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『 ヴェラは炉棚の前で、額ぶちに入れられた子守唄を見上げた。
十人のインディアンの少年が食事に出かけた
一人が咽喉をつまらせて、九人になった
彼女は考えた。まあ、怖い!――ちょうど、今夜の私たちのようだわ!
アンソニー・マーストンはなぜ死にたかったのであろう。彼女は死にたくなかった。
死にたくなる気持を想像することができなかった。死は――自分以外のひとびとを訪れ
るものなのだ。…… 』(※)
「藤崎さん」
私のそばで声がした。見ると如月未緒さんが立っていた。
私――藤崎詩織は本を閉じると、
「如月さん、何か用?」
如月さんは私が持っていた文庫本の題名を見る。
「アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』ですね」
「うん。公人くんから借りたんだけど…読んだことあるの?」
「ええ。私、マザーグースの唄が好きで、本も何冊か持ってるんです。確か、この話も無
人島に招待された十人の男女が『十人のインディアンの子供』という唄の歌詞と同じ形で
ひとりずつ殺される話ですよね?」
「まあ、それはそうだけど…」
『そして誰もいなくなった』は公人くんが「面白いから読んでみろよ」と貸してくれただ
けであり、私は別にマザーグースもミステリーもそれほど興味が無いが。
「ところで如月さん。何の用なの?」
「あ…。実は文化祭の準備を手伝って欲しいんです」
「文化祭の…準備、って演劇部の?」
「ええ。藤崎さんの所の部はもう準備が終わったと聞きましたので……文化祭を前に部員
が三人辞めちゃって、人出が足りないんです。文化祭まででいいんです。何人かでお手伝
いして頂けませんか?」
私はちょっと考えて、
「…わかったわ。あたってみる」
「あと、男の人も欲しいんですけど」
「男の人?」
「ええ。大道具係を手伝ってほしいんです」
「…というわけなの。メグ、手伝ってくれない?」
放課後。私はメグ――美樹原愛に如月さんの話を伝え、演劇部のお手伝いを頼んでみる
ことにした。
「でも詩織ちゃん。私、不器用だし…」
「そんなことないって。大体メグは帰宅部なんだから…。友達を作るいい機会かもしれな
いわよ」
メグは内気でおとなしい性格のせいか、学校でもあまり目立たない子で、男子の友達が
ほとんどいない。無論どこの部にも所属してなく、彼女の親友の私としてはちょっと気に
なっているのだ。
「ね、メグ。ほんの二週間くらいなんだから、ね。お願いします、美樹原さん」
「…うん。詩織ちゃんの頼みなら断れないわよね」
「演劇部の手伝い?」
メグの方を片付けた私は、今度は公人くんに手伝いをお願いしてみた。
「うん。演劇部は男の人が少ないから、大道具係の人が不足してるんですって。演劇部っ
ていうのは私たちと違っていろいろと忙しいらしいのよ。それに、どうせ公人くんはやる
ことないんでしょ?」
「まあ、そりゃそうだけど…」
「じゃ、お願いね。明日の放課後、演劇部の部室まで来て、って」
「ちょ、ちょっと待てよ。そんな急な…」
*
「如月さん。お手伝いしてくれる人、連れてきたわよ」
翌日の放課後、私は公人くんとメグを連れて演劇部の部室に入った。
「あ、ありがとうございます。とにかく中に入ってください」
如月さんの招きで私たちは部室に入った。と、
「ハロー、藤崎さん」
聞き覚えのある声がした。
「あら、片桐さんもお手伝いなの?」
片桐彩子さんが机に座っていた。
「お手伝い、っていうか…、美術部で背景を描くことになったから、今日はその打ちあわ
せ」
片桐さんは風景画より前衛絵画のほうが得意だ、と聞いたから彼女が背景を描くとなっ
たらいったいどうなるのか?
「…ところで、藤崎さん。そっちの女の子は?」
「あ、紹介するわ。私の友達で美樹原愛。メグ、こちらは片桐彩子さんよ」
「は…はじめまして」
「ハウドゥユードゥー。はじめまして」
片桐さんはこのように会話のなかに英語と日本語を混ぜて話す人だ。公人くんに言わせ
ると「ジャイアンツの長嶋元監督といい勝負」らしいが。メグはそんな片桐さんに面食ら
ったようだ。
「…で、如月さん。いったい文化祭で何やるの?」
公人くんが聞く。
「あ、はい。今年はミステリー物をやるんです」
「ミステリー?」
「はい。『マザーグースは死のメロディ』というタイトルなんですが…」
「『マザーグースは死のメロディ』? …もしかして、マザーグースの唄にあわせた見立て
殺人か?」
「はい、そうですけど」
「じゃあ、台本如月さんが書いたんだ。如月さん、確かマザーグース好きだろ?」
「いえ、私ミステリーってあんまり得意じゃないんです。…部長さんが台本を書いたんで
すよ」
「部長、って久世先輩か?」
「はい。部長さん、ミステリーが大好きなんだそうです」
「…ねえ、詩織ちゃん。マザーグースって何?」
メグが私に聞いた。
「イギリスやアメリカで広く唄われてる童謡のことよ。メグも『ロンドン橋』って歌、知
ってるでしょ?」
「ロンドン橋落ちた、ってあれ?」
「そう。あれもマザーグースのひとつなんだって。私なんかより公人くんのほうが詳しい
んだけど、外国じゃマザーグースの唄を題材にしたミステリーが多いんですって」
「クリスティが得意としてるぜ。何冊も本を書いている」
公人くんがメグにそう付け加えた。
私とメグは端の方に置かれた机に座り、小道具に色を付ける作業を始めた。公人くんは
近くで金槌を片手に作業をしている。片桐さんたち美術部員は、私たちと反対の端のほう
で演劇部の何人かと打ち合わせをしていた。
で、残った演劇部員は、というと、久世先輩の指導の下で演技の練習を始めたようだ。
私たちは何も話さなかったし、当然片桐さんたちの話も聞こえるわけがない。公人君た
ちが釘を打ち付ける音と演劇部員のせりふだけが聞こえてくる。
と、
「駄目だ駄目だ! もう一回やり直し!」
いきなり教室中に響き渡るような大声が聞こえてきた。
その声の大きさに驚いたか、メグが手にしていた小道具を落としてしまった。
そして後ろを振り返った。私も何事かと思い、背を伸ばして見た。
他の人も同じことを思ったのか、公人くんや片桐さんまで何事か、と見ている。
何やら久世先輩が演劇部員にカミナリを落としたようだった。
と、如月さんが、
「あ、気にしないでください。そのまま作業を続けてください」
と言った。
如月さんにそう言われると私達もおとなしく従うしかないから、再び私達はそれぞれの
作業に戻った。
その後も久世先輩は何度か演劇部員に対しカミナリを落とし、私たちの作業が中断され
てしまうことがしばしばあった。
午後5時過ぎ、私は校門の前で公人くんと別れて校門のそばに立っていた。
程なくメグがやって来た。
「詩織ちゃん、お待たせ。さ、帰ろう」
「あ、ちょっと待ってて」
「…誰かと待ち合わせしてるの?」
「ん、ちょっとね」
それから5、6分経っただろうか。
「あ、やって来たわ」
如月さんが校門の方に向かってくるのが見えた。
「あ、藤崎さん、今帰りですか?」
如月さんが言った。
「うん。どう、一緒に帰らない?」
「え? でも、私の家を通ると藤崎さん遠回りになっちゃいますよ」
「いいのよ。途中にメグの家もあるし」
そして私たち3人は一緒に帰り道を歩いた。
「…ねえ、如月さん」
私は如月さんに話しかけた。
「なんですか?」
「…あの久世先輩、っていつもあんな風なの?」
「ああ、あのことですか。…部長は普段はとてもやさしい人なんですけど、なんて言うん
でしょうか…、演劇に対する情熱が人一倍な人なんです」
「ふうん…」
「私も最初はびっくりしましたけど、もう慣れてしまいましたし、あれだけ一つのことに
集中できる、ってすごい人だな、って思いますよ。私、部長のこと尊敬してるんです。た
だ…」
「ただ?」
「部長が熱心なのはいいんですが、もちろんそういったことに関して、部長のやり方につ
いていけない、って人も多くて…」
「…如月さん、もしかして私に前に話した部員が3人辞めた、っていうのは…?」
「…はい。『部長のやり方には付いていけない』って言って辞めちゃったんですよね。…部
長はちょっと短気なところがあって、自分の思い通りに行かないことがあるとすぐああな
るんですよ」
「…公人くんの言う『キレやすいヤツ』っていうことか…」
*
その翌日のことだった。
私とメグが学校に到着したときだった。
「あ、藤崎さん!」
私の姿を見た片桐さんが駆け寄ってきた。
「片桐さん、どうしたの?」
「大変よ、ちょっと来て!」
そういうと有無を言わさず片桐さんは私の手を引っ張った。
片桐さんは私を演劇部の部室の前に連れてきた。
そこはすでに何人もの生徒が集まっていた。
私は何が起こったのか、と思い一番後ろから覗いた。と、
「…あ、藤崎さん」
如月さんが私に気づいたのか、私の元にやって来た。
「如月さん、どうしたの?」
「い、いえ、その…部長が…」
それだけ言うと如月さんは黙ってしまった。
と、
「…いったいどうしたんだ?」
私の後ろで声がした。
私が振り返るといつの間にか公人君がそこにいたのだ。
「…いつの間に来てたの?」
「いや、今来たら美樹原さんがオレを呼んでさ…」
「あ、高見さん…」
如月さんも公人君が来たのに気づいたようだ。
「…どうしたんだ、如月さん?」
「いえ、その…部長が…」
「久世先輩が?」
そういうと公人君は
そういうと公人君は教室の中に入っていった。
「…こりゃあ…」
中の様子を見た公人君が絶句した。
私も公人君の後に入った。
「うっ…」
私は口を覆った。
そこには久世先輩が物言わぬ死体となって転がっていたからだ。
公人君は久世先輩の死体に近づいた。
「…? 何だ、これは?」
公人君が久世先輩の死体のわき腹を見て言った。
私が見ると久世先輩のわき腹に何か棒のようなものが刺さっていたのだ。
公人君はそれだけ見ると、
「…警察は?」
「…さっき呼びに行ったよ。もうすぐ来るはずだ!」
誰かが叫んだ。
「よおし、じゃあみんな出ろ〜! 現場を保存するんだ!」
そういうと公人君はそこにいた生徒全員を廊下に戻した。
こういう時、現場を荒らしてはいけないのは私だって知っている。
「如月さん、片桐さん、メグ、ちょっと来て!」
私は3人を呼ぶと公人君と共に踊り場に出た。
*
「…じゃあ第1発見者は…」
「…はい、1年の部員だったんです。その後私を呼びに来たんですけど、私中に入れなく
て…、それで男子部員を呼びに行ってもらったんです」
「…まあ、あんまり女の子が見て気持ちのいい現場じゃねえな。…それにしても…」
「どうしたの?」
「久世先輩のわき腹に棒のようなものが刺さってて、それが致命傷になったんだろうけど、
それが矢だったんだよな…」
「矢?」
私が聞いた。
「ああ。昨日詩織と美樹原さんが小道具に色付けやってただろ? それの小道具の矢のよ
うだな」
「…何でそんなものを?」
「それはわからねえよ。ただ…」
「ただ?」
「…やめとこう。笑われちまうもんな」
「別に笑ったりしないわよ。どうしたの?」
「…いや、ある童謡が思い浮かんでな」
「童謡?」
「『誰がこまどりを殺したのか』だ」
「『誰がこまどりを殺したのか』…って、マザーグースの"Who killed Cock
Robin?"です
か?」
如月さんが言う。
「"Who killed Cock Robin?"?」
私がつぶやいたのを公人君は聞き逃さなかったのか、
「『誰がこまどりを殺したのか』の原題だよ。先輩の死体に矢が刺さってるのを見て、この
詩を思い出しちまったんだよ…。確かこんな歌詞だったはずだ……」
と、公人君は次の唄を言った。
誰がこまどりを殺したの?
わたし、とすずめがいいました
わたしの弓矢で
わたしが殺した
「確か、英語の原詩はこんなだったはずです」
と、如月さんが英語で、
Who killed Cock Robin?
I,said the Spallow,
With my bow and arrow,
I killed cock-robin.
私達の間で重苦しい空気が流れたのがわかった。
(※)アガサ・クリスティー・著/清水俊二・訳『そして誰もいなくなった』早川書房より引用。