Day 07 孤独の大地へ

 荒れ果てた風景には、ほとんど昼夜の別というものがなかった。夜でなくとも暗く、昼でなくとも不気味な雲に埋もれた空が見え、ほぼいつでも、強い風が吹きすさんでいた。
 目を覚まし、与えられたテントの中の一室から出てきた黒目黒髪の少女は、風の冷たさで身震いし、テント内へ戻ろうとする。だが、彼女は身を引きかけたところで、となりのテントの向こうにあるものを見つけ、それに歩み寄った。
 少女の姿に気づき、ルキシが声をかける。
「おはよう、ミュート。早いのね」
 フロントガラスにひびが入った、黒いジープ。エアカーではない地上走行車の内部には、すでに彼女の同僚たちが乗り込んでいた。ルキシは、後部座席のドアに手をかけたところでミュートの方を振り向いている。
 彼女の服装は、昨日見た時よりも厚着で、丈夫そうな上着を着込んでいた。
「お早うございます、ルキシさん。それに、ロズさんたちも……そろって、お出かけですか?」
 ちょっとした散歩、程度でないことは、一見してわかっていた。
「ええ。ルータに、機械部品集めにいいところを紹介してもらったから、2、3日ほど遠征よ。食料も、あなたとリエナが見つけてきてくれたし」
「おかげで、だいぶ帰るのが早まったぜ。感謝する」
 ジープの窓から顔を出し、ロズが口を挟む。
「どういたしまして。私は何もしてませんけどね」
「そんなこともないだろうさ……ところで、本当に行くのか?」
 昨日も何度も試みた説得を、彼は繰り返す。少女の返事を予想しながら。
 そして、やはり答は変わらない。
「はい。ここでお別れ、になりますね」
 きっぱり言うミュートの目には、迷いの色が微塵もなかった。せいぜい十代半ばくらいの少女が見せる決意の強さに、技術者たちは抗えない。このままここに残っていれば、元の居場所に帰ることができるかもしれないにしても。
 外に残っていたルキシが、ジープの後部座席に乗り込んだ。
「それじゃ、機会があれば、また」
「お互い、生きて戻ろうな」
 閉まりつつある窓の隙間からの声に、ミュートは笑ってことばを返した。
「またお会いしましょう」
 ジープが一旦バックして方向を変える。緩やかな丘をめざして発進したそれを、少女は軽く手を振って見送った。
 黒い車輌が見えなくなり、テントに戻ろうとしたところで、小柄な姿がドア代わりの厚い布を払いのけ、飛び出てきた。
「あっ……おはよう、お姉ちゃん。ここにいたの?」
 リエナは、昨日ティシアに連れられて別れて以降、ようやくミュートと再開した。彼女は出会った時のところどころほつれた服ではなく、彼女にとっては少し大き過ぎる、白いセーターと暖かそうな生地のスカートを着ていた。おそらく、ティシアが用意した劇団メンバーの服だろう。
「お早う、リエナ。よく眠れた?」
「うん。ベッドが凄く暖かかったよ」
 リエナは、嬉しそうに答える。
 彼女は長い間、1人で家に寝泊りしていた。久々に触れたぬくもりは、身体だけでなく、心も暖める。少女はそれを感じたのだろう。ミュートたちが、このキャンプに来た時のように。
「そうか、よかった。凄く早起きなんだね」
「うん、お姉ちゃんもね。ね、ルータは?」
「ルータは夜遅くまで色々やってたようだけど……どうかな?」
 ミュートはリエナの手を引き、テントに入りながら、同じように深夜まで起きていた4人組がすでに完全に目覚め、出発して行ったのだから、起きているはずだろう、と思い直す。あの4人は徹夜だったという可能性も、無きにしも非ずだが。
 まだ、キャンプの中でも起きているものは少ない。ミュートは、余り人がいないうちに出発したかった。
 彼女がリエナとともに、自分とルータに与えられた部屋の前にたどり着くと、そこには数少ない、すでに目覚めている人間の姿があった。
「お早うございます、ミュート、リエナ」
 柔らかなほほ笑みを浮かべたブロンドの女性は、朝食の載った盆を両手に持っていた。
「ティシアさん……貴重な食糧でしょう。いいんですか?」
 盆の上に載った皿のなかには、昨日よりも量の多い食べ物が盛られている。主に何種類かの缶詰を組み合わせた簡単な料理のようだ。
「いいのですよ、あなたとリエナが見つけてきたほうが多いんだから。リエナも、一緒に食事にしましょう」
 うん、とリエナは元気よくうなずき、ティシアに続いてミュートの手を引き部屋に入る。
 ミュートは、さして広くない室内を見回した。そこに、探査艇の姿はない。
 3人は、ベッドに腰掛けた。ティシアは椅子をテーブル代わりにして、そこに盆を置く。
 メニューは昨日も出た堅いパンに、カップに入った豆とベーコンのスープ、それに、缶詰入りの野菜とチーズのサラダだった。
 パンをスープにつけながら、3人は朝食をとった。
「もう、すぐに出発するんですか?」
 食べ終えると、食器を盆に重ねながら、ティシアが問う。そのことばで思い出したように、リエナが寂しそうな目を向けた。
「ええ、出発が遅れれば遅れるだけ出づらくなると思うので。あとは、ルータさえいれば……
 言って、彼女が出入り口に目をやると、計ったように、布のドアを押し開けて、一抱えほどの飛行物体が近づいてきた。
『おはよう、ミュート、リエナ、ティシア』
「おはよう、ルータ」
 3人の若い女性たちは、口々に挨拶を返す。
『そろそろだね。準備はいい?』
「そうだね」
 答えて、ミュートは立ち上がる。
「行こうか」

 見送りは、ただ2人だけだった。すでに目を覚ましている者は他にもいるだろうが、ミュートらは彼らに気づかれぬよう、細心の注意を払ってテントを出た。
 ティシアは、ミュートにパンと果物の入った包みを手渡す。リエナはそれを見て、慌ててポケットをまさぐり、何かを差し出す。
 その小さな手に握られていたのは、ふたつに割れたクッキーだった。
「グレンおじいちゃんがくれたの。ね、あげる」
「いいのかい?」
「お願い、もらって。ミュートお姉ちゃん」
 ミュートはポーチからハンカチを出し、大切にクッキーを包む。
「ありがとう。大事に食べるよ」
「気をつけて行って来て。いつか、帰ってきてね?」
「ああ、リエナも気をつけて」
 リエナは他の皆と違い、この世界の存在だ。帰る方法が見つかったとしても彼女は置き去りにされるかもしれない、と思いながら、ミュートは笑顔を作ってうなずく。
「途中までご一緒しましょう。私も行くところがあるので」
 ティシアが言い、ミュートのとなりに並んで歩き始める。
 その姿に向かい、テントのそばのリエナはいつまでも手を振っていた。時々後ろを気にして手を振り返しながら、ミュートはティシアとルータを連れ、細かな瓦礫が積み上がった丘の向こうに降りる。
「ここまで来ていいんですか? 危険ですよ」
 見送りの少女の姿が見えなくなったところで、彼女は立ち止まる。
「ええ、一応護身用の武器は持っていますし、危なくなったら逃げますから。行き先は、すぐ近くですし……。それより、気をつけて、ミュート、ルータ。団長も言っていましたが、私たちは、ここであなたたちを行かせたことを後悔したくありません」
『大丈夫。私たちは必ず帰るよ』
 ルータがそう断言する。ミュートも、それにことばを続けた。
「またお会いしましょう」
「そうですね。生きて、また……
 少女の手をとって祈るように言い、探査艇の金属の温かい表面を撫でてから、若い歌手はその場を離れた。
……お元気で」
 去り行く背中に声をかけてから、ミュートもまた、強い風の中を歩き始める。キャンプの方向を振り返ることもなく、瓦礫を踏み越え、生き物の気配がしない方向へ。
 大勢の人間を目にしてから外界に放り出されたところで、少女は一抹の寂しさを感じていた。だが、それもすぐに消える。今はたまたまルータと行動をともにしてはいるが、それまでも、ずっと独りだったのだから。
 彼女は何も考えず、劇団と出会ったことなどなかったかのように、無心で歩いた。歩いている間も色々と話しをして賑やかにするはずのルータも、今は何も言わずにミュートについていく。
 かつて家だった壁の一部のそばを通り、ゴミの山のような小高い丘を越え――
 彼女はようやく立ち止まり、振り返る。
「なに……?」
 誰かに、呼ばれたような気がした。しかし、周囲に人の姿などない。
 直後、彼女は別の異変に気づいた。まるで肌に微量の電気を流されたような、奇妙な怖気を感じる。破滅的な、しかし静かな風景が、まったく別のものへと取り替えられたようだった。
 世界すべてが今にも襲い掛かってきそうな、危機感。それを感じ取ったのはミュートだけではない。
『何か来る……!』
 機首を空に向けてから、超小型探査艇は少女の背後に逃れる。
 赤黒い雲に埋め尽くされた空が、その色を変えていた。より毒々しい、血のような赤へと。
 差し迫る嫌な感覚に、ミュートは唐突に動いた。身体ごと振り返りながら左手で探査艇をつかみ、大き目の瓦礫の山に駆け寄った。その後ろに回りこみ、屋根のように突き出した金属の板の下で身を低くする。空気の震えが、徐々に大きくなっていた。
『怖い……
 少女の腕をすり抜けながら、ルータがつぶやく。
 瓦礫の影から慎重に来た方向をのぞくと、2人は、見覚えのあるものを見る。
 巨大な、黄色い円盤。空を埋め尽くすそれが、ゆっくりと移動していく。
 茫然と凝視する少女の視界で、それは静止した。そして、中央下部にある砲門のゲートを開く。
「そんな、あそこは!」
 彼女はようやく、円盤の下にあるものを思い出した。彼女らが出てきたばかりの、劇団のキャンプだ。
『駄目だ……そんな……
 願いはむなしく、音もなく光の柱が降りた。遠くから、地鳴りのような音が響く。いびつな形の黒いシルエットが、光の柱の周囲に舞い上がった。大地をえぐりながら、太い光線はわずかに角度を変え続ける。余すところなく消し去ろうとでも言うように。
 見つけられる危険など意識の外に追い出して、ミュートは瓦礫の山の陰から出て、走った。ルータも何も言わずにそれを追う。
 間もなく、円盤は光線の放射をやめ、ゆっくりと、現れたのと同じ方向に後退していく。まるで、映像を巻き戻しているかのような、よどみない動きだった。
 かまわず、ミュートは走る。とうに手遅れだとしても。
 時折つまずいて転びそうになりながら、肺が焼けるような息苦しさを感じながら、無理矢理筋肉を動かして全力疾走する。風が吹きすさぶ音と、自分の呼吸音、鼓動。それだけが少女の耳に届く。
 やがて、風に焦げたような臭いが混じり始めた。丘の向こうに、黒いものが散乱しているのが見える。
 一気に丘を駆け上り、足を止める。
 地面に大きな傷がつけられていた。テントは跡形もなく、黒く焦げた布切れがところどころに落ちているだけだった。
 テントのあった辺りに歩み寄ると、瓦礫と赤茶けた土に半ば埋もれた、人間の手が見えた。その手は傷だらけで、見るからに痛々しい。
 ミュートは一応脈を取ってみるが、結果は予想通りだった。
 彼女は周囲を見回す。他にも地面に横たわっている遺体はあるが、どれも、無残な姿をさらしていた。
……嫌だ』
 ルータが、感情のこもらない声で言った。
「ルータ……?」
 ミュートが手を伸ばすと、探査艇は逃げるように、空中を後退する。
 彼女は、ルータの口調から、危うさを感じ取る。自ら危険な地に赴くことはあっても、平和な惑星の宇宙船が惨劇を見ることはまれだろう。免疫がないのかもしれない、と思う。意外に冷静な自分の心境に失望と安堵を覚えながら。
『誰もいない。半径百メートル以内に、私たちしか動いていないよ。誰もいないんだ……
 探すまでもなかった。えぐられた辺り一帯は、虚しいほど見晴らしがよかった。
『早く離れよう。またあの円盤が来るかも。早く』
 ささやくように言う探査艇に向かって一歩踏み出すと、ミュートは飛びつくようにして、その本来の大きさに対して余りに小さな存在を捕まえた。
 ルータが感じているのは、恐怖ではなかった。激しい後悔と、嫌悪感。そして、どうしてもここを離れなければいけないという焦燥が、彼の表情のように読み取れる。
「私たちが残っていても、犠牲者が増えただけだよ」
『わかってるよ。しかし……早くここを出よう。頼むよ……もうここにはいたくない』
 彼の希望通り、ミュートは丘へと歩き出す。
 途中、彼女はポーチのひとつが小さな音を立てたのに気づき、その中から原因となったものを取り出した。ハンカチのなかから、細かく砕けたクッキーが現われる。
 彼女はそれを見て、しばらくの間、立ち尽くしていた。
 だが、やがて丁寧に包みなおし、ポーチに戻す。しっかり仕舞い込んだ後、赤黒い空を見上げた。
 一筋の涙が、右目から頬にこぼれる。
 それをぬぐって、少女は再び、静かで広い、そして暗い世界に歩き出した。

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