>world end over drive.
>function_code=a.

>〈魔界科学〉
>_孤島_
>start.

code=a

 二人の人間が、土肌が剥き出しになった丘の上を歩いていた。一人は空色のシャツの上に白衣の青年で、もう一人はハーフパンツにジャケット姿の若い女性だった。女性はセミロングの髪をゴム製のヘアバンドで留めている。二人とも、耳に小型のスピーカーをつけていた。
「見たまえ、ルミ。こんな風景、我々の世界にはないだろう」
 白衣の男が手で辺りをグルリと示し、さも愉快そうに女性に声をかける。
「なーんもないとこですねえ」
 女性はつまらなそうに、海が大部分を覆う大地を見回した。二人がいるのはだいぶ高くなったところで、水平線が見渡せる風景は人によっては絶景と感じられるものだが、この二人はそのような感慨とは無縁らしい。
「それで、博士、これからどうするんですか?」
 博士、と呼ばれて、男は無意味に自信満々にうなずいた。
「ヒナル、この世界に自己を認識する程度以上の知能レベルを持った生物は存在するか?」
 視線を上に向けて、彼はきいた。空は青紫のもやのようなものに覆われており、太陽や月のような天体は見えない。
『存在しない。海のなかに、かつては存在した形跡があるけど』
 独特の響きを持つ声が、超小型スピーカーから聞こえて来る。
「とうことは、住めない環境になったから脱出したのか、滅びたのか」
「今は自然の自浄作用で住める環境ですね……私たちと同じような人間が住んでいたら、の話ですけど。我々にとって快適なこの環境が、ここの住人たちには苦痛だった可能性もある」
「そういうことだな」
 うなずき、博士は海を眺めた。ここに住んでいたらしい人々の遺跡も海のなかでは、もう見るべきものもない。
 次にどうしようか、と彼が口を開きかけたとき、声の主、陽鳴がためらいがちに声をかけて来る。
『博士、問題が……接続が困難になっている。そちらの世界の質量は何かおかしい……博士、ルミ――』
 声は途切れ、ジジジ、というノイズがスピーカーから洩れた。
 やがて、それさえも消えてなくなる。
 二人の人間は、少しの間、凍りついたように静止していた。
 だが、間もなく彼らの顔に浮かんだのは、どこかニセモノらしい笑みだった。
「困りましたねー、博士。このままじゃ帰れませんよー」
「そうだな、ルミ。まあ、今こそ、きみの雑学が役立つ時だ。頼りにしているぞ!」
「やだもー、博士ったら」
 言いながら、瑠未は博士の背中を叩いた。
 その勢いに押されて、博士は丘の上から海に転落しそうになる。手で空気をかくようにして、必死に前に傾いた重心を後ろに戻そうとする。
「お、お、お……」
 必死の形相で踏みとどまろうとする彼の後ろで、瑠未が手を叩きながら『がんばれー』と声をかけていた。
 やっと身体の傾きを引き戻した博士は、尻餅をついた。荒い息を整えて我に返ると、妙に楽しげな瑠未にくわっと顔を向ける。
「殺す気かっ!」
「やだー死なないくせにー」
 笑いながら答える瑠未は、広げたバンダナの上に座り、なぜか紙コップで茶を飲んでいた。それに気づいて、博士はメガネの奥で目を丸くする。彼同様に、瑠未は特に荷物を持っていなかったはずだ。もちろん、文明の滅びたこの世界のそこら辺に紙コップが落ちているはずもない。
 不思議そうな視線に気づいたのか、瑠未は立ち上がって説明した。
「備えあれば憂い無し、ですよー」
 言って、ジャケットの裏からロープやアーミーナイフ、包帯、バンソウコウ、折りたたまれた紙コップ、ハーブティ-やお茶の葉、ビタミン剤などを取り出して並べていく。博士はそれを、茫然と見ていた。
「きみなら、どこでも生きていけそうだな……」
 毒気を抜かれたような調子の博士に、瑠未は笑いかけた。
「慌てても仕方ありませんよ。さ、博士もとりあえず、一服しましょう」
 金属の板で組み立てた箱に海の水を入れ、同じく金属の棒で組み立てた台の上に置く。台の下、マッチで火をつけたティッシュを細かく砕かれた炭の上に差し入れると、ささやかな熱が生まれる。
 博士はぽかんとした様子で紙コップを受け取り、湯が沸くのを待った。不思議と、事態の緊急性や焦りが薄れていた。
 二人は他に人間のいない世界で、のんびりと茶をすすっていた。
 そこへ、存在しないはずの人間の姿が歩み寄って来ることに、二人はしばらくの間気づかなかった。


TOP > UNDER > BACK | NEXT>