D ブルク城の中学生

 翌日は10時から、旧市街の丘のてっぺんにあるブルク城跡へ行った。
 一般の客より、先生に連れられた小グループの小・中学生のほうが多い。
 「ちっ!さわがしい。まったく奴らときたら、どこにでも出てきやがる。」

 辻君はうっとうしそうにしたが、これはドイツ教育の最も良いものの1つだ。そもそも午前中しか授業がないのに、小・中学生はしょっちゅう見学に出かける。ミュンヘンでも、小学1年生ほどの子が5〜6人、ニコニコ出かけて行くのまで色々と見た。
 工場・農場・美術館・城・福祉現場etc。彼等はすべてに足を運ぶことにより、我町とその歴史を学ぶ。その次は隣町…。
 これは、その子が世の中とつながりのあることを教え、ひいては「観」を育てようとする、とても良い教育と思う。うまく行かない子も多いのだろうが、卒業するとき、世の中にどのような仕事があり、どのように動いているのかを、少なくとも日本の生徒より数段良く知っているだろう。

 城の中でも道は曲がりくねりながら上がってゆく。道も建物もすべて石やレンガで出来ている。一番上の皇帝の部屋がある建物で、十数人ずつにまとめて有料ではあるが、その歴史などの説明をしてくれる。
 順番待ちで少し時間があるので、見張の塔へ行った。入り口のドアを開けると、せまい場所にこまごまとみやげ物があり、「まちがったかな?」と思ったら、奥にらせん階段があった。くるくると昇ると、見張り台はけっこう広く、一方に旧市街がすべて見える。おそらく数百年変わらぬながめだろう。
 他方は新市街が見れる。ふり向くだけで現代になってしまうのがおもしろい。

 そろそろかな?と、集合場所の中庭へ入ると中学生のグループも待っていた。モデルかなと思える大柄な美人教師のそばに7〜8人、少し離れたベンチに4人の生徒がいる。
 「教師のまわりにいるのが優等生。離れているのが落ちこぼれ。ドイツでは、はっきりわかるんです。」

 「さあどうぞ!」60位のタンテに呼ばれ中へ入ると、ひと部屋ごとに説明があり、辻君が通訳してくれる。
 どうやら双頭のワシが紋章のようで、あちこちに描いてある。昔のタンスは芸術品だ。寝室のベッドの上の天井には必ずキリストや天国の絵が描いてあるが、私なら落着かず、眠れないだろう。
 なっ、なんだ、この車ほどの大きさの鉄の塊は?ストーブらしい。昔はこれでも寒かったようだ。
 広〜い部屋には、ヨロイ、カブト、ヤリ、巨大な刃などが飾ってあり、歴史の話をしてくれる。
 話しの前に、割るガキが騒ぎ始めた。
 「チョット静かに〜」とやるのはタンテであり、引率の美人教師はニコニコと見ているだけで、何もしないし、一言も発しない。
 これはヨーロッパでは徹底されている。「しつけ」はその子の家庭、親の仕事・責任であり、教師には何の係わりもないのだ。おもしろい現場を見れた。

 「中学生が多いので、お子様向けに話してます。」と言うタンテの話しは迫真のものだった。
 戦闘のシーンなど、声に力と恐ろしさがみなぎり中学生は「こ、こわ〜。」時にはゲラゲラ笑う。
 まるでばあちゃんが孫に話しているようで、とても良かった。中学生に対する歴史は、これでいいのではないかとすら思えた。

 あと2つほどの部屋を抜けて外へ出ると、少し離れた小屋へ入る。直径3mほどの井戸があった。落ちると危険なので網が張ってあるが、何やら話しながら、タンテが水さしの水を、暗い井戸の中へ入れた。音がしないぞ。
 「………………………?……バシャ!」
 ものすごく長い時間に思えた。なんと300mもある。
 昔、井戸掘りの名人が掘ったらしいが、機械もない時代、いったいどう掘ったのだろう。私は土木力学が専門なだけ、よけい気が遠くなる。
 それにもまして、水を汲み上げるのに、どれほどの力と時間が必要だったのだろう。まったくのんびりした時代だったにちがいない。



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