平成25年8月(葉月)の短歌
新調の花ござの上にのわのわと寝そべる犬の尾を踏みてみん
(しんちょうの はなござのうえにのわのわと ねそべるいぬの おをふみてみん)

立秋を告ぐるニュースの窓越しに一匹の蝉ふいに鳴きだす
(りっしゅうを つぐるニュースの まどごしに いっぴきのせみ ふいになきだす)

深緑の鳴虫山は霧深し走り根に気を配りつつ登る
(しんりょくの なきむしやまは きりふかし はしりねにきを くばりつつのぼる)

電激痛ギクッと腰に走りたりボトル2本を持ち上げんとして
(でんげきつう ぎくっとこしに はしりたり ボトル2ほんを もちあげんとして)

我が背丈はるかに超えしひまわりの太き根もとに水飛ばしやる

産土に広がる稲田を渡り来る風は微かに秋の気配す
(うぶすなに ひろがるいなだを わたりくる かぜはかすかに あきのけはいす)

弟の初孫を抱かせてもらうとき過りるさみしさ孫のなき身に
(おとうとの ういまごをだかせて もらうとき よぎるさみしさ まごのなきみに)

 「暑い、暑い」を繰り返していた夏も過ぎてみればほんの三週間余り。日中は30度を超すほどの暑さでも、朝夕には虫の音が聞こえ、季(とき)のバトンは確実に秋へとタッチされた。天候不順が続いている今年、夏と秋の同居はいつまで続くのだろうか?
 3年前から南側の窓いっぱいにネットを張ってゴーヤーを育てている。緑のカーテンとして程よい日よけに、また収穫し食したりすることもでき、ささやかな「花育」生活とでもいえようか。
先日、墓参で田舎に帰省したときのこと。夜遅く帰宅し、まっさきにゴーヤーを見に庭に回ったら…なんとまあ、数日の留守の間にくたくたに萎れネットにぶら下がって見る影もない。正にゴーヤーの熱中症!すぐに蛇口前回の井戸水をかけたのだが。翌朝、恐る恐る窓から出した手に触れたのは・・・あの生き生きした葉とたくましい蔓。朝日を精いっぱい跳ね返しているように感じられた。
 ・・・夏バテ?寄る年波?の私にも、蛇口前回のシャワーが欲しいものである。

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