/Ancienne Église Notre-Dame Abbatiale

                              2 Eure

           
   ベルネイの町の中心に建っている、この荘重な教
  会堂をようやく見つけたのだが、鍵が掛かっていて
  中へは入れなかった。張り紙には隣接する美術館に
  申し出るように、と記してあった。事務所に行って
  頼むと、快く受け付けてくれ、係りの青年が案内を
  してくれた。建築は近年に修復されたとのことであ
  り、また一部にゴシック的な改造も見られたが、全
  体的には充分、ロマネスク聖堂建築の魅力が保存さ
  れていたのだった。
   建築は保存されているが、教会としては廃墟同然
  の博物館である。しかし、それがかえって粛然とし
  た雰囲気を創出し、ロマネスクならではの落ち着い
  た空間を、余計な装飾にだまされることなくじっく
  りと眺めることが出来たのだった。
   写真は、側廊から祭室を見たものだが、半円アー
  チのみによって構成された不器用な石積建築である
  ことがよく分かる。イメージに合わない正面の、窓
  の多い祭室は、後世の再建とのことであった。
   案内してくれた青年の情にほだされて見学した美
  術館は、地方色豊かとはいえまことに退屈な作品ば
  かりであった。 
    

    
    
     グリスィー単石造十字架
       Grisy/ La Croix monolithe
    
                              3 Calvados
    
   「高い航空運賃を払って、こんなものを見に行く
  のか?」と私の友人は呆れている。趣味の違いとい
  うのは、埋めがたい天地ほどの差なんだなと感じて
  いる。

   このロマネスク時代に立てられた十字架が、何の
  ためのものなのかは判然としない。かつての村の辻
  に立っていた道祖神のような祈念塔なのか、教会の
  墓地に立っていた墓碑だったのか。

   これはノルマンの十字架とのことだが、英国南部
  コーンウォールで見たケルトの十字架にとてもよく
  似ているような気がする。
   コーンウォールのものは、十字の中心にキリスト
  像が彫られていたが、ここではキリストを象徴する
  文字らしきものが円環の中に彫られ、組紐模様の十
  字がその下の基礎部分まで延びている。

   苔むし摩滅しているので図像は判然としないが、
  中世の時代からこうして何かを示しながら立ってい
  たことを想うと、石の持つ普遍性そのものが美しい
  のだと思えてくる。高さ2.2m、牧歌的な路傍に
  立つ、なんとも不思議な石造品である。
   

     
     
     サント・マリー・オウ・アングレ旧聖母教会
       Ste-Marie-aux-Anglais/Ancienne Église Notre-Dame

                              3 Calvados

           
   征服王ウィリアムスの誕生地として著名な
  ファレイズ
Falaise の町の郊外にある牧歌的
  な村で、教会の鍵を管理されている農場を訪
  ねたが、その日は留守で涙をのんだ。仕方な
  く再度訪問した翌日の朝、ようやく鍵を借り
  ることが出来た。
   村の礼拝堂のような地味な外観からは想像
  も出来ないのだが、内部の壁や天井は隙間の
  無いほど壮麗なフレスコ壁画によって覆われ
  ていた。私も妻も思わず感動の声を上げてい
  たのだった。
   デッサンは稚拙だが端正な筆致や慈愛に満
  ちた抽象が、私たちを夢の世界へと誘ったの
  である。写真は聖母子に礼拝する東方三博士
  で、その愛らしさを妻が最も気に入った図像
  だった。褪色は致し方の無いところで、赤色
  を中心にして黄色が少しだけ残っている。
   聖母教会の名にふさわしい主題が多く、三
  博士への夢のお告げや、受胎告知とエリザベ
  ス訪問、マリア昇天なども見られた。
   この地方ではフレスコ壁画はまことに稀少
  であり、隣接するロワールの影響が大きいと
  感じた。
    

   
   
     カーン三位一体教会
       Caen/Église de la Trinité
    
                              3 Calvados
    
   カーンには、中世を代表する男子修道院と女子修
  道院とが在る。
   写真は、11世紀中ごろに王妃マチルダが設けた
  女子修道院
Abbaye aux Dames の中の、ラ・トリ
  ニテ教会である。
   御覧の通り、建物正面に左右二つの壮麗な鐘塔を
  配した、典型的なノルマン様式のロマネスク建築で
  ある。
   扉口から祭室まで60mもある壮大な建築で、好
  き嫌いは別として見事と言わざるを得ない。
   身廊は三廊式で、翼廊との交差部分に鐘塔が建っ
  ている。建築の大半は11〜12世紀のもので、ト
  リビューンの有る高い天井には、既に交差オジーブ
  ・ヴォールトが使用されている。
   後陣や袖廊の小礼拝堂などは後世の補修だが、ゴ
  シックの精神にも通じるような時代を先取りした建
  築であったことは確かだ。
   真冬正月元旦の朝に訪ねた時の写真なので、周辺
  が凍て付いていたのがお分かりいただけるだろう。
   この中で行われた新年のミサは、精神の引き締ま
  る思いがしたものである。
    

     
    
     カーン聖エチェンヌ教会
       Caen/ Église St-Étienne
    
                              3 Calvados
   
   征服王ウィリアムが創建した男子修道院 Abbaye
  
aux Hommes に付属する教会である。
   遠くからも壮大な建築群が眺められる程の、豪壮な
  修道院である。
   ノルマン様式の二本の塔が正面ファサードに建ち、
  さらに翼廊周辺に大小五本の鐘塔がそびえる姿は、ロ
  マネスクを通り越してゴシックの世界へと飛び越して
  しまった感がある。

   写真は三廊式の身廊から、周歩廊の有る祭室方向を
  眺めたものである。身廊は11世紀、祭室後陣は13
  世紀の建築と言われている。

   精神性を象徴的に表現したロマネスクの時代から、
  神の世界を実際の形に具現しようとするゴシックの時
  代へと移り行く過程を如実に示した建築、と言うこと
  が出来るかもしれない。

   カーンにはもう一つ、聖ニコラス
(St-Nicolas)とい
  う重要なロマネスク教会が在るのだが、扉が閉まって
  入れず、肝心の内陣建築を見ることが出来なかった。
    

      
      
     ブイィ聖マルタン教会
       Bully/Église St-Martin

                              3 Calvados

              
   元旦の朝訪れたカーン(Caen)の男女それ
  ぞれの修道院は、余りに壮大で絢爛とした
  雰囲気だったので、私たちは畏敬の念に駆
  られすっかり萎縮させられていた。
   そんな私たちを救ってくれたのが、カー
  ン郊外の寒村に在ったこの小さな教会のタ
  ンパン彫刻であった。これが正面の扉口な
  のだから、教会の規模は容易に想像出来る
  はずである。半円の輪郭には連続する幾何
  学模様が丹念に彫り込まれているが、気に
  入ったのは中心の図像であった。
   一人の人物と二頭の動物であることは明
  白だが、それ以上は難解である。左右対称
  の図案がオリエントを想起させ、とすれば
  動物はライオンなのか、であれば人物はダ
  ニエルなのか、と想像は果てが無い。
   半円の中に収める為の意匠とは言え、か
  くもシュールな図像がロマネスクの時代に
  創造された事に感動する。この後図像はゴ
  シックの写実へと移行する。写実から抽象
  さらに写実へと歴史は繰り返す。写実と抽
  象の、一体どちらが頽廃なのだろうか。
    

      
     
     ターン旧聖ピエール教会
       Thaon/Ancienne Église St-Pierre

                              3 Calvados

           
   バイユー(Bayeux)で憧れのタピスリーを見た後、
  カーン郊外に点在する後述のルッケヴィルとセッケ
  ヴィル、そしてこのターンの三教会を巡った。
   それぞれが個性的で美しかったので、感動の余興
  に、有名な「プロヴァンスの三姉妹」修道院に倣っ
  て「カーンの三姉妹」と勝手に命名した。
   ターンの教会は深い森に囲まれた静寂の中で、廃
  墟と化してひっそりと建っている。前日降った雪の
  残る夕闇の中で見た聖堂は、ほんのりと薄いピンク
  色にも見えて、とても石を積んだ建築とは思えぬほ
  ど軽快で優雅だった。
   手前の小川に架かる橋を渡ると、祭室後陣部分と
  鐘塔が目に入る。時代毎の改造や増補が有るらしい
  が、この部分は比較的11〜12世紀創建当初の面
  影を伝えているようだ。反対側の正面に近いほうの
  壁面は大分改造が目立っている。
   装飾アーケードばかりで窓は少なく、ロンバルデ
  ィア帯などで飾られている事がロマネスクの証明に
  なっている。
   単身廊の素朴なプランだが、鍵が固く閉まってい
  て、残念ながら内部には入れなかった。
    

     
     
     ルッケヴィル旧聖ピエール教会
       Rucqueville/Ancienne Église St-Pierre

                              3 Calvados

           
   かなり積もった雪に覆われた村はひっそりと静ま
  り返っており、人の気配の無い教会の扉は押せども
  引けども開かなかった。鍵を管理する一軒の農家に
  たどり着き、ようやく鍵を拝借出来たのだが、冬の
  ロマネスク巡礼にはこの覚悟が必要だ。
   しかし、小さな教会の内部に一歩入れば、ここを
  訪ねて良かったと心底感じさせてくれる美しい柱頭
  彫刻群が、あらゆる苦労を忘れさせてくれる。
   写真は「東方三博士の礼拝」である。ロマネスク
  のモチーフとしては頻繁に見られるが、主イエスの
  誕生を知り、オリエントから博士が礼拝に訪れると
  いう何ともロマンに満ちた主題を描いた図像は、き
  っと多くの人を魅了したに違いない。この彫刻も量
  感が豊かで、幼児キリストを抱く聖母マリアの毅然
  たる容貌が魅力的である。
   他にも「エジプトへの逃避」や「不信の聖トマ」
  さらに多くの聖人や天使の像が彫られている。全体
  に端正な彫刻で、「カーンの三姉妹」にふさわしい
  美しい図像に満ちている。
     

    
     
     セッケヴィル・アン・ブサン聖スルピス教会
       Secqueville-en-Bessin/ Église St-Sulpice
      
                              3 Calvados
   
   「カーンの三姉妹」の三つ目である。ルッケヴィ
  ルからは雪の田舎道を車を走らせ、至近のこの村へ
  と向かった。
   緩やかな小麦畑の起伏の向こうから、尖塔の先が
  少しずつ、竹の子が生えるようにして次第に見えて
  くる。
   村はうっすらと雪に覆われていたが、教会の扉口
  は運良く開いていた。聖堂の手前が墓地になってお
  り、家人と記念撮影をした。墓地で記念に写真を撮
  る奴などそうは居まい、と笑い合った。

   扉口に小さな半円形タンパンが有り、幾何学模様
  が彫られていた。
   聖堂は三廊式で翼廊の付いた十字形なのだが、従
  来は半円形の後陣が交差部の塔の右側に在った筈で
  あり、従って右側の祭室部分は後補なのである。
   身廊壁面の窓は二段になっており、上層の窓は単
  なる明かり採りで、盲アーケードと軒持ち送りの装
  飾が成されている。

   半円形の後陣が無いので聖堂全体がやや無骨に見
  えるが、静寂そのものの村の中に在って、ロマネス
  クならではの落ち着いたたたずまいを見せていた。
 
    

       
     
     トールヴァスト聖マルタン教会
       Tollevast/Église St-Martin

                              5 Manche

           
   港町シェルブール Cherbourg から数キロ、車を
  コタンタン半島の中央部に向かって走らせると、そ
  こはもう一面の牧草に囲まれた酪農の村であった。
   広大な牧草地や麦畑が眺望できる村外れに、この
  小さな礼拝堂の様な教会は孤高な姿で建っていた。
  扉口が開いていたのは幸運だと言うべきだろう。
   正面のアーチ門と円形の後陣はいかにもロマネス
  クらしいのだが、切妻形の屋根や壁の上部は明らか
  に後世の補修によるものだ。
   単身廊の簡素な建築だが、祭室部分と祭室と身廊
  の境に作られた仕切りアーチの装飾は、この地方と
  しては見事な装飾彫刻である。
   特に注目させられたのが写真の彫刻で、柱頭では
  なく、祭室のアーチ起拱点部分に彫り付けられた格
  好になっている。土俗的とも言うべき妙な人物像で
  あり、余り類例を見ない。他にも五つの像が有り、
  いずれも人物か動物の首である。首といえば、英仏
  海峡の向こうはアイルランドであり、隣はブルター
  ニュであるという場所柄から、ケルトの生首像を思
  い出してしまった。
     

      
     
     バルヌヴィル聖ジェルマン教会
       Barneville/ Église St-Germain
  
                              5 Manche

          
   バルヌヴィルは、コタンタン半島の最西端である
  ジョブール岬
Nez de Joubourg へと向かう途中に
  有る、西海岸に面した小さな町である。
   町の入口に近い位置にこの教会が建っており、外
  観が少し変わった建築である。十字形に三廊式の聖
  堂なのだが、側廊部分の窓のそれぞれが切妻式の屋
  根を持った張り出しになっているのである。
   内陣に入ってさらに驚いた。側廊と身廊とは半円
  アーチの連続するアーケードで仕切られているのだ
  が、そのアーチの輪郭部分が幾何学的連続模様の彫
  刻で飾られていたのだった。珍しい意匠であり、ま
  ことに壮麗かつ重厚な雰囲気を演出していた。
   アーチを支える柱頭部分に、幾つもの彫刻が施さ
  れていて、まるで彫刻展が開催されたかの盛況だ。
  写真はその内の最高傑作で、ヨルダン川で聖ヨハネ
  から洗礼を受けるキリストの像である。胸にあばら
  骨の皺が刻まれ、修行の厳しさが表現されたものだ
  ろうが、ガンダーラの釈迦像にも同じ様な像があっ
  たのを思い出していた。
   優れたアイディアとデッサンによって彫られた、
  柱頭の彫刻群は見応え充分であり、岬へ行くことも
  忘れて写真を撮りまくってしまった。
    

    
    
     ルセー三位一体教会
       Lessay/ Église de la Trinité
      
                              5 Manche
   
   かつてベネディクト派の修道院付属教会であった
  教会で、近年大きな修復が成されたようだ。
   しかし、ノルマンディーを代表するような美しい
  建築美は見事に保存されている。

   この写真は参道からのものだが、塀の向こうの通
  常は観光客の入れぬ秘苑に後陣を撮りたくてこっそ
  りと入ってしまった。罪をも恐れぬ罰当たりな行為
  であったらしく、その写真は失敗に終わった。

   聖堂は三廊式の十字形で、身廊は半円アーケード
  によって側廊と仕切られ、上部はトリビューンとな
  っている。さらに上部に採光窓が設けられた三層構
  造となっており、身廊部分の天井は交差リブヴォー
  ルトである。
   左右それぞれの、六つのアーチと七本の列柱が作
  り出す空間は、樹木が林立する森の中のようでもあ
  り、このイメージは限りなくゴシックに近いかもし
  れない。
   側廊の天井は、半円筒ヴォールトに仕切られた中
  が交差穹窿になっており、西端から祭室までを見通
  した眺めが、ここでは最もロマネスク的であった。
    

   
   
     モン・サン・ミシェル聖ミシェル修道院
       Mont-St-Michel/Abbaye St-Michel

                         
    5 Manche
      
   誰もが知っている有名な観光地だが、聖ミカエル伝
  説の伝わる昔からの巡礼の聖地であることを認識して
  いる人は少ない。
   ましてや、豪壮な修道院建築の一部がロマネスク時
  代の建築であることは、ほとんど知られていない。
   私達は真冬の、それも夕暮れ近い時間に訪れたので、
  話に聞いていた“物凄い人の群れ”を拝むことはなか
  った。写真は、見晴台にもなっているテラスから、教
  会と鐘塔を振り返って見たところだが、このテラスに
  も数人の観光客しかいない程だった。
   島の断崖に建つ修道院は幾重にも階層を重ねており、
  その構造はまことに複雑である。従って、見学してい
  ても、自分がどこのどの階にいるのかさえ把握出来な
  いままだった。
   建築は総体的にゴシックなのだが、付属教会聖堂の
  身廊や地下礼拝堂(クリプト)などに、ロマネスク時代
  のアーチや柱頭彫刻が残されていた。
   教会の北側に隣接するメルヴェイユ
(La Merveille)
  という僧院では、ロマネスク最盛期からゴシック草創
  期へと移り行く時代の建築の変遷を見ることが出来る。
   島を離れ、海岸の波打ち際から眺めたモン・サン・
  ミシェルの孤高な堂塔の偉容は、沈んでいく黄金色の
  夕陽の中で美しいシルエットを作っていた。
    

      
     
     ドムフロン水辺の聖母教会
       Domfront/Église Notre-Dame-sur-l'Eau

                              4 Orne

            
   ドムフロンは、砂岩が造った断崖の上に立つ丘陵
  の町だ。丘を下った町外れ、麓を流れるヴァレンヌ
  川
(Varenne)のほとりに、この美しい名前の教会が
  建っている。遥か彼方からでも、美しい鐘塔が目に
  飛び込んでくる。
   後陣のすぐ背後にヴァレンヌの流れが有り、その
  まま緑一面の牧草地となっている。林檎の樹が植わ
  っているのも、いかにもノルマンディーらしい光景
  であり、ここから眺める聖堂は絵になっていた。
   赤色の小さな切り石が積まれているので、聖堂全
  体がレンガで出来ているようにも見え、それがかえ
  って重厚な雰囲気を醸し出している。
   写真は川辺から眺めた後陣で、鐘塔や翼廊との均
  整が見事に取れた建築である。ここに写っている範
  囲だけが12世紀ロマネスクで、正面扉口や身廊は
  柱の一部以外は近年の補修らしい。身廊が異常に短
  いのだが、道路建設の際に削られたそうで、ロマネ
  スクが評価されなかった時代の愚行なのだろう。
   内陣の建築も荘重で、身廊の柱だけは11世紀の
  ものだという。
   袖廊に置かれた聖母子像はロマネスクではないの
  だが、素朴な気取らなさがとても気に入った。
    

    
   
     サン・セヌリ・ル・ジェレ聖セヌリ教会
       St-Céneri-le-Gérei/ Église St-Céneri
     
                              4 Orne
        
   フランスには美しい村 (Les Plus Beaux Villages de
  
France) に指定された集落が幾つも存在するが、この
  村もその一つである。
   黒い石を用いた屋根が連なる家並みは、ロアールの
  支流であるサルト
(Sarthe)の流れにかかる石橋や、丘
  の上に建つ教会などと共に見事な景観を作っている。
   芸術家も多く住むという集落を抜け、村外れの断崖
  まで行くと、このチャーミングな教会にたどり着くこ
  とが出来る。

   単身廊のバジリカ式で、単なる方形に袖廊と礼拝堂
  の付いた単純な十字形の聖堂である。
   写真はトランセプトの交差部から、祭室を眺めたも
  のである。半円アーチと直線のみによって構成される
  建築は、これ以上単純化することは不可能だろう。
   一切の贅肉を削ぎ落としたこの簡素なプランと、す
  ぐ手の届きそうな人間的スケールこそが、精神の浄化
  をイメージさせるロマネスクの最も理想的な姿なんだ
  と実感させてくれた教会の一つであった。
   壁面のフレスコ画は14世紀とのことなので、直接
  ロマネスクとは関係ないが、雰囲気は十分一体化して
  いて違和感は感じさせない。
   
     

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