アセンションの秘密


2013年、4月24日、現在。マメに内容を更新してます。

最初にお金の話をしましょう。

自分がする時、必ず、誰かがをしてます。
これが他を傷つけた悪業カルマ)となって返り、
結局、をする事になります。

マーフィーの法則100%自己実現とか、
引き寄せの法則とか、思い通りの人生とか流行ったが、

古事記で須佐之男(スサノヲ)が大暴れした時、
天照大御神が岩戸に隠れる話があるように、

自分が思い通りの人生を生きるとき、必ず、他の自由を奪っている。

これが他を傷つけたカルマ悪業)となって返り、
自由が束縛され、自己実現できないんだよ。

自由といえば恋愛(夫婦関係)や、
この社会は、ある程度、
互いの自由を束縛し、成り立っている事に注意してね!!

釈迦の予言書『法滅尽経』で解かれてる様に、

恋も奪い合いであり
自分が理想のパートナーに出会えたとき
必ず、誰かが理想のパートナーと出会えなくなる。

これが、他を傷つけたカルマ悪業)となって返り
ワイドショーでお馴染みですが
結婚直後、旦那が急に愚痴の多い嫌いな人に変貌したり、
結婚直後、旦那が急に働かなくなったり
お金持ちと結婚したはずが
結婚直後、旦那の会社が倒産し、嫌いな貧乏人変貌したり、
綺麗な人と結婚したはずが事後や病気で、寝たっきりの
醜い姿に変貌したりの悪人に変わる。

偶然に、夫婦関係が悪くなってる訳じゃないんだ。

これを、釈迦縁起の法ではなく、仏教唯識で解いて見よう。

好みの異性が、ここに居るとする。

それは、自分が原因となり、好みの異性となって、
結果、自分の善業が引き出され幸せを感じているんだ。

外に何も無い訳ではなないが、
好みの異性幸せを持っている訳ではない。

この様に幸せというのは脳内現象であり、
善業の積み重ねが幸せ引き寄せるという事です。

理想の相手好みの異性)と言えば、
お金持ち容姿が美しい性格が良いなどの条件があるが、

理想の相手幸せを実感すれば、するほど、条件へ変わって行きます。

お金持ちの裏は貧乏(結婚した途端に夫の会社が倒産し貧乏になったとかね)
容姿が美しいの裏は容姿が醜い(老いて容姿の良い若者に夫を取られたとかね)
性格が良いの裏は性格が悪い(嫁のモンスター化とか言われてますね)

ミ○スでは、これを、
自分の隠したもの相手に投影されているとか、
自分の悪い部分相手に投影されているとか言ってますが、
原因は自分の貪りです。

地に足を付けましょう。

理想の相手幸せ実感すれば、するほど、善業消費され条件へと変化します。

この様に、お金(経済力)、地位名誉権力など、
この世の、あらゆるものは、
実体が無くであり無常(変化する)である。

    

これを諸行無常と言います。

この様に、人は他に依存しており、
他に依存して生起する事を縁起と言います。

突き詰めると、人は他を傷つけない事には生きられない。

よって、欲望(自我)に流されると悪業しか積まさらず、
やがて、嫌いな事をしなくてはならなくなり、
最後は、求めても得られない一切皆苦地獄に至る。

よって、必要以上の欲望は抑え、
同時に、他を傷つけた恩がしで善業(功徳)を積む。

この不苦不楽(六波羅蜜)の道で、

善業悪業から、
善業悪業の状態(徳を積む)に自分を変えていく。

これが、釈迦一元論ですね。

ちなみに、善業が多い、
互いを利する夫婦関係(人間関係)を順縁と言い、
六波羅蜜を行うと、その様に人間関係が変わっていく。

良い事をすれば、良い事が返ると言いますが、

嘘っぱちで、

良い事をすれば、するほど悪業カルマ)が出ます。

つまり、良い事をすれば、悪い事が起きる。

これに耐えると、悪業が落ちて、善業が出る仕掛け。

ミ○スでは、耐えなくて良い、我慢しなくても良い、
善業)なんか積まなくとも良いとか言ってますけどね。

六波羅蜜を行うと、悪業精算の為、

物質的な困窮に耐える事誹謗、中傷に耐える事
悟りの難しさに耐える事など、3つの試練があると言われてます。

物質的な困窮に耐える事は、貪りに対する布施(善業)であり、
誹謗、中傷に耐えるという事は、名誉や地位に対する布施(善業)であり、
悟りの難しさに耐える事は、怠惰(甘え)に対する布施(善業)と言われてます。

このように、ミ○スと違って、
与える方向には無限の意味を持たす事が出来るんですねェ〜

修業を始めた頃、よくあったのは、

相手には、その気はないんでしょうが、
妙に、相手の言う事がチクチクくる事がありました。

名誉の布施ですね。

また、一生懸命、ブログを書いてるが、
アクセス数ゼロが続き、誰も認めてくれないとか、

ブログ・ランキングに参加しても、
一向に、ランキングが上がらないとかね。

名誉の布施ですね。

こういった事が起こります。

これと、似てるんだけど、

阿呆なミ○ス人が居て、

人には支配欲があるから苦しいと悟った。

なんて、言う割には、

誰も聞いてくれないし、
誰も認めてくれず、アクセスが無いもんだから、

やたら、人気のある他のブログで、
これをコメントに残したりしてた人がいた。

これは、

自分の考えの方が他よりも優れているという執着があるんだ。

自分の考えの方が他よりも優れているという慢心があるんだ。

上から見ると同じ支配欲ですね。

まぁ〜、ミ○スって、こんなもんでしょう。

慢心の裏に卑屈ありで、

誰も、聞いてくれないなんて事になっているんだ。

人の論理ばかりパクって、その気になって、
金儲けなんてやっていると、こうなりますね。

まぁ〜、これも、名誉の布施とも言えるかな。

このように智慧がないと、

誰も聞いてくれないし、
誰も認めてくれないからって、

選挙で落ちたのは陰謀だぁ〜、と、
オウム真理教の様に暴走したりします。

利他の実践は、このように、
自分を尊い存在と思いたいなどの自尊心や、
プライドなどの名誉が崩される段があります。

これに、耐えると悪業が落ちて、善業が出る仕掛け。

ミ○スでは、耐えなくて良い、我慢しなくても良い、
善業)なんか積まなくとも良いとか言ってますけど、

それは、ミ○スの高次元世界では思考一瞬現実化するからとか言ってます。

ちなみに、これは、

一瞬で願望を実現したいと言った執着を持った人や、
一瞬で悩みを解決したいと言った執着を持った人向けに、

高次元世界では思考が一瞬で現実化する。

と、積極的な嘘をかまして勧誘しているだけです。

気を付けて下さいね。

意識的一瞬を求めているので、
意識の裏の意味が無意識に積み重なります。

一瞬の奇跡の裏は、
死ぬまで不幸などころか死んでからも不幸

現実は無意識方向に変化する無常なので、
これでは、幸せになるどころか、何時まで経っても不幸のままですね。

ミ○スにみついだわりには、
奇跡が起きるどころかミ○ス・ローン(ローン地獄の不幸)が増えたとか、
ミラクルが連続せず不幸ばっか。
長年、ミ○スにみついでいるが、一向に理想の相手に出会えない。
そんな人は六波羅蜜を試してみるのも良いかと思います。

一瞬で一発で奇跡が起こすのも考えもんで幸せが長続きしないんですねェ〜

コツコツ努力した方が長期的な幸せが漏れなく付いてくると言う事です。

軌跡の裏に奇跡がありますから。

また、思考も現実化するには条件があって功徳善業)があることが条件となります。

この様に、この宇宙(この世)は、原因条件)と結果で成り立ってます。

例えば、種(原因)が花(結果)と成るには、光と水を与える事が条件)となります。

条件の中には無条件というのもあると思います。

これは、無償の愛というものですね。
無償の愛を与えるものが、無償の愛を与えられます。

無償の愛は、どんな時も与えられる条件が変化しない愛なので、
恋愛というのは、この無償の愛が返ってくるのが望ましいでしょう。

ニコラ・テラス
エジソンは、1ダース以上の、ノーベル賞に値するよ。
夫の世話生甲斐とする、稀有な女房に恵まれなければ、
無趣味と無頓着のために、もっと早死にしていただろうが。

夫の世話を生き甲斐という所なんかぁ〜、まさに、無償の愛だと思います。
善業が多い人は、類は類を呼ぶで、そういう人と結ばれ易いと思います。

ミ○スの条件ですので、崩壊しやすい人間関係)ですね。
悪業が多いと、類は類を呼ぶで、悪業の多い人と結ばれてしまうんでしょう。

あと、後に何回も触れますが、
願いには正しい願いと、そうでない願いがあります。

お金意識の関係を言うと、
お金持ちに成りたいと思っている裏(無意識)で、
お金持ちに成りたくないと言ってます。
現実は無意識方向に変化する無常なので、
これでは、何時まで経っても貧乏ですね。

誰もが、良い学校、良い会社に合格祈願をするが、
合格者には限りがあるので、これでは、神も願い叶えようがありません。

ですから、神は、その学校で学んだ事を全体の為に使おうとしている人を合格させます。

こんな感じで、自我の裏に他我ありで、
自我と他我の両方を満たした願いが正しい願いであり、

逆に、ネズミ講ネットワークビジネス)など、
他を傷つける願いは、後ろめたさ罪悪感があるので叶いません。

船井研究所では積極的に、
ネズミ講(ネットワークビジネス)を推薦してるようですがぁ〜

なぜなら、そういった良心的な部分など、
自分の全部分の投影が目に見える外の人達ですから、
後ろめたさ罪悪感のある良心が許さない願いは、
外の人達(他力)が許しませんので、願いが叶いません。

この世に自分だけの力だけで、なし得たものがあるか?

と言えば、そうだはなく、職場に行くにしたって、
誰かが作った道路を歩き、誰かが作った交通機関(車など)を使って通ってます。

これは、神は自分の中にいたとも言えますね。

逆に、良心が許す願いというのは火事場の馬鹿力と言いますが、
それでけ、罪悪感のない集中した心というのは人智を超えた力(他力)があり、
願いが叶えられ易いという事です。

お金に関して言えば、お金を全体の為に使おうとか、

結婚に関して言えば、ミ○スの様に、
楽しむ為に結婚するから、後に苦しみますので、

恋愛や結婚に関して言えば、それだけ、相手を幸せにしよう。

または、それだけ、良い事をしよう。と、
利他的な願いが正しい願いだと思います。

なので、ミ○ス信者の様に、ミ○ス原理を盲信し、無職のままでは、誰も幸せにできません。
盲信と言えば、何故、神は科学を与えたかと言いますと、
そういった、盲信や迷信から、目を覚まさす為です。

信者が脱会しそうになると、どいつも、こいつも、
脅しを仕掛けるものですが、何故、神は智慧という科学論理性)を、
与えたのかと言うと、そういった、盲信や迷信から目を覚まさす為です。

ミ○スでは、マリッジ・コードを外しますよと、
結婚に執着している人に脅しを掛け、脱会を防止しているようですけどぉ〜

気を付けて下さいね。

裏を返すと、ミ○スの様に、迷信が世の中を支配するという時代ではなくなっている。

という事です。


ミ○スの結婚は、
夫婦関係経済関係とかいって、
自利目的の結婚ですからねェ〜

良くなる訳がありません。

ちなみに、これは、お金に
執着がある人向けに、

夫婦関係経済関係と言っているだけです。

お金に執着しているだけに、
そう言われると、ミ○スで結婚してみようかしらぁ〜
と、誘惑が生起する仕掛けです。気を付けて下さいね。

これでは、1日で理想の相手に出会えるどころか、
何時まで経っても、理想の相手は現れないと思います。

長年、ミ○スを実践しているが、
一向にパートナーが現れないどころか、ミ○ス・ローンが増えた。
そんな人は試してみるのも良いかと思います。

また、後に解く、嫉妬、妬みに関連するので、ここで、言っておきますが、
結婚やお金、名誉や地位など、それらを得るという事は、
それらを持てない人に代わって、持つ苦しみを背負うという事でもあります。

例えば、持つものには、
その収入を維持する苦しみや、執着対象を失いたくないなどの苦しみがあります。

不思議な話ですが、喜びには2つあって、
ひとつめは、他人よりも優位になることを喜ぶ心と、
ふたつめは、他の幸せを喜ぶ心です。

前者は、喜びの裏で他を傷つけているので、後に苦しむ有限の喜びですが、
後者は、誰も傷つかないので、無限の喜びという事になるのですが、

無理矢理でも良いから、他の幸せを喜ぶような瞑想をすると、

あら、不思議。

喜びの裏に苦しみありで、
他の幸せを理解すると、その裏にある苦しみも理解してしまいます。

嫉妬、妬み対象というのは、自分が思っているほど、幸せではなく、
持つものには、それなりの苦しみがあり、
持たいないものには、それなりの気楽さがあります。

という意味では、人は平等なんですね。

ちなみに、なにゆえ、
ミ○スの様なヘンチクリンな宗教や団体に人が集まり、
お約束通り騙さるのかと言えば、類は類を呼ぶで、

自分だけ儲かりたい(自分だけが助かりたい)と思っているから、
自分だけ儲かりたい(自分だけが助かりたい)と思っている人が集まり、
自分だけ儲かりたい(自分だけが助かりたい)という人に騙さる。

そういう仕組です。

また、無償の愛と言えば親子関係がそうですね。
親は子に無償の愛を与え子を育てます。

無償の愛というは人が本来、持っている力とも言えます。

この様に、無償の愛というのは、
競争よりも、最も、この世で安定した条件です。

ミ○スでは「あっ、そうなん!!」で絶対安心とか言ってますが、
地に足を付けましょう。

ちなみに、修業(利他の実践)すると、そういう局面が多いです。

与えても、与えても、悪業勃発で与えられませんからね。

それでも与えるならば、それは見返りを求めない布施となり、
無償の愛を与えた事になります。

どんな状況であれ、与え続けているというのが神ですからね。

この利他の実践善業積み)を繰り返す事により、

悪業が減って、そのうち、悪業よりも善業が多くなり、
幸せに成る仕組みです。

初段は、で返るが、後に、で返る仕掛け。

これを約束の日と言う人もいます。

あぁ〜、そう、そう、

ミ○スと言えばパクリですが、ミ○スでは、やたらと、

思考が思い通りになる高次元に行くのですよと脱会を防止したり、

3次元は人気がありますが、アセンションで高次元に行くとか、

極と極が合わさって、人類が一瞬で消えたとか、

悩みの無い世界が、どうの、こうのとか、

ミ○スの王国が出来るとか言ってますが、

これは、キリスト教の福音派の教義をパクったもので、
ラプチャー携挙)と呼ばれるものだと思います。

ラプチャー携挙)とは、簡単に言うと、

終末(最終戦争)になると、その寸前で、
キリストが、ポヨポヨン、と空中にやってきて、
信仰の深いキリスト教徒を生きたまま天国に引き上げ、
その後、キリストと共に世界を支配する。

と言った、選民思想です。

どいつも、こいつも、
自分達の教団が世界を救うとやってますが、
これが、選民思想という奴で、

ミ○スでは、やたらと、戦争が起きるとか、
自分達の教祖がイエスで、イエスが復活するとか言ってますねェ〜

まぁ〜、この天国ラプチャー)という奴を、
人類が消えたとか、高次元に行くだとか、思い通りの世界に行くとか、
ミ○スの王国が出来るとか、悩みの無い世界とか言っているのがミ○スで、

思い通りの世界に執着している人や、
悩みの無い世界に執着している人向けに、
そのような積極的な嘘勧誘していると思います。

ラプチャーとは、
その様な執着をもった人を勧誘する為に作られたガセネタと言えるでしょう。

地に足を付けましょう。

まぁ〜、言葉は悪いですが、
貧困層というか、競争になかなか勝てない人は、
そういった執着が強いですから、

そういった、積極的な嘘を、かまされると、

そんな、執着があるだけに、

本当かしらァ〜、お話だけども、聞いてみようかしらぁ〜

と、誘惑が生起し、

結果、騙されるので、気を付けて下さいね。

ちなみに、リチャード・コシミズによりますと、
アメリカ(ユダヤ)は、借金をチャラにするべく、
日中関係など、国と国との関係を意図的に悪くし、
戦争を起こそうとしている。と言ってますねェ〜

まぁ〜、ユダヤは、こうして、戦争を起こして、
戦争で、自分達の借金をチャラにして肥えてきたと言われてますが、

これは、つまりですねぇ〜

ラプチャーをでっち上げるというものです。
アセンションをでっち上げるというものです。
イエスの再臨をでっち上げるというものです。

まぁ〜、戦争になると、人が一瞬で消えますからねェ〜

そこを、マスコミでは、フォトンベルトの影響だと報道し、

おめでたい信者は、

アセンションしたんだとか、ラプチャーしたんだとか、思ってくれて、

誰も意図的な戦争とは気づかない仕掛けらしいです。

こうして、おめでたい信者は財産を奪われたあげく、
天国へという仕掛けなのか、本当の、ところは、わかりませんが〜

ラプチャーを信じている人は多い様で、
教団が、金を持って、夜逃げしても、ラプチャーしたんだと信じそうですね。

ちなみに、ユダヤと言えば、日本人はユダヤ人と似ていると言われてます。

なぜ、このような話をするかと言いますと、

例えば、モテル条件と言えば、
カッコイイ、可愛い、美しいなどの容姿が良いとか、
お金持ちとか、性格が良いとかあると思います。

しかし、そんな条件無常で、必ずしも、モテル条件とはならないよ。

というのが、釈迦一元論です。

裏を返すと、今、持っている自分の長所が、
やがて、異性や、お金をゲットする長所に変わりますよ。

というのが、釈迦一元論です、

がしかし、自分の長所というのは、分かりづらいもので、
ユダヤ人を知ることで、日本人の長所を発見してみましょう。

ユダヤ人と日本人は似ていると言われてますが、

1つ目は、教育熱心なところで、昔から寺子屋あったりします。
2つ目は、これは短所かもしれませんが、閉鎖的といはれ鎖国などやってましたね。
3つ目は、お金儲けが上手い。という事です。

だんだん、日本人の長所が見えて来ましたね。

お金儲けが上手いと言っても、その方法、手段は、ユダヤ人とは異なります。

ユダヤ人は金融で、日本人は物作りです。

また、ユダヤ人は、他の民族と異なり知的優位性があると言われてますね。

なにゆえ、日本は、アジアの中でも突出して近代化できたのか?

日本人はユダヤ人と同じで、知的優位性があるが為に、そうなったんだと思います。

戦後、領土の拡大資源の拡大を目指したものの、
第二次世界大戦で日本は負けましたが、その後、どうなったでしょう。

資源なんて、一次産業で、真面目に働いても、二束三文で、
その資源を加工し、ハイテクで、儲かっているのが日本です。

iPhone、とか、iPadですよ!!。物作りですね。

ミ○スでは、
真面目にやっても儲からないとかなんとか言ってましたが、
そういう事かもしれませんね。

また、知的優位性というのは論理性があると言えるでしょう。

知的優位性があり、お金儲けが上手いなど、
他の民族から妬まれるという短所もありますが、

ユダヤと言えば、神から選ばれた選民という意味でも、
ユダヤ人というのは世界から注目された民族です。

もしかしら、日本人も、そうかもしれませんが、

ミ○スに論理性があるでしょうか?

あれ、あれ、ミ○スは選民ではなかった様ですね。

お疲れ様でした。

まぁ〜、ミ○スを信じるだけ、
せっかくの長所が無駄に終わると思いますので、
気を付けて下さいね。

自分だけを愛して欲しい(愛されているという優越感)、
認められたい、
自分に注目して欲しい、

こうした、自分を尊い存在と思いたい。

といった行為は愛情欲求であり、

愛情に
執着しているのが六道輪廻人間界です。

人間界自尊心を司りますので、

あなたは、特別です」とか、
あなたには、○○○の使命がある

なんつって、
積極的な嘘をかますと、

愛情に執着しているだけに、

お話しだけでも、聞いてみようかしらぁ〜

そんな
誘惑が生起し、財布の紐が緩み、
気づけば、セミナー費を、ぼったくられてる仕組み。

ミ○スには、気を付けて下さいね。

選民 の先に 万民

アスカ 選民思想のバカばっかで、やになっちゃう。
    どっかの大国もそう、どっかの教団もそうよ。

ヒカリ うん、プライドがないと、獣になるからね。
    人間を支配するには、選民思想が便利なのよ。
アスカ 自分たちは特別だって、好き勝手するから、
    何も特別じゃないって、言ってやってるのよ!

ヒカリ うん、誰だって、特別だって思っているの。
    だから、特別だと思うほど、特別じゃないの。
アスカ じゃあ、本当の選民って、どんな集団なの?
ヒカリ 特別と思っていたけど、特別じゃないって。
    心から悔い改めた人が、特別な手本になるの。
アスカ 特別って、言い張るほど、弾圧されるけど、
    そこで、改心できると、逆に、特別になるの?

ヒカリ そうよ、周りに、彼らが弾圧されたように、
    周りも弾圧されて、改心するようになるのよ

アスカ あたしも、あいつらと、同じ目に遭うわけ?
ヒカリ うふっ、そうよ、あなたも言ってたでしょ。
    あなたたちだけが、何も特別じゃない、って。
アスカ ……………………

積極的な嘘
で、支配されないようにしましょう。

自尊心を求めるあまり、
卑屈に極まるのが
人間界です。

どいつも、こいつも、
自分達の教祖はイエスの化身で世界を救うとか、
自分達の信者だけが最終戦争で助かるとか、
自分達の教団が一番だとか言ってますね。

これを
選民思想と言うんですけど、

そうやって、

自尊心を求めるあまり、
他を見下しているから、卑屈に極まっている。

という事です。

優越感(自尊心)に浸るには、
他を押しのけなくてなならないですからね。

他を押しのけた事など気にせず、優越感に浸るから、

そんな、他を傷つけたカルマが悪業として返り、

立場が逆転したとき、
お金持ちや、勝ち組から、無視され、

誰も、助けてくれない。
誰も、認めてくれない。
誰も、愛してくれない。


そんな事になってんだ。

ミ○スでは、

自分が、自分を認めてないから、認められない。

とかなんとか、言ってますけどねェ〜

地に足を付けましょう。

ちなみに、
六道輪廻修羅界は、
人間界の上に位置し、闘争を司る世界です。

お金持ちなど、
自分より優位な人を妬み、
勝利に執着してる世界です。

勝ち(価値)に執着するあまり、
敗北に極まるのが、
阿修羅の世界です。

ここで、勝ち(価値)を讓ると、
それは、
功徳となり、後から、楽しめる仕掛けです。

悪人に対して「
ずるい」という感情には、どこかに、妬みがあります。

お金を騙し盗られた事はともかく、
そんな悪人が自分より贅沢に暮らしているのが許せない。

とかね。

阿修羅の世界ですね。

何故、富める者と、そうでない者と、
世界が二極化しているのかと言うと、

優越感や価値(勝ち)に執着しているあまり、
そういう形で、
敗北に極まって苦しんでいると言えます。

利他的(慈悲的)な方向にしか、幸せはないのさぁ〜

これでは、
金を幾らカルト教団や宗教団体に貢いだどころで、
何時まで経っても、自己愛欲求は満たされません。

ついでに、ミ○スでは、信者に
優越感を与える為に、

ミ○スは、お金も、時間も、余裕のある人がやるのっ!!
ミ○スは、奥が深いのっ!!
ミ○スは、10億円払っても、理解できない人は出来ないのっ!!
ミ○スは、引き寄せの法則より凄いのっ!!
アセンションできるのはミ○スだけとか、


積極的な嘘をかまし、
他を見下しまくってますけどね。

人間界より下に位置するのがミ○スなんで、
仕方ないと言えば、仕方ないのですが、

人間界より下は、自分の事しか考えない世界で、

欲のまま、積極的な嘘や、騙し、パクリで、奪い合うのが、
畜生界です。

ミ○スみたいですね。

ついでに、ミ○スでは、
ネットワークビジネス(ネズミ講)が、
流行っているらしいですが、
ネズミ講は、嘘による奪い合いですからね。

船井研究所では、ネズミ講(ネットワークビジネス)を、
積極的に行なっている様ですけどぉ〜

ちなみに、この船井って人、
やたら、自分の使命(
自尊心)に執着してたね。

まぁ〜、こんなもんでしょう。

他に依存し、苦労をしらず、おこぼれを貰っているのが、
餓鬼界です。

お金は欲しいが、責任は負いたくない。
お金は欲しいが、働きたくない。
お金は欲しいが、努力したくない。

ミ○スでは、頑張らなくても良い。

とか言っているみたいですけど。

そんな
執着を持っている人向けに、
そんな
積極的な嘘で勧誘しているだけです。

気を付けて下さい。

また、嫌いな事ばかり、やらされるのが、
地獄界です。

優越感や勝利に浸り、
好きな事ばかり、やっていると、
終いには、こんな感じになります。

嫌いな人ばかりと組まされたり。

でも、これをしないと悪業が落ちない。

というのもあります。

ミ○スでは、好きな事で、お金持ちにってやってますけどねェ〜

また、依存していると、
それは、楽だし、好きな事もできるが、
抑圧され、嫌いな事も、しなくてはならなくなりますね。

これでは、何時まで経っても、
上の世界には行けず、幸せには成れません。

お疲れ様でした。

あぁ〜、そう、そう、

ミ○スでは、好きな事をやってると、
感謝されるとも言ってましたね。

気を付けて下さい。

自分は特別だの、自分は神だの、
自分は金星人の生まれ変わりだの、
宇宙人だのと、他を見下し、

優越感や勝利に執着してると、
嫌いな事ばかりやらされる
地獄界に落ちてしまうので、

仏教では、

全ての衆生を尊重しましょうと言ってます。
全ての衆生を愛そうと言ってます。


見返りの無いところにも奉仕する
博愛ですね。

勝利も成功も、分かち合わないと、
終いには、
地獄界に落ちるという事です。

利他的(慈悲的)な方向にしか、幸せはないのさぁ〜

無償の愛というのは、
これは、親と子の関係に似ていると思います。

ちなみに、見返りを求める愛が偽善という奴です。

これは、見返りが無くなると、
愛情の裏に憎悪ありで、
そのとたん、怒りが生起します。

大人と大人の関係というのは、
傷つけられるが、それでいて、怨みはない。

さっぱりした関係と言いますが、

わたしは、こんなに、あなたの為に尽くしいるのに、
あなたは、何もしてくれない。


なんてね。

恋愛や結婚などは、
無償の愛が返って来るのが良いと思います。

ちなみに、ミ○スでは、

貴方の究極の相手は、生まれた時から決まっている!

と、言っているらしいですが。。。

これは、結婚(愛情)に
執着している人向けに、
そう言って、
積極的な嘘をかまして勧誘しているだけです。

気を付けて下さいね。

ちなみに、ミ○スの人達は優しい、

と言ってますが、

まぁ〜、商売だから、というのもありますが、

人は、思い通りに行っている時は、優しいものです。

気を付けて下さい。

特に、結婚など愛情(
自尊心)に、
執着している人(六道輪廻の人間界)は、

愛情に
執着(自尊心に執着)しているだけに、

優しいなど、愛情を与えられると、

フラフラっと、誘惑されますのでね。

ちなみに、リチャード・コシミズの陰謀論によると、

ユダヤ(アメリカ)は、
日本に怨みを持つ、在日の人達に金を貢ぎ、
日本を乗っ取ると計画(日本を潰す計画)だと、
とか言われてますが、

日本人は、
在日の人達や、中国人、韓国人、朝鮮人に対して、
見下している所はないだろうか?

高度成長期は、優越感や勝利に浸り、
他を傷つけて這い上がった事は考えてなかった。

そんな、他を傷つけたカルマが返り、
そりぁ〜、乗っ取られても仕方がないかもしれないね。

選民思想は選民思想に潰される。 という仕掛けです。

なぜかというと、
自分達は特別で「神の子」というのは慢心だからです。

慢心の裏に卑屈ありで、

潰されるという形で卑屈に落ちます。

中国も、韓国も、朝鮮も、アメリカも、ユダヤも、

自分達が一番で、神に選ばれた選民と思ってますからね。

互いに他を見下している部分があります。

陰謀論が出たので、
ユダヤについて法を解きたいと思います。

さっきも言いましたが、

陰謀論と言えば、

船井研究所のベンジャミン・フルフォードど、
独立党のリチャード・コシミズですが、

最新の
陰謀論によりますと、

日本人は愛国心があるので、
何があっても日本を売り飛ばす事はしないので、

ユダヤは、

日本人に怨みを持ってる在日の人達を工作員として使ってる。

つまり、ユダヤはCIA経由で、
統○○会(在日朝鮮支援団体)や、
創○○会(在日韓国支援団体)に金を貢ぎ、

工作員として使い、

その工作員は、日本人のフリして、
従軍慰安婦や領土問題など、
日中関係や日韓関係を壊そうとしている。

また、工作員による不正選挙や、
マスコミの支持率捏造などの情報操作で、

安倍ちゃんなど、日本とって良くない総理が選ばれ、日本を支配し、

北朝鮮がユダヤと組んで核で日本を脅している。

こうして、世界から叩かれている日本は、

アメリカと手を組まなくては、 やっていけない状況に誘導され、

アメリカが推薦するTPPで、
日本の富を奪い、日本を潰そうとしている。

ついでに、日本の憲法を改正し、

なんとしても、日中戦争を引き起こし、
アメリカ(ユダヤ)の赤字国債(借金)を穴埋めし、 戦争で儲けたい。

という事ですが、

2013年の現代は確かに、

TPPなど、
日本にとって厳しいと思われる条約が結ばれ、
領土問題で、世界から叩かれたりと、

これって、
第二次世界大戦前後の日本みたいですねェ〜

また、経済の中心というのは、
西に移動したり、東に移動したりと、
繰り返しており、2012年以降は、
アジアへと、その中心が移動しようとしている。

となると、当然、
アメリカ(ユダヤ勢力)の権威は落ちるので、
それは、なんとしても、防ぎたいところなので、

日中、日韓、の関係は壊したい。

というのは、あるかもしれない。

第二次世界大戦と言えば、
この頃、大本教なるものが弾圧されました。

悪人を倒すと、悪人と同じ条件に落とされる。

というのが
カルマの法則です。

つまり、悪人がなした悪い事を、
自分も、せざる負えない状況に追い込まれる。

という事です。

ここで、同じ事をすれば、悪人と同じですが、
苦しみを超えれば、悪人を超える事が出来ます。

また、ここで、

悪人の苦しみを知る事が出来ますので、
何故、悪い事をしたのか理解する事が出来ます。

救世主というのは、このように、
その時代の
悪人として生起します。

悪人(大本教)を倒した日本は、
悪人(大本教)を倒したように、世界(ユダヤ)から潰され、

世界は、日本を潰したように、真理に潰される。

こうして、あらゆるものは、
創造維持破壊を繰り返す。

というのが道理です。

第六二回 大日本
…… 大本 の裏に 日本


大本は、日本の型となるもの。
日本とは、世界の型となるもの。
大本で起ることが、日本に起こり、
日本で起こることが、世界に起こる。

34 07 07、昭和神聖会、発足。
35 12 08、宍道湖、教祖を検挙。
36 04 18、大本聖地、爆薬で爆破。
45 09 08、教祖の無罪、賠償の放棄。

40 07 07、大政翼賛会、発足。
41 12 08、真珠湾、艦隊を奇襲。
42 04 18、本土各地、空襲で爆破。
51 09 08、主権の回復、賠償の放棄。

大本、投獄日数、2435日、
日本の、占領日数、2435日。
大本、事件から解決、9年と9月、
日本の、戦争から講和、9年と9月。

悪人というのは独立して生起したものではなく、
この、行き過ぎた競争社会が創り出したものですからねェ〜

また、そうした社会を作ったのは、
一人ひとりに責任があるという事です。

悪人と同じ状況に落ちないと、
人は、なかなか、反省しないものです。

反省しない事には、世の中、変わりません。

第十話 業と劫
…… 小さなめぐり と 大きなめぐり


「この大宇宙は、無数の小宇宙から出来ている。
カルパは、
創造維持破壊、大きな巡りを創り、
カルマとは、原因と条件と結果、小さな回りを作る。」

「善性が強い、
創造期には、絶対の実在を司る、
父なる神が顕れて、選民に原理に与えようとする。
即ち、神を信じる選民が、法を守り、救われる時代。」

「動性が強い、
維持期には、御国の福音を司る、
子なる神が現れて、万民に博愛を与えようとする。
即ち、人と生きる義民が、愛を培い、救われる時代。」

「暗性が強い、
破壊期には、真理の御霊を司る、
霊なる神が表れて、愚民に智恵を与えようとする。
即ち、地に落ちる愚民が、知を学び、救われる時代。」

創造維持破壊の、
破壊期は、次の時代に向けて、
生みの苦しみとも言えるでしょう。

苦しい事がないと、人は、なかなか反省しませんからね。

2013年は蛇年ですから、
脱皮しない事には、次の時代は生起しません。

出口王仁三郎

大本第二次事件の予審調書が、メーソンに届いた。
メーソンに届いたからには、もう、大本は大丈夫や。
確かに、ユダヤは神の選民である。

(日本が大本を潰したよう、メーソンが日本を潰すという事です)

艮の金神が、彼らを道具として使う。
ユダヤは、悪に見せかけて、善を為す。
神は偽悪であり、悪に見せて大善をなす


CASE 自 由 の 石 工

カヲル これもしてもダメ、あれもしてもダメって、
    こんな環境で、人間は成長すると、思うかい?

シンジ 思わないよ、自分の好きにさせて欲しいよ。
カヲル そうさ、だから、僕らは、そうして来たのさ。
シンジ 迷信に支配された時代は、何をしてくれたの?
カヲル 目を覚ますように、科学を教えてあげたのさ。
シンジ 領主に支配された時代は、何をしてくれたの?
カヲル 力を合せるように、革命を促してあげたのさ。
シンジ 資本に支配された時代は、何をしてくれたの?
カヲル リセットするため、恐慌を起してあげたのさ。
シンジ そうなんだ、いろいろと助けてくれたんだ。
カヲル うん、そして、そろそろ最終段階に来たのさ。
    最後は欲望を越えて、僕らから卒業するのさ。

シンジ えっ!? もう、人類を助けてくれないの?
カヲル もう、僕らが、完全に支配しちゃったからね。
    僕らが支配していたら、助けた意味がないよ。

シンジ 嫌だよ! 僕を助けてよ、裏切らないでよ!
カヲル まあ、好きにしなよ、無理には言わないよ。
    そうさ、いつも、僕らは、こうして来たのさ。

シンジ ……………………

創造維持破壊の、
破壊期リセットともいえるでしょう。

さて、2013年の現代は、
第二次世界大戦前後の日本と、そっくりですね。

領土問題やら、TPPの不平等条約による支配やら、
全世界に叩かれ、憲法を改正し、もしかしたら戦争へ、
なんて所なんか、そっくりですね。

で返るで、
なにかしらの
雛形になっているとすると、

あの、オウム真理教と同じ条件に 落とされてるとも言えますねェ〜

もしかしたら、

オウム真理教など
悪人を潰した結果、

悪は悪で返るで、

安倍ちゃんが不正選挙で当選し、
北朝鮮がユダヤと組んで日本を核で脅し、
TPPなど、不平等条約で日本が植民地化され、
領土問題で、世界から潰されているのかもしれません。

上から見ると、

そんな悪人のユダヤ人や在日工作員が、

ちょっと変わって見えて来るでしょう。
少なくとも、絶対悪ではないと思います。

悪が悪で返って来ているだけです。

陰謀論と言えば、
船井研究所のベンジャミン・フルフォードど、
独立党のリチャード・コシミズですが、

9.11 の WTCの崩壊が自作自演のテロだどして、
3.11 の 東北震災が人口地震だとして、
12.16 の 選挙が不正選挙だとして、

そこに、真実は無いんだよ。

悪は悪で返るので、

陰謀論信者と一緒になって、
悪を潰せば、潰すほど、人工地震で潰される。

という事です。

ミ○スにも、陰謀論信者がいましたけど、
こいつが余計な事をしてくれたお陰で、
人工地震が多発し、日本が潰されてたりしてね。

だから、

悪人を出さないような努力をしないと、
日本は世界から潰されてしまうという事です。

こうして、見ると、
船井研究所や独立党の陰謀論なんて、

そこに、原因は無く、
また、そこに、解決策も無く、答えも無い。

そんなんの、どうでも良くなって来たね。

原因は、悪をシバいた事によりユダヤが動いてるって事です。

また、大本教の無罪が、
日本の主権の回復とリンクしているが、

オウム真理教の事件が雛形となっているとしたら、

教祖の無罪は、厳しいと思うが、
なにかしら、オウム事件が解決しないと、

日本の主権は回復することがなく、
その間、TPPによる日本の植民地化は続き、
日本の富は不当に奪われ続けるんだろうと思われる。

オウムは、まだまだ、
地域住民の反発はあるわぁ〜
マスコミや公安にシバかれてますからね。

シバかれてる間は、悪は悪で返るで、

2013年、夏の参院選は、また、また、不正選挙で、

日本は、人工地震やら、ユダヤ工作員やら、
北朝鮮の核の脅しやらで、

TPPで日本の富は奪われるわぁ〜
リストラは、しやすくなるわぁ〜
正社員なんて、なくなるわぁ〜

こうなると、生活保護なんて公共サービスは無くなるかもね。

そんな感じで、弱肉強食になって、日本は、潰されまくり。

弱肉強食といえば、
最近、障害者に対する虐待とか、
教員による生徒の虐待とか、色々あるしねェ〜

北朝鮮と言えば、拉致問題があるが、

これも、悪は悪で返るで、

そんな、悪人をシバいたから、シバかれてるのかも?

また、アメリカと中国との間で、 苦しんでいるのが沖縄だからね。

日本の主権が回復しない事には、 沖縄の苦しみも解決しないかも?

しかも、TPPって、
強引に世界に広まりつつあるよね。

こうして、世界は、潰されるのかもしれません。

このように、世界は、
創造、維持、破壊を繰り返してますが、

破壊はユダヤの役目であり、

破壊の裏に再生ありで、

再生の役割が日本にあると思います。

陰謀論に夢中になるものも良いですが、

もっと、大事な事があるかもしれせん。

大本 … カルマの本として、日本の型となるもの
日本 … ダルマの本として、世界の型となるもの

大日本 … カルマのもとになり、世界を破壊して
      世界を再生する、ダルマのもとになる
      日本で起こることは、世界でも起こる


ちなみに、一厘の仕組みとは、
ユダヤが善人になる事なんて言われてます。

だだし、それは、日本人が改心したらの話です。

また、ユダヤ人の特徴と、日本人の特徴は似てますからね。

融和する可能性もあるんだ。

まぁ〜、 陰謀論信者は、
陰謀論を通して、

注目されたいとか、 認められたいとか、

自尊心を満たそうとしているから、

陰謀論なんて、意味がないよ。

なんて言うと、
自尊心(執着心)が崩されるので、

改心するどころか反発すると思いますけどね。

アンチミ○スが、
ミ○スの嘘を、論理的に、次々と見破り、 脱会者が増え出した頃、

あるミ○ス信者が、
 
男だったら、グダグダ言うなっ!!

と、アンチに反発してましたが、

これは、脱会者が増えた事により、
自尊心が崩れ、アンチに反発しているんですねェ〜

それだけ、ミ○スを実践しても、
自分を尊い存在として見れえないという事です。

まぁ〜、カルトなんて、そんなもんでしょう。

しかし、まぁ〜

悪人を許すなんて、
相当な、智慧と慈悲がないと、
そうはいかんだろうねェ〜

例えば、

韓国や中国では、反日教育がなされているが、
一昔前は、日本も反米教育をしていたからねェ〜

悪は、悪で反っている。

朝の国は、将軍様、万歳の国ですが、

一昔前は、日本も、天皇万歳の国でしたからねェ〜

同じですね。

朝の国 という 日の国
マヤ  日の国の隣に、悪の枢軸、朝の国があります。
    同盟国の、星の国に、攻め滅ぼして欲しいです。

リツコ あら、日が昇ったからこそ、朝になったのよ。
    また、夜に戻してもらっても、繰り返すだけよ。

マヤ  どういうことですか? 意味が分かりません。
リツコ 今の朝の国は、将軍万歳の、悪の枢軸だけど、
    昔の日の国も、天皇万歳の、悪の枢軸だったの。
    昔、星の国と戦ったことは、覚えているわよね?

マヤ  ええ、覚えてますよ、でも、仲良くなりました。
    今度も、戦って仲良くなれば、良いと思います。

リツコ あら、すると、今度は、昼の国が現れるわよ。
    星の国は、永遠に戦い続けて、従わせ続けるの?

マヤ  ええ、そうですよ、仕方ないじゃありませんか?
リツコ あら、それだと、世界中が真っ暗になるわよ。
    世界が、夜の国に支配されて、日が昇らないわ。

マヤ  じゃあ、日の国は、どうすれば、良いんですか?
リツコ 朝の国を許すのよ、昔の日の国と同じだって。
マヤ  なるほど、そうすると、世界中が明るくなる?
リツコ そうよ、ほら、こうして、感化されて少しずつ。
マヤ  ……………………!!

悪人は独立して生起しているのではなく、
なにかしら、自分との繋がりや、
自分との共通点を見い出せれば
を許せるかもしれない。

オウム真理教も今だに叩かれてはいますが、

自分達も昔は、同じ事をしていたなぁ〜

と、オウムの被害者の中には、
オウムを許している人もいるそうです。

オウムは第二次世界大戦前後の日本と、 そっくりですからね。

世界から叩かれているからって、
世界を
と見て、戦争だぁ〜なんてやったら、
それこそ、オウムと同じです。

オウムも周りから認められないからって、
周りを
とし、を潰そうとしましたね。

裏を返すと、行き過ぎた競争社会の為、
それだけ、日本人の
自尊心が満たされなくなって来た。

とも言えますね。

自尊心が満たされなくなって来たと言えば、

人気ブログ・ランキング、
何故か?、万年一位でランキング操作ぎみの、

伊勢白山のリーマンが言うには、

これは、誰がやっても、苦しい仕事だから、自分が引き受けよう。

なんて、自慢してましたが、

そうでなく、

今日も、なにかしら、苦しい事はあるだろう。

が、正解です。

なんで、こんな話をしたかと言いますと、

自分は全体の一部って事です。

自分だけ、幸せに、とやってると、落ちますが、

自分は全体の一部なんで、
全体が
地獄に落ちるのならば、 自分も一緒に落ちよう。

とすると、かえって、上がると言うのが、

この世の仕掛けです。

まぁ〜、ランキング操作をするって事は、
それだけ、
自尊心執着しているって事です。

リーマンなんて、そんなもんでしょう。

ミ○スも、ランキング操作で、
本が何冊かベストセラーに輝いたようですけど、
それだけ、
自尊心執着しているって事です。

やたら、

僕は、金星人だとか、
宇宙人とコンタクトしてるとか、
霊視やら、オーラが見えるとか、
特殊能力を自慢する人がいますが、

ようするに、

自分を尊い存在として見れてなく、
自尊心執着しているって事です。

行き過ぎた競争社会が生んだ、
この世の
イタイ子といえるでしょう。

まいったね、こりゃ〜

ちなみに、

霊視やらリーディングやら、
特殊能力で他人よりも優位にってやっているから、

こいつら、敗北に極まっているんですねェ〜

敗北に極まるから、
ますます、
自尊心執着している。

慈悲的な方向にしか、幸せは無いのさぁ〜

そんな訳で、相変わらずアクセスが多いが、

ミラーワールドの魔法だか、ロスコバランスの、
アセンションは結婚だったの
マリッジコードミ○スや、ミロソフィアの愛と財だか、
引き寄せの法則やら、ホ・オポノポノやら、
NLP心理学やら、
オーラの泉やら、アセンションへの扉だが、
1+1=∞やら、精神世界の鉄人だとか、
バシャールのワクワク星人だか、ラムサだか、伊勢白山のリーマンとか、
一日で理想の相手に出逢えるとか、出逢えないとか
なんつって、救われるどころか、 銭、掬われたか?

うなもん、実践して、
かえって、夫婦関係が悪化した!!
うなもん、実践して、かえって、親子関係が悪化した!!
うなもん、実践して
、かえって、
人間関係が悪化した!!
うなもん、実践して、かえって、不幸になった!!
うなもん、実践して、かえって、経営が悪化した!!
うなもん、実践して、かえって、病気が悪化した!!

ここは、そんな人向けさぁ〜

俺なんか、奴らの「
」とかいうMLMネズミ講)で、
2年間、救われるどころか、銭(足元)、掬われたあげくに、
相手を受け容れたとき、魔法が使えるんですと言いつつも、
5年間、続けてきた、
法施BLOGを奴らに殺されました

法施:叡智の人類共有財産化

ちなみに、そこでは
答えを言いません。

読者の質問に対しても、
答えはセミナーでねとか、
銭、払って、セミナーいったものの、
今日はここまで、とか、
働かずに暮らす無限のリピーター創りと思われるが、

これは、ミ○スの答えを知りたいという執着を突いた積極的な嘘です。

なので、セミナーに行っても答えはありません。

最初から答えなんて、そこには無いですからね。

まぁ〜、自分探し使いなんてェ〜

こんなもんだぜぇ〜


悪い事というのは隠し通せるものじゃないんだ。

森相応 第六章

「最近、城門の広場や、大通りの集会堂で、
私達のことについて、
嫌な噂が立っています。
そもそも、これは、何の
因縁によるものですか。」

このように聞かされて、比丘は青ざめて言った。

「もともと、家とは、覆い隠すためのもの。
私が家を出たのは、全てを明らかにするため。
どうして、
悪い事が、隠し通せる事があろうか。」

都合の悪い事や、嘘を隠そうとするのが人ってもんだが、
意識的隠そうとしているので、
意識の裏の意味が無意識に積み重なる。

隠すの裏はバレルだ。

現実は
無意識方向に変化する無常なので、
そんな
無意識部分を他人が演じ、仲間や身内が罪悪感から喋るなど、
嘘や、
MLMネズミ講)など犯罪的で悪い事がバレテしまう。

例えば、最近、内部告発によって、
ミ○スの真理を商品にしたネズミ講ビジネスが明らかになり、
S学会の様に、虐めや、嫌がらせ、脅しなどによる、
ぼったくり高額セミナーの勧誘や、
興味を引く宣伝で、欲しいものがある振りして、答えがないなど、
積極的な嘘を使い「人の苦しみや心をもて遊ぶネズミ講的な勧誘が明らかになってきた。

その背景には、無思考になれば、が消えるとか、
お金儲けは醜いと思ってるから財が入らないなどのミ○スの論理が、
そんな、他を傷つけた行為を正当化してるんだろうと思われる。

つまり、罪悪感(醜い)なんて感じてるから、何も儲からないんだっ!

というのが、ミ○ス論理(愛と財)なんで、

騙しもするし、嘘もつくし、盗作(パクリ)もするし、
あなたには○○○の使命があると人権費ゼロで働かせたり、
そんなボランティアからもセミナー費はちゃっかり頂くし、
人類救済がミッションと言いつつ、救済対象からも銭を騙し盗るし、
毎年恒例、ぼったくりクリスマス・パーティーで銭を騙し盗るし、
捏造した、でっちあげのミラクル体験談で勧誘し銭を騙し盗る。

ネズミ講というのは、ネズミ講の話とは言わず、

面白い話があるからさぁ〜」とかなんとか言って、勧誘するでしょう。

普通、罪悪感があるので、そんな事はしませんが、
それと同じミ○スでは積極的な嘘を使う。ミ○スは、元々、ネズミ講団体だからね。

だもんだから、高額なセミナー料を払った割には、
ミ○ス論理自体欠陥商品で、効果がまるでない事がバレてきた。

つまり、効果の無い欠陥所品を、積極的な嘘で、無理やり売っているって事がバレてきたんだ。

積極的な嘘と言えば不妄語の戒ですね。

十戒四 … 不妄語の戒
妄語の禁戒・正語の勧戒について述べよ

妄語とは三種類の嘘を指す。
第一の嘘は、自己の利益を保全するための積極的な嘘である。
第二の嘘は、沈黙を持って正しいことを言わない嘘である。
第三の嘘は、結果的に嘘となってしまう消極的な嘘である。

積極的に嘘をなさないことにより、他人に騙されなくなるという果報が生じる。
何故なら、積極的に嘘をなす背景には、“自分の都合良く真実を歪める”という習性があり、
他人が、自分の都合の良い現実に騙されるのと同様に、
自分も、自分の都合の良い現実に騙されてしまうからである。
真実が、自己や非自己によりに歪曲され、物事を正確に認識出来なくなる。

第二の嘘、弟三の嘘の詳細は後で述べるとして、

ミ○スに、お金など、
執着対象が騙し盗られたりすると誰もが怒りを感じる。

怒りの裏に執着ありで、
この場合、お金に執着がある点においては詐欺師のミ○スと同じだ。

つまり、ミ○ス人というのは、
苦しい事があると、他人を騙す悪習慣があると言う事だ。

そんな、悪習慣があるだけに、最後は、お縄ちょうだいと行かないまでも、
そんな、可能性を有しているという事だ。

まぁ〜、ネズミ講やってる奴の行き着く先は、そんなもんさぁ〜

最近は、開き直ったのか、
ミ○スの経営方針は「騙す=人助け」と内部告発で明かになっている。

オウム真理教も、
被害者に対して、それは被害者のカルマなので、
我々は悪くないと言っていたらしい。

ミ○スもオウムも同じですね。

アセンションに向けて、ノストラダムスの時と、 同じ事が繰り返されている事に、お気づきでしょうか?

真理や法則は他の幸せの為に使用しないとね。

ちなみに、
内部告発により警察が動いており、
ミ○スは統○教会のダミー団体というのがバレて来た。

警察の捜査によると、色々と問題ありで、
県警、検察庁、国税局、税務署、公安部、などが、
ミ○スを囲んでるそうです。

気を付けましょう。

ミ○スに警察による大規模監査が入ったのは金環日食の日です。

ミ○スの教祖はアカシック・レコードを読めるそうですが、
インド占星学でも未来予測が出来るので、ちょっと、未来を予測して見ましょう。

インド占星学での日食は、
既存の権威・権(=太陽)が、(月に)隠されることから、
大きな変化を表すという見解もあるようです。

また、今回の金環日食は、
全国規模で見られた大きなものであり、
これは、平安時代以来の出来事だそうです。

歴史は繰り返すと言いますが、平安時代に何が起きたかと言うと、
それまでの支配階級であった貴族が没落し、源氏平氏といった武士が台頭しました。
宗教を見ると、いわゆる「鎌倉新仏教」と呼ばれる新しい仏教が生まれました。

平安時代の金環日食の後の状況は、貴族社会から武家社会、
一部の人のための仏教から万人のための仏教へと変化しました。
こうして、政治と宗教の双方で、それ以前の時代と比較すれば、
平等性が高まったように思います。

また、今まではイエスの魚座時代でしたが、
2012年からは次の水瓶座時代の影響が本格化すると言われてます。

水瓶座の象徴には「平等性」があります。

インド占星学の観点からも、やはり、金環日食以降は、民衆が強くなるという象意があるそうです。

ミ○スが言う未来文明とは異なる予測となりましたが、
これから来る新しい文明を予測してみました。

ミ○スから離れた方が無難かと思います。

また、そんな悪人は自分の潜在に眠る悪業の投影でもある。

競争に負けたり、信じても救われなかったり、
そんな条件に立ったならば、
自分も同じ事をしていた可能性あるという神のメッセージでもある。

このように自分と他人は、輪のように繋がっている。

であるならば、そんな悪人反面教師とし、
悪人のようにグダグダな人生にならなようにと、
悪人を自分の利益とする事が出来る。

ミ○スでは怒りの対象に対して、
自分が自分にしている事が怒りの対象に投影されているとか、
自分が隠している部分を怒りの対象に投影されているというが、

そうではなく、怒りの裏には何かしらの執着がある。

例えば、批評された場合、今の自分を評価して欲しいなどの執着がある。

つまり、怒りの対象というのは自分を高める助力者でもある。
ミ○スでミラクルが起きない人は、この様に融和する事をお勧めします。

男と女が融和すると子が生まれるように、
何かと何かが融和すると利益が生まれますからね。

おっとっと、この世は相対なので、
批評指摘事項の裏に評価ありです。

客先クレームやミスなど、しっかりと反省し、
自己や会社を改善するならばクレームも評価に繋がります。

ミ○スでは反省なんか、いらん、いらん!!と、他を騙しまくってますけどね。

怒りと言えば、

ミ○スでは、願望に執着している人や、
思い通りの人生に執着している人向けに、

ミ○スを実践すると、高次元に言って、思い通りに成るとか、
積極的な嘘を、かましては、勧誘し、

お金に執着している人には、

高次元に行けば、思わぬところからお金が入るとか、

積極的な嘘で勧誘してますが、

怒りの心浄化ヨーガでいう右動の浄化)すると、
現実を変える力に変わると言われてます。

ついでに、貪りの心を浄化ヨーガでいう中道)すると、
直感知と言って、悟り、つまり、智慧が得られると言われてます。

智慧によって、無智が浄化されるんですが、

無智の浄化ヨーガでいう左道の浄化)は、
神に導かれるという果報があると言われてます。

真に何かを成し遂げる人は、何かを狙う人では無く、
自然と導かれる、流れになる。という事ですね。

長年、ミ○スに金を貢ぎ、ミ○スを実践しいるが、
願望が叶わないどころか、導きも得られない。

そんな人は、六波羅蜜を試してみるのも良いかもしれません。

ちなみに、自由の裏に責任ありです。

「本文」 五章二五節〜五章二六節

「あなたを訴える者と、早く仲良くなりなさい。
さもないと、あなたを、彼は、裁判官に引き渡し、
裁判官は、下役に引き渡し、あなたは、牢に繋がる。」

「あなた方に、はっきり言っておく。
最後の、一コドラントを支払うまでは、
あなたは、そこから、出ては来られない。」

「論点」 自由 の裏に 責任

自由の裏には、必ず、責任がある。
自分で責任を取る者は、自由になり、
他に責任を被せる者は、不自由になる。
最後に責任を取るのは、自分以外にない。
責任を取らない限り、不自由のままである。

たとえば、自分のことを嫌う相手。
嫌われるのを、相手の責任にすれば、
相手を嫌うため、自分は不自由になる。

たとえば、相手のことを許す自分。
嫌われるのを、自分の責任にすれば、
相手を容れるため、自分は自由になる。

原因 と 条件 と 結果 

マヤ  先輩、ラプラスの悪魔って、ご存知ですか?
リツコ この宇宙は、因果に縛られているから、
    この宇宙の未来は、決定論的、という話ね。
マヤ  そう考えると、何か、お先真っ暗な感じがしません?
リツコ 確かに、そう考えると、あらゆる努力が無駄に見えるわ。
    でもね、そう考えないことだって、努力次第で出来るのよ

マヤ  えっ!? それは、どういうことですか?
リツコ 確かに、この宇宙は、因果に縛られているけど、
    その因果の受け止め方は、条件に応じて変わるの。
マヤ  厳密に言えば、この宇宙は、因縁果に縛られている。
リツコ そう、同じ未来でも、条件次第で、違って見えるのね。
    たとえば、泥棒に、財産を盗まれることが決まっていても、
    それを、悲んで失うことも出来れば、喜んで失うことも出来る。
マヤ  なるほど、あげたと思えば、喜ぶことだって、出来るんですね。
リツコ そう、そのためには、因果を越える、相当な努力が必要になるわ。
マヤ  それを聞いて安心しました、何か、光が指し込んだ感じがします。
リツコ ほらね、言ってることは変わらないけど、何事も見方次第なのよ。
マヤ  ........................!!

このように、智慧があると、意味付けが変わり、
因果律運命を超えることが出来るという事です。

ミ○スでは、思い通りの高次元世界に行けるとか言ってますが、
ミ○スを実践しているわりには、一向に自由になれない。

そんな人は、試してみるも良いかもしれません。

ミ○スでは自分を知ると相手が一瞬で変わるんですと言うが、
相手を変えるというのは、自分の思い通りに相手を変える支配欲まるだしですね。
これは支配欲という執着がある。

どの団体も金が欲しいから、
全人類を自分の信者にと支配欲で一杯ですからねェ〜
特に信者は、その様な支配欲で頭の中が一杯なので、
ミ○スでは、そんな執着を突き、

ミ○スに144000人集まる」と積極的な嘘で勧誘します。

すると、支配欲(名誉、地位)に執着があるだけに、

お話しだけでも聞いていようかしらぁ〜」となる仕掛け。

気をつけてね!!

ミ○スと言えばネズミ講ですが、
とくに、ネズミ講やってる人は人(金)に執着しているから、

ミ○スに3000人集まる事は決まっている。今、ネズミ講に参加するれば一年後には金持ちです

なんて言われると「金と人」に執着しているだけに、フラフラっと来て、騙される仕組み。

教祖願望や救世主願望がある人も、
我こそが全人類を救うと、全人類を自分の信者にと、
人、物、金と、人に執着(支配欲に執着)しているからねェ〜

だから、

ミ○スに144000人集まる事は決まっている」とか、
アクセスが倍になった」とか積極的な嘘をかますと、

フラフラっと来て、

お話しだけでも聞いてみようかしらぁ〜」とか、
もぉ少しミ○スを続けてみようかしらぁ〜」と騙される仕組み。

どこも、自分達こそが救われるとやってますが、
これって、随分と自己中心的である事に注意してね。

己を利すると己を害するのが、この世の仕組みさぁ〜

オウム真理教も、144000人が、どうの、こうのと言ってましたが、自己破滅しました。

幸せは利他しかないのさぁ〜、足元、救われないようにね。

例えば、ミ○スでは、
良い親になろうとすれば、するほど、子供は言う事をきかない。と言ってます。
これは、自分の子供を、自分の思い通りにという支配欲があります。

だから、思い通りに行かないと、子供に愛着があるから、心が動揺し、
愛着の裏に憎悪ありで、言う事を聞かない子供にやつあたりたりと、

憎しみが生起する。

ミ○スも信者に愛着執着)しているから、
信者が自分の思い通りにならず、
脱会者などには、メールや電話での「嫌がらせ攻撃」をしているそうですが、

まさに、愛着の裏に憎悪ありですね。

この場合、支配欲の反対である尊敬)で、

将来は偉大な人物になるんだ」と支配欲を弱め行く。

まぁ〜、親というのは、そうやって子を育てるものだと思うけどね。

互いを支配しようとする関係においては、なかなかその調和が形成されない。

一方、互いを尊重しようとする関係においてはが逆に形成されやすい。

だから互いの自由を、尊厳を認める方が、

つまり、ある程度さっぱりしている方がうまい関係ができて、

一方で互いに対して求め合っている、

要求し合っている状態の方が、かえって安定しない。

場合によっては憎悪に変わってくるんだよ。

つまり、「自分はこれだけやってあげているのに、なんであなたはこういうふうにしないの」っていう、

そういった愛著の裏側に憎しみが形成されてしまうところがあって、

だから、もう少しさっぱりした関係の方がいい。

そのための秘訣は、やっぱり子供をかなり尊敬することかな。

他への尊重と言えば、
例えば、なにゆえ、イエスは、

汝、敵を愛せよ」と言ったのかと言いますと、

人間関係も無常でして、
敵になったり味方になったりします。

キリスト教は、今では世界宗教ですが、
キリスト教を、世界宗教にしたのは、
イエスではなく、パウロと言われてます。

その、パウロですが、
当初はイエスの言うことが分からず、
キリスト教信者を弾圧していました。

イエスに反発していたんですね。

しかし、イエス亡き後、パウロ改心し、
キリスト教を世界宗教にまで立ち上げました。

これは、まさに、イエスの復活と言えるかと思います。

ミ○スでは、なんやぁ〜
ミ○スの教祖がイエスとして復活するとかなんとか言ってますけどね。

地に足を付けましょう。

人ってのは完全ではないですからね。
だからこそ、人は無常で変わっていく。

こうやって、人は成長して行くんですね。

ちなみに、悟りの手前は、支配欲の放棄でして、
何か悟る度に、思い通りに行かない事ばかりです(笑)。

さっぱりした関係と言うのは難しいんだけどね。

人ってのは、依存 → 反発 → 自立 というプロセスで大人になるからね

最初は子供は親に依存しているから、
親の為に、良い子供にと、親に依存するが、

そのうち、やっぱ、ちょっと違うのではと、
後に親をに回してでも、そっちがの道が、親、以上の価値があるのではと、
自分の道を歩き、結果、子供は親を超え、

親は、やっぱ、お前の言うとおりだったと、子を称賛する。

これって、ミ○スや、宗教、カルトに似てないかい?

信者は教祖に依存しているから、
悪い事でも、教祖の命令に従ってしまう。

それは、依存しているだけに、
上に認めてもらいから、悪い事も、見て見ぬふり。

という奴です。

こうして、悪い事にも従ってしまいます。

意識的に隠したものは無意識バレる事になります。

ミ○スやカルトには気を付けて下さいね。

洗脳やマインドコントロールというのは依存なんだよ。

依存関係においては、
こんなに尽くしたのに結果が出ないじゃないかぁ〜
と、愛着の裏にある憎悪が出るが、
さっぱりした関係というのは、
指摘はするが、それでいて、憎悪がない状態です。
大人と大人の関係って事です。

大人と大人の関係というのは、こんな感じで、さっぱりした関係です。

ただ、依存が強いのか、
もしくは、何かしらの事情で親元を離れる結果になった人などは、
いつまでも、親に怨みを持ち、
依存から自立できず、カルトに依存したりと、
そんな感じになるみたい。

宗教なんて、信じれば(依存すれば)、 信じるほど(依存するほど)、
救わるどころか、足元、救われますからね。

盲信、狂信では、救われません。
地に足を付けましょう。

ここは、この様に、智慧慈悲で自他の区別を外して行く。

これは、悪い事も、自分一人の力だけじゃ回避できないと言う事だ。

そんな、ネズミ講などをする、みじめな悪人がいて、
はじめて、悪の誘惑に勝て、悪業を回避できる。

また、ミ○スのように嘘を付いたり、騙しで儲けるのも良いが、
そういった目先の快楽の裏には長期的な苦しみが付いて来る。

目先の快楽に囚われ、
電気料金は安いが危険な原発を使った結果は知っての通りだ。

ミ○スの言う自他の区別を外すは、
相手を通して自分を知る相手に隠していた自分を見る自分を知る自分の使命を知る。
という事らしいが、これは、そこの教祖の例を出すと、
聖書を読み、聖書の登場人物(他人)を見て、

これは俺だ。俺は救世主(イエス)だ。それが俺の使命だ。

と、自分を知ったらしい。成功とは自分を知ること(使命を知る事)、

すると、必要な物が入ってくる。なんてやってるが、

鵜呑みに信じると、救われるどころか、足元(銭)、掬われる。

ちなみに、これは、
一昔前の話ですが、

「お金持ち父さん、貧乏父さん」という本が流行り、

お金持ちにってぇのが、ブームだったんだ。

ちょうど、その頃、

自分探しというのもブームで、
当時のテレビ番組や、精神世界本も、
その手のものを扱っていた。

つまり、

お金に執着している人達と、
自分探しに執着している人達が多いと見込み、

自分を知ると、必要な物が入ってくる。

と、積極的な嘘をかまし、勧誘している訳ですよ。

そんな執着があるだけに、そう言われると、
フラフラっと誘惑が生起し、ボッタクれる仕組みです。

気を付けて下さい。

ちなみに、これ、俺が聞いた時よりも、すっかり話しが大きくなってるね。

後に解くが、これは使命ではなく、教祖の執着願望)が生起してるだけ。

自分よりのあるものを倒すと、
この様に、隠していた自分を知る事になる。

だから、相手に隠した自分を見るまでもなく救世主願望があったということ。

類は類を呼ぶで、そこには、支配欲に執着しているので、
裏天皇だとか、教祖願望がある人が集まってる様に見えるね。

ついでに、人、物、金というのは使命を知る事ではなく、
それなりの人格(人徳)を備えた者に集まるという事を、
ここでは学び、智慧慈悲で、そういった人格を磨いてく。

その過程において、悪業が落ちて、(無明が晴れ
智慧が生起し、自分の道を知る事もあるだろう。

ちょっと、横道にそれるが、

使命を知ると必要な物が入ってくるなんて言っているので、

必要な物について解くが、

発展途上国の人は、何時も、お金が無いと言っている。
発展途上国より、お金を持っている日本人はどうかというと、
発展途上国の人と、同じように、お金が無いと言っている。

これは、人の幸せと言うのは他との比較で、
他人より優位になった時に幸せを感じてるからだ。

よって、どこにいっても、満たされる事はない。

だから、よぉ〜く、自分を内省して見ると、
お金に困っているのではなく、他との比較で苦しんでいるだけで、
生活に必要な「お金」は既に与えられる場合が殆どだと思う。特に日本人は。

ここに引っ掛かり、囚われ、
他人よりも優位になんて、優位になろうとすると、
自分が勝利するとき、必ず誰かが、負けるからね。
そんな他を傷つけた悪業カルマ)が返り、
周りが、自分よりもグッっと幸せに成り、また他との比較で苦しむ仕掛け。

こんなに、一生懸命、頑張ってんのに、周りばかり儲かりやがってっ!!

なんて聞くけど、そういう事かもね。そっち方向に頑張っても満たされる事はないんだよ。

後に解くが、人の幸せというのは慈悲方向(分かち合い)にしかないのさぁ〜

ちなみに、他よりも優位になんてやっていると、

なんで、あんな奴に負けるのよっ!!

なんて事もあります。

この世は相対なので勝ちを極めると、この様に、負けも極める事になります。

これが、六道輪廻で言う修羅界です。

修業なんかすると、悪業勃発(カルマ勃発)で、
仕事が奪い合いになったり、異性が奪い合いになり、

なんで、あんな奴に負けるのっ!!』なんて事は、しょっちゅう発生します(笑)。

他人よりも優位にと、
他に勝利する時、誰かが必ず負けてますからね。

これが他を傷つけた悪業(カルマ)となって返り、
結局、負けも極めてしまいます。

なので、修羅界出口というのは、

他に勝利した者は、弱い者を引き上げる事で恩返しとなります。

他を引き上げるから、自分も引き上がるという事です。

ちなみに、
自由と平等は両立しませんが、
この様に博愛が前提だと、
自由と平等は補完し合います。

弱い者も、いつまでも、弱い者ではなく、
この様に、強くなる、変化する無常な尊い存在という事です。

修羅界というのは、
自分より幸せな人ばかり見て、
自分より幸せな人を妬んでばかりで、
下層を、ないがしろにし、いつの間にか、自分が下層に落ちている。

こうして、負けも極めてしまう世界です。

ただ、この競争社会で生きてきただけに、
自分よりも幸せな他人を見ると嫉妬してしまうのが人ってもんだ。

これも場合によるが、
嫉妬、妬み対象というのは、よぉ〜く見ると、
自分にとって必要な存在である場合が殆どだと思う。

例えば、恋愛だ。

全部が全部じゃないと思うが、
恋すると、恋敵(ライバル)というのが生起する。
恋敵(ライバル)が生起すると、嫉妬、妬みが出るのが人ってもんだが、

そんな、恋敵(ライバル)は誰かと言うと、
自分の上司だったり、仕事仲間であったりする。

嫉妬、妬みの裏には怠惰(甘え)がある。

どんな、怠惰(甘え)があるかと言うと、

幸せに成りたいが、責任は負いたくない。
お金持ちに成りたいが、責任は負いたくない。


なんてねェ〜

そんな「責任は負いたくない」などのしたくない事を、
嫉妬対象である恋敵(ライバル)の上司や周りの人達がやってくれていて、
嫉妬対象が自分にとって必要な存在でもある場合が殆どだ。

これは、自分の怠惰が原因で、そんな嫉妬対象が生起してる。

だから、嫉妬、妬み対象というのは、

努力すれば、そんな怠惰は克服できるし、
そんな怠惰を無くす事によって、自分も、そうなれるよ。

と言う「神からのメッセージ」なんだ。

こうなると、嫉妬対象称賛対象に変わって来たりする。

そんな智慧があると、見るものも違って見えてくる。

観音菩薩カルマ・ヨーガですね。

ちなみに、怠惰と言えば、
ミ○スでは「出せば入る」と言ってますが、

基本的に利他の実践というのは良い事を行う事で、
心のどこかに後ろめたさや罪悪感がある行為は出しても入りません。

例えば、ネズミ講とか、
騙し=人助けなんてやってるミ○スに金を出したりする行為は、
間接的に犯罪してる様なものなので罪悪感や後ろめたさがあります。

良い事をして、次に進むのですが、

財の裏に才があり、才の裏に徳があります。

つまり、利他の実践というのは徳を積むことなので、
財が来るのではなく、才を磨かせようと現実が動く訳です。

まぁ〜、試練という苦しみが与えられ、そこで才を磨く事になります。

ミ○ス人というのは、楽して幸福になりとい、という怠惰(無智)があるので、

そんな執着がある人に、ミ○スでは「出せば入る」と言っているだけで何も起こりません。

そんな怠惰を克服し、努力させようと現実が動きます。

お金は欲しいが働きたくないとか、
お金は欲しいが責任は負いたくない。
そんな怠惰に執着がある人に向けてミ○スでは、

外側を変えるのは三次元のやりかた、
高次のやり方は、外ではなく内である夫婦関係を良くする事で、
財が回る「夫婦関係=経済関係」とか、「内側の投影が外側」とか、
だから、夫や妻に「かっこいい」とか「可愛い」とか言って夫婦関係を良くして下さい。

なんつって、積極的な嘘で勧誘してます。

そんな事をしても財は回りません。
夫婦関係も外側を変える出来事で内側ではありません。

オウム真理教もヘンチクリンな真理を盲信してました。

執着している人に「夫婦関係=経済関係」と言っているだけです。

執着しているだけに、

ミ○スで結婚してみようかしらぁ〜」と騙される仕掛けです。

楽して金を儲けたいと怠惰執着している人に「夫婦関係=経済関係」と言っているだけです。

楽してを儲けたいという執着があるだけに、

ブサイク理想の相手でもなんでもないが、
ミ○スで「教祖が決めた相手と結婚してみようかしらぁ〜」と、
フラフラっと誘惑され、人生、棒に振る仕掛けです。

実際、かなりの人が地獄を見ているようで、
残ったのは高額なブライダル費などのミ○ス・ローンだけ。

すると、借金による不労働所得で、
ミ○ス人は働かなくとも金が入る仕掛けです。

このように、ミ○スでは、自分達の代わりに働くカモを作ってます。

気を付けて下さい。

ちなみに、ミ○スでは、やたらと、

ミ○スがなかったら世界平和はなかった。

とかなんとかと言ってますが、

それは、内側の投影が外側であり、
つまり、内側家族関係外側世界平和
という事らしいですが、家族関係外側の出来事です。

地に足を付けましょう。

利他の実践は才を磨くよう試練が与えられるが
その努力は財を得る為の才となり、財が回り、
最初は苦しいが、後で楽する仕組みです。

後で楽をするという意味では、
最近は不況で、なかなか内定が貰えない。

と聞くが、人生、最初に楽をすると、人生後半で地獄を見ます。

ミ○スでは、歯を食いしばって金を稼ぐのは三次元のやり方。
なんつってますが、そういう苦の裏に楽があります。

若い時は苦労は買ってでもしろといいますが、
最初に苦労した方が、後に長期的な幸せを得るかと思います。

なので、まずは罪悪感の無い財を回す事です。

まぁ〜、ミ○ス人の場合は、
楽して幸福になりたいとミ○スに依存しているので、
出せば入るとかやれば、やるほど、入るどころか、そんな隠した怠惰がでるだけで、

(嫉妬、妬み対象が生起し、努力させようとするだけで)

ミ○スがら自立する事が財を得る第一歩かと思います。

第一歩と言えば、ミ○スでは、

「どうして自分にはミラクルが起きないの!」と、

他のミラクルを見て嫉妬しているようだが、

そこには「楽して幸福になりたい」とか、
「今、すぐ幸福になりたい」という怠惰(無智)がある。

これも、怠惰を克服する事により、自分もそうなるよという「神のメッセージ」でもある。

やはり、ミ○スから自立する事が第一歩でしょう。

ちなみに、

ミ○スでは、積極的な嘘で、
なんとかと、セミナーに誘ってますが、

2012年から魚座のイエス時代が終わり、
この年より、次の水瓶座の影響が本格化すると言われてます。

水瓶座の象意には「変革・改革」があり、
宗教や政治が変わるのではと言われてます。

なぜなら、
過去に2度ほど宗教改革があったのですが、
その背景には通信機器の革命がありました。

一発目は新聞で、
二度目はコピー機の誕生です。

新聞により、牧師さんに会わないと、
学べなかった叡智が学べるようになり、
コピー機の誕生により、
教会に行かないと読めなかった聖書が、
誰でも、読めるようになりました。

今生(現代)は「インターネット」という通信機器の革命があります。

なので、宗教改革があるのでは?
と、予測している人もいるそうです。

つまり、ミ○スの様に、
セミナーに行って、真理や法則を学ぶ時代は終わりました。

ミ○スに財が回らないのは、そういった理由もあると思います。

まぁ〜、ミ○スから離れた方が無難でしょう。

ここでは、この様に、智慧慈悲で自他の区別を外して行く。

これを聖書で解いて見よう。

聖書には2つあって、新約聖書旧約聖書がある。

旧約選民思想で、
どいつも、こいつも、自分達の教祖が世界の王となる。
なんつって、支配的な人が多い。

新約は万人の教えで、
信じれば救われるという教えで被支配階級が多い。

ここに仕掛けがある。

選民思想は、
他人よりも優位に立ち、他を見下したいという慢心があるがため、
そんなカルマが返り、救われるどころか、
いつもから「お前は、蜂の子だ!」と評価されるどころか批評を浴びている。

万人の教えは、信じていれば「無条件」で救われると、
努力せず、いつも神に愛されていると平和ボケしているので、
そんなカルマが返り、救われるどころか、
いつもから「お前など知らぬ」と信仰に裏切られている。

旧約を信じる者は、いつも新約を信じる者から、

お前らなんか、神じゃない、蜂の子だと批評され、

新約を信じる者は、いつも旧約を信じる者から、

お前など知らん、誰が助けるかと言われ続けている。

旧約を信じる者にとって、新約を信じる者は神の現れであり、
新約を信じる者にとって、旧約を信じる者は神の現れであるが、
誰ひとりとして、気づいた者はいない。

アセンションなんて、
信じていれば救われるなんて思っていたら大間違いさぁ〜

信じる者から、足元、掬われるのが、この世の仕組みさぁ〜

この聖書の話しだけど、
松本龍・復興担当大が震災被害者に対して、
智慧がない、お前らなんか助けない的な失言をし、
マスコミに叩かれ、わずか5日で辞任したのと似てるかなぁ〜なんて思う。

ちなみに、慈悲なき栄光は、この様に、民衆の怒りを買い消滅する。

マリーアントワネットがそうで、名誉も地位も美貌もと、
何もかも手に入れた人だが、一つだけ無いものがあって、

それは、他の苦しみを理解できる慈悲と、それを、とっぱする智慧だ。

だから、国民がパンも買えず飢えていたのを見て、
マリーアントワネットは、パンが駄目ならケーキを食べれば良いと、
国民の怒りを買い、国民に滅ぼされた。

使命の話しついでに、ちょっと触れるが、
人の使命なんて言うものは、大方、共通しているんだ。

この世は競争社会ではあるが、

本来、競争というのは勝った方も、負けた方も、
全体的に良くなるのが本来の競争社会だ。

この世は、相対だ。

つまり、負け組がいないことには、勝ち組というのは存在しえない。

これは、勝ち組負け組みというは、相互依存関係縁起)で成り立っているということ。

なので、相互依存関係だけに、

負け組がいなくなると、勝ち組も消滅する。
勝ち組がいなくなると、負け組も消滅する。

これも、後に解くが、自分と他人など、

この世は、なんでも相互依存関係縁起)であり、他から独立した存在はない。

だから、勝ち組負け組
双方には役割使命)というのがあって、
勝ち組というのは、下を引っ張り上げる使命)があり、
負け組は上を支える使命)がある。

がしかし、負け組は、さっきも言った様に、

楽して、幸福になりたいなどの、
幸せに成りたいが、責任は負いたくないなどの怠惰があるからね。

これでは、消滅するように現実が動くだけで、いつまでも、幸せにはなれないと思うよ。

後に解くが、願いには、正しい願いと、そうではない願いがある。

怠惰を無くし、他を支える為に、○○の職に就けますように。

と願を掛けると、仕事が見つかったり、仕事が与えられたりしてね。

ちなみに、昭和最大の実業家である松下幸之助の、
最初の役割使命)は、なんだったかと言うと丁稚奉公(でっちぼうこう)だ。

丁稚奉公で上を支え、ついには、勝ち組になった人さぁ〜

普通にやっても、なかなか儲からない。
普通にやっても、なかなか勝てず儲からない。

そういう人は、
ミ○スみたいにネズミ講ネットワークビジネス)など、
詐欺的な方向に行きがちになるが、

敗北の裏に勝利ありで、

敗北というのは、
自分の個性や、自分の役割に近づくプロセスなんだ。

例えば、
最多安打の張本選手は、右手をやけどしたので左腕投手になり、
投手として肩を壊したので打者に転向した結果生まれた名左打者です。
日本も戦争で領土を失ったからこそ、加工貿易に集中し経済大国になりました。

この様に、敗北というのは、自分の役割に近づくプロセスであり、
競争というのは勝者敗者を分けるものではない事が分かるかと思います。

ミ○スで、高額セミナーに銭を払ったが、

自分を知るどころか、一向に財が回らない!!

そんな人は試して見るのも良いかと思います。

ミ○スでネズミ講ネットワークビジネス)をする事が自分の役割なのか?
ミ○スを続け、ミ○スをする事が自分の役割なのか?

ミ○スで財が回らない人は、考え直すのも良いかと思います。

ちなみに、
ミ○ス教祖救世主願望というのは、
漫画を見て、天災や天変地異を契機に
自分の活躍の場(存在意義)が与えられると思っているのと同じ。

宇宙戦艦ヤマト、機動戦士ガンダム、エヴァンゲリオン。
などなど、これらが流行る理由は、
存在意義を満たせない、ぱっとしない少年が、
天災を契機に、突然、ヒーローになり活躍する話しだから。

だから、ノストラダムスとかアセンションが流行し、
実際、震災なんか起きると、これを契機に陰謀論信者や、
予言信者などが、待ってましたかのように出てくる。

これは、この行き過ぎた競争社会で、
存在意義(活躍の場)を失ってる人が多いという警告でもある。
そういった不満は、カルトや、テロ、犯罪という形で吹き出るものだ。

これは、

自分を尊い存在と見れない。
自尊心の欠如があげられる。

自分を尊い存在に見れない人は自尊心執着しているので、

ミ○スでは、

ミ○スは先駆者になるとか、
ミ○スは歴史に名が残るとか、
ミ○スは雛形になるとか、
ミ○スは霊的指導者になるとか、
ミ○スは古代ユダヤの子孫だとか、
ミ○スはトップ・シークレットとか、
ミ○スに世界中の金が集まるとか、
ミ○スに144000人集まるとか、
ミ○スの教祖はキリストの生まれ変わりとか、
ミ○スの教祖は裏天皇だとか、
あなたには使命があるとか、
ミ○スの王国が出来て、支配階級になれるとか、

積極的な嘘をかまし勧誘する。

自尊心執着しているだけに、そんな嘘を言われると、

ニヤニヤっと来て、
ひゃっほっほ、ひゃっほっほとミ○スに銭をみつぐが、
何時まで、たっても、幸せにはなれず、
気づけば、ミ○ス・ローンだけが残った。

そんな事になるので、気をつけてね。

自尊心他への尊重他への愛)は、
相互依存関係なので、
自尊心が無い人は、他への尊重他への愛)がありません。

なので、

他を騙してでも金。
他を傷つけても金。
他の文献をパクってでも金。

と、ミ○スみたいになります。

ネットワークビジネスというのは、
他を騙して、他から奪うビジネスですからね。

自尊心の無いミ○スではネズミ講が流行ってますが、
そういった理由もあると思います。

自尊心を満たす方法は幾つかありますが、

昔は、国家神道と盲信ではありますが、
日本は神の国で、他国よりも優位にあると、
国が自尊心を満たしてました。

しかしながら、
第二次世界対戦の敗退により、
それでは、自尊心を満たせなくなり、
次に、出てきたのが企業戦士です。

軍事力でダメなら、経済でと、
良い学校、良い企業(大企業)に入ることで、
自尊心を満たして来ました。

しかしながら、
リーマショックなど、
この不況で、それもダメになり、
今や、その自尊心を満たしてくれるものは、
カルトになってます。

どいつも、こいつも、

自分の教祖は神から使命を授かっており、自分が世界を救う。

なんてね。

これを選民思想と言います。

信じる者から、足元を掬われるのが、この世の仕組みです。

誰もが、自分の信仰が優れていると思ってるでしょう。

誰もが、自分を特別と思っている。

つまり、

誰もが、自分の信仰は優れている慢心してます。

慢心の裏に卑屈ありで、

信じる者から、足元、掬われるのが、この世の仕組みです。

アセンション信仰も良いですが、
ノストラダムスの時と同じように、足元、掬わるだけです。

答えは、全ての衆生が神の子なので、
努力しないと、幸せわにはなれませんよ。

というのが正解です。

ちなみに、国難というのは盲信から生起してます。

第二次世界大戦の時は、
強いアメリカに勝利する方法はというと、

日本は神の国だから。

と、その方法、手段が盲信だったんですね。

リーマン・シェックの時は、
自分達は優秀で特別なので失敗しない。
盲信し、マネーゲームで失敗し不況になりました。

原発はどうかというと、
他国が原発事故を起こしている中、
日本の技術は最高なので絶対安心盲信し、
結果は、知っての通りです。

盲信とは慢心です。

慢心の裏に卑屈ありで、
偶然、自尊心を失った訳ではありません。

ミ○スも教祖は特別だからとか、
ミ○スは絶対安心とか言ってますが、
気をつけて下さいね。

ミ○スに関わらない方が無難でしょう。

ちなみに、盲信している人は、
現実的になれば偉大な人物になる可能性を有してます。

なので、ミ○スや陰謀論に盲信するのは、もったいない話なんで、
ミ○スから離れた方が幸せに成るかと思います。

ミ○スでは、そんな、しょうもない話で銭を盗る為に、
遠まわしに、まわりくどく、何回も、何回も、セミナーやって、
銭を、ぼったくってるので、かえって、分かりにくくなっている。

というより、分かりにくくする事が狙いで、
これにより、何回もセミナーに来るようにする。

後に解くが、
これは、答えを知りたいという人の執着をついたネズミ講だ。
だから、答えを知っていたとしても、死んでも答えを言わない。

なので、ミ○ス本の感想には「答えが無い」というものが多いが、
それは、つまり、そういう事だよ。

これに対し、ミ○スの対応はと言うと、
答えはセミナーでね」と積極的な嘘をかます。

セミナー行くものなら、答えが無く、ぼったくられてる仕組み。

答えを知ったところで、しょうもない話という事が、お分かり頂けたでしょうか?

ちなみに、ミ○スは、他人の使命じゃなくて執着を読む。

結婚に執着のある人には、
一日で理想の相手に出会えます。とか、
アセンションは結婚だった。とか、
次元上昇おめでとう、次は結婚ですね。とか積極的な嘘で人を誘う。

そんな執着がある人は、そんな執着があるだけに、

お話しだけでも聞いてみようかしらぁ〜

と財布の紐が緩み、フラフラっとセミナーに参加するものなら、
理想の相手に出会えると言いつつ、
教祖が決めた相手と半ば強制的に結婚する統○教会制だったり、

そんな強制結婚ミラクルなんつって宣伝したり、

好き嫌いはセットなんて、
好きでも嫌いでもない相手を紹介し、
もぉ〜、逃げられないよぉ〜」と強引に結婚させたり、

告白されたが理想の相手ではなかったと仲間にも言っていたが、
拘りをすてミ○スに位置に立とうなんつって、
理想でもない相手と結婚する統○教会制だったり、

離婚なき結婚、夫婦問題が一瞬で解決という割には、
その方法は不倫だったみたいで、
ミ○ス会員と不倫しては結婚して離婚して、
また、ミ○ス会員と不倫して結婚のグダグダ結婚

どこが、新しい結婚学なんだかねェ〜、積極的な嘘です。

いづれにせよ、誰にも祝福されない結婚が待ている。

ちょっと横道に逸れるが、結婚について法を解こう。

理想の相手の条件とは、
お金持ち、容姿が良い、性格が良い。などあるが、

結婚し、理想の相手と結ばれ、幸せを実感すれば、するほど、裏の条件へと変わっていく。

お金持ち → 貧乏(結婚した途端、夫の会社が倒産って良く聞くよね)
容姿が良い → 容姿が悪い(人は老いて、若い者に夫や妻を取られるなんて良く聞くね)
性格が良い → 性格が悪い(嫁のモンスター化って良く聞くよね)

これをミ○スでは、 自分の隠したものが相手に投影さえるとかなんと言ってますが、
そうではなく、自分の貪りが原因で、そうなったということ。

だから、夫婦で旅行に行ったり、夫婦で豪邸に住んだりと、
夫婦で幸せを実感するのも良いが、必要な貪りは抑え、他と幸せを分かち合った方が良いって事さぁ〜

夫婦でミ○スのセミナーに行くよか、分かち合った方が幸せになると思うよ。

夫婦の快楽(貪り)と言えば、性欲があるが、
これを知ってか知らずか、アメリカの、とある州では、
セックスは子供を創るときのみという戒律があるらしい。
ミ○スでは不倫三昧だけど、その様に快楽を貪れば、貪るほど裏の条件へと変わって行きます。

恐ろしいと感じるのは、
再婚する度に、子供を捨てている事だ。

ミ○スでは、親に捨てられるよう子供はプログラムされているから、
子供を捨て再婚する事に罪悪感を感じる必要はないと再婚を進めていらしい。

ちなみに、これは、

子供を捨てたいという執着を持った親に対して、

子供を捨てても良いとか、

今の結婚相手は、
究極のパートナーじゃなかったので、
子供を捨てても良い。

と、積極的な嘘で勧誘し、金儲けをしようしているんですねェ〜

ミ○スには、
頭が狂ってしまった人達が大勢いるそうですが、
そう言った理由もあると思います。


これは、逆縁という悪業カルマ)を創る。

普通、子供には愛情が注がれるが、

捨てた子供が、来世において、
自分の親となり、幼児虐待など愛情ではなく憎悪が注がれる。

末法になると、この様に、人間関係が逆縁となる。

子供を生んだが、産声が近所迷惑と思い殴り殺した。

そんな事件あったよね。類似の事件も多い。

幼児虐待と言わないまでも、親と仲が悪いってあるよね。

ミ○スの教祖も母親が嫌いとか言ってたなぁ〜

それに、ミ○スには子供を自殺に追いやった親(ミソ○リスト)もいるらしい。

まさに、逆縁ですね。

類は類を呼ぶさぁ〜

あまり、ミ○スには近づかない方が身の為かもよ?

この世は類は類を呼ぶだ。

ミ○スで結婚したは良いが、
平気で旦那や妻、子供を捨てる煩悩の強い人達が集まっている。

この場合、親孝行するなど、
子供に接するよう親に愛情を注ぐとカルマが解消する。

また、ミ○スは、そういう所なのか
親元を離された人が、類は類を呼ぶで集まっているように見えるね。

ミ○スでは終末予言を掲げているが、これと密接な関係があるんだ。

幼少期に親に捨てられるなど意に反した事を体験すると、
家族や学校の先生や会社など、強いては、社会に対する不信感が募り、
社会に対する反抗、すなはち、社会に対する破滅欲求が募る。

なので、ミ○スでは、そんな執着を突き、
終末予言という積極的な嘘をかまし、勧誘する。

気をつけてね!!
アセンションなど終末論がブームになるのは、
意に反した事ばかり体験している人が多くなったのかもしれない。
つまり、求めても得られなくなって来ているという事だ。

快楽を貪ると、漏れなく、求めても得られない苦が付いて来る。
なので、幸せは慈悲的方向にしかないのさぁ〜

オウムの麻原も障害者(弱視)で親元離れた不遇の幼少期による心の歪みのためか、
家族・学校を含め自分を取り巻く社会への不信は強く、
開教後も終末予言と共に国家権力の陰謀説を主張しました。

ミ○スにも陰謀論信者がいるみたいだね。

また、親に捨てられた、
親に幼児虐待を受けたなど、

親が壊れている場合、

こういった不遇の人は、
慈悲的な性質を持ち合わせていると言われている。

ある聖者は、
自分は家庭環境が不遇で悟るしかなかった。
と言っている。

つまり、親に捨てられた、親に幼児虐待を受けたなど、
これらは、決して、自分を憎くて、自分を捨てたのではなく、
何かしら、親には親の苦しみがあった。

と、親の苦しみが理解できる慈悲的な性質があり、
それだけでは終わらず、もっと言うと、
そういった親の問題に気づく事が出来るので、
親の苦しみを解決する道を悟る可能性があると言うことです。

すると、同じ問題を抱えている人の支えに成りますね。
これが、その人の役割と成ります。

虐めや登校拒否などの不遇も同じで、
自分を憎くて、自分を虐めている訳ではなく、
その裏には、なにかしらの苦しみを抱かえてますので、
それを解決する道を悟る可能性があると言うことです。

こうして、自分の役割を発見するのかもね。

いづれにせよ、ミ○スの教えはオウム真理教と似ている。

オウムの麻原も親に恨みがあったらしく、
その出家制度(教義)は、
ミ○スの親に捨てられる様にプログラムされいると同じで、
親と子を引き裂く強烈なものだった。

ついでに、歴史は繰り返すと言うが、
アセンションに向けてノストラダムスの時と同じ事が起こってる事に、
お気づきになられたでしょうか?

ミ○スはオウムの相似だからね。

ちなみに、子供を捨てたいという親。
子供を捨ててまで幸せに成りたいという欲望の強い親は、

子供を捨てる事に罪悪感を感じなくても良い。

なんて言われると、ふっきれて子供を捨てるんだろうね。

子育てというのは大変な労苦で、
最近では育児ノイローゼの親も増えている。

しかしながら、
普通は、離婚はしたものの、
親というのは子供が可愛いから、
教育費を払ったり、条件つきではあるが、
クリスマスの時などは子供と会って遊んだりするもので、
完全に捨てた訳ではない。

こうまでして、強制的に、
結婚高額なブライダル費)を勧めたり、
子供を捨ててまで再婚高額なブライダル費)を勧めたり、
高額セミナーを勧めたりするのは、

借金させる事が目的で、
すると、ローンによる不労働所得で、
ミ○スの教祖スタッフ(ミソロリスト)が働かずに暮らせるからさぁ〜

そこは、もともと、



金持ち父さん、貧乏父さん教で、
それは、いかにして、
自分達の代りに働く奴隷(カモ)を創り、
自分達は働かずに暮らす経済的自由を得るかというもので、

その手法にはネズミ講とか株とか不動産とか色々ある。

アセンションに執着してる人には、
セミナーに来ないとアセンションできません。とか、
結婚しないとアセンションできません。とか、
144000人だけがアセンションする。とか、
アセンションできるのはミ○スだけ。とか積極的な嘘で人を誘う。

アセンションに執着がある人は、アセンションに執着があるだけに、

お話しだけでも聞いてみようかしらぁ〜

と財布の紐が緩む仕掛け。
セミナーに参加するものならアセンションできるどころか、
セミナー費と交通費と教材費が、ぶっ飛んでる仕掛け。

冒頭でも述べたが、
人は他人と比較し、他人に優位になった時に幸せを感じる。

だから、人は他人よりも優位にって執着がある。
よって、誰よりも先にアセンションしたいという執着がある人は、

144000人だけがアセンションするとか、
ミ○スが先にアセンションし、それが雛形になるとか、
そんな積極的な嘘かまされると、

お話しだけでも、聞いてみようかしらぁ〜

と財布の紐が緩み、フラフラっとセミナーに行くものなら、
アセンションどころか、セミナー費と交通費と教材費が、ぶっ飛んでる仕組み
ちなみに、こういうの選民思想と言います。

どいつも、こいつも、
自分の教祖は使命を授かっており、
自分の教祖がやがて世界の王になる。
なんてやってるよね。

信じる者から、救われるどころか、
足元、掬われるのが、この世の仕組みさぁ〜
地に足を付けましょう。

だいたい、支配欲に執着している人に、

『ミ○スに144000人集まる』と積極的な嘘をかますと、

フラフラっと来て、何時までも、ミ○スに金を注ぎ込む事になる。

気をつけてね!!

ちなみに、利他の実践は智慧の修行(悟りを得る修行)でもあるんだが、
悟りの手前は、嫉妬、妬み、で異性欲の放棄の段と、支配欲(名誉、地位地)の放棄の段がある。

その意味するところは、
貪りには、求めても得られない苦、愛着したものと分かれる苦、嫌いなものと出会う苦などが付いて来るが
簡単に言うと、快楽を貪れば、貪るほと勝つ力を失うって事だよ。

だから、人生後半、ミ○ス人の様に尻すぼみになる。
よって、執着をもって生まれ、死んだ所から始まる仕掛け。

一方、利他の実践は異性欲の放棄とか支配欲の放棄の段があり、
先に苦しむが人生後半、執着対象を奪う嫌いな人もいなくなり、人生後半、尻上がりとなる。

お金に執着がある人には、
ミ○ソフィアに世界中のお金が集まるとか、
夫婦関係=経済関係(愛と財)だとか積極的な嘘で人を誘う。

結婚に興味はなかったが、お金に執着があるだけに、

夫婦関係=経済関係なんて言われると、

ミ○スで結婚してみようかしら」、
お話しだけでも、聞いてみようかしら」なんて思ったりする。

こうして、救われるどころか、足元(銭)、掬われる仕組み。

夫婦関係(愛)=経済関係(財)とか、
究極のパートナーと結婚すると、
見えない愛が原子変換し、見える愛に変わるとか言われ、

お金に執着があるだけに、

理想の相手じゃなかったが、
教祖が決めた相手と結婚してしまう人が、
ミ○スには多いよね。

案の定、財なんて回りはしません。

お金に執着がある人にそういっているだけです。

気をつけてね!!

まぁ〜、ミ○スは結婚でもしてもらえば高額なブライダル費がはいるからね。

あと、「離婚なき結婚!!」なんてミ○スでは宣伝しているが、
これは、「離婚なき結婚」に執着している人にそういてます。

願望を実現する事に執着してる人には、
毎日がミラクルとか、思考は実現するだとか、
3次元は相対、高次は相似だから思った事がすぐに実現するとか積極的な嘘で人を誘う。

願望を実現したいという執着がるだけに、

お話しだけでも聞いてみようかしら」とフラフラっと、
財布の紐が緩み出す仕組み。
入り口の料金が安いと、なをさら、財布の紐が緩む仕組み。

しかしながら、

毎日がミラクルと宣伝しておいて、
ミ○スに高額なセミナー費を払った割には、
何も変わらないとの怒りの声を聞くが、
怒りの裏には何かしらの執着があるので、
そんな人には「願望を実現する事に執着があるなぁ〜」と見抜ける仕組み。

だから、そんな人には、

今後、願望実現についての専門コースが出来るかもしれません。

と、積極的な嘘で人を誘い、信者の脱会を防止する。

一瞬で一発で奇跡が起きると宣伝しをいて、
今さら、何を言ってんだっ!!と言いたくなるが、
人の執着をもて遊ぶミ○スの視点に立つと、ミ○スの目的が読めてくる。

こう言われると、
願望実現に執着があるだけに「もう少し、ミ○スを続けてようかしら」と思ったりする。
脱会防止ですね。

ミ○スで捏造体験談積極的な嘘で、
ミ○スの講師をしている人には罪悪感があるからねェ〜

こんな事をしていたら逮捕されるのでは?

そんな不安がある。

そんな人には、
未来文明(アセンション)には戦いや争いがないと積極的な嘘で脱会を防止する。

人は、この様に未来に不安を持ち、未来に執着しているからね。

そんな執着がある人には、

未来が分かると不安が消えるとか、
ミ○スには設計図があるとか積極的な嘘で勧誘する。

未来に執着していると言えば、

2012年12月(アセンション)は、ミ○スに144000人集まる。

積極的な嘘で勧誘されると、未来に執着がある人は、

もう少し、ミ○スに銭を払ってみようかしらか〜

と、誘惑が頭の中を横切るので気を付けてね!!

宗教や精神世界に触れると、
認められたいから、金が欲しいから、などなど、
人、金、に執着を持ってしまうデメリットがあるからねェ〜

人に執着しいるだけに、

ミ○スに144000人集まる!!

なんて積極的な嘘をかますと、人に執着しているだけに、

もう少し、ミ○スを続けようかなぁ〜

と、誘惑が頭の中を横切り、気づけば金が、ぶっ飛んでる仕掛け。脱会防止ですね。

ちなみに、不安の裏には執着がある。

今の仕事を失いたくないとか、
今の収入を維持したいとか不安がある。


つまり、執着には不安が漏れなく付いて来るので、
幸せを分かち合う慈悲的な方向にしか真の幸せはないのさぁ〜

ミ○ス・アカデミーの受講料が値上がりしたとボヤク、ミ○ス人が多いが、
これは、ミ○スに執着があると見込み、受講料を値上がりしている。気をつけてね!!

また、ミ○スに執着がある人には、ミ○スしかないと積極的な嘘で脱会を防止する。
気をつけてね!!

貪りは、得する者と、損する者に分けるが、
分かち合う慈悲的な方向は、そうではなく、万民が幸せに成る方法だと言われている。

後に、この無常性(空性)について解くが、これが、釈迦一元論だ。

横道にそれるが、
願望実現について法を解いてみよう。

楽の裏に苦がある。

もう少し、具体的に言うと、
目先の快楽には、長期的な苦しみが漏れなく付いてくる。

好きな仕事でお金持ちにって流行ったが、好きな仕事も快楽である。

だから、

好きな仕事というのは、好きな仕事だけに、
プライドなり存在意義を満たせる部分もあるが、

客先対応などで残業が多くて、土日や長期休暇も取れず、
自分の時間がまるでなかったりと、
余暇が無いので恋愛や家族サービスができず、
そのくせ、収入はというと世間並み以下で、職場の人間関係も悪いとか。

つまり、
快楽の裏には苦しみがあるから、
好きな仕事というのは長期的にみると、
自分にとって利益にならないだ。

なので、よぉ〜く見ると、
2番目にやりたかった仕事をしてる人の方か、
長期的に見て幸せになってたりする。

ビートたけしなんかそうで、
心底したかった仕事をしてる訳ではないと本で言っていた。

親が勝手にオーディションに応募し、
気づけば、そうなっていたとか、
芸能界って、そういう人が多いじゃないかな。

そう考えると、人によっては、

今のままで、いいじゃん。

と思った人もいるかもしれない。

これを、
仏教では、足るを知る。
神道では、今に感謝しなさい。

という事のかもしれないが、

そういった智慧があると自我執着が減るんで、
ミ○ス人みたいに、ガツガツせず、朗らかになるんで、
かえって、後に好きな仕事が与えられたりしてね。

自我執着が減ると言う事は、それだけ、利他的になっている事に注意してね。

与える者は、与えられるというが、
だから、後に好きな仕事が与えられても不思議ではない。

好きな仕事も奪い合いなので、
目先の快楽に囚われ、何が何でもと、奪いに行くと、
目先の快楽の裏には、長期的な苦しみが付いて来るんで、
自分にとって利益なるとは限らないんだ。

人の善業が出る時期を予測する学問に、
インド占星学という学問があるが、
これは、その人にとって適した職業も導き出せるのだが、
大抵は、今、したいと思っている仕事とは異なっているらしい。

しかし、長期的に見ると、結局、そういう仕事をしていてたりする。

好きな仕事をしていたが、結局は、転向をせまられ、
2番目にしたい事や、異なる仕事に価値を見出し、
長期的には、自分にとって利益となっている場合がある。

だから、よぉ〜く、考えると、今が良い、という人もいるかもしれない。

ミ○スでは、好きな仕事していると感謝されるんです。なんて言ってるけどね。

積極的な嘘で人を誘い、無理やり、ミソ○リストなんていう講師の仕事をしてるだけで、
結局、嘘がバレて、好きな仕事で地獄に落ちる仕組み。

好きな仕事や異性など、
執着対象が奪い合いになった場合が要注意で、
執着対象だけに、人によっては、ミ○スのように嘘をついたり、騙したりし、
何が何でも、それを獲得しようとするが、

そういう目先の快楽には長期的な苦しみが漏れなく付いてくる。

その執着対象が、長期的に見て、自分にとって利益になるか?

と、よく、考える必要があると思うが、
大抵は、利益となはならず、かえって、自分に与えられる時期を待ち、
その間、人格智慧才能を磨くなどした方が、
長期的に見ると、自分に利益をもたらしたりするものだ。

横道にそれたが、
ミ○スでは他人の使命が分かると積極的な嘘をかまし、
他人の執着を読む。

この世の仕組みについて答えを知りたいという執着がある人には、
世界のトップ・シークレットが明らかにされましたとか、
聖書の秘密が明らかになったとか、
DNAの秘密とかアカシック・レコードがどうのこうのとか積極的な嘘で人を誘う。

答えを知りたいという執着があるだけに、
お話しだけでも聞いてみようかしら」とフラフラっと、
セミナーに参加するものなら、答えが無い仕組み。

答えなんて、ミ○スに、ある訳ねぇ〜んだ。

ミ○スでは「続きは、一日集中でね」と、
積極的な嘘を使い高額セミナーに誘うらしいが、
答えを知りたいという執着がある人は、
お金を払ってまでもと思ってしまうんだろうね。

気づけば、答えが無く、ぼったくられてる仕組み。

ミ○ス教祖の○スコが良くやっていたのは、

今日は、ここまで」なんて積極的な嘘で人を誘っていたね。

答えを知りたいという執着がある人は、
お金を払ってまでもと財布の紐が緩み、
気づけば、答えが無く、ぼったくられてる仕組み。

セミナーに行くと、あれこれ聞かれると思うけど、
何に執着してるのか、探ってると思うので、
あまり、自分の事は喋らない方がいいかもね!!

また、人には、
存在意義を満たせる活躍の場が欲しいという執着
重要な存在に成りたいという執着があるので、

そんな人には、

あなたにはミ○スを広める使命がある」とか、
あなたには○○○の使命がある」とか言うと、

そんな執着があるだけに「本当かしらぁ〜」と思い、
気づけば、人権ゼロで働かせられてるように見える。

執着って恐ろしいね。地に足を付けましょう。

楽して、幸福になりたいという執着がある人は、
あなたには○○○の使命があると言われると、
そんな教祖に依存しやすいのかもしれないね。

ちなみに、
楽して、幸福になりたいという執着がある人には、

あるがままでいいとか、頑張らなくてもいいとか、
考えない方が上手く行くとか、
息してるだけで、お金が入ってくる的な事を言うなど、
積極的な嘘で人を誘う。

すると、楽したいという執着がある人は、そんな執着があるだけに、

お話しだけでも聞いてみようかしら」と思い始め、
セミナーに参加するものなら答えが無く、気づけば、ぼったくられてる仕組み。

セミナーに来ない人は、どうぞ、この三次元で苦しんで下さい。

なんてミ○スでは、言っていたと思うが、
楽したいという執着がある人は、そう言われると、
お金を払ってまでもと、ぼったくられてしまうんだろうね。

さっきも言ったが、
嫉妬の裏のは、楽して幸福にという怠惰(甘え)がある。

だから、そういう執着を持つ人は、妬みも多く、満たされる事がない。

楽して幸福にという意味では、教祖に依存してる人がいるよね。
そういう怠惰がある人にかぎって、妬みも多く、満たされる事がない。

また、人は、今に不満を持ち、今に生きておらず、
未来に執着(期待)して生きてるいる人が殆どなんで、

そんな人には、

人類は、聖書の予言どおり動いてる」とか積極的な嘘で人を誘う。

未来に執着があるだけに、
ミ○スの「適当予言」に引っ掛かり、
当たるかどうか分からないけど、○○○○年までミ○スを続けてみようかしら
なんて思ったりする。こうして信者の脱会を防止してる見たい。

ミ○ス予言といえば、
さんざん2012年にアセンションが起こると言っていたが、
ここにきて、アセンションは2016年に変更されました。と言っている。

アセンションに執着がある人や、未来に執着がある人は、
2016年までミ○スを続けてみようかしら」と思ってしまう仕掛け。

だから、ミ○ス人というのは、
アセンション執着がありそうな、
アンチミ○スのブログを見つけたては、
コメントを残すなど親近感を装い近かずいて来る。

ネズミ講ですね。地に足を付けましょう。

ミ○ス関連ブログミ○ス予言は、
何かしらの執着を持った人向けに話してるなぁ〜
という視点で観ると、つじつまが合い、
積極的な嘘による、ぼったくりセミナーの、ぼったくり具合が観えて来る仕組み。

ちなみに、ミ○スでは、
積極的な嘘に騙される人は、
積極的な嘘に騙されるようプログラムされいるから、
他人を騙しても罪悪感を感じる事はないと言っているらしい。

これ、何かに似てないかい?

そうぉ〜、オウム真理教さぁ〜

自分達は善業が多い魂で、
それは以外の人は悪業が多い魂なので、殺してもかまわない。
罪悪感なんて必要ない。

なんつって、本当にサリン(毒ガス)を撒き散らした。

オウム真理教では被害者に対して、
それは被害者カルマだからと言っていたらしい。

ミ○スも「騙し=人助け」とか、
それは、騙さる人のプログラムだとか、
加害者と被害者はセットとか言ってますが、

ミ○スもオウム真理教と同じですね。

真理は他の幸せの為に使用しないとね。

これは、自分の幸せの為に使用しているので、
己を利すると、己を害するのが、この世の仕組です。

アセンションを前に、ノストラダムスの時と同じ事が起きているんだ。

ミ○スはオウムの相似だからね。

さて、さて、ミ○スの教祖は、
本当に人のプログラムを読めるのだろうか?

そして、人は、そんな積極的な嘘に騙されるように、
プログラムされているのだろうか?

百歩、譲って、人は、いつまでも、騙されるようプログラムされているだろうか?

怪しくなって来たねェ〜

その団体(教祖)は、俺が知る限り、
どこよりも先に、 「アセンション」を掲げたからね。

この人達に出会う前は、
次元上昇やら、2012年のなんちゃらとか、
フォトンベルトなんてもん、俺は知らんかった。

牡牛 の先に 牡羊
シンジ いよいよ、地球の次元が、上昇するんだ!
    
牡牛座のプレアデス星人が、教えてくれた。
カヲル そんなこと、信じていても、救われないよ。
    彼らは、牡牛座から、牡羊座に導くだけさ。
シンジ 彼らが司る、牡牛座の神話は、どんな話?
カヲル ゼウスが、牡牛に化けて、娘に近づくのさ。
    娘は、
訝しがるけど、優しい目に惹かれて、
    牡牛の背に乗り、新しい地に導かれるのさ。
シンジ 彼らが導く、牡羊座の神話は、どんな話?
カヲル ゼウスが、牡羊を遣わし、娘を助けるけど、
    娘は、空を駆ける、その高さに目が眩んで、
    牡羊の背から落ち、海に沈んでしまうのさ。
シンジ たとえ、神様が、救い上げようとしても、
    足が地に付かないと、再び地に落ちるわけ?
カヲル そうさ、自分の足で、昇らないとならない。
シンジ じゃあ、優しい言葉で、騙されていたわけ?
カヲル そうさ、信じていても、掬われるだけさ。
シンジ あ〜ん、騙された、救われたと思ってたよ!
カヲル ……………………

訝(いぶか)しい: 変なところがあって納得がゆかない。疑わしい。不審だ。
プレアデス星団 (M45) : 牡牛座にある、散開星団である。

次元上昇 の 星座

「問」 アセンションは、本当に起こりますか。
「答」 話の出典、牡牛座の意味を考えると良い。

プレアデスの法則は、牡牛座の法則である。
彼らは、牡牛座から牡羊座に導く
使命を司る。
-------------------------------------------

「問」 先ず、牡牛座とは、どういうものか。
「答」 ゼウスが、牡牛に化けて、娘に近づく。
    娘は、訝しがるが、優しい目に心を許し、
    牡牛の背に乗り、新しい地に導かれていく。
-------------------------------------------
「問」 次に、牡羊座とは、どういうものか。
「答」 ゼウスが、牡羊を遣わし、娘を助ける。
    娘は、空を駆ける、その高さに目が眩み、
    牡羊の背から落ちて、深い海に沈んでいく。
-------------------------------------------
「問」 たとえ、それが、神の導きであろうとも、
    
地に足が付かないと、地に落ちる訳ですか。
「答」 その通り、牡牛座は、牡羊座に導いてしまう。
    甘い教えを、信じてもいいが、掬われるだけだ。
-------------------------------------------
「問」 彼らは、人類を騙しているのですか。
   プレアデスの生命は、悪者なのですか。
「答」 信じるものから、掬われなければならない。
    彼らは、そういうを司っているに過ぎない。

そういう、使命、使命。
救うどころか、人の足元(
)、掬(すく)ってなんぼ。
なので、 参考程度って事で、気をつけてね!

ノストラダムスの予言って知ってるかなぁ〜
その投影が
アセンションさぁ〜

周期的に来る、
神の悪戯(イタズラ)なんだよ。

投影だけに、人の心が変わらないと、周期的に来る。

と言っても、
恐怖の大王は降りてんだ。も見せるのがだからね。

誰もが
恐怖する、認めがたい法(真理)が降りたんだ。

だから、しっかりと、地に足を付け、牡羊座ではなく
水瓶座に向かうんだ。

おっとっと、さもロロの秘密を知っていると言わんばかりの
セミナーが沢山あるが、これも意識的秘密隠しているので
いずれ、
バレテしまい、そんなものは他をより優れた優越感
に浸れるものどころか
銭、払って
セミナー
に行ったわりにはその価値を失
んで、気を付けてね!!

怪しい団体(スピリチュアルなど)は20年、30年、棒に振るだけだ。

最近は、信者が、どっかの宗教団体を相手に青春を返せ裁判なんてやってる。

ちなみに、本物は秘密にするのではなく禁忌する

触ると、祟りがある。とかね

いきなり、この世は、
得すれば損する
無常と言っても恐怖を与えるだけだからね。
という意味では、
ノストラダムス恐怖の大王
は降臨してんのさぁ〜

恐怖の大王が説いた、非常識な天界の法則を、
常識を踏まえ説き直すのが、アンゴルモアさぁ〜

Angolmois とは、Angel ol Moise(使徒モーセ)

大本教で言うと、
出口 直お筆先(自動書記)を、
出口王仁三郎が解き直したようには出来てんだ。

後に、詳しく解くが、

論点 魂の二極化とは何か

智慧ある者は、宇宙のあらゆる示唆を受けて、
悟るべくして真理を悟る。
何故なら、真理は宇宙を吟味した、
論理的帰結だからである。

無智なる者は、自我のあらゆる欲望に流され、
至るべくして
地獄に至る。
何故なら、
地獄は自我を追求した、論理的帰結だからである。

欲しいものは、幸せと言えども奪い合いなので、
するとき、必ず誰がしており、
これが他を傷つけたカルマ(悪業)と成って返り、
結局、した分、大損する事になる。

これは原因の苦しみ
苦苦で、楽しんだ分、苦しんでしまう、苦しみだ。

精神世界の鉄人が推薦する宇宙人バシャールは、
ただ、わくわくすれば良いなんていってるが、
わくわくすれば、必ず誰かが、
バシャールの為精神世界の鉄人の為に苦しんでいるんだ。
これが、他を傷つけたカルマ(
悪業)となって返り、
今まで楽しかったが、何をしても楽しくないとか、
うつ病になったりする。

将来、どんな職に就けば良いか分からない。
なんて聞くが、そんな、わくわく
カルマ悪業)だったりしてね。
地に足を付けましょう。

後に解くが、これは
行苦という苦しみなんだ。

マーフィーの法則100%自己実現とか、
思い通りの人生とか流行ったが、
古事記須佐之男(スサノヲ)が大暴れした時、
天照大御神が岩戸に隠れる話があるように、

自分が思い通りの人生を生きるとき、
必ず、他の自由を奪っている。
これが他を傷つけたカルマ(悪業)となって返り、
自由が束縛され、自己実現できてないんだよ。

超能力とか、わくわくとか、引き寄せとか、
思い通りに、何でもかんでも、
求めたものが手に入る自由(
快楽)を味わえば、
求めても得られない苦を味わう。

これが、結果の苦しみ
行苦と呼ばれるものだ。

どんな職に就けば良く分からない。
といういは正確ではなく、
求めた職が得られず、どうすれば良いのか分からない。
というのが正確かもしれない。

自由といえば恋愛夫婦関係)は、ある程度、
互いの自由を束縛し、成り立っている事に注意してね!!

だから、アセンションへの扉だか、
1+1=∞だか、ライトワーカーだか、

結婚にすべての秘密があった!!
アセンションの鍵は結婚にあった!!

夫婦関係=経済関係
夫婦関係が良くなれば、漏れなく収入もUPする!!

なんて、言われておりますが、
それって、得しようとしてる事には代わりないし、
釈迦予言書法滅尽経』で解かれてる様に
も奪い合いであり
自分が理想のパートナーに出会えたとき
必ず、誰かが理想のパートナーと出会えなくなる。

これが、他を傷つけたカルマ悪業)となって返り
ワイドショーでお馴染みですが
結婚直後、旦那が急に愚痴の多い嫌いな人に変貌したり、
結婚直後、旦那が急に働かなくなったり
お金持ちと結婚したはずが
結婚直後、旦那の会社が倒産し、嫌いな貧乏人に変貌したり、
綺麗な人と結婚したはずが事後や病気で、寝たっきりの
醜い姿に変貌したりの悪人に変わる。

偶然に、夫婦関係が悪くなってる訳じゃないんだ。

これは条件の苦しみ
壊苦で、囚われたものが壊される苦しみだ。

原因の苦しみ、条件の苦しみ、結果の苦しみ。
全て揃って、三苦、とか、
一切皆苦(いっさいかいく)と呼ばれるもで、
人には、
一切皆苦を悟る仏性仏になる可能性)がある。

この様に、あらゆるものは、
実体が無くであり無常変化する)である。

        
    これを諸行無常と言います。

この様に、人は他に依存しており、
他に依存して生起する事を縁起と言います。

突き詰めると、人は他を傷つけない事には生きられない。

よって、欲望(自我)に流されると悪業しか積まさらず、
やがて、嫌いな事をしなくてはならなくなり、
好きな仕事だけど、給料が低く、幸せに成れないなど、
最後は、求めても得られない一切皆苦地獄に至る。
よって、必要以上の欲望は抑え、
同時に、他を傷つけた恩がしで善業(功徳)を積む。
この不苦不楽六波羅蜜)の道で、
善業
悪業から、
善業悪業の状態(を積む)に自分を変えていく。

石の上にも三年というが、
カルマが落ちるのは、3日、3ヶ月、3年、掛かると言われており、

善業悪業から、
善業悪業の状態になる時期を予測するのが、
細木の六星占術じゃなくて、
インド占星学四柱推命という学問らしく、
人ってのは、長生きすれば良くなる仕組みになってるらしい
ただし、良くなる時期に、良くなる原因となる善業がなきゃ〜
そりゃ〜、良くなる訳がない。功徳がある事が条件となる。

この世(宇宙)は、原因結果条件で成り立っている。

例えば、
種(原因)が花(結果)と成るには、を与える事が条件となる。

逆に、天中殺など、悪い時期に、
悪い事が起こる原因悪業がなきゃ〜
悪い事が起きようがない。

最近では、
クリスタルや水晶、アセンション・ペンダントが流行っているが、
これらは、ある一定量を持つことにより、
悪業を生起しにくくする効果があると言われている。

だからと言って、悪業が無くなった訳ではないが、
悪業を生起しにくくし、その間に、それだけの善業を積み、
悪業を相殺させたりするらしい。

クリスタルや水晶を善業を積む手段として使用してるのが特徴で、
開運グッツとして利用すると、徳があれば、それは、まちがいなく、
徳をとして引っ張り出して来るが、次は自動的に、
徳をとして引っ張り出して来るので、お疲れ様となる。
開運グッツの裏に悪運ゲッツありだ。気を付けてね!! 
 
何故、フリー・エネルギーを持つ、
今よか、知的で技術力のある、古代文明が滅んだのか?

簡単だよ!、自利の為に利用したからさぁ〜
エコ技術も自利目的に使うと、良くならないかもね?

おっと、最近じゃ〜、
遠隔ヒーリングとか流行っているが、
良いエネルギーを貰うと、次は自動的に、悪いエネルギーも貰う。
うなもん受けて、良くならないのは、この為だ。
ヒーリングしてくれてる奴のカルマ(悪業)を背負ってしまう。
ヒーリングをする方も、する方で、良いエネルギーを入れると、悪いエネルギーも入ってくる。
だから長い間、
ヒーリングやらリーディングする奴は、
大抵、目が潰れたり、足が曲がらなくなって歩けなくなるなどの身体的障害が発生する。

ちなみに、マリッジコードミ○スの、

結婚にすべての秘密があった!!
アセンションの鍵は結婚
にあった!!

夫婦関係=経済関係

夫婦関係が良くなれば、漏れなく収入もUPするっ!!


なんて、長年、5次元夫婦の
ジャッチしない作戦を実践してるが、
一向に
理想の相手と出会えないし、 一向に離婚の危機から脱出できん!  
もぉ〜、親子関係が、めちゃ、めちゃ!!

おかいしいわぁ〜

収入がUPするどころか、
気づけば、セミナー参加費と交通費と教材費ばっか、ぶっ飛んでるわぁ〜

そんな人に、
意識無意識潜在意識の関係を解きます。

ミ○ス
ジャッチ作戦とは、

例えば、綺麗な女性とか、 理想の男性を見かけたとする。

あぁ〜、あんな人と出会えたらなぁ〜
でも、自分なんか、どうせ駄目!  

あかん、あかん!

ジャッチしたら、あかんねん!

自分を認めてない。  

自分を認めてないから、認めらない。

これ、一体、何してるかと言うと、

意識的ジャッチしない様にしてるので、
意識の裏の意味が無意識に積み重なる。

ジャッチしないの裏はジャッチするだ。

現実は
無意識方向に変化する無常なので、
無意識ジャッチするようになるり、
自分を認めないから、認められないと言いつつも、
何時まで経っても、自分を認めらない日が続くだけ。

それに
意識的にダメな自分を隠してるので、
そんな
意識の裏の意味が無意識潜在意識に積み重なる。

  
隠すの裏は出現だ。

現実は
無意識潜在意識方向に変化する無常なんで、
隠した自分が現れ、

  
誰も、自分を認めてくれない。

そんな体験をしてしまう。
昨年あたりからメルマガで 「
セミナーに人が来てくれない!」 なんて言い出し、
誰も、自分を認めてくれない不幸が
ミ○スで既に始まっている。

そして、
理想の相手と結婚できるのが、
ミ○スと言いつつも、理想の相手じゃない人と結婚させている。

それは、 人はぶつかり合い、他を受け入れない。
”拘り”は自分を支配し、自分を見失う。
素直に
ミ○スの位置に立とう! ”拘り(理想)”を捨てあるがままに。
なんて、やってるらしいからぁ〜

実際、奴ら御自慢のメルマガを読むと、
その人、そこで、「
あなたは私の究極パートナーです」なんて、
告白されたが、
理想のパートナーでなかったゆえ、
仲間にも「
3次元的には理想のパートナーでなかった」と言っていたが、
拘り(
理想)があったとかで、拘り(理想)を捨て、
理想でもない人と結婚したそうなぁ〜

なんかぁ〜、
統○教会みたいだね。

3次元的
って、何いってんだか、さっぱり、わからんが、

意識的拘りを捨てたので、無意識拘りが残る。

現実は
無意識方向に変化する無常なので、 結局、最後(死後)は、

 
やっぱ、理想の人と結婚したい!

と、
隠した執着(無意識)が現れる。

人は死後、そんな執着(
無意識)を持って生まれ、
死んだところから始まり、輪廻を繰り返す。

無意識に残したは死後も継続される。

釈迦十二支縁起に、かるく触れてみよう。

執着(カルマ)があるから、意識(心)があり、
意識(心)があるから、感覚(イメージ含む)あり、
感覚があるから、目、鼻、口など身体(生まれてくる)があり、
身体があるから、受けがり、苦があり、執着(カルマ)がる。

この様に、この世は何でも
相互依存関係なのさぁ〜

最初を執着(カルマ)と書いたが、
これは、無明とか
無智と呼ばれており、
釈迦一元論は、この
無智(カルマ)を智慧(ダルマ)に変えていく。

だから、当然、それに繋がっている
意識(心)も身体も変わってくる。

功徳を積むと六つ神通を得ると言われているが、当たってるかもね?

だんだん、超能力(サイキック)が解明されて来たね。

ミ○ス論理DNAが、どうたら、こうたら、じゃ〜

ないからね!

これは、どちらかと言えば
DNAを超えた話をしている。

論点 化身とは何か

如実知見
八正道の正見)を得て、囚われず、貪らなければ、別の身体が生じるようになる。
つまり、今まで
自我に囚われていた故に、無視されていた視点や視野が開かれるようになる
新たに生じた視点や視野にも囚われず、そのまま
小乗の解脱に至るか、
新たに生じた視点や視野をも吟味し、
大乗の解脱に至るかの、選択に修行者は迫られる。

論点 神足通とは何か

神通力とは、神に通じる力のこと。
神足通、天耳通、他心通、宿命通、天眼通、漏尽通は、この順に高度になっている。
神足通とは、化身を現わし、
様々な視点と視野を獲得する能力である。
肉体を自分だと錯覚したり、
自我や感情に囚われていたら、生じることのない力である。

無常性空性などを、縁起の法則で解いたり、
カルマの法則で解いたり、意識と無意識の関係で解いたり、
様々な視点と視野で解けるようになったりする。

論点 瞬間移動とは何か

六神通の中に、瞬間移動を可能とする
神足通がある。
神足通とは、化身を現わし、
様々な視点と視野を獲得する能力
肉体を自分だと錯覚したり、自我や感情に囚われていたら、決して生じない。

論点 天耳通とは何か

天耳通とは、別次元の世界の聴覚を持つ能力である。
幻聴との違いは、
自我に縛られているか否かである。
つまり、世界が閉塞して、その別次元の世界の音しか聞こえないか、
世界が解放され、様々な次元の世界の音が聞こえるかの違いである。

論点 他心通とは何か

他心通とは、相手の心を読む能力である。
自身が
自我に囚われていない故に、相手の感情を色眼鏡を付けないで理解出来る。
つまり、全く性癖がなかったら、性癖自体に敏感になり、容易に察することが出来るのである。

ミ○ス論理伊勢白山・リーマン怪しい感じるのは、
偶然でもなんでもなく、こいつらの様に、騙し癖がないから、
ベストセラー本人気プログなどのランキング操作とか、
偽造体験談やらせプロモーション映像やCDさくらコメントなど、
騙し癖自体に敏感になり、容易に察する事が出来んだ。

論点 宿命通とは何か

宿命通とは、自分の過去を読む能力である。
すなわち、
自我に縛られないならば、自我を客観視することが出来、
現在の自分の形成過程が、悉く理解出来るのである。

論点 天眼通とは何か

天眼通とは、自他を問わず未来を読む能力である。
過去と現在の比較によって、自分の未来を悉く理解出来、
自己と他者の比較によって、他者の未来を悉く理解出来るのである。
この段階に至っては、
因果)によって世界を認識しており、
もはや、
自他の区別自我)によって世界を認識をしていない。

論点 漏尽通とは何か

漏尽通とは、煩悩による漏れを読む能力である。
つまり、煩悩に全く縛られていない故に、煩悩に縛られているか否かを判断することが出来る。

これは最高の出家の果報であり、欲漏、有漏、無明漏から解脱出来る。
欲漏の解脱とは、物質に対する欲望からの解脱であり、欲界から解脱する。
有漏の解脱とは、存在に対する欲望からの解脱であり、色界から解脱する。
無明漏の解脱とは、
無智に対する欲望からの解脱であり、無色界から解脱する。

利他の実践布施波羅蜜)は、財施、安心施、法施があり、
法施(叡智のシェア)というのは、この
無智を弱めて行く利他の実践だ。
無色界の事を涅槃とか、彼岸とか言う見たい。

六神通に関連し、速通智とか一切智とかもある。

論点 徳と光

徳とは光である。
功徳とは、等しくありのままに照らす光であり、
悪徳とは、自我が見たいものを照らす光である。
期待や心配を超え、ありのままを素早く悟る
速通智は、前者の賜物である。

また、やたらと
自我という言葉がが出てくるが、
釈迦一元論は、智慧の徹底により、自他の区別が外れ、自我執着を弱めていく。
専門用語で
諸法無我って言うんだけどね。

自我執着とは、つまり自分だ。
自我執着を弱めるという事は、つまり自分が無くなる事だ。

自分が無い、つまり、
諸法無我って事。

自分と他人は
相互依存関係だからね。
自分がいなくなれば、当然、自分と繋がっている他人もいなくなる。
この場合の他人は、自分を傷つける他人の事。

なぜかと言えば、
自我執着という貪り煩悩)が原因で、自分を傷つける人が生起しているから。

願いは忘れた頃にやって来る。

というが、この様に、願いは自我執着が弱まった時に叶うと言われている。

だから、
自分の事ばかり願う自利的なものは叶わず、
利他的な方向でしか、幸せには成れないのさぁ〜

あと、何か成し遂げたいとき、
今すぐ幸せにとか、今すぐやりたい事をと焦るのではなく、
長い時間を掛けて行うといのも自我執着を弱める方法の一つで、

織田信長も、したい事を、
一生掛けて、その転機を作ろうとしたならば、
長期的な政権を維持できただろうという事だ。

これを、やったのが、後の徳川家康だ。

徳川家康織田信長の様な才能はなかったが、
人一倍、忍耐力、辛抱強さがあり、長期的な幸せを得た。

精神世界に触れると、呼吸法というのに触れたりするが、
これは、呼吸に意識を集中させる事により自我執着が弱まる仕掛けだ。

ミ○スの今に集中って、
金を払って、何を言っているのか分からない。

そんな人は試してみるのも良いかもね。

一瞬に奇跡が起こるとか、
1日で理想のパートナーに出会えるとか、
ミ○スではやってますが、

そういった、今すぐにという自我執着があると、
自分を傷つける他人が生起し、
思い通りに行かない事が多く、怒りも多くなるので、
長期的な視点で行うのも良いかと思います。

おっとっと、話を元に戻すが、この場合、理想を言えば、
理想のタイプではなかったが、一緒に仕事など、しているうちに、
相手の良い所が見え始め、惚れたというのが、正しい型だと思われる。

ちなみに、後に説明する六波羅蜜は、
自分の良い所善業)が他に投影される修行でもある。

一緒に仕事など、しているうちにというのは、
まさに、今あるものが、その様に変化した事に
注意してね!!
まぁ〜、これが、この場合の
理想の型かもね。

これは、他から奪った訳ではないので、カルマも少なく、
その後の結婚生活が長続きするって事でもある。

入菩提行論 第八章
およそ、巡り合えないと、心は不満になる。
万が一に、巡り合えようと、心は満足しない。
彼らは、一時の喜悦のために、永遠に苦悩する。
愛し合う者は、愛する者を探し求めるため、
この輪廻を、厭い離れることを忘れてしまう。
彼らは、永劫なる業の為に、永遠なる法を失う。

ミ○スでは、お金持ちと結婚できるとか、
理想の相手と結婚できるとか言ってるが、

理想の相手でもない、教祖が決めた相手と、
結婚する統○教会式であることが、
内部告発で明らかになって来ている。

「好き」と「嫌い」はセット!!

なんつって、好きでも嫌いでもない相手を紹介され、

もぁ〜、逃げられないよぉ〜

なんて、結婚を煽ったりしてるらしい。

こうまでして、 結婚(高額なブライダル費)や、
高額セミナーの勧誘に拘るのは、

借金させる事が目的で、
すると、その不労働所得で、働かずに暮らす事ができるからさぁ〜

そこは、元々、
お金持ち父さん、貧乏父さん教でさぁ〜

それは、いかに借金させ、
自分達の奴隷(カモ)を作り、働かずに暮らすかなんだ。

だから、そこでは、
無思考になれば、罪悪感が消えるとか、
お金儲けは醜いと思っているから財が入らないとかいって、
騙しや、詐欺に、嘘をつかった勧誘など、
人にやらせ、カモを作ろうとしているようにも見える。

結婚すれば、相対リセットし、そんな罪が消えるとか、
アセンションでは、そんな罪が消えるとか、
その様な事を、団体としてい言ってるようにも見えるんで、
気をつけてね!!

ついでに解くが、
ミ○スジャッチしないとか、
ノー・ジャッチって、考えなくていいから
だよね。

の裏には必ず苦しみがある。

だから、そんな事やっても、幸せに成れないんだよ。

ちなみに 、
善業が多い、
互いを利する夫婦関係(人間関係)を順縁と言い、
六波羅蜜を行うと、その様に夫婦関係(人間関係)が変わっていく。

ちょいと


弥勒菩薩唯識論
に触れるが

ここに、
容姿の良い異性がいたとしよう。
これは、自分が
となり、外界の異性がとなり、
結果、自分の善業が引き出され幸せを感じているんだ

外界の異性が幸せを持ってる訳でもないし、
外界の異性に
もないんだ。

外に何も無い訳ではないが、
幸せは外にあるのではなく、内にあるんだ。

だから、
アセンションの鍵は結婚にあった、なんて、
外に
青い鳥を探しも、見つかる訳がないし、
外の物を持って来て、外界の条件(
)を変えたところで、
人は幸せになれないんだよ。

おっと、幸せを実感すれば、するほど、
善業は消費されていき、悪業が出始める。

最初は
楽しかったが、そのうち、彼氏が、うざい。 なんて聞くよねェ〜

この様に、
一緒にいる
楽しさを味わせば、
一緒にいる苦しさも味わう
のが夫婦なんだ。

ミ○ス論理では、自分の彼氏や彼女
が、自分の事を無視するのは、

自分が自分に冷たくしてるから、相手(彼氏や彼女)が自分の事を無視してる。

自分を認めてないから、認められない。


というが、そうではなく、
それは、
無視されるという形で、一緒にいる苦しさを味わってのさぁ〜

カルマ(
悪業)なんで囚われず苦に耐えると、悪業
が落ち、善業が出だす

ミ○ス論理
に、騙されないでね!

夫婦共(
一緒に)に、借金で苦しんだり、
どちらかが、病気になり、夫婦共(
一緒に)に苦しんだり、
子供の事で、夫婦(
一緒に)ともに苦しむ。なんて、よくあるでしょ〜

夫婦だけでなく、仕事仲間と共に楽しめば、仕事仲間と共に苦しむとか
親会社と共に楽しめば、親会社と共に苦しんだり、
アメリカと共に楽しめば、アメリカと共に苦しむとか
国と国の場合もあるかと思う

カルマ(
悪業)なんで囚われず苦に耐えると
悪業が落ち、善業が出だす。

こうなると、そんな、自分を無視する
悪人

自分の
貪りとなり、(真理)に沿った、
神仏の現れと観る事が出来る。

そんな
悪人も、(真理)に導いてくれた、神仏の現れと観る事が出来る。

他人を、その様に観るって事は、他人も、
自分
対して、そう観てくれるって事だよ

全てを神仏の現れと観る、



観音菩薩
カルマ・ヨーガですね

釈迦
一元論は、このように嫌いな相手を、
自分の都合の良いように変えるのではなく、
嫌いな相手悪人悪人で活かして行く方向なんだ。

ちなみに、ミ○ス論理では、
相手に感じた事は、自分が自分にしてきた事。
自分を知ると、嫌いな相手が一瞬で変わるんです。

なんて言ってるけどぁ〜

その様に、相手を都合の良いように変えるから、
自分が相手の都合の良いように変えられてしまい、
こんな筈じゃ〜なかったっ!!」なんて事になる。

これを弥勒菩薩阿頼耶識縁起で解いてみよう

人は比較によって、
幸福を感じているんだ。

普段、1万円の給料の人が5万円得たとしよう。
以前との比較で
+4万円
になったわけだ。

だから、
喜びを感じるが、この収入5万円が続くと、
比較対象が無いんで
喜び
消えるんだ。

消えた
だけでは終わらず、もっと、もっと、欲しくなる。

この様に
貪りには際限がない。

後に解くが、
煩悩
貪り)には際限がないが、
苦しみ
のを滅尽する方法(道諦)は存在する。

最初は、彼氏や彼女がいなから

彼氏や彼女を
得ると、以前の彼氏や彼女がいない状態との比較により、
喜びを感じるが、毎日、一緒に居ると比較対象がないんで彼氏が、うざい。
なんて、飽きて来るんだ

喜びが消えたんで、さらに、もっと、もっと、と喜び
快楽)を求め
不倫
快楽)に走ったりするのが人だ。

戒律で言うと邪淫
快楽)にふけるって奴だ。

快楽
の裏には苦しみがある。

アセンションの鍵は結婚にあったの
ミ○スミ○ソフィア)には、
皮膚に疾患(アトピー)
抱えている講師いるそうで、

一瞬の一発で奇跡が起きる

となんとか言って、
毎回、毎回、
高額なセミナー料を盗る割には、

なぜ、一瞬で奇跡が起きないのか?
奇跡を見せて欲しいわぁ〜

と、誰もが疑問を抱いてるようだ。

そこの講師が言うには、
親に愛されてないから、
とかなんとかと言ってるらしいが、
違うんだ。

この世は相対だ。

容姿の良さを楽しめば、
次は嫌でも、自動的に、
容姿の醜さで苦しむ事になる(悪業)。

偶然に、皮膚に疾患を抱かえ、
ミ○スにすがり、
そこで、苦しんでる訳じゃないって事だ。

容姿の良さを楽しむという意味では、
不倫ってのもある。

アセンションの鍵は結婚にあったの、
ミ○スミ○ソフィア)では
夫婦問題が一瞬で解決と言う割には、
その解決方法は不倫らしく、
W不倫とかが流行ってて、

離婚なき結婚

と言う割には、
そこで
不倫して、結婚して、離婚して、
また、そこの不倫相手と再婚。
なんてやってるらしい。

尼僧の告白 テーリーガーター



という本があるのだが、

これは邪淫(不倫)による快楽を貪り、
結果として、動物界に生まれ、
次は、女性でも男性でもない、
身体障害者として生まれ、
三十年生きたとある。

女性でも男性でもない身体障害者

とは、つまり、
容姿の醜さで苦しんだって事だ。

ちなみに、そこの教祖は、
超能力で1000人の女性と交わった。
なんて自慢してたっけ。

みだらな性行為の邪淫(不倫)ですね。

この世は類は類を呼ぶだ。

同じ悪業カルマ)を持ったもんどうし集まる。

皮膚に疾患を抱えている講師は、
そこの教祖の未来の姿であり、
不倫してるスタッフ連中の未来の姿って事だ。

容姿の良さを楽しむって意味では、
それで高飛車の奴もいれば、
それでタレント気取りの奴も、
そこにいるらしいね。

全部、自分の未来の姿だ。

もぁ〜、
すったらセミナーに行くの、
やめれって!!

少々、苦しいかもしれなが、
善業を積んで、
そんな悪業カルマ)を落としていった方が、
まだ、ましかもしれない。

六波羅蜜ですね。

少なくとも、
不倫活動に、手を貸すよりか、
ましだと思う。

容姿の良さを楽しむという意味では、
肌の色による人種差別などの、
イジメがあるが、
そうやって、容姿の良さを楽しむから、
その悪業カルマ)として、肌の色が決まり、
容姿の醜さで苦しむのかもしれない。

の裏にがあり
の裏にがある

快楽を貪り、を消耗させると
と繋がっている
才能(智慧)も消滅する為
動物 (智慧がない身体)として
生まれたり
知的障害者として生まれるなど
稼げない身体(智慧がない身体
になっても
おかしくないかも?

そういえば
そこの教祖は、

障害者として生まれてんだわぁ〜

思い出したわぁ〜

そんなカルマ悪業)がを創るで、病気で死ぬ間際、

生きていたら、こんな筈じゃない
俺は世界の王だぁ〜

なんつって、元気になって戻ったんだ。

つまり、そんな
病気
というカルマ
俺は世界の王だぁ〜
という
諦めきれない執着)を思い出させ、
元気になるという形で、
この世に戻り
死んだところから始まったのさぁ〜

人は、この様に
執着
を持って生まれ、死んだところから始まってんだ。

また、釈迦十二支縁起に、かるく触れてみよう。

執着
カルマ)があるから意識)があり
意識
)があるから
感覚(イメージ含む)あり
感覚があるから、目、鼻、口など身体
生まれてくる)があり、
身体があるから外界との接触受け
があり、受けがあるから、
病気とか)があり、があるから執着(カルマ)がある。

この様に、この世は何でも
相互依存関係なのさぁ〜

なんやぁ〜、
使命を授かって、この世に来た訳じゃない。

騙されないでね!!

この世は、類は類を呼ぶ
だ。
同じ
カルマを持った者どうしが集まる。

そんなセミナーに参加する前に、
ちょっと、自分を内省してみた方が良いかもね。

実際、やつら、ご自慢のメルマガを読むと、
子供いる男性との禁断の恋邪淫)をしてきた奴が
さらに
快楽
を求め、そこに来ていたね

セミナーに行っても、
悪業清算しない限り、まともなは出来ないし、
この世は、与えたものしか、手に入らない。

六波羅蜜悪業
清算減少)させ、善業を増やし、自分を変えるものだ。

したくて、してる訳ではないと思うが、
何故、そんな
禁断の恋をしてしまうのか?

禁断の恋といのは、
でも、これは、互いに害する関係だ。

夫婦関係や人間関係には
逆縁
順縁がある。

順縁は互いに利する関係で、
この世は類は類を呼ぶだでェ〜
善業が多い人は、善業が多い人どうし集まる。

善業が多い人は、善業が多い人と出会い
、結ばれても、おかしくはない。

一方、
互いを害する逆縁はぁ〜、もぉ〜、分かったね。

ロミオ
ジュリエットは、そんな逆縁の話さぁ〜
結ばれたくても
結ばれたくても、結ばれようのない恋の話だ。

願い
貪り)は叶うどころか、
満たそうと、すれば、するほど、その
願いは他にとって悪くなる。

禁断の恋
みだいだね。
他にとって悪いので、邪魔されたり、妨害を受けるなどして、
叶わない。

求めても得られない行苦ですね。

この様に、
最善貪り)が最悪になるのが欲望なんだ。

悪業が多いほど、強く引き会うと言われている。

ただ、
悪業なんで耐えるとカルマ
悪業)が落ち
善業が出るで、この場合、
順縁
で、結ばれる可能性もある。

そんな人は
六波羅蜜など行うと、
その過程において、
理想の相手
を奪われたりと、
そんな
カルマ落としがあると、思われるが
囚われず苦に耐えると
悪業が落ち、善業が出る仕掛けだ。

何度も言うが
奪い合いである。
奪われるという形で、どれだけ他と他を結びつけたかが、
その後、どれだけ長い間
幸せな結婚生活が出来るかが決まる。

1日で究極のパートナーに出会えるとか、
下手に
奇跡でもって、安易に理想の相手をGETすると、
その後、それ以上に夫婦ともに苦しむ事になる。

奇跡も考えもんだね。

また、
ミ○スには、結婚離婚を何度も繰り返した。
そんな人が、そこのセミナーに来てたらしいが、

DVって知ってるかい?

これは、夫が妻に暴力(怒り)を振るう事で、
ドメスティック・バイオレンス
と呼ばれ、そんな事件が多いが

DV
というのは良く聞くと、何時も、DVかというと、そうでなく
DV後に、なぜか、ハネムーン期があり、急に仲良くなる期間があるらしい。
ここで
快楽ふけるのか、分からないが、
DV期ハネムーン期を繰り返しているのが、
ドメスティック・バイオレンスというものらしい。

つまり、

愛情
の裏には憎悪があるが、
憎悪
したらしたで、憎悪の裏には愛情があるんで、
憎悪
した分、また、愛着するんだ。

この様に、他人というのは
になったり、味方になったりの無常なんだ。

いちいち、囚われていては、
人生、
復讐心だらけで終わってしまうので、
もう少し、具体的に
を解こう。

教祖
弟子の関係が良い例だ。

なぜ、その
教祖の、
それを
信仰してるかと言えば
その
教祖や、その信仰
幸せという
利益を与えてくれるかだ。

だから、そんな
教祖愛着する。

しかし

愛着
の裏には憎悪があるんで、予言が外れるだとか、
あらたな
真理)が現れ、教祖の言ってる事が
だと分かり、騙されたと憎悪する。

後に
の区別のところで分かると思うが、
この様に
に移り変わる。 今のは、将来のとなる。

しかし、
憎悪したらしたで、その裏には愛着があるんで、

来世で、また、そんな
教祖愛着し、
幸せに、成るどころか、また、また、騙される。
ノストラダムスで騙され、アセンションで騙さされる。なんてね。
こうして、
六道輪廻を、ぐるぐる回っているんだ。

本当なのか、人集めの為の
偽造体験だか、分からないが
ミ○ス論理
の信者で結婚離婚を繰り返した。

なんてあるが、なぜ、繰り返すと言えば、

毎回、毎回、苦に囚われ、そんな
相手憎悪してるから、
毎回、毎回、
同じ相手似たような相手)に、ビビットときてはぁ〜
毎回、毎回
結婚し、
毎回、毎回、同じように、そんな
異性に裏切られてんだ。

ミ○ス論理


相手に感じる事は、
自分が自分にしてる事。


じゃ〜ないからね!!

さっきの禁断の恋の話をしよう。

確か、その人、
母親嫌いとか言っていた。

なぜかというと、
父親不倫がなんかしたかで、大した愛情を受けられず、

なんで、そんな男と結婚したのよ!

なんてな感じで、
母親嫌いとか言ってた気がする。

これは、本当は
母親が嫌いなのではなく、不倫した父親が許せないんだ。

父親がいないもんだから、
そんな
怒り(憎悪)母親に向けているので、分かりずらいが、

しかし、そんな
父親に対する憎悪の裏には愛情が隠れている。

偶然に、妻も子供いる
自分の父親みたいな男性に、
ビビットきて、禁断の恋に落ちてる訳じゃないんだ。


愛着の裏に憎悪ありなんで、
DVもそうだが、
殺害事件というのは、親族間で多く起こるんだ。

真面目だった高校生が、
急に、どうでもよくなって親を殺害したり、
15年、引き籠って男が、家族を殺害したり、
偶然、そんな事件が発生してる訳じゃないんだ。

これでは、一向に幸せになれない。

だから、
仏教では、
味方
は自分を支えてくれた恩人として、恩を返し
悪人)の時は、真理)に導いてくれた、反面教師とし、
全ての衆生
愛しなさいという。

四無量心
ですね


この様に、
釈迦一元論は、自他の区別を外し、自我執着を弱めて行く。
自他の区別が外れると、他に
憎悪しなくなるんで、
当然、似たような他人に
ビビッと来なくなり、同じように騙されるという事は無くなる。

なのでェ〜

論点 法友と法縁は何か

法友とは、真理との縁によって生じる友のことであり、
法縁は、輪廻転生を超えて継続する、数少ない縁の一つである。

ここに来てる人は、そんなで来てるのか、
俺様には分からないが、
釈迦一元論に出会うという事は、


奇跡に近いでェ〜

これは、恋愛に限った事ではない。

ロロの魔法とか、ロロの法則とか、1日でロロとか、
宇宙人からのメッセージとか、あなたにはロロの使命があるとか、
ノストラダムスだとか、アセンションだとか、
毎回、毎回、同じ
手口に引っ掛かり
お金を奪われたり、騙されたりしてる人は、
そんな憎悪原因で、また、同じ事を言う教祖愛着してるのかもね。

論点 済度とは何か

釈迦牟尼が解脱をし、真理を流布することによって、
釈迦牟尼を縁とする魂の一群が、高い転生を達成する。
これが覚者の済度計画であり、菩薩の転生の意味である。

毎回、毎回、味方が敵になったり、敵が味方になっては、正しい事も伝わらない。

それは利益の
利の法に群がってるからだ。
釈迦牟尼理の法には、そんながあるんだ。

後で何回も言うが、
この世には世界の王が沢山いる。

例えば、奇跡イエス預言モハメッドがそうだが
どれも条件に合わず、対立(戦争)が発生する。

しかし、誰もが、 ニュートン万有引力の法則を認めるように、
宇宙人バシャール)やら、ミ○ス論理やら、ライトワーカーだか、
江原のスピリチュアルや、細木の占いの言う事ではなく、
地に足つけた出口釈迦一元論)には、 そんな力があるんだ。
でなくの法、科学寄りの法)

これを専門用語で万教帰一という。


ちょいと
について触れるが、
というのは、相克し合うほど、が増え、
他と対立した時(
奪われる時)など、
を抑え、相生し合うほど、が増える性質
がある。

ミ○スでは苦を受け入れれば楽が付いてくる。
と言うが、プラスとマイナスを合わせ
ゼロチャラ)じゃん!!

なんて思うよね。

しょうがないんで、俺様が解いてやろう。

プラスとマイナスなんてやってるから見えて来ない。

得と損を合わすって事さぁ〜

この世は無常で、プラス・マイナスちゃらに見えるが、
損を感じてるのは心だ。何か欲があるから損得を感じている。


欲は、相克し合うほど、損が増えるが、
欲は、相生し合うほど、得が増える。


得したり、損しながら、欲と欲を互いに合わせ相生し、
実は増えてんだけど、損(失敗や失恋など)すると、
囚われちゃって、
もぉ〜、私なんかダメなの。
なんて、卑屈になり、粘り強さを失ってるだけなんだ。


これを別な言い方で解くと、この世は
無常(相対)だ。

真面目に働いて利益を得る事もあれば、
真面目にやって、馬鹿を見る事もある。
信仰で利益(優越感や安心感など)を得る事もあれば、
信仰に裏切られる事もあるし、
好きな仕事で利益を得る事もあれば、
好きな仕事で苦しい思いをする事もあるし、
努力が報われる事もあれば、
こんなに尽すしてるのにと報われない事もあるし、
貪りには、他(恋敵やライバル)と争う苦が付いてくる。

この様に、この世は
無常なんで、思い通りには行かない。

だから、この欲界で、何か、やりとげたければ、
粘り強さ辛抱強さ)が無いと、欲しい物は手に入らない。

俺様が利他の実践し、
学んだ事って、何かと言えば、
競争社会での勝ち方と言える。

幸せと言えども、奪い合いだからね。

だから、苦しみを克服しようとした場合、粘り強さが必要となる。

良い例が、エジソンで、
いきなり、電球を作った訳ではなく、
999回失敗し、やっと電球作りに成功したんだ。

これを、仏教的に言うと、
エジソンは、999回失敗しないと、成功しない悪業があった。

という事なんだ。

オールドディズニーは5回も倒産しているし、
松下幸之助や本田宗一郎も、
倒産とはいかないまでも、
何度か、そんな目にあってたと思う。

つまり、お金が無いなどの、
苦しみを克服しようとすると、
何度か、全てを失う段があると言う事だ。

倒産とまで行かないまでも、
この不況で、職を失ったり、
収入が減るなどの苦しみを味わったりすが、
粘り強く、続ける事だ。

なかなか、勝てない人は、
何度か負けないと、勝てない。
という悪業(カルマ)があるという事だ。

だから、それでも、
続けられる粘り強さや忍耐力がないと幸せは手に入らない。

何度か同じ苦しみを受けて、
悪業(カルマ)を清算して行くんだ。

なかなか、努力しても報われない段があるという事だ。
だから、それでも努力しつづける粘り強さがないと報われない。

宗教(精神世界)で成功したいのであれば、
何度か、宗教(精神世界)で失敗する段がある。

いい加減、多くの人が、
ミ○ススピリチュアルに騙され失敗してるからねェ〜

そろそろ本物が出たりしてね。

悪業清算と言えば、六波羅蜜だが、
これは、最速にして、最難と言わるだけに、
現世利益があると思われる。

もっと早いのは密教瞑想って奴だが、
これは、精神的成長(悟り)は早いが、
瞑想だけだと、やはり物質的な御利益は少ない。

だから、
六波羅蜜(利他の実践)をすると、
同じ苦しみを何度も味わう。

またかよっ!!

なんて言いたくなること、実に、1日100回はある。

特に、悟りの手前は、嫉妬、妬みだから、
大概、男女問題が発生する。

功徳を積んでるだけに、
ひょっこり理想の相手が現れるが、そうは行かない。

これも、理想の相手と結ばれたければ、
何度も失恋するという悪業落としがあるという事だ。

異性に何度も騙されたり、
異性に何度も裏切られたり、
何度も、結婚に失敗する人がいるけど、
それは、そういう事で、粘り強く、諦めない事が幸せの秘訣かも?

1日で理想の相手に出会えるなんつって、
ミ○スで騙された人は、ちょいと、苦しいが、
六波羅蜜利他実践(功徳積み)にトライしてみるのも良いかと思う。

これが、分かってくると、
あまり、ガツガツしなくなる。

例えば、
ミ○スでは、ノー・ジャッチと言うが、
プラス思考の裏にマイナス思考ありさぁ〜

「俺は、絶対に成功すんだぁ〜」と念じても、

「失敗したら、どうしよう?」なんて思ったりする。

このとき、
何度も失敗する段があるという智慧があれば、

「失敗の裏に成功あり、その時は、また、頑張れば良いかぁ〜」

と、正しく思考できるかと思う。

ノー・ジャッチではなく、正しく思考するという事だ。

これが分かると、こんな感じで、ガツガツしなくなるんで、
それだけ自己愛が減少し、その分、他を愛せるようになる。

博愛って奴ですね。

ちなみに、
苦を受け入れれば楽が付いてくると言うが、
ミ○スの嘘っぱちです。

欲の仕掛けが分からないと、不思議に思うかもしれないが、

この世の、あらゆるものは利益と不利益を与える。

そんな
魔法も同じで、
苦を受け入れて利益になる事もあれば、
苦を受け入れて不利益になる事もある。

それでも、受け入れるならば、また、利益を与えるものになる。

こんな感じで、
が循環していうるって感じ。

この辺は、後で詳しく解くとして、
さっきの執着の話に戻るが、

死ぬと、いきなり天国に行くのでなく、
バルド
ってとこで、さまざまな試練に会い、
諦めきれない
執着を思い出すらしい。
そこで、今度、
六道輪廻のどこに行くのかが決まる。

高度な瞑想で、深い意識に入れる人達は、
前世、自分が
動物だった頃を思い出すらしい。

その試練の中には、当然、快楽もあり、
あの世で楽しむから、この世で苦しむ事になる。

専門用語転生って言うんだけどね。


もう少し、弥勒菩薩唯識論に触れてみよう。

Aさんは、
Bさんを殴った。Bさんは「この野郎」と思った。

Aさんは、
Cさんを殴った。Cさん感謝した。

この違いは何かというと、

Bさん
は、過去に憎しみをもって、他を殴ったカルマがあり、
Cさん
は、過去に同じ殴るでも、をもって殴ったカルマがあるんだ。

Bさん
は、何時も他を傷つける為に他を殴り、

Cさん
は、他の事を考え、泣く泣く殴った過去があるんだ

ミ○ス論理
相手に感じた事は、自分が自分にしてきた事。

自分を認めてないから、認められない。

じゃ〜ないからね!

ちなみに、後に
四無量心の所で詳しく解くが、
他人を観た時、自分も同じように、
他人の苦しみを感じる心を
菩提心という。

釈迦も、最澄親鸞もみな、この菩提心から、その道に入ったんだ。

他が苦しむ姿を観て、自分も同じよう苦しみ、その道に入ったんだ。

べつに、神から使命を授かって、その道に入った訳ではない。
ミ○ス論理では、最初と最後は同じというが、
出発点が
ミ○スと違うので、当然、結果もミ○スとは違い、偉業を成し遂げた。

この様に、他の苦しみを
共有でる心を四無量心といい、
四無量心は、慈悲喜捨と四つの心があって、

は他の苦しみを己の苦しみとする心。菩提心だ。

その反対に、は他の喜び己の喜びとする心だ。

スポーツやオリンピックなど、
自分が応援してるチームや選手が勝利すると、
自分も同じように
嬉しいでしょう。
この、他の喜びを
共有する心がだ。

これは、他より優位に成る事を喜ぶ、
ミ○ス的な生活は、必ず誰かを傷つけているので、
そんな他を傷つけたカルマ(
悪業)が返り、
結局、傷つく事になる。

つまり、そんな
喜びには、限界があるが、
他の喜びを共有するは、誰も傷つかないので、
他の幸せ
喜べる人は、無限の幸せを得る事が出来る。

その反面、自分が応援してるチームや選手が負けると、
自分も同じように
悔しいでしょう。
この、他の苦しみを
共有する心が菩提心)だ。

ミ○ス論理相手に感じた事は、自分が自分にしてきた事。

自分を認めてないから、認められない。

じゃ〜ないからね!

は他に楽を与える心で、は全ての衆生を愛する心だ。

本当の自分に戻りましょう

これを
真我とか仏性とか言います。

本当の自分に戻ったついでに、

ミ○ス論理の自分の彼氏や彼女が、自分の事を無視するのは、

自分
自分に冷たくしてるから

相手(
彼氏や彼女)が自分の事を無視してる

自分を認めてないから、認められない


の本当の意味を教えよう.。ただ、ちょっと難しいけどね

イジメじゃないけど
無視されるのって嫌だよね

仕事など
担当の自分を、さしおいて、
勝手に事が進んでたりすると、立場が無視されたもんだから、

カァ〜っとくるよね。

そんな人、誰だって
嫌いだと思う。

裏を返すと、自分は、そういう人に、なりたくないと思っているんだ。

そんな自分に成りたくない、
そんな自分は
許せないし、嫌だ
と、そんな自分を切り捨てているんだ。

この
切り捨てた自分を、他人が演じてんだ。

そんな自分は
許せないので、なるべく、他人を無視せずに行こうとする。

つまり、他人を無視しないのが、自分にとっての
な訳だ。

を積み重ねると独善になる。を積み重ねるとになるんだ。

最善最悪になる。

も変化する無常であって、絶対ではないんだ。

周りの人達いとって、その行為は、
くなっている。

この辺から、他人が
捨てた自分を演じ出す。

自我の裏に他我ありさぁ〜

無視せずに行こうとしたてまえ、なるべく、
他と話し合い、他と相談して、事を進めたが、
これがかえって、

それぐらい、自分で考えろよよっ!とか、
また、話し合いかよっ!ウザイとか、

そう思われたりして、周りの人達が、自分を
無視し出す。

こう考えると、どっちが
で、どっちがか、わからなくなるでしょう。

つまり、
を決めているのは自我(煩悩)なんだ。

どちらを
にするか決めているのは煩悩(欲)って事だよ。

煩悩(貪り)には怒り(自分を傷つける他人)と無智が付いてくる。

別な解き方をしよう。

自分にとって
良いと思った行為は、他にとっては悪い事なんだ。
これが、他を傷つけた
カルマとなって返り、独善に至る。

どんな
にも、が伴う。

その、良かれと思った行為は、他にとって
悪い事になって言うるんだ。

この様に、
最善最悪に変わる。

ここで、
を譲ると、限られた自分だけの独善)が、
譲ると譲られるで、周りに広がり出す仕掛けさぁ〜

押しつけた
は、他にとって悪いから、長続きしないんだ。

だから、ここで
無視されたからと言って、
そんな
嫌いな相手を、仕事仲間から外したりと、
悪人を倒すと、その相手と同じ条件に立たされる。

これを専門用語転生という。
カルマの法則とか六六六の仕組みと呼ばれるものだ。

その相手と同じ条件に立たされ、他人を無視したくなる状況に追い込まれる。

つまり、ここで、
悪人の苦しみを知る事になる。

自分で決める と 自然に決まる
カヲル 君は、とても、残酷な食べ方をするんだね
シンジ これは、活け造り、という、食べ方だよ。
    ちゃんと、感謝しているから、大丈夫だよ。
カヲル 感謝して食べれば善いなんて、独善だよ。
    相手の条件に立って考える方が、至善だよ。

シンジ 苦しめたら、苦しめられる、って、わけ?
カヲル そうさ、立たないから、分からないのさ。
    立ったら、今までのものが、返ってくるよ。
シンジ 大丈夫だよ、善いと思ってしているんだ。
    返って来ても、善いって思えるはずだって。
カヲル 確かに、君の条件のときは、その通りさ。
    でも、他の
条件のときは、そうならないよ。
シンジ 苦しめたように、苦しんでしまう、わけ?
カヲル そうさ、そうなるように、条件が変わる。
    原因は自分が決めて、
条件は自然に決まる。
シンジ そんなの残酷だよ、そんなの不自然だよ!
カヲル うん、残酷だよ、だから、不至善なんだよ。
シンジ ........................

伊勢白山・リーマン感謝作戦なんて、
まるで、良くならない理由が分かったと思う。
感謝してるから大丈夫なんてェ〜のは救世主幻想なんだよ。

動物の表情や仕草など、
人に似てるなぁ〜と感じた事ないかい。

あっちは、あっちで、自分の事を人だと思っていたらどうする?

神の型 という 人の形
ヒカリ 神様は、神の型に倣って、人の形を作ったのよ。
アスカ 中心に創られる、神の型は、どんなものなの?
ヒカリ 完全に我が業を諦らめたもの、神の業のことよ。
アスカ 辺縁に作られる、人の形は、どんなものなの?
ヒカリ 次第に神の業を明らめていく、人の業のことよ。
アスカ つまり、自己犠牲の業が、明らかになる内に、
    人間の善悪に歪められ、自分勝手な業になるの?
ヒカリ うん、神の型が、次第に、捻じ曲げられるの。
アスカ つまり、段々、変な体の動物になっちゃうのね?
ヒカリ うん、そうよ、じゃあ、ここで、質問するね。
    自分の体は、人の形をしていると、思っている?
アスカ えっ!? 当たり前じゃない、どういうこと?
ヒカリ 実は、動物も、自分を人の形と思っているのよ。
    つまり、神の型を真似ていると、思っているの。

アスカ 動物なりに、自分は正しいって、思っているの?
ヒカリ うん、ほら、あなたも、そう思っているでしょ。
    全く同じように、動物だって、思っているのよ。
アスカ ウソよ、人間と動物は、全く形が違うじゃない!
ヒカリ うん、ほら、あなたも、そう思っちゃうでしょ。
    こうして、振り返らないから、ますます歪むの。

アスカ ........................

感謝して食べてれば大丈夫なんてやってると、
同じ条件に立たされ、同じ苦しみを味わう事になるんだ。

伊勢白山・リーマン感謝作戦で幸せに成れるどころか、
行きつく先は
動物になっちゃたりてね。


悪人として倒すと、悪人と同じ条件に立たされ、
悪人がなした悪い事を自分もせざる負えない状況に追い込まれる。
これが、カルマの法則(六六六の仕組み)なのだが、
こうなると、
悪人の行為は、それはそれで、だったのでは?
と、どっちが
で、どっちがか分からなくり、
どっちも
じゃないのかと、の区別が無くなってくる。

どっちを
にするか、それは自我エゴ)が決めていると言うこと。
エゴ貪り)だけに、を許し、を譲ると、譲られる事を悟る。

だから、嫌だからといって、切り捨てたちゃ〜いけないんだ。

切り捨てるのでく、そんな相手を許せばよい。(天に委ねる)

すると、
悪人が味方になる。

なぜかと言うと、許すという形で、
自分の
を押し付けるのではなく、自分の
を譲ってるんだ
譲ると、譲られるで、自分の限られた
独善)が周りに広がり出すからだ。

押し付けた
は長続きしない。
押し付けただけに、他にとって
悪い分、速攻で地獄に落ちる。

理論上はね。

実践となると、許すというより、
無視される
苦に耐えるって感じで
結構、
苦しいもんがあるので、あまり無理しない事だ

苦行で死んでも行けないのも
釈迦一元論だ。

別な解き方をすると、
最善最悪になるのが欲望(願い)なんだ。

欲望(願い)は叶うどころか、
欲望(願い)を満たそうと、すれば、するほど、
他にとって、その欲望を満たす事は
悪くなるように動くんだ。

最初は、いなかったが、
途中で、
ライバル(恋敵)が生起し、
その欲望を満たす事は他にとって
悪くなる。

他にとって
悪いので、
妨害を受け、執着対象が奪われるなど、
そんな
と対立するが、ここで、を譲れるかが勝負となる。

なんやぁ〜
伊勢白山のリーマンとか、
リーディング使いや、霊視使いは、
やたらと、
悪霊邪気の妨害を受けブッ倒した!!
なんてな
武勇伝が多いがぁ〜

この様に、欲望は他にとって悪くなる。

ちなみに、悪を倒すと、
悪霊邪気と同じ条件に立たされる。
お疲れ様でした。


結婚 の裏に 離婚 
アスカ どんな人が、幸せな結婚が出来るのかな?
ヒカリ 人と人を、結び付けて、幸せを与えた人よ。
アスカ どんな人は、幸せな結婚が出来ないのかな?
ヒカリ 人と人を、引き裂いて、幸せを奪った人よ。
アスカ じゃあ、どんどん、結び付けたらいいの?
ヒカリ うん、でも、そんなに簡単じゃないのよ。
    自分が好きな人を、皆も好きになるからね。
アスカ 他人を差し置いて、奪い取ろうとすると?
ヒカリ いずれ、引き裂かれて、不幸になるのよ。
アスカ 自分は差し控えて、他に譲ろうとすると?
ヒカリ いつか、結び付けられ、幸福になるのよ。
アスカ 譲りたくないほど、譲らないといけない。
    それが出来ない限り、幸せな結婚はないの?
ヒカリ うん、これこそが、幸せな結婚の秘訣なの。
アスカ でもね、好きだからこそ、譲りたくない。
    結婚って、そもそも、そういうものだよね。

ヒカリ うん、だから、いずれ、離婚しちゃうの。
アスカ ……………………

自分が好きな人を、皆も好きになる
という形で、
欲望を満たそうと、すればするほど、
自分が好きな人を、皆も好きになり、
他にとって、その
欲望を満たす事は悪くなる。

ここで、悪を許し、譲ったものだけが、
与えられるというのが、この世の仕組みらしい。

釈迦の菩提心は、王者の済度。
型と成って、民を導こうとする。
自ら彼岸に至り、再び此岸に戻り、
光り輝ける最善に、心から従わせる。

弥勒の菩提心は、船頭の済度。
班に分けて、船を操ろうとする。
自ら先頭に立ち、人の歴史を紡ぎ、
移り変わる最善を、互いに競わせる

文殊の菩提心は、羊飼の済度。
殿(しんがり)を務めて、羊を探そうとする。
自ら地獄に落ち、欲の底辺を塞ぎ、
疲れ果てた最善を、互いに譲らせる

最善が最悪になるというのは、
欲望には、あともうちょっとの九分九厘で、
盗られる段があると言う事だ。

または、これを何度か繰り返す。そんな感じ。

ここで、悪の自由を許すから、誰もが平等に自由になる。
というのが、この世の仕組みらしい。

自由を与えるから、与えられるのカルマの法則ですね。

覚醒の書
自由 … 自ら因を積むこと、自業自得の自業
平等 … 自ら果を得ること、自業自得の自得

羯磨の書
偏愛 … 誰かを自由にして、誰か不平等になる
汎愛 … 誰もを自由にして、誰もが平等になる

解脱の書
メーソン:自由と平等と博愛を司る、世界中枢
     彼らを愛し、博愛を備え、自由平等
     彼らを憎み、博愛を損い、自業自得

詳しい事は分からないけど、
執着ものが満たされないと言えば、
普天間基地の問題は、そんな感じにも見えるね。

その欲望を満たそうと、すれば、するほど、
日本以外の国(九分九厘)にとって、
どんどん悪くなるんで、がんがん叩かれる。

そんな感じかなぁ〜

という意味では、
1+1=∞だとか、使命を授かったとか、
一日で理想の相手に出会えるとか、
アセンションは鍵は結婚にあったとか、
宇宙人バシャールわくわくだとか、
加速する
引き寄せの法則だとか、
ハイヤーセルフとか、リーディングだとか、
遠隔ヒーリングだとか、
伊勢白山の人類5%運動だとか、
チャネリングだか、チェイングだか、
ホ・オポノポノだか、ポンポンだか、

さも、欲望を満たしくそうなセミナーや宗教が沢山あるがぁ〜

怪しくなって来たねェ〜、アセンション、気を付けてね!!

これを、一日集中セミナー
なんつって、約6万円ぐらい盗るセミナーが、あるらしいけどね。

さっきの、
自分が好きな人を、皆も好きになるからね。
について、別な言い方で法を解きます。

これは、十二支縁起だ。

貪りには、怒り無智が付いてくる。

具体的に言うと、貪りには、
嫌いなものと出会う怒憎会苦(おんぞうえく)や、
求めても得られない求不得苦(ぐふとくく)や、
好きなものと分かれる愛別離苦(あいべつりつく)などの、
他と奪い合う苦しみが付いてくる。

なぜ、そうなるかと言うと、
自分が好きな人を、皆も好きになるからってこと。

最初は居なかったが、
そのうち、ライバル(悪人)が生起するんだ。

偶然に対極の宗教(ライバル)が生起して、
宗教戦争をやってる訳ではない。

なぜかというと、諸法無我って奴です。

直訳すると、自分が無いってなるのかなぁ〜

そんな感じ。

この世は、なんでも相互依存関係だ。

自分の思考や考えも同じで、
自分だけの思考や考えがあるかと言えば、
そうではない。

他人の影響を受け生起してる。

自分の煩悩(欲望)も同じなんだ。

他人の影響を受け生起してる。

つまり、
自分と他人は相互依存関係で繋がっているから、
自分が欲しいものは、他人も欲しくなる。

だから、奪い合いになる。
偶然にライバルが生起してる訳ではない。

または、他人の影響を受け、
他人が欲してるもを、
自分も欲しくなって、奪い合いになっている。

自分だけの思考や考えというものないし、
自分だけの欲望というものもないんだ。
だから、奪い合いになっている。

どいつも、こいつも、
自分の教祖は、
釈迦やイエスの生まれ変わりで、
ついでに、裏天皇で、
自分の教祖は使命を授かっており、
自分の教祖が世界の王となる。

なんて、やってるが、
うなんもん、救われるどころか、
足元(銭)、掬われる仕組みが、
お分かり、頂けたでしょうか?

奪い合って、互いに滅ぶか、
分かち合って、互いに幸せになるか、
どちらかしかない。

よって、釈迦が行きついた結論は、
自我執着を超え、すべての人を愛そうって事だ。

四無量心ですね。

四無量心には、慈悲喜捨と四つあって、
これは、最後のだ。

自我執着を超える事が自然の意思って事だ。

水 瓶 の 時 代
リョウジ 宝瓶宮の時代は、水瓶の神話のままなのさ。
ミサト  身も心も美しい少年が、神の目に適ったのよ。
リョウジ ああ、性を漏らさないと、神に近づくのさ。
ミサト  少年ガニメデは、親と別れたのを悲しんだわ。
リョウジ 神に仕えていると、我を忘れさせてくれる。
     神に酒を注ぐうちに、憂いは消え去ったのさ。

ミサト  父親トロースも、彼と別れたのを悲しんだわ。
リョウジ 神に捧げていると、心が嬉しくなってくる。
     天に召されたと聞き、喜びの涙に変ったのさ。

ミサト  つまり、二つに分かれた関係が、ようやく、
     神を通じて、一つに合わさる時代、ってこと?

リョウジ ああ、牡羊の時代のように、依存もしない、
     かつ、魚座の時代のように、性愛に溺れない、
     自らの意志で、性愛を慈愛に変える、時代さ。

ミサト  そして、人類が、自らの力で、進化をする、
     それが、アクエリアン・エイジ、ってことね?

リョウジ そうさ、すべてが終わってから、ようやく、
     何から何まで、神の御心だった、と悟るのさ。

ミサト  じゃあ、最終戦争も、神の預言通りなのね。
リョウジ ああ、逃げずに、神に仕えるしかないのさ。
     怪物から逃げる限り、魚座を繰り返すからな。

ミサト  ……………………

父親が愛着するのは、他も欲しくなるで、
奪い盗られ、少年と別れた。

そんな感じかな。

そう言えば、似たような映画があったわぁ〜

宇宙人だよ、宇宙人。

専門用語で第四種接近遭遇って言うんだけど、

The 4th Kind(フォース・カインド)って映画で、
主人公は心理学者で、よく眠れない患者を診断してて、
逆行催眠で、その原因を探ってたんだけど、
どいつも、こいつも、白い梟がどうのこうのって、
同じ夢を見ているらしく、調査してたんだ。

白い梟といえば、

頭が大きく、目が大きく見える。

そう。宇宙人だよ、宇宙人。

アブダクションさぁ〜

そうこうしていう内に、
知らない間に主人公も、
アブダクションされててさぁ〜

終いには、娘を盗られてしまうんだ。

宇宙人が言うには、
神の名において、さらったとの事。

絶対に返さん!!

なんて、シュメール語で言うんだ。

こう見ると、宇宙人も、
釈迦縁起の法に沿って生起しただけで、
めずらしくなくなって来たねェ〜

やってる事は、人となんら変わらん。

巷には、精神世界の鉄人とか、
宇宙人と、くちゃべるチャネラーが、
うようよいるけどね。

本当に宇宙人と喋ってんのか、怪しくなって来たね。

宇宙人もアブダクションも、
最初はなかったが、
科学が進歩するにつれ、
人の貪り(執着や愛着)が多くなってから、
そんな話を聞くようになったのかも?

特に現代人は、昔の人に比べれば、
貪りは多いだろうと思う。

分かち合うっってのは、生と死の関係に似ている。

自分の生は、他の死に支えられてる。

食卓に並んでいる料理は、
他の動物や植物を殺生したものだからね。

この様に、自分と他人は苦楽表裏一体の関係がある。

だから、そんな他を傷つけたカルマが返るで、
人は、いずれ死を迎えるが、

それは、失うんじゃなくて、
自分の身体を必要としてる人に返す、
恩返しって事でもある。

死ぬときは、全て失うが、
愛着してるものは、いずれは、
必要としてる人に返さなくてはならないって事だ。

冒頭で述べたとおり、
欲しいものは奪い合いになるが、
おそらく、それは、全体の利益を考慮すると、
過剰摂取って事なんだろうと思われる。

だから、必要としてる人に返す。

分かち合い、慈悲ですね。

全体と分かち合うので、
全体も分かち合うって来る。

全体の利益を考慮すると、
奪い合いになっている対象は、
他に必要としてる人がいるって事だ。

つまり、
奪い合いの中に、
本当の幸せはないんだ。

仏教の唯識依他起性という教えがあるが、
自分の力で得たものがあるかと言えば、
何も無いんだよ。

職場に行くにしたって、誰かが作ってくれた車に乗り、
誰かが作ってくれた道を通り、通勤しているからね。

良い事をするにしたって、
自分だけの力じゃ〜出来ないし、
願いも、自分だけの力じゃ〜、叶えられないんだ。
全体の力がないと叶えられない。

巷には、1+1=∞だの、
ミ○ス論理の1日で理想の相手にであえるだの、
眠りながら億万長者だのなんて、
全体の利益を考慮せず、なにがなんでもと、
自分だけの利益を求めたセミナーが多くあるが、
結局、救われるどころか、足元(銭)、掬われてるのは、
これかもね。

伊勢白山とかアルクトゥルスとか、
ランキング操作らしき、怪しいポイントで、
なにがなんでもと、人気ブログ第1位を独走してるけど、
うなもん信仰したところで、
救われるどころか、足元(銭)、掬われてんは、
これかもね。

というより、
ランキングに参加する人達の、
上位ランキングという執着が、
こういう邪道の奴らを生起させ、
上位が奪われてるとも言える。

おっとっと、
宗教と言えば、なにがなんでもと、
勧誘する人っているけど、これも良くないかも。

全ては、自分の過剰な貪りによって、
生起してるって事さぁ〜
貪りが多い人は、必要なものが壊れるなどして、
奪いとられる事が多いかもしれない。

この分かち合いを別な言い方で解くと、
あるがままを受け容れ、足るを知りましょう。
って事でもある。

神道では今に感謝しなさいと言う。

伊勢白山アルクトゥルスの、
先祖供養のように、
お金持ちに成りますように、感謝、感謝

でもないし、

1+1=∞ミ○ス論理の様に、
自作自演の奇跡に向かって、
あぁ〜、感謝、感謝、じゃ〜、ないかね。


今までの話を簡単に言うと、
良い事をすれば、するほど、人、物、金が
悪人に集まり、この世を悪が支配する。

なんでェ〜、あんな宗教やセミナーに、人、物、金が集まんのよっ!!

なんて、思った事ないかい。

つまり、が、この世を支配してんのさぁ〜

良い事をすれば、するほど、が、この世を支配するんだ。

15年間、引きこもりの人が、身内を殺害していった事件があったと思う。

そこでは、なぜか、働かず、ひきこもった奴が、
真面目に働いていた親の銭を管理し、親が使用できる金額を決め、
残りの銭で贅沢三昧してたらしい。

が、支配してんのさぁ〜

子供手当も、国に子供を置いて来てるから、もっとくれっ!!
なんて、真面目に働いてる人達の銭を、
なんとか自分達の不労働所得にしようとする人が増えてるが、

自立しようとすれば、寄生するも生起するで、

この様に、
良い事をすれば、するほど、真面目に働けば、働くほど、
初段は、許せない悪人に、人、物、金が、集まり、が、この世を支配する。

さぁ〜、ここまで来れば、何をすれば良いか?

善悪を超えた人達はぁ〜

 ピィ〜んとキタね。

そんな
寄生する悪人を倒しても良いが、
悪人と同じ条件に立たされ、
自分も
寄生しなきゃならない状況に追い込まれるだけだ。

そいう意味では、全ての衆生は、神に
許されてるんだ。

許すという形で、を譲ってんのさぁ〜

56億7千万後、全ての衆生を救うとされる
弥勒菩薩は、
それまで、何をしてるかと言うと、全ての衆生を
信じ、じーっと待ってのさぁ〜
待つという形で、
を譲ってるのさぁ〜

悪人悪い事もするが、
善人となり、悪い事をした以上に善業をなすのも、この世の仕組みだ。
そうなるには
天の法を使いこなさなきゃ〜、ならないけどね。

恋愛なんてのは、まさに、ゴールするまでは、
相手に気に入られようと、自分の
を積み重ねながら近づくでしょ〜

だから、ゴールしたとたん、相手が変貌したりする。(笑)

許せない人と出会い、
カチィ〜ン対立相克)しそうになったら、
かごめ、かごめさぁ〜

かごめ かごめ
ヒカリ かごめかごめ、の歌の意味って、知ってる?
アスカ ううん、かごめ、篭の中の鳥、何のことなの?
ヒカリ 篭の目は、六芒星、陰陽の相生を現わして、
    中の鳥は、五芒星、陰陽の
相克を現わすのよ。
アスカ 夜明けの晩に、鶴と亀がって、何のことなの?
ヒカリ 亀の甲は、六芒星、真我の輝きを現わして、
    鶴の姿は、五芒星、自我の輝きを現わすのよ。

アスカ すべった、後ろの正面、って、誰のことなの?
ヒカリ 己の我の裏には、他の我が隠れているけど、
    他の我を認められると、
真の我を見とめるの。
アスカ 始めは、対立しながら、五芒星を輝かせて、
    終りは、和合しながら、六芒星を輝かせるの?
ヒカリ うん、新しい時代の夜明けを迎えるために、
    利己から利他に、変わらないといけないのよ。
アスカ そんなのやだ、まだ、好き勝手してたいもん。
ヒカリ うふっ、そうやって、我がまま言っていると、
    逆に思い切り、ツルって、すべっちゃうのよ。
アスカ ……………………

悪人を攻撃すると、
ツルッと
相手の条件に立たさるのでを譲る(利他)。

つまり、自分と他人の境なんてなく、
偶然、この世に生まれた訳じゃなくて、同じ立場に
転生しちゃったと言える。

悪人を攻撃すると、切り捨てた、
その人に生まれ変わってしまうって事さぁ〜

これを
専門用語六六六の仕組みと言います。

この様に、新しい視点を持つと、
新しい自分が生起する。これが
真我仏性)さぁ〜

真我仏性)が目覚めたところで、これが分かるんでないかなぁ〜

第参章 住劫期 
第十九話 〜 第三十話

「甘えるな、小僧、再び、
乱世に戻すつもりか。
浮ついた、お前の物言いが、徒に亡者を蘇らせる。
俺が何を背負って、ここまで来たか、知っているか。」

「これが、最後の勧告だ、我が国の法に従うか。
従がうなら、善の法を弁える、善人として報いる。
従わないなら、我が法を危める、悪人として酬いる。」

「私とて、人を活かすことに、異論はないのだ。
本心を言うなら、才のある者を、殺したくはない。
しかし、それゆえ、口だけの者を、生かしたくない。」

語るに落ちたり、畢竟、この国の善は
王の善
主観に過ぎず、それ以上でも、それ以下でもない。
煩悩に、絶対の証を求めて、
相対の罠に落ちている。」

「他人を許せないものは、自分を許せなくなる。
口先だけなのは、他でもない、自らがそうなのだ
他の闇に己を映して、葛藤した心は、業に侵される。」

「その首を出せい、その口と共に、断ってやる。」
「たとえ、断っても、絶たれるのは、汝の法だぞ。
我が首を以って、法が切り捨てた、業が噴き出すぞ。」

「王よ、汝が善の切り札、汝が法を犯せるのか。
その瞬間、積み上げた法は、罪を挙げる業となる。
汝が罪を以って、
隠し通したが噴き出すぞ。」

「王に、悪として、切り捨てられた、他の
は、
王に、
として、受け容れるよう、迫り続けよう
そうして、無意識に、彼らと同じ状況に立たされる。」

「ただ、
に変わることを、汝は知らない。
汝に切り捨てられた
は、後に必ずとして蘇る。
そのとき、汝は、我が
を、諦めなければならない。」

「もう十分に明らめた、もう完全に諦めてしまえ。
この世に、絶対の善など、諦らめる、他にないのだ。」

※明らかにして諦める=譲る、天に委ねる、そんな感じ。

「確かに、認め難い、およそ、信じ難い一撃だ。
精鋭の鎧で身を固めた、我が衷心が動じるとはな。」

「千年の王朝の礎の為に、私はの業を重ねた。
そして、近い先、有史以来、誰も成し得なかった、
天子の座、誰も及ばない、
最善に就こうとしている。」

「愚かになれない、私は、ここで、唖然とする。
誰も及ばない
最善とは、実に、誰も適わない独善
善業を究めた、第六天の王座に、悪魔が潜んでいる。」

「信じられるか、
至善独善が、別なのでなく、
至善を究めるほど、独善に極まる、というわけだ。
逆のものでなく、裏のものであると、何たる皮肉か。」

「このように、
は、等しく生まれている。
人は誰でも、飽くなき欲で、
なきを求めるが、
くの先にく、この世界に、厭きない欲などない。」

「原則は、自ら法を守る、法で治める世であり、
例外として、他の罪を許す、徳で治める世である。
根本を法で修めたものが、枝葉で収めるべきだ。」

「徳とは、拾い集める段、受け容れる器のこと。
悪を認めようとすると、善を見とめるようになる。
生れ変わった悪が、世を建て直す、乱世の要となる。」

という事です。

感覚的には、今の自分がそうだから、とか、
このままだと、自分がそうなるから、そうならないように努力するなどして、
そんな、今の自分を切り捨ててるって感じかなぁ〜

だから、切り捨て
分けた過去の自分(枝葉)と合っている。そんな感じ。

善も煩悩だから、そんな分けた他人に傷つけられる。

プラスとマイナスが、どうのこうの、じゃ〜、ないからね!!

まぁ〜、そんな話を、
1日集中セミナーとか言って、
約6万円ぐらい、ぶん盗るところもあるらしんけどぉ〜

ほっとけ、ほっとけ。
を譲りましょう。

許せない他人に出会った時、ちょっと、これ考えて観ると良い。

といっても、この話は
乱世(末法)で治める、
天の法と呼ばれるもので、結構、高度
な教えだから、
あまり、無理しないこった。

おっと、話を元に戻すが、
どちらも、
殴られるとし、自分の悪業が引き出されてるんだけど、
その
結果感じ方は異なるんだ。

後者は、指摘(悪口)されても、心が動かず、外(欲界)に影響されない。

Aさんは、自分の
心の汚れ悪い部分)を表してんだ。

よって、全ては心の現れであって、
全ての人を神仏の現れであると見るのが、

観音菩薩
カルマ・ヨーガらしい。

だから、現世御利益を司る
観音菩薩は、
全ての衆生に合掌している。


ちなにみ、左手に持つ、白い蓮華は、
この欲界の汚れにあっても、影響されない事を示す。

神道
なんかでも、宗派によっては、
挨拶がてら、相手に
合掌するところもある。

全ての人は神仏の現れである。

これを
専門用語で、仏陀の五智の一つ平等証智という。

次の
水瓶座アクエリアス)の時代は、
この様に、
平等性)を意味する時代でもある。

平等証智
があると、全ての人がだからねェ〜
アクエリアス
宗教戦争
が無くなっても、おかしくないかもね。

この世は、幸せと言えども、奪い合い(有限)であると、 
ありのままに見て(八正道の正見)、ありのままの真実を認め、
意識的に、必要以上の貪りを抑え(不偸盗の戒
他を傷つけた分、物質的利益)や智慧精神的利益)を、
他と分かち合う(慈愛、慈悲)ので(恩返し、功徳積み
無意識に、意識の裏の意味(無限:∞)が積み重なる。

必要以上の貪りをしない、の裏は、
必要以上の贅沢だ。

現実は無意識方向に変化する無常なんで、
与えた以上の物が、与えられたりしてね。

小さなを積んでいくと、大きなを積めるようになる。
とは、サットヴァそのものである。
は、サットヴァを越えたものである。
サットヴァな世界には、天命が現われる。
求めてない者が、与えられる事もなければ、
他に与えない者が、与えられる事もない。

どんなに小さな事であれ、
意識的に、自分が良いと思ってした事は、
無意識に、意識の裏の意味が積み重なる。

小さいの裏は大きいだ。

現実は無意識方向に変化する無常なので、
やがて、大きなを積む事が出来る様になる。

これは、小さな報酬(仕事)であれ、小さな出会いであれ、
意識的に小さな事でもコツコツやってると、やがて、
大きな報酬(仕事)、大きな出会いが得られるという事だ。

その
小さなものって何かと言えば、今、あるものだよ。

今の仕事や、今の出会いがそうさぁ〜

人は、得て無いものを得ようと、
他と比較し、人の幸せを見ちゃ〜
嫉妬したり、妬んだり、奪ったりしているが、
幸せは
にあるのではなく、今あるものにあるんだ。

これを、仏教では足るを知るとか、神道では今に感謝しないとか言ってる。

仏典で言うと、これかな。

裸形梵志経 第二章
「行者よ、如来が現れると、
価値逆転し、
解脱の果報を知った人は、このように考える。
在家は
不自由なことよ、出家は自由なことよと。」

--- 省略 ---

「それでは、どのように、
正念正智するか。
行者よ、比丘衆は、いつでも、どこにいても、
何を念じるのか、正しく智って、正しく念じる。」

「それでは、どのように、満足を得るのか。
行者よ、喩えるなら、鳥が翼だけ持つように、
比丘衆は、
衣鉢だけを持ち、満足するのである。」

「こうして、戒律、制感、正念正智、満足。
この四つの
条件を得た者は、解脱に至るため、
世俗を離れて山奥に入り、深い
禅定に安住する。」

徳川家康は、虐めにあって、
ド田舎の、へき地に追いやられるが、
今ある、土地を耕し、今の
東京を創ったんだ。

これは、他から奪ったものではなく、今あるものが、変化したのなので、
他から奪う方法より、
カルマ(悪業)が少く、長続きするやり方だ。

どの会社も作業効率の向上を目指している。

お金がない、材料がない、技術がないとかで、
それは、最初は、小さな改善かもしれないが、
意識的にコツコツうやってると、やがて必要な物が揃い、
大きな改善ができるって事でもある。

人材も同じだ、どこも優秀な人材を求めてるが、
優秀な人材も限りがあるから、奪い合いになっている。
そんな他から奪ったカルマ(悪業)が返って、
結局のところ、優秀な人材を集めた割には、
リーマンブラザースや、その他の銀行みないに倒産している。

そうではなく、今ある人材を意識的にコツコツと育てると、
これも、やがで、お金を稼ぐ人材に変わるって事でもある。

話がズレたが、
陸上の朝原選手なんかは、当時、出会った
彼女(今の妻)がまぶしく見えて
俺も、オリンピックに出たいと決意し、練習に励んだそうなぁ〜
互いに
利する関係
って奴だね。

異性を究極パートナーなんて、
利益目的ではなく

自分も、そう成りたい、と他を称賛してる事に注意してね。

他を称賛するから、称賛される。

他人を、その様に見れるのは、まさに、
の果報さぁ〜

訓練したって、そう成れる訳じゃないし
ミ○ス論理
やったところで、そんな相手と出会える訳じゃない

感謝の裏に賛美
ヒカリ ねえねえ、喜って、どんなものだと思う?
アスカ 他を称えて、他を喜べること、じゃないの?
ヒカリ 何を称えれば、他を喜べることになるの?
アスカ う〜ん、何かな、何を称えれば良いのかな?
ヒカリ 自分が有り難くないのに、他人を喜べる?
アスカ ううん、そんな喜は、欺瞞に過ぎないわ。
    自分が悦んでいないのに、何を喜べるわけ?

ヒカリ 自分を在り難がっていて、他人を喜べる?
アスカ ううん、そんな喜は、陶酔に過ぎないわ。
    他人を認めていないのに、何を喜べるわけ?

ヒカリ うん、じゃあ、これから、分かることは?
アスカ 自分も、そうなりたいと、認めることを、
    他人に、観とめられたら、称えられるのね。

ヒカリ うん、その通り、すごいな、頭が良いね。
アスカ もう、そんなに褒めないでよ、照れちゃう。
ヒカリ ううん、言わせて、私も、そうなりたいの。
アスカ ……………………!!

六波羅蜜
は、この世は、奪い合いである
したとき、必ず誰かがしている
これが、他を傷つけた
カルマ(悪業)となって返り
結局、会社の景気が悪くなったり
失業したり、希望の職に就けなかったりと
をする。

奪い合いであり
理想の相手
と出会えたとき
必ず、誰かが
理想の相手と出会えなくなる。
これが、他を傷つけた
カルマ(悪業)となって返り
結局、別れたり、離婚したり、失恋したり
好意を持った異性が、他の異性に奪われたりする

そんな、ありのままの真実を認め
幸せと言えども、奪い合いであるを

意識
して、他を傷つけた分、恩を返す功徳積み
他を傷つけながらも、それが許され、生かされている
他に支えられ、生きているから、支え返すという
感謝の実践

この様に、
意識的感謝恩返し)するので
意識
の裏の意味が無意識潜在意識に積み重なる。

感謝
の裏は賛美

現実は
無意識潜在意識方向に、変化する無常なんで

そうなりたいと他を称賛できたり

(「
」も実体のないって事です、自分が変化する)
そう思える人に出会っても、不思議ではない。

だから、
を積むと、歩いていていても、座っていていても、
何をしても、
楽しい、そんな体験をする人もいる。

だから、六波羅蜜を行うと、
未婚の人は
善業(ダルマ)が多い利他的な人と結ばれる可能性があり、
既婚の夫婦は
六波羅蜜を行う事により
互いに利する
順縁関係に変わる可能性があるんだ。

ミ○ス論理結婚学やってんじゃ〜

ないんだよ!!

この世は、
類は類を呼ぶだからね。
善業の多い人は、善業の多い人どうし集まり、
善業の多い人は、善業の多い人と結ばれたり、(互いに利する順縁
悪業が多い人は、悪業の多い人どうし集まり、
悪業の多い人は、悪業の多い人と結ばれたりする。

例えば、
ミ○ス伊勢白山のリーマンなど、
何故、
へんちくりんな宗教に人が集まるかと言えば、

この世は、類は類を呼ぶだからね。

自分だけ救われれば良いと思ってるから、
自分だけ救われれば良いって奴が集まり、
自分だけ救われれば良いって奴に騙され、
救われるどころか、足元(
)、掬われるハメになる。

隠しても、しょうがないんで書くが、
ミ○ス論理ワクワク再婚した人がいるんだけどぁ〜

残された子供は、どうなるのかな?

あの頃は、子供だったとか言って、
この辺、体験談(メルマガ)には一切触れてないどろこか、
ミ○ス論理に出会ってたら、前の妻には遭ってないない!!

とかなんとかで、恋愛したは良いが、家庭や生活が、
子供中心の生活になり、そんな生活に飽きちゃって
ミ○ス
御自慢の二元性を超えた結婚とやらで再婚したらいんだけど、

これが
逆縁というカルマ(悪業)を創る。

末法になると人間関係逆縁となる。

来世、この残した子供が、自分の親となる。

親から
愛情を与えられるのが本当だか、
この場合、親から愛情の裏の憎悪が与えれる。
幼児虐待って奴なんだ

子供を産んだが産声をあげたんで、近所迷惑と思い殴り殺した。

なんて事件あったね。

類似の事件も多い。まさに、今生は
末法だ。

幼児虐待とまで行かなくても、
母親が嫌いとか、父親が嫌いなんて、親と仲が悪い人っているようね。
ちょっと、子供に
愛情を与えるように、
少し、
親孝行してみると良くなったりしてね。

あぁ〜、そうそう。
ミ○ス論理の教祖も親が嫌いとか言ってたね。
ちなみに、
オーム真理教の教祖も親が嫌いだったらしい。
どっちも、
裏天皇だとか言ってたような気がする。
行きつく先は、同じだったりしてね。

伊勢白山リーマンは言う。
白山と伊勢神宮に光の柱が建ちます
白山(裏・陰)と伊勢神宮(表・陽)に光の柱が建ちます。
この意味を探求します


しかしながら、リーマンへたれリーディングじゃ〜
何時まで経っても、その意味が分からないままなので、
法の王の俺様が解いてやった。

基本的に、この二本の柱は、人類全体の善業の投影であって、
神社に行くと、その象徴として、
回向柱なんてものがあったりする。

この二本の柱は、
男性原理女性原理を表しているんだ。

もう少し、分かりやすく言うと、
この二本の柱は、智慧方便、その目的の確立を表している。

あえて、確立と書いたのは、
そこまで、人類全体の善業が蓄積されたと予見しているからだ。
回向柱に限らず、ストーン・サークルなんかもそうで、


自分の持つ、男性原理女性原理が和合した部分の投影でもある。

今年は善光寺で7年に一度、
日本最古の仏像であり霊験あらたかな、
有名な秘仏一光三尊阿弥陀如来像の前立本尊のご開帳
の年でもあるからねぇ〜
そのとき、本堂前の建てられるのが回向柱だ。


男性原理(縦)が、その手段となる
智慧方便を表し、
女性原理(横)が、その目的を表している。

後に、この
智慧方便を使い、
伊勢白山リーマンが霊視した、
光の柱の意味と目的を、
人の持つ役割(長所と短所)の所で解くが、
その前に、少々、教学が必要だ。

男性原理は、例えば、
リーマンの先祖供養
ミ○ス論理が、
良い例で、これをすると良くなると言った教えだ。
それは、その人にとって、善業積みの手段となる良い面もあるが、
しかし、不慳貪の戒を思い出して欲しいのだが、
どんなものにも、良い面悪い面があって、
男性原理悪い面は、善悪二元論に落ちてしまう事だ。

リーマンの先祖供養を行ってる人は良い人で、
そうでない人は地獄に落ちる悪い人なんてねェ〜

ミ○スでは「結婚しないと次元上昇できません!!」なんて、
セミナーに来ない人と対立してたね。(社会との対立、外と
和合してない))

後に分かると思うが、
そんな団体も独立して存在してる訳じゃなく、
他との
相互依存関係で存在してるんで、
そんな団体が存在しうる
(条件)を探らなければ、
こんな感じで、第二、第三の
オーム真理教が出てくるだけで、
男性原理だけだと、不十分なんだ。

手段が
絶対化してしましい、何時の間にやら、そうなるんだ。

なぜなら、
他に座席を譲ったり、他の仕事を手伝ったり、
他に気を使ったり、遠隔ヒーリングなど他の為に祈ったり、
親や兄弟に仕送りしたり、神を信仰したり、先祖供養したり、
良い事善業積み)をすると良い事が返るのではなく、
良い事善業積み)をすると、先ず、悪い事カルマ)が返るからだ。

この苦に耐えると、
悪業カルマ)が落ち、善業が出るのだが、
そんな
智慧もないから、苦しみに囚われてしまって、善悪二元論に落ちる。

だから、女性原理である受容
慈悲)が必須となる。
その為には、自他の区別を外した智慧
男性原理)が必要なんだ。

何でも2つだ。どんな方法にも、
良い面と、悪い面がある。

これから、楽でもなく、苦でもない

智慧の修行
に入る訳だが悟りの道哲学の道、というのは、
実践すれば、確かに、悟りに近づくが
その裏で、
プライド慢心)も強くなっている。

チャクラで言うと、頭上の
悟りのチャクラの一歩手前は、
首のチャクラである、嫉妬、妬み、慢心だ。
だから、クンダリーニが上がると同時に、
プライド
優越感)も強くなっている。

だから、
我こそが、イエスだ、釈迦だ、世界の王だぁ〜
我こそが、アセンションの鍵を握るものなりぃ〜
あぁ〜、僕たち、私たちわぁ〜、イエスも釈迦も、ぶっ超えた話をしているぅ〜
なんて、ミ○スの様な救世主が沢山いるが、これも、偶然じゃないんだ。

オーム真理教
もそうだし、
最近じゃ〜、
幸福の科学もそうだが、
自信満々(プライド)で選挙に出た割りには、
どいつも、こいつも、落選。(
優越感の裏に劣等感ありなんだ)

つでに、出てきた言葉がぁ〜


本当は当選してるがぁ〜、マスコミやらアメリカやら、誰かの陰謀で落選した!!

なんて言いだし暴走し出した。

アセンションの鍵は結婚にあった
ミ○ス論理信者
選挙じゃないけど、ドームを
ス受講者で、
いっぱいにするとか、しないか言って
暴走し、
結局、すったらセミナーに誰もこなかったらしいとかぁ〜

結婚しないとアセンションできません!!
なんて、暴走し、セミナーに来ない人と対立していたね。

どいつも、こいつも、オームと同じだ。


別な言い方をすると、悟りの道哲学の道は、
プライド優越感)を強くするカルマを創るとも言えるんだ。

プライド
優越感)の裏には卑屈劣等感)があるから
悟りの道
哲学の道というのは、そんな屈辱を受ける道でもあるんだ。

こんな奴に、俺は劣るのかぁ〜。なんて言いたくなる局面が発生する。

カルマ
悪業)なんで、そんな苦に耐えると
悪業
が落ち、善業が出だす
苦に囚われず、
暴走
しない事だ。

最近は、
アセンション・ブームだからねェ〜
その日になって何も起こらなかったら、きっと、

ロロロ星人の陰謀で、アセンションは延びた。

なんて、言い出す人が増えたりしてね。

プライドと言えば、悟りの手前は、嫉妬、妬み、プライドの段なので、
功徳を積むと、何か悟る度に、大概、男女問題にぶち当たる。

功徳を積んでるだけに、ひょっこり
理想の相手が現れたりする。

理想の相手だけに、自分のものにしたい、という我所執執着)が生起する。
そんな貪り対立というカルマを創るもんだから、恋敵など現れる。

こうなると、恋敵などに憎悪しがちだが、囚われない事だ。

プライドの裏には卑屈があるから、先に
他より劣る自分(卑屈)を体験する。

結婚願望が無いわけではないが、
自分は恋愛は苦手だから、恋愛に積極的な奴とか、
上手く異性と喋れて、上手くデートに誘える奴とか、
自分より容姿がカッコいいとか、自分よりお金があるとか、
自分より頭が良いとか、そんな
恋敵(ライバル)ばかり多数生起し、
他より劣った自分劣等感)を、まざまざ、と体験する。

卑屈を体験するが為に、ますます、他に勝とうと、
恋敵などに
憎悪しがちになるが、囚われない事だ。

囚われず、苦に耐えると
悪業(卑屈)が落ち、善業が出だす。

これを別な言い方で解くと、
この様に、人には、それぞれ、
長所短所がある。

短所 の先に 長所
シンジ あ〜あ、僕は、短所ばかりで、長所がない。
    もう、努力するのなんて、止めちゃおうかな。

レイ  ううん、最初が悪いと、最後は良くなるの。
    短所ばかり、というのは、とても、長所なの。
シンジ えっ! どうして? 僕でも、強くなれるの?
レイ  うん、その分、頑張らないと、ダメだけど。
シンジ でも、どうして、そんなことが、言えるのさ?
レイ  強さは、弱さを知らないと、分からないの。
    
短所を、長所に変える力が、真の強さだから
シンジ 最初から何でも出来るのは、強さじゃないの?
レイ  うん、たとえば、目が見えて、強いと思う?
シンジ ううん、目が見えても、強いとは言えないよ。
    見えないでも、頑張るなら、強いと思うけど。

レイ  うん、だから、短所は多いのは、長所なの。
    頑張れば、すべての短所が、長所に変わるの。
シンジ そっか、一生懸命に、短所で悩んだことが、
    全部、長所となって、活かされるってわけだ!

レイ  うん、頑張っている限り、短所は長所なの。
    だからこそ、最後まで、頑張った方が良いの。
シンジ ……………………!!

では、そろそろ、
短所長所にしてみよう。

例えば、モテル為の
条件は、
容姿が良い、お金がある、スポーツマンとかあると思う。

さぁ〜、
理想の相手も奪い合いである。
そんな相手を獲得するには、そんな
条件長所)がなくてはならない。

がしかし、そんな
長所も無常ですよ。ってのが釈迦一元論なんだ。

理想の相手を獲得する為には、必ずしも、それらは長所にはならないって事だ。

たしかに、昔は、俳優さんとかが、美しい女優さんと結婚していたが、
今や、お笑い芸人さんの方がモテ、美しい女優さんと結婚してる。

お笑い芸人は、容姿はカッコいいとは言えないかもしれないけど、
そんな人達の気持ちや苦しみが分かるという
長所があるという事でもある。

その自分の
長所が、理想の相手を獲得する条件へと変わったんだ。

実際は、そうなのか聞いた事ないけど、そんな感じだ。

容姿は良いけど、
性格が悪いってあるでしょう。そんな感じだ。

言いかえると、今、自分にあるものが、
理想の相手を獲得する為の長所条件)へと変わって行くって事なんだ。
これは、奪った訳ではないので、カルマ(悪業)も少ない。

よく、
なんで、あんな奴が、いい女つれてんのよっ!なんて局面、良くあるよね。
必ずしも、そんな
長所が、理想の相手を得る長所とは限らないってこと。

お金を得るにも、さまさまな
条件長所)があるが、
必ずしも、それが、お金を得るための
条件長所)とは限らないんだ。

今ある自分の
長所が、やがてお金を得る長所に変わるって事だ。

別な解き方をすると、この世は相対(縁起)だ。
短所での苦しみの裏には長所での楽があるって事。


これは、全ての人が、
ミ○ス論理ジャッチ作戦とか、次元上昇するまでもなく、
あるがままで、欲しいものを手にする長所条件)を有しているって事でもある。

他人を、この様に観れるようになるならば、自分に対しても観れるようになる。

他人を、その様に平等に観るって事は、
自分に対して、他人も平等に扱ってくれるって事だよ。

短気の裏には、
仕事などスピードが速いという
長所があるし、
逆に、スピードが遅い人の裏には、慎重さがあるので、
仕事などミスが少ないという
長所がある。

頑固の裏には
真面目さがあるので、
頑固なだけに多少の事では、
ヘコタレナイ
粘り強さ(辛抱強さ)があるから、
幸せが長続きしたりする。

宗教というと某S学会の様に、
嫌がられせ的な勧誘が目立つが、
そんな支配欲の裏には、
面倒みが良いという
長所がある。

どうして、
自分に
無い長所を求めると、
道を外し、失敗てしまうかと言うと、

あの長所も、この長所も、
あれも一番、これも一番、なんて、

あれも、これも、とやると、
願いが、互いに相殺し合って、
何も、叶わなくなるんだ。

専念 の裏に 余念
シンジ 僕は、将来、スポーツ選手になりたいな。
レイ  心から念じていれば、何でも適うはずなの。
シンジ バスケか、テニスか、ゴルフがいいなあ。
レイ  それ、全部になりたいって、思っているの?
シンジ ううん、どの選手になるのも難しいから、
    なんでも良いからさ、なれたら良いんだよ。

レイ  心から念じるときは、一つだけに絞るの。
    互いに打ち消し合って、念じ切れないから。

シンジ えっ? 打ち消し合うって、どういうこと? 
レイ  もし、バスケの選手になれるんだったら、
    テニスの選手になれなくて、いいんでしょ?

シンジ うん、他の選手になれなくたっていいよ。
レイ  うん、こうして、三つ巴で打ち消し合うの。
シンジ 意識的になりたいなと、念じている裏で、
    無意識になりたくないと、念じているんだ!
レイ  うん、そうなの、無意識の力は、強いの。
シンジ そういうことならさ、全部になってみるよ。
レイ  ほら、それだって、心から念じてないの。
    さっき、言っていたことと、違うじゃない。
シンジ ……………………

自分の教祖が使命を授かっており、
自分の教祖が世界の救世主となり、
あの人も、この人も、
全部、救う。

なんて言うのは、
信じる者から、足元(銭)、掬われる仕組みが、
お分かり、頂けたでしょうか。

ここは、そんな、
伊勢白山とかアルクトゥルスとか、
1+1=∞アセンションへの扉とか、
アセンションの鍵は結婚にあったの、
マリッジコードミ○スだが、
ミ○ソフィアミ○ス論理とか、

救われるどころか、
足元(銭)、救われた人を救うところ。

アセンションとか、江原とか細木とか、
精神世界の鉄人が御推薦する宇宙人バシャールとか、
超能力とか、霊視とか、ヒーリングとか、

すったらもん信じても、
救われなかった人を救うところ。

類は類を呼ぶだから、
ここに来ている人は、そんな役があると思われる。

事業も、あの分野も、この分野も、
なんて、ありがちだが、
これも、互いに相殺し合って上手くいかない。

ユニクロの失敗談だが、
いっとき、食糧品にも手を出した時期があったが、
そんとき、食糧事業も失敗し、
本業の利益も低迷したんだ。
そして、本来の事業に戻り、盛り返したんだ。

本業ついでに、本業と副業とか
これも、互いに相殺し合って上手くいかない。

アセンションの鍵は結婚にあった教の、
マリッジコードミ○スだが、
ミ○ソフィアミ○ス論理教では、
ネズミ講(MLM)とか、人件費ゼロで、
セミナーの講師とか、セミナー勧誘とか、
信者に副業を、

じゅんじゃん

やらせてるらしいけどね。

この様に、あれも、これも、じゃなくて、
役割を分かち合い、他を活かすから活かされる。
これが、釈迦一元論らしい。

縁のある人の大黒柱(マハーカーラ)となって、
縁のある人の苦を取り除き、縁のある人を救う。

これが、
伊勢白山リーマンが見た光の柱(大黒柱)の意味だ。

貪らなければ、必要なものが入ってくる仕組みが、
お分かり、頂けたでしょうか?

伊勢白山リーマンには、
何時まで経っても、わからん話だと思うけどね。

マリッジコードミ○スミ○ス論理では、

成功とは自分を知る事なんてやってが、
あいつらのやってる事は、したい事を知るなんで、
そんなもんは、お金持ちに成りたいだとか、
そんなセミナーに銭、払うまでもなく知っている。

それを言うのなら、自分の
長所を知る事ってなんだ。

だいたい、
ミ○ス教祖本人が自分を知らない。

同じ自動車でも、TOYOTAとHONDAでは、ちょっと違うでしょう。

TOYOTAは歴史と技術力(ノウハウ)があるから、
間違いないという安心感があるけど、
デザイン性となると、いまいちでさぁ〜
そうなると、HONDAやMAZDAとなったりする。

この様に、人の
長所は、それぞれ異なるので、
あれも、これもと、貪らなければ、
人が100人いれば、100人分の成功があるって事さぁ〜

それに、これが分かってくると、
勝ち続けなければ存在意義を満たせない。
そんな中毒から解放され、
今を楽しめるようになる。

足るを知るだ。

伊勢白山のリーマン
が、
なぜ、
ランキング操作らしき、怪しいポイントで、人気ブログを独走し、
マリッジコードミ○スが、なぜ、ランキング操作らしきもので、自社本をベストセラーにし、
さも沢山の人が集まってるかのような
偽造的な事をするかと言えば、
そんな
中毒に掛り、そうまでしないと幸せを感じなくなってんだ。

つまり、こいつらの、やる事なす事は
本当の幸せではない。

観音菩薩カルマ・ヨーガ的に言えば、
勝ち続けなければ存在意義を満たせない。
そんな自分達の
心の汚れの投影が、
伊勢白山のリーマンマリッジコードミ○スと見た方が利口だろう。

人の長所もあれば、
会社の長所、の長所などがある。

そんな長所が、いずれ、お金など、欲しいものを得る長所に変わるってこと。

アメリカや中国に盗って代わって、じゃなくて、
こんな感じで、日本の
長所を活かせば、
なんとか、この不況も乗り越えられるんでないかなぁ〜

人(会社や国)によって、さまざまな
長所がある。
この
長所を別な言い方をすれば、
人(会社や国)によって、さまざまな
があると言う事だ。

意識的に役に徹してる限りにおいては、全体と調和しているので、
調和してるだけに、全体の利益が発生し、やがて個人的利益が発生する。

しかしながら、自分に無い長所を得ようと、
一日で理想の相手に出会えるミ○ス論理とか、
眠りながら億万長者とか、毎日がミラクル1+1=∞だとか、
自分に無い長所を得ようとすると、
不調和になり、
個人的利益が失われる。

手が頭をやりたい。
足が手をやりたい。

なんて、やったら、不調和になって、動けなくなるでしょう。(
個人的利益が失われる

よく、宗教が選挙に出たり、教祖がマスコミに出たがるけど、
そんな事をするから、個人的利益を失うんだ。

この場合、理想を言えば、
役をやり切ると、次の役が与えられるで、
これは、全体と調和したものだと思われる。

あの松下のおっさんは、三拍子、揃ってたと自分で言っている。

・お金が無く貧乏だった。
・貧乏だから学校に行けず、学歴がなかった。
・生まれつき身体が弱かった。


これが、あの松下のおっさんの
短所だ。
しかし、これを
長所に変えたんだ。どう変えたかと言うと、

お金が無いから、お金のある人から学んだ。
学校に行ってないから(学歴がないから)、
学校に行った人から(学ある人から)、学んだ。

ここで、
俺は金があったら学校に行って、お前たちよりも偉かったんだ。

なんて
慢心があると、そんな事は出来ない。
これは裏を返すと、学歴が無い分(
短所)、
人より覚えるのは速いという
長所があると思われる。(反省が速いとかね)

勉強は苦手というのも正確ではないかもしれない。
本を開いて、机に向かって黙って一時間というのが苦手なだけで、
そうではく、人の話を良く聞いて学ぶという
長所があるかもしれない。

そして、学歴が無いから、自分の学ではなく、他の学を活かし、
身体が弱かったから、自分の体力ではなく、他の体力を活かす事を学んだんだ。
自分に拘らず(
自己の執着)、他を尊重し、活かす力を身につけたんだ。

詳しい事は、分からないんだけど、
戦国時代の頃だったと思うが、
身分も学歴も無い人が一時、天下人になったらしい。

その人、家康の所に行って、
あなたは、自分と違って、身分もあるし、民からも尊敬されいる。
 だから、明日は、どうか協力して欲しい
」と言ったら、
家康は、もぁ〜参ってしまって、協力したらしい。

家康の
長所を尊重し、活かしたんだねェ〜
ただ、その人、その後、慢心しちゃって落ちたけどね。

自分(会社や国)の長所を、
こうなる様にする為には、
忍耐力辛抱強さが必要(条件)となる。

ちなみに、家康は、たいした才能もなかったが、
一つだけ、他より辛抱強いという
長所があったんだ。
自分の時代が来るまで待てる
辛抱強さがあったんだね。
そんな、今ある自分の長所を伸ばしたんだ。

この世は、幸せと言えども奪い合いだから、
その過程において、失恋とか失業とか奪わる事もあるかと思う。

しかし、そんな苦に耐える局面には、(
悪業清算
自分の時代(短所が長所に変わる時期)を待てる、
忍耐力、辛抱強さが養われてるという
長所もある。

そして、そんな苦に耐える局面は、自分の長所を教えてくれる
長所もある。

しかしながら、人ってのは、
霊視やら、ヒーリングやら、チャネリングやら、超能力やら、
自分に無い長所を欲しがり、他より優位に立とうと、
ミ○ス論理などのアセンション・セミナーに行っては、
救われるどころか、足元(銭)、掬われて終わってんだ。

貪りが多い人は、苦に耐えかねて、
一日で理想の相手に出会える
ミ○ス論理とか、
眠りながら億万長者とか、毎日がミラクルとか、
1+1=∞だとか、そんなセミナーに引っ掛かり易く、
自分の道を外し易いので、気を付けてね!!

おっとっと、
良い事をすると、良い事か返るというが、
そうではなく、初段は、
良い事するが為に、先ず、悪い事が返る(悪業が返る)
この苦に耐えると悪業が落ち、善業が出る。

のだが、この悪業が辛いっ!!

辛すぎて、もぁ〜やめたっ!!

なんて、財施も法施もやめたくなる事が、
1日、100回ぐらいあると思うが、
それでも、続けられるかが勝負となる。

良い事が起ころうが、
悪い事が起ころうが、
どんな条件でも、信じて出来るその心は、
無常件の愛とか、無償の愛とか、信愛と呼ばれるもので、

無償の愛を与えるから、無償の愛が与えられる。

自分が、どんな時も信じるから、
他人も、どんな時も信じてくれる。

親がそうだよね。

親と言えば、今日から、
NHKの大河ドラマで『竜馬伝』が始まったらしいが、
そこで演技されている竜馬お母さんは、そんな感じだ。

剣術も駄目、勉強も駄目、何しても駄目。

そんな竜馬だが、親は、それでも信じてる。

無償の愛が与えられてんだねェ〜

偶然、そんな親を与えられた訳ではないって事だ。

占星学によると、
人には善業が出る時期、悪業が出る時期があるが、
どんな時であるろうと、無償の愛を実践(功徳積み)すると、
どんな時であるろうと、無償の愛が与えられるって事だ。

功徳を積むと、人生が安定すると言うが、そういう事かも?

どんな時も、信じて、与えるから、
どんな時も、信じてくれて、与えられる。そんな感じかなぁ〜

恋愛なんか、そんな「無常の愛」の結果が良いんだろうね。

親愛 の先に 信愛
アスカ あ〜あ、あたしも、愛を極めてみたいなぁ。
ヒカリ 愛と言っても、いくつも段階があるのよ。
    親愛は、我を愛するように、他を愛するの。
    信愛は、我を忘れるぐらい、神を愛するの。

アスカ 親愛を極める前は、どんな感じになるの?
ヒカリ 相手を愛している、自分を愛しているのよ。
アスカ 親愛を極めた後は、どんな感じになるの?
ヒカリ 自分を愛するみたいに、相手を愛せるのよ。
アスカ 信愛を極める前は、どんな感じになるの?
ヒカリ 神様を愛している、自分を愛しているのよ。
アスカ 信愛を極めた後は、どんな感じになるの?
ヒカリ 自分を忘れるぐらいに、神様を愛せるのよ。
アスカ 最後の最後に、やっと、無償の愛になるの?
ヒカリ うん、それまで、ずっと、有償の愛なのよ。
アスカ いきなり、無償の愛を、極められないの?
ヒカリ 無理だと思う、でも、やってみたらいいよ。
アスカ う〜ん、無理じゃないなら、やってもいい。
    無理って、分かってやるのは、無駄だもん。
ヒカリ うふっ、ほらね、やっぱり、無理みたい。
アスカ ……………………

この
無償の愛を、別な言い方で解くと、
功徳なんか積んでると、
功徳を積んでる割りに、同じ苦しみを何度も受け、

またかよ!

なんて、へ込む局面に、何度も曹禺し、
無償の愛どころか、こんなの止めたくなる。

これはねェ〜
成功するには、何度も
失敗を繰り返す段があるように、
功徳を積むと、同じ苦しみを
何度も受ける段があるんだ。

そんな
智慧があると、囚われず、無償の愛を与えられるかと思う。

別な
原因としては、
功徳を積むと屈辱の段があり、
お金、異性、仕事などが奪われたりする。

その
結果、奪った相手に対して、

この野郎っ!

と、
憎悪してしまうのが人ってもんだが、
この
結果原因となり、何度も同じ苦しみを受ける。

論点 最上現在涅槃論の限界とは何か

過去の自分が経験している領域において、
苦楽の二元性を吟味して煩悩から離れ(初禅)、
煩悩なき集中によって達成される解放感を得て(第二禅)
その解放感すら超えて楽を得て(第三禅)、
その楽にすら無頓着になったら(
第四禅)、
次に、過去の自分が経験していない領域において、
同じことを繰り返す
すると、次第に意識が拡大して、空無辺処、識無辺処、無所有処、非想非非想処の段階に移行する。

論点 十二縁起とは何か

歓喜 → 喜 → 安穏 → 楽 → 心三昧 → 如実知見とは、十二縁起の過程である。
心三昧の瞑想段階(
第四禅)をを終えると、如実知見の段階に入り、
次に、如実知見であるが故に、あらゆるものに囚われず、貪らず、解脱に至る。
つまり、如実知見 → 遠離 → 離貪 → 解脱と続く。

ちなみに、
弥勒菩薩は、全ての衆生を信じ、
じーっと待っている慈悲菩薩なんだ。

しかしながら、最近じゃ〜、

結婚しないとアセンションできませんとか、
アセンションできるのは、ここだけとか、
を語るわりには、偏った愛を他に与えるセミナーがあるが、

偏った愛を与えるから、条件つきの愛しか与えられない。

よく、「どこもやってのに、なぜ自分だけがぁ〜
なんて言う人がいるけど、そういう事かもね。

本当に、すったらセミナーで幸せに成れるのか?
すっごく、怪しくなって来たね。

おっとっと、直感的にだが、
どこもやってのに、なぜ自分だけがぁ〜
なんて思ってる人は、もしかしたら、
そんな、
悪い事ネズミ講とか)した先駆者かもしれないね。

先駆者だけに、真っ先に
カルマ悪業)が返り、

どこもやってのに、なぜ自分だけがぁ〜」なんて言いたくなる局面に落ちる。

ちなみに、思い出したが、
どこもやってのに、なぜ自分だけがぁ〜
なんて言ってる人の教祖だけどぉ〜
自分が日本にMLM(ネズミ講)を広めた第一人者」と言っていたねェ〜

類は類を呼ぶだから、その人も何かしら、関与したがために、

どこもやってのに、なぜ自分だけがぁ〜」なんて言いたくなる局面に落ちたと思わる。

ネズミ講MLM)は確かに、お金持ちも創ったが、
その裏で、お金持ち以上に、
貧乏人も創ってんだ。

最近じゃ〜、大勢の
自殺者や、大勢の精神病まで創ってるらしい。

そんな、他を傷つけた
カルマが返り、そんな目に合ってるとも言える。

ちょいと、MLMネズミ講)に触れると、
MLM(ネズミ講)と来たら、勧誘となるが、この、勧誘って奴だけど、

 面白い話があるからって、友達を誘ってみればぁ〜

なんて指示が来るが、
けっして、MLMネズミ講)の話とは言わない。

これ、何をしてるかと言うと、積極的なんだ。

十戒四 … 不妄語の戒
妄語の禁戒・正語の勧戒について述べよ

妄語とは三種類のを指す。
第一の嘘は、自己の利益を保全するための積極的である。
第二の嘘は、沈黙を持って正しいことを言わない嘘である。
第三の嘘は、結果的に嘘となってしまう消極的な嘘である。

積極的をなさないことにより、他人に騙されなくなるという果報が生じる。
何故なら、積極的をなす背景には、“自分の都合良く真実を歪める”という習性があり、
他人が、自分の都合の良い現実に騙されるのと同様に、
自分も、自分の都合の良い現実に騙されてしまうからである。
真実が、自己や非自己によりに歪曲され、物事を正確に認識出来なくなる。

正しいことを明確に言うことにより、必要な情報が正しく集まるという果報が生じる。
何故なら、沈黙する背景には、“敢えて意識化しない”という習性があり、
自分に不必要な情報が、明確に意識化されないのと同様に、
自分が必要としている情報も、意識化されず曖昧になるからである。

結果的に嘘にならないようにすることにより、言葉や意志力が強くなるという果報が生じる。
何故なら、消極的をなす背景には、“言行不一致で構わない”という習性があり、
他人が、自分の言行不一致で被害を被るのと同様に、
自分も、自分の言行不一致で被害を被るからである。
言行一致により、言葉の力が強まり、本人の意志によって発された言葉が現象化するようになる。

妄語をなさないことによって、良くも悪くも物事がありのままに見えるようになる。
正確に認識出来ることは、
一時的な幻想の幸福ではなく、恒久的な真実の幸福のためには不可欠である。
無智により、
騙し騙された幸福は、条件次第で不幸の因となるからである。

ネズミ講MLM)とか、1日で理想の相手に出会えるとか、
アセンションの鍵は結婚にあったとか、そんな、積極的は、

どこもやってのに、なぜ自分だけがぁ〜」と、

自分の都合の良い現実に騙されるので、気を付けてね!!

智慧の修行というのは、自他の区別を外し、自我執着を超える修行でもある。

智慧により、自我執着(プライド)が無くなると、自分が無くなるんで、
当然、自分と縁起関係で生起してる
他人がいなくなる。
どんな他人かというと、
嫌いな人であったり、ライバルであったり、自分を傷つける他人だ。

自我執着
プライドと言えば、人には他より幸せになりたいだとか、
他より幸せにとか、先駆者としての
プライドとか、
男なら、誰よりも家族を幸せにしたいという
プライドとかあるが、
功徳を積んでるが為に、他より収入が減るなど、
他より劣った自分を体験(卑屈)するが囚われない事だ。

例えば、JRは新幹線を海外に輸出しようとし、
ベトナムだったかなぁ〜、そこと順調に仕事の話が進んでいたが、
ここに来て、韓国という
ライバルが現れたんだ。
この事業だけでなく、日本企業が海外進出しようとすると、
ライバルが現れ、ニュースなどでは、どこも、日本は国際競争に勝てるのだろうか?
なんてやってるが、偶然に
ライバルが現れてる訳ではない。

あれ欲しい、これ欲しいなどの
貪りは、この様に対立というカルマを創る。

ちなみに、
ミ○ス論理では、

あぁ〜、ぼく達、わたし達わぁ〜
釈迦もキリストも、
ぶっ超えた話をしている。
この世は、相対、相対!!
苦を受け容れれば、漏れなく楽が付いてくる。
これが、一厘の仕組み。


なぁ〜んて言ってますが、
受け容れるったって、そんな
も独立して存在する訳じゃなく、
他との
相互依存関係縁起して生起する。

何処の何様と
相互依存関係かと言うと智慧です。
自他の区別を外した、
一元智慧です。

次元上昇してんじゃぁ〜、ないからね!!

智慧もないのに、そんな事をすると、
それは受け容れようとしてるだけで、かえって苦が
無意識に残る。

現実は
無意識方向に変化する無常なので、
また、また、同じ苦しみを何度も繰り返してしまう。

気を付けてね!!

また、これは、
正確ではない。

これは、マイナス(苦)とプラス(楽)は、
セットって意識してるから、
意識に裏の意味が無意識に積み重なる。

マイナス(苦)とプラス(楽)はセットの裏は、
マイナス(苦)とマイナス(苦)のセットだ。

現実は無意識方向に変化する無常なんで、
下手すると、苦しいままです。

一切皆苦
不幸の他に、幸福が在るため、
不幸が終ると、幸福に覆われる。
この幻想の考えに、縋り付くほど、
相対の幸福を求めて、転生を窮める。

別な解き方をすると、
を受け容れるにしたって、
を受け容れるにしたって、
それらは、自分にとって
良い事をしてる事には変わりない。

有情と無情
「善を突き詰めて、
至善を求めてきたばかりに、
悪を受け容れて独善を許せなくなってしまった。
最後の最後に、最も認められない、
最悪が残された。」

利己にしろ、利他にしろ、その結果が、
功徳になってるか、なってないかの違いはあるが、
自分にとって良い事をしてるという意味では、煩悩と代わりはないんだ。

だから、
至善を積み重ねると、良くなるどころか、最悪になるんだ。

独善っていうんだけどね。至善の裏に最悪ありさぁ〜

昇天 の先に 堕天
ゲンドウ 天に住む魂は寡く、地に棲む魂は多い。
     欲望の世界は、ピラミッド型をしている。
コウゾウ 天界を頂点に据えた、階級構造なのかね?
ゲンドウ ああ、誰もが、頂点を目指しているが、
     カラクリに嵌り、なかなか辿り着けない。
コウゾウ 誰もが、自分に善いことをしているが
     本当に善いことかは、分からないのかね?
ゲンドウ ああ、独断の善に陥り、地獄に落ちる。
     独善を窮めた先には、堕天使の座がある。
コウゾウ 独善に嵌らなければ、最善になるのかね?
ゲンドウ ああ、至高の善を求め、天国に上がる。
     至善を究めた先には、熾天使の座がある。
コウゾウ 熾天使には、独りしかなれないのかね?
ゲンドウ ああ、最善を独占する、世界だからな。
コウゾウ そうか、是非とも、私がなりたいものだ。
ゲンドウ ああ、いつかは、きっとなれるだろう。
     本当に良いことが、分かってないからな。

コウゾウ ……………………

自分にとって
良い事をすれば、
良くもなるが、その裏で、
悪くもなってるのが、この世の仕組みだ。

良かれと思い、一生懸命、仕事するからこそ、
周りの人が、仕事をしない
悪人に変わって行く。

良かれと思い、社会ルールを守るからこそ、
周りの人が、社会ルールを守らない
悪人に変わって行く。

個人的な経験を言うと、
好きな事は、嫌いな事をするカルマを創るから、
嫌いな事もしないとカルマが落ちずで、
好き嫌い言わず、なんでもやってたら、
周りの人が、
好き嫌い言って、何もしない悪人に変わちゃって、
それじゃ〜、仕事にならないから、
結局、
好き嫌い言わず、なんでもやる奴が、
人の嫌がる損な仕事ばかりやってる。そんな事もあった。

そんな感じで、最善最悪に極まるんだ。

意識的に、それが正しいと思っているからこそ、
意識の裏の意味が、無意識に積み重なる。

それが正しいの裏は、それは正しくないだ。

現実は
無意識方向に変化する無常なので、
そんな
悪業が潜在に眠ってる間は、
そんな自分の
無意識部分(悪業)を他人が演じる。

だから、
最善最悪に極まるんだ。

そんな他人も、
自分の
無意識部分の投影という意味では、自分なんで、
怒りでもって攻撃すると、全部、自分に跳ね返る。六六六の仕組みですね。
そんな他人は反面教師として学ぶのが良いと思われる。

良かれと思い、神や仏を信仰するからこそ、
周りの人は、それを信仰しない悪人に変わる。
だから、宗教の対極に科学があるのは偶然じゃないんだ。

このように、何時の間にか、
一厘の自分だけが良い事をしていて、
残りの九分九厘悪人になっている。

そんな感じで、
最善最悪というカルマを創が、
カルマなんで、囚われず苦に耐えると、
悪業カルマ)が落ち、善業が出るで、
そんな
悪人も、善業を積む、善人に変わる。一厘の仕組みですね。

良かれと思い、
釈迦や観音、弥勒の理の法
を解くから
周りの人達は、
スピリチュアルや占い、伊勢白山やら、
一日で理想相手に出会えるとか、出会えないとかミ○ス論理など、
救世主幻想利の法)を信仰する
悪人に変わる。

偶然に対極の宗教やスピリチュアルが生起し、
互いに
対立し、信者の奪い合いをしてる訳じゃないんだよ。
一神教が多神教を生んでるのさぁ〜

囚われない事だ。

そんな苦に耐えると
悪業が落ち、善業が出るで、
そんな
悪人も、すったらもんやめて、
善業を積む、善人に変わり、幸せになっていく。

何度も言うが一厘の仕組みですね。

それでは、 神や仏、
バシャールなど
宇宙人アセンションなど、
うなもん信じても救わるどころか、足元(銭)、掬われる法を解く。

良い事(善業)すれば、良い事(善業)が返ると言うが、
本当(初段)は、良い事(善業)をすれば、
良い事(善業)をしたが為に、悪い事が返る。
この苦に耐えると、悪業が落ち、善業が出る仕組みだ。

良い事をしたが為に、先ず、
今まで漠然と積み上げてきた
カルマ(悪業)が返る。

この
カルマ(悪業)は、大きく分けると3つある。

卑屈、嫉妬、慢心だ。

神や仏、
アセンションなど、うなもん信じたところで、
救われるどころか、足元、掬われるのは、
最後に、この、
慢心プライド)が崩されるからなんだ。

では、行ってみよう。


第四七話 希望と絶望
…… 我を明らめる と 神を明らめる

聖地を回復せよ、王の呼び掛けに、諸侯が集う。
神の兵の数、観とめられるだけでも、およそ百万。
彼らは、賛美の歌を謳って、善意の道を突き進んだ。

そして、聖地に帰り着くと、玄徳は誇らしく叫んだ。

「主よ、九分九厘、神の仕組は整えられました。

さあ、玉座に着いて、残る一厘を明らかにし給え。
あの神殿こそが、預言の地、王の中の王を決める丘。」

--- 省略 ---

健気に神を信じる、この選ばれし民に、主は言った。

「神の御名を語る者、全てが、天に還れるのか。
否、神の御心を行う者、彼のみ、還る事ができる。
主よ主よと神を騙る、蝮の子らよ、天の報いを知れ。

聞き違いであろうか、判断に苦しむ民を尻目に、
主は、供えられた物を、次々に打ち壊して行った。
静まり切った神殿の中に、物が壊れる音が響き渡る。

漸く理解に達した者の、叫び声が呼び水となり、
悲鳴が悲鳴を呼んで、瞬く間に阿鼻叫喚と化した。
禽獣と化した者に、泣き喚く者に、歯を軋ませる者。

一度でも綻びを見せた、信の念は繕い切れない。
裏切られた民は、早々に、この男を偽者と断じた。
今にも、吊るし上げそうな、きな臭さが立ち籠める。

--- 省略 ---

我に返った玄徳は、主に近づき、悲嘆の声を上げた。

「主よ、どうして、このような仕打ちをするのか。
これでは、導いた者として、彼に会わせる顔がない。」

--- 省略 ---

我に返った孟徳は、師に近づき、非難の声を上げた。

「師よ、なにゆえ、このような仕打ちをするのか。
これでは、率いた者として、民に合わせる法がない。」


さぁ〜、分かり易くしてみよう。

導いた者として、彼に会わせる顔がない
率いた者として、民に合わせる法がない

合わせる顔が無い!!

というのは、まさに、プライド(優越感)が崩されてんだ。

最後一厘は、まさに絶望さぁ〜

どいつも、こいつも、自分の団体が
一番と思ってるからねェ〜

自分の信仰や、自分の教祖が本物で、
自分の信仰が、他よりも幸せになれる。(
優越感

そんな、プライド(
優越感)が崩されるんだ。

まさに、信じる者から、足元(
)、掬われる事になる。

この様に、
最善信仰)は最悪というカルマ創るが、
カルマなんで、囚われず、苦に耐えると、
悪業が落ち、善業が出る。

智慧があると、囚われなのだが、
この様に、信じても救われないもんだから、
宗教戦争やってんだ。

神から使命を授かっただの、宇宙人と親睦会できるだの、
そんな神のお墨付き(
優越感)が崩されんだよ。

どの団体も、自分の
教祖一番というプライドがあるからねェ〜
最近じゃぁ〜、バシャールとかミッチェルとか、自分の
宇宙人一番と思ってる奴もいる。

自分の教祖は
裏の天皇だとか、
自分の教祖は前世、
釈迦だのイエスだの卑弥呼だのとか、
自分の教祖が
映画「マトリックス」を創らせたとか、

がっつり
優越感を叩き込まれたものが、巷には多くあるが、

良い事を(信仰を実践)してるが為に、
そんな本物(教祖)がネズミ講
MLM)やったり、
理想の相手に出会えると言いつつも、統○教会制だったりと、
そんな本物(教祖)が犯罪的方向に走り、信者、団体の名誉(
優越感)が崩され、
信じて救われるどころか、足元(銭)、掬わるなんて良くある話。

というより、神から使命を授かったなんて言う割には、
救われないもんだから、教祖や信者が
暴走して、
MLMネズミ講)や偽造体験談とか犯罪に走ってるのかもしれない。

神から使命を授かったなんて、そんな
救世主が沢山いるが、
そういう形で
優越感を与えられてる事に注意してね!

自分の使命を簡単に知る方法は、このHPの下方で解いてます。
 「使命」で検索(CLT)すれば、容易かと思います。

我こそが、、仏陀だの、釈迦だの、イエスだの、
宇宙人と喋るれだの
優越感を与えられた者が奴が沢山いる。

これを専門用語で
選民思想という。

獣から人に引きあがる為に使用する
神の大芝居さぁ〜

ミ○ス論理144000人の定員(選民)が、どうたら、こうたらとかぁ〜
伊勢白山・リーマン人類5%運動5%の選民)が、どうたら、とかあるがぁ〜
もろ、選民思想でさぁ〜
5%の自分達だけが救われる、そんな
優越感が崩されるんだ。

感覚的には、うなもんやったところで、
救われるどころか、自分達だけが、
地獄に落ちる。

この様に、
最善(信仰)は、最悪というカルマ(悪業)を創るが、
カルマ(
悪業)なんで、囚われず苦に耐えると、悪業が落ち、善業が出る。

"そもそも、選民の教えとは、禽獣を導く教え。
獣の子が、人の子となるための、仮初の法じゃぞ。
もう、要らないと思うなら、自ら、捨てて下されよ"


"それ、ゆえに、ゆめゆめ、忘れて下さるなよ。
親(教祖)と子(信者)が、
互いに獣として、殺し合う日が来るぞ。
それらは、すべて、神が遣わしたと、申しておくぞ"

"いま神の子もと人の子、いま獣の子もと人の子。
知恵ある者は解きなされ、神の子、の裏に、獣の子"


簡単に言うと、信者もろとも
地獄に落ちるのが、
精神世界の鉄人など、宇宙人とくっちゃべるチャネラーだったり、
これが本物、本物とくちゃべる
1+1=∞だったり、
使命さずかった、なんて言う奴らの役なんで、
気を付けてね!!

宗教が、自信満々で、選挙に出るがぁ〜、どいつも、こいつも落選。

プライド
が崩されてんだ。

優越感と言えば、
恋愛なんかそうで、

功徳なんか積んでると、功徳を積んでるだけに、
ひょっこり理想の相手なんか現れるが、そっから先は、思うようにはならない。

なぜならば、恋愛というのは優越感を与えてくれるものだから。

恋愛というのは、恋敵(ライバル)に打ち勝って得た喜びだから、
そんな優越感(独占欲)か崩される。

偶然、優越感を崩す、恋敵(ライバル)が現れる訳じゃないんだ。

悟りの前段階は、卑屈、嫉妬、妬みだから、
功徳なんか積むと、大抵、男女問題にぶち当たるが、囚われない事だ。

どっかの神だか守護神の話だが、
弟子が、教祖(恋敵)に女を盗られる話があるんだけど、
そいつ、頭に来て、軍隊、引き連れてきて、教祖と一戦交えるつもりだったんだけど、
寸前で、戦争を止めたんだ。それが評価されて、どっかの
守護神になったらしい。

寸前で、戦争を止めた理由が分かると思う。

各宗教スピリチュアル)に応じて、
最善を説くから、最悪も付いて来るで、
対極の宗教が生起し、信者がそっちに流れるなど、
優越感を与えてくれる、お金、仕事、異性、聖地などの
執着対象が奪われ(優越感が崩され)、信者同士で争い、
最善vs最善の宗教戦争(ハルマゲドン)という最悪が付いて来てんだ。

伊勢白山・リーマン怪しげなランキング操作らしきものによる、
人気プログ第一位は、そういう形で、
第一位(名誉)という執着対象が奪われている。

ノストラダムスやアセンションなど、
教祖騙された人もいるかと思うが、これも、教祖の話を聞いたりして、
自分にとって
良い事と思う事を実践したが為に、
そういう形で、優越感を与えてくれる執着対象奪われた。と思われる。

こんな感じで、
最善最悪というカルマを創るが、
カルマなんで、そんな苦に耐えると
悪業が落ち、善業が出る。
犠牲の裏に再生ありで、犠牲を選んだ方(
を与えた方)に、
天の
が与えられる。天命とか使命とか言われるものだ。

CASE 釈迦 と 弥勒 と 文殊

コウゾウ 釈迦が現れて、弥勒が現れて、文殊が現れる。
     どうして、一緒に現れて、済度しないのかね?
ゲンドウ 衆生の済度には、種類と段階があるからだ。
コウゾウ 釈迦の司る、王者の済度は、どんなものかね?
ゲンドウ 衆生の先を進み、型と成り、民を導くものだ。
コウゾウ 王者として、臣下に対し、手本を示すのかね?
ゲンドウ ああ、光り輝ける最善に、心から従わせる。
コウゾウ 弥勒の司る、船頭の済度は、どんなものかね?
ゲンドウ 衆生と共に進み、舳に立ち、船を操るものだ。
コウゾウ 船頭として、船員に対し、善悪を説くのかね?
ゲンドウ ああ、移り変わる最善を、互いに競わせる。
コウゾウ 文殊の司る、羊飼の済度は、どんなものかね?
ゲンドウ 衆生の後を進み、殿を務め、羊を追うものだ。
コウゾウ 羊飼として、迷える子羊を、救い出すのかね?
ゲンドウ ああ、戦い疲れた最善を、互いに譲らせる。
コウゾウ つまり、信仰に応じて、
最善が説かれるが、
     宗教間で、
信者が争って最悪に変っていく。
ゲンドウ ああ、そんな状況で、蜘蛛の糸を垂らされる。
コウゾウ そこで、最悪を捨てて、最善を選ぶのかね?
ゲンドウ ほら、ひっかかるな、糸が切れてしまうぞ。
     最善を譲らないかぎり、最悪を捨てられない。

コウゾウ ……………………!!


最善 の裏に 最悪
ミサト  なぜ、どの宗教も、最終戦争を説くのかしら?
リョウジ 宗教により、自らの善に囚われてしまうと、
     いずれ、最善を懸けて、戦ってしまうからさ。

ミサト  最善を懸けた、善と善の戦いこそ、最悪なの?
リョウジ そうさ、善が生まれると、悪も生れるのさ。
     好きを求めていると、嫌いまで求めてしまう。

ミサト  嫌よ、どうしたら、最終戦争を避けられるの?
     そのためだったら、わたし、何でも信じるわ。

リョウジ それが、逆なのさ、たとえ戦争になろうと、
     好き嫌いを言うことなく、何でも受け容れる。
     これが、戦争を避けられる、唯一の道なのさ。

ミサト  嫌よ、何でも信じるから、戦争だけはやめて!
     そのためだったら、わたし、誰とでも戦うわ。

リョウジ まさに、こうして、戦争に導かれるわけだ。
     人は、最悪に変るまで、最善を捨てられない。

ミサト  ……………………

これは、平和というか、自分の
理想世界みたいなもの執着しているから、
そんな優越感を与えてくれるものが崩されているいる。

理想世界といえば、どの団体も、
全人類を自分の信者にしようとしてるよね。
そんな、
執着優越感を与えるもの)が崩されるんだ。

偶然に対極の宗教が生起してる訳ではない。
一神教多神教を創ってんだ。

なんで、
統一ロ会みたいなミ○ス論理があったり、
伊勢白山ヘタレリーディングなどの、
地に足が付いてない
利の法が蔓延っているかと言うと、
理の法を解いているブライド(優越感)が崩されているとも言えるんだ。

あんで、あんな奴がっ!
こっちは真面目にやってのに!

なんてね。

真面目(
最善)にやって来たプライド優越感)、
正しい事(
最善)をやって来たプライド優越感)が崩されてると言えるんだ。

この世の仕組みを知り、功徳なんか積むとねェ〜

功徳を積んでこのざまかよ!

なんて、へこむ事が1日100回ぐらいあるが、

これなんかまさに、利他(正しい事)を実践してきてるだけに、
正しい事(
最善)をやって来たプライド(優越感)、
真面目(最善)にやってきたプライド優越感が崩されてると言える。

信仰というものは、まさに、
正しい事を信じ、正しい事をやって来たと言えるので、
そんな局面になるが、囚われない事だ。

このように、
最善最悪というカルマを創る為、
人は神(アセンションなど)を信じても救われないが、
カルマなんで、そんな苦に耐えると
悪業が落ち、善業が出る仕組み。

ヒトラーの予言

 人間はイエス・キリストヤハウェに頼るようになる。
 しかし、イエス救世主など、そんなものは来ない。
 私ははっきり言うが、そんな『救世主』は、本当に来ないのだ!

当たってるかもね!

最後の仕組
先に、
選民思想を、植え付けられるが
後に、
選民思想を、悔い改めてしまう
そのような、本物の
選民が現れること

そうそう、
優越感と言えばミ○ス連中が典型的でさぁ〜
アセンションの鍵は結婚にあった
なんて言うわりには、こいつら
答えを言わないんだ。

せっかく、
ミ○ス本だしても、
読者の質問に対して、「
答えはセミナーでね」とか、
俺なんか銭、払って、毎回、毎回、セミナーに行く割には、
今日は、ここまで」なんつって、1年半ぐらい、銭、掬われたよ。

無限リピーター創り作戦と思われるが、
これ、「自分達だけが秘密を知っている
なんていう
優越感がある証拠なんだ。

だから、そんな
優越感が崩される。お疲れ様でした。

もはや、そんな秘密、価値すらなくなっている事に
注意してね!

俺は、そんな
秘密を知らないという短所があるが、
知らないただけに、知っている事をシェア(法施)できる
長所がある。

商売してないだけに、そんな慢心(
優越感)がなく、
知ってる事をシェア(法施)できる
長所があると言える。

お陰で
智慧に精通する事が出来るようになった。

そんな感じで、
短所の裏には、自分の長所がある。

釈迦牟尼弥勒菩薩を比べてみよう。

釈迦は頭が良いから、悟るのが速かった。
一方、
弥勒菩薩は、65億7000万年後、全ての衆生を救うと言われているが、

それまで、何、してんのよ!

と言えば、今だ修行中で、悟ってない
未完の菩薩なんだ。

つまり、
釈迦と違って、長い間、悟り切れず、苦しんでいるって事だ。

釈迦より、苦しみが多い分、それだけ大勢の人達の苦しみが分かるって事でもある。

それだけ大勢の人達の
苦しみが分かる言う事は、
それだけ大勢の人達を
救えるって事なんだ。

人より幸せになるのが遅い人は、そんな
長所があるって事さぁ〜

ここに来てる人は、そんな人達じゃないかなぁ〜
そんな人達は
弥勒菩薩があるかもね。

自分だけが秘密を知っている、そんな慢心(優越感)に似た者として、
俺様は法を、ある程度、解く事が出来るのだが、解けるだけに、

おまえら職業スピリチュアルと、
 おまえら
職業宗教に代わって、を解いてやってんだ」とか、

おまえら職業スピリチュアルと、
 おまえら
職業宗教に代わって、教えてやってんだ」とか、

利他の実践(功徳積み)なんかすると、苦に耐える段があるだけに、

他の為に犠牲になってやってんだ」とか、
他の為に尽くしてやってんだ」など、

そんな慢心(
優越感)が、どうしても生起する。

当然、そんな
優越感が、崩され、
こんなに苦に耐えてんのに、このザマかよ!とか、
こんなに他の為に尽くしてんのに、夫は呑気に寝たばかりとか、
教え子に先を越されたり、教え子に裏切られたりとか、
そんな
慢心の裏の卑屈を体験したりするが、
悪業なんで、苦に耐えると悪業が落ち、善業が出だす。

おっとっと、善業が出ると言っても、いきなり幸せになるのではなく、
正しい真理に出会って、そこから正しい道に入り、正しい実践をして幸せになるかと思う。

弥勒菩薩唯識論的に解くと、
あたかも、俺様が
釈迦一元論を解いてるように見えるが、
そうではなく、これを読んでる人が
となり、
そして、このHPがとなり、結果、これを読んでる人の善業が引き出され、
今、釈迦一元論を目にしてるんだ。因果の法則ですね。

まぁ〜、
ミ○ス論理の様に、
1日で理想の人に出会えるだとか、
眠りながら億万長者とか、
一瞬で一発で幸せを求める気持ちも分かるが、
楽の裏には苦があるからね。

意識的に一瞬で一発の幸せを求めてるので、
意識の裏の意味が無意識に積み重なる。

一瞬で一発の楽の裏は、
いつまでたっても幸せに成れない
死ぬまで不幸などころか、死んでからも不幸だ

現実は
無意識方向に変化する無常なので、
最初は良かったが、その後
奇跡が続かない。
なんて感じてる人は、これが原因かもね。

釈迦一元論は、
人は良い事をした分、人は幸せになれますよ。
という、カルマの法則だ。

つまり、常に
意識的コツコツと、
善業を積むという努力が伴う実践だが、
努力という苦しみ意識しているので、
無意識が残らない。

やれば分かるが、正しい事というのは苦しい事でもある。

この世には世界の王が沢山いる。
例えば、奇跡イエス預言モハメッドがそうだが
どれも条件に合わず、対立(戦争)が発生する。

しかし、誰もが、 ニュートン万有引力の法則を認めるように、
宇宙人バシャール)やら、ミ○ス論理やら、ライトワーカーだか、
江原のスピリチュアルや、細木の占いの言う事ではなく、
地に足つけた出口釈迦一元論)には、 そんな力があるんだ。
でなくの法、科学寄りの法)

これを専門用語で万教帰一という。

この「理の法」を型で見せたのが出口王仁三朗だ。
逆に言うと、今までの「利の法」ではなく、 「理の法」を解く為、
人類は宗教を信じず、 一旦、科学に囚われる必要があったのさぁ〜

これも、人類の進歩の為、人類を科学寄りにした雛型が存在する。

理の法利の法と異なり、特定の人物を教祖をするのではなく、
全てを神仏の現れと見るから対立が無い。次の水瓶座の時代だ。

ちなみに、この世の仕組みを知り、
六波羅蜜など利他的(慈悲の実践者)な人が増えてるからこそ、
周りの人が、利己的(
独占的)な悪人に変わって行く。

富の独占と言えば、ユダヤや、
フリーメーソンやら○スチャイルドやら、
シークレットガバメントやら、
秘密結社の陰謀説が、巷で流行ってるが、
そんなのがあるとして、それも
智慧を持ってして見ると、
そんな奴らも、そんな
法則に沿って生起した、
神仏、仏の現れと見る事が出来ると思う。

おっと、
富の独占と言えば、
MLMネズミ講)とか、ネットワークビジネスってのもあるね。
ビジネスってのは、どこの企業も、会社も、
その基本方針は
利他的だからねェ〜
だからこそ、 周りの人が、利己的(独占的)な悪人に変わって行くとも言える。

イシヤの仕掛 と メシアの仕組
“この世の、
九分九厘を、イシヤが支配するぞ。
残る
一厘、おかしいと、気づくもの、現われるぞ。
しかし、石屋の仕掛で、十分の仕組が、見えてこん”

苦を受け容れれば楽が付いてくる、
なんてやるからこそ、
周りの人達が、苦に耐えれない
悪人に変わり、
苦に耐えられる
善人がいなくなるんだ。

この世は、幸せと言えども奪い合いだから、
苦に耐えられる
善人が居なくなると、
何か得する度に、すぐ奪われる事になる。

カルマ
の返りが速くなるって事だ。

だから、
功徳積みには、
苦に耐える忍辱波羅蜜
悪業減少)の段階があるから、
カルマ(悪業)の返りが、

 速くなるんだ。

何でもかんでも、受け容れる人は大好き!!
なんて、
スピリチュアルでやってけどねェ〜

好きな事お金持ちになんて流行ってたし、
ミ○ス論理では、好きな事使命に繋がるなんて言ってけどぉ〜

したい事を積み重ねると、
何時の間にか、自分のしたい事が、
自分以外の全ての人にとっては
悪い事になっている。

見方を変えると、自分以外の人は、
自分にとって、全部、
悪人になっているんだ。
自分だけが
善人独善になっている。

貪りは、この様に対立というカルマ悪業)を創る。

自分のしたい事は、自分以外の人にとって
悪い事だから、
他の協力が得られず、願いが叶わない、
独善になるんだ。

無常を究める と 無我を究める
「愚かになれない、私は、ここで、唖然とする。
誰も及ばない
最善とは、実に、誰も適わない独善
善業を究めた、第六天の王座に、悪魔が潜んでいる。」

「信じられるか、至善と独善が、別なのでなく、
至善を究めるほど、独善に極まる、というわけだ。
逆のものでなく、裏のものであると、何たる皮肉か。」

仏教の
唯識論依他起性という教えがある。

これは、自分だけの力で得た物があるか?
と言えば、何もないって事なんだ。

職場に行くにしたって、
誰かが作ってくれた車に乗り、
誰かが作ってくれた道を通り、通勤している。

良い事をするにしたって、自分だけの力じゃ〜出来なんだ。

この様に、何をするにしても、
他との相互依存関係にあるのが、この世の仕組みなんだ。

最後は、そんな
至善(したい事)を譲り、至高の善とするんだ。

至善を捨て、
最悪を捨てるんだ。
至善
を捨てない事には、最悪が捨てられない。
自分の善を譲り、善を分配するんだ。
すると周りに自分の善が広がる。

釈迦菩提心は、王者の済度
型と成って、民を導こうとする。
自ら彼岸に至り、再び此岸に戻り、
光り輝ける最善に、心から従わせる。

弥勒菩提心は、船頭の済度
班に分けて、船を操ろうとする。
自ら先頭に立ち、人の歴史を紡ぎ、
移り変わる
最善を、互いに競わせる

文殊菩提心は、羊飼の済度
殿(
しんがり)を務めて、羊を探そうとする。
自ら地獄に落ち、欲の底辺を塞ぎ、
疲れ果てた
最善を、互いに譲らせる

殿(しんがり):軍隊が退却するとき、最後尾にあって、追ってくる敵を防ぐ役。最後の人


3人寄れば文殊の智恵」などと言いますが、
智恵の菩薩』として有名な文殊菩薩の仏像です。

文殊菩薩が右手に持つ利剣は、
般若の
智慧を象徴する法具として、
智恵の光で無明の闇を切り開き、煩悩・怨敵を断ずるとされている。

それに、正しい認識、見解は、
ミ○ス
苦を受け容れれば、漏れなく楽が付いてくる。

じゃなくて、

循環しているです。

これが、八正道の正見だ。(正しい見解)

普段、この世は循環していると、
記憶修習(意識)しながら生活(修行)したりすると、
意識の裏の意味が無意識に積み重なる。

循環輪廻)の裏は涅槃であり、
相対的実感転生)の裏は絶対的実感だ。

現実は無意識方向に変化する無常なので、
もしかしたら、人生が安定して来るかもしれないね。

というより、どっちでも良いって境地だな。

実際は、
十二支縁起を知ってる人は分かると思うが、
四苦八苦、七難八苦と言われる様に、
よりもの方がデカイんだ。

だから、
自分は、ずぅ〜〜〜っと苦しい。

と思いがちだが、
よ〜〜く、振り返ってみると、
は循環しているんだ。

この循環を覚えて置いて欲しいのだが、
それは、独善の裏に至高の善ありだからなんだ。

独善 の裏に 至善
リツコ どんな、善の裏にも、必ず悪があるの。
マヤ  悪に変わり易い善とは、どんな善ですか?
リツコ 条件が狭くて、不自然である、独善よ。
    他人に悪いだけ、早く自分も悪くなるわ。
マヤ  悪に変わり難い善とは、どんな善ですか?
リツコ 条件が広くて、不自然でない、至善よ。
    他人に善いだけ、長く自分も善いままよ。
マヤ  長くなっても、必ず、悪くなるのですか?
リツコ そうよ、善とは、必ず、飽くものなの。
マヤ  そんなの嫌です、本当の善が欲しいです。
リツコ 諦めなさい、そうするより、他にないわ。
マヤ  そんな酷いです、意地悪しないで下さい!
リツコ あら、諦めることが、至高の善なのよ。
    もう、善ではないから、自然の徳かしら。
マヤ  諦めると、至善が自然になるんですか?
    本当に、諦めてしまって、善いんですか?
リツコ そうよ、それで善いの、自然になるから。
マヤ  ……………………!!

最善最悪に極まるカルマを創るが、
カルマなんで、そんな苦に耐えると、
悪業が落ち、善業が出るで、至善自然になる。

貪り対立というカルマ(悪業)を創るから、
執着対象が奪い合いになる。

このとき、対象が愛着ものだけに、
なにがなんでもと、取りに行くが、
この様に、自分の力で得ようとする欲望には、
必ず苦しみが伴うのが、この世の仕組みだ。

さっきも言った通り、
自分が
するとき、必ず誰かがしている。
これが他を傷つけた
カルマ(悪業)となって返り、
結局、
大損してしまうから。

しかし、この世は、相対(縁起)である。

自分の力というものがあれば

  他力がある。

これが、どうやら慈悲というものらしい。

自分の力で得ようとする欲望には、
必ず苦しみが伴うが、対極にある慈悲はどうかな?

慈悲は、他に楽を与えること。
慈悲は、他の苦しみを取り除くこと。

と言われているが、もう少し具体的に、
この世を、ありのままに観ると(八正道の正見)、
そこには、循環の法則(カーラ・チャクラ)がある。

地球の自転とか、昼と夜とか、季節とかあるね。

あらゆる物は、循環しており、
お金なんかもそうだし、突き詰めると、
幸せと不幸、
もそうだ。

見方を変えると、
他の幸福は、自分の幸せと繋がってんだ。

これは、自分の力(人の力)では、
コントロールできるものじゃない。

言いかえると、この循環は、神の意思とも言える。

そうなるように、
人智を超えた力が働いているとも言えるし、
そうなるよう、神が人々を守護しているとも言える。

この循環の法則を簡単に言うと、
自然の力至高の善)って事さぁ〜

つまりだなぁ〜

自分の力(欲望)で得ようとするのではなく、
そんな循環の法則(自然の力)に身を任せ、
幸せを得ようとするのが慈悲というものらしい。

この様に、苦に耐えながらも、
慈悲(自然)で行きましょうって言うのが、

釈迦一元論らしい。

循環の法則自然の力)に身を任せるって事は、
自分で奪った訳でもなく、勝手に向こうから来るって事だからねぇ〜
カルマも発生しないどころか、
他に楽を与え、他の苦しみを取り除いてるので
功徳になっている。

この様に、
循環の法則自然の力に身を任せ、
慈悲の心で、役割や智慧など、精神的利益(法施など)を分かち合い、
財や富など、物質的利益(財施など)も分かち合う。

これが、六波羅蜜の利他実践だ。

おっとっと、これも良かれと思い、
役割を分かち合う慈悲を実践するからこそ、
なにやら、
怪しいポイントによるランキング操作で、
人気プログ第一位を
独占する伊勢白山のリーマンとか、
役割独占する悪人が出てくるが、囚われない事だ。

この
循環の法則の中で、
全ての人が、幸福を満たし切れますようにってのが、
釈迦一元論でもある。

無限の欲も、いつまでも無限のままなのかと言えばそうではない。

無限も実体のないだからね。

例えば、焼き肉が好きだとしよう。
そんな焼き肉を毎日たべてたら、そのうち、飽きるでしょう。

論点 渇望なき充足とは何か

膨大な功徳によって、必需品は全て揃う。
全て揃い充足するが故に、渇望することがない。
渇望することがない故に、自ずと煩悩は
滅尽され、この世から遠離する。

だから、仏典の「三明経 第一章」には、
梵天が、妻を持たないように、妻を持たないか。そんな記載がある。

人ってのは、思い残しなど、執着(
カルマ)があるから、
また、死んだところから始まってんだ。

十二支縁起を、簡単に触れてみよう。

執着(
カルマ)があるから、意識(心)があり、
意識(心)があるから、感覚(イメージなど)があり
感覚があるから、目、鼻、口など身体(
生まれてくる)があり、
身体があるから、執着(
カルマ)がある。

この様に、何でも相互依存関係にあるのさぁ〜

一番最初を執着(
カルマ)と書いたが、
これは、無明とか無智とか言われてるものだ。

釈迦一元論は、この無智を智慧に変える。

だから、当然、それに繋がっている意識(心)も、身体も変わってくる。

俺様の場合、なぜか歳のわりに若く見らる事が多いね。

ミ○ス論理DNAの意識が、どうたら、こうたら、じゃないからね。

これは、そんな
DNAを超えた話だ。

だから、
功徳を積むと、六つの神通が備わると言うが、当たってたりしてね?

だんだん、超能力(サイキック)が解明されてきたね。

この逆もありで、最近では、ヨーガ体操とか流行っているが、
これは
身体修行って呼ばれるもので、
身体と心は繋がっているから、当然、意識(心)も変わってくる。

ただ、その目的を誤れば、
涅槃の心は得られず、苦しむ事になるから、気を付けてね!!
その目的を思索するのが、修行ってもんでもある。

そんな感じで、役割独占する奴が現れるが囚われない事だ。

さて、この世の仕組みを知り、
六波羅蜜密教瞑想で、
功徳(利他の実践)を積みと、どうなるか?

利他的な人が増えるが為に、
周りの人が、利己的独占的悪人に変わって行く。

さぁ〜、さっきも言ったが、、富の独占と来たら、
やれ、ユダヤが、どうたら、こうたらとか、
フリーメーソンとか、シークレットガバメントが、どうの、こうのと、
秘密結社の陰謀説が、お約束だが、

そんなもんがあるとして、
偶然に、そんな悪人がいる訳じゃないって事だ。

イシヤ という メシア
リツコ すでに、九分九厘、イシヤに支配されているわ。
    人類は、残る一厘、メシアの仕組をさとらないと。

マヤ  何を解いて、イシヤは、世界を治めるのですか?
リツコ これよし、あれあし、という、われよしの考えよ。
マヤ  何を説いて、メシアは、世界を収めるのですか?
リツコ これよし、あれよし、という、みなよしの教えよ。
マヤ  つまり、世界の九分九厘が、利己的になる中で、
    一厘だけが、利他的になる、それが、最後の仕組?

リツコ それでは、一厘だけで、十分にはならないのよ。
    富士を悟らないと、鳴門に至れない、尾張の仕組。

マヤ  富士、つまり、不二とは、どういう意味ですか?
リツコ 不二とは、イシヤとメシアが、一つになることよ。
マヤ  鳴門、つまり、成十とは、どういう意味ですか?
リツコ 成十とは、九分九厘と一厘で、十分になることよ。
マヤ  つまり、九分九厘のイシヤを、許さない限りは、
    一厘のメシアが、十分になれないってことですか?
リツコ そうよ、イシヤこそが、メシアの裏の顔なのよ。
マヤ  いやです、イシヤなんかと、仲良くできません!
    イシヤって、悪魔を崇拝する、あの666ですよ!

リツコ あら、最後の仕掛に、綺麗にひっかかったわね。
    そんな考え方をしている限り、あなたもイシヤよ。
マヤ  ……………………

最善最悪という悪人を生むカルマ(悪業)を創るが、
そんな苦に耐えると、
悪業カルマ)が落ち善業が出るで、
一厘の仕組みを言ってしまえば、
そんな悪人(六六六)が
慈善事業とか善人に、

変わる仕掛けさぁ〜

五六七 という 六六六
シンジ 君なら、誰が、弥勒なのかを、知っているよね。
    僕は、救世主を信じたいんだ、だから、教えてよ。

カヲル 教えられて信じても、自分を信じただけなのさ。
    信じたいと信じるけど、信じたくないと信じない。
    彼の善い名は信じるけど、彼の悪い名は信じない。

シンジ えっ!? 弥勒には、善い名悪い名があるの?
カヲル そうさ、世界の雛型だから、善悪を包含するのさ。
    人類には、それが、分からないから、分けてある。

シンジ ふ〜ん、じゃあ、弥勒善い名って、なんなの?
カヲル 弥勒は、五十六億七千万年後、人類を済度する。
    そういう、善の姿をして、五六七と呼ばれるのさ。

シンジ ふ〜ん、じゃあ、弥勒悪い名って、なんなの?
カヲル 裏を返せば、その間はずっと、人類を統治する。
    そういう、悪の姿をして、六六六と呼ばれるのさ。

シンジ つまり、それが、欲六界の第六番目の第六天界。
    堕天使の果たす役と、同じだって、言いたいわけ?

カヲル そうさ、実は、五六七と六六六は、表裏なのさ。
シンジ ははは、なかなか、面白い冗談だよ、カヲル君。
    冗談はいいから、早く教えてよ、誰が、弥勒なの?

カヲル ……………………

目的が分かっていても、どうすれば幸せになるのか?
その手段(男性原理)を誤れば不幸になるし、
その手段が分かっていても、目的(女性原理)が違えば、これまた不幸になる。

このHPは、こんな感じで、
恋愛や夫婦関係を突破口として
さまざまな問題や人間関係問題を解く事が多いが、
偶然そうなってる訳ではなく、
俺様自身、
智慧の修行に入って、功徳を積みだしてから、
恋愛について、同じ苦しみを何度も受けたりしているからだ。

これは、俺様の執着、カルマと言ってしまえば、それまでだが、
俺様が解く法について、まだ、まだ、
その手段(男性原理)と目的(女性原理)が和合せず、
手段である智慧
と方便矛盾点があるからだ。

そんな矛盾点の投影が、男女問題という形で叩きつけられてる。

ひっこり、理想の相手が現れ、近づこうものなら、
毎回、毎回、邪魔(恋敵)が入ったり、終いにゃ〜、奪い盗られたり、
これを、何度も繰り返してたりする。

    いい加減、疲れたぜェ〜

べつな言い方をすると、
悟りの一歩手前の階は、嫉妬や妬みなんだ。

チャクラで言うと、悟りの
頭上チャクラがあって、その手前が首のチャクラで、
ここが、まさに
ネック(詰まる)となる。

簡単に言うと、幸せに成ろうとすると、
必ず、
男女問題など、嫉妬、妬みという壁にぶち当たるって事だ。
※人によっては、お金だったり、名誉だったりします。

なぜなら、幸せにないたいなどの
貪り(煩悩)は、
嫉妬、、妬みのカルマ(悪業)を創るからだ。
別な言い方をすると、
貪りは執着というカルマを創るんだ。

なかなか、
理想の相手と出会えない。
出逢えたとしても、なかなか
理想の相手と結ばれない。
いつも異性に裏切られる、夫婦関係や親子関係に問題がある。
なんて人は、自分の持つ、
智慧方便和合してない可能性があるんだ。

では、智慧
女性原理)を磨き、手段と目的を和合させよう。

何でも2つ。を願うって事は、を求める事なんだ。

何故かと言うと、するとき、必ず、誰かがしている。
これが、他を傷つけたカルマ(悪業)となって返り、結局、大損してしまうんだ。

最近では、小室哲哉が、良い例だねぇ〜
ちょっと前までは、ライブドアが、良い例で、
せっかく、得して、株を買ったのに、大勢の人が
大損した。


   
   これを
諸行無常と言います


この様に、この世の、あらゆるもは、
実体のないであり、無常変化する)なんだ。

自分と他人は苦楽表裏一体の関係性があるって事さぁ〜

だから、愛と財だかで、MLMネズミ講)をやると、
そんな、他に与えた傷が返り、大損して終わる事になる。

日本のGNPは高いって聞くね。

その分、他国が苦しんでるって事さ。
そんなカルマ悪業)が返り、911が日本で起きても、おかしくないんだよ。

近では、リーマン・ブラザーズが破綻し
せっかく、大学まで行ったのに内定取り消しで、

つぶれない企業の見分け方を教えてほしい
なんて、相談も出てるぐらいで、
国内の各大手メーカは、大規模な人員削減を次々と発表してる。

これから、分かる事は仕事も
奪い合いであり、
好きな仕事に内定したとき、必ず、誰かか職を失ってる。
これが他を傷つけた
カルマ(悪業)なって返り、
結局、不況で職を失ったりする。


せっかく、セミナー講師として起業したのにね。

無限が、ある訳でない。

歳を重ねる度に、だんだん会社に居ずらくなったり、
歳を重ねる度に、人間関係など問題が発生し、会社を辞めたくなったり、
歳を重ねる度に、再就職が難しくなるのは、
そんなカルマ(悪業)かもしれない。

いっとき、好きな仕事で「お金持ちに」なんて流行ったし、
ミ○スでは、好きな仕事が使命に繋がるんです。
あの、松下のおっさんも
使命で幸せになれたんです。
好きな仕事を続けていれば、他に感謝されるんです。

使命、もたなぁ〜、あかん!!

なんて言うが、全部、

救世主の幻想なんだよ。

感謝されるどころか、を失う。

簡単に使命を知る方法は、後ほど解きます。

スピリチュアルなんかでは、
100%自己実現とか、思い通りの人生なんてやってけど、

古事記に、須佐之男(スサノヲ)が大暴れした時、
天照大御神
岩戸
に隠れる話があるように

自分が思い通り生きたとき、必ず、誰かの自由を束縛するんだ。
これが、他を傷つけたカルマ(悪業)として返り、
結局、自由が束縛される。

夫婦喧嘩なんかこれかなぁ〜
恋愛といのは、ある程度、互いの自由を束縛し合って成り立ってんだ。

恋愛だけでなく、家族、会社、社会など、
団体生活そのもののが、そうなっている事に
注意してね!!

この世は、幸せと言えども奪い合いって事さぁ〜

この様に、自分と他人は苦楽表裏一体関係性があるんだ。

もっと、言うと、
自分と自然、自分と地球、自分と宇宙苦楽表裏一体関係性にあるんだ。

せっかく、高い銭を払って、個人セッション受けたのにね。

お疲れ様。楽の裏には苦があるんだ。

そして、恋も奪い合いです。

理想のタイプって、大体、みんな同じなんだ。
だから、
釈迦の予言書と呼ばれる法滅尽経でも解かれてる様に、
奪い合いであり、
自分が
理想のパートナーに出会えたとき、
必ず、誰かが
パートナー
出会えなくなる。

これが、他を傷つけた
カルマ悪業)となって返り、

ワイドショー
お馴染みですが
結婚直後、旦那が急に愚痴の多い
嫌いな人変貌したり、
結婚直後、旦那が急に働かなくなったり、

お金持ち
結婚したはずが
結婚直後、旦那の会社が倒産し
嫌いな貧乏人変貌したり、
綺麗な人
と結婚したはずが、事後や病気で、寝たっきりの、
醜い姿
変貌したりの悪人に変わる。

愛情
の裏に憎悪
ありなんだ

なぜ、愛情の裏に憎悪ありかと言うと、
恋も
奪い合いだからさぁ〜

一年たらずで、離婚する人って多いよね。

マリッジコードミ○スでは、
この宇宙は、プラスとマイナスが
分かれた型で存在するとかで、
例えば、男性だと、その内側には母親から、受け継がれた、
女性的要素も引き継がれている。
なんで、その片割れが、この世に、必ず存在していて
これが、究極のバートナーであり、
究極のバートナーをGETすると、漏れなく
絶対平和が付いてくる。
(その片割れが奪い合いになっている)

必ず
パートナーが存在するなんて、
必ずという絶対も実体のないだからね。

変化(無常)してるんだ。

起源経
「彼らは、身分の差が無く、同じ姿を持ち、
光輝を放ち、空中を歩き、歓喜を食べていた。
そこは、日もなく月もなく、男も女もなかった。」

--- 省略 ---

「貪るほど、体は硬くなり、光は弱くなり、
初めは等しかった身体に、違いが現れ始めた。
そして、性別の差が現れて、情愛の心が現れた。」

「そして、彼らの中に、男と女が生じると、
互いに見つめ合って、互いに絡み合い始めた。
その様子を見ると、他の者は
汚物を投げ付けた。」

「現在では正当でも、当時では不当である。
現在でも、花嫁に汚物を投げる風習があるが、
それは、意味が忘れられた、当時の名残である。」

男も女もなかった
というのは
男と女は一つだったなど、
解釈によっては、
マリッジコードミ○スの言うように

恋は
奪い合いではなく
必ず自分のパートナーが存在していた。
と、言えるかもしれない。

しかし、そんな世界を維持するにも
条件が必要となる。

この宇宙は、
原因結果条件で成り立っている。
例えば、種(
原因)が花(結果)となるには、水と光を与える事が条件となる。

恋は奪い合いを認め、
他を傷つけた分、恩返したりの、
善業を積む事が条件だったんだけど、

自分と他人は繋がっている事を、すっかり忘れてしまった。

汚物を投げ付けた
というのは
自分が理想のパートナーに出会えたとき
必ず、誰かがパートナーと出会えなくなる。

これが、他を傷つけたカルマ(悪業)となって返り、
汚物を投げ付けられた
だな。

情愛の心
が現れたというのは、
まさに、好みのタイプってのが発生したって奴だ。
しかも、好みタイプってのは、皆が同じタイプを好んでるので、
奪い合い
になってる

最近は結婚ブームで、
就職活動=「就活」に対する言葉として
結婚活動=「婚活」という言葉があるぐらいだ。
マリッジコードミ○スに参加するのも積極的な結婚活動である事に注意してね!!

ちなみに、そんなセミナーに頼るの良いが、
頼ると
善業)を消費するんだ。
善業)を消費すると、善業だけに、良い事もあるが、
それだけは済まず、次は嫌でも、
悪業が引き出され、
良い思いした分、苦しい思いもする。

つまり、人は自分の力でしか、幸せになれないし、
自分の力で、幸せになる力(
仏性)があるって事なんだ。

そんなセミナーに参加するのも良いが、
恐らく、
高い銭を払った割には、
仲間どうしで、
理想の相手奪い合いになって、
悲しい思いをするだけだから、

気を付けてね!!

愛と財じゃなくて、
愛情の裏に憎悪で、財の裏の才()だ。

突き詰めると、
人ってのは、他を傷つけずには生きていけない動物って事なんだ。

生まれる時は、母親のお腹を痛めつけ生まれ、
最近では、育児ノイローゼの親も増えた。そんな
カルマも返るからねェ〜

ただ、生きてるだけでは悪業しか積まさらず、
また、ただ煩悩を満たして生きるだけでは悪業しか積まさらず、
そのうち、そんなカルマ悪業)が返り、
嫌いな人と仕事をするハメに遭ったり、
MLM(ネズミ講)の勧誘等、
ミ○スで、したくない事を、しなくては、ならなくなったり、
やがて、求めても得らない一切皆苦を体験してしまう。

だから、必要以上のものは貪らず(悪業を増やさない)
同時に、善業も積みましょう。ってのが釈迦一元論なんだ。

恋愛について言うと、恋愛というのは、
異性を利用し、自分が癒されたいという心(エゴ)の動きだ。

突き詰めると、身体を持って、人として生まれた以上、
人には、そんな、やめられない悪業があるって事だよ。

なぜ、
ミ○スの様な、へんちくりんなものに人が集まり、
お約束通り、人が騙され不幸になるのかと言えば、

この世は、類は類を呼ぶだでぇ〜

他人を利用し、幸せになれば良いと思っているから、
他人を利用し、幸せになれば良いって集まり、
他人を利用し、幸せになれば良いって奴に騙される。

何度も、異性に騙されたり、
何度も、異性に裏切られ離婚したり(他に奪われたり、異性に裏切られたり)、
そんな経験がある人は、そんなカルマ悪業)かもしれない。

ミ○スの体験談で、
何度も、結婚と離婚を繰り返した。
なんて、あったけど、これっぽいよね。

しかしながら、人には、異性を利用し、
癒されたいという、止められないカルマ悪業)が、あるのならば、
せめて、生きてる間は良い事恩返し)をしようってのが、釈迦一元論だ。

だから、
AIDSエイズ)は、そんなカルマ悪業)なのかもしれない。

ちょっと、すったらセミナーに行く前に、冷静になって自分を内省した方が良いかもね?

なんせ、この世は、類は類を呼ぶだ、似たような奴が集まる。

悪人正機を書いた親鸞の話だが、、
性欲を捨てようと、頑張ったが出来なくて、
それを見かねてか、ピロロ〜ンと神様が現れて、
私が、女性に変化するから、その女性と結婚しなさい
と、親鸞に言ったらしい。

この、ピロロ〜ンの話は、まさに、
人には性欲など、やめられない悪業(カルマ)があるって事さぁ〜

それは、人によっては、お酒とかギャンブルとか不倫かもしれない。

そこんところを自覚し、人として生きてる間は、
出来るだけ、他に良い事をしよう、善業を積みましょう。
これが、釈迦一元論でもある。

だから、仏典には、夫や妻への奉仕恩返し)がある。
偶然に、妻への扶養義務恩返し)が、この世に存在してる訳じゃないんだ。

梵志陀経 第一章

あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、ラージャグリハの、
カランダカニヴァーパに、止まっておられた。
その地には、ダーナンジャーニが暮らしていた。

サーリプッタは、ダーナンジャーニを訪れ、
親しく挨拶すると、友として会話を交わした。
彼ら二人は、以前から、仲の良い友人であった。

「友よ、怠惰にならず、修行をしているか。」
「尊者よ、私は、妻や子を養わねばならない。
何故に、君と同じように、励む事ができようか。」

「尊者よ、家を出るなら、免れ得るものも、
に在って、免れ切れない七つの義がある。
それでは、この七つの義務は、如何なるものか。

第一の義は、妻子に対する、義務のことである。
第二の義は、友人に対する、義務のことである。
第三の義は、親族に対する、義務のことである。
第四の義は、客人に対する、義務のことである。
第五の義は、先祖に対する、義務のことである。
第六の義は、神々に対する、義務のことである。
第七の義は、王族に対する、義務のことである。」


これが、
釈迦一元論で、次元上昇してんじゃ〜

   ないからね!!

ミ○スでは、人は本能で異性を求める。
だから、この世に意味などない。
と言いますが、それを言うんだったら、
人は本能で、正しい結婚正しい恋愛を求めるって事だよ。

ピロロ〜ンの話は、人は身体を持って生まれた以上、
性欲など、人には、やめられない悪業カルマ)があるって事だが、
なんで、そんなカルマがあるかと言うと、
育てられた以上、育て返すというカルマ恩返し)があるからだ。

だから、人は本能(無意識)で異性を求めるようになり、
結婚し、子を育てるのかもしれない。

煩悩即菩提というが、性欲も、
このように智慧をもってしてみると、カルマからダルマに変わる。

こうなると性欲(煩悩:
エゴ)も善業となる。

これが、大乗の次の段階である全肯定密教であり、
ヨーガでいう生起次第の次の段階である究竟次第だと思われる。

煩悩 の裏に 菩提
ミサト  悟りを開くためには、煩悩を捨てるのよ。
リョウジ いや、煩悩は、捨てるより、越えるのさ。
     煩悩が強いほど、菩提も強くなるからな。

ミサト  えっ!? それって、どういうことなの?
リョウジ 煩悩は、実感を求める、貪りのことで、
     菩提とは、実感を越えた、悟りのことだ。
     そもそも、どうして、煩悩を捨てるんだ?

ミサト  貪りこそ、悟りの煩い、になるからよ。
リョウジ 我がために貪るから、煩いになるのさ。
     他人のために貪るなら、煩いにならない。
     そもそも、どうして、菩提を求めるんだ?

ミサト  自分の苦しみから、抜け出したいからよ。
リョウジ 我がために貪れば、菩提も煩悩になり、
     他人のために貪れば、煩悩も菩提になる。

ミサト  そっか、煩悩も、使い方、次第なのね。
リョウジ ああ、まさに、それを悟るのが、菩提さ。
ミサト  ……………………!!

2元性を超える為とか
自分を知る為とか
分からない事をパートナーに聞く為とか
自分に合った仕事を知る為とか、
異性を
利益目的に使う、
ミ○ス新しい結婚やってんじゃ〜

ないんだよ!!

この世は、
類は類を呼ぶだでぇ〜
利益目的ミ○スの結婚学(新しい結婚)も良いがぁ〜

他人を利用し、幸せになれば良いと思っているから、
他人を利用し、幸せになれば良いって集まり、
他人を利用し、幸せになれば良いって奴に騙される。

ちなみに、煩悩も菩提にする
智慧も、
独立して存在しておらず、他との
相互依存関係で、
縁起して生起する。

何処の何様と
縁起してるかというと、
六波羅蜜の忍辱波羅蜜です。
苦しみに耐えまくると、そんな智慧が生起します。

.
....戒を持する念 と 戒を辞する念

「玄徳よ、波羅蜜の第三、忍辱波羅蜜とは、何か。」
「尊師よ、忍辱の徹底、即ち、苦に耐える段、かと。」

「玄徳よ、忍辱の段階、持戒とは、如何なる念か。」
「尊師よ、欲に溺れないこと、戒を持する念、かと。」

「玄徳よ、持戒で、念が強まるのは、如何してか。」
「尊師よ、欲に流されずに、耐え続ける、からかと。」

「玄徳よ、忍辱の段階、辞戒とは、如何なる念か。」
「尊師よ、戒に溺れないこと、戒を辞する念、かと。」

「玄徳よ、辞戒で、念が強まるのは、如何してか。」
「尊師よ、戒に囚われずに、堪え続ける、からかと。」

「玄徳よ、絶えて、忍辱が窮まると、如何なるか。」
「尊師よ、外の法で、抑え付ける、が必要になる。」

「玄徳よ、耐えて、忍辱を究めると、如何なるか。」
「尊師よ、内の方で、湧き上がり、不要になる。」

「玄徳よ、すなわち、忍辱による果報とは、何か。」
「尊師よ、しても良い、せずも良い、自在の心かと。」

「妙なることだ、玄徳よ、稀なることだ、玄徳よ。
忍辱を究めよ、その果報により、精進に極められる。」

破戒 ... 守るのがだから、破るのがになる。
辞戒 ... 守るのはだけど、破るのはになる。

お金持ちに成りたい。
あれが欲しい、これが欲しい。
あれがしたい、これがしたい。
そんな
楽しみは、全部、貪り(エゴ)ですが、
智慧を持ってすれば、悪業ではなく善業になるんだ。

こうなると、
楽しむ事も、煩悩(貪り)も功徳となり、全肯定となる。

自分が耐え難きに耐えまくって得た、
そんな
智慧は、このHPの最後に解いてます。

先ずは、教学です。

少々長いが、
全体の為になる話を聴く事や、
読む事、見る事は、
功徳になるからね。

この不況で、どこも
節電などの節約を行ってると思うが、
地球環境問題を考慮すると、それは全体の為になってるんだ。

意識的に、全体の為になる事を行ったり、
好きとか、嫌いとか、プライベートよりか、
全体の利益を優先すると、
無意識意識の裏の意味が積み重なる。

全体の利益の裏は、
個人の利益だ。

現実は
無意識方向に変化する無常なので、
やがて、利益が還元されたり、プライベートが優先される。

だから、必要以上の
貪りは抑えろと言うが、
その逆に、法や真理は、大いに
貪りなさいと言ったりする。
それは、全体の為になるからさぁ〜

だから、願いにも
正しい願いというのがあって、
全体の利益の為に、起業したり、
全体の利益になる願いは、嫌でも自分を幸せにするが、
個人の利益を願ったもの、嫌でも全体の為に損して終わる事になる。

ミ○スでは、何でもかんでも、
オーダーするれば、願いが叶うって、やってけどぉ〜
救世主幻想です。

例えば、誰もが、東京大学など、
良い大学に入りたく、誰もが神に
合格祈願をするが、
全員が合格できる訳じゃないので、
それでは、
も願いを叶えようがない。

じゃ〜、どんな人を
合格させるかと言うと、

大学に入り、その知識を他の為に活かそうと考えてる人だ。

さてさて、恋も奪い合いである。

ミ○ス新しい結婚はぁ〜

2元性を超える為とか

自分を知る為とか
分からない事をパートナーに聞く為とか
自分に合った仕事を知る為とか、
異性を利益目的に使う
が、
そんなんで、
理想の相手と出会え、結ばれるでしょうか?
そんなんで、
夫婦関係が良くなるでしょうか?
そんなんで、
人間関係が良くなるでしょうか?

互いに利する
夫婦関係順縁というが、
他(異性)を利する為に、理想の相手と出会えますように。

なんて、願うと理想の相手と結ばれたりしてね。

おっとっと、人には育てられた以上、育て返すカルマがあるんで、
結婚し、子育てをしたい。

そんな人は、理想の相手と結ばれやすいのかもしれないね。
ミ○スでも、一部の人は結ばれてるらしいが、そういう人だったりしてね。
もう少し、詳しく解こう。

ミ○スでは、教祖がMLM(ネズミ講)を超能力で、 日本に広めた先駆者らしく、信者にMLM(ネズミ講)をやらせてるらしいけど、

そこでの質問に、こんなのがあったんだ。

お金持ちに成るのは良いけど、
底辺(ダウン)の人は、どうなるの?

そんな質問に対して、ミ○スの教祖は、逆ギレ!!

つまり、質問に答えれなかったってこと。

ようするに、MLM(ネズミ講)なんて、良心が納得してないって事なんだ。

自分の神様的な部分である良心が納得してない。

裏を返すと、
自分の良心(神様的な部分)など、
自分の全部分が納得した正しい願い(心から求めた願い)は叶えられやすい。

なぜなら、仏教の唯識論に依他起性という教えがある。

これは、自分のだけの力で得たものがあるかというと、
そうではないって事なんだ。

職場に行くにしたって、誰がが作ってくれた車を使い、
誰かが作ってくれた道を通り、職場に行っている。

願いも同じで、自分だけの力では、叶えようがなく、全体の力が必要なんだ。

じゃ〜、そんな全体の力は何かと言うと、

自分の良心的な部分など、自分の全部分の投影が、全体の投影なのさぁ〜

だから、自分の良心的な部分など、
自分の全部分が納得した願いは叶えられやすいんだ。

このように、
正しい願い(心から求めた願)は矛盾がなく、
その分、集中してるので、火事場のクソ力というが、
集中した無意識(潜在意識)の力はデカイんだ。

ミ○スでは、素直になって、受け容れなさいというが、

釈迦は、そうではなく、
自分の言う事も含め、良く考えて、
納得したら(確かめたら)実践しなさい。
と言っていたらしい。

納得もせず、ミ○スのように、実践したって、
願いが叶わない理由が、おわかり頂けましたでしょうか?

それが、MLM(ネズミ講)だったり、
理想の相手と出会えるといつつも、
拘りを捨ててなんつって、
理想でもない相手と結婚する統一ロ会制だったりしたら、大変だ。

さぁ〜、そんな教祖を自分が納得できるか良心に問いてみよう。

怪しい団体は、20年、30年、人生を棒に振るだけだ。

ちなにみ、ミ○スでは、2年で幸せにするからと、
MLM(ネズミ講)を信者にやらせた割には、
2年後、誰も、幸せになれず、救われるどころか、足元、掬われたらしい。


与える方向は、無限に意味があるから、
これが
答えというものはないんだけど、
そんな事(意味)を思索するのが修行ってもんなんだ。

基本的に理想の相手)が欲しけりゃ〜、
慈悲)を与えない事には、理想の相手)が与えられない。

なので、先ずは教学です。

この世は、幸せと言えども奪い合いである。

ありのままの真実を認め、
他を傷つけた分、他に恩を返す善業を積む。
奪い合いを意識(ありのままを意識)して、善業を積むので、
意識の裏の意味が無意識に積み重なる。

奪い合いの裏は与え合いだ。

現実は無意識方向に変化する無常)なので、
やがて、与え合いの現実を意識する事になる。

おっとっと、
意識的に、必要以上の貪りを抑えるので、
意識の裏の意味が無意識に積み重なる。

必要以上の貪りをしないの、裏は、
必要以上の贅沢だ。

現実は無意識方向に変化する無常なので、
与えた以上のものが手に入ったりしてね。
自分の場合、100万円が入ったりした。詳細はここでね。

基本的に、この世の仕組みからして、
お金が欲しけりゃ〜、他に、お金を与えれば良いが、
理想の相手(愛)となると、そうはいかない。

七支分の供養法というのがある。

具体的には、水とか花、お菓子など、神棚などに置いて、
それらを、神(他)に与える供養の実践なのだが、
この、水とか、花とか、お菓子は、五感が感じる、楽しいものを象徴しており、
五感が満足するものを神に与える実践なんだ。

愛を五感が感じる人つの感情と考えると、
花なんか、そんな愛を象徴してり、
他(神)に愛を与える実践しているともいえるし、

日常的に言えば、ペットや植物を育てるのも、愛情を与えてる事になる。

基本的に、
理想の相手)が欲しけりゃ〜
慈悲)を与えない事には、理想の相手)が与えられません。

詳しい事は専門家に任すとして、
ここのHPは、嫌いな人も
智慧をもって、
神仏の現れとし
受容慈悲)していきます。(を与えていきます)

それでは、
マリッジコードミ○スの、

結婚にすべての秘密があった!!
アセンションの鍵は結婚
にあった!!

夫婦関係=経済関係

夫婦関係が良くなれば、漏れなく収入もUPするっ!!


なんて、長年、5次元夫婦の
ジャッチしない作戦を実践してるが、
一向に理想の相手と出会えないし、 一向に離婚の危機から脱出できん!  
もぉ〜、親子関係が、めちゃ、めちゃ!!

おかいしいわぁ〜

収入がUPするどころか、
気づけば、セミナー参加費と交通費と教材費ばっか飛んでるわぁ〜

そんな人に、
意識無意識潜在意識の関係を解きます。

ミ○ス
ジャッチ作戦とは、

例えば、綺麗な女性とか、 理想の男性を見かけたとする。

あぁ〜、あんな人と出会えたらなぁ〜
でも、自分なんか、どうせ駄目!  

あかん、あかん!

ジャッチしたら、あかんねん!

自分を認めてない。  

自分を認めてないから、認めらない。

これ、一体、何してるかと言うと、

意識的ジャッチして、 意識的にダメな自分を隠してんだ。
だから、
意識の裏の意味が無意識潜在意識に積み重なる。

  
隠すの裏は出現だ。

現実は
無意識潜在意識方向に変化する無常なんで、
隠した自分が現れ、

  
誰も、自分を認めてくれない。

そんな体験をしてしまう。
昨年あたりからメルマガで 「
セミナーに人が来てくれない!」 なんて言い出し、
誰も、自分を認めてくれない不幸が
ミ○スで既に始まっている。

そして、
理想の相手と結婚できるのが、
ミ○スと言いつつも、
理想の相手じゃない人と結婚させている。

それは、 人はぶつかり合い、他を受け入れない。
”拘り”は自分を支配し、自分を見失う。
素直に
ミ○スの位置に立とう! ”拘り(理想)”を捨てあるがままに。
なんて、やってるらしいからぁ〜


実際、奴ら御自慢のメルマガを読むと、
その人、そこで、「
あなたは私の究極パートナーです」なんて、
告白されたが、
理想のパートナーでなかったゆえ、
仲間にも「
3次元的には理想のパートナーでなかった」と言っていたが、
拘り(
理想)があったとかで、拘り(理想)を捨て、
理想でもない人と結婚したそうなぁ〜、なんかぁ〜、
統一ロ会みたいだね。

3次元的
って、何いってんだか、さっぱり、わからんが、

意識的拘りを捨てたので、無意識拘りが残る。

現実は
無意識方向に変化する無常なので、 結局、最後(死後)は、

 
やっぱ、理想の人と結婚したい!

と、隠した執着(
無意識)が現れる。

人は死後、そんな執着(
無意識)を持って生まれ、
死んだところから始まり、輪廻を繰り返す。

無意識に残したは死後も継続される。

この場合、理想を言えば、
理想のタイプではなかったが、一緒に仕事など、しているうちに、
相手の良い所が見え始め、惚れたというのが、正しい型だと思われる。
ちなみに、後に説明する六波羅蜜は、
自分の良い所善業)が他に投影される修行でもある。

一緒に仕事など、しているうちにというのは、
まさに、今あるものが、その様に変化した事に
注意してね!!
まぁ〜、これが
理想の型かもね。

これは、他から奪った訳ではないので、カルマも少なく、
その後の結婚生活が長続きするって事でもある。

入菩提行論 第八章
およそ、巡り合えないと、心は不満になる。
万が一に、巡り合えようと、心は満足しない。
彼らは、一時の喜悦のために、永遠に苦悩する。
愛し合う者は、愛する者を探し求めるため、
この輪廻を、厭い離れることを忘れてしまう。
彼らは、永劫なる業の為に、永遠なる法を失う。

だから、 俺が知ってる
世界の王は病気(カルマ)で死ぬ間際、

  
もし、生きてたら、こんな人生じゃない。
  
俺は世界の王だ!

なんて、自分の執着(
無意識)を思い出し、
元気になって、この世に戻った。

死んだところから始まったんだね。

神から何や授かって戻った訳でもないし、
スピリチュアルの「
自分で、この人生を選んで来た」は

           
嘘。

そんな執着が無ければ、この世に生まれず
涅槃する。

死んで気づいたら、

 
 四つ足に成ってたわぁ〜

ねんてぇ〜のが、正味な話さぁ〜

世界の王に限らず、病気で医者に見放されたが、
お笑番組を見たりし、笑うようにしたら病気が治った。
そんな話は、沢山あり、あたかも、
プラス思考奇跡を生んだように見えるが、
そもそも、そんな執着があるから、そんな事をし、

死んだところから始まったんだ。

その
世界の王だが、
ユダヤの銭をオープンにする使命が与えられ、 生き返ったらしい。

オープンって、

  
あなた、バカぁ〜!

それは、隣の
おっかっちゃんの銭をオープンにする。
なんて、言ってのと同じ。

人の銭を
コントロールしようなんざ、
間接的な盗みなんだよ。不偸盗の戒だ。

そんな心だから、勧誘で他の銭を操る、
MLMネズミ講)を平気でやるんだ。
ちなにみ、俺は、愛と財だかで、
ミ○スの奴らの
MLMネズミ講)で、
2年間、救わるどころか、銭、掬われたちゃったん!!。
詳しくは、かごめ、かごめの法則でね。

その銭は、どう使おうがユダヤ人の銭だ。
その銭をオープンにするかどうか?
決めるのもユダヤ人だ。たとえ悪く使おうがね。

なぜなら、

  海援隊:
俺は議論はしない、議論に勝っても、
人の生き方は変えられぬ。

なんで、心が変わるまで待つのが
弥勒菩薩さぁ〜

心も実体がなく
だからね。(待つ:忍辱波羅蜜)
だから、弥勒菩薩は、多くの衆生を救済すると言われてる。
おっと、
功徳(利他)を積みながらね。
これがないと片手落ち。
なぜって、 先ず、自分が変わらないと駄目ってこと。
自分がオープン(利他)しないとさぁ〜。
詳しくは、弥勒型アセンションでね。

世界の王なんざ、 弥勒菩薩からみればが小さいんだよ。

奇跡や使命など神秘性を持った、
世界の王が説く押し絵ではなく、
法(叡智)から入った人は、
ユダヤが世界の銭を握り、悪用してたとしてだ。

それは、自分の
貪りの心の投影と観る事ができ、
他の銭をオープンとは思わないので、
対立(戦争)が起きないんだ。
全ては自分の投影である
オンリーワンと達観する。

  陸援隊:
  今、貴いと思えるものが
        明日は賎しいかもしれない。
  今、賎しいと思えるものが
        明日は貴いのかもしれない。
  君子となるのか、小人となるのかは、
              君、
自らの中にある。

ちなみに、
海援隊、陸援隊と併せて
翔天隊と言うらしい。

基本的に、この
翔天隊のやり方は正しい。

宗教スピリチュアルは、
自分の存在意義の為、あの手、この手で信者を集める。

例えば、
ミ○スでは答えを言わない。

せっかく、本を出しても、
答えがない」なんて読者の反応に対して、
そんな事ないです、セミナーに来て下さい。
なんて、
意識的に人々を支配しようとしている。

俺が、銭払って、ミ○ス(元、陰陽二相一対)のセミナーに行ってた頃なんか、
今日はここまで」なんつって、絶対に答えを言わない。
知りたくて、交通費など
を掛けて、
また、
を払ってセミナーに行くが、絶対に答えを言わない。
気づくと、愛と財だかで、
奴らのMLMネズミ講)に、2年間、救われるどころか、銭、救われたわぁ〜

ちょいと、MLMネズミ講)に触れると、
MLM(ネズミ講)と来たら、勧誘となるが、
この、勧誘って奴だけど、

 面白い話があるからって、友達を誘ってみればぁ〜

なんて指示が来るが、
けっして、MLMネズミ講)の話とは言わない。

これ、何をしてるかと言うと、積極的なんだ。

十戒四 … 不妄語の戒
妄語の禁戒・正語の勧戒について述べよ

妄語とは三種類のを指す。
第一の嘘は、自己の利益を保全するための積極的である。
第二の嘘は、沈黙を持って正しいことを言わない嘘である。
第三の嘘は、結果的に嘘となってしまう消極的な嘘である。

積極的をなさないことにより、他人に騙されなくなるという果報が生じる。
何故なら、積極的をなす背景には、“自分の都合良く真実を歪める”という習性があり、
他人が、自分の都合の良い現実に騙されるのと同様に、
自分も、自分の都合の良い現実に騙されてしまうからである。
真実が、自己や非自己によりに歪曲され、物事を正確に認識出来なくなる。

正しいことを明確に言うことにより、必要な情報が正しく集まるという果報が生じる。
何故なら、沈黙する背景には、“敢えて意識化しない”という習性があり、
自分に不必要な情報が、明確に意識化されないのと同様に、
自分が必要としている情報も、意識化されず曖昧になるからである。

結果的に嘘にならないようにすることにより、言葉や意志力が強くなるという果報が生じる。
何故なら、消極的をなす背景には、“言行不一致で構わない”という習性があり、
他人が、自分の言行不一致で被害を被るのと同様に、
自分も、自分の言行不一致で被害を被るからである。
言行一致により、言葉の力が強まり、本人の意志によって発された言葉が現象化するようになる。

妄語をなさないことによって、良くも悪くも物事がありのままに見えるようになる。
正確に認識出来ることは、一時的な幻想の幸福ではなく、恒久的な真実の幸福のためには不可欠である。
無智により、騙し騙された幸福は、条件次第で不幸の因となるからである。

意識的に、他人を騙すので、
意識の裏の意味が無意識に積み重なる。

他人を騙すの裏は、自分が騙されるだ。

現実は無意識方向に変化する無常なので、
自分も、自分の都合の良い現実に騙されてしまう。

逆に、与える者は、与えるからさぁ〜
なんて、MLMネズミ講)なんて、どっから、どうみても、おかしい!!
そのやり方は、親や兄弟、地域や社会と和合してるか?

と、矛盾点を無視せず、意識的に直視すると、
意識の裏の意味が無意識に積み重なる。

矛盾点を観る、の裏は、
明晰、明確さを観るだ。

現実は無意識方向に変化する無常なので、
必要な情報が正しく集まるという果報が生じる。

例えば、ミ○スの愛と財では、
自分を信じることが出来なくなってから、
主人を疑い、自分を嫌い、全く愛と自由を失った結果、が流れてしまったのです。

なぁ〜んて言ってますが、

後に説明する、釈迦の解いた十二支縁起を読めば分かるが、
自分を信じるとか、信じないとか、
そうやって、自分に愛着我執(がしゅう))があるが為に、
十二支縁起に従い、自分を信じる事が出来なくなり、
主人を疑い(疑うような事をする)、自分を嫌い、全く愛と自由と
を失ったんだ。

ミ○スでは、この様に、本当の自分を知るだとか、
自分を認めてないから、認められないとか、
自分を愛するしかないとか、自分に愛着するから気を付けてね!!

人には
我執といって、そんな感じで、自分に対する愛着がある。

愛着があるが為に、漏れなく卑屈が付いてくるんだ。

そんな
卑屈に囚われず、苦に耐えると悪業が落ち、善業が表に現れる。
善業を持ってないと、現れようがないですが。。。

べつな言い方をすると、
自分に対する
愛着我執(がしゅう)は、
悪口を言われるなどの
カルマ悪業)を創る。

悪業なんで、囚われず、
そんな苦に耐えると、
悪業が落ち、善業が表に現れる。
善業を持ってないと、現れようがないですが。。。

この世の仕組みを知り、
六波羅蜜密教瞑想などで功徳を積むと、
嫉妬、妬みの段があるのだが、

基本論理は、こんな感じだ。

貪りには、無智、怒りが付いてくる。

殆どの人が、悪口を言われると頭に来るが、
それは自分に執着貪り)してるからなんだ。

これを専門用語で自我執着とか自執(がしゅう)とか言う。

この自我執着があるが為に、
自分を苦しめる奴が生起するんだ。

功徳なんて積むとねぇ〜
ひょっこり理想の相手が現れるが、
気づけば恋敵だらけになったり、
良い仕事が来たなぁ〜なんて思ったら、
気づけば知らない間に奪われてたりね。

理想の相手も、良い仕事も、
そんなの来たひにゃ〜、
自分のものにしたいという自我執着が発生する。

自我執着プライド)が発生するが為に、
自分を苦しめる奴(恋敵やライバル)が現れるんだ。

諸法無我:「」又は「私の物」には実体がない。

功徳なんて積むと、へこむ事が多いからねェ〜
そうかと思えば、考えられんぞぉ〜 
なんて怒りが生じる局面ばっかあったりする。

これらは裏を返すと、心の中、自我執着で一杯って事だ。

考えられんぞぉ〜、なんて怒りは、
納得がいかないだけに自我執着も強い。

だから、俺様の場合、智慧が生じる前の、
苦に耐える忍辱波羅蜜自我執着で一杯の期間)の間はぁ〜
嫌いなものを見る事が多いんだ。

部屋に、いきなり蜘蛛害虫等)が入ってきたり、
やたら「666」なんて、縁起の悪い数字を見かけたりね。

自我執着があるが為に、そんな感じで、
自分を傷つけたり、自分を苦しめる奴が生起する。

これは、自分の物とか、自分のお金、
自分の妻、自分の夫とか、自分の彼女、自分の彼氏、
俺の団体、俺の国、俺の教義、俺の論理(真理)、
俺の仕事、俺の仲間、俺の家族とか、
ここは、俺の場所、俺の部屋、俺の空間とか、
これは、俺の時間、俺の休日、
自分は偉いんだぁ〜、私はモデルなのよぉ〜、などなど、

そんな自我執着があるが為に、
自分(プライド)を傷つけたり、自分を苦しめる奴が生起するんだ。

せっかくの休み(自分の時間)、トラブル対抗で盗られたりね。

仏典で言うと、これかなぁ〜

鋸喩経 第一章

「パッグナよ、出家した、身で在りながら、
女性と親しくしているのは、どういうことか。
汝の心を治める出家か、女の心を収める出家か。」

「尊師よ、まさしく、仏陀の仰る通りです。
しかし、女性を責める者が、存在しています。
私が、女性に関わるのは、女性を守るためです。」

「たとえ、目の前で、刀で切られようとも、
出家した限りは、女性に囚われてはならない
パッグナよ、在家の時の、考え方は捨てなさい。」

女性に愛着(自の女性)してるが為に、
女性を苦しめる者が現れた。

最初は、なんで、
そんな現象が頻繁に起こるのか、
分からなかったけどね。

そいう意味では心霊現象なんかも、
この類で縁起の法に沿って生起したもんだ。

なんやぁ〜、そんな悪霊と、

闘う霊能者もいるがぁ〜

自我執着があるが為に、
そんな自分を傷つける奴(現象)が現れるんだ。

敵対者こそ、修行者には重要だ。
敵対者こそ、我々の教師である。
その人達こそ、真に自分を導く、強い原動力となる。


この言葉は仏教開祖「釈迦牟尼」からの伝統らしい。

感覚的には、自我執着があるが為に不幸が不幸を呼ぶ

自我執着は、そんなカルマを創るんだ。

カルマなんで囚われず、そんな苦に耐えると、
悪業(カルマ)が落ち、善業が現れる。

させ、BLOGなんてやるとぉ〜
誰もがランキングに参加したりする。

すると上位を目指すってのが人ってもんだが、
言いかえると、誰もが上位自我執着を持ち始める。

第一位自分のものにしたい。という自我執着だ。

自我執着が生起すると、
お約束どおり、自分を苦しめる奴が生起する。

伊勢白山怪しげな人気プログ第一位独走

なんてねェ〜

それに、誰もが、
認められたいという自我執着があるからねェ〜

そんな存在意義を満たすべく、信者を集めるが、
これも自我執着なんで、お約束どおり、苦しめる奴が生起する。

伊勢白山本の連続出版。なんてねェ〜

自我執着があるが為に、自分より幸せな奴がいて、
嫉妬、妬みで、苦しめられると言ってもいいかな。

また、逆に、
苦しいことや(苦しみに耐えていたり)、
辛いことや、不幸があると、

なんで、自分がこんな目にィ〜


と、これまた自分に執着したりする。

これも、自分を苦しめる奴が生起し、
不幸が不幸を呼ぶが、囚われない事だ。

この様に、そんな伊勢白山も、
釈迦諸法無我に沿って現れた、神様、仏様である。

さしずめ、ランキングに参加する人達全員の、
汚れた部分(悪業)の投影が伊勢白山だな。

あまりにも、自分、自分と偏りすぎると、こうなるって事だ。

だから、願い(貪り)が多い人は、
へこむ事が多いかと思うが、囚われない事だ。

なんやぁ〜
使命を授かった教祖の、
アセンションは結婚にあった教の、
ミ○ス論理では、
自分を認めてないから、認められない。

自分を認めてないから、
自分を見失い、主人を失い、愛と財を失ったんです。


じゃ〜、ないんだよ!!

そうやって、自分を認めるとか、認めないとか、
自分の金など、自分の夫だのと、自分、自分と、
自分に愛着するから、全部、失ったんだ。


逆だっ!!、ぎゃく。


この様に、全ては心の現れ(鏡の法則)である。

なんてェ〜のが、
現世御利益を司る観音菩薩カルマ・ヨーガらしい。


だから、観音菩薩は、
全ての衆生に合掌し、全ての人に帰依している。

何回も言うが、全ての人は神仏の現れである。

これを専門用語で、仏陀の五智の一つ平等証智という。

次の水瓶座(アクエリアス)の時代は、
この様に、平等性)を意味する時代でもある。

平等証智があると、全ての人がだからねェ〜
アクエリアス宗教戦争が無くなってもおかしくないかもね。

おっとっと、六波羅蜜密教瞑想は、
自我執着と反対の利他実践カルマが弱められてると思われる。

あまりにも、自分、自分と、自分に偏ると、そうなっちゃうからねェ〜

これを、
意識無意識を司る弥勒菩薩智慧で、
自他の区別を外してみたいと思う。

この世の仕組みを知り、
六波羅蜜密教瞑想などで功徳を積むと、
嫉妬、妬みの段があるのだが、

功徳なんて積むとぉ〜
ひょっこり理想の相手が現れるが、
気づけば恋敵だらけになったり、
良い仕事が来たなぁ〜なんて思ったら、
気づけば知らない間に奪われてたりね。

理想の相手も、良い仕事も、
そんなの来たひにゃ〜、
自分のものにしたいという自我執着が発生する。

自我執着プライド)が発生するが為に、
自分を苦しめる奴(恋敵やライバル)が現れるんだ。

この自分のものにしたいという自我執着の事を
専門用語で自執(がしゅう)とか我所執(がしょしゅう)言う。

と、解いたが、どうして、そうなるのか?

意識無意識の関係で解きます。

簡単です。

それは、自分のものにしたいという我所執が生起してるから。

我所執が生起してる為、
それを「自分のもの」と意識している。

すると、意識の裏の意味が無意識に積み重なる。

自分のもの」の裏は「他人のもの

現実は無意識方向に変化する無常なので、
自分のものを奪おうとする、
恋敵ライバルなどの悪人(六六六)が生起するんだ。

五六七 という 六六六
シンジ 君なら、誰が、弥勒なのかを、知っているよね。
    僕は、救世主を信じたいんだ、だから、教えてよ。
カヲル 教えられて信じても、自分を信じただけなのさ。
    信じたいと信じるけど、信じたくないと信じない。
    彼の善い名は信じるけど、彼の悪い名は信じない。

シンジ えっ!? 弥勒には、善い名と悪い名があるの?
カヲル そうさ、世界の雛型だから、善悪を包含するのさ。
    人類には、それが、分からないから、分けてある。
シンジ ふ〜ん、じゃあ、弥勒の善い名って、なんなの?
カヲル 弥勒は、五十六億七千万年後、人類を済度する。
    そういう、善の姿をして、五六七と呼ばれるのさ。

シンジ ふ〜ん、じゃあ、弥勒の悪い名って、なんなの?
カヲル 裏を返せば、その間はずっと、人類を統治する。
    そういう、悪の姿をして、六六六と呼ばれるのさ。
シンジ つまり、それが、欲六界の第六番目の第六天界。
    堕天使の果たす役と、同じだって、言いたいわけ?
カヲル そうさ、実は、五六七と六六六は、表裏なのさ。
シンジ ははは、なかなか、面白い冗談だよ、カヲル君。
    冗談はいいから、早く教えてよ、誰が、弥勒なの?
カヲル ........................

だから、手放せばよい。

突き詰めると、自分の物は一切、無いという事だ。

これを専門用語諸法無我(しょほうむが)と言います。

諸法無我:「私」も「私の物」にも実体がない。

自分のお金とか、自分の時間とか、自分の土地とか、
自分の名誉とか、自分の地位とか、自分の仕事とかね。

ミ○ス論理では、

人間は肉体を持ってるから寂しいやろ?
だから、ご主人がちゃんと引き寄せてくれるんやで。


なんて言ってますが、そのデッド・ロック現象を解きます。

この教祖が、一体、何を言いたがってるかと言うと、

寂しいという実感を、
積み重ねれば、重ねるほど、
裏の実感が無意識に積み重なる。

寂しいの裏は楽しいだ。

現実は無意識方向に変化する無常なので、
後に、寂しさを癒してくれる理想の相手が現れる。

さぁ〜、五次元までいった教祖が言うように、
一発の一瞬で、の裏の楽(奇跡)が来た、来たぁ〜

が、しかしっ!!

理想の相手
(欲しいもの)だけに、
自分のものにしたいという我所執が生起する。

我所執が生起しただけに、
それは「自分のもの」と意識し出す。

すると、意識の裏の意味が無意識に積み重なる。

自分のもの」の裏は「他人のもの」だ。

現実は無意識方向に変化する無常なので、
恋敵(ライバル)など、自分を苦しめる悪人が生起する。

悪人が生起し、奪い合いになるもんだから、
そんな悪人より、自分が優位になって、
欲しいものを手に入れようとする我執が生起する。

こっちは、ミ○ス論理を5年もやってんだっ!!
釈迦一元論やってる、お前なんかに、盗られる訳がない!!

うちの教祖は、「使命」、授かったてんだっ!!
釈迦一元論やってる、お前なんかに、負ける筈がない!!
こっちは、未来が約束されてんだっ!!

うちの教祖は、五次元まで行ってんだ。
一次の境地で止まってる、お前が、勝てる訳がない。
こっちは、七次元までアセンションしてんだっ!!

そんなの「ソウル・メイト」の「ハイヤー・セルフ」が許さん!!

なんてねェ〜、
我執が生起するから、そんな感じで、
他人より自分を優先する自己優位意識が出だす。

すると、意識の裏の意味が無意識に積み重なる。

自分優先」の裏は「他人優先」だ。

現実は無意識方向に変化する無常なので、
お約束どおり、全て、失って終わる。

デッド・ロックさぁ〜

この様に、貪りには際限がないから、
感覚的には、満足する前に、落ちるんだ。

一発の一瞬で、奇跡が起きただけに、
一発の一瞬で、落ちる事になる。

この世は、相対(縁起)だからね。

ちなみに、悪人が生起し、
いったん「この野郎」と思うから、
また、「この野郎」と思いたくなるのがカルマの法則だ。

これと同じで、
いったん「寂しい」と思ったら、
また、「寂しい」と思いたくなるのもカルマの法則だ。
こんな感じで、何時も寂しい思いをする事になる。

だから、
苦を受けれれば、楽が付いて来るなんて、
救世主幻想なのさぁ〜

一切皆苦
不幸の他に、幸福が在るため、
不幸が終ると、幸福に覆われる。
この幻想の考えに、縋り付くほど、
相対の幸福を求めて、転生を窮める。

苦を受けれれば、楽が付いて来るなんて、

これは、正確じゃないんだ。

正しい認識は、

は、この様に循環しているだ。

八正道正見解ですね。

実際のところは、
十二支縁起を知ってる人は分かると思うが、
こんな感じで、よりの方が多いんだ。

四苦八苦、七難八苦と言われるように、

一つのが、多くの苦しみを生起させてんだ。

理想の相手)が現れ、
愛着が生じたが為に悪人が生起し、
嫌いなものと出会う怒憎会苦(おんぞうえく)が発生し、
悪人が発生したもんだから、なかなか、
求めても得られない求不得苦(ぐふとくく)が発生し、
奪い合いになるから我執が発生し、
好きなものと分かれる愛別離苦(あいべつりつく)で、
最後は、一体、どうなってんだかぁ〜

良く分からん!!

一切皆苦(いっさいかいく)だ。

これら四つの苦しみと、
根本的な苦しみ「生・老・病・死」を足して四苦八苦と言う。

普段、循環していると、
記憶修習(意識)しながら生活(修行)すると、
意識の裏の意味が無意識に積み重なる。

循環輪廻)の裏は涅槃であり、
相対的実感転生)の裏は絶対的実感静寂)だ。

現実は無意識方向に変化する無常なので、
この様に、囚われなくなって、
人生が安定して来るかもしれないね。

では、ミ○ス論理の、
自分を認めてないから、認められない。
自分を信じることが出来なくなってから、
主人を疑い、自分を嫌い、
全く愛と自由を失った結果、が流れてしまったのです。


これを、智慧を持って、地に足を付けて行きましょう。

自分を認めてないとか、自分を信じてないとか言ってるでしょう。

信仰疑念はセットなんだ。

あるときは信じるが、あるときは信じない。

これが、人って奴なんだ。

功徳なんか積んでるとねェ〜
またかよ!!、なんて、へ込む事が多いんだ。

それは、信仰しているが為に、
信仰疑う様な事が起こるんだ。

よぉ〜く、これまでの自分を振り返ってみると、
信仰疑念循環している事が分かると思う。

信仰は、疑念というカルマ(悪業)を創るんだ。

そんな苦に耐えると、悪業が落ち、善業が現れる。

信念は、表を信じていること。
疑念とは、裏を信じてないこと。
表を信じるほど、裏を信じられず、
信念が強くなると、疑念も強くなる。

Aを信じると、非Aを信じず、
Aを信じないと、非Aを信じる。
条件によって、祈る対象が変わる。
何より依っているのは、自分の自信。

Aを疑がうと、非Aを疑えず、
Aを疑わないと、非Aを疑がう。
条件によって、疑う対象が変わる。
何より迷っているのは、自分の信念。

信心とは、疑念を越える信念
疑と信を超越する、決心のこと。
二元に迷う念を、一元に絞り切り、
一元に至るための、一念に囚われる。

先ず、自我を信じて、信念を高める
次に、自我が疲れて、疑念が高まる
後に、自我を越える、信心が現れる

人ってのは、何かしら信仰せずにはいられない動物なんだ。
神を信じない人は、科学、お金や、名誉、地位、経験とか信じてる。

そしてなより、人は自分を信じてる動物なんだ。

だから、自分に対する疑念も高まっているんだ。

信念 の裏に 疑念
マヤ  私は、心から、先輩のことを信じています。
    私に、信念はありますが、疑念はありません。

リツコ 信念でAを信じて、疑念で非Aを信じない。
    信念が強くなると、裏で、疑念も強くなるの。

マヤ  私には、隠れているだけで、疑念があると?
リツコ 条件が変わると、信念が、疑念に変わるの。
    強すぎる信念は、強すぎる疑念に、変わるわ。

マヤ  いいえ、私には、疑念なんてありませんよ。
    そんなこと言わないで下さい、悲し過ぎます!

リツコ 信念にしても、疑念にしても、あなたの念よ。
    つまり、あなたは、
何より自分を信じている
マヤ  うそです、そんなこと、絶対にありません!
リツコ あら、わたしの言うことが、認められないの?
マヤ  ええ、これだけは、絶対に認められません。
    だって、信じてます、だから、信じて下さい。

リツコ 信じて下さい、って、何を信じて欲しいの?
マヤ  私は、心から、先輩のことを信じています。
    信じてくれないなら、死んだ方がマシです!

リツコ ……………………

我執の話から、づれたが、

この世の仕組みを知り、
六波羅蜜密教瞑想などで功徳を積むと、
潜在に眠る自分の我執が引き出され、
ひょっこりと、欲しいものが現れるが、
こんな感じ屈辱を味わうので、囚われない事だ。

そんなときは、手放せば良い。
与えた者は、与えられるからねェ〜

慈愛放棄)で乗り切りましょう。

アセンションは結婚あった教の、
の「」は無常なので、
生命を育む、慈悲で手に入れましょうというのが、
神の意思らしい。

他の幸せが自分の幸せだったりしてね。

他の幸せを喜べる人は、
この無限の宇宙にある、全ての幸せが手に入るからねェ〜

専門用語随喜(ずいき)の修行って言うんだけどね。

十方と三世の一切の仏陀・菩薩、小乗の修行者、
そして、凡夫の衆生らによる功徳に思いを巡らして、
これを喜ぶという修習である。
心に随喜の念を抱けば、自他平等に善行の功徳を得る
とあるごとくに、難行をもって幾劫にもわたり善を積集した功徳と、
それに対して至心に随喜した一刹那の功徳とは、
何ら変わるところがないのです。
ゆえに随喜の修習は、易行にして極めて効果的

小乗の修行者が、一生懸命、自分の功徳を、
何十年、何百年、数回の輪廻を掛けて積んでるのに対し、
そんな、頑張る修行者を見て、その修行者を喜べる人は、
その瞬間、その修行者と同じ功徳を積めるって事なんだ。

この世は、幸せと言えども奪い合いであると解いてきたが、
そうじゃなくて、本当は、既に与え合いになっていて、
そんな他人と一緒に、自分も良くなる仕組みだったりしてね?

最近じゃ〜、アセンション・ブームもあってか、
ミ○スの様な、使命を授かったという教祖が、

我こそが、アセンションの扉を開くなりィ〜
我こそが、世界の王なりィ〜

なんて、全人類救世主らしさをアピールし、
セミナーやったり、他人を勧誘し、信者を集めてるが、

これは、全てのものを自分の信者にしょうとしてるので、

後に、全部、盗られます。

うなもん、救世主

幻想なのさぁ〜

自分の信者なんてものは無いんだよ。

受講者100万人とか目標にしてる宗教とか、
ミ○スでは、14万4千人が、どうたら、こうたら言ってたけどぉ〜
気を付けてね!!

さて、BOLGなんてやると、ランキングなんかに参加してさぁ〜
上位という「自分の名誉」や、「自分の存在意義」を満たそうと、
自分の信者を集めるなどの我所執が生起する。

これも「自分のもの」を意識しているので、
意識の裏の意味が無意識に積み重なる。

自分のもの」の裏は「他人のもの」だ。

現実は無意識方向に変化する無常なので、
上位ランキングなどの名誉信者奪う奴が現れる。

伊勢白山の何やら怪しいポイントでの第一位独走とかね。

囚われず、そんな苦に耐えると、
悪業無意識)が落ち、善業が現れる。

他を受け容れて行けば良いとも言えるね。
これは、慈悲の心って奴だ。

しかし、そんな伊勢白山も、
自分の無意識を投影した自分である。

この様に、全ては心の現れ(鏡の法則)である。

なんてェ〜のが、
現世御利益を司る観音菩薩カルマ・ヨーガらしい。

さいしずめ、そんな悪人は、
自分のもの」に対する過剰愛着の投影ってとこだな。


だから、観音菩薩は、
全ての衆生に合掌し、全ての人に帰依している。

何回も言うが、全ての人は神仏の現れである。

これを専門用語で、仏陀の五智の一つ平等証智という。

次の水瓶座(アクエリアス)の時代は、
この様に、平等性)を意味する時代でもある。

平等証智があると、全ての人がだからねェ〜
アクエリアス宗教戦争が無くなってもおかしくないかもね。

これを、
大日如来一元思想で解いてみよう。

如来と合一するんだ。

結論を先に言いますと、

我こそが、アセンションの鍵を開くなりィ〜
我こそが、マリッジバランスの鍵を開くなりィ〜
我こそが、世界の王なりィ〜


なんてねェ〜

これらは、使命を授かった救世主が言う、
お約束のマニフェストって奴なんだけどぉ〜

器が小さいんだよ。

だから、

徳川家康
平氏を滅ぼすものは平氏なり。

なんて事になるんだ。

それは、本体は自分じゃないからさぁ〜

その本体は何かってとぉ〜

  天だっ!

いやぁ〜、三国志って来たら、
劉備玄徳、関羽雲長、張飛翼徳、
そして、諸葛孔明なんだけど、
この「蒼天航路(そうてんこうろ)」ってアニメは、
その対極に存在する悪人
曹操孟徳を主人公に描いた作品なんだけどぉ〜

カッコイイんだよねェ〜

しかも、むちゃくちゃ哲学してて、
真理、道理で世を治めようとするんだ。

ちょいと、横道にそれたが、
この「」の事を真我とか呼んだり、
大日如来とか天照大神とか阿弥陀如来とか、
言ったりするらしい。

例えば、すったら救世主どもを見て、

救世主というを任してやってんだ。

なんて感覚でいる人は、後に全部、手に入る。

松下のおっさんも、お金持ちを見ては、そんな事を言ってたらしいね。

なぜかと言うと、
この世の仕組みを知り、
六波羅蜜密教瞑想功徳を積むと、
嫉妬、妬みの段があって、
一つの物を、奪い合う、苦しみがあるのだが、
なぜ、そんな事になったかと言うと、

自分、自分と、自分に愛着したり、
自分が、自分がと、自分に愛着したり、
自分のもの、自分のもと愛着して来たからだ。

お金とか、名誉(役)とか、異性とか、
それらを意識的に「自分の物」と愛着すると、
無意識意識の裏の意味が積み重なる。

自分の物」の裏は「他人の物」だ。

現実は無意識方向に変化する無常なので、
平氏を滅ぼすものは平氏なりとなってしまうんだ。

自分に愛着するが為に、
自分を苦しめる悪人が生起し、
そんな人と対立し奪い合いで自滅するんだ。

だから、

物質面も分かち合い、
精神面(役割とか智慧)も分かち合い天命を待つ。

これが、釈迦一元論らしい。

お金(幸せ)は天下の回りものって良く言うでしょう。

功徳を積むなど、良い事をするにしても、
自分、一人の力じゃ〜、出来ないからね。
自分を超えた存在天命に身をゆだねるんだ。

徳川家康
戦では、強い者が勝つ、辛抱の強い者が。

この辛抱を六波羅蜜で言うと忍辱波羅蜜ですね。

なんちゅ〜かぁ〜
自分のお金とか、自分の信者とか、
そんな自分の幸せを、伊勢白山とか、
他に任してるって感じかなぁ〜

自分の、自分の、じゃなくて、譲ってる感覚です。

裏を返すと、そのとき、幸せを、
どう使うか、試されるって事でもある。

ちなみに、この俺様、そのときが来たら、

サムれェ〜、雇うだぁ〜

サムライに、何もかんも、切って貰うだぁ〜

チューの瞑想ですね。

密教には「チューの瞑想」ってのがあって、
これは、自分の身体をバラバラに切って鍋に入れ、
智慧の炎で、それを甘露にし、諸仏、守護神に与え、
自分の自我執着を乗り越える瞑想がある。

詳しい事は専門家に任すとして、

そんな、循環の法則カーラ・チャクラ)が、
この世にはあり、
最初から、万人に幸せが与えられてたのかもね。
最初から、幸せはたっぷりあったのかも。

貪り対立というカルマ(悪業)を創るが、
そんなときは、そういう事ってことだ。

この循環の中カーラ・チャクラ)で、
全ての衆生が満たし切り、後から、涅槃しようとするのが、

弥勒菩薩菩提心らしい。

文殊の救済に似てるね。

般若波羅蜜
此岸に在るものが、分かると、
彼岸に隠れたものを、悟りうる。
文殊とは、縁起を解す菩薩のこと。
此岸を介すことで、彼岸が解される。

釈迦の菩提心とは、王者の済度、衆生の先を進む。
弥勒の菩提心とは、船頭の済度、衆生と共に進む。
文殊の菩提心とは、羊飼の済度、衆生の後を進む。

釈迦が、先に現われ、最善を明らめる
型と成って、民を導こうとする。
光り輝ける最善に、心から従わせる。

弥勒が、次に現われ、最善を膨らめる
自ら先頭に立ち、人の歴史を紡ぎ、
移り変わる最善を、互いに競わせる。

文殊が、後に現われ、最善を諦らめる
自ら地獄に落ち、欲の底辺を塞ぎ、
疲れ果てた最善を、互いに譲らせる。

ちなみに、

我こそが、アセンションの鍵を開くなりィ〜
我こそが、マリッジバランスの鍵を開くなりィ〜
我こそが、世界の王なりィ〜
伊勢白山の人類5%運動とか、

ミ○スの信者、14万4千人が、どうたら、こうたらとか、

これらのマニフェストだけどぉ〜
自分の未来に愛着してるので、
救われるどころか、足元(銭)、掬われるて終わるんで、
気を付けてね!!

これを類は類を呼ぶ法則を使って、
自他の区別を外してみたいと思います。

この世の仕組みを知り、
六波羅蜜密教瞑想なんかすると、
嫉妬、妬みの段があるのだが、

なんで、そうなるかと言うと、

財施や法施(叡智のシェア、叡智の共有化)など、
意識的良い事をすると、
無意識意識の裏の意味が積み重なる。

良い事の裏は悪い事だ。

現実は無意識方向に変化する無常なので、
良い事をすると、良い事が返るのではなく、
先ず、悪い事が起こる。
この苦に耐えると、悪業が落ち善業が出る仕掛けだが、

この悪い事というのは、自分の悪い面が出る。

自分の我執が出るんだ。

我執って何かと言うと、
他人より自分を優位にしようとする心の働きだ。

そんな、我執)が出る条件)は人によって違う。

それは、お金だったり、仕事だったり、
名誉や地位だったり、異性だったりするのだが、

この世は、類は類を呼ぶだでェ〜

同じ我執を持ったもんどうし集まって、
奪い合いの苦である怒憎会苦(おんぞうえく)で、
傷つけられるなど屈辱を味わう忍辱波羅蜜があるみたい。

なんで、そうなってしまったかというと、

自分に愛着するあまり、
他人より自己を優先してきたカルマ(悪業)って奴だ。

そんな、自分の悪い面(カルマ)が出る見たい。

と言っても、生まれたときから、
この競争社会で独占欲を煽る教育を、
たっぷりと受けてるからねェ〜

独占欲は執着というカルマを創っていて、
執着対象を手放せい状態にするもんだから、
自分が、それに嵌ってる事に気づかない。

気づくどころか、
そんな相手に対する憎悪怒り)で一杯になる。

いったん「この野郎」と思うと、
また「この野郎」と思いたくなるのがカルマの法則だ。

だから、そうとうつらい止観(サバタ)が必要と思われる。

止観忍辱波羅蜜)し続けると、
正観(ビバサナー)が生起し、正しく観察が出来る力が生起する。
八正道の正見ですね。

外界の外的条件をとし、我執が生起すると、
我執が生起した為、意識的に自分を優先している。

意識的に「自分を優先」すると、
無意識意識の裏の意味が積み重なる。

自分優先」の裏は「他人優先」だ。

現実は無意識方向に変化する無常なので、
他人優先となり、結局、何もかも失う仕掛けだ。

自分に愛着し、自分を優先するが為に、
自分を苦しめる悪人が生起し、
そんな人と対立し奪い合いで自滅するんだ。

であれば、譲ってやらぁ〜良い。

慈悲受容)ですね。

ここで、力ずで奪っても(独占欲)、
それは、一時的な快楽で、
後に、そんな苦しみを、また経験するだけなんだ。

全てはの現れで、全てはの鏡である。

これが観音菩薩カルマ・ヨーガらしい。

さいしずめ、そんな悪人は、
自分の過剰我執の投影ってとこだな。

見方によっては、まだ生起してない、
自分の潜在無意識)に眠る悪い面我執)が、
そんな、他人に投影されてるとも言える。


だから、観音菩薩は、
全ての衆生に合掌し、全ての人に帰依している。

何回も言うが、全ての人は神仏の現れである。

これを専門用語で、仏陀の五智の一つ平等証智という。

次の水瓶座(アクエリアス)の時代は、
この様に、平等性)を意味する時代でもある。

平等証智があると、全ての人がだからねェ〜
アクエリアス宗教戦争が無くなってもおかしくないかもね。

ちなみに、アセンション・ブームもあってか、

我こそが、アセンションの鍵を開くなりィ〜
我こそが、マリッジバランスの鍵を開くなりィ〜
我こそが、世界の王なりィ〜
伊勢白山の人類5%運動とか、

これら、救世主マニフェストだけどぉ〜
これも、他より自分を優先した我執なので、
救われるどころか、足元(銭)、掬われるて終わるんで、
気を付けてね!!

何事も独立して存在しておらず、
他との相互依存関係で存在している。

そんな、人々の我執の投影が、
そんな、救世主で、
そんな、人々の我執が、
そんな、救世主を生みだしてたりしてね。

仏教の唯識派依他起性という教えがある。

自分の苦しみは、自分だけの苦しみなのか?

と言えば、そうじゃない。

他の人も同じように苦しんでる。

大抵の人が、「お金がない!!」と苦しんでるからねェ〜

だから、苦しみを乗り越え、苦しみを克服する事は、
他の為(全体の為)に成るんだ。

言い方を変えると、自分の苦しみは他の苦しみって事だ。

この世は、幸せと言えども奪い合いだらねェ〜
だらか、貪り対立(嫉妬、妬み)というカルマ(悪業)を創る。

貪りを満たせないと苦しいから、
一つのもの何とかして、自分の物にしようと争う。

このときだな。

そんな自分の苦しみは、他人の苦しみなのではないのか?

他も同じように、苦しいから、欲しいもの奪いに来る。

その苦しみが、
自分だけの苦しみと思ってる間は怒りが生じるが、
その苦しみは、他の苦しみではないのかと思えてくると、
こんどは慈悲受容)が生じてくる。それは智慧が生じてるから。

そんな感じで、苦しみも分かちあい、他の苦しみを取り除く。

他の苦しみを取り除くから、自分の苦が取り除かれる道理

怒りを滅し、膨大な慈悲受容)を持つ、

弥勒菩薩ですねェ〜

この世は、
類は類を呼ぶだから、
同じ
苦しみを持つものどうしが集まる。

だから、貪りは
対立(嫉妬、妬み)というカルマ(悪業)を創る。
同じ苦しみを持つ者どうしで
対立してんだ。

しかしながら、そんな他人は、
同じ
苦しみを持つという意味では、自分なんだよねェ〜

だから、
そんな他人の苦しみを取り除く事は、
自分の苦しみを取り除く事になる。

仏教では、特に菩薩の修行では、
自分の苦しみと、他人の苦しみを分けない

他人の苦しみを取り除く事が、
自分の潜在的な苦しみを取り除くことである。

未来永劫、まったく苦しみがない状態になる為には、

自分の潜在的苦しみ投影している、
全ての衆生の苦しみを前もって、
自分が彼らを救う事によって、乗り越えれてしまえばよい

自分にある負債苦しみ)を全部、返してしまおう。

その負債苦しみ)は、どこに表示してあるのか?

それは、他人に投影されいるという事だ。

簡単に言うと、
この世の仕組みを知り、
六波羅蜜などで功徳を積むと、
嫉妬、妬みの段があるが、
それは、裏を返すと、
同じ苦しみを持った者どうし集まって対立してんだ。
敵対者は、同じ苦しみを持ってんだ。

で、あるならば、うなもん譲ってしまえば良い。(他のを取り除く)

まぁ〜、他人の成功が、自分の成功という事だな。

自他の区別があるから、自我に執着し、
奪い合いで自我執着の苦しみを味わう事になるんだ。

敵対者こそ、修行者には重要だ。
敵対者こそ、我々の教師である。
その人達こそ、真に自分を導く、すごく強い原動力となる。


この言葉は仏教開祖、釈迦牟尼からの伝統らしい

べつな言い方をすると、
対立は貪りが創ったカルマ(悪業)なんで、
そんな苦に耐えると悪業が落ち、善業が現れる。

六波羅蜜で言うと、六波羅蜜三の忍辱波羅蜜だな。

アセンションは結婚あったの、
受け容れる事は与えることなんです。

じゃ〜、ないからね。

バカも、休み休みにしてよ!!

これを仏教の
唯識論的に言うと、
例えば、ここに
綺麗な人、または、イケメンがいたとしよう。

それは、自分が
となり、外の人(女性or男性)がとなり、
結果、自分の善業が引き出され、幸せを感じているんだ。

外に幸せが、ある訳じゃなく、内に幸せがあるんだ。

だからって外に何も無い訳じゃないんだけど、ありのまま見れてないのが人だ。

ありのまま見れてないんで、外に幸せがあると思って、
ときには他と争って、外の物を手に入れようとしているのが人だ。

もう少し、
唯識について解くと、

Aさんが、Bさんを殴ったとしよう。Bさんは、「
この野郎!!」と来る。
Aさんが、Cさんを殴ったとしよう。Cさんは、
感謝した。

この違いは、何かというと、
Bさんは、過去に、
憎しみをもって、他を殴ったカルマがあり、
Cさんは、過去に、同じ殴るのでも、
をもって殴ったカルマがあるって事なんだ。

どちらも、Aさんの「
殴る」が条件()となり、
悪業
が引き出されてるんだけど、その結果感じ方はまるで違うって事だな。

Bさんは、何時も他を傷つける為に、他を殴っており、
Cさんは、他の事を考え、泣く泣く殴った過去があるんだ。

後者は、指摘(悪口)されても、心が動かず、外(欲界)に影響されないんだ。

Aさんは、そんな自分の、
心の汚れ悪い部分)の現れであって、
全ての人は、神仏の現れなので
感謝しましょうって事さぁ〜

Bさんを、もう少し詳細に解くと、
Bさんは、何時も、他人よりも自分を優先している。
何時も、自分を優先するが為に、
他を殴ってでも、欲しいものを手に入れようとする。

他より、自分を優先する心の働きを
我執と言います。

申し少し、Bさんについて言うと、
これは、他に勝つ事を喜びにしてるから、
殴られた時に「この野郎」というデータが、
阿頼耶識から引き出され苦しみを感じてんだ。

六波羅蜜密教瞑想で功徳をつむと、
愛着してる物が奪われるなどの屈辱を味わうが、
奪われると「この野郎」って来るがぁ〜
これは、他に勝つ事を喜びにしてきたカルマ悪業)だ。

この野郎って来ると、
他に勝って、欲しいもの手に入れようと、
また、他に勝つ喜びを得ようとするがぁ〜

ちょと、待っただ。

他に勝つ事を喜びにすると、
誰かが必ず負ける事になる。
これが、他を傷つけたカルマ悪業)となって返り、
結局、また奪われて「この野郎」と苦しい思いをする。

なので、そいういうときわぁ〜
譲ってしまうのが良いと思われる。

慈悲(分ち合い)ですね。

与える者は、与えられるからねェ〜


だから、
現世御利益を司る観音菩薩は、
上の画像の様に、全ての衆生に手を合わせてんだ。
ちなにみ、左手に持っている
白い蓮華は、
この欲界の汚れの中にあっても、影響されない事を示している。

神道なんかにも、あいさつがてら、合掌する習慣がるよね。

全ての人は神仏の現れである。
これを専門用語で、仏陀の五智の一つ平等証智という。

占星学に詳しい人は分かると思うけど、
次の水瓶座(アクエリアス)の時代は、
この様に、平等性)を意味する時代でもある。

平等証智があると、全ての人がだからねェ〜
アクエリアス宗教戦争が無くなってもおかしくないかもね。

カルマ という ダルマ
アスカ 人を中心とする法、カルマって、何のこと?
レイ  為したことが、必ず人に返る、業のことなの。
アスカ 神を中心とする法、ダルマって、何のこと?
レイ  為したことが、必ず神に還る、法のことなの。
アスカ どういうことなのよ? 訳が分かんないわ!
レイ  嫌いな人が、あなたをぶったら、どう思う?
アスカ 問答無用で、ぶち返すに、決ってるじゃない。
レイ  好きな人が、あなたをぶったら、どう思う?
アスカ ぶち返す前に、どうしてって、考えちゃうわ。
レイ  つまり、誰が為したかで、感じ方が変わるの。
    神様が為したって、考えるほど、良くなるの。
アスカ 人を中心に置くほど、業の連鎖が続くけど、
    神を中心に置くほど、業の連鎖が止まるわけ?
レイ  うん、すべては神の御心って、考える人が、
    多くなるほど、神の世界に、近づいていくの。
アスカ バカね、そんなこと、あるわけないじゃない!
レイ  そう考えてしまうのは、あなたのカルマなの。
アスカ そう考えるのだって、あんたのカルマでしょ!
レイ  うん、それでもいいの、すべてはダルマなの。
アスカ ........................

この世の仕組みを知り、
六波羅蜜など行うと、嫉妬、妬みの段があるから、
奪ったり、奪われたりと、そんなカルマが出ちゃ〜
この野郎と思う事があるが、全て神仏の現れなのさぁ〜

ちなみに、奪われるたって、
外に幸せがある訳じゃなく、内にあるんで、
幸せが無くなった訳じゃないし、盗られやしない。

阿頼耶識(アラヤシキ)が、そう思わせてるだけなんだ。

ただ、善業もってないと、どうならんけどね。

人には、他よりも先にとか、他より幸せになりたいとか、
そんな自己優位で、いろんなもん集めて来るが、
そうなると、奪われたとき、この野郎憎悪が出る仕掛けだ。

自分の「他人より自分を優先する心(我執)」の部分の投影が、
そんな、敵対者として現れてんだ。


簡単に言うと、殴るとカルマが創りだされ、
また、殴りたくなるって事だ。カルマですねェ〜

奪い合いなど、
殴らないと気が収まらない局面が、また、発生する。

それより、分かち合い(慈悲)で、集めた方がいいかもね。

この世は、幸せと言えども奪い合いだし、
人は身体を持って生まれた以上、
どうしたって、信者集めなど自己優位で、
やめられない貪りがあるからねェ〜
それは、どうしたって他を傷つけるし、
どうしたって、他を傷つける
貪りもある。

後に解くが、
恋愛なんかもそれだ。

貪りは、どうしたって他を傷つける。

でも、誰だって
恋愛はしたいし、そのんな貪り願望)は消えはしない。

であるならば、逆に自分が傷つけられたとき、
そんな相手を許すのも慈悲受容)だ。

この世の仕組みを知り、六波羅蜜功徳を積むと、
嫉妬、妬みの段があるのだが、
恐らく、潜在に眠る自分の悪業貪り)を他人が演じる。

本当は、ロロロしたいんだけど、
今、不安定だからとか、お金がないから、
そんな理由で、全面に出さす、今は、ちょっと抑えてる貪りや、
俺様の様に正しい願いなど、答えが見つからないうちは、
手を出さない様にしている貪りだ(抑えてる貪り)。

誰もが
結婚願望を持ってると思うが、
生まれてすぐ、結婚したい奴はいない。

今は仕事を充実させたいとか、
もう少し安定してからとか、お金持ちに成ってからとか、
俺様のように、今、修行優先とか、
そんな願望で、
結婚願望を抑えてると言える。

そんな感じで、抑えたものは無意識に残る。

条件が揃うまでは生起しないが、
潜在に眠ってる間は、(無意識に眠る間は)
そんな自分の貪り悪業)を他人が演じる。

つまり、そんな他人に、自分が傷つけれた様に、
将来、そうやって、自分も他を傷つけるって奴だ。

貪りは、対立犠牲カルマを創るのだが、
功徳を積むと、そんな感じで、
そんな他人(
自分の悪業の投影)と、
一つの物を奪い合う形で、
他と対立し、他から傷つけれらるなど、
将来のカルマ清算があると思われるんで、
囚われず、これは許す事だな。そのとき自分が許される。

後に解くが、
奪い合いだから、
理想の相手に出会えたとき、
必ず、誰かが
理想の相手に出逢えなくなる。
これが、他を傷つけた
カルマ(悪業)となって返り、
結局、1年たらずで、離婚したりする。

最近、多いよねェ〜

偶然、夫婦仲が悪くなってる訳じゃないんだ。

この様に
恋愛も、どうしたって、他を傷つける貪りなんだ。
恋愛(幸せ)は、他の嫉妬、妬みを買う貪りと言ってもいいかな。

だから、六波羅蜜は、そんな感じで、未婚の人は、
将来のカルマ清算をしながら、理想の相手と出会う
正しい方法でもある。

おっとっと、嫉妬、妬み対象は、
潜在に眠るまだ生起してない、自分の善業の投影でもある。
辛い事もあるが、努力し善業を積むと、そう成れる自分の未来の姿でもある。

ただ、丸ごと、善業の投影ではなく、
冒頭で述べた通り、嫉妬、妬みを買う恋愛など、
将来、他を傷つける自分の悪い部分(貪り)も投影している。

まぁ〜、ここまで来ると、
意識が横へ広がり(水の型)、全肯定になってると思うけどね。

これが、小乗、大乗って来て、次の密教というものらしい。

他に傷つけられたとき、こんな感じで、
自分の感情を内観すると面白いかも。

ついでに、解くぜェ〜

この世の仕組みを知り、
六波羅蜜密教瞑想などで功徳を積むと、
嫉妬、妬みの段があり、
一つ物を奪い合う局面が発生し、
頭に来ることが多いかと思う。

それは、お金かもしれないし、
名誉や地位、異性かもしれない。

人によって異なると思うが、
これ、何をやってるかと言えば、

エルサレムさぁ〜

どいつも、こいつも、
一つの聖地をめぐって、
俺のもんだぁ〜、なんて争ってんだ。

なぜ、そんな事が起きてるかと言うと、
外側に幸せがあると錯覚してるからさぁ〜


マトリックスだ。マトリックス。

上のセンチネル(sentinel)を見て、

これ、いいんでない。
明日、買ってくるわぁ〜

と、マニアの人達は感じたかと思う。

仏教の唯識論的に言うと、それは、
自分をとし、外のセンチネルとなって、
結果、自分の善業が引き出され、

これ、いいなぁ〜、と幸せを感じてんだ

つまり、外にあるセンチネルが、
幸せを持っているのではなく、内側に幸せがあるんだ。

センチネルは内側にあるのさぁ〜

しかし、幸せは外にあると思って、
マトリックス仮想現実)に囚われ、
外にあるものをめぐって、

戦争してんだなぁ〜

誰もが、人気ブログ第一位を独走する、
伊勢白山ランキング操作らしきものに、

頭に来ていると思うが、

外側に上位ランキング(聖地)がある訳じゃないんだ。
内側にあるんだ。

そういうときは、布施の実践だ。

そんな、心の投影エルサレムの戦争だったりしてね。

これをカルマの法則で解くと、

この世の仕組みを知り、
六波羅蜜などで功徳を積むと、
嫉妬、妬みの段があるが、
どうして、うなもんあるかと言うと、多分、

例えば、誰もが、
結婚願望を持ってると思うが、
生まれてすぐ結婚したい奴はいない。

今は仕事を充実させたいとか、
もう少し、収入が安定してからとか、
俺様の様に、修行優先とか、
そんな願望で結婚願望を抑えてると言える。

そんな感じで、抑えたものは無意識に残る。

功徳を積むと、その仕組みからして、
そんな潜在に眠る貪りが出てみたい。

財施、法施など、意識的良い事をすると、
意識の裏の意味が無意識に積み重なる。

良い事の裏は悪い事だ。

現実は無意識方向に変化する無常なので、
良い事をすれば良い事が返るのではなく、
先ず、潜在(無意識)に眠る悪い事が生起する。
そんな苦に耐えると悪業が落ち、善業智慧)が出る仕掛けだ。

この、悪い事というのは、自分の悪い面が現れる。

悪い面というのは、
他を傷つけてしまう貪り自分の願望)の事だ。

だから、功徳を積むと、
ひょっこり理想の相手なんか現れる。

が、ここに仕掛けがあって、スムーズには行かない。

なぜなら、どんなもにも、
良い面悪い面がある不慳貪の戒を思い出して欲しいのだが、

基本は、得するとき、必ず誰が損しており、
これが他を傷つけたカルマ(悪業)と成って返り、
結局、得した分、大損する事になる。

恋も奪い合いであり
自分が理想の相手に出会えたとき
必ず、誰かが理想の相手と出会えなくなる。
これが、他を傷つけたカルマ(悪業)となって返り、
お金持ちと結婚したはずが結婚直後、
旦那の会社が倒産し、嫌いな貧乏人に変貌したりする。

これを、別な視点をもって解くと、
そんな幸せは、自分にとっては良いが、
他にとってしてみれば、それは嫉妬、妬みの対象であり、
そうやって他を傷つけたカルマは自分に返ってくる。

理想の相手が現れると、十二支縁起に従って、
自分のものにしたいという我所執独占欲)が生起し、
100%自己実現に向けて青い鳥をGETしに行くが、
その一方で、他に嫉妬、妬みを売ってるので、
そんな他を傷つけたカルマが返り、
その過程恋敵の出現(ライバル出現)って形(
対立)で、
嫉妬させられたり、妬まされたりする。

この様に、独占欲は、嫉妬、妬みのカルマを創る。

まぁ〜、カルマなんで、
囚われず、そんな苦に耐えると
悪業が落ち、善業が現れる。

財施、安心施、法施などの
修行実践に限らず、
他に座席を譲ったり、他の仕事を手伝ったり、
他に気を使ったり、他に迷惑を掛けないようしたり、
遠隔ヒーリングなど他の為に祈ったり、
親や兄弟に仕送りしたり、神を信仰したり、先祖供養したり、

日常、行っている「
良かれと思う事」は、そんな感じで、
無意識に眠る貪り願望)の悪い面カルマ:悪業)を引き出すんで、
囚われない事だ。

仏典で言うと、これかなぁ〜

帝釈所問経 第一章

--- 省略 ---

「このように、我が息子に叱り付けられて、
彼らは、心から恥じ、梵輔天に転生しました。
ええ、神々の主である、私の頭上を飛び越えて。」

「世尊よ、彼らに、追い抜かれたのを見て
恥ずかしい事ですが、私は嫉妬を覚えました。
それを、心から恥じて、仏陀に尋ねたいのです。」

そのとき、仏陀には、このような思いが生じた。

"ああ、このサッカは、とても純粋である。
私は、彼の求める質問には、すべて答えよう。
彼の純粋な心ならば、速やかに理解するだろう"

神々の主という頂点は、自分にとっては幸せだが、
他にとっては嫉妬、妬みの対象だ。
頂点は、一つしかないから、なおさら嫉妬、妬みを買う。

これが、他を傷つけたカルマとなって返り、
嫉妬させられたり、他を妬む局面が発生する。

この場合、追い抜かれるって形で、嫉妬させられた。

カルマなんで、囚われず、
そんな苦に耐えると、悪業が落ち、善業が現れる。

さて、BLOGなんてやると、
大抵、ランキングに参加したりして、
自分の存在意義の為、
信者ほしさにランキング上位を目指す。

ランキング上位は、自分とって幸せだが、
他の参加者にとっては、嫉妬、妬みの対象だ。

だから、その過程で、
そんな他を傷つけたカルマが返って、
嫉妬、妬み、終いには怒りが生起する局面が発生する。

例えば、伊勢白山の何やら、
怪しいランキング・ポイントによる第一位独走とかね。

信者集めも、他の団体にとっては、
嫉妬、妬みの対象だからね。
これが他を傷つけたカルマとなって返り、
嫉妬、妬み、終いには怒りが生起する局面が発生する。

例えば、伊勢白山本の連続出版とかね。

いずれもカルマなんで、囚われず、
そんな苦に耐えると、悪業が落ち、善業が現れるのだが、
囚われちゃって、霊的波動アタック!!
なんて言う攻撃をする人もいるらしいが、
これは、自分に跳ね返ってしまうかもね。(六六六の仕組み

しかし、そんな伊勢白山も、
カルマの法則に基ずいた、神、仏の現れであり、
自分の悪い面貪りの悪い面)を教えてくれた導き手である。

自分が苦しいと感じたとき、必ず貪りがある。

自我に囚われいるから苦しいんだけど、
そんな貪りは、自分が、そうやって苦しんだ様に、
他を、その様に、苦しめ、傷つけるって事だ。

まだ、生起してない潜在に眠る貪りだけに、
将来、自分も、そのように他を傷つけるって事だ。

貪りは、どうしたって他を傷つける。

でも、誰だって
恋愛はしたいし、そのんな貪り願望)は消えはしない。

しかし、
貪ると、他を傷つけたカルマが返り、
結局、
恋敵に奪われるなどして、嫉妬、妬みで終わる。
これでは
六道輪廻をグルグルと回るだけで、満たされる事がない。

であるならば、同じ様に傷つけられたとき、
そんな相手を許すのも慈悲未来のカルマ清算)だ。
許すと、そのとき自分が許される。

この様に、全ては心の現れ鏡の法則)であり、
全ての衆生に合掌し、全ての衆生に帰依ているのが、
現世御利益を司る観音菩薩だ。


何回も言うが、全ての人は神仏の現れである。
これを専門用語で、仏陀の五智の一つ平等証智という。

次の水瓶座(アクエリアス)の時代は、
この様に、平等性)を意味する時代でもある。

平等証智があると、全ての人がだからねェ〜
アクエリアス宗教戦争が無くなってもおかしくないかもね。

ちなみに、今日の話は、
ランキング操作など情報操作で上位にあがってもいいが、
それは、膨大な借金をしているって事でもあるから、

気を付けてね!!

かつ、情報操作は戒律で言うと、
それは積極的だ。(不妄語の戒

さらに、借金を積み重ねてるんで、気を付けて!!

を付くと、自分も、自分の都合の良い現実に騙され、
物事をありのままに認識(八正道の正見)できなくなり、
正確なリーディングとか霊視が出来なくなる。

裏を返すと、
使命を授かったと言うわりには、
結局のところ、
どうすれば良いのか分からん!!
そんな「
神の言葉」と言われるものを降ろす人とが多いが、
普段、自利の為、他に嘘を付いてるから、
正確さに欠けたものしか受信できないと思われる。

とくに、バシャールなど宇宙人ものって、そんなの多いような気がする。

内観という修行があるが、これは、他にして貰った事を思い出す修行だ。
とはいうものの「自分は、何も、してもらってない!!」と来るの普通だ。
これは裏を返すと、他の支えなく、自分で生きてきたなどのがある。
慢心卑屈はセットだから、愛されなくなっても不思議ではない。

ミ○スの、自分を愛してないから、愛されない、認めてもらえない。

じゃ〜、ないからね!!

他に愛されるという事は、
どれだけ
自分の支えになるかが分かるかと思う。
であるならば、支え返すのが
正しい生き方となる。

して貰った事を思い出す
内観を行うと、
実に多くの人が「
自分は、何も、してもらってない!!」と答える。

これは、不思議な事でない。
後に解く、
十二支縁起に従って、そんなになってしまっただけである。

収入が何時も10万円の人が20万円を得ると喜びを感じるが、
これは最初だけで、+10万円で計20万円の収入が続くと、
今度は喜びではなく、あたりまえと感じてしまうんだ。

毎日、お母さんが弁当を作ってくれるが、
これも、続くと、それが当たり前となり、
たまに、作ってくれなくなると、
憎悪したりするのが人ってもんだ。

赤ん坊のときは、乳を欲しがり、寝ている親を起こしたりと、
これは、子供が親に対して
虐待をしているようなもので、
子育ては親にとって、大変な労苦だ。

教育費となると、幼稚園、小・中・高・に大学となると、かなりの費用となるが、

してもらってる事が続くと、それが当たりまとなり、してもらった事を忘れてしまうんだ。

だんだん、支えられて生きてる事を忘れ、
誰にも迷惑を掛けず、独りで生きていると
傲慢になり、
他と比較し、もっと、もっと、と不満で一杯になってんだ。

他と比較するったって、その差は大した差ではなく、
大統領になったところで、自由な生活が出来てる訳じゃない。
逆に、してもらった事を考えると、かなり膨大となる。

そのくせ、悪い事は覚えてるもので、
一回、親に怒られた事を根に持ち、恨み続けている人がいたが、
よく、よく、内観してみると、自分の度かさなる悪い行動に、
耐えに耐え、我慢できす一回だけ叱られた事を思い出し、
耐えに耐えるなど、して貰った事を忘れてんだ。

最近では、子供中心の生活に飽きちゃって、
平気で子供を捨て、
ミ○スで再婚してしまうなどエゴが強くなった親もいるらしいが、
これは、そんな感じで、子供の方が、
して貰った事を忘れ、
傲慢にっているから、そんなカルマが返ってるとも言える。

この世は、
類は類を呼ぶだから、
貪りを満たす為なら、平気で、子(人)や妻(人)を捨てる人が、
そこには集まってる可能性があるので、

気を付けてね!!

後に説明するが、これが
逆縁というカルマをつくる。

来世、この捨てた子供が、自分の親となり、
愛情を注いでくれるはずが、子を捨てた
カルマの為、
虐待
(捨てられる)を受ける。

虐待とは行かないまでも、
お母さんが嫌い、お父さんが嫌い、
なんて、親と和合せず、仲が悪い人っているよね。

ミ○ス教祖親が嫌いなんて言ってたね。

親に恨みを持っているんだなぁ〜

釈迦を生んだ
マハーマーヤ夫人
キリスト教の
聖母マリアなど、
大抵の宗教は、聖母を尊敬の対象とするんだけど、
この世は
類は類を呼ぶだでェ〜

そんな団体には、親に恨みを持ってる人ばっか集まってる可能性がある。

これは、
ミ○スに限らず、多くの人が持つ問題でもある。

この世は、相対(縁起)だでぇ〜
親に対する、尊敬や信頼がなくなるから、
対人関係においても、不満や怒りが生起し、
最後は「
自分は駄目な人間だ。」と、自分を嫌いになり、自分を見失う事になる。

仏教の唯識派依他起性という教えがある。

ここに、可愛いとか、カッコイイとか、
美しいとか、
容姿が良い人がいたとしよう。
普通、自慢したがるか、そんな自分を生んだのは、
お父さん、お母さんでしょう。
その、お父さん、お母さんを生んだのは、
おじいちゃん、おばあちゃんでしょう。
その、おじいちゃん、おばあちゃん生んだのはぁ〜
なんて、地球がにゃきゃ〜、太陽がなきゃ〜、宇宙なきゃ〜、銀河系がなきゃ〜
と永遠に終わらないが、何を言いたいかというと、
自分だけの力で得たものは、何も無いということ。

であるならば、支え返す(
恩返し)のが正しい生き方と成り、
という意味で、
先祖供養ってのがあるのかもしれないね?

ミ○スでは、感謝するんだったら、自分にも感謝なんていってるが、
良い事(
功徳積み、善業積み)をするったて、自分一人の力で出来るものではない。

そんな、
横の真理である女性原理智慧が必要となる。

自他の区別を外した方向で
カルマの法則を使いこなして行くんだ。

その逆もあって、
悪い事も、自分の力だけじゃ〜出来るものではない。

協力者共犯者)が存在するもので、
なにかしら、他人や社会との因果関係があり、
そんな
悪人協力者)も、この社会との相互依存関係(縁起)で生起している。

宗教や
スピリチュアルも、そうで、
この社会との相互依存関係で生起しており、
また、その逆もあって、宗教やスピリチュアルに依存して、
この社会があるとも言える。

あらゆるものは
相互依存関係で繋がっているんで、
例えば、宗教が良くなれば、当然、社会も良くなる。

だから、
そんな悪人
協力者)を生んだ、団体(教え:教義)に問題点(矛盾)は無いのか?
そんな
悪人協力者)を生んだ、この社会に問題点(矛盾)は無いのか?
そんな
悪人協力者)を生んだ、この社会の宗教やスピリチュアルに問題点(矛盾)は無いのか?

悪人は、そんな社会やシステムに対する警告とも言えるんだ。

ミ○スの教祖と俺様との違いは、
親に恨みを持ってるか、持ってないか?
この、ちょっとした違いだ。

だからこそ、
男性原理方便)と女性原理智慧)が、
ミ○スよりも、和合してるだけに、手段智慧女性原理)に恵まれたと思わる。

ミ○スでは、夫婦関係を土台にしているが、
それを言うんだったら、
親子関係なんだ。

親がいなけりゃ〜、自分もいない。
自分がいない事にはぁ〜、夫婦関係もクソもなんだよ!!

親と自分(子供)は
相互依存関係にあるんで、
親子関係が悪いと、夫婦関係に影響を与えるし、
夫婦関係が悪いと、子供にも影響を与える。
夫婦関係が直って、子供登校拒否が治った。

なんて話が、
鏡の法則って本に、あったと思ったがぁ〜

あっちの問題が解決したとたん、こっちの問題も解決した!!

そんな経験ないかい。

それは、この世の、あらゆるものは、相互依存関係にあるからなんだ。

ミ○スでは、夫婦関係を土台にしているが、
そうやって、自分の幸せばかり考えてたから、

こんなことに、なってしまたのでわぁ〜

と、
意識を横へ、横へと広げるんだ。

また、その逆もありで、自分のカルマ浄化が、
親や先祖、子供のカルマ浄化にもなるって事だ。

だからぁ〜
自分の積んだ
功徳を先祖に回向すると言う意味で、
先祖供養お盆ってものがあったりしてねェ〜

伊勢白山道・リーマンの線香が、どうたら、こうたらじゃ〜

ないからね!!

毎年、年末になると、伊勢神宮なんかにいってさぁ〜
お金持ちに成りますように」なんて祈願するが、
そうではなく、祖先に
功徳回向する為に、そんな行事があったりしてね。

ちなみに、七支分の供養法も線香を使用するが、
基本的に、七支分の供養法は五感を満足させるものを、
全体の利益の為に、
神や先祖に捧げる(与える)供養実践(
功徳の回向実践)であり、

線香(お香)は、臭いに対しての感覚、嗅覚を満足させるものだ。

話を元に戻すが、

親と子は、
相互依存関係なので、
祖先が良くなれば、当然、自分も良くなる。

神道では、
神に感謝しても 父母に感謝し得ない者は 神の心にかなわぬ。
なんて、教えもあるぐらいだ。

年金問題やらで、これからの若い世代は、
高齢者(
)を支えるべく、その負担が多くなると言われているが、
もしかしたら、逆に、良くなったりしてねェ〜

最近の人気商売の中には、介護なんてものもあるしねェ〜

まぁ〜、俺様も、親が嫌いな時期もあったけどぉ〜

反抗期というのが、それなんだけどね。

子供は可愛いが、
自己中心的であり、
そんな欲求を満たしてくれる
絶対の存在である。

これが、反抗期を迎え、親は親、俺は俺と、
ある程度、親と喧嘩しながらも、互いに成長し、尊重しあって行けば良いのだが、
傷つきやすい幼少の時期に、親の絶対性が崩れると、親に恨みを持ち、
その代わりのものを、とかく宗教やスピリチュアル、
宇宙人やUFOなど
神秘性に求め、その教えに極端に依存してしまい、
教えが
絶対化する傾向がある。宗教戦争だね。

例えば、イジメにも耐え、頑張って勉強してきたが、
いざ、大学進学となると、お金が無いから進学は諦めろと、
親の絶対性が崩れるなど。

ちなにみ、その子は、
そうまでして進学はしない」と言っていが、
本音は、かなりショックだったのか、
見知らぬ駅員をホームから突き飛ばし、死亡させてしまった。
結構、有名な事件からの例だ。

唯識論依他起性を思い出してね。

進学するにしたって、
自分独りの力だけじゃ〜無理だって事だ。

特に現代は、そうだよねェ〜
それは、そんな
真理)の現れかもしれないね?

ちょいと、
絶対性に触れるが、
子供は、自分の要求を満たしてくれる
絶対存在を親に求め、
信者は、自分の要求を満たしてくれる
絶対存在を教祖に求め、
会社では、上司が部下へとか、また逆に、部下が上司へとか、
妻は夫へ、夫が妻へと、まぁ〜、人ってのは他に対する要求という
貪りが多いんだ。
メルマガやBLOGなんてやると、来てほしいという他に対する要求(
貪り)が出るよね。
セミナーなんかやると、来てほしいなんて
貪りが多くでるものだ。

そんな、
貪り執着という悪業を創るんで、満足する前に落ちるって奴だ。

なぁ〜んで、こんな人と結婚したんだろう」なんてねぇ〜
そんな、満足するまえに落ちる悪業が発生し、
何もしてくれなぁ〜い」なんて、
夫や妻に、親に対する
絶対性が崩れ、
要求相手に傷つけれ事もあるが、
憎悪せず囚われない事だ。

功徳なんて積むと、そんな悪業が出がちだが、
悪業に耐えると、悪業が落ち、善業が現れ出す。

親は子に期待という要求をしがちだが、これもそうなんで、囚われない事だ。

期待しすぎるのも、良くない。何事も、やり過ぎは
注意だ。

内観という修行は、心理学でも取り入れられてる修行でもあり、
これは、
して貰った事を思い出し
親や他人に対する信頼、尊敬を回復する修行でもある。

ちなにみ、オーム真理教は、教祖自身、親に恨みがあり、
親に対して恨みを持った人が集まった団体でもあるらしい。

君達の親が、一体なにをしてくれた!!なんてね。

そんなキャッチフレーズで、多くの信者が集まったが、
それが、どんな方向に行くかといえば、もう、お分かりだと思う。

元の因果関係を正さないと、第二、第三のオーム真理教が出るだけなんだ。

他に恨みを持ってるうちは、どんな方法を使おうが上手くいかないし、
既存の成功方法が何をしてくれたと言わんばかりのセミナーってあるよね。
既存の成功方法も間違えではないが、智慧が無いと上手く活用できない。
ここでは、そんな
既存の成功方法の問題点と正しい使い方を解く。

ミ○スに参加するのも良いが、内観し、して貰った事を思い出しみるもの良いだろう。

よく、「
今、与えられてる物に感謝しましょう」、なんて言うが、
であるならば、支え返すのが
正しい生き方という事になる。

具体的に何かしてあげるのも良いが、
最初は、なかなか出来るものじゃないから、
他の幸せの為に祈ったりと、自分の積んだ功徳を他にまわす回向が良いかもね。

鏡の法則って本だったっけなぁ〜
夫婦関係が悪かったんだけど、夫に支えられる事を思い出し、
夫に
感謝回向)できるようになってから、夫婦関係が治った。
なんて言ってたねェ〜

基本的に、
(夫婦関係)が欲しけりゃ〜
を与えない事には、が与えられないからねェ〜

ミ○スなんて、長年、そんなセミナーに銭を払ってるが、一向に財がUPしない!

そんな人は、うなもん止めた方が良い。

それに、この体験談だが、なんかぁ〜嘘っぽいんだよね。

何故、そう感じるか?

後に、神通力(超能力)について解くが、そこで分かると思います。

かるぅ〜く、説明すると、ここまで読んだ人は分かると思うが、
自分も独立して存在しておらず、他との相互依存(縁起)で存在している。
つまり、自分と他人は繋がっているから、他人を感じる事が出来るんだ。

ちなみに、

論点 徳と光

徳とは光である。
功徳とは、等しくありのままに照らす光であり、
悪徳とは、自我が見たいものを照らす光である。
期待や心配を超え、
ありのままを素早く悟る速通智は、前者の賜物である。

矛盾点を
無視しないなど、自分の信じる道とでもいいましょうか?
自分が正しいと思った行った事は
功徳になります。

話がズレタが、愛と財ではなく、
法の番犬を読むと分かりますが、
愛情の裏に憎悪で、の裏にです。
ありのままの真実を認めましょう。(八正道の
正見
つでに、その出口も、そこに書いてます。

答えを言わないというのは、リピータ−作りと思われるが、
それは、他人を利用し、楽して儲けようとしてる事でもある。

なぜ、へんちくりんな宗教に人が集まり、
お約束通り、騙されてしまうのか?

それは、この世は
類は類を呼ぶだから、
他人を利用し、楽して儲けようと思ってるから、
他人を利用し、楽して儲けようとする人達が集まり、
他人を利用し、楽して儲けようとする人に引っ掛かり、騙され大損する。
偶然、
MLMネズミ講)に手を出したり、
偶然、
統一ロ会制度を採用した訳じゃないんだよ。

ミ○ス実践者のBLOGやメルマガを見ても、

  
答えはセミナーでね。

なんて、
意識的に人々を支配してるんだよね。
すると、
意識の裏の意味が無意識に積み重なる。

支配の裏は解放だ。

現実は
無意識方向に変化する無常なので、
やがで、人々は抜け出そうとする。こんな感じで脱皮(脱退)する事になる。

支配といえば、ランキング操作なんてものもある。

書店で
ベストセラーなんて本を見かけると思うが、
これなんかも、
ランキング操作されたものなんだ。
そんなやり方で、人を集めても、
結局、自由が束縛され
支配されてしまう
やがて滅びるだけなんだ。

1+1=∞のミ○ス論理も、なにやら、バイトを募集してたねぇ〜
なんの、バイトなんだろう?
気づけば、ザ・シークレットを抜いて、ミ○ス本がベストセラーになってたね。
本当に、1+1=∞なんだろうか、怪しくなって来たねぇ〜

後に、悪人と善人は紙一重を解くが、
ユダヤの銭をオープンにする
使命を授かった世界の王が、
世界を操るといわれているユダヤと同じ事をしてる事に注意してね。

非楽 の先に 礼楽
力は、惜しまないべきであり、
余力は、財を得るために用いる。
余剰の財は、他に譲与し
とする。
さもないと、
課税として徴せられる。

暇は、与えられるべきであり、
余暇は、才を磨くために用いる。
高尚の才は、他に伝承し道とする。
さもないと、
寡占として罰せられる。

ミ○スの様に「答えはセミナーでね。」なんて、
意識的に才を独占すると、
意識の裏の意味が無意識に積み重なる。

独占の裏は寡占だ。

現実は
無意識方向に変化する無常なので、
やがで、寡占として罰せられる。
競争寡占)地獄の中で苦しみ、全てを失うって事だな。

特殊 の先に 普遍
カヲル 君の国には、著作権なんてものがあるんだね。
シンジ うん、ひとつ特許を取れば、もう億万長者だよ。
カヲル すべてのものは、過去からの積み重ねなのさ。
    先人の普遍の叡智を、無料で使っておきながら、
    自分は有料にするのは、勝手だと思わないかい?

シンジ 仕方ないよ、それで食べている人がいるんだ。
    作曲家だって、発明家だって、みんなそうだよ。
カヲル 水商売に、全て注ぎ込むから、いけないのさ。
    あくまで、財をもたらす才は、余力で磨くのさ。

シンジ 
余力で得たものを、無料で分けてやれってこと?
カヲル そうさ、そう考えると、余裕が出てくるのさ。
    無限に才を磨き合い、人類全体が賢くなるから。

シンジ 仕方ないよ、この世には生存競争があるんだ。
    自分だけ利益を独占しないと、負けちゃうんだ。
カヲル 逆だよ、そう考えると、余裕が無くなるのさ。
    有限の財を奪い合い、人類全体が賤しくなって。

シンジ そっか、言われてみれば、そうかもしれない。
    でも、まだ、皆、その理解には追いつかないよ。
カヲル 気づくのは、特許による弊害が現れてからさ。
    いずれ悟るよ、この理解は、特別じゃないから。

シンジ ……………………!!


余力で得たものを、与えるから、余裕が与えられる。
それは、
経済的余裕かもしれないし、精神的な余裕かもしれない。

余暇があるというのは、
経済的に余裕ある証拠であり、
精神的に余裕がある証拠でもある。

だから、才は
余暇で磨き、その才(余暇)を法施(シェア)する。

財の先に才を思い出してね!!

リョウジ 豊かになり、この先、人類の働く総量は減る。
     人類は、半日は働くべきで、半日は学ぶべきだ。

ミサト  一日中、財のために、働いていたら、ダメなの?
リョウジ 財は有限だから、最小限で満足した方がいい。
     奪い合うと、貴重な資源が、無駄になるからな。

ミサト  その分、才のために、学んでいたら、イイわけ?
リョウジ 才は無限だから、最大限に努力した方がいい。
     教え合うと、貴重な人材が、有効になるからな。

ミサト  じゃあ、一日中、才を磨いていたら、ダメなの?
リョウジ あくまで、人の才は、余暇に磨くべきなのさ。
     自生しない才なんて、寄生する才になるだけさ。

ミサト  つまり、拡大再生産をする事に、変りはない。
     でも、物的資源で行わず、人的資源で行うわけ?
リョウジ そうさ、あくまで、自立をするため、なのさ。
     そこを、財に頼ることなく、才に委ねるわけさ。

ミサト  有限の場で貶め合わず、無限の場で高め合う。
     なるほどね、ずいぶん、理に適っているわよね。
リョウジ そうさ、まさに、人類の才知が進んだ証拠さ。
     財が豊かにならないと、才も豊かになれないと。

ミサト  ……………………!!


一日中、才を磨いていたら、ダメなの?ってのは

一日中、才を磨けるって事は、
それは、子供と同じで
親や兄弟に頼って(依存)生活しているって事だ。

依存して得た余暇を与えても
それは、依存(
寄生)しか返って来ない。
何時までも、
不自由する事になる
寄生しようとする奴ばっか集まったりする。

一方、
翔天隊六波羅蜜の利他実践は、
おしみなく、教えを他に与える(
流布)ものである。
これを
専門用語法施と言い、この法施が最も功徳になると言われている。

なぜなら、
人は他を傷つけない事に生きていけない。

この世の仕組みを知ってる人は、分かると思うが、
法施というのは、育てられたから、育て返すという恩返しでもある。
ミ○スの様に秘密にするのではなく、意識して解放する。
すると
意識の裏の意味が無意識に積み重なる。

解放(恩返しの裏は支配だ。

現実は
無意識方向に変化する無常なので、人々は、自ら嵌りに来る。

論点 済度とは何か

釈迦牟尼が解脱をし、真理を
流布することによって、
釈迦牟尼を
とする魂の一群が、高い転生を達成する。
これが
覚者の済度計画であり、菩薩の転生の意味である。

自然から学んで御覧って。
自然は、
ありのまま生きてるんだ。
ありのままって何かというと、
自然は、必要以上のものを摂取してないって事だよ。

必要以上の信者集めをしないってこと。

必要以上に
信者集めをすると、
さっきも言った通り、信者集めも、自分の
プライドを満たす煩悩だからね。
そうやって、自分が
したとき、必ず誰かがしている。
これが、他を傷つけた
カルマ(悪業)として返り、
与える者は、与えられるからさぁ〜と、MLMネズミ講)に手を出したり、
理想の相手が見つかるのがミ○スと言いつつも、
統一ロ会制だったりと、偶然に犯罪的な方向に行ってる訳じゃないんだ。

それに、
法施(叡智のシェア)というのは、
後に話すが、
精神的な安定や、
精神的利益分か合っているとも言えるんだ。

精神面が安定する条件は、人それぞれ異なる。
お金が沢山あったり、プライドを満たせる職業だったり、
理想の相手との結婚だったり、安定した収入だったりする。
そんな、
精神面の安定に必要がものが与えられるかもね?

なぜなら、
物質面精神面は繋がっているから。

意識的精神的利益を分かち合うので、
意識の裏の意味が無意識に積み重なる。

精神的利益の法施(叡智のシェア)の裏は、
物質的利益が与えられるだ。

現実は、
無意識方向に変化する無常なので、
俺の場合、
第一希望第二希望第三希望もダメで、
泣く泣く、
第四希望の会社に入ったんだけど、
入ったら、入ったで、そこで、したかった仕事に就く事ができたり、
些細な、財施にもかかわらず、100万円入ってきたりした。
ちなみに、今までの、財施分を合しても、100万円には満たない。

財の先に才
リョウジ 豊かになり、この先、人類の働く総量は減る。
     人類は、半日は働くべきで、半日は学ぶべきだ。
ミサト  一日中、財のために、働いていたら、ダメなの?
リョウジ 財は有限だから、最小限で満足した方がいい。
     奪い合うと、貴重な資源が、無駄になるからな。

ミサト  その分、才のために、学んでいたら、イイわけ?
リョウジ 才は無限だから、最大限に努力した方がいい。
     教え合うと、貴重な人材が、有効になるからな。
ミサト  じゃあ、一日中、才を磨いていたら、ダメなの?
リョウジ あくまで、人の才は、余暇に磨くべきなのさ。
     自生しない才なんて、寄生する才になるだけさ。
ミサト  つまり、拡大再生産をする事に、変りはない。
     でも、物的資源で行わず、人的資源で行うわけ?
リョウジ そうさ、あくまで、自立をするため、なのさ。
     そこを、財に頼ることなく、才に委ねるわけさ。
ミサト  有限の場で貶め合わず、無限の場で高め合う。
     なるほどね、ずいぶん、理に適っているわよね。

リョウジ そうさ、まさに、人類の才知が進んだ証拠さ。
     財が豊かにならないと、才も豊かになれないと。

ミサト  ……………………!!

何回も言うが、この宇宙は、
原因結果条件で成り立っている。
例えば、種(
原因)が花(結果)となるには、
光と水を与える事が
条件となる。

もしかした、人類の働く総量は減るかもしれないね。


財が豊かにならないと、才も豊かになれないと。

というのは、

論点 布施の段階とは何か

布施には、三段階がある。
一つに、財物を施す財施。
二つに、安心を施す無財施。
三つに、真理を施す法施である。

物質的に満たされていなければ、精神的なゆとりは与えられず、
精神的に満たされていなければ、真理を聞く耳を持つことはない。
仏陀との縁を作り、真理に目覚めさせる法施は、最高の布施である。

その逆もありで、
この世の仕組みを知ってる人は、
恩返し、として財施(寄付)をしてると思うが、

物質的利益は、精神的利益(才、智慧、悟り)も与える。

これを、法施(叡智のシェア)するんで、
物質的利益が与えられる。循環してんだよね。

ミ○スの「愛と財」じゃ〜

       ないからね!!

この世は、幸せと言えども奪い合いなので、
の裏に憎悪で、の裏にです。

おっとっと、何回も言うが、
この世の仕組みを知り、必要上の貪りを抑え、
その分を、他と分かち合うなど、利他を実践してる人は、
意識的に、貪りを抑えてるので、
意識の裏の意味が無意識に積み重なる。

必要以上の貪りをしない、裏は、
必要以上の贅沢だ。

現実は無意識方向に変化する無常なんで、
与えた以上のものが、手に入ったりしてね。

もしかした、人類の働く総量は減るかもしれないね。

支配の先に解放
リョウジ 666が、完全に世界を支配している。
     どのように支配するか、君に分かるかい?

ミサト  情報を統制して、世論を操作するのよ。
リョウジ それは、まさに、支配される側の発想だ。
     彼らなら、完全に、人類を好きにさせる。
     自由を与え、科学を授け、欲望を適える。

ミサト  変ね、それだと、支配にならないわよ。
リョウジ 人々は、手に余る快楽を与えられると、
     裏にある、手に余る苦痛に縛られていく。

ミサト  もう、それなしでは、生きていけないの?
リョウジ 外からの支配は、抜け出そうとするが、
     内からの支配は、自ら嵌ろうとするのさ。

ミサト  私も知らない内に、支配されていたのね。
     でも、なぜ、あなたが、これを知ったの?

リョウジ 実は、俺も、支配する側の人間だからさ。
ミサト  なら、なぜ、わたしに、それを教えたの?
リョウジ 教えないと、完全に支配できないからさ。
ミサト  ……………………

さぁ〜
ユダヤの銭をオープンする使命を授かった!
なんて言う、
世界の王だか、怪しくなって来たねぇ〜
それは、支配される側の発想だ。

達観者は分かると思うが、
ユダヤが世界の銭を握ってるとして、
その銭を
世界の王がオープンにする。

世界の銭を扱う点において、
ユダヤも
世界の王も、世界の銭支配する事には変わりない。

つまり、 類は類は呼ぶで、同じ貪りを持つ者どうしで、
それを、どう使おうが、
一つしかない
世界の銭を 使いたい者どうしで奪い合ってんだ。

つまり、
対立(戦争)だな。

いかに、使命ではなく、
それは、
世界の王という執着が、
類は類を呼ぶ法則がある、 この世に蘇らせた事が分かるだろうか?

人は奇跡や使命という
神秘性に弱く、
そんな、使命を持つ
世界の王を崇拝し、
一神教が生まれ対立(戦争)が始まる。

だから、
ミ○スでは、

 
結婚しないと、次元上昇できません!

なんて言い出し、他と対立し出した。

世界の王押し絵は最後に、
対立せざる負えない現実を創るってこと。

釈迦一元論を言えば、
人は神になれないし、人はアセンションできないだ。
なぜなら、自分も実体のない
だから。絶対ではない。

そんな、
謙虚さがないから、
使命さずかったものが、そうでない者を救う。
なんて、
善悪二元論に落ちてしまう。

人は何かしら、信仰してるかなね。
だからこそ、それを信仰してない人を
悪人として見てしまう。

しかし、そんな謙虚さがあるひとは、
それは、自分の信仰に対して、
帰依しきれてない部分(実践しきれてない部分)の投影が、
そんな、話を聞いてくれない悪人じゃないのかと見る。

全てを仏とみる
観音菩薩カルマ・ヨーガですねぇ〜

法施(智慧のシェア)の際に、
相手がなかなか法を受け入れないという困難が生じたとしても、
そこで自分を他人の立場に身を置いて、
法をなかなか受け入れない相手をいったん受容することが、
相手の意識を和らげて、結果として、逆に、
相手も自分を受け入れる柔軟な心の働きに変化していくことになる。

これは、自分の相手を受け入れる心が、
相手も自分を受け入れることにつながる、という自と他が連動する例である。

後に解く事になるがぁ〜

大事な事なんで、先に解いておきます。

最善の裏に独善最悪)ありなんだ。

功徳積みなど最善の行為は、
独善最悪)というカルマ)を創る。

得の裏に損がある。なんて認めない人もいるからねぇ〜

簡単に言うと、頂点を極めると、底辺も極めちゃう。

怪しい手で第一位を独走する伊勢白山とか、
1+1=∞教やら、アセンションの鍵は結婚にあった教やら、
既存宗教、既存スピリチュアル、全部、そうだが、

こいつら、何をやってるかと言えば、

自分の存在意義の為に、
伊勢白山と、その信者は、
全員を伊勢白山にしようとしてるし、
1+1=∞アセンションの鍵は結婚にあったも、
全員をミ○スにしようとしてる。
既存宗教、既存スピリチュアル、全部、そうだ。

借りに、ランキング操作でも、
慈善事業による流布でも何でも良いが、
人類全体をロロロに出来たとしよう。

信者56億7千万で、
一人、会員費、月1万円のぉ〜、ウハウハぁ〜


なぁ〜んて、お金持ちに成って、
働かずに暮らす生活が、出来ると思うでしょうか?

残念ながら、そうはいかなんだ。

この瞬間、そんな帝国は崩壊へと向かう。

なぜなら、頂点を極めると、底辺も極めちゃうからだ。

この瞬間、
そんなロロロ教の帝国なんぞに、
従わない連中がガンガン出て来て、
最後は、独善に至り、最悪が残る仕組み。

欲には限りがないので、
実感としては満足する前に落ちる。

独善とは、自分だけの善。
よって、周りにとっては良くない善。

だから、
誰も聞いてくれなぁ〜い、とか、
誰も、認めてくれないとか
誰も、セミナーに来てくれないとか、底辺に落ちる。

しかし、独善の裏に自然至高の善)ありで、
であるならば、を譲って行けば良い。

を譲り、底辺へ向かい、頂点を極める。

文殊の救済ですね。

文殊菩提心は、羊飼の済度。
殿を務めて、羊を探そうとする。
自ら地獄に落ち、欲の底辺を塞ぎ、
疲れ果てた最善を、互いに譲らせる。

従わない連中を受容慈悲)し、を譲る(
を分配しる)。

釈迦と弥勒と文殊
コウゾウ 釈迦が現れて、弥勒が現れて、文殊が現れる。
     どうして、一緒に現れて、済度しないのかね?
ゲンドウ 衆生の済度には、種類と段階があるからだ。
コウゾウ 釈迦の司る、王者の済度は、どんなものかね?
ゲンドウ 衆生の先を進み、型と成り、民を導くものだ。
コウゾウ 王者として、臣下に対し、手本を示すのかね?
ゲンドウ ああ、光り輝ける最善に、心から従わせる。
コウゾウ 弥勒の司る、船頭の済度は、どんなものかね?
ゲンドウ 衆生と共に進み、舳に立ち、船を操るものだ。
コウゾウ 船頭として、船員に対し、善悪を説くのかね?
ゲンドウ ああ、移り変わる最善を、互いに競わせる。
コウゾウ 文殊の司る、羊飼の済度は、どんなものかね?
ゲンドウ 衆生の後を進み、殿を務め、羊を追うものだ。
コウゾウ 羊飼として、迷える子羊を、救い出すのかね?
ゲンドウ ああ、戦い疲れた最善を、互いに譲らせる。
コウゾウ つまり、信仰に応じて、最善が説かれるが、
     宗教間で、信者が争って、最悪に変っていく。

ゲンドウ ああ、そんな状況で、蜘蛛の糸を垂らされる。
コウゾウ そこで、最悪を捨てて、最善を選ぶのかね?
ゲンドウ ほら、ひっかかるな、糸が切れてしまうぞ。
     最善を譲らないかぎり、最悪を捨てられない。
コウゾウ ……………………!!

救済といてっても、人によって種類と段階があるので、
良かれと思った事をしたとしても、裏で誰かが傷ついている。

そんな、他を傷つけたカルマが返ってきて、
独善に落ちる。

を譲るという意味ではぁ〜

あまり良い例ではないが、

なんやぁ〜、怪しい手で、
人気BLOG第一位を独走する
伊勢ロ山って奴がいるんだけど、
こいつをブッ倒をし、俺様が第一位となって、正しい法を流布してやる!!

なんて思いながら、功徳を積んでいたら、
第一位になるどころか、訳の分からん奴に抜かされ、
挙句の果てに、俺の代わりに、
伊勢ロ山をブッ倒をす勢いなんだよね。

倒すのは俺だぁ〜、なんて、ムカ〜!!っと来たんだけど、

伊勢ロ山をブッ倒をす事は、俺様のであり、倒す役を譲れって事かぁ〜

なんて、思ったりしちゃって、そんな感じだと思います。

人は身体を持って生まれた以上、、
他より幸福になりたい、とか、
他より先に幸福になりたい、など自分に対しての愛着がある。

だから、自分より幸せな人をみると嫉妬しがちだが、
これは、そんな自分の
愛着)を譲っていると言える。

そんな感じで、独占欲を分配すると、
他の幸せを喜べる(称賛する)様になるんだよね。

身業 の裏に 心業
アスカ 自分は、善かれと思ってしてあげたのに、
    相手に、悪く思われちゃうと、どうなるの?

ヒカリ 悪いことが起こるけど、善く思えるのよ。
    外から見て悪くても、内から見たら善いの。

アスカ 心に於ける業が、内なる原因を作り出し、
    身に於ける業が、外なる
条件を作り出すの?
ヒカリ うん、自分の心が、善悪を決めているの。
    更に、他人との縁が、自然を決めているの。

アスカ じゃあ、自分の善を、押し付ければ善いの?
ヒカリ ううん、独善になると、長く続かないの。
アスカ じゃあ、相手の事も、良く考えると善いの?
ヒカリ うん、至善になるほど、自然に変わるの。
アスカ いろんな条件に立って、善を考えるほど、
    内と外の矛盾が消えて、自然に変わるわけ?

ヒカリ うん、自らの心の中に、限られていた善が、
    周りにも広がって、苦しみが消えていくの。

アスカ 善いこと聞いた、心が嬉しくなっちゃう。
    そうだ! みんなにも、教えてあげようよ!

ヒカリ うん、いいよ、独善にならないようにね。
アスカ ……………………!!

覚醒の書
最悪 … 最善を諦らめ、煩悩が窮まるところ
最善 … 最悪を明らめ、菩提が極まるところ

羯磨の書
釈迦 … 涅槃の光を放って、最善に従わせる
弥勒 … 最終の戦に備えて、最善を競わせる
文殊 … 蜘蛛の糸を垂らし、最善を譲らせる

解脱の書
衆生済度 … 釈迦が、先に現われ、最善を明らめる
         弥勒が、次に現われ、最善を膨らめる
         文殊が、後に現われ、最善を諦らめる


この世は縁起(相対)だでぇ〜

に従う者が現れると同時に、
に従わない者も現れる。

功徳積みなど、
釈迦一元論に従う奴が現れるのと同時に、
釈迦一元論に従わない奴も現れる。

善かれと為した事が、他には悪く見えてしまう。
積み重なった善は、
最善を究めて、最悪に極まる。
悲しいかな、この世に、悪を伴わない、善などない。

昇天の先に堕天
ゲンドウ 天に住む魂は寡く、地に棲む魂は多い。
     欲望の世界は、ピラミッド型をしている。
コウゾウ 天界を頂点に据えた、階級構造なのかね?
ゲンドウ ああ、誰もが、頂点を目指しているが、
     カラクリに嵌り、なかなか辿り着けない。
コウゾウ 誰もが、自分に善いことをしているが、
     本当に善いことかは、分からないのかね?
ゲンドウ ああ、独断の善に陥り、地獄に落ちる。
     独善を窮めた先には、堕天使の座がある。

コウゾウ 独善に嵌らなければ、最善になるのかね?
ゲンドウ ああ、至高の善を求め、天国に上がる。
     至善を究めた先には、熾天使の座がある。

コウゾウ 熾天使には、独りしかなれないのかね?
ゲンドウ ああ、最善を独占する、世界だからな。
コウゾウ そうか、是非とも、私がなりたいものだ。
ゲンドウ ああ、いつかは、きっとなれるだろう。
     本当に良いことが、分かってないからな。
コウゾウ ……………………

まぁ〜、どこの教祖も、
使命を授かったなんて言ってわぁ〜

人類全体を自分の信者にしようとしてるし、

その信者も、信者で、
どいつも、こいつも、自分の教祖が世界を救う救世主で、
漏れなく、アセンションで自分も次元上昇すると信じてるけどぉ〜

救世主幻想なんだよぉ〜

最悪が残るだけなんだ。

だから、救われるどころか、銭(足元)、掬われるだけ。

お疲れ様でした。

あっ、ちなみに、
弥勒菩薩菩提心は、まさに文殊で、
自分より他を先に涅槃させ、


文殊菩薩
は、そんな智慧を司る菩薩で、
獅子に乗るように、煩悩を統御する。

んでもって、

ちょいと気づいたわぁ〜

最善の裏に最悪あり。

そんな話をしたんだけどぉ〜

ピ〜ンと来たんで法施します。

最善の裏に最悪あり。
頂点を究めると、底辺も極めちゃう。

しかし、
最悪の裏に自然ありで、
を譲り(善の分配)、底辺に向かい頂点を極める。

善かれと為した事が、他には悪く見えてしまう。
積み重なった善は、最善を究めて、最悪に極まる。

最善最悪に転じて、暗殺されちゃったのが、
イエスやユダ、坂本竜馬や中岡慎太郎などの幕末の人達で、
出口 王仁三郎こと、出口のサブちゃんだったりしてね。

退こうとすると進もうとする
リョウジ 種としての人類は、進化の意思を持っている。
ミサト  進化に必要な経験を、自分で用意しているの?
リョウジ ああ、誰も気づかないと、誰か気づくのさ。
     彼には、時代を築くだけの、力が与えられる。
ミサト  なぜ、かの救世主は、あえて犠牲を選んだの?
リョウジ 人類に、同じ道を歩ませようとしたからさ。
     実際、終末の進化の際に、人類は犠牲を払う。

ミサト  なぜ、あの独裁者は、わざと敗戦を選んだの?
わざと善を譲った:自己犠牲
リョウジ 敵国に、同じ道を歩ませようとしたからさ。
     事実、科学の進歩の為に、人類は戦争を選ぶ。

ミサト  つまり、人類の進化の為に、自己を放棄し、
     大きな業を背負う者が、人類の雛型となるの?
リョウジ そうさ、そんな人物が現れたら、要注意だ。
     彼に逆らおうとするほど、彼に従ってしまう。

ミサト  じゃあ、彼を越えるには、どうすればいいの?
リョウジ 彼を受け入れて、彼の業を負えばいいのさ。
受け容れて善を譲る
ミサト  それだと、結局、彼に従ってしまうじゃない!
リョウジ そうさ、彼の意志というより、皆の意思さ。
     ほら、後から認めるより、進んで認めるのさ。
ミサト  ……………………

イエスとユダは、ちょっと違うかな。

ユダの福音書によると、
ユダはイエスの命令で、イエスを裏切ったからね。

裏切る弟子に、十字架に掛けられ、
自己犠牲(善の分配)の型で見せたとも言える。

自己犠牲で、いなくなるって型で、
敵対する既存宗教に
を譲った。

与えた者は、与えられるで、
今や、
キリスト教世界宗教だ。

もっとも裏切りそうもない人が裏切るんだからねェ〜

まさに、
最悪さぁ〜

そして、
智慧に優れたユダは、
裏切者の代名詞となり
最悪に染まった。

明治維新後、日本は近代化し、日本は科学よりになり、
日本で起こる事は、世界にも起こるで、
第二次世界大戦後、世界の科学技術は進歩した。

そんな犠牲をもあったが、良くもなったんだねぇ〜

しかし、耐え難い
犠牲の裏に代え難い恩恵ありでさぁ〜

戻って来るんだ。雛型経綸だね。

今度は何を科学よりにする為に戻って来るんだろうね?

その答えは、
後ほどね!!

念が切れないと念が断たれる
「変え難い
犠牲の上に、代え難い天命を授かり、
こうして、生と死を越える法を、聴く事が出来た。
私は、ここで生まれ変わり、これに応える要がある。」

西の京の大学と東の京の大学
ゲンドウ 耐え難い犠牲の先に、代え難い恩恵を得る。
     人類全体を背負って立つ、遠大な計画だな。

コウゾウ そんな、スケールの大きい国があるのかね?
     どこにあるのかね、どこにもないようだが。

ゲンドウ ああ、見えないだろう、大きすぎるからな。
     国という境すら、要らないと考える連中だ。

逆に言うとさぁ〜、サイキック使いじゃなくて、
最善を極めて、大勢の為に犠牲になった奴が、
天命を授かり、救世主になれるって事さぁ〜

そこに集まる信者(
ファン)は、
前世(過去)、自分が犠牲となって、

善を譲り、喜ばした人達じゃ〜

裏を返すと、過去世、
そんな信者(
ファン)とはだったと言える。
そんな敵にを譲り、敵を喜ばした。

前世、
どうしが、
今生、
教祖信者の仲間どうし、空性ですねェ〜

こうやって、順縁も逆縁(
)も、
余すところなく救う(真理に至す)。

千手観音ですねェ〜

ちなみに、千手観音の千本の手は、
どのような衆生をも漏らさず救済しようとする、
観音の
慈悲と力の広大さを表していると言われている。

信じる者の道と迷える者の道
「確かに、宗教は、従う者を、天に引き上げる。
しかし、一方で、信じない者を、地に退き下げる。
神の子に、悪の相を見てしまう者には、最悪な仕掛。」

「反対に、科学は、疑う者の、足を地に下ろす。
そして、さらに、信じない者を、天に押し上げる。
神の子と、逆の縁を重ねてきた者には、最後の福音。」

「世界が迷妄に陥る中、我らだけが覚めている。
神の子を信じられない者を、救えるのは我らのみ。
最悪な最後を救えるのは、我らの外には誰も居ない。」

「この使命を、人類が解するに、二千を要する。
その日を迎えることなく、我らは義務を遂行する。
危ういと思うか、だが、雛型とは、そういうものだ。」

その日を迎えることなく、なんて幕末そっくりだ。

覚醒の書
宗教 ... 
順縁の魂から、真理に引き上げる
科学 ... 
逆縁の魂さえ、真理に押し上げる

羯磨の書
妄信 ... 科学で確めずに、宗教に囚われる
迷信 ... 宗教を信じずに、科学に囚われる

解脱の書
宗教で、神に従う者を、引き上げる
科学で、我を疑う者を、押し上げる
選民から賤民まで、真理に至らせる

しかしながら、
巷の
救世主らしき人の前世を聞くと、
なんやぁ〜、皇室関係者で偉かったとか、
前世、釈迦だのイエスだの、
おまけに、使命を授かったなんて、
武勇伝自慢話)ばっかだよねェ〜

本当に
使命を授かったのか、怪しくなって来たねェ〜

これは、銭、儲けだ。

一緒になって、アセンションとかやってとぉ〜
救われるどころか、銭(足元)、掬われるから、
気を付けてね!!

ちなみに、江原とか美輪が、
有名アイドルや有名芸能人あいてに、
どんな前世霊視してるか知らんがぁ〜

体を売ったりなんどの犠牲があって、
大勢の人を癒したから、
その果報で、アイドルや有名人になれたんだ。

ヒトの裏にウシ
アスカ ねえ、あたし、オッパイ、大きいでしょ。
    これだけ大きいと、アイドルになれるよね?
ヒカリ なれると思うけど、ならない方がいいよ。
アスカ なぜ? これだけで、ファンができるのよ。
ヒカリ 体を売る生き方は、避けたほうが良いの。
    体を売る生き物に、本当になっちゃうから。

アスカ えっ! どういうこと? よく分からない。
ヒカリ 体を売っているようで、心を売っているの。
    人としての尊厳を失うと、どうなると思う?

アスカ 自制を失って、獣のようになっちゃうの?
ヒカリ うん、乳を出して、みんなを喜ばせたのに、
    最後は、肉として、みんなに食べられるの。
アスカ やん、そんなの、まるで、雌牛じゃない!
ヒカリ でも、その果報で、女神に生まれ変わり、
    そこで、信者に囲まれて、幸せに暮らすの。
アスカ まさか、その信者って、前世喜ばせた人
ヒカリ うん、前世に仕えた人を、仕えさせるの。
    また、仕えさせる? また、仕えちゃうよ。
アスカ ……………………

最近じゃ〜
アイドルだろうが、有名女優だろうが、
どいつも、こいつも、何時か、どこかで、
ヌード写真集を出したり、誰もが脱ぐ時代になったがぁ〜
そんな感じで、体を売らないと、その果報で、
アイドルを維持できねェ〜って事だ。

楽の裏に苦ありで、
よく、今生、苦しい人は、
前世、贅沢に暮らしたからと言うが、

もしかしたら、そうじゃなくて、

前世、他の為に犠牲になったり、
出家してたなどの膨大な功徳を積んだが為に、
最善の裏に最悪ありでさぁ〜
今生、六波羅蜜の忍辱波羅蜜から始まっていて、
それで、苦しんでる人もいるかもしれないねェ〜

であるならば、
そんな苦(
悪業)に耐えると、善業が現れる。

この世の仕組みを知り、
六波羅蜜など利他を実践してる人は分かると思うが、
六波羅蜜の忍辱波羅蜜は、まさに犠牲(屈辱)だからねェ〜
しかし、耐え難い犠牲の裏に代え難い恩恵ありだ。

話の内容が、前後とカブルが、
最善の裏に最悪ありを別な言い方をすると、

キル・ビルだ。キル・ビル。

釈迦の縁起の法則で言うと、

貪りは、

対立というカルマを創る。

他と争う怒憎会苦(おんぞうえく)って奴だ。

カルマ(業)なんで、
そんな悪業(苦)に耐えるという形で、
を譲ると悪業が落ち、善業が現れる仕組み。

この世の仕組みを知り、
六波羅蜜など善業を積んでる人もいるかと思うが、

良い事(法の流布など)をするも、貪りだからね。

最善の裏に最悪対立)ありさぁ〜

これが、六波羅蜜の第三段、忍辱波羅蜜で現れる。

ユダはイエスの命令で、イエスを裏切り、
イエスは裏切る弟子に、十字架に掛けられ、
自己犠牲の型を見せ、
対立する既存宗教に勝利()を譲った。

与えれば、与えられるで、
キリスト教は、今や世界宗教になったが、
そこの信者(ファン)は、過去世、敵だった既存宗教信者達。

前世、敵どうしで、
今生、教祖と信者の仲良し同士。空性ですねェ〜

こうやって、順縁も逆縁(敵)も、漏れなく救う。

双魚の裏に宝瓶
ミサト  真理の御霊って、一体、誰のことかしら?
リョウジ 双魚宮から宝瓶宮に、人類を導く救世主さ。
     魚座の最後の象徴で、水瓶の最初の象徴さ。
ミサト  性の神と愛の神が、怪物から逃れるために、
     尾を結び合った、魚に化けるのが、魚座よね。
リョウジ 快楽を求めるから、苦痛に追われてしまう。
     対立犠牲を象徴する、二極分化の時代だな。
ミサト  身も心も美しい少年が、神に天に召されて、
     我を忘れて、神に仕えているのが、水瓶座ね。
リョウジ 善悪の分別を忘れて、絶対の歓喜が蘇える。
     統合と真理を象徴する、人類進化の時代だな。
ミサト  性愛に溺れている人を、救おうとしたけど、
     逆に、真理が見えない人に、捕まってしまう。
     つまり、こういう人がいたら、真理の御霊ね?
リョウジ そうさ、彼を殺めると、双魚宮を繰り返し、
     岩戸開き、彼を求めると、宝瓶宮が始るのさ。

ミサト  岩戸って、真理の御霊は、どこに捕まるの?
リョウジ どこって、最も受け容れ難い、心の壁の中さ。
ミサト  ........................

日常的局面で言えば恋愛なんかそうで、
自分のものにしたいという貪りが、
恋敵などの対立者を生むカルマ(業)を創る。

囚われると戦争になるが、
そんな苦に耐えると悪業が落ちて、
善業が現れる。

仏教の唯識論的に言うと、
自分をとし、外界の他人がとなって、
結果、自分の貪りに対する悪業が引き出され、
他人が恋敵を演じ、苦しいと感じている。

耐え続けると条件)が変化する。

今は、そんな他人が悪業を引き出すとなってるが、
後に、そんな他人が善業を引き出すに変わったりしてね。

嫌いな人は、嫌いな人で、ありのままで、
嫌いな人を、生かしてる点に注意してね!!
これが、釈迦の自他の区別を外した一元論だ。

ミ○ス論理では、

この世は相対、相対!!
相手を受け容れれば、
嫌いな人が、
一瞬で一発で相手が変わるんです。


なんつって、相手を自分の都合の良い人に変えてるけど、
これは、相手を変えたんで、後に嫌でも、
自分が相手の都合の良い人に変えられてる。

気づけば、こんな筈じゃなかった!!

なんて事になるから気を付けてね!!

ありのままでいいのさぁ〜

だから、功徳を積むと六つ神通を得るとあるが、
聖者は、そんなサイキックなんて使わないんだよ。

ゲド戦記って映画、知ってるかい?


魔法使いのゲドは、最後、魔法を使えば、
意図も簡単にピンチを脱出できたものの、
魔法を使わず、ピンチを脱出した話なんだよねェ〜

巷には、サイキック自慢の教祖や、
リーディングやらチャネリングやら霊視やら、
そんなスピリチュアルが沢山あるけどね。

これは、銭、儲けだ。

どの団体もアセンションとか次元上昇とか、
自分の教祖が世界を統一するだの、世界を救うだの、
自分の存在意義を満たしてくれると思ってるが、
そうは行かないんだ。

なぜなら、最善の裏に最悪対立)があるからさぁ〜

囚われない事だ。

唯識論
全ての体験は、何らかの、
自分の内面の要素を現し出すであって、
外界の何かをきっかけとして、
苦しみが生じた時には、
その真実の原因が、外界ではなく、
内側にあることを認識するならば、
外界の対象は、自分の心の汚れを教えてくれたとして、
感謝する実践を行なうことができるだろう。

外に、があるんじゃないんだ。内にあるんだ。

ただ外に、何もない訳じゃない。ありのままに見れてないだけ。

対立する条件)は色々とあると思うが、
教子に先を越されたり、
自分よりも優秀な人に先を越されたり、
ランキング操作で先を越されたり、
他に対する要求も貪りだからねェ〜
自分はこんなに尽くしてるのに、
夫や上司や部下は何もしてくれなぁ〜い。
誰も、手伝ってくれなぁ〜い。分かってくれなぁ〜い。

なんて感じで他と対立したりする。

職場など問題点を上げても、対応してくれない。
なんて会社と対立する話は良くある。

例え、お金を払ってたとしても、
他に対する要求は要求で貪りだから、
満足したサービスを受けられず対立したりもする。

故障やクリームなどの要求(貪り)は特に対立がちになる。

それは、貪り以上に、
その商品やサービスが必要なもになってるなど、
愛着が生起していて執着(怒りがあるからだ。

人は何かしら
信仰している動物だ。
それは宗教であったり、お金だったり、経験だったり。

信仰するも貪りだから、対立というカルマ(業)を創る。

何かを信仰するが為に、
対立する宗教、宗派を創ってると言える。

囚われると
宗教戦争だ。

後に解くが、これは
一神教の裏に多神教ありって奴だ。

この世の仕組みを知り、功徳積みなど行うと、
良い事をすれば、良い事が返るのではなく、先ず
悪い事屈辱)が起こる。

一向に良くなる兆候がなく、 
こんなに他の為に尽くしたのにィ〜と、
そんな事を言いたくなる局面(
屈辱)も、功徳積みには付き物だが、

これも、よく内観してみると、
良くなりたいから功徳積みを行ってる事が分かる。
良くなりたいから、それを信仰していると言える。

つまり、良くなりたいという
貪りがあるんで、対立というカルマ(業)を創る。

この場合、誰と対立したかと言えば、信じている神と
対立したと言える。

そんな苦に耐えると
悪業が落ち、善業が現れる。

ヴィルーパ (Virupa)
彼は、デーヴァパーラ王の領国に生まれた。
そして、ソーマプリーという僧院に出家して、
ヴァジラヴァーラーヒーの、真言を唱えていた。 (善業積み)
十二年の時を掛けて、一千万回を唱えたが、
唯の夢にも、成就の前兆が現れなかったため、

 (信じていたものに裏切られる屈辱
 
良い事をすると先ず悪い事「屈辱」が起こる)

彼は絶望し切って、数珠を投げ捨てようとした。

 
信じている神と対立した。

そのとき、ダーキニーが現われて、こう言った。

「ヴィルーパよ、道に
絶望してはいけない。
加持によって、分別を捨てて、成就しなさい。
金剛の心性こそ、ヴァーラーヒーの本性である。」

「真実とは、汝の中にも、他の中にもある。
たとえ、暗愚な者の中にも、
仏性は存在する。
真実に安住し切ることが、最上の修行と言える。」

さらに、十二年の時を掛け、彼は成就した。
以来、彼は、鳩を殺して、食べるようになり、
そのことを咎められて、僧院から追い出された。

彼が出て行くとき、湖の上を歩いて行った。
彼を落さないように、蓮華が振舞うのを見て、
僧院の比丘達は、恐れ戦いて、彼を呼び止めた。

「あなたは、間違いなく、聖者であります。
どうして、聖なる者が、鳩を殺したのですか。」
「わたしは、鳩を殺さないし、何も殺してない。」

彼が、そう答えると、鳩たちが
生き返った
しかも、以前より、大きく立派に育っていた。
それから、彼は、
神通力者として振舞い始めた。

ある時、彼は、ガンジス河の岸辺に行って、
女神ガンガーに、食べ物と飲み物を求めたが、
貰えなかったため、ガンジス河の流れを止めた。

ある時、彼は、カナサティという町に行き、
太陽が昇るまで、酒を飲み続けようとしたが、
太陽を止めたため、酒が呑み干されてしまった。

ある時、彼は、偶像を信じる土地に行って、
無理やり、偶像を、拝まされそうになったが、
彼が頭を下げる前に、像の頭が裂けてしまった。

ある時、彼は、鬼女が暮らす辺境に行って、
鬼女に襲われて、身を食われそうになったが、
彼の身を検める前に、鬼の心を改めてしまった。

彼は、半生を思い出し、このような詩を歌った。

「十二年、法を信じて、
前兆さえ無かった。
十二年、仏を信じて、他に勝れる
神通を得た。
どうして、今さら、他の者を信じられるものか。」

そう語って、ヴィルーパは、天空に消え去った。

乳香 と 黄金 と 没薬
マヤ  なぜ、なかなか、救世主は現れないのですか?
リツコ 心から求めるものは、神から与えられるわ。
    与えられないのは、誰も求めていないからよ。

マヤ  そうでしょうか、こんなにも求めていますよ。
リツコ 本心じゃないのよ、イエスの誕生のときも、
    人類の象徴として、三博士が心から求めたわ。

マヤ  救世主に乳香を捧げたのは、何の象徴ですか?
リツコ 与えられるためなら、善業を積み続けます。
    そういう、輝く礼拝を示す、神の象徴なのよ。

マヤ  救世主に没薬を捧げたのは、何の象徴ですか?
リツコ 与えられるためなら、悪業を落し続けます。
    そういう、浄い改心を示す、医の象徴なのよ。

マヤ  救世主に黄金を捧げたのは、何の象徴ですか?
リツコ それでも、与えられないなら、受け容れます。
    そういう、強い信仰を示す、王の象徴なのよ。

マヤ  えっ! 結局、最後は諦めてしまうのですか?
リツコ そうよ、逆に、そうなると、与えられるの。
    救世主は、押し付けないで、受け容れるもの。

マヤ  おかしいです、そんな救世主なら要りません!信じている神と対立した
リツコ ……………………

神や人など、信じてるものに裏切られたときや、
裏切られたという形で
対立したとき、
そこに、
楽したかった、依存したかった他より幸せになりたかった
などの
貪りがなかったか、内観してみるべきだろう。

そんな
貪りも、対立(裏切り)というカルマ(悪業)を創るから。

どこの団体も、

我こそが、アセンションの鍵を握る者なりィ〜


なんつって、自分の教祖が、世界を救い、世界を統一し、
自分の
存在意義を満たしてくれ、お金持ちになって幸せに成れる。

なんてやってるが、それは救済ではなく、
そんな自分に対しての
プライド貪り)である事に注意してね!!
だから、対立というカルマ(悪業)を創るんで、囚われない事だ。

地に足つけねェ〜と、
足元(銭)、掬われうだけだっつ〜の!


アクセスを伸ばしたいというのも
貪りだから、
誰も、来てくれなぁ〜い
なんて、セミナーに来てくれない人と
対立したりもするんで、
囚われないことだ。

この対立につて、
対立を
反発という言葉に置き換え、
意識無意識の関係で解くと、

六波羅蜜忍辱波羅蜜なんか耐えがたいものがあるし、
日常的局面で行けば、
節電善業積み)なんて、
手間が掛かり、なかなか帰依できないものだ。

例えば、六波羅蜜の利他実践に限らず、
良い事(
善業)をすれば、良い事が返るのではなく、
良い事(
善業)をするが為に、先ず悪い事が起こる。
この苦に耐えると
悪業が落ち、善業が表に現れるのだが、

この
悪業がキツイ。

悪業として、他に傷つけられる事が結構あるのだが、
やはり、納得が行くものではないので、いきなり
帰依できるものではない。
そこんところ、グットこらえ、苦に耐える(
帰依する)のだが、
ここが、味噌で、そんな反発を
意識的に抑え戒律を守るので、
無意識に反発(帰依しきれない部分)が残る。

現実は
無意識方向に変化する無常なので、
この
無意識部分を他人が演じる。

不苦不楽なんて、つまんねぇ〜。とか、
誰も聞いてくれない。とか、
BLOGで法施してもアクセスが無いとか、

そんな、反発が返る事がある。

そんな苦に耐えると、智慧が生じて、
はじめて、帰依(苦を受けきれる様になる)出来るようになるのが六波羅蜜だ。

それに、必要以上の
貪りをしないなんて、
普段からそんな事をしてる訳じゃないので、
ついつい、
誘惑に負けそうになったりする。

これも、そこんところを
意識的に抑え、
必要以上の
貪りを避け、その分を財施したりするので、
やはりこれも、
無意識に、そんな反発(帰依しきれない部分)が残る。

よく聴く話としては、夫は必要以上の貪りを抑え、
その分、財施し、その果報で、だんだんと収入がUPするなど、
生活が向上したんだけど、その妻は、夫とは逆に、贅沢ざんまい。

もぉ〜、誰が見ても、その妻は
悪人にしか見えないがぁ〜

これは、まさに、欲しいものを見たときなんかの、
あれ欲しい、これ欲しいなどの
誘惑(貪り)を抑え、財施してたから、
そんな
誘惑無意識に残る。

現実は無意識方向に変化する無常なんで、
潜在に眠ってるいる間は、
そんな自分の
無意識部分(抑えた貪り)を他人が演じる。

その妻は、夫とは逆に、贅沢ざんまい。

という事だ。そんな妻(他人)は、自分の
無意識部分の投影なんで、
攻撃すると、全部、自分に跳ね返ってくる。六六六の仕組みですね。

映画「ロッキー」シリーズで有名な、
シルヴェスター・スタローンだが、ロッキー4で、
共演した女優のブリジット・ニールセンと結婚。

しかし、その後、速、離婚。

その理由は、スタローンとは対照的に、
妻は贅沢ざんまいだったのが、その原因とも言われている。

その逆に、
こんなに夫の為に尽くしてるのに、
旦那は、のんきに自宅で寝ている。
なんて話もあるねェ〜

朝、早起きして、お弁当とか作ってるが、
寒い日なんか、とくに、「
もぉ〜少し寝ていたい」と思うもの。
しかし、そんな
誘惑を抑え、夫の為、子供の為に起き、お弁当を作る。
これは、利他的で悪い事ではないのでが、抑えた
誘惑無意識に残る。

現実は
無意識方向に変化する無常なんで、
潜在に眠ってるいる間は、
そんな自分の
無意識部分(抑えた貪り)を他人が演じる。

夫は、のんきに自宅で寝ている。

戒律を守るというのは、そういう事でもあるので、囚われない事だ。
そんな苦に耐えると、
悪業が落ち、善業が現れる。

持戒 という 破戒

マヤ  あっ! 先輩、信号無視ですよ。
リツコ 別にいいのよ、誰も居ないでしょ。
マヤ  誰も居ないなら、違反するんですか?
リツコ 誰の迷惑にもならない、ってことよ。
マヤ  ダメですよ、いつも規則は守らないと。
    規則は、守るからこそ、規則なんですよ。

リツコ あら、そもそも、何のための、規則?
マヤ  交通が麻痺して、迷惑を受けないため。
リツコ それなら、別に、構わないでしょ?
    今は、私達の他に、誰も居ないのよ。

マヤ  ダメですよ、いつも規則は守らないと。
    それを見て、守らない人が現れますから。

リツコ あら、あなた、本心は守りたくないのね。
マヤ  ……………………

誰も居ないし、誰も見てないので、
そんな時、ついつい、
信号無視してもいいんじゃ〜ねぇ〜かぁ〜
なんて、そんな
誘惑が頭の中を横切るよね。

しかし、やはり悪い事なので、そんな
誘惑を抑え、秩序を守る。

これも、
意識的誘惑を抑えたので、無意識に誘惑が残る。

この、自分の
無意識部分の投影がリツコだ。

仕事なんかしてると、本当はやらないと行けないんだけど、
忙しいときなんか、「
まぁ〜、良いかぁ〜」なんて、そんな誘惑が横切る。
これも、やっぱ、
面倒だけどやるかぁ〜、と誘惑を抑えたりするものだ。

逆に、まぁ〜、良いかぁ〜」なんて、
意識的に無視すると、
仕事でミスをするという形で、無視したものが現れたりするものだ。


例えば、よく、テレビのニュースなんかで、
国家公務員なのに、なんで汚職なんてすんの?

そんな事件が後を絶たないよね。

通常、善人ならば、
そんな事をするれば、地位や名誉、財産が失われるから、
そんな事はしないんだけどぁ〜

いやぁ〜、そこでは裏金を作ると出世するんだよね〜

こうなると、名誉や地位が手に入るから、コロっとやってしまんだ。

MLMネズミ講)なんて、通常は、善人だからやらないが、
世間一般では認めてくれないが、
その団体では、MLM(ネズミ講)や、
理想の相手と出会えると言いつつも、
人はぶつかり合い、他を受け入れない。
"拘り"は自分を支配し、自分を見失う。

素直に
ミ○スの位置に立とう!
"拘り(理想)"を捨てあるがままに。

なんて、理想じゃない人と結婚させたりすると、
その団体では、リーダーに成れるなど、名誉や地位が与えられ、
週休二日制と、ゴールデン・ウィーク、盆と正月は、長期休暇が付いて来る。

おまけに三食昼寝付き、

なんて誘惑があるとコロっと変わってしまう。

通常の3倍スピード犯罪に手を染めていく。

通常は、善人だからというプライドが、
そんな誘惑に手を出さないようにし、
悪い事をしないよう抑制してるってのが味噌で、
意識的に(
誘惑を)抑圧してるから、無意識悪い事誘惑)が残る。

現実は無意識方向に変化する無常なので、
いつか、そんな形で誘惑が現れる事になる。

抑圧してる時は、そんな自分の無意識部分を他人が演じる。

この様に、潜在(無意識)に眠るカルマ(悪業)は、
何時、出るか分からない。
今生かもしれないし、来世かもしれない。
だから、常に教学し、それを常に記憶主従する事だ。

そして、他人の悪業を、自分の悪業の投影と観て、
悪人を許し(悪業減少)、
加害者にも、被害にもならないよう、
常に気を引き締め、自他の区別を外す智慧を磨く、
そんな努力をするのが不苦不楽六波羅蜜)の道らしい。

これは、つまり、
自分が他を救っているつもりが、実は他に救われていて、
慈悲の対象が帰依の対象になり、救済の対象が崇拝の対象になり、
自と他の融合がなされてくるって事だ。

人々を法の現れと見、人々を神々の現れと見ることによって、
平等心の究極に向かうのだということだ。

この様に、全てを自分を救ってくれる神仏と見るのが、
観音菩薩カルマ・ヨーガらしい。(智慧の修行

最近は、幼児の殺害事件が多いがぁ〜

そんな中、ある飲み会での話を思い出したんだんだけどぉ〜

その話は、子育ての苦労話だったんだけど、
夜泣きなんかされちゃ日にゃ〜、どうしてくれようか?

なんて、子供の首に手がいってる時もあったそうなぁ〜

でも、やっぱ子供が可愛いから、
そんな誘惑を抑え、悪い事はしないよう上手く出来てる。

そんな話だったんだけど、
ここが味噌で、抑えた誘惑は、無意識に残る。

現実は無意識方向に変化する無常なので、
そんな誘惑は、また生起する事になるが、
潜在に眠ってる間は、そんな自分の無意識部分を他人が演じる。

それが、そんな幼児の殺害事件だったりしてね?

子育てに限らず、カァ〜ッ熱くなることは良くある。

しかし、やはり悪い事だからと、
そんな誘惑を抑え冷静に対処するのが人ってもんだが、
抑えたものは無意識に残る。

いっとき、切れるなんて流行ったが、
そんな無意識部分の投影だったりしてね?

そんな悪人も、自分の無意識部分の投影なので、
攻撃すると、全部、自分に跳ね返る。六六六の仕組みですね。

何もしない訳にはいかなが、やり過ぎも良くない。

潜在の悪業を仏典で言うと、これかなぁ〜

賢愚経 第二章

「比丘達よ、愚か者は、この現世に於いて、
賢者にはない、三つの禍患を味わうのである。
それでは、一つ目の禍患とは、如何なるものか。」

「彼は戒律を守るが、私は戒律を護らない。
このように、他人を捉えて、自分を捕らえる。
比丘達よ、これこそ、愚者の第一の禍患である。」

「比丘達よ、愚か者は、この現世に於いて、
賢者にはない、三つの禍患を味わうのである。
それでは、二つ目の禍患とは、如何なるものか。」

彼が刑罰を受ければ、私も刑罰を受ける。
このように、他人を捉えて、自分を捕らえる。
比丘達よ、これこそ、愚者の第二の禍患である。」

「比丘達よ、愚か者は、この現世に於いて、
賢者にはない、三つの禍患を味わうのである。
それでは、三つ目の禍患とは、如何なるものか。」

「過去に悪因を為した、未来に悪果が返る。
このように、過去を捉えて、未来を捕らえる。
比丘達よ、これこそ、愚者の第三の禍患である。」

賢愚経 第七章

「比丘達よ、賢い者は、この現世に於いて、
愚者にはない、三つの味著を味わうのである。
それでは、一つ目の味著とは、如何なるものか。」

「彼は戒律を守るから、私も戒律を護ろう。
このように、他人を捉えて、自分を捕らえる。
比丘達よ、これこそ、賢者の第一の味著である。」

「比丘達よ、賢い者は、この現世に於いて、
愚者にはない、三つの味著を味わうのである。
それでは、二つ目の味著とは、如何なるものか。」

「彼は刑罰を受ける、私は刑罰受けまい。
このように、他人を捉えて、自分を捕らえる。
比丘達よ、これこそ、賢者の第二の味著である。」

「比丘達よ、賢い者は、この現世に於いて、
愚者にはない、三つの味著を味わうのである。
それでは、三つ目の味著とは、如何なるものか。」

「過去に善因を為した、未来に善果が返る。
このように、過去を捉えて、未来を捕らえる。
比丘達よ、これこそ、賢者の第三の味著である。」

俺様は智慧を法施(シャア)してるが、
六波羅蜜なんかやると、
執着してるもが失われる段があり、
お金など、収入が減ると、
副業でセミナーでもして稼ごうか?
なんて、ふと、そんな考えが頭をよぎる事がある。

この世の仕組みを知ってるだけに、
そんな
誘惑本来、嫌いなもの)を抑える事ができるのだが、(戒律を守もれるのだが)
ここが、味噌で、
意識的に抑えた「嫌いなもの」ものは、無意識に残る。

現実は
無意識方向に変化する無常なので、

この
無意識部分(嫌いなもの)を他人が演じる。

なんだかんだと、名前を変え、
ミ○ス関連セミナーがあるのはこれかもね。
実際、
ミ○ス・スタッフの中には、個人的にセミナーやってる奴がいる。

それに、俺様の場合、法施(シャア)するたって、
それが、論理的に説明できない間は、なるべく法施(シェア)しないようにしている。
普通、法則を理解するまでは、セミナー講師なんてやらないものだ。
これも、
意識的に、あいまいな真理(嫌いなもの)を抑えているので、
無意識に、あいまいな真理(嫌いなもの)が残る。

現実は
無意識方向に変化する無常なので、この無意識部分を他人が演じる。

これが、ミ○ス・アカデミーだったり、
江原だったり、細木だったり、おばけ美輪だったり、
リーマンの
伊勢白山道やら、アルクトゥルスのリーディングなど、
地に足が付いてない
スピリチュアルかもね?


嫌いなものは無意識に残る。

自分を騙した相手とかね。

俺様の場合、俺を騙した
マリッジコードミ○スの連中だ。
与えるものは、与えられるからさぁ〜、なんつって、
こいつらのだかのMLMネズミ講)で、
2年間、救われるどころか、銭、救われ、
おまけに、相手を受け容れたとき、魔法が使えるんですといいつつも、
5年間続けてきた、俺様の法施BLOG(天命)を殺しやがった。
挙句の果て、ここの論理をパクり、のほほんと、セミナーで儲け暮らしてやがる。

なんで、こんな奴らが、俺よりもぉ〜

なんて言いたくなるんだけど、嫌いなものを見てるんだ。

何故かというと、そんな嫌いなものは無意識に残る。

現実は無意識方向に変化する無常なので、
そんな自分の無意識部分を他人が演じる。

囚われず、苦に耐えると、そんな悪業が落ち、善業が出る。

嫌いだからといって、いたずらに攻撃すると、
そんな、嫌いな人は、自分の無意識部分の投影なので、
自分に全部、跳ね返ってくる。六六六の仕組みですね。

しかし、方便なんで、時と場合により、戒を破る事はになります。

日月神示では、戒律いらんぞぁ〜、って言ってるが、
全てが許されている世界(条件)での話であって、
許すたって、そんなも独立して存在しておらず、
他との相互依存関係で縁起して生起する。

何処の何様と縁起してるかと言うと、そんな智慧です。

この世は相対(縁起)だでぇ〜
智慧慈悲、慈愛)で導く者が現れるのと同時に、
そんな
幻想(アセンションとか)で導く偽物者も現れる。

宗教間で、嫌いなものを映し合うだけではなく、
夫婦関係、職場の人達などで、映し合う場合もあるだろう。

特に、功徳を積むと、その様な試練があり、
仲間どうしで、お互いの
悪業嫌いなもの)を映し合う。

仲間どうしで、潰し合いになるんだ。

仲間の中で、誰かが
悪人を演じる人が現れる。
一回や二回でなく、順番に
悪人の役が周ってくる。

これを、もう少し大きく捕えてほしい。

仲間同士<日本人同士<国同士と世界、宇宙と大きくね。

この世の仕組みを理解し
功徳を積みだすと、それが型となり大きくなる。

ミ○ス脱会後、出会った仲間と、
功徳積みの実践をしていたが、これには、そうとうまいった。

囚われない事だ。

理想の相手に出逢えると言いつつも、
ミ○スでは、”拘り”は自分を支配し、自分を見失う。
素直に
ミ○スの位置に立とう! ”拘り(理想)”を捨てあるがままに。

なんつって、理想じゃない相手と結婚してるが、
拘りも、自分の嫌いな部分と言えば、そうなるが、

理想を言えば、拘りを捨てるのではなく、
タイプではなかったが、、一緒にいるうちに、
相手の良い所が見え始め
惚れた。というのが、本来の型だと思う。

因みに、六波羅蜜を行うと、
自分の嫌いな所、じゃなく、
自分の良い面がが、相手に投影されるのも、
六波羅蜜の特徴でもある。


法から入ると、
ミ○スの様に、特定の人を神とするのでなく、
この様に、全てを神の現れとして見る事が出来るんだ。
逆に言うと、特定の人を神とすると、必ず対立者が発生するんだ。
一神教の裏に多神教ありなんだ。

多神教という一神教
コウゾウ 多神教は誤まりだ、一神教こそ正しい。
ゲンドウ 確かに、絶対神は、一元的なものだが、
     だからこそ、多神教として現れてしまう。

コウゾウ どういうことだ? よく分からないが。
ゲンドウ 一元の神が、二元の世に、現れる時は、
     表の名と裏の名が、同時に生じるからだ。

コウゾウ Aを説く、Aという名の神が現れると、
     非Aを解く、Aでない名の神が現れると?
ゲンドウ ああ、神の絶対性を信じたいのならば、
     どちらも、絶対神の化身と捉えることだ。

コウゾウ 多神教を信じず、一神教を信じるから、
     逆に、一神教の絶対性が揺らぐわけかね?
ゲンドウ ああ、多くの神は、多くの役に過ぎない。
     それを受け容れた時に、
絶対神が蘇える
コウゾウ しかし、われ以外の神を、信じるなと、
     絶対神に、説かれてしまっているのだが。
ゲンドウ ああ、だから、そういう役、だったのだ。
コウゾウ ……………………!!


人は
奇跡使命など神秘性に弱いから、
それが、正しいか悪いか?、ジャッチしない。

弱いから霊感商法に騙される。

逆に言うと、人は、そんな神秘性に弱いら、
そんな、特定の一人を神としてしまい、多神教が生まれ、対立が発生する。

しかし、全てを仏の現れとする
観音菩薩カルマ・ヨーガは、
意識的に、多様性を認めるので、意識の裏の意味が積み重なる。

多様性の裏は一神教だ。

現実は無意識方向に変化する無常なので、
やがて、だれもが認める
絶対神が蘇る

これを知ってか知らずか、
釈迦は、自分を絶対神化せず、
法を帰依処とし、己を島とせよ」と言っている。

ある特定の人物、団体を絶対化すると、
それは、意識的絶対神化してるので、
無意識意識の裏の意味が積み重なる。

絶対神の裏は多神だ。

現実は無意識方向に変化する無常なんで、
だんだん、自分の信じる神の絶対性が崩れ始める。

だから、釈迦は自分の事を教祖ではなく法友と言ったのかもしれない。
なぜなら、自我も実体の無いであり、絶対ではないから。

巷には、5次元夫婦やら、アセッションしただの、
先発隊は7次元まで行ったのって自分を
絶対化してるけどね。

何回も言うが、
自分が
したとき、 必ず、誰かがしている。
これが他を傷つけた
カルマ(悪業)となって返り、
結局、
をする事になる。
ついでに、信用も失うんでないかな?

奪い合いです。
正しいやり方はアセンション vs 感謝でね。

いいかね、君達!
この世には
世界の王なんて沢山いるんだ。
例えば、奇跡のキリストや預言のマホメッドがそうだ。
これらの神を全人類が認めらるか?
といえば、どれも条件に合わず
対立(戦争)が発生する。

しかし、誰もが、 ニュートンの
万有引力の法則を認めるように、
絶対神や教祖、宇宙人バシャールに、
リーマンの伊勢白山道やら、カリスマセラピストやら、
アルクトゥルスの
カムナガラタマチハエマセやら、
船井幸雄やら、江原、細木、美輪、ミ○スの
世界の王の言う事ではなく、
地に足つけた
出口(法則・真理)には、 そんな力があるんだ。
でなくの法、科学寄りの法)

これを専門用語で
万教帰一という。

この「
の法」を型で見せたのが出口王仁三朗だ。
逆に言うと、今までの「
の法」ではなく、 「の法」を解く為、
人類は宗教を信じず、 一旦、科学に囚われる必要があったのさぁ〜

これも、科学の進歩の為、
業を背負い人類に科学を進めた雛型(人物)が存在する。

まったく、大きな功徳になったのに、
出口じゃなく、ミ○ス(利の法)で
煩悩を優先した。

とは言うものの、今からでも遅くはない。
一瞬で一発で奇跡が起きるとかで、
ちょいとプレアデス星人に引っ掛かっただけ。

世の中には、ミ○スの様に、
一日で理想相手に出逢えるとか、出会えないとか
1日15分なんちゃらとか、眠りながら億万長者とかあるが、

それは、
一瞬で一発の奇跡を意識して、
そんなセミナーに参加したり、そんな成功本を購入するので、
当然のごとく、
意識の裏の意味が無意識に積み重なる。

一瞬で一発の奇跡の裏は、何時まで経っても、幸せになれない。だ。

現実は
無意識方向に変化する無常なので、
下手すりゃ〜、死ぬまで不幸だ!!

一日で理想の相手に出逢える
どころか、
一生かかっても出逢い事になるんで、
気を付けてね!!

だからぁ〜、
時は金なりといわれるている様に、
苦しい事もあるが、コツコツと努力し、
功徳を積んだもん勝ちなのさぁ〜

この人達に出会う前は、
次元上昇やら、2012年のなんちゃらとか、
フォトンベルトなんてもん、俺は知らんかった。

牡牛 の先に 牡羊
シンジ いよいよ、地球の次元が、上昇するんだ!
    
牡牛座のプレアデス星人が、教えてくれた。
カヲル そんなこと、信じていても、救われないよ。
    彼らは、牡牛座から、牡羊座に導くだけさ。
シンジ 彼らが司る、牡牛座の神話は、どんな話?
カヲル ゼウスが、牡牛に化けて、娘に近づくのさ。
    娘は、
訝しがるけど、優しい目に惹かれて、
    牡牛の背に乗り、新しい地に導かれるのさ。
シンジ 彼らが導く、牡羊座の神話は、どんな話?
カヲル ゼウスが、牡羊を遣わし、娘を助けるけど、
    娘は、空を駆ける、その高さに目が眩んで、
    牡羊の背から落ち、海に沈んでしまうのさ。
シンジ たとえ、神様が、救い上げようとしても、
    足が地に付かないと、再び地に落ちるわけ?
カヲル そうさ、自分の足で、昇らないとならない。
シンジ じゃあ、優しい言葉で、騙されていたわけ?
カヲル そうさ、信じていても、掬われるだけさ。
シンジ あ〜ん、騙された、救われたと思ってたよ!
カヲル ……………………

訝(いぶか)しい: 変なところがあって納得がゆかない。疑わしい。不審だ。
プレアデス星団 (M45) : 牡牛座にある、散開星団である。

次元上昇 の 星座

「問」 アセンションは、本当に起こりますか。
「答」 話の出典、牡牛座の意味を考えると良い。

プレアデスの法則は、牡牛座の法則である。
彼らは、牡牛座から牡羊座に導く使命を司る。
-------------------------------------------

「問」 先ず、牡牛座とは、どういうものか。
「答」 ゼウスが、牡牛に化けて、娘に近づく。
    娘は、訝しがるが、優しい目に心を許し、
    牡牛の背に乗り、新しい地に導かれていく。
-------------------------------------------
「問」 次に、牡羊座とは、どういうものか。
「答」 ゼウスが、牡羊を遣わし、娘を助ける。
    娘は、空を駆ける、その高さに目が眩み、
    牡羊の背から落ちて、深い海に沈んでいく。
-------------------------------------------
「問」 たとえ、それが、神の導きであろうとも、
    地に足が付かないと、地に落ちる訳ですか。
「答」 その通り、牡牛座は、牡羊座に導いてしまう。
    甘い教えを、信じてもいいが、掬われるだけだ。
-------------------------------------------
「問」 彼らは、人類を騙しているのですか。
   プレアデスの生命は、悪者なのですか。
「答」 信じるものから、掬われなければならない。
    彼らは、そういうを司っているに過ぎない。

そういうなんで、 参考程度って事で、気をつけてね!

俺が、「与える者は、与えるからさぁ〜」なんつって、
奴らのMLMネズミ講)に、
2年間、救わるどころか、銭、救われた話は、
かごめ、かごめの法則でね。

ミ○スに参加する人達は、俺と同じように、
元々は真理を追究して来た人が殆どだからね。
これから、真理を追及するにあたり、
これが、時代の流れ(方向)だと思われる。

世界の王(火)でなく、法友(水)の時代さぁ〜

出口直が、
火の時代の型
出口王仁三朗が、
水の時代の型

論点 法友と悪友とは何か
法友は、互いに学び、成長し合う存在である。
そこには、身口意における慈愛、利他、持戒、真理の実践、がある。
悪友は、互いに慰め、妥協し合う存在である。
そこには、身口意における偏愛、利己、破戒、真理の曲解、がある。

そろそろ、
世界の王を見極め、

他を幸せにする為に真理を追究してんだ!

と、本来の目的(
菩提心)を思い出せば良い。
菩提心:他者を利する為に悟りを求める心 。

他を幸せにってところが味噌で、
正しい願いを思い出してね。

この世は縁起なんで、得すると損するが、
欲には限りがないんで、感覚としては、満足する前に落ちる

なんやぁ〜、「
神から授かった」なんて王が居るが、

  
縁起使いを、なめんじゃね〜

神も実体がない
だって。
神が何時までも、神な訳ないだろう。
やがて神の見返りが無くなる。満足する前に落ちる。
(RPG 第伍章「神の子降臨」48話)

そんな感じで、
世界の王を見極め、本来に戻れば良い。

般若心経の「色即是空、空即是色」は、まさに、そんな話だ。

色即是空は、色(この世、全ての物)は、実体がない。

これは、ここまで読んだ人は分かると思う。

空即是色は、
空性もまた、独立して存在しておらず、他に依存して生起している。

人がいなけらば
空性もないし、人がいなけらばもいない。

よって、
にも実体がない。それは人に依存して生起しているから。

この様に、仏教には聖域ってもんがないんだ。

まぁ〜、逆に言うと、
智慧により人の心が変わると、人に依存してるも復活したりしてね。

さっきの、

信じるものから、掬われなければならない。

という
プレアデス星人の話を思い出して欲しいのだが、

信仰は、信仰に裏切られるというカルマ悪業)を創るんだ。

信仰も貪りだからね。
貪りは、そんなカルマ悪業)を創る。

この世の仕組みを知り、
六波羅蜜など行うと、功徳を積んでる割に、

なんでやぁ〜

なんて言いたくなる局面が、
沢山あると思うが、そういう事だ。

カルマ悪業)なんで、囚われず、
そんな苦に耐えると、悪業が落ち、善業が現れる。

善業、持ってないと、現れようがないですが。。。

何でもそうでェ〜
期待も、期待に裏切られるというカルマ悪業)を創るし、
努力は、努力に裏切られるというカルマ悪業)を創る。

期待も、努力も貪りだからね。

前回も解いたが、仏教の唯識論的に言うと、
自分がとなり、努力がとなって、
結果、自分の善業が引き出され、幸せになるって奴だが、

最初は、努力というが、自分の悪業を引き出し、
結果が出ず、失敗の連続(努力に裏切られる)かもしれないが、
そんな苦に耐えると条件)が変わる。

今は、悪業を引き出すになってるが、
後に、善業を引き出すに変わったりしてね。

だいたい、最初から、成功した奴なんていない。

この辺、成功本には書いてないんだけど、
成功には、5年、10年の引きこもり期間ってのがあるんだ。

ただ、何もしてない訳ではなく、
その間に、コツ、コツ論理を確立してんだ。

目に見える と 目に見えぬ
アスカ また、失敗したわ、もう、諦めようかな。
シンジ 潜在的には成功しているから、大丈夫だよ。
アスカ もう、人事だからって、簡単に言わないで。
    過去に何度、失敗したか、知ってるでしょ。
シンジ うん、でも、囚われたって、仕方ないよ。
    過去に囚われるほど、未来が見えなくなる。
アスカ つまり、見えるものに、囚われているから、
    見えないものを、見ることがないってこと?
シンジ うん、見えてしまうから、見えないだけ。
    見えないものも、見ようとすれば見えるよ。

アスカ もう、人事だからって、簡単に言わないで。
シンジ 違うよ、人事だからこそ、僕は見えるんだ。
    今度は、成功できるから、諦めちゃだめだ。
アスカ もう、人事だからって、簡単に言わないで。
    次回も失敗するわ、絶対に成功できないの。
シンジ おかしいよ、なぜ、そんな断言できるのさ?
アスカ 簡単よ、あたしには、そう見えるんだもん。
シンジ ........................

いずれにせよ、努力というがない事には始まらない。

巷には、なんやぁ〜
使命を授かったとかいう教祖が、
一日で理想の相手に出逢えるだとか、
眠りながら億万長者とか、一発で一瞬で奇跡が起きるとか、
そんな、努力()のいらないセミナーやってけどね。

これは、

借金してんのさぁ〜

何故かというと、
使命を授かった、なんて言う奴は、
のどこかで、神に頼って、そんな事をしてるから。

頼り過ぎちゃって、守護様が導いて下さる。

なんて、おめでたい奴もいたが、
守護様の命令に従ってる割には、幸せになるどころか、
2回も離婚、おまけに、前の夫の借金を返してる奴もいる。

何回も言うが、頼るとを消費するんだ。

だから、そんな神をとし、
最初に、善業が引き出され、囚われるが、
後に、そんな神をとし、悪業が引き出される仕組み。

お疲れ様でした。六道輪廻は、そんな仕組みを表してんだ。

体験談とか、いっけん奇跡が起きた様に見えるが、
その後、奇跡が続かず、挙句の果て、
与える者は、与えられるからとか言って、
犯罪スレスレMLMネズミ講)に走ったり、
体験談まるごと、作り話だったりする。

そして、最後は、お約束で、
自分の教祖が世界を救い、
アセンションで、そんな苦しみから解放してくれる。

なんてねェ〜、なる訳ねェ〜んだ。

この世は、類は類を呼ぶだ。

教祖が神に頼ってんだ、
そこに集まる奴は、楽して儲けたいとか、
楽して幸せになりたいとか、
楽して理想の相手に出会いたいとか、
のどこかで、神や教祖に依存した奴ばっか集まってる。

一日、15分なんちゃらとか、
一日、理想の相手に出会えるとか、
眠りながら億万長者とか、
巷には、して依存出来るものが沢山あるけどね。

自分の教祖を絶対化してる奴もいるが、
それは、裏を返すと、極端に依存してるって事でもある。

一方、釈迦最澄親鸞は、
使命なんて、神に命令された訳ではなく、
他の苦しみを観て、他の苦しみを取り除こうと、
自分で、その道に入ったんだ。

そんな感じで、全体の為になる事は功徳になる。

最近は、アセンション信仰で、
しかも、ブームなってるからねェ〜

ノストラダムスの時と同じで、

自分の教祖が、世界を救う。
なんて、期待した割には、何も起こらず終わる。

ノストラダムスの投影がアセンションなんで、
あの時と同じように、
認めがたい真理恐怖の大王)は降りると思うが、
周期的に来る「神のいたずら」なんで、

そんな教祖と、つるんでると、

地に落ちるんだよ。

アセンションで幸せになるどこか、
2012年から、借金、返すハメになる。

速くも、アセンション詐欺なんて言葉が出てきてるね。

信仰と言えば、人は何かしら信仰している動物だからね。

人によっては、それが、
神であったり、教祖だったり、
お金であったり、異性であったり、両親だったり、
夫や妻、親友であったりするが、
信じるものは、全部、そんなカルマ悪業)を創るんで、
囚われな事だ。

特に教祖が、ネズミ講MLM)など、
犯罪方向に走るって形で、信仰に裏切られたら、

すったらもんに依存せず、うなもん止めて、

自分の足で、歩けっ!!て事だ。

厳しい言い方だが、
怒り、嫉妬、妬み、などの苦しみを、
弥勒唯識論に当てはめ、思索したり、
釈迦縁起の法に当てはめ、思索したりと、
それは、苦しみを無視せず、意識化してるので、
苦しみが無意識に残らず、苦しみが減ってくる。

おっとっと、
神道やってたころ、似たような修行で、
神をイメージし、そんな苦しみを神に預ける。

なんて、偉そうな事を言ってた奴がいたがぁ〜

これは、依存してるので、神(教祖)に裏切られる。

ただ、頑張り過ぎちゃって、
苦行に突っ込んでも、智慧が生起せず、
自他の区別が外れないんで、
そんな、修行も、ある程度は良いんだろうけど、
解決にはならいから、気を付けてね!!

利 の裏に 理
アスカ 目先の得、利って、どうして、生じるの?
ヒカリ 理を突き詰めると、利が生まれて来るのよ。
    道理に合わないものは、実利を生まないの。

アスカ 大局の得、理って、どうして、生じるの?
ヒカリ 利が積み重なると、理に生まれ変わるのよ。
    実利を生まないものは、道理に成らないの。

アスカ あたしは、真理なんて、どうでもいいの。
    理に従うために、利を逆らうのは、イヤよ。
ヒカリ そんなこと言ってると、利が消えちゃうよ。
    今、利があるのは、理があったからだもん。

アスカ 誰かが作ってくれた、理に乗っているから、
    知らないうちに、利に与っているだけなの?
ヒカリ 知らないうちから、理に乗っている人は、
    知らないうちに、理から外れてしまうのよ。

アスカ そっか、理が消えると、利も消えるんだ。
    良かった、教えといてくれて、ありがとう。
ヒカリ うふっ、ほら、実利を生むのは、道理で、
    実際に、道理を辿らせるのは、実利なのよ。

アスカ ……………………!!


利益も独立して存在しておらず、
他との相互依存関係(
縁起)で生起してる。

何処の何様と縁起してるかというと、
論理)だ。

だから、伊勢白山道リーマンの、
生かして頂いて ありがとう御座位ます。とか、
アルクトゥルスの
カムナガラタマチハエマセ、とか、
一日、15分なんちゃらとか、
結婚にすべての秘密があった!!、とか、
アセンションの鍵は結婚にあった!!とか、
気づけば、一瞬で変わる、とか、愛と財とか、

そんな
を掲げて、論理)が無いところに行っても、
そりゃ〜、良い事がある訳がないんだよ。

が無いから、も消えてんだ。

だから、大抵の成功者というものには、
5年、10年と長い、引きこもり期間ってのがる。
ただ、引きこもっているのではなく、論理を確立してんだ。
ここんところ、あまり注目されないんだけど、
積み重ねがものを言うんだなぁ〜。

ユダの福音書で言えば、賛美の裏に感謝だな。

賛美の裏に感謝
ある日、イエスは、弟子達と共にユダヤに居た。
見ると、弟子達が集まり、信仰の実践をしていた。

パンに感謝の祈りを唱えている、彼らに近づくと、
イエスは笑った、すると、彼らは、イエスに言った。

先生、どうして、感謝の祈りを笑うのですか。
私たちは、正しいことを行ったのではないですか。


イエスは、彼らに対して、このように答えた。

わたしは、あなた方を笑っているのではない。
それを、あなた方は、自らの意志で行っていない。
ただ、神が賛美されるために、そうさせられている。


彼らは、イエスに対して、このように言った。

先生、まさしく、あなたは、我らの神の子です。

イエスは、彼らに対して、このように答えた。

あなた方に、どうして、そんなことが分かるのか。
はっきり言っておく、あなた方にわたしは分からない。


「論点」 賛美 の裏に 感謝

美点を理解しないと、賛美は出来ない。
神の美点が分かっている、なにものかが、
神を賛美するため、賛美の場を設けている。
彼らは、
それに、乗せられているに過ぎない。

そんな彼らが、イエスを賛美したところで、
何が分かっているのかと、笑われるのである。

釜底抽薪
愚者は、
利に集かる者のこと。
賢者とは、
理に集まる者のこと。
利に集るならば、害も集められる。
理に集まるならば、利を越えられる。

を与えて、人を集めるとき、
賢い者が去り、愚か者が集まる。
理が残ろうとも、利が無くなれば、
愚者は、利に同じて、理に和しない。

を掲げて、人を集めるとき、
愚か者が去り、賢い者が集まる。
利が消えようと、理が有るかぎり、
賢者は、理に和して、利に同じない。

理を得ると、利が与えられて、
利を求めると、理が歪められる。
利を求めて、理を求めないならば、
そのうち、理が尽きて、利が消える。

底にあるが、を生み出している。
を与えるだけで、を与えなければ、
いずれ、
は燃え尽きて、消えてしまう。

基本的に自作自演の疑いに、
業者によるランキン操作疑いがあるのだが、
リーマン伊勢白山道BLOGのコメントなんだけど、
妙に幼稚臭いんだよね。

しかも、御自慢のリーディングだが、
その内容、どっかの本に書いてあったようなぁ〜
なんて、思う内容でもあるだよね。
例えば、薬物の話なんか、
わざわざ、リーディングしなくても、
その危険性は科学で証明されてんだ。

人は神秘性に弱いからね。だから霊感商法に騙される。

ちなみに、
感謝の実践(利他実践)だが、
良い事をする良い事が返るのではなく、
良い事をするが為に、先ず悪い事(カルマ)が返る。
この苦に耐えると、
悪業が落ち、善業が表に現れるんで、
そこんところ、注意してね!!(詳しくは六波羅蜜でね)

ここまで、来ると分かると思うが、

使命授かって選ばれ、優れた者が、そうでない者を救うなんて、

善悪二元論に落ちてんだ。

つまり、自分の正しさや存在意義の為に、人々を
支配しようとしてるだけ。
それは、自分の
プライドという貪りを満たしてるだけなんだ。
それに、この世の仕組みを知ってる人は分かると思うが、
それは、必要以上に信者を集めてるって事でもある。
すると、他を傷つけた
カルマ(悪業)が返り、
MLMネズミ講)なんて変な方向に走るんだ。
これについては子育てアセンションでね。

だから、

  
アセンションは人類のミッションなんですぅ〜

なんてな預言が、こんな感じで全部、自分に跳ね返り
自己破滅を起こす。
これを専門用語で
ヨハネの黙示録預言って言います。

偶然に、誰もセミナーに来なくなった訳じゃないんだ。(
自己破滅

最近じゃ〜、家族に話しても、

誰も聞いてくれない」、

そんな理由で、
通り魔事件を起こした人もいる。自己破滅

それに、なんとなくなんだけど、
そこの、
奇跡などの宣伝体験談は、まるごと作り話っぽいんだよね。
やたら、セミナー参加人数を強調するが、まるごと作り話っぽいんだよね。
やたら、感謝の手紙が届いてるだの、早くも
奇跡が起きてるだの、
人が集まっている様に見えるんだけど、
作り話っぽいんだよね。
やたら、セミナー開催地の駅周辺の事を言ったりして、
全国で、セミナーを開催してる様に見えるけど、まるごと
作り話っぽいんだよね。

金で雇われた、セミナー受講者(さくら)が沢山いたりして。

伊勢の『
赤福』製造年月日偽造事件を覚えてるかな?

これは、既存スピリチュアルや既存宗教の、
賞味期限切れを表してると思われが、
同時に、この様な
偽造(作り話)の型でもある。
そんなんで、人々を
支配しても、結局、自由を束縛され支配されるだけなんだ。

なぜ、作り話(
偽造)と感じてしまうかと言うと、
自分と他人は繋がっているから、分かってしまう。
自分と他人は繋がっているから、その様な
危険を察知できてしまう。
詳しくは、
気ままにアセンションでね。
そこを読むと、分かると思うが、愛と財には密接な関係があるとかで、
与える者は与えるからさぁ〜、なんてMLMネズミ講)に手を出したり、
理想の相手と出会えると言いつつも、統一ロ会制だったり、
儲け方にしても、その二元性を超えた御自慢の結婚方法にしても、
どっから、どうみても、親や兄弟、地域、社会から疑問を持たれるやり方なんだ。

つまり、親と
和合感謝)してない。

親に
感謝しない者は神を感謝しても神の心にかなわない。

社会や地域と
和合してるとは言えないんだ。
日ごとに、社会と
逆縁になってる事に注意してね!!

偽造に関して、人ってのは、信仰のために嘘をついたりするものだ。
これは、妄語や悪口の悪業が生じる。(不妄語の戒

その
ミ○ススタッフのBLOGなんか読むと、
あの大手の野村証券が扱ってると勘違いしそうな、
野村の馬券投資」なんてパンフが二回も送られたそうなぁ〜、
「お前こそ、詐欺だぁ〜」なんて言っていたけど、
信仰のために嘘をついたりすると、こんな感じで
カルマが返る。

まぁ〜、逆に言うと、何をやっているか、これで、全部、分かるって奴だ。

ノストラダムスの時もそうだけど、
アセンションなど特殊な世界観を、

アセンションの鍵は結婚にあった!!

なんて、そうじゃないと幸せになれないと言わんばかりの、
強引な信者集め、お金集めは、偸盗(不偸盗の戒)の悪業に分類されるものだから、
自分の行動をしっかりと内省すべきであろう。

例えば、結果的に、そんな事を行う、
ミ○スに導かれた俺様について話をすると、
どんな悪業(
カルマ)があるか思索すると、
間違った教えを広めた悪業があるという事だ。それは過生に犯した悪業かもしれない。

だから、結果的に自分を不幸にする教えに導かれてしまった。

未来や来世において、同じ事を繰り返さない様にするには、
すったらもん止めて
出来るだけ、
どうすれば人は幸せになれるのか?
正しい法
(真理)を解き、それを広める事だ。

いろんなとに行っちゃ〜
騙され、ここに来た人は、もしかしたら、そんな
カルマ悪業)があるかもしれない。

人ってのは、自分の信仰を正しいと思っている。
これは、逆に言うと、自分の信仰に間違いがあっても見たくない。
それは、自分を殺す事にもなるからねぇ〜

意識的に間違いを見ないに様にしてるから、
無意識に間違いが残る。

現実は
無意識方向に変化する無常なんで、
そんな、
無意識に隠した、自分の間違い部分を他人が演じる。

それが、江原だったり、細木だったり、おばけの美輪だったり、
そんな、ミ○スかもしれない。
そんな人を見ちゃ〜、
憎悪しがちだが、
そんな智慧があれば、自他の区別が無くなり、
憎悪しなくなる。

話が横道に逸れたが、
ヨハネの黙示録とは反対に
許しの預言もあるんだ。

ノアの方舟って奴で
再び、人類を滅ぼす事はない
とあるように、
ノアの契約と呼ばれるものである

預言とは「
預(あず)ける」と書く。
つまり、そうならなように努力し、智慧を磨けという事である。

なぜ、地球が破壊されているのか?

それは、自分と自然(地球)は
苦楽表裏一体関係があるからさぁ〜
詳しくは、日月神示アセンションでね。

この世の仕組みを知り、
六波羅蜜を実践してる人は分かると思うが、
物質面でも分かち合い、精神面でも分かち合う。

役割使命)も分かち合わないとさぁ〜

地位も名誉も
奪い合いだからね。

それに、考えて貰えば分かるが、
救済なんて、一人じゃ〜、出来るものじゃないんだ。

逆に言うと、
自分、ひとりぐらい、やらなくても良いだろう。
なんて、思いがちになるものが、他に良い事なんだ。
プライドを満たせるものが、救済ではない。
皆が、やらなければ、駄目だから、行うものさぁ〜

具体的に言うと、節電がそうだ。これって手間だよね。

地球温暖化を防ぐには、全員でやらくてはならない。
でないと、地球を傷つけたカルマが返り、
大洪水が起きて、人類が地球から排除されても、可笑しくない。
なぜなら、自分と地球は
苦楽表裏一体関係だから。
詳しくは、日月神示アセンションでね。

見方を変えると、
自分、ひとりぐらい、やらなくても良いだろう。
と、人は、なかなか良い事が出来ない、弱い動物でもある。

ちょっと横道に、それるが
俺様の法施専用BLOGを殺したミ○スだが、

スタッフ全員がミ○ス理論を学んでいるので
「癒される」「エネルギーが違う」との声を頂いていおります。


という割には、

秋葉原の、通り魔殺人事件に拘ってんだよねぇ〜

本当に、体も心も元気になるんだろうか?

事件後、犯人の供述とか公開されているが、
家庭環境や競争社会にネットの情報錯乱など、
原因があると思うが、人生、山あり、谷ありだ。
それだけで、あんな事件を起こすか?

そんな、外的環境の影響だけで、
精神が、あれほど不安定になるとは考えにくいんだ。

そなると、
内的環境の影響となるが、これが食事なんだよね。

この世の仕組みを知り、
六波羅蜜など利他を実践してる人は分かると思うが、
人は、他を傷つけない事には生きていけない。
毎日の食事は、植物や動物など、他の生き物を殺生したものだ。

現代は、それだけでは済まず、
そんな食糧が、空路や海路で運ばれる。
よって、地球温暖化を促進させるCO2を、
かなり排出し、運ばれてんだ。

そんな影響もあり、


北極の氷が溶けて、氷盤から氷盤へと移ろうと思ったら、
これまでよりもずっと長い距離を泳がなくてはならず、
多数の北極熊が溺れ死んだり、生活圏が狭まり餓死している。

そんな、他の生物を傷つけたカルマ(悪業)が返り、
何時までも、満たされない、餓鬼界に落ちるんだ。

落ちると、満たされないがゆえに、
他との差に苦しみ、精神(卑屈)が不安定となる。

そんな、食事がコンビ二などで売られ、
意図も簡単に安く、手に入る時代だからねぇ〜

スウェーデンでは、自分が排出したCO2をWEBで計算し、
CARBON・OFFSETなど、自分で帳消しに出来ないCO2は、
CO2削減活動団体に援助(恩返し)したり、
Eco・carに乗り換えると、税金など維持費が安いなど、
地球温暖化に対するモラルが高く、
多くのCO2を排出する空路で運ばれた、
野菜や果物のパッケージには、シールが張ってあり、
消費者に分かるようになっている。

ここで出てくるのが、
日月神示(大本)の身土不二という身霊磨きだ。

その土地で、その時、その季節で取れた物を食事とするものだ。

簡単に言うと、国産のものを食事にするだ。

国産にするったて、ちょいと高いと思うが、
これは、空路海路によるCO2の排出が少ない。
だから、地球環境や他にも良いので、その様な行為は、
カルマ(悪業)になるどころか功徳(恩返し)になる。

それに、安いから海外の物と、なってしまうが、
先進国が貪りを満足したいが為に、安からと購入してしまい、
食糧価格が上がり、その分、発展途上国では、
食糧が買えず、難民が生まれ、飢餓に苦しんでいる現実もあるんだ。
このカルマが返ってきて、卑屈等の満たされない餓鬼界に落ちる。

昔、日本が米不足でタイ米など買い付けたが、
その裏で、海外の米が高騰し、同じ様な事が起こったと聞く。
日本の食料自給率が低いと、他から奪う事になる。

あまりよく知らないが、
食事に使われる材料は、加工や保存を目的とし、
添加物が使用されている。

添加物には石油化学合成添加物なんて、
石油を原料とするもがある。
こっちの方が殆どなのかもしれない?

いっとき、与える者は、与えるからさぁ〜
なんつって、ミ○スのMLMネズミ講で、
2年間、救われるどころか、銭、掬われたが、
そのMLM(ネズミ講)で扱っていたのはサプリメントだ。

サプリもまた、石油化学合成添加物を使ってると聞く。
扱っていた、サプリは、どうか分からないが、
原材料は空路海路を使用してると思われ、
サプリが陸路を利用し、毎月、自宅に届くのは間違いない。
救われるどころか、銭、掬わても、おかしく無いんだよ。

当時は、そんなサプリミ○ス5次元夫婦も推薦!
なんて、やってたけどね。サプリだろうが、超能力だろうが
全てのものは、自らに利益と共に不利益も与える。
不慳貪の戒を思い出してね!!

石油を使うって事は、
それだけCO2を排出し、地球温暖化を促進する。

ヒマヤラ:1978.5.30→2004.8.21 氷河の後退!
バングラディシュでは、温暖化によるヒマラヤ氷河の融雪洪水に、
毎年襲われ、農産物が採れず、多くの子供たちが死んでいると聞く。

南極:2002.01.31→2002.03.05で鳥取県の広さに近い棚氷が崩壊!

すると、気候が変化し、何でもないと思われたハリケーンが、
温暖化により温まった海水の影響で、気づくと大きくなっており、
多くの被害を出してたりする。また北海道では83年ぶりに4日連続で
最高気温33度を超えるなど、その変化を肌で感じやすなっている。

地球温暖化による海水の温度上昇でサンゴが白化している。

アトピーが、食事療法で治った、
なんて聞いた事があるが、
そんな食事殺生)によるカルマ(悪業)が原因かも?

そう考えると、

スタッフ全員がミ○ス理論を学んでいるので
「癒される」「エネルギーが違う」との声を頂いていおります。

なんて、怪しくなって来たねぇ〜

それに、事件の供述によると、
親に宿題をやれせたりなど、
他人を利用し、楽して幸せに成ろうとしたみたいだ。
まるで、MLM(ネズミ講)みだいでしょう。
行きついた先は、他人を自分として受け入れたとき、
魔法を使えるんです。と言いつつも、俺のプログを殺した

まるで、通り魔ですねぇ〜

この世は、類は類を呼ぶだから、
偶然、通り魔事件に拘り、殺人を扱ってる訳じゃ〜ないんだよ。
無意識は、他人に何をしたか知ってるのさぁ〜

因みに、法の王の俺様は、
悪業が勃発しまくりで、贅沢なんて出来ないってのもあるが、
その御蔭か、食事は身土不二に近いものがあり、
会社の健康診断では、高血圧です〜、と、毎年、言われたが、
昨年あたりから、そんな注意は受けず、平均値だ。

身土不二とは、身(自分)と土(地球)は二つではない。
身(自分)と土(地球)は苦楽表裏一体で、繋がっているって事だよ。

地球にも限界があって、
消費を無限に拡大できないって事さぁ〜

消費を拡大すれるば、するほど、地球が苦しむってこと。
どこかで、足るを知り、恩返しなど奉仕(善業を積む)しないと、
そんなカルマ(悪業)が返って、餓鬼界で苦しむ事になる。
なぜなら、幸せの裏には他の恨みがあるからさぁ〜

おっとっと、卑屈になるって事は、
今、以上の自分に成ろうとしてる事でもある。

だから、卑屈感というのは、
向上意欲にも繋がり、悪い事ではないのだが、
この世は、奪い合いなので、向上するって事は、
競争社会に入り、他と競争し、欲しい物を奪い合うって事だ。
だから、向上心も、行き過ぎると、
いずれ他を傷つけたカルマ(悪業)が返り、
現実理想向上意欲)にギャップが生まれ出し、
また、また、卑屈になり、行きつく先は、
他人を自分として受け入れたとき、魔法を使えるんです。
と言いつつも、俺のプログを殺した様に自己破滅を起こす。

それを選択しないとならないハメになるって事さぁ〜

選択したら、したで、また同じ事を繰り返す。
加害者も被害者も、自分で演じ、輪廻を繰り返す。

要するに、ミ○スの様に、
こうすれば良くなる」なんてテクニック(アセンション)は、
この様な、苦しみの無限ループに嵌る事になる。

競争(こうすれば良くなる)で、人は本当に幸福になれるか?

六波羅蜜は、正しい見解(正見)により、
他を犠牲にし、他に支えられて生きている事を知り、
他を犠牲にした分、他に恩がしする感謝の実践なんだけど、
この八正道正見は、自分は既に幸せであることを知る事でもある。
奪い合い(競争)ではなく、分かち合いで幸福になる道だ。
おっと、正しい願いも宜しくね。そうすると、どうなるかはここでね。

ミ○スでは、
夫婦という、男女のカップルの基本を中心として
社会は成り立っています。
だから、この社会は、夫婦によって形作られているのです。

と言いますが、この世は、類は類を呼ぶだ。

そんな貪りのカルマがある男女が結びつき、
貪りのカルマがある社会を創り、終いには、
他人を自分として受け入れたとき、魔法を使えるんです。
と言いつつも、俺のプログを殺した様に、
貪りを満足させる為なんら、通り魔をやってしまう奴を生んだんだ。
子供の責任は、親の責任というが、そんな形でカルマ責任)が返る。
そろそろ、折り返さないとさぁ〜

さっきも言ったが、節電など、
ひとり、ひとりの
善業は小さいが、皆でやるべき善業となると大きい。
一滴、一滴の水は小さいが、集まると大洪水をも起こす。
まさに、次の時代に向けた、
水瓶座の型(アクエリアス)さぁ〜

そして、
法施(叡智のシャア)は、水瓶座の型(アクエリアス)でもあるんだ。
水の様に、法(
精神的な利益)が横へ広がり、人々の元へ流れ循環する。

善生経 第二章
「シンガーラよ、友を装った、敵が隠れる。
彼らは、汝に優しく接して、汝を堕していく。
それでは、この四つの敵とは、如何なるものか。

 第一の敵とは、
を説かず、を解く者である。
 第二の敵とは、法を語らず、業を騙る者である。
 第三の敵とは、徳を説かず、得を解く者である。
 第四の敵とは、空を語らず、楽を騙る者である。」

「確かに、利が解かれると、優しく見える。
 しかし、害も解かれると、厳しく見えてくる。
 すなわち、
で歪めて、後から厳しくなる。」

- 省略 -

「シンガーラよ、敵を装った、
が隠れる。
 彼らは、汝に厳しく接して、汝を育んでいく。
 それでは、この四つの友とは、如何なるものか。

 第一の友とは、
を解かず、を説く者である。
 第二の友とは、業を騙らず、法を語る者である。
 第三の友とは、得を解かず、徳を説く者である。
 第四の友とは、楽を騙らず、苦を語る者である。」

「確かに、
が奪われると、厳しく見える。
 しかし、
も取られると、優しく見えてくる。
 すなわち、
で害を越えて、後から優しくなる。」

- 省略 -

ケン・ウィルバー
科学と宗教が統合されるとしたら、
本物の科学と、本物の宗教でなければならない。
科学は幅広い経験主義となるべきであり、
宗教は固定観念的教義を超えて、
一次元的世界への合一に、視野を絞らなければならない。

今日の、「
支配」という言葉は、ちょいとキツイ表現だが、
見方を変えると、
支配というのは、自分の利益を守るとも言える。

この世の仕組みを知ってる人は分かると思うが、
人は他を傷つけない事には生きていけない。

したときは、必ず誰かがしてるし、
思い通りに生きたとき、必ず誰かの自由を束縛している。

生まれる時は、母親のお腹を痛めつけ生まれてくるし、
それだけでは済まず、最近では育児ノイローゼの親も増えた。

だから、ただ生きるだけでは、
そんな、他を傷つけた
カルマ(悪業)だけが積み重なり、
結局、大損したり、夫婦喧嘩など自由を束縛されたり、子育で苦しんだりする。

民法をカジルると、分かるが、
人には
扶養の義務恩返し)がある。
親孝行なんて言うのは、そんな
恩返しでもある。

偶然に、そんな
義務(恩返し)がある訳ではない。(善業積み)

さっきも触れたが、
法施というのは、育てられたから、育て返すという扶養の義務(恩返し)でもある。

この様に、
扶養の義務意識して恩返しするものだ。

権利の先に権力
リョウジ 権利を訴えるものは、権力を持てないし、
     権力に訴えるものは、権利を持てないのさ。

ミサト  義務の裏にある、権利って、どんなものなの?
リョウジ 個体の利益、即ち、私利を守る力のことさ。
ミサト  権利を訴えて、私利を究めると、どうなるの?
リョウジ 究極の私利とは、公利であると、悟るのさ。
ミサト  権利の先にある、権力って、どんなものなの?
リョウジ 全体の利益、即ち、公利を守る力のことさ。
ミサト  権力に訴えて、公利を究めると、どうなるの?
リョウジ 究極の公利とは、真理であると、悟るのさ。
ミサト  つまり、利を突き詰めていくと、理になるの?
リョウジ そうさ、正しい理だけが、正しい力となる
     利を訴える者に、力を持たせるべきではない。

ミサト  何だか、漠然としていて、実感がないわ。
リョウジ それは、まだ、利を突き詰めてないからさ。
     君は、まだ、自分のことだけ、考えておけよ。

ミサト  いいの? わたしだけ勝手で、悪いみたい。
リョウジ 構わないさ、理を辿らせるのは、利だからな。
ミサト  ……………………!!

意識して法施扶養の義務)を行うので、
意識の裏の意味が無意識に積み重なる。

義務の裏は権利だ。

現実は
無意識方向に変化する無常なんで、
やがて、
私利を守る力となる。
そして、
権利の先に権力だ。
正しい理だけが、正しい力となる。

おっとっと、
昔、「
お金持ち父さん、貧乏父さん」なんて、

プー太郎本が流行ったの覚えてるかな?

  

一度ぐらい、こんな
赤い本、見たことないかい?

小学校の時、先生に教えて貰ったと思うが、
人には、
労働という義務(恩返し)があるんだ。

そんなもん読んで、どうもならなかった人は、
この世の仕組みでも見て、良く考えてみると良い。

だから、仏典にも、こんなのがあるんだ

梵志陀経 第一章
あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、ラージャグリハの、
カランダカニヴァーパに、止まっておられた。
その地には、ダーナンジャーニが暮らしていた。

サーリプッタは、ダーナンジャーニを訪れ、
親しく挨拶すると、友として会話を交わした。
彼ら二人は、以前から、仲の良い友人であった。

「友よ、怠惰にならず、修行をしているか。」
「尊者よ、私は、
を養わねばならない。
何故に、君と同じように、励む事ができようか。」

「尊者よ、家を出るなら、免れ得るものも、
に在って、免れ切れない七つの義がある。
それでは、この七つの義務は、如何なるものか。

第一の義は、妻子に対する、義務のことである。
第二の義は、友人に対する、義務のことである。
第三の義は、親族に対する、義務のことである。
第四の義は、客人に対する、義務のことである。
第五の義は、先祖に対する、義務のことである。
第六の義は、神々に対する、義務のことである。
第七の義は、王族に対する、義務のことである。」


最近、思うのだが、
真言というのは、神を称賛する言葉だが、
これは、神々に対する、義務のことかもしれない。

神に育てられた(導かれてた)ので、恩を返す親孝行って感じ。

積んだ功徳を、神に回す。
積んだ功徳を、この様に他に回す事を
回向(えこう)と言います。

巷では、般若心経が流行っている。

般若心経を朗読したり、書いてみたりする
写経など見掛けるが、
もしかしたら、神に対する親孝行なのかもしれない。

おっとっと、
最後に、
意識的にダメな自分をジャッチしないミ○ス論理だが、
プラス思考とマイナス思考はセットなんだ。

あぁ〜、あんな人と出会えたらなぁ〜(プラス思考)
でも、自分なんか、どうせ駄目! (マイナス思考)

と、偶然に思ってる訳じゃない。
例えば、集中するが為に、雑念が発生する。
もう少し具体的にすると、集中するが為に、眠気という雑念が発生する。
勝手に偶然に、眠気が生起してる訳じゃないんだ。

ミ○スの教祖は、
俺が講義すると、自分は次元が高いから、セミナー受講者は眠くなるんだ
と言っていたが、

そういう、こっちゃねぇ〜んだ。傲慢もいいところだ。

マイナス思考の苦に耐えると、悪業が落ち、善業が表に現れる。
善業もってないと、表に出ようがありませんがぁ〜

欲を満たす、
貪り苦しみ怒り)はセットなんだ。
専門用語で
貪瞋痴と言います。これらを三毒とか三悪趣といいます。
貪(むさぼり)、瞋(いかり)、痴(おろかさ、無智、無明)。

でも、自分なんか、どうせ駄目!
と思ったからと言って、ジャッチしないなど、逃げても無駄ってこと。
貪りの裏に苦しみ怒り)があるから。

でも、自分なんか、どうせ駄目!
と思ったからと言って、秋葉原の様な、事件を起こしてはダメって事さぁ〜
ミ○スでは、親を恨むから、
同じ、親を恨んでいる、通り魔事件を起こした人に被害にあった。
と言っているが、犯人の供述を読んでみると、
その犯人、中学時代は成績がトップクラスで、高校まで
勝ち組だったそうなぁ〜
ここまで来ると、分かると思うが、
自分が
勝つという事は、必ず誰かが負けている。
これが、他を傷つけたカルマ(悪業)として返り、
今度は、どんなに
努力したところで負け組という不幸を味わう事になる。
思い通りにいかなくなるんだ。
そんな、
怒りの矛先は、やはり親に行ってしまうだろう。

だから、「
親を困らせたかった」なんて、親を殺害してしまう事件もある。

俺様は
法の王とし、そんな人達にもと思い、
人が、どうすれば幸せになれるのか、法を解き、
法の流布を行ってるが、これも、
貪りなので、

 
不苦不楽なんて、つまんねぇ〜とか、

なんぼ言っても、理解してもらえい苦しみもある。
誰も、聞いてくれなかったり、法施BLOGのアクセスがなかったり、
ライバルに信者を盗られたり、法施BLOGを
ミ○スに潰されたりもした。

なぜ、そんな
怒りが出る局面が発生するかというと、

そんな
貪りが原因と分かってるから、
ミ○スの様に、ジャッチ作戦で現実から逃げなくても、
心が、あるていど安定してるんだ。

ちなみに、ミ○スの、
自分を認めてないから、認められないとか、
ダメな自分がいる分、尊敬される自分がいるんです。
なんて、
高次元から自分を知っても、一向に良くならない人へ法を解きます。

論点 最上戒蘊とは何か

尊敬される条件
として、五つの最高の条件がある。
第一に、最上戒蘊を成就していること。
最上戒蘊とは、これ以上にない程、戒を守り続けたという蓄積があること、である。
これ以上にない程、戒を具足しているが故に、
戒を説かれた弟子も、その
実益を悟り、それに従うのである。

論点 経験実証主義とは何か

尊敬される条件として、五つの最高の条件がある。
第二に、証知して法を説くこと。
証知とは、自ら経験し自覚するということ、である。
経験的な法を説くが故に、実感が伴い、
観念的な法を説かない故に、真理から外れず、
論理的な法を説くが故に、誰もが辿る事が出来る。
それ故に、法を説かれた弟子も、その実益を悟り、それに従うのである。

論点 最上慧蘊とは何か

尊敬される条件として、五つの最高の条件がある。
第三に、最上慧蘊を成就していること。
最上慧蘊とは、これ以上にない程、智慧を体得していること、である。
これ以上にない程、智慧を具足しているが故に、弟子達は仏陀に教えを乞うのである。
彼等に、自己を非とする疑問はあるが、仏陀を非とする疑念はない。

論点 四聖諦とは何か

尊敬される条件として、五つの最高の条件がある。
第四に、四聖諦を説くこと。
四聖諦とは、四つの絶対的真理である。
苦聖諦とは、この世は苦しみである、という絶対的な真理。
集聖諦とは、苦しみは必ず生起する、という絶対的な真理。
滅聖諦とは、苦しみは必ず滅尽出来る、という絶対的な真理。
道聖諦とは、苦しみを滅尽する方法が存在する、
という絶対的な真理である。

誰にも当てはまる真理を、
時機に適って説くが故に、弟子達が苦しみから解放され、
実際に苦しみから解放されるが故に、
弟子達は仏陀に教えを乞うのである。

解説 尊敬される条件とは何か

尊敬される条件として、五つの最高の条件がある。
第五に、修行の成果が現れていること。
七科三十七道品の修行体系を実践し、
実際に解脱、悟り、瞑想、三昧、神通の恩恵が得られるからこそ、
弟子達は釈迦牟尼を尊敬し、
心から真理を実践しようと決意するのである。

何回も言うが、この宇宙は、
原因と結果と
条件で成り立っている。

話を元に戻すが、六波羅蜜というのは、
貪瞋痴に囚われず、苦に強くなる道でもある。

CASE 地獄と畜生と餓鬼
レイ  三悪趣とは、餓鬼、地獄、畜生のことなの。
    一度でも、落ちてしまうと、抜け出せないの。

シンジ 貪欲を司る、餓鬼の世界って、どんなとこ?
レイ  餓鬼は、煩悩の快楽を、貪り続ける世界なの。
シンジ 瞋恚を司る、地獄の世界って、どんなとこ?
レイ  地獄は、煩悩の苦痛に、怒り続ける世界なの。
シンジ 愚痴を司る、畜生の世界って、どんなとこ?
レイ  畜生は、煩悩の出口に、迷い続ける世界なの。
シンジ なぜ、一度でも落ちると、抜け出せないの?
レイ  快楽が好きになると、苦痛が嫌いになるの。
    それが分からないから、抜け出せなくなるの。

シンジ 楽しむから、苦しむって、分からないわけ?
レイ  うん、苦しみから逃げて、楽しみを求めて、
    ますます、苦しくなって、出口が見えないの。

シンジ 楽しまなければ、苦しまなくていいんだよ。
    どうして、分からないのかな、頭、悪いよね。

レイ  うん、でも、そんなこと言ってて、楽しい?
シンジ ……………………

最後は、
どうして、分からないのかな、頭、悪いよね。
と、愚痴に囚われたって事です。
貪瞋痴の痴(無智、無明)です。
ミ○スの様に、良く成ろうとするのでなく
耐えるべきところは耐えるないと、悪業が落ちません。
悪業が落ちない事には、善業が表に現れません。

善業、持ってないと、現れようがありませんがぁ〜ね。

これが、分かってくると、良く成ろうとするのではなく、
既に、幸せだという事が分かり、足るを知ることになるんだ。
だから、六波羅蜜は、良く成ろうと奪い合うのでなく、
分かち合いで、自分も他人も幸せになる道なんだ。
分かち合いの実践の繰り返しで、分かち合いの
が生じて来るんだ。

では、そのなんなについて、話したいと思う。

普通、気の合う異性に対しては、
その人を幸せにしたいと思うものだが、
利他心、菩提心、慈愛、尊敬心、これが大事なんだ。
その人を幸せにしたい、という思いは、
言いかえると、それは他(全体)の利益を考えたものだ。
正しい願いだね
そう考えると、
恋愛(エゴ)も智慧を持ってするれば善業となる。

しかし、
ミ○スでは、

アセンションの鍵は結婚にあった!!

夫婦関係=経済関係
夫婦関係が良くなれば、漏れなく収入もUPする!

なんて、ミ○スの結婚目的は違うようで、

2元性を超える為とか
自分を知る為とか、
分からない事ををパートナーに聞く為とか、
自分に合った仕事を知る為とか、
異性を利益対象として見る。(正しい願いの逆だ!!

これは、
類は類を呼ぶで、
他人を利用して、楽して暮そうと思ってるから、
他人を利用して、楽して暮そうって奴が集まり、
他人を利用して、楽して暮そうって奴に騙され、利用される事になる。

だから

一向に連絡してくれない、
いい加減な人と仕事していたりとか、

約束を守ってくれない、
そんな人と仕事をするハメになったりとか、


究極のパートナー
にも関わらず、
他人に対して、良い顔をするが嫌など、
夫婦そろって、同じ問題を抱えているとか、

自分がこんなに尽くしても、
あの人は何もしてくれないとか、

俺は何時も頑張っているのに、
妻は、家で呑気そうにしている。

そんな目に会っても、不思議ではないんだよ。

ミ○ス
を実践し、
今だ、その様な人間関係で不快を感じてるようなら、
それは、人間関係で不快を感じる
地獄界に落ちてる。

そんなもんは、止めた方がよい。

隠しても、しょうがないんで書くが、
アセンションの鍵は結婚にあった!!

夫婦関係=経済関係


の高次元から自分を知るの1+1=∞の、
ミ○スでワクワク再婚した人がいるんだけど

残された子供は、どうなるのかな?

あの頃は、子供だったとか言って、
この辺、体験談(メルマガ)には一切触れてないんだ。

それどころか、恋愛したは良いが、家庭や生活が、
子供中心の生活になり、そんな生活に飽きちゃって
ミ○ス
御自慢の二元性を超えた結婚とやらで、
再婚したらいんだけど、

これが
逆縁というカルマ(悪業)を創る。

末法になると人間関係逆縁となる。

来世、この残した子供が、自分の親となる。

親から
愛情を与えられるのが本当だか、
離婚で妻や子の扶養義務(
恩返し)、を放棄した為、
育てられたから、育て返す恩返す
妻や夫に、支えられ生きているから、支え返す恩返し
この場合、親から
愛情の裏の憎悪が与えれる。
幼児虐待って奴なんだ

子供を産んだが、産声をあげたんで
近所迷惑と思い、殴り殺した。なんて事件あったね。

類似の事件も多い。まさに、今生は
末法だ。

自分が思い通りに生きたとき(
この場合、離婚して再婚)、
必ず、誰かの自由を束縛している(
この場合、子供や妻)。
これが、他を傷つけたカルマ(悪業)となり返り、
結局、自由が束縛される。(
この場合、幼児虐待

幼児虐待とまで行かなくても、
母親が嫌いとか、父親が嫌いなんて、
親と仲が悪い人っているようね。
ちょっと、子供に
愛情を与えるように、
少し、
親孝行してみると良くなったりしてね。

ちなみに、俺様の記憶によれば、
この
逆縁については、
ミ○ス
の教祖も知っていたはず。

人が集まる所、欲も集まる。変わってしまったんだ。

後に解くが、人ってのは条件しだいで、簡単に
悪人にも善人もなってしまうんだ。

やたらと、告白を指示し、結婚を煽ってんなぁ〜
なんて、思ったけどぉ〜
そこはブライダルと宗教がくっ付いてるから、
信者同士が結婚してくんないと、銭、入らないからねぇ〜


こいつら、教祖も含め、もともとは、
お金持ち父さん、貧乏父さん」教でさぁ〜
そこで出てくる、ラット・レースをもじって、
世の中、出来レースなんて言ってたんだ。

結婚たって、1万や2万じゃない。何100万という、お金が要る。

ブライダルと、くっ付いた商法だけに、
他人に結婚式という形で借金させて、
お金持ち父さん、貧乏父さん」の様に、
自分は働かずに楽して暮らそうとしてるかもしれない。

なぜなら、
愛と財だかで
MLMネズミ講)を始めた時なんか、
底辺の人達はどうなるの?」そんな質問に対し、
きみ、それは勉強せな、あかんでぇ〜」と、
あいまな答えで終わりだったからね。

つまり、自分の幸せの裏には、
そんな犠牲者がいる事を無視してんだなぁ〜

無視(
犠牲者)したものは無意識に残る。
現実は
無意識方向に変化する無常なので、
やがて、
犠牲者を眼にする事になる。

かごめ かごめ
ヒカリ かごめかごめ、の歌の意味って、知ってる?
アスカ ううん、かごめ、篭の中の鳥、何のことなの?
ヒカリ 篭の目は、六芒星、陰陽の相生を現わして、
    中の鳥は、五芒星、陰陽の相克を現わすのよ。

アスカ 夜明けの晩に、鶴と亀がって、何のことなの?
ヒカリ 亀の甲は、六芒星、真我の輝きを現わして、
    鶴の姿は、五芒星、自我の輝きを現わすのよ。

アスカ すべった、後ろの正面、って、誰のことなの?
ヒカリ 
己の我の裏には、他の我が隠れているけど、
    他の我を認められると、真の我を見とめるの。

アスカ 始めは、対立しながら、五芒星を輝かせて、
    終りは、和合しながら、六芒星を輝かせるの?

ヒカリ うん、新しい時代の夜明けを迎えるために、
    利己から
利他に、変わらないといけないのよ。
アスカ そんなのやだ、まだ、好き勝手してたいもん。
ヒカリ うふっ、そうやって、我がまま言っていると、
    逆に思い切り、ツルって、すべっちゃうのよ。

アスカ ……………………

この世は類は類を呼ぶだからねぇ〜
そんな
カルマを持った奴ばっか、
集まってるかもしんないから
気を付けてね!!


ちなみに、後に紹介する六波羅蜜は、
善業悪業から、
善業悪業な状態に自分を変える方法である。

だから、
類は類を呼ぶで、
カルマ(悪業)が多い人は
カルマ
悪業)が多い人と結ばれるが、
六波羅蜜を行うと、善業
(ダルマ)が多い人と、
結ばれる可能性がある
正しい生き方なんだ

 ニコラ・テスラ

エジソンは、1ダース以上のノーベル賞に値するよ。
夫の世話生甲斐とする稀有な女房に恵まれなければ、
無趣味と無頓着のために、もっと早死にしていただろうが。

前者を逆縁と呼び、後者を順縁と呼ぶ。
カップルや夫婦には、この様な
関係性
があり、
後者は互いに
利する関係と言われている。

陸上の朝原選手なんかは、
当時、出会った彼女(今の妻)がまぶしく見えて、
俺も、オリンピックに出たいと決意し、練習に励んだそうなぁ〜

互いに
利する関係って奴だね。

異性を
ミ○スの様に利益目的ではなく

自分も、そう成りたい

と、他を称賛してる事に注意してね!!

他を称賛するから、称賛される。

他人を、その様に見れるのは、まさに
の果報さぁ〜

訓練したって、そう成れる訳じゃないし、
高次元から自分を知っても、そんな相手と出会える訳じゃない。

感謝の裏に賛美

ヒカリ ねえねえ、喜って、どんなものだと思う?
アスカ 他を称えて、他を喜べること、じゃないの?
ヒカリ 何を称えれば、他を喜べることになるの?
アスカ う〜ん、何かな、何を称えれば良いのかな?
ヒカリ 自分が有り難くないのに、他人を喜べる?
アスカ ううん、そんな喜は、欺瞞に過ぎないわ。
    自分が悦んでいないのに、何を喜べるわけ?

ヒカリ 自分を在り難がっていて、他人を喜べる?
アスカ ううん、そんな喜は、陶酔に過ぎないわ。
    他人を認めていないのに、何を喜べるわけ?

ヒカリ うん、じゃあ、これから、分かることは?
アスカ 自分も、そうなりたいと、認めることを、
    他人に、観とめられたら、称えられるのね。

ヒカリ うん、その通り、すごいな、頭が良いね。
アスカ もう、そんなに褒めないでよ、照れちゃう。
ヒカリ ううん、言わせて、私も、そうなりたいの。
アスカ ……………………!!


六波羅蜜
は、この世は奪い合いであり、
したとき、必ず誰かがしている。
これが、他を傷つけた
カルマ(悪業)となって返り、
結局、会社の景気が悪くなったり、
失業したり、希望の職
に就けなかったりと大損をする。

奪い合いであり、
理想の相手
と出会えたとき、
必ず、誰かが
理想の相手と出会えなくなる。
これが、他を傷つけた
カルマ(悪業)となって返り、
結局、別れたり、離婚したり、失恋したり
好意を持った異性が、他の異性に奪われたりする。

そんな、ありのままの真実を認め
幸せと言えども、奪い合いであるを
意識して、
他を傷つけた分、
恩を返す功徳積み
他を傷つけながらも、それが許され、生かされている。
他に支えられ、生きているから、支え返すという
感謝の実践だ。

この様に、
意識的感謝恩返し)するので
意識
の裏の意味が無意識に積み重なる

感謝
の裏は賛美だ。

現実は
無意識方向に変化する無常なんで

そうなりたい

と、他を称賛できたり、

(「」も実体のないって事です、自分が変化する)
そう思える人に出会っても、不思議ではない。

だから、
を積むと、歩いていても、座っていも、何をしても、

楽しい
、そんな体験をする人もいる。

鏡の法則なんて本には
ミ○スの様に、自分の悪い面がぁ〜

じゃなくて、

夫婦関係が悪かったが
夫に支えられて生きてる事を思い出し、
夫に感謝恩返し)の気持ち持つようなったら、
夫婦関係(人間関係)が戻った、
なんて書いて、あったようなぁ〜

だから、六波羅蜜などで
功徳善業恩返し)を積むと、
類は類を呼ぶで、未婚の人は善業(ダルマ)が多い、
利他的な人と、結ばれる可能性があり、
既婚の夫婦は
六波羅蜜を行う事により、
互いに利する
順縁関係に変わる。これが六波羅蜜凄さ
なんだ。

それに、

自分がこんなに尽くしても、
あの人は何もしてくれないとか、

俺は何時も頑張っているのに、
妻は、家で呑気そうにしている。


これらは、逆に言うと、
本当は自分中心で行きたいところ、
夫や妻の為に尽くしてると言える。

本当は、もっと寝ていたんだけど、
朝、早く起きて、旦那のお弁当を作ったりとかね。

それは、利他的で悪い事じゃ〜ないんだけど、
もっと寝たい」なんて誘惑意識的に抑制して、
利他を実践したんで、抑制したものが無意識に残る。

現実は無意識方向に変化する無常なんで、
自分の無意識部分を他人が演じる。

私は何時も頑張っているのに、
旦那は、家で呑気そうに寝ている。
なんてね。

戒律を守るって事は、そういう事でもある。

本当は、自分の為にお金を使いたいんだけど、
そんな誘惑を抑え、他の為に財施する。

私は何時も、神の為(他の為、会社の為)に奉仕しているのに、
神(他人や会社は)は何時まで経っても、願いを叶えてくれないとかね。

こんなに会社の為に尽くしたのに、リストラなんて良くある話だ。

妻や夫がいるにも関わらず、
他の異性から誘惑がある場合も、あるどろうと思う。

これも、そんな誘惑を抑え、
妻や夫に尽くすので、無意識誘惑が残る。

そんな、自分の無意識部分を、妻や旦那が演じ、
妻や旦那の浮気や不倫(裏切られる形)として、現れているのかもしれない。

そんな、妻や旦那も、無意識部分の自分なんで、
攻撃すると自分に跳ね返る。やり過ぎは注意だ!!

詳しくは雛型経綸、六六六の秘密でね。

妻や夫がいるにも関わらず、他の異性から誘惑があるといのは、
つまり、自分のカッコよさや、美しさが、他を傷つけているという事でもある。
選ぶのは、一人だけだからね。

これも、詳しくは、釈迦の予言書「法滅尽経」でね。

でわ、アセンションの鍵は結婚にあった!!

なんて言いつつも、一向に理想の相手には出逢えないわぁ〜
高次元の感謝とかで、給料もらって感謝しても、どうもならんわぁ〜
そんな、ミ○スの慈愛じゃ〜、どもならん人向けに法を解きます。

ここまで、読んだ人は分かると思うが、
慈愛、慈悲も独立して存在しておらず、他に依存して生起している。
何に依存して生起するかと言うと、
今ままで話してきたような、
そんな、自他の区別なく、ありのまま観る智慧だ。

智慧がないと慈愛もない。

智慧が無く、自他を区別するから、ではなく怒りで他を見てしまう。

六波羅蜜六 … 般若波羅蜜
 般若とはパンニャーの音写であり、“智慧”という意味である。
 一元の世界から再び二元の世界に降りてきて認識を再開する。
 自我という特異点から解放され、
 三昧という主客不分離の視点を得た認識活動は、
 相手の立場に立つこと、様々な条件を直視することを可能とし、
 菩薩は、利他を通じて、あらゆる条件を吟味し、智慧を磨くことになる


慈悲慈愛というから縁起して、智慧が生起し、互いに増幅しだす。

また、慈悲が生起すると智慧だけでなく菩提心が生起する。

慈悲は、菩提心を示す。

菩提心:他を利する心(一元の世界から再び二元の世界に降りてきて認識を再開する。

よって、小乗から大乗へと、次に段階に進む事になる。

論点 化身とは何か

如実知見を得て、囚われず、貪らなければ、別の身体が生じるようになる。
つまり、今まで自我に囚われていた故に、無視されていた視点や視野が開かれるようになる
新たに生じた視点や視野にも囚われず、そのまま小乗解脱に至るか、
新たに生じた視点や視野をも吟味し、大乗解脱に至るかの、選択に修行者は迫られる。

例えば、

結婚にすべての秘密があった!!
アセンションの鍵は結婚にあった!!

のミ○スが陰陽二相一対と言っていた頃の話だが、
そこでは、教祖本人、本当に知っているか、
それとも、本当は知らないのにセミナーで銭とってのか、分からんが
それを論理的に言葉で表現できず、
その教祖自身、セミナー受講者に「何が分からないのか、分かってきた」と言っていた。
それに、そこのスタッフも、教祖の言っている事が理解できず、
教祖と、セミナー受講者とのギャップを外す」なんて言っていたね。

伝えられないのに、人が集まる訳がない。

分かんないのに、銭、とって、
セミナーやって良いのか、そんな矛盾を隠して、
セミナーなんかやってると無意識矛盾が残るから注意してね!!

ついでに、これ、小乗で止まってのさぁ〜

そんな小乗の解脱(阿羅漢:あらかん)を欲界の頂点というが、
その代り、その後、それだけの苦しみを味わい、地に落ちるのも欲界の頂点だ。
なぜなら、二元を超えただけでは、潜在に隠れているが滅していないからだ。
六道輪廻というのは、そんな仕組みを表したものなんだ。

専門用語で、習気〈じっけ〉といい、
なかなか、止められない習慣的な煩悩のなど、
まだ潜在にあり、生起してない状態だ。

おそらく、そこには、類は類を呼ぶで、
そんなカルマ(悪業)を持ったもん同士が集まっているんで、

気を付けてね!!

他を利する為(菩提心)には、さならる智慧が必要となる。

これを専門用語で一切智他を導く智慧)と言う。

その為に必須となるのが功徳であり、六波羅蜜の利他実践だ。

この段階になると、
菩提心と、それに伴う戒律や思索(瞑想とも言う)という行為により、
それらから縁起して、五感を通さない直接知覚が生起する。
この直接知覚により、論理的に真理を悟り、
自分が持っている矛盾点や疑問が晴れたり(無明が晴れに変わる)、
論理的な悟りだけに、真理を他に説明(法施)できるようになる。
逆に、矛盾点があると、誹謗中傷など批評されるという形で返ってくる。

矛盾点というのは、帰依対象に対する反発だからねぇ〜

後に天命使命)を見つける方法で解くが、そんな反発を抑え、
セミナー講師とかやってんのが、今どきのアセンションらしいのだが、
そうやって意識的に抑えたものは無意識に残る。

現実は無意識方向に変化する無常なんで、誹謗中傷という形でカルマが返るんだ。

極端に言えば、良くならいと分かってるのにも関わらず、
良くなると言って、銭を盗ってる様なものだ。積極的ですね。
不妄語の戒を思い出してね)

この世は、類は類を呼ぶだから、
おそらく、そこに集まる人は、そんなカルマがあり、
前生、そのまた前生も、そのまた前生も、そのまた前生も、そのまた前生も、
何カルパも掛けて、良くならなに、良くなると、
矛盾点を隠し、銭、儲けしてきたカルマがあると思われ、
このアセンションで一気にカルマが返ってきているように見えるねェ〜

であるならば、そんな矛盾点を無意識に残さず意識化し、
矛盾のない法(ダルマ)を解くことが、その人のカルマ浄化でもあり、
実は、その人の天明使命)でもあるんだけどね。

そんな矛盾点との葛藤を克服し、
正しい生き方を選択したのが阿修羅であり、
後に、仏教の守護神となる。


眉間に寄せる、そのシワ、と、その表情は、
そんな葛藤を表している。

両サイドにある顔は、そんな2つの心を表していて、
正面の顔は、その葛藤を表している様に見えるねェ〜

逆に、「こんなんで、良くなるのかぁ〜」と思いつつも、

いやぁ〜、皆やってるし
ミ○スの五次元夫婦も、良いって言ってるし

なんて、矛盾点を抑え、
伊勢白山道・リーマンの先祖供養やら、
ミ○ス論理とかやってるのが現代人だが、
抑えたものは無意識に残こる。

現実は無意識方向に変化する無常なので、
やがで、やっぱり良くならいという形で、矛盾点が現れ始める。

だからぁ〜、
こんなんで、良くなるのかぁ〜」という思いは、
その人の持つ仏性であり、そんな葛藤に勝って、
矛盾点を無意識に残さず意識化し、
正しい法を解くという事は、その人の天命なのさぁ〜

天志論
天意に背くものは、逆境に導かれて
天意に従うものは、順境に導かれる
天意に適うものに、天命が下される

最近じゃ〜、「国宝 阿修羅展」というのが、
東京・上野公園の東京国立博物館平成館で開かれているが、
そこで、売られている阿修羅フィギュアはバカ売れで、
入場者数が99年の平成館開館以来、50万人を超える程の大人気だとか。

無意識を無視しない、そんな人々が増えた象徴かもね?

ミ○スとかいって、
MLMネズミ講)で、納得のいかない勧誘で人を集め、
他を傷づつけながら、お金持ちに成るもの良いが、

そんなんで、お金持ちになって、幸せと言えるのか?
 そんなんで、幸せだと、胸張って言えるか?、そんなんで楽しいのか?
 そんなんで、お金持ちと言えるか、そんなんで後悔しないのか?


でも、ミ○スの五次元夫婦が言う事だしなぁ〜
何やぁ〜、使命を授かったなんて言う人が言う事だしなぁ〜
そんな葛藤ってあるよねェ〜

しかし、無意識の残したものは現れる。
だから、そんな事をしても、お金持ちになれないんだよ。

5次元まで行ったとか、使命を授かったとか、
確かめもせず、そんなものを信じてしまうのには訳がある。

株なんか良い例で、そこで売っとけば、多少の利益になったものの、
もっと、もっと、なんてが出るもんだから、気づけば、紙切れになったりする。

これは、株で儲かった経験があるもんだから、
その業(カルマ)で、もっと、もっと、と無意識が判断力を鈍らしてんだ。
今度こそは」なんてねェ〜、泥沼にハマる。

これと同じで、

楽したい
楽して儲けたい
楽して幸せになりたい
楽して理想の相手を見つけたい

などの業(カルマ)が、
判断力を鈍らし、確かめもせず、意図も簡単に、うなもん信じて、
そんなものに依存してしまう事になるんだ。

正し法を解き、それを法施しなおす事が、カルマ浄化で、
ミ○スの自分を許せば、誹謗中傷(カルマ)が消える。じゃ〜ないんだよ。

それを言うんだったら、智慧が生起し、
自他の区別が外れ、憎悪相手を許せるようになったら、
カルマ)が消えるだ。

これが、懺悔というものさぁ〜

恩返しもせず、自分を許せば、許される
なんて、楽して、カルマ)が消えると思ったら、大間違いだ。

だから、六波羅蜜の利他実践は楽じゃない。

例えば、ダライ・ラマのチベットに対して、
社会主義政権は、宗教はアヘンだと言っている。
宗教がだかえる、矛盾点が指摘されてんだ。

今どき、ダライ・ラマは観音菩薩の化身なんですぅ〜、
なんて言ってところで「それは、素晴らしいでねぇ〜」なんて言う奴はいない。
ダライ・ラマは、そんな事は、とっくの昔に知っていて、
なんとかしようと、しているみたいに見えるけどね。

日常的局面で言えば、
設計や開発の業務を行った人は分かると思うが、
レビューやプレゼンなどの会議では、
自分の矛盾点が指摘され、どちらかと言えば、
誹謗中傷を超えて喧嘩に近いものがある。
互いに、プロとしてのプライドがあるからねぇ〜

お前なんか、帰れぇ〜!!
俺に帰れェ〜、言うんかぁ〜!!

なんて事は、毎日、会議で、しょっちゅうあった。

そうして、出来あがったのが、何気に使ってる携帯電話だったりする。

しかし、そんな論争という悪い面ばかりではなく、
あっち、こっちで、宗教戦争が絶えない現代ではあるが、
宗教の対極にある、そんな科学は、どいうかと言うと、
キリスト教だろうが、仏教だろうが、スピリチュアルだろうが、
誰もが、ニュートンの万有引力の法則を認めている。
利の法じゃなく、矛盾点を明確にした理の法(科学依りの法)には、そんな力があるんだ。

この、直接知覚を日常的な言葉で言い直すと、
自分が理解し納得いくまで」とか、
仏典では、確かめるまでと言ったりする。
そして、このとき同時に無明が晴れ()、カルマ()が落ちたと言える。

幣宿経 第四章

「何と言われようと、私は、そう思わない。」
「王族よ、そう考える根拠が、有るだろうか。」
「有りません、しかし、邪見を捨てられません。」

「尊者よ、私が、来世があると言い出せば、
その日から、私は、人に何と言われることか。
王に笑われるでしょう、妃に笑われるでしょう。」

「王族よ、この話を聞いて、どう感じるか。
愚かな隊商指導者と、賢い隊商指導者が居た。
彼らは、砂漠を越えるため、多くの水を集めた。」

「さて、砂漠を進み始めてから、数ヶ月後、
砂漠の途中で、前から向って来る隊商が居た。
擦れ違い様、彼らは口々に、このように言った。

そんなに多く、水を運ばなくても良いぞ。
ここから、先には、湖が多く続いているから。』
しかし、この湖の話は、全くだったのである。」

「さて、この話を聞いた、愚かな指導者は、
湖を確かめることなく、水を捨ててしまった。
そのため、水を飲めずに、隊は死んでしまった。」

「一方、この話を聞いた、優れた指導者は、
水を捨てることなく、湖を確かめようとした。
そのため、湖が無くても、隊は死なずにすんだ。」

「王族よ、では、これを、どう考えるのか。
あなたが望む方は、愚かな方か、優れた方か。」
「尊者よ、わたしが望むのは、選れた法である。」

「王族よ、これと、同様に考えられないか。
他から笑われようとも自ら確かめることだ。
王族よ、愚かな法である、邪見解を捨てなさい。」

キリスト教信者の話だが、なぜ、それを信仰するのかと聞くと、

もし、神様がいたらヤバいから

なんて言っていた事を思い出す。

論点 魂の二極化とは何か

 智慧ある者は、宇宙のあらゆる示唆を受けて、
 悟るべくして真理を悟る。
 何故なら、真理は宇宙を吟味した、
 論理的帰結だからである。

 無智なる者は、自我のあらゆる欲望に流され、
 至るべくして地獄に至る。
 何故なら、地獄は自我を追求した、
 論理的帰結だからである。

智慧も独立して存在してる訳じゃなく、功徳に依存してるって事だな。
戒律とういのは、殺生をしないとか、盗みをしないとか、嘘を言わないとか、
他を傷つけないように、戒律を守る事は善業功徳)にもなるんだ。

夏になると、やたらと、
殺虫剤で虫を殺生しがちになるが、
止めると、悪夢を見なくなったりもする人もいる。

横道にそれるが、この、戒(かい)、定(じょう)、慧(え)、は、
戒が戒律で、定が思索(思索の事を瞑想とも言う)、慧は智慧の事でを知ること。
孫悟空の物語は、この、戒定慧を象徴してるらしく、これは仏教の物語らしい。

おっとっと、戒(かい)、定(じょう)、慧(え)、の定(じょう)だが、
これは思索する事で、それについて考える事であり、瞑想とか言ったりもする。
瞑想って来たら、なにやらイメージする印象があるが、そうではない。

これが、大事なんだ。

ミ○スでは素直になってミ○ス論理を実践して下さい。

なんて言ってるが、釈迦は、この事を良く知ってて、
自分の教えに疑問を持っても良いし、自分の真理に拘るなとも言ったらしい。

この様に、五次元夫婦が言おうが、救世主が言おうが、
疑問や矛盾点を意識的に思索するので、
意識の裏の意味が無意識に積み重なる。

疑問の裏は静寂だ。

現実は無意識方向に変化する無常なんで、
直接知覚)が生起し、論理的真理を悟っても、おかしくはない。

五感ではなく、直接知覚による悟りである事に注目して欲しい。

五感を通した悟りの例としては、
江原リーマンアルクトゥルスが得意とするリーディングや、霊視、
ミ○スの教祖みたいに、何やぁ〜、使命を授かった
などなどあるが、これらは全部、五感を通して、見たり、聞いたりしたものなんだ。

だから、その認識対象には絶対性がなく、変化してしまうんだ。

それは、使命を授かったと意識しているし、
意識的に、リーディングして、見たり、聞いたりしている。
だから、無意識意識の裏の意味が積み重なる。
現実は無意識方向に変化する無常なので、
やがて、その認識対象の絶対性が崩れ始めてしまうんだ。

例えば、ここに、レイアスカがいるとしよう。

    レイ        アスカ

Aさんがレイを見たときと、喜びを感じるが、
Aさんがアスカを見たとき、ライバル感を抱いたりする。

一方、

Bさんがレイを見たとき、ライバル感を抱くが、
Bさんがアスカを見たとき、喜びを感じる。

同じ、レイアスカでも、
観る人によって、その感じかたは異なるんだ。

レイアスカが絶対的な存在であるならば、
誰が見ても、喜びを感じるが、そうではない。

それは、Aさんが持つ因と、外的の縁によって、
結果、喜んだり、ライバル感を抱いたりしてんだ。

その人の持つ因(カルマや執着の大きさ)によって、見え方や感じ方が異なる。

因と縁によって、が創りだした感覚を楽しんでいるにすぎないって事さぁ〜

この様に、外に快楽がある訳ではなく、内にあるんだ。

仏教の唯識派や、密教、ヨーガの人達は、この事を良く知っているらしく、
例えば、性欲など、高度な瞑想などで浄化させ、
性欲を菩提心に変化させたりと、さらに、智慧を磨いたりするらしい。

こんな、仏像を見た事ないかい。


これは、そんな高度な瞑想で、性欲を浄化し菩提心へと、変化を表したものだそうだ。
こうなると、どこからが煩悩で、どこからが菩提心だか分からないよね。

大乗仏教では煩悩即菩提というが、
菩提の独立して存在しておらず、煩悩と縁起してるって事さぁ〜

若さの泉なんて本があったが、


これも性欲を若返りに変化させたものだと思う。
スポーツ選手なんか、試合前から、性欲を断つと聞いた事がある。

話が、づれたが、ただ、外には、何もない訳ではない。

しかし、自分が感じるようにレイアスカは存在してないって事なんだよ。

もう少し言うと、
自分が感じるように神が存在してる訳じゃなし、
自分が感じるように天国が存在してる訳じゃないって事さぁ〜

霊視やリーディング、チャネリングで神や宇宙人らしき物が見える人がいるけどね。
中には、神らしき物から、なんやぁ〜使命さずかったなんて言う人もいる。

霊視なんて良い例で、見える人と見えない人がいる。
そこに絶対性があるのなら、誰にでも認識できるけど、そうではない。

おばけの美輪は、天国を見たっ!
なんて言っているが、何時も見てる訳じゃない。
天国に絶対性があるのなら、いつでも、どこでも見る事ができる。

そういう意味では、手に持ったリンゴを放すと、リンゴが落ちる。

これは、ニュートンの発見した万有引力の法則というものだが、
この法則は、いつでも、どこでも、だれにでも見せる事が出来るので、
キリスト教だろうが、マホメッドだろうが、仏教徒だろうが、神道だろうが、
そんな枠を超え、多くの人に認められた法則である。

直接知覚というのは、
そんな五感を通さない分、ありのままの真実を観る事が出来るんだ。

それに、直接知覚というものは、突然、湧いてくるものでもり、
こっちが、それを意識するしないに関係なく、訪れるものでもある。

そんな、直接知覚で、天国や、何やぁ〜使命を授かったとか、
霊視やリーディングで、見たり、聞いたりした事は、偶然なのか?
と言えば、そうでもない。
見たり聞いたり、外にあるものは自分の内にある物の投影だ。

それは、その人の持つ仏性(善業)の投影と見る事が出来る。

努力し、多くの善業功徳)を積む事により、そうなれるって事でもあるのだが、
そこんところ、勘違いして、他を押しのけて、自分が神になってしまったんだね。

神社やお寺、水晶などのクリスタルストーンはなんかもそうで、
それは、自分の神様的善業部分)な部分の投影であり、
より多くの、善業を積むことにより、水晶の持つ効果などが現れるかもしれない。

ただ、注意して欲しいのは、そんな水晶やクリスルを開運グッツとして、
持ち歩くと、確かに、その人に徳があるのであれば、
徳を、そんな利益として、ひっぱて来て、幸せになれるが、
この世は縁起(相対)だでぇ〜、
それでけでは済まず、今度は自動的に、徳を、不利益としても、ひっぱって来る。

お疲れ様。

開運グッツの裏に悪運ゲッツありだ。

スピリチュアル・セミナーに行けば、
水晶やらクリスタルやら、アセンション・ペンダントやら、
開運グッツが、沢山、売っているけど、気を付けてね!!

占いとか、霊視とか超能力とか、全部、そうで、

フリーエネルギーを持つ、知的古代文明が何故、滅んだのか?

フリーエネルギーを、自己の利益の為に使用したからさぁ〜

なので、それはら、潜在に眠る、自分の善業の投影として捕え、
努力し、より多くの善業を積むと、そんな効果がもたらされると達観しましょう。

何回も言うが、アセンションペンダントなんて流行っているが、
そんな、パワーストーン自体に、そんな力がある訳じゃない。
外には快楽がある訳じゃなく、内にあるんだ。

だから、ヒーリングってのもヤバい。
受け容れる側としては、良いものも入ってくるが、
自動的に悪いものも入ってくる。
だから、仏教や密教、ヨーガなどでは、
受け容れる側として、必ず、セッション前に準備修行を行わす。
それを、受け容れるだけの功徳を積むんだ。

最近では、遠隔無料ヒーリングが流行ってますが気をつけてね!!

ヒーリングを行う方としては、他に何か送ったり、流してたりしてると思うが、
この世は相対(縁起)だでぇ〜、良いものを流せば、
間違いなく、悪いもんも入ってくるので要注意だ。
だから、ヒーラーの多くは、長年それをやってしまったせいか、
目が潰れちゃってる人や、足が曲がらず方向困難の人など、不幸になっている。

こうなるのは、神にもなったつもりで、

自分が、してやってる」という慢心があるからだ。

だから、仏教、密教などでは、法具というものを使用し、
自分が行っているのではなく、自分は法具を介して、
神の仕事を、御手伝いしてるという意識状態で、自我執着を落とし、それを行う。
当然、手伝えるだけの智慧と功徳ないといけない。

しかしまぁ〜、ここまで読んだ人は、
自分と他人は苦楽表裏一体の関係がある事を理解しているので、
慢心ではなく、どちらかと言えば、意識から来る、恩返しが目的で、
積んだ功徳を他に回向遠隔ヒーリング)してるかと思う。

そんな智慧菩提心により、小乗から大乗へと、
二元というを超え、次はを超える段階に入る。

これは、民衆の立場に立った仏陀の境地とか、ブッダフルとか言われている。
菩提心は他を利する心であり、最大の自利利他(分ち合い)だからねぇ〜
自分だけ解脱しようとする「小乗の解脱阿羅漢:あらかん)」と仏陀の解脱とは異なる。
それだけに、他を導く智慧一切智)が必須となる。

この境地は、この世に執着もせず、
かといって、二元を超えた解脱にも執着していない。

どちらでも良いといった境地だ。

簡単に言うと、

苦界の、この世も、智慧をもって観れば、ここが天国だったって奴だ。

何の為に、六道輪廻を回っているかといえば、全ての衆生をする為と言われいる。
その為には、自他の区別を外した智慧が無い事には慈愛、慈悲)は生起しない。

以上の話は、逆に言うと、他を利する為に始めたセミナーなのか、
なんだかんだと、他を利用し、自利の為に始めたセミナーなのか、
これで全部、分かってしまうという事だ。

ミ○スでは、財と愛なんてやってけどね。救世主幻想です!

おっとっと、
マリッジコードミ○ス世界の王も、リーマンアルクトゥルス、も、
自慢げに「神様から使命を授かった」とかで、
地に足がついてない真理を流布してる点に注意して欲しい!!

けっして、菩提心から、自分の判断のもと、
自主的にそれを行ってる訳じゃなく、神から命令されてやってんだ。

一方、仏教の釈迦最澄親鸞は、
他が苦しむのを観て、他の苦しみを取り除くべく、
その道を求めたんであり、けっして、神から命令されたものではない。

最初と最後は同じなんてミ○スでは言うが、ミ○スや、それらと、
出発点が違うんだよ!!

巷間では、ミ○スの様に、
5次元まで行った五次元夫婦やら、
先発隊は、7次元まで行ったやら、

ぼく、アセンションしましたぁ〜

なんて、やってる人は沢山いる。

が、しかし、五次元も七次元も、独立して存在しておらず、
他との相互依存関係(縁起)で、そんな天国も存在している。

では、どこと依存関係(縁起)かと言えば、この三次元だよ。

この三次元が消滅すれば、そんな天国も消滅する。

この三次元を無視して、そんな天国には行けないのさぁ〜

の三次元が良くなれば、当然、繋がっている天国も良くなるが、
この三次元が悪くなれば、当然、繋がっている天国も地獄となる。

せっかく、次元上昇して、天国に行ったのにね。お疲れ様。

後に話すが、他の苦しみは、
潜在に眠る、まだ現実に生起していない、自分の悪業の投影なんだ。

それは、いずれ生起し、他と同じように苦しむ事になる。

だから、菩薩は他の苦しみを取る為、
一元の世界から再び二元の世界に降りてきて認識を再開する。

その為には、さまざまなニーズに合わせた智慧(一切智)が必須となる。

なんで、何回も言うが、他を利する為に始めたセミナーなのか、
なんだかんだと、他を利用し、自利の為に始めたセミナーなのか、
これで全部、分かってしまうという事だ。


第四三話 転生と解脱
「空に至らせる道となる、の道理である論に、
その論を辿らせる心となる、の識別である経か。
そして、その心の戒となる律、論経律、実に面白い。」

彼は、背を伸ばし、目を閉じて、このように言った。

「天は、死んで罪を償えとは、決して言わない。
逆に、生きて罪を滅ぼせと、死んでも許されない。
たとえ、死を選んだとしても、生も択ばされている。」

「その死が、輪廻の死、一元の涅槃であっても、
一人だけ、死んでいることは、許されないようだ。
他の者が居る限り遣(や)るべきことが、遺(や)されている。」

「私が愛す者のため、また、私を憎む者のため、
まだ、知らない者のため、私は生きねばならない。
輪廻を繰り返し世界を知り尽くさないとならない。」

「すると、涅槃輪廻を越えた、完全なる涅槃、
大いなる輪廻の後から、大いなる涅槃が顕われる。
輪廻と涅槃と不二と見る、完全なる解脱が現われる。」

「ひとつの、欲界と色界を越える、小さな解脱。
数え切れない、輪廻と涅槃を越える、大きな解脱。
まだ、私は、ひとつの限界を、垣間見たに過ぎない。」

ここのHPに来てる人は、輪廻の真っただ中にる。
頑張って、この3次元世界から、次元上昇して5次元やら7次元に行ったとしよう。

しかしながら、その次元上昇(アセンション)は、
この3次元世界で、さんざん他を犠牲にして生きて、次元上昇してものだ。
恩を返さない事には、カルマ(潜在的な悪業)が返り、同じ事を繰り返す。

全員が涅槃しない事には、自分が涅槃できないのさぁ〜
他の者が居る限り遣(や)るべきことが、遺(や)されている。

よって、先発隊は7次元まで行ったなんて言うのは、大嘘なんだよ。

なぜなら、例えば浮浪者を見たとしよう。この瞬間、カルマ(悪業)を創ってんだ。

それは、意識的に他を浮浪者と見ている。
だから、無意識に意識の裏の意味が積み重なる。

他人は浮浪者の裏は、自分浮浪者だ。

現実は無意識方向に変化する無常なので、
解脱しようが、5次元いようが、7次元にいようが、
そんな、他の者がいる限り、自分もそうなるんだ。

他に対して、思った事は、自分にも返って来てしまうですね〜、カルマですね〜

だから、良い事を預言するならいいけど、世界が破滅するなど、
そんな予言をすると、全部、自分に跳ね返るんだ。詳しくはここでね。

なんやぁ〜、使命を授かったなんて人が沢山いるが、
裏を返すと、自分は神(特別)で、他の者はそうではない。とか、
自分は選ばれた人で、他の者はそうでない。なんて思ってるって事だ。

使命、授かった者が、そうでない者を救う。

なんてものは、善悪二元論に落ちるって事だよ。

そうやって、他に対して、思った事は
自分にも返って来てしまうですね〜、カルマですね〜

では、借りに、見る人、全部が、涅槃して幸せな人だとしよう。
どこを見ても、涅槃してる人ばかりなので、
嫌でも、意識的に他人を幸せと見る事ができる。

すると、無意識に意識の裏の意味が積み重なる。

他人は幸せの裏は、自分は幸せ。

現実は、無意識方向に変化する無常なので、やがで自分もそう成る。

よく、自分よか幸せな人を見ちゃ〜、
嫉妬しがちだが、それで良いという事でもある。
それに、自分よか幸せな人を見ちゃ〜、

なんて、自分は不幸なんだろう」と卑屈になりがちだが、
そんな智慧があると、そうでもなくなる。

嫉妬や卑屈感が、なくなる訳じゃないが、
極端な嫉妬や、極端な卑屈感に襲われなくなる。

逆に、ある程度、卑屈感があった方が、向上心になるってもんだ。

観る人、全部が涅槃しているというは極端すぎるが、
善人は、みならうべき存在であり、悪人は反面教師とみる。
この様に、全ての衆生を神仏(称賛して見るのが)として見るのが、
観音菩薩カルマ・ヨーガだ。

これも、簡単な例をだすと、
最近では、あの室哲哉が5億円詐欺だかで、地に落ちた。

まぁ〜、大抵の人は、嫉妬心から、「ざぁ〜まぁ〜みろ」となるだろう。

他に対して、思った事は、自分にも返って来てしまう。

しかし、ここに来て、楽の裏には苦があると知った人は、
そうでなく、慢心すると、自分もそう成るなぁ〜

と、いたずらに「あぁ〜は、成りたくない」と拒否するのでなく、
反面教師として、見る事が出来ると思う。

称賛とまで、いかなまでも、他から学んでいる事は確かだ。
それは、我こそが絶対なのじゃ〜、と傲慢にならず、謙虚になってる証拠でもある。

傲慢
人を見下して礼を欠くこと。

我こそが絶対なのじゃ〜
、と傲慢になるのも良いが、
他を見下すなんて、他に思った事は、自分にも跳ね返るからね。


外に快楽がなく、内にあるという話に関連しているが、
そんな人を観て、勝手に、
ざぁ〜まぁ〜みろ」とか、
慢心すると、自分もそう成るなぁ〜」と、思ってる訳じゃない。
そんな意識も独立して存在してる訳じゃなく、
他との相互依存関係(縁起)で生起している。
どこと、縁起してるかと言えばだよ。
には善業悪業(カルマ)がある。

感謝の裏に美賛(称賛)の話を思い出してね!!

ここに来て、もぉ〜、ある程度、そうなってるんですねぇ〜

つでに、他の幸せが、自分の幸せだという事も分かると思う。

でわ、そんな観音菩薩が誕生した話をしよう。

ある時、二人の兄弟いました。
彼らは、親と早く死に別れた上に、
その後、人に騙されて、ひどく酷使され、
その結果、二人とも、あえなく死を迎えることになった。

この兄が、後の観音菩薩であり、弟が未来の勢至菩薩だ。

その兄は、臨終の間際に、悲嘆する弟に対して、

私達は、今生、人の様々な苦しみを知ったのだから、
来世生まれ変わったらならば、人の苦しみを取り除くために生きよう
」と語る。

すると、弟は、その悲惨な一生の意味を理解して、
初めて心が晴れるのを感じ、兄と共に、安らかに息を引き取った。

最初に、触れておこう。

智慧が生じると、慈悲受容:菩提心)が生起し、
慈悲が生じると、他の喜びを、己の喜びとする称賛)が生起する。

もし、世界中にある幸せを喜べるんだったら
そんな、幸せは全部、手に入る。

称賛すると、称賛されるからね。

サッカーなど、普段は見ないが
日本代表が勝利すると、自分も同じように喜んだりするでしょう。

キリスト教でないけど、
毎年、クリスマスになると、一緒になって、祝ったりするよね。

これで、いいんだよ。

逆に、日本代表など、
応援しているチームが負けると、
自分も一緒に悔しく思い、苦しんだりするよね。
これは、他の苦しみを己の苦しみとする
菩提心さぁ〜

釈迦や最澄、親鸞などは、他が苦しむ姿を見て、
何とかしようと、正しい生き方を模索する道に入ったんだ。

セミナーなんか行ってさ〜
他よりも優位になる事を喜びとすると
それは、嫌でも、他を傷つけるので
そんなカルマが返って、結局、不幸になるだけだが、

他の幸せを喜びとする人は、誰も傷つかない。

べつな言い方をすると、
前者の喜びは
有限だが、後者の喜び無限だ。
この宇宙にある全ての幸せを喜べるんだからねェ〜

しかし、自他の区別があって、
他の幸せを喜ぶどころか、嫉妬、妬みが生じるのが現代人だ。

こうなって、しまったのは、自分の幸せだけ追求してきたらなんだ。

自分だけの幸せを考えた
独占欲は、
嫉妬、妬みの
カルマ悪業)を創るんだ。

よく、考え過ぎちゃって、
あぁ〜なって、こうなって、こうなったらぁ〜、
この野郎!!

なんて、嫉妬や妬みから怒りが出たりするのは、これだ。
恋愛なんて、とくにそうで、恋敵が現れると、こうなったりする。

囚われない事だ。

だから、
独占欲とは反対に、
分かち合いの利他実践(六波羅蜜)は、
嫉妬、妬みの
カルマ(悪業)を消滅させ、他の幸せを称賛するに変えるんだ。

そして、他の幸せを喜べる、この喜びは、
一瞬で一発で、膨大功徳を積めると言われている。

だから、何時の間にか、自分も良くなっている仕組み。

この世の仕組みを知り、六波羅蜜など、
善業を積む実践をすると、その善業は、
先ず、潜在(無意識)に積み重なる。

現実は、無意識方向に変化する無常なので、
やがで、そんな善業は開花するのだが、
潜在に眠ってる間は、
そんな、自分の善業を他人が演じる。

つまりだなぁ〜

功徳(善業)を積み続けると、
先ず、自分の周りが幸せになって来るって事だ。
なんかぁ〜、文殊の救済みたいだね。

般若波羅蜜
文殊とは、縁起を解す菩薩のこと。
此岸を介すことで、彼岸が解される


周りばっか、幸せになりやがって!!


なんて、嫉妬妬みがちだが、功徳を積んでる人は、

ちょっと待ったかもね。

双考経 第二章
「比丘達よ、第三の禅は、正念楽住にして、
喜を捨てて生じる、楽に満たされる禅である。
そのとき、彼は、称賛を以って、嫉妬を越える。」

これは、自分の近所から、
すごく、偉大な人が出たりしたとき、
それは、かなりの善業を積んでるとも言える。

近所だけでなく、日本、世界から、
そんな人が出るって事は、
それは、それで、かなりの善業を積んでるって事だ。

おっと、眼にしているものは、
人類全体善業である事を忘れずにね!!

裏を返せすと、
功徳を積んでるのに、周りに、誰も幸せな奴がいない

なんてェ〜のは、要注意だ。
それは、功徳を積んでるようで、積んでない証拠だ。
積んでるようで、どこかで、漏らしている


ただ、なんちゅ〜かなぁ〜


貪り対立というカルマを創るって解いたが、

そんな他人は、
潜在に眠る自分の「善業の投影」であって、
自分なんで、自分と同じ物を狙ってる可能性があるんだ。

この世は、幸せと言えども、有限だからね。

そんな他人と対立する可能性があるって事だ。

悟りの前段階は、嫉妬妬みだ。

チャクラで言うと、
悟りの頭上チャクラがあって、
その手前、首のチャクラがそうで、
ここが、まさにネック(詰まる)となる。

簡単に言うと、功徳を積むと、
必ず、男女問題(嫉妬、妬み)という壁に、

ぶち当たるって事だ。

嫉妬、妬みを超える段が、必ず訪れる。

人によっては、
お金や名誉が、嫉妬、妬みの、になるかと思うが、
潜在に眠る、善業悪業も、
そんな感じで、他人が演じて来ると思われるが、
功徳を積むと、そういうもんなんで、囚われない事だ。

そんな苦に耐えると、悪業が落ち、善業が現れる。

別な言い方をすると、
嫉妬妬み対象は、努力すると、
自分も、そう成れるという未来の姿って事でもある。

善業とは、自分の優れた部分であり、
他に嫉妬するとき、それは、
自分より、他が優れていたり、
自分より、他が優位だったりする。
自分より、他が欲しいものを得やすい位置にいたりする。

功徳なんて積むと、
忍辱波羅蜜っていう屈辱の段があって、
これが、けっこうへこむんだよね。

ついつい、引きこもっちゃって、
善業を積むのを怠けてしまうんだけど、

仏教の唯識論的に言うと、
自分がとなり、努力がとなって、
結果、自分の善業が引き出され、幸せになるって奴だ。

最初は、もしかすると、
努力というが、自分の悪業を引き出し、
結果が出ず、失敗の連続(忍辱波羅蜜)かもしれないが、
そんな苦に耐えると条件)が変わる。

今は、悪業を引き出すになってるが、
後に、善業を引き出すに変わったりしてね。

目に見える と 目に見えぬ
アスカ また、失敗したわ、もう、諦めようかな。
シンジ 潜在的には成功しているから、大丈夫だよ。
アスカ もう、人事だからって、簡単に言わないで。
    過去に何度、失敗したか、知ってるでしょ。
シンジ うん、でも、囚われたって、仕方ないよ。
    過去に囚われるほど、未来が見えなくなる。
アスカ つまり、見えるものに、囚われているから、
    見えないものを、見ることがないってこと?
シンジ うん、見えてしまうから、見えないだけ。
    見えないものも、見ようとすれば見えるよ。

アスカ もう、人事だからって、簡単に言わないで。
シンジ 違うよ、人事だからこそ、僕は見えるんだ。
    今度は、成功できるから、諦めちゃだめだ。
アスカ もう、人事だからって、簡単に言わないで。
    次回も失敗するわ、絶対に成功できないの。
シンジ おかしいよ、なぜ、そんな断言できるのさ?
アスカ 簡単よ、あたしには、そう見えるんだもん。
シンジ ........................

いずれにせよ、努力というがない事には始まらない。

巷には、一日で理想の相手に出逢えるだとか、
眠りながら億万長者とか、一発で一瞬で奇跡が起きるとか、
そんな、努力()のいらないセミナーがあるけどね。

おっとっと、
努力といっても、頑張り過ぎて、
苦行に突っ込むのも良くない。

苦行に入っても悟れないんだ。
智慧が生じず、自他の区別が外れない。

だからと言って、怠けるのも良くないんだけど、
丁度、良いところを見極めるのが難しんだけどね。

そして、
が生起すると、が生起する。
これは、執着の心がなく誰に対しても平等である心だ。

べつな言い方をすると、
特定の人だけを愛するのではなく、全ての者を
愛する心だ。

先に述べた、何の為に
六道輪廻を回っているのか、思い出してもらいたい。

この、
慈悲は四無量心と呼ばれ、
神や、仏陀や、菩薩(ぼさつ)の
と言われている。

嫉妬智慧を持って称賛に変え、
怒り智慧も持って受容(慈悲)に変える。

これが、自他の区別を外した釈迦一元論だ。

入菩提行論 第四章
人に生まれながら、人を越えようとしない。
これに勝る
はなく、これに優る欺瞞(ぎまん)はない。
閻魔の使い縁起の使い)が来たとき、初めて、それに気づく。

でわ、智慧を磨いていこう。

おままごと
ミサト  最近、離婚が多くない? なぜかしら?
リョウジ みんな、まだ、こどものままごとなのさ。
     だから、お腹が空いたら、お家に帰るのさ。
ミサト  どういうこと? わけが分からないわ。
リョウジ 昔は、生きていくために、結婚したのさ。
     だから、夫婦は、そこで、苦楽を共にした。

ミサト  つらいことがあっても、別れられないのね。
リョウジ 今は、遊びにいくために、結婚するのさ。
     だから、夫婦は、そこで、快楽を共にする。

ミサト  つらいことがあると、別れてしまうわけね。

リョウジ それが許さるのは、別の家があるからさ。
     別の家があるからできる、まねごとなのさ。

ミサト  でも、別の家って、具体的に何のこと?

リョウジ 子供を温かく迎えてくれる、国という家さ。

ミサト  家があるうちは、外で遊んでいられるのね。

リョウジ ああ、でも、今度は、別れられないからな。

ミサト  ……………………


この世は縁起(相対)なので、楽しめば苦しむ。
結婚し、先に快楽を味わえば、 後に、夫婦共に苦しみを味わう事になる。
なぜなら、 この世の仕組みを知ってる人は分かると思うが、
この世は、幸せと言えども奪い合いであり、
自分が理想の相手に出逢えたとき、必ず誰かが理想の相手に出逢えなくなる。
これが、他を傷つけたカルマ(悪業)となって返り、
結局、離婚したり、他に奪われたり(不倫)する。
これは、理想の相手に出逢えたとき、
同時に、人と人を引き裂いてるとも言えるんだ。

結婚の裏に離婚
アスカ どんな人が、幸せな結婚が出来るのかな?

ヒカリ 人と人を、結び付けて、幸せを与えた人よ。

アスカ どんな人は、幸せな結婚が出来ないのかな?

ヒカリ 人と人を、引き裂いて、幸せを奪った人よ。

アスカ じゃあ、どんどん、結び付けたらいいの?

ヒカリ うん、でも、そんなに簡単じゃないのよ。
    自分が好きな人を、皆も好きになるからね。

アスカ 他人を差し置いて、奪い取ろうとすると?

ヒカリ いずれ、引き裂かれて、不幸になるのよ。

アスカ 自分は差し控えて、他に譲ろうとすると?

ヒカリ いつか、結び付けられ、幸福になるのよ。

アスカ 譲りたくないほど、譲らないといけない。
    それが出来ない限り、幸せな結婚はないの?

ヒカリ うん、これこそが、幸せな結婚の秘訣なの。

アスカ でもね、好きだからこそ、譲りたくない。
    結婚って、そもそも、そういうものだよね。

ヒカリ うん、だから、いずれ、離婚しちゃうの。

アスカ ……………………


だから、この世の仕組みを知り、 六波羅蜜功徳を積み、
正しく願い、正しい念を積み重ねると、 そんな、試練を受ける事になる。
幸せな結婚を得たいのなら、 人と人を結び付けて、他を幸せにするしかない。

六波羅蜜で功徳を積み、
正しく願って、正しい念を積み重ねると、
ひょっこり理想の相手が現れる。

が、しかし、結ばれるではない。

恋敵が、わんさか現れ出す。

このとき、譲れるか?(慈愛できるか?)
譲って、人と人を結び付ける事ができるか?
そんな、試練(チャンス)を受ける。

お金が欲しけりゃ〜、お金を他に財施すればよいが、
理想の相手は、そうは行かないからねぇ〜
与えたくても、理想の相手がいないからねぇ〜
それが、そんな屈辱を味わうという形で現れてると思われる。

屈辱といえば六波羅蜜波羅蜜だ。

恋愛というのは、
お金持ちと結婚したいとか、綺麗な人と結婚したいとか、
優しい人と結婚したいとか、カッコいい人と結婚したいとか、
いろいろと理由があるが、
恋愛や結婚には、そんな自分のプライドを満たしたいという要素もあるんだ。

しかしだ、プライドの裏には屈辱がある。

だから六波羅蜜を行うと、
ひょっこり理想の相手が現れるが、
こっちには、まったく、かまってくれず、
そのくせ、他の異性とは仲良く話している。

そんな屈辱を味わう。

プライドを満たす間もなく、先に屈辱を味わっている事に注意してほしい。

屈辱に耐えれば耐えるほど、無意識に裏の実感が積み重なる。

屈辱の裏はプライドを満たすだ。

現実は無意識方向に変化する無常なので、
後にプライドを満たす事が出来る。

感覚的には、苦しみ切って、

 あぁ〜、これが屈辱かぁ〜

と、気づくって感じ。

そして、ここにきて、
六波羅蜜の第三段、波羅蜜まで来たかぁ〜
と、偶然、そんな事が起こってる訳ではなく、
なぜ、そんな事が起こったか理解でき、
そんな相手も許せるようになるどころか、
理想の相手を奪った相手も許せるって感じ。

これは、あれしてほし、これしてほしい、と、
他に対する要求ではなく、あるがままの現状を受けれた状態であり、
すると、そんな状態で終わらず縁起して、

同時に、そんな相手は、法に従って、
自分に対して、そのように振る舞っただけで、
そんな相手は、自分を法へ導いてくれた存在せさえ思えてくる。

自他の区別が外れた瞬間だ。

彼氏や彼女などに、あれしてほしい、これほしてほしい、
というのは、他に対する要求で、これも貪りだからねェ〜

貪りには怒りと無智が付いてくる。

逆に、嫌いな人が多いなんてェ〜のは、
裏を返すと、それだけ他に対する要求(貪り)が多いって事でもある。

この様に、貪りには不満(怒り)が付いてくるが、

この世の仕組みを知り、功徳(恩返し)を積みだすと、
もっと、もっと、と現状に不満をもつのではなく、
現状を、ありのまま受け入れる事ができ同時に、
自他の区別が外れ、不満ではなく、全てに感謝できるようになる。

理想の相手が、ひょっこり現れては、奪われる。
なんてな事を、何度も叩きつけられ、いい加減、分かってきたが、
貪りには怒り無智が付いてくるを別の観点で解くと、
貪り執着というカルマ(業)を創ってしまうんだ。

執着って何かというと満足する前に落ちるって事だよ。
別な言い方をすると、貪りは手放せなくなるカルマ(悪業)を創って事だ。

専門用語で、愛別離苦(あいべつりつく)と言う。

悪業なんで、そんな苦に耐えると、悪業が落ち、善業が現れる。

だから、功徳を積むと、
失いたくないとりもどそう
なんて言いたくなる局面が発生するんだ。

貪りは、そんなカルマ(業)を創ってしまうんだ。

満足する前に落ちるもんだから、執着我所執)が出てしまう。

我所執:自分のものにしたいという欲求

後に解く、十二支縁起を読むと、もっと分かると思うが、
恋愛で言えば理想の相手に近づこうものなら、
速攻で、多数の恋敵が現れ、奪われそうになったりする。
そんな感じで、満足する間に落ちるもんだから、
自分のものにしたいという執着があらわれ、他(恋敵)に憎悪する。

を積むと、そんな貪りに対するカルマの返りが速いから、気を付けてね!!
それは、返りが速いだけに、満足する前に落ちるとも言える。(先に苦を味わうって事だ)

囚われない事だ、そんな悪業に耐えると、善業が現れる。

別な言い方をすると、
貪り
は、他と争うカルマ悪業)を創るんだ。
貪りは、他と対立するカルマ悪業)を創るんだ。

この対立ってのはキーワードだ。

専門用語怒憎会苦(おんぞうえく)って言うんだけどね。

イエスの話にあった、
最善の裏に最悪対立)ありを思い出してね!!

恋敵などライバルが偶然に生起した訳ではく、
貪りが因となって生起しただけにすぎない。
囚われない事だ、そんな悪業に耐えると、善業が現れる。

他に怒りを感じるときってのは、
大抵、同じものに執着している場合がある。
そんなときは、こういう事って事だ。

この世は、類は類を呼ぶで、同じ執着カルマ)を持ったもんどうし集まるからねェ〜

その他に、功徳を積んでる割に、

またかよ!!

なんて、同じ苦しみを味わう事がある。

これは、求めても得られない苦って奴だ。

専門用語で、求不得苦(ぐふとくく)って言うんだ。

貪りは、そんなカルマ(悪業)を創るんで、
囚われず、苦に耐えると、悪業が落ち、善業が現れる。

ちょいと期待(貪り)させといて、ガッツリと奪われたり
と思ったら、また、期待(貪り)させて、また、ガッツリと奪われたり
そんな、求不得苦(ぐふとくく)もあるんで囚われない事だ。

その他に、貪りが創るカルマ(悪業)として、
好きなものと分かれる愛別離苦(あいべつりつく)や、
迷いの世界、つまり一切は苦であることの五取蘊苦(ごしゅうんく)がある。

五取蘊苦(ごしゅうんく)を簡単に言うと、
貪りうつ病など、精神病(迷いの世界)のカルマ(悪業)を創るって事だ。

特に現代は、そんな病気で悩んでる人が多いよね。

おっと、対立と言えばぁ〜

自分の信じてる信仰よりも、他を信仰してる人の方が、
どんどん幸せになっていくと、誰でも「この野郎!!」って思うよね。
こうして、他と争う事になる(悪業が生起)。

宗教戦争は、殆ど、これっっぽいよねェ〜

これは、他よりも幸せに成りたいという貪りが生み出した悪業執着)だ。
人は誰でも、自分に対して、そんな愛着という貪りがあるからねェ〜

なにゆえ、それを信仰してるかと、
良く自分に問い、自分を内観してみると、
他よりも幸せに成りたいなど、そういった部分もある事に注意してね。

周りばっか、幸せに成りやがってェ〜

なんて思った事ないかい。
これも、そんな貪りが、そんな執着悪業)を創ってんだ。

許せない人が、自分より幸せになったり、
そんな奴の所に限って、自分より多くの協力者(信者)が集まったりし、
囚われると、そんな人に憎悪し、他との争いになるが、
他よりも幸せに成りたいという貪りが生み出したものなんで、
囚われず、そんな苦に耐えると、悪業が落ち、善業が出だす。

ここまで、自他の区別が無くなって来ると、分かると思うが、
智慧によって、不必要だった嫌いな人が活かされて来るんだ。

ミ○ス論理では、

この世は、相対、相対!!
相手(嫌いな人)を受け容れると、
一瞬で一発で相手が変わるんです。

なんて、相手を自分の都合の良いように変えようとするのが、
1+1=∞アセンションの鍵は結婚あったの教義だが、
これは、嫌いな人を自分の都合の良い者に変えるので、
次は嫌でも、こっちが相手の都合の良い人間に変えられている。

気づけば、
こんな筈じゃなかった。なんて事になるから、

気を付けてねェ〜

釈迦は違うんだ、嫌いな人を変えるのではなく、
嫌いな人は、それは、それで、活かしていく教義なんだ。

活かすという言えば、
最近は、三国志の映画「レッドクリフ」が流行っているが、

この三国志は、
日本の幕末と非常に良く似ていて、
その辺、個人的に興味深いところなんだけど、

三国志の、劉備玄徳関羽雲長張飛翼徳
そして、諸葛孔明は何を望んでいたかと言うと、

朝廷を倒すんじゃなくて、朝廷の復活なんだ。

倒すと、そのカルマ悪業)で、倒されるからねェ〜

そういう意味じゃ〜、幕末も、同じ事をやったねェ〜

もしかしたら、三国志は、まだ、続いてたりしてね。

なぜなら、三国志桃園の誓いは、まだ果たされてないから。

桃園の誓い(とうえんのちかい)
「我ら三人、姓は違えども兄弟の契りを結びしからは、
 心を同じくして助け合い、困窮する者たちを救わん。
 上は国家に報い、下は民を安んずることを誓う。
 同年、同月、同日に生まれることを得ずとも、
 願わくば同年、同月、同日に死せん事を」

後に解くが、巷では、
ミ○スの様に、アセンションの鍵は結婚にあった!!
なんて言うセミナーがあるが、
これは、何を言ってるかというと、
理想の相手なんて、すったらセミナーに行って、

外を探しに行っても、
みっかんねェ〜よ、って事なんだ。

神も仏も、すべて内側にあるんだ。なんで気を付けてね!!

これが、分かってくると、
そんな恋敵も(自分を傷つける嫌いな人や宗教ライバルなど)、
自分の持つ貪りとなり、外界の他人(恋敵)がとなり、
結果、満足する前に落ちるという悪業が生起したと達観できるので、
恋敵に対する憎悪がなくなり、心が静まる(自他の区別を外した一元境地

こうなると、そんな恋敵も、法則に基ずいた神の意思の表れとみる事が出来き、
縁起によって、それだけでは終わらず、外にある憎悪対象にはもなく、
たんに、その人を(きっかけ)とし、
自分のにある悪業(執着)が引き出され、その人が恋敵を演じた。
と分かって来るので、自他の区別が外れ、憎悪対象も、感謝の対象では?

となってくる。

全てを神仏と捕える観音菩薩カルマ・ヨーガですねェ〜

が生起したので、そんな慈愛も生起する。
裏を返すと、の無いセミナーに行っても慈愛は生起しない。

そんな悪業に耐えると、条件)が変わり始める。

今は、悪業を引き出すきっかけとなっているが、
後に、善業を引き出す条件)と成ったりしてね。

全てを神仏と捕える観音菩薩カルマ・ヨーガですねェ〜

この事を理解し、辛抱強く、耐え難きに耐えてるのが弥勒菩薩さぁ〜

よく、伊勢白山リーマンとか霊視自慢の奴はぁ〜、
自分を邪魔する邪気と闘って勝利を治めた自慢話をするが、
それは、自分をとし、見えなものがとなって、
結果、自分の悪業(邪魔)が引き出されただけだったらどうする?

耐えると、そんな邪気も善業を引き出す)となったのにね。

サイキックで、ぶっ殺してしまったんだね。

外にもないんだよ。内にあるんだ。

ミ○ス論理の様に、
嫌いな人を、自分の都合の良い人に変えるのではなく、
嫌いな人は、嫌いな人で、そのままで、活かされてる点に注意してね!!

だから、を積むと六つ神通力を得るとあるが、
聖者は、めったに超能力は使わないんだ。
それは、そのまま、ありのままで、良いからなんだ。


魔法使いゲドは、魔法を使えば、
意図も簡単にピンチを脱出できるに、
最後は、魔法を使用せずピンチを脱出したんだ。

逆に言うと、
チャネリングやら、気功やら、リーディングやら、
ミ○スの教祖の様に、幼少期の超能力をやたら自慢する奴とか、
巷には沢山いるが、全部、怪しいって事になる。

外にもないんだよ。内にあるんだ。ただし、外に何もない訳じゃない。
何かあるんだけど、外にがあると錯覚し、ありのまま見れてないんだ。

これを仏教の唯識論で言えば、

全ての体験は、
何らかの自分の内面の要素を現し出すであって、
外界の何かをきっかけとして、苦しみが生じた時には、
その真実の原因が、外界ではなく、内側にあることを認識するならば、
外界の対象は、自分の心の汚れ教えてくれた鏡として、
感謝する実践を行なうことができるだろう。

という言う事だ。

嫌いな人は、嫌いな人で、そのままで、活かされてる点に注意してね!!

それは、それで、生かしながら、自分も幸せになる。

これが、分かると、幸せは、だだ、そこにあった事に気づく事になる。

そして、これが分かると、他に憎悪しなくなるから、
憎悪(苦しい事に耐える事)に対して消費せず、が溜まっていくんだ。

ちょいと厳しく言うと、
他に怒りを感じたときなど、そんな感情や、苦しい事を無視せず、
唯識論理に当てはめて思索したり、
縁起の法に当てはめて思索してりし、
その様に勤めるならば、
否定無視)しない分、苦を意識化しているので、
嫌いな人や、苦しい事が、無意識に残らず、苦しみが減ってくる。

この恋敵の話だが、一つしかない理想の相手を、
有限の人気票(名誉、地位)や、
有限の信者や、有限のユダヤの金に当てはめると、
伊勢白山のリーマンに対して、
なんだかんだと言っているアルクトゥルスが何に執着していて、
後に出てくるユダヤの銭をオープンにするとか、しねェ〜とか、
すったら使命を授かったとかいう世界の王とやらが、
一体、何に執着しているか、全部、分かってくる。

両方とも、囚われまくりなのさぁ〜

ユダヤって来たら、
経済や情報をコントロールしているとか、しないとか、
人類を支配しているとか、あまり良い話が聞かないが、
これも、自分をとし、ユダヤの人達がとなって、
自由に生きたいもっと、もっと、お金が欲しいなどの、
自分の悪業執着)が生起してると、達観できれば、
そんなユダヤも、善業を引き出してくれる人達()に変わったりしてね。

最後の「一厘の仕組み」さぁ〜

この世の仕組みを言ってしまえば、
そんな祐福な人(有識者)が、ビル・ゲイツの様に、
慈善事業に変わって行く。なんて言う人もいる。

五六七 という 六六六
シンジ 君なら、誰が、弥勒なのかを、知っているよね。
    僕は、救世主を信じたいんだ、だから、教えてよ。

カヲル 教えられて信じても、自分を信じただけなのさ。
    信じたいと信じるけど、信じたくないと信じない。
    彼の善い名は信じるけど、彼の悪い名は信じない。

シンジ えっ!? 弥勒には、善い名と悪い名があるの?
カヲル そうさ、世界の雛型だから、善悪を包含するのさ。
    人類には、それが、分からないから、分けてある。

シンジ ふ〜ん、じゃあ、弥勒の善い名って、なんなの?
カヲル 弥勒は、五十六億七千万年後、人類を済度する。
    そういう、善の姿をして、五六七と呼ばれるのさ。

シンジ ふ〜ん、じゃあ、弥勒の悪い名って、なんなの?
カヲル 裏を返せば、その間はずっと、人類を統治する。
    そういう、悪の姿をして、六六六と呼ばれるのさ。

シンジ つまり、それが、欲六界の第六番目の第六天界。
    堕天使の果たす役と、同じだって、言いたいわけ?

カヲル そうさ、実は、五六七と六六六は、表裏なのさ。
シンジ ははは、なかなか、面白い冗談だよ、カヲル君。
    冗談はいいから、早く教えてよ、誰が、弥勒なの?

カヲル ……………………

しかしまぁ〜、偶然にも、
唯識論で、ユダヤ一厘の仕組みについて解いたが、
唯識論を司る神が弥勒菩薩なんだよね。

ちったぁ〜、弥勒菩薩とのが出来たかなぁ〜

それは、自分だけでなく、このHPに来た人も同じだ。

人の家族と神の家族
コウゾウ 流行っているのは、不倫、売春、虐待。
     いまや、家族制度は、崩壊しつつあるな。

ゲンドウ ああ、家を持てるのは、人だけからな。
     獣に落ちた人に、幸せな家庭は築けない

コウゾウ 今は、獣に落ちるのか、神に近づくのか、
     選択を迫られている時期と、言うのかね?

ゲンドウ ああ、性愛に溺れた者たちを見ながら、
     慈愛を見いだす者たちが、現れるはずだ。

ミ○スの様に、セミナーに来ない人に、
結婚しないとアセンション出来ません!!
なんて、憎悪すると家族制度が崩壊しはじめる。

そんな
悪人(恋敵など)にも、そんな感じで、
神を見い出す事ができれば、我々の勝ちたが、
神を見い出せなければ、奴ら言った通りで、奴らの勝ちとなる。


水瓶の時代
リョウジ 宝瓶宮の時代は、水瓶の神話のままなのさ。

ミサト  身も心も美しい少年が、神の目に適ったのよ。

リョウジ ああ、性を漏らさないと、神に近づくのさ。

ミサト  少年ガニメデは、親と別れたのを悲しんだわ。

リョウジ 神に仕えていると、我を忘れさせてくれる。
     神に酒を注ぐうちに、憂いは消え去ったのさ。

ミサト  父親トロースも、彼と別れたのを悲しんだわ。

リョウジ 神に捧げていると、心が嬉しくなってくる。
     天に召されたと聞き、喜びの涙に変ったのさ。

ミサト  つまり、二つに分かれた関係が、ようやく、
     神を通じて、一つに合わさる時代、ってこと?

リョウジ ああ、牡羊の時代のように、依存もしない、
     かつ、魚座の時代のように、性愛に溺れない、
     自らの意志で、性愛を
慈愛に変える、時代さ。

ミサト  そして、人類が、自らの力で、進化をする、
     それが、アクエリアン・エイジ、ってことね?

リョウジ そうさ、すべてが終わってから、ようやく、
     何から何まで、神の御心だった、と悟るのさ。

ミサト  じゃあ、最終戦争も、神の預言通りなのね。

リョウジ ああ、逃げずに、神に仕えるしかないのさ。
     怪物から逃げる限り、魚座を繰り返すからな。

ミサト  ……………………


この話は、恋愛に限った事ではない。

欲しいものは、幸せと言えども奪い合いだからかね。

正しく願うと、そんな試練が与えられる。
この世は類は類を呼ぶだで、 自分が好きな人を、皆も好きになるって奴だ。
気づくと、同じ貪りを持つ者(恋敵等)が、集まって奪い合いとなる。
最善 vs 最善の最終戦争さぁ〜

さて、対立をキーワードに解いてきたが、

わかってきたぜェ〜

誰もが、人気ブログ第一位を独走する、
伊勢白山のランキング操作らしきものに、

頭に来ていると思うが、

釈迦縁起の法を使って、
智慧を磨き、自他の区別を外してみたいと思う。

縁起の法を簡単に言うと、
貪りには、無智無明)、怒りが付いて来るって奴だ。
智慧がなく無智無明)な状態だから、怒りが生起する。

裏を返すと、智慧をもって、
縁起の法に基ずき、事象(法:物事)を、
ありのままに見る事(八正道の正見)が出来れば、
無智無明)は消え、怒りが静まり、
過剰な貪り執着)が滅し、心が静まる
これを、涅槃の境地とか、
自他の区別が外れた一元の境地とか言う。

具体的に言うと、復習になるが、
貪り対立というカルマ悪業)を創る。

この世の仕組みを知り、
六波羅蜜などで善業を積むと、
嫉妬、妬みの段があるから、

例えば、ひょっこり、理想の相手が現れちゃ〜
わんさか、恋敵(対立)なのどが現れたりする。

悪業なんで、囚われず、
そんな苦に耐えると悪業が落ち、善業が現れる。

と、解いたんだけど、べつの見方もあって、

今年に入ってからなんだけど、
良い仕事が来たなぁ〜、なんて、忙しい中、
時間つくって、その仕事の教育を受けたたんだけど、
突然、他に奪われたんだよねェ〜

他の為にバカ、見ただけだぜェ〜

なんて、長期間、周りに不満を、ぶちまけながらも、
耐えに耐えまくってたら、分かったわぁ〜

貪り犠牲というカルマ(悪業)を創るんだ。

対立犠牲が、今の魚座イエスの時代)の象徴なんだ。

双魚の裏に宝瓶
ミサト  真理の御霊って、一体、誰のことかしら?
リョウジ 双魚宮から宝瓶宮に、人類を導く救世主さ。
     魚座の最後の象徴で、水瓶の最初の象徴さ。
ミサト  性の神と愛の神が、怪物から逃れるために、
     尾を結び合った、魚に化けるのが、魚座よね。
リョウジ 快楽を求めるから、苦痛に追われてしまう。
     対立犠牲を象徴する、二極分化の時代だな。
ミサト  身も心も美しい少年が、神に天に召されて、
     我を忘れて、神に仕えているのが、水瓶座ね。
リョウジ 善悪の分別を忘れて、絶対の歓喜が蘇える。
     統合と真理を象徴する、人類進化の時代だな。
ミサト  性愛に溺れている人を、救おうとしたけど、
     逆に、真理が見えない人に、捕まってしまう。
     つまり、こういう人がいたら、真理の御霊ね?
リョウジ そうさ、彼を殺めると、双魚宮を繰り返し、
     岩戸開き、彼を求めると、宝瓶宮が始るのさ。

ミサト  岩戸って、真理の御霊は、どこに捕まるの?
リョウジ どこって、最も受け容れ難い、心の壁の中さ。
ミサト  ........................

まぁ〜、BLOGやってる人は大抵、ランキングに参加している。

競争というのは、互いが切磋琢磨して、
互いが向上し合うという良い面があるのだが、
これも、貪りだからねェ〜

伊勢白山の、なにやら怪しいランキングの犠牲になったりもする。

そんな苦に耐えると、悪業が落ち、善業が現れる仕組みだが、

そう考えると、そんな伊勢白山も、
釈迦縁起の法に沿った神仏の現れである。

これが、魚座の次の水瓶座の時代だ。

全ての衆生が、神、仏、である。

水瓶座(アクエリアス)は、そんな平等性)を意味する。

前にも書いたが、これを専門用語で、
仏陀の五智の一つ、平等証智という。

だから、現世御利益を司る観音菩薩は、
全ての衆生を、神、仏の現れとし合掌している。


平等証智があると、全ての人がだからねェ〜
アクエリアス宗教戦争が無くなってもおかしくないし、
釈迦縁起の法を実践しているのが観音菩薩とも言える。

ちなにみ、観音菩薩の象徴は水晶()なんだよね。

六波羅蜜功徳を積み、
正しく願い、正しい念を積み重ねると、
そんな、試練を受けるって事さぁ〜

ミ○スでは、人は本能で異性を求める。この世に意味などない。
と言いますが、それを言うんだったら、
人は本能で、正しい結婚正しい恋愛を求めるって事だよ。

論点 渇望なき充足とは何か

膨大な功徳によって、必需品は全て揃う。
全て揃い充足するが故に、渇望することがない。
渇望することがない故に、自ずと煩悩は
滅尽され、この世から遠離する。

無限の
も、何時までも、無限かと言えば、
無限の
も実体のないなんだ

例えば、幾ら、焼き肉が大好きったて、
毎日、喰ってたら、そりゃ〜、飽きるでしょう。

満たせば、満たすほど
今度は、
が減り始めるんだ。

だから、仏典には、こんなのもある。

三明経 第一章

「ヴァーセッタよ、ポッカラサーティ師は、
今までに、梵天に至ったことがあるだろうか。
梵天が、
持たないようにを持たないか。」

「妻を持つために、梵天に至っていません。」
「生きているときに、梵天に至れないものは、
たとえ、死んでからも、梵天に至ることはない。」

「バーラドヴァージャよ、タールッカ師は、
今までに、梵天に至ったことがあるだろうか。
梵天が、
持たないように、持たないか。」

「妻を持つために、梵天に至っていません。」
「生きているときに、梵天に至れないものは、
たとえ、死んでからも、梵天に至ることはない。」

たった一度の人生で、全部の欲が消えるのではく
何回も、この世に来ては、一つ欲を落とす。そんな感じだと思う。

典尊経 第五章

「たとえ、そこで、阿羅漢に至れなくても、
五下分結を越えれば、不還者に至るのである。
彼は
色界に入って二度と還って来る事がない。」

「たとえ、そこで、不還者に至れなくても、
貪瞋痴を越えるなら、一来者に至るのである。
彼は
一度だけ来て二度と下りて来る事がない。」

「たとえ、そこで、一来者に至れなくても、
貪瞋痴を薄まるなら、預流者に至るのである。
彼は
上流に預かり二度と落ちて行く事がない。」

こうして、仏陀が、
前世秘密を解かれると、
パンチャシカは、心から感動し、去っていった。


NHK番組なんか見ると、そんな人達が既にいるんだよね。

その番組では、お医者さんの人生を紹介してんだけど、
一生懸命、勉強して、医者になり、
それなりに収入と、それなりの立場になったんだけど、
どうぉ〜も、今、幸せか?
と、自分に問うと、そうとも言い切れない。

そして、ある日、
名誉も地位も、全てを捨て(捨てたんで後に与えられる
ボランティアとして、ロシアの病院に勤める事にしたんだ。
収入は、退職金のみだったかなぁ〜

そこの病院には、チェルノブイリの影響もある事から、
詳しい事は、分からないんだけど、女性の患者が多く、
その殆どが、喉を手術しないと、ならないらしい。

喉の手術たって、傷後が残り、
その写真を見たが、もぉ〜、フランケンシュタインだよ。
女性にとっては、致命的な傷後だと思う。

そんな、悲惨な状況を見て、
ついに、その医者はメスを握る事を決心したんだ。

その医者、全てを捨てたと言っても、
現役時代は、そこそこまで行った人だからねぇ〜

喉のシワから、メスを入れ、
傷後を目立たないように手術したんだ。
たった、それだけのメスで手術したんだ。

写真が紹介されていたが、
手術後の傷後なんか、残ってない。
しかも、その手術を受けた女性は、
その医者の、技術と生き座間を肌で感じ、
感動して、看護婦になったんだ。

自分も、そう成りたいと思ったって事だよ。

それからと言うもの、
その医者には、これからの若い医者が多く集まるようになり、
毎日、勉強会を開いたそうなぁ〜

そして、その医者は最後に、こう言っていた。

もぉ〜、思い残す事はない。

涅槃だね。執着(欲)が無くなったんだよ。
生きながらに涅槃したんだ。
がないんで、苦しみも悩みもない。

苦諦、すなわち、自我は苦であること、

生諦、すなわち、苦しみは必ず生起すること、

滅諦、すなわち、苦しみは必ず滅尽出来ること、

道諦、すなわち、苦しみを滅尽する方法が存在すること

滅尽ほろび尽きること。ほろぼし尽くすこと。

道諦まで、いっきに来ちゃったね。

生起の裏に滅尽
シンジ おなか減ったなぁ、なにか食べたいなぁ。
カヲル 苦しみの原因と、苦しみの条件が揃うと、
    必ず、苦しみの結果が、生じてしまうのさ。

シンジ 分からないよ、それって、どういうこと?
カヲル つまり、空腹という、苦しみの結果には、
    食欲という原因と、食物という条件がある。

シンジ じゃあ、空腹が生じるのは、どんなとき?
カヲル 食べ物が無い、という、条件を満たす時さ。
シンジ じゃあ、空腹が消えるのは、どんなとき?
カヲル 何か食べたい、という、原因が消える時さ。
シンジ 食べ物が無ければ、持って来たら良いんだ。
カヲル 確かに、条件が変わると、結果は消えるよ。
    でも、それだと、まだ、原因が残っている。

シンジ また、食物が無くなると、苦しくなるの?
カヲル そうさ、食を無くす方が、本質的なのさ。
シンジ そうかな? 僕には、そうは思えないね。
    パンが無ければ、ケーキを食べたらいいよ。
カヲル そうかい? そうして、話を変えるのかい?
    いいさ、また、苦しくなったら、考えなよ。

シンジ ……………………

ちなみに、ミ○スでは、
この世は相対、を受け容れれば、が付いてくる。

なんて言ってますが、
これは東方の救世主嘘っぱちです。

マイナス(苦)とプラス(楽)はセットって意識してるから
意識に裏の意味が無意識に積み重なる。

マイナス(苦)とプラス(楽)はセットの裏は、
マイナス(苦)とマイナス(苦)のセットだ。

現実は無意識方向に変化する無常なんで、
下手すると、死ぬまで不幸のままです。

ここは、この世は苦しみしかない。苦諦
と、ありのままの真実を認めましょう。

なぜ、この世は苦しみしかないのか?

この世は、幸せと言えども奪い合いなのさぁ〜

得するとき、必ず誰かが損している。
これが、他を傷つけたカルマ(悪業)となって、
結局、大損してしまう。(生諦
四苦八苦とか七難八苦って言うでしょう。
何倍にもなって、苦しみが返って来てしまう。

この世は、奪い合いであると、
ありままの真実を見る(意識)事によって(八正道の正見)、
意識の裏の意味が無意識に積み重なる。(見るから[意識]が生起する)

奪い合いの裏は与え合いだ。滅諦

現実は無意識方向に変化する無常なんで、
やがて、無意識が創った与え合いの現実を意識する事になる。

話を元に戻すが、
人によっては、そんな試練を何度も繰り返すと思うが、
繰り返した分だけ、無意識に裏の実感が積み重なっている。
何度も繰り返すと、折り返す。(裏の実感が表に出る)

そんな、智慧の徹底で、苦を乗り越え、 彼岸に渡るのが六波羅蜜の道でもある。

では、ちょいと、
この世の仕組みをおさらいしながら、
そのについて、話したいと思う。

最後の方は、ちょっと表現を変えてます。
それは神通(超能力)について解く為だ。
この世は、縁起(相対)だでェ〜
得すれば、次は嫌でも損する。
楽しめば、次は嫌でも苦しむ。 これを専門用語で、

     諸行無常と言います。

この様に“この世は無常である”と、
ありのままを観ること、 正しい見解を持つことを正見と言う。

なぜなら、 自分がしたとき、必ず誰ががしている。
これが他を傷つけたカルマ(悪業)となって返り、
嫌でも(不景気)する事になるから。

いっとき、マーフィーの法則とかで、
思い通りの人生なんて流行ったけど、

古事記の岩戸伝説にも記されてるが、
須佐之男(スサノヲ)が大暴れした時、
天照大御神が岩戸ってところに隠れる様に、
自分が思い通りの人生を生きたとき、
必ず、他の自由を束縛している。
これが、他を傷つけたカルマ(悪業)となって返り、
夫婦喧嘩(誹謗中傷)など障害が発生し、 自由を束縛される。

アセンションの鍵は結婚にあった!!
夫婦関係=経済関係 夫婦関係が良くなれば、漏れなく収入もUPする。
そんなスピリチュアルもあるが、
異性にを求める事には、かわりないし、
理想のタイプって、大体、みんな同じなんだ。
だから、釈迦の予言書「法滅尽経」でも解いてるが、
恋も奪い合いであり、 理想の相手に出会えた時、
必ず、誰かが理想の相手と出会えなくなる。

これが、他を傷つけたカルマ(悪業)として返り、

ワイドショーで、お馴染みの 結婚直後、
急に旦那が働かず怠け者になったり、
お金持ちと結婚したはずが、 結婚直後、
旦那の会社が倒産し、 旦那が、もっとも嫌いな貧乏人なったり、
綺麗で美人な女性と結婚したはずが、
結婚直後、病気や事故に合って、
寝たっきりの醜い姿になってしまったなど、
夫や妻が悪人に変貌してしまう等の、
究極の不幸もGETする。

この様に、 ”この世は、何故、無常なのか?
と考え正しい思索をする事を正思惟と言う。

突き詰めると、
人は互いに傷つけながら、他に依存して生きてる。
他を傷つけない事には、人は生きられない。
これを専門用語で縁起と言う。

縁起:依存して生起する。

生まれるときは、 母親のお腹を痛めつけ生まれて来る。
それだけでは済まず、 最近では育児ノイローゼの親も増えた。
そして、 人は他の生物を傷つけない事には、 食べていけないし、
自然環境を破壊しなけえば、 生活住居が確保されない。

この自然環境破壊カルマ(悪業)が返り、
ノアの方舟なんて、 人類が地球から排除さらた話とかあるよね。

互いに助け合ってる訳じゃない。

だから、 ただ生きてるだけでは、悪業しか積み重ならず、
そのうち、 したくない嫌いな事を、しなくてはならなくなり、
ついには、 求めても得られない一切皆苦を体験してしまう。

これでは、良い事が無いんで他を傷つけた分、
善業(奉仕、寄付、恩返し)を積みましょう。
というのが六波羅蜜(善業>悪業の状態にする)だ。

苦と楽を分けず、得と損を分けず、 (無意識に苦と損を残さない)

理想の相手は苦楽表裏一体の関係性であり
自分と他人は苦楽表裏一体の関係性であり
自分と自然は苦楽表裏一体の関係性であり
自分と地球は苦楽表裏一体の関係性であり
自分と宇宙は苦楽表裏一体の関係性であり

そんな奪い合いの関係性を意識して、
善業(功徳:恩返し)を積むので、 無意識意識の裏の意味が積み重なる。

奪い合い
の裏は与え合いだ。

現実は無意識方向に変化する無常なので、
後に無意識が創った、 与え合いの世界を意識する事になる。

与え合いというのは和合とも言える。

男女が和合し、
自分と他人が和合し、
自分と自然が和合し、
自分と地球が和合し、
自分と宇宙が和合する。とも言える。

和合
ってのは、自分勝手な奪い合いではなく、
一体とか、一つになるなど、 他と繋がってくるとも言える。

さて、仏典では徳(功徳)を積むと、
六つの神通力(超能力)を得るとある。

種徳経 第三章
「こうして、遠離離貪の段を通過した者は、
 解脱を遂げて、六つの神通力を得るのである。
 それでは、この六つの力とは、如何なるものか。」

「一身が多身となれば、多身が一身となる。
 消えた姿が現れたり、水上を歩き空中を飛ぶ。
 全ての世界に出現する、これが、神足通である。」

「近くの音を聴こえて、遠くの音が聞える。
 人の声が聞えて来て、神の声が聴こえて来る。
 聞えない音が聴こえる、これが、天耳通である。」

「貪りを貪りと知れば、怒りを怒りと知る。
 疑いを疑いと知れば、善き心を善き心と知る。
 他の人の心を理解する、これが、他心通である。」

「あの時の姓はこうで、あの生の名はこう。
 あの生の糧はこうで、あの時の世の中はこう。
 前の時の世を理解する、これが、宿命通である。」

「近くの物を見とめて、遠くの者を認める。
 この世が見えて来て、あの世が現われて来る。
 見えない物を観とめる、これが、天眼通である。」

他の人の心を理解する他心通なんだけど、
なんで、他人の心が分かるかと言えば、
それは、自分と他人が繋がっているから。

徳を積むというのは、先ほど述べたように、
自分と他人が繋る(和合する)事でもある。

だから、そんな能力が、 芽生えても、おかしくないかもね?

徳を積む、 六波羅蜜の布施(善業増大)は、
未来に悪業を残さない行為でもあり(未来との和合
六波羅蜜の持戒、忍辱(悪業減少)は、
過去の罪(悪業)の清算とも言える(過去との和合

よって、前世や未来を知る、
宿命通や、天眼通が芽生えても、 おかしくないかもね?

なぜなら、 今と過去は繋がっていて、 今と未来は繋がっているから。

論点 神通と布施の関係について述べよ

神通の源は、功徳である。
精神性の高い存在に布施をなし、
多大なる功徳を積み、神通を得る。
布施とは、自我への執着の放棄であり、
その過程において、無為自然を体得する。
逆説的だが、それゆえに、
超常的な神に通じる力が具わるのである。

神通(超能力)って書いたけど、
人が本来もっている動物的感って奴だと思う。

動物というのは、
地震や敵が近かずくと、 危険を察知し、災難を避ける事が出来る。
これは、自然や地球と繋がっているから、
地震が予知でき、敵(他人)と繋がっているから、
危険を避けられると思われる。

古代人は現代人よか煩悩が少ないから、
そんな能力があったと思われる。
を積むって事は、人の根源に戻る事かもね?

ヒトラーの予言
そして大破局が起こる。近未来に起こる。
しかし救いのイエス・キリストなんか来ない。
(来ないについてはてくてくアセンションでね)
別の救世主が来る。 そのとき人類を救うのは人類を超えるもの……
彼らと彼女たちが、 新しい世界、新しい宗教を創る。

当たってたりしてね?

他人や地球との和合ってのは、
社会や地域和合って意味もある。

他人や社会に認められ、
それなりの仕事(天命、天職)や 地位が与えれる可能性もある。
他人や社会に認められ、
BLOGのアクセス数がUPしたり、顧客が増えてたり、そんな可能性がある。

また、社会や地域和合というのは、
信頼や評価の回復
という意味もあると思う。

だから、受験や就職、起業に失敗したとか、
本業にブランクがあるとか、
引きこもり、ニートで、 自分は何をして良いのか分からない。
なんてのは功徳を積んでりゃ〜、問題ないと思う。

また、人は職場でミスをし信頼を失ったり
企業など、顧客情報が漏れ信頼を失ったり なんて局面があるが、
これも功徳を積んでりゃ〜 職場(地域)や社会と和合し、
地位や名誉が回復すると思われる。

ちなにみ、
霊視で自分の前世や他人の前世が 分かるからって慢心してはいけない。

前世、イエスだの、釈迦だの、世界の王だの
そんな事を言い張る奴は、腐る程いるから。

それは、自分の無意識(潜在意識)に抑え込まれた、
たんなる願望(執着)を読んでる可能性があるんだ。
詳しくは眠りながらアセンションでね。

とは言うものの、全面否定も出来ない。

世界のイエス、世界の釈迦、世界の王というのは、
言い過ぎだと思うが、その小集団にとっては、
イエスであり、釈迦であり、 世界の王としての役を果たしていると思われる。

ただ、外に出ると反発が来る。
わしがぁ〜、本物のイエスじゃ〜!」なんてね。

なぜなら、誰の中にも、
イエス的な部分があり、釈迦的な部分があり、 世界の王の部分があるから。

これは、観ようと思えば、
誰でも、イエスや釈迦の前世が、 見える可能性があるってこと。

例えば、 俺は、基本的に神より法を帰依とするが、

いやぁ〜、イエス拝んで100万円、手に入ったでやぁ」 と来ると、
マジそれ!、神っているかも知んない!」 なんて思ったりする。

これが、俺の中にあるイエス的な部分だ。


ところで、功徳を積んでる御蔭か?

なんだか、良く分からんがぁ〜
親、経由で100万円、入ったでやぁ〜

しかし、この俺様は
その銭を、受け取る気は、さらさらなく
その話を、聞いた瞬間、これは親孝行のチャンスと思い、

全部、そっちで使えば良いじゃん」と、親へ財施恩返し)する。

自分を高次元から知る教に、銭、払ってた頃は、
親孝行したくても、そんな事は出来なかったどころか、
苦を受け容れれば、楽が付いて来る、なんつって
給料は未払いになるわぁ〜
気づけば変わる、なんてつって、仕事は無くなるわぁ〜
与える者は、与えられる、なんつって、奴らのMLMネズミ講)に、
2年間、救われるどころか、銭、救われるわぁ〜
何が、アセンションだかっ!

同じ2年間でも、こうも違うんだなぁ〜

まぁ〜、親へ財施したら、財施したで、
それなら、それで、俺様名義で、定期預金にするとかぁ〜
互いに利する順縁を思い出してね!

を積むと、の方が自分を離さない。と言うが、
この銭は、なかなか、自分の元を離れないようだ。

この世の仕組みを知り、
六波羅蜜など利他を実践してる人は、
親孝行と聞いて、ピィ〜ンと来たと思う。

民法には、老親に対する子の扶養義務がある。

偶然に、そんな義務(恩返し)がある訳じゃないんだ。

この世は、幸せと言えども、奪い合いだからね。
得するとき、必ず、誰かが損している。
これが、他を傷つけたカルマ(悪業)として返り、結局、損をする。

なので、六波羅蜜は、
この様に、ありのままの真実を認め、
他を傷つけない事には、人は生きられない。

生まれる時は、母親のお腹を痛めつけ生まれてくるし、
それだけでは済まず、最近では、育児ノイローゼの親も増えた。

だから、他を傷つけた分()、
恩を返す、感謝(恩返し)の実践だ。(善業積み、功徳積み

入菩提行論 第四章
人に生まれて、を清める機会を得たこと。
この機を逃せば、今度は、いつ巡り合えるか。
この身体を失って、今度は、いつ借り受けるか。

いま清められないで、いつ改められるのか。
これより楽しい世界で、罪を認められようか。
これよりも苦しい世界で、仏を称えられようか。
それゆえ、人の生は得難いと、仏陀は説く。

--- 省略 ---

罰に苦しむばかりでは、罪は清められない。
悪しき果に苦しむあまり、悪い因を作るため、
悪しき業に耐えることなく、悪い業が絶えない。

人に生まれながら、人を越えようとしない。
これに勝る罪はなく、これに優る欺瞞はない。
閻魔(カルマ)の使いが来たとき、初めて、それに気づく。

白羊と双魚と水瓶
ミサト  なぜ、イエス以降、聖者が少なくなったの?
リョウジ 白羊から双魚に、時代が変わったからさ。
ミサト  BC二千に始まる、白羊宮は、どんな時代?
リョウジ 人民から、選民が選ばれる時代なのさ。
     生贄にされる兄妹を乗せて、神に導かれ、
     空を飛んで連れ去る、羊の神話に由来する。

ミサト  なぜ、途中で、妹は海に落ちたのかしら?
リョウジ 自分の意志じゃないから、目が眩んだのさ。
ミサト  紀元元年に始まる、双魚宮は、どんな時代?
リョウジ 一元が、二元に分れていく時代なのさ。
     愛の神アフロディテと、性の神エロスが、
     怪物から逃げ、魚に化ける神話に由来する。

ミサト  なぜ、魚に化けてまで、逃げたのかしら?
リョウジ 神の導きがないと、性愛で獣に落ちるのさ。
ミサト  AD二千に始まる、宝瓶宮は、どんな時代?
リョウジ 意志が、意思に変っていく時代なのさ。
     身も心も美しい少年が、神の意思に適い、
     天に昇り、神に奉仕(恩返し)する、神話に由来する。

ミサト  なぜ、美しい少年が、救われたのかしら?
リョウジ 性や愛に溺れず、獣に落ちなかったからさ。
ミサト  つまり、今は、人類が獣に落ちた時代で、
     次の水瓶座になれば、聖者に救われるのね?

リョウジ その前に、自分の意志で、性愛を断てばな。
ミサト  ……………………

生贄にされる兄妹を乗せて、というのは、
まさに、得したと、必ず誰かが損している
得したとき、幸せなとき、必ず、誰かが生贄となっているって事だよ!
これが、他を傷つけたカルマ(悪業)となって返り、結局、大損する。

この様に、これがイエスの時代であり、二元に分かれる時代だ。

第二六話 旧約と新約
「神と人との契約は、時に応じて、移り変わる
旧き契りを果したとき、新たな契りが交わされる。
契れるからには、果たさなければ、千切れてしまう。」

「その昔、牡牛から牡羊に導く、使徒が現れた。
牛の像を壊して、神の戒を授ける、使命はモッサ。
選民が神の法を修めるとき、次なる教えが説かれる。

「その時、牡羊から魚座に導く、使途が現れる。
羊の命を奉げて、神の界を広める、指名はイッサ(イエス)。
万民に神の愛が伝わるとき、更なる考えが解かれる。

なにゆえ、
超能力で、姿、形をイエスに変えた者を教祖とする
自分を高次元から知るアセンション教を脱皮し、
その後、釈迦法縁が結ばれたのか?

それは、万民に神の愛が伝わるとき、更なる考えが解かれる。

旧約の裏に新約
マヤ  旧約では、何を、神と契約したのですか?
リツコ 律法を修める、選民が救われるってことよ。
マヤ  新約では、何を、神と契約したのですか?
リツコ 福音を信じる、万民が救われるってことよ。
マヤ  どうして、神の教えが、変わるのですか?
リツコ 時代が変わるときに、契約も変わるのよ。
    神は条件に合せて、最高の課題を下さるわ。

マヤ  どんなときに、条件が、変わるのですか?
リツコ 交されているものが、果たされたときよ。
    神は成長に合せて、最大の試練を下さるわ。

マヤ  でも、矛盾していたら、どうしましょう?
    旧約と新約、どっちを選ぶべきでしょうか?

リツコ あら、自分では、どちらか分からないの?
マヤ  ええ、今まで信じたものを、裏切れません
リツコ あら、それなら、もう少し、学ぶべきね。
    神は相手に合せて、最善の示唆を下さるわ。

マヤ  ……………………!!

人は、何かしら信仰してるからね〜

そうやって、
意識的に旧約(自分を知しるミ○スなど)を信仰するから、
意識の裏の意味が無意識に積み重なる

旧約の裏は新約六波羅蜜)だ。
万民に神の愛が伝わるとき、更なる考えが解かれるだ。

現実は無意識方向に変化する無常なんで、

旧約を積み重ね、旧約を極めたとき

最善の示唆が訪れる。

しかし、それは
旧約からの脱皮を意味するので
旧団体に愛着があると、脱皮(裏切り)は難しく、
なかなか、新約が結ばれないが、

チャールズ・ダーウィン:
強いもの、賢いものが生き残るのではない。
変化し続ける ものだけが生き残るのだ。

と言う事で、変化(脱皮)しなきゃさぁ〜

それに、極めただけに、その団体は変貌し始める。

下手すると、信者欲しさに
誇大広告や、の神秘体験による偽造で、人を集めたりと
犯罪的な方向にいってる可能性がある。
新約が現れてるから、尚更、そんな無理が起きる。

いずれにしても、そんな団体は
当てに出来ないものになっている。

それは、この様に、信仰といえども絶対ではないから。
信仰するが為に、真理が変化する。(新約が結ばれる)
時代や成長に応じて、法(真理)が変化するという事だ。

そう来ると
イエスの命令で、イエスを裏切ったユダ
そんな人類の正しい選択で、正しい型を演じたんだ。
イエスの次の時代水瓶座:アクエリアス)の型だ。

因みに
弥勒菩薩の象徴は水瓶だし、出口王仁三郎は水の型だし、
仏教のスーパースター、観音菩薩の象徴は水晶()なんだ。

ヒトラーの予言:
イエスが始めた仕事を、わたしが終わらせる。
いずれ、に頭を下げる獣が、に頭を下げる日が来る。

当たってるかもね?

そんな、智慧の徹底で、苦を乗り越え、 彼岸に渡るのが六波羅蜜の道でもある。

では、
彼岸に渡ろう。

釈迦縁起の法で、
カルマの法則を説明すると、
縁起とは、因縁生起の略であり、

因縁とは、

が「直接原因」、
が「間接原因」とされ、

因縁生起とは、
すべての現象・事物が、因と縁によって(依存して)生じる。

でわ、具体的な例として、仏典で話を進める。

蜜丸経 第一章

あるとき、わたしは、このように聞いた。

ある日のこと、仏陀は、カピラヴァッツの、
ニグローダ樹の園の中に、止まっておられた。
そこに、比丘衆が集まると、このように説いた。

「比丘達よ、今日、私の母方の叔父である、
ダンダパーニが、ここを訪れて、こう尋ねた。
なぜ、論争しないのか、なぜ、反論しないのか。」

「比丘達よ、私が、何も論じないで居ると、
ダンダパーニは、皺を寄せて、帰って行った。
彼は、何も反論しないのが、不満のようだった。」

「比丘達よ、何も論じず、何を論じるのか。
論争を出離するとき、七つの妄想が終焉する。
それでは、この七つの断とは、如何なるものか。

第一に、隠れている貪欲の根が、断ち切られる。
第二に、隠れている瞋恚の根が、断ち切られる。
第三に、隠れている愚痴の根が、断ち切られる。
第四に、隠れている疑念の根が、断ち切られる。
第五に、隠れている慢心の根が、断ち切られる。
第六に、隠れている生存の根が、断ち切られる。
第七に、隠れている無明の根が、断ち切られる。」

ここまで話すと、仏陀は、論じるのを止め
座を立って、奥の方に入って行ってしまった。
すると、比丘衆が、隠していた物が噴き出した。

「どうして、仏陀は、続きを説かないのか。
どうして、説かないのか、いや、解けないか。
なぜ、論争しないのか、なぜ、反論しないのか。」

抑え続けていたものが、出し尽くされると、
比丘衆は、少し落ち着き、辺りを見わたした。
彼らは、カッチャーヤナに、このように尋ねた。

「どうして、仏陀は、続きを説かないのか。
どうして、説かないか、いや、解けないのか。
尊者よ、この続きを、我々に説き示して下さい。」

「比丘達よ、何も論じず、何を論じたのか。
世尊は、何も説くことなく、何を解いたのか。
それらは、すべて、汝ら自身の姿に現れている。」

「比丘達よ、何も論じず、何を論じるのか。
論争を出離するとき、七つの妄想が終焉する。
それでは、この七つの断とは、如何なるものか。

第一に、隠れている貪欲の根が、断ち切られる。
第二に、隠れている瞋恚の根が、断ち切られる。
第三に、隠れている愚痴の根が、断ち切られる。
第四に、隠れている疑念の根が、断ち切られる。
第五に、隠れている慢心の根が、断ち切られる。
第六に、隠れている生存の根が、断ち切られる。
第七に、隠れている無明の根が、断ち切られる。」

仏陀が解く法を聞きに来たのに、
仏陀は、そんなセミナー、途中で止めて帰った話だ。

こっちは、銭、払ってから、当然、
どうして、仏陀は、続きを説かないのか!!
どうして、説かないのか、いや、解けないか!!

と、なるわなぁ〜

貪り怒り無智はセットなんだ。

この場合、
知りたいという貪りが、原因となって、
仏陀がセミナーの途中で、
帰ってしまうという怒りが付いてきたんだ。

直接原因()として、自分の中に貪りがあり、
間接原因()として、自分を傷つける他人がいる。

この場合、仏陀が自分を傷つける役を演じている。

結果、自分が苦しめられるって奴だ。(苦が生起

この話は、
あなたのせい と わたしのせいに似ている。

アスカ あ〜あ、変な夢見ちゃった、気分最悪ぅ!
ヒカリ どうしたの? 元気ないよ。
アスカ 聞きたい?
ヒカリ うん、聞かせて。
アスカ 夢で先生に怒られちゃったの。
ヒカリ どうして? なにか悪いことでもしたの?
アスカ ぜ〜んぜん、なにもしてないのよ。
ヒカリ それは、そんなふうに怒る先生が悪いわ。

アスカ あ〜あ、変な夢見ちゃった、気分最悪ぅ!
シンジ ……………………
アスカ 聞きたい?
シンジ 聞かないといけないの? 聞きたくないんだけど。
アスカ 夢で先生に怒られちゃったのよ。
シンジ ふ〜ん、なんか悪いことでもしたの?
アスカ ぜ〜んぜん、なにもしてないのよ。
シンジ それは、そんな夢を見たアスカが悪いよ。
アスカ なんですってぇ! あ〜あ、シンジのせいで気分最悪ぅ!
シンジ ……………………

アスカ 夢で怒られたので、ヒカリに慰めてもらった。
    今度は、シンジにも、慰めてもらおうとしたら、
    慰めるどころか、シンジは、あたしのせいだって。
    キーッ! むかつくぅ〜 これのどこが笑えるのよ!

レイ  あなたは、アスカの視点に、シンクロし過ぎなの。
    反対に、シンジの視点にも、シンクロすればいいの。
    ほら、このためには、シンクロしない視点が必要なの。

アスカ アスカが話し掛けて来た、話したくなかったけど、
    しつこく話し掛けて来るので、思ったことを話した。
    夢を見たのはアスカ、夢で怒られても、アスカのせい。
    アスカは怒り出した、話し掛けて来たのはアスカなのに。

レイ  どう? これで、オチが分かった?
アスカ ……………………
レイ  つまり、この対話のオチは“だれのせい”なの。
    一見、他人の責任に見えるものも、実は自分の責任。
    このオチが、三つの次元で、きれいに折り重なったの。

アスカ はぁ? どういうこと? 三つの次元ってなによ?
レイ  これだけ説明したのに、まだ、分からないの?
アスカ キーッ! むかつくぅ〜 あんたの説明が下手なのよ!
レイ  ひとつめは、登場人物が話している、夢の世界。
    ふたつめは、登場人物が暮らしている、対話の世界
    みっつめは、わたしたちが暮らしている、現実の世界。

アスカ はぁ? どういうこと? あたしたちも、オチてるの?
レイ  うん、きれいにオチてるの、まだ、分からないの?
アスカ キーッ! だから、あんたの説明が下手なのよ!
レイ  ほら、だから、それこそ“だれのせい”なの。
アスカ ……………………

シンジにも、慰めてもらおうという
貪りがある為、

シンジは、あたしのせいだって。
キーッ! むかつくぅ〜 これのどこが笑えるのよ!


てな感じで、怒りが付いてきたんだね。

アスカ キーッ! だから、あんたの説明が下手なのよ!

これは、知りたいという
貪りがあるんだ。
だから、説明が下手という怒りが付いてきたんだ。

成功本を沢山かったり、セミナーに行っても、こんな事になるから気を付けてね。


自己愛で説明すると、人には、
日本の国こそ、神の国なのじゃ〜
日本人こそ、神なのじゃ〜、
僕達、私達は、アセンションしましたぁ〜とか、
先発隊は7次元まで行ったぁ〜なんて、
自分が重要な存在でいたいという欲求がある。

一番に成りたいという自己愛(プライド)を持ってる人は、
既に、一番に君臨している人を敵視する。
なぜなら、そんな一番の人がいると、
何時まで経っても、自分の自己愛(プライド)が満たせないから。

なぜ、一番に君臨している人が存在するかと言うと、
人には自己愛(プライド)という貪り)あるが為に、
自分を傷つける、その様な人()が発生し、
もれなく怒りが付いて来たってとこかな。

これを、全てを神仏の現れとみる、
観音菩薩カルマ・ヨーガでは、、
そんな、自分より上の人達を、
そんな、自分の過剰自己愛という貪り部分()の投影()と見る。

因みに、観音菩薩は、33の化身を有し、
どんな衆生の姿形をとっても現れると言われてる。

そんな、自己愛が、現代に適応した形で発揮されれば、
他の人達の為になる業績を残す原動力となる可能性もあるが、
現代は、自己愛型社会とか誇大自己が指摘されるなど、
これが、青少年の「異常な犯罪」の原因であるとも言われている。

とは言うものの、
自分より、お金持ちな人は必ずいるし、
自分より、祐福な人は必ずいる。
自分より、優れた人も必ずいる。

これでは、何時まで経っても、自己愛プライド)が満たせない。
ますます、怒りが収まらないところではあるが、

仏教など、全てを仏と見る観音菩薩カルマ・ヨーガでは、
そんな自分より上の人達を、
自分の過剰自己愛プライド)の投影と見る。
すると、怒りが静まり、他を受け容れる事が出来ようになる。

自分の過剰な部分=自分より上の人
なんて感じで、他に投影されているかな。

仏教の
唯識論的に言うと、
自分が
となり、外界の他の人がとなり、
結果、自分の過剰な自己愛(執着)が引き出された。

過剰な自己愛プライド)・傲慢などの、
欲望を超えたのが、大自然と言われている。
自然は、大きい木も、小さい木も、
大きくなりたいとか、小さくなりたいとか、何も言わないからね。

傲慢(ごうまん):思い上がって横柄なこと。人を見下して礼を欠くこと。

自分が、他を見下してる心の部分の投影が、
そんな、自分より上の人って形で、
投影されてると言ってもいいかもね。

自分が正しいとか、
何かしら、プライドを持ってる人は、
その、
プライドが傷つけられる段があるって事だよ。


スピリチュアルなんかでは、

  比較しないは、すんばらしい

なんて、現実的でない事を言ってますが、
これは、比較を超えた話でもある。

さて、さて、先ほど、過剰自己愛が、
青少年の「異常な犯罪」の原因と書いたが、
大人の世界すら、そんな過剰自己愛があるかねぇ〜

そんな、親(大人)の過剰な部分が、
青少年の「異常な犯罪」として、投影されてるとも言える。

親(大人)と子は、繋がっているから。

これが、分かってくると、
そんな他人を受け容れられるようになり、
他人に対して憎悪しなくなるんで、
未来における悪業(カルマ)が減ると思われるが、
あれしたい、これしたいという貪りが無くなった訳じゃない。

だから、何度も傷つけられる。

しかしながら、
何度も、繰り返すと条件が変わる。
この条件というのは、間接原因()の事です。

前回も話したが、
自分の場合で言うと、ここ最近、残業が多くて、
やったぁ〜、盆休みは、銭があるぞぁ〜(
なんて思ってたら、とたんに、残業規制()が入った。

そんな苦に耐えていたら、結局のところ、
必要な残業が発生し、残業をなくせという割には、

それは、ロロさんの許可を貰ってるんで、
こちからも、お願いします。


なんて、規制があって無い様なものだ。条件が変わったんだね。

原因の裏に結果
カヲル 原因が結果を生んで、結果が原因を生む。
    因と果を重ねることで、時間が流れるのさ。
レイ  結果に囚われるほど、時間はどうなるの?
カヲル 因果の連鎖に縛られ、実感に溺れるのさ。
    つまり、環状に流れて、同じ事を繰り返す。
レイ  原因を確かめるほど、時間はどうなるの?
カヲル 因果の連鎖を離れて、実感を越えるのさ。
    つまり、感情が解れて、次の事に移り変る

レイ  それなら、実感とは、因果を繰り返して、
    原因が見えないほど、当然に見えてるもの?
カヲル そうさ、その最たるものが、感情なのさ。
レイ  ううん、わたしには、そうは思えないの。
    純粋な因果は、感情を越えているはずなの。
カヲル どうしてさ? どうして、そう思うのさ?
レイ  だって、1+1=2、これは当然だと思う。
カヲル ほら、意識的に、冷静を装っているけど、
    でも、無意識では、実感に溺れているのさ。

レイ  ........................

ただし、俺の場合、
この世の仕組みを知り、六波羅蜜で、
善業功徳)を積んでるから、苦に耐えて悪業が落ち、
大事に至る前に、条件が速く変わったなど、
善業が現れたとも言えるんで注意してね!

先ほど説明した、恋愛も同じと言える。


アスカ でもね、好きだからこそ、譲りたくない。
    結婚って、そもそも、そういうものだよね。

ヒカリ うん、だから、いずれ、離婚しちゃうの。

譲りたくないという貪りがあるが為、
自分を傷つける恋敵など
が発生する。

しかしながら、
何度も、繰り返すと
条件)が変わる。

自己愛
に関連すると思うんだけど、他にも、
他より幸せになりたいという欲求
が人にはある。

これも、貪りなので、当然、
怒り無智が襲いかかる。
どんな、
怒り無智が来るかと言うと、
これが、
嫉妬ってかたちで、自分より幸せな人を見る事になる。

仏典で言うと、
帝釈所問経 第一章 だ。
教え子が、自分を超えて行くのを見て、
嫉妬する話だ。

直接原因
として、自分の中に貪りがあり、
間接原因
として、自分を傷つける他人がいる。

この場合、教え子が自分を傷つける役を演じている。

結果、自分が嫉妬し、苦しめられるって奴だ。(苦が生起

この場合の直接要因
貪りは、
他より幸せでありたい、
他より優れていたいなどの欲求や
自己愛となる。

最近、流行りの引き寄せの法則だが、

フォーカス・チェイング
だが、チェンジだが忘れたが、

欲しい物に集中していると、欲しい物を見掛けるとか、
言っていた記憶があるが、見掛けただけで、手に入れた訳じゃない。

それは、引き寄せてるんじゃなくて、
自分の欲しいもを持ってる人を見せられて、
嫉妬させられてる様にも見える。

人が欲しがる物ってのは、
大抵、高級車とか
他より良い物を欲しがるからねぇ〜

なぜ、自分より、お幸せな人がいるかと言えば、
そんな、
欲求があるが為とも言える。

人ってのは、そんな欲求があるが為に、
自分より上の人を見ちゃ〜
不満や不幸を感じ、もっと、もっと、幸せにと、

100%の成功方法とか、
眠りながら億万長者とか、
オーダーすれば、何でもかんでも願いが叶うとか、

そんな、
セミナーやら、
そんな、
スピリチュアルに手を出すけど、

なんかぁ〜、怪しくなって来たねぇ〜


釈迦
一元論は、そんな貪りですら静める、
他との比較を超えた論理だ。

何回も言うが、スピリチュアルの、
比較しないって、すんばらしい!

じゃないからね!

これは、ある意味、足るを知る事にもなり、
必要以上に、信者を集めたりとか、
必要以上に、幸せを求めたりとか、
無理する事もないじゃないかなぁ〜、なんて思う。

この世は、幸せと言えども
奪い合いだからね。

するとき、必ず誰かが
している。
これが、他を傷つけた悪業(カルマ)となってが返り、
結局、
大損する。

これでは、やがて、
嫌いな事をしなくてはならなくり、
終いには、求めても得らない一切皆苦に落ちてしまうんで、
必要以上の
貪りを抑え、同時に、
他を傷つけた分、他に恩返し(
奉仕)をし、
善業
功徳)を積みましょうってのが釈迦一元論だ。

次元上昇してんじゃ〜、ないからね。

そろそろ、奪い合いではなく、

この世の仕組み
を知り、分かち合いの道奉仕)に、
折りかえっても良いんじゃなかなぁ〜


この世は、欲しいもんは奪い合いなので、
誰ががすると、必ず誰ががをする事になる。
苦に耐えるというのは、を選んでるが、
これは大自然のアセンションでも書いたが、
大自然と一体化した、あるがままの生活って事でもある。

何回も言うが、自然はあるがままに生きてる。
あるがままというのは、必要以上に貪らないって事だ。
自然は、その様に生きてる。

大自然との一体化(繋がる)は、和合って意味もあるんで、
気ままにアセンションで書いた、神秘体験が起こるかもしれない。

だから、そんな智慧を持ち、正しい生き方をすると、
一番に成りたいという自己愛(プライド)を持ってる人は、
もしかしたら、一番に成れるかもしんない。

ちなみに、弥勒菩薩の境地は、
全ての嫌悪・憎しみ・怒りを止滅した寂静と、
それに伴う「智恵と慈悲(分かち合い)」の境地はとも言われている。
静寂というのは、大自然と一体化した境地とも言える。

何回も言うがミ○スの、

この世は、相対!!
苦を受け容れれば、楽が付いて来る。


じゃないからね!

これは、俺様とは逆なんだ。

付いてくる楽という貪りには、
怒り無智がついてるってのが釈迦一元論だ。
次元上昇してんじゃないからね。

因みに、これは、
マイナスプラス必ずセットなんて意識してるから、
意識の裏の意味が無意識に積み重なる。

マイナスプラスはセットの裏は、
マイナスマイナスのセットです。

現実は無意識方向に変化する無常なんで、
仕事が無くなったり、
気づけば、奴らのMLMネズミ講)で、
救われるどころか、銭、掬われました。
詳しくはかごめ、かごめの法則でね。

必ずという絶対も実体のないって事さぁ〜

ここは、この世は苦しみしかない正見しましょう。

なぜ、この世は苦しみしかないのか?

それは、
貪りの裏には怒り無智があるから。
貪り怒り無智はセットって事だ。

そんなセットを意識してるから、
無意識意識の裏の意味が積み重なる。

無智の裏は智慧だ。

現実は、無意識方向に変化する無常なんで、
冒頭で述べた様に、苦に囚われない智慧正見)が発生する。

これは、
神から使命さずかったとか、
僕は、5次元まで行きましたぁ〜、じゃなくて
自分には功徳がなく、無智だ、という謙虚さが必要って事でもある。

何回も言うが、
自分に対し、無智と意識するから、
無意識意識の裏の意味が積み重なる。

無智の裏のは智慧だ。

現実は
無意識方向に変化する無常なので、
やがて、智慧(
正見)が得られる。

逆に、そんな謙虚さがなく、
なんやぁ〜、神から授かったとか、

5次元まで行ったとかいうセミナー講師は怪しいという事になる。

因みに、無智とは、
貪りの裏に怒りがあると、ありのままに現実を見れない事だ。
見れないから、他に憎悪し、悪業を積んでしまう。

他にも、人には、
思い通りに生きたいなどの貪り(自己愛)がある。
これも、貪りなので、怒りと無智がセットで襲いかかる。

これは、自分も何とも言えないんだけど、
なにかしら、障害が発生すると思われる。

したかった仕事に就いたが、
一緒に仕事する人が、異常な程、出来なさ過ぎで、

自分の仕事の足を引っ張ったり、思い通り仕事が出来なかったりする。
そんな人には、憎悪しがちだが、
釈迦一元論を知ると、そうでもなくなる。

なぜなら、よくよく思索してみると、
その人が出来ない事に怒りを感じてるのではなく、
その人の出来なささは異常に多く、クレームが本人に変えるのではなく、
責任を持つポジションに位置する、自分を通して返ってくる事に怒りを感じている。

それは、言いかえると、自分の名誉が傷つけられて怒りを感じているんだ。

この様に、他に傷つけられる場合は、
自分の名誉や地位に執着してる場合が多い。

当然、これらの執着も貪りなので、そんな形で怒りが返る。 なぜなら、よくよく思索してみると、
その人が出来ない事に怒りを感じてるのではなく、
その人の出来なささは異常に多く、クレームが本人に変えるのではなく、
責任を持つポジションに位置する、自分を通して返ってくる事に怒りを感じている。

それは、言いかえると、自分の名誉が傷つけられて怒りを感じているんだ。

この様に、他に傷つけられる場合は、
自分の名誉や地位に執着してる場合が多い。

当然、これらの執着も貪りなので、そんな形で怒りが返る。

因みに、
ミ○ス論理(ミ○ソフィア・ミ○ス研究所・ミ○スアカデミー)の、
オーダーすれば、何でもかんでも願いが叶うって奴も、
立派な
貪りなんで、怒りと無智が付いて来るんで、気を付けてね!

巷には、セミナーや成功本が沢山あるが、
そんな、外的条件間接原因)でテクニックを変えても、
結局、人の心が変わらないと、何も変わらないって事だよ。

この世は、相対!!
苦を受けれれば、楽が付いてくる。
これが、一厘の仕組み!!

なんてぇ〜な、マテリアルが流行ったが、

その一方で、
苦を受け容れるんじゃなくて、
苦を受け容れようとしてるだけで、
苦を受け容れられない、なんて人が続出したんだ。

当時、そんな
マテリアルが流行る中、
そんな人達の相談に乗った事があるが、
うなもん提唱した、
マリッジコードには出口は無く、

苦を受け容れるんじゃなく、
苦を受けれようとする行為は、
まちがいなく、そこには、
楽が欲しいという
貪り(エゴ)があるんだ。

だから、苦を容れるんじゃなく、
それは、苦を受けれようとしてるだけで、
これでは、楽が付いてくる訳がない。

救世主の
矛盾点だ。

しかしだっ!!


釈迦
一元論は、そんな貪り(エゴ)を消すので、
苦を受け容れる様になる事が出来るんだ。
そんな話が、
貪り怒り無智はセットの話だ。

そんな、
マテリアルで形を変えても、
心が変わらないと、無駄って事だよ。

ただし、
善業功徳がないと、
条件
が変わったときはぁ〜、プラマイちゃらで終わってた。
そんな可能性もあるんで、気を付けてね!!

苦を受け容れるというより、
苦に強くなってるとも言える。

もう一つ言わせてもらえば、

この世の仕組み
を知ってる人は分かると思うが、
釈迦
一元論は、物質面でも、精神的面でも、
他と分かち合う、感謝(慈悲)の実践だ。

しかしながら、そのミ○スの人は言う。


他の為に、何かしたい。
それは、自分を上に見て、他を見下すエゴだ。


なんてね。

これは、ある意味、あたってる。

べつに、その人だけが、そう思ってる訳じゃなく、
世界に支部を持つ、民間援助団体
NGOもそうだ。

グリーンピース(Greenpeace)などで有名な
NGOだが、
援助してると、どうしても、


与えてやってんだ。

そんな、上下関係が出て来てしまうと言う。

そんな問題を解決するべく、
無償援助ではなく、集めた古着など、
安く買ってもらうなど、試行錯誤してると聞く。

だが、形を変えたところで、
そんな
エゴが消える訳でもない。


しかしだっ!!

釈迦
一元論を知ってる奴わぁ〜違う。
釈迦
一元論は、そんなエゴも消してしまうんだ。

形を変えたところで、
人の心が変わらないと、何も変わらないのさぁ〜

ミ○スでは、
環境問題は人類全体の問題だが、
その縮尺は、結婚だの家族だのと、
世界を救いたければ職場からなんて、
カッコ良く、もっともらしいい事を言ってるが、
大きいところから始めようが、
小さいところから始めようが、
そんな形を変えたところで
人の心が変わらないと、何も変わらないのさぁ〜

うなもん、救世主嘘っぱちです。

世界を救いたければ、改神・改心・改身からぞぉ〜!

因みに、改心した人向けに話すが、
世界も独立して存在してる訳ではなく、他に依存(縁起)して存在しているし、
家庭とか職場も、それ自体、単体で独立して存在してる訳ではなく、
他に依存(縁起)して存在してる。

世界は、家庭職場との相互依存(縁起)で存在しており、
家庭職場は世界との相互依存(縁起)で存在している。

だから、家庭職場を良くすれば、依存している世界は良くなるし、
世界を良くしようと思ったら、依存している家庭職場も良くなる。

世界を良くしようと思ってる人は世界から行えば良いし、
家庭職場を良くしようと思ってる人は、家庭職場から行えば良い。
自分が向いてる方から、善業を積みば良いんですよ。

どちらでもよい。

とちらにも、極端に偏らず、中道って奴だね。釈迦の解いた不苦不楽の道だ。

良く、問題は別のところにあった。なんて話を聞いた事ないかい?
そこが解決したら、あの問題も解決したなんてね。
それは、この世の、あらゆるものは相互依存関係で成り立っているからさ〜

まぁ〜、私利より、公利を優先するって事だ。

自分を良くしたければ、家族の利益を優先し、
家庭を良くしたければ、職場の利益を優先し、
職場を良くしたければ、世界の利益を優先すれば良い。

例えば、残業規制ってもんがあるが、
これは、まちがいなく家庭(自分)には良くないが、会社(職場)に良い。
残業欲しさに、残業する奴もいるが、それは会社()の利益を奪っているので、
利益を、残業規制って形で奪われる事になる。

節電なんて言うのは、手間が掛かり、面倒だが、
CO2など地球環境問題など、世界全体の利益を考慮した行為だ。

意識的世界全体の利益節電を行っているので、
意識の裏の意味が無意識に積み重なる。

世界全体の利益の裏は自分の利益だ。

現実は無意識方向に変化する無常なので、
やがで、世界から利益(名誉など)が与えられたりしてね。

自分全体は相互依存関係(縁起)で繋がっているから、
全体が良くなれば、自分も良くなる。

自分を優先すると、全体の利益が悪くなり、
自分全体縁起(相互依存関係)してるから、自分も悪くなる。

なかなか、出来る事じゃないけどね。

六波羅蜜なんかやると、そんな試練が毎日あり、毎日が功徳積みの実践となる。

世界(全体)を救いたければ職場(自分)から
その縮尺は、結婚だの家族だのなんて、向かう方向がなんだよ!!

そこには、
自分の家族、自分の職場、自分の仕事、なんて、
自分の物」に対する我所執貪り)が発生してる事に注意してね

映画「マトリックス レボリューションズ」だっかなぁ〜
愛するトリニティーを救うか、ザイオン(世界)を救うか、
選択に迫られた主人公を思い出す。

この選択を実際にやった人がいるみたい。

昭和天皇:
私は、日本国民が、戦争を闘うために行った、
すべてのことに対して、全責任を負う者として、
私自身を、諸国の採決に委ねるため、お訪ねした。
自分の事はどうなってもいい、国民を救って欲しい。

と、自分の身と、財産を諸国に売って、
戦後、飢えで苦しむ国民の食糧を外国から買い、分け与えたと聞く。

かつて、インドの聖者は言いました。


  全ての衆生に哀れみをたれるという考えは傲慢であり、
  全ての人々を神の現れと見て奉仕せよ


この世の仕組み
を知り、
六波羅蜜
など利他を実践してる人は、
身にしみる言葉だと思う。

自分の為にも、させて頂くといった方が良いかもしれない。

智恵と慈悲
分ち合いとは、
仏教の修行で獲得すべき二大徳目と言われてるらしい。

智恵とは、
現象をありのままに見る・理解する力であり、
慈悲
分ち合いとは、
他の苦しみを取り除き、幸福を与えることである。

なぜ「智恵と慈悲
分ち合い」が不可分であるか?

それは、「智恵」がなければ、
無智が生じ、その結果として、
貪りとその裏の怒りが生じるからである。

貪りは際限がなく、
必然的に他の生き物との「奪い合い」に至る。

無智に基づいて快楽を貪れば、
必ず、同時に苦しみが生起し、怒りも生じる。

無智を滅して、貪りと怒りを滅するならば、
快楽と苦しみの双方が止滅し、

不苦不楽
の寂静の状態になるということである。
これも、
涅槃寂静と言える。

ちなみに、無智とは、
貪りの裏に怒りがあると、ありのままに現実を見れない事だ。
見れないから、裏の怒りに囚われ、貪りに執着してしまい、
他に憎悪し、悪業を積んでしまう。

もう少し、貪りの裏にある怒りを説明すると、

ここに来た人は、自分と同じように、
セミナーとかに騙された人が殆どだと思う。

そんな、騙した人が幸せになったらどうする?

せっかく、ここに来て、
真実を知って、功徳を積んだりと利他実践をしてるのにねぇ〜

我が神を捨てたくなるほど、カチ〜ンと来るでしょう。

そんな感じで、貪りの裏の怒りが来るって事です。

仮名と真名(日月神示)
ミ○クには、五六七と六六六の、仮名あるぞ。
五六七は、世の善の映し、みな、この名を祝うが、
六六六とは、世の悪の写し、みな、この名を呪うぞ

善の五六七、悪の六六六、どちらも、ミ○ク。
三六九は、世の業の移し、合わせて、十と八の世。
覚めて下されよ、弥勒の世、いよいよ、近づいたぞ

我が神、捨てたくなるまで、からくり続くぞ
知恵ある者は解きなされ、五六七、の裏の、六六六

その、からくりって奴です。

輪廻と涅槃
愚かになれない、私は、ここで、唖然とする。
誰も及ばない最善とは、実に、誰も適わない独善。
善業を究めた、第六天の王座に、悪魔が潜んでいる。

よく、一所懸命やってんのに、

周りばかり、もうかってっ!!

なんて話を聞くが、そんな感じで、
貪りの裏の怒りが来てるとも言える。

この世の仕組みを知り、
功徳を積むと、最後に、そんな試練が来るとも言えるんだ。

それは、それだけ功徳を積んだとも言えるんだ。

五六七という六六六
シンジ 君なら、誰が、弥勒なのかを、知っているよね。
    僕は、救世主を信じたいんだ、だから、教えてよ。

カヲル 教えられて信じても、自分を信じただけなのさ。
    信じたいと信じるけど、信じたくないと信じない。
    彼の善い名は信じるけど、彼の悪い名は信じない。
シンジ えっ!? 弥勒には、善い名と悪い名があるの?
カヲル そうさ、世界の雛型だから、善悪を包含するのさ。
    人類には、それが、分からないから、分けてある。
シンジ ふ〜ん、じゃあ、弥勒の善い名って、なんなの?
カヲル 弥勒は、五十六億七千万年後、人類を済度する。
    そういう、善の姿をして、五六七と呼ばれるのさ。
シンジ ふ〜ん、じゃあ、弥勒の悪い名って、なんなの?
カヲル 裏を返せば、その間はずっと、人類を統治する。
    そういう、悪の姿をして、六六六と呼ばれるのさ。
シンジ つまり、それが、欲六界の第六番目の第六天界
    堕天使の果たす役と、同じだって、言いたいわけ?
カヲル そうさ、実は、五六七と六六六は、表裏なのさ。
シンジ ははは、なかなか、面白い冗談だよ、カヲル君。
    冗談はいいから、早く教えてよ、誰が、弥勒なの?
カヲル ........................

もう少し、具体的に、
貪りに付いてくる怒りについて話す。

ここに来てる人は、俺と同じように、
与えるものは与えるからさぁ〜
なんつって、ミ○スMLMネズミ講)で騙された人や、
宗教やスピリチュアルに騙されたり、
100%自己実現系セミナーに、
救われるどころか、銭、掬われるなど、
真実を求め、真実を知り、世の中、変えたいとか思ってると思う。

しかしだ、そんな、自分を騙した人達が、
自分よか有名になり、幸せになったらどうする?

騙されて、ここに来て、真実を知り、功徳を積んでんのにねぇ〜

まさに、我が神、捨てたくなる程、カチ〜ンと来るでしょう。
そんな感じで、貪りの裏の怒りが来るって事です。

まさに、第六天の王座に、悪魔が潜んでいるって奴だ。

この場合の貪りは、
我こそが、救世主なりぃ〜とか、そんな因だね。
だから、囚われると宗教戦争だ。

第十七話 縦糸と横糸
神が説かれなければ、神に背くこともなかった。
神に従う者が現われて、神に逆らう者も現われた。
我らが彼らを許せば、逆らわなかったかもしれない。

自分の教えこそ絶対というプライド(貪り)を持っている人は、
我こそ、絶対の真理なりぃ〜なんて、自分に反発(怒り)する人を見る事になる。

この世は相対(縁起)なんでぇ〜
自分に従う者が現れるのと同時に、そんな感じで反発(怒り)する人も現れるって事さぁ〜

与党と野党みたいなもんで、囚われると宗教戦争だ。

別な言い方をすると、
自分に従う者が現れるのと同時に、そんな感じで、
自分から離れる人、自分から去る人も現れるって事だ。
アクセスが減ったりとかね。囚われない事だ。

この苦に耐えると、悪業が落ち、善業が現れる。
それは、多神を認めただけに(多神を意識しただけに)、
無意識に裏の意識の意味が積み重なる。

多神の裏は一神だ。

現実は無意識方向に変化する無常なので、
やがて、絶対神が復活する。

第六四回 一厘の仕組
…… 富士 の裏に 鳴門

富士は、不二、一になること。
鳴門とは、成十、十になること。
イシヤとメシアが、一つになると、
神の仕組が、みなよし、十分になる。

人事は、イシヤの仕掛のこと。
これよし、あれあし、われよし。
イシヤが、世界の九分九厘を占め、
獣となった人々は、互いに憎み合う。

神事は、メシアの仕組のこと。
これよし、あれよし、みなよし。
メシアが、残る一厘の仕組を示し、
神となった人々は、互いに愛し合う。

一厘の仕組に、気付いた者が、
九分九厘を拒むと、一厘となり、
九分九厘を認めると、十分となる。
富士を悟らないと、鳴門に至れない。

ただし、指摘も出来ない程、帰依すれって意味じゃない。
それは、楽して儲けたいが為に、
無思考で教祖にすがってるって奴だ。

そんなものは、カルマ・ヨーガじゃないからね。
だから、本物だけが力となる。

ちなみに、さっきの例だが、
騙された相手だけに、なおさらカチ〜ンと来るんだよね。
だから、第六天の王座に、悪魔が潜んでいるとも言える。
逆に言うと、そうでない相手にはカチ〜ンと来ない。

怒りにも、それなりの条件があるって事さぁ〜

怒りの条件は人によって様々だ。
それは、名誉や地位を失う事が怒りの条件の人もいる。

だから、仏教宗派の一部においては、
悟りが訪れる前には、試練がある」とよく言われている。

自我執着
(貪り)を越えて、
悟りを得ようとする場合に、単に瞑想修行をするのではなく、
現実の世界において、試練を超える必要がある、といわれる。

この「試練」では、自分が執着しているもの、
例えば、地位や名誉が相当に失われる場合もある。
と説かれることがある。

特に、チベットのカギュ派や、
ニンマ派の教えにおいても、よく説かれている。

そして、この試練を乗り越えるためには、
日頃から、できるだけ教学して、
すべての苦しみ自我執着(貪り)によって生じていることを理解し、
苦しみを悟りのためのプロセスとして、喜びにする修習が必要である。

この点について、経典には、
苦しみは導き手であると考えよ」と説かれている。

この世の仕組みを知り、功徳を積めば、積むほど、
どう見ても、へんちくりんなセミナーに人が集まったりと、

世の中、おかしい、狂ってる!!

なんてな、貪りの裏の怒りが付いて来るって事だ。

あっちばっか、人が集まって!!
とか、
あっちばっか、金が集まって!!とか、
あっちばっか、アクセス(人気)があって!!など、

なぜなんだぁ〜!みたいな怒りだな。

この世は相対(縁起)だでぇ〜
功徳財施)という「」が流れ出せば、同時に「」も流れだす。

あっちばっか儲かってなんて見えるが、
MLMネズミ講)で儲けた銭(不労働所得)で団体を運営していたり、
偽造体験談(偽造奇跡)で集めた人だったり、
ランキング操作で獲得した「人気、名誉、地位」だったりする。

この場合の貪りは、
信者を増やしたいとか、有名に成りたい、そんな直接原因(因)だな。

これは、どちらかと言うと、
自分の信仰こそ正しい、とか、
自分の信仰こそ本物なんていうプライド貪り)が原因で、
他に傷つけられてるとも言える。

人は何かしら信仰している動物だからね。

そんな信仰(流布)も貪りだから、
そんな形で、怒りが付いて来ても、おかしくないんだ。
対極の信仰が有名になったりと、カチ〜ンと来たりする。

だから、昔、江原 VS 細木、なんてな風潮があった気がする。

まさに、善業を究めた、
第六天の王座に、悪魔が潜んでいるって奴だ。

そんな、江原に細木、お化けの三輪をどうみるか?

自分を騙した奴らが、自分よか幸せになる。
そんな、人を支援したり、そんな人達にスポンサーが付いたりと、
そんな、人達にお金が集まったりする。

そんな、人達を、どうみるか?

我々は、もう少し智慧を磨こう。

全てを神仏と捉える観音菩薩カルマ・ヨーガだ。
六波羅蜜で言うところの、忍辱波羅蜜だ。

人ってのは、なかなか自分の悪い面を見ようとしないんだ。
例えば、 人ってのはごめんなさいって言えないものだ。
特に、職場で怒られた時なんか、プライド自己愛)があるから、
ごめんなさいを言うどころか、この野郎と、反撃に出たりする。

これは、意識的悪い面を見ないようにしてると言っても良い。

だから、自分の悪い面が、無意識に残る。

現実は、無意識方向に変化する無常だから、
そんな、自分の無意識部分を他人が演じ、
怒りを感じる人達を見る事になるんだ。

ミラレパという人がいる。

今でこそ、聖者と呼ばれているが、
当時は、黒魔術で、数十人を殺害し、一つの村を滅ぼした人らしいんだ。
しかし、村の悲惨な状況を観て、改心するが、
自首(罪滅ぼし、恩返し)はぜず、山にこもる。

これは、何を意味してるかというと、
人ってのは、この様に、なかなか善業が積めない動物って事だよ。
そんな、自分の悪い面の投影が、そんな人達なんだ。

その団体にいて、なんかおかしい!!
それは、悪い事ちゃうん!と分かってはいるが、
自称、使命を授かったとかいう教祖が言うから、
なかなか、それを、やめる勇気がないとかね。

これって、必要以上の貪りをしないに似てるが、

そんな、なかなか善業が積めない、自分の悪い部分の投影が、そんな人達だ。

この世の仕組みを知り、六波羅蜜なんか行うと、
良い事をすれば、良い事が返るのではなく、
良い事をしたが為に、先ず悪い事が起こる。
そんな苦に耐えると、悪業が落ち、善業が現れる。
と、分かってはいるのだが、分かっているが為に、

どんな悪業が発生し苦しむのか?

それが、怖くて、なかなか善業が積めない。
そんな、時もあったりするんだ。

この様に、人ってのは、なかなか善業が積めない弱い生き物なんだ。
そんな、なかなか善業が積めない、自分の悪い部分の投影が、
そんな、カッコイイ事は言うが、実際は儲け優先の人達であり、スピリチュアルだ。

大体、人生をやり直したいと思っている人に対して、
スピリチュアルや、100%自己実現セミナーは銭とるからねぇ〜
困ってる人から、さらに銭を盗る、そのやり方は、俺には良く分からないし、
無視(無意識残せない)できない、
スピリチュアルやセミナーに宗教の、分からない部分でもある。
ただ、何でもかんでも与えると、努力しなくなるという問題もある。

懺悔というものがあるが、
これは、そんな自分の悪い面意識的に見る実践だ。
そうする事で、無意識意識化し、業(カルマ)を弱めてるとも言える。

これは、分かれた無意識と意識を合わせてる事で、
カルマを弱めてると言えるのだが、
もっとも、簡単な方法が瞑想やヨーガで行う呼吸法って奴なんだ。

呼吸というのは、普段、無意識でしてる。
この呼吸を意識して行う事により、意識と無意識を合わせる。

吸って、3秒ぐらい息を止め、息を吐く。
また、息を吸って、3秒ぐらい息を止め、息を吐く。なんてね。

意識と無意識を合わせると、
心が静寂に向かう効果や、気が上昇する効果があるみたい。

それらについて、詳しくは知らないのだが、
心も独立して存在してる訳じゃなく、身体との相互依存関係(縁起)で繋がってるし、
身体も独立して存在してる訳じゃなく、心との相互依存関係(縁起)で繋がっている。

せっかく、良い事を考えても、副業でMLMネズミ講)をやったりなど、
普段の行動が悪ければ、それは、心にも影響する。
良い事よりも、どちらと言えば、不平、不満、愚痴で一杯の思考が現代人だろう。
となると、なかなか、良い事が表に現れにくいと思われる。

普段から、呼吸法など、心と体を一致させる事を心がけるならば、
心は、良い思考で一杯になり、智慧が磨かれたりなど、良い事が起きてもおかしくない。

だから、六波羅蜜の利他実践は、第一に布施の実践から行う。

貪り怒り無智の話に戻るが、

良く、一生懸命、まじめに頑張ってるが、
儲かるのは、何時も周りばかり。
そんな、話を聞くが、それも、そんな形で、
貪りの裏の怒りが付いて来てると思われる。

あと、新入社員の方が、給料とかボーナスが良い。
そんな話も聞くが、これも、
他より幸せになりたいという貪りの怒りかもしれない。

自分なりの感覚で言うと、したい事に対して、
何故か、ブレーキが掛かってるみたい。そんな感じだ。
そんな時が、まさに、貪りに対して付いてきた怒り(不満)だ。

あぁ〜、そうそう、
他もやってのに、どうして自分達だけがぁ〜
なんて話も聞くが、これも、そんな感じで怒りが付いて来たと言える。

前に、地球環境問題について、法を解いたが、
南極の氷が溶けてる話を覚えているかなぁ〜

南極には、
実は未開発の石油や天然ガスが沢山あるらしいんだ。

今までは、氷があって近かずけなかったけど、
地球温暖化で氷が溶けたからねぇ〜
さっそく、その資源を狙って、
天然ガスを取り出し、儲けてる会社もある。
これじゃ〜、いつまでたっても地球が破壊されるだけで、
世の中、おかいし、狂ってる! と叫びたくなるが、
そんな形で、貪りの裏の怒りが付いてくるって事だ。

まさに、善業を究めた、
第六天の王座に、悪魔が潜んでいるって奴だ。

怒りに囚われなければ、その一方で、エコ・カーなど、
地球環境を考慮した商品が、さらに発展するかもしれない。

小乗の先に大乗
レイ  小乗で取るのは、内に隠れた、苦悩の原因。
    大乗で取るのは、外に現れた、苦悩の条件。
    も越えないと、いずれ、苦しくなるの。

羅漢と仏陀と世尊
ゲンドウ 仏陀とは、因縁を越えたもの、のことだ。
     どこまで、因縁を越えたかで、段階がある。
コウゾウ 小乗を成就した羅漢は、どういうものかね?
ゲンドウ ひとつの条件で解脱をした、仏陀のことだな。
コウゾウ 大乗を完成した世尊は、どういうものかね?
ゲンドウ あらゆる条件で解脱をした、仏陀のことだな。
コウゾウ つまり、ひとつの生だけで、終わりでなく、
     あらゆる生で、解脱すると、世尊なのかね?
ゲンドウ ああ、それを目指しているのが、菩薩だな。
     羅漢から世尊まで、転生しながら済度をする。
コウゾウ つまり、菩薩が、他の生を救っているのは、
     他でもない、己の別の生を救っているのか?

ゲンドウ ああ、自分の他の縁の生を救っているだけだ。
     自ら転生するよりも、他を済度する方が早い。

コウゾウ なるほど、あくまで、利他とは自利なのか。
     いいことを聞いた、礼をしないといけないな。

ゲンドウ いや、構わない、自分を救っているだけだ。
     分かったか、あくまで、利他とは自利なのだ。
コウゾウ ……………………!!

自分に、どんな貪り(業:カルマ)があるか?
それを知るには、微細さがないと、難しいと言われている。

人に聞いても、こればかりは、分からないからね。
だから、日々、功徳(善業)を積む努力が必要だ。

おっと、微細さの象徴は弥勒菩薩だ。

そんな、弥勒の心境を意識して、
弥勒の真言を唱えると、より良いかもね。

ところで、なんでかぁ〜、アクセスが多いがぁ〜

やっぱ、あれか?

救世主に救われるどころか、銭、掬われたか?

ここは、そんな人向けさぁ〜

次は、ミ○スの自分を知る作戦の嘘を解きます。

例えば、ここに非常に冷たい、とても嫌な上司がいるとする。
自分を知るミ○スでは、それは、
自分がポッカ、ポッカの暖かい人を演じてるから。
そんな、裏表のプラスマイナスのセットに気づき
相手は、自分なんだぁ〜、自分なんだぁ〜
と連呼すると相手が一瞬の一発で変わる。

なんて言うが、

すったら事しても、変わらない。

そんな、人に法を解きます。

と言っても、ここに来てる人は、もぉ〜分かると思いますが。。。
初めて、ここに来た人は大自然のアセンションから、
最新方向に、読んで貰えば因縁生起(縁起)が分かると思います。

貪りには、怒り無智が付いてくる。
怒りとかいたが、具体的には、怒りだけでなく、
不満愚痴も含まれる。貪瞋痴(とんじんち)って奴だ。

この場合の貪りは、
自分がポッカ、ポッカの暖かい人じゃなくて、
暖かい人と仕事がしたいという貪りだ。
自分が暖かい人であるか、それは問題じゃない。

この貪りに対して、冷たい上司という不満が付いてきたんだ。

耐えると、悪業が落ち、善業が現れるが、
善業もってないと、現れようがありません。

直観的ですが、EVAで言うと、これかなぁ〜

良さ の裏に 悪さ
アスカ あ〜あ、なんか、良いこと起こらないかなぁ
ヒカリ そんなこと言ってると、悪いことが起こるよ。
アスカ えっ! どうして? どうして、そうなるの?
ヒカリ なんか良いことって、どんなことか分かる?
アスカ ううん、分からないわ、なんとなく良いこと。
ヒカリ なんとなく良いだけで、ほんとに良いのね?
アスカ ううん、やっぱり、ほんとに良いものがいい。
ヒカリ ほんとに良いものって、どんなものか分かる?
アスカ ううん、分からないわ、どんなものかしら?
    でも、悪いものじゃないことは、分かるわよ。
ヒカリ というと、これも悪い、それも悪い、って、
    否定しながら、ほんとに良いものを探すの?
    つまり、それって、悪いことが起きるだけよ。
アスカ あっ! ほんとだ! どうして、こうなるの!
ヒカリ うふっ、どうもこうも、こういうことでしょ。
    ちゃんと、良さを考えないから、こうなるの。
アスカ ……………………

他にも、出来る人と仕事がしたいなんて、ありがちだよね。
会社側は、そんな人が欲しくて、面接とか頑張ってるが、
実際はどうかなぁ〜?

俺が、ミ○スのMLM(ネズミ講)に、
2年間、救われるどころか、銭、掬われた頃の話なんだけどね。

MLM(ネズミ講)と言っても、そのやり方、その方針は、
利他的で、ちょっと変わってたんで、これは良いかも!!
なんて参加したんだけどぁ〜
参加手続きをして、1ヶ月もしない内に、方針転換だかで、
普通のMLM(ネズミ講)に戻っちゃったんだ。

その理由は、働かない人ばっか集まったから。

だ、そうなぁ〜

もぉ〜、分かったと思うが、
逆に言うと、稼ぐ奴と働きたいだ。そんな貪りがあるって事だ。
もっと突っ込むと、
そんな奴と働く事が出来れば、自分が楽できるから。
他人を利用して楽したい。そんな、貪りも見えてくる。

そんな、貪りに対して、そんな不満が付いてきたんだね。

それに、そこでは、

気づくと速い!!
一瞬で一発で奇跡が起きる!!


なんて、それをセールス・ポイントに銭儲けしたからねぇ〜
一瞬で一発の奇跡をいう貪りを持つ者どうしが集まったんだ。
これも貪りだから、働かない人ばかり集まった
そんな形で怒りが付いて来たと言える。

不満に囚われ、そんな人を捨てると、捨てられるので、
人を育てあげる方向が良いと思うが、
それでも、身を犠牲にした努力と、辛抱強さが必要なんで、
善業がないと、なかなか変化が現れないなど、
苦に耐えるのは難しいと思われる。

後で話すが、条件さえ整えば、
苦と楽が輪になるので、いたずらに苦を避けない事だ。

俺様が、どうしょうもなく出来なさ過ぎの人と仕事した例を思い出してね!
働かない人ばっか集まったというのは、まさに出来ない人が集まったとも言える。

どんな貪りがあるのかというより、
これは、俺様が得意とする説法である、

得するとき、必ず誰かが損をしている。
これが、他を傷つけたカルマ(悪業)として返り、
結局、大損する。

これと同じで、誰もが、まともな人と仕事したいよね〜
でも、まともな人って無限に存在する訳じゃない。

だから、誰かが必ず、いわゆる、そんな嫌いな人と仕事しなきゃならない。

いたずらに苦をさけず、
ある程度の苦役を背負って生きる、賢い人の生き方を知ってる人は、
これが、後に、どのような結果を生むか、もう分かっていると思う。

何がぁ〜、自分を知る事がアセッションの鍵だかねぇ〜

トップがこれだ。器が無いんだよ。

というより、経験不足だね。

だから、纏めと役とか経験がある人は分かると思うが、
駄目だからと言って、そう人材や方針を変えれるものではない。

自分を知る為に、他人が要るんです!!
なんて、ミ○スでは言うが、そういう、

こっちゃ〜、ねぇ〜んだぁ〜

プラスマイナスが、どうたら、こうたらではない。

貪りには怒りと無智が付いてくる縁起の法で解いたが、
意識無意識の関係で解けば、

ここに、冷たく嫌いな上司がいたとしよう。

ミ○スでは、自分がポッカ、ポッカの温かい人を演じてるから。
プラスとマイナスに気づけば、そんな相手も一瞬で一発で変わる。

なんて言うが、

これは、無意識で自分が冷酷だって事さぁ〜

何回も言うが、この世は類は類を呼ぶだ。
そんな冷酷な人ばっか、集まってる可能性があるので、

気を付けてね!!

本当は、他人の事なんて、どうでもよく。
嘘でもなんでも良いから、とにかく自分が儲ければ良い

なんて、思ってるって事だよ。

だから、偶然に、
愛と財とかでMLMネズミ講)に手を出したり、
理想の相手に出逢えると言いつつも、
そうじゃない人と結婚したりと統一ロ会制を進め始めた訳でない。

しかし、そんな冷酷本音を、全面に出すと、
誰も、セミナーなんかに来てくれないし、儲ける事もできないんで、
そんな誘惑を抑え、プラスチックの笑顔を振りまいてんだ。

抑えた、冷酷誘惑は、無意識に残る。

現実は無意識方向に変化する無常なので、
潜在に眠ってる間は、そんな無意識部分を他人が演じる。

上司が、冷たく嫌いな上司を演じる。

意識的に、自分の好きな人を集めると、
無意識で、自分の嫌い人も集めることになる。

そんな苦に耐えると、悪業が落ち、善業が現れる。
善業もってないと、どうもなりませんがぁ〜

自分に、どんな貪りカルマ)があるか?

これを知る(自分を知る)には、
微細さがないと、なかなか難しいって事だ。

ミ○ス論理が言う、他人を見たところで、
微細さがないと、自分を知る事も出来なければ、
他人から学ぶ事も出来ないって事だよ。

長年、そんなもん実践して、
ちっとも変わらないのであれば、うなもん止めた方がいい。

論点 四如意足とは何か

如意とは、自在のことである。
自在に目標を達成するには、四つの段階が必要である。

第一に、動機を明確にする欲如意足(欲定)、
第二に、確定した動機のもと努力し続ける勤如意足(精進定)
第三に、目標に集中し続ける心如意足(意定)、
第四に、微細に条件を吟味し帰還する観如意足(思惟定)である。

思惟って来たら、

弥勒菩薩半跏思惟像を思い出すが、

その微細(才)さは、基本的に、功徳が無いと難しい。

善業()が才を生み、才が財を生みだすからだ。

意識的に善業()を積むから、
意識の裏の意味が無意識に積み重なる。

の裏は才だ。

現実は無意識方向に変化する無常なんで、
やがて智慧(才)が生まれるとも言える。

与える方向には無限の意味があるんだね。

論点 功徳の果報の種類とは何か

身体を思念する者は、功徳が体に流れ端麗となり、
頭脳を思念する者は、功徳が頭に流れ明晰となり、
精神を思念する者は、功徳が心に流れ平安となる。

明晰:明らかではっきりしている・こと(さま)。

論点 悪徳と功徳とは何か

悪徳は、快楽ばかりを満喫し、
煩悩を増大させる形で、果報が返り、
功徳は、苦楽を等しく経験し、
智慧を増大させる形で、果報が返る。

論点 大慧第一とは何か

智慧は、煩悩による快楽と苦痛の両者を、
等しく経験した時に生じる。
すなわち、大慧を得るには、
膨大な快楽と苦痛を、経験するだけの功徳が必要である。

たとえば、釈迦牟尼は、大徳であるが故に、
王子として飽くまで快楽を味わい、
苦行者として徹底的に苦痛を味わった。
両者を経験し尽くして、
はじめて智慧の修行に入ったのである。

論点 徳と光

徳とは光である。
功徳とは、等しくありのままに照らす光であり、
悪徳とは、自我が見たいものを照らす光である。
期待や心配を超え、ありのままを素早く悟る速通智は、前者の賜物である。

論点 救済と智慧とは何か

功徳は、まず、自己のために使われ、
次に、他者のために回向される。
回向された功徳は、他者の救済のために使われる。
そして、他者の救済とは、
自己の智慧の修行に他ならない。

論点 説法第一とは何か

説法は、自己の苦しみを乗り越えた者が、
自己の経験から法則を説き、他者の苦しみを救済すること。
すなわち、功徳を他者のために回向し、
自己の智慧に還元することである。

他人を見ても、功徳は積めません。
とは言うもの、いきなり出来るものでもないんで、
真言が一番いいのかもしれない。

真言というのは神を称賛する言葉だからね。

釈迦一元論に出会った人は、
釈迦に対して、感謝の気持ちというのがあると思う。
そんな意味を込めて、
釈迦や観音、弥勒の真言を唱えると良いらしい。

祭壇が、どうのこうのとか、線香が、どうのこうのとか、
そんな話を聞くけど、そんなのどうでもよく、
そんな感謝の気持ちが、あるかどうかって事だ。

だから、真言ってのは、どこで唱えても良い。

あと、自然に触れてみるってのも良いかな?
聖地巡礼(自然)は、悟り易い状態になると言われている。

なぜ、悟り易い状態になるかというと、
人ってのは、自然に対しては傲慢にならず、
謙虚になるから。

自分に対して謙虚に、自分を無智と意識するって事だ。
すると、無智の裏の智慧が無意識に積み重なる。

一番、良いのは、法施(叡智のシェア)だが、
これも、BLOGとか使って、
出来る範囲で、やって見るのも良いかもね?

おっとっと、
業(カルマ)には、身体にかかわる身業、
言葉に関わる業を口業、意識に関わる業を意業といって、
これを三業と言うが、
真言ってのは、この口業の供養になるとも言われている。
身業というのは、今の仕事が、そのまま供養になると思われ、
意業は、この世の仕組みを知り、意識して功徳を積む事かな?

ちょいと重複するが、1+1=∞の、

結婚にすべての秘密があった!!
アセンションの鍵は結婚にあった!!
の教祖が言ってた、

冷たい上司など、嫌いな人を、
自分を知って、消す方法の迷信を解きたいと思います。

こいつら言うには、

冷たくて嫌いな上司がいるは、
自分がポッカ、ポッカ温かい人を演じてるから。

冷たいの裏の温かいに気づき、かつ、
相手は「自分なんだぁ〜、自分なんだぁ〜」と、
連呼すると、相手が温かい人に変わるとか。

すったら事しても、どうもならなかった人向けに、
全てを神仏の表れと見る観音菩薩カルマ・ヨーガで、
今度は、自他の区別を外した法を解きます。

なぜ、こいつらは、そんな例を持って来たのか?

奴らの本性も見抜いちゃいます。

では、なぜ、冷たくてい嫌いな上司がいるのか?

簡単だよ。それは、無意識で、自分が冷酷だからさぁ〜

こいつらのメルマガ読むと、

1+1=∞!!
結婚にすべての秘密があった!!
アセンションの鍵は結婚にあった!!
夫婦関係=経済関係。
夫婦関係が良くなれば、漏れなく収入もUPする!!

と言うわりには、

究極のパートナーにも関わらず、
他人に対して、良い顔をするがなど
夫婦そろって、同じ問題を抱えているとか言ってんだ。

これは、裏を返すと、
本音は、他に対してかなり冷酷って事だ。

極端に言うと、普段は、
人を騙してでも、儲けようと」思ってるって事だよ。
毎日、そんな事で頭が一杯なのさぁ〜

まぁ〜、予言なんて、してしった教祖がいる団体は、
予言が起こる年が近づくほど、

どうやら、当たりそうにもねェ〜ぞ!

と気づき始める。

これじゃ〜、信用を失いかねないと、
自分で予言を成熟させる為に、

人を騙してでも、儲けようと」と無茶をするからねぇ〜

でも、そんな本音を全面に出すと、
誰も、銭、持って、セミナーに来てくれないから、
本音を抑え、他人に対して、良い顔をしてんだ。

しかしながら、
意識的本音である冷酷さを抑えたので、
抑えた冷酷さは、無意識に残る。
現実は無意識方向に変化する無常なので、
潜在に眠る無意識部分冷酷さ)を他人が演じる。

冷たくてい嫌いな上司って奴だ。

潜在に眠っている間は、他人が、
そんな自分の部分を投影するが、
そんな冷酷さは、やがて生起する。

ランキング操作など、
偽造奇跡体験談、偽造宣伝PVによる人集めをやったり、

与える者は、与えられるからさぁ〜
なんつって、MLMネズミ講)に手を出したり、

理想の相手と出会えると言いつつも、

人はぶつかり合い、他を受け入れない。
拘り”は自分を支配し、自分を見失う。

素直にミ○スの位置に立とう!

拘り理想)”を捨てあるがままに。

なんて、理想でもない相手と結婚させたり、

他人を受け容れたとき魔法が使えるんですと言いつつも、
5年間続けた、俺様の法施BLOGを、ぶっ殺したりとかね。

この世は、類は類を呼ぶだからねぇ〜
同じカルマ冷酷さ)を持ったもんばっか、
その団体には集まってる可能性がある。

教祖も含め、他を利する菩提心なんかぁ〜
すったもん、どうでも良い事が良く分かると思うが、

まぁ〜、これが、本音建前って奴だ。

そういえば、ミ○スの人のBLOGを読むと、
叔父だか叔母だかの、かなり冷酷な行為に傷ついた話が、
度々、自分を知る論理ネタとして登場してたね。

とは言うものの、
人ってのは、この様に条件が変わると、
コロッと、悪業ばかりしてしまう弱い動物って事でもあるんだ。

だから、人ってのは大差なし。

なので、そんなやつらは潜在に眠る自分の悪業の投影であり、
いつか、自分も、そんな事をやってしまう誘惑が襲いかかるって事だ。

だから、そんなを否定して、
無視すると、無意識に、悪業が残り、
また、そんなやつが出て来るので、
反面教師として肯定し、を許し、
加害者にも被害者にもならないようにしょうってのが、

釈迦
一元論であり、

人には、人として生まれた以上、
そんな、やめらない悪業)があるので、
せめて、生きてる間は良い事(善業)をしましょう。

良い事をした分、良い事がありますよってのが、
釈迦一元論であり、六波羅蜜利他実践でもある。

次元上昇してんじゃ〜

ないからね!!

第弐章 成劫期 第四二話 仁愛と兼愛
「彼は、敵方だろうと、味方だろうと、育てる。
味方を育てるために、敵方を利そうさえ、考える。
民を育てるために、彼は、非情なほど、容赦がない。」

「彼が、天下統一に囚われてない、というのは、
敵が居なくなると、慢心する者が現れ出すからだ。
彼は、無敵ではないが、天敵のない軍を鍛え上げた。」

「彼が、小国寡民に囚われている、というのは、
国が大きくなると、寄生する者が入り込むからだ。
彼は、洒脱ではあるが、奢侈のない都を作り上げた。」

「一見して、彼は、非情で冷たい者のようだが、
その実、彼ほど、民を、真剣に育てる者はいない。
彼は、誰もが君子となる、理想の世界を望んでいる。」

「彼が、非情冷たい者のように、見えるのは、」
君の方が、無意識に、冷酷になっているからだ。
友の方を愛する余り、敵の方を憎んでしまっている。」

「彼が、非常に温かい者のように、見えるには、」
「君の方で、意識的に、冷静になってみることだ。
人情に縛られている限り、真情を悟ることは無いと。」

釈迦十二支縁起を知ってる人は分かると思うが、
人には我執と言って、自分に対しての愛着がある。
だから、自分を愛する余り、他を憎んでしまう悪業が、
人として生まれた以上あるって事でもあり、
人ってのは、そんな悪人大差ないって事でもある。

さて、さて、巷では、
ぼく、アセンションしましただの、
5次元夫婦の自分を高次元から知る教だの、
先発隊は7次元まで行ったのだの、
そんな、お話がありますがぁ〜

今日はぁ〜
そんなもんは嘘っぱちで、
人はアセンションできないんだよ。

だから、常に智慧を磨く努力をしなさい。

そんな話を、してみたいと思います。

ここに、始めて来た人は大自然のアセンションから、
最新方向に読んで貰えば、分かると思うが、
人ってのは、あれしたい、これしたいとか、
貪りというものが、必ずあるんだ。

この世の仕組みを知り、
前から、ここに来てる人は、
因縁生起縁起)の仕組みが分かってるから、
これが、何を意味するか、察してると思うが、
この貪りは偶然に発生してる訳じゃない。

これも縁起してるんだ。他に依存して生起している。

前に、見るから心が生まれるんだよ。
そんな、話をしたが覚えてるからなぁ〜

釈迦の解いた十二支縁起って奴なんだ。

無智によって、行為(行)が生じ、
行為によって、意識(識)がある。
意識によって名前と色形(名色)がある。
名前と色形によって六つの感覚領域(六処)がある。
六つの感覚領域によって接触(触)がある。
接触によって感受作用(受)がある。
感受作用によって欲求(愛)がある。
欲求によって執着(取)がある。
執着によって「生存」と呼ばれる成熟した業(有)がある。
生存によって誕生(生)がある。
誕生によって老衰と死(老死)がある。

もう少し、具体的に言うと、

六根(感覚器官)→六境(対象)→六識(感覚:意識)

目 ―――――→ 色 ―――→ 視覚(眼識)
耳 ―――――→ 声 ―――→ 聴覚(耳識)
鼻 ―――――→ 香 ―――→ 嗅覚(鼻識)
舌 ―――――→ 味 ―――→ 味覚(舌識)
身 ―――――→ 触 ―――→ 触覚(身識)
意 ―――――→ 法(物事)  → 意識(意識)

六根という感覚器官が人にはあるから、
山や川など色(対象)を見る事になり、

観るから、

今度の週末、そこでキャンプでもしようかぁ〜

なんて、貪り)が発生する。

六根に依存(縁起)して、六境(対象)が生まれ、
六境に依存(縁起)して、六識(貪り)が生まれてんだ。

そして、貪りには、
怒り無智(不平、不満)が付いて来る事を思い出してね!!

何を言いたいかというと、
人である以上、六根があるんで、
どんな聖者であれ、どんなに次元上昇しようが、
貪りがあるって事だよ。

貪りがあるって事は、不平や不満が付いてくるので、
アセンションして、絶対平和を手に入れた。とか、
相対リセットして、絶対平和を手に入れた。

なんてもんは、嘘っぱちなんだよ。

うなもんは救世主幻想です。

ただし、常に智慧を磨いてる人は、
瞬時に、ありのままの因縁生起を悟るので、
行ったり来たりするスピードが速いというかぁ〜
総じて楽な人生を送ってる可能性があるって事だ。

大抵のアセンション戦士は落ちて終わってるけどね。

最近じゃ〜、
5次元までアセンションしたとか言いつつも、
変化がなく、全然、そんな感覚がない。なんて言う人もいる。

何をもって、5次元まで行ったと言ってのかぁ〜
さっぱり分からんが、不満が付いて来たんだなぁ〜

それは、救わるどころか、足元、掬われるんだ。

因みに、達感者は、それで良いと考える。

論点 徳と光

徳とは光である。
功徳とは、等しくありのままに照らす光であり、
悪徳とは、自我が見たいものを照らす光である。
期待や心配を超え、
ありのままを素早く悟る速通智は、前者の賜物である。

極端に言うと、人と昆虫とでは、
感覚器官(六根)が違うから、
同じ物を見ても、その対象に対する思いが違う。
昆虫は、なんでもかんでも、餌として観てるかもしんない。

あぁ〜、さて、さて、
人として生まれたが為、漏れなく付いてきた、
この、六根という感覚器官だが、
これも、他と独立して存在してる訳じゃなく、
他との相互依存で縁起して存在している。

それは、何かと言うとぉ〜
十二支縁起で言うところの有って奴だ。
有って何かというと、カルマ()だね。

だから、この世の仕組みを知り、
六波羅蜜など利他を実践すると、
悪業が減り、善業が多くなって、
善業悪業から、
善業悪業な状態になるから、
もしかしたら、感覚器官が変わったりしてね?

だもんだから、
仏典なんかでは、功徳を積むと、六つの神通力を得る。
とあるが、ありえるかもね?

ちなみに、マリッジコードミ○スでは、
DNAの意識をONにするだの、OFFにするだの言ってるが、
そういう、こっちゃ〜

  ないからね!!

何がぁ〜、人はDNAのプログラム通り生きてないだかぁ〜
DNAのプログラム通り生きてっから、こんなんなったとも言える。

これは、DNA(感覚器官)を超えた話でもある。

入菩提行論 第四章
罰に苦しむばかりでは清められない
悪しき果に苦しむあまり、悪い因を作るため、
悪しき業に耐えることなく、悪い業が絶えない。
人に生まれながら、人を越えようとしない
これに勝るはなく、これに優る欺瞞はない。
閻魔の使いが来たとき、初めて、それに気づく。

感覚器官が違うので、
同じものを見ても、その対象に対する思いが異なる。

だから、

現象界のすべては、心の現れである
と説く唯識派などでは、
同じ「」を見ても、人は、それを「」と見るのに、
天人は、すばらしい「甘露」と見て、
餓鬼は、「不快な膿のかたまり」と見るなどと説かれることがある。

これは、同じ対象でも、
受け取る側のが違えば、まったく違ったものに感じる。

と、そんな教えもあるらしい。

神道にも、「現実は心の」なんて教えがある。

(カルマ)に依存(縁起)して、
感覚器官(六根)が有るという事は、
人は、(カルマ)という個性(フィルター)を通して、
人や物を見てるとも言えるんだ。

だから、同じ物をみても、
対象に対する思いが違うので、
意見が合わなくなる局面があっても、
それは、あたりまえの事で、
人の数だけ現実があるとも言える。

それでは、本当の意味で、
人はプログラム天命:DNA)通り生きてないを解きます。

これは、簡単に自分の仏性を知る方法です。

手を合わせ合掌し、
生かして頂いて ありがとう御座位ます。とか、
カムナガラタマチハエマセなってやったとしよう。

まぁ〜、これに限らず、人ってのは、
神社なんかに行くと、手を合わしたり、
そんな事を言ったりするものだ。

ここで、出てくるのが、

おい、おい、
 そんなんで幸せに成れるんだったら、
 とっくに幸せだし、みんな幸せじゃないか?


なんて、思ったこと、一度や二度ぐらいないかい。

これが、あなたの仏性神様的部分)です。

しかしなが、そう思ったとしても、

いやぁ〜、みんながやってるし〜、
なんやぁ〜、5次元まで行ったらしい人が言うしぃ〜

人は神秘性に弱いから、
霊視とかリーディングできる人が言うからと、
そんな仏性)を抑え、おかしいと思いつつも、
年末になる伊勢神宮にでも言って、
手を合わせてるのが人ってもんだ。

しかしながら、
そんなんで意識的に抑えた仏性)は無意識に残る。
現実は無意識方向に変化する無常なので、
そんな事をしても、良くならないという形で仏性が現れ、
自分が持つ疑問を再認識させられる。

であるならば、そんなを無視せず意識化し、
どうすれば人は幸せになれるのか探し出す事が、
自身のカルマであり仏性天命)って奴だったりしてね。

手を合すと言えば、毎年、夏になると、
タレントと霊能者による「心霊スポット探検番組」が流行る。
これも、お約束で、最後は霊能者が手を合わせ、
なんか、真言となえて成仏しましたぁ〜なんてやってる。

これも、やはり、
おい、おい、そんなで成仏できんのか!
なんて思うのが人ってもんだ。
であるならば無意識を無視せず意識化し、
どうすれば成仏できるのか本物を探せ!
というのがカルマであり天命菩提心)だったりしてね。 

仏典を読んだり、縁起の法を知ってる人は分かると思うけど、
類は類を呼ぶから、偶然、そんな、眼に見えない、
成仏してない人を見てる訳じゃない。

同じカルマを持ってんだよ。

霊視とか出来るんだった、そんな他人のカルマを見て、
自分のカルマが分かりそうなものだが、そう来ればこっちのもの。

後は、悔い改めて、今生でカルマを落とす事ができ、
自分の生活の向上にもなり、
そんな成仏できない人の供養(カルマ落とし)にもなる。

なぜならば、自分も独立して存在しておらず、
他と相互依存関係(縁起)で存在しており、
自分と他人は繋がっているから。

例えば、親が存在しなければ、自分が存在する訳がない。

だから、インド占星学とうのは、
自分の親族などから、自分のカルマを知る学問でもあらしい。

自分に近い人ほど、類は類を呼ぶで、
同じカルマを共有している可能性があるからね。
自分のカルマ浄化が、先祖のカルマ浄化(先祖供養)にも繋がる。

だから、仏典には、こんな話があるんだ。

盂蘭盆経 第一章
あるとき、わたしは、このように聞いた。

仏陀が、祇園精舎に止まっていた時のこと、
神通力を身に付けた、マハーモッガラーナが、
亡き母親が、どこに転生したのか、探していた。

彼の母親は、骨と皮ばかりで餓鬼界に居た。
彼が、彼女に、御飯を食べさせようとしても、
口に入れた瞬間、炭になって食べられなかった。

モッガラーナが、泣きながら、報告すると、
仏陀は、モッガラーナに、このように言った。

「モッガラーナよ、犯した罪は大きい。
汝一人の力では、これは、どうしようもない。
たとえ、神の力を借りても、どうにもならない。」

「モッガラーナよ、解脱するしかないのだ。
いまから、その方法を教える、解脱しなさい。
そうすれば、汝の苦しみや、彼女のが消える。」

盂蘭盆経 第二章
仏陀は、モッガラーナに、このように言った。

「七代の先祖から、現在の父母に至るまで、
厄難の者の為に、七月十五日の僧自恣の時に、
次に挙げるものを、十方の大徳に供養しなさい。」

「御飯、果物、水、香油、燭台、敷物、寝具。
これらを、盆中に分けて、大徳に供養しなさい。」

「この日、すべての比丘が、同じ思いとなり、
この供物を頂くならば、その徳は大きいだろう。

たとえ、山中で坐禅していても、そうしなさい。
たとえ、四道の果報を得ようと、そうしなさい。
たとえ、樹下で読経していても、そうしなさい。
たとえ、神通で教化していても、そうしなさい。
たとえ、衆生を済度していても、そうしなさい。」

「この日、すべての比丘が、同じ思いとなり、
この供物を頂くならば、その徳は大きいだろう。」

「父母も先祖も、三途の苦悩を出るだろう。
父母は寿命が延び、人間の苦悩が減るだろう。
先祖は七代に遡って、天人の福楽を得るだろう。」

盂蘭盆経 第三章
仏陀は、十方の比丘に対し、このように言った。

「比丘達よ、七月十五日に供養を受ける時、
施主の家の為に祈り、七世の祖先の為に祈り、
坐禅をして心を静めて、然る後に、頂きなさい。」

「比丘達よ、初めて御飯の供養を受ける時、
施主の家の為に祈り、七世の祖先の為に祈り、
霊前で祈願をしてから、然る後に、頂きなさい。」

それを聞いた、比丘達は、法悦に包まれて、
モッガラーナの涙も、完全に止ったのである。
そして、母親も、一劫続く餓鬼道から救われた。

盂蘭盆経 第四章
モッガラーナは、仏陀に、このように尋ねた。

「尊師よ、わたしを、産んでくれた母親は、
比丘達の力により、三宝の恩恵を受けました。
将来の弟子達も、その恩恵を、受けられますか。」

仏陀は、モッガラーナに、このように答えた。

「モッガラーナよ、これは、良い質問である。
まさに、私が、言いたいことを、聞いてくれた。」

「善男子よ、七月十五日の、仏歓喜の日に、
誰でも、孝慈を行うなら、父母から先祖まで、
七代前に至るまで、供養の恩恵を受けるだろう。」

「父母も先祖も、三途の苦悩を出るだろう。
父母は寿命が延び、人間の苦悩が減るだろう。
先祖は七代に遡って、天人の福楽を得るだろう。」

「善男子よ、七月十五日の、僧自恣の日に、
盂蘭盆を用意して、仏や僧に供養をしなさい。
長く養ってもらった、父母の慈愛に報いなさい。」

これを聞いた、仏陀の弟子は、歓喜し実践した。


母親餓鬼界にいるという事は、
自分も同じカルマがあるという事だ。

だから、僧に対して、分かち合い(慈悲)の実践し、功徳を積んだんなぁ〜

すると、母親のカルマも落ち、餓鬼界から救われ、自分も救われた。そんな話さぁ〜

お盆と言うのは、そんなんで積んだ功徳を、
祖先に回向(他に回す)するものだったりしてね。

でわ、でわ、冒頭での内容とかぶりますが、

アセンションの鍵は結婚にあった!!

夫婦関係=経済関係

夫婦関係が良くなれば、漏れなく収入もUPするっ!!

なんて、長年、ミ○スを実践してるが、
何時まで経っても、収入はUPしないし、
それどころか、一向に理想の相手と出会えないわぁ〜
今だ、親子関係が、めちゃ、めちゃで、
離婚の危機から脱出できん!

おかいしいわぁ〜

気づけば、セミナー参加費と交通費と教材費ばっか飛んでるわぁ〜

そんな人に、今度は十二支縁起の法で解きます。

十二支縁起
無智によって、行為()が生じ、
行為によって、意識(識)がある。
意識によって名前と色形(名色)がある。
名前と色形によって六つの感覚領域(六処)がある。
六つの感覚領域によって接触(触)がある。
接触によって感受作用(受)がある。
感受作用によって欲求(愛)がある。
欲求によって執着(取)がある。
執着によって「生存」と呼ばれる成熟した業(有)がある。
生存によって誕生(生)がある。
誕生によって老衰と死(老死)がある。

ミ○スでは、
理想の相手と結婚できるのが、
ミ○スと言いつつも、
理想の相手じゃない人と結婚させている。

それは、 人はぶつかり合い、他を受け入れない。
拘り”は自分を支配し、自分を見失う。
素直にミ○スの位置に立とう!
拘り理想)”を捨てあるがままに。
なんて、やってるらしいからぁ〜 統一ロ会みたいだね。

実際、奴ら御自慢のメルマガを読むと、
その人、そこで、「あなたは私の究極パートナーです」なんて、
告白されたが、理想のパートナーでなかったゆえ、
仲間にも「3次元的には理想のパートナーでなかった」と言っていたが、
拘り理想)があったとかで、拘り理想)を捨て、
理想でもない人と結婚したそうなぁ〜、自分を見失ってしまった。

3次元的って、なに言ってんだか、さっぱり、わからんが、

意識的に拘りを捨てたので、無意識に拘りが残る。

この、拘り(理想)を捨てた結婚が、
十二支縁起って奴で、カルマ()が残ります。
行というのは、認識とも訳されるが、
この場合、行為であり、カルマ()を指します。

さっきの、カルマ()というフィルターを通して、
人は対象を認識している。を思い出してね。

これは、無智が無智な行為を生み、
そんな、行為が苦しみという業を創り、
そんな、業が現実化し、それを見るから、心(無智)が生まれる。
まさに、無智が業(行)を創ってるとも言えるんだ。

現実は無意識方向に変化する無常なので、 結局、最後(死後)は、

 やっぱ、理想の人と結婚したい!

と、隠した執着()が現れる。

カルマ()が、
やっぱ、理想の人と結婚したい!という意識を創り、
意識が、感覚器官(名色)を創る。

人は死後、そんな執着(無意識)を持ってまれ、
死んだところから始まり、輪廻を繰り返す。

十二支縁起
執着()によって「生存」と呼ばれる成熟した(有)がある。
生存によって誕生()がある。

この様に、無意識に残した業は死後も継続される。

だから、 俺が知ってる世界の王は病気で死ぬ間際、

 もし、生きてたら、こんな人生じゃない。
 俺は世界の王だ!


なんて、病気というカルマ()が、
そんな意識を創りだし、意識が感覚器官(名色)を創り、
元気になって、この世に戻った。

死んだところから始まったんだね。

神から、何やぁ〜授かって、戻った訳じゃない。
そんな執着()が無ければ、この世に生まれず涅槃する。

これは、世界の王だけに、
この世の、人々や、あらゆる物は、俺の物。
なぁ〜んて、執着()が発生してるんだねぇ〜

だから、スピリチュアルの
自分で、この人生を選んで来た」は嘘っぱち。

気づいたら、四つ足に成ってたわぁ〜

ねんてぇ〜のが、正味な話。

十二支縁起の、一番、最初は無智なんだ。
無智が、行という(病気というカルマ)を創り、
(カルマ)が意識を創り、

 もし、生きてたら、こんな人生じゃない。
 俺は世界の王だ!


なんてな、意識が感覚器官(名色)を創ってるから、
その感覚器官(名色)は、物事をありのままに見れないんだ。

世の中、霊視やら、六星占術やら、
使命を授かっただの、7次元まで行ったの、
そんな奴が沢山いる割には、
どいつも、こいつも、
地に足が付かず、パッとしねぇ〜のは、
そもそも、感覚器官無智から出来てるからだ。

この場合、どんな無智かというと、
というものには実体が無いと、ありのままが見れてないんだ。

ありのまま見れてないから、
自分自身に、実体を錯覚して愛著する執着」が発生する。
これを、専門用語で我執(がしゅう)と言います。

我執が生じると、外界と接触し、自分の物を求め始める。

名誉や地位、お金など、俺は世界の王だ!、なんてね。

ありのままに見れない感覚器官の為、
自分の物があるという錯覚が生じ、俺は世界の王だ!
なんて執着(取)が発生してるんですね。

対象に、実体を錯覚して素晴らしいと思う執着

これを、専門用語で我所執(がしょしゅう)と言います。

執着、それは、貪りですねぇ〜

原因が結果を生み、結果が原因を作り始めます。

何も得てない人が、5万円を得たとしよう。

これは、

何も得てないという因があって、
5万円を得たという縁があり、
結果、+5万円という喜びが発生したんだ。

それなりに、努力したからと言う人もいるかもしれなが、
それは、何も得てないから、努力して得たとも言える。

ここで、十二支縁起が、分かってる人は、
この+5万円を悪魔の罠とみれるが、

+5万円の喜び(果)が因となり、縁を創りだす。

喜びという貪りには怒りと無智が付いてくる事を思い出してね!!

誰もが、そうだが、+5万円を得た喜びが、
もっと欲しいとか、さらに+5万が欲しいという貪り(因)を創るんだ。

だから、当然、怒りと無智が襲いかかる。

5万円を得たんで、さらに、+5万の10万円が欲しいところだが、
どんなに、頑張っても、毎回、5万円しか得られない。

そんな、怒りが付いて来たりするんだ。

+5万円の10万円が欲しいが、
実際は、毎回、5万円しか得られない。

これを専門用語で、求めても得られない苦と言います。

冒頭で、最近では、
就職活動=「就活」に対する言葉として、
結婚活動=「婚活」という言葉があるぐらいだ。
と書いたが、婚活してる人ってのは、主にセレブの女性に多いみたいだね。

仕事も銭も男もと、

そんな感じで、もっと、もっと、なんで、求めても、得られない苦が発生してるんだ。

仕事も銭も男も、に似ているのが、
好きな仕事をしてるが、給料や待遇が悪いってのは、
裏を返せば、仕事に(もっと)、お金に(もっと)、待遇も(もっと)、なんて、
次はこれ(もっと)、その次はこれ(もっと)、てな感じなんで、
求めても、得られない苦が発生してると言える。

お金に、結婚に、マイホームに、高級車にぃ〜、
なんて、もっともっと、って、ありがちだよね。

色々と、やりたい事がある人ってのは、
あれも、これも、もっと、もっと、なんで、これに嵌り易いかもしれない。

恋愛なんて、まさにそうで、
せっかく気の合う異性と出会っても、異性に愛着するから、
十二支縁起に従い、恋敵嫌いなもの、憎悪対象と出会う苦)などの障害(怒り)が発生し、
求めても、得られない苦が生起し、貪りが煽られ、()執着が生起する。
)執着があるから、突然の引っ越しや転勤など、
そんな形で分かれるなど、好きなものと別れる苦が生起する。

また、一度、愛着が生じると、得たものを守る苦(手放せない苦)が発生する為、
別れても(失恋など)、なかなか、愛着対象を忘れられないが、
失うからこそ、新しい出会があると、考えた方が良いかもしれない。

ミ○スでは、自分を信じることが出来なくなってから、
主人を疑い、自分を嫌い、全く愛と自由を失った結果、が流れてしまったのです。

なぁ〜んて言ってますが、

自分を信じるとか、信じないとか、
そうやって、自分に愛着(我執(がしゅう))があるが為に、
十二支縁起に従い、自分を信じる事が出来なくなり、
主人を疑い、自分を嫌い、全く愛と自由を失ったんだ。

ミ○スでは、この様に、本当の自分を知るだとか、
自分を認めてないから、認められないとか、自分に愛着するから気を付けてね!!

ここで、外に快楽はなく、内にあるで話した、
レイとアスカの話を思い出して欲しい。

同じ、レイ、アスカでも、人によって、見え方が異なる。
それは、レイもアスカも実体がなく、
その人の持つと外的のによって、結果が異なるからだ。
では、そんなレイやアスカを見たように、自分を見てみよう。

私にも実体がなく、だという事が分かるだろうか?

これも、同じで、 その人の持つと外的のによって、
その時々で、自分の見え方、結果が異なる。

このとは、善業悪業の事だ。

良い要素である善業が多ければ、良い結果が現れるが、
悪い要素である悪業が多ければ、悪い結果が現れる。

偶然に、自分を嫌っている訳じゃないんだよ。
良い要素がないのに、自分を好きになれる訳がない。

卑屈感というものがる。

他より身分が低いとか、階級が低いとか、他より貧乏だとか、
そんな嫌いな自分を一度や二度、経験した事があると思う。

これは、他より幸せになりたいなど、
自分に愛着(貪り)があるが為に、
自分より幸せな人や、自分より人気がある人が現れ、
嫌いなもの(憎悪対象)と出会う苦が発生しているんだ。

話がづれたが、
求めても得られない苦も、
好きなものと分かれる苦(それを守ったりの苦、失ったりする苦)も、
嫌いなもの(憎悪対象)と出会う苦も、
先ほど述べた外的条件間接原因)である事に注意してね。
苦しみに囚われず、苦に耐えると
条件が変わる。


在家においては、家族()を幸せにしたいという執着があるし、
この仕事で食っていけたらなぁ〜、なんて、好きな仕事に対する執着や、
名誉や地位に人ってのは執着し、が為に、お金に執着したりする。
だからこそ、十二支縁起に従い、失っていくが、囚われない事だ。
苦しみに囚われず、苦に耐えると条件間接原因が変わる。

この世の仕組みを知り、六波羅蜜など利他を実践すると、
そんな智慧を獲得するまで、同じ試練を何度も繰り返えすから注意だ。

疲れるわぁ〜

夫婦 の 意義
十九章一節 〜 十九章六節

イエスは語り終えると、ガリラヤを去って、
ヨルダン川の向こう岸、ユダヤ地方に赴いた。
多くの群衆が、イエスに従い、病気を癒された。
ファリサイ派の者が、試そうとして、こう言った。

「理由があれば、夫が妻を離縁できる。
これは、律法に適っている、でしょうか。」

イエスは、彼らに、このように答えた。

「あなた方は、読んだことがないのか。
創造主は、初めから、男と女を創られた。
それゆえ、父母を離れ、二人は一体となる。
もはや、二人は、別々ではなく、一体である。
神が結び合せたものを、人が離してはならない。」

「論点」 夫婦 の 意義

人は、特殊に分れようとする。
神は、普遍に合わせようとする。
夫婦とは、別れたものが還ること。

集 合 意 識
カヲル 僕らは、深い意識では、繋がっているのさ。
シンジ ははは、君は、そんなこと、信じているの?
カヲル あらゆる意味を、完全に肯定した意識は、
    誰が辿り着いても、同じだと思わないかい?

シンジ まあね、それは、一つしかないだろうね。
    でもね、そんなものは、初めからないんだ。

カヲル ほらね、こうして、否定するから別れる。
    
何も否定しなければ、別れようがないのさ。
シンジ おかしいよ、じゃあ、なぜ、別れたのさ。
カヲル 意味なんてないさ、なぜか、別れたのさ。
    ひとつだったものに、原因も結果もないよ。

シンジ おかしいよ、ちゃんと意味があるはずだよ。
    何も意味もないのに、別れるはずがないよ。

カヲル ほらね、こうして、意味を求めたからさ。
    今から意味を与えるなら、こう考えるのさ。
    そして、どんな意味を与えても、君の勝手。

シンジ ……………………

離婚なき結婚なんて、ミ○ス論理はやってけど、
この十二支縁起が分かる人は、ある意味、手放せるとも言える。

それは、意識的に分かれを肯定できるので、
無意識意識の裏の意味が積み重なる。

別れの肯定の裏は別れの否定だ。

現実は無意識方向に変化する無常なので、
何も否定しなければ、別れようがないのさ。って事になる。

また、十二支縁起が理解でき、手放せるというのは、
互いに独立した建設な別れであり、それは別れを否定しない行為である。

この様に、肉体的ではなく精神的に、互いに高め合う出会い(順縁)を、
プラトニック・ラグと言うらしい。

六波羅蜜で、そんな試練を受けても、
智慧により、そんなカルマ(悪業)もダルマの法に変わる。

ここまで来ると、ミ○ス論理に言う、

この世は、相対!
苦を受け容れれば、漏れなく楽が付いてくる。

じゃなくて、

楽の裏に苦があるからこそ、受け容れる。

そんな見解に立っていると思う。

つまり、ミ○スでは、
やたらと五次元など、アセンションを言うが、
五次元と三次元は繋がっているから、
五次元に囚われるあまり(執着するあまり)、
十二支縁起によって、六道輪廻を繰り返す。

正しい見解は、三次元で良い。だ。

巷には、この様に五次元夫婦やら、
先発隊は七次元までいったのと、絶対者ぶりを自慢しているが、
煩悩即菩提というように、絶対者も独立して存在しておらず、
そんな人と縁起している。
なので、絶対者に囚われるあまり、(執着するあまり
十二支縁起によって、地に落ち、凡夫になる。

正しい、見解は、人で良い。という事になる。

苦を受け容れれば、楽が付いてるじゃなく、
楽の裏に苦があるからこそ、受け容れるは全肯定であり、
これが、大乗の次の段階である密教だ。

この見解は、意識的に、
楽の裏に苦がある事を認め空性を受け容れる事ができるので、
無意識に、意識(空性)の裏の意味が積み重なる。

何がぁ〜、積み重なっているかなぁ〜

おっとっと、人ってのは、なんだかんだと、

楽したい。なんてな執着がある。

十二支縁起に囚われなければ、どうなるかなぁ〜
人によっては、仏教でいう無努力の悟りを垣間みた人もいるかもしれない。

アクセスや信者に愛着するが為に、脱会者が出る。そんな感じだよ。

密教 という 顕教
リョウジ 顕教では、煩悩の否定が、説かれるが、
     密教では、煩悩の肯定が、解かれるのさ。

ミサト  諦らめを説いたり、明らめを解いたり、
     はっきりしないわね、どっちが正しいの?

リョウジ 顕教を究めてから、密教を極めていく。
     この順序に従えば、どちらも正しいのさ。

ミサト  でも、煩悩を捨てられないから、って、
     密教に逃げる人だって、いるんじゃない?

リョウジ 居るさ、そんな坊主は、ただの凡夫さ。
ミサト  下手に密教を解くから、悪用されるのよ。
     密教なんて、解かなければいいじゃない。

リョウジ 実は、漏れ出てしまった、密教なんて、
     もはや、密教という顕教に過ぎないのさ。

ミサト  それなら、本当の密教は、どんなもの?
リョウジ いや、教えてしまえば、もはや顕教だ。
     教えられない、自分で、気づくしかない。

ミサト  そんなこと言って、そんなもの無いのよ。
リョウジ ほら、逃げるな、ちゃんと、見極めろよ。
ミサト  ……………………

話が、それまくったが、
大抵の人は、これに囚われてしましい、
嘘の奇跡体験や誇大広告で、セミナーの参加者を増やしたり、
ランキング操作なんかして、信者を集めようとしたり、
なんやぁ〜、使命を授かったとか言う、
さっきの、世界の王は、与えるものは、与えられるからさぁ〜
なんつって、MLM(ネズミ講)に手を出したり、
理想の相手と出会えるのが、ミ○スと言いつつも、
人はぶつかり合い、他を受け入れない。
拘り”は自分を支配し、自分を見失う。
素直にミ○スの位置に立とう!
拘り理想)”を捨てあるがままに。
なんて、理想じゃない人と結婚させたりと、
もっと、銭を増やそうとする。

使命授かった、世界の王が、これだかんねぇ〜

十戒二 … 不偸盗の戒

 偸盗の禁戒・財施の勧戒について述べよ

 盗みをなす心の背景には、“もっと、もっと”という貪りの心がある。
 つまり、与えられたもので満足できず「あれもこれも欲しい」と、
 心が高じて、盗みという行為に発展してしまうのである。

無智から、そんな行為(十二支縁起の行)をしてしまうんだ。
当然、カルマ(業)が残る。

命あるものによって行為がなされると、
それは心に「潜在力」(習気〈じっけ〉)を生じる。
この「潜在力」(ないし「その行為が過去のものとなった状態」)は、
その結果を生じるまでは消滅することなく、潜在的に存続し続ける。

行為は、いったんなされるや、
その結果を生じるまで、消滅することなく、
意識中に潜在的に存続し続ける。
今生から来世に向けてつながっている「意識の連続体」(心相続)は、
この潜在力を、その行為が成熟して、
結果を生み出すときまで運び続ける。

+5万円が欲しいというのは、
自分の+5万円が欲しいと言ってるのと同じだ。

我執が発生すると、外界と接触し、自分の物を求め出す。

だから、もっと、もっと、と、+5万円を求めた時点で、
我所執(がしょしゅう)という貪り()が発生している。

この取も、貪りなんで、当然、怒りと無智が付いてくる。

取が発生してるんで、+5万円が奪われる事になる。
この場合の+5万円というのは、既に得た5万円の事を指し、
元の、何も無い状態になるんだ。

これを専門用語で、好きな物と分かれる苦と言います。

見方を変えると、+5万円という借金があったとも言える。

それは専門用語でいう、嫌いなものと出会う苦とも言える。

そもそもは、
何も無いところから得た+5万円の喜びが因となって、
求めても得られない苦が発生し、
好きな物と分かれる苦が発生し、
嫌いなものと出会う苦が発生してるんだ。

四苦八苦とか、七難八苦とか言うが、
苦しみの方が大きんですね。
これは、十二支縁起から来てるんだ。

ミ○スでは、

あぁ〜、ぼく達、わたし達は、
釈迦も、キリストも、ぶっ超えた話をしている。

この世は、相対!!
苦を受け容れれば、楽が付いてくる。


というが、付いてきた、たった一つの楽が、
求めても得られない苦が発生させ、
好きな物と分かれる苦が発生させ、
嫌いなものと出会う苦が発生させる事に注意してね!!

そんなものは救世主幻想です。

この世の仕組みを知り、六波羅蜜など、
利他を実践してる人は、悪業として、
この様な試練を受けるとも言える。

しかしながら、そんな仕組み知ってるだけに、
いざ、奪われたとて、全ての原因は、
自分の貪りと分かっているので、差ほどショックがなく、
功徳を積んでるせいもあり、条件)が変わるかもしれない。
カルマがダルマになるかもね。

なにより、条件(縁)に囚われないだけ、
貪瞋痴(とんじんち)に徳を消費しない分、
徳が溜まって行くと思われる。(善業増大

愛尽大経 第四章
「比丘達よ、闇を超えて、を越えていく、
無明を滅したものは、何が止まるのだろうか。」
「尊師よ、無明を滅すると、意志が止まるかと。」

「比丘達よ、行を超えて、識を越えていく、
意志を滅したものは、何が止まるのだろうか。」
「尊師よ、意志を滅すると、識別が止まるかと。」

「比丘達よ、識を超えて、蘊を越えていく、
識別を滅したものは、何が止まるのだろうか。」
「尊師よ、識別を滅すると、名色が止まるかと。」

「比丘達よ、蘊を超えて、処を越えていく、
名色を滅したものは、何が止まるのだろうか。」
「尊師よ、名色を滅すると、六処が止まるかと。」

「比丘達よ、処を超えて、触を越えていく、
六処を滅したものは、何が止まるのだろうか。」
「尊師よ、六処を滅すると、接触が止まるかと。」

「比丘達よ、触を超えて、受を越えていく、
接触を滅したものは、何が止まるのだろうか。」
「尊師よ、接触を滅すると、感受が止まるかと。」

「比丘達よ、受を超えて、愛を越えていく、
感受を滅したものは、何が止まるのだろうか。」
「尊師よ、感受を滅すると、渇愛が止まるかと。」

「比丘達よ、愛を超えて、取を越えていく、
渇愛を滅したものは、何が止まるのだろうか。」
「尊師よ、渇愛を滅すると、執着が止まるかと。」

「比丘達よ、取を超えて、有を越えていく、
執着を滅したものは、何が止まるのだろうか。」
「尊師よ、執着を滅すると、存在が止まるかと。」

「比丘達よ、有を超えて、生を越えていく、
存在を滅したものは、何が止まるのだろうか。」
「尊師よ、存在を滅すると、出生が止まるかと。」

「比丘達よ、生を超えて、死を越えていく、
出生を滅したものは、何が止まるのだろうか。」
「尊師よ、出生を滅すると、老死止まるかと。」

ちなにみ、この俺様、
功徳六波羅蜜)と積み始めてから、
歳のわりには、かなり若く見られ、大抵の人は驚く。

あと、身体的特徴として、(カルマ)の返りが速い、
本来、来世に受けるべき(カルマ)が、今生、受けるなど、
感覚器官が微細になってるんだね。

何回も言いますが、ミ○ス論理の、
DNA意識をONにするだの、しねぇ〜だの、じゃ〜

ないからね!!

これは、DNAを超えた話だ。

十二支縁起は、
どこが最初で、どこが終わりなのが、
境目がなく、ちょっと難しいものでもある。

だから、人によっては、その説明が、異なる事もあるらしい。
行は業(カルマ)を含むが、業(カルマ)は十二支縁起でいうと、
行と有をも含むともされ、2回、出てきてるよね。
後者の有は、業(カルマ)が確定された状態を言うらしい。
だから、存在が確定し、この世に生まれてくる、そんな感じだ。

しかし、煩悩が、いかに生起するか、
なんとなく、つかめた様な気もする。

この様に、釈迦一元論って言うのは、
奇跡を起こす物ではなく、
たとえ、苦しみをだかえていても、
それは、自分の貪り原因と分かるので、
心が、苦しみに囚われず、開放的で楽なんだよね。

これは、苦しみという障害が発生すると、
どうしても、執着が現れ、そうすると、何がなんで、となるが、
そんな貪りを静めると言っても良い。

貪りには、無智、怒り、不満(障害)が付いてくるが、
釈迦一元論は、その貪りを静めるので、
付いてくる、無智、怒り、不満(障害)が消えてくるとも言えるんだ。

とわいうものの、治らない病気というものもある。

例えば、自分なんか、サラリーマン時代、
毎日、一時間半の満員電車通勤で、
立ちっぱなしが多かったせいか、
両足の裏のは、タコが出来ていて、そのせいで、
足が痛く、歩行が困難で、立っているのも辛い時があるが、

人は生きている以上、死に向かっている。

も独立して、存在するのでなく、他との相互関係(縁起)で成り立っている。

前にも言ったけど、人の食事()というものは、他の生き物を殺生したものだ。
そんな、他の生物を殺生したカルマが返り、病気になってもおかしくはない。

これが、分かるから、両足に出来たタコ(外的条件)を、

どうにかしよう。

なんて気も、あまり起こらないし、
足が痛い時もあるが、だからと言って、心が不自由してる訳でもないんだ。

自由 の先に 自在
あたしは、自由なの、したいことをするの。

レイ  わたしは、自在なの、どんなこともするの。
アスカ バカね、そんなの、単なる、選択の放棄よ。
レイ  わたしは、不自由のない、絶対の自由で、
    あなたは、不自由でない、相対の自由なの。

アスカ 訳が分かんない、それって、どういうこと?
レイ  わたしは、全て選べて、不自由が無いの。
    あなたは、全て選べない、不自由が有るの。

アスカ あたしの方が、不自由だって、言いたいの?
レイ  そうなの、したいことを、選べるようで、
    本当は、したくないことを、選んでいるの。

アスカ あんたの方が、自由だって、言いたいわけ?
レイ  そうなの、不自由が無いだけ、自由なの。
    あなたは、不自由が有るだけ、不自由なの。

アスカ バカね、あんたの方こそ、不自由なのよ!
    あたしの方が自由なの、絶対に自由だもん!

レイ  そう、それなら、別に、それでもいいの。
    わたしは、それでも、不自由じゃないから。

アスカ ……………………

因みに、この様に、下半身の病気というのは、地獄界を現し、
地獄界というのは、人間関係で不快を感じるカルマ()を表している。

人は、他人を傷つけない事には生きていけない。

だから、下半身が病気になっても、おかしくわないし、
それが、分かるから、そんな苦に囚われる事もあまりないんだ。

智慧により、苦しみに強くなってるんですねぇ〜

これが、奇跡外的条件を変える、
自分を高次元から知るミ○ス論理など、スピリチュアルと異なる点だ。

何回も言うが、
お金、名誉、地位や病気(体)などの外的条件は、
自分の貪りが原因で、不自由してるんで、
そんな外を変えても、幸せが手に入る訳がない。

だから、達観し、
他に対する憎悪が無くなると、
なぜか、足の痛みが消えたりもする時もある。
不思議ですねぇ〜

さて、さて、
最近の東大卒は、官僚になるのではなく、
リーマン・ブラザーズ、メリルリンチ、
ゴールドマン・サックスなど、
月収、百万円、ボーナス、一千万円の
外資系会社に就職するらしい。

良いねぇ〜

しかしながら、そんな大手金融機関が、
破綻だの、救済合併だのと、
金融市場が混乱しておりますがぁ〜

この世は、苦楽表裏一体だから、そうなるんだよね。

苦しい時もあれば、楽しい時もある。
なんて言うが、楽したから、苦しんだよ。とは言わない。

だから、人ってのは、
この、苦と楽がになってる事を知らないから、

ここで一所懸命、働いて、
その後、投資で一攫千金をと思い、結局はぁ〜、
一生、掛かっても払いきれない借金(カルマ)をし、人生が終わる。

せっかく、
一攫千金で、一生、働かず、
楽ばかりの極楽を目指したのにねぇ〜
一生、掛かっても払いきれない借金(カルマ)を背負う事になる。

アセンション教では、

気づけば速い!!。
一発で一瞬で奇跡が起きる。


なんて、やってたけどね。

賢い人は、苦と楽が輪って事を知っているから、
楽ばかりだと、人は努力せず、心身がたるみ、
将来、バチが当たるから、無理はしないながらも、
ある程度の苦役(くえき)は背負って、気を引き締めて生きよう。

なんて、苦労は買ってでもしろっ!!

そんな感覚で生きているから、安定しているんだ。

不苦不楽って奴だね。

苦と楽が輪って事を知っているから、
一発で一瞬の奇跡を求めようとしないんだ。

ある程度の苦役は背負って、なんて所が味噌で、
意識無意識の関係で解けば、
これは、いたずらに苦を避けてるのではなく、
意識して苦と楽を分けてないので、無意識に苦が残らない。

というより、苦を苦と思わない智慧が生じるってとこかなぁ〜

例えば、アセンション教では、
やたらと、素直にミ○ス論理を実践すると、

嫌な人が、自分の目の前から離れる!!

なんて言いますが、

嫌な人が自分から離れる事を喜んでるので、
また、嫌な人と仕事をするハメになったりするんだ。

一方、賢い人は、

この世は、相対!!
苦を受け容れれば、楽が付いてくる。


なんて、いたずらに苦を避けず、
苦と楽は輪であると知ってるから、
苦しみを喜び変えている。

百万円が欲しくて、百万円ばかり求めてないって事だよ。

先の例でいえば、その為に、
ある程度の人間関係苦(苦役)を背負うって事だ。

苦と楽は輪であると知ってるから、
苦しみの経験の時に、苦を前向きに捕えている。

これは、苦と楽は輪であると知ってるから、
目先の苦しみが永続すると考えてないとも言える。

そう考えてしまうから、人は鬱になったりする。

楽も永続しないけどね。

これは、基本的に功徳がないと、
同じ苦しみを繰り返す、自業自得の苦ばかりで、
なかなか難しいと思われるが、
この世の仕組みを知り、六波羅蜜などの利他を実践すると、
良い事をすると、良い事が返るのではなく、
良い事をすると、先ず悪い事(悪業)が起こるからねぇ〜

苦労は買ってでもしろっ!!って奴だ。

でも、この苦に耐えると、悪業が落ち、善業が表に現れる。
次の段階(試練苦益)へという螺旋階段を登る。

教学、功徳、修行の三本柱がないと、
螺旋階段に登るのは難しいと思われる。

あぁ〜、わかった、わかった。
三本柱について書いてたら、わかったでやぁ〜

あぁ〜、僕達、私達は、
釈迦もキリストも、ぶっ超えた話をしている。
この世は、相対!!
苦を受け容れれば、楽が付いてくる。
これが、一厘の仕組み。


なんて言うが、これは救世主の嘘で、
この世は、
原因結果条件で成り立っている。

例えば、種(
原因)が花(結果)となるには、
光と水を与えるという
条件が必須となる。

この世は、相対!!
苦を受け容れれば、楽が付いてくる。

も、
条件がないと「苦と楽の輪」にならないって事だよ。
その
条件というのが功徳だ。

すると、苦と楽が輪になるので、
苦役も、利益をもたらす楽となり、
苦の裏の楽があるので、
いたずらに苦を避けるのではなく、苦を喜びに変えるって奴だ。

なんで、
功徳が必要かと言うと、
苦を受け容れれば、楽が付いてくる」というが、
そんな心も独立して存在しておらず、
他との相互依存(
縁起)で生起する。

そんな、心は、何処の何様と相互依存関係であるか?

自他の区別を外した智慧だよ。
この世を、ありのまま観る
智慧だ。
苦を喜びに変える
智慧であり、八正道の正見だ。

観音菩薩
カルマ・ヨーガですね。

そんな
智慧が無い事には、苦を受け容れられない。

智慧も無いのに、そんな事をすると、
それは、
を受け容れようとしてるだけで、
かえって、
無意識が残る。

現実は
無意識方向に変化する無常なんで、
何時まで経っても、
しいままだ。

危ねぇええええ〜
、騙されるところだったでやぁ〜

そして、そんな
智慧は、
何処と相互依存(
縁起)してるかと言うと功徳六波羅蜜の利他実践)です。

日頃、生起しまくるの
思考智慧)も、
独立して存在してる訳じゃなく、
他との相互依存(
縁起)で生起している。

何処
縁起関係かというと行為だ。

どんなに良い事を考えてようが、
普段、副業で
MLMネズミ講)なんてやってたら、
そりゃ〜、思考にもインパクトがある。

良い事よりも、
不平、不満の方が多いのが現代人かもね。

思考は現実化すると言うが、こうなると良くなる訳がない。

論点 禁戒とは何か

禁戒によって悪業を減少させる」ことを説いている。
歓戒によって善業を増大させる」ことも説かないと片手落ちである。
前者は苦しみからの自由を、後者は喜びによる平安をもたらす。

勧戒 の裏に 禁戒
リョウジ 勧戒は、善業を増やしていく、戒律で、
     禁戒とは、悪業を減らしていく、戒律さ。

ミサト  勧戒で、善業が増えると、どうなるの?
リョウジ 光が現れてきて、念が大きくなる、のさ。
ミサト  禁戒で、悪業を減らすと、どうなるの?
リョウジ 闇が消えていき、念が正しくなる、のさ。
ミサト  善業も多く、悪業も多いと、どうなるの?
リョウジ 善いことも、悪いことも、強く現れる。
     すると、何が正しいか、分るようになる。

ミサト  善業が増え、悪業が減ると、どうなるの?
リョウジ 善いことも、悪いことも、良く見える。
     すべてを、在りのまま、認められるのさ。

ミサト  曖昧に善と悪を消す、ってわけでなく、
     明確に善と悪を越える、ってわけなのね?
リョウジ そうさ、光を強くして、色が現われる。
     その、色を越えて、透明な空にするのさ。

ミサト  なるほどね、色々と、分かって来たわ。
リョウジ そうか、じゃあ、次は、越えることだな。
ミサト  ……………………!!


厳しいようだが、
功徳を積んだ分だけ、人は幸せに成れる。
楽して幸せにはなれないんだ。

アセンション教の様に、愛も銭も、じゃないんだよ。

それは、両方の快楽を望んでいるので、
それだけの、苦も背負うと考えた方が無難だ。

しかしながら、
そんな、アセンション教を高次元から見る事にする。

与えるものは、与えられるからさぁ〜、
なんつって、MLMネズミ講)に手を出したり、
理想の相手と出会えるのが、次元上昇教と言いつつも、
人はぶつかり合い、他を受け入れない。
”拘り”は自分を支配し、自分を見失う。
素直に次元上昇教の位置に立とう!
”拘り(理想)”を捨てあるがままに。
なんて、理想じゃない人と結婚させたりと、

アセンション教に限らず、
犯罪すれすれのセミナーとか、
スピリチュアルとか宗教は腐る程ある。

なぜ、そんな団体を見る事になるのか?

犯罪も独立して存在してる訳ではなく、
原因(カルマ)がないと生起しない。

この原因(カルマ)ってのは、
人類が共通で持っているカルマなんだ。

なぜなら、この世は、類は類を呼ぶだからぁ〜

だから、そんな事をする人を観る事になるんだ。

そんな、犯罪の原因(カルマ)を持っているって事は、
誰もが、犯罪に走る条件を持つって事だよ。

そんな原因(カルマ)を持つため、条件が生起し、
現実条件)が、犯罪者にさせようと動くと言っていい。

苦と楽は表裏一体だから、人によっては、
転落した時、苦に耐えかねて犯罪に走るかもしれないし、
人は神秘性に弱いから、教祖が言うからと、
犯罪的な行為に走るかもしれない。

他人に騙されて、か〜っときて犯罪的な行為に走るかもしれない。

でも、実際は、
同じ境地(条件)でも、犯罪的な行為に走る人もいれば、
そうでない人もいる。

その差は、紙一重なんだ。

巷には、色々と犯罪事件が多いが、
そんな、悪人を観て、この様に思索し、
まだ、生起してない、自分の潜在に眠るカルマ(悪業)と観るのが、
全てを神仏と見る観音菩薩カルマ・ヨーガらしい。

逆に、人ってのは、
お金や名誉、地位が手に入ると、
慢心しちゃって、もっと、もっと、なんて、
いつのまにやら、そんな行為に入ったりするからねぇ〜

将来、お金や名誉、地位が入ったら、
同じ事をやる可能生があるとも言える。

同じ条件に立たされたとき、
同じ事を行う可能性があるって事だ。

おっとっと、
お金や名誉、地位が入ると、
縁起でもって、今度、それが手放せなくなる。
十二支縁起を思い出してほしいが、
お金、名誉、地位に愛着が発生し、漏れなく取(執着)が生起している。

対象に、実体を錯覚して素晴らしいと思う執着」、我所執(がしょしゅう)ですね。

取(執着)が発生してるので、漏れなく奪い取られる。

俺の場合でいうと、法施(シェア)してるだけに、
苦労して、得た「理の法」が、意図も簡単にライバルにパクられ、
BLOG人気の獲得に利用されたり、セミナーの宣伝に使われたりと、
そんな形で、貪りの裏の怒りが発生するが、
偶然にパクられた訳じゃないと、分かっているから、差ほど苦にならないんだ。

もう少し、十二支縁起の説明を思い出して欲しいというか、
カルマ(悪業)について解くが、

そんな、許せない人を見て、殴ったとしてよう。

すると、それだけでは済まず、また、殴りたいと思うんだよね。

また、殴らないと気が収まらなくなる。

というより、また、殴りたくなる局面(現実)が生起すんだ。カルマですねぇ〜

だから、悪人が後を絶たないのかもね?

十二支縁起で説明した、もっと、もっと、銭が欲しくなるのバージョンみたいなもんだ。

もっと、もっと、殴りたくなる。これじゃ、何時まで経っても地獄だよね。

悪人善人は、紙一重なんだ。

誰もが、共通に犯罪(カルマ)という因がある為、
必ず、犯罪者にさせようとする誘惑条件)が生起する。

例えば、よく、テレビのニュースなんかで、
国家公務員なのに、なんで汚職なんてすんの?

そんな事件が後を絶たないよね。

通常、善人ならば、
そんな事をするれば、地位や名誉、財産が失われるから、
そんな事はしないんだけどぁ〜

いやぁ〜、そこでは裏金を作ると出世するんだよね〜

こうなると、名誉や地位が手に入るから、コロっとやってしまんだ。

MLMネズミ講)なんて、通常は、善人だからやらないが、
世間一般では認めてくれないが、
その団体では、MLM(ネズミ講)や、
理想の相手と出会えると言いつつも、
人はぶつかり合い、他を受け入れない。
"拘り"は自分を支配し、自分を見失う。
素直に次元上昇教の位置に立とう!
"拘り(理想)"を捨てあるがままに。
なんて、理想じゃない人と結婚させたりすると、
その団体では、リーダーに成れるなど、名誉や地位が与えられ、
週休二日制と、ゴールデン・ウィーク、盆と正月は、
長期休暇が付いて来る。おまけに三食昼寝付き、
なんて誘惑があるとコロっと変わってしまう。

通常の3倍スピード犯罪に手を染めていく。

通常は、善人だからというプライドが、
そんな誘惑に手を出さないようにし、
悪い事をしないよう抑制してるってのが味噌で、
意識的に抑圧してるから、無意識悪い事が残る。

現実は無意識方向に変化する無常なので、
いつか、そんな形で誘惑が現れる事になる。

抑圧してる時は、そんな自分の無意識部分を他人が演じる。

この様に、潜在(無意識)に眠るカルマ(悪業)は、
何時、出るか分からない。
今生かもしれないし、来世かもしれない。
だから、常に教学し、それを常に記憶主従する事だ。

そして、他人の悪業を、自分の悪業の投影と観て、
悪人を許し(悪業減少)、
加害者にも、被害にもならないよう、
常に気を引き締め、自他の区別を外す智慧を磨く、
そんな努力をするのが不苦不楽六波羅蜜)の道らしい。

これは、つまり、
自分が他を救っているつもりが、実は他に救われていて、
慈悲の対象が帰依の対象になり、救済の対象が崇拝の対象になり、
自と他の融合がなされてくるって事だ。

人々を法の現れと見、人々を神々の現れと見ることによって、
平等心の究極に向かうのだということだ。

この様に、全てを自分を救ってくれる神仏と見るのが、
観音菩薩カルマ・ヨーガらしい。(智慧の修行

最近は、幼児の殺害事件が多いがぁ〜

そんな中、ある飲み会での話を思い出したんだんだけどぉ〜

その話は、子育ての苦労話だったんだけど、
夜泣きなんかされちゃ日にゃ〜、どうしてくれようか?

なんて、子供の首に手がいってる時もあったそうなぁ〜

でも、やっぱ子供が可愛いから、
そんな誘惑を抑え、悪い事はしないよう上手く出来てる。

そんな話だったんだけど、
ここが味噌で、抑えた誘惑は、無意識に残る。

現実は無意識方向に変化する無常なので、
そんな誘惑は、また生起する事になるが、
潜在に眠ってる間は、そんな自分の無意識部分を他人が演じる。

それが、そんな幼児の殺害事件だったりしてね?

子育てに限らず、カァ〜ッ熱くなることは良くある。

しかし、やはり悪い事だからと、
そんな誘惑を抑え冷静に対処するのが人ってもんだが、
抑えたものは無意識に残る。

いっとき、切れるなんて流行ったが、
そんな無意識部分の投影だったりしてね?

そんな悪人も、自分の無意識部分の投影なので、
攻撃すると、全部、自分に跳ね返る。六六六の仕組みですね。

何もしない訳にはいかなが、やり過ぎも良くない。

潜在の悪業を仏典で言うと、これかなぁ〜

賢愚経 第二章

「比丘達よ、愚か者は、この現世に於いて、
賢者にはない、三つの禍患を味わうのである。
それでは、一つ目の禍患とは、如何なるものか。」

「彼は戒律を守るが、私は戒律を護らない。
このように、他人を捉えて、自分を捕らえる。
比丘達よ、これこそ、愚者の第一の禍患である。」

「比丘達よ、愚か者は、この現世に於いて、
賢者にはない、三つの禍患を味わうのである。
それでは、二つ目の禍患とは、如何なるものか。」

彼が刑罰を受ければ、私も刑罰を受ける。
このように、他人を捉えて、自分を捕らえる。
比丘達よ、これこそ、愚者の第二の禍患である。」

「比丘達よ、愚か者は、この現世に於いて、
賢者にはない、三つの禍患を味わうのである。
それでは、三つ目の禍患とは、如何なるものか。」

「過去に悪因を為した、未来に悪果が返る。
このように、過去を捉えて、未来を捕らえる。
比丘達よ、これこそ、愚者の第三の禍患である。」

賢愚経 第七章

「比丘達よ、賢い者は、この現世に於いて、
愚者にはない、三つの味著を味わうのである。
それでは、一つ目の味著とは、如何なるものか。」

「彼は戒律を守るから、私も戒律を護ろう。
このように、他人を捉えて、自分を捕らえる。
比丘達よ、これこそ、賢者の第一の味著である。」

「比丘達よ、賢い者は、この現世に於いて、
愚者にはない、三つの味著を味わうのである。
それでは、二つ目の味著とは、如何なるものか。」

「彼は刑罰を受ける、私は刑罰受けまい。
このように、他人を捉えて、自分を捕らえる。
比丘達よ、これこそ、賢者の第二の味著である。」

「比丘達よ、賢い者は、この現世に於いて、
愚者にはない、三つの味著を味わうのである。
それでは、三つ目の味著とは、如何なるものか。」

「過去に善因を為した、未来に善果が返る。
このように、過去を捉えて、未来を捕らえる。
比丘達よ、これこそ、賢者の第三の味著である。」

あと、さらに分かったんだけど、
普通、何も修めて無いのに、セミナー講師なんてやろうとは思わない。
でも、その団体に入ると、指導員になれたり、銭が貰えるなどの条件が揃うと、
何も知らないクセに、セミナーをやったりする。

霊視なんて出来ないのに、霊視が出来ると銭を稼いだりね。

ちなみに、ここに来た人は、
守護霊が見えるだの、浮遊霊が見えるだの、
霊に取りつかれてるだの、そんな霊視は出来ないとおもが、
その代り、智慧によって、他を通じてが見え始めてると思う。
それだけ、が変わってきた証拠であり、
憎悪や悪口が減ったならカルマが落ちてる。

大体、江原の様に霊視できる奴は沢山いる。
夏になると恒例で、そんな霊能者と、お化け屋敷番組が流行る。
しかし、霊視が出来るが、が見えないのも可笑しな話だ。
無智から感覚器官が出来てるから、
ではなく、そんなもんしか見えないとも言える。

この世も、目に見えない、あの世も、
独立して存在してるかというと、そうではなく、
あの世あっての、この世で、
この世あっての、あの世でもある。

こっちが、智慧によってレベルUPすれば、
つながっている、あの世もレベルUPするし、
あの世がレベルUPすれば、この世のレベルUPする。

人も神も禊じゃ〜

生と死というものを考えると、
誰かが、死んだ御蔭で、自分が生きてんだ。
その代り、誰かを生かす為に、死ななくてはならない。

それを約束して、生まれてた様なものだ。

霊能者とお化け屋敷番組では、
たいがい、えらそうに浮遊霊を見ちゃ雑魚(ザコ)と言ったり、
見えないものを見ちゃ〜、写真とって、きゃ〜、きゃ〜、と言ったり、
見えないものを見ちゃ〜、この先はヤバい、空気が思いでしょう、と言ったり、
自慢げに霊視をしているが、
自分が死んだとき、代わりに、この世に生まれるのが、
そんな目にみえないものとも言えるんだ。

その時、人が幸せに成れる正しい生き方が、
この世に無かったら、また同じ事を繰り返してしまう。

霊能者とお化け屋敷番組では、
最後に、見えないもの手を合して供養なんつって、
天国にって、言ってるが、そんなんで、天国に行ける訳がない。
そんなもんは、霊能者の幻想なんだよ!!

生と死は、この様に不二で一体なんだ。
見方を変えると、死というのは、最後の恩返しとも言える。

だからって、「僕、死にます」「僕、自殺します」ってのは、無しだよ!!

涅槃も良いが、そんな高度意識状態で死を迎えたいものだ。

ここで、怠惰に関係する話をしたいと思う。

六道輪廻すら心(感情)の現れと観るのが仏教で、
極端なら経済的状況は、そんな極端な感情の投影でもあるんだ。

この世は縁起(相対)なんで、
楽しめば、苦しみます。得すれば、損します。

えっ、

願いも叶ってないし、
  全然、楽しんでないのに不幸です
」ってか?

そんな人向けに法を解きます。

何でもかんでも縁起(相対)してんだが、
あえて、大きく分けるとすると3つある。

1、原因と結果 2、自分と他人 3、意識(思考)

3番の「意識(思考)の縁起(相対)」で、
人は、かなり引っ掛かってんだ。

例えば、せっかく、ボーナスとか臨時収入を得たのに、
必要なものが壊れ、そっちに銭を取られちゃって、
まったく、楽しめなかったとか、
こんな風に、突然の解雇など、収入に波がないかい?

これは、全部、3番の「意識(思考)の縁起(相対)」が原因なんだ。

人は銭が入いる日が近づくと、
銭が入ってないのにも、かかわらず、

ついつい、「あれもできる、これもできる」なんて貪りが発生する。

こんな感じで、その気になって極端に楽しんでるって事だよ。

だから、漏れなく、がっつり苦が付いて来て、
もぉ〜、この段階で縁起に引っ掛かり収入にが発生してんだ。

給料を貰った日なんか、
今日ぐらい、ちょっと贅沢してもぉ〜」なんて考えがちだよね。

これを専門用語で「心に隙がある」とか、仏教では慢心とか言う。

この世の仕組みを知ってる人は、
自分の楽の裏には、他の苦しみがある事を知っているので、
心にブレーキが掛かり、いたずらに喜ばず、大丈夫だと思うが、

実は、この逆もありで、
例えば、失恋なんかすると、極端に落ち込むよねぇ〜

この世の仕組みを考えれば、
恋愛奪い合いなので、奪ったり、奪われたりの繰り返しなんだ。

だから、その度に、落ち込むのではなく、また努力する事が、正しい生き方であり、
波みがなく安定した人生を送れるってもんなんだ。

だから、
BLOGのアクセスが、増えたり、減ったり、と波があったり、
努力はしているが、どうも結果が出ず卑屈を感じる事が多いとか、
失恋など、日常、嫉妬する事ばかりで、何時もイライラする事が多い、

なんて人は、失敗や失恋(奪われたとき)したときなど、
結果が出ないとき、極端に落ち込む癖(怠惰がある可能性があるんだ。

そんな、心(怠惰)の投影が、嫉妬対象として現れ、
そんな心の癖(怠惰)を教えて、くれている可能性があるんだ。

とくに、六波羅蜜の利他実践は、
奪われる段があり、当然、失恋もあるかと思うが、

 もぉ〜、善業つむのぉ〜、やめたぁ!!

なんて、極端に落ち込む事が、何度もあるかと思うが、
そんな、心の癖(怠惰)を教えてくれているのかもしれない。

囚われず、善業功徳)を積む努力を忘れずにね!!

ちなみに、六道輪廻すら、そんなの投影とするのが仏教であり、
この六つの世界は、人の持つ根本的な感情に対応している。

貪り、怒り、無智、執着、嫉妬、慢だ。

強いがある人は、欲界の神として生まれ変わる。
欲界の神は、一時的には幸福だが、それは永続せず、
その後に苦しみの世界に落ちていく。

嫉妬の強い人は、阿修羅として生まれ変わる。
この世界は闘争によって苦しまなければならない世界である。

愛著、偏った愛の強い人は人間、
無智によって動物、貪りによって餓鬼、
怒りによって地獄に、それぞれ生まれ変わる。

これらの話に関連する事だが、

マリッジコードミ○ス連中に、
プラス思考なんて、ダメ、ダメ、ダメ、
すったらもん、無駄、無駄、無駄、無駄、無駄、
人は反省(懺悔)できないの!!

この世は、相対、相対!!
苦を受け容れれば、漏れなく楽が付いて来る。
これが、一厘の仕組み。


なんて、教えられたんだけどぉ〜

意識無意識を司る弥勒菩薩智慧で、
そんな幻想を壊し、自他の区別を外したいと思います。

基本的に「またかよ!」と、
同じ苦しみを何度も味わっている人向けに法を解きます。

普通、苦しい事があって卑屈になると、

もぉ〜、こんな思いをしたくない!!

と、苦を否定し、

アセンションの鍵は結婚にあった!!

と、次元上昇しに、そんなセミナーに行く。

意識的に否定(捨てた)したものは無意識に残ります。
現実は無意識方向に変化する無常なので、
また、否定した苦しみを何度も拾う事になります。

だから、無意識に残さす、苦しみを意識化します。

よく、失敗は成功の元。なんて言うでしょう。

そんな感じで、失敗(苦しみ)を肯定し、意識化します。

受け容れるじゃなくプラス思考ですね。

すると、意識の裏の意味が無意識に積み重なります。

否定の肯定の裏は成功の肯定だ。

現実は無意識方向に変化する無常なので、やがて成功する。

だから、苦しみを受け容れるなんて、
そんな心も独立して存在するのではなく、
そんな心も他との相互依存関係縁起して生起する。

何処の、何様と縁起してるかと言うと、そんな智慧です。

智慧も無いのに、苦を受け容れるなんて、
それは、苦を受け容れようとしてるだけで、
かえって、苦を否定し無意識に苦が残る。

顕教を極めず、下手に密教を説くから、そんな事になる。

この世は、幸せと言えども奪い合いなので、
奪ったり、奪われたり、思い通りにいったり、いかなかったり、と、
何度も、傷つけられるのは、当たり前の事なので、
その度に、卑屈になり、引きこもって、再起不能になるのではなく、

悪業が落ち、成功に近づいた。ツイテル、ツイテル。

なんて、苦しみを意識化し、また努力する事が正しい生き方なんだ。

ちなみに、ツイテルの人、そんな説明なしだけどね。

運命 の裏に 非命
アスカ あ〜ん、今週のあたし、金運が最悪なの。
    入って来ても、全部、出て行っちゃうって。

ヒカリ それって、一概に、悪いことじゃないよ。
    
お金が、増えるように、使えばいいだけよ。
アスカ や〜ん、来週のあたし、恋愛運が最悪なの。
    寄って来ても、皆、去って行っちゃうって。
ヒカリ それだって、別に、悪いことじゃないよ。
    
目が養われるように、振られたらいいだけ。
アスカ もうっ、あたし、こんなに可哀想なのよ。
    少しは、同情してくれても、いいじゃない!

ヒカリ 可哀想、可哀想って、不幸になりたいの?
    人は、どんなときでも、幸福になれるのよ。
アスカ えっ! あたしが、不幸を招いているの?
ヒカリ 星で占うにしても、人に尋ねるにしても、
    結局、最後に選んでいるのは、自分でしょ。

アスカ たとえ、起こる事は、決まっていても、
    それの、捉え方は、変えられるってこと?
ヒカリ うふっ、どう思う? どう捉えてもいいよ。
アスカ ........................!!

逆に言うと、嫉妬対象は、極端に卑屈になるらず、
努力(功徳積み)するれば、そうなるよ。という、
まだ生起していない、潜在に眠る「自分の善業」の投影でもある。

否定の裏の肯定 と 否定という肯定

アスカ あ〜ん、穴があったら入りた〜い!
ヒカリ 後悔しないで、懺悔した方がいいよ。
    同じ悔いるだけど、効果は全く違うから。
アスカ あ〜ん、その後悔って、なあに?
ヒカリ 過去の失敗を否定して、現在の安定を得ること。
    つまり、過去と現在が、互いに対立してるんだって。
アスカ あ〜ん、その懺悔って、なあに?
ヒカリ 過去の失敗を肯定して、現在の安心を得ること。
    つまり、過去と現在が、互いに補完してるんだって。
アスカ あ〜ん、何が違うの? わかんな〜い!
ヒカリ 後悔は、否定の裏の肯定、だから、今度も、失敗しちゃうの。
    懺悔は、否定という肯定、だから、今度は、成功しちゃうの。

アスカ あ〜ん、全然、違うじゃない。
ヒカリ うん、だから、失敗は成功のもと、って考えた方がいいよ。
アスカ あ〜ん、だったら、もっと早く教えてよ。
    あたし、そんなこと知らなかった、損しちゃったわ!

ヒカリ うふっ、だから、そんなこと言ってちゃ、ダメでしょ。
アスカ ……………………!!

楽の裏には苦があるが、苦の裏には楽がある。
だから、苦を否定すると、裏にある楽が生起しない。

嫌いなものって捨てがちになるよね。
でも、捨てると、また、拾ってしまう。

俺様の嫌いなものは、無智で嘘っぱち救世主やら、
スピリチュアルだが、否定し、捨てると、また、拾ってしまう。
これじゃ〜、一向に世の中、良くならい。

だから、段階に応じて、あらゆる教えが必要と意識化し、拾ってやる。

内道 の裏に 外道
アスカ ねえ、あんたの教えと、あたしの教え、
    どっちが、正しい教えか、議論しましょ。
レイ  ううん、わたしに、議論は要らないの。
    あなたの法の正しさを、認めているもの。
アスカ じゃあ、あんたは、負けを認めたわけ?
レイ  ううん、わたしに、勝負は要らないの。
    わたしの法の正しさも、認めているもの。

アスカ どういうことよ! わけがわかんない!
レイ  先ず、切り捨てる教えが、説かれて、
    次に、受け容れる教えが、解かれるの。
    わたしのは、受け容れる、優れた法なの。

アスカ じゃあ、あたしの方が劣っているわけ!
    あたしの教えなんて、要らないってわけ!
レイ  ううん、劣るからって、切り捨てないの。
    段階に応じて、どんな教えも、必要なの。
アスカ 結局、あたしを、否定するんじゃない!
    劣っているって、言いたいんじゃないの!

レイ  ........................

も独立して存在しておらず、
との相互依存関係で縁起して生起している。

だから、悪を否定すると、善が生起しない。

最善を究めるほど、嫌な事ばかりで、最悪に極まり、
独善に落ちて、悪を否定し、

結婚しないと、次元上昇できません!!

なんて、最善 vs 最善の宗教戦争になりがちだが、

が生起するプロセスと、を肯定してやる。

悪人仏性が生起し、悪人善人に変わり、
世の中、良くなったりしてね。一厘の仕組みだ。

さて、さて、まだ生起しない潜在に眠る善業の話にもどるが、

これは、少々、悪い例かもしれないが、
冒頭でのべた、ミ○スの教祖の使命とやらを思い出して欲しい。

俺は世界の王で、ユダヤの銭をオープンにするとか、しないとか。

これは、支配される側の発想であると解いた。

しかしながら、そんな、支配的独占的世界陰謀説は沢山あるし、

ビル・ゲイツなんて、どっから、どう見ても、市場を独占してるよね。
はっきり言って、嫉妬対象の代表選手みたいなものだ。

この世の仕組み知ってる人は、六波羅蜜など利他の実践をしてると思うが、
六波羅蜜一 、布施波羅蜜を思い出して欲しい。

これは、意識的に、
(物質的利益)や智慧(精神的利益)を、他と分かち合う、利他の実践だ。

意識的分かち合うので、意識の裏の意味が無意識に積み重なる。

分ち合いの裏は独占だ。

現実は無意識方向に変化する無常なんで、
やがて、そうなっても、おかしくはない。

そんな、まだ生起していない、自分の善業部分の投影が、
そんなユダヤ人だったり、ビル・ゲイツだったりしてね。

そう考えると、こいつらも、かわいいものだ。

最後は、全肯定となる。

これが、大乗の、次の段階である密教だ。

フリ ー メ ー ソン
コウゾウ フリーメーソンとは、どういう存在かね?
ゲンドウ 救世主の神殿を建設する、自由の石工だな。
     救世主を待望して、人類の進化を企んでいる。

コウゾウ いつ現れるか分からない、主を待てるのか?
ゲンドウ ああ、彼らは、待っているだけではない。
     救世主が現れるための、仕組を作っている。
     生まれ変わりつつ、文明や思想を立ち上げて。

コウゾウ 生まれ変わるだと? なんとも滑稽な話だ。
ゲンドウ いや、彼らは、そういう秘法を、使いこなす。
コウゾウ そういう、彼らの、生きがいは、なにかね?
     スポーツか、セックスかね、スクリーンかね?

ゲンドウ あまり、君らの発想で、彼らを推し量るな。
     それらは、彼らが、君らを操るためのものだ。

コウゾウ とうとう、気でも触れたか、魔でも憑いたか。
ゲンドウ ああ、そう取られることは、昔からあった。
     それでもなお、君らを導いて、我らは久しい。

コウゾウ ……………………

S と S と S
コウゾウ フリーメーソンとは、どういう存在かね?
ゲンドウ 救世主の神殿を建てる、自由の石工だ。
     仕組を整えて、人類の進化を企んでいる。
コウゾウ 預言に書かれたことを、実行するのかね?
ゲンドウ そうだ、預言が、すべて成就したとき、
     待望の救世主が現われると、考えている。
コウゾウ 気の長い話だ、他に愉しみはないのかね?
     スポーツは、セックスは、スクリーンは?

ゲンドウ 余り、君らの発想で、彼らを推し量るな。
     それは、彼らが、君らを操る為のものだ。
コウゾウ 我らは、何もかも、彼らの手の平の上。
     すべてが、預言のまま、というわけかね?

ゲンドウ 
ああ、稀に、それに気づく者が現れる。
     しかし、誰も、彼の言うことを認めない。
コウゾウ わたしには、全く、そんな風に見えない。
     果して、どこに、そんな者が居るのかね?

ゲンドウ ……………………


黒い石工 と 白い石工
ミサト  フリーメーソンって、どういう団体なの?
リョウジ 救世主の神殿を建てる、自由の石工さ。
ミサト  神殿なんて、どこにも建っていないわよ。
リョウジ 主が現われる、仕組を整えているのさ。
     仕組が揃うと現れると、伝えられている。

ミサト  どこまで、時が進むと、仕組が揃うの?
リョウジ 残念ながら、それは、伝わってないのさ。
ミサト  でも、本当に、救世主なんて現れるの?
     もう待ち始めて、二千年も経っているわ。

リョウジ 現れるさ、最後まで耐え忍んでいれば。
ミサト  だめ、もう待てない、神の子を待つより、
     神の旗を掲げた方が、良い仕組だと思う。

リョウジ 信じろよ、最後まで目を覚ましておけ。
ミサト  だめ、もう信じない、神の手に頼むより、
     人の手で治めた方が、良い仕組だと思う。

リョウジ ほら、こうして、最後に白黒が別れる。
     この仕掛が整わないと、主は現われない。

ミサト  ……………………

救世主の神殿を建てるというのは、まさに功徳積み(善業積み)だな。
最後まで耐え忍ぶと、潜在の眠る善業が表に現れる。(主が現れる

最後まで耐えしのぶ、これについて解くが、
善人悪人紙一重の話を思い出して欲しい。

ちょいと、復讐するが、

国家公務員が汚職したりと、なぜ、国家公務員が?

そんな、犯罪が後を絶たない。何故か?

通常、善人は、そんな事をすれば、
地位、名誉、財産を失う事になるから、そんな事はしない。

しかし、その団体では、裏金を作ると出世するんだよねぇ〜

こうなると、名誉、地位、銭が入るから、コロっと変わってしまう。

善人を演じる理由も、悪人を演じる理由も同じなんだ。

名誉、地位、お金というのは貪り(カルマ)であって、
誰もが、それを欲しがっていからねぇ〜
だから、そんな犯罪をしてしまうカルマは、
誰もが持つ、人類共通のカルマなんだ。
この世は、類は類を呼ぶだから、同じ貪りを持つ者が集まっている。

通常、人は名誉や地位、お金が欲しいから、善人を演じている。

だから、自分が善人だというプライドがあるから、
通常、MLMネズミ講)なんて誘惑があっても、
そんなプライド悪い事を抑制して、そんもんには手を出さない。

ここが味噌で、そんなプライドで意識的に、
悪い事を抑制しているので、無意識悪い事が残る。

現実は無意識方向に変化する無常なので、
いつか、そんな形で誘惑が訪れる。

抑制してるうちは、そんな自分の無意識部分を他人が演じる。

世間一般では認めてくれないが、
その団体では、MLM(ネズミ講)や、
理想の相手と出会えると言いつつも、
人はぶつかり合い、他を受け入れない。
"拘り"は自分を支配し、自分を見失う。
素直に次元上昇教の位置に立とう!
"拘り(理想)"を捨てあるがままに。
なんて、理想じゃない人と結婚させたりすると、
その団体では、リーダーに成れるなど、名誉や地位が与えられ、
週休二日制と、ゴールデン・ウィーク、盆と正月は、
長期休暇が付いて来る。おまけに三食昼寝付き、
なんて誘惑があるとコロっと変わってしまう。

通常の3倍スピードで犯罪に手を染めて行く。

これなんだけど、この世は(この宇宙は)、
原因結果条件で成り立っている事を思い出して欲しい。

例えば、種(原因)が花(結果)となるには、
光と水が与えれるという条件が必要となる。

人ってのは、条件がないと信仰しない動物のさぁ〜

MLM(ネズミ講)やったり、
理想の相手と出会えると言いつつも、
統一〇会みたいに、理想でもない相手と結婚させたりと、
なんで、そんなもん信仰してるかと言うと、
世間一般では認めてくれないが、
その団体では、そんな感じで、
名誉、地位、銭、が与えらるからさぁ〜

教祖を信じてる訳でもなく、
その真理とか3次元ルールを信じてる訳でもない。

教祖が名誉、地位、銭が与えれるから信仰してるにすぎない。

逆に言うと、真理や道理、菩提心なんて、どうでもよく、
適当に、ニーズに合わせ、名誉、地位、銭を与えたり、
こうすれば良くなりますとか、前世を信じる人に、
前世ってあるんですよ。なんて、相手を肯定してあげれば、
簡単に信者が集まり、銭、儲けができるのもスピリチュアルや宗教だ。

考えてみれば、不幸になる宗教なんて、誰も信仰しない。

ここに前から来てる人は分かると思うが、
そんな、良いという実感を、
積み重ねれば積み重ねる程、条件が変わり始める。

信仰と疑念はセットさぁ〜

あのイエスでさえ、十字架に張り付けになったとき、


主よ、どうして私を見捨てたんですか?

なんて言ってるし、

イエスの一番弟子ペテロさえ、最後にイエスを裏切る。

裏切りと言えば、
イエスの13番目の弟子ユダなんだけど、これは、ちょっと違うんだ。

ユダの福音書にも記されるが、イエスの命令で裏切ったんだ。

どんなに信仰しようが、その見返りが無くなるどころか、
そんな感じで、信仰で名誉、地位が与えられ、幸せになった分、
そんな感じで、名誉、地位が奪われる地獄も味わう。

欲には限りが無いので、実感として、満足する前に落ちる。

簡単に言うと、騙されるって奴だ。

一旦、信仰したならば(契を結んだならば)、
最後の地獄まで果たさないと千切れてしまう。

第二六話 旧約と新約
「神と人との契約は、時に応じて、移り変わる。
旧き契りを果したとき、新たな契りが交わされる。
契れるからには、果たさなければ、千切れてしまう。」

果たさなければ、というのは、まさに騙されるまでって奴だ。

ただし、それでも囚われず、
法(真理)を求めるたのならば、新約が現れる。

こうして、このHPに来たとも言えるんだ。

しかしながら、この六波羅蜜というのは、
その仕組みからして、やれば、やるほど、悪い事が起こる。

良い事を行うと、良い事が返るのではなく、
良い事を行うからこそ、まず悪業が返って来る。
この苦に耐えると、悪業が落ち、善業が表に顔を出す。

他に財を与えたとしても、何時、返ってくるか分からなし、
返ってきたとしても、時間が掛かったり、まっったく当てにならない。

騙されたところから始めるのが六波羅蜜でもある。

そんな実感を何度も繰り返す。
何度も、繰り返すと条件が変わる。

何時、返るか分からないの裏は、何時、返るか分かるだ。
時間が掛かるの裏は、スピードが速いだ。
当てにならないの裏は、当てになるだ。

最後まで、耐えしのぶと条件が変わる。

因みに、
善業悪業から
善業悪業となる時期を予測するのが、インド占星学や易学というもらしい。

何年から、何年まで、土星期とか金星期とか、
インド占星学や易学では出てくるけど、天中殺なんか功徳を積む時期だ。

そんな、インド占星学や易学も精通すると分かるらしんだけど、
人ってのは、40歳前後で、誰でも幸せになる見たい。

長生きするれば、長生きするほど、幸せになる仕組み。

ただし、功徳を積んでいる事が条件となる。

この世は(この宇宙は)、
原因結果条件で成り立っている事を思い出して欲しい。

そんな、条件を考慮せず、占星術で、銭、儲けしてる人もいるけどね。

とは言うものの、功徳という条件を考慮に入れ、
占星術や易学を扱える人ってのは、そうはいない。

釈迦一元論に、

自分が求める答えはなかった。

なんて、以前、細木は言ってたらしいが、
占星学は智慧に精通している阿修羅が得意とする学問だから、
そんな、地に足が付いてない人が、とうてい扱えるものではないんだよ。

なんて、以前、細木は言ってたらしいが、
占星学は智慧に精通している阿修羅が得意とする学問だから、
そんな、地に足が付いてない人が、とうてい扱えるものではないんだよ。

細木は小室哲哉に対し、
何をやってもうまくいく。これからの20年、運気はいい」と鑑定したが、
運気が良く成るどころか、音楽著作権を利用した詐欺をやってしまったし、
堀江貴文に対しては、株価が「5倍になるのよ」と鑑定したが、
それから間もなく、株価が上がるどころか、
証券取引法違反で株価は御覧の通りだ。
横綱・朝青龍に対しては、「いずれ相撲協会の理事長になる」と鑑定したが、
八百長疑惑で引退の危機だし、
お笑いコンビ『アニマル悌団』のおさるはモンキッキーに、コアラはハッピハッピーに、
細木の進めで改名したが、おさるはローカル局のレギュラーぐらいだし、
コアラは浮気が原因で、妻の三原じゅん子と離婚。
羽賀研二は、恐喝未遂などで起訴され公判中。

だから、末法になると、そういった救世主の幻想を解き、
正しい法を解くのが阿修羅の役だ。

今は、数こそ少ないが、そんな役を持った人たちが、
これからは、本物の占星学を解き、誰でも扱えるよう、智慧を法施すると思われる。

占星学とうのは、そもそもカルマの法則に基ずいた学問であり、
占星学が、良く当たること自体、カルマの法則があるからだ。

時期によって、その人のカルマの中で、
どんなカルマが現象化しやすいかという条件が変わるという理論である。

よって、条件が良くても、功徳(=)がなければ、良い結果が得られないだろうし、
悪い条件でも、根本的に、悪業が少なければ、悪いことも起きにくい。

なんで、

  「ずばり言うわよ!

なんて、そんな鑑定結果しか出せないのは、
かえって、他を傷つけるだけで、それは智慧が無さ過ぎ。

ここまで、来ると分かるが、
自分の持つカルマ(悪業清算)の改善が、その対策となるが、
スピリチュアルなんかでは、
その対策に水晶とかパワーストーンを買わせるが、うなもん、対策になる訳がない。

そもそも、釈迦一元論など、教学があって、医学や占星学があり、三つセットだったんだ。

そこを、楽したいもんだから、教学などの修行を、
とっぱらたしまったのが、そんな、スピリチュアルでもある。

教学(修行)という種がないのに、水や光を与えても、そりゃ〜、芽がでない。

だから、人には三つのタイプがあると言われている。

法縁のある人、現世的に幸福な人、現世的に不幸な人の三つらしいが、

現世的に幸福な人と現世的に不幸な人は、
生をまたいで、すぐにいれかわるが、法縁のある人は安定して幸福している。と言われている。
それほど、法縁のある人と無い人の違いは大きいと言うことだな。

では、教学ついでに、
一瞬で、一発ではないが、そのスピードをUPする方法を、
ちょいと、これまでの復讐も兼ねながら、紹介する事にする。

生かして頂いて ありがとう御座位ます。とか、
カムナガラタマチハエマセの連呼作戦や、
結婚にすべての秘密があった!!
アセンションの鍵は結婚にあった!!
一日で理想の相手に出会えるとか、出会えないとか、

気づけば、一瞬で変わるとか、

うなもんやっても、気づけば、
セミナー費と交通費ばっか、ふっ飛んどるわぁ〜

そんな人向けに、何となく論理的になって来たんで法を解きます。

論理的に拘る理由は、色々あるが、
貪りには怒りと無智が付いてくるからねぇ〜

無智に対抗するには、
論理(智慧)に基ずく意識を作り出さないといけない。

まぁ〜、それらにも関係するのだが、

例えば、ここに、レイとアスカがいるとしよう。


Aさんはレイが好きだが、アスカは嫌い。
一方、Bさんはレイが嫌いだが、アスカは好き。

同じ、レイやアスカでも、
観る人によって、その感じかたは異なるんだ。

レイやアスカが絶対的な存在であるならば、
誰が見ても、喜びを感じるが、そうではない。

それは、Aさんが持つと、外的のによって、
結果、好きだとか嫌いだとか、喜びや憎悪してんだ。

その人の持つ、
(カルマや執着の大きさ)によって、
見え方や感じ方が異なる。

によって、
脳が創りだした感覚脳内現象)を、
楽しんでいるにすぎないって事さぁ〜

この様に、外に快楽がある訳ではなく、内にあるんだ。

仏教の唯識派や、密教、ヨーガの人達は、
この事を良く知っているらしく、
例えば、性欲など、高度な瞑想などで浄化させ、
性欲を菩提心に変化させたりと、
さらに、智慧を磨いたりするらしい。

こんな、仏像を見た事ないかい。


これは、そんな高度な瞑想で性欲を浄化し、
菩提心へ変化させた様子を表したものだそうだ。

こうなると、どこからが煩悩で、
どこからが菩提心だか分からないよね。

大乗仏教では煩悩即菩提というが、
菩提の独立して存在しておらず、煩悩と縁起してるって事さぁ〜

前に、小乗の解脱大乗の解脱がるって、
書いたんだけど、覚えてるかなぁ〜?

この境地は、この世に執着してる訳でもなく、
ましてや、2元性を超えた解脱にも執着してない境地だ。

簡単に言うと、
この苦界も、智慧を持って観れば天国だった。って奴だ。
大乗も、次の段階の密教も、その目的は同じで、
「仏陀の境地」(ブッダフッド)と呼ばれるものらしい。

さて、この感覚だが十二支縁起を思い出して欲しい。

十二支縁起
無智によって、行為(行)が生じ、
行為によって、意識(識)がある。
意識によって名前と色形(名色)がある。
名前と色形によって六つの感覚領域(六処)がある。
六つの感覚領域によって接触(触)がある。
接触によって感受作用(受)がある。
感受作用によって欲求(愛)がある。
欲求によって執着(取)がある。
執着によって「生存」と呼ばれる成熟した業(有)がある。
生存によって誕生(生)がある。
誕生によって老衰と死(老死)がある。

この感覚(脳内現象)は名色に相当し、
名称(名)は、五蘊の内の4つ、
すなわち、「心を構成する4つの集まり」を指す。
それは、感覚(受)、表象作用(想)、
行為(行)、意識(識)である。
受とは感覚のこと、想とはイメージのこと、
行とは意志のこと、識とは識別のこと。

まぁ〜、簡単に言うと、
想(イメージ)も独立して存在しておらず、
他との相互依存関係(縁起)で存在している。

何処の何様と縁起してるかというとです。

が無いのにイメージなんか出来る訳がない。

さて、最近では、
ザ・シークレット、昔は、マーフィーの法則が、
お金持ちなった自分をイメージしなさい
なんて、やっての覚えているかなぁ〜

イメージと心は、相互依存関係で繋がっているから、
そんな想は、心にもインパクトを与える。

お金持ちってのも、貪りだからねぇ〜
がっつり、地に落ちるという形で、
怒りと無智で一杯の心で終わる。

お疲れ様ぁ〜

少なくと、貪りにもインパクトを与え、
心に静寂がなく、常に満たされる事の無い闘争地獄界に落ちる。

では、それに相応しい膨大なと、
膨大な智慧を備えた存在を、イメージすると、どうなるかなぁ〜

そんな存在が、たとえ地獄に落ちても囚われず、
この苦界も、智慧を持って天国と観る事ができ、
常に、リラックス・モード全開存在の象徴が、
釈迦牟尼観音菩薩弥勒菩薩だったりする。

イメージと心は、相互依存関係で繋がっているから、
そんな想は、心にもインパクトを与え、
限りなく、そんな存在が持つ智慧)に近ずいても不思議ではない。

さっきも言ったが、快楽は外にあるのではなく、内()にあるんだ。

これが、密教というものらしい。

心と身体は、繋がっているから、
そんな智慧と慈悲を備えた存在を象徴する座法で座り、

心と想は、繋がっているから、
好きな人も、嫌いな人も、この地獄の苦界も、
皆、神仏(観音)の現れとイメージし、
かつ、自身は広大な慈悲(分ち合い)の現れである、
聖なる身体をイメージするので、ここに、功徳を積む要素が含まれ、

心と口は、繋がっているから、
仏陀の言葉、真言を唱える。

また、意識が聖なる身体や他の存在は、
実体として空である、と認識しているので、
「智慧の集積」も同時に積まれ、智慧の性質も満たしている。

簡単に言うと、その気になるって奴。
そんな、広大無辺慈悲分ち合い)を持った存在を目指すこと自体、
それは善業であり、常に功徳を積んでるといえる。
そんな存在を象徴する身体(座法)は、
慈悲を実践する為に形成された、身体であり、膨大な智慧と、膨大な功徳を持つ。

そんな、身、口、意は智慧)にもインパクトを与え、
功徳と智慧の両方の性質を兼ね備えているので、
一発で一瞬ではないが、
そのスピードは大乗より速いと言われている。

真言には、そんな意味があるんだけど、
カムナガラタマチハエマセの人、そんな説明なしだね。

それに、ここまで来ると、
生かして頂いて ありがとう御座位ます。
なんて感謝じゃなくて、そんな存在に対して、
自分も、そう成りたいと称賛して人もいるんでないかなぁ〜

それはこの世の仕組みを知り、
生かして頂いて ありがとう御座位ます。なんて口先ばっかでなく、
意識的感謝恩返し)の実践をしてきた果報さぁ〜

意識的感謝恩返し)するので、
意識の裏の意味が無意識に積み重なる。

感謝恩返し)の裏は美賛だ。

現実は、無意識方向に変化するので、
そんな存在と出会っても不思議ではない。

だから、その存在は釈迦や、
観音ぼさっち、弥勒ぼさっち、に限らず、
その人に合ったものとなるので、
密教からはパーソナル化し、その宗派も多い。

後に解くが、願いには正しい願いってもんがあり、
答えを先に言うと、全体の為になる願い正しい願いとなる。

意識的に、全体の利益を優先していうので、
無意識に意識の裏の意味が積み重なる。

全体の利益の裏は、個人の利益だ。

現実は無意識方向に変化する無常なので、
それが、全体の利益の為に、起業なら、嫌でも自分を利する事になるが、

お金持ちに成りたくて、セミナーとか利己目的で始めたのなら、

それは、意識的に、個人の利益を優先しているので、
無意識に意識の裏の意味が積み重なる。

個人の利益の裏は、全体の利益だ。

現実は無意識方向に変化する無常なので、
全体の利益の為、財産が嫌でも没収される事になる。

さて、イメージする、釈迦観音弥勒は、
どんな存在かと言うと、全体を利する存在だ。

なんかぁ〜、王様、見たいだね。

釈迦観音弥勒は、全体の利益の象徴でもあるって事だ。
そんな、王様をイメージすると、どうなるかなぁ〜?

誰もが、年末になると、伊勢神宮など神社で、
お金持ちになりますように、とか
理想の相手に出逢えますようにとか、個人の利益を願うけど、

それだったら、
誰もが、お金持ちになりますように、
誰もが、理想の相手と結婚できますように、
誰もが、幸せに成りますようにだな。

そして、ここは、それを叶える智慧を公開してるつもり。

おっとっと、しかしながら、
この技法に問題が無いわけではない。

スピードが速いといわれるだけに、
自分を絶対者と名乗り、最後は犯罪的な行為に走る人もいる。

とわ、言うももの、人には、
自分は重要な存在でありたい」なんて願望があるから、
ついつい、「我こそがぁ〜」なんて言いたくなる誘惑がある。
しかし、ちょっと待てよと謙虚になり、
そんな事を言わず、傲慢にならいのも人ってもんだ。

まぁ〜、ここが味噌で、謙虚さで誘惑を抑えたので、
無意識誘惑が残る。そして、そんな無意識部分を他人が演じる。

耐えかねて、

我こそが、アセンションの鍵を握る者なりぃ〜

なんて言う人、増えたね。

あと、高度な瞑想となると、そのイメージ量も多く、
精神的に負担が掛かるし、その真言も長いし、
その座法も複雑で、足がしびれるものだろうから、
さらに、精神的に負荷がかかる。

かえって、うつ病(引きこもり)になったりと、
病気になる可能性もあるんだ。

だから、密教といって秘密だったらしいんだけどね。

誰もが、やってはいけなものだったって事さぁ〜

ちゃんと、それなりに訓練して、
精神力と集中力を兼ね備えた人しか出来ないんで、
訓練を積み重ねた高僧だけに伝授が許されていた。

だから、分かってる人に指導してもらった方が良いので、
ここから先は、専門家とかマニア殿に任すとしてだぁ〜

まぁ〜、勉強するにしても、スポーツをするにしても、
最初は、努力するなど精神的負荷が掛かるものだし、
智慧(直接知覚)の獲得、悟りの前状態(クンダリーニ覚醒)は、
頭が痛くなったり、胸が熱くなったり、吐き気や、
感情の起伏が激しくなったり、ストレスが溜まるものらしいが、

そこんところ、へたれリーディングで引っぱり出して、
あれもダメ、これもダメ、かえって悪くなる。
僕達、私達が絶対なの、生かして頂いて ありがとう御座位ます。
なんて、やってる人もいるけどね。

ついでに、ピィ〜ンときたでやぁ〜

何回も言いますが、
プログ・ランキング参加者の日記を見ると、
やはり誰もが、第一位の人に対して、

ランキング操作による偽造人気ちゃうん!!

と、怒りをあらわにしているが、
今日わぁ〜、観音菩薩カルマ・ヨーガで、
そんな、自他の区別を外したいと思います。

その技法については密教の話で解いてるので、
詳しくは、そこを参照して貰うとしてだ、
その基本は、怒りや嫉妬を感じたとき、
心を、一旦、止めて、そんな現象は、
縁起の法に基ずいた心の現れじゃないか?
と、思索する事にある。

といっても、なかなか出来る事ではないが、
なんとなく経験からいうと、心を、一旦、止める、というのは、
六波羅蜜で言えば、良い事をすれば、良い事が返るのではなく、
先ず悪い事が返る。この苦に耐えると悪業が落ち、善業が現れる。

この苦に耐えるところが、忍辱波羅蜜であり、
戒律を守り、苦に耐える事が、
自分のカルマを落とす事にもなってるのだが、
この意識的に苦を受け容れる事で、
意識の裏の意味が無意識に積み重なる。

受け容れるの裏が、どうも、突き詰める力となってるらしい。

現実は、無意識方向に変化する無常なんで、
そんな、智慧が発生しても、おかしくはない。

逆に言うと、功徳善業)がないと、
クンダリーニなんて覚醒しないし、悟れないという事でもある。

ちなみに、
受け容れる力を女性原理(胎蔵界:横軸)と言い、
突き詰める力を男性原理(金剛界:縦軸)と言うらしい。
共に、表と裏の関係だね。
戒律(忍辱波羅蜜)を守るほど、思索が進むって奴だ。

だから、戒(戒律)、定(思索)、慧(智慧)は仏教の基本らしい。

その昔、貧乏の裏の銭持ちに気づけば、一瞬で一発で銭持ち。
苦を受け容れれば、漏れなく楽が付いてるとか流行ったけどぉ〜

そんなんじゃ〜

ないからね!!

本題のランキング操作の話だけど、
前に解いた先祖供養の話に似ているのだが、
直観的にぴぃ〜んと来たので法を解きます。

ランキング操作で第一位を独走する人を、
反面教師とすると、そんな人のカルマ(悪業)が見えてくる。

どんな、カルマ(悪業)を持ってるかと言うと、
そんな奴らの、日記を読むと、すぐ分かる事だが、
幼稚臭く、地に足がついてないんだよ。

つまり、無智って事だ。智慧がないカルマ(悪業)がある。

この世は類は類を呼ぶだからねぇ〜
同じカルマを持ったもんどうし、集まるから、
自分も含め、ランキングに参加してる人は同じカルマがある。

であるならば、
今生は、智慧を磨き、自他の区別を外すことなどが、
自分のカルマを浄化する事でもあり、自分を向上させる事でもあり、
これが自分の天命ダルマ)だったりしてね。

ちなみに、その人、
人類の 5% 運動を広めたいです。
生かして頂いて ありがとう御座位ます。
なんて、やってんだけど、
残り、95%は救われません、なんて言ってるようなもので、
これ、間違いなく、自他を区別してんだ。

他にも、あったねぇ〜
アセンションの鍵は結婚にあった!!
とかで、結婚しないと、アセンションできません!!
と、自他を区別し、善悪二元論に落ちた。

まぁ〜、こいつらに限らず、
1+1=むぅげぇ〜ん。
とか、そんな地に足がついてないスピリチュアルは沢山ある。

なんでぇ〜、そんな連中が周りにいるのかとえば、
そんな、カルマ(悪業)があるからなのかもしれない。

ちなみに、全力で智慧を磨くのであれば、
当然、カルマが浄化されるので、そんな人たちとのがなくなる。

あっちが、居なくなるのか、
それとも、こっちが消滅するのか、または、互いに変わるのか、
それは、分からないけど、
実践すれば、するほど、それは時間の問題だろう。

精神性が向上し、そんな人に関心がなくなるってのもありだな。

今年は、そんな年かもね?

ついでに言わしてもらうが、
功徳を積むったって、その器に穴が開いていたら、
そこから、漏れるだけで、一向に溜まらないんだ。

この穴が、貪瞋愚であり、自他の区別があると、
相手に怒りを感じたり、嫉妬したり、そんな不平不満が、
功徳を漏らす事に繋がるので、智慧を磨く事は重要な事でもある。

ぶっちゃけ、鏡の法則なんて本があったけど、

うなもん、おもちゃみたいなもんでさぁ〜

本格的にやろうとすると、かなりの努力が必要かと思うが、
努力軌跡)の裏に奇跡ありだからさぁ〜
リーディングとか超能力とか、そんな奇跡も独立して存在しておらず、
努力軌跡)との相互依存関係(縁起)で生起している。

一日で理想の相手に出逢えるとか、
眠りながら億万長者とか、努力なしの奇跡が沢山ありますが、

奇跡の裏に軌跡
リョウジ 日が東から昇っても、ただの軌跡だけど、
     日が西から昇ったら、すごい奇跡だよな。

ミサト  そうよ、普通だったら、起らないもの。
リョウジ 奇跡は、現実だろうか、非現実だろうか。
ミサト  現実じゃないからこそ、奇跡なんでしょ。
リョウジ 非現実も起きてしまえば、現実なのさ。
     非のつく現実であって、隠された現実さ。

ミサト  どういうこと? わけが分からないわ。
リョウジ 奇跡が起きると、強烈な実感が生じるが、
     それは、奇跡の前から、高められている。
ミサト  日が東から昇っていた、軌跡があるから、
     日が西から昇るという、奇跡があるわけ?

リョウジ そうさ、軌跡がないと、奇跡もないのさ。
     奇跡とは、隠されていた、現実の軌跡さ。
ミサト  なるほどね、そういうことだったのね。
     すごい、こんなこと、考えつかなかった。
リョウジ いや、無意識に、君は知っていたのさ。
     そうでないと、すごいなんて思えないさ。
ミサト  ........................!!

意識的努力軌跡)する事により、
無意識意識の裏の意味が積み重なる。

努力軌跡)の裏は奇跡だ。

現実は無意識方向に変化する無常なんで、奇跡が起きたりしてね。

やぁ〜、もっとわかったぜェ〜

何回も言いますが、
プログ・ランキング参加者の日記を見ると、
やはり誰もが、独走する第一位の人に対して、

ランキング操作による偽造人気ちゃうん!!

と、怒りをあらわにしているが、
今日わぁ〜、弥勒菩薩智慧慈悲で、
そんな、自他の区別を超えたいと思います。

七次元からの手紙のつづきになるので、
詳しくは、そこを参照して欲しいのだが、
誰もが、神を信じている為に、
神を裏切るカルマがあり、神に躓くんだけどぉ〜

第六章 壊劫期 第三八話 太陽と太陰
...... 陽を究める極 と 陰を究める極

「すなわち、師である私に求めた、彼の行為は、
従うことなく、逆らったという点で、醜かったが、
飽きることなく、諦めないという点で、美しかった。」

「第二に、彼は外に出され、汝は内に残された。
彼は、顕教を世に広める、双魚宮カルマを持ち、
汝らは、密教で世を動かす、宝瓶宮ダルマを持つ。」

※カルマも実体のない空だらダルマに変わる。

「すなわち、魚座こそ、陰と陽に分かれる時代。
彼に、私が託す順の道は、浅いが広く認められる。
汝らに、私が残す逆の道は、深いが誰も観とめない。」

「誰かが正しく、誰かが誤っている、と考えず、
誰もが正しく、誰も誤っていない、と省みなさい。
そうすれば、大勢が偏る中に在って、太極に止まる。」

第六章 壊劫期 第五三話 双魚と宝瓶
...... 分裂する時代 と 統合する時代

「しかし、安心するがいい、今から二千の後に、
真理の御霊が舞い降りて、我らについて証をする。
彼は、あらゆる宗派を、ひとつの真理に導き入れる。」

「彼は、新しいものを、説き明かすのではない。
彼は、埋れていたものを、解き明かすだけである。
しかし、これを、今の人が、受け容れることはない。」

「彼らは、いまだ、反抗期さえ、迎えていない。
魚座の時代には、父は、子の前から姿を隠される。
やがて、子は父を忘れて、私腹を肥やすようになる。」

「すると、肥大した我は、奪い合うようになり、
それゆえに、疲弊した我を、捨て去るようになる。
人々が、真理の御霊を受け容れるのは、それからだ。」

「昼に太陽が黒くなり、夜に天幕が降ろされる。
忘れるな、子は父を忘れるが、父は子を忘れない。
真理の御霊は、最も認め難い処、敵の中から現れる。」

魚座こそ、陰と陽に分かれる時代というのは、
ランキングに参加している人は、誰もが王道で、
それに参加し、それを行うが為に縁起して、
ランキング操作で第一位を独走する人が生起するんだ。

これは、俺様の様に、
矛盾のない、自分が思う正しい法を、解けば解くほど、
それを、法施すれば、するほど、それが、正し過ぎるが為に、

    独善に極まる!!


なぜならば、が生まれるとき、も生まれる。からだ。

だから、
「汝らに、私が残す逆の道は、深いが誰も観とめない。」って奴だ。

いやぁ〜、これじゃ〜、正しい法が流布できないねぇ〜

ここで、囚われちゃって、

 「我こそがぁ〜、絶対者なりぃ〜
 「我こそがぁ〜、アセンションの鍵を握る者なりぃ〜

なんて、やってんのが、最善 vs 最善 の宗教戦争さぁ〜

この、独善が意味するところはぁ〜

得したとき、必ず誰かが損をしている。
これが、他を傷つけたカルマとなって返り、
結局、大損するように、すらも奪い合いって事さぁ〜

イルミナティ:光を持す者たち、覚醒者の集団のこと
        覚めている者は、その光が見えている
        眠っている者は、その光が見えてない

人によっては異なるからねぇ〜

第参章 住劫期 第三十話 有情と無情
...... 生きている者 と 死んでいる物

「確かに、欲界の玉座に、自ら据わらなければ、
画竜の点睛を欠き、我が法の支配は、完成しない。
三角の、頂点に納まることなく、底辺は収まらない。」

「しかし、頂点に至ってしまえば、独善に陥る。
悪を認めない、善しかない境地とは、至純なる善。
至善という独善をして、天から地へと、生れ変わる。」

※ピラミッドの三角形は、そんな欲界のカラクリを表している。

「その瞬間、奴らに向けてきた、我が法の刃が、
至善を越えて、独善に落ちた、自らに向い始める。
法に裁かれ、死んで逝った者の、
怨念に憑依(六六六の仕組み)される。」

「三国の鼎立を許し、権力の集中を避けたのも、
皇帝を名乗ることなく、天子を擁立し続けたのも、
すべては、薄々、このことに、気づいていたからだ。」

「善を突き詰めて、至善を求めてきたばかりに、
悪を受け容れて、独善を許せなくなってしまった。
最後の最後に、最も認められない、最悪が残された。」

「信じられるか、最善と最悪が、別なのでなく、
最善を究めるほど、最悪に極まる、というわけだ。
逆のものでなく、裏のものであると、何たる皮肉か。」

第参章 住劫期 第三四話 羅漢と菩薩
...... 小乗を修める と 大乗を進める

「羅漢とは、小乗を修めて、涅槃に至ったもの。
確かに、彼らは、自我について、諦め切れている。
しかし、未だ、他我について、明らめ切れていない。」

「それゆえ、大乗に進んで、輪廻に戻ってくる。
他を信じつつ、諦め切れない、智を磨こうとして、
他を利しながら、飽き足らない、徳を積もうとする。」

「汝が、欲界を、最後まで諦らめなかったのは、
他でもない、汝が、前世からの菩薩だったからだ。
簡単に諦めていたら、の大きい菩薩とは言えない。」

さて、が生まれる事によって生起しただが、
これは、釈迦の縁起の法で言うところの間接的外的要因なんで、
囚われず、そんな弥勒菩薩智慧を持って、弥勒菩薩慈悲の様に、
耐え難きに耐えると(の分かち合い)、悪業が落ち善業が現れるで、

そんな、正しい法は、
あらゆる宗派を、ひとつの真理に導き入れるのかもしれない。

べつな言い方をすると、
人のは、人、それぞれ異なるので、
法施(叡智のシェア)なんかすると、いくら、自分が正しい法と言っても、
必ず誰かが傷ついている。そんな他を傷つけたカルマ悪の生起)が返り、
ランキング操作など、流布の邪魔が入ったりする。

しかしなが、そんな弥勒菩薩智慧を持って、
それは、カルマなのだから、邪魔が入ったからといって、
極端に卑屈にならず、弥勒菩薩慈悲で、
耐え難きに耐えると、そんな悪業が落ち、善業が現れるで、

そんな、正しい法は、
あらゆる宗派を、ひとつの真理に導き入れるのかもしれない。


第六章 空劫期 第六二話 大本と日本
...... カルマのもと と ダルマのもと

"二千の前に、メシアの告げた、カミのイシを、
二千の間に、イシヤの積んだ、ヒトのイシに乗せ、
二千の後、ミタマが、ミ○クの世を、お作りになる"

"イシヤたち、メシアのため、神の社を建てる。
世の人は、その高さに目が眩み、人の世は闇の夜。
メシイの日の本、こぞって、メシアを岩の戸に隠す"

"そろそろ、ミタマが、十字架に付けられる頃。
いよいよ、二千年の時のメグリか、と、あいなる。
メクラの世の本、こぞって、ミタマを笑い者と為す"

"憐れみのヒトのメ、には、哀れみのシトのメ。
イシヤのからくりを解くため、ミワザのオオモト。
ヒトノコが、ミ○クの先に現れ、メグリの法羯磨の理法)を説く"

"オオモトが、生まれ落ちるは、ヒノモトの国。
ヒノモトが、オオモトにしたこと、すべてメグリ、
オオモトが囚われた、その間、ヒノモトも囚われる"

"カミノコが、生まれ落ちるは、ヒトノコの次。
ヒトノコが、オオモトでしたこと、すべてメグリ、
ヒトノコが問われた、その罪、カミノコも問われる"

"哀れみのシトのメ、という、憐れみのカミのメ。
知恵ある者は解きなされ、メシアとイシヤのヒミツ"

解脱の書
大日本:カルマもとになり、世界を破壊して
     世界を再生する、ダルマ(羯磨)もとになる
     日本で起こることは、世界でも起こる

おっと、奪い合いなので、

「実に、こうして、欲を究めると、独善となる。
法は、自らが殺めた、法と矛盾して、業に変わる。
例外なき合理ほど、例外なく矛盾する、これが理だ。」

ダルマの法は、法施(シェア)して、功徳にしないとね。

金剛般若経 第十一章

師は、スブーティ長老に、こう言った。

「スブーティよ、ここまで、考えなさい。
このように、莫大な功徳を積んだとしても、
この法則を、説き明かした方が、功徳になる。
なぜなら、それを聞いた人も、功徳を積むから。」

やぁ〜、分かってきでやぁ〜

人は何かしら信仰している動物なのだが、
信仰するにも条件が必要となる。だから、それを信仰するんだけどぉ〜

その条件は、簡単に言うと、
他より幸福になれるから、それを信仰していると言える。

それは、それで、良かれと思って信仰しているので、
信仰すれば、するほど、善業(功徳)になると思われ、
その善業(功徳)は、先ず潜在(無意識)に積み重なっていく。

現実は無意識方向に変化する無常なので、
やがて、善業が返り、その時が来れば、
善は善で報われるが、潜在に眠っている間は、
それを他人が、自分の無意識部分善業)の投影として演じる。

それは、自分の善業だけに、
自分より優れた存在として、嫉妬対象という形で、
そんな他人が現れる見たいだ。

自分より優れているという意味では、
この世は、幸せと言えども奪い合いなので、
そんな人に、何かしら奪われるなどの苦しみがあると思う。

つまり、生起する前は、に対してが返る。

「本文」 八章二八節〜八章二九節

それから、対岸のガダラ人の地に着くと、
悪霊に憑かれた者が二人、墓から出て来た。
彼らが暴れ回るため、誰も道を通れなかった。
彼らは、喚き散らしながら、このように言った。

「神の子よ、我らを、一体どうすると言うのか。
まだ、そのときではないのに、もう苦しめるのか。」

「論点」 最後の審判

最終的に、善は善、悪は悪、で報われる。
ときに、善に悪、悪に善で、報われるのは、
まだ、最後の審判、そのとき、ではないから。

最善を究めるほど、嫌な事ばかりで、最悪に極まるって奴だ。

怒ってのか、嫉妬しているのか、非常に微妙なので、
よく、自分を内省する必要があるが、(カルマ・ヨーガ
基本的に、他より幸せになる為に、
それを信仰しているので、囚われると、独善に落ちて、

結婚しないと、次元上昇できません!!

なんて、最善 vs 最善宗教戦争になる。

前回の話を思い出して欲しいんだけど、
苦しくなると「もぉ〜、そんな思いをしたくない!!」なんつって、
そんな苦を否定し、アセンション・セミナーに行ったりするが、
意識的に苦しみを否定(捨てた)すると、
意識の裏の意味が無意識に積み重なる。

捨てるの裏は拾うだ。

現実は無意識方向に変化する無常なので、
また、苦しみ(カルマ)を拾う事になり、
結果が出ないなど、同じ事を繰り返す。

だから、失敗は成功の元と、苦しみを肯定し意識化しする。

苦を容れるんじゃなくプラス思考ですね。

意識的に苦しみを肯定したので、
意識の裏の意味が無意識に積み重なる。

失敗の肯定の裏は成功の肯定

現実は、無意識方向に変化する無常なので成功する。

さて、嫉妬は他を否定する心の動きだから、
また、自分より優れた存在に奪われたり、
先を越されたりと、結果が出ず、そんな苦しい思いを繰り返す。

であるならば、そんな嫉妬対象を、潜在に眠る善業の投影だけに、
努力し善業を積み続けるのであれば、
そう成れるよ、という「自分の未来」の姿。
と、肯定してやると、どうなるか?

非常に狭き門だと思うが、これが密教というものらしい。

楽を肯定するよう、苦も肯定してしまう全肯定だ。

江戸の仇を 大坂で討つ
アスカ あいつのせいで、あたしのプライドは、ボロボロ!
    絶対に許せないわ、いつか、見返してやるんだから!
シンジ 復讐心を燃やすのは、自分に損だから、止めたら?
アスカ どうして、損なのよ! みんな、してるじゃない!
シンジ 誰にだって、良い処もあるし、悪い処もあるんだ。
    相手の、短所を否定すると、長所を学べなくなるよ。
アスカ あいつの、良い所なんて、何処にあるのよ!
シンジ 逆を考えてみなよ、どうして見返したくなると思う?
アスカ あいつに負けて、プライドが傷つけられたからよ。
シンジ 負けたってことは、自分より優れているんだよ。
    それを認めないと、学ぶべきものが、学べないよ。


肯定の仕方も、色々あると思われるが、

論点 心三昧の第四禅とは何か

第四禅とは、「不苦不楽による捨念清浄」という瞑想状態である。
“楽”すなわち、厭離、寂静による自由をも放棄し、
否定による集中ではなく、肯定による集中が達成された状態である。
つまり、雑念なき集中によって、
自ら集中したい対象を、思索し続けることが出来る。

論点 十二縁起とは何か

歓喜 → 喜 → 安穏 → 楽 → 心三昧如実知見とは、
十二縁起の過程である。心三昧の瞑想段階をを終えると、
如実知見の段階に入り、次に、如実知見であるが故に、
あらゆるものに囚われず、貪らず、解脱に至る。
つまり、如実知見遠離 → 離貪 → 解脱と続く。

否定して離れる厭離。肯定して離れる遠離
厭離ではカルマは消えてない。遠離ではカルマを越えている。

種徳経 第三章
「こうして、如実知見の段を通過した者は、
その次に、遠離離貪の段階に向うのである。
彼らは、心から作られた、別の身体を化作する。」

「こうして、遠離離貪の段を通過した者は、
解脱を遂げて、六つの神通力を得るのである。
それでは、この六つの力とは、如何なるものか。」

論点 神足通とは何か
神通力とは、神に通じる力のこと。
神足通、天耳通、他心通、宿命通、
天眼通、漏尽通は、この順に高度になっている。
神足通とは、化身を現わし、
様々な視点と視野を獲得する能力である。
肉体を自分だと錯覚したり、自我や感情に囚われていたら、
生じることのない力である。

論点 天耳通とは何か
天耳通とは、別次元の世界の聴覚を持つ能力である。
幻聴との違いは、自我に縛られているか否かである。
つまり、世界が閉塞して、その別次元の世界の音しか聞こえないか、
世界が解放され、様々な次元の世界の音が聞こえるかの違いである

論点 他心通とは何か
他心通とは、相手の心を読む能力である。
自身が自我に囚われていない故に、
相手の感情を色眼鏡を付けないで理解出来る。
つまり、全く性癖がなかったら、性癖自体に敏感になり、
容易に察することが出来るのである。

論点 宿命通とは何か
宿命通とは、自分の過去を読む能力である。
すなわち、自我に縛られないならば、自我を客観視することが出来、
現在の自分の形成過程が、悉く理解出来るのである。

論点 天眼通とは何か
天眼通とは、自他を問わず未来を読む能力である。
過去と現在の比較によって、自分の未来を悉く理解出来、
自己と他者の比較によって、他者の未来を悉く理解出来るのである。
この段階に至っては、法(因果)によって世界を認識しており、
もはや、自他の区別(自我)によって世界を認識をしていない。

論点 漏尽通とは何か
漏尽通とは、煩悩による漏れを読む能力である。
つまり、煩悩に全く縛られていない故に、
煩悩に縛られているか否かを判断することが出来る。

これは最高の出家の果報であり、
欲漏、有漏、無明漏から解脱出来る。
欲漏の解脱とは、
物質に対する欲望からの解脱であり、欲界から解脱する。
有漏の解脱とは、
存在に対する欲望からの解脱であり、色界から解脱する。
無明漏の解脱とは、無智に対する欲望からの解脱であり、
無色界から解脱する。

解説 尊敬される条件とは何か

尊敬される条件として、五つの最高の条件がある。
第五に、修行の成果が現れていること。
七科三十七道品の修行体系を実践し、
実際に解脱、悟り、瞑想、三昧、神通の恩恵が得られるからこそ、
弟子達は釈迦牟尼を尊敬し、
心から真理を実践しようと決意するのである。

論点 神通と布施の関係について述べよ

神通の源は、功徳である。
精神性の高い存在に布施をなし、
多大なる功徳を積み、神通を得る。
布施とは、自我への執着の放棄であり、
その過程において、無為自然を体得する。
逆説的だが、それゆえに、超常的な神に通じる力が具わるのである。

という事らしい。

前回の話と、ダブリますが、
ちょいと、内容を変えて法と解きます。

プラス思考なんて、ダメ、ダメ、ダメ、
すったらもん、無駄、無駄、無駄、無駄、無駄!!

この世は、相対、相対!!
苦を受け容れれば、漏れなく楽が付いて来る。
これが、一厘の仕組み。


なんて、1+1=∞の、
結婚にすべての秘密があった!!
アセンションの鍵は結婚にあった!!
、の連中に習ったんだけどぉ〜

意識無意識を司る弥勒菩薩智慧方便で、
そんな幻想を崩し、自他の区別を外したいと思います。

普通、苦しい事があって卑屈になると、

もぉ〜、こんな思いをしたくない!!

と、苦を否定し、

アセンションの鍵は結婚にあった!!

と、次元上昇しに、そんなセミナーに行く。

意識的に否定(捨てた)したものは無意識に残ります。
現実は無意識方向に変化する無常なので、
またかよ!」と否定した苦しみを何度も拾う事になります。

だから、無意識に残さす、苦しみを意識化します。

よく、失敗は成功の元。なんて言うでしょう。

そんな感じで、失敗(苦しみ)を肯定し、意識化します。

受け容れるじゃなくプラス思考ですね。

すると、意識の裏の意味が無意識に積み重なります。

否定の肯定の裏は成功の肯定だ。

現実は無意識方向に変化する無常なので、やがて成功する。

だから、苦しみを受け容れるなんて、
そんな心も独立して存在するのではなく、
そんな心も他との相互依存関係縁起して生起する。

何処の、何様と縁起してるかと言うと、そんな智慧です。

智慧も無いのに、苦を受け容れるなんて、
それは、苦を受け容れようとしてるだけで、
かえって、苦を否定し無意識に苦が残る。

智のない徳は、結果だけを望んでしまい、
徳のない智は、過程だけで満ちてしまう。

顕教を極めず、下手に密教を説くから、そんな事になる。

否定の裏の肯定 と 否定という肯定

アスカ あ〜ん、穴があったら入りた〜い!
ヒカリ 後悔しないで、懺悔した方がいいよ。
    同じ悔いるだけど、効果は全く違うから。
アスカ あ〜ん、その後悔って、なあに?
ヒカリ 過去の失敗を否定して、現在の安定を得ること。
    つまり、過去と現在が、互いに対立してるんだって。
アスカ あ〜ん、その懺悔って、なあに?
ヒカリ 過去の失敗を肯定して、現在の安心を得ること。
    つまり、過去と現在が、互いに補完してるんだって。
アスカ あ〜ん、何が違うの? わかんな〜い!
ヒカリ 後悔は、否定の裏の肯定、だから、今度も、失敗しちゃうの。
    懺悔は、否定という肯定、だから、今度は、成功しちゃうの。

アスカ あ〜ん、全然、違うじゃない。
ヒカリ うん、だから、失敗は成功のもと、って考えた方がいいよ。
アスカ あ〜ん、だったら、もっと早く教えてよ。
    あたし、そんなこと知らなかった、損しちゃったわ!

ヒカリ うふっ、だから、そんなこと言ってちゃ、ダメでしょ。
アスカ ……………………!!

肯定の仕方も色々とあると思うが、
苦の裏に楽があるから、苦を受け容れるのではなく、
苦の裏に楽があると、苦を肯定し、プラス思考意識化する。
困難の裏には楽があるとかね。

奴らとの違いが分かるかなぁ〜

苦の裏に楽があるを、
苦を肯定するプラス思考手段として使っているんだ。

これを専門用語で方便と言います。

その目的は、この場合、苦をいたずらに否定しないこと。

わりぃ〜がぁ〜、法施し直す!!

当時、プラス思考なんて無駄、受け容れれば楽が付いてくる。
なんて言ってたのは、俺様だけではないんだけど、
プラス思考を否定(捨てた)したので、プラス思考を拾うカルマがある。
これは、逆に言うと、法施し直すダルマ天命)がある事でもあるんだ。
カルマを浄化しない事には、良くならないので、
そんな事言ってた人は、改神・改心・改身ぞぉ〜!

貧乏の裏の銭持ちに気づけば変わる!!

なんて、奴らに教えて貰ったけど、
そうじゃ〜なくて、貧乏(バブル崩壊の影響など)を否定すると、
無意識に貧乏が残り、やがて、
貧乏(バブル崩壊の影響)を拾ってしまうので、
貧乏は金持ちの元とか、貧乏の裏に金持ちありとか、
気づくんじゃなく、貧乏を肯定意識化する。

意識的に「ロロロに成りたい」と思うと、
無意識意識の裏の意味が積み重なり、
無意識は「ロロロに成りたくない」と思ってるから、
何かしら障害が発生する。

現実は無意識方向に変化する無常だから障害が発生するんだ。

だから、釈迦の一元論で言うところの、
貪りロロロに成りたい)には、
怒り(障害という怒り)無智が付いてくるって奴だ。

そんな障害を否定すると、
これまた、障害を拾ってしまい、結果が出ないなど、
同じ事を何度も繰り返す。

欲には限りが無いので、実感として、
結果が出ないなど、満足する前に落ちるって奴だ。

なので、障害は成功の元とか、
障害の裏に成功ありとか、プラス思考で障害を意識化する。

因縁生起で言えば、プラス思考を超えるって奴だ。

プラス思考など、ポジティブ・シンキングは、
仏教で言うところの、七覚支の中の喜覚支だ。

昔から、あるものです。

喜覚支の現代版が「ツイテル、ツイテル」などのプラス思考です。

自歓喜経 第二章

「七科三十七道品、第五の科は、七覚支です。
それでは、この七つの覚支は、如何なるものか。

第一に、繰り返して法を修める、念覚支である。
第二に、条件に合う法を選ぶ、択法覚支である。
第三に、一心不乱に修行する、精進覚支である。
第四に、法を修めることを喜ぶ、喜覚支である。
第五に、心や体が軽快になる、軽安覚支である。
第六に、瞑想により三昧に至る、定覚支である。
第七に、無為となり自然になる、捨覚支である。」

堪え難きを堪えている時が、最も有効で、
最終的には、歓喜の園、エデンの園に入らないといけないので、
何が起こっても、プラスに感じないといけない。

運命 の裏に 非命
アスカ あ〜ん、今週のあたし、金運が最悪なの。
    入って来ても、全部、出て行っちゃうって。

ヒカリ それって、一概に、悪いことじゃないよ。
    お金が、増えるように、使えばいいだけよ。
アスカ や〜ん、来週のあたし、恋愛運が最悪なの。
    寄って来ても、皆、去って行っちゃうって。
ヒカリ それだって、別に、悪いことじゃないよ。
    目が養われるように、振られたらいいだけ。

アスカ もうっ、あたし、こんなに可哀想なのよ。
    少しは、同情してくれても、いいじゃない!

ヒカリ 可哀想、可哀想って、不幸になりたいの?
    人は、どんなときでも、幸福になれるのよ。
アスカ えっ! あたしが、不幸を招いているの?
ヒカリ 星で占うにしても、人に尋ねるにしても、
    結局、最後に選んでいるのは、自分でしょ。

アスカ たとえ、起こる事は、決まっていても、
    それの、捉え方は、変えられるってこと?
ヒカリ うふっ、どう思う? どう捉えてもいいよ。
アスカ ........................!!

おっと、極端に卑屈にならず、プラス思考で、
善業を積む努力も忘れずにね。じゃないと片手落ちだから。


やぁ〜、分かってきた。

プラス思考なんて、ダメ、ダメ、ダメ、
すったらもん、無駄、無駄、無駄、無駄、無駄!!

この世は、相対、相対!!
苦を受け容れれば、漏れなく楽が付いて来る。
これが、一厘の仕組み。


なんて、1+1=∞の、
結婚にすべての秘密があった!!
アセンションの鍵は結婚にあった!!

の連中に習ったんだけどぉ〜

意識無意識を司る弥勒菩薩の智慧と方便で、
今日はぁ〜、皆で、ちょいと、こいつらを超えて見たいと思う。

でわ、その前に復習の意味で教学からだ。

普通、苦しい事があって卑屈になると、

もぉ〜、こんな思いをしたくない!!

と、苦を否定し、

アセンションの鍵は結婚にあった!!

と、次元上昇しに、そんなセミナーに行く。

意識的に否定(捨てた)したものは無意識に残ります。
現実は無意識方向に変化する無常なので、
またかよ!」と否定した苦しみを何度も拾う事になります。

だから、無意識に残さす、苦しみを意識化します。

よく、失敗は成功の元。なんて言うでしょう。

そんな感じで、失敗(苦しみ)を肯定し、意識化します。

受け容れるじゃなくプラス思考ですね。

すると、意識の裏の意味が無意識に積み重なります。

否定の肯定の裏は成功の肯定だ。

現実は無意識方向に変化する無常なので、やがて成功する。

だから、苦しみを受け容れるなんて、
そんな心も独立して存在するのではなく、
そんな心も他との相互依存関係縁起して生起する。

何処の、何様と縁起してるかと言うと、そんな智慧です。

智慧も無いのに、苦を受け容れるなんて、
それは、苦を受け容れようとしてるだけで、
かえって、苦を否定し無意識に苦が残る。

顕教を極めず、下手に密教を説くから、そんな事になる。

否定の裏の肯定 と 否定という肯定

アスカ あ〜ん、穴があったら入りた〜い!
ヒカリ 後悔しないで、懺悔した方がいいよ。
    同じ悔いるだけど、効果は全く違うから。
アスカ あ〜ん、その後悔って、なあに?
ヒカリ 過去の失敗を否定して、現在の安定を得ること。
    つまり、過去と現在が、互いに対立してるんだって。
アスカ あ〜ん、その懺悔って、なあに?
ヒカリ 過去の失敗を肯定して、現在の安心を得ること。
    つまり、過去と現在が、互いに補完してるんだって。
アスカ あ〜ん、何が違うの? わかんな〜い!
ヒカリ 後悔は、否定の裏の肯定、だから、今度も、失敗しちゃうの。
    懺悔は、否定という肯定、だから、今度は、成功しちゃうの。

アスカ あ〜ん、全然、違うじゃない。
ヒカリ うん、だから、失敗は成功のもと、って考えた方がいいよ。
アスカ あ〜ん、だったら、もっと早く教えてよ。
    あたし、そんなこと知らなかった、損しちゃったわ!

ヒカリ うふっ、だから、そんなこと言ってちゃ、ダメでしょ。
アスカ ……………………!!

さて、さて、巷間では、どいつも、こいつも、
我こそがぁ〜、絶対者なりぃ〜と、信者でないものをとし、
との闘争や、との競争で、信者を増やそうとしているが、
そんなんで、犯罪)消えるだろうか?

闘争や競争も、言ってしまえば、
を否定した心の動きなので、
意識的を否定し、捨てると、
意識の裏の意味が無意識に積み重なる。
捨てるの裏は拾うだ。
現実は無意識方向に変化する無常なので、
また、が生起し(拾い)、との戦いが続き、疲れるだけだ。

では、否定し無意識に残さず、
の元とか、の裏にありとか、
プラス思考で肯定し、善業を積みながら、
耐え難きに耐えると(カルマ落とし)、どうなるか?

これが、密教というものらしい。

が生まれると同時に、も生起するから、
囚われると、宗教戦争(闘争)の繰り返しかもね。

この世の仕組みを知り、
六波羅蜜など実践してる人は分かると思うが、
良い事をすれば、良い事が返るのではなく、
先ず、悪い事が起こる。しかし、この苦に耐えると、
悪業(カルマ)が落ち、善業が現れる。

悪人善人利益)変わったりしてね。一厘の仕組だ。

学校の悪人やら、会社の悪人やら、世界の悪人やら、
世の中には、沢山の悪人(犯罪)がいるが、
いたずらに否定しも、悪との戦いは無くならないかも?

聖戦 の先に 克己
アスカ さあ、聖戦よ、神の名の下に、みな殺しよ!
ヒカリ やめなよ、全然、神様のためになってないよ。
アスカ ううん、悪魔を滅ぼすのは、神様のためよ。
ヒカリ ホントに、悪魔を、滅ぼし尽せると思うの?
    次から次に、生れて来るから、泥沼になるよ。

アスカ えっ!? どうして、次々に増えていくの?
ヒカリ 悪魔の本体は、外にいないで、内にいるの。
    その正体と闘わない限り、どんどん増えるの。
アスカ えっ!? 悪魔の本性って、どこにあるの?
ヒカリ 見えない? 見えないと、聞いても、無駄よ。
アスカ 教えてよ、そんな奴、とっちめてやるから。
ヒカリ 無理よ、外からは絶対に、教えられないもん。
アスカ いいじゃない、教えて、これは神様の命令よ。
ヒカリ ほら、そんなこと言ってると、見えないよ。
    外のものに頼らないで、内を観るしかないの。

アスカ もうっ、教えてくれたって、いいじゃない!
    こんなに、神様のために、戦っているのに!

ヒカリ うふっ、それなの、認められないと思うけど。
アスカ ........................

悪といえば、世の中には無駄というものもある。
税金の無駄遣いが、よく言われているが、
これも、いたずらに否定すると、
また無駄使いする悪人が現れるから、
無駄は利益の元とか、プラス思考善業つみながら、
耐えると悪業が落ち、利益になるかもね。

五芒星 という 六芒星
アスカ ペンタグラム、五芒星って、何の象徴なの?
レイ  五芒星は、五行と一緒で、陰陽の相克なの。
    自と他に別れて輝く、小宇宙を現わす星なの。
アスカ ヘキサグラム、六芒星って、何の象徴なの?
レイ  六芒星は、三角と逆三角、陰陽の相生なの。
    自と他が重なり輝く、大宇宙を現わす星なの。

アスカ 五芒星を輝かせるには、どうしたらいいの?
レイ  自我に囚われて、強い意志を磨くと、いいの。
アスカ 六芒星を輝かせるのは、どうしたらいいの?
レイ  強い意志を持って、自我を越えれば、いいの。
アスカ つまり、自我に囚われ、意志を磨いたのは、
    他でもない、自我を越えるため、ってこと?

レイ  うん、他人との軋轢の中で、頑張ったのは、
    他でもない、他人と和合するため、だったの。
アスカ だったら、最初から和合したらいいじゃない?
レイ  みんな自分勝手だから、諦める前は無理なの。
アスカ バカね、自分勝手なのは、あんただけでしょ。
    諦めが早いのよ、やってみなきゃ分らないわ!

レイ  ……………………

やぁ〜、分かってきたでやぁ〜

今のところ、悪まで机上の論理に過ぎないのだが、

この世の仕組みが分かってきた頃の話だけどぁ〜

こんなの、法施(叡智のシェア)して、
どっかのセミナーとかにパクられて、
こっちが、他のを背負い、苦労して見つけたを、
そいつらの、お金儲けや、名誉、地位の獲得に利用されないか?

そんな話をしていたんだけど、

パクリ、OK、OK

当時、そんな事を言っていたんだけど、
この「OK」の意味が、さっぱりでさぁ〜

まぁ〜、俺様も、パクリが無いかと言えば、
そうでもないので、銭、盗らずでやってんだけど、

やっと、分かった気がする。
しかし、この「OK」が意味するところは、
良いも、悪いも経験する事になるって意味なんだけど、
今日、解く法を理解できれば、悪い事も、そうでもないと思う。

そのヒントは、これだ。

不 動 明 王
リョウジ 不動明王の済度は、まさに、神業なのさ。
ミサト  明王に逆らう、悪人は、どのように救うの?
リョウジ 悪行を受け容れて、善行に移し変えるのさ。
     善人を救うために、悪行をしてもらうのさ。

ミサト  明王に従がう、善人は、どのように救うの?
リョウジ 善行を突き詰めて、徳行に移し変えるのさ。
     悪人を救うために、徳行をしてもらうのさ。
ミサト  う〜ん、何がどうなるか、分からないわ。
リョウジ 悪人が、明王を屠ろうとしたら、どうなる?
ミサト  善人は、明王を護ろうと、悪人と戦うわ。
リョウジ 明王が、悪人を許そうとしたら、どうなる?
ミサト  善人も、明王に倣おうと、悪人を許すわ。
リョウジ 悪人が、善人に徳行をさせたら、どうなる?
ミサト  悪人の悪行が、善行に変わる、でしょうね。
リョウジ ほら、神業だ、善人も、悪人も、救われる。
ミサト  あっ! ほんとね、どうして、こうなるの?
リョウジ いや、どうもしない、自然にこうなるのさ。
     すべてを受け容れだけ、まさしく、不動さ。

ミサト  ……………………!!

簡単に言うと、人のは異なるから、
あれが正しいとか、これが正しいとか、も奪い合いになっている。
だから、に囚われると、

  宗教戦争になってしまう。

しかし、を許すと、
が行った行為は、悪人にとっての善業となる。
こうやって、悪人善業を積ます事が出来るんだ。

一方、を許したの方は、
(空の器、一次元の器)を積む事になる。

悪人善業を積み、善人を積む事が出来るので、
最終的には、も、螺旋階段を昇る事ができる。

巷では、伊勢白山道の、
生かして頂いて ありがとう御座位ます。の人や、
カムナガラタマチハエマセの人は、
邪気()と闘って、勝利を収めた自慢話が飛び交ってるけどね。

そうやって、意識的に否定(捨てる)すると、
無意識意識の裏の意味が積み重なる。

捨てるの裏は拾うだ。

現実は無意識方向に変化する無常なので、
何時まで経っても、同じ苦しみ邪気)を拾うことになる。

毎年、夏になると、お約束で、
邪気()と戦う、霊能者自慢げに、お化け屋敷番組に出てるけどね。

うなもん、救世主

  幻想なんだよ。

しかし、そんな霊能者伊勢白山道も、
ランキング操作)も許してあげましょう。

螺旋を昇ると言えば、次元上昇なんて言われているが、

実は、これだけでは終わらない。

この世の仕組みを知っている人は、分かると思うが、
善人の御蔭で、善業を積めた悪人だが、
良い事をすれば(善業を積むと)、良い事が返るのではく、
先ず悪い事が起こる。ここで、執着しているものを失う。

善人を譲ったからと言って、負けっぱなしではないんだよ。

だから、パクリ()、OKなんだ。

なので、パクってセミナーとかやるよりも、
法施(叡智のシェア)して、他と分かち合って(慈悲)、
功徳を積んだ方が無難なんだよ。(管理

一方、悪人の御蔭でを積めた善人は、
を積めただけに、さらにを超える為、

善業悪業から、
善業悪業の状態になるまで、

悪人悪い事)を、次から次ぎえと見る事になるが、
これが理解できれば、そうでもないと思う。

悪まで机上の論理だが、今年は面白い事になりそうだね。

順縁は、く念じる縁のこと。
逆縁とは、く念じる縁のこと。
順縁が強いと、善い人が救われて、
逆縁が強いほど、悪い人が救われる。

末法の世に、明王が現れると、
人々の因縁が、浮き彫りとなる。
不動明王は、を司る明王のこと。
全て受け容れ、済度の仕組に変える。

順縁はともかく、
どうやって、逆縁を救うのか疑問だったけど、

  こうやるんだ。

見方を変えると、
使命もったものが、そうでない者を救う。
使命もたなぁ〜、あかん!!
なんて、巷では流行ってるが、救うなんて慢心でさぁ〜
そうでないものって、それは他をと見て、
他を否定した、善悪二元論に落ちてるので、
これまた何度もを拾っては、同じ苦しみ味わう。

そうでない者を救うのでなく、
そうでないものも含め、全てに奉仕せよ!!、かもね。

結果なき過程 と 過程なき結果
コウゾウ 過程と結果、どちらを重んじるべきかね?
ゲンドウ 重んじるのは、先ず結果で、次に過程だ。
コウゾウ 結果のない過程本位は、どうなるのかね?
ゲンドウ 成果なき道理など、単なる自慰行為だ。
     先ず、周囲を省みず、結果を出すべきだ。

コウゾウ 過程のない結果本位は、どうなるのかね?
ゲンドウ 道義なき達成では、単なる示威行為だ。
     次に、周囲を顧みて、過程を正すべきだ。

コウゾウ 自己満足を、段階的に越えていくのかね?
ゲンドウ ああ、そうだ、妄想も然り、暴走も然り。
コウゾウ しかし、他を省みない段階が、危うい。
     最初は、過程を重んじた方が良いだろう。
ゲンドウ いや、結果が出ない過程など、無意味だ。
コウゾウ いいや、わたしには、そうは思えない。
     結果より、過程を選ぶ方が、良いはずだ。
ゲンドウ そう思いたいならば、そう思えばいい。
     だが、そんな妄想こそ、何の成果もない。

コウゾウ ........................

天下人(覇者の裏に王者)
結果なき過程は、単なる自慰。
たとえ、民意を集めたとしても、
結果が出ないと、天命は下りない。
それゆえ、覇者は、結果を重んじる。

過程なき結果は、単なる示威
いかに、天意を示したとしても、
過程を損なうと、民心は集らない
それゆえ、王者は、過程も重んじる。

示威:気勢や威力を人に示すこと。デモンストレーション。

天下人とは、実力本位のもの。
覇者は、地を顧ず、天に従がい、
王者は、地を省みて、人を従える。
天に下る者こそ、地の人を降らせる

覇者は、結果を重んじるところなんか、
一瞬で一発で奇跡が起きるとか、気づけば早いとか、
一日、15分とか、眠りながら億万長者とか、
一日で、理想の相手に出逢えるとか、出逢えないとか、
結果を重んじるセミナーって多いよね。

逆に、結果が出ないからと言って、その過程を捨てると、
無意識に、結果の出ない過程が残るので注意だ。

例えば、失敗ばかりで結果が出ないとか、
転職回数が多く、これじゃ〜、将来が心配とか、
就職先がなく、今もバイトで、これまた、将来が心配とか、
過去は消せないとか言われているが、
そんな過去否定して捨てると、
意識の裏の意味が無意識に積み重なる。

捨てるの裏は拾うだ。

現実は無意識方向に変化する無常なので、
また、そんな苦しい事を何度も拾う事になる。

だから、無意識に残さず、
そんな過去は、起業や独立のもと、なんて肯定し、意識化する。
そんな過去は、失敗して来た過去とも言えるので、
失敗は成功のもと、なんて過去を肯定し、意識化する。

苦を受け容れるんじゃなく、プラス思考ですね。

覇道 の先に 王道
マヤ  覇道を強く、覇者とは、どういう人ですか?
リツコ 天意を重んじて、手段を選ばない、人ね。
    合理を突き詰めて、無駄を切り捨てるのよ。

マヤ  王道を布く、王者とは、どういう人ですか?
リツコ 民意を重んじて、道理を外さない、人ね。
    徳政を積み重ねて、無駄を受け容れるのよ。
マヤ  覇者は、結果をして、天意を現わすもの。
    王者は、過程をして、民意を従えるもの?

リツコ そうよ、覇者が現れて、王者に変わるの。
マヤ  覇者は要りません、王者だけ現れて下さい。
リツコ 無理よ、結果が出ない、過程は正せない。
    天意が現れないのに、民意は集らないのよ。
マヤ  いいえ、覇者なんて、無駄なだけですよ。
    覇者なんて、居ない方が、合理なはずです。
リツコ あら、そういう無駄を許すのが、王者よ。
    ほらね、はじめは、誰だって、覇者なのよ。
マヤ  ........................

羯磨(カルマ)の書
覇道 ... 自慰に耽(ふけ)らずに、結果を出していく
王道 ... 示威に陥(おち)らずに、過程を正していく

覚醒の書
覇者 ... 武で治めて、天意を修める者のこと
王者 ... 徳で治めて、民意を収める者のこと

一厘の仕組に、気付いた者が、
九分九厘を拒むと、一厘となり、
九分九厘を認めると、十分となる。
富士を悟らないと、鳴門に至れない。

とりあえず、コツコツ善業奉仕)を積む事にする。

やぁ〜、分かってきたぁ〜

今日わぁ〜、伊勢白山道の、
生かして頂いて ありがとう御座位ます。
なんてやっても、良く成るどころか、
かえって、うつ病など、病気になり、
再帰不能になったりと、不幸が悪化し、
なかなか、願いが実現しない人向けに法を解きます。

伊勢白山道にはぁ〜、内緒だよぉ〜ん!

今日は、意識無意識和合を象徴する、
弥勒菩薩の智慧と慈悲で、法を解きます。

最近は、不況って事もあり、どこでも、
節電など行っているかと思が、

節電は手間が掛かり、面倒なものだが、
地球環境問題を考慮すると、その行為は、
CO2削減など、大いに地球全体利益になるんだ。

この世の仕組みを知り、
六波羅蜜などを実践をしてる人は分かると思うが、
この様に、意識的全体の利益になる行為すると、
無意識意識の裏の意味が積み重なる。

全体の利益の裏は自分の利益だ。

現実は無意識方向に変化する無常なので、
やがて、自分に利益が還元されたり、プライベートが優先される。

逆に、意識的自利を優先すると、
自利の裏は全体の利益なので、
全体の利益の為、損して終わる事になる。

功徳を積み始めると、
仕事をとるか、プライベートをとるか?
そんな局面が発生したりするから、気を付けてね!!

願いというものは、自分の利益だからねぇ〜

つまり、どうも、なかなか、願いが叶わない。

そんな人は、あまりにも、
意識的に、自分の利益に偏っているって事だよ。

だから、願いが叶わない。

世の中、バランちゅぅ〜とか言ってますが、
それを言うんだったら、全体の利益も意識しないとね。

邪魔が入ったり、思い通り行かなかったりしたとき、
それは、自分が利己に偏った警告であり、
1+1=∞の、アセンションの鍵は結婚にあった教の、
貧乏の裏の銭持ちに気づけば、一瞬で一発で変わるじゃ〜

     ないんだよ!!

それって、思いっきり利己じゃん。

生かして頂いて ありがとう御座位ます。

の「生かしてくれて」なんて、まさに、自分の利益だし、
願いを叶えてくれるから、感謝、感謝つったって、
それって、自分の利益意識してる事には変わりないし、
願いを叶えてくれて、感謝、感謝ってぇ〜のも、
自分の利益意識してる事には変わりない。

給料もらって、感謝、感謝、なんて人もいたけど、
それも、自分の利益意識してる事には変わりない。

伊勢白山道の人類5%運動も、100%ならまだしも、
5%って、どっから、どう見ても、自分の利益を意識した運動だ。

だから、健康を害して、思うように行かなくなったり、
なかなか、自己実現できなくて、うつ病になったりしても、
そりゃ〜、不思議でもなんでもないんだよ。

自己実現しないもんだから、
呼吸が乱れて、苦悩や不満が噴き出して来る。

なので、全体の利益も考え、

ヨーガ・スートラ 第一章

病、無気力、疑、放逸、怠惰、貪欲、妄見、
三昧に入れないこと、三昧に止まれないこと。
この九つが障害であり、全て心が散動している。

このように、心が動くほど、手足が震えて、
呼吸が乱れて、苦悩や不満が噴き出して来る。
これを治すには、繰り返し、思念を集中させる。

慈の心とは、他の幸福に対して、注ぐ心であり、
悲の心とは、他の不幸に対して、注ぐ心であり、
喜の心とは、他の善行に対して、注ぐ心であり、
捨の心とは、他の悪行に対して、注ぐ心である。

このように、心を念じても、心が安らかになる。

これが、

弥勒菩薩ヨーガというものらしい。

前に「楽してアセンション」で解いたが、
イメージと心は、相互依存関係で繋がっているから、
そんな想(イメージ)は、心にもインパクトを与える。

お金持ちってのも、自己利益だからねぇ〜
がっつり、地に落ちるという形で、
怒りと無智で一杯の心で終わる。お疲れ様ぁ〜

では、それに相応しい膨大なと、
膨大な智慧を備えた存在を、イメージすると、どうなるかなぁ〜

そんな存在が、釈迦牟尼、観音菩薩、弥勒菩薩だったりする。

イメージと心は、相互依存関係で繋がっているから、
そんな想は、心にもインパクトを与え、
限りなく、そんな存在が持つ心(智慧、意識、思考)に、
近ずいても不思議ではない。

ちなみに、現世利益を司る観音菩薩の「六音節の真言」は、

最初の言葉(文字)から、仏陀の変化(へんげ)が現れ、
仏陀は天界の生き物たちに会い、彼らを解脱へと導く。と言われ、

次の文字から、仏陀が再び現れ、
仏陀は阿修羅の世界の住人に会い、阿修羅を解脱へと導く。
この仏陀は、手に武器を持っている。と言われ、

次の文字から、われわれ(人間)の釈迦牟尼如来が現れ、
それが、われわれを解脱へと導く。執着が中心と言われ、

次の文字から、仏陀が再び現れ、
その仏陀は手に経典を持っている。
その経典によって、動物界の無智を和らげ、
生き物たちが修行を始め、解脱へと導かれる。と言われ、

次の文字から、再び仏陀が現れ、
仏陀は手に食物の入った容器を持っている。
その食物によって、餓鬼の世界の飢えと渇きが癒され、
彼らは修行ができるようになり、解脱へ導かれる。と言われ、

最後の文字から、再び仏陀が現れ、
仏陀は火と水を持っており、
それによって地獄の熱さと寒さが和らげられ、
そこの住人が解脱へと導かれる。と言われている。

つまりだ、この六音節は、
智慧や、富、財、名誉、地位などを象徴しており、
それを、音として発し、唱えるという形で、
それを、他に与え、他と分かち合う意味があるんだ。

この時にするイメージは、
スピリチュアルザ・シークレットお得意の、
お金持ちになった自分をイメージする利己的なものではなく、

自分は、もちろんのこと、世界の人々の仏性が生起し、
世界全体が、分かちあっている事をイメージするんだ。


これは、互いに徳を回向するので、互いに相生し合って徳が増える。

身においては、仏陀の身体を象徴した座法で、
この様に、身(座法)、口(真言)、意(イメージ)を一致させる。
思考は現実化すると言われているが、
そんな、身、口、意は、心と繋がっているから、
心(智慧、思考、意識)にインパクトを与える。

ちなみに、その座法は、先ほどのヨーガで触れた、
慈悲喜捨の四無量心をも表している。
その身体、そのものが利他の手段としての現れって事だ。

生かして頂いて ありがとう御座位ます。

じゃなくて、そんな意味を込めて、真言を唱えるから、
この言葉は、功徳にもなり、その効果は大きいと言われている。

そんな心や、そんな存在を目指すこと自体、功徳になるんだよ。

だから、貪りには怒りと無智が付いてくると言いつつも、
に関しては、大いに貪りなさいとかいったりする。
同じ、貪りでも、法を求める事は、智慧が生じ、自他の区別が外れ、
怒りが静まり、心が安定するから、貪る事は功徳になるんだ。

逆に言うと、生かして頂いて ありがとう御座位ます。

そんな利己的なものが、この世に蔓延ったが為に、
職を失い、うつ病になったりと不幸になる人が、
増えまくって、どうもならなくなったとも言えるんだ。

なぜ、そんな、へんちくりんなものに人が集まり、
お約束通り、人が騙され不幸になるのかと言えば、

この世は、類は類を呼ぶだでぇ〜

自分だけ、幸せになれば良いと思っているから、
自分だけ、幸せになれば良いって利己的な奴が集まり、
自分だけ、幸せになれば良いって利己的な奴に騙される。

気を付けてね!!

今日の話は、願いにも、正しい願いがあるって事だよ。

全体の利益になる願いなら、
嫌でも自己を利するが、
そうでない、利己的な願いは、嫌でも自己を害する。

その事業が全体の利益になるものなら、
嫌でも自分に利益をもたらすが、
そうでない、利己的なものなら、結果は見えており、
どうもならなくなって、ランキング操作(自利)なんかしちゃったりし、
されに自己を害する人もいる。

そんな願いも、自分の持つ仏性善業)だからねぇ〜

この世の仕組みを知り、六波羅蜜など功徳を積んで、
善業(功徳)を増やせば、そんな願いに出逢えても不思議ではない。

やぁ〜、分かってきたぁ〜

今日わぁ〜、伊勢白山道の、
生かして頂いて ありがとう御座位ます。
なんてやっても、良く成るどころか、
かえって、うつ病など、病気になり、
再帰不能になったりと、不幸が悪化し、
なかなか、願いが実現しない人向けに法を解きます。

伊勢白山道にはぁ〜、内緒だよぉ〜ん!

今日は、意識無意識和合を象徴する、
弥勒菩薩の智慧と慈悲で、法を解きます。

最近は、不況って事もあり、どこでも、
節電など行っているかと思が、

節電は手間が掛かり、面倒なものだが、
地球環境問題を考慮すると、その行為は、
CO2削減など、大いに地球全体利益になるんだ。

この世の仕組みを知り、
六波羅蜜などを実践をしてる人は分かると思うが、
この様に、意識的全体の利益になる行為すると、
無意識意識の裏の意味が積み重なる。

全体の利益の裏は自分の利益だ。

現実は無意識方向に変化する無常なので、
やがて、自分に利益が還元されたり、プライベートが優先される。

逆に、意識的自利を優先すると、
自利の裏は全体の利益なので、
全体の利益の為、損して終わる事になる。

功徳を積み始めると、
仕事をとるか、プライベートをとるか?
そんな局面が発生したりするから、気を付けてね!!

願いというものは、自分の利益だからねぇ〜

つまり、どうも、なかなか、願いが叶わない。

そんな人は、あまりにも、
意識的に、自分の利益に偏っているって事だよ。

だから、願いが叶わない。

世の中、バランちゅぅ〜とか言ってますが、
それを言うんだったら、全体の利益も意識しないとね。

邪魔が入ったり、思い通り行かなかったりしたとき、
それは、自分が利己に偏った警告であり、
1+1=∞の、アセンションの鍵は結婚にあった教の、
貧乏の裏の銭持ちに気づけば、一瞬で一発で変わるじゃ〜

     ないんだよ!!

それって、思いっきり利己じゃん。

生かして頂いて ありがとう御座位ます。

の「生かしてくれて」なんて、まさに、自分の利益だし、
願いを叶えてくれるから、感謝、感謝つったって、
それって、自分の利益意識してる事には変わりないし、
願いを叶えてくれて、感謝、感謝ってぇ〜のも、
自分の利益意識してる事には変わりない。

給料もらって、感謝、感謝、なんて人もいたけど、
それも、自分の利益意識してる事には変わりない。

伊勢白山道の人類5%運動も、100%ならまだしも、
5%って、どっから、どう見ても、自分の利益を意識した運動だ。

だから、健康を害して、思うように行かなくなったり、
なかなか、自己実現できなくて、うつ病になったりしても、
そりゃ〜、不思議でもなんでもないんだよ。

自己実現しないもんだから、
呼吸が乱れて、苦悩や不満が噴き出して来る。

なので、全体の利益も考え、

ヨーガ・スートラ 第一章

病、無気力、疑、放逸、怠惰、貪欲、妄見、
三昧に入れないこと、三昧に止まれないこと。
この九つが障害であり、全て心が散動している。

このように、心が動くほど、手足が震えて、
呼吸が乱れて、苦悩や不満が噴き出して来る。
これを治すには、繰り返し、思念を集中させる。

慈の心とは、他の幸福に対して、注ぐ心であり、
悲の心とは、他の不幸に対して、注ぐ心であり、
喜の心とは、他の善行に対して、注ぐ心であり、
捨の心とは、他の悪行に対して、注ぐ心である。

このように、心を念じても、心が安らかになる。

これが、

弥勒菩薩ヨーガというものらしい。

前に「楽してアセンション」で解いたが、
イメージと心は、相互依存関係で繋がっているから、
そんな想(イメージ)は、心にもインパクトを与える。

お金持ちってのも、自己利益だからねぇ〜
がっつり、地に落ちるという形で、
怒りと無智で一杯の心で終わる。お疲れ様ぁ〜

では、それに相応しい膨大なと、
膨大な智慧を備えた存在を、イメージすると、どうなるかなぁ〜

そんな存在が、釈迦牟尼、観音菩薩、弥勒菩薩だったりする。

イメージと心は、相互依存関係で繋がっているから、
そんな想は、心にもインパクトを与え、
限りなく、そんな存在が持つ心(智慧、意識、思考)に、
近ずいても不思議ではない。

ちなみに、現世利益を司る観音菩薩の「六音節の真言」は、

最初の言葉(文字)から、仏陀の変化(へんげ)が現れ、
仏陀は天界の生き物たちに会い、彼らを解脱へと導く。と言われ、

次の文字から、仏陀が再び現れ、
仏陀は阿修羅の世界の住人に会い、阿修羅を解脱へと導く。
この仏陀は、手に武器を持っている。と言われ、

次の文字から、われわれ(人間)の釈迦牟尼如来が現れ、
それが、われわれを解脱へと導く。執着が中心と言われ、

次の文字から、仏陀が再び現れ、
その仏陀は手に経典を持っている。
その経典によって、動物界の無智を和らげ、
生き物たちが修行を始め、解脱へと導かれる。と言われ、

次の文字から、再び仏陀が現れ、
仏陀は手に食物の入った容器を持っている。
その食物によって、餓鬼の世界の飢えと渇きが癒され、
彼らは修行ができるようになり、解脱へ導かれる。と言われ、

最後の文字から、再び仏陀が現れ、
仏陀は火と水を持っており、
それによって地獄の熱さと寒さが和らげられ、
そこの住人が解脱へと導かれる。と言われている。

つまりだ、この六音節は、
智慧や、富、財、名誉、地位などを象徴しており、
それを、音として発し、唱えるという形で、
それを、他に与え、他と分かち合う意味があるんだ。

この時にするイメージは、
スピリチュアルザ・シークレットお得意の、
お金持ちになった自分をイメージする利己的なものではなく、

自分は、もちろんのこと、世界の人々の仏性が生起し、
世界全体が、分かちあっている事をイメージするんだ。


これは、互いに徳を回向するので、互いに相生し合って徳が増える。

身においては、仏陀の身体を象徴した座法で、
この様に、身(座法)、口(真言)、意(イメージ)を一致させる。
思考は現実化すると言われているが、
そんな、身、口、意は、心と繋がっているから、
心(智慧、思考、意識)にインパクトを与える。

ちなみに、その座法は、先ほどのヨーガで触れた、
慈悲喜捨の四無量心をも表している。
その身体、そのものが利他の手段としての現れって事だ。

生かして頂いて ありがとう御座位ます。

じゃなくて、そんな意味を込めて、真言を唱えるから、
この言葉は、功徳にもなり、その効果は大きいと言われている。

そんな心や、そんな存在を目指すこと自体、功徳になるんだよ。

だから、貪りには怒りと無智が付いてくると言いつつも、
に関しては、大いに貪りなさいとかいったりする。
同じ、貪りでも、法を求める事は、智慧が生じ、自他の区別が外れ、
怒りが静まり、心が安定するから、貪る事は功徳になるんだ。

逆に言うと、生かして頂いて ありがとう御座位ます。

そんな利己的なものが、この世に蔓延ったが為に、
職を失い、うつ病になったりと不幸になる人が、
増えまくって、どうもならなくなったとも言えるんだ。

なぜ、そんな、へんちくりんなものに人が集まり、
お約束通り、人が騙され不幸になるのかと言えば、

この世は、類は類を呼ぶだでぇ〜

自分だけ、幸せになれば良いと思っているから、
自分だけ、幸せになれば良いって利己的な奴が集まり、
自分だけ、幸せになれば良いって利己的な奴に騙される。

気を付けてね!!

今日の話は、願いにも、正しい願いがあるって事だよ。

全体の利益になる願いなら、
嫌でも自己を利するが、
そうでない、利己的な願いは、嫌でも自己を害する。

その事業が全体の利益になるものなら、
嫌でも自分に利益をもたらすが、
そうでない、利己的なものなら、結果は見えており、
どうもならなくなって、ランキング操作(自利)なんかしちゃったりし、
されに自己を害する人もいる。

そんな願いも、自分の持つ仏性善業)だからねぇ〜

この世の仕組みを知り、六波羅蜜など功徳を積んで、
善業(功徳)を増やせば、そんな願いに出逢えても不思議ではない。

やぁ〜、ひさしぶりぃ〜

もう少し、結果が出たらと思ってたんだけどぉ〜

唯識論を静める止観の効果があるので、

弥勒菩薩唯識論を解きます。

まぁ〜、ここまで来ると大体わかると思うが、

この眼に見える現実というのは無意識が投影されたものだ。

唯識論は、この無意識の事を阿頼耶識(アラヤシキ)と呼んでいる。

外に何もない訳じゃないが、自分が感じるようにある訳じゃない。

ここに、綾波レイ(左)と飛鳥ラングレー(右)がいるとしよう。


Aさんは、綾波を見て好意を感じるが、飛鳥には感じない。
Bさんは、飛鳥を見て好意を感じるが、綾波には感じない。

同じ綾波、同じ飛鳥、なのに、その捕えかたは異なるんだ。

それは、その人の持つ、
阿頼耶識)と、
外界(綾波、飛鳥)のによって、
結果、好意をもったり、持たなかったりしている。

外に、喜びを感じてるのではなく、
阿頼耶識)と外界(綾波、飛鳥)のによって、
脳の中で、喜びを作ったり、苦しみを作ったりしている。

外にある、綾波や飛鳥が、喜びを持ってる訳じゃなく、
喜びは、脳の中で作り出された脳内現象であり、
外に喜びや幸せがある訳じゃないんだ。

例えば、がそうだ。

寝ている間は、五感が閉じている筈なんだけど、
喜びを感じたり、悪夢なんて恐怖を感じたり、
あたかも、それを体験しているがごとく錯覚を生じている。

夢から覚めると、夢で良かったぁ〜なんて、
体験した出来事が、何でもなかった事になり、安心したりする。

だけでなく、現実も同じだよってのが唯識だ。

10万円持ってた人が、20万円を得ると、

喜びを感じる人もいれば、
100万円が欲しい人は足りないと思うし、
借金がある人は、まだ少ないと、もがき苦しみを感じる。

これは、20万円に良いも、悪いもなく、
阿頼耶識に基づく五感と意識の相互関係(縁起)により、
喜びを感じたり、苦しみを感じてんだ。

阿頼耶識には善業悪業がある。
20万円を得て、喜びを感じる人は、
20万円を他と分かち合った善業があるからだ。

善業(因)と20万円(縁)の結果喜びを感じている。

逆に言うと、喜びを感じているって事は、
それだけ、善業を消費しているって事でもある。

だから、そのうち、20万円じゃ〜満足しなくなる。

悪業(因)と20万円(縁)の結果、もっと、と不満を感じてんだ。

20万円を得ても、喜びを感じなくなってしまうどころか、
20万円を失って、もとの10万円に戻ったとき、
もと、もと、10万円で足りてた筈が、今度は苦しみを感じる。

株なんか良い例で、
そこで売っときゃ〜、良かったものの、
もっと、もっと、と思い、寝かすが、
気づけば、株が上がるどころか、暴落して、大損なんてね。

偶然に判断を誤ってるのではなく、
バブル喜びを味わったがために、
今度は、お金に喜びではなく、
もっと、もっと、と不満を感じて判断を誤り自滅してんだ。

阿頼耶識が、もっと、もっと、と、判断を鈍らしている。

借金を返すのに、さらに借金して自滅したりね。

人ってのは、こんな感じで、
一発で一瞬で、幸せに成ろうと、
怪しいものに手を出し自滅する。

これも、偶然に、一瞬で一発で、
誰よりも速く幸せになろうと思ってる訳じゃなく、
悪業(因)とので、一発で一瞬と思って自滅してんだ。

一日、15分なんちゃらとか、眠りながら億万長者とか、
1日で理想の相手に出逢えるとか、出逢えないとか、
あたかも、一瞬で一発で奇跡が起こせそうな、
セミナーが巷には、沢山あるけどね。

多少、貪りを抑え、コツコツと借金を返したり、
必要以上の貪り抑え、
コツコツと善業を積んでりゃ〜良いものの、
阿頼耶識が、もっと、もっと、と、判断を鈍らし、
そんなもんに手を出しちゃ〜
気づけば、救われるどころか、、掬われてんだ。

つづきは後編でね。

それでは、後編を再開する。

意識阿頼耶識は、相互依存関係(縁起)で、
繋がっているから、意識喜びを感じると、
阿頼耶識のデータが書き変わり、
もともと、10万円で足りてた筈が、今度は苦しみを感じる。

これは、恋愛と同じ。

出逢った頃は、喜びを感じるが、
一緒にいる内に、喜びを感じるどころか、
一緒にいるのが、うざくなるのと同じ。

また、20万円を得た喜びを味わいたければ、
20万円を他と分かち合い善業を積む必要がある。

これじゃ〜、プラマイちゃら、なんだけどぇ〜

意識阿頼耶識は、
相互依存関係(縁起)で、繋がってるからなねぇ〜

意識が変われば、阿頼耶識も変わる。

この世は、幸せと言えども奪い合いだから、
たびたび、大切なものを奪われ、元に戻る時があるかと思うが、

賢い人は、それは、自分の悪業の投影であり、
お金など奪われたとき、財施したと考えるんだ。

いたずらに、憎悪して、
奪われた苦しみを否定し、苦しみを捨てると、
阿頼耶識意識の裏の意味が積み重なる。

捨てるの裏は拾うだ。

現実は阿頼耶識方向に変化する無常なので、
何度も、同じ苦しみを体験してしまう。

だから、財施したと考え、
苦しみを意識化し、阿頼耶識に残さないようにしている。

財施も、自分から行う方法もあれば、
そんな感じで、奪われる形もあるって事だ。

この見極めが非常に難しい。

願いには正しい願いがあるが、
これを行うと、何が起こるかと言うと、
執着してるものが奪われる段があるんだ。

お金が欲しけりゃ、お金を財施すれば良いがぁ〜

彼氏や彼女が欲しい場合、そうは行かないし、
名誉や地位が欲しい場合も、そうは行かない。

そもそも、無いんだからねぇ〜
与えようがない。(布施しようがない)

だから、功徳積みや正しい願いを実践すると、
彼氏や彼女が欲しい場合は、ひっこり理想の相手が現れるが、
楽しむ暇もなく、速攻で他に奪われたり
BLOGなのどのアクセス数が欲しい場合は、
なんだか良くわからんが一時的にアクセスがUPしたりするが、
楽しむ暇もなく、ライバルに奪われたりする。

おそらくだが、

積んだ善業は、まず潜在に蓄積される。

人には善業が出やすい時期、悪業が出やすい時期ってもんがあり、
本来は、善業が溜まり、善業が出る時期に、善業が出るんだけど、
正しい願いや、観音菩薩の瞑想など、正しい瞑想を行うと、
潜在に眠ってる善業が、ちょっぴり一時的に引き出されるんだと思う。

なんの為に、引き出されるかと言えば、
そんな感じで、与えようが無いもの布施する為と思われる。

すべての衆生の幸福を考える正しい願いというのは、
それは仏陀の心と一致(密教瞑想を思い出してね)するから、
その際には、神仏の法力による守護・祝福があると言われいる。

だから、潜在に眠る善業を引き出す事ができ、
その使われ方は、そんな感じで善業が使われるんだと思う。

嫌われ役というのは、がなきゃ〜、出来ないからね。

執着してるものが奪われ、元に戻るので、
この見極めが非常に厳しいが、見方を変えると、
大切なものを奪った相手というのは、ありがたい存在にも見え、
それは、の現れであり、感謝の対象でさ思えたりと、
表層意識が変わるから、阿頼耶識も変わるんだ。

全てを神仏と観る観音菩薩カルマ・ヨーガですねぇ〜

この世の仕組みを知り、六波羅蜜など、
功徳積みを実践すると、収入が減ったりなど、
執着してるものが、奪われたり、失ったりするが、
見方を変えると、布施してるって事だ。

悪業といば悪業だが、もしかすっと、
そんな感じで、功徳が使われてっかもしんない。
功徳積みも、仏陀の心と一致した生き方だからね。

論点 物質と精神とは何か
功徳は、まず、物質的に充足するために使われ、
次に、精神的に渇望しないために使われる。
つまり、物質的な不足に対して、
精神的に囚われない方が、より本質的なのである。

その失い方は執着ものだけに、
どっから、どう考えても、
考えられんぞぉ〜なんて言いたくなる、
人智を超えたものが多いがぁ〜

そぉ〜いう、ときわっ!!

布施善業積み)の実践をしてるって事だ。

善業が無い事には喜びが生起しないからね。

ちなみに、占星学では、今年(2009年)の2月24日から、
魚座の時代から水瓶座の時代へと突入したらしい。

この時期、俺様に何が起こったかと言えば、
ちょうど、この頃、観音菩薩の瞑想で、
正しい願いを実践していたというのもあるのだが、

今まで、上がらなかった、
プログ人気ランキングが、異常に上がったんだよね。
アクセスも異常に多かった。(楽を味わい

でも、一時的なもので、急に元に戻ったどころか、
今までは、自力で大体、180ポイント稼げるんだけど、
こんだけあれば、50位ぐらいには成るんだけど、
今じゃ〜、伊勢白山組先祖供養使いが、ぞろそろ出てきて、
180ポイントあっても底辺なんだよね。(苦を味わった

論点 悪徳と功徳とは何か
悪徳は、快楽ばかりを満喫し、
煩悩を増大させる形で、果報が返り、
功徳は、を等しく経験し、
智慧を増大させる形で、果報が返る。

何が起きてるかと言うと、布施の実践です。

伊勢白山組には、

   内緒だよぉ〜ん!!

ランキング1位が欲しけりゃ〜
1位を与えれば良いが、1位じゃないからねぇ〜
与えようも布施しようもない。

まぁ〜、今回に限らす、
これからも何度か、そんな事を繰り返すと思われるが、

秘密結社特攻野郎水瓶チームは、
もしかすると、もしかするかもね!

ちなみに、2月、3月、4月は、
占星学で言えば、変化の時期らしい。

これは、おそらく、悪業落としの時期と思われ、
悪業が落ちるのは、三ヶ月、三ヵ年、掛かると言われている。

こぉ〜いう、ときわっ!!

おとなしく、密教瞑想でもして、
コツコツと善業を積むのが一番さぁ〜、果報は寝て待てだ。

おっとっと、
宗教や、信仰は、真理をあらゆる人に内在している、
叡智に因るのではなく、人間の心の中で造りだされる観念で、
解釈しているんとちゃいますか?

なんて言ってる人を見て、思いだしたんだけどぉ〜

ここに、赤い花があったとしよう。
これは、誰が見ても、赤い色をしている。
だから、会話が出来るんだけど、
他人が見ているは、もしかしたらと言ってるかもしない。
それは、イデアと言って、今だ証明できてないが、
でも、他人との会話が成り立つ。

何故か?、それは、皆、同じ意識だからさぁ〜

同じもを見てるんだけど、でも阿頼耶識は人れぞれ異なるから、
これも、によって、結果、解釈が異なってのかもしれない。

唯識が、わかってたぜェ〜

ランキング1位を独走する伊勢白山に対して、
誰もが、「ランキング操作の偽造人気ちゃうん!!
なんて、怒りを現わにしているが、

今日はぁ〜、そんな人向けに、
弥勒菩薩智慧慈悲で、自他の区別を外したいと思います。

ちょいと、前回の話を復習するが、
ここに、綾波レイ(左)と飛鳥ラングレー(右)がいるとしよう。


Aさんは、綾波を見て好意を感じるが、飛鳥には感じない。
Bさんは、飛鳥を見て好意を感じるが、綾波には感じない。

同じ綾波、同じ飛鳥、なのに、その捕えかたは異なるんだ。

それは、その人の持つ、阿頼耶識)と、
外界(綾波、飛鳥)のによって、
結果、好意をもったり、持たなかったりしている。

外に、喜びを感じてるのではなく、
阿頼耶識)と外界(綾波、飛鳥)のによって、
脳の中で、喜びを作ったり、苦しみを作ったりしている。

外にある、綾波や飛鳥が、喜びを持ってる訳じゃなく、
喜びは、脳の中で作り出された脳内現象であり、
外に喜びや幸せがある訳じゃないんだ。

つまり、同じ環境()にあっても、
その人の持つ、阿頼耶識()によって、
それを、喜びと感じる人もいれば、苦しみと感じるってこと。

阿頼耶識()には善業悪業があり、

欲求が強いとは、
善業が少なく悪業が多い結果であり、
その場合、喜びが少なく苦しみが多くなり、
欲求が少ないとは、
善業が多く悪業が少ない結果であり、
その場合、喜びが多く苦しみが少ない。

これが、因果応報・自業自得の法である。
自分が感じる幸福・不幸も、
三毒に縁起した、心の現れであり、実体がない。

同じ条件)でも、
欲求の強い人には、苦しみとなり、
欲求が少なければ、喜びとなるように、
苦楽は心の現れである。

つまり、他人()に怒りを感じるとき、
自分の善業の少なさの投影(悪業の多さの投影)が、
そんな他人であり、そんな警告でもあるんだ。

善業の多い人は、同じ他人()でも怒りを感じてないし、
騙されたりして()、苦しい事があっても、
善業の多い人は、そう感じてないって事だ。

周り()は嫌いな人ばかり、なんてぇ〜のは危険信号だ。

内界 の裏に 外界 
ミサト  心に思っていることが、外で起っているの。
     怖いわ、わたし、どうかしちゃったのかしら?
リョウジ 心配するな、深層意識は、そういうものさ。
     深層に溺れると煩い、真相に達すると悟りさ。

ミサト  良かった、統合失調症かと、思っちゃった。
     宇宙を支配しているような、万能感があるの。
リョウジ そうさ、小宇宙と大宇宙は、等しいからな。
ミサト  そしてね、すべては、自分の心の現われなの。
リョウジ そうさ、そもそも、境界なんてないからな。
ミサト  でしょ、わたしも、そうだと思ってたのよ。
     すべてを創造していたのは、わたしだったの。

リョウジ それは君の想像だ、君だけが特別じゃない。
     みんなの想像が共有されて、創造されるのさ。
ミサト  いいえ、違うわ、わたしが宇宙の創造主よ。
     分かった? あなたも、わたしを敬いなさい。
リョウジ いい加減にしないと、無意識に喰われるぞ。
     神がかりになるのは、単なる、精神分裂病さ。
ミサト  ほら、これだって、私が神になる、お告げよ!
リョウジ ……………………

ここまで、来ると分かると思うが、
アセンションの鍵は結婚にあった!!の教祖もそうだし、
伊勢白山の教祖もそうなんだけど、

なんやぁ〜、神から使命を授かったとかで、
銭、儲けしてるようだが。。。

それは、阿頼耶識()と、
外の使命とやらのが生んだ勝手な想像であり、
外に使命がある訳じゃない。

その使命とやら、人類全体の善業投影だったらどうする?

外の物も独立して存在してるのではなく、
内との相互依存関係(縁起)で生起している。

外にあるもの(使命)は、内(人類全体善業)の投影なんだ。

そんな善業貪ってセミナーで、銭、儲けしたり、
有料ヒーラーをバッサリ裁くわりには、
使命やらなんやらで、本、売ってさぁ〜
人類全体善業を、一人で、全部、消費させたらぁ〜
この世の仕組みを知ってる人は分かると思うが、


バチがあたるぜェ〜

臣民 の裏に 神民
私だけ、神に選ばれていると、
他よりも、上に立とうとすると、その途端に、イトが切れてしまう。
天命を外れて、地獄に生まれ変わる。

誰もが、神に選ばれていると、
誰よりも、役に立とうとすると、その瞬間に、イトを悟ってしまう。
地獄に居ても、天国に生まれ変わる。

一生懸命、働いて手にした給料だが、
これも、阿頼耶識()と給料()により、
自分が努力した結果と思いがちだが、
職場に行くために必要な道路や交通機関は、
他人が作ってくれたものだし、仕事をする為に必要な、
携帯電話や、パソコンもまた、他人が作ってくれたものだ。

そう考えると、自分が手にした給料は、
自分だけの善業の投影ではなく、人類全体の善業の投影とも言える。

そう考えると、自分が努力して得た、知識、能力、技能も、
自分だけの善業の投影ではなく、人類全体の善業の投影とも言える。

であるならば、智慧や富を分かち合い(慈悲)、
全ての人に感謝(恩返し)しようってのが、釈迦の一元論であり、
観音菩薩六音節の真言は、そんな全体への感謝の言葉である。

生かして頂いて ありがとう御座位ます。の人類5%運動なんてねぇ〜

利益になる自分の信者5%に、

感謝、感謝じゃ〜

じゃないからね。

ちなみに、人類全体の善業もあれば、悪業もある。

ユニクロの社長が、
日本は良く成るどころか、少しずつ景気が後退している
と言っていたが、これ、

当たってるのよぉ〜

カルマ(悪業)には、個人の悪業全体の悪業がある。

日本は、今まで、世界全体の中では勝ち組だった。

自分が勝利(得)するという事は、
必ず誰かが負けており(損しており)、
これが、他を傷つけたカルマ(悪業)となって返り、
結局、大負け(大損)する。

景気が回復するかなぁ〜、と思いきや、
そうなる前に、また、ガツンと来たよねぇ〜
この落ち方、なんかぁ〜、感じないかい。

だから、これからの日本は低迷してくだろうと予測されるが、
であるならば、他を傷つけた恩返しで、善業を積みましょう。
というのが、釈迦一元論でもある。

唯識、わかってきたぜェ〜

今日も前半と後編で法を解くが、

世の中には、1+1=∞の、
アセンションの鍵は結婚にあった!!の教祖や、
伊勢白山の教祖の様に、

なんやぁ〜、神から使命、授かったぁ〜

なんて言う人もいるが、それは、その人が持つ、
阿頼耶識(無意識)のと、外の使命らしきものとの()によって、
勝手に、それを使命と想像し、
自利の為、信者集めに使用してるだけで、

本当のところ、それは、人類全体の善業なんだよ!

この様に、この世は自他共でさぁ〜
こいつら、人に作ってもらった救世主ってこと。

そんな話をしたが、この話と、

ここに、赤い花があったとしよう。
これは、誰が見ても、赤い色をしている。
だから、会話が出来るんだけど、
他人が見ているは、もしかしたらを赤と言ってるかもしない。
それは、イデアと言って、今だ証明できてないが、
でも、他人との会話が成り立つ。

何故か?、それは、皆、同じ意識だからという話をしたが、

これ、繋がってんだ。

唯識では、意識は、皆、べつべつと解くが、
まぁ〜、この世、類は類を呼ぶだでェ〜
だとしも、同じものに、同じ実感を共有している。

唯識意識を八層ぐらいに分け、
好きだとか嫌いだとか、それが使命だとか判断しているのは、
阿頼耶識より上位の層の意識カルマ)としてる見たい。

例えば、お金だな。

お金に関しては、皆、良いものと意識している。
しかしながら、楽の裏に苦ありだからねぇ〜
皆で妄想に落ちてるとも言えるんだ。

意識は共有できないが、
意識の裏の無意識は共有されていたら、どうする?

主観 の裏に 客観
主観は、分有した世界のこと。
客観とは、共有した世界のこと。
如何なる世界も、主観に過ぎない。
共有された世界が、客観に選ばれる。

主観とは自意識の事で、
自意識(主観:分有)の裏の意味が
無意識(客観:共有)に積み重なる。
現実は無意識方向に変化する無常なので、
後に無意識創造した世界を客観する事になる。

意識して主観(分有)するから、
無意識に意識の裏の意味である客観(共有)が積み重なる。

赤色 という 青色
シンジ うわっ、恐ろしいことが、解っちゃった!
アスカ 何よ、いったい、何が分かったって言うの?
シンジ 僕らは決して、解かり合えないってこと。
アスカ 当たり前でしょ、分かり合いたくないもん。
シンジ 違うよ、原理的に、解かり合えないんだ。
    僕の見る赤は、君の見る赤とは、限らない!
アスカ 赤色なんて、誰が見たって、赤色でしょ。
    訳が分かんない、ちゃんと説明しなさいよ。
シンジ いくら説明しても、保証できないんだよ。
    僕の赤が、君の青でない、証拠がないんだ!

アスカ なるほどね、赤色の説明は共有できても、
    赤色の実感は共有できない、って、ことね。

シンジ うん、これって、恐いことだと思わない?
アスカ うん、そう考えると、恐い気がしてくるわ。
    どんなに説明しても、解り合えないだもん。

シンジ うん、それで、これの本当に恐ろしい所は、
    これさえも、何も解り合えてないってこと!
アスカ ……………………

無意識は共有されているが、
例えば、お金が好きだとか嫌いだとか、
その実感は、人それぞれ異なり、内に閉じている。

なんだけど、この世は類は類を呼ぶだでェ〜

皆、同じ様に「お金は良いもの」と思ってるから、
裏の悪い面である不況など皆で客観する事になる。

外にある論理(説明)は共有してんだ。

この世の仕組みを知ってる人は分かると思うが、
得したとき、必ず誰かが損をしており、
これが他を傷つけたカルマ(悪業)となって返り、
結局、大損したりと不況を実感する。

外にある論理(説明)を共有してるという意味では、
誰が見ても、太陽は東から昇り、西へ沈んでいる。

これは、無意識は人だけではなく、
宇宙の法則(高次元の真理)なども共有しており、
それを客観してると言える。

主観的な時間 と 客観的な時間
ヒカリ 今、十年前を想起すると、現在? 過去?
アスカ 十年前のことでしょ、過去に決まってるわ。
ヒカリ 今、十年後を想像すると、現在? 未来?
アスカ 十年後のことでしょ、未来に決まってるわ。
ヒカリ 今していることだから、現在じゃないの?
アスカ 今のことじゃないでしょ、現在じゃないわ。
ヒカリ 過去や未来が、実在すると、考えるのね?
    でも、わたしは、実体がないと、考えるの。

アスカ 時間は、主観に過ぎないって、考えるの?
ヒカリ うん、認識を重ねると、時間が流れるの。
    客観に見えるのは、共有しているだけなの。
アスカ いつも、時間は、規則正しく流れるけど、
    これも、共有しているだけって、言うわけ?

ヒカリ うん、その世界の規則に縛られただけよ。
    時々、よその世界に行っちゃう人もいるの。

アスカ あっきれた、もう、付き合ってられないわ。
ヒカリ うふっ、ほらね、実際は、そんなものよ。
アスカ ……………………

同じもを観て、同じ様に感じているから、
無意識に隠した、同じように感じる「悪い事」が、
表に現れたりするのかもしれない。

例えば、信号無視とかね。

本当は、行けない事だけど、
誰も見てねェ〜し、急いでるから、良いかぁ〜
なんて誘惑が生起するが、
やっぱり、悪い事だから、と誘惑を抑え、秩序を守る。

しかし、抑えたものは無意識に残る。

現実は無意識方向に変化する無常なので、
そんな無意識部分を他人が演じ、
信号無視する他人を見かけちゃ〜、憎悪したりする。

が、憎悪するのも良くないので、
そんな誘惑を抑え戒律を守ったりする。

そんな感じで、共通に抑えたもが共有性の高い順
不可解な事件や交通事故として、現れてるのかもしれない。

人類全体の善業もあれば、

人類全体の悪業もある。

前に、人には善業が出やすい時期、
悪業が出やすい時期ってもんがあると書いたが、
これは、人だけではなく、
国や団体、地球や宇宙にも当てはまるかと思う。

基本的に善も悪もなく、勝手に主観してるだけだが、
国や団体、地球や宇宙にも、そんな時期があり、
無意識は共有してるだけに、不可解な事件が多く発生したり、
人類全体の善業使命だと勘違いし、
貴重な善業を自利の為に消費する人達が宇宙に多く出る、
そんな悪い時期があっても、おかしくはない、という事でもある。

これは、裏を返すと、我々は、
宇宙と共に楽しみ、宇宙と共に苦しんでいる。
それは、宇宙全体と合一した生き方とも言える。

そんな境地が、
弥勒菩薩ってもんらしいぞぉ〜

正しい願いを思い出して欲しいのだが、
仏陀(宇宙)と合一した生き方には、
神仏の法力による守護・祝福があると言われいる。

そんな人達も、我々が共有してる部分でもある。

無意識に示す と 自意識に示す
「その彼は、私と君を映し出す、共有の意識だ。
君は彼を認めていないが、彼は君を観とめている。
彼が居なければ、私も君も、この世に存在し得ない。」

お金や地位、名誉、欲しさに、
偽造体験談や偽造PVを作ったり、
ランキング操作なんか、しちゃって人もいるが、
同じものに執着している自分が無いとは言えない。

そんな、自分の執着部分(悪業)と、
他人のそんな部分が、共有性を持って重なり、
その投影が、そんな悪人の可能性があり、
自分と他人は繋がっている。

であるならば、自他を区別せず、
そんな人達を許し、全ての人を愛する事が、
本当の愛(慈悲)で、全ての人に奉仕すべきでは?

なんてェ〜のが六波羅蜜の「智慧の修行」でもある。

人類全体の善業使命と勘違いし、
そんな善業を確かめもせず、自分の利益の為、
信者集めやセミナーに利用し、せっかく、
我々が努力し、積んだ善業を一人で消費させてしまった、
そんな救世主の話を前編でしたが、
これ、モーセ の 死 の話に似ているんだなぁ〜

ゲンドウ モーセの死の話を知っているかね?
コウゾウ うむ、神の命を受け、民を導いたが、
     約束の地の手前で、彼が客死した話だ。
ゲンドウ 途中で、死んだのは、なぜだと思う?
コウゾウ 彼らの神が、約束を守らなかったのだ。
ゲンドウ いや、先に、守らなかったのは、彼だ。
     神の指示に、彼は工夫を混ぜてしまった。

コウゾウ どういう指示が、神から出たのかね?
ゲンドウ 岩に命じて、水を出させる、指示だ。
コウゾウ どういう工夫が、彼から出たのかね?
ゲンドウ 岩を叩いて、水を出させる、工夫だ。
コウゾウ 結果は同じだろう、なぜ、まずい?
     善かれと思って、しただけだろうに。

ゲンドウ いや、全く違うな、分からないのか?
コウゾウ 分からんな、おかしな神もいるものだ。
ゲンドウ 神から命じられるまでは、分からない。
コウゾウ いや、そんな神に、命じられたくもない。
ゲンドウ そうか、それなら、叩かれるだけだな。
     神は叩かない、善かれと思った人が叩く。
コウゾウ ........................

ちょいと、霊視やチャネリングなど、
自分に特殊能力があると自慢したいやつはぁ〜

なんやぁ〜、神から使命、授かったぁ〜、なんて言うがぁ〜

神は使命なんて、そんな命令なんかしちゃいない。

自分の阿頼耶識をとし、そんな善業)見て、
結果、確かめもせず、神から使命を授かったと、
それを鵜呑み、勝手に想像しただけさぁ〜

それを鵜呑みし、
岩を叩いて、水を出させてしまったんだ。

この先祖供養使い、本当にリーディング出来るのかしらぁ〜

まぁ〜、出来るとして、てめェ〜のスタンドも、

口ほどじゃ〜ねぇって、ことだぜェ〜

この世は類は類を呼ぶだェ〜
そういう所には、そんな奴ばっか集まって、
人類全体の善業を、自利目的で利用してる可能性がある。

なぜ、そんな事をしてしまうかというと、
使命なんて、救済は建前で、
本当は、誰よりも速く、今の苦しみから逃れたい。
そんな欲求(貪り)があるからねェ〜

確かめもぜず、焦って(慢心して)、
セミナーとか、本を売って儲けようとしたりする。
そういうときに限って、人、物、金が揃ったりするが、
これがマーラと呼ばれる魔境の始まりなんだ。

ちなみに、自分を知る教の教祖が言うには、
冷たくて嫌いな上司がいるもは、
自分がポッカ、ポッカの人を演じてるからぁ〜
なんて言うが、そうじゃなく、
それは、てめェ〜が無意識冷酷だからさぁ〜

使命と言いつつも、他人の幸せはどうでもよく、
自分の名誉、地位、財産を優先してるって事だよ。

しかし、それを全面に出すと、
誰もセミナーに来てくれないからね。
そんな冷酷さを抑えて、
他に対してポッカ、ポッカの笑顔を振りまいてる。

でも、ここが味噌で、
意識的に抑えた冷酷さは無意識に残り、
現実は無意識方向に変化する無常なので、
そんな、自分の無意識部分を他人が演じる。

それが冷たい上司って奴で、これが本音と建前って奴だ。

この世は類は類を呼ぶだ。
そんなセミナーには、そんな奴が集まる。気を付けてね!!
魔境の話を思い出して欲しいのだが、
何故、そんなときに限って、人、物、金が集まるかというと、
類は類を呼ぶで、集まってんのさぁ〜

差別のある愛 と 差別のない愛
「彼が、非情に冷たい者のように、見えるのは、」
「君の方が、無意識に、冷酷になっているからだ。
友の方を愛する余り、敵の方を憎んでしまっている。」

「彼が、非常に温かい者のように、見えるには、」
「君の方で、意識的に、冷静になってみることだ。
人情に縛られている限り、真情を悟ることは無いと。」

話がづれたが、モーセの話は、親鸞の話にも似ている。

親鸞は弟子に、
1000人、人を殺して来い」と言ったが、

弟子は、
それは、私の力量では無理かと」と答えたんだ。

親鸞は言った。
そうだろう、
 人は、簡単に人を殺さないものでもあるが、
 しかし、人は
条件次第で、
 簡単に人を殺してしまうものでもある
」と言った。

これは、聖書の「十九章 第二門」にも似ている。

彼らは、イエスに、このように尋ねた。

「では、モーセが離縁命じたのは、何故ですか。」

イエスは、彼らに、このように答えた。

「モーセは、離縁許しただけである。
はじめから、離縁命じたわけではない。
頑迷なあなたがたに、はっきり言っておく。
不法な結婚でないにもかかわらず、妻と別れ、
他の女と結婚する者は、姦通の罪を犯している。」

「論点」 離縁 の 意義

神は、普遍に合せようとする。
人は、特殊に合わせようとする。
都合が悪くなると、人は離縁する。

まぁ〜、自分は特別特殊でありたい。

そんな欲求は誰にでもあるからねェ〜

なんか見えると、神から授かったと、
自分が特殊な方に合わせたくなるのも無理もないが、
無意識)に食われてるだけの話だ。

神は叩かない、善かれと鵜呑みにし、

勘違いした奴が叩くのさぁ〜

だから、弥勒菩薩ってェ〜のは、
広大無辺慈悲により、叡智は与えぱっなしの、
後は何もせず、宇宙全体が苦しいときは、
同じ様に、自分も苦しみに耐え、五十六億七千万、掛けながらも、
気づいてくれるまで、ずーと、待ってんだ。

人が出口を求める事があっても、
出口が人を求める事はない。

おっとっと、因みに、親鸞や最澄は、
神から使命を与えられた訳でもなく、
ましてや、神から命令された訳でもなく、
他が苦しむ姿を観て、他の苦しみを取り除こうと、
菩提心(他を利する心)から、その道を究めに行ったんだ。

出発点が違うのさぁ〜

ある時、二人の兄弟いました。
彼らは、親と早く死に別れた上に、
その後、人に騙されて、ひどく酷使され、
その結果、二人とも、あえなく死を迎えることになった。

この兄が、後の観音菩薩であり、弟が未来の勢至菩薩だ。

その兄は、臨終の間際に、悲嘆する弟に対して、

私達は、今生、人の様々な苦しみを知ったのだから、
 来世生まれ変わったらならば、
 人の苦しみを取り除くために生きよう
」と語る。

すると、弟は、その悲惨な一生の意味を理解して、
初めて心が晴れるのを感じ、兄と共に、安らかに息を引き取った。

他の苦しみを取り、他を利する心を菩提心というが、
これまた、正しい願いでもあるよね。

最後に、今まで解いたを、おさらいして終わりにしたいと思う。

それは、なぜかというと、
冒頭で、愛と財だかで、与えるものは与えらと言われ、
MLMネズミ講)に参加し、騙された話をしたが、
その理由について、分かってきたからだ、

論点 魂の二極化とは何か

 智慧ある者は、宇宙のあらゆる示唆を受けて、
 悟るべくして真理を悟る。
 何故なら、真理は宇宙を吟味した、
 論理的帰結だからである。

 無智なる者は、自我のあらゆる欲望に流され、
 至るべくして地獄に至る。
 何故なら、地獄は自我を追求した、
 論理的帰結だからである。

 欲しいものは、幸せと言えども奪い合いなので、
 するとき、必ず誰がしており、
 これが他を傷つけたカルマ(悪業)と成って返り、
 結局、した分、大損する事になる。

 マーフィーの法則100%自己実現とか、
 思い通りの人生とか流行ったが、
 古事記須佐之男(スサノヲ)が大暴れした時、
 天照大御神が岩戸に隠れる話があるように、

 自分が思い通りの人生を生きるとき、
 必ず、他の自由を奪っている。
 これが他を傷つけたカルマ(悪業)となって返り、
 自由が束縛され、自己実現できてないんだよ。

 自由といえば恋愛夫婦関係)は、ある程度、
 互いの自由を束縛し、成り立っている事に注意してね!!

 だから、アセンションへの扉だか、
 1+1=∞だか、ライトワーカーだか、

 結婚にすべての秘密があった!!
 アセンションの鍵は結婚にあった!!

 夫婦関係=経済関係
 夫婦関係が良くなれば、漏れなく収入もUPする!!

 なんて、言われておりますが、
 それって、得しようとしてる事には代わりないし、
 釈迦予言書法滅尽経』で解かれてる様に
 も奪い合いであり
 自分が理想のパートナーに出会えたとき
 必ず、誰かが理想のパートナーと出会えなくなる。

 これが、他を傷つけたカルマ悪業)となって返り
 ワイドショーでお馴染みですが
 結婚直後、旦那が急に愚痴の多い嫌いな人に変貌したり、
 結婚直後、旦那が急に働かなくなったり
 お金持ちと結婚したはずが
 結婚直後、旦那の会社が倒産し、嫌いな貧乏人に変貌したり、
 綺麗な人と結婚したはずが事後や病気で、寝たっきりの
 醜い姿に変貌したりの悪人に変わる。

 偶然に、夫婦関係が悪くなってる訳じゃないんだ。

 この様に、あらゆるものは、
 実体が無くであり無常変化する)である。

       これを諸行無常と言います。

 この様に、人は他に依存しており、
 他に依存して生起する事を縁起と言います。

 突き詰めると、人は他を傷つけない事には生きられない。

 よって、欲望(自我)に流されると悪業しか積まさらず、
 やがて、嫌いな事をしなくてはならなくなり、
 好きな仕事だけど、給料が低く、幸せに成れないなど、
 最後は、求めても得られない一切皆苦地獄に至る。
 よって、必要以上の欲望は抑え、
 同時に、他を傷つけた恩がしで善業(功徳)を積む。
 この不苦不楽六波羅蜜)の道で、善業悪業から、
 善業悪業の状態(を積む)に自分を変えていく。

 ちなみに、 善業が多い、
 互いを利する夫婦関係(人間関係)を順縁と言い、
 六波羅蜜を行うと、その様に夫婦関係(人間関係)が変わっていく。

  この世は、幸せと言えども、奪い合い(有限)であると、 
 ありのままに見て(八正道の正見)、ありのままの真実を認め、
 意識的に、必要以上の貪りを抑え(不偸盗の戒
 他を傷つけた分、物質的利益)や智慧精神的利益)を、
 他と分かち合う(慈愛、慈悲)ので(恩返し、功徳積み
 無意識に、意識の裏の意味(無限:∞)が積み重なる。

 必要以上の貪りをしない、の裏は、
 必要以上の贅沢だ。

 現実は無意識方向に変化する無常なんで、
 与えた以上の物が、与えられたりしてね。
 100万円が手に入った体験談はここです。
 ちなみに、今までの、財施分を合わせても、
 100万円には満たないです。

 財や富など、物質的利益(財施)も分かち合い、
 役割や智慧など、精神的利益(法施)も分かち合う。
 これが、六波羅蜜の利他実践だ。

 小さなを積んでいくと、大きなを積めるようになる。
 とは、サットヴァそのものである。
 は、サットヴァを越えたものである。
 サットヴァな世界には、天命が現われる。
 求めてない者が、与えられる事もなければ、
 他に与えない者が、与えられる事もない。

 どんなに小さな事(くだらなないと思われる事でもであれ、
 意識的に、自分が良いと思ってした事は、
 無意識に、意識の裏の意味が積み重なる。

 小さいの裏は大きいだ。

 現実は無意識方向に変化する無常なので、
 やがて、大きなを積む事が出来る様になる。
 小さなアセンションも宜しくね!!

 ちなみに、というのは異性を利用し、
 自分が癒されたいという心の動きでもある。

 プラトニック ラブ
 カヲル そうさ、君は、彼女が好きじゃないんだ。
      彼女を使って慰める、君自身が好きなのさ。
 シンジ う〜ん、でも、もう、止められないんだ。
 カヲル ほら、恋愛じゃないよ、発情してるだけさ。

 何回も言うが、この世は、類は類を呼ぶだでぇ〜

 他人(異性)を利用し、幸せになりたいと思っているから、
 他人(異性)を利用し、幸せになりたいって奴が集まり、
 他人(異性)を利用し、幸せになりたいって奴に騙される。

 何度も、異性に騙されたり、
 何度も、異性に裏切られたりする人がいるが、
 そんなカルマ(悪業)かもね?

 しかしながら、これも、突き詰めると、
 人は身体をもって生まれた以上、
 そんな、やめられない悪業があるって事なんだ。

 なので、せめて生きてる間は、
 良い事恩返し、善業積み)をしようってのが、釈迦一元論でもある。

 だから、仏典には、
 妻に対する扶養の義務(恩返し)や、
 夫に対する義務(恩返し)が解かれてたりする。

 まぁ〜、家族を不幸にしたいって奴はいないと思うけど、
 梵志陀経 第一章善生経 第三章で解かれてます。

 悪人正機を説いた親鸞の話だが、、
 性欲を捨てようと、頑張ったが出来なくて、

 それを見かねてか、ピロロ〜ンと神様が現れて、

 「私が、女性に変化するから、その女性と結婚しなさい

 と、親鸞に言ったらしい。

 この、ピロロ〜ンの話は、まさに、人には性欲など、
 そんな、やめられない悪業カルマ)があるって事さぁ〜

 そこんところを自覚し、人として生きてる間は、
 出来るだけ、他に良い事恩返し)をしよう、善業を積みましょう。
 これが、釈迦一元論でもある。

 また、癒されたいなど恋愛というのは、
 いつも、そばにいて欲しいとか、自分に関心を持って欲しいとか、
 これらは、男としての、女としての、
 プライド我執)を満たしたいというの動きでもある。

 理想の相手と言えば、お金持ち、カッコイイ、
 綺麗、優しいなどあるかと思うが、これらは、
 裏を返せば、これもプライドを満たしたいというの動きだ。

 プライドの裏は屈辱で、屈辱と言えば波羅蜜だ。

 善業積みに限らず、座席を譲ったり、他に気を使ったり、
 良い事をすると、良い事が返るのではなく、先ず悪い事カルマ)が返る。
 この苦に耐えると、悪業が落ち、善業が出る。

 経験的に実感し、何となく分かると思うが、
 正しい事を行う、ということは苦しい事でもある。

    
 『不都合な真実』で有名な、アル・ゴア元アメリカ副大統領の、
 地球温暖化問題に取り組む姿が良い例だと思う。

 誰もが、ちっぽけな人間の行動が、
 地球環境インパクトを与えてるなんて、思ってなかったからね。
 自分と地球にも苦楽表裏一体関係性縁起)があるのさぁ〜

 アトピーなど食事療法で、
 「治った!!」なんて聞く、病気が巷には沢山あるが、
 そんな自然を破壊したカルマ(悪業)かもね?

 だから、日月神示には身土不二と言って、
 その季節、その土地とれた物を食事とする御霊磨きがある。

 しかし、意識的苦しい方を選ぶと、
 無意識意識の裏の意味が積み重なる。

 苦しい方を選ぶの裏は、楽な方を選ぶだ。

 現実は、無意識方向に変化する無常なので、
 やがて、無意識で楽な方を選ぶ事が出来る。

 だから、この世の仕組みを知り、
 六波羅蜜恩返し)など、人として生まれ、正しい事を行うと、
 ひゅっこり理想の相手が現れたりするが、
 こっちの事は、そっちのけで、
 そのくせ、他の異性とは、いちゃいちゃ〜
 なぁ〜んてな屈辱悪業)を先に受けるが、
 偶然、そうなってる訳じゃなく、恩返しなど善業を積むが為に、
 に従い、相手が、その様に動いてるだけである。
 そんな苦に耐えると、悪業が落ち、善業が現れる。

 善業を積むと、そんな屈辱を受ける場合もあるが、
 これは裏を返すと、他に愛されるという事は、
 どれだけ、自分の支えに成るかというのが分かるかと思う。

 内観という修行があるが、これは、して貰った事を思い出す修行だ。
 とはいうものの「自分は、何も、してもらってない!!」と来るの普通だ。
 これは裏を返すと、他の支えなく、自分で生きてきたなどのがある。
 慢心卑屈はセットだから、愛されなくなっても不思議ではない。

 1+1=∞だか、ライトワーカーだか、
 アセンションの鍵は結婚にあった!
 自分を愛してないから、愛してくれない、認めてくれない。

 じゃ〜、ないからね。 

 であるならば、支え返すのが正しい生き方となる。

 といっても最初は難しいので、他の幸せの為に祈ったりと、
 自分が積んだ功徳を他にまわす回向が良いかもしれない。

 鏡の法則って本だったかなぁ〜、

 夫婦関係が悪かったんだけど、
 あるとき、夫に支えられている事を思い出し、
 夫に感謝回向)するようになったら、
 夫婦関係が戻った。なんてあったね。

 現代人ってのは、親、夫、妻などに対して、
 あれして欲しい、これして欲しいと、他に対する要求(貪り)が多い。
 貪りには怒り嫌いな人)と無智が付いてくるが、
 裏を返すと、それだけ大勢の人が要求に答えてくれ、
 自分が支えられて生きているって事でもある。 

 この世は相対(縁起)だでェ〜、楽の裏に苦ありだから、
 先に楽しめば、後に大損したり、破産するなど、
 苦しんで人生を終え、この世に執着を残す事になるが、
 この逆もありで、先に苦しむと、後に楽が残る事になる。

 六波羅蜜は、先に快楽を味わうのではなく、
 屈辱を味わってるのが味噌だ。膨大な功徳によって、
 後に、したい事を行い切り、思い残しや、
 後悔をしない人生を送れる可能性がある。

 だから、仏典の「三明経 第一章」には、
 梵天が、妻を持たないように、妻を持たないか。そんな記載がある。

 思い残す事が無いなんてェ〜のは、ある意味、煩悩滅尽だ。

 煩悩(欲)がないので悩みもない。
 この世に対する執着ないので、もう、この世に生まれない。

 人ってのは思い残しなど、
 この世に、やりのこした執着があるから、
 また、この世に生れ、死んだところから始まってんだ。

 プライドと言えば、人にはお金持ちに成りたいなど、
 他より幸せに成りたいというプライドがある。

 これも、六波羅蜜を行うと、他より収入が少なくなったりと、
 屈辱を味わうが、偶然、そうなってる訳じゃなく、
 善業を積むが為に、に従い、そんな悪業を受けているだけだ。

 プライド自分に対する愛着)といえば、
 地位、名誉があるが、これも同じく良い事(善業)をするが為に、
 誰も評価してくれないなどの屈辱悪業)を先に受ける。

 はっきり申し上げて、不苦不楽なんて、人としてつまんないと思います。

 なんて言われたり、意識がどうのこうの言うアホがいるなど、
 評価されるどころか、逆に屈辱を味わったりる。

 意識無意識の関係で解くと、信仰するが為に、
 無意識意識の裏の意味である疑念反発)が積み重なってる。

 潜在に眠ってる間は、そんな自分の無意識部分を他人が演じるので、
 そんな反発も受け、そうかと思えば悪業隠したものが)が生起し、
 ここの論理をパクって、セミナー等で使用し、ライバルに先を越され、
 のほほぉ〜んと、自分よか幸せに暮らしてたりと屈辱嫉妬)を受ける。

 一神教(信仰)の裏に多神教(反発)ありなんだ。

 我こそが、世界の王使命を授かった絶対者なりィ〜

 と言うわりには、次から次へと、同じ事を言う奴が増え、
 宗教団体、スピリチュアル団体、セミナーや、成功本が増え、
 そんな奴に救われるどころか、足元()、掬われてんのは、この為で、
 そんな屈辱に囚われると、最善 vs 最善 の宗教戦争になる。

 最初は、分からないんだけど、苦しみ切って、

 あぁ〜、これが屈辱かぁ〜 と、分かるって感じ。

 屈辱を受けるが、それもに従って、
 相手や環境が動いてると分かれば、しめたもので、
 もっと、もっと、なんて不満ではなく、
 現状(あるがまま)を受け容れる事ができ(足るを知る)、
 そんな悪人も法に導いてくれた神仏の現れと見る事が出来る。

 全てを神仏の現れと見る、

 観音菩薩カルマ・ヨーガですねェ〜

 一厘の仕組に、気付いた者が、九分九厘を拒むと、一厘となり、
 九分九厘を認めると、十分となる。富士を悟らないと、鳴門に至れない

 逆に言うと、いきなり足るを知り、あるがままに、感謝、感謝。
 なんて出来る筈もなく、そんなも独立して存在しておらず、
 他との相互依存関係縁起して生起する。

 何処の何様と縁起してるかというと、そんな智慧です。

 智慧もないのに、1+1=∞の、
 アセンションの鍵は結婚にあった教の様に、

 この世は相対、相対!!
 苦を受け容れれば、漏れなく楽が付いてくる!!

 なんてやっても、
 それは苦を受け容れようとしてるだけで、
 かえって無意識に苦しみが積み重なり、
 現実は無意識方向に変化する無常なので、
 同じ苦しみを何度も繰り返す事になる。

 貪りと反対の動きである慈悲(分ち合い、恩返し)の実践があって、
 初めて自他の区別を外した智慧一元の境地)が生起し、
 全てに感謝できるってこと。ある意味、涅槃の境地でもある。

 裏を返すと、慈悲慈愛も独立して存在しておらず、
 冒頭で述べた通り、自分と他人は苦楽表裏一体関係があるなど、
 そんな自他の区別を外した智慧に依存して生起する。
 だから、智慧も無いのに慈悲慈愛)もクソもないんだよ。

 慈悲菩提心を示し、
 これは、そんな智慧が生じると同時に縁起して、
 他の苦しみを取り、他を利するが生起する事を示す。

 よって、小乗から大乗へと、次に段階に進む事になる。

 論点 化身とは何か

 如実知見八正道の正見)を得て、
 囚われず、貪らなければ、別の身体が生じるようになる。
 つまり、今まで自我に囚われていた故に、
 無視されていた視点や視野が開かれるようになる
 新たに生じた視点や視野にも囚われず、
 そのまま小乗の解脱に至るか、
 新たに生じた視点や視野をも吟味し、
 大乗の解脱に至るかの、選択に修行者は迫られる。

 六波羅蜜六 ... 般若波羅蜜
 般若とはパンニャーの音写であり、"智慧"という意味である。
 一元の世界から再び二元の世界に降りてきて認識を再開する。
 自我という特異点から解放され、
 三昧という主客不分離の視点を得た認識活動は、
 相手の立場に立つこと、様々な条件を直視することを可能とし、
 菩薩は、利他を通じて、あらゆる条件を吟味し、智慧を磨くことになる

 アセンションなんて次元上昇ものが流行ってるが、
 涅槃の世界も独立して存在してる訳じゃなく、
 この欲界と相互依存関係で縁起して存在している。

 だから、涅槃の世界に行ったきりではなく、また欲界に戻って来る。

 天上 の先に 天下
 コウゾウ 天下人とは、どういうものを、現わすのかね?
 ゲンドウ 一元を修めて、二元に返り、世を治めるものだ。
 コウゾウ 道を修めた後に、世を治める者が、本物かね?
 ゲンドウ ああ、それ以外の者は、すべて天を騙る偽物だ。

 この苦界智慧を持って観れば、ここが天国だったって奴だ。

 屈辱と言えば、こんなに他の為に尽くしてるのにィ〜

 なんてねェ〜、善業を積んでる割には、
 一向に良くなる兆候がなく、そんな事を言いたくなる局面も、
 功徳積みには付き物だが、これも善業を積んでるが為に、
 神から屈辱試練)を受けていると言える。

 そんな嫌われ役は、がないと出来ないからにしか出来ない。

 ヴィルーパ (Virupa)
 彼は、デーヴァパーラ王の領国に生まれた。
 そして、ソーマプリーという僧院に出家して、
 ヴァジラヴァーラーヒーの、真言を唱えていた。
 (善業積み)
 十二年の時を掛けて、一千万回を唱えたが、
 唯の夢にも、成就の前兆が現れなかったため、
 (信じていたものに裏切られる屈辱
 彼は絶望し切って、数珠を投げ捨てようとした。

 人は宗教や霊視、占いなどスピリチュアルはもとより
 教祖、会社、家族、お金、名誉、地位、信念、経験、
 ノストラダムスの予言に、最近ではアセンションとか、
 何かしら、それを良かれと思い信仰している動物であり、
 何かしら信仰してないと生きていけないのが人って奴だ。

 良かれと思って、それを行っているので(善業積み)
 当然、六波羅蜜プロセスに入り、忍辱波羅蜜に遭遇する。

 信じていたものに裏切られる屈辱を経験するが囚われな事だ。

 あのイエスでさえ、十字架に張り付けになったとき、
 「主よ、どうして、私を裏見捨てたんですか?」と言っているし、
 イエスの一番弟子、ペテロでさえ、最後にイエス裏切る

 ただし、13番目の弟子であるユダは、
 「ユダの福音書」で解かれてるように、
 イエスの命令で、イエスを裏切ったんだ。

 つまり、信仰には、そんな屈辱の段がある。
 そんな真理)をで現わしてくれたと言える。

 信じていたものに裏切られる屈辱と言えば、

 ヒトラーの予言

 人間はイエス・キリストヤハウェに頼るようになる。
 しかし、イエス救世主など、そんなものは来ない。
 私ははっきり言うが、そんな『救世主』は、本当に来ないのだ!

 当たってるかもね!
 
 良かれと思って、それを信じるという意味では、
 恋愛夫婦関係人間関係)なんかも、
 まさに互いを信じ合う、信頼で成立してるから、
 もしかしたら、信じてたものに裏切られる段が、
 あるかもしれないが、に従って、そうなってるだけで、
 そんな悪業に耐えると悪業が落ち、善業が出るんで、
 囚われない事が長続きのコツかもね。

 ただし、1+1=∞の、
 アセンションの秘密は結婚にあった教の様に、
 何でもかんでも受け容れれば良いってもんじゃない。
 それは、楽したいが為に無思考になってるだけ。

 そんなのは観音菩薩カルマ・ヨーガでも反省でもない。

 教祖(リーダー)が変な方向に走ったら、
 そりゃ〜、指摘しないと行けない。
 基本的に悪業疑念)の投影だからね。
 
 戒律も、時と場合により、破る事が善業となる。
 (功徳を積むと、そんな試練もある)

 意識無意識の関係で言えば、
 指摘するなど、他の為にと、心をにし、
 意識的に嫌われ役をすると、無意識に裏の意味が積み重なる。

 嫌われ役の裏は好かれるだ。

 現実は無意識方向に変化する無常なので、後に好かれる。

 だだし、これもやり過ぎは注意だ!!

 そんな強固な姿勢が、かえって、
 他の怒りを買い、殺害されてしまったのがイエスでもある。

 裏を返せば、好かれたいが為に、
 嘘でもなんでもよいからと、他を喜ばせ、
 他に笑顔を振りまくと、かえって嫌われていく。
 芸能人なんか、ありがちだよね。

 屈辱と言えば、
 自分を騙した奴が、自分よか幸せになって行く。
 そんな屈辱もある。

 まさに、我が神を疑いたくなるが、囚われない事だ。

 を解くと言えば日月神示の、

 出口 王仁三郎こと、出口のサブちゃんだ。
 誰もが、宗教は良いものと、それを行っているから、
 教祖に裏切られる屈辱をもって示したのかもしれない。

 信仰には、そんな屈辱の段があるが、
 それでも、与えられる人は、与えられないのに、なおも与えるので、
 それは、エゴを超えた見返りを求めない布施となり、
 その果報は自分だけでなく、のある人も幸せにする。

 自分と他人は相互依存関係で繋がっているからね。

 自分が苦しみを乗り越えれば、他も乗り越える事が出来る。
 という意味では、人は生きているだけで役(功徳)に立ってるかもね。

 石の上にも三年というが、
 カルマが落ちるのは、3日、3ヶ月、3年、掛かると言われており、

 善業悪業から、
 善業悪業の状態になる時期を予測するのが、
 細木の六星占術じゃなくて、
 インド占星学四柱推命という学問らしく、
 人ってのは、長生きすれば良くなる仕組みになってるらしい
 ただし、良くなる時期に、良くなる原因となる善業がなきゃ〜
 そりゃ〜、良くなる訳がない。功徳がある事が条件となる。

 この世(宇宙)は、原因結果条件で成り立っている。

 例えば、
 種(原因)が花(結果)と成るには、を与える事が条件となる。

 逆に、天中殺など、悪い時期に、
 悪い事が起こる原因となる悪業がなきゃ〜、悪い事が起きようがない。

 最近では、
 クリスタル水晶アセンション・ペンダントが流行っているが、
 これらは、ある一定量を持つことにより、
 悪業を生起しにくくする効果があると言われている。

 だからと言って、悪業が無くなった訳ではないが、
 悪業を生起しにくくし、その間に、それだけの善業を積み、
 悪業相殺させたりするらしい。

 クリスタルや水晶を善業を積む手段として使用してるのが特徴で、
 開運グッツとして利用すると、があれば、それは、まちがいなく、
 として引っ張り出して来るが、次は自動的に、
 として引っ張り出して来るので、お疲れ様となる。
 開運グッツの裏に悪運ゲッツありだ。気を付けてね!! 
 
 何故、フリー・エネルギーを持つ、
 今よか、知的技術力のある、古代文明が滅んだのか?

 簡単だよ!、自利の為に利用したからさぁ〜

 また、座席を譲ったり、他に気を使ったり、
 お客様の為、会社の為、家族の為、子供の為にと、
 人は誰もが良いと思った事をしている。

 これは、誰もが知らず知らず善業を積んでおり、
 自動的に六波羅蜜プロセスを歩んでるとも言える。
 よって、先に述べた屈辱を先に受けるかと思うが、

  囚われない事だ。

 プライドなんて満たした覚えがないのに、
 プライドの裏の屈辱ばかり味わっている。

 そんなときは、このプロセスを歩んでるって事だ。 

 六波羅蜜プロセス
 [1]:布施波羅蜜(善業を増していくこと)
 [2]:持戒波羅蜜(悪業を増やさないこと)
 [3]:忍辱波羅蜜(悪業を減らしていく)
 [4]:精進波羅蜜(善業増大、悪業減少)
 [5]:禅定波羅蜜(念を重ねること)
 [6]:般若波羅蜜(実相を見極める智慧を得ること)

 良い事をすれば良い事が返るのではなく、
 先ず悪い事カルマが返る)が起こる。
 この苦に耐えると悪業が落ち、善業が現れる。

 [1]:布施波羅蜜(善業を増していくこと)は、
 さっきも言った通り、会社の為、家族の為、子供の為、
 または信仰心を持ったり、人は何かしら良い事を行っている。

 [2]:持戒波羅蜜(悪業を増やさないこと)は、
 専門用語で言えば、不盗、不殺、不淫、不妄、不飲だが、
 簡単に言うと、悪い行いをしない善業積みであり、
 これも、他に迷惑が掛からないようにとか、
 人は何かしら、悪い事をしないようにと気を使っている。

 なので、日常的局面で、
 自動的に、[3]:忍辱波羅蜜(悪業を減らしていく)に進むので、
 囚われない事だ。この苦に耐えると悪業が落ち、善業が出る。
 
 [1]意識的に、善を蓄積するようにする
 [2]無意識に、悪を意識するようになる
 [3]過去の悪業を、見とめるようになる
 [4]過去の悪業が、噴き出すようになる
 [5]苦しみに耐えないと、悪業が落ちず
 [6]苦しみに耐えるとき、悪業が落ちる
 [7]善が増え、悪が減り、善と悪が並ぶ
 [8]善と悪を越えた、空の器になる

 巷には、1日15分とか、一発で奇跡が起きるとか、
 100%自己実現とか、貪りを満足させてくれる、
 願望実現方法が沢山あるが、これらは、なんだかんだと、
 慈悲(分ち合い)の実践がなく智慧が生じないので、
 に従い、そんな目に遭ってる事が分からず、無智無明に嵌り、
 あるがままに感謝するどころか、不満しか生まないって事でもある。

さて、以上で、おさらいは終わりなのでが、
与えるもは与えられるからさぁ〜、と
当時、だかでMLMネズミ講)に参加したが、
MLM(ネズミ講)と言っても、その方法、特殊なものに変え、
そのやり方、その方針は、とても利他的だったんだ。

これわぁ〜、良いかも?

と、思い参加したが、1ヶ月もしないうちに、
方針は変わり、そのやり方は、従来からあるものに変わり、

それは、皆さんが知っての通りのビジネスで、
たとえ、それで儲けても、心の底から、喜べるものではない。

あんなに参加を勧めて置いて、方針が変わったとたん!!

やめたかったら、やめても良いです。僕には、なんら支障もないから。

なんて、1年契約を勧めておいて、これだ。

何か質問しても、

もぉ〜、グループが別だから、そっちに聞いてみてわ?

なんて言われるが、どこに飛ばされたのかも、さっぱりでさぁ〜

どうも、すっかり、仲間外れにされたようで、
これでも、そんなMLMネズミ講)に手を出す前の一年間は、
一緒にを学んでいた仲間だったんだけどね。

何が言いたいかというと、そもそもの始まりは、

このMLMネズミ講)ではあるが、その方針は利他的で良いかも?

と思ったのが始まりなんだ。その利他的な思い、思考は善業積みとなる。

当然、信じていたものに裏切られる屈辱を体験する事になる。

まさに、そこの教祖や仲間達、全員に裏切られたって奴なんだ。

この苦に耐えると悪業が落ち、善業が現れるが、
そんな智慧は、当時、自分にはなかったし、
そこでも、与えるものは、与えられる、と、
世間一般で言われてる事しか知らんしね。

そんな、智慧があれば、俺様は、ここまで苦しんでなかっただろうと思う。

がしかし、ここで、苦しまず、
そんな5次元夫婦の教祖に救われてしまっていたら、
ここまでは解けなかっただろうとも思う。

今生、「縁起の法」以上の法は出ないなんて言われているしねェ〜

だから、よく、
ミ○スで変わったとか、ミ○スで救われた。
ロロロで変わった、ロロロで救われた。
なんて、聞くけど、

そこで救われて本当に良かったのか?

なんて思うね。

いまでは、そんな智慧もって、
そんな人も多少は、許せるが、
許しただけで、その生き方を認めた訳ではない。

聖書「十九章 第二門」、

彼らは、イエスに、このように尋ねた。

「では、モーセが離縁命じたのは、何故ですか。」

イエスは、彼らに、このように答えた。

「モーセは、離縁許しただけである。
はじめから、離縁命じたわけではない。
頑迷なあなたがたに、はっきり言っておく。
不法な結婚でないにもかかわらず、妻と別れ、
他の女と結婚する者は、姦通のを犯している。」

「論点」 離縁 の 意義

神は、普遍に合せようとする。
人は、特殊に合わせようとする。
都合が悪くなると、人は離縁する。

今まででを振り返ると、
この団体は、非常に、あのオーム真理教に似ている。

なぜ、この様に、第二、第三のオーム真理教の様な教団が生まれるかと言えば、
人は絶対者に成りたいという願望があるからなんだ。

最初は、それを親に求める。

親は教育費を払って当たり前!、なんてね。

そんな感じで、親に絶対性を求めるんだけど、
この世の、あらゆるものは実体がないなので、
親と言えども限界があり、子の要求に答えられない時もある。

親だけではなく、会社や社会もまた、実体のないなので、
常に、自分の要求を満たしてくれるとは限らない。
好きな事をすれば、嫌い事をしなくてはならい時もあるし、
願いが叶うときもあれば、叶わないときもある。

ここに目を付けたのが、そんな宗教で、

君達の親や、社会が何をしてくれたか?
今までの、成功方法が、何をしてくれた?
我こそが、絶対なのじゃ〜、
我こそがアセンションの鍵を握ってるのじゃ〜
結婚しないと、アセンションできません。


なんてね。

根本原因を絶たなきゃ〜、
そんな感じで、第二、第三のオーム真理教が生まれちゃ〜
救われるどころか、足元、掬われる人が増えるだけなんだ。

人には、良い面も、悪い面(汚れ)もあるが、
どんな悪人であれ、自分を犠牲にして、他を思う菩提心が一瞬でも生起する。

この様に、全てを仏の現れと見れれば、
俺達の勝ちだが、そうでなければ、
神から使命をさずかった者が、そうでない者を救う。
なんて言う、善悪二元論に落ちた、
既存宗教や既存スピリチュアルの連中の勝ちだ。

因みに、そんなすんばら人も、他と独立して生起してるかと言えば、
そうではなく、そんな人を生んだのは、お父さん、お母さんであり、
そんな、お父さん、お母さんを生んだのは、おじいちゃん、おばあちゃんであり、
と、無限に増え、最後はアダムとイブまで行ってしまうが、
良く、冷静になって考えると、自分の手柄は、自分だけで手に入れたものではなく、

自分だけの物というものはない。


容姿が良い人が居たとしよう。
大抵、自慢したがるが、これも、そんな容姿の良い人を生んだのは、
お父さん、お母さんであり、そんな、お父さん、お母さんを生んだのは、
おじいちゃん、おばあちゃんであり、無限に増え
その中には、好きな人も、嫌いな人もいるし、最後はアダムとイブだ。

突き詰めると、救うのではなく、全ての人に感謝という事になる。

アセンションの鍵は結婚にあった。一日で理想の相手に出逢える。
なんて言うが、自分だけの力だけで、
そんな相手と出会えたのか?、または出逢えるのか?
そんな自分を生んだのはぁ〜、お父さん、お母さんでぇ〜
そんな理想の相手を生んだのはぁ〜、と内観してみるのも良いだろう。

まぁ〜、裏を返せば、自分だけの力だけで、願いは叶わないって事でもある。
であるならば、普段から、他の幸せを祈ったりと、
積んだ功徳を、他に回向し、普段から功徳積みの恩返しをするのが、
正しい生き方となる。これが釈迦一元論だ。

次元上昇、してんじゃ〜

ないからね!!

この、自分だけで、なし得たものは何一つ無い。
というのは、仏教、唯識派依他起性という教えだ。

そんな自己実現楽しみ)も自分だけの力で得たものではない。

その逆もあって苦しみも同じなんだ。

苦しみと言えば、
学歴がないとか、貧しいとか、病気だとか、沢山あるが、

それらは、自分だけ苦しみなのか?

と言えば、そうではなく、
同じ苦しみを持ってる人が、実に沢山いるんだ。

大抵、皆が「お金が無い」なんて不満を言ってさぁ〜、貧しいよね。

であるならば、そんな貧しさを克服して、
お金持ちになる事は、同じ苦しみを持つ者(全体)にとって、
その手段智慧は、参考になり、励みになるよねェ〜

であるならば、お金持ちになる事は人の為となり、
お金持ちに成りたいという貪り貪りではなく功徳になるんだ。

おっとっと、正しいやり方で、お金持ちになるのは功徳になるだ。

冒頭で、智慧を持ってするれば、
煩悩悪業ではなく、功徳になると言ったの、覚えているかなぁ〜?

これが、分かってくると、
他人と比較し、卑屈や嫉妬を感じ、他に憎悪してたのが、
今度は逆に「自分もそう成りたい」と他を称賛するようになるんだ。

他人の幸せを喜べる様になると言ってもいいかな。

仏教って、面白いでしょう。

やぁ〜、テレサじゃないよん!

レイとアスカを例にした唯識論を思い出して欲しいのだが、

このニセ尼さん、
つまらない「賛美歌」をロック風にアレンジ。
これが、かえって当たり、なにげに修道院から漏れだす、
賛美歌・Remixを聴いて、ヤンキー達(若者)が、
廃墟と化した教会に戻ってくる。

今日は、そんな映画のワン・シーンから唯識論を解く。

これは、この映画(天使にラブソング)の中で、
俺様の、一番、好きなシーンでもある。

法施も、こうでなくっちゃなぁ〜

この賛美歌を聴いて、

これ、いいんでなぁ〜〜い。

と感じた人もいるかと思うが、
それは、外にある賛美歌に幸せがあるのではなく、
自分をとし、外の賛美歌となり、
結果、自分の仏性(神様的部分)が引き出され、

これ、いいんでなぁ〜〜い。

と幸せを感じているんだ。
外に幸せがあるのではなく、内にあるんだ。

これは、見方を変えると、全ての人に仏性があるとも言える。

もし、仮に、外に幸せがあるのであれば、それは奪い合いとなる。

まぁ〜、音楽はコピーが効くから、そうでもないかもしれないけど。

これは、そんな賛美歌を、
いいんでない」と感じた瞬間、神と合一してるって事なんだ。

合一しようとしなくても、合一していたってこと。

見たり、聞いたりして、感じるものは自分の内にあるもで、

全てと、合一してるって事なんだ。

だから多分、
他人の幸せを見て「いいんでない」と感じたら、
それは、外の他人に幸せがある訳ではなく、
自分をとし、外の他人がとなり、
結果、自分の潜在に眠る善業が引き出され、

いいなぁ〜

と感じているって事だ。

つまり、そんな他人は努力すれば、
そうなるという未来の自分の姿って事だ。

功徳を積むなど、正しい事をするって事は、
苦しい事だからねェ〜、努力がないと出来ない。

そんな感じで、自他の区別が外れ、
世界中の幸せを喜べるのであれば、
それは、全て、手に入るって事でもある。

称賛すれば、そりゃ〜、称賛されるからね。

自他の区別があると、嫉妬や妬みに繋がるけど、
リーマン・ブラザーズが破綻し、世界中が不況に突入した。

これは、縁起の法、そのもので、
全ては相互依存関係にあるから、
一つがダメになると、皆がダメになる。

しかし、その逆もありで、
誰かが、この不況を克服すれば、
それは、全てが復活するって事でもある。

功徳を積んで、そんな天命を貪りたいところだねェ〜

今までは、セミナーなんかに行ってさっぁ〜
他より優位になる事を喜びとしたが、
これは、他を傷つけない事には味わえない喜びなので、
やがて、他を傷つけたカルマ(悪業)が返り、傷つく事になる。

一方、他の幸せを喜べる人は、誰も傷つかない

唯識論依他起性という教えがある。

ここに、容姿が良い人がいたとしよう。
普通、自慢したがるが、そんな容姿が良い人を生んだのは、
お父さん、お母さんであり、それは生んだのは、
おじいちゃん、おばあちゃん、であり、それを生んだのはぁ〜
と永遠に続くが、これは、
自分の力だけで得たものは、何も無いって事なんだ。

功徳を積むったって、自分だけの力じゃ〜できない。

こんな風に、自他の区別を外す方向で、カルマの法則を使いこなす。

これは、他人の幸せはには、
自分も少なからず関わっているって事でもある。

他人の利益は、自分の利益でもあるからねェ〜

俺様はサッカーファンではないが、
日本代表となると、ついつい、一緒に喜ぶし、
キリスト教ではないけど、
クリスマスは、一緒になって喜んだりするよね。

これで、いいのかもね!!

恐らく、これも、自分の持つ仏性善業)が引き出され、
他の喜びを、己の喜びとしているかもしれない。

善業とは、自他の区別が外れた事を示すからねェ〜

他人より優位になる事を喜びとするか、
それとも、他の幸せを喜びとするか、
常に自分に問う必要があるかもね?

そんな自他の区別を外す智慧の修行が六波羅蜜でもある。

ミ○スなど、今までやって来たのは、
他よりも優位になる事で喜びを感じるやり方だ。

これは、他を不幸にしないと、幸せになれないし、
そんな他を傷つけたカルマ(悪業)は返ってきて、大不幸に成るだけだ。

一方、他の幸せを喜びとする人は、
誰も傷つかないどころか、
他を称賛しているので、自分も称賛される。

ミ○スでは、感謝するんだったら、自分にも感謝って言うが、
そうじゃなく、他の幸せを喜べるか、なんだ。

他人の成功は、自分の成功だからねェ〜

ミ○スでは、このアカデミーの成功は、あなたの成功ぉおおお!!
なんつって、恩返しどころか、金もって来いと、依他起性の逆をやってけどね。
少なくとも、自分から、そんな事を言うものではない。

まぁ〜、もともと、ネズミ講集団だから、
テンション上げない事には、自分を騙せないし、人も騙せないからねェ〜

ここ最近、三国志をテーマにした映画「レッド・クリフ」が流行ってるが、
この三国志は、幕末と非常に良く似ているんだよね。
その辺、個人的に興味深いところなんだけど、

三国志の、劉備玄徳、関羽雲長、張飛翼徳、そして諸葛孔明は、
何を望んでいたかと言うと、朝廷を倒すんじゃなくて、朝廷の復活なんだ。

倒すと、倒されるからねェ〜

そういう意味じゃ〜、幕末も、同じ事をやったねェ〜

もしかしたら、三国志は、まだ続いてるのかもね。

依他起性で言うと、法施なんかして、
他の人や、他の団体や、他の宗教が、参考にし、
その人の持つ菩提心や仏性が生起(復活)したり、
成功するれば、それは、それで、自分の成功(利益)に成るって事である。

自分の団体を、大きくするとか、しないとか、関係なくなって来たねェ〜

リーマン・ブラザーズが破綻し、世界中がダメになったよね。
これは、お互い相互依存関係で存在しているから、
たった一社がダメになると、皆がダメになるって事だ。

しかし、その逆もありで、
この不況を克服し、誰か一人でも復活するれば、
また、世界中の誰もが復活するって事なんだ。

だから、他人の成功は、自分の成功であり、それは喜ばしい事でもある。

功徳を積んだら、そんな天命が与えられたりしてね。

このHPが、同じ苦しみを持つ人にとって、参考になれば幸いです。

では、出口の型に戻ります。


ここのHPに来て、このHPを読んだ人は、
既に、
仏典神話聖書ヨーガ経典の意味が、
読み取れるようになっていると思う。

それは、
釈迦牟尼、観音菩薩、弥勒菩薩、文殊菩薩
阿修羅、千手観音、、イエス・キリストなど、
神々との、
が深まったという事でもある。

が深まると、
ちょうど、自分が休暇のとき、
偶然にも、阿修羅典が開かれていたり、
たまたま、7年に一度の御開帳があったりするんだ。

先駆者が残した
智慧を、

あぁ〜、そういう事かぁ〜

と、読み取れる様になるというのが、
このHPの狙いでもあるのだが、
この
喜びは、巷にあるどんな奇跡よりも、素晴らしいものなんだ。

これは、一瞬にして
膨大な功徳を積める方法なんだ。

そこいらの、HPやBLOG、巷のセミナーと、
一緒にしてもらっちゃ〜、
困るぜェ〜

今まで、
ミ○スなどで行っていたの喜びは、
他よりも優位になる事への
喜びだが、
これは、他を称賛し、他を尊重し、
他の幸せを喜んでる事に注目して欲しい。

意識的に、他を称賛し、他の幸せを喜ぶので、
意識の裏の意味が無意識に積み重なる。

他の称賛の裏は、自分の称賛だ。

現実は
無意識方向に変化する無常なので、
後に
称賛されたりしてね!!

他よりも優位になる事を喜びとするか?
それとも、他の幸せそ喜びとするか?
常に自分に問う必要がある。

前者は、他人を不幸にするしかなく、
そんな
カルマが返り、お疲れ様となるが、
後者は、誰も傷つかない。

そんな、自他の区別を外した、
智慧の修行が「六波羅蜜」であり、
そんな
称賛に値する古代の叡智仏典」を、
現代に合わせて読み易く紹介してます。

まだまだ、自分には、分からないものもありますが。。。

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功徳積みに限らず、座席を譲ったり、相手に気を使ったり
良い事をすると、良い事が返るのではなく、先ず悪い事が起きます。
この苦に耐えると悪業が落ち善業が表に現れるのが、
この世の仕組みですので、法施クリック無理せず、
法(真理)を実践し、良い事が起きてから、その喜びを分ち合う、
慈悲()の意味でも、それからでも遅くないと思います。

意識的法施で横に広げ、外に伝えると、
無意識意識の裏の意味が積み重なる。の裏はだ。
現実は無意識方向に変化する無常なので、やがでに極まる。
また、法施という形で、意識的必要以上の余暇をとらず、
あなたの貴重な時間(余暇)を、他の為に与えたので、
やがで、必要以上の余裕が与えられ、さらに才を磨く事が出来る。
法施する事で、無限の功徳を互いに相生させながら循環させます。

小さなを積んでいくと、大きなを積めるようになる。
とは、サットヴァそのものである。
は、サットヴァを越えたものである。
サットヴァな世界には、天命が現われる。
求めてない者が、与えられる事もなければ、
他に与えない者が、与えられる事もない。

どんなに小さな事(くだらなないと思われる事でもであれ、
意識的に、自分が良いと思ってした事は、
無意識に、意識の裏の意味が積み重なる。

小さいの裏は大きいだ。

現実は無意識方向に変化する無常なので、
やがて、大きなを積む事が出来る様になる。

小さなアセンション
も宜しくね!!