平成23年6月(水無月)の短歌
夏大根の辛きおろしを好みたる義母の命日 大根おろす

車椅子の友の後ろに盲導犬とゆっくり歩むアカシアの道

紫陽花のまだまだ小さき蕾ひとつ夜半の雨粒含みて揺るる

エプロンをきりりと結べば吾はもう主婦になりたり旅もどり来て

 6月も今日でおしまい。23年も半年が過ぎてしまったことになる。「光陰矢のごとし…」という言い尽くされた言葉を思わず入力してしまった。
 月初めに全国盲導犬使用者広島大会に参加し二泊三日の旅を楽しんで来た。もう25年も前になるだろうか、娘と一緒に巡った時の思い出を抱きながら。今回はパートナーのフィズと一緒に歩き、平和公園や厳島など、娘と行ったときのわずかな記憶と一致できた箇所に一人親しみを覚え満足できた旅であった。
 原爆記念館で被爆体験を持つ方のお話を伺った。原爆が投下された当日のこと、肉親や友との別れ、闘病生活など56年間の体験を淡々と語る彼女の口話を聞きながら、流れる涙をどうすることもできなかった。彼女は最後に「福島原発事故は、たとえ大震災がもたらした結果とはいえ、被曝患者としてのこの苦しみを次世代を背負って立つ子どもたちに繰り返してはいけない」ときっぱりと結ばれた。これこそが体験した者でなければ言い切ることのできない叫びなのだ。深く私の心に突き刺さった言葉であり、今回の旅から学んだ戒めとして忘れることはできない。

甲板に盲導犬と佇みて厳島(いつくしま)の風に髪を遊ばす

被曝せしことは語らず青桐は平和公園に緑風洽く(あまねく)

原爆を二度と許すまじ願い込め響けよ響け!吾の鳴らす鐘

福島原発事故の不安を抱きつつ原爆供養塔に手を合わせいる

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