2013年、4月24日、現在。マメに内容を更新してます。 最初にお金の話をしましょう。 自分が得する時、必ず、誰かが損をしてます。 これが他を傷つけた悪業(カルマ)となって返り、 結局、損をする事になります。 マーフィーの法則や100%自己実現とか、 引き寄せの法則とか、思い通りの人生とか流行ったが、 古事記で須佐之男(スサノヲ)が大暴れした時、 天照大御神が岩戸に隠れる話があるように、 自分が思い通りの人生を生きるとき、必ず、他の自由を奪っている。 これが他を傷つけたカルマ(悪業)となって返り、 自由が束縛され、自己実現できないんだよ。 自由といえば恋愛(夫婦関係)や、 この社会は、ある程度、 互いの自由を束縛し、成り立っている事に注意してね!! 釈迦の予言書『法滅尽経』で解かれてる様に、 恋も奪い合いであり 自分が理想のパートナーに出会えたとき 必ず、誰かが理想のパートナーと出会えなくなる。 これが、他を傷つけたカルマ(悪業)となって返り ワイドショーでお馴染みですが 結婚直後、旦那が急に愚痴の多い嫌いな人に変貌したり、 結婚直後、旦那が急に働かなくなったり お金持ちと結婚したはずが 結婚直後、旦那の会社が倒産し、嫌いな貧乏人に変貌したり、 綺麗な人と結婚したはずが事後や病気で、寝たっきりの 醜い姿に変貌したりの悪人に変わる。 偶然に、夫婦関係が悪くなってる訳じゃないんだ。 これを、釈迦の縁起の法ではなく、仏教の唯識で解いて見よう。 好みの異性が、ここに居るとする。 それは、自分が原因となり、好みの異性が縁となって、 結果、自分の善業が引き出され幸せを感じているんだ。 外に何も無い訳ではなないが、 好みの異性が幸せを持っている訳ではない。 この様に幸せというのは脳内現象であり、 善業の積み重ねが幸せを引き寄せるという事です。 理想の相手(好みの異性)と言えば、 お金持ち、容姿が美しい、性格が良いなどの条件があるが、 理想の相手と幸せを実感すれば、するほど、裏の条件へ変わって行きます。 お金持ちの裏は貧乏(結婚した途端に夫の会社が倒産し貧乏になったとかね) 容姿が美しいの裏は容姿が醜い(老いて容姿の良い若者に夫を取られたとかね) 性格が良いの裏は性格が悪い(嫁のモンスター化とか言われてますね) ミ○スでは、これを、 自分の隠したものが相手に投影されているとか、 自分の悪い部分が相手に投影されているとか言ってますが、 原因は自分の貪りです。 地に足を付けましょう。 理想の相手と幸せ実感すれば、するほど、善業が消費され裏の条件へと変化します。 この様に、お金(経済力)、地位、名誉、権力など、 この世の、あらゆるものは、 実体が無く空であり無常(変化する)である。 これを諸行無常と言います。 この様に、人は他に依存しており、 他に依存して生起する事を縁起と言います。 突き詰めると、人は他を傷つけない事には生きられない。 よって、欲望(自我)に流されると悪業しか積まさらず、 やがて、嫌いな事をしなくてはならなくなり、 最後は、求めても得られない一切皆苦の地獄に至る。 よって、必要以上の欲望は抑え、 同時に、他を傷つけた恩がしで善業(功徳)を積む。 この不苦不楽(六波羅蜜)の道で、 善業<悪業から、 善業>悪業の状態(徳を積む)に自分を変えていく。 これが、釈迦の一元論ですね。 ちなみに、善業が多い、 互いを利する夫婦関係(人間関係)を順縁と言い、 六波羅蜜を行うと、その様に人間関係が変わっていく。 良い事をすれば、良い事が返ると言いますが、 嘘っぱちで、 良い事をすれば、するほど悪業(カルマ)が出ます。 つまり、良い事をすれば、悪い事が起きる。 これに耐えると、悪業が落ちて、善業が出る仕掛け。 ミ○スでは、耐えなくて良い、我慢しなくても良い、 善業(徳)なんか積まなくとも良いとか言ってますけどね。 六波羅蜜を行うと、悪業精算の為、 物質的な困窮に耐える事、誹謗、中傷に耐える事、 悟りの難しさに耐える事など、3つの試練があると言われてます。 物質的な困窮に耐える事は、貪りに対する布施(善業)であり、 誹謗、中傷に耐えるという事は、名誉や地位に対する布施(善業)であり、 悟りの難しさに耐える事は、怠惰(甘え)に対する布施(善業)と言われてます。 このように、ミ○スと違って、 与える方向には無限の意味を持たす事が出来るんですねェ〜 修業を始めた頃、よくあったのは、 相手には、その気はないんでしょうが、 妙に、相手の言う事がチクチクくる事がありました。 名誉の布施ですね。 また、一生懸命、ブログを書いてるが、 アクセス数ゼロが続き、誰も認めてくれないとか、 ブログ・ランキングに参加しても、 一向に、ランキングが上がらないとかね。 名誉の布施ですね。 こういった事が起こります。 これと、似てるんだけど、 阿呆なミ○ス人が居て、 人には支配欲があるから苦しいと悟った。 なんて、言う割には、 誰も聞いてくれないし、 誰も認めてくれず、アクセスが無いもんだから、 やたら、人気のある他のブログで、 これをコメントに残したりしてた人がいた。 これは、 自分の考えの方が他よりも優れているという執着があるんだ。 自分の考えの方が他よりも優れているという慢心があるんだ。 上から見ると同じ支配欲ですね。 まぁ〜、ミ○スって、こんなもんでしょう。 慢心の裏に卑屈ありで、 誰も、聞いてくれないなんて事になっているんだ。 人の論理ばかりパクって、その気になって、 金儲けなんてやっていると、こうなりますね。 まぁ〜、これも、名誉の布施とも言えるかな。 このように智慧がないと、 誰も聞いてくれないし、 誰も認めてくれないからって、 選挙で落ちたのは陰謀だぁ〜、と、 オウム真理教の様に暴走したりします。 利他の実践は、このように、 自分を尊い存在と思いたいなどの自尊心や、 プライドなどの名誉が崩される段があります。 これに、耐えると悪業が落ちて、善業が出る仕掛け。 ミ○スでは、耐えなくて良い、我慢しなくても良い、 善業(徳)なんか積まなくとも良いとか言ってますけど、 それは、ミ○スの高次元世界では思考が一瞬で現実化するからとか言ってます。 ちなみに、これは、 一瞬で願望を実現したいと言った執着を持った人や、 一瞬で悩みを解決したいと言った執着を持った人向けに、 高次元世界では思考が一瞬で現実化する。 と、積極的な嘘をかまして勧誘しているだけです。 気を付けて下さいね。 意識的に一瞬を求めているので、 意識の裏の意味が無意識に積み重なります。 一瞬の奇跡の裏は、 死ぬまで不幸などころか死んでからも不幸。 現実は無意識方向に変化する無常なので、 これでは、幸せになるどころか、何時まで経っても不幸のままですね。 ミ○スに金をみついだわりには、 奇跡が起きるどころかミ○ス・ローン(ローン地獄の不幸)が増えたとか、 ミラクルが連続せず不幸ばっか。 長年、ミ○スに金をみついでいるが、一向に理想の相手に出会えない。 そんな人は六波羅蜜を試してみるのも良いかと思います。 一瞬で一発で奇跡が起こすのも考えもんで幸せが長続きしないんですねェ〜 コツコツ努力した方が長期的な幸せが漏れなく付いてくると言う事です。 軌跡の裏に奇跡がありますから。 また、思考も現実化するには条件があって功徳(善業)があることが条件となります。 この様に、この宇宙(この世)は、原因と条件(縁)と結果で成り立ってます。 例えば、種(原因)が花(結果)と成るには、光と水を与える事が条件(縁)となります。 条件の中には無条件というのもあると思います。 これは、無償の愛というものですね。 無償の愛を与えるものが、無償の愛を与えられます。 無償の愛は、どんな時も与えられる条件が変化しない愛なので、 恋愛というのは、この無償の愛が返ってくるのが望ましいでしょう。 ニコラ・テラス: エジソンは、1ダース以上の、ノーベル賞に値するよ。 夫の世話を生甲斐とする、稀有な女房に恵まれなければ、 無趣味と無頓着のために、もっと早死にしていただろうが。 夫の世話を生き甲斐という所なんかぁ〜、まさに、無償の愛だと思います。 善業が多い人は、類は類を呼ぶで、そういう人と結ばれ易いと思います。 ミ○スの愛は金が条件ですので、崩壊しやすい愛(人間関係)ですね。 悪業が多いと、類は類を呼ぶで、悪業の多い人と結ばれてしまうんでしょう。 あと、後に何回も触れますが、 願いには正しい願いと、そうでない願いがあります。 お金と意識の関係を言うと、 お金持ちに成りたいと思っている裏(無意識)で、 お金持ちに成りたくないと言ってます。 現実は無意識方向に変化する無常なので、 これでは、何時まで経っても貧乏ですね。 誰もが、良い学校、良い会社に合格祈願をするが、 合格者には限りがあるので、これでは、神も願い叶えようがありません。 ですから、神は、その学校で学んだ事を全体の為に使おうとしている人を合格させます。 こんな感じで、自我の裏に他我ありで、 自我と他我の両方を満たした願いが正しい願いであり、 逆に、ネズミ講(ネットワークビジネス)など、 他を傷つける願いは、後ろめたさや罪悪感があるので叶いません。 船井研究所では積極的に、 ネズミ講(ネットワークビジネス)を推薦してるようですがぁ〜 なぜなら、そういった良心的な部分など、 自分の全部分の投影が目に見える外の人達ですから、 後ろめたさや罪悪感のある良心が許さない願いは、 外の人達(他力)が許しませんので、願いが叶いません。 この世に自分だけの力だけで、なし得たものがあるか? と言えば、そうだはなく、職場に行くにしたって、 誰かが作った道路を歩き、誰かが作った交通機関(車など)を使って通ってます。 これは、神は自分の中にいたとも言えますね。 逆に、良心が許す願いというのは火事場の馬鹿力と言いますが、 それでけ、罪悪感のない集中した心というのは人智を超えた力(他力)があり、 願いが叶えられ易いという事です。 お金に関して言えば、お金を全体の為に使おうとか、 結婚に関して言えば、ミ○スの様に、 楽しむ為に結婚するから、後に苦しみますので、 恋愛や結婚に関して言えば、それだけ、相手を幸せにしよう。 または、それだけ、良い事をしよう。と、 利他的な願いが正しい願いだと思います。 なので、ミ○ス信者の様に、ミ○ス原理を盲信し、無職のままでは、誰も幸せにできません。 盲信と言えば、何故、神は科学を与えたかと言いますと、 そういった、盲信や迷信から、目を覚まさす為です。 信者が脱会しそうになると、どいつも、こいつも、 脅しを仕掛けるものですが、何故、神は智慧という科学(論理性)を、 与えたのかと言うと、そういった、盲信や迷信から目を覚まさす為です。 ミ○スでは、マリッジ・コードを外しますよと、 結婚に執着している人に脅しを掛け、脱会を防止しているようですけどぉ〜 気を付けて下さいね。 裏を返すと、ミ○スの様に、迷信が世の中を支配するという時代ではなくなっている。 という事です。 ミ○スの結婚は、夫婦関係=経済関係とかいって、 自利目的の結婚ですからねェ〜 良くなる訳がありません。 ちなみに、これは、お金に執着がある人向けに、 夫婦関係=経済関係と言っているだけです。 お金に執着しているだけに、 そう言われると、ミ○スで結婚してみようかしらぁ〜 と、誘惑が生起する仕掛けです。気を付けて下さいね。 これでは、1日で理想の相手に出会えるどころか、 何時まで経っても、理想の相手は現れないと思います。 長年、ミ○スを実践しているが、 一向にパートナーが現れないどころか、ミ○ス・ローンが増えた。 そんな人は試してみるのも良いかと思います。 また、後に解く、嫉妬、妬みに関連するので、ここで、言っておきますが、 結婚やお金、名誉や地位など、それらを得るという事は、 それらを持てない人に代わって、持つ苦しみを背負うという事でもあります。 例えば、持つものには、 その収入を維持する苦しみや、執着対象を失いたくないなどの苦しみがあります。 不思議な話ですが、喜びには2つあって、 ひとつめは、他人よりも優位になることを喜ぶ心と、 ふたつめは、他の幸せを喜ぶ心です。 前者は、喜びの裏で他を傷つけているので、後に苦しむ有限の喜びですが、 後者は、誰も傷つかないので、無限の喜びという事になるのですが、 無理矢理でも良いから、他の幸せを喜ぶような瞑想をすると、 あら、不思議。 喜びの裏に苦しみありで、 他の幸せを理解すると、その裏にある苦しみも理解してしまいます。 嫉妬、妬み対象というのは、自分が思っているほど、幸せではなく、 持つものには、それなりの苦しみがあり、 持たいないものには、それなりの気楽さがあります。 という意味では、人は平等なんですね。 ちなみに、なにゆえ、 ミ○スの様なヘンチクリンな宗教や団体に人が集まり、 お約束通り騙さるのかと言えば、類は類を呼ぶで、 自分だけ儲かりたい(自分だけが助かりたい)と思っているから、 自分だけ儲かりたい(自分だけが助かりたい)と思っている人が集まり、 自分だけ儲かりたい(自分だけが助かりたい)という人に騙さる。 そういう仕組です。 また、無償の愛と言えば親子関係がそうですね。 親は子に無償の愛を与え子を育てます。 無償の愛というは人が本来、持っている力とも言えます。 この様に、無償の愛というのは、 競争よりも、最も、この世で安定した条件です。 ミ○スでは「あっ、そうなん!!」で絶対安心とか言ってますが、 地に足を付けましょう。 ちなみに、修業(利他の実践)すると、そういう局面が多いです。 与えても、与えても、悪業勃発で与えられませんからね。 それでも与えるならば、それは見返りを求めない布施となり、 無償の愛を与えた事になります。 どんな状況であれ、与え続けているというのが神ですからね。 この利他の実践(善業積み)を繰り返す事により、 悪業が減って、そのうち、悪業よりも善業が多くなり、 幸せに成る仕組みです。 初段は、善が悪で返るが、後に、善は善で返る仕掛け。 これを約束の日と言う人もいます。 あぁ〜、そう、そう、 ミ○スと言えばパクリですが、ミ○スでは、やたらと、 思考が思い通りになる高次元に行くのですよと脱会を防止したり、 3次元は人気がありますが、アセンションで高次元に行くとか、 極と極が合わさって、人類が一瞬で消えたとか、 悩みの無い世界が、どうの、こうのとか、 ミ○スの王国が出来るとか言ってますが、 これは、キリスト教の福音派の教義をパクったもので、 ラプチャー(携挙)と呼ばれるものだと思います。 ラプチャー(携挙)とは、簡単に言うと、 終末(最終戦争)になると、その寸前で、 と言った、選民思想です。 どいつも、こいつも、 ミ○スでは、やたらと、戦争が起きるとか、 まぁ〜、この天国(ラプチャー)という奴を、 思い通りの世界に執着している人や、 ラプチャーとは、 地に足を付けましょう。 アセンションは結婚だったのマリッジコードミ○スや、ミロソフィアの愛と財だか、 引き寄せの法則やら、ホ・オポノポノやら、NLP心理学やら、 オーラの泉やら、アセンションへの扉だが、1+1=∞やら、精神世界の鉄人だとか、 バシャールのワクワク星人だか、ラムサだか、伊勢白山のリーマンとか、 一日で理想の相手に出逢えるとか、出逢えないとか、 なんつって、救われるどころか、 銭、掬われたか? うなもん、実践して、かえって、夫婦関係が悪化した!! うなもん、実践して、かえって、親子関係が悪化した!! うなもん、実践して、かえって、人間関係が悪化した!! うなもん、実践して、かえって、不幸になった!! うなもん、実践して、かえって、経営が悪化した!! うなもん、実践して、かえって、病気が悪化した!! ここは、そんな人向けさぁ〜 俺なんか、奴らの「愛と財」とかいうMLM(ネズミ講)で、 2年間、救われるどころか、銭(足元)、掬われたあげくに、 相手を受け容れたとき、魔法が使えるんですと言いつつも、 5年間、続けてきた、法施BLOGを奴らに殺されました。 法施:叡智の人類共有財産化 ちなみに、そこでは答えを言いません。 読者の質問に対しても、答えはセミナーでねとか、 銭、払って、セミナーいったものの、今日はここまで、とか、 働かずに暮らす無限のリピーター創りと思われるが、 これは、ミ○スの答えを知りたいという執着を突いた積極的な嘘です。 なので、セミナーに行っても答えはありません。 最初から答えなんて、そこには無いですからね。 まぁ〜、自分探し使いなんてェ〜 こんなもんだぜぇ〜 悪い事というのは隠し通せるものじゃないんだ。 森相応 第六章 「最近、城門の広場や、大通りの集会堂で、 私達のことについて、嫌な噂が立っています。 そもそも、これは、何の因縁によるものですか。」 このように聞かされて、比丘は青ざめて言った。 「もともと、家とは、覆い隠すためのもの。 私が家を出たのは、全てを明らかにするため。 どうして、悪い事が、隠し通せる事があろうか。」 都合の悪い事や、嘘を隠そうとするのが人ってもんだが、 意識的に隠そうとしているので、 意識の裏の意味が無意識に積み重なる。 隠すの裏はバレルだ。 現実は無意識方向に変化する無常なので、 そんな無意識部分を他人が演じ、仲間や身内が罪悪感から喋るなど、 嘘や、MLM(ネズミ講)など犯罪的で悪い事がバレテしまう。 例えば、最近、内部告発によって、 ミ○スの真理を商品にしたネズミ講ビジネスが明らかになり、 S学会の様に、虐めや、嫌がらせ、脅しなどによる、 ぼったくり高額セミナーの勧誘や、 興味を引く宣伝で、欲しいものがある振りして、答えがないなど、 積極的な嘘を使い「人の苦しみや心をもて遊ぶ」ネズミ講的な勧誘が明らかになってきた。 その背景には、無思考になれば、罪が消えるとか、 お金儲けは醜いと思ってるから財が入らないなどのミ○スの論理が、 そんな、他を傷つけた行為を正当化してるんだろうと思われる。 つまり、罪悪感(醜い)なんて感じてるから、何も儲からないんだっ! というのが、ミ○ス論理(愛と財)なんで、 騙しもするし、嘘もつくし、盗作(パクリ)もするし、 あなたには○○○の使命があると人権費ゼロで働かせたり、 そんなボランティアからもセミナー費はちゃっかり頂くし、 人類救済がミッションと言いつつ、救済対象からも銭を騙し盗るし、 毎年恒例、ぼったくりクリスマス・パーティーで銭を騙し盗るし、 捏造した、でっちあげのミラクル体験談で勧誘し銭を騙し盗る。 ネズミ講というのは、ネズミ講の話とは言わず、 「面白い話があるからさぁ〜」とかなんとか言って、勧誘するでしょう。 普通、罪悪感があるので、そんな事はしませんが、 それと同じミ○スでは積極的な嘘を使う。ミ○スは、元々、ネズミ講団体だからね。 だもんだから、高額なセミナー料を払った割には、 ミ○ス論理自体が欠陥商品で、効果がまるでない事がバレてきた。 つまり、効果の無い欠陥所品を、積極的な嘘で、無理やり売っているって事がバレてきたんだ。 積極的な嘘と言えば不妄語の戒ですね。 十戒四 … 不妄語の戒 妄語の禁戒・正語の勧戒について述べよ 妄語とは三種類の嘘を指す。 第一の嘘は、自己の利益を保全するための積極的な嘘である。 第二の嘘は、沈黙を持って正しいことを言わない嘘である。 第三の嘘は、結果的に嘘となってしまう消極的な嘘である。 積極的に嘘をなさないことにより、他人に騙されなくなるという果報が生じる。 何故なら、積極的に嘘をなす背景には、“自分の都合良く真実を歪める”という習性があり、 他人が、自分の都合の良い現実に騙されるのと同様に、 自分も、自分の都合の良い現実に騙されてしまうからである。 真実が、自己や非自己によりに歪曲され、物事を正確に認識出来なくなる。 第二の嘘、弟三の嘘の詳細は後で述べるとして、 ミ○スに、お金など、 執着対象が騙し盗られたりすると誰もが怒りを感じる。 怒りの裏に執着ありで、 この場合、お金に執着がある点においては詐欺師のミ○スと同じだ。 つまり、ミ○ス人というのは、 苦しい事があると、他人を騙す悪習慣があると言う事だ。 そんな、悪習慣があるだけに、最後は、お縄ちょうだいと行かないまでも、 そんな、可能性を有しているという事だ。 まぁ〜、ネズミ講やってる奴の行き着く先は、そんなもんさぁ〜 最近は、開き直ったのか、 ミ○スの経営方針は「騙す=人助け」と内部告発で明かになっている。 オウム真理教も、 被害者に対して、それは被害者のカルマなので、 我々は悪くないと言っていたらしい。 ミ○スもオウムも同じですね。 アセンションに向けて、ノストラダムスの時と、 同じ事が繰り返されている事に、お気づきでしょうか? 真理や法則は他の幸せの為に使用しないとね。 ちなみに、 内部告発により警察が動いており、 ミ○スは統○教会のダミー団体というのがバレて来た。 警察の捜査によると、色々と問題ありで、 県警、検察庁、国税局、税務署、公安部、などが、 ミ○スを囲んでるそうです。 気を付けましょう。 ミ○スに警察による大規模監査が入ったのは金環日食の日です。 ミ○スの教祖はアカシック・レコードを読めるそうですが、 インド占星学でも未来予測が出来るので、ちょっと、未来を予測して見ましょう。 インド占星学での日食は、 既存の権威・権(=太陽)が、(月に)隠されることから、 大きな変化を表すという見解もあるようです。 また、今回の金環日食は、 全国規模で見られた大きなものであり、 これは、平安時代以来の出来事だそうです。 歴史は繰り返すと言いますが、平安時代に何が起きたかと言うと、 それまでの支配階級であった貴族が没落し、源氏平氏といった武士が台頭しました。 宗教を見ると、いわゆる「鎌倉新仏教」と呼ばれる新しい仏教が生まれました。 平安時代の金環日食の後の状況は、貴族社会から武家社会、 一部の人のための仏教から万人のための仏教へと変化しました。 こうして、政治と宗教の双方で、それ以前の時代と比較すれば、 平等性が高まったように思います。 また、今まではイエスの魚座時代でしたが、 2012年からは次の水瓶座時代の影響が本格化すると言われてます。 水瓶座の象徴には「平等性」があります。 インド占星学の観点からも、やはり、金環日食以降は、民衆が強くなるという象意があるそうです。 ミ○スが言う未来文明とは異なる予測となりましたが、 これから来る新しい文明を予測してみました。 ミ○スから離れた方が無難かと思います。 また、そんな悪人は自分の潜在に眠る悪業の投影でもある。 競争に負けたり、信じても救われなかったり、 そんな条件に立ったならば、 自分も同じ事をしていた可能性あるという神のメッセージでもある。 このように自分と他人は、輪のように繋がっている。 であるならば、そんな悪人を反面教師とし、 悪人のようにグダグダな人生にならなようにと、 悪人を自分の利益とする事が出来る。 ミ○スでは怒りの対象に対して、 自分が自分にしている事が怒りの対象に投影されているとか、 自分が隠している部分を怒りの対象に投影されているというが、 そうではなく、怒りの裏には何かしらの執着がある。 例えば、批評された場合、今の自分を評価して欲しいなどの執着がある。 つまり、怒りの対象というのは自分を高める助力者でもある。 ミ○スでミラクルが起きない人は、この様に融和する事をお勧めします。 男と女が融和すると子が生まれるように、 何かと何かが融和すると利益が生まれますからね。 おっとっと、この世は相対なので、 批評や指摘事項の裏に評価ありです。 客先クレームやミスなど、しっかりと反省し、 自己や会社を改善するならばクレームも評価に繋がります。 ミ○スでは反省なんか、いらん、いらん!!と、他を騙しまくってますけどね。 怒りと言えば、 ミ○スでは、願望に執着している人や、 思い通りの人生に執着している人向けに、 ミ○スを実践すると、高次元に言って、思い通りに成るとか、 積極的な嘘を、かましては、勧誘し、 お金に執着している人には、 高次元に行けば、思わぬところからお金が入るとか、 積極的な嘘で勧誘してますが、 怒りの心を浄化(ヨーガでいう右動の浄化)すると、 現実を変える力に変わると言われてます。 ついでに、貪りの心を浄化(ヨーガでいう中道)すると、 直感知と言って、悟り、つまり、智慧が得られると言われてます。 智慧によって、無智が浄化されるんですが、 無智の浄化(ヨーガでいう左道の浄化)は、 神に導かれるという果報があると言われてます。 真に何かを成し遂げる人は、何かを狙う人では無く、 自然と導かれる、流れになる。という事ですね。 長年、ミ○スに金を貢ぎ、ミ○スを実践しいるが、 願望が叶わないどころか、導きも得られない。 そんな人は、六波羅蜜を試してみるのも良いかもしれません。 ちなみに、自由の裏に責任ありです。 「本文」 五章二五節〜五章二六節 「あなたを訴える者と、早く仲良くなりなさい。 さもないと、あなたを、彼は、裁判官に引き渡し、 裁判官は、下役に引き渡し、あなたは、牢に繋がる。」 「あなた方に、はっきり言っておく。 最後の、一コドラントを支払うまでは、 あなたは、そこから、出ては来られない。」 「論点」 自由 の裏に 責任 自由の裏には、必ず、責任がある。 自分で責任を取る者は、自由になり、 他に責任を被せる者は、不自由になる。 最後に責任を取るのは、自分以外にない。 責任を取らない限り、不自由のままである。 たとえば、自分のことを嫌う相手。 嫌われるのを、相手の責任にすれば、 相手を嫌うため、自分は不自由になる。 たとえば、相手のことを許す自分。 嫌われるのを、自分の責任にすれば、 相手を容れるため、自分は自由になる。 マヤ 先輩、ラプラスの悪魔って、ご存知ですか? 因果律や運命を超えることが出来るという事です。 ミ○スでは、思い通りの高次元世界に行けるとか言ってますが、 ミ○スを実践しているわりには、一向に自由になれない。 そんな人は、試してみるも良いかもしれません。 ミ○スでは自分を知ると相手が一瞬で変わるんですと言うが、 相手を変えるというのは、自分の思い通りに相手を変えるで支配欲まるだしですね。 これは支配欲という執着がある。 どの団体も金が欲しいから、 全人類を自分の信者にと支配欲で一杯ですからねェ〜 特に信者は、その様な支配欲で頭の中が一杯なので、 ミ○スでは、そんな執着を突き、 「ミ○スに144000人集まる」と積極的な嘘で勧誘します。 すると、支配欲(名誉、地位)に執着があるだけに、 「お話しだけでも聞いていようかしらぁ〜」となる仕掛け。 気をつけてね!! ミ○スと言えばネズミ講ですが、 とくに、ネズミ講やってる人は人(金)に執着しているから、 「ミ○スに3000人集まる事は決まっている。今、ネズミ講に参加するれば一年後には金持ちです」 なんて言われると「金と人」に執着しているだけに、フラフラっと来て、騙される仕組み。 教祖願望や救世主願望がある人も、 我こそが全人類を救うと、全人類を自分の信者にと、 人、物、金と、人に執着(支配欲に執着)しているからねェ〜 だから、 「ミ○スに144000人集まる事は決まっている」とか、 「アクセスが倍になった」とか積極的な嘘をかますと、 フラフラっと来て、 「お話しだけでも聞いてみようかしらぁ〜」とか、 「もぉ少しミ○スを続けてみようかしらぁ〜」と騙される仕組み。 どこも、自分達こそが救われるとやってますが、 これって、随分と自己中心的である事に注意してね。 己を利すると己を害するのが、この世の仕組みさぁ〜 オウム真理教も、144000人が、どうの、こうのと言ってましたが、自己破滅しました。 幸せは利他しかないのさぁ〜、足元、救われないようにね。 例えば、ミ○スでは、 良い親になろうとすれば、するほど、子供は言う事をきかない。と言ってます。 これは、自分の子供を、自分の思い通りにという支配欲があります。 だから、思い通りに行かないと、子供に愛着があるから、心が動揺し、 愛着の裏に憎悪ありで、言う事を聞かない子供にやつあたりたりと、 憎しみが生起する。 ミ○スも信者に愛着(執着)しているから、 信者が自分の思い通りにならず、 脱会者などには、メールや電話での「嫌がらせ攻撃」をしているそうですが、 まさに、愛着の裏に憎悪ありですね。 この場合、支配欲の反対である尊敬(愛)で、 「将来は偉大な人物になるんだ」と支配欲を弱め行く。 まぁ〜、親というのは、そうやって子を育てるものだと思うけどね。 互いを支配しようとする関係においては、なかなかその調和が形成されない。 一方、互いを尊重しようとする関係においては愛が逆に形成されやすい。 だから互いの自由を、尊厳を認める方が、 つまり、ある程度さっぱりしている方がうまい関係ができて、 一方で互いに対して求め合っている、 要求し合っている状態の方が、かえって安定しない。 場合によっては憎悪に変わってくるんだよ。 つまり、「自分はこれだけやってあげているのに、なんであなたはこういうふうにしないの」っていう、 そういった愛著の裏側に憎しみが形成されてしまうところがあって、 だから、もう少しさっぱりした関係の方がいい。 そのための秘訣は、やっぱり子供をかなり尊敬することかな。 他への尊重と言えば、 例えば、なにゆえ、イエスは、 「汝、敵を愛せよ」と言ったのかと言いますと、 人間関係も無常でして、 敵になったり味方になったりします。 キリスト教は、今では世界宗教ですが、 キリスト教を、世界宗教にしたのは、 イエスではなく、パウロと言われてます。 その、パウロですが、 当初はイエスの言うことが分からず、 キリスト教信者を弾圧していました。 イエスに反発していたんですね。 しかし、イエス亡き後、パウロは改心し、 キリスト教を世界宗教にまで立ち上げました。 これは、まさに、イエスの復活と言えるかと思います。 ミ○スでは、なんやぁ〜 ミ○スの教祖がイエスとして復活するとかなんとか言ってますけどね。 地に足を付けましょう。 人ってのは完全ではないですからね。 だからこそ、人は無常で変わっていく。 こうやって、人は成長して行くんですね。 ちなみに、悟りの手前は、支配欲の放棄でして、 何か悟る度に、思い通りに行かない事ばかりです(笑)。 さっぱりした関係と言うのは難しいんだけどね。 人ってのは、依存 → 反発 → 自立 というプロセスで大人になるからね 最初は子供は親に依存しているから、 親の為に、良い子供にと、親に依存するが、 そのうち、やっぱ、ちょっと違うのではと、 後に親を敵に回してでも、そっちがの道が、親、以上の価値があるのではと、 自分の道を歩き、結果、子供は親を超え、 親は、やっぱ、お前の言うとおりだったと、子を称賛する。 これって、ミ○スや、宗教、カルトに似てないかい? 信者は教祖に依存しているから、 悪い事でも、教祖の命令に従ってしまう。 それは、依存しているだけに、 上に認めてもらいから、悪い事も、見て見ぬふり。 という奴です。 こうして、悪い事にも従ってしまいます。 意識的に隠したものは無意識でバレる事になります。 ミ○スやカルトには気を付けて下さいね。 洗脳やマインドコントロールというのは依存なんだよ。 依存関係においては、 こんなに尽くしたのに結果が出ないじゃないかぁ〜 と、愛着の裏にある憎悪が出るが、 さっぱりした関係というのは、 指摘はするが、それでいて、憎悪がない状態です。 大人と大人の関係って事です。 大人と大人の関係というのは、こんな感じで、さっぱりした関係です。 ただ、依存が強いのか、 もしくは、何かしらの事情で親元を離れる結果になった人などは、 いつまでも、親に怨みを持ち、 依存から自立できず、カルトに依存したりと、 そんな感じになるみたい。 宗教なんて、信じれば(依存すれば)、 信じるほど(依存するほど)、 救わるどころか、足元、救われますからね。 盲信、狂信では、救われません。 地に足を付けましょう。 ここは、この様に、智慧と慈悲で自他の区別を外して行く。 これは、悪い事も、自分一人の力だけじゃ回避できないと言う事だ。 そんな、ネズミ講などをする、みじめな悪人がいて、 はじめて、悪の誘惑に勝て、悪業を回避できる。 また、ミ○スのように嘘を付いたり、騙しで儲けるのも良いが、 そういった目先の快楽の裏には長期的な苦しみが付いて来る。 目先の快楽に囚われ、 電気料金は安いが危険な原発を使った結果は知っての通りだ。 ミ○スの言う自他の区別を外すは、 相手を通して自分を知る → 相手に隠していた自分を見る → 自分を知る → 自分の使命を知る。 という事らしいが、これは、そこの教祖の例を出すと、 聖書を読み、聖書の登場人物(他人)を見て、 これは俺だ。俺は救世主(イエス)だ。それが俺の使命だ。 と、自分を知ったらしい。成功とは自分を知ること(使命を知る事)、 すると、必要な物が入ってくる。なんてやってるが、 鵜呑みに信じると、救われるどころか、足元(銭)、掬われる。 ちなみに、これは、 一昔前の話ですが、 「お金持ち父さん、貧乏父さん」という本が流行り、 お金持ちにってぇのが、ブームだったんだ。 ちょうど、その頃、 自分探しというのもブームで、 当時のテレビ番組や、精神世界本も、 その手のものを扱っていた。 つまり、 お金に執着している人達と、 自分探しに執着している人達が多いと見込み、 自分を知ると、必要な物が入ってくる。 と、積極的な嘘をかまし、勧誘している訳ですよ。 そんな執着があるだけに、そう言われると、 フラフラっと誘惑が生起し、ボッタクれる仕組みです。 気を付けて下さい。 ちなみに、これ、俺が聞いた時よりも、すっかり話しが大きくなってるね。 後に解くが、これは使命ではなく、教祖の執着(願望)が生起してるだけ。 自分より徳のあるものを倒すと、 この様に、隠していた自分を知る事になる。 だから、相手に隠した自分を見るまでもなく救世主願望があったということ。 類は類を呼ぶで、そこには、支配欲に執着しているので、 裏天皇だとか、教祖願望がある人が集まってる様に見えるね。 ついでに、人、物、金というのは使命を知る事ではなく、 それなりの人格(人徳)を備えた者に集まるという事を、 ここでは学び、智慧と慈悲で、そういった人格を磨いてく。 その過程において、悪業が落ちて、(無明が晴れ) 智慧が生起し、自分の道を知る事もあるだろう。 ちょっと、横道にそれるが、 使命を知ると必要な物が入ってくるなんて言っているので、 必要な物について解くが、 発展途上国の人は、何時も、お金が無いと言っている。 発展途上国より、お金を持っている日本人はどうかというと、 発展途上国の人と、同じように、お金が無いと言っている。 これは、人の幸せと言うのは他との比較で、 他人より優位になった時に幸せを感じてるからだ。 よって、どこにいっても、満たされる事はない。 だから、よぉ〜く、自分を内省して見ると、 お金に困っているのではなく、他との比較で苦しんでいるだけで、 生活に必要な「お金」は既に与えられる場合が殆どだと思う。特に日本人は。 ここに引っ掛かり、囚われ、 他人よりも優位になんて、優位になろうとすると、 自分が勝利するとき、必ず誰かが、負けるからね。 そんな他を傷つけた悪業(カルマ)が返り、 周りが、自分よりもグッっと幸せに成り、また他との比較で苦しむ仕掛け。 『こんなに、一生懸命、頑張ってんのに、周りばかり儲かりやがってっ!!』 なんて聞くけど、そういう事かもね。そっち方向に頑張っても満たされる事はないんだよ。 後に解くが、人の幸せというのは慈悲方向(分かち合い)にしかないのさぁ〜 ちなみに、他よりも優位になんてやっていると、 『なんで、あんな奴に負けるのよっ!!』 なんて事もあります。 この世は相対なので勝ちを極めると、この様に、負けも極める事になります。 これが、六道輪廻で言う修羅界です。 修業なんかすると、悪業勃発(カルマ勃発)で、 仕事が奪い合いになったり、異性が奪い合いになり、 『なんで、あんな奴に負けるのっ!!』なんて事は、しょっちゅう発生します(笑)。 他人よりも優位にと、 他に勝利する時、誰かが必ず負けてますからね。 これが他を傷つけた悪業(カルマ)となって返り、 結局、負けも極めてしまいます。 なので、修羅界の出口というのは、 他に勝利した者は、弱い者を引き上げる事で恩返しとなります。 他を引き上げるから、自分も引き上がるという事です。 ちなみに、 自由と平等は両立しませんが、 この様に博愛が前提だと、 自由と平等は補完し合います。 弱い者も、いつまでも、弱い者ではなく、 この様に、強くなる、変化する無常な尊い存在という事です。 修羅界というのは、 自分より幸せな人ばかり見て、 自分より幸せな人を妬んでばかりで、 下層を、ないがしろにし、いつの間にか、自分が下層に落ちている。 こうして、負けも極めてしまう世界です。 ただ、この競争社会で生きてきただけに、 自分よりも幸せな他人を見ると嫉妬してしまうのが人ってもんだ。 これも場合によるが、 嫉妬、妬み対象というのは、よぉ〜く見ると、 自分にとって必要な存在である場合が殆どだと思う。 例えば、恋愛だ。 全部が全部じゃないと思うが、 恋すると、恋敵(ライバル)というのが生起する。 恋敵(ライバル)が生起すると、嫉妬、妬みが出るのが人ってもんだが、 そんな、恋敵(ライバル)は誰かと言うと、 自分の上司だったり、仕事仲間であったりする。 嫉妬、妬みの裏には怠惰(甘え)がある。 どんな、怠惰(甘え)があるかと言うと、 幸せに成りたいが、責任は負いたくない。 お金持ちに成りたいが、責任は負いたくない。 なんてねェ〜 そんな「責任は負いたくない」などのしたくない事を、 嫉妬対象である恋敵(ライバル)の上司や周りの人達がやってくれていて、 嫉妬対象が自分にとって必要な存在でもある場合が殆どだ。 これは、自分の怠惰が原因で、そんな嫉妬対象が生起してる。 だから、嫉妬、妬み対象というのは、 努力すれば、そんな怠惰は克服できるし、 そんな怠惰を無くす事によって、自分も、そうなれるよ。 と言う「神からのメッセージ」なんだ。 こうなると、嫉妬対象が称賛対象に変わって来たりする。 そんな智慧があると、見るものも違って見えてくる。 観音菩薩のカルマ・ヨーガですね。 ちなみに、怠惰と言えば、 ミ○スでは「出せば入る」と言ってますが、 基本的に利他の実践というのは良い事を行う事で、 心のどこかに後ろめたさや罪悪感がある行為は出しても入りません。 例えば、ネズミ講とか、 騙し=人助けなんてやってるミ○スに金を出したりする行為は、 間接的に犯罪してる様なものなので罪悪感や後ろめたさがあります。 良い事をして、次に進むのですが、 財の裏に才があり、才の裏に徳があります。 つまり、利他の実践というのは徳を積むことなので、 財が来るのではなく、才を磨かせようと現実が動く訳です。 まぁ〜、試練という苦しみが与えられ、そこで才を磨く事になります。 ミ○ス人というのは、楽して幸福になりとい、という怠惰(無智)があるので、 そんな執着がある人に、ミ○スでは「出せば入る」と言っているだけで何も起こりません。 そんな怠惰を克服し、努力させようと現実が動きます。 お金は欲しいが働きたくないとか、 お金は欲しいが責任は負いたくない。 そんな怠惰に執着がある人に向けてミ○スでは、 外側を変えるのは三次元のやりかた、 高次のやり方は、外ではなく内である夫婦関係を良くする事で、 財が回る「夫婦関係=経済関係」とか、「内側の投影が外側」とか、 だから、夫や妻に「かっこいい」とか「可愛い」とか言って夫婦関係を良くして下さい。 なんつって、積極的な嘘で勧誘してます。 そんな事をしても財は回りません。 夫婦関係も外側を変える出来事で内側ではありません。 オウム真理教もヘンチクリンな真理を盲信してました。 金に執着している人に「夫婦関係=経済関係」と言っているだけです。 金に執着しているだけに、 「ミ○スで結婚してみようかしらぁ〜」と騙される仕掛けです。 楽して金を儲けたいと怠惰に執着している人に「夫婦関係=経済関係」と言っているだけです。 楽して金を儲けたいという執着があるだけに、 ブサイクで理想の相手でもなんでもないが、 ミ○スで「教祖が決めた相手と結婚してみようかしらぁ〜」と、 フラフラっと誘惑され、人生、棒に振る仕掛けです。 実際、かなりの人が地獄を見ているようで、 残ったのは高額なブライダル費などのミ○ス・ローンだけ。 すると、借金による不労働所得で、 ミ○ス人は働かなくとも金が入る仕掛けです。 このように、ミ○スでは、自分達の代わりに働くカモを作ってます。 気を付けて下さい。 ちなみに、ミ○スでは、やたらと、 ミ○スがなかったら世界平和はなかった。 とかなんとかと言ってますが、 それは、内側の投影が外側であり、 つまり、内側の家族関係が外側の世界平和。 という事らしいですが、家族関係も外側の出来事です。 地に足を付けましょう。 利他の実践は才を磨くよう試練が与えられるが その努力は財を得る為の才となり、財が回り、 最初は苦しいが、後で楽する仕組みです。 後で楽をするという意味では、 最近は不況で、なかなか内定が貰えない。 と聞くが、人生、最初に楽をすると、人生後半で地獄を見ます。 ミ○スでは、歯を食いしばって金を稼ぐのは三次元のやり方。 なんつってますが、そういう苦の裏に楽があります。 若い時は苦労は買ってでもしろといいますが、 最初に苦労した方が、後に長期的な幸せを得るかと思います。 なので、まずは罪悪感の無い財を回す事です。 まぁ〜、ミ○ス人の場合は、 楽して幸福になりたいとミ○スに依存しているので、 出せば入るとかやれば、やるほど、入るどころか、そんな隠した怠惰がでるだけで、 (嫉妬、妬み対象が生起し、努力させようとするだけで) ミ○スがら自立する事が財を得る第一歩かと思います。 第一歩と言えば、ミ○スでは、 「どうして自分にはミラクルが起きないの!」と、 他のミラクルを見て嫉妬しているようだが、 そこには「楽して幸福になりたい」とか、 「今、すぐ幸福になりたい」という怠惰(無智)がある。 これも、怠惰を克服する事により、自分もそうなるよという「神のメッセージ」でもある。 やはり、ミ○スから自立する事が第一歩でしょう。 ちなみに、 ミ○スでは、積極的な嘘で、 なんとかと、セミナーに誘ってますが、 2012年から魚座のイエス時代が終わり、 この年より、次の水瓶座の影響が本格化すると言われてます。 水瓶座の象意には「変革・改革」があり、 宗教や政治が変わるのではと言われてます。 なぜなら、 過去に2度ほど宗教改革があったのですが、 その背景には通信機器の革命がありました。 一発目は新聞で、 二度目はコピー機の誕生です。 新聞により、牧師さんに会わないと、 学べなかった叡智が学べるようになり、 コピー機の誕生により、 教会に行かないと読めなかった聖書が、 誰でも、読めるようになりました。 今生(現代)は「インターネット」という通信機器の革命があります。 なので、宗教改革があるのでは? と、予測している人もいるそうです。 つまり、ミ○スの様に、 セミナーに行って、真理や法則を学ぶ時代は終わりました。 ミ○スに財が回らないのは、そういった理由もあると思います。 まぁ〜、ミ○スから離れた方が無難でしょう。 ここでは、この様に、智慧と慈悲で自他の区別を外して行く。 これを聖書で解いて見よう。 聖書には2つあって、新約聖書と旧約聖書がある。 旧約は選民思想で、 どいつも、こいつも、自分達の教祖が世界の王となる。 なんつって、支配的な人が多い。 新約は万人の教えで、 信じれば救われるという教えで被支配階級が多い。 ここに仕掛けがある。 選民思想は、 他人よりも優位に立ち、他を見下したいという慢心があるがため、 そんなカルマが返り、救われるどころか、 いつも神から「お前は、蜂の子だ!」と評価されるどころか批評を浴びている。 万人の教えは、信じていれば「無条件」で救われると、 努力せず、いつも神に愛されていると平和ボケしているので、 そんなカルマが返り、救われるどころか、 いつも神から「お前など知らぬ」と信仰に裏切られている。 旧約を信じる者は、いつも新約を信じる者から、 お前らなんか、神じゃない、蜂の子だと批評され、 新約を信じる者は、いつも旧約を信じる者から、 お前など知らん、誰が助けるかと言われ続けている。 旧約を信じる者にとって、新約を信じる者は神の現れであり、 新約を信じる者にとって、旧約を信じる者は神の現れであるが、 誰ひとりとして、気づいた者はいない。 アセンションなんて、 信じていれば救われるなんて思っていたら大間違いさぁ〜 信じる者から、足元、掬われるのが、この世の仕組みさぁ〜 この聖書の話しだけど、 松本龍・復興担当大が震災被害者に対して、 智慧がない、お前らなんか助けない的な失言をし、 マスコミに叩かれ、わずか5日で辞任したのと似てるかなぁ〜なんて思う。 ちなみに、慈悲なき栄光は、この様に、民衆の怒りを買い消滅する。 マリーアントワネットがそうで、名誉も地位も美貌もと、 何もかも手に入れた人だが、一つだけ無いものがあって、 それは、他の苦しみを理解できる慈悲と、それを、とっぱする智慧だ。 だから、国民がパンも買えず飢えていたのを見て、 マリーアントワネットは、パンが駄目ならケーキを食べれば良いと、 国民の怒りを買い、国民に滅ぼされた。 使命の話しついでに、ちょっと触れるが、 人の使命なんて言うものは、大方、共通しているんだ。 この世は競争社会ではあるが、 本来、競争というのは勝った方も、負けた方も、 全体的に良くなるのが本来の競争社会だ。 この世は、相対だ。 つまり、負け組がいないことには、勝ち組というのは存在しえない。 これは、勝ち組、負け組みというは、相互依存関係(縁起)で成り立っているということ。 なので、相互依存関係だけに、 負け組がいなくなると、勝ち組も消滅する。 勝ち組がいなくなると、負け組も消滅する。 これも、後に解くが、自分と他人など、 この世は、なんでも相互依存関係(縁起)であり、他から独立した存在はない。 だから、勝ち組、負け組、 双方には役割(使命)というのがあって、 勝ち組というのは、下を引っ張り上げる役(使命)があり、 負け組は上を支える役(使命)がある。 がしかし、負け組は、さっきも言った様に、 楽して、幸福になりたいなどの、 幸せに成りたいが、責任は負いたくないなどの怠惰があるからね。 これでは、消滅するように現実が動くだけで、いつまでも、幸せにはなれないと思うよ。 後に解くが、願いには、正しい願いと、そうではない願いがある。 怠惰を無くし、他を支える為に、○○の職に就けますように。 と願を掛けると、仕事が見つかったり、仕事が与えられたりしてね。 ちなみに、昭和最大の実業家である松下幸之助の、 最初の役割(使命)は、なんだったかと言うと丁稚奉公(でっちぼうこう)だ。 丁稚奉公で上を支え、ついには、勝ち組になった人さぁ〜 普通にやっても、なかなか儲からない。 普通にやっても、なかなか勝てず儲からない。 そういう人は、 ミ○スみたいにネズミ講(ネットワークビジネス)など、 詐欺的な方向に行きがちになるが、 敗北の裏に勝利ありで、 敗北というのは、 自分の個性や、自分の役割に近づくプロセスなんだ。 例えば、 最多安打の張本選手は、右手をやけどしたので左腕投手になり、 投手として肩を壊したので打者に転向した結果生まれた名左打者です。 日本も戦争で領土を失ったからこそ、加工貿易に集中し経済大国になりました。 この様に、敗北というのは、自分の役割に近づくプロセスであり、 競争というのは勝者と敗者を分けるものではない事が分かるかと思います。 ミ○スで、高額セミナーに銭を払ったが、 自分を知るどころか、一向に財が回らない!! そんな人は試して見るのも良いかと思います。 ミ○スでネズミ講(ネットワークビジネス)をする事が自分の役割なのか? ミ○スを続け、ミ○スをする事が自分の役割なのか? ミ○スで財が回らない人は、考え直すのも良いかと思います。 ちなみに、 ミ○ス教祖の救世主願望というのは、 漫画を見て、天災や天変地異を契機に 自分の活躍の場(存在意義)が与えられると思っているのと同じ。 宇宙戦艦ヤマト、機動戦士ガンダム、エヴァンゲリオン。 などなど、これらが流行る理由は、 存在意義を満たせない、ぱっとしない少年が、 天災を契機に、突然、ヒーローになり活躍する話しだから。 だから、ノストラダムスとかアセンションが流行し、 実際、震災なんか起きると、これを契機に陰謀論信者や、 予言信者などが、待ってましたかのように出てくる。 これは、この行き過ぎた競争社会で、 存在意義(活躍の場)を失ってる人が多いという警告でもある。 そういった不満は、カルトや、テロ、犯罪という形で吹き出るものだ。 これは、 自分を尊い存在と見れない。 自尊心の欠如があげられる。 自分を尊い存在に見れない人は自尊心に執着しているので、 ミ○スでは、 ミ○スは先駆者になるとか、 ミ○スは歴史に名が残るとか、 ミ○スは雛形になるとか、 ミ○スは霊的指導者になるとか、 ミ○スは古代ユダヤの子孫だとか、 ミ○スはトップ・シークレットとか、 ミ○スに世界中の金が集まるとか、 ミ○スに144000人集まるとか、 ミ○スの教祖はキリストの生まれ変わりとか、 ミ○スの教祖は裏天皇だとか、 あなたには使命があるとか、 ミ○スの王国が出来て、支配階級になれるとか、 積極的な嘘をかまし勧誘する。 自尊心に執着しているだけに、そんな嘘を言われると、 ニヤニヤっと来て、 ひゃっほっほ、ひゃっほっほとミ○スに銭をみつぐが、 何時まで、たっても、幸せにはなれず、 気づけば、ミ○ス・ローンだけが残った。 そんな事になるので、気をつけてね。 自尊心と他への尊重(他への愛)は、 相互依存関係なので、 自尊心が無い人は、他への尊重(他への愛)がありません。 なので、 彼らは、牡牛座から牡羊座に導く使命を司る。 ------------------------------------------- 「問」 先ず、牡牛座とは、どういうものか。 「答」 ゼウスが、牡牛に化けて、娘に近づく。 娘は、訝しがるが、優しい目に心を許し、 牡牛の背に乗り、新しい地に導かれていく。 ------------------------------------------- 「問」 次に、牡羊座とは、どういうものか。 「答」 ゼウスが、牡羊を遣わし、娘を助ける。 娘は、空を駆ける、その高さに目が眩み、 牡羊の背から落ちて、深い海に沈んでいく。 ------------------------------------------- 「問」 たとえ、それが、神の導きであろうとも、 地に足が付かないと、地に落ちる訳ですか。 「答」 その通り、牡牛座は、牡羊座に導いてしまう。 甘い教えを、信じてもいいが、掬われるだけだ。 ------------------------------------------- 「問」 彼らは、人類を騙しているのですか。 プレアデスの生命は、悪者なのですか。 「答」 信じるものから、掬われなければならない。 彼らは、そういう役を司っているに過ぎない。 そういう、使命、使命。 救うどころか、人の足元(銭)、掬(すく)ってなんぼ。 なので、 参考程度って事で、気をつけてね! ノストラダムスの予言って知ってるかなぁ〜 その投影がアセンションさぁ〜 周期的に来る、神の悪戯(イタズラ)なんだよ。 投影だけに、人の心が変わらないと、周期的に来る。 と言っても、恐怖の大王は降りてんだ。善も悪も見せるのが神だからね。 誰もが恐怖する、認めがたい法(真理)が降りたんだ。 だから、しっかりと、地に足を付け、牡羊座ではなく水瓶座に向かうんだ。 おっとっと、さもロロの秘密を知っていると言わんばかりの セミナーが沢山あるが、これも意識的に秘密を隠しているので いずれ、バレテしまい、そんなものは他をより優れた優越感に浸れるものどころか 銭、払ってセミナーに行ったわりにはその価値を失うんで、気を付けてね!! 怪しい団体(スピリチュアルなど)は、20年、30年、棒に振るだけだ。 最近は、信者が、どっかの宗教団体を相手に青春を返せ裁判なんてやってる。 ちなみに、本物は秘密にするのではなく禁忌する 触ると、祟りがある。とかね いきなり、この世は、 得すれば損する無常と言っても恐怖を与えるだけだからね。 という意味では、ノストラダムスの恐怖の大王は降臨してんのさぁ〜 恐怖の大王が説いた、非常識な天界の法則を、 常識を踏まえ説き直すのが、アンゴルモアさぁ〜 Angolmois とは、Angel ol Moise(使徒モーセ) 大本教で言うと、出口 直のお筆先(自動書記)を、 出口王仁三郎が解き直したように型は出来てんだ。 後に、詳しく解くが、 論点 魂の二極化とは何か 智慧ある者は、宇宙のあらゆる示唆を受けて、 悟るべくして真理を悟る。 何故なら、真理は宇宙を吟味した、論理的帰結だからである。 無智なる者は、自我のあらゆる欲望に流され、 至るべくして地獄に至る。 何故なら、地獄は自我を追求した、論理的帰結だからである。 欲しいものは、幸せと言えども奪い合いなので、 得するとき、必ず誰が損しており、 これが他を傷つけたカルマ(悪業)と成って返り、 結局、得した分、大損する事になる。 これは原因の苦しみ苦苦で、楽しんだ分、苦しんでしまう、苦しみだ。 精神世界の鉄人が推薦する宇宙人バシャールは、 ただ、わくわくすれば良いなんていってるが、 わくわくすれば、必ず誰かが、 バシャールの為、精神世界の鉄人の為に苦しんでいるんだ。 これが、他を傷つけたカルマ(悪業)となって返り、 今まで楽しかったが、何をしても楽しくないとか、うつ病になったりする。 将来、どんな職に就けば良いか分からない。 なんて聞くが、そんな、わくわくのカルマ(悪業)だったりしてね。 地に足を付けましょう。 後に解くが、これは行苦という苦しみなんだ。 マーフィーの法則や100%自己実現とか、 思い通りの人生とか流行ったが、 古事記で須佐之男(スサノヲ)が大暴れした時、 天照大御神が岩戸に隠れる話があるように、 自分が思い通りの人生を生きるとき、 必ず、他の自由を奪っている。 これが他を傷つけたカルマ(悪業)となって返り、 自由が束縛され、自己実現できてないんだよ。 超能力とか、わくわくとか、引き寄せとか、 思い通りに、何でもかんでも、 求めたものが手に入る自由(快楽)を味わえば、 求めても得られない苦を味わう。 これが、結果の苦しみ行苦と呼ばれるものだ。 どんな職に就けば良く分からない。 といういは正確ではなく、 求めた職が得られず、どうすれば良いのか分からない。 というのが正確かもしれない。 自由といえば恋愛(夫婦関係)は、ある程度、 互いの自由を束縛し、成り立っている事に注意してね!! だから、アセンションへの扉だか、 1+1=∞だか、ライトワーカーだか、 結婚にすべての秘密があった!! アセンションの鍵は結婚にあった!! 夫婦関係=経済関係 夫婦関係が良くなれば、漏れなく収入もUPする!! なんて、言われておりますが、 それって、得しようとしてる事には代わりないし、 釈迦の予言書『法滅尽経』で解かれてる様に 恋も奪い合いであり 自分が理想のパートナーに出会えたとき 必ず、誰かが理想のパートナーと出会えなくなる。 これが、他を傷つけたカルマ(悪業)となって返り ワイドショーでお馴染みですが 結婚直後、旦那が急に愚痴の多い嫌いな人に変貌したり、 結婚直後、旦那が急に働かなくなったり お金持ちと結婚したはずが 結婚直後、旦那の会社が倒産し、嫌いな貧乏人に変貌したり、 綺麗な人と結婚したはずが事後や病気で、寝たっきりの 醜い姿に変貌したりの悪人に変わる。 偶然に、夫婦関係が悪くなってる訳じゃないんだ。 これは条件の苦しみ壊苦で、囚われたものが壊される苦しみだ。 原因の苦しみ、条件の苦しみ、結果の苦しみ。 全て揃って、三苦、とか、一切皆苦(いっさいかいく)と呼ばれるもで、 人には、一切皆苦を悟る仏性(仏になる可能性)がある。 この様に、あらゆるものは、 実体が無く空であり無常(変化する)である。 これを諸行無常と言います。 この様に、人は他に依存しており、 他に依存して生起する事を縁起と言います。 突き詰めると、人は他を傷つけない事には生きられない。 よって、欲望(自我)に流されると悪業しか積まさらず、 やがて、嫌いな事をしなくてはならなくなり、 好きな仕事だけど、給料が低く、幸せに成れないなど、 最後は、求めても得られない一切皆苦の地獄に至る。 よって、必要以上の欲望は抑え、 同時に、他を傷つけた恩がしで善業(功徳)を積む。 この不苦不楽(六波羅蜜)の道で、 善業<悪業から、 善業>悪業の状態(徳を積む)に自分を変えていく。 石の上にも三年というが、 カルマが落ちるのは、3日、3ヶ月、3年、掛かると言われており、 善業<悪業から、 善業>悪業の状態になる時期を予測するのが、 細木の六星占術じゃなくて、 インド占星学や四柱推命という学問らしく、 人ってのは、長生きすれば良くなる仕組みになってるらしい。 ただし、良くなる時期に、良くなる原因となる善業がなきゃ〜 そりゃ〜、良くなる訳がない。功徳がある事が条件となる。 この世(宇宙)は、原因と結果と条件で成り立っている。 例えば、 種(原因)が花(結果)と成るには、光と水を与える事が条件となる。 逆に、天中殺など、悪い時期に、 悪い事が起こる原因の悪業がなきゃ〜 悪い事が起きようがない。 最近では、 クリスタルや水晶、アセンション・ペンダントが流行っているが、 これらは、ある一定量を持つことにより、 悪業を生起しにくくする効果があると言われている。 だからと言って、悪業が無くなった訳ではないが、 悪業を生起しにくくし、その間に、それだけの善業を積み、 悪業を相殺させたりするらしい。 クリスタルや水晶を善業を積む手段として使用してるのが特徴で、 開運グッツとして利用すると、徳があれば、それは、まちがいなく、 徳を得として引っ張り出して来るが、次は自動的に、 徳を損として引っ張り出して来るので、お疲れ様となる。 開運グッツの裏に悪運ゲッツありだ。気を付けてね!! 何故、フリー・エネルギーを持つ、 今よか、知的で技術力のある、古代文明が滅んだのか? 簡単だよ!、自利の為に利用したからさぁ〜 エコ技術も自利目的に使うと、良くならないかもね? おっと、最近じゃ〜、遠隔ヒーリングとか流行っているが、 良いエネルギーを貰うと、次は自動的に、悪いエネルギーも貰う。 うなもん受けて、良くならないのは、この為だ。 ヒーリングしてくれてる奴のカルマ(悪業)を背負ってしまう。 ヒーリングをする方も、する方で、良いエネルギーを入れると、悪いエネルギーも入ってくる。 だから長い間、ヒーリングやらリーディングする奴は、 大抵、目が潰れたり、足が曲がらなくなって歩けなくなるなどの身体的障害が発生する。 ちなみに、マリッジコードミ○スの、 結婚にすべての秘密があった!! アセンションの鍵は結婚にあった!! 夫婦関係=経済関係 夫婦関係が良くなれば、漏れなく収入もUPするっ!! なんて、長年、5次元夫婦のジャッチしない作戦を実践してるが、 一向に理想の相手と出会えないし、 一向に離婚の危機から脱出できん! もぉ〜、親子関係が、めちゃ、めちゃ!! おかいしいわぁ〜 収入がUPするどころか、 気づけば、セミナー参加費と交通費と教材費ばっか、ぶっ飛んでるわぁ〜 そんな人に、 意識と無意識(潜在意識)の関係を解きます。 ミ○スのジャッチ作戦とは、 例えば、綺麗な女性とか、 理想の男性を見かけたとする。 あぁ〜、あんな人と出会えたらなぁ〜 でも、自分なんか、どうせ駄目! あかん、あかん! ジャッチしたら、あかんねん! 自分を認めてない。 自分を認めてないから、認めらない。 これ、一体、何してるかと言うと、 意識的にジャッチしない様にしてるので、 意識の裏の意味が無意識に積み重なる。 ジャッチしないの裏はジャッチするだ。 現実は無意識方向に変化する無常なので、 無意識でジャッチするようになるり、 自分を認めないから、認められないと言いつつも、 何時まで経っても、自分を認めらない日が続くだけ。 それに意識的にダメな自分を隠してるので、 そんな意識の裏の意味が無意識(潜在意識)に積み重なる。 隠すの裏は出現だ。 現実は無意識(潜在意識)方向に変化する無常なんで、 隠した自分が現れ、 誰も、自分を認めてくれない。 そんな体験をしてしまう。 昨年あたりからメルマガで 「セミナーに人が来てくれない!」 なんて言い出し、 誰も、自分を認めてくれない不幸が ミ○スで既に始まっている。 そして、 理想の相手と結婚できるのが、 ミ○スと言いつつも、理想の相手じゃない人と結婚させている。 それは、 人はぶつかり合い、他を受け入れない。 ”拘り”は自分を支配し、自分を見失う。 素直にミ○スの位置に立とう! ”拘り(理想)”を捨てあるがままに。 なんて、やってるらしいからぁ〜 実際、奴ら御自慢のメルマガを読むと、 その人、そこで、「あなたは私の究極パートナーです」なんて、 告白されたが、理想のパートナーでなかったゆえ、 仲間にも「3次元的には理想のパートナーでなかった」と言っていたが、 拘り(理想)があったとかで、拘り(理想)を捨て、 理想でもない人と結婚したそうなぁ〜 なんかぁ〜、統○教会みたいだね。 3次元的って、何いってんだか、さっぱり、わからんが、 意識的に拘りを捨てたので、無意識に拘りが残る。 現実は無意識方向に変化する無常なので、 結局、最後(死後)は、 やっぱ、理想の人と結婚したい! と、隠した執着(無意識)が現れる。 人は死後、そんな執着(無意識)を持って生まれ、 死んだところから始まり、輪廻を繰り返す。 無意識に残した業は死後も継続される。 釈迦の十二支縁起に、かるく触れてみよう。 執着(カルマ)があるから、意識(心)があり、 意識(心)があるから、感覚(イメージ含む)あり、 感覚があるから、目、鼻、口など身体(生まれてくる)があり、 身体があるから、受けがり、苦があり、執着(カルマ)がる。 この様に、この世は何でも相互依存関係なのさぁ〜 最初を執着(カルマ)と書いたが、 これは、無明とか無智と呼ばれており、 釈迦の一元論は、この無智(カルマ)を智慧(ダルマ)に変えていく。 だから、当然、それに繋がっている意識(心)も身体も変わってくる。 功徳を積むと六つ神通を得ると言われているが、当たってるかもね? だんだん、超能力(サイキック)が解明されて来たね。 ミ○ス論理のDNAが、どうたら、こうたら、じゃ〜 ないからね! これは、どちらかと言えばDNAを超えた話をしている。 論点 化身とは何か 如実知見(八正道の正見)を得て、囚われず、貪らなければ、別の身体が生じるようになる。 つまり、今まで自我に囚われていた故に、無視されていた視点や視野が開かれるようになる 新たに生じた視点や視野にも囚われず、そのまま小乗の解脱に至るか、 新たに生じた視点や視野をも吟味し、大乗の解脱に至るかの、選択に修行者は迫られる。 論点 神足通とは何か 神通力とは、神に通じる力のこと。 神足通、天耳通、他心通、宿命通、天眼通、漏尽通は、この順に高度になっている。 神足通とは、化身を現わし、様々な視点と視野を獲得する能力である。 肉体を自分だと錯覚したり、自我や感情に囚われていたら、生じることのない力である。 無常性や空性などを、縁起の法則で解いたり、 カルマの法則で解いたり、意識と無意識の関係で解いたり、 様々な視点と視野で解けるようになったりする。 論点 瞬間移動とは何か 六神通の中に、瞬間移動を可能とする神足通がある。 神足通とは、化身を現わし、様々な視点と視野を獲得する能力。 肉体を自分だと錯覚したり、自我や感情に囚われていたら、決して生じない。 論点 天耳通とは何か 天耳通とは、別次元の世界の聴覚を持つ能力である。 幻聴との違いは、自我に縛られているか否かである。 つまり、世界が閉塞して、その別次元の世界の音しか聞こえないか、 世界が解放され、様々な次元の世界の音が聞こえるかの違いである。 論点 他心通とは何か 他心通とは、相手の心を読む能力である。 自身が自我に囚われていない故に、相手の感情を色眼鏡を付けないで理解出来る。 つまり、全く性癖がなかったら、性癖自体に敏感になり、容易に察することが出来るのである。 ミ○ス論理や伊勢白山・リーマンが怪しいと感じるのは、 偶然でもなんでもなく、こいつらの様に、騙し癖がないから、 ベストセラー本や人気プログなどのランキング操作とか、 偽造体験談、やらせプロモーション映像やCD、さくらコメントなど、 騙し癖自体に敏感になり、容易に察する事が出来んだ。 論点 宿命通とは何か 宿命通とは、自分の過去を読む能力である。 すなわち、自我に縛られないならば、自我を客観視することが出来、 現在の自分の形成過程が、悉く理解出来るのである。 論点 天眼通とは何か 天眼通とは、自他を問わず未来を読む能力である。 過去と現在の比較によって、自分の未来を悉く理解出来、 自己と他者の比較によって、他者の未来を悉く理解出来るのである。 この段階に至っては、法(因果)によって世界を認識しており、 もはや、自他の区別(自我)によって世界を認識をしていない。 論点 漏尽通とは何か 漏尽通とは、煩悩による漏れを読む能力である。 つまり、煩悩に全く縛られていない故に、煩悩に縛られているか否かを判断することが出来る。 これは最高の出家の果報であり、欲漏、有漏、無明漏から解脱出来る。 欲漏の解脱とは、物質に対する欲望からの解脱であり、欲界から解脱する。 有漏の解脱とは、存在に対する欲望からの解脱であり、色界から解脱する。 無明漏の解脱とは、無智に対する欲望からの解脱であり、無色界から解脱する。 利他の実践(布施波羅蜜)は、財施、安心施、法施があり、 法施(叡智のシェア)というのは、この無智を弱めて行く利他の実践だ。 無色界の事を涅槃とか、彼岸とか言う見たい。 六神通に関連し、速通智とか一切智とかもある。 論点 徳と光 徳とは光である。 功徳とは、等しくありのままに照らす光であり、 悪徳とは、自我が見たいものを照らす光である。 期待や心配を超え、ありのままを素早く悟る速通智は、前者の賜物である。 また、やたらと自我という言葉がが出てくるが、 釈迦の一元論は、智慧の徹底により、自他の区別が外れ、自我執着を弱めていく。 専門用語で諸法無我って言うんだけどね。 自我執着とは、つまり自分だ。 自我執着を弱めるという事は、つまり自分が無くなる事だ。 自分が無い、つまり、諸法無我って事。 自分と他人は相互依存関係だからね。 自分がいなくなれば、当然、自分と繋がっている他人もいなくなる。 この場合の他人は、自分を傷つける他人の事。 なぜかと言えば、 自我執着という貪り(煩悩)が原因で、自分を傷つける人が生起しているから。 願いは忘れた頃にやって来る。 というが、この様に、願いは自我執着が弱まった時に叶うと言われている。 だから、 自分の事ばかり願う自利的なものは叶わず、 利他的な方向でしか、幸せには成れないのさぁ〜 あと、何か成し遂げたいとき、 今すぐ幸せにとか、今すぐやりたい事をと焦るのではなく、 長い時間を掛けて行うといのも自我執着を弱める方法の一つで、 織田信長も、したい事を、 一生掛けて、その転機を作ろうとしたならば、 長期的な政権を維持できただろうという事だ。 これを、やったのが、後の徳川家康だ。 徳川家康は織田信長の様な才能はなかったが、 人一倍、忍耐力、辛抱強さがあり、長期的な幸せを得た。 精神世界に触れると、呼吸法というのに触れたりするが、 これは、呼吸に意識を集中させる事により自我執着が弱まる仕掛けだ。 ミ○スの今に集中って、 金を払って、何を言っているのか分からない。 そんな人は試してみるのも良いかもね。 一瞬に奇跡が起こるとか、 1日で理想のパートナーに出会えるとか、 ミ○スではやってますが、 そういった、今すぐにという自我執着があると、 自分を傷つける他人が生起し、 思い通りに行かない事が多く、怒りも多くなるので、 長期的な視点で行うのも良いかと思います。 おっとっと、話を元に戻すが、この場合、理想を言えば、 理想のタイプではなかったが、一緒に仕事など、しているうちに、 相手の良い所が見え始め、惚れたというのが、正しい型だと思われる。 ちなみに、後に説明する六波羅蜜は、 自分の良い所(善業)が他に投影される修行でもある。 一緒に仕事など、しているうちにというのは、 まさに、今あるものが、その様に変化した事に注意してね!! まぁ〜、これが、この場合の理想の型かもね。 これは、他から奪った訳ではないので、カルマも少なく、 その後の結婚生活が長続きするって事でもある。 入菩提行論 第八章 およそ、巡り合えないと、心は不満になる。 万が一に、巡り合えようと、心は満足しない。 彼らは、一時の喜悦のために、永遠に苦悩する。 愛し合う者は、愛する者を探し求めるため、 この輪廻を、厭い離れることを忘れてしまう。 彼らは、永劫なる業の為に、永遠なる法を失う。 ミ○スでは、お金持ちと結婚できるとか、 理想の相手と結婚できるとか言ってるが、 理想の相手でもない、教祖が決めた相手と、 結婚する統○教会式であることが、 内部告発で明らかになって来ている。 「好き」と「嫌い」はセット!! なんつって、好きでも嫌いでもない相手を紹介され、 もぁ〜、逃げられないよぉ〜 なんて、結婚を煽ったりしてるらしい。 こうまでして、 結婚(高額なブライダル費)や、 高額セミナーの勧誘に拘るのは、 借金させる事が目的で、 すると、その不労働所得で、働かずに暮らす事ができるからさぁ〜 そこは、元々、 お金持ち父さん、貧乏父さん教でさぁ〜 それは、いかに借金させ、 自分達の奴隷(カモ)を作り、働かずに暮らすかなんだ。 だから、そこでは、 無思考になれば、罪悪感が消えるとか、 お金儲けは醜いと思っているから財が入らないとかいって、 騙しや、詐欺に、嘘をつかった勧誘など、 人にやらせ、カモを作ろうとしているようにも見える。 結婚すれば、相対リセットし、そんな罪が消えるとか、 アセンションでは、そんな罪が消えるとか、 その様な事を、団体としてい言ってるようにも見えるんで、 気をつけてね!! ついでに解くが、 ミ○スのジャッチしないとか、 ノー・ジャッチって、考えなくていいから楽だよね。 楽の裏には必ず苦しみがある。 だから、そんな事やっても、幸せに成れないんだよ。 ちなみに 、善業が多い、 互いを利する夫婦関係(人間関係)を順縁と言い、 六波羅蜜を行うと、その様に夫婦関係(人間関係)が変わっていく。 ちょいと 弥勒菩薩の唯識論に触れるが ここに、容姿の良い異性がいたとしよう。 これは、自分が因となり、外界の異性が縁となり、 結果、自分の善業が引き出され幸せを感じているんだ 外界の異性が幸せを持ってる訳でもないし、 外界の異性に善も悪もないんだ。 外に何も無い訳ではないが、 幸せは外にあるのではなく、内にあるんだ。 だから、アセンションの鍵は結婚にあった、なんて、 外に青い鳥を探しも、見つかる訳がないし、 外の物を持って来て、外界の条件(縁)を変えたところで、 人は幸せになれないんだよ。 おっと、幸せを実感すれば、するほど、 善業は消費されていき、悪業が出始める。 最初は楽しかったが、そのうち、彼氏が、うざい。 なんて聞くよねェ〜 この様に、 一緒にいる楽しさを味わせば、 一緒にいる苦しさも味わうのが夫婦なんだ。 ミ○ス論理では、自分の彼氏や彼女が、自分の事を無視するのは、 自分が自分に冷たくしてるから、相手(彼氏や彼女)が自分の事を無視してる。 自分を認めてないから、認められない。。 というが、そうではなく、 それは、無視されるという形で、一緒にいる苦しさを味わってのさぁ〜 カルマ(悪業)なんで囚われず苦に耐えると、悪業が落ち、善業が出だす ミ○ス論理に、騙されないでね! 夫婦共(一緒に)に、借金で苦しんだり、 どちらかが、病気になり、夫婦共(一緒に)に苦しんだり、 子供の事で、夫婦(一緒に)ともに苦しむ。なんて、よくあるでしょ〜 夫婦だけでなく、仕事仲間と共に楽しめば、仕事仲間と共に苦しむとか 親会社と共に楽しめば、親会社と共に苦しんだり、 アメリカと共に楽しめば、アメリカと共に苦しむとか 国と国の場合もあるかと思う カルマ(悪業)なんで囚われず苦に耐えると、悪業が落ち、善業が出だす。 こうなると、そんな、自分を無視する悪人も 自分の貪りが因となり、法(真理)に沿った、神仏の現れと観る事が出来る。 そんな悪人も、法(真理)に導いてくれた、神仏の現れと観る事が出来る。 他人を、その様に観るって事は、他人も、自分に対して、そう観てくれるって事だよ 全てを神仏の現れと観る、 観音菩薩のカルマ・ヨーガですね 釈迦の一元論は、このように嫌いな相手を、 自分の都合の良いように変えるのではなく、 嫌いな相手、悪人は悪人で活かして行く方向なんだ。 ちなみに、ミ○ス論理では、 相手に感じた事は、自分が自分にしてきた事。 自分を知ると、嫌いな相手が一瞬で変わるんです。 なんて言ってるけどぁ〜 その様に、相手を都合の良いように変えるから、 自分が相手の都合の良いように変えられてしまい、 「こんな筈じゃ〜なかったっ!!」なんて事になる。 これを弥勒菩薩の阿頼耶識縁起で解いてみよう 人は比較によって、幸福を感じているんだ。 普段、1万円の給料の人が5万円得たとしよう。 以前との比較で+4万円になったわけだ。 だから、喜びを感じるが、この収入5万円が続くと、 比較対象が無いんで喜びが消えるんだ。 消えただけでは終わらず、もっと、もっと、欲しくなる。 この様に貪りには際限がない。 後に解くが、煩悩(貪り)には際限がないが、 苦しみのを滅尽する方法(道諦)は存在する。 最初は、彼氏や彼女がいなから 彼氏や彼女を得ると、以前の彼氏や彼女がいない状態との比較により、 喜びを感じるが、毎日、一緒に居ると比較対象がないんで彼氏が、うざい。 なんて、飽きて来るんだ 喜びが消えたんで、さらに、もっと、もっと、と喜び(快楽)を求め 不倫(快楽)に走ったりするのが人だ。 戒律で言うと邪淫(快楽)にふけるって奴だ。 快楽の裏には苦しみがある。 アセンションの鍵は結婚にあったの ミ○ス(ミ○ソフィア)には、 皮膚に疾患(アトピー)を 抱えている講師いるそうで、 一瞬の一発で奇跡が起きる となんとか言って、 毎回、毎回、 高額なセミナー料を盗る割には、 なぜ、一瞬で奇跡が起きないのか? 奇跡を見せて欲しいわぁ〜 と、誰もが疑問を抱いてるようだ。 そこの講師が言うには、 親に愛されてないから、 とかなんとかと言ってるらしいが、 違うんだ。 この世は相対だ。 容姿の良さを楽しめば、 次は嫌でも、自動的に、 容姿の醜さで苦しむ事になる(悪業)。 偶然に、皮膚に疾患を抱かえ、 ミ○スにすがり、 そこで、苦しんでる訳じゃないって事だ。 容姿の良さを楽しむという意味では、 不倫ってのもある。 アセンションの鍵は結婚にあったの、 ミ○ス(ミ○ソフィア)では 夫婦問題が一瞬で解決と言う割には、 その解決方法は不倫らしく、 W不倫とかが流行ってて、 離婚なき結婚 と言う割には、 そこで 不倫して、結婚して、離婚して、 また、そこの不倫相手と再婚。 なんてやってるらしい。 尼僧の告白 テーリーガーター という本があるのだが、 これは邪淫(不倫)による快楽を貪り、 結果として、動物界に生まれ、 次は、女性でも男性でもない、 身体障害者として生まれ、 三十年生きたとある。 女性でも男性でもない身体障害者 とは、つまり、 容姿の醜さで苦しんだって事だ。 ちなみに、そこの教祖は、 少々、苦しいかもしれなが、 六波羅蜜ですね。 容姿の良さを楽しむという意味では、 そんなカルマ(悪業)が心を創るで、病気で死ぬ間際、 生きていたら、こんな筈じゃない 俺は世界の王だぁ〜 なんつって、元気になって戻ったんだ。 つまり、そんな病気というカルマが 俺は世界の王だぁ〜 という諦めきれない執着(心)を思い出させ、 元気になるという形で、この世に戻り、 死んだところから始まったのさぁ〜 人は、この様に執着を持って生まれ、死んだところから始まってんだ。 また、釈迦の十二支縁起に、かるく触れてみよう。 執着(カルマ)があるから意識(心)があり 意識(心)があるから感覚(イメージ含む)あり 感覚があるから、目、鼻、口など身体(生まれてくる)があり、 身体があるから外界との接触、受けがあり、受けがあるから、 苦(病気とか)があり、苦があるから執着(カルマ)がある。 この様に、この世は何でも相互依存関係なのさぁ〜 なんやぁ〜、使命を授かって、この世に来た訳じゃない。 騙されないでね!! この世は、類は類を呼ぶだ。 同じカルマを持った者どうしが集まる。 そんなセミナーに参加する前に、 ちょっと、自分を内省してみた方が良いかもね。 実際、やつら、ご自慢のメルマガを読むと、 妻も子供いる男性との禁断の恋(邪淫)をしてきた奴が さらに快楽を求め、そこに来ていたね セミナーに行っても、悪業を清算しない限り、まともな恋は出来ないし、 この世は、与えたものしか、手に入らない。 六波羅蜜は悪業を清算(減少)させ、善業を増やし、自分を変えるものだ。 したくて、してる訳ではないと思うが、 何故、そんな禁断の恋をしてしまうのか? 禁断の恋といのは、恋は恋でも、これは、互いに害する関係だ。 夫婦関係や人間関係には逆縁と順縁がある。 順縁は互いに利する関係で、 この世は類は類を呼ぶだでェ〜 善業が多い人は、善業が多い人どうし集まる。 善業が多い人は、善業が多い人と出会い、結ばれても、おかしくはない。 一方、互いを害する逆縁はぁ〜、もぉ〜、分かったね。 ロミオとジュリエットは、そんな逆縁の話さぁ〜 結ばれたくても 結ばれたくても、結ばれようのない恋の話だ。 願い(貪り)は叶うどころか、 満たそうと、すれば、するほど、その願いは他にとって悪くなる。 禁断の恋みだいだね。 他にとって悪いので、邪魔されたり、妨害を受けるなどして、叶わない。 求めても得られない行苦ですね。 この様に、最善(貪り)が最悪になるのが欲望なんだ。 悪業が多いほど、強く引き会うと言われている。 ただ、悪業なんで耐えるとカルマ(悪業)が落ち 善業が出るで、この場合、順縁で、結ばれる可能性もある。 そんな人は六波羅蜜など行うと、 その過程において、理想の相手を奪われたりと、 そんなカルマ落としがあると、思われるが 囚われず苦に耐えると悪業が落ち、善業が出る仕掛けだ。 何度も言うが恋も奪い合いである。 奪われるという形で、どれだけ他と他を結びつけたかが、 その後、どれだけ長い間幸せな結婚生活が出来るかが決まる。 1日で究極のパートナーに出会えるとか、 下手に奇跡でもって、安易に理想の相手をGETすると、 その後、それ以上に夫婦ともに苦しむ事になる。 奇跡も考えもんだね。 また、ミ○スには、結婚と離婚を何度も繰り返した。 そんな人が、そこのセミナーに来てたらしいが、 DVって知ってるかい? これは、夫が妻に暴力(怒り)を振るう事で、 ドメスティック・バイオレンスと呼ばれ、そんな事件が多いが DVというのは良く聞くと、何時も、DVかというと、そうでなく DV後に、なぜか、ハネムーン期があり、急に仲良くなる期間があるらしい。 ここで快楽にふけるのか、分からないが、 DV期とハネムーン期を繰り返しているのが、 ドメスティック・バイオレンスというものらしい。 つまり、 愛情の裏には憎悪があるが、 憎悪したらしたで、憎悪の裏には愛情があるんで、 憎悪した分、また、愛着するんだ。 この様に、他人というのは敵になったり、味方になったりの無常なんだ。 いちいち、囚われていては、 人生、復讐心だらけで終わってしまうので、 もう少し、具体的に法を解こう。 教祖と弟子の関係が良い例だ。 なぜ、その教祖の、 それを信仰してるかと言えば その教祖や、その信仰が 幸せという利益を与えてくれるかだ。 だから、そんな教祖に愛着する。 しかし 愛着の裏には憎悪があるんで、予言が外れるだとか、 あらたな法(真理)が現れ、教祖の言ってる事が 嘘だと分かり、騙されたと憎悪する。 後に善悪の区別のところで分かると思うが、 この様に、善は悪に移り変わる。 今の善は、将来の悪となる。 しかし、憎悪したらしたで、その裏には愛着があるんで、 来世で、また、そんな教祖に愛着し、 幸せに、成るどころか、また、また、騙される。 ノストラダムスで騙され、アセンションで騙さされる。なんてね。 こうして、六道輪廻を、ぐるぐる回っているんだ。 本当なのか、人集めの為の偽造体験だか、分からないが ミ○ス論理の信者で結婚と離婚を繰り返した。 なんてあるが、なぜ、繰り返すと言えば、 毎回、毎回、苦に囚われ、そんな相手に憎悪してるから、 毎回、毎回、同じ相手(似たような相手)に、ビビットときてはぁ〜 毎回、毎回、結婚し、 毎回、毎回、同じように、そんな異性に裏切られてんだ。 ミ○ス論理の 相手に感じる事は、 自分が自分にしてる事。 じゃ〜ないからね!! さっきの禁断の恋の話をしよう。 確か、その人、母親が嫌いとか言っていた。 なぜかというと、 父親が不倫がなんかしたかで、大した愛情を受けられず、 なんで、そんな男と結婚したのよ! なんてな感じで、母親が嫌いとか言ってた気がする。 これは、本当は母親が嫌いなのではなく、不倫した父親が許せないんだ。 父親がいないもんだから、 そんな怒り(憎悪)を母親に向けているので、分かりずらいが、 しかし、そんな父親に対する憎悪の裏には愛情が隠れている。 偶然に、妻も子供いる自分の父親みたいな男性に、 ビビットきて、禁断の恋に落ちてる訳じゃないんだ。 愛着の裏に憎悪ありなんで、 DVもそうだが、 殺害事件というのは、親族間で多く起こるんだ。 真面目だった高校生が、 急に、どうでもよくなって親を殺害したり、 15年、引き籠って男が、家族を殺害したり、 偶然、そんな事件が発生してる訳じゃないんだ。 これでは、一向に幸せになれない。 だから、仏教では、 味方は自分を支えてくれた恩人として、恩を返し、 敵(悪人)の時は、真理(法)に導いてくれた、反面教師とし、 全ての衆生を愛しなさいという。 四無量心ですね。 この様に、釈迦の一元論は、自他の区別を外し、自我執着を弱めて行く。 自他の区別が外れると、他に憎悪しなくなるんで、 当然、似たような他人にビビッと来なくなり、同じように騙されるという事は無くなる。 なのでェ〜 論点 法友と法縁は何か 法友とは、真理との縁によって生じる友のことであり、 法縁は、輪廻転生を超えて継続する、数少ない縁の一つである。 ここに来てる人は、そんな縁で来てるのか、 俺様には分からないが、釈迦の一元論に出会うという事は、 奇跡に近いでェ〜 これは、恋愛に限った事ではない。 ロロの魔法とか、ロロの法則とか、1日でロロとか、 宇宙人からのメッセージとか、あなたにはロロの使命があるとか、 ノストラダムスだとか、アセンションだとか、 毎回、毎回、同じ手口に引っ掛かり お金を奪われたり、騙されたりしてる人は、 そんな憎悪が原因で、また、同じ事を言う教祖に愛着してるのかもね。 論点 済度とは何か 釈迦牟尼が解脱をし、真理を流布することによって、 釈迦牟尼を縁とする魂の一群が、高い転生を達成する。 これが覚者の済度計画であり、菩薩の転生の意味である。 毎回、毎回、味方が敵になったり、敵が味方になっては、正しい事も伝わらない。 それは利益の利の法に群がってるからだ。 釈迦牟尼の理の法には、そんな力があるんだ。 後で何回も言うが、 この世には世界の王が沢山いる。 例えば、奇跡のイエスや預言のモハメッドがそうだが どれも条件に合わず、対立(戦争)が発生する。 しかし、誰もが、 ニュートンの万有引力の法則を認めるように、 宇宙人(バシャール)やら、ミ○ス論理やら、ライトワーカーだか、 江原のスピリチュアルや、細木の占いの言う事ではなく、 地に足つけた出口(釈迦の一元論)には、 そんな力があるんだ。 (利でなく理の法、科学寄りの法) これを専門用語で万教帰一という。 ちょいと欲について触れるが、 欲というのは、相克し合うほど、損が増え、 他と対立した時(奪われる時)など、 欲を抑え、相生し合うほど、得が増える性質がある。 ミ○スでは苦を受け入れれば楽が付いてくる。 と言うが、プラスとマイナスを合わせゼロ(チャラ)じゃん!! なんて思うよね。 しょうがないんで、俺様が解いてやろう。 プラスとマイナスなんてやってるから見えて来ない。 得と損を合わすって事さぁ〜 この世は無常で、プラス・マイナスちゃらに見えるが、 損を感じてるのは心だ。何か欲があるから損得を感じている。 欲は、相克し合うほど、損が増えるが、 欲は、相生し合うほど、得が増える。 得したり、損しながら、欲と欲を互いに合わせ相生し、 実は増えてんだけど、損(失敗や失恋など)すると、 囚われちゃって、もぉ〜、私なんかダメなの。 なんて、卑屈になり、粘り強さを失ってるだけなんだ。 これを別な言い方で解くと、この世は無常(相対)だ。 真面目に働いて利益を得る事もあれば、 真面目にやって、馬鹿を見る事もある。 信仰で利益(優越感や安心感など)を得る事もあれば、 信仰に裏切られる事もあるし、 好きな仕事で利益を得る事もあれば、 好きな仕事で苦しい思いをする事もあるし、 努力が報われる事もあれば、 こんなに尽すしてるのにと報われない事もあるし、 貪りには、他(恋敵やライバル)と争う苦が付いてくる。 この様に、この世は無常なんで、思い通りには行かない。 だから、この欲界で、何か、やりとげたければ、 粘り強さ(辛抱強さ)が無いと、欲しい物は手に入らない。 俺様が利他の実践し、 学んだ事って、何かと言えば、 競争社会での勝ち方と言える。 幸せと言えども、奪い合いだからね。 だから、苦しみを克服しようとした場合、粘り強さが必要となる。 良い例が、エジソンで、 いきなり、電球を作った訳ではなく、 999回失敗し、やっと電球作りに成功したんだ。 これを、仏教的に言うと、 エジソンは、999回失敗しないと、成功しない悪業があった。 という事なんだ。 オールドディズニーは5回も倒産しているし、 松下幸之助や本田宗一郎も、 倒産とはいかないまでも、 何度か、そんな目にあってたと思う。 つまり、お金が無いなどの、 苦しみを克服しようとすると、 何度か、全てを失う段があると言う事だ。 倒産とまで行かないまでも、 この不況で、職を失ったり、 収入が減るなどの苦しみを味わったりすが、 粘り強く、続ける事だ。 なかなか、勝てない人は、 何度か負けないと、勝てない。 という悪業(カルマ)があるという事だ。 だから、それでも、 続けられる粘り強さや忍耐力がないと幸せは手に入らない。 何度か同じ苦しみを受けて、 悪業(カルマ)を清算して行くんだ。 なかなか、努力しても報われない段があるという事だ。 だから、それでも努力しつづける粘り強さがないと報われない。 宗教(精神世界)で成功したいのであれば、 何度か、宗教(精神世界)で失敗する段がある。 いい加減、多くの人が、 ミ○スやスピリチュアルに騙され失敗してるからねェ〜 そろそろ本物が出たりしてね。 悪業清算と言えば、六波羅蜜だが、 これは、最速にして、最難と言わるだけに、 現世利益があると思われる。 もっと早いのは密教瞑想って奴だが、 これは、精神的成長(悟り)は早いが、 瞑想だけだと、やはり物質的な御利益は少ない。 だから、 六波羅蜜(利他の実践)をすると、 同じ苦しみを何度も味わう。 またかよっ!! なんて言いたくなること、実に、1日100回はある。 特に、悟りの手前は、嫉妬、妬みだから、 大概、男女問題が発生する。 功徳を積んでるだけに、 ひょっこり理想の相手が現れるが、そうは行かない。 これも、理想の相手と結ばれたければ、 何度も失恋するという悪業落としがあるという事だ。 異性に何度も騙されたり、 異性に何度も裏切られたり、 何度も、結婚に失敗する人がいるけど、 それは、そういう事で、粘り強く、諦めない事が幸せの秘訣かも? 1日で理想の相手に出会えるなんつって、 ミ○スで騙された人は、ちょいと、苦しいが、 六波羅蜜の利他実践(功徳積み)にトライしてみるのも良いかと思う。 これが、分かってくると、 あまり、ガツガツしなくなる。 例えば、 ミ○スでは、ノー・ジャッチと言うが、 プラス思考の裏にマイナス思考ありさぁ〜 「俺は、絶対に成功すんだぁ〜」と念じても、 「失敗したら、どうしよう?」なんて思ったりする。 このとき、 何度も失敗する段があるという智慧があれば、 「失敗の裏に成功あり、その時は、また、頑張れば良いかぁ〜」 と、正しく思考できるかと思う。 ノー・ジャッチではなく、正しく思考するという事だ。 これが分かると、こんな感じで、ガツガツしなくなるんで、 それだけ自己愛が減少し、その分、他を愛せるようになる。 博愛って奴ですね。 ちなみに、 苦を受け入れれば楽が付いてくると言うが、 ミ○スの嘘っぱちです。 欲の仕掛けが分からないと、不思議に思うかもしれないが、 この世の、あらゆるものは利益と不利益を与える。 そんな魔法も同じで、 苦を受け入れて利益になる事もあれば、 苦を受け入れて不利益になる事もある。 それでも、受け入れるならば、また、利益を与えるものになる。 こんな感じで、善と悪が循環していうるって感じ。 この辺は、後で詳しく解くとして、 さっきの執着の話に戻るが、 死ぬと、いきなり天国に行くのでなく、 バルドってとこで、さまざまな試練に会い、 諦めきれない執着を思い出すらしい。 そこで、今度、六道輪廻のどこに行くのかが決まる。 高度な瞑想で、深い意識に入れる人達は、 前世、自分が動物だった頃を思い出すらしい。 その試練の中には、当然、快楽もあり、 あの世で楽しむから、この世で苦しむ事になる。 専門用語で転生って言うんだけどね。 もう少し、弥勒菩薩の唯識論に触れてみよう。 Aさんは、Bさんを殴った。Bさんは「この野郎」と思った。 Aさんは、Cさんを殴った。Cさんは感謝した。 この違いは何かというと、 Bさんは、過去に憎しみをもって、他を殴ったカルマがあり、 Cさんは、過去に同じ殴るでも、愛をもって殴ったカルマがあるんだ。 Bさんは、何時も他を傷つける為に他を殴り、 Cさんは、他の事を考え、泣く泣く殴った過去があるんだ ミ○ス論理の相手に感じた事は、自分が自分にしてきた事。 自分を認めてないから、認められない。 じゃ〜ないからね! ちなみに、後に四無量心の所で詳しく解くが、 他人を観た時、自分も同じように、 他人の苦しみを感じる心を菩提心という。 釈迦も、最澄、親鸞もみな、この菩提心から、その道に入ったんだ。 他が苦しむ姿を観て、自分も同じよう苦しみ、その道に入ったんだ。 べつに、神から使命を授かって、その道に入った訳ではない。 ミ○ス論理では、最初と最後は同じというが、 出発点がミ○スと違うので、当然、結果もミ○スとは違い、偉業を成し遂げた。 この様に、他の苦しみを共有でる心を四無量心といい、 四無量心は、慈悲喜捨と四つの心があって、 慈は他の苦しみを己の苦しみとする心。菩提心だ。 その反対に、喜は他の喜び己の喜びとする心だ。 スポーツやオリンピックなど、 自分が応援してるチームや選手が勝利すると、 自分も同じように嬉しいでしょう。 この、他の喜びを共有する心が喜だ。 これは、他より優位に成る事を喜ぶ、 ミ○ス的な生活は、必ず誰かを傷つけているので、 そんな他を傷つけたカルマ(悪業)が返り、 結局、傷つく事になる。 つまり、そんな喜びには、限界があるが、 他の喜びを共有する喜は、誰も傷つかないので、 他の幸せ喜べる人は、無限の幸せを得る事が出来る。 その反面、自分が応援してるチームや選手が負けると、 自分も同じように悔しいでしょう。 この、他の苦しみを共有する心が慈(菩提心)だ。 ミ○ス論理の相手に感じた事は、自分が自分にしてきた事。 自分を認めてないから、認められない。 じゃ〜ないからね! 非は他に楽を与える心で、捨は全ての衆生を愛する心だ。 本当の自分に戻りましょう これを真我とか仏性とか言います。 本当の自分に戻ったついでに、 ミ○ス論理の自分の彼氏や彼女が、自分の事を無視するのは、 自分が自分に冷たくしてるから 相手(彼氏や彼女)が自分の事を無視してる 自分を認めてないから、認められない の本当の意味を教えよう.。ただ、ちょっと難しいけどね イジメじゃないけど無視されるのって嫌だよね 仕事など担当の自分を、さしおいて、 勝手に事が進んでたりすると、立場が無視されたもんだから、 カァ〜っとくるよね。 そんな人、誰だって嫌いだと思う。 裏を返すと、自分は、そういう人に、なりたくないと思っているんだ。 そんな自分に成りたくない、 そんな自分は許せないし、嫌だ! と、そんな自分を切り捨てているんだ。 この切り捨てた自分を、他人が演じてんだ。 そんな自分は許せないので、なるべく、他人を無視せずに行こうとする。 つまり、他人を無視しないのが、自分にとっての善な訳だ。 善を積み重ねると独善になる。善を積み重ねると悪になるんだ。 最善は最悪になる。 善も変化する無常であって、絶対ではないんだ。 周りの人達いとって、その行為は、悪くなっている。 この辺から、他人が捨てた自分を演じ出す。 自我の裏に他我ありさぁ〜 無視せずに行こうとしたてまえ、なるべく、 他と話し合い、他と相談して、事を進めたが、 これがかえって、 それぐらい、自分で考えろよよっ!とか、 また、話し合いかよっ!ウザイとか、 そう思われたりして、周りの人達が、自分を無視し出す。 こう考えると、どっちが善で、どっちが悪か、わからなくなるでしょう。 つまり、善、悪を決めているのは自我(煩悩)なんだ。 どちらを善にするか決めているのは煩悩(欲)って事だよ。 煩悩(貪り)には怒り(自分を傷つける他人)と無智が付いてくる。 別な解き方をしよう。 自分にとって良いと思った行為は、他にとっては悪い事なんだ。 これが、他を傷つけたカルマとなって返り、独善に至る。 どんな善にも、悪が伴う。 その、良かれと思った行為は、他にとって悪い事になって言うるんだ。 この様に、最善は最悪に変わる。 ここで、善を譲ると、限られた自分だけの善(独善)が、 譲ると譲られるで、周りに広がり出す仕掛けさぁ〜 押しつけた善は、他にとって悪いから、長続きしないんだ。 だから、ここで無視されたからと言って、 そんな嫌いな相手を、仕事仲間から外したりと、 悪人を倒すと、その相手と同じ条件に立たされる。 これを専門用語で転生という。 カルマの法則とか六六六の仕組みと呼ばれるものだ。 その相手と同じ条件に立たされ、他人を無視したくなる状況に追い込まれる。 つまり、ここで、悪人の苦しみを知る事になる。 自分で決める と 自然に決まる カヲル 君は、とても、残酷な食べ方をするんだね。 シンジ これは、活け造り、という、食べ方だよ。 ちゃんと、感謝しているから、大丈夫だよ。 カヲル 感謝して食べれば善いなんて、独善だよ。 相手の条件に立って考える方が、至善だよ。 シンジ 苦しめたら、苦しめられる、って、わけ? カヲル そうさ、立たないから、分からないのさ。 立ったら、今までのものが、返ってくるよ。 シンジ 大丈夫だよ、善いと思ってしているんだ。 返って来ても、善いって思えるはずだって。 カヲル 確かに、君の条件のときは、その通りさ。 でも、他の条件のときは、そうならないよ。 シンジ 苦しめたように、苦しんでしまう、わけ? カヲル そうさ、そうなるように、条件が変わる。 原因は自分が決めて、条件は自然に決まる。 シンジ そんなの残酷だよ、そんなの不自然だよ! カヲル うん、残酷だよ、だから、不至善なんだよ。 シンジ ........................ 伊勢白山・リーマンの感謝作戦なんて、 まるで、良くならない理由が分かったと思う。 感謝してるから大丈夫なんてェ〜のは救世主の幻想なんだよ。 動物の表情や仕草など、 人に似てるなぁ〜と感じた事ないかい。 あっちは、あっちで、自分の事を人だと思っていたらどうする? 神の型 という 人の形 ヒカリ 神様は、神の型に倣って、人の形を作ったのよ。 アスカ 中心に創られる、神の型は、どんなものなの? ヒカリ 完全に我が業を諦らめたもの、神の業のことよ。 アスカ 辺縁に作られる、人の形は、どんなものなの? ヒカリ 次第に神の業を明らめていく、人の業のことよ。 アスカ つまり、自己犠牲の業が、明らかになる内に、 人間の善悪に歪められ、自分勝手な業になるの? ヒカリ うん、神の型が、次第に、捻じ曲げられるの。 アスカ つまり、段々、変な体の動物になっちゃうのね? ヒカリ うん、そうよ、じゃあ、ここで、質問するね。 自分の体は、人の形をしていると、思っている? アスカ えっ!? 当たり前じゃない、どういうこと? ヒカリ 実は、動物も、自分を人の形と思っているのよ。 つまり、神の型を真似ていると、思っているの。 アスカ 動物なりに、自分は正しいって、思っているの? ヒカリ うん、ほら、あなたも、そう思っているでしょ。 全く同じように、動物だって、思っているのよ。 アスカ ウソよ、人間と動物は、全く形が違うじゃない! ヒカリ うん、ほら、あなたも、そう思っちゃうでしょ。 こうして、振り返らないから、ますます歪むの。 アスカ ........................ 感謝して食べてれば大丈夫なんてやってると、 同じ条件に立たされ、同じ苦しみを味わう事になるんだ。 伊勢白山・リーマンの感謝作戦で幸せに成れるどころか、 行きつく先は動物になっちゃたりてね。 悪人を悪として倒すと、悪人と同じ条件に立たされ、 悪人がなした悪い事を自分もせざる負えない状況に追い込まれる。 これが、カルマの法則(六六六の仕組み)なのだが、 こうなると、悪人の行為は、それはそれで、善だったのでは? と、どっちが善で、どっちが悪か分からなくり、 どっちも善じゃないのかと、善悪の区別が無くなってくる。 どっちを善にするか、それは自我(エゴ)が決めていると言うこと。 エゴ(貪り)だけに、悪を許し、善を譲ると、譲られる事を悟る。 だから、嫌だからといって、切り捨てたちゃ〜いけないんだ。 切り捨てるのでく、そんな相手を許せばよい。(天に委ねる) すると、悪人が味方になる。 なぜかと言うと、許すという形で、 自分の善を押し付けるのではなく、自分の善を譲ってるんだ 譲ると、譲られるで、自分の限られた善(独善)が周りに広がり出すからだ。 押し付けた善は長続きしない。 押し付けただけに、他にとって悪い分、速攻で地獄に落ちる。 理論上はね。 実践となると、許すというより、 無視される苦に耐えるって感じで 結構、苦しいもんがあるので、あまり無理しない事だ 苦行で死んでも行けないのも釈迦の一元論だ。 別な解き方をすると、 最善が最悪になるのが欲望(願い)なんだ。 欲望(願い)は叶うどころか、 欲望(願い)を満たそうと、すれば、するほど、 他にとって、その欲望を満たす事は悪くなるように動くんだ。 最初は、いなかったが、 途中で、ライバル(恋敵)が生起し、 その欲望を満たす事は他にとって悪くなる。 他にとって悪いので、 妨害を受け、執着対象が奪われるなど、 そんな悪と対立するが、ここで、善を譲れるかが勝負となる。 なんやぁ〜 伊勢白山のリーマンとか、 リーディング使いや、霊視使いは、 やたらと、悪霊や邪気の妨害を受けブッ倒した!! なんてな武勇伝が多いがぁ〜 この様に、欲望は他にとって悪くなる。 ちなみに、悪を倒すと、 悪霊や邪気と同じ条件に立たされる。 お疲れ様でした。 結婚 の裏に 離婚 アスカ どんな人が、幸せな結婚が出来るのかな? ヒカリ 人と人を、結び付けて、幸せを与えた人よ。 アスカ どんな人は、幸せな結婚が出来ないのかな? ヒカリ 人と人を、引き裂いて、幸せを奪った人よ。 アスカ じゃあ、どんどん、結び付けたらいいの? ヒカリ うん、でも、そんなに簡単じゃないのよ。 自分が好きな人を、皆も好きになるからね。 アスカ 他人を差し置いて、奪い取ろうとすると? ヒカリ いずれ、引き裂かれて、不幸になるのよ。 アスカ 自分は差し控えて、他に譲ろうとすると? ヒカリ いつか、結び付けられ、幸福になるのよ。 アスカ 譲りたくないほど、譲らないといけない。 それが出来ない限り、幸せな結婚はないの? ヒカリ うん、これこそが、幸せな結婚の秘訣なの。 アスカ でもね、好きだからこそ、譲りたくない。 結婚って、そもそも、そういうものだよね。 ヒカリ うん、だから、いずれ、離婚しちゃうの。 アスカ …………………… 自分が好きな人を、皆も好きになる という形で、欲望を満たそうと、すればするほど、 自分が好きな人を、皆も好きになり、 他にとって、その欲望を満たす事は悪くなる。 ここで、悪を許し、譲ったものだけが、 与えられるというのが、この世の仕組みらしい。 釈迦の菩提心は、王者の済度。 型と成って、民を導こうとする。 自ら彼岸に至り、再び此岸に戻り、 光り輝ける最善に、心から従わせる。 弥勒の菩提心は、船頭の済度。 班に分けて、船を操ろうとする。 自ら先頭に立ち、人の歴史を紡ぎ、 移り変わる最善を、互いに競わせる。 文殊の菩提心は、羊飼の済度。 殿(しんがり)を務めて、羊を探そうとする。 自ら地獄に落ち、欲の底辺を塞ぎ、 疲れ果てた最善を、互いに譲らせる。 最善が最悪になるというのは、 欲望には、あともうちょっとの九分九厘で、 盗られる段があると言う事だ。 または、これを何度か繰り返す。そんな感じ。 ここで、悪の自由を許すから、誰もが平等に自由になる。 というのが、この世の仕組みらしい。 自由を与えるから、与えられるのカルマの法則ですね。 覚醒の書 自由 … 自ら因を積むこと、自業自得の自業 平等 … 自ら果を得ること、自業自得の自得 羯磨の書 偏愛 … 誰かを自由にして、誰か不平等になる 汎愛 … 誰もを自由にして、誰もが平等になる 解脱の書 メーソン:自由と平等と博愛を司る、世界中枢 彼らを愛し、博愛を備え、自由平等 彼らを憎み、博愛を損い、自業自得 詳しい事は分からないけど、 執着ものが満たされないと言えば、 普天間基地の問題は、そんな感じにも見えるね。 その欲望を満たそうと、すれば、するほど、 日本以外の国(九分九厘)にとって、 どんどん悪くなるんで、がんがん叩かれる。 そんな感じかなぁ〜 という意味では、 1+1=∞だとか、使命を授かったとか、 一日で理想の相手に出会えるとか、 アセンションは鍵は結婚にあったとか、 宇宙人バシャールのわくわくだとか、 加速する引き寄せの法則だとか、 ハイヤーセルフとか、リーディングだとか、 遠隔ヒーリングだとか、伊勢白山の人類5%運動だとか、 チャネリングだか、チェイングだか、 ホ・オポノポノだか、ポンポンだか、 さも、欲望を満たしくそうなセミナーや宗教が沢山あるがぁ〜 怪しくなって来たねェ〜、アセンション、気を付けてね!! これを、一日集中セミナー なんつって、約6万円ぐらい盗るセミナーが、あるらしいけどね。 さっきの、 自分が好きな人を、皆も好きになるからね。 について、別な言い方で法を解きます。 これは、十二支縁起だ。 貪りには、怒りと無智が付いてくる。 具体的に言うと、貪りには、 嫌いなものと出会う怒憎会苦(おんぞうえく)や、 求めても得られない求不得苦(ぐふとくく)や、 好きなものと分かれる愛別離苦(あいべつりつく)などの、 他と奪い合う苦しみが付いてくる。 なぜ、そうなるかと言うと、 自分が好きな人を、皆も好きになるからってこと。 最初は居なかったが、 そのうち、ライバル(悪人)が生起するんだ。 偶然に対極の宗教(ライバル)が生起して、 宗教戦争をやってる訳ではない。 なぜかというと、諸法無我って奴です。 直訳すると、自分が無いってなるのかなぁ〜 そんな感じ。 この世は、なんでも相互依存関係だ。 自分の思考や考えも同じで、 自分だけの思考や考えがあるかと言えば、 そうではない。 他人の影響を受け生起してる。 自分の煩悩(欲望)も同じなんだ。 他人の影響を受け生起してる。 つまり、 自分と他人は相互依存関係で繋がっているから、 自分が欲しいものは、他人も欲しくなる。 だから、奪い合いになる。 偶然にライバルが生起してる訳ではない。 または、他人の影響を受け、 他人が欲してるもを、 自分も欲しくなって、奪い合いになっている。 自分だけの思考や考えというものないし、 自分だけの欲望というものもないんだ。 だから、奪い合いになっている。 どいつも、こいつも、 自分の教祖は、 釈迦やイエスの生まれ変わりで、 ついでに、裏天皇で、 自分の教祖は使命を授かっており、 自分の教祖が世界の王となる。 なんて、やってるが、 うなんもん、救われるどころか、 足元(銭)、掬われる仕組みが、 お分かり、頂けたでしょうか? 奪い合って、互いに滅ぶか、 分かち合って、互いに幸せになるか、 どちらかしかない。 よって、釈迦が行きついた結論は、 自我執着を超え、すべての人を愛そうって事だ。 四無量心ですね。 四無量心には、慈悲喜捨と四つあって、 これは、最後の捨だ。 自我執着を超える事が自然の意思って事だ。 水 瓶 の 時 代 リョウジ 宝瓶宮の時代は、水瓶の神話のままなのさ。 ミサト 身も心も美しい少年が、神の目に適ったのよ。 リョウジ ああ、性を漏らさないと、神に近づくのさ。 ミサト 少年ガニメデは、親と別れたのを悲しんだわ。 リョウジ 神に仕えていると、我を忘れさせてくれる。 神に酒を注ぐうちに、憂いは消え去ったのさ。 ミサト 父親トロースも、彼と別れたのを悲しんだわ。 リョウジ 神に捧げていると、心が嬉しくなってくる。 天に召されたと聞き、喜びの涙に変ったのさ。 ミサト つまり、二つに分かれた関係が、ようやく、 神を通じて、一つに合わさる時代、ってこと? リョウジ ああ、牡羊の時代のように、依存もしない、 かつ、魚座の時代のように、性愛に溺れない、 自らの意志で、性愛を慈愛に変える、時代さ。 ミサト そして、人類が、自らの力で、進化をする、 それが、アクエリアン・エイジ、ってことね? リョウジ そうさ、すべてが終わってから、ようやく、 何から何まで、神の御心だった、と悟るのさ。 ミサト じゃあ、最終戦争も、神の預言通りなのね。 リョウジ ああ、逃げずに、神に仕えるしかないのさ。 怪物から逃げる限り、魚座を繰り返すからな。 ミサト …………………… 父親が愛着するのは、他も欲しくなるで、 奪い盗られ、少年と別れた。 そんな感じかな。 そう言えば、似たような映画があったわぁ〜 宇宙人だよ、宇宙人。 専門用語で第四種接近遭遇って言うんだけど、 The 4th Kind(フォース・カインド)って映画で、 主人公は心理学者で、よく眠れない患者を診断してて、 逆行催眠で、その原因を探ってたんだけど、 どいつも、こいつも、白い梟がどうのこうのって、 同じ夢を見ているらしく、調査してたんだ。 白い梟といえば、 頭が大きく、目が大きく見える。 そう。宇宙人だよ、宇宙人。 アブダクションさぁ〜 そうこうしていう内に、 知らない間に主人公も、 アブダクションされててさぁ〜 終いには、娘を盗られてしまうんだ。 宇宙人が言うには、 神の名において、さらったとの事。 絶対に返さん!! なんて、シュメール語で言うんだ。 こう見ると、宇宙人も、 釈迦の縁起の法に沿って生起しただけで、 めずらしくなくなって来たねェ〜 やってる事は、人となんら変わらん。 巷には、精神世界の鉄人とか、 宇宙人と、くちゃべるチャネラーが、 うようよいるけどね。 本当に宇宙人と喋ってんのか、怪しくなって来たね。 宇宙人もアブダクションも、 最初はなかったが、 科学が進歩するにつれ、 人の貪り(執着や愛着)が多くなってから、 そんな話を聞くようになったのかも? 特に現代人は、昔の人に比べれば、 貪りは多いだろうと思う。 分かち合うっってのは、生と死の関係に似ている。 自分の生は、他の死に支えられてる。 食卓に並んでいる料理は、 他の動物や植物を殺生したものだからね。 この様に、自分と他人は苦楽表裏一体の関係がある。 だから、そんな他を傷つけたカルマが返るで、 人は、いずれ死を迎えるが、 それは、失うんじゃなくて、 自分の身体を必要としてる人に返す、 恩返しって事でもある。 死ぬときは、全て失うが、 愛着してるものは、いずれは、 必要としてる人に返さなくてはならないって事だ。 冒頭で述べたとおり、 欲しいものは奪い合いになるが、 おそらく、それは、全体の利益を考慮すると、 過剰摂取って事なんだろうと思われる。 だから、必要としてる人に返す。 分かち合い、慈悲ですね。 全体と分かち合うので、 全体も分かち合うって来る。 全体の利益を考慮すると、 奪い合いになっている対象は、 他に必要としてる人がいるって事だ。 つまり、 奪い合いの中に、 本当の幸せはないんだ。 仏教の唯識に依他起性という教えがあるが、 自分の力で得たものがあるかと言えば、 何も無いんだよ。 職場に行くにしたって、誰かが作ってくれた車に乗り、 誰かが作ってくれた道を通り、通勤しているからね。 良い事をするにしたって、 自分だけの力じゃ〜出来ないし、 願いも、自分だけの力じゃ〜、叶えられないんだ。 全体の力がないと叶えられない。 巷には、1+1=∞だの、 ミ○ス論理の1日で理想の相手にであえるだの、 眠りながら億万長者だのなんて、 全体の利益を考慮せず、なにがなんでもと、 自分だけの利益を求めたセミナーが多くあるが、 結局、救われるどころか、足元(銭)、掬われてるのは、 これかもね。 伊勢白山とかアルクトゥルスとか、 ランキング操作らしき、怪しいポイントで、 なにがなんでもと、人気ブログ第1位を独走してるけど、 うなもん信仰したところで、 救われるどころか、足元(銭)、掬われてんは、 これかもね。 というより、 ランキングに参加する人達の、 上位ランキングという執着が、 こういう邪道の奴らを生起させ、 上位が奪われてるとも言える。 おっとっと、 宗教と言えば、なにがなんでもと、 勧誘する人っているけど、これも良くないかも。 全ては、自分の過剰な貪りによって、 生起してるって事さぁ〜 貪りが多い人は、必要なものが壊れるなどして、 奪いとられる事が多いかもしれない。 この分かち合いを別な言い方で解くと、 あるがままを受け容れ、足るを知りましょう。 って事でもある。 神道では今に感謝しなさいと言う。 伊勢白山やアルクトゥルスの、 先祖供養のように、 お金持ちに成りますように、感謝、感謝。 でもないし、 1+1=∞のミ○ス論理の様に、 自作自演の奇跡に向かって、 あぁ〜、感謝、感謝、じゃ〜、ないかね。 今までの話を簡単に言うと、 良い事をすれば、するほど、人、物、金が悪人に集まり、この世を悪が支配する。 なんでェ〜、あんな宗教やセミナーに、人、物、金が集まんのよっ!! なんて、思った事ないかい。 つまり、悪が、この世を支配してんのさぁ〜 良い事をすれば、するほど、悪が、この世を支配するんだ。 15年間、引きこもりの人が、身内を殺害していった事件があったと思う。 そこでは、なぜか、働かず、ひきこもった奴が、 真面目に働いていた親の銭を管理し、親が使用できる金額を決め、 残りの銭で贅沢三昧してたらしい。 悪が、支配してんのさぁ〜 子供手当も、国に子供を置いて来てるから、もっとくれっ!! なんて、真面目に働いてる人達の銭を、 なんとか自分達の不労働所得にしようとする人が増えてるが、 自立しようとすれば、寄生する悪も生起するで、 この様に、 良い事をすれば、するほど、真面目に働けば、働くほど、 初段は、許せない悪人に、人、物、金が、集まり、悪が、この世を支配する。 さぁ〜、ここまで来れば、何をすれば良いか? 善悪を超えた人達はぁ〜 ピィ〜んとキタね。 そんな寄生する悪人を倒しても良いが、 悪人と同じ条件に立たされ、 自分も寄生しなきゃならない状況に追い込まれるだけだ。 そいう意味では、全ての衆生は、神に許されてるんだ。 許すという形で、善を譲ってんのさぁ〜 56億7千万後、全ての衆生を救うとされる弥勒菩薩は、 それまで、何をしてるかと言うと、全ての衆生を信じ、じーっと待ってのさぁ〜 待つという形で、善を譲ってるのさぁ〜 悪人は悪い事もするが、 善人となり、悪い事をした以上に善業をなすのも、この世の仕組みだ。 そうなるには天の法を使いこなさなきゃ〜、ならないけどね。 恋愛なんてのは、まさに、ゴールするまでは、 相手に気に入られようと、自分の善を積み重ねながら近づくでしょ〜 だから、ゴールしたとたん、相手が変貌したりする。(笑) 許せない人と出会い、カチィ〜ンと対立(相克)しそうになったら、 かごめ、かごめさぁ〜 かごめ かごめ ヒカリ かごめかごめ、の歌の意味って、知ってる? アスカ ううん、かごめ、篭の中の鳥、何のことなの? ヒカリ 篭の目は、六芒星、陰陽の相生を現わして、 中の鳥は、五芒星、陰陽の相克を現わすのよ。 アスカ 夜明けの晩に、鶴と亀がって、何のことなの? ヒカリ 亀の甲は、六芒星、真我の輝きを現わして、 鶴の姿は、五芒星、自我の輝きを現わすのよ。 アスカ すべった、後ろの正面、って、誰のことなの? ヒカリ 己の我の裏には、他の我が隠れているけど、 他の我を認められると、真の我を見とめるの。 アスカ 始めは、対立しながら、五芒星を輝かせて、 終りは、和合しながら、六芒星を輝かせるの? ヒカリ うん、新しい時代の夜明けを迎えるために、 利己から利他に、変わらないといけないのよ。 アスカ そんなのやだ、まだ、好き勝手してたいもん。 ヒカリ うふっ、そうやって、我がまま言っていると、 逆に思い切り、ツルって、すべっちゃうのよ。 アスカ …………………… 悪人を攻撃すると、 ツルッと相手の条件に立たさるので善を譲る(利他)。 つまり、自分と他人の境なんてなく、 偶然、この世に生まれた訳じゃなくて、同じ立場に転生しちゃったと言える。 悪人を攻撃すると、切り捨てた、 その人に生まれ変わってしまうって事さぁ〜 これを専門用語で六六六の仕組みと言います。 この様に、新しい視点を持つと、 新しい自分が生起する。これが真我(仏性)さぁ〜 真我(仏性)が目覚めたところで、これが分かるんでないかなぁ〜 第参章 住劫期 第十九話 〜 第三十話 「甘えるな、小僧、再び、乱世に戻すつもりか。 浮ついた、お前の物言いが、徒に亡者を蘇らせる。 俺が何を背負って、ここまで来たか、知っているか。」 「これが、最後の勧告だ、我が国の法に従うか。 従がうなら、善の法を弁える、善人として報いる。 従わないなら、我が法を危める、悪人として酬いる。」 「私とて、人を活かすことに、異論はないのだ。 本心を言うなら、才のある者を、殺したくはない。 しかし、それゆえ、口だけの者を、生かしたくない。」 「語るに落ちたり、畢竟、この国の善は王の善。 主観に過ぎず、それ以上でも、それ以下でもない。 煩悩に、絶対の証を求めて、相対の罠に落ちている。」 「他人を許せないものは、自分を許せなくなる。 口先だけなのは、他でもない、自らがそうなのだ。 他の闇に己を映して、葛藤した心は、業に侵される。」 「その首を出せい、その口と共に、断ってやる。」 「たとえ、断っても、絶たれるのは、汝の法だぞ。 我が首を以って、法が切り捨てた、業が噴き出すぞ。」 「王よ、汝が善の切り札、汝が法を犯せるのか。 その瞬間、積み上げた法は、罪を挙げる業となる。 汝が罪を以って、善が隠し通した、悪が噴き出すぞ。」 「王に、悪として、切り捨てられた、他の善は、 王に、善として、受け容れるよう、迫り続けよう。 そうして、無意識に、彼らと同じ状況に立たされる。」 「ただ、悪が善に変わることを、汝は知らない。 汝に切り捨てられた悪は、後に必ず善として蘇る。 そのとき、汝は、我が善を、諦めなければならない。」 「もう十分に明らめた、もう完全に諦めてしまえ。 この世に、絶対の善など、諦らめる、他にないのだ。」 ※明らかにして諦める=譲る、天に委ねる、そんな感じ。 「確かに、認め難い、およそ、信じ難い一撃だ。 精鋭の鎧で身を固めた、我が衷心が動じるとはな。」 「千年の王朝の礎の為に、私は善の業を重ねた。 そして、近い先、有史以来、誰も成し得なかった、 天子の座、誰も及ばない、最善に就こうとしている。」 「愚かになれない、私は、ここで、唖然とする。 誰も及ばない最善とは、実に、誰も適わない独善。 善業を究めた、第六天の王座に、悪魔が潜んでいる。」 「信じられるか、至善と独善が、別なのでなく、 至善を究めるほど、独善に極まる、というわけだ。 逆のものでなく、裏のものであると、何たる皮肉か。」 「このように、善と悪は、等しく生まれている。 人は誰でも、飽くなき欲で、悪なき善を求めるが、 善くの先に悪く、この世界に、厭きない欲などない。」 「原則は、自ら法を守る、法で治める世であり、 例外として、他の罪を許す、徳で治める世である。 根本を法で修めたものが、枝葉を徳で収めるべきだ。」 「徳とは、拾い集める段、受け容れる器のこと。 悪を認めようとすると、善を見とめるようになる。 生れ変わった悪が、世を建て直す、乱世の要となる。」 という事です。 感覚的には、今の自分がそうだから、とか、 このままだと、自分がそうなるから、そうならないように努力するなどして、 そんな、今の自分を切り捨ててるって感じかなぁ〜 だから、切り捨て分けた過去の自分(枝葉)と合っている。そんな感じ。 善も煩悩だから、そんな分けた他人に傷つけられる。 プラスとマイナスが、どうのこうの、じゃ〜、ないからね!! まぁ〜、そんな話を、1日集中セミナーとか言って、 約6万円ぐらい、ぶん盗るところもあるらしんけどぉ〜 ほっとけ、ほっとけ。善を譲りましょう。 許せない他人に出会った時、ちょっと、これ考えて観ると良い。 といっても、この話は乱世(末法)を徳で治める、 天の法と呼ばれるもので、結構、高度な教えだから、 あまり、無理しないこった。 おっと、話を元に戻すが、 どちらも、殴られるを縁とし、自分の悪業が引き出されてるんだけど、 その結果の感じ方は異なるんだ。 後者は、指摘(悪口)されても、心が動かず、外(欲界)に影響されない。 Aさんは、自分の心の汚れ(悪い部分)を表してんだ。 よって、全ては心の現れであって、 全ての人を神仏の現れであると見るのが、 観音菩薩のカルマ・ヨーガらしい。 だから、現世御利益を司る観音菩薩は、 全ての衆生に合掌している。 ちなにみ、左手に持つ、白い蓮華は、 この欲界の汚れにあっても、影響されない事を示す。 神道なんかでも、宗派によっては、 挨拶がてら、相手に合掌するところもある。 全ての人は神仏の現れである。 これを専門用語で、仏陀の五智の一つ平等証智という。 次の水瓶座(アクエリアス)の時代は、 この様に、平等性(水)を意味する時代でもある。 平等証智があると、全ての人が神だからねェ〜 アクエリアスは宗教戦争が無くなっても、おかしくないかもね。 この世は、幸せと言えども、奪い合い(有限)であると、 ありのままに見て(八正道の正見)、ありのままの真実を認め、 意識的に、必要以上の貪りを抑え(不偸盗の戒) 他を傷つけた分、財(物質的利益)や智慧(精神的利益)を、 他と分かち合う(慈愛、慈悲)ので(恩返し、功徳積み) 無意識に、意識の裏の意味(無限:∞)が積み重なる。 必要以上の貪りをしない、の裏は、 必要以上の贅沢だ。 現実は無意識方向に変化する無常なんで、 与えた以上の物が、与えられたりしてね。 小さな徳を積んでいくと、大きな徳を積めるようになる。 善とは、サットヴァそのものである。 徳は、サットヴァを越えたものである。 サットヴァな世界には、天命が現われる。 求めてない者が、与えられる事もなければ、 他に与えない者が、与えられる事もない。 どんなに小さな事であれ、 意識的に、自分が良いと思ってした事は、 無意識に、意識の裏の意味が積み重なる。 小さいの裏は大きいだ。 現実は無意識方向に変化する無常なので、 やがて、大きな徳を積む事が出来る様になる。 これは、小さな報酬(仕事)であれ、小さな出会いであれ、 意識的に小さな事でもコツコツやってると、やがて、 大きな報酬(仕事)、大きな出会いが得られるという事だ。 その小さなものって何かと言えば、今、あるものだよ。 今の仕事や、今の出会いがそうさぁ〜 人は、得て無いものを得ようと、 他と比較し、人の幸せを見ちゃ〜 嫉妬したり、妬んだり、奪ったりしているが、 幸せは外にあるのではなく、今あるものにあるんだ。 これを、仏教では足るを知るとか、神道では今に感謝しないとか言ってる。 仏典で言うと、これかな。 裸形梵志経 第二章 「行者よ、如来が現れると、価値が逆転し、 解脱の果報を知った人は、このように考える。 在家は不自由なことよ、出家は自由なことよと。」 --- 省略 --- 「それでは、どのように、正念正智するか。 行者よ、比丘衆は、いつでも、どこにいても、 何を念じるのか、正しく智って、正しく念じる。」 「それでは、どのように、満足を得るのか。 行者よ、喩えるなら、鳥が翼だけ持つように、 比丘衆は、衣鉢だけを持ち、満足するのである。」 「こうして、戒律、制感、正念正智、満足。 この四つの条件を得た者は、解脱に至るため、 世俗を離れて山奥に入り、深い禅定に安住する。」 徳川家康は、虐めにあって、 ド田舎の、へき地に追いやられるが、 今ある、土地を耕し、今の東京を創ったんだ。 これは、他から奪ったものではなく、今あるものが、変化したのなので、 他から奪う方法より、カルマ(悪業)が少く、長続きするやり方だ。 どの会社も作業効率の向上を目指している。 お金がない、材料がない、技術がないとかで、 それは、最初は、小さな改善かもしれないが、 意識的にコツコツうやってると、やがて必要な物が揃い、 大きな改善ができるって事でもある。 人材も同じだ、どこも優秀な人材を求めてるが、 優秀な人材も限りがあるから、奪い合いになっている。 そんな他から奪ったカルマ(悪業)が返って、 結局のところ、優秀な人材を集めた割には、 リーマンブラザースや、その他の銀行みないに倒産している。 そうではなく、今ある人材を意識的にコツコツと育てると、 これも、やがで、お金を稼ぐ人材に変わるって事でもある。 話がズレたが、 陸上の朝原選手なんかは、当時、出会った 彼女(今の妻)がまぶしく見えて 俺も、オリンピックに出たいと決意し、練習に励んだそうなぁ〜 互いに利する関係って奴だね。 異性を究極パートナーなんて、利益目的ではなく 自分も、そう成りたい、と他を称賛してる事に注意してね。 他を称賛するから、称賛される。 他人を、その様に見れるのは、まさに、徳の果報さぁ〜 訓練したって、そう成れる訳じゃないし ミ○ス論理やったところで、そんな相手と出会える訳じゃない 感謝の裏に賛美
六波羅蜜は、この世は、奪い合いである 得したとき、必ず誰かが損している これが、他を傷つけたカルマ(悪業)となって返り 結局、会社の景気が悪くなったり 失業したり、希望の職に就けなかったりと損をする。 恋も奪い合いであり 理想の相手と出会えたとき 必ず、誰かが理想の相手と出会えなくなる。 これが、他を傷つけたカルマ(悪業)となって返り 結局、別れたり、離婚したり、失恋したり 好意を持った異性が、他の異性に奪われたりする そんな、ありのままの真実を認め 幸せと言えども、奪い合いであるを 意識して、他を傷つけた分、恩を返す(功徳積み) 他を傷つけながらも、それが許され、生かされている 他に支えられ、生きているから、支え返すという感謝の実践だ この様に、意識的に感謝(恩返し)するので 意識の裏の意味が無意識(潜在意識)に積み重なる。 感謝の裏は賛美だ 現実は無意識(潜在意識)方向に、変化する無常なんで そうなりたいと他を称賛できたり (「私」も実体のない空って事です、自分が変化する) そう思える人に出会っても、不思議ではない。 だから、徳を積むと、歩いていていても、座っていていても、 何をしても、楽しい、そんな体験をする人もいる。 だから、六波羅蜜を行うと、 未婚の人は善業(ダルマ)が多い利他的な人と結ばれる可能性があり、 既婚の夫婦は、六波羅蜜を行う事により 互いに利する順縁関係に変わる可能性があるんだ。 ミ○ス論理の結婚学やってんじゃ〜 ないんだよ!! この世は、類は類を呼ぶだからね。 善業の多い人は、善業の多い人どうし集まり、 善業の多い人は、善業の多い人と結ばれたり、(互いに利する順縁) 悪業が多い人は、悪業の多い人どうし集まり、 悪業の多い人は、悪業の多い人と結ばれたりする。 例えば、ミ○スや伊勢白山のリーマンなど、 何故、へんちくりんな宗教に人が集まるかと言えば、 この世は、類は類を呼ぶだからね。 自分だけ救われれば良いと思ってるから、 自分だけ救われれば良いって奴が集まり、 自分だけ救われれば良いって奴に騙され、 救われるどころか、足元(銭)、掬われるハメになる。 隠しても、しょうがないんで書くが、 ミ○ス論理でワクワク再婚した人がいるんだけどぁ〜 残された子供は、どうなるのかな? あの頃は、子供だったとか言って、 この辺、体験談(メルマガ)には一切触れてないどろこか、 ミ○ス論理に出会ってたら、前の妻には遭ってないない!! とかなんとかで、恋愛したは良いが、家庭や生活が、 子供中心の生活になり、そんな生活に飽きちゃって ミ○ス御自慢の二元性を超えた結婚とやらで再婚したらいんだけど、 これが逆縁というカルマ(悪業)を創る。 末法になると人間関係が逆縁となる。 来世、この残した子供が、自分の親となる。 親から愛情を与えられるのが本当だか、 この場合、親から愛情の裏の憎悪が与えれる。 幼児虐待って奴なんだ 子供を産んだが産声をあげたんで、近所迷惑と思い殴り殺した。 なんて事件あったね。 類似の事件も多い。まさに、今生は末法だ。 幼児虐待とまで行かなくても、 母親が嫌いとか、父親が嫌いなんて、親と仲が悪い人っているようね。 ちょっと、子供に愛情を与えるように、 少し、親孝行してみると良くなったりしてね。 あぁ〜、そうそう。 ミ○ス論理の教祖も親が嫌いとか言ってたね。 ちなみに、オーム真理教の教祖も親が嫌いだったらしい。 どっちも、裏天皇だとか言ってたような気がする。 行きつく先は、同じだったりしてね。 伊勢白山のリーマンは言う。 白山と伊勢神宮に光の柱が建ちます 白山(裏・陰)と伊勢神宮(表・陽)に光の柱が建ちます。 この意味を探求します。 しかしながら、リーマンのへたれリーディングじゃ〜 何時まで経っても、その意味が分からないままなので、 法の王の俺様が解いてやった。 基本的に、この二本の柱は、人類全体の善業の投影であって、 神社に行くと、その象徴として、回向柱なんてものがあったりする。 この二本の柱は、男性原理と女性原理を表しているんだ。 もう少し、分かりやすく言うと、 この二本の柱は、智慧と方便、その目的の確立を表している。 あえて、確立と書いたのは、 そこまで、人類全体の善業が蓄積されたと予見しているからだ。 回向柱に限らず、ストーン・サークルなんかもそうで、 自分の持つ、男性原理と女性原理が和合した部分の投影でもある。 今年は善光寺で7年に一度、 日本最古の仏像であり霊験あらたかな、 有名な秘仏一光三尊阿弥陀如来像の前立本尊のご開帳の年でもあるからねぇ〜 そのとき、本堂前の建てられるのが回向柱だ。 男性原理(縦)が、その手段となる智慧と方便を表し、 女性原理(横)が、その目的を表している。 後に、この智慧と方便を使い、 伊勢白山のリーマンが霊視した、 光の柱の意味と目的を、 人の持つ役割(長所と短所)の所で解くが、 その前に、少々、教学が必要だ。 男性原理は、例えば、 リーマンの先祖供養やミ○ス論理が、 良い例で、これをすると良くなると言った教えだ。 それは、その人にとって、善業積みの手段となる良い面もあるが、 しかし、不慳貪の戒を思い出して欲しいのだが、 どんなものにも、良い面と悪い面があって、 男性原理の悪い面は、善悪二元論に落ちてしまう事だ。 リーマンの先祖供養を行ってる人は良い人で、 そうでない人は地獄に落ちる悪い人なんてねェ〜 ミ○スでは「結婚しないと次元上昇できません!!」なんて、 セミナーに来ない人と対立してたね。(社会との対立、外と和合してない)) 後に分かると思うが、 そんな団体も独立して存在してる訳じゃなく、 他との相互依存関係で存在してるんで、 そんな団体が存在しうる因と縁(条件)を探らなければ、 こんな感じで、第二、第三のオーム真理教が出てくるだけで、 男性原理だけだと、不十分なんだ。 手段が絶対化してしましい、何時の間にやら、そうなるんだ。 なぜなら、 他に座席を譲ったり、他の仕事を手伝ったり、 他に気を使ったり、遠隔ヒーリングなど他の為に祈ったり、 親や兄弟に仕送りしたり、神を信仰したり、先祖供養したり、 良い事(善業積み)をすると良い事が返るのではなく、 良い事(善業積み)をすると、先ず、悪い事(カルマ)が返るからだ。 この苦に耐えると、悪業(カルマ)が落ち、善業が出るのだが、 そんな智慧もないから、苦しみに囚われてしまって、善悪二元論に落ちる。 だから、女性原理である受容(慈悲)が必須となる。 その為には、自他の区別を外した智慧(男性原理)が必要なんだ。 何でも2つだ。どんな方法にも、良い面と、悪い面がある。 これから、楽でもなく、苦でもない 智慧の修行に入る訳だが、悟りの道、哲学の道、というのは、 実践すれば、確かに、悟りに近づくが その裏で、プライド(慢心)も強くなっている。 チャクラで言うと、頭上の悟りのチャクラの一歩手前は、 首のチャクラである、嫉妬、妬み、慢心だ。 だから、クンダリーニが上がると同時に、プライド(優越感)も強くなっている。 だから、 我こそが、イエスだ、釈迦だ、世界の王だぁ〜 我こそが、アセンションの鍵を握るものなりぃ〜 あぁ〜、僕たち、私たちわぁ〜、イエスも釈迦も、ぶっ超えた話をしているぅ〜 なんて、ミ○スの様な救世主が沢山いるが、これも、偶然じゃないんだ。 オーム真理教もそうだし、 最近じゃ〜、幸福の科学もそうだが、 自信満々(プライド)で選挙に出た割りには、 どいつも、こいつも、落選。(優越感の裏に劣等感ありなんだ) つでに、出てきた言葉がぁ〜 本当は当選してるがぁ〜、マスコミやらアメリカやら、誰かの陰謀で落選した!! なんて言いだし暴走し出した。 アセンションの鍵は結婚にあったのミ○ス論理信者も 選挙じゃないけど、ドームをミロス受講者で、 いっぱいにするとか、しないか言って暴走し、 結局、すったらセミナーに誰もこなかったらしいとかぁ〜 結婚しないとアセンションできません!! なんて、暴走し、セミナーに来ない人と対立していたね。 どいつも、こいつも、オームと同じだ。 別な言い方をすると、悟りの道、哲学の道は、 プライド(優越感)を強くするカルマを創るとも言えるんだ。 プライド(優越感)の裏には卑屈(劣等感)があるから 悟りの道、哲学の道というのは、そんな屈辱を受ける道でもあるんだ。 こんな奴に、俺は劣るのかぁ〜。なんて言いたくなる局面が発生する。 カルマ(悪業)なんで、そんな苦に耐えると 悪業が落ち、善業が出だす 苦に囚われず、暴走しない事だ。 最近は、アセンション・ブームだからねェ〜 その日になって何も起こらなかったら、きっと、 ロロロ星人の陰謀で、アセンションは延びた。 なんて、言い出す人が増えたりしてね。 プライドと言えば、悟りの手前は、嫉妬、妬み、プライドの段なので、 功徳を積むと、何か悟る度に、大概、男女問題にぶち当たる。 功徳を積んでるだけに、ひょっこり理想の相手が現れたりする。 理想の相手だけに、自分のものにしたい、という我所執(執着)が生起する。 そんな貪りは対立というカルマを創るもんだから、恋敵など現れる。 こうなると、恋敵などに憎悪しがちだが、囚われない事だ。 プライドの裏には卑屈があるから、先に他より劣る自分(卑屈)を体験する。 結婚願望が無いわけではないが、 自分は恋愛は苦手だから、恋愛に積極的な奴とか、 上手く異性と喋れて、上手くデートに誘える奴とか、 自分より容姿がカッコいいとか、自分よりお金があるとか、 自分より頭が良いとか、そんな恋敵(ライバル)ばかり多数生起し、 他より劣った自分(劣等感)を、まざまざ、と体験する。 卑屈を体験するが為に、ますます、他に勝とうと、 恋敵などに憎悪しがちになるが、囚われない事だ。 囚われず、苦に耐えると悪業(卑屈)が落ち、善業が出だす。 これを別な言い方で解くと、 この様に、人には、それぞれ、長所と短所がある。 短所 の先に 長所 シンジ あ〜あ、僕は、短所ばかりで、長所がない。 もう、努力するのなんて、止めちゃおうかな。 レイ ううん、最初が悪いと、最後は良くなるの。 短所ばかり、というのは、とても、長所なの。 シンジ えっ! どうして? 僕でも、強くなれるの? レイ うん、その分、頑張らないと、ダメだけど。 シンジ でも、どうして、そんなことが、言えるのさ? レイ 強さは、弱さを知らないと、分からないの。 短所を、長所に変える力が、真の強さだから。 シンジ 最初から何でも出来るのは、強さじゃないの? レイ うん、たとえば、目が見えて、強いと思う? シンジ ううん、目が見えても、強いとは言えないよ。 見えないでも、頑張るなら、強いと思うけど。 レイ うん、だから、短所は多いのは、長所なの。 頑張れば、すべての短所が、長所に変わるの。 シンジ そっか、一生懸命に、短所で悩んだことが、 全部、長所となって、活かされるってわけだ! レイ うん、頑張っている限り、短所は長所なの。 だからこそ、最後まで、頑張った方が良いの。 シンジ ……………………!! では、そろそろ、短所を長所にしてみよう。 例えば、モテル為の条件は、 容姿が良い、お金がある、スポーツマンとかあると思う。 さぁ〜、理想の相手も奪い合いである。 そんな相手を獲得するには、そんな条件(長所)がなくてはならない。 がしかし、そんな長所も無常ですよ。ってのが釈迦の一元論なんだ。 理想の相手を獲得する為には、必ずしも、それらは長所にはならないって事だ。 たしかに、昔は、俳優さんとかが、美しい女優さんと結婚していたが、 今や、お笑い芸人さんの方がモテ、美しい女優さんと結婚してる。 お笑い芸人は、容姿はカッコいいとは言えないかもしれないけど、 そんな人達の気持ちや苦しみが分かるという長所があるという事でもある。 その自分の長所が、理想の相手を獲得する条件へと変わったんだ。 実際は、そうなのか聞いた事ないけど、そんな感じだ。 容姿は良いけど、性格が悪いってあるでしょう。そんな感じだ。 言いかえると、今、自分にあるものが、 理想の相手を獲得する為の長所(条件)へと変わって行くって事なんだ。 これは、奪った訳ではないので、カルマ(悪業)も少ない。 よく、なんで、あんな奴が、いい女つれてんのよっ!なんて局面、良くあるよね。 必ずしも、そんな長所が、理想の相手を得る長所とは限らないってこと。 お金を得るにも、さまさまな条件(長所)があるが、 必ずしも、それが、お金を得るための条件(長所)とは限らないんだ。 今ある自分の長所が、やがてお金を得る長所に変わるって事だ。 別な解き方をすると、この世は相対(縁起)だ。 短所での苦しみの裏には長所での楽があるって事。 これは、全ての人が、 ミ○ス論理のジャッチ作戦とか、次元上昇するまでもなく、 あるがままで、欲しいものを手にする長所(条件)を有しているって事でもある。 他人を、この様に観れるようになるならば、自分に対しても観れるようになる。 他人を、その様に平等に観るって事は、 自分に対して、他人も平等に扱ってくれるって事だよ。 短気の裏には、 仕事などスピードが速いという長所があるし、 逆に、スピードが遅い人の裏には、慎重さがあるので、 仕事などミスが少ないという長所がある。 頑固の裏には真面目さがあるので、 頑固なだけに多少の事では、 ヘコタレナイ粘り強さ(辛抱強さ)があるから、 幸せが長続きしたりする。 宗教というと某S学会の様に、 嫌がられせ的な勧誘が目立つが、 そんな支配欲の裏には、 面倒みが良いという長所がある。 どうして、 自分に無い長所を求めると、 道を外し、失敗てしまうかと言うと、 あの長所も、この長所も、 あれも一番、これも一番、なんて、 あれも、これも、とやると、 願いが、互いに相殺し合って、 何も、叶わなくなるんだ。 専念 の裏に 余念 シンジ 僕は、将来、スポーツ選手になりたいな。 レイ 心から念じていれば、何でも適うはずなの。 シンジ バスケか、テニスか、ゴルフがいいなあ。 レイ それ、全部になりたいって、思っているの? シンジ ううん、どの選手になるのも難しいから、 なんでも良いからさ、なれたら良いんだよ。 レイ 心から念じるときは、一つだけに絞るの。 互いに打ち消し合って、念じ切れないから。 シンジ えっ? 打ち消し合うって、どういうこと? レイ もし、バスケの選手になれるんだったら、 テニスの選手になれなくて、いいんでしょ? シンジ うん、他の選手になれなくたっていいよ。 レイ うん、こうして、三つ巴で打ち消し合うの。 シンジ 意識的になりたいなと、念じている裏で、 無意識になりたくないと、念じているんだ! レイ うん、そうなの、無意識の力は、強いの。 シンジ そういうことならさ、全部になってみるよ。 レイ ほら、それだって、心から念じてないの。 さっき、言っていたことと、違うじゃない。 シンジ …………………… 自分の教祖が使命を授かっており、 自分の教祖が世界の救世主となり、 あの人も、この人も、全部、救う。 なんて言うのは、 信じる者から、足元(銭)、掬われる仕組みが、 お分かり、頂けたでしょうか。 ここは、そんな、 伊勢白山とかアルクトゥルスとか、 1+1=∞のアセンションへの扉とか、 アセンションの鍵は結婚にあったの、 マリッジコードミ○スだが、 ミ○ソフィアのミ○ス論理とか、 救われるどころか、 足元(銭)、救われた人を救うところ。 アセンションとか、江原とか細木とか、 精神世界の鉄人が御推薦する宇宙人バシャールとか、 超能力とか、霊視とか、ヒーリングとか、 すったらもん信じても、 救われなかった人を救うところ。 類は類を呼ぶだから、 ここに来ている人は、そんな役があると思われる。 事業も、あの分野も、この分野も、 なんて、ありがちだが、 これも、互いに相殺し合って上手くいかない。 ユニクロの失敗談だが、 いっとき、食糧品にも手を出した時期があったが、 そんとき、食糧事業も失敗し、 本業の利益も低迷したんだ。 そして、本来の事業に戻り、盛り返したんだ。 本業ついでに、本業と副業とか これも、互いに相殺し合って上手くいかない。 アセンションの鍵は結婚にあった教の、 マリッジコードミ○スだが、 ミ○ソフィアのミ○ス論理教では、 ネズミ講(MLM)とか、人件費ゼロで、 セミナーの講師とか、セミナー勧誘とか、 信者に副業を、 じゅんじゃん、 やらせてるらしいけどね。 この様に、あれも、これも、じゃなくて、 役割を分かち合い、他を活かすから活かされる。 これが、釈迦の一元論らしい。 縁のある人の大黒柱(マハーカーラ)となって、 縁のある人の苦を取り除き、縁のある人を救う。 これが、 伊勢白山のリーマンが見た光の柱(大黒柱)の意味だ。 貪らなければ、必要なものが入ってくる仕組みが、 お分かり、頂けたでしょうか? 伊勢白山のリーマンには、 何時まで経っても、わからん話だと思うけどね。 マリッジコードミ○スのミ○ス論理では、 成功とは自分を知る事なんてやってが、 あいつらのやってる事は、したい事を知るなんで、 そんなもんは、お金持ちに成りたいだとか、 そんなセミナーに銭、払うまでもなく知っている。 それを言うのなら、自分の長所を知る事ってなんだ。 だいたい、ミ○スの教祖本人が自分を知らない。 同じ自動車でも、TOYOTAとHONDAでは、ちょっと違うでしょう。 TOYOTAは歴史と技術力(ノウハウ)があるから、 間違いないという安心感があるけど、 デザイン性となると、いまいちでさぁ〜 そうなると、HONDAやMAZDAとなったりする。 この様に、人の長所は、それぞれ異なるので、 あれも、これもと、貪らなければ、 人が100人いれば、100人分の成功があるって事さぁ〜 それに、これが分かってくると、 勝ち続けなければ存在意義を満たせない。 そんな中毒から解放され、今を楽しめるようになる。 足るを知るだ。 伊勢白山のリーマンが、 なぜ、ランキング操作らしき、怪しいポイントで、人気ブログを独走し、 マリッジコードミ○スが、なぜ、ランキング操作らしきもので、自社本をベストセラーにし、 さも沢山の人が集まってるかのような偽造的な事をするかと言えば、 そんな中毒に掛り、そうまでしないと幸せを感じなくなってんだ。 つまり、こいつらの、やる事なす事は本当の幸せではない。 観音菩薩のカルマ・ヨーガ的に言えば、 勝ち続けなければ存在意義を満たせない。 そんな自分達の心の汚れの投影が、 伊勢白山のリーマンやマリッジコードミ○スと見た方が利口だろう。 人の長所もあれば、会社の長所、国の長所などがある。 そんな長所が、いずれ、お金など、欲しいものを得る長所に変わるってこと。 アメリカや中国に盗って代わって、じゃなくて、 こんな感じで、日本の長所を活かせば、 なんとか、この不況も乗り越えられるんでないかなぁ〜 人(会社や国)によって、さまざまな長所がある。 この長所を別な言い方をすれば、 人(会社や国)によって、さまざまな役があると言う事だ。 意識的に役に徹してる限りにおいては、全体と調和しているので、 調和してるだけに、全体の利益が発生し、やがて個人的利益が発生する。 しかしながら、自分に無い長所を得ようと、 一日で理想の相手に出会えるミ○ス論理とか、 眠りながら億万長者とか、毎日がミラクルの1+1=∞だとか、 自分に無い長所を得ようとすると、 不調和になり、個人的利益が失われる。 手が頭をやりたい。 足が手をやりたい。 なんて、やったら、不調和になって、動けなくなるでしょう。(個人的利益が失われる) よく、宗教が選挙に出たり、教祖がマスコミに出たがるけど、 そんな事をするから、個人的利益を失うんだ。 この場合、理想を言えば、 役をやり切ると、次の役が与えられるで、 これは、全体と調和したものだと思われる。 あの松下のおっさんは、三拍子、揃ってたと自分で言っている。 ・お金が無く貧乏だった。 ・貧乏だから学校に行けず、学歴がなかった。 ・生まれつき身体が弱かった。 これが、あの松下のおっさんの短所だ。 しかし、これを長所に変えたんだ。どう変えたかと言うと、 お金が無いから、お金のある人から学んだ。 学校に行ってないから(学歴がないから)、 学校に行った人から(学ある人から)、学んだ。 ここで、俺は金があったら学校に行って、お前たちよりも偉かったんだ。 なんて慢心があると、そんな事は出来ない。 これは裏を返すと、学歴が無い分(短所)、 人より覚えるのは速いという長所があると思われる。(反省が速いとかね) 勉強は苦手というのも正確ではないかもしれない。 本を開いて、机に向かって黙って一時間というのが苦手なだけで、 そうではく、人の話を良く聞いて学ぶという長所があるかもしれない。 そして、学歴が無いから、自分の学ではなく、他の学を活かし、 身体が弱かったから、自分の体力ではなく、他の体力を活かす事を学んだんだ。 自分に拘らず(自己の執着)、他を尊重し、活かす力を身につけたんだ。 詳しい事は、分からないんだけど、 戦国時代の頃だったと思うが、 身分も学歴も無い人が一時、天下人になったらしい。 その人、家康の所に行って、 「あなたは、自分と違って、身分もあるし、民からも尊敬されいる。 だから、明日は、どうか協力して欲しい」と言ったら、 家康は、もぁ〜参ってしまって、協力したらしい。 家康の長所を尊重し、活かしたんだねェ〜 ただ、その人、その後、慢心しちゃって落ちたけどね。 自分(会社や国)の長所を、 こうなる様にする為には、忍耐力、辛抱強さが必要(条件)となる。 ちなみに、家康は、たいした才能もなかったが、 一つだけ、他より辛抱強いという長所があったんだ。 自分の時代が来るまで待てる辛抱強さがあったんだね。 そんな、今ある自分の長所を伸ばしたんだ。 この世は、幸せと言えども奪い合いだから、 その過程において、失恋とか失業とか奪わる事もあるかと思う。 しかし、そんな苦に耐える局面には、(悪業清算) 自分の時代(短所が長所に変わる時期)を待てる、 忍耐力、辛抱強さが養われてるという長所もある。 そして、そんな苦に耐える局面は、自分の長所を教えてくれる長所もある。 しかしながら、人ってのは、 霊視やら、ヒーリングやら、チャネリングやら、超能力やら、 自分に無い長所を欲しがり、他より優位に立とうと、 ミ○ス論理などのアセンション・セミナーに行っては、 救われるどころか、足元(銭)、掬われて終わってんだ。 貪りが多い人は、苦に耐えかねて、 一日で理想の相手に出会えるミ○ス論理とか、 眠りながら億万長者とか、毎日がミラクルとか、 1+1=∞だとか、そんなセミナーに引っ掛かり易く、 自分の道を外し易いので、気を付けてね!! おっとっと、 良い事をすると、良い事か返るというが、 そうではなく、初段は、 良い事するが為に、先ず、悪い事が返る(悪業が返る) この苦に耐えると悪業が落ち、善業が出る。 のだが、この悪業が辛いっ!! 辛すぎて、もぁ〜やめたっ!!。 なんて、財施も法施もやめたくなる事が、 1日、100回ぐらいあると思うが、 それでも、続けられるかが勝負となる。 良い事が起ころうが、 悪い事が起ころうが、 どんな条件でも、信じて出来るその心は、 無常件の愛とか、無償の愛とか、信愛と呼ばれるもので、 無償の愛を与えるから、無償の愛が与えられる。 自分が、どんな時も信じるから、 他人も、どんな時も信じてくれる。 親がそうだよね。 親と言えば、今日から、 NHKの大河ドラマで『竜馬伝』が始まったらしいが、 そこで演技されている竜馬のお母さんは、そんな感じだ。 剣術も駄目、勉強も駄目、何しても駄目。 そんな竜馬だが、親は、それでも信じてる。 無償の愛が与えられてんだねェ〜 偶然、そんな親を与えられた訳ではないって事だ。 占星学によると、 人には善業が出る時期、悪業が出る時期があるが、 どんな時であるろうと、無償の愛を実践(功徳積み)すると、 どんな時であるろうと、無償の愛が与えられるって事だ。 功徳を積むと、人生が安定すると言うが、そういう事かも? どんな時も、信じて、与えるから、 どんな時も、信じてくれて、与えられる。そんな感じかなぁ〜 恋愛なんか、そんな「無常の愛」の結果が良いんだろうね。 親愛 の先に 信愛 アスカ あ〜あ、あたしも、愛を極めてみたいなぁ。 ヒカリ 愛と言っても、いくつも段階があるのよ。 親愛は、我を愛するように、他を愛するの。 信愛は、我を忘れるぐらい、神を愛するの。 アスカ 親愛を極める前は、どんな感じになるの? ヒカリ 相手を愛している、自分を愛しているのよ。 アスカ 親愛を極めた後は、どんな感じになるの? ヒカリ 自分を愛するみたいに、相手を愛せるのよ。 アスカ 信愛を極める前は、どんな感じになるの? ヒカリ 神様を愛している、自分を愛しているのよ。 アスカ 信愛を極めた後は、どんな感じになるの? ヒカリ 自分を忘れるぐらいに、神様を愛せるのよ。 アスカ 最後の最後に、やっと、無償の愛になるの? ヒカリ うん、それまで、ずっと、有償の愛なのよ。 アスカ いきなり、無償の愛を、極められないの? ヒカリ 無理だと思う、でも、やってみたらいいよ。 アスカ う〜ん、無理じゃないなら、やってもいい。 無理って、分かってやるのは、無駄だもん。 ヒカリ うふっ、ほらね、やっぱり、無理みたい。 アスカ …………………… この無償の愛を、別な言い方で解くと、 功徳なんか積んでると、 功徳を積んでる割りに、同じ苦しみを何度も受け、 またかよ! なんて、へ込む局面に、何度も曹禺し、 無償の愛どころか、こんなの止めたくなる。 これはねェ〜 成功するには、何度も失敗を繰り返す段があるように、 功徳を積むと、同じ苦しみを何度も受ける段があるんだ。 そんな智慧があると、囚われず、無償の愛を与えられるかと思う。 別な原因としては、 功徳を積むと屈辱の段があり、 お金、異性、仕事などが奪われたりする。 その結果、奪った相手に対して、 この野郎っ! と、憎悪してしまうのが人ってもんだが、 この結果が原因となり、何度も同じ苦しみを受ける。 論点 最上現在涅槃論の限界とは何か 過去の自分が経験している領域において、 苦楽の二元性を吟味して煩悩から離れ(初禅)、 煩悩なき集中によって達成される解放感を得て(第二禅) その解放感すら超えて楽を得て(第三禅)、 その楽にすら無頓着になったら(第四禅)、 次に、過去の自分が経験していない領域において、同じことを繰り返す。 すると、次第に意識が拡大して、空無辺処、識無辺処、無所有処、非想非非想処の段階に移行する。 論点 十二縁起とは何か 歓喜 → 喜 → 安穏 → 楽 → 心三昧 → 如実知見とは、十二縁起の過程である。 心三昧の瞑想段階(第四禅)をを終えると、如実知見の段階に入り、 次に、如実知見であるが故に、あらゆるものに囚われず、貪らず、解脱に至る。 つまり、如実知見 → 遠離 → 離貪 → 解脱と続く。 ちなみに、弥勒菩薩は、全ての衆生を信じ、 じーっと待っている慈悲の菩薩なんだ。 しかしながら、最近じゃ〜、 結婚しないとアセンションできませんとか、 アセンションできるのは、ここだけとか、 愛を語るわりには、偏った愛を他に与えるセミナーがあるが、 偏った愛を与えるから、条件つきの愛しか与えられない。 よく、「どこもやってのに、なぜ自分だけがぁ〜」 なんて言う人がいるけど、そういう事かもね。 本当に、すったらセミナーで幸せに成れるのか? すっごく、怪しくなって来たね。 おっとっと、直感的にだが、 「どこもやってのに、なぜ自分だけがぁ〜」 なんて思ってる人は、もしかしたら、 そんな、悪い事(ネズミ講とか)した先駆者かもしれないね。 先駆者だけに、真っ先にカルマ(悪業)が返り、 「どこもやってのに、なぜ自分だけがぁ〜」なんて言いたくなる局面に落ちる。 ちなみに、思い出したが、 「どこもやってのに、なぜ自分だけがぁ〜」 なんて言ってる人の教祖だけどぉ〜 「自分が日本にMLM(ネズミ講)を広めた第一人者」と言っていたねェ〜 類は類を呼ぶだから、その人も何かしら、関与したがために、 「どこもやってのに、なぜ自分だけがぁ〜」なんて言いたくなる局面に落ちたと思わる。 ネズミ講(MLM)は確かに、お金持ちも創ったが、 その裏で、お金持ち以上に、貧乏人も創ってんだ。 最近じゃ〜、大勢の自殺者や、大勢の精神病まで創ってるらしい。 そんな、他を傷つけたカルマが返り、そんな目に合ってるとも言える。 ちょいと、MLM(ネズミ講)に触れると、 MLM(ネズミ講)と来たら、勧誘となるが、この、勧誘って奴だけど、 面白い話があるからって、友達を誘ってみればぁ〜 なんて指示が来るが、 けっして、MLM(ネズミ講)の話とは言わない。 これ、何をしてるかと言うと、積極的な嘘なんだ。 十戒四 … 不妄語の戒 妄語の禁戒・正語の勧戒について述べよ 妄語とは三種類の嘘を指す。 第一の嘘は、自己の利益を保全するための積極的な嘘である。 第二の嘘は、沈黙を持って正しいことを言わない嘘である。 第三の嘘は、結果的に嘘となってしまう消極的な嘘である。 積極的に嘘をなさないことにより、他人に騙されなくなるという果報が生じる。 何故なら、積極的に嘘をなす背景には、“自分の都合良く真実を歪める”という習性があり、 他人が、自分の都合の良い現実に騙されるのと同様に、 自分も、自分の都合の良い現実に騙されてしまうからである。 真実が、自己や非自己によりに歪曲され、物事を正確に認識出来なくなる。 正しいことを明確に言うことにより、必要な情報が正しく集まるという果報が生じる。 何故なら、沈黙する背景には、“敢えて意識化しない”という習性があり、 自分に不必要な情報が、明確に意識化されないのと同様に、 自分が必要としている情報も、意識化されず曖昧になるからである。 結果的に嘘にならないようにすることにより、言葉や意志力が強くなるという果報が生じる。 何故なら、消極的に嘘をなす背景には、“言行不一致で構わない”という習性があり、 他人が、自分の言行不一致で被害を被るのと同様に、 自分も、自分の言行不一致で被害を被るからである。 言行一致により、言葉の力が強まり、本人の意志によって発された言葉が現象化するようになる。 妄語をなさないことによって、良くも悪くも物事がありのままに見えるようになる。 正確に認識出来ることは、一時的な幻想の幸福ではなく、恒久的な真実の幸福のためには不可欠である。 無智により、騙し騙された幸福は、条件次第で不幸の因となるからである。 ネズミ講(MLM)とか、1日で理想の相手に出会えるとか、 アセンションの鍵は結婚にあったとか、そんな、積極的な嘘は、 「どこもやってのに、なぜ自分だけがぁ〜」と、 自分の都合の良い現実に騙されるので、気を付けてね!! 智慧の修行というのは、自他の区別を外し、自我執着を超える修行でもある。 智慧により、自我執着(プライド)が無くなると、自分が無くなるんで、 当然、自分と縁起関係で生起してる他人がいなくなる。 どんな他人かというと、嫌いな人であったり、ライバルであったり、自分を傷つける他人だ。 自我執着(プライド)と言えば、人には他より幸せになりたいだとか、 他より幸せにとか、先駆者としてのプライドとか、 男なら、誰よりも家族を幸せにしたいというプライドとかあるが、 功徳を積んでるが為に、他より収入が減るなど、 他より劣った自分を体験(卑屈)するが囚われない事だ。 例えば、JRは新幹線を海外に輸出しようとし、 ベトナムだったかなぁ〜、そこと順調に仕事の話が進んでいたが、 ここに来て、韓国というライバルが現れたんだ。 この事業だけでなく、日本企業が海外進出しようとすると、 ライバルが現れ、ニュースなどでは、どこも、日本は国際競争に勝てるのだろうか? なんてやってるが、偶然にライバルが現れてる訳ではない。 あれ欲しい、これ欲しいなどの貪りは、この様に対立というカルマを創る。 ちなみに、ミ○ス論理では、 あぁ〜、ぼく達、わたし達わぁ〜 釈迦もキリストも、ぶっ超えた話をしている。 この世は、相対、相対!! 苦を受け容れれば、漏れなく楽が付いてくる。 これが、一厘の仕組み。 なぁ〜んて言ってますが、 受け容れるったって、そんな心も独立して存在する訳じゃなく、 他との相互依存関係で縁起して生起する。 何処の何様と相互依存関係かと言うと智慧です。 自他の区別を外した、一元の智慧です。 次元上昇してんじゃぁ〜、ないからね!! 智慧もないのに、そんな事をすると、 それは受け容れようとしてるだけで、かえって苦が無意識に残る。 現実は無意識方向に変化する無常なので、 また、また、同じ苦しみを何度も繰り返してしまう。 気を付けてね!! また、これは、正確ではない。 これは、マイナス(苦)とプラス(楽)は、 セットって意識してるから、 意識に裏の意味が無意識に積み重なる。 マイナス(苦)とプラス(楽)はセットの裏は、 マイナス(苦)とマイナス(苦)のセットだ。 現実は無意識方向に変化する無常なんで、 下手すると、苦しいままです。 一切皆苦 不幸の他に、幸福が在るため、 不幸が終ると、幸福に覆われる。 この幻想の考えに、縋り付くほど、 相対の幸福を求めて、転生を窮める。 別な解き方をすると、 苦を受け容れるにしたって、 悪を受け容れるにしたって、 それらは、自分にとって良い事をしてる事には変わりない。 有情と無情 「善を突き詰めて、至善を求めてきたばかりに、 悪を受け容れて、独善を許せなくなってしまった。 最後の最後に、最も認められない、最悪が残された。」 利己にしろ、利他にしろ、その結果が、 功徳になってるか、なってないかの違いはあるが、 自分にとって良い事をしてるという意味では、煩悩と代わりはないんだ。 だから、至善を積み重ねると、良くなるどころか、最悪になるんだ。 独善っていうんだけどね。至善の裏に最悪ありさぁ〜 昇天 の先に 堕天 ゲンドウ 天に住む魂は寡く、地に棲む魂は多い。 欲望の世界は、ピラミッド型をしている。 コウゾウ 天界を頂点に据えた、階級構造なのかね? ゲンドウ ああ、誰もが、頂点を目指しているが、 カラクリに嵌り、なかなか辿り着けない。 コウゾウ 誰もが、自分に善いことをしているが、 本当に善いことかは、分からないのかね? ゲンドウ ああ、独断の善に陥り、地獄に落ちる。 独善を窮めた先には、堕天使の座がある。 コウゾウ 独善に嵌らなければ、最善になるのかね? ゲンドウ ああ、至高の善を求め、天国に上がる。 至善を究めた先には、熾天使の座がある。 コウゾウ 熾天使には、独りしかなれないのかね? ゲンドウ ああ、最善を独占する、世界だからな。 コウゾウ そうか、是非とも、私がなりたいものだ。 ゲンドウ ああ、いつかは、きっとなれるだろう。 本当に良いことが、分かってないからな。 コウゾウ …………………… 自分にとって良い事をすれば、 良くもなるが、その裏で、悪くもなってるのが、この世の仕組みだ。 良かれと思い、一生懸命、仕事するからこそ、 周りの人が、仕事をしない悪人に変わって行く。 良かれと思い、社会ルールを守るからこそ、 周りの人が、社会ルールを守らない悪人に変わって行く。 個人的な経験を言うと、 好きな事は、嫌いな事をするカルマを創るから、 嫌いな事もしないとカルマが落ちずで、 好き嫌い言わず、なんでもやってたら、 周りの人が、好き嫌い言って、何もしない悪人に変わちゃって、 それじゃ〜、仕事にならないから、 結局、好き嫌い言わず、なんでもやる奴が、 人の嫌がる損な仕事ばかりやってる。そんな事もあった。 そんな感じで、最善は最悪に極まるんだ。 意識的に、それが正しいと思っているからこそ、 意識の裏の意味が、無意識に積み重なる。 それが正しいの裏は、それは正しくないだ。 現実は無意識方向に変化する無常なので、 そんな悪業が潜在に眠ってる間は、 そんな自分の無意識部分(悪業)を他人が演じる。 だから、最善は最悪に極まるんだ。 そんな他人も、 自分の無意識部分の投影という意味では、自分なんで、 怒りでもって攻撃すると、全部、自分に跳ね返る。六六六の仕組みですね。 そんな他人は反面教師として学ぶのが良いと思われる。 良かれと思い、神や仏を信仰するからこそ、 周りの人は、それを信仰しない悪人に変わる。 だから、宗教の対極に科学があるのは偶然じゃないんだ。 このように、何時の間にか、 一厘の自分だけが良い事をしていて、 残りの九分九厘は悪人になっている。 そんな感じで、最善は最悪というカルマを創が、 カルマなんで、囚われず苦に耐えると、 悪業(カルマ)が落ち、善業が出るで、 そんな悪人も、善業を積む、善人に変わる。一厘の仕組みですね。 良かれと思い、 釈迦や観音、弥勒の理の法を解くから 周りの人達は、スピリチュアルや占い、伊勢白山やら、 一日で理想相手に出会えるとか、出会えないとかのミ○ス論理など、 救世主の幻想(利の法)を信仰する悪人に変わる。 偶然に対極の宗教やスピリチュアルが生起し、 互いに対立し、信者の奪い合いをしてる訳じゃないんだよ。 一神教が多神教を生んでるのさぁ〜 囚われない事だ。 そんな苦に耐えると悪業が落ち、善業が出るで、 そんな悪人も、すったらもんやめて、 善業を積む、善人に変わり、幸せになっていく。 何度も言うが一厘の仕組みですね。 それでは、 神や仏、 バシャールなど宇宙人やアセンションなど、 うなもん信じても救わるどころか、足元(銭)、掬われる法を解く。 良い事(善業)すれば、良い事(善業)が返ると言うが、 本当(初段)は、良い事(善業)をすれば、 良い事(善業)をしたが為に、悪い事が返る。 この苦に耐えると、悪業が落ち、善業が出る仕組みだ。 良い事をしたが為に、先ず、 今まで漠然と積み上げてきたカルマ(悪業)が返る。 このカルマ(悪業)は、大きく分けると3つある。 卑屈、嫉妬、慢心だ。 神や仏、アセンションなど、うなもん信じたところで、 救われるどころか、足元、掬われるのは、 最後に、この、慢心(プライド)が崩されるからなんだ。 では、行ってみよう。 第四七話 希望と絶望 …… 我を明らめる と 神を明らめる 聖地を回復せよ、王の呼び掛けに、諸侯が集う。 神の兵の数、観とめられるだけでも、およそ百万。 彼らは、賛美の歌を謳って、善意の道を突き進んだ。 そして、聖地に帰り着くと、玄徳は誇らしく叫んだ。 「主よ、九分九厘、神の仕組は整えられました。 さあ、玉座に着いて、残る一厘を明らかにし給え。 あの神殿こそが、預言の地、王の中の王を決める丘。」 --- 省略 --- 健気に神を信じる、この選ばれし民に、主は言った。 「神の御名を語る者、全てが、天に還れるのか。 否、神の御心を行う者、彼のみ、還る事ができる。 主よ主よと神を騙る、蝮の子らよ、天の報いを知れ。」 聞き違いであろうか、判断に苦しむ民を尻目に、 主は、供えられた物を、次々に打ち壊して行った。 静まり切った神殿の中に、物が壊れる音が響き渡る。 漸く理解に達した者の、叫び声が呼び水となり、 悲鳴が悲鳴を呼んで、瞬く間に阿鼻叫喚と化した。 禽獣と化した者に、泣き喚く者に、歯を軋ませる者。 一度でも綻びを見せた、信の念は繕い切れない。 裏切られた民は、早々に、この男を偽者と断じた。 今にも、吊るし上げそうな、きな臭さが立ち籠める。 --- 省略 --- 我に返った玄徳は、主に近づき、悲嘆の声を上げた。 「主よ、どうして、このような仕打ちをするのか。 これでは、導いた者として、彼に会わせる顔がない。」 --- 省略 --- 我に返った孟徳は、師に近づき、非難の声を上げた。 「師よ、なにゆえ、このような仕打ちをするのか。 これでは、率いた者として、民に合わせる法がない。」 さぁ〜、分かり易くしてみよう。 導いた者として、彼に会わせる顔がない。 率いた者として、民に合わせる法がない。 合わせる顔が無い!! というのは、まさに、プライド(優越感)が崩されてんだ。 最後の一厘は、まさに絶望さぁ〜 どいつも、こいつも、自分の団体が一番と思ってるからねェ〜 自分の信仰や、自分の教祖が本物で、 自分の信仰が、他よりも幸せになれる。(優越感) そんな、プライド(優越感)が崩されるんだ。 まさに、信じる者から、足元(銭)、掬われる事になる。 この様に、最善(信仰)は最悪というカルマ創るが、 カルマなんで、囚われず、苦に耐えると、悪業が落ち、善業が出る。 智慧があると、囚われなのだが、 この様に、信じても救われないもんだから、宗教戦争やってんだ。 神から使命を授かっただの、宇宙人と親睦会できるだの、 そんな神のお墨付き(優越感)が崩されんだよ。 どの団体も、自分の教祖が一番というプライドがあるからねェ〜 最近じゃぁ〜、バシャールとかミッチェルとか、自分の宇宙人が一番と思ってる奴もいる。 自分の教祖は裏の天皇だとか、 自分の教祖は前世、釈迦だのイエスだの卑弥呼だのとか、 自分の教祖が映画「マトリックス」を創らせたとか、 がっつり優越感を叩き込まれたものが、巷には多くあるが、 良い事を(信仰を実践)してるが為に、 そんな本物(教祖)がネズミ講(MLM)やったり、 理想の相手に出会えると言いつつも、統○教会制だったりと、 そんな本物(教祖)が犯罪的方向に走り、信者、団体の名誉(優越感)が崩され、 信じて救われるどころか、足元(銭)、掬わるなんて良くある話。 というより、神から使命を授かったなんて言う割には、 救われないもんだから、教祖や信者が暴走して、 MLM(ネズミ講)や偽造体験談とか犯罪に走ってるのかもしれない。 神から使命を授かったなんて、そんな救世主が沢山いるが、 そういう形で優越感を与えられてる事に注意してね! ※自分の使命を簡単に知る方法は、このHPの下方で解いてます。 「使命」で検索(CLT+F)すれば、容易かと思います。 我こそが、、仏陀だの、釈迦だの、イエスだの、 宇宙人と喋るれだの優越感を与えられた者が奴が沢山いる。 これを専門用語で選民思想という。 獣から人に引きあがる為に使用する神の大芝居さぁ〜 ミ○ス論理の144000人の定員(選民)が、どうたら、こうたらとかぁ〜 伊勢白山・リーマンの人類5%運動(5%の選民)が、どうたら、とかあるがぁ〜 もろ、選民思想でさぁ〜 5%の自分達だけが救われる、そんな優越感が崩されるんだ。 感覚的には、うなもんやったところで、 救われるどころか、自分達だけが、地獄に落ちる。 この様に、最善(信仰)は、最悪というカルマ(悪業)を創るが、 カルマ(悪業)なんで、囚われず苦に耐えると、悪業が落ち、善業が出る。 "そもそも、選民の教えとは、禽獣を導く教え。 獣の子が、人の子となるための、仮初の法じゃぞ。 もう、要らないと思うなら、自ら、捨てて下されよ" "それ、ゆえに、ゆめゆめ、忘れて下さるなよ。 親(教祖)と子(信者)が、 互いに獣として、殺し合う日が来るぞ。 それらは、すべて、神が遣わしたと、申しておくぞ" "いま神の子もと人の子、いま獣の子もと人の子。 知恵ある者は解きなされ、神の子、の裏に、獣の子" 簡単に言うと、信者もろとも地獄に落ちるのが、 精神世界の鉄人など、宇宙人とくっちゃべるチャネラーだったり、 これが本物、本物とくちゃべる1+1=∞だったり、 使命さずかった、なんて言う奴らの役なんで、 気を付けてね!! 宗教が、自信満々で、選挙に出るがぁ〜、どいつも、こいつも落選。 プライドが崩されてんだ。 優越感と言えば、恋愛なんかそうで、 功徳なんか積んでると、功徳を積んでるだけに、 ひょっこり理想の相手なんか現れるが、そっから先は、思うようにはならない。 なぜならば、恋愛というのは優越感を与えてくれるものだから。 恋愛というのは、恋敵(ライバル)に打ち勝って得た喜びだから、 そんな優越感(独占欲)か崩される。 偶然、優越感を崩す、恋敵(ライバル)が現れる訳じゃないんだ。 悟りの前段階は、卑屈、嫉妬、妬みだから、 功徳なんか積むと、大抵、男女問題にぶち当たるが、囚われない事だ。 どっかの神だか守護神の話だが、 弟子が、教祖(恋敵)に女を盗られる話があるんだけど、 そいつ、頭に来て、軍隊、引き連れてきて、教祖と一戦交えるつもりだったんだけど、 寸前で、戦争を止めたんだ。それが評価されて、どっかの守護神になったらしい。 寸前で、戦争を止めた理由が分かると思う。 各宗教(スピリチュアル)に応じて、 最善を説くから、最悪も付いて来るで、 対極の宗教が生起し、信者がそっちに流れるなど、 優越感を与えてくれる、お金、仕事、異性、聖地などの 執着対象が奪われ(優越感が崩され)、信者同士で争い、 最善vs最善の宗教戦争(ハルマゲドン)という最悪が付いて来てんだ。 伊勢白山・リーマンの怪しげなランキング操作らしきものによる、 人気プログ第一位は、そういう形で、 第一位(名誉)という執着対象が奪われている。 ノストラダムスやアセンションなど、 教祖に騙された人もいるかと思うが、これも、教祖の話を聞いたりして、 自分にとって良い事と思う事を実践したが為に、 そういう形で、優越感を与えてくれる執着対象が奪われた。と思われる。 こんな感じで、最善は最悪というカルマを創るが、 カルマなんで、そんな苦に耐えると悪業が落ち、善業が出る。 犠牲の裏に再生ありで、犠牲を選んだ方(命を与えた方)に、 天の命が与えられる。天命とか使命とか言われるものだ。 CASE 釈迦 と 弥勒 と 文殊 コウゾウ 釈迦が現れて、弥勒が現れて、文殊が現れる。 どうして、一緒に現れて、済度しないのかね? ゲンドウ 衆生の済度には、種類と段階があるからだ。 コウゾウ 釈迦の司る、王者の済度は、どんなものかね? ゲンドウ 衆生の先を進み、型と成り、民を導くものだ。 コウゾウ 王者として、臣下に対し、手本を示すのかね? ゲンドウ ああ、光り輝ける最善に、心から従わせる。 コウゾウ 弥勒の司る、船頭の済度は、どんなものかね? ゲンドウ 衆生と共に進み、舳に立ち、船を操るものだ。 コウゾウ 船頭として、船員に対し、善悪を説くのかね? ゲンドウ ああ、移り変わる最善を、互いに競わせる。 コウゾウ 文殊の司る、羊飼の済度は、どんなものかね? ゲンドウ 衆生の後を進み、殿を務め、羊を追うものだ。 コウゾウ 羊飼として、迷える子羊を、救い出すのかね? ゲンドウ ああ、戦い疲れた最善を、互いに譲らせる。 コウゾウ つまり、信仰に応じて、最善が説かれるが、 宗教間で、信者が争って、最悪に変っていく。 ゲンドウ ああ、そんな状況で、蜘蛛の糸を垂らされる。 コウゾウ そこで、最悪を捨てて、最善を選ぶのかね? ゲンドウ ほら、ひっかかるな、糸が切れてしまうぞ。 最善を譲らないかぎり、最悪を捨てられない。 コウゾウ ……………………!! 最善 の裏に 最悪 ミサト なぜ、どの宗教も、最終戦争を説くのかしら? リョウジ 宗教により、自らの善に囚われてしまうと、 いずれ、最善を懸けて、戦ってしまうからさ。 ミサト 最善を懸けた、善と善の戦いこそ、最悪なの? リョウジ そうさ、善が生まれると、悪も生れるのさ。 好きを求めていると、嫌いまで求めてしまう。 ミサト 嫌よ、どうしたら、最終戦争を避けられるの? そのためだったら、わたし、何でも信じるわ。 リョウジ それが、逆なのさ、たとえ戦争になろうと、 好き嫌いを言うことなく、何でも受け容れる。 これが、戦争を避けられる、唯一の道なのさ。 ミサト 嫌よ、何でも信じるから、戦争だけはやめて! そのためだったら、わたし、誰とでも戦うわ。 リョウジ まさに、こうして、戦争に導かれるわけだ。 人は、最悪に変るまで、最善を捨てられない。 ミサト …………………… これは、平和というか、自分の理想世界みたいなもの執着しているから、 そんな優越感を与えてくれるものが崩されているいる。 理想世界といえば、どの団体も、 全人類を自分の信者にしようとしてるよね。 そんな、執着(優越感を与えるもの)が崩されるんだ。 偶然に対極の宗教が生起してる訳ではない。 一神教が多神教を創ってんだ。 なんで、統一ロ会みたいなミ○ス論理があったり、 伊勢白山のヘタレリーディングなどの、 地に足が付いてない利の法が蔓延っているかと言うと、 理の法を解いているブライド(優越感)が崩されているとも言えるんだ。 あんで、あんな奴がっ! こっちは真面目にやってのに! なんてね。 真面目(最善)にやって来たプライド(優越感)、 正しい事(最善)をやって来たプライド(優越感)が崩されてると言えるんだ。 この世の仕組みを知り、功徳なんか積むとねェ〜 功徳を積んでこのざまかよ! なんて、へこむ事が1日100回ぐらいあるが、 これなんかまさに、利他(正しい事)を実践してきてるだけに、 正しい事(最善)をやって来たプライド(優越感)、 真面目(最善)にやってきたプライド(優越感)が崩されてると言える。 信仰というものは、まさに、 正しい事を信じ、正しい事をやって来たと言えるので、 そんな局面になるが、囚われない事だ。 このように、最善は最悪というカルマを創る為、 人は神(アセンションなど)を信じても救われないが、 カルマなんで、そんな苦に耐えると悪業が落ち、善業が出る仕組み。 ヒトラーの予言: 人間はイエス・キリストやヤハウェに頼るようになる。 しかし、イエスの救世主など、そんなものは来ない。 私ははっきり言うが、そんな『救世主』は、本当に来ないのだ! 当たってるかもね! 最後の仕組: 先に、選民思想を、植え付けられるが 後に、選民思想を、悔い改めてしまう そのような、本物の選民が現れること そうそう、優越感と言えばミ○ス連中が典型的でさぁ〜 アセンションの鍵は結婚にあった。 なんて言うわりには、こいつら答えを言わないんだ。 せっかく、ミ○ス本だしても、 読者の質問に対して、「答えはセミナーでね」とか、 俺なんか銭、払って、毎回、毎回、セミナーに行く割には、 「今日は、ここまで」なんつって、1年半ぐらい、銭、掬われたよ。 無限リピーター創り作戦と思われるが、 これ、「自分達だけが秘密を知っている」 なんていう優越感がある証拠なんだ。 だから、そんな優越感が崩される。お疲れ様でした。 もはや、そんな秘密、価値すらなくなっている事に注意してね! 俺は、そんな秘密を知らないという短所があるが、 知らないただけに、知っている事をシェア(法施)できる長所がある。 商売してないだけに、そんな慢心(優越感)がなく、 知ってる事をシェア(法施)できる長所があると言える。 お陰で智慧に精通する事が出来るようになった。 そんな感じで、短所の裏には、自分の長所がある。 釈迦牟尼と弥勒菩薩を比べてみよう。 釈迦は頭が良いから、悟るのが速かった。 一方、弥勒菩薩は、65億7000万年後、全ての衆生を救うと言われているが、 それまで、何、してんのよ! と言えば、今だ修行中で、悟ってない未完の菩薩なんだ。 つまり、釈迦と違って、長い間、悟り切れず、苦しんでいるって事だ。 釈迦より、苦しみが多い分、それだけ大勢の人達の苦しみが分かるって事でもある。 それだけ大勢の人達の苦しみが分かる言う事は、 それだけ大勢の人達を救えるって事なんだ。 人より幸せになるのが遅い人は、そんな長所があるって事さぁ〜 ここに来てる人は、そんな人達じゃないかなぁ〜 そんな人達は弥勒菩薩と縁があるかもね。 自分だけが秘密を知っている、そんな慢心(優越感)に似た者として、 俺様は法を、ある程度、解く事が出来るのだが、解けるだけに、 「おまえら職業スピリチュアルと、 おまえら職業宗教に代わって、法を解いてやってんだ」とか、 「おまえら職業スピリチュアルと、 おまえら職業宗教に代わって、教えてやってんだ」とか、 利他の実践(功徳積み)なんかすると、苦に耐える段があるだけに、 「他の為に犠牲になってやってんだ」とか、 「他の為に尽くしてやってんだ」など、 そんな慢心(優越感)が、どうしても生起する。 当然、そんな優越感が、崩され、 こんなに苦に耐えてんのに、このザマかよ!とか、 こんなに他の為に尽くしてんのに、夫は呑気に寝たばかりとか、 教え子に先を越されたり、教え子に裏切られたりとか、 そんな慢心の裏の卑屈を体験したりするが、 悪業なんで、苦に耐えると悪業が落ち、善業が出だす。 おっとっと、善業が出ると言っても、いきなり幸せになるのではなく、 正しい真理に出会って、そこから正しい道に入り、正しい実践をして幸せになるかと思う。 弥勒菩薩の唯識論的に解くと、 あたかも、俺様が釈迦の一元論を解いてるように見えるが、 そうではなく、これを読んでる人が因となり、 そして、このHPが縁となり、結果、これを読んでる人の善業が引き出され、 今、釈迦の一元論を目にしてるんだ。因果の法則ですね。 まぁ〜、ミ○ス論理の様に、 1日で理想の人に出会えるだとか、 眠りながら億万長者とか、 一瞬で一発で幸せを求める気持ちも分かるが、 楽の裏には苦があるからね。 意識的に一瞬で一発の幸せを求めてるので、 意識の裏の意味が無意識に積み重なる。 一瞬で一発の楽の裏は、 いつまでたっても幸せに成れない、 死ぬまで不幸などころか、死んでからも不幸だ。 現実は無意識方向に変化する無常なので、 最初は良かったが、その後奇跡が続かない。 なんて感じてる人は、これが原因かもね。 釈迦の一元論は、 人は良い事をした分、人は幸せになれますよ。 という、カルマの法則だ。 つまり、常に意識的にコツコツと、 善業を積むという努力が伴う実践だが、 努力という苦しみを意識しているので、 無意識に苦が残らない。 やれば分かるが、正しい事というのは苦しい事でもある。 この世には世界の王が沢山いる。 例えば、奇跡のイエスや預言のモハメッドがそうだが どれも条件に合わず、対立(戦争)が発生する。 しかし、誰もが、 ニュートンの万有引力の法則を認めるように、 宇宙人(バシャール)やら、ミ○ス論理やら、ライトワーカーだか、 江原のスピリチュアルや、細木の占いの言う事ではなく、 地に足つけた出口(釈迦の一元論)には、 そんな力があるんだ。 (利でなく理の法、科学寄りの法) これを専門用語で万教帰一という。 この「理の法」を型で見せたのが出口王仁三朗だ。 逆に言うと、今までの「利の法」ではなく、 「理の法」を解く為、 人類は宗教を信じず、 一旦、科学に囚われる必要があったのさぁ〜 これも、人類の進歩の為、人類を科学寄りにした雛型が存在する。 理の法は利の法と異なり、特定の人物を教祖をするのではなく、 全てを神仏の現れと見るから対立が無い。次の水瓶座の時代だ。 ちなみに、この世の仕組みを知り、 六波羅蜜など利他的(慈悲の実践者)な人が増えてるからこそ、 周りの人が、利己的(独占的)な悪人に変わって行く。 富の独占と言えば、ユダヤや、 フリーメーソンやら○スチャイルドやら、 シークレットガバメントやら、 秘密結社の陰謀説が、巷で流行ってるが、 そんなのがあるとして、それも智慧を持ってして見ると、 そんな奴らも、そんな法則に沿って生起した、 神仏、仏の現れと見る事が出来ると思う。 おっと、富の独占と言えば、 MLM(ネズミ講)とか、ネットワークビジネスってのもあるね。 ビジネスってのは、どこの企業も、会社も、 その基本方針は利他的だからねェ〜 だからこそ、 周りの人が、利己的(独占的)な悪人に変わって行くとも言える。 イシヤの仕掛 と メシアの仕組 “この世の、九分九厘を、イシヤが支配するぞ。 残る一厘、おかしいと、気づくもの、現われるぞ。 しかし、石屋の仕掛で、十分の仕組が、見えてこん” 苦を受け容れれば楽が付いてくる、 なんてやるからこそ、 周りの人達が、苦に耐えれない悪人に変わり、 苦に耐えられる善人がいなくなるんだ。 この世は、幸せと言えども奪い合いだから、 苦に耐えられる善人が居なくなると、 何か得する度に、すぐ奪われる事になる。 カルマの返りが速くなるって事だ。 だから、功徳積みには、 苦に耐える忍辱波羅蜜(悪業減少)の段階があるから、 カルマ(悪業)の返りが、 速くなるんだ。 何でもかんでも、受け容れる人は大好き!! なんて、スピリチュアルでやってけどねェ〜 好きな事でお金持ちになんて流行ってたし、 ミ○ス論理では、好きな事が使命に繋がるなんて言ってけどぉ〜 したい事を積み重ねると、 何時の間にか、自分のしたい事が、 自分以外の全ての人にとっては悪い事になっている。 見方を変えると、自分以外の人は、 自分にとって、全部、悪人になっているんだ。 自分だけが善人の独善になっている。 貪りは、この様に対立というカルマ(悪業)を創る。 自分のしたい事は、自分以外の人にとって悪い事だから、 他の協力が得られず、願いが叶わない、独善になるんだ。 無常を究める と 無我を究める 「愚かになれない、私は、ここで、唖然とする。 誰も及ばない最善とは、実に、誰も適わない独善。 善業を究めた、第六天の王座に、悪魔が潜んでいる。」 「信じられるか、至善と独善が、別なのでなく、 至善を究めるほど、独善に極まる、というわけだ。 逆のものでなく、裏のものであると、何たる皮肉か。」 仏教の唯識論に依他起性という教えがある。 これは、自分だけの力で得た物があるか? と言えば、何もないって事なんだ。 職場に行くにしたって、 誰かが作ってくれた車に乗り、 誰かが作ってくれた道を通り、通勤している。 良い事をするにしたって、自分だけの力じゃ〜出来なんだ。 この様に、何をするにしても、 他との相互依存関係にあるのが、この世の仕組みなんだ。 最後は、そんな至善(したい事)を譲り、至高の善とするんだ。 至善を捨て、最悪を捨てるんだ。 至善を捨てない事には、最悪が捨てられない。 自分の善を譲り、善を分配するんだ。 すると周りに自分の善が広がる。 釈迦の菩提心は、王者の済度。 型と成って、民を導こうとする。 自ら彼岸に至り、再び此岸に戻り、 光り輝ける最善に、心から従わせる。 弥勒の菩提心は、船頭の済度。 班に分けて、船を操ろうとする。 自ら先頭に立ち、人の歴史を紡ぎ、 移り変わる最善を、互いに競わせる。 文殊の菩提心は、羊飼の済度。 殿(しんがり)を務めて、羊を探そうとする。 自ら地獄に落ち、欲の底辺を塞ぎ、 疲れ果てた最善を、互いに譲らせる。 殿(しんがり):軍隊が退却するとき、最後尾にあって、追ってくる敵を防ぐ役。最後の人 「3人寄れば文殊の智恵」などと言いますが、 『智恵の菩薩』として有名な文殊菩薩の仏像です。 文殊菩薩が右手に持つ利剣は、 般若の智慧を象徴する法具として、 智恵の光で無明の闇を切り開き、煩悩・怨敵を断ずるとされている。 それに、正しい認識、見解は、ミ○スの 苦を受け容れれば、漏れなく楽が付いてくる。 じゃなくて、 楽と苦は循環しているです。 これが、八正道の正見だ。(正しい見解) 普段、この世は循環していると、 記憶修習(意識)しながら生活(修行)したりすると、 意識の裏の意味が無意識に積み重なる。 循環(輪廻)の裏は涅槃であり、 相対的実感(転生)の裏は絶対的実感だ。 現実は無意識方向に変化する無常なので、 もしかしたら、人生が安定して来るかもしれないね。 というより、どっちでも良いって境地だな。 実際は、十二支縁起を知ってる人は分かると思うが、 四苦八苦、七難八苦と言われる様に、楽よりも苦の方がデカイんだ。 だから、自分は、ずぅ〜〜〜っと苦しい。 と思いがちだが、よ〜〜く、振り返ってみると、 楽と苦は循環しているんだ。 この循環を覚えて置いて欲しいのだが、 それは、独善の裏に至高の善ありだからなんだ。 独善 の裏に 至善 リツコ どんな、善の裏にも、必ず悪があるの。 マヤ 悪に変わり易い善とは、どんな善ですか? リツコ 条件が狭くて、不自然である、独善よ。 他人に悪いだけ、早く自分も悪くなるわ。 マヤ 悪に変わり難い善とは、どんな善ですか? リツコ 条件が広くて、不自然でない、至善よ。 他人に善いだけ、長く自分も善いままよ。 マヤ 長くなっても、必ず、悪くなるのですか? リツコ そうよ、善とは、必ず、飽くものなの。 マヤ そんなの嫌です、本当の善が欲しいです。 リツコ 諦めなさい、そうするより、他にないわ。 マヤ そんな酷いです、意地悪しないで下さい! リツコ あら、諦めることが、至高の善なのよ。 もう、善ではないから、自然の徳かしら。 マヤ 諦めると、至善が自然になるんですか? 本当に、諦めてしまって、善いんですか? リツコ そうよ、それで善いの、自然になるから。 マヤ ……………………!! 最善は最悪に極まるカルマを創るが、 カルマなんで、そんな苦に耐えると、 悪業が落ち、善業が出るで、至善が自然になる。 貪りは対立というカルマ(悪業)を創るから、 執着対象が奪い合いになる。 このとき、対象が愛着ものだけに、 なにがなんでもと、取りに行くが、 この様に、自分の力で得ようとする欲望には、 必ず苦しみが伴うのが、この世の仕組みだ。 さっきも言った通り、 自分が得するとき、必ず誰かが損している。 これが他を傷つけたカルマ(悪業)となって返り、 結局、大損してしまうから。 しかし、この世は、相対(縁起)である。 自分の力というものがあれば 他力がある。 これが、どうやら慈悲というものらしい。 自分の力で得ようとする欲望には、 必ず苦しみが伴うが、対極にある慈悲はどうかな? 慈悲の慈は、他に楽を与えること。 慈悲の悲は、他の苦しみを取り除くこと。 と言われているが、もう少し具体的に、 この世を、ありのままに観ると(八正道の正見)、 そこには、循環の法則(カーラ・チャクラ)がある。 地球の自転とか、昼と夜とか、季節とかあるね。 あらゆる物は、循環しており、 お金なんかもそうだし、突き詰めると、 幸せと不幸、善と悪もそうだ。 見方を変えると、 他の幸福は、自分の幸せと繋がってんだ。 これは、自分の力(人の力)では、 コントロールできるものじゃない。 言いかえると、この循環は、神の意思とも言える。 そうなるように、 人智を超えた力が働いているとも言えるし、 そうなるよう、神が人々を守護しているとも言える。 この循環の法則を簡単に言うと、 自然の力(至高の善)って事さぁ〜 つまりだなぁ〜 自分の力(欲望)で得ようとするのではなく、 そんな循環の法則(自然の力)に身を任せ、 幸せを得ようとするのが慈悲というものらしい。 この様に、苦に耐えながらも、 慈悲(自然)で行きましょうって言うのが、 釈迦の一元論らしい。 循環の法則(自然の力)に身を任せるって事は、 自分で奪った訳でもなく、勝手に向こうから来るって事だからねぇ〜 カルマも発生しないどころか、 他に楽を与え、他の苦しみを取り除いてるので功徳になっている。 この様に、循環の法則や自然の力に身を任せ、 慈悲の心で、役割や智慧など、精神的利益(法施など)を分かち合い、 財や富など、物質的利益(財施など)も分かち合う。 これが、六波羅蜜の利他実践だ。 おっとっと、これも良かれと思い、 役割を分かち合う慈悲を実践するからこそ、 なにやら、怪しいポイントによるランキング操作で、 人気プログ第一位を独占する伊勢白山のリーマンとか、 役割を独占する悪人が出てくるが、囚われない事だ。 この循環の法則の中で、 全ての人が、幸福を満たし切れますようにってのが、 釈迦の一元論でもある。 無限の欲も、いつまでも無限のままなのかと言えばそうではない。 無限も実体のない空だからね。 例えば、焼き肉が好きだとしよう。 そんな焼き肉を毎日たべてたら、そのうち、飽きるでしょう。 論点 渇望なき充足とは何か 膨大な功徳によって、必需品は全て揃う。 全て揃い充足するが故に、渇望することがない。 渇望することがない故に、自ずと煩悩は滅尽され、この世から遠離する。 だから、仏典の「三明経 第一章」には、 梵天が、妻を持たないように、妻を持たないか。そんな記載がある。 人ってのは、思い残しなど、執着(カルマ)があるから、 また、死んだところから始まってんだ。 十二支縁起を、簡単に触れてみよう。 執着(カルマ)があるから、意識(心)があり、 意識(心)があるから、感覚(イメージなど)があり 感覚があるから、目、鼻、口など身体(生まれてくる)があり、 身体があるから、執着(カルマ)がある。 この様に、何でも相互依存関係にあるのさぁ〜 一番最初を執着(カルマ)と書いたが、 これは、無明とか無智とか言われてるものだ。 釈迦の一元論は、この無智を智慧に変える。 だから、当然、それに繋がっている意識(心)も、身体も変わってくる。 俺様の場合、なぜか歳のわりに若く見らる事が多いね。 ミ○ス論理のDNAの意識が、どうたら、こうたら、じゃないからね。 これは、そんなDNAを超えた話だ。 だから、功徳を積むと、六つの神通が備わると言うが、当たってたりしてね? だんだん、超能力(サイキック)が解明されてきたね。 この逆もありで、最近では、ヨーガ体操とか流行っているが、 これは身体修行って呼ばれるもので、 身体と心は繋がっているから、当然、意識(心)も変わってくる。 ただ、その目的を誤れば、 涅槃の心は得られず、苦しむ事になるから、気を付けてね!! その目的を思索するのが、修行ってもんでもある。 そんな感じで、役割を独占する奴が現れるが囚われない事だ。 さて、この世の仕組みを知り、 六波羅蜜や密教瞑想で、 功徳(利他の実践)を積みと、どうなるか? 利他的な人が増えるが為に、 周りの人が、利己的で独占的な悪人に変わって行く。 さぁ〜、さっきも言ったが、、富の独占と来たら、 やれ、ユダヤが、どうたら、こうたらとか、 フリーメーソンとか、シークレットガバメントが、どうの、こうのと、 秘密結社の陰謀説が、お約束だが、 そんなもんがあるとして、 偶然に、そんな悪人がいる訳じゃないって事だ。 イシヤ という メシア リツコ すでに、九分九厘、イシヤに支配されているわ。 人類は、残る一厘、メシアの仕組をさとらないと。 マヤ 何を解いて、イシヤは、世界を治めるのですか? リツコ これよし、あれあし、という、われよしの考えよ。 マヤ 何を説いて、メシアは、世界を収めるのですか? リツコ これよし、あれよし、という、みなよしの教えよ。 マヤ つまり、世界の九分九厘が、利己的になる中で、 一厘だけが、利他的になる、それが、最後の仕組? リツコ それでは、一厘だけで、十分にはならないのよ。 富士を悟らないと、鳴門に至れない、尾張の仕組。 マヤ 富士、つまり、不二とは、どういう意味ですか? リツコ 不二とは、イシヤとメシアが、一つになることよ。 マヤ 鳴門、つまり、成十とは、どういう意味ですか? リツコ 成十とは、九分九厘と一厘で、十分になることよ。 マヤ つまり、九分九厘のイシヤを、許さない限りは、 一厘のメシアが、十分になれないってことですか? リツコ そうよ、イシヤこそが、メシアの裏の顔なのよ。 マヤ いやです、イシヤなんかと、仲良くできません! イシヤって、悪魔を崇拝する、あの666ですよ! リツコ あら、最後の仕掛に、綺麗にひっかかったわね。 そんな考え方をしている限り、あなたもイシヤよ。 マヤ …………………… 最善は最悪という悪人を生むカルマ(悪業)を創るが、 そんな苦に耐えると、悪業(カルマ)が落ち善業が出るで、 一厘の仕組みを言ってしまえば、 そんな悪人(六六六)が慈善事業とか善人に、 変わる仕掛けさぁ〜 五六七 という 六六六 シンジ 君なら、誰が、弥勒なのかを、知っているよね。 僕は、救世主を信じたいんだ、だから、教えてよ。 カヲル 教えられて信じても、自分を信じただけなのさ。 信じたいと信じるけど、信じたくないと信じない。 彼の善い名は信じるけど、彼の悪い名は信じない。 シンジ えっ!? 弥勒には、善い名と悪い名があるの? カヲル そうさ、世界の雛型だから、善悪を包含するのさ。 人類には、それが、分からないから、分けてある。 シンジ ふ〜ん、じゃあ、弥勒の善い名って、なんなの? カヲル 弥勒は、五十六億七千万年後、人類を済度する。 そういう、善の姿をして、五六七と呼ばれるのさ。 シンジ ふ〜ん、じゃあ、弥勒の悪い名って、なんなの? カヲル 裏を返せば、その間はずっと、人類を統治する。 そういう、悪の姿をして、六六六と呼ばれるのさ。 シンジ つまり、それが、欲六界の第六番目の第六天界。 堕天使の果たす役と、同じだって、言いたいわけ? カヲル そうさ、実は、五六七と六六六は、表裏なのさ。 シンジ ははは、なかなか、面白い冗談だよ、カヲル君。 冗談はいいから、早く教えてよ、誰が、弥勒なの? カヲル …………………… 目的が分かっていても、どうすれば幸せになるのか? その手段(男性原理)を誤れば不幸になるし、 その手段が分かっていても、目的(女性原理)が違えば、これまた不幸になる。 このHPは、こんな感じで、 恋愛や夫婦関係を突破口として さまざまな問題や人間関係問題を解く事が多いが、 偶然そうなってる訳ではなく、 俺様自身、智慧の修行に入って、功徳を積みだしてから、 恋愛について、同じ苦しみを何度も受けたりしているからだ。 これは、俺様の執着、カルマと言ってしまえば、それまでだが、 俺様が解く法について、まだ、まだ、 その手段(男性原理)と目的(女性原理)が和合せず、 手段である智慧と方便に矛盾点があるからだ。 そんな矛盾点の投影が、男女問題という形で叩きつけられてる。 ひっこり、理想の相手が現れ、近づこうものなら、 毎回、毎回、邪魔(恋敵)が入ったり、終いにゃ〜、奪い盗られたり、 これを、何度も繰り返してたりする。 いい加減、疲れたぜェ〜 べつな言い方をすると、 悟りの一歩手前の階は、嫉妬や妬みなんだ。 チャクラで言うと、悟りの頭上チャクラがあって、その手前が首のチャクラで、 ここが、まさにネック(詰まる)となる。 簡単に言うと、幸せに成ろうとすると、 必ず、男女問題など、嫉妬、妬みという壁にぶち当たるって事だ。 ※人によっては、お金だったり、名誉だったりします。 なぜなら、幸せにないたいなどの貪り(煩悩)は、 嫉妬、、妬みのカルマ(悪業)を創るからだ。 別な言い方をすると、貪りは執着というカルマを創るんだ。 なかなか、理想の相手と出会えない。 出逢えたとしても、なかなか理想の相手と結ばれない。 いつも異性に裏切られる、夫婦関係や親子関係に問題がある。 なんて人は、自分の持つ、智慧と方便が和合してない可能性があるんだ。 では、智慧(女性原理)を磨き、手段と目的を和合させよう。 何でも2つ。得を願うって事は、得と損を求める事なんだ。 何故かと言うと、得するとき、必ず、誰かが損している。 これが、他を傷つけたカルマ(悪業)となって返り、結局、大損してしまうんだ。 最近では、小室哲哉が、良い例だねぇ〜 ちょっと前までは、ライブドアが、良い例で、 せっかく、得して、株を買ったのに、大勢の人が大損した。 これを諸行無常と言います。 この様に、この世の、あらゆるもは、 実体のない空であり、無常(変化する)なんだ。 自分と他人は苦楽表裏一体の関係性があるって事さぁ〜 だから、愛と財だかで、MLM(ネズミ講)をやると、 そんな、他に与えた傷が返り、大損して終わる事になる。 日本のGNPは高いって聞くね。 その分、他国が苦しんでるって事さ。 そんなカルマ(悪業)が返り、911が日本で起きても、おかしくないんだよ。 近では、リーマン・ブラザーズが破綻し せっかく、大学まで行ったのに内定取り消しで、 つぶれない企業の見分け方を教えてほしい なんて、相談も出てるぐらいで、 国内の各大手メーカは、大規模な人員削減を次々と発表してる。 これから、分かる事は仕事も奪い合いであり、 好きな仕事に内定したとき、必ず、誰かか職を失ってる。 これが他を傷つけたカルマ(悪業)なって返り、 結局、不況で職を失ったりする。 せっかく、セミナー講師として起業したのにね。 無限に職が、ある訳でない。 歳を重ねる度に、だんだん会社に居ずらくなったり、 歳を重ねる度に、人間関係など問題が発生し、会社を辞めたくなったり、 歳を重ねる度に、再就職が難しくなるのは、 そんなカルマ(悪業)かもしれない。 いっとき、好きな仕事で「お金持ちに」なんて流行ったし、 ミ○スでは、好きな仕事が使命に繋がるんです。 あの、松下のおっさんも使命で幸せになれたんです。 好きな仕事を続けていれば、他に感謝されるんです。 使命、もたなぁ〜、あかん!! なんて言うが、全部、 救世主の幻想なんだよ。 感謝されるどころか、職を失う。 簡単に使命を知る方法は、後ほど解きます。 スピリチュアルなんかでは、 100%自己実現とか、思い通りの人生なんてやってけど、 古事記に、須佐之男(スサノヲ)が大暴れした時、 天照大御神が岩戸に隠れる話があるように、 自分が思い通り生きたとき、必ず、誰かの自由を束縛するんだ。 これが、他を傷つけたカルマ(悪業)として返り、 結局、自由が束縛される。 夫婦喧嘩なんかこれかなぁ〜 恋愛といのは、ある程度、互いの自由を束縛し合って成り立ってんだ。 恋愛だけでなく、家族、会社、社会など、 団体生活そのもののが、そうなっている事に注意してね!! この世は、幸せと言えども奪い合いって事さぁ〜 この様に、自分と他人は苦楽表裏一体の関係性があるんだ。 もっと、言うと、 自分と自然、自分と地球、自分と宇宙は苦楽表裏一体の関係性にあるんだ。 せっかく、高い銭を払って、個人セッション受けたのにね。 お疲れ様。楽の裏には苦があるんだ。 そして、恋も奪い合いです。 理想のタイプって、大体、みんな同じなんだ。 だから、釈迦の予言書と呼ばれる法滅尽経でも解かれてる様に、 恋も奪い合いであり、 自分が理想のパートナーに出会えたとき、 必ず、誰かがパートナーと出会えなくなる。 これが、他を傷つけたカルマ(悪業)となって返り、 ワイドショーでお馴染みですが 結婚直後、旦那が急に愚痴の多い嫌いな人に変貌したり、 結婚直後、旦那が急に働かなくなったり、 お金持ちと結婚したはずが 結婚直後、旦那の会社が倒産し嫌いな貧乏人に変貌したり、 綺麗な人と結婚したはずが、事後や病気で、寝たっきりの、 醜い姿に変貌したりの悪人に変わる。 愛情の裏に憎悪ありなんだ。 なぜ、愛情の裏に憎悪ありかと言うと、 恋も奪い合いだからさぁ〜 一年たらずで、離婚する人って多いよね。 マリッジコードミ○スでは、 この宇宙は、プラスとマイナスが 分かれた型で存在するとかで、 例えば、男性だと、その内側には母親から、受け継がれた、 女性的要素も引き継がれている。 なんで、その片割れが、この世に、必ず存在していて これが、究極のバートナーであり、 究極のバートナーをGETすると、漏れなく絶対平和が付いてくる。 (その片割れが奪い合いになっている) 必ずパートナーが存在するなんて、 必ずという絶対も実体のない空だからね。 変化(無常)してるんだ。 起源経 「彼らは、身分の差が無く、同じ姿を持ち、 光輝を放ち、空中を歩き、歓喜を食べていた。 そこは、日もなく月もなく、男も女もなかった。」 --- 省略 --- 「貪るほど、体は硬くなり、光は弱くなり、 初めは等しかった身体に、違いが現れ始めた。 そして、性別の差が現れて、情愛の心が現れた。」 「そして、彼らの中に、男と女が生じると、 互いに見つめ合って、互いに絡み合い始めた。 その様子を見ると、他の者は汚物を投げ付けた。」 「現在では正当でも、当時では不当である。 現在でも、花嫁に汚物を投げる風習があるが、 それは、意味が忘れられた、当時の名残である。」 男も女もなかったというのは 男と女は一つだったなど、解釈によっては、 マリッジコードミ○スの言うように 恋は奪い合いではなく 必ず自分のパートナーが存在していた。 と、言えるかもしれない。 しかし、そんな世界を維持するにも条件が必要となる。 この宇宙は、原因と結果と条件で成り立っている。 例えば、種(原因)が花(結果)となるには、水と光を与える事が条件となる。 恋は奪い合いを認め、 他を傷つけた分、恩返したりの、 善業を積む事が条件だったんだけど、 自分と他人は繋がっている事を、すっかり忘れてしまった。 汚物を投げ付けたというのは、 自分が理想のパートナーに出会えたとき 必ず、誰かがパートナーと出会えなくなる。 これが、他を傷つけたカルマ(悪業)となって返り、 汚物を投げ付けられただな。 情愛の心が現れたというのは、 まさに、好みのタイプってのが発生したって奴だ。 しかも、好みタイプってのは、皆が同じタイプを好んでるので、 奪い合いになってる 最近は結婚ブームで、 就職活動=「就活」に対する言葉として 結婚活動=「婚活」という言葉があるぐらいだ。 マリッジコードミ○スに参加するのも積極的な結婚活動である事に注意してね!! ちなみに、そんなセミナーに頼るの良いが、 頼ると徳(善業)を消費するんだ。 徳(善業)を消費すると、善業だけに、良い事もあるが、 それだけは済まず、次は嫌でも、悪業が引き出され、 良い思いした分、苦しい思いもする。 つまり、人は自分の力でしか、幸せになれないし、 自分の力で、幸せになる力(仏性)があるって事なんだ。 そんなセミナーに参加するのも良いが、 恐らく、高い銭を払った割には、 仲間どうしで、理想の相手が奪い合いになって、 悲しい思いをするだけだから、 気を付けてね!! 愛と財じゃなくて、 愛情の裏に憎悪で、財の裏の才(徳)だ。 突き詰めると、 人ってのは、他を傷つけずには生きていけない動物って事なんだ。 生まれる時は、母親のお腹を痛めつけ生まれ、 最近では、育児ノイローゼの親も増えた。そんなカルマも返るからねェ〜 ただ、生きてるだけでは悪業しか積まさらず、 また、ただ煩悩を満たして生きるだけでは悪業しか積まさらず、 そのうち、そんなカルマ(悪業)が返り、 嫌いな人と仕事をするハメに遭ったり、 MLM(ネズミ講)の勧誘等、 ミ○スで、したくない事を、しなくては、ならなくなったり、 やがて、求めても得らない一切皆苦を体験してしまう。 だから、必要以上のものは貪らず(悪業を増やさない) 同時に、善業も積みましょう。ってのが釈迦の一元論なんだ。 恋愛について言うと、恋愛というのは、 異性を利用し、自分が癒されたいという心(エゴ)の動きだ。 突き詰めると、身体を持って、人として生まれた以上、 人には、そんな、やめられない悪業があるって事だよ。 なぜ、ミ○スの様な、へんちくりんなものに人が集まり、 お約束通り、人が騙され不幸になるのかと言えば、 この世は、類は類を呼ぶだでぇ〜 他人を利用し、幸せになれば良いと思っているから、 他人を利用し、幸せになれば良いって集まり、 他人を利用し、幸せになれば良いって奴に騙される。 何度も、異性に騙されたり、 何度も、異性に裏切られ離婚したり(他に奪われたり、異性に裏切られたり)、 そんな経験がある人は、そんなカルマ(悪業)かもしれない。 ミ○スの体験談で、 何度も、結婚と離婚を繰り返した。 なんて、あったけど、これっぽいよね。 しかしながら、人には、異性を利用し、 癒されたいという、止められないカルマ(悪業)が、あるのならば、 せめて、生きてる間は良い事(恩返し)をしようってのが、釈迦の一元論だ。 だから、AIDS(エイズ)は、そんなカルマ(悪業)なのかもしれない。 ちょっと、すったらセミナーに行く前に、冷静になって自分を内省した方が良いかもね? なんせ、この世は、類は類を呼ぶだ、似たような奴が集まる。 悪人正機を書いた親鸞の話だが、、 性欲を捨てようと、頑張ったが出来なくて、 それを見かねてか、ピロロ〜ンと神様が現れて、 「私が、女性に変化するから、その女性と結婚しなさい」 と、親鸞に言ったらしい。 この、ピロロ〜ンの話は、まさに、 人には性欲など、やめられない悪業(カルマ)があるって事さぁ〜 それは、人によっては、お酒とかギャンブルとか不倫かもしれない。 そこんところを自覚し、人として生きてる間は、 出来るだけ、他に良い事をしよう、善業を積みましょう。 これが、釈迦の一元論でもある。 だから、仏典には、夫や妻への奉仕(恩返し)がある。 偶然に、妻への扶養義務(恩返し)が、この世に存在してる訳じゃないんだ。 梵志陀経 第一章 あるとき、わたしは、このように聞いた。 ある日のこと、仏陀は、ラージャグリハの、 カランダカニヴァーパに、止まっておられた。 その地には、ダーナンジャーニが暮らしていた。 サーリプッタは、ダーナンジャーニを訪れ、 親しく挨拶すると、友として会話を交わした。 彼ら二人は、以前から、仲の良い友人であった。 「友よ、怠惰にならず、修行をしているか。」 「尊者よ、私は、妻や子を養わねばならない。 何故に、君と同じように、励む事ができようか。」 「尊者よ、家を出るなら、免れ得るものも、 家に在って、免れ切れない、七つの義がある。 それでは、この七つの義務は、如何なるものか。 第一の義は、妻子に対する、義務のことである。 第二の義は、友人に対する、義務のことである。 第三の義は、親族に対する、義務のことである。 第四の義は、客人に対する、義務のことである。 第五の義は、先祖に対する、義務のことである。 第六の義は、神々に対する、義務のことである。 第七の義は、王族に対する、義務のことである。」 これが、釈迦の一元論で、次元上昇してんじゃ〜 ないからね!! ミ○スでは、人は本能で異性を求める。 だから、この世に意味などない。 と言いますが、それを言うんだったら、 人は本能で、正しい結婚、正しい恋愛を求めるって事だよ。 ピロロ〜ンの話は、人は身体を持って生まれた以上、 性欲など、人には、やめられない悪業(カルマ)があるって事だが、 なんで、そんなカルマがあるかと言うと、 育てられた以上、育て返すというカルマ(恩返し)があるからだ。 だから、人は本能(無意識)で異性を求めるようになり、 結婚し、子を育てるのかもしれない。 煩悩即菩提というが、性欲も、 このように智慧をもってしてみると、カルマからダルマに変わる。 こうなると性欲(煩悩:エゴ)も善業となる。 これが、大乗の次の段階である全肯定の密教であり、 ヨーガでいう生起次第の次の段階である究竟次第だと思われる。 煩悩 の裏に 菩提 ミサト 悟りを開くためには、煩悩を捨てるのよ。 リョウジ いや、煩悩は、捨てるより、越えるのさ。 煩悩が強いほど、菩提も強くなるからな。 ミサト えっ!? それって、どういうことなの? リョウジ 煩悩は、実感を求める、貪りのことで、 菩提とは、実感を越えた、悟りのことだ。 そもそも、どうして、煩悩を捨てるんだ? ミサト 貪りこそ、悟りの煩い、になるからよ。 リョウジ 我がために貪るから、煩いになるのさ。 他人のために貪るなら、煩いにならない。 そもそも、どうして、菩提を求めるんだ? ミサト 自分の苦しみから、抜け出したいからよ。 リョウジ 我がために貪れば、菩提も煩悩になり、 他人のために貪れば、煩悩も菩提になる。 ミサト そっか、煩悩も、使い方、次第なのね。 リョウジ ああ、まさに、それを悟るのが、菩提さ。 ミサト ……………………!! 2元性を超える為とか 自分を知る為とか 分からない事をパートナーに聞く為とか 自分に合った仕事を知る為とか、 異性を利益目的に使う、ミ○スの新しい結婚やってんじゃ〜 ないんだよ!! この世は、類は類を呼ぶだでぇ〜 利益目的のミ○スの結婚学(新しい結婚)も良いがぁ〜 他人を利用し、幸せになれば良いと思っているから、 他人を利用し、幸せになれば良いって集まり、 他人を利用し、幸せになれば良いって奴に騙される。 ちなみに、煩悩も菩提にする智慧も、 独立して存在しておらず、他との相互依存関係で、 縁起して生起する。 何処の何様と縁起してるかというと、 六波羅蜜の忍辱波羅蜜です。 苦しみに耐えまくると、そんな智慧が生起します。 .....戒を持する念 と 戒を辞する念 「玄徳よ、波羅蜜の第三、忍辱波羅蜜とは、何か。」 「尊師よ、忍辱の徹底、即ち、苦に耐える段、かと。」 「玄徳よ、忍辱の段階、持戒とは、如何なる念か。」 「尊師よ、欲に溺れないこと、戒を持する念、かと。」 「玄徳よ、持戒で、念が強まるのは、如何してか。」 「尊師よ、欲に流されずに、耐え続ける、からかと。」 「玄徳よ、忍辱の段階、辞戒とは、如何なる念か。」 「尊師よ、戒に溺れないこと、戒を辞する念、かと。」 「玄徳よ、辞戒で、念が強まるのは、如何してか。」 「尊師よ、戒に囚われずに、堪え続ける、からかと。」 「玄徳よ、絶えて、忍辱が窮まると、如何なるか。」 「尊師よ、外の法で、抑え付ける、戒が必要になる。」 「玄徳よ、耐えて、忍辱を究めると、如何なるか。」 「尊師よ、内の方で、湧き上がり、戒が不要になる。」 「玄徳よ、すなわち、忍辱による果報とは、何か。」 「尊師よ、しても良い、せずも良い、自在の心かと。」 「妙なることだ、玄徳よ、稀なることだ、玄徳よ。 忍辱を究めよ、その果報により、精進に極められる。」 破戒 ... 守るのが損だから、破るのが得になる。 辞戒 ... 守るのは得だけど、破るのは徳になる。 お金持ちに成りたい。 あれが欲しい、これが欲しい。 あれがしたい、これがしたい。 そんな楽しみは、全部、貪り(エゴ)ですが、 智慧を持ってすれば、悪業ではなく善業になるんだ。 こうなると、楽しむ事も、煩悩(貪り)も功徳となり、全肯定となる。 自分が耐え難きに耐えまくって得た、 そんな智慧は、このHPの最後に解いてます。 先ずは、教学です。 少々長いが、 全体の為になる話を聴く事や、 読む事、見る事は、功徳になるからね。 この不況で、どこも節電などの節約を行ってると思うが、 地球環境問題を考慮すると、それは全体の為になってるんだ。 意識的に、全体の為になる事を行ったり、 好きとか、嫌いとか、プライベートよりか、 全体の利益を優先すると、 無意識に意識の裏の意味が積み重なる。 全体の利益の裏は、個人の利益だ。 現実は無意識方向に変化する無常なので、 やがて、利益が還元されたり、プライベートが優先される。 だから、必要以上の貪りは抑えろと言うが、 その逆に、法や真理は、大いに貪りなさいと言ったりする。 それは、全体の為になるからさぁ〜 だから、願いにも正しい願いというのがあって、 全体の利益の為に、起業したり、 全体の利益になる願いは、嫌でも自分を幸せにするが、 個人の利益を願ったもの、嫌でも全体の為に損して終わる事になる。 ミ○スでは、何でもかんでも、 オーダーするれば、願いが叶うって、やってけどぉ〜 救世主の幻想です。 例えば、誰もが、東京大学など、 良い大学に入りたく、誰もが神に合格祈願をするが、 全員が合格できる訳じゃないので、 それでは、神も願いを叶えようがない。 じゃ〜、どんな人を合格させるかと言うと、 大学に入り、その知識を他の為に活かそうと考えてる人だ。 さてさて、恋も奪い合いである。 ミ○スの新しい結婚はぁ〜 2元性を超える為とか 自分を知る為とか 分からない事をパートナーに聞く為とか 自分に合った仕事を知る為とか、 異性を利益目的に使うが、 そんなんで、理想の相手と出会え、結ばれるでしょうか? そんなんで、夫婦関係が良くなるでしょうか? そんなんで、人間関係が良くなるでしょうか? 互いに利する夫婦関係を順縁というが、 他(異性)を利する為に、理想の相手と出会えますように。 なんて、願うと理想の相手と結ばれたりしてね。 おっとっと、人には育てられた以上、育て返すカルマがあるんで、 結婚し、子育てをしたい。 そんな人は、理想の相手と結ばれやすいのかもしれないね。 ミ○スでも、一部の人は結ばれてるらしいが、そういう人だったりしてね。 もう少し、詳しく解こう。 ミ○スでは、教祖がMLM(ネズミ講)を超能力で、 日本に広めた先駆者らしく、信者にMLM(ネズミ講)をやらせてるらしいけど、 そこでの質問に、こんなのがあったんだ。 お金持ちに成るのは良いけど、 底辺(ダウン)の人は、どうなるの? そんな質問に対して、ミ○スの教祖は、逆ギレ!! つまり、質問に答えれなかったってこと。 ようするに、MLM(ネズミ講)なんて、良心が納得してないって事なんだ。 自分の神様的な部分である良心が納得してない。 裏を返すと、 自分の良心(神様的な部分)など、 自分の全部分が納得した正しい願い(心から求めた願い)は叶えられやすい。 なぜなら、仏教の唯識論に依他起性という教えがある。 これは、自分のだけの力で得たものがあるかというと、 そうではないって事なんだ。 職場に行くにしたって、誰がが作ってくれた車を使い、 誰かが作ってくれた道を通り、職場に行っている。 願いも同じで、自分だけの力では、叶えようがなく、全体の力が必要なんだ。 じゃ〜、そんな全体の力は何かと言うと、 自分の良心的な部分など、自分の全部分の投影が、全体の投影なのさぁ〜 だから、自分の良心的な部分など、 自分の全部分が納得した願いは叶えられやすいんだ。 このように、 正しい願い(心から求めた願)は矛盾がなく、 その分、集中してるので、火事場のクソ力というが、 集中した無意識(潜在意識)の力はデカイんだ。 ミ○スでは、素直になって、受け容れなさいというが、 釈迦は、そうではなく、 自分の言う事も含め、良く考えて、 納得したら(確かめたら)実践しなさい。 と言っていたらしい。 納得もせず、ミ○スのように、実践したって、 願いが叶わない理由が、おわかり頂けましたでしょうか? それが、MLM(ネズミ講)だったり、 理想の相手と出会えるといつつも、 拘りを捨ててなんつって、 理想でもない相手と結婚する統一ロ会制だったりしたら、大変だ。 さぁ〜、そんな教祖を自分が納得できるか良心に問いてみよう。 怪しい団体は、20年、30年、人生を棒に振るだけだ。 ちなにみ、ミ○スでは、2年で幸せにするからと、 MLM(ネズミ講)を信者にやらせた割には、 2年後、誰も、幸せになれず、救われるどころか、足元、掬われたらしい。 与える方向は、無限に意味があるから、 これが答えというものはないんだけど、 そんな事(意味)を思索するのが修行ってもんなんだ。 基本的に愛(理想の相手)が欲しけりゃ〜、 愛(慈悲)を与えない事には、愛(理想の相手)が与えられない。 なので、先ずは教学です。 この世は、幸せと言えども奪い合いである。 ありのままの真実を認め、 他を傷つけた分、他に恩を返す善業を積む。 奪い合いを意識(ありのままを意識)して、善業を積むので、 意識の裏の意味が無意識に積み重なる。 奪い合いの裏は与え合いだ。 現実は無意識方向に変化する無常(空)なので、 やがて、与え合いの現実を意識する事になる。 おっとっと、 意識的に、必要以上の貪りを抑えるので、 意識の裏の意味が無意識に積み重なる。 必要以上の貪りをしないの、裏は、 必要以上の贅沢だ。 現実は無意識方向に変化する無常なので、 与えた以上のものが手に入ったりしてね。 自分の場合、100万円が入ったりした。詳細はここでね。 基本的に、この世の仕組みからして、 お金が欲しけりゃ〜、他に、お金を与えれば良いが、 理想の相手(愛)となると、そうはいかない。 七支分の供養法というのがある。 具体的には、水とか花、お菓子など、神棚などに置いて、 それらを、神(他)に与える供養の実践なのだが、 この、水とか、花とか、お菓子は、五感が感じる、楽しいものを象徴しており、 五感が満足するものを神に与える実践なんだ。 愛を五感が感じる人つの感情と考えると、 花なんか、そんな愛を象徴してり、 他(神)に愛を与える実践しているともいえるし、 日常的に言えば、ペットや植物を育てるのも、愛情を与えてる事になる。 基本的に、愛(理想の相手)が欲しけりゃ〜 愛(慈悲)を与えない事には、愛(理想の相手)が与えられません。 詳しい事は専門家に任すとして、 ここのHPは、嫌いな人も智慧をもって、 神仏の現れとし受容(慈悲)していきます。(愛を与えていきます) それでは、マリッジコードミ○スの、 結婚にすべての秘密があった!! アセンションの鍵は結婚にあった!! 夫婦関係=経済関係 夫婦関係が良くなれば、漏れなく収入もUPするっ!! なんて、長年、5次元夫婦のジャッチしない作戦を実践してるが、 一向に理想の相手と出会えないし、 一向に離婚の危機から脱出できん! もぉ〜、親子関係が、めちゃ、めちゃ!! おかいしいわぁ〜 収入がUPするどころか、 気づけば、セミナー参加費と交通費と教材費ばっか飛んでるわぁ〜 そんな人に、 意識と無意識(潜在意識)の関係を解きます。 ミ○スのジャッチ作戦とは、 例えば、綺麗な女性とか、 理想の男性を見かけたとする。 あぁ〜、あんな人と出会えたらなぁ〜 でも、自分なんか、どうせ駄目! あかん、あかん! ジャッチしたら、あかんねん! 自分を認めてない。 自分を認めてないから、認めらない。 これ、一体、何してるかと言うと、 意識的にジャッチして、 意識的にダメな自分を隠してんだ。 だから、意識の裏の意味が無意識(潜在意識)に積み重なる。 隠すの裏は出現だ。 現実は無意識(潜在意識)方向に変化する無常なんで、 隠した自分が現れ、 誰も、自分を認めてくれない。 そんな体験をしてしまう。 昨年あたりからメルマガで 「セミナーに人が来てくれない!」 なんて言い出し、 誰も、自分を認めてくれない不幸が ミ○スで既に始まっている。 そして、 理想の相手と結婚できるのが、 ミ○スと言いつつも、 理想の相手じゃない人と結婚させている。 それは、 人はぶつかり合い、他を受け入れない。 ”拘り”は自分を支配し、自分を見失う。 素直にミ○スの位置に立とう! ”拘り(理想)”を捨てあるがままに。 なんて、やってるらしいからぁ〜 実際、奴ら御自慢のメルマガを読むと、 その人、そこで、「あなたは私の究極パートナーです」なんて、 告白されたが、理想のパートナーでなかったゆえ、 仲間にも「3次元的には理想のパートナーでなかった」と言っていたが、 拘り(理想)があったとかで、拘り(理想)を捨て、 理想でもない人と結婚したそうなぁ〜、なんかぁ〜、統一ロ会みたいだね。 3次元的って、何いってんだか、さっぱり、わからんが、 意識的に拘りを捨てたので、無意識に拘りが残る。 現実は無意識方向に変化する無常なので、 結局、最後(死後)は、 やっぱ、理想の人と結婚したい! と、隠した執着(無意識)が現れる。 人は死後、そんな執着(無意識)を持って生まれ、 死んだところから始まり、輪廻を繰り返す。 無意識に残した業は死後も継続される。 この場合、理想を言えば、 理想のタイプではなかったが、一緒に仕事など、しているうちに、 相手の良い所が見え始め、惚れたというのが、正しい型だと思われる。 ちなみに、後に説明する六波羅蜜は、 自分の良い所(善業)が他に投影される修行でもある。 一緒に仕事など、しているうちにというのは、 まさに、今あるものが、その様に変化した事に注意してね!! まぁ〜、これが理想の型かもね。 これは、他から奪った訳ではないので、カルマも少なく、 その後の結婚生活が長続きするって事でもある。 入菩提行論 第八章 およそ、巡り合えないと、心は不満になる。 万が一に、巡り合えようと、心は満足しない。 彼らは、一時の喜悦のために、永遠に苦悩する。 愛し合う者は、愛する者を探し求めるため、 この輪廻を、厭い離れることを忘れてしまう。 彼らは、永劫なる業の為に、永遠なる法を失う。 だから、 俺が知ってる世界の王は病気(カルマ)で死ぬ間際、 もし、生きてたら、こんな人生じゃない。 俺は世界の王だ! なんて、自分の執着(無意識)を思い出し、 元気になって、この世に戻った。 死んだところから始まったんだね。 神から何や授かって戻った訳でもないし、 スピリチュアルの「自分で、この人生を選んで来た」は 嘘。 そんな執着が無ければ、この世に生まれず涅槃する。 死んで気づいたら、 四つ足に成ってたわぁ〜 ねんてぇ〜のが、正味な話さぁ〜 世界の王に限らず、病気で医者に見放されたが、 お笑番組を見たりし、笑うようにしたら病気が治った。 そんな話は、沢山あり、あたかも、 プラス思考が奇跡を生んだように見えるが、 そもそも、そんな執着があるから、そんな事をし、 死んだところから始まったんだ。 その世界の王だが、 ユダヤの銭をオープンにする使命が与えられ、 生き返ったらしい。 オープンって、 あなた、バカぁ〜! それは、隣のおっかっちゃんの銭をオープンにする。 なんて、言ってのと同じ。 人の銭をコントロールしようなんざ、 間接的な盗みなんだよ。不偸盗の戒だ。 そんな心だから、勧誘で他の銭を操る、 MLM(ネズミ講)を平気でやるんだ。 ちなにみ、俺は、愛と財だかで、 ミ○スの奴らのMLM(ネズミ講)で、 2年間、救わるどころか、銭、掬われたちゃったん!!。 詳しくは、かごめ、かごめの法則でね。 その銭は、どう使おうがユダヤ人の銭だ。 その銭をオープンにするかどうか? 決めるのもユダヤ人だ。たとえ悪く使おうがね。 なぜなら、 海援隊: 俺は議論はしない、議論に勝っても、 人の生き方は変えられぬ。 なんで、心が変わるまで待つのが弥勒菩薩さぁ〜 心も実体がなく空だからね。(待つ:忍辱波羅蜜) だから、弥勒菩薩は、多くの衆生を救済すると言われてる。 おっと、功徳(利他)を積みながらね。 これがないと片手落ち。 なぜって、 先ず、自分が変わらないと駄目ってこと。 自分がオープン(利他)しないとさぁ〜。 詳しくは、弥勒型アセンションでね。 世界の王なんざ、 弥勒菩薩からみれば器が小さいんだよ。 奇跡や使命など神秘性を持った、 世界の王が説く押し絵ではなく、 法(叡智)から入った人は、 ユダヤが世界の銭を握り、悪用してたとしてだ。 それは、自分の貪りの心の投影と観る事ができ、 他の銭をオープンとは思わないので、 対立(戦争)が起きないんだ。 全ては自分の投影であるオンリーワンと達観する。 陸援隊: 今、貴いと思えるものが 明日は賎しいかもしれない。 今、賎しいと思えるものが 明日は貴いのかもしれない。 君子となるのか、小人となるのかは、 君、自らの中にある。 ちなみに、 海援隊、陸援隊と併せて翔天隊と言うらしい。 基本的に、この翔天隊のやり方は正しい。 人や宗教やスピリチュアルは、 自分の存在意義の為、あの手、この手で信者を集める。 例えば、ミ○スでは答えを言わない。 せっかく、本を出しても、 「答えがない」なんて読者の反応に対して、 「そんな事ないです、セミナーに来て下さい。」 なんて、意識的に人々を支配しようとしている。 俺が、銭払って、ミ○ス(元、陰陽二相一対)のセミナーに行ってた頃なんか、 「今日はここまで」なんつって、絶対に答えを言わない。 知りたくて、交通費など銭を掛けて、 また、銭を払ってセミナーに行くが、絶対に答えを言わない。 気づくと、愛と財だかで、 奴らのMLM(ネズミ講)に、2年間、救われるどころか、銭、救われたわぁ〜 ちょいと、MLM(ネズミ講)に触れると、 MLM(ネズミ講)と来たら、勧誘となるが、 この、勧誘って奴だけど、 面白い話があるからって、友達を誘ってみればぁ〜 なんて指示が来るが、 けっして、MLM(ネズミ講)の話とは言わない。 これ、何をしてるかと言うと、積極的な嘘なんだ。 十戒四 … 不妄語の戒 妄語の禁戒・正語の勧戒について述べよ 妄語とは三種類の嘘を指す。 第一の嘘は、自己の利益を保全するための積極的な嘘である。 第二の嘘は、沈黙を持って正しいことを言わない嘘である。 第三の嘘は、結果的に嘘となってしまう消極的な嘘である。 積極的に嘘をなさないことにより、他人に騙されなくなるという果報が生じる。 何故なら、積極的に嘘をなす背景には、“自分の都合良く真実を歪める”という習性があり、 他人が、自分の都合の良い現実に騙されるのと同様に、 自分も、自分の都合の良い現実に騙されてしまうからである。 真実が、自己や非自己によりに歪曲され、物事を正確に認識出来なくなる。 正しいことを明確に言うことにより、必要な情報が正しく集まるという果報が生じる。 何故なら、沈黙する背景には、“敢えて意識化しない”という習性があり、 自分に不必要な情報が、明確に意識化されないのと同様に、 自分が必要としている情報も、意識化されず曖昧になるからである。 結果的に嘘にならないようにすることにより、言葉や意志力が強くなるという果報が生じる。 何故なら、消極的に嘘をなす背景には、“言行不一致で構わない”という習性があり、 他人が、自分の言行不一致で被害を被るのと同様に、 自分も、自分の言行不一致で被害を被るからである。 言行一致により、言葉の力が強まり、本人の意志によって発された言葉が現象化するようになる。 妄語をなさないことによって、良くも悪くも物事がありのままに見えるようになる。 正確に認識出来ることは、一時的な幻想の幸福ではなく、恒久的な真実の幸福のためには不可欠である。 無智により、騙し騙された幸福は、条件次第で不幸の因となるからである。 意識的に、他人を騙すので、 意識の裏の意味が無意識に積み重なる。 他人を騙すの裏は、自分が騙されるだ。 現実は無意識方向に変化する無常なので、 自分も、自分の都合の良い現実に騙されてしまう。 逆に、与える者は、与えるからさぁ〜 なんて、MLM(ネズミ講)なんて、どっから、どうみても、おかしい!! そのやり方は、親や兄弟、地域や社会と和合してるか? と、矛盾点を無視せず、意識的に直視すると、 意識の裏の意味が無意識に積み重なる。 矛盾点を観る、の裏は、明晰、明確さを観るだ。 現実は無意識方向に変化する無常なので、 必要な情報が正しく集まるという果報が生じる。 例えば、ミ○スの愛と財では、 自分を信じることが出来なくなってから、 主人を疑い、自分を嫌い、全く愛と自由を失った結果、財が流れてしまったのです。 なぁ〜んて言ってますが、 後に説明する、釈迦の解いた十二支縁起を読めば分かるが、 自分を信じるとか、信じないとか、 そうやって、自分に愛着(我執(がしゅう))があるが為に、 十二支縁起に従い、自分を信じる事が出来なくなり、 主人を疑い(疑うような事をする)、自分を嫌い、全く愛と自由と財を失ったんだ。 ミ○スでは、この様に、本当の自分を知るだとか、 自分を認めてないから、認められないとか、 自分を愛するしかないとか、自分に愛着するから気を付けてね!! 人には我執といって、そんな感じで、自分に対する愛着がある。 愛着があるが為に、漏れなく卑屈が付いてくるんだ。 そんな卑屈に囚われず、苦に耐えると悪業が落ち、善業が表に現れる。 善業を持ってないと、現れようがないですが。。。 べつな言い方をすると、 自分に対する愛着、我執(がしゅう)は、 悪口を言われるなどのカルマ(悪業)を創る。 悪業なんで、囚われず、 そんな苦に耐えると、悪業が落ち、善業が表に現れる。 善業を持ってないと、現れようがないですが。。。 この世の仕組みを知り、 六波羅蜜や密教瞑想などで功徳を積むと、 嫉妬、妬みの段があるのだが、 基本論理は、こんな感じだ。 貪りには、無智、怒りが付いてくる。 殆どの人が、悪口を言われると頭に来るが、 それは自分に執着(貪り)してるからなんだ。 これを専門用語で自我執着とか自執(がしゅう)とか言う。 この自我執着があるが為に、 自分を苦しめる奴が生起するんだ。 功徳なんて積むとねぇ〜 ひょっこり理想の相手が現れるが、 気づけば恋敵だらけになったり、 良い仕事が来たなぁ〜なんて思ったら、 気づけば知らない間に奪われてたりね。 理想の相手も、良い仕事も、 そんなの来たひにゃ〜、 自分のものにしたいという自我執着が発生する。 自我執着(プライド)が発生するが為に、 自分を苦しめる奴(恋敵やライバル)が現れるんだ。 諸法無我:「私」又は「私の物」には実体がない。 功徳なんて積むと、へこむ事が多いからねェ〜 そうかと思えば、考えられんぞぉ〜 なんて怒りが生じる局面ばっかあったりする。 これらは裏を返すと、心の中、自我執着で一杯って事だ。 考えられんぞぉ〜、なんて怒りは、 納得がいかないだけに自我執着も強い。 だから、俺様の場合、智慧が生じる前の、 苦に耐える忍辱波羅蜜(自我執着で一杯の期間)の間はぁ〜 嫌いなものを見る事が多いんだ。 部屋に、いきなり蜘蛛(害虫等)が入ってきたり、 やたら「666」なんて、縁起の悪い数字を見かけたりね。 自我執着があるが為に、そんな感じで、 自分を傷つけたり、自分を苦しめる奴が生起する。 これは、自分の物とか、自分のお金、 自分の妻、自分の夫とか、自分の彼女、自分の彼氏、 俺の団体、俺の国、俺の教義、俺の論理(真理)、 俺の仕事、俺の仲間、俺の家族とか、 ここは、俺の場所、俺の部屋、俺の空間とか、 これは、俺の時間、俺の休日、 自分は偉いんだぁ〜、私はモデルなのよぉ〜、などなど、 そんな自我執着があるが為に、 自分(プライド)を傷つけたり、自分を苦しめる奴が生起するんだ。 せっかくの休み(自分の時間)、トラブル対抗で盗られたりね。 仏典で言うと、これかなぁ〜 鋸喩経 第一章 「パッグナよ、出家した、身で在りながら、 女性と親しくしているのは、どういうことか。 汝の心を治める出家か、女の心を収める出家か。」 「尊師よ、まさしく、仏陀の仰る通りです。 しかし、女性を責める者が、存在しています。 私が、女性に関わるのは、女性を守るためです。」 「たとえ、目の前で、刀で切られようとも、 出家した限りは、女性に囚われてはならない。 パッグナよ、在家の時の、考え方は捨てなさい。」 女性に愛着(自の女性)してるが為に、 女性を苦しめる者が現れた。 最初は、なんで、 そんな現象が頻繁に起こるのか、 分からなかったけどね。 そいう意味では心霊現象なんかも、 この類で縁起の法に沿って生起したもんだ。 なんやぁ〜、そんな悪霊と、 闘う霊能者もいるがぁ〜 自我執着があるが為に、 そんな自分を傷つける奴(現象)が現れるんだ。 敵対者こそ、修行者には重要だ。 敵対者こそ、我々の教師である。 その人達こそ、真に自分を導く、強い原動力となる。 この言葉は仏教開祖「釈迦牟尼」からの伝統らしい。 感覚的には、自我執着があるが為に不幸が不幸を呼ぶ。 自我執着は、そんなカルマを創るんだ。 カルマなんで囚われず、そんな苦に耐えると、 悪業(カルマ)が落ち、善業が現れる。 させ、BLOGなんてやるとぉ〜 誰もがランキングに参加したりする。 すると上位を目指すってのが人ってもんだが、 言いかえると、誰もが上位に自我執着を持ち始める。 第一位を自分のものにしたい。という自我執着だ。 自我執着が生起すると、 お約束どおり、自分を苦しめる奴が生起する。 伊勢白山の怪しげな人気プログ第一位独走。 なんてねェ〜 それに、誰もが、 認められたいという自我執着があるからねェ〜 そんな存在意義を満たすべく、信者を集めるが、 これも自我執着なんで、お約束どおり、苦しめる奴が生起する。 伊勢白山本の連続出版。なんてねェ〜 自我執着があるが為に、自分より幸せな奴がいて、 嫉妬、妬みで、苦しめられると言ってもいいかな。 また、逆に、 苦しいことや(苦しみに耐えていたり)、 辛いことや、不幸があると、 なんで、自分がこんな目にィ〜 と、これまた自分に執着したりする。 これも、自分を苦しめる奴が生起し、 不幸が不幸を呼ぶが、囚われない事だ。 この様に、そんな伊勢白山も、 釈迦の諸法無我に沿って現れた、神様、仏様である。 さしずめ、ランキングに参加する人達全員の、 汚れた部分(悪業)の投影が伊勢白山だな。 あまりにも、自分、自分と偏りすぎると、こうなるって事だ。 だから、願い(貪り)が多い人は、 へこむ事が多いかと思うが、囚われない事だ。 なんやぁ〜 使命を授かった教祖の、 アセンションは結婚にあった教の、 ミ○ス論理では、 自分を認めてないから、認められない。 自分を認めてないから、 自分を見失い、主人を失い、愛と財を失ったんです。 じゃ〜、ないんだよ!! そうやって、自分を認めるとか、認めないとか、 自分の金など、自分の夫だのと、自分、自分と、 自分に愛着するから、全部、失ったんだ。 逆だっ!!、ぎゃく。 この様に、全ては心の現れ(鏡の法則)である。 なんてェ〜のが、 現世御利益を司る観音菩薩のカルマ・ヨーガらしい。 だから、観音菩薩は、 全ての衆生に合掌し、全ての人に帰依している。 何回も言うが、全ての人は神仏の現れである。 これを専門用語で、仏陀の五智の一つ平等証智という。 次の水瓶座(アクエリアス)の時代は、 この様に、平等性(水)を意味する時代でもある。 平等証智があると、全ての人が神だからねェ〜 アクエリアスは宗教戦争が無くなってもおかしくないかもね。 おっとっと、六波羅蜜や密教瞑想は、 自我執着と反対の利他実践はカルマが弱められてると思われる。 あまりにも、自分、自分と、自分に偏ると、そうなっちゃうからねェ〜 これを、意識と無意識を司る弥勒菩薩の智慧で、 自他の区別を外してみたいと思う。 この世の仕組みを知り、 六波羅蜜や密教瞑想などで功徳を積むと、 嫉妬、妬みの段があるのだが、 功徳なんて積むとぉ〜 ひょっこり理想の相手が現れるが、 気づけば恋敵だらけになったり、 良い仕事が来たなぁ〜なんて思ったら、 気づけば知らない間に奪われてたりね。 理想の相手も、良い仕事も、 そんなの来たひにゃ〜、 自分のものにしたいという自我執着が発生する。 自我執着(プライド)が発生するが為に、 自分を苦しめる奴(恋敵やライバル)が現れるんだ。 この自分のものにしたいという自我執着の事を 専門用語で自執(がしゅう)とか我所執(がしょしゅう)言う。 と、解いたが、どうして、そうなるのか? 意識と無意識の関係で解きます。 簡単です。 それは、自分のものにしたいという我所執が生起してるから。 我所執が生起してる為、 それを「自分のもの」と意識している。 すると、意識の裏の意味が無意識に積み重なる。 「自分のもの」の裏は「他人のもの」 現実は無意識方向に変化する無常なので、 自分のものを奪おうとする、 恋敵やライバルなどの悪人(六六六)が生起するんだ。 五六七 という 六六六 シンジ 君なら、誰が、弥勒なのかを、知っているよね。 僕は、救世主を信じたいんだ、だから、教えてよ。 カヲル 教えられて信じても、自分を信じただけなのさ。 信じたいと信じるけど、信じたくないと信じない。 彼の善い名は信じるけど、彼の悪い名は信じない。 シンジ えっ!? 弥勒には、善い名と悪い名があるの? カヲル そうさ、世界の雛型だから、善悪を包含するのさ。 人類には、それが、分からないから、分けてある。 シンジ ふ〜ん、じゃあ、弥勒の善い名って、なんなの? カヲル 弥勒は、五十六億七千万年後、人類を済度する。 そういう、善の姿をして、五六七と呼ばれるのさ。 シンジ ふ〜ん、じゃあ、弥勒の悪い名って、なんなの? カヲル 裏を返せば、その間はずっと、人類を統治する。 そういう、悪の姿をして、六六六と呼ばれるのさ。 シンジ つまり、それが、欲六界の第六番目の第六天界。 堕天使の果たす役と、同じだって、言いたいわけ? カヲル そうさ、実は、五六七と六六六は、表裏なのさ。 シンジ ははは、なかなか、面白い冗談だよ、カヲル君。 冗談はいいから、早く教えてよ、誰が、弥勒なの? カヲル ........................ だから、手放せばよい。 突き詰めると、自分の物は一切、無いという事だ。 これを専門用語で諸法無我(しょほうむが)と言います。 諸法無我:「私」も「私の物」にも実体がない。 自分のお金とか、自分の時間とか、自分の土地とか、 自分の名誉とか、自分の地位とか、自分の仕事とかね。 ミ○ス論理では、 人間は肉体を持ってるから寂しいやろ? だから、ご主人がちゃんと引き寄せてくれるんやで。 なんて言ってますが、そのデッド・ロック現象を解きます。 この教祖が、一体、何を言いたがってるかと言うと、 寂しいという実感を、 積み重ねれば、重ねるほど、 裏の実感が無意識に積み重なる。 寂しいの裏は楽しいだ。 現実は無意識方向に変化する無常なので、 後に、寂しさを癒してくれる理想の相手が現れる。 さぁ〜、五次元までいった教祖が言うように、 一発の一瞬で、苦の裏の楽(奇跡)が来た、来たぁ〜 が、しかしっ!! 理想の相手(欲しいもの)だけに、 自分のものにしたいという我所執が生起する。 我所執が生起しただけに、 それは「自分のもの」と意識し出す。 すると、意識の裏の意味が無意識に積み重なる。 「自分のもの」の裏は「他人のもの」だ。 現実は無意識方向に変化する無常なので、 恋敵(ライバル)など、自分を苦しめる悪人が生起する。 悪人が生起し、奪い合いになるもんだから、 そんな悪人より、自分が優位になって、 欲しいものを手に入れようとする我執が生起する。 こっちは、ミ○ス論理を5年もやってんだっ!! 釈迦の一元論やってる、お前なんかに、盗られる訳がない!! うちの教祖は、「使命」、授かったてんだっ!! 釈迦の一元論やってる、お前なんかに、負ける筈がない!! こっちは、未来が約束されてんだっ!! うちの教祖は、五次元まで行ってんだ。 一次の境地で止まってる、お前が、勝てる訳がない。 こっちは、七次元までアセンションしてんだっ!! そんなの「ソウル・メイト」の「ハイヤー・セルフ」が許さん!! なんてねェ〜、 我執が生起するから、そんな感じで、 他人より自分を優先する自己優位の意識が出だす。 すると、意識の裏の意味が無意識に積み重なる。 「自分優先」の裏は「他人優先」だ。 現実は無意識方向に変化する無常なので、 お約束どおり、全て、失って終わる。 デッド・ロックさぁ〜 この様に、貪りには際限がないから、 感覚的には、満足する前に、落ちるんだ。 一発の一瞬で、奇跡が起きただけに、 一発の一瞬で、落ちる事になる。 この世は、相対(縁起)だからね。 ちなみに、悪人が生起し、 いったん「この野郎」と思うから、 また、「この野郎」と思いたくなるのがカルマの法則だ。 これと同じで、 いったん「寂しい」と思ったら、 また、「寂しい」と思いたくなるのもカルマの法則だ。 こんな感じで、何時も寂しい思いをする事になる。 だから、 苦を受けれれば、楽が付いて来るなんて、 救世主の幻想なのさぁ〜 一切皆苦 不幸の他に、幸福が在るため、 不幸が終ると、幸福に覆われる。 この幻想の考えに、縋り付くほど、 相対の幸福を求めて、転生を窮める。 苦を受けれれば、楽が付いて来るなんて、 これは、正確じゃないんだ。 正しい認識は、 楽と苦は、この様に循環しているだ。 八正道の正見解ですね。 実際のところは、 十二支縁起を知ってる人は分かると思うが、 こんな感じで、楽より苦の方が多いんだ。 四苦八苦、七難八苦と言われるように、 一つの楽が、多くの苦しみを生起させてんだ。 理想の相手(楽)が現れ、 愛着が生じたが為に悪人が生起し、 嫌いなものと出会う怒憎会苦(おんぞうえく)が発生し、 悪人が発生したもんだから、なかなか、 求めても得られない求不得苦(ぐふとくく)が発生し、 奪い合いになるから我執が発生し、 好きなものと分かれる愛別離苦(あいべつりつく)で、 最後は、一体、どうなってんだかぁ〜 良く分からん!! の一切皆苦(いっさいかいく)だ。 これら四つの苦しみと、 根本的な苦しみ「生・老・病・死」を足して四苦八苦と言う。 普段、楽と苦は循環していると、 記憶修習(意識)しながら生活(修行)すると、 意識の裏の意味が無意識に積み重なる。 循環(輪廻)の裏は涅槃であり、 相対的実感(転生)の裏は絶対的実感(静寂)だ。 現実は無意識方向に変化する無常なので、 この様に、囚われなくなって、 人生が安定して来るかもしれないね。 では、ミ○ス論理の、 自分を認めてないから、認められない。 自分を信じることが出来なくなってから、 主人を疑い、自分を嫌い、 全く愛と自由を失った結果、財が流れてしまったのです。 これを、智慧を持って、地に足を付けて行きましょう。 自分を認めてないとか、自分を信じてないとか言ってるでしょう。 信仰と疑念はセットなんだ。 あるときは信じるが、あるときは信じない。 これが、人って奴なんだ。 功徳なんか積んでるとねェ〜 またかよ!!、なんて、へ込む事が多いんだ。 それは、信仰しているが為に、 信仰を疑う様な事が起こるんだ。 よぉ〜く、これまでの自分を振り返ってみると、 信仰と疑念が循環している事が分かると思う。 信仰は、疑念というカルマ(悪業)を創るんだ。 そんな苦に耐えると、悪業が落ち、善業が現れる。 信念は、表を信じていること。 疑念とは、裏を信じてないこと。 表を信じるほど、裏を信じられず、 信念が強くなると、疑念も強くなる。 Aを信じると、非Aを信じず、 Aを信じないと、非Aを信じる。 条件によって、祈る対象が変わる。 何より依っているのは、自分の自信。 Aを疑がうと、非Aを疑えず、 Aを疑わないと、非Aを疑がう。 条件によって、疑う対象が変わる。 何より迷っているのは、自分の信念。 信心とは、疑念を越える信念。 疑と信を超越する、決心のこと。 二元に迷う念を、一元に絞り切り、 一元に至るための、一念に囚われる。 先ず、自我を信じて、信念を高める 次に、自我が疲れて、疑念が高まる 後に、自我を越える、信心が現れる 人ってのは、何かしら信仰せずにはいられない動物なんだ。 神を信じない人は、科学、お金や、名誉、地位、経験とか信じてる。 そしてなより、人は自分を信じてる動物なんだ。 だから、自分に対する疑念も高まっているんだ。 信念 の裏に 疑念 マヤ 私は、心から、先輩のことを信じています。 私に、信念はありますが、疑念はありません。 リツコ 信念でAを信じて、疑念で非Aを信じない。 信念が強くなると、裏で、疑念も強くなるの。 マヤ 私には、隠れているだけで、疑念があると? リツコ 条件が変わると、信念が、疑念に変わるの。 強すぎる信念は、強すぎる疑念に、変わるわ。 マヤ いいえ、私には、疑念なんてありませんよ。 そんなこと言わないで下さい、悲し過ぎます! リツコ 信念にしても、疑念にしても、あなたの念よ。 つまり、あなたは、何より自分を信じている。 マヤ うそです、そんなこと、絶対にありません! リツコ あら、わたしの言うことが、認められないの? マヤ ええ、これだけは、絶対に認められません。 だって、信じてます、だから、信じて下さい。 リツコ 信じて下さい、って、何を信じて欲しいの? マヤ 私は、心から、先輩のことを信じています。 信じてくれないなら、死んだ方がマシです! リツコ …………………… 我執の話から、づれたが、 この世の仕組みを知り、 六波羅蜜や密教瞑想などで功徳を積むと、 潜在に眠る自分の我執が引き出され、 ひょっこりと、欲しいものが現れるが、 こんな感じ屈辱を味わうので、囚われない事だ。 そんなときは、手放せば良い。 与えた者は、与えられるからねェ〜 慈愛(放棄)で乗り切りましょう。 アセンションは結婚あった教の、 愛と財の「愛」は無常なので、 生命を育む、慈悲で手に入れましょうというのが、 神の意思らしい。 他の幸せが自分の幸せだったりしてね。 他の幸せを喜べる人は、 この無限の宇宙にある、全ての幸せが手に入るからねェ〜 専門用語で随喜(ずいき)の修行って言うんだけどね。 十方と三世の一切の仏陀・菩薩、小乗の修行者、 そして、凡夫の衆生らによる功徳に思いを巡らして、 これを喜ぶという修習である。 心に随喜の念を抱けば、自他平等に善行の功徳を得る とあるごとくに、難行をもって幾劫にもわたり善を積集した功徳と、 それに対して至心に随喜した一刹那の功徳とは、 何ら変わるところがないのです。 ゆえに随喜の修習は、易行にして極めて効果的。 小乗の修行者が、一生懸命、自分の功徳を、 何十年、何百年、数回の輪廻を掛けて積んでるのに対し、 そんな、頑張る修行者を見て、その修行者を喜べる人は、 その瞬間、その修行者と同じ功徳を積めるって事なんだ。 この世は、幸せと言えども奪い合いであると解いてきたが、 そうじゃなくて、本当は、既に与え合いになっていて、 そんな他人と一緒に、自分も良くなる仕組みだったりしてね? 最近じゃ〜、アセンション・ブームもあってか、 ミ○スの様な、使命を授かったという教祖が、 我こそが、アセンションの扉を開くなりィ〜 我こそが、世界の王なりィ〜 なんて、全人類の救世主らしさをアピールし、 セミナーやったり、他人を勧誘し、信者を集めてるが、 これは、全てのものを自分の信者にしょうとしてるので、 後に、全部、盗られます。 うなもん、救世主の 幻想なのさぁ〜 自分の信者なんてものは無いんだよ。 受講者100万人とか目標にしてる宗教とか、 ミ○スでは、14万4千人が、どうたら、こうたら言ってたけどぉ〜 気を付けてね!! さて、BOLGなんてやると、ランキングなんかに参加してさぁ〜 上位という「自分の名誉」や、「自分の存在意義」を満たそうと、 自分の信者を集めるなどの我所執が生起する。 これも「自分のもの」を意識しているので、 意識の裏の意味が無意識に積み重なる。 「自分のもの」の裏は「他人のもの」だ。 現実は無意識方向に変化する無常なので、 上位ランキングなどの名誉や信者を奪う奴が現れる。 伊勢白山の何やら怪しいポイントでの第一位独走とかね。 囚われず、そんな苦に耐えると、 悪業(無意識)が落ち、善業が現れる。 他を受け容れて行けば良いとも言えるね。 これは、慈悲の心って奴だ。 しかし、そんな伊勢白山も、 自分の無意識を投影した自分である。 この様に、全ては心の現れ(鏡の法則)である。 なんてェ〜のが、 現世御利益を司る観音菩薩のカルマ・ヨーガらしい。 さいしずめ、そんな悪人は、 「自分のもの」に対する過剰な愛着の投影ってとこだな。 だから、観音菩薩は、 全ての衆生に合掌し、全ての人に帰依している。 何回も言うが、全ての人は神仏の現れである。 これを専門用語で、仏陀の五智の一つ平等証智という。 次の水瓶座(アクエリアス)の時代は、 この様に、平等性(水)を意味する時代でもある。 平等証智があると、全ての人が神だからねェ〜 アクエリアスは宗教戦争が無くなってもおかしくないかもね。 これを、大日如来の一元思想で解いてみよう。 如来と合一するんだ。 結論を先に言いますと、 我こそが、アセンションの鍵を開くなりィ〜 我こそが、マリッジバランスの鍵を開くなりィ〜 我こそが、世界の王なりィ〜 なんてねェ〜 これらは、使命を授かった救世主が言う、 お約束のマニフェストって奴なんだけどぉ〜 器が小さいんだよ。 だから、 徳川家康: 平氏を滅ぼすものは平氏なり。 なんて事になるんだ。 それは、本体は自分じゃないからさぁ〜 その本体は何かってとぉ〜 天だっ! いやぁ〜、三国志って来たら、 劉備玄徳、関羽雲長、張飛翼徳、 そして、諸葛孔明なんだけど、 この「蒼天航路(そうてんこうろ)」ってアニメは、 その対極に存在する悪人、 曹操孟徳を主人公に描いた作品なんだけどぉ〜 カッコイイんだよねェ〜 しかも、むちゃくちゃ哲学してて、 真理、道理で世を治めようとするんだ。 ちょいと、横道にそれたが、 この「天」の事を真我とか呼んだり、 大日如来とか天照大神とか阿弥陀如来とか、 言ったりするらしい。 例えば、すったら救世主どもを見て、 救世主という役を任してやってんだ。 なんて感覚でいる人は、後に全部、手に入る。 松下のおっさんも、お金持ちを見ては、そんな事を言ってたらしいね。 なぜかと言うと、 この世の仕組みを知り、 六波羅蜜や密教瞑想で功徳を積むと、 嫉妬、妬みの段があって、 一つの物を、奪い合う、苦しみがあるのだが、 なぜ、そんな事になったかと言うと、 自分、自分と、自分に愛着したり、 自分が、自分がと、自分に愛着したり、 自分のもの、自分のもと愛着して来たからだ。 お金とか、名誉(役)とか、異性とか、 それらを意識的に「自分の物」と愛着すると、 無意識に意識の裏の意味が積み重なる。 「自分の物」の裏は「他人の物」だ。 現実は無意識方向に変化する無常なので、 平氏を滅ぼすものは平氏なりとなってしまうんだ。 自分に愛着するが為に、 自分を苦しめる悪人が生起し、 そんな人と対立し奪い合いで自滅するんだ。 だから、 物質面も分かち合い、 精神面(役割とか智慧)も分かち合い天命を待つ。 これが、釈迦の一元論らしい。 お金(幸せ)は天下の回りものって良く言うでしょう。 功徳を積むなど、良い事をするにしても、 自分、一人の力じゃ〜、出来ないからね。 自分を超えた存在、力、天命に身をゆだねるんだ。 徳川家康: 戦では、強い者が勝つ、辛抱の強い者が。 この辛抱を六波羅蜜で言うと忍辱波羅蜜ですね。 なんちゅ〜かぁ〜 自分のお金とか、自分の信者とか、 そんな自分の幸せを、伊勢白山とか、 他に任してるって感じかなぁ〜 自分の、自分の、じゃなくて、譲ってる感覚です。 裏を返すと、そのとき、幸せを、 どう使うか、試されるって事でもある。 ちなみに、この俺様、そのときが来たら、 サムれェ〜、雇うだぁ〜 サムライに、何もかんも、切って貰うだぁ〜 チューの瞑想ですね。 密教には「チューの瞑想」ってのがあって、 これは、自分の身体をバラバラに切って鍋に入れ、 智慧の炎で、それを甘露にし、諸仏、守護神に与え、 自分の自我執着を乗り越える瞑想がある。 詳しい事は専門家に任すとして、 そんな、循環の法則(カーラ・チャクラ)が、 この世にはあり、 最初から、万人に幸せが与えられてたのかもね。 最初から、幸せはたっぷりあったのかも。 貪りは対立というカルマ(悪業)を創るが、 そんなときは、そういう事ってことだ。 この循環の中(カーラ・チャクラ)で、 全ての衆生が満たし切り、後から、涅槃しようとするのが、 弥勒菩薩の菩提心らしい。 文殊の救済に似てるね。 般若波羅蜜 此岸に在るものが、分かると、 彼岸に隠れたものを、悟りうる。 文殊とは、縁起を解す菩薩のこと。 此岸を介すことで、彼岸が解される。 釈迦の菩提心とは、王者の済度、衆生の先を進む。 弥勒の菩提心とは、船頭の済度、衆生と共に進む。 文殊の菩提心とは、羊飼の済度、衆生の後を進む。 釈迦が、先に現われ、最善を明らめる 型と成って、民を導こうとする。 光り輝ける最善に、心から従わせる。 弥勒が、次に現われ、最善を膨らめる 自ら先頭に立ち、人の歴史を紡ぎ、 移り変わる最善を、互いに競わせる。 文殊が、後に現われ、最善を諦らめる 自ら地獄に落ち、欲の底辺を塞ぎ、 疲れ果てた最善を、互いに譲らせる。 ちなみに、 我こそが、アセンションの鍵を開くなりィ〜 我こそが、マリッジバランスの鍵を開くなりィ〜 我こそが、世界の王なりィ〜 伊勢白山の人類5%運動とか、 ミ○スの信者、14万4千人が、どうたら、こうたらとか、 これらのマニフェストだけどぉ〜 自分の未来に愛着してるので、 救われるどころか、足元(銭)、掬われるて終わるんで、 気を付けてね!! これを類は類を呼ぶ法則を使って、 自他の区別を外してみたいと思います。 この世の仕組みを知り、 六波羅蜜や密教瞑想なんかすると、 嫉妬、妬みの段があるのだが、 なんで、そうなるかと言うと、 財施や法施(叡智のシェア、叡智の共有化)など、 意識的に良い事をすると、 無意識に意識の裏の意味が積み重なる。 良い事の裏は悪い事だ。 現実は無意識方向に変化する無常なので、 良い事をすると、良い事が返るのではなく、 先ず、悪い事が起こる。 この苦に耐えると、悪業が落ち善業が出る仕掛けだが、 この悪い事というのは、自分の悪い面が出る。 自分の我執が出るんだ。 我執って何かと言うと、 他人より自分を優位にしようとする心の働きだ。 そんな、心(我執)が出る条件(縁)は人によって違う。 それは、お金だったり、仕事だったり、 名誉や地位だったり、異性だったりするのだが、 この世は、類は類を呼ぶだでェ〜 同じ我執を持ったもんどうし集まって、 奪い合いの苦である怒憎会苦(おんぞうえく)で、 傷つけられるなど屈辱を味わう忍辱波羅蜜があるみたい。 なんで、そうなってしまったかというと、 自分に愛着するあまり、 他人より自己を優先してきたカルマ(悪業)って奴だ。 そんな、自分の悪い面(カルマ)が出る見たい。 と言っても、生まれたときから、 この競争社会で独占欲を煽る教育を、 たっぷりと受けてるからねェ〜 独占欲は執着というカルマを創っていて、 執着対象を手放せい状態にするもんだから、 自分が、それに嵌ってる事に気づかない。 気づくどころか、 そんな相手に対する憎悪(怒り)で一杯になる。 いったん「この野郎」と思うと、 また「この野郎」と思いたくなるのがカルマの法則だ。 だから、そうとうつらい止観(サバタ)が必要と思われる。 止観(忍辱波羅蜜)し続けると、 正観(ビバサナー)が生起し、正しく観察が出来る力が生起する。 八正道の正見ですね。 外界の外的条件を縁とし、我執が生起すると、 我執が生起した為、意識的に自分を優先している。 意識的に「自分を優先」すると、 無意識に意識の裏の意味が積み重なる。 「自分優先」の裏は「他人優先」だ。 現実は無意識方向に変化する無常なので、 他人優先となり、結局、何もかも失う仕掛けだ。 自分に愛着し、自分を優先するが為に、 自分を苦しめる悪人が生起し、 そんな人と対立し奪い合いで自滅するんだ。 であれば、譲ってやらぁ〜良い。 慈悲(受容)ですね。 ここで、力ずで奪っても(独占欲)、 それは、一時的な快楽で、 後に、そんな苦しみを、また経験するだけなんだ。 全ては心の現れで、全ては心の鏡である。 これが観音菩薩のカルマ・ヨーガらしい。 さいしずめ、そんな悪人は、 自分の過剰な我執の投影ってとこだな。 見方によっては、まだ生起してない、 自分の潜在(無意識)に眠る悪い面(我執)が、 そんな、他人に投影されてるとも言える。 だから、観音菩薩は、 全ての衆生に合掌し、全ての人に帰依している。 何回も言うが、全ての人は神仏の現れである。 これを専門用語で、仏陀の五智の一つ平等証智という。 次の水瓶座(アクエリアス)の時代は、 この様に、平等性(水)を意味する時代でもある。 平等証智があると、全ての人が神だからねェ〜 アクエリアスは宗教戦争が無くなってもおかしくないかもね。 ちなみに、アセンション・ブームもあってか、 我こそが、アセンションの鍵を開くなりィ〜 我こそが、マリッジバランスの鍵を開くなりィ〜 我こそが、世界の王なりィ〜 伊勢白山の人類5%運動とか、 これら、救世主のマニフェストだけどぉ〜 これも、他より自分を優先した我執なので、 救われるどころか、足元(銭)、掬われるて終わるんで、 気を付けてね!! 何事も独立して存在しておらず、 他との相互依存関係で存在している。 そんな、人々の我執の投影が、 そんな、救世主で、 そんな、人々の我執が、 そんな、救世主を生みだしてたりしてね。 仏教の唯識派に依他起性という教えがある。 自分の苦しみは、自分だけの苦しみなのか? と言えば、そうじゃない。 他の人も同じように苦しんでる。 大抵の人が、「お金がない!!」と苦しんでるからねェ〜 だから、苦しみを乗り越え、苦しみを克服する事は、 他の為(全体の為)に成るんだ。 言い方を変えると、自分の苦しみは他の苦しみって事だ。 この世は、幸せと言えども奪い合いだらねェ〜 だらか、貪りは対立(嫉妬、妬み)というカルマ(悪業)を創る。 貪りを満たせないと苦しいから、 一つのもの何とかして、自分の物にしようと争う。 このときだな。 そんな自分の苦しみは、他人の苦しみなのではないのか? 他も同じように、苦しいから、欲しいもの奪いに来る。 その苦しみが、 自分だけの苦しみと思ってる間は怒りが生じるが、 その苦しみは、他の苦しみではないのかと思えてくると、 こんどは慈悲(受容)が生じてくる。それは智慧が生じてるから。 そんな感じで、苦しみも分かちあい、他の苦しみを取り除く。 他の苦しみを取り除くから、自分の苦が取り除かれる道理。 怒りを滅し、膨大な慈悲(受容)を持つ、 弥勒菩薩ですねェ〜 この世は、類は類を呼ぶだから、 同じ苦しみを持つものどうしが集まる。 だから、貪りは対立(嫉妬、妬み)というカルマ(悪業)を創る。 同じ苦しみを持つ者どうしで対立してんだ。 しかしながら、そんな他人は、 同じ苦しみを持つという意味では、自分なんだよねェ〜 だから、 そんな他人の苦しみを取り除く事は、 自分の苦しみを取り除く事になる。 仏教では、特に菩薩の修行では、 自分の苦しみと、他人の苦しみを分けない。 他人の苦しみを取り除く事が、 自分の潜在的な苦しみを取り除くことである。 未来永劫、まったく苦しみがない状態になる為には、 自分の潜在的な苦しみを投影している、 全ての衆生の苦しみを前もって、 自分が彼らを救う事によって、乗り越えれてしまえばよい。 自分にある負債(苦しみ)を全部、返してしまおう。 その負債(苦しみ)は、どこに表示してあるのか? それは、他人に投影されいるという事だ。 簡単に言うと、 この世の仕組みを知り、 六波羅蜜などで功徳を積むと、 嫉妬、妬みの段があるが、 それは、裏を返すと、 同じ苦しみを持った者どうし集まって対立してんだ。 敵対者は、同じ苦しみを持ってんだ。 で、あるならば、うなもん譲ってしまえば良い。(他の苦を取り除く) まぁ〜、他人の成功が、自分の成功という事だな。 自他の区別があるから、自我に執着し、 奪い合いで自我執着の苦しみを味わう事になるんだ。 敵対者こそ、修行者には重要だ。 敵対者こそ、我々の教師である。 その人達こそ、真に自分を導く、すごく強い原動力となる。 この言葉は仏教開祖、釈迦牟尼からの伝統らしい べつな言い方をすると、 対立は貪りが創ったカルマ(悪業)なんで、 そんな苦に耐えると悪業が落ち、善業が現れる。 六波羅蜜で言うと、六波羅蜜三の忍辱波羅蜜だな。 アセンションは結婚あったの、 受け容れる事は与えることなんです。 じゃ〜、ないからね。 バカも、休み休みにしてよ!! これを仏教の唯識論的に言うと、 例えば、ここに綺麗な人、または、イケメンがいたとしよう。 それは、自分が因となり、外の人(女性or男性)が縁となり、 結果、自分の善業が引き出され、幸せを感じているんだ。 外に幸せが、ある訳じゃなく、内に幸せがあるんだ。 だからって外に何も無い訳じゃないんだけど、ありのまま見れてないのが人だ。 ありのまま見れてないんで、外に幸せがあると思って、 ときには他と争って、外の物を手に入れようとしているのが人だ。 もう少し、唯識について解くと、 Aさんが、Bさんを殴ったとしよう。Bさんは、「この野郎!!」と来る。 Aさんが、Cさんを殴ったとしよう。Cさんは、感謝した。 この違いは、何かというと、 Bさんは、過去に、憎しみをもって、他を殴ったカルマがあり、 Cさんは、過去に、同じ殴るのでも、愛をもって殴ったカルマがあるって事なんだ。 どちらも、Aさんの「殴る」が条件(縁)となり、 悪業が引き出されてるんだけど、その結果の感じ方はまるで違うって事だな。 Bさんは、何時も他を傷つける為に、他を殴っており、 Cさんは、他の事を考え、泣く泣く殴った過去があるんだ。 後者は、指摘(悪口)されても、心が動かず、外(欲界)に影響されないんだ。 Aさんは、そんな自分の、 心の汚れ(悪い部分)の現れであって、 全ての人は、神仏の現れなので感謝しましょうって事さぁ〜 Bさんを、もう少し詳細に解くと、 Bさんは、何時も、他人よりも自分を優先している。 何時も、自分を優先するが為に、 他を殴ってでも、欲しいものを手に入れようとする。 他より、自分を優先する心の働きを我執と言います。 申し少し、Bさんについて言うと、 これは、他に勝つ事を喜びにしてるから、 殴られた時に「この野郎」というデータが、 阿頼耶識から引き出され苦しみを感じてんだ。 六波羅蜜や密教瞑想で功徳をつむと、 愛着してる物が奪われるなどの屈辱を味わうが、 奪われると「この野郎」って来るがぁ〜 これは、他に勝つ事を喜びにしてきたカルマ(悪業)だ。 この野郎って来ると、 他に勝って、欲しいもの手に入れようと、 また、他に勝つ喜びを得ようとするがぁ〜 ちょと、待っただ。 他に勝つ事を喜びにすると、 誰かが必ず負ける事になる。 これが、他を傷つけたカルマ(悪業)となって返り、 結局、また奪われて「この野郎」と苦しい思いをする。 なので、そいういうときわぁ〜 譲ってしまうのが良いと思われる。 慈悲(分ち合い)ですね。 与える者は、与えられるからねェ〜 だから、現世御利益を司る観音菩薩は、 上の画像の様に、全ての衆生に手を合わせてんだ。 ちなにみ、左手に持っている白い蓮華は、 この欲界の汚れの中にあっても、影響されない事を示している。 神道なんかにも、あいさつがてら、合掌する習慣がるよね。 全ての人は神仏の現れである。 これを専門用語で、仏陀の五智の一つ平等証智という。 占星学に詳しい人は分かると思うけど、 次の水瓶座(アクエリアス)の時代は、 この様に、平等性(水)を意味する時代でもある。 平等証智があると、全ての人が神だからねェ〜 アクエリアスは宗教戦争が無くなってもおかしくないかもね。 カルマ という ダルマ アスカ 人を中心とする法、カルマって、何のこと? レイ 為したことが、必ず人に返る、業のことなの。 アスカ 神を中心とする法、ダルマって、何のこと? レイ 為したことが、必ず神に還る、法のことなの。 アスカ どういうことなのよ? 訳が分かんないわ! レイ 嫌いな人が、あなたをぶったら、どう思う? アスカ 問答無用で、ぶち返すに、決ってるじゃない。 レイ 好きな人が、あなたをぶったら、どう思う? アスカ ぶち返す前に、どうしてって、考えちゃうわ。 レイ つまり、誰が為したかで、感じ方が変わるの。 神様が為したって、考えるほど、良くなるの。 アスカ 人を中心に置くほど、業の連鎖が続くけど、 神を中心に置くほど、業の連鎖が止まるわけ? レイ うん、すべては神の御心って、考える人が、 多くなるほど、神の世界に、近づいていくの。 アスカ バカね、そんなこと、あるわけないじゃない! レイ そう考えてしまうのは、あなたのカルマなの。 アスカ そう考えるのだって、あんたのカルマでしょ! レイ うん、それでもいいの、すべてはダルマなの。 アスカ ........................ この世の仕組みを知り、 六波羅蜜など行うと、嫉妬、妬みの段があるから、 奪ったり、奪われたりと、そんなカルマが出ちゃ〜 この野郎と思う事があるが、全て神仏の現れなのさぁ〜 ちなみに、奪われるたって、 外に幸せがある訳じゃなく、内にあるんで、 幸せが無くなった訳じゃないし、盗られやしない。 阿頼耶識(アラヤシキ)が、そう思わせてるだけなんだ。 ただ、善業もってないと、どうならんけどね。 人には、他よりも先にとか、他より幸せになりたいとか、 そんな自己優位で、いろんなもん集めて来るが、 そうなると、奪われたとき、この野郎と憎悪が出る仕掛けだ。 自分の「他人より自分を優先する心(我執)」の部分の投影が、 そんな、敵対者として現れてんだ。 簡単に言うと、殴るとカルマが創りだされ、 また、殴りたくなるって事だ。カルマですねェ〜 奪い合いなど、 殴らないと気が収まらない局面が、また、発生する。 それより、分かち合い(慈悲)で、集めた方がいいかもね。 この世は、幸せと言えども奪い合いだし、 人は身体を持って生まれた以上、 どうしたって、信者集めなど自己優位で、 やめられない貪りがあるからねェ〜 それは、どうしたって他を傷つけるし、 どうしたって、他を傷つける貪りもある。 後に解くが、恋愛なんかもそれだ。 貪りは、どうしたって他を傷つける。 でも、誰だって恋愛はしたいし、そのんな貪り(願望)は消えはしない。 であるならば、逆に自分が傷つけられたとき、 そんな相手を許すのも慈悲(受容)だ。 この世の仕組みを知り、六波羅蜜で功徳を積むと、 嫉妬、妬みの段があるのだが、 恐らく、潜在に眠る自分の悪業(貪り)を他人が演じる。 本当は、ロロロしたいんだけど、 今、不安定だからとか、お金がないから、 そんな理由で、全面に出さす、今は、ちょっと抑えてる貪りや、 俺様の様に正しい願いなど、答えが見つからないうちは、 手を出さない様にしている貪りだ(抑えてる貪り)。 誰もが結婚願望を持ってると思うが、 生まれてすぐ、結婚したい奴はいない。 今は仕事を充実させたいとか、 もう少し安定してからとか、お金持ちに成ってからとか、 俺様のように、今、修行優先とか、 そんな願望で、結婚願望を抑えてると言える。 そんな感じで、抑えたものは無意識に残る。 条件が揃うまでは生起しないが、 潜在に眠ってる間は、(無意識に眠る間は) そんな自分の貪り(悪業)を他人が演じる。 つまり、そんな他人に、自分が傷つけれた様に、 将来、そうやって、自分も他を傷つけるって奴だ。 貪りは、対立、犠牲のカルマを創るのだが、 功徳を積むと、そんな感じで、 そんな他人(自分の悪業の投影)と、 一つの物を奪い合う形で、 他と対立し、他から傷つけれらるなど、 将来のカルマ清算があると思われるんで、 囚われず、これは許す事だな。そのとき自分が許される。 後に解くが、恋も奪い合いだから、 理想の相手に出会えたとき、 必ず、誰かが理想の相手に出逢えなくなる。 これが、他を傷つけたカルマ(悪業)となって返り、 結局、1年たらずで、離婚したりする。 最近、多いよねェ〜 偶然、夫婦仲が悪くなってる訳じゃないんだ。 この様に恋愛も、どうしたって、他を傷つける貪りなんだ。 恋愛(幸せ)は、他の嫉妬、妬みを買う貪りと言ってもいいかな。 だから、六波羅蜜は、そんな感じで、未婚の人は、 将来のカルマ清算をしながら、理想の相手と出会う正しい方法でもある。 おっとっと、嫉妬、妬み対象は、 潜在に眠るまだ生起してない、自分の善業の投影でもある。 辛い事もあるが、努力し善業を積むと、そう成れる自分の未来の姿でもある。 ただ、丸ごと、善業の投影ではなく、 冒頭で述べた通り、嫉妬、妬みを買う恋愛など、 将来、他を傷つける自分の悪い部分(貪り)も投影している。 まぁ〜、ここまで来ると、 意識が横へ広がり(水の型)、全肯定になってると思うけどね。 これが、小乗、大乗って来て、次の密教というものらしい。 他に傷つけられたとき、こんな感じで、 自分の感情を内観すると面白いかも。 ついでに、解くぜェ〜 この世の仕組みを知り、 六波羅蜜や密教瞑想などで功徳を積むと、 嫉妬、妬みの段があり、 一つ物を奪い合う局面が発生し、 頭に来ることが多いかと思う。 それは、お金かもしれないし、 名誉や地位、異性かもしれない。 人によって異なると思うが、 これ、何をやってるかと言えば、 エルサレムさぁ〜 どいつも、こいつも、 一つの聖地をめぐって、 俺のもんだぁ〜、なんて争ってんだ。 なぜ、そんな事が起きてるかと言うと、 外側に幸せがあると錯覚してるからさぁ〜 マトリックスだ。マトリックス。 上のセンチネル(sentinel)を見て、 これ、いいんでない。 明日、買ってくるわぁ〜 と、マニアの人達は感じたかと思う。 仏教の唯識論的に言うと、それは、 自分を因とし、外のセンチネルが縁となって、 結果、自分の善業が引き出され、 これ、いいなぁ〜、と幸せを感じてんだ。 つまり、外にあるセンチネルが、 幸せを持っているのではなく、内側に幸せがあるんだ。 センチネルは内側にあるのさぁ〜 しかし、幸せは外にあると思って、 マトリックス(仮想現実)に囚われ、 外にあるものをめぐって、 戦争してんだなぁ〜 誰もが、人気ブログ第一位を独走する、 伊勢白山のランキング操作らしきものに、 頭に来ていると思うが、 外側に上位ランキング(聖地)がある訳じゃないんだ。 内側にあるんだ。 そういうときは、布施の実践だ。 そんな、心の投影がエルサレムの戦争だったりしてね。 これをカルマの法則で解くと、 この世の仕組みを知り、 六波羅蜜などで功徳を積むと、 嫉妬、妬みの段があるが、 どうして、うなもんあるかと言うと、多分、 例えば、誰もが、 結婚願望を持ってると思うが、 生まれてすぐ結婚したい奴はいない。 今は仕事を充実させたいとか、 もう少し、収入が安定してからとか、 俺様の様に、修行優先とか、 そんな願望で結婚願望を抑えてると言える。 そんな感じで、抑えたものは無意識に残る。 功徳を積むと、その仕組みからして、 そんな潜在に眠る貪りが出てみたい。 財施、法施など、意識的に良い事をすると、 意識の裏の意味が無意識に積み重なる。 良い事の裏は悪い事だ。 現実は無意識方向に変化する無常なので、 良い事をすれば良い事が返るのではなく、 先ず、潜在(無意識)に眠る悪い事が生起する。 そんな苦に耐えると悪業が落ち、善業(智慧)が出る仕掛けだ。 この、悪い事というのは、自分の悪い面が現れる。 悪い面というのは、 他を傷つけてしまう貪り(自分の願望)の事だ。 だから、功徳を積むと、 ひょっこり理想の相手なんか現れる。 が、ここに仕掛けがあって、スムーズには行かない。 なぜなら、どんなもにも、 良い面と悪い面がある不慳貪の戒を思い出して欲しいのだが、 基本は、得するとき、必ず誰が損しており、 これが他を傷つけたカルマ(悪業)と成って返り、 結局、得した分、大損する事になる。 恋も奪い合いであり 自分が理想の相手に出会えたとき 必ず、誰かが理想の相手と出会えなくなる。 これが、他を傷つけたカルマ(悪業)となって返り、 お金持ちと結婚したはずが結婚直後、 旦那の会社が倒産し、嫌いな貧乏人に変貌したりする。 これを、別な視点をもって解くと、 そんな幸せは、自分にとっては良いが、 他にとってしてみれば、それは嫉妬、妬みの対象であり、 そうやって他を傷つけたカルマは自分に返ってくる。 理想の相手が現れると、十二支縁起に従って、 自分のものにしたいという我所執(独占欲)が生起し、 100%自己実現に向けて青い鳥をGETしに行くが、 その一方で、他に嫉妬、妬みを売ってるので、 そんな他を傷つけたカルマが返り、 その過程で恋敵の出現(ライバル出現)って形(対立)で、 嫉妬させられたり、妬まされたりする。 この様に、独占欲は、嫉妬、妬みのカルマを創る。 まぁ〜、カルマなんで、 囚われず、そんな苦に耐えると 悪業が落ち、善業が現れる。 財施、安心施、法施などの修行実践に限らず、 他に座席を譲ったり、他の仕事を手伝ったり、 他に気を使ったり、他に迷惑を掛けないようしたり、 遠隔ヒーリングなど他の為に祈ったり、 親や兄弟に仕送りしたり、神を信仰したり、先祖供養したり、 日常、行っている「良かれと思う事」は、そんな感じで、 無意識に眠る貪り(願望)の悪い面(カルマ:悪業)を引き出すんで、 囚われない事だ。 仏典で言うと、これかなぁ〜 帝釈所問経 第一章 --- 省略 --- 「このように、我が息子に叱り付けられて、 彼らは、心から恥じ、梵輔天に転生しました。 ええ、神々の主である、私の頭上を飛び越えて。」 「世尊よ、彼らに、追い抜かれたのを見て、 恥ずかしい事ですが、私は嫉妬を覚えました。 それを、心から恥じて、仏陀に尋ねたいのです。」 そのとき、仏陀には、このような思いが生じた。 "ああ、このサッカは、とても純粋である。 私は、彼の求める質問には、すべて答えよう。 彼の純粋な心ならば、速やかに理解するだろう" 神々の主という頂点は、自分にとっては幸せだが、 他にとっては嫉妬、妬みの対象だ。 頂点は、一つしかないから、なおさら嫉妬、妬みを買う。 これが、他を傷つけたカルマとなって返り、 嫉妬させられたり、他を妬む局面が発生する。 この場合、追い抜かれるって形で、嫉妬させられた。 カルマなんで、囚われず、 そんな苦に耐えると、悪業が落ち、善業が現れる。 さて、BLOGなんてやると、 大抵、ランキングに参加したりして、 自分の存在意義の為、 信者ほしさにランキング上位を目指す。 ランキング上位は、自分とって幸せだが、 他の参加者にとっては、嫉妬、妬みの対象だ。 だから、その過程で、 そんな他を傷つけたカルマが返って、 嫉妬、妬み、終いには怒りが生起する局面が発生する。 例えば、伊勢白山の何やら、 怪しいランキング・ポイントによる第一位独走とかね。 信者集めも、他の団体にとっては、 嫉妬、妬みの対象だからね。 これが他を傷つけたカルマとなって返り、 嫉妬、妬み、終いには怒りが生起する局面が発生する。 例えば、伊勢白山本の連続出版とかね。 いずれもカルマなんで、囚われず、 そんな苦に耐えると、悪業が落ち、善業が現れるのだが、 囚われちゃって、霊的波動アタック!! なんて言う攻撃をする人もいるらしいが、 これは、自分に跳ね返ってしまうかもね。(六六六の仕組み) しかし、そんな伊勢白山も、 カルマの法則に基ずいた、神、仏の現れであり、 自分の悪い面(貪りの悪い面)を教えてくれた導き手である。 自分が苦しいと感じたとき、必ず貪りがある。 自我に囚われいるから苦しいんだけど、 そんな貪りは、自分が、そうやって苦しんだ様に、 他を、その様に、苦しめ、傷つけるって事だ。 まだ、生起してない潜在に眠る貪りだけに、 将来、自分も、そのように他を傷つけるって事だ。 貪りは、どうしたって他を傷つける。 でも、誰だって恋愛はしたいし、そのんな貪り(願望)は消えはしない。 しかし、貪ると、他を傷つけたカルマが返り、 結局、恋敵に奪われるなどして、嫉妬、妬みで終わる。 これでは六道輪廻をグルグルと回るだけで、満たされる事がない。 であるならば、同じ様に傷つけられたとき、 そんな相手を許すのも慈悲(未来のカルマ清算)だ。 許すと、そのとき自分が許される。 この様に、全ては心の現れ(鏡の法則)であり、 全ての衆生に合掌し、全ての衆生に帰依ているのが、 現世御利益を司る観音菩薩だ。 何回も言うが、全ての人は神仏の現れである。 これを専門用語で、仏陀の五智の一つ平等証智という。 次の水瓶座(アクエリアス)の時代は、 この様に、平等性(水)を意味する時代でもある。 平等証智があると、全ての人が神だからねェ〜 アクエリアスは宗教戦争が無くなってもおかしくないかもね。 ちなみに、今日の話は、 ランキング操作など情報操作で上位にあがってもいいが、 それは、膨大な借金をしているって事でもあるから、 気を付けてね!! かつ、情報操作は戒律で言うと、 それは積極的な嘘だ。(不妄語の戒) さらに、借金を積み重ねてるんで、気を付けて!! 嘘を付くと、自分も、自分の都合の良い現実に騙され、 物事をありのままに認識(八正道の正見)できなくなり、 正確なリーディングとか霊視が出来なくなる。 裏を返すと、使命を授かったと言うわりには、 結局のところ、どうすれば良いのか分からん!! そんな「神の言葉」と言われるものを降ろす人とが多いが、 普段、自利の為、他に嘘を付いてるから、 正確さに欠けたものしか受信できないと思われる。 とくに、バシャールなど宇宙人ものって、そんなの多いような気がする。 内観という修行があるが、これは、他にして貰った事を思い出す修行だ。 とはいうものの「自分は、何も、してもらってない!!」と来るの普通だ。 これは裏を返すと、他の支えなく、自分で生きてきたなどの慢がある。 慢心と卑屈はセットだから、愛されなくなっても不思議ではない。 ミ○スの、自分を愛してないから、愛されない、認めてもらえない。 じゃ〜、ないからね!! 他に愛されるという事は、 どれだけ自分の支えになるかが分かるかと思う。 であるならば、支え返すのが正しい生き方となる。 して貰った事を思い出す内観を行うと、 実に多くの人が「自分は、何も、してもらってない!!」と答える。 これは、不思議な事でない。 後に解く、十二支縁起に従って、そんな心になってしまっただけである。 収入が何時も10万円の人が20万円を得ると喜びを感じるが、 これは最初だけで、+10万円で計20万円の収入が続くと、 今度は喜びではなく、あたりまえと感じてしまうんだ。 毎日、お母さんが弁当を作ってくれるが、 これも、続くと、それが当たり前となり、 たまに、作ってくれなくなると、憎悪したりするのが人ってもんだ。 赤ん坊のときは、乳を欲しがり、寝ている親を起こしたりと、 これは、子供が親に対して虐待をしているようなもので、 子育ては親にとって、大変な労苦だ。 教育費となると、幼稚園、小・中・高・に大学となると、かなりの費用となるが、 してもらってる事が続くと、それが当たりまとなり、してもらった事を忘れてしまうんだ。 だんだん、支えられて生きてる事を忘れ、 誰にも迷惑を掛けず、独りで生きていると傲慢になり、 他と比較し、もっと、もっと、と不満で一杯になってんだ。 他と比較するったって、その差は大した差ではなく、 大統領になったところで、自由な生活が出来てる訳じゃない。 逆に、してもらった事を考えると、かなり膨大となる。 そのくせ、悪い事は覚えてるもので、 一回、親に怒られた事を根に持ち、恨み続けている人がいたが、 よく、よく、内観してみると、自分の度かさなる悪い行動に、 耐えに耐え、我慢できす一回だけ叱られた事を思い出し、 耐えに耐えるなど、して貰った事を忘れてんだ。 最近では、子供中心の生活に飽きちゃって、 平気で子供を捨て、ミ○スで再婚してしまうなどエゴが強くなった親もいるらしいが、 これは、そんな感じで、子供の方が、 して貰った事を忘れ、傲慢にっているから、そんなカルマが返ってるとも言える。 この世は、類は類を呼ぶだから、 貪りを満たす為なら、平気で、子(人)や妻(人)を捨てる人が、 そこには集まってる可能性があるので、 気を付けてね!! 後に説明するが、これが逆縁というカルマをつくる。 来世、この捨てた子供が、自分の親となり、 愛情を注いでくれるはずが、子を捨てたカルマの為、 虐待(捨てられる)を受ける。 虐待とは行かないまでも、 お母さんが嫌い、お父さんが嫌い、 なんて、親と和合せず、仲が悪い人っているよね。 ミ○スの教祖も親が嫌いなんて言ってたね。 親に恨みを持っているんだなぁ〜 釈迦を生んだマハーマーヤ夫人や キリスト教の聖母マリアなど、 大抵の宗教は、聖母を尊敬の対象とするんだけど、 この世は類は類を呼ぶだでェ〜 そんな団体には、親に恨みを持ってる人ばっか集まってる可能性がある。 これは、ミ○スに限らず、多くの人が持つ問題でもある。 この世は、相対(縁起)だでぇ〜 親に対する、尊敬や信頼がなくなるから、 対人関係においても、不満や怒りが生起し、 最後は「自分は駄目な人間だ。」と、自分を嫌いになり、自分を見失う事になる。 仏教の唯識派に依他起性という教えがある。 ここに、可愛いとか、カッコイイとか、 美しいとか、容姿が良い人がいたとしよう。 普通、自慢したがるか、そんな自分を生んだのは、 お父さん、お母さんでしょう。 その、お父さん、お母さんを生んだのは、 おじいちゃん、おばあちゃんでしょう。 その、おじいちゃん、おばあちゃん生んだのはぁ〜 なんて、地球がにゃきゃ〜、太陽がなきゃ〜、宇宙なきゃ〜、銀河系がなきゃ〜 と永遠に終わらないが、何を言いたいかというと、 自分だけの力で得たものは、何も無いということ。 であるならば、支え返す(恩返し)のが正しい生き方と成り、 という意味で、先祖供養ってのがあるのかもしれないね? ミ○スでは、感謝するんだったら、自分にも感謝なんていってるが、 良い事(功徳積み、善業積み)をするったて、自分一人の力で出来るものではない。 そんな、横の真理である女性原理の智慧が必要となる。 自他の区別を外した方向でカルマの法則を使いこなして行くんだ。 その逆もあって、悪い事も、自分の力だけじゃ〜出来るものではない。 協力者(共犯者)が存在するもので、 なにかしら、他人や社会との因果関係があり、 そんな悪人(協力者)も、この社会との相互依存関係(縁起)で生起している。 宗教やスピリチュアルも、そうで、 この社会との相互依存関係で生起しており、 また、その逆もあって、宗教やスピリチュアルに依存して、 この社会があるとも言える。 あらゆるものは相互依存関係で繋がっているんで、 例えば、宗教が良くなれば、当然、社会も良くなる。 だから、 そんな悪人(協力者)を生んだ、団体(教え:教義)に問題点(矛盾)は無いのか? そんな悪人(協力者)を生んだ、この社会に問題点(矛盾)は無いのか? そんな悪人(協力者)を生んだ、この社会の宗教やスピリチュアルに問題点(矛盾)は無いのか? 悪人は、そんな社会やシステムに対する警告とも言えるんだ。 ミ○スの教祖と俺様との違いは、 親に恨みを持ってるか、持ってないか? この、ちょっとした違いだ。 だからこそ、男性原理(方便)と女性原理(智慧)が、 ミ○スよりも、和合してるだけに、手段と智慧(女性原理)に恵まれたと思わる。 ミ○スでは、夫婦関係を土台にしているが、 それを言うんだったら、親子関係なんだ。 親がいなけりゃ〜、自分もいない。 自分がいない事にはぁ〜、夫婦関係もクソもなんだよ!! 親と自分(子供)は相互依存関係にあるんで、 親子関係が悪いと、夫婦関係に影響を与えるし、 夫婦関係が悪いと、子供にも影響を与える。 夫婦関係が直って、子供の登校拒否が治った。 なんて話が、鏡の法則って本に、あったと思ったがぁ〜 あっちの問題が解決したとたん、こっちの問題も解決した!! そんな経験ないかい。 それは、この世の、あらゆるものは、相互依存関係にあるからなんだ。 ミ○スでは、夫婦関係を土台にしているが、 そうやって、自分の幸せばかり考えてたから、 こんなことに、なってしまたのでわぁ〜 と、意識を横へ、横へと広げるんだ。 また、その逆もありで、自分のカルマ浄化が、 親や先祖、子供のカルマ浄化にもなるって事だ。 だからぁ〜 自分の積んだ功徳を先祖に回向すると言う意味で、 先祖供養やお盆ってものがあったりしてねェ〜 伊勢白山道・リーマンの線香が、どうたら、こうたらじゃ〜 ないからね!! 毎年、年末になると、伊勢神宮なんかにいってさぁ〜 「お金持ちに成りますように」なんて祈願するが、 そうではなく、祖先に功徳を回向する為に、そんな行事があったりしてね。 ちなみに、七支分の供養法も線香を使用するが、 基本的に、七支分の供養法は五感を満足させるものを、 全体の利益の為に、 神や先祖に捧げる(与える)供養実践(功徳の回向実践)であり、 線香(お香)は、臭いに対しての感覚、嗅覚を満足させるものだ。 話を元に戻すが、 親と子は、相互依存関係なので、 祖先が良くなれば、当然、自分も良くなる。 神道では、 「神に感謝しても 父母に感謝し得ない者は 神の心にかなわぬ。」 なんて、教えもあるぐらいだ。 年金問題やらで、これからの若い世代は、 高齢者(親)を支えるべく、その負担が多くなると言われているが、 もしかしたら、逆に、良くなったりしてねェ〜 最近の人気商売の中には、介護なんてものもあるしねェ〜 まぁ〜、俺様も、親が嫌いな時期もあったけどぉ〜 反抗期というのが、それなんだけどね。 子供は可愛いが、自己中心的であり、 そんな欲求を満たしてくれる絶対の存在が親である。 これが、反抗期を迎え、親は親、俺は俺と、 ある程度、親と喧嘩しながらも、互いに成長し、尊重しあって行けば良いのだが、 傷つきやすい幼少の時期に、親の絶対性が崩れると、親に恨みを持ち、 その代わりのものを、とかく宗教やスピリチュアル、 宇宙人やUFOなど神秘性に求め、その教えに極端に依存してしまい、 教えが絶対化する傾向がある。宗教戦争だね。 例えば、イジメにも耐え、頑張って勉強してきたが、 いざ、大学進学となると、お金が無いから進学は諦めろと、 親の絶対性が崩れるなど。 ちなにみ、その子は、 「そうまでして進学はしない」と言っていが、 本音は、かなりショックだったのか、 見知らぬ駅員をホームから突き飛ばし、死亡させてしまった。 結構、有名な事件からの例だ。 唯識論の依他起性を思い出してね。 進学するにしたって、自分独りの力だけじゃ〜無理だって事だ。 特に現代は、そうだよねェ〜 それは、そんな法(真理)の現れかもしれないね? ちょいと、絶対性に触れるが、 子供は、自分の要求を満たしてくれる絶対存在を親に求め、 信者は、自分の要求を満たしてくれる絶対存在を教祖に求め、 会社では、上司が部下へとか、また逆に、部下が上司へとか、 妻は夫へ、夫が妻へと、まぁ〜、人ってのは他に対する要求という貪りが多いんだ。 メルマガやBLOGなんてやると、来てほしいという他に対する要求(貪り)が出るよね。 セミナーなんかやると、来てほしいなんて貪りが多くでるものだ。 そんな、貪りも執着という悪業を創るんで、満足する前に落ちるって奴だ。 「なぁ〜んで、こんな人と結婚したんだろう」なんてねぇ〜 そんな、満足するまえに落ちる悪業が発生し、 「何もしてくれなぁ〜い」なんて、 夫や妻に、親に対する絶対性が崩れ、 要求相手に傷つけれ事もあるが、憎悪せず囚われない事だ。 功徳なんて積むと、そんな悪業が出がちだが、 悪業に耐えると、悪業が落ち、善業が現れ出す。 親は子に期待という要求をしがちだが、これもそうなんで、囚われない事だ。 期待しすぎるのも、良くない。何事も、やり過ぎは注意だ。 内観という修行は、心理学でも取り入れられてる修行でもあり、 これは、して貰った事を思い出し、 親や他人に対する信頼、尊敬を回復する修行でもある。 ちなにみ、オーム真理教は、教祖自身、親に恨みがあり、 親に対して恨みを持った人が集まった団体でもあるらしい。 君達の親が、一体なにをしてくれた!!なんてね。 そんなキャッチフレーズで、多くの信者が集まったが、 それが、どんな方向に行くかといえば、もう、お分かりだと思う。 元の因果関係を正さないと、第二、第三のオーム真理教が出るだけなんだ。 他に恨みを持ってるうちは、どんな方法を使おうが上手くいかないし、 既存の成功方法が何をしてくれたと言わんばかりのセミナーってあるよね。 既存の成功方法も間違えではないが、智慧が無いと上手く活用できない。 ここでは、そんな既存の成功方法の問題点と正しい使い方を解く。 ミ○スに参加するのも良いが、内観し、して貰った事を思い出しみるもの良いだろう。 よく、「今、与えられてる物に感謝しましょう」、なんて言うが、 であるならば、支え返すのが正しい生き方という事になる。 具体的に何かしてあげるのも良いが、 最初は、なかなか出来るものじゃないから、 他の幸せの為に祈ったりと、自分の積んだ功徳を他にまわす回向が良いかもね。 鏡の法則って本だったっけなぁ〜 夫婦関係が悪かったんだけど、夫に支えられる事を思い出し、 夫に感謝(回向)できるようになってから、夫婦関係が治った。 なんて言ってたねェ〜 基本的に、愛(夫婦関係)が欲しけりゃ〜 愛を与えない事には、愛が与えられないからねェ〜 ミ○スなんて、長年、そんなセミナーに銭を払ってるが、一向に財がUPしない! そんな人は、うなもん止めた方が良い。 それに、この体験談だが、なんかぁ〜嘘っぽいんだよね。 何故、そう感じるか? 後に、神通力(超能力)について解くが、そこで分かると思います。 かるぅ〜く、説明すると、ここまで読んだ人は分かると思うが、 自分も独立して存在しておらず、他との相互依存(縁起)で存在している。 つまり、自分と他人は繋がっているから、他人を感じる事が出来るんだ。 ちなみに、 論点 徳と光 徳とは光である。 功徳とは、等しくありのままに照らす光であり、 悪徳とは、自我が見たいものを照らす光である。 期待や心配を超え、 ありのままを素早く悟る速通智は、前者の賜物である。 矛盾点を無視しないなど、自分の信じる道とでもいいましょうか? 自分が正しいと思った行った事は功徳になります。 話がズレタが、愛と財ではなく、 法の番犬を読むと分かりますが、 愛情の裏に憎悪で、財の裏に才です。 ありのままの真実を認めましょう。(八正道の正見) つでに、その出口も、そこに書いてます。 答えを言わないというのは、リピータ−作りと思われるが、 それは、他人を利用し、楽して儲けようとしてる事でもある。 なぜ、へんちくりんな宗教に人が集まり、 お約束通り、騙されてしまうのか? それは、この世は類は類を呼ぶだから、 他人を利用し、楽して儲けようと思ってるから、 他人を利用し、楽して儲けようとする人達が集まり、 他人を利用し、楽して儲けようとする人に引っ掛かり、騙され大損する。 偶然、MLM(ネズミ講)に手を出したり、 偶然、統一ロ会制度を採用した訳じゃないんだよ。 ミ○ス実践者のBLOGやメルマガを見ても、 答えはセミナーでね。 なんて、意識的に人々を支配してるんだよね。 すると、意識の裏の意味が無意識に積み重なる。 支配の裏は解放だ。 現実は無意識方向に変化する無常なので、 やがで、人々は抜け出そうとする。こんな感じで脱皮(脱退)する事になる。 支配といえば、ランキング操作なんてものもある。 書店でベストセラーなんて本を見かけると思うが、 これなんかも、ランキング操作されたものなんだ。 そんなやり方で、人を集めても、 結局、自由が束縛され支配されてしまう。 やがて滅びるだけなんだ。 1+1=∞のミ○ス論理も、なにやら、バイトを募集してたねぇ〜 なんの、バイトなんだろう? 気づけば、ザ・シークレットを抜いて、ミ○ス本がベストセラーになってたね。 本当に、1+1=∞なんだろうか、怪しくなって来たねぇ〜 後に、悪人と善人は紙一重を解くが、 ユダヤの銭をオープンにする使命を授かった世界の王が、 世界を操るといわれているユダヤと同じ事をしてる事に注意してね。 非楽 の先に 礼楽 力は、惜しまないべきであり、 余力は、財を得るために用いる。 余剰の財は、他に譲与し徳とする。 さもないと、課税として徴せられる。 暇は、与えられるべきであり、 余暇は、才を磨くために用いる。 高尚の才は、他に伝承し道とする。 さもないと、寡占として罰せられる。 ミ○スの様に「答えはセミナーでね。」なんて、 意識的に才を独占すると、 意識の裏の意味が無意識に積み重なる。 独占の裏は寡占だ。 現実は無意識方向に変化する無常なので、 やがで、寡占として罰せられる。 競争(寡占)地獄の中で苦しみ、全てを失うって事だな。 特殊 の先に 普遍 カヲル 君の国には、著作権なんてものがあるんだね。 シンジ うん、ひとつ特許を取れば、もう億万長者だよ。 カヲル すべてのものは、過去からの積み重ねなのさ。 先人の普遍の叡智を、無料で使っておきながら、 自分は有料にするのは、勝手だと思わないかい? シンジ 仕方ないよ、それで食べている人がいるんだ。 作曲家だって、発明家だって、みんなそうだよ。 カヲル 水商売に、全て注ぎ込むから、いけないのさ。 あくまで、財をもたらす才は、余力で磨くのさ。 シンジ 余力で得たものを、無料で分けてやれってこと? カヲル そうさ、そう考えると、余裕が出てくるのさ。 無限に才を磨き合い、人類全体が賢くなるから。 シンジ 仕方ないよ、この世には生存競争があるんだ。 自分だけ利益を独占しないと、負けちゃうんだ。 カヲル 逆だよ、そう考えると、余裕が無くなるのさ。 有限の財を奪い合い、人類全体が賤しくなって。 シンジ そっか、言われてみれば、そうかもしれない。 でも、まだ、皆、その理解には追いつかないよ。 カヲル 気づくのは、特許による弊害が現れてからさ。 いずれ悟るよ、この理解は、特別じゃないから。 シンジ ……………………!! 余力で得たものを、与えるから、余裕が与えられる。 それは、経済的余裕かもしれないし、精神的な余裕かもしれない。 余暇があるというのは、 経済的に余裕ある証拠であり、 精神的に余裕がある証拠でもある。 だから、才は余暇で磨き、その才(余暇)を法施(シェア)する。 財の先に才を思い出してね!! リョウジ 豊かになり、この先、人類の働く総量は減る。 人類は、半日は働くべきで、半日は学ぶべきだ。 ミサト 一日中、財のために、働いていたら、ダメなの? リョウジ 財は有限だから、最小限で満足した方がいい。 奪い合うと、貴重な資源が、無駄になるからな。 ミサト その分、才のために、学んでいたら、イイわけ? リョウジ 才は無限だから、最大限に努力した方がいい。 教え合うと、貴重な人材が、有効になるからな。 ミサト じゃあ、一日中、才を磨いていたら、ダメなの? リョウジ あくまで、人の才は、余暇に磨くべきなのさ。 自生しない才なんて、寄生する才になるだけさ。 ミサト つまり、拡大再生産をする事に、変りはない。 でも、物的資源で行わず、人的資源で行うわけ? リョウジ そうさ、あくまで、自立をするため、なのさ。 そこを、財に頼ることなく、才に委ねるわけさ。 ミサト 有限の場で貶め合わず、無限の場で高め合う。 なるほどね、ずいぶん、理に適っているわよね。 リョウジ そうさ、まさに、人類の才知が進んだ証拠さ。 財が豊かにならないと、才も豊かになれないと。 ミサト ……………………!! 一日中、才を磨いていたら、ダメなの?ってのは 一日中、才を磨けるって事は、 それは、子供と同じで 親や兄弟に頼って(依存)生活しているって事だ。 依存して得た余暇を与えても それは、依存(寄生)しか返って来ない。 何時までも、不自由する事になる。 寄生しようとする奴ばっか集まったりする。 一方、翔天隊や六波羅蜜の利他実践は、 おしみなく、教えを他に与える(流布)ものである。 これを専門用語で法施と言い、この法施が最も功徳になると言われている。 なぜなら、人は他を傷つけない事に生きていけない。 この世の仕組みを知ってる人は、分かると思うが、 法施というのは、育てられたから、育て返すという恩返しでもある。 ミ○スの様に秘密にするのではなく、意識して解放する。 すると意識の裏の意味が無意識に積み重なる。 解放(恩返し)の裏は支配だ。 現実は無意識方向に変化する無常なので、人々は、自ら嵌りに来る。 論点 済度とは何か 釈迦牟尼が解脱をし、真理を流布することによって、 釈迦牟尼を縁とする魂の一群が、高い転生を達成する。 これが覚者の済度計画であり、菩薩の転生の意味である。 自然から学んで御覧って。 自然は、ありのまま生きてるんだ。 ありのままって何かというと、 自然は、必要以上のものを摂取してないって事だよ。 必要以上の信者集めをしないってこと。 必要以上に信者集めをすると、 さっきも言った通り、信者集めも、自分のプライドを満たす煩悩だからね。 そうやって、自分が得したとき、必ず誰かが損している。 これが、他を傷つけたカルマ(悪業)として返り、 与える者は、与えられるからさぁ〜と、MLM(ネズミ講)に手を出したり、 理想の相手が見つかるのがミ○スと言いつつも、 統一ロ会制だったりと、偶然に犯罪的な方向に行ってる訳じゃないんだ。 それに、法施(叡智のシェア)というのは、 後に話すが、精神的な安定や、 精神的な利益を分か合っているとも言えるんだ。 精神面が安定する条件は、人それぞれ異なる。 お金が沢山あったり、プライドを満たせる職業だったり、 理想の相手との結婚だったり、安定した収入だったりする。 そんな、精神面の安定に必要がものが与えられるかもね? なぜなら、物質面と精神面は繋がっているから。 意識的に精神的な利益を分かち合うので、 意識の裏の意味が無意識に積み重なる。 精神的な利益の法施(叡智のシェア)の裏は、 物質的な利益が与えられるだ。 現実は、無意識方向に変化する無常なので、 俺の場合、第一希望も第二希望も第三希望もダメで、 泣く泣く、第四希望の会社に入ったんだけど、 入ったら、入ったで、そこで、したかった仕事に就く事ができたり、 些細な、財施にもかかわらず、100万円入ってきたりした。 ちなみに、今までの、財施分を合しても、100万円には満たない。 財の先に才 リョウジ 豊かになり、この先、人類の働く総量は減る。 人類は、半日は働くべきで、半日は学ぶべきだ。 ミサト 一日中、財のために、働いていたら、ダメなの? リョウジ 財は有限だから、最小限で満足した方がいい。 奪い合うと、貴重な資源が、無駄になるからな。 ミサト その分、才のために、学んでいたら、イイわけ? リョウジ 才は無限だから、最大限に努力した方がいい。 教え合うと、貴重な人材が、有効になるからな。 ミサト じゃあ、一日中、才を磨いていたら、ダメなの? リョウジ あくまで、人の才は、余暇に磨くべきなのさ。 自生しない才なんて、寄生する才になるだけさ。 ミサト つまり、拡大再生産をする事に、変りはない。 でも、物的資源で行わず、人的資源で行うわけ? リョウジ そうさ、あくまで、自立をするため、なのさ。 そこを、財に頼ることなく、才に委ねるわけさ。 ミサト 有限の場で貶め合わず、無限の場で高め合う。 なるほどね、ずいぶん、理に適っているわよね。 リョウジ そうさ、まさに、人類の才知が進んだ証拠さ。 財が豊かにならないと、才も豊かになれないと。 ミサト ……………………!! 何回も言うが、この宇宙は、 原因と結果と条件で成り立っている。 例えば、種(原因)が花(結果)となるには、 光と水を与える事が条件となる。 もしかした、人類の働く総量は減るかもしれないね。 財が豊かにならないと、才も豊かになれないと。 というのは、 論点 布施の段階とは何か 布施には、三段階がある。 物質的に満たされていなければ、精神的なゆとりは与えられず、 愛の裏に憎悪で、財の裏に才です。 おっとっと、何回も言うが、 この世の仕組みを知り、必要上の貪りを抑え、 その分を、他と分かち合うなど、利他を実践してる人は、 意識的に、貪りを抑えてるので、 意識の裏の意味が無意識に積み重なる。 必要以上の貪りをしない、裏は、 必要以上の贅沢だ。 現実は無意識方向に変化する無常なんで、 与えた以上のものが、手に入ったりしてね。
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