A 教会と心と柱

 ドイツの大きな都市では、駅の構内にインフォメーションがあり、ホテルをそこで探すことができる。
 その前にシュタイナー学校と話してみよう、と辻君が電話をかけた。
 「やった!アポイントが取れました。明日かあさってに来いと言ってますが、どうしましょう。明日なら、今日はすぐミュンヘンに帰らなくてはなりません……。」

 ……、今すぐ行きたいくらいだけど、せっかくここまで来たんだ。今日はここに泊まって、ニュルンベルクをよく見よう。風呂にも入らないと……。
 シュタイナー学校は明後日にした。

 辻君は肩の荷が下りたようで、張り切ってホテルを値切った。
 「200マルク?バカ言っちゃいかん。今は観光客の少ない時じゃないか。もっとまけるべきだ!」

 その一声で130マルクになった。なんて優秀なガイドなんだろう。
 どしゃ降りになっていた雨が上がるまで30分ほど足止めをくらったが、ホテルは100mほどのところに見つかり、荷物を置いて、すぐ出かけた。

 ニュルンベルクは今風の家やアパートなどのある新市街地と、昔のままの建物で、堀と塀に囲まれた旧市街地とに分かれている。
 旧市街地の外観は、まるで巨大な要塞だ。
 外国に近いということは、昔は、戦う機会も多く、こんな風になったのだろう。
 塀の所々にある、丸く高い建物は、見張台であるだろうが、巨大で厚い石でできており、大砲で撃たれても壊れなかったらしい。
 堀をのぞくと水はなく、底は散歩道のようになっており、地下鉄、地下街へとつながっている。
 一つの門から中へ入った。中はすべて、レンガくらいの石を、やや隙間をあけて敷き詰めてある。昔ながらの石畳だ。
 小さなみやげ物屋やレストランの横を抜けると、パッと広くなり、建物こそ昔のままだが、デパート・グルメ街となっている。デパートは、ドイツの中では最も密だと言う。
 かなり人が多くにぎわっているが、南国ミュンヘンと比べると、少し陰な感じがする。

 少し歩くと、山のように大きなローレンツ教会の前へ出て、私は動けなくなった。30数年前、教科書の写真を見て、「なんてきれいなんだ!」と感動した、まさにその教会ではないか。
 ヨーロッパでは並みの大きさ、と辻君は言うが、私は信じられない。

 なんて大きいのだろう。あのかざりのみごとなこと……。2つの塔は天までとどきそうじゃないか……うわ〜、うわ〜…。

 思わず近づこうとすると、
 「後にしましょう」と言う。見ると入り口に、モヒカン頭でロックバンド風のイカれた若い男女が6〜7人いる。
 「パンクと呼ばれる連中です。ネオナチとは少し違うのですが、外国人嫌いでは同じで、なぐられでもしたら、つまらない。」

 石の道を先へ行くとすぐ、ベーグニッツ川を渡る。ニュルンベルクはこの川で2分されているが、橋のところで、一見して白ロシア人とわかる3人が歌っている。
 老夫婦とその娘のように見えたが、どうなのだろう。聞いている人はいない。あれでは1日歌って、楽器を弾いても、一食のパン代にしかならないだろう。国へ帰ればいいのに……。
 「もっとひどい生活が待っているだけですよ……。あの姿を同胞が見たら…悲しいでしょうね。」

 ドイツやヨーロッパの苦しみの一端を見たようで、その古い町並み、教会、石の通りと相まって、私は感傷的になっていた。ドイツもまた、そのような悲しみをくり返してきたのだろう。
 昨日辻君が言っていた。
 「日本ではシュタイナー学校だけが知られてますが、ドイツでは似たような自由学校は多くあります。
 100年ほど前にドイツは、どうしようもない精神的限界期をむかえ、なんとか打ち破ろうとして、出て来た学校が多い。」


 自由学校 …… 政治・宗教・職業などの束縛を離れ、生活のためでなく、人間としての教養のための教育を行う学校

 そう、そんなシュタイナー学校の背景にあるもの、底を流れるものを見たくて、私はドイツまで来た。表面的な体験記・解説本・物真似教育など、とうにうんざりしているのだ……。

 「教会の柱は植物を象徴していますよ。ちゃんとつる草になっている。全部ではないが、ドイツの半分ほどの教会はそうです。そら、その聖母教会も、そうなっているはずです。」

 辻君の話しに、私の体の中を電流が走った。長年の疑問が解けるかもしれない。

 教会の中へ入り、すぐに柱を見た。大きな柱の周りを、直径20cmほどの管状の柱が取り囲み、上へ伸びている。先へ行くほど細くなり、天井のあたりで葉っぱになっている。
 なるほど植物だ。その茎かつるの部分は、太い血管のようにも見えた。
 「知識は、体の中に下ろさなくてはならない」と言うシュタイナーは、この柱のイメージも持っていたのではないだろうか。

 植物は、目も頭脳も持たない。しかし自ら養分を吸い、太陽の方向へ伸びてゆき、やがて天を支える。人間もそうなれないものか……。
 そう考えれば、シュタイナー教育のすべてに納得がいく。
 7才までの子供はまだ種であり、“教育的なこと”など、何もなされてはならない。次は日光と水だけを与えよう。芽と根を出すだろう。
 根が出たら、成長にあわせて、必要なだけの養分(教育)を与えよう。成長をあせって、目を引っぱってはならない。すぐ切れてしまう。
 大量に養分を与えすぎてもならない。腐ってしまう。植物の内部がそうであるように、養分は芸術的に“体内”に吸収されなくてはならない……。

 確かにシュタイナー教育とは、そのような教育だ。

 中を見て歩くと、300〜400年物の像や壁画が平然と残っている。柱のことがあるせいか、急に身近な物に見えてきた。
 6ヶ所に貼ってある白黒写真がおもしろい。
 ナチスの行進、ヒトラーの演説、瓦礫と化した聖母教会……。
 すべてこの町であったことであり、戦争の愚かさをメッセージしている。同時に、教会などの古い建物に対する、ドイツ人の思いも伝える。
 その瓦礫から、少しでも使えるものは使って、まったく同じものに作り直してしまう。
 まったくすごいやつらだ…なのに!写真の下の4ヶ国語の説明はなんだ!つづりのミスだらけで、その国の旅人がペンで直してある。
 「ぷ〜!ここはAやんけ」「もう1つZがいるわマヌケ!」
 その数の多いこと。どこか抜けているのもドイツ人。



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