平成22年11月(霜月)の短歌
花びらの顔に触れくるコスモスのトンネル抜けてまた入り行く

秋澄める薄日の中のバラ園を香にひたりつつ漫ろ巡りぬ
(あきすめる うすびのなかの バラえんを かにひたりつつ そぞろめぐりぬ)

ポケットの中までお日さま入れながら小春日和のバラ園巡る
(ポケットの なかまでおひさま いれながら こはるびよりの バラえんめぐる)

ブランコのきしみて揺るる公園の片隅にひそと冬が来ており

釣銭を地べたにしゃがみて数えいる小春日和の露店の市場
(つりせんを じべたにしゃがみて かぞえいる こはるびよりの ろてんのいちば)

交差点アイドリングのはたと絶え満員バスに静けさとがる
(こうさてん アイドリングの はたとたえ まんいんバスに しずけさとがる)

「霧よけが錆びていますよ」見知らぬ人が改築促がす寒き秋の夕暮れ

嗅ぎ合うを互いに窘め盲導犬の主らやおらに挨拶交わす
(かぐあうを たがいにたしなめ もうどうけんの ぬしらやおらに あいさつかわす)

ふんわりの毛並み探して伸ぶる手をぺろり舐めくる盲導犬フィズ
(ふんわりの けなみさがして のぶるてを ペロリなめくる もうどうけんフィズ)

 「おーい!滑るからもっとゆっくり」後ろから夫が怒鳴っている。数日前の嵐で歩道は落ち葉でいっぱい。その上をバリバリッと音を立てながら盲導犬フィズとスピードアップで歩くのは、この季節にしか味わえない爽快感なのだ。
確かに、重なった落ち葉を踏むと一瞬ツルッと滑るときがある。それを「エイッ」とばかりに踏みしめるのがまたなんともいえない気分だからたまらない。
 もう二昔にもなってしまうが、この落ち葉の季節になると決まって思い出すことがある。それは、落ち葉いっぱいの山道を、子どもたちに手を引かれながら歩いていたときのこと。後ろから父の「枯れ葉を踏むと滑ベルからゆっくり歩けよ!」と大きな声が追っかけてきたっけ。私たちは立ち止まって待ち、不規則で重たげな足音を聞いていた。膝と腰が痛むと言っていた晩年の父の思い出である。
 こんな晩年の父を思い出しながら、私とフィズは立ち止まり、夫のゆっくりした足音の近づいてくるのを待つこのごろである。

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