平成21年10月(神無月)の短歌
手の幅に間隔計りて球根を寒波に耐ユル深さに埋む
(てのはばに かんかく はかりて きゅうこんを かんぱにたゆる ふかさにうずむ)
手に包む花の球根まんまろと小さき命を砂に埋めたり
(てにつつむ はなのきゅうこん まんまろと ちさきいのちを すなにうめたり)
台風のことなく過ぎて秋めきし朝のさ庭に花鉢戻す
(たいふうの ことなくすぎて あきめきし あさのさにわに はなはちもどす)
草紅葉において哀し 立ち止まり引く我の手にからまりてくる
(くさもみじ においてかなし たちどまり ひくわれのてに からまりてくる)
めしい吾に触れさせくるる不器用な君の手揺るる コスモス揺るる
(めしいあに ふれさせくるる ぶきような きみのてゆるる コスモスゆるる)
ブナ林大樹の下に耳すます葉ずれさやさや空より降りくる
(ブナばやし たいじゅのもとに みみすます はづれさやさや そらよりふりくる)
後になり先になりして盲導犬と落ち葉と一緒の秋晴れの路
(あとになり さきになりして もうどうけんと おちばといっしょの あきばれのみち)
落ち葉踏み落ち葉の林に佇みぬかさっと一枚また落ちて来る
(おちばふみ おちばのはやしに たたずみぬ かさっといちまい またおちてくる)
朴の木の落ち葉を踏めば立つる音よ幼心に還る夕暮れ
(ほおのきの おちばをふめば たつるおとよ おさなごころに かえるゆうぐれ)
いつのころからだろうか、手を重ねて眠るようになったのは・・・。ゴツゴツした節くれの指を組んだりこすったりして一日を振り返ってみる。大抵は振り替える間もなく眠ってしまうのだが、ここ数日、心に引っかかるものがあり解けないでいる。
見えぬ身の眼となる諸手を握りつつ眠りゆく癖いつよりならん
「あうは わかれの はじめなり」言い尽くされた言葉だが、これを覆すことができないものかとどんなに考えあぐねても、やはり「偶うは別れの初めなり」は絶対なのである。こんな愚かなことを考え込んでしまうほど、大切な人との(命との)別れは迫りつつあるのだ。
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