平成25年6月(水無月)の短歌
JALとう乗りたる箱は雲を越ゆ我が旅心はやも全開
(JALとう のりたるはこは くもをこゆ わがたびごころ はやもぜんかい)
盲導犬とひたに階上り来て大倉山ジャンプ台の高さを知れり
(もうどうけんと ひたにきざはし のぼりきて おおくらやまジャンプだいの たかさをれり)
八重桜たんぽぽリラの咲き競い小樽の水無月にわかに夏めく
小樽港廃れて久し手宮線の大きくぼみにタンポポの咲く
(おたるこう すたれてひさし てみやせんの おおきくぼみに タンポポのさく)
「マツバボタン好きだったよねおかあちゃん」黙止し植えいる梅雨の晴れ間に
(「まつばぼたん すきだったよね おかあちゃん」もだしうえいる つゆのはれまに)
風鈴を小さく鳴らして入りくる梅雨の晴れ間の風は水色
(ふうりんを ちいさくならして はいりくる つゆのはれまの かぜはみずいろ)
新築を祝いて父の植えくれし万年青咲きたり命日の朝
(しんちくを いわいてちちの うえくれし おもとさきたり めいにちのあさ)
毎朝散歩の後は花壇に水をやるのが、ここ夏の日課となっている。見える人だったら15分もすれば終わってしまうほどの狭い庭なのだが、私の場合はその倍以上もかかってしまう。鉢やプランターの位置で方向や位置を確認し、葉や花に触れながら水をかけて回るのだから。
日毎に伸びる朝顔やゴーヤーの蔓をネットにからませてやったり、咲き終わった花柄を積み取ったりしながら、唯一私に戻れる至福のひとときを楽しんでいる。
「あれっ、ここに置いていた鉢がない…」それは雨が二、三日ほど続いたあくる日の朝のこと。直射日光に弱い観葉植物の鉢植えを奥の勝手玄関の前に並べて置いたのだが、その一か所に空間ができている。
冬の間、治療室の出窓を陣取っていたサンセベリアの大鉢が見当たらないのである。24センチもの素焼きの鉢だから風に飛ぶことなど考えられないし、片手で簡単に持つことなど難しいはずである。
手のひらに乗るほどの小さな一鉢を買ってから何年経ったことだろう。サンセベリアは炭酸ガスを吸って、酸素を吐き出すという空気をきれいにする植物といわれている。植え替える度に鉢を大きくし、株分けもして患者さんにも分けたりもして来たのだった。
幸運にもこの春に株分けした小さな一鉢が残されていた。我が家から消えた一鉢は、きっとどこかの地で育っていてくれることを念じる他ない。この残された小さな一株を育てながら、心穏やかな日々を過ごしたいものである。
平成25年7月の短歌へ。
平成25年5月の短歌へ。
限りなく透明な世界のトップページへ。
すずらんのトップページへ。