平成22年10月(神無月)の短歌
稲田風カラーンと晴れた秋空を肌で確かめハーネス握る
(いなだかぜ カラーンとはれた あきぞらを はだでたしかめ ハーネスにぎる)
丁寧に盲いの吾に手渡して宅配の若者戸を閉めて行く
(ていねいに めしいのわれに てわたして たくはいのわかもの とをしめてゆく)
たちこむる湯気の中より匂い来る甘く香ばしき新米よそう
(たちこむる ゆげのなかより においくる あまくこうばしき しんまいよそう)
常よりも一品多く卓に添え夫に留守居を頼みて発ちぬ
(つねよりも ひとしなおおく たくにそえ つまにるすいを たのみてたちぬ)
秋すめる華厳滝に真向かいて吾が体温の奪われてゆく
(あきすめる けごんのたきに まむかいて わがたいおんの うばわれてゆく)
落下する音聞き上げて眼を閉ずる 華厳滝の霧風幽か
(らっかする おとききあげて めをとずる けごんのたきの きりかぜかすか)
今年最後の登山である番屋山。そのふもとの吉ガ平は源氏の落人とその子孫が暮らした歴史のある村落だったが、昭和45年に過疎地域対策として離村したのだそうである。登山道入り口の林の中の数本の木肌の高い位置に人の名前が彫ってあると聞いて驚いた。「きっと、閉村されるときに村人が想いを込めて刻んだのでは?そのころは、まだ目の高さに彫ったはず・・・」などと思うと胸が厚くなった。
ちょっとひんやりした曇り日、10月24日8時40分、登山開始。杉林をぬけブナ林を進むと大きな雨生ガ池(まおいがいけ)に出た。ここまではゆるい登りで散歩気分だった。ここから山頂までが急な登りになるのだが、土や木の葉の登山道が足に優しかったせいもあって、たいした疲れも感じないうちに約933Mの山頂に到着。途中、二箇所ほど生々しい匂いがして確実に熊の気配を感じた。道の真ん中に熊のウンチ、誰かが「まだほやほや!湯気が立っているよ」と言ったのを真正直に受けて身震いしてしまった。
山頂でメンバーと車座になって食べるおにぎりは、例えコンビにの物でも最高においしい!眺望を聞きながら私なりにその計を想像するのだが・・・こんなときこそ「見える眼が欲しい!」と心の中で叫んでしまう。
お腹も満たされ少し肌寒くなってきたころ「下山開始!」のリーダーの声。
いよいよ私の好きな下山に身支度を整える。急な坂道、苔生した石の上はともすると滑るので神経を遣う。「よくもまあ、こんな急勾配を登ったものだ」と驚くほどのところは慎重に歩を運ぶ。時には登山道に大きな朴の葉やブナの葉が覆いかぶさっていると、見える人でも道幅が判断しにくいので注意とか。
登りは気づかなかったことにも出会う。枯れかかった木にツキヨタケが上までびっしりと生えているという。その一つを手に乗せてもらった。片手に余るほどの大きさ、しっとりと重い。焼いてお醤油で食べたらさぞおいしかろう!だが、これは毒キノコなのだそうな。
今回はススキの穂に顔を撫でられての山行だったが、また野鳥の声や、花の盛りの季節に登ってみたい。そんな想いを誘う「あったかい」番家山だった。
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