@ 市街のシュタイナー学校(前編)

 私はミュンヘンの市街、郊外の2つのシュタイナー学校を訪問したが、年に1〜2組の日本人がくること、それをあまり歓迎せず、事務的に処理しようとしているところが共通していた。
 日本へ帰って情報を集めてみると、物見遊山的な人ばかりで、表面的なものだけ見て帰ってしまう日本人に、どのシュタイナー学校もうんざりしているようだ。無論、私も初めはそんなひとりと思われていた……。

 午前中、ミュンヘンの王宮の端が見えないほどの広大な庭で遊んだ我々は、午後1時、市街のシュタイナー学校へ入って行った。
 「僕のことは、ただの通訳マシンと思ってください。」
 辻君の方が私より緊張している。
 ロビーは鋭角をきらうこの学校らしく8角形になっていた。もう放課後だが、まだ何人も生徒は歩いており、入り口から見える校庭でも数人遊んでいる。
 「校庭の向こうに金網のフェンスが見えますが、その向こうが今僕のいる大学、ミュンヘン大学の学食ですよ」

 ドキッ!とした。もう20数年前、初めてシュタイナー学校の名を日本に広めた本「ミュンヘンの小学生」の中で、シュタイナー学校の小学生がフェンスを越えて学食へ入り、生タマゴを投げ合って遊ぶうち、学生にぶつけてしまうシーンを思い出したのだ。ここがその場所かもしれない…。
 案内人のロイヒテンベルガー先生があたふたとやって来たのでそのことを訊くと、
 「そのとおり。フミ・コヤスはここに通っていたんだ。」
 なんだかうれしくなってしまった……。

 60がらみで体格のいい先生は、忙しそうに教室の案内を始めた。
 まず、あずかりクラス。両親が働いていて家にいない子は、この部屋で昼食を食べ、遊んだり勉強したりして午後を過ごす。
 中には1年生くらいの女の子が2人おり、ひとりがイスに坐ってお絵かきをし、もうひとりが後ろから抱きつくように覗きこんでいる。2人共こちらを見て、ニッコリする。
 どーして外国の子供って、あんなにかわいいのだろう。天使に見えてしまう。
 食事するテーブルの上には、オタマなどがいっぱいぶら下がっている。じっと見た辻君が、
 「このテーブル…列車の食堂のものでは?」
 「そうだ。生徒の親が解体現場からタダでもらってきたので、取り付けたんだ。」

 ドイツの学校の90%以上は公立であり、シュタイナー学校は数少ない私立で、政府の援助は少なく、基本的に貧乏だ。このテーブルのように、親と教師が助け・支えあわなくては、教育が成立しなくなる。
 日本にもシュタイナー学校を……という動きは何度もあったが(今もある)、その都度消えていった原因の一つが、この「支え合い」にある。それは前に書いた、障害者に「スイッ!」と手をかす精神でなくてはならない。またそれは、純粋に子供の教育を願うための行為でなくてはならない。
 どちらも今の日本では難しい。自分がいばりたいだけ、自分の虚栄心を満足させたいだけの人が必ずじゃまをする……。

 次に入ったのが木工室。4〜5人の男女中学生が作業している。放課後なのに?
 「この子達は授業中なまけていたので、完成させるまで帰さない、いつまでかかろうとも作れ!と言ってあるんだ。」
 へ〜。私がよくやらせることを、ここでもやらせるんだ。
 先生は道具の説明を始めたが、それより、この子達が作った作品を見たいと言うと、少し意外な顔をして案内してくれた。今までの日本人と少しちがうな〜とでも思っていたのだろう…。
 大きな部屋には、そこでも作業できるのだろう、作業台があり、色々な作品が置いてあった。
 切っただけ、削っただけの木っぱもある。
 「シュタイナー学校では小学2年生から木工が始まる。子供の成長にあわせて、切る、削るからゆっくりスタートしてゆくのです。」

 シュタイナー学校の木工の過程は知らなかったので感動してしまった。ただの切りくずから、次第に形を成してゆく作品…これは…子供の成長過程そのものではないか…!
 私は中2の子が作ったという、ボウガン(ウィリアムテルが持つ弓)を手に取り、眺めながら言った。
 「日本とは考え方が違う……。そして、木工に関しては、シュタイナー学校の方が正しいと思う。日本の小学生のほうが“立派な作品”を作るが、子供の成長という発想がなく…あるいは忘れ去られ、作品の成長はなく、中学生にこのボウガンは作れないでしょう…。」
さらに続けた。
 「この太い木に、弓をかけるための穴をノミで開けてある。一生懸命ノミを使った跡がある。すべて、ただの木の棒から作ったのでしょう。……日本なら、この穴はすでに開いているものを生徒に渡す。それどころか、全体の形もほぼできていて、へたしたら、生徒はただ組み立てるだけ……。それのどこに木があり、木工があるんでしょうね。今の日本の学校や塾は、すべての教科の授業がそうなってしまっている……。」
 辻君もロイヒテンベルガー先生も、私の言いたいことがわかってもらえたようで、笑っている。
 「でも、昔の日本は良かったんですよ。みんな貧乏で、おもちゃなどなかったから、どこかで家を作っていたら木っぱをもらって来て、自分で加工して、拾ったクギで打ち付けて、ピストルだ、飛行機だと遊んだものだ。自然に木工はできたもんなのですよ……。」

 「なに、ドイツだってちょっと前までそうだったよ、カワハラ。」

 シュタイナー学校の高校生の作品となると、もうほとんど芸術品だ。こぶし大の木を磨いて、炎のような形にした作品にはふるえが来てしまった。
 まるで人間の魂そのものに見え、熱い“ゆらめき”が噴き出しているように感じる。
 「こういうものを生徒に見せ、創造させることこそ教育でしょうね。私は日本で数学を教えていますが、私はこの作品と同じことを数学で表現できますよ、ロイヒテンベルガー先生!」

 私は何かうれしくなってしまい、つい大風呂敷を広げてしまった。
 「いや、うちの学校でも数学の立体が先行すると、木工のとき“それはもう数学でやった”なんて言う生徒もたまにいるよ……。」

 今思えば、このあたりからロイヒテンベルガー先生の私を見る目は変わっていたようだ。さっさと済ませようと言う雰囲気はなくなっており、私を信用し、初めて受け入れてくれたのだろう……。
   



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