C 郊外へ(ドイツ人様々)

 少し日も出てきたので、午後から湖へ行くことにした。私はシュタイナー学校へ行きたいのだが、辻君が2週間も前からアポイントを取っているのだが、どうもうまくいかないらしい。

 ゴトゴトとマリエン広場の地下へ、エスカレーターで下りて行く。あれ?昨日は同じところを上がったぞ!このエスカレーターだけだったが、人が乗らないと止まる。そして上から乗ると下へ動く。逆もまたしかり。へー、便利なものだな。どうして全部これにしないのだろう。
 「すぐ壊れて動かなくなるからですよ。ドイツ人にこんなものがうまく作れるわけがない。技術大国?どこのことですか?」

 ぼろくそである。そう言えば、自販機なんかも、よく壊れてた。ロケット作ったのもユダヤ人とロシア人だしな〜。医学と石の建築はすごいけど意外と機械はへたくそなのかもしれない。

 マリエンにはミュンヘンのすべての鉄道が通っているため、地下3階まであり、混雑を避けるため、乗るホームと降りるホームに分けられている。だから電車が入ると、どちらからもドアを手で開けられる(自動的には開かない)。うまく考えてあるが、乗るホームへ出てしまったり、地上に忘れ物があったら大変だ。いくつかのエスカレーターはすべて下りであり、どこかに1つある階段を見つけ出し、ふうふうと上がらなくてはならない。え!?やけにくわしい?……私が忘れ物をしました。

 2,3の駅を過ぎると電車は地上へ出て、もう田園風景だ。プラットホームだけの駅とも言えない駅が続く。おや?まだ12時半なのに、中学生がいっぱい乗ってきた。そうか、ドイツの小・中・高校は、午前中で授業は終わりだった。みんな家へ帰るのだろう。

 私達は終点のリゾート地へ向かっていたが、5つくらい手前の駅から、人がいるわけでもないのに、車の駐車場だけがやけに大きくなってきた。これはドイツの賢いところで、週末などリゾートが車で混み始めるとラジオなどで情報を流し、それ以後は手前で車を止め、電車で遊びに行くのだ。まったく、こんなルール作りは、ドイツ人はとてもうまい。

 小ざっぱりした終点の駅からタクシーで10分。目的の尼寺に着いた。ここはタクシーの運転手も「ビールを飲みに来たね!」と言うほど、昔からビールが有名らしい。お寺とビール。ちょっと変な感じがするが、昔のドイツではビールはお寺でしか作ってはいけなかったらしい。
 車から出ると、パアーッと日がさして来た。空の高さと青さは、ちょっと日本にはない。空気がきれいだからか、日差しは肌に痛いほどだ。若葉の緑が風にゆれ、小鳥のさえずりがあちこちから聞こえる。寺までの急な坂道をゆっくり上がってゆく人々…。パラダイスのような光景だった。

 坂を上り切ると広場になっており、なんの飾りもない、でっかい木の長テーブルと長イスが20ほどもあり、売店でビールと食べ物を買って、セルフサービスで持って来る。ビールは10種類ほどある。あれも飲みたい、これも飲みたい…。おや?鳥を丸焼きにして、半分に切ってある。うまそうだ。でも大きすぎるな…さらに半分にして売ってくれ。何?これ丸ごとでないと売らない?…しかたない、しゃにむに食べよう……。

 月曜のお昼なのに、けっこう人がいる。若いカップル、ファミリー、老人、団体…てんでバラバラなのがドイツらしいが、よくヒマがあるものだ。
 「そう!ヒマなんです」と、辻君が言う。
 今のドイツ人は、いわゆる「3K」の仕事はもうしない。道路工事・ビルの清掃などはトルコ人。婦人はショールを顔に巻くのですぐわかる。食品の下働きは、イタリア人が多い。どれもひどく低い賃金で働いている。彼らの生活ぶりは見なかったが、私は十数年前の東京で、アミノルと言う名のバングラディッシュ人に、時給650円の仕事を見つけてやり、アパートに招待されたことがある。6畳ひと間に6人で住んでいた。仕事のないやつもいるし、仕事についていても、
 「私は2年も日本にいるのに、日本語が話せない。あなたが私と話してくれた、初めての日本人だから……仕事?1日15時間工場で働いているよ。時給250円さ。それでも我々の間ではましな方さ……。」
 たぶん、ドイツの外国人労働者も、似たようなものだろう。

 さて、ひとりのドイツ人がいる。
 「ワシに仕事がないのは、トルコ人が仕事を取ってしまうからだ。追い返せ!」
 このドイツ人に、トルコ人がやっている仕事ができるとは思えないが、4人のトルコ人一家が殺された。一年前のことだ。
 多くのドイツ人がいる。
 「なんてことをしたんだ!彼らはドイツ人のために働き、長く暮らすうち、もう帰るとこなどなかったのに……。」
 その家には一年間花がささげられ、3万人のミサも行われた。
 ヒトラーの再来もあれば、それを恥じ、弱者に手を差しのべる者もいる。すごいと思うのは、弱者を助けるのに、ドイツ人は「頭で考えて」やってはいないふしがある。また、声を高々と上げて国中で論争するところがある。良い・悪いではなく、日本人の体質にはないものだ。
 孫のうば車を押すばあちゃんが、階段でこまっている。まわりのドイツ人は「すぐに」スイッと手をかす。「ありがとよ」「いいんですよ」で終わり。手をかした方は、親切なことをしたという意識すらない。あまりに当たり前すぎて、考える前に体が動くようだ。すごいと思う。私なら「考えて」しまう。
 ミュンヘンでは、車イスや杖をついた人がやけに多い。それは、初めは戸惑うくらい、どこにでもいっぱいいる。障害者の数そのものは、日本と変わらないと思う。ちがいは、外へ出てこれる環境と人々の心だ。町や乗り物は、信じられないレベルで配慮してある。それでも困れば「スイッ」だ。親切の押し売りなどないから、障害者にも変なテレなどなく、どちらかと言えば楽し気な顔でうろついている。
 ドイツでの労働者の「地位」は、日本人にはわからないほど低いようだ。しかし、日本では絶滅しようとしている、大工や他の職人などに「マイスター(親方)」の名を与え、後進を育てる義務も持たせるが、その身分と生活を保障している。「この技術は、残し、伝えなくてはならないのだ。」ひとりが声を上げ、人々と論議し、説得し、政治へはたらきかけ、苦労してつくった制度だと言う。

 シュタイナーがよく言っていた。
 「弱者と共に生きよ。知識は頭に留めず、体の中へ下ろさなくてはならない。」
 それは世界に冠たる、ドイツの福祉や法律の中に生きている。
 しかし、「ぶきっちょで、思い上がっただけのカッペで、自分勝手なドイツ人」(辻君による、私じゃない)が、なぜそんなすごいものを創り上げるのだろう。歴史・社会体制・教育・宗教・世界観……多くのものが作用しているのだろうが、その2〜3を私はこの旅で知ることができたと思う。

 いや〜、よく飲みよく話していい気持ちになり、私達は尼寺の中を見学するのも忘れ、出てきてしまった。駅へもどると、電車には少し時間があった。キョロキョロ見ると、プラットホームなのに白いテーブルとイスがある。そこは茶店の裏なのだが、カベの小窓から注文できた。すっかりいい天気だ。コーヒーを飲み、日光とサラサラした風を楽しむ。体と心の中の重いものがどんどん出ていくようだ。
 音もなく、かげろうのように電車がゆっくり、ゆっくり入って来た。それはきっと時間そのものが、ゆっくり流れていたのだろう……。



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