Day 17 約束の地にて

 耳につく風の音に顔をしかめながら、1人の少女が、何かを見通すように大きな黒目を細めた。その短い黒髪もチャックの壊れたジャケットも風に煽られ放題だが、一向に気にした様子はない。
 風に混じった砂が肌を引っかく。痛みを感じることすらない様子で、黒い棒状のものを左脇に抱え、瓦礫を背にうずくまっている。
 だが、彫像のような静止状態は、そう長くは続かない。
 立ち上がった少女の目に、かすかに揺れる、人影が映る。
「ユキナさん」
 景色を歪ませるほどの強風の向こうから、相手が安心させるように、少女の名を呼んだ。若い、まだ少年と呼べる年頃のものと聞こえる声だ。
「ああ、ご苦労さま。こっちは瓦礫しかなかったけど、そっちはどうだった?」
 色白な、彼女と同じく黒目黒髪の少年が歩み寄ってくるのへ、まったく期待のない声をかける。
 だが、少年の答は彼女の予想を裏切った。
「向こうの丘から、人の姿が見えました。崖の出っ張りで上手く偽装しているようですが、目を凝らしてみたら、街らしいものがありましたよ」
「へえ、良く見つけたねえ」
 ユキナが素直に感歎すると、少年は照れたようにほほ笑む。
「あの《時詠み》のヤツが、あんたと組めって言ったときは納得いかなかったけど、あんた、けっこー頼りになるわ。さすがは保安部志望だねえ、ヒルト」
 元気に話しながら、少しもよろめくことなく歩き出す動きは、容赦なく吹きすさぶ風による、寒さも痛みも息苦しさも感じさせない。
 まるで自分まで、何が起きても平気な気分になりながら、少年ヒルトは彼女のとなりを歩き始めた。

 丘のそばに掘られた洞窟から、新たな人間たちが崖下の街に降り立ったのは、間もなくのことだった。それを見た住人は見慣れない姿に一応は警戒するものの、あきらかに自分たちと同じ人間らしい態度で見回す、それも年若い少年と少女とあって、遠巻きに眺める程度だ。
 街は、石造りの家々で構成されていた。周辺の崖から掘り出したものであろうそれは、上空高くからは岩と見分けがつかない形をしている。
「けっこう大きいし……人、多いね。もともとこの世界に住んでる人たちなのかな」
「ぼくたちみたいな格好の人はいませんね」
 住人は皆、土色の布を被っている。布の間から、好奇の目がのぞいた。
 ふと、遠巻きに眺める人々の中から、小さな姿が走り出た。近くにくると、まだ十歳前後の少女と見える。
「ねえ……お兄ちゃんとお姉ちゃん、外の世界から来たの?」
 恐る恐る、それでも周囲の大人たちより幼いがゆえの勇気を持った少女は、2人を見上げて問いかける。
 彼女を安心させようと、ヒルトは懸命に優しい笑顔を作った。
「ああ。ぼくたちは、ここまで旅をしてきたんだ」
 途端に、少女の表情が変わる。否、少女だけでなく、周囲の人々の顔に浮かぶ色は、驚きと、喜び。
「我々のほかにも、生き残りがいたのか……
「しかも、生きてここにたどり着く者がいるとは……
「どこかには、もっと食糧があるのかしら?」
 そんなことばがささやき交わされる。
「ここの人たち、街の外の状況をまったく知らないんだ」
 そんなヒルトの感想を知ってか知らずか、彼の袖を、声を掛けて来たまま立ち尽くしていた少女が引く。
「ねえねえ、お兄ちゃんお姉ちゃん、外のこと、いっぱいお話しして。あたし、ルシイっていうの。うちにお母さんがいるから」
「お邪魔していいの?」
 ユキナが屈んで目を合わせ、優しく訊くと、少女大きくうなずいた。
 できれば落ち着いた場所で、2人も、この街について話を訊きたかった。そのためには、願ってもない申し出だ。
「よろしくね、ルシイちゃん。あたしはユキナ」
「ぼくは、ヒルト。よろしく」
 2人の自己紹介に、少女は嬉しそうにふたたびうなずくと、先頭になって案内し始める。周囲の人々には引き止めるような心積もりはないらしく、彼らに見送られ、家々の間を歩く。
 岩の家は、一見見分けがつかない。それでも、そこに暮らす者にとっては、唯一無二の存在として目に映るのだろう。ルシイは迷いなく、彼女の母が待つという家への道を辿る。
 道中、風変わりな格好をした少年と少女を珍しげな顔で見送る者が何人もいたが、歩みを止められることはなかった。
 ルシイは街外れの、小さめの家の前で足を止める。ドア代わりの吊るされた布を持ち上げ、薄暗い中へと客を招き入れた。
 外観に比べると広く感じるものの、ロウソクの頼りない灯が照らし出す凸凹した壁と天井に包まれた空間は、ヒルトやユキナが家として慣れ親しんできた空間に比べると、非常に狭い。
 最低限の調度品、それもどこかが欠けたりひどく汚れている物ばかりが並ぶ室内の奥に、毛布を被って横たわる痩せた女の姿があった。ほかに人の姿はなく、彼女がルシイの母親だろう。
「おや、お客さん……? すみません、お茶の一杯も出したいところですけれど……
「いえ、おかまいなく」
 身を起こそうとする母親を慌てて制して、ヒルトは適当に腰を下ろす。ユキナもまた、棒状のものを抱えてうずくまった。
 ルシイは母親のそばに座り込む。
「お母さん、この人たち、外の世界から来たんだって! ヒルト兄ちゃんと、ユキナ姉ちゃんだよ」
 格好から、この街の者とは思えないと、疑念は抱いていたのだろう。娘のことばに、母親は一瞬目を見開いたあと、2人に複雑な感情が混じり合った視線を向ける。
「あなたたち、本当に……それじゃあ、ラターナ・シティがどうなったのか、知らない?」
 ラターナ・シティとやらに、家族か友人か、あるいは夫でもいたのだろうか。急に身を乗り出すその様子に、少年と少女は目を見合わせる。
「ぼくたちは、つい最近この辺に来たばかりで……ここ以外の街は知らないけど、ほかにも生き残りがいるのは確かです」
「正直、その町の名前も聞いたことがないけど、あたしたちが知らないだけで、無事かもしれないし」
 ユキナが付け加えたことばは気休めだったが、ルシイの母はその気遣いに、ほほ笑みを返した。
「ありがとう。そう信じるわ。それはそうと……あなたたち、どこから来たの?」
 どこまで話していいのか迷い、若い客人たちはふたたび顔を見合わせ、やがて、ユキナが口を開く。
「あたしたち……あたしとヒルトのほかにも何人かいたんだけど、、気がついたら奇妙な建物のそばにいて……その建物の中にいた生き残りがこの辺りのことに詳しくて、あたしたちと同じ出身の人たちがいそうな街を教えてくれたんだ。それで、あたしとヒルトはここに、ほかの人たちはほかのところに向かったんだ」
 無難な説明だった。
 彼女もヒルトも、そして、近くで意識を取り戻した者たちも、この世界の者ではない。VRDを利用中に気を失い、いつの間にかこの世界にいた――その体験が共通していた。
「それで……この街に、ぼくたちと似たような格好をした人が来たことは……
 おずおずとヒルトが問う。この街に来たときの住人たちの反応から、答は大体、予想がついているが。
 そして案の定、ルシイの母は首を横に振った。
「おかしいな……必ず誰か来るって言ってたのに」
「デマだったんじゃないの? あんなヤツ、信用できないよ」
「でも……
 この場にいない誰かに悪態をつく少女と、腕を組んで戸惑いながら考え込む少年を、ルシイはしばらく困ったように眺めていたものの、やがて、何か唯一無二の閃きを得たように破顔一笑すると、ヒルトの手を引いた。
「ねえ、それじゃお兄ちゃんたち、しばらく、ここにいなよ。そうしたら、会いたい人たちもここにやって来るかもしれないよ」
「それしかないかもね」
 でも、とヒルトが言いかける前に、ユキナが賛成した。
「でも、ここにいると迷惑をかけるんじゃ……
 心配事を口にする少年に、ルシイの母は首を振り、
「狭いところだけど、ここにいてくれると心強いわ。大勢のほうが楽しいし」
 血色の良いとは言えない顔に、歓迎の笑みを浮かべた。

 風が崖下から吹き上がり、見下ろす者の視界を赤茶色に染めた。それがさらに、崖下で岩を模した家々からなる街並みを曖昧にする。上空からの偵察者の目を欺くには、なかなかおあつらえ向きの地形と言えた。
 だが、一度大体の位置を掴んでしまえば、生命の存在を感知するセンサーを有した者には筒抜けとなる。
『ここが、例の場所なんだろう?』
 この世界では超小型探査艇の姿を借りた宇宙船制御システム、ルータが宙を漂いながら、質問ではなく確認のことばを告げた。
 その下に立ち尽くす黒目黒髪の少女は、頭から被った土色の布がはためくのにうるさそうに顔をしかめながら、足を踏み出す。
「最後の町……だね」
 崖に沿って歩き回り、やがて、小さめの岩を重ねて塞いだ洞窟の入口を見付ける。
 岩をどかし、洞窟に入ってから、できるだけ元のとおりに戻す。内部はそれほど暗くはなく、ゆるやかに下る階段へ、天井の隙間から薄い光が洩れている。
「何か、やな空気だね。ピリピリしてる」
『ミュートもそう思うかい?』
 何の気なく足を動かし続けながら、少女は右手をジャケットのポケットに入れたまま、何が起きても対応できるよう、警戒を続ける。ルータの位置も、いつでも逃げ出せるような高さだ。
「住んでるヒトは、普通の人間なんでしょ?」
『データ上はね。まあ、見ればわかる』
 洞穴を抜け、暗い、それでも建物内よりは明るい空の下に出る。
 その刹那。
 黒いものが鼻先を横切り、ミュートは仰け反った。何が飛んできたのか確認する余裕などなく、ポケットから右手ごとナイフを取り出し、飛んできた方向に投げ放つ。右手の動きと同時に左手をポーチに入れ、別のナイフを握る。
「ちっ」
 舌打ちが聞こえた。続いて、金属音。
 ミュートと同じ目と髪の色の少女が、銀光を放つ刃を振るってナイフを弾き飛ばした。日本刀と見える武器は、刃に空間振動波のコーティングを施したものだろう。
 普通なら、脆いナイフでなど触れられるものではない。しかし、今のミュートにはASがある。
「どういうつもりだい?」
 言いながら、ナイフで刀の一撃を弾く。
「どうもこうもないよ、調整者! あんたらが監視してたこと、知ってんだからね」
「調整者……?」
 跳び退いて間を取りながら、わずかに目を見開く。相手の必死の表情とことばに戸惑うものの、誤解を受けているのは確からしい。
「何か知らないけど、私は調整者なんかじゃ……
 別の方向からの鋭い気配が、弁解を中断させる。さらに後ろへ跳ぶミュートの目の前を横切るのは、少女が持つ刃とは違う、光の刃。少年が手にする発動機は、自在に威力を軽減できるレイブレードのものだ。
『加勢しようか?』
 そばまで退いたミュートの頭上から、ルータが声をかける。
「どう加勢するのさ」
 警戒しながらの問いかけに、相手は考えるような一呼吸の間をおいて応じた。
『応援でもする?』
「いらん。気が散る」
 とても闘いの最中とは思えない会話する1人と1機に、何か思うところでもあるのか、刃を武器とする少年と少女も、かまえを崩さないままことばを交わす。
「本当にこの子が調整者なんですか……?」
「あいつらに見た目は関係ない。それに、AS持ってるのは確かだよ」
「確かにそれは感じるけど……あの探査艇も気になる。調整者のものとは思えません。あの声、どっかで聞いたような……
 逆がそうであるように、その会話も、ミュートとルータに筒抜けである。
 何とか誤解を解く方法がないかと思案していたミュートは、藁にもすがる思いで超小型探査艇を見上げた。
「ほら、ルータ、何とか説得してよ」
 投げやりに言うと、なにやら悩むような唸り声をあげながら、ルータは前に出た。相手の手の届かない高さは保ったままだが。
『あのさ、そこの若人諸君……
 言いかけたものの、どう続けてよいのか迷い、ことばを切る。
 しかし、その呼びかけだけで、何らかの効果はあったらしい。聞いている2人の表情が、大きく変化している。
「ルータ……? ルータって、あのルータ? その声は確かに……
 少年のことばに、少女のほうも思い至ったらしい。直接とは限らないが、2人とも、ルータの声を聞いたことはあるようだ。
 これは好機と見て、ルータはさらに前に出る。
『そうだ、エルソンの最先端技術を駆使した輸送船ルータの航法制御AIだよ。シグナの弟分だ。疑うなら、製造過程でも詳細に述べようか?』
 述べたところでその内容を知らない者には意味がないが、それ以前に、目の前の2人は超小型探査艇をルータだと認めたらしい。
「じゃあ……どうしてAS持ってるのさ? それと、その子は?」
 少女が目を向けてくると、ミュートは自分で彼女の疑問に答える。
「私はミュート。VRDで寝てからこちらの世界で目覚めてすぐに、偶然、ルータと出会いました。ASは……《時詠み》に持たされたものです」
 その名前を出していいのかどうか一瞬迷ってから言い、彼女は目を細める。まだ、ナイフは手にしたままだ。相手方も、完全に警戒は解いていないが。
 刀の切っ先は下に向けながら、少女が目を丸くする。
「あんたも《時詠み》から……? それじゃあ、あんたが……
「彼が言っていた人のようですね」
 少年のほうは、レイブレードの刃を消した。それを見て、となりの少女も刀を仕舞い、ミュートもナイフをポーチに戻す。
「何だか、ワケ有りみたいですね」
「そっちもね」
 他人事の口調で言うミュートに溜め息を洩らしながら、鞘入りの刀を脇に挟んだ少女は、敵意がないのを表わすようにゆっくりと歩み寄ってくる。
「あたしはユキナ。こっちはヒルト。あんたと同じく、VRD使ってたら、いつの間にかこっちに来てたんだ。とりあえず、そっちも調整者じゃなさそうだね」
「ええ。でも、どうして調整者だと……?」
 ミュートのことばに、ユキナは視線で答えた。洞窟近くの岩場に、奇妙な銀色の残骸が散らばっている。
『調整者の探査艇……?』
 ほかの誰よりも先に残骸に近付き、その上をめぐりながら分析していたルータが、緊張をはらんだ声を上げた。
 ミュートは、その瞬間に気がつく。遅過ぎたことに。
『それじゃあ、もう調整者は……
 遠くの空から、奇妙な振動音が聞こえる。
 それが何なのかを確認する前に――あまりにも唐突に、彼らは闇と、光を体験した。

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