平成20年1月(睦月)の短歌
重々と埠頭に汽笛の広ごりて新しき歳穏やかに初む
(おもおもと ふとうにきてきの ひろごりて あたらしきとし おだやかにそむ)

コーヒーの香り満たして夫と二人「今年もよろしくお願いします」
(コーヒーの かおりみたして つまとふたり 「ことしもよろしく おねがいします」)

この年は少し緩めて生くるべし六十路に入りたる吾がさじ加減
(このとしは すこしゆるめて いくるべし むそじにいりたる わがさじかげん)

盲導犬ターシャの笑う初夢に覚めてしばたたく視力なき眼を
(もうどうけんターシャのわらう はつゆめに さめてしばたたく しりょくなきめを)

来し方の鬱きことすべて流さんと思う初湯に流れぬ一つ
(こしかたの うきことすべて ながさんと おもうはつゆに ながれぬひとつ)

 紅白歌合戦も終わりみなが談話している家からターシャと外へ出た。冷え込んだ夜気に思わず身震いをしながら埠頭へ続く大通に向かった。ゆく歳とくる歳の狭間を響きくる汽笛に手を合わせるのはいつもの習い。なのに、その度にしんみりした気持ちになるのはなぜなのだろう。昨日が明日に、それは去年から新年になるという、それだけのことなのに。

厨辺の間近に雷鳴とどろけば食器の音をひそめて洗う
(くりやべの まぢかにらいめい とどろけば しょっきのおとを ひそめてあらう)

生ごみの袋重たし 雪道を轍に沿いて盲導犬と
(なまごみの ふくろおもたし ゆきみちを わだちにそいて もうどうけんと)

突風に吾が盲導犬は凛と立つ握るハーネスに命が通う
(とっぷうに わがもうどうけんは りんとたつ にぎるハーネスに いのちがかよう)

たちまちに我の音の地図かき消して遠吠えのごと疾風迫り来
(たちまちに あのおとのちず かきけして とおぼえのごと しっぷうせまりく)

人気なき路地に盲導犬と立ち尽くす 足裏の吾が地図奪いて降る雪
(ひとけなき ろじにもうどうけんと たちつくす あうらのわがちず うばいてふるゆき)

 「雪化粧」というロマンチックな言葉があるが・・。この言葉に惑わされてはいけない。視覚を失った私にとって雪は外出を妨げる「魔物」になってしまうこともあるのだ。たとえ心強い盲導犬ターシャがいても、私の頭の中にある記憶の地図と、靴底の感覚、周囲の音や風、匂いなどの情報が一致しなければ目的地にたどり着けないのである。
 でも、いつもこんなに緊張してばかり歩いているわけではない。私の靴跡とターシャの足跡を残しながら、まっさらな新雪をギュッギュッと踏みしめて歩く楽しさ。そして、ときどき立ち止まり降ってくる雪を仰ぐとき、私の眼にまっ白い雪が蘇るのだ。

見えし日の色鮮やかに蘇る たとえばくつくつ踏み締める雪

片栗粉つまんだような感触のこくこく寒の雪踏みしめる

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