NO.04 仕組まれた出会い

 その日、早朝にロッティとランキムは〈リグニオン〉を去って行った。いつも朝にやってくるはずのキイは昨日、用事のために来れそうにないと連絡していた。バントラム所長は今日も地上を訪れている。ゼクロスは気分が悪いと言い、昏々と眠り続けていた。
 ラボの常に外を映しているパネルは黒雲に埋め尽くされた空を表示し、天気予報の通りの嵐を予感させている。格段に何かが悪いというわけではないが、皆どことなく調子がよくないような、そんな朝だった。
 今日のところは昨日と同様、特に作業があるわけではない。何人かの技術スタッフがヒマ潰しにシステムを検査したり、その他住み込みの者が、新聞を読んだりニュースを見たりしているくらいだ。ただ1人、エイシアは定位置にいるが。
 ミライナは結局1日だけの復帰だった。今は、孤児院にいる。
「何だか、気が滅入る天気ね」
 近くに歩み寄ってきたマリオンに、雑誌から顔を上げ、エイシアは声をかけた。退屈で、誰かと話をしたい気分だ。それは、マリオンのほうも同じらしい。
「ああ、最近じゃ珍しいな。まあ、自然現象だ、どうすることもないさ。天気で気分が変わるのも人間の本能みたいなものか」
 近くの椅子に腰を下ろし、彼はエイシア担当のチェックモニターをのぞき込んだ。モニターに表示された波型の1本の線が、ゼクロスの不安定な状態を示している。
 人間と違い視覚や聴覚に当たるセンサーは変わらず稼動しており、捉えた様子をローカルメモリに保存している。そのため、大抵は名前を呼ばれるとすぐに覚醒する浅い眠りだ。タイムリミットなしの強制休眠状態ならば、外部から覚醒手段をとらない限り眠り続けるだろうが。
……嫌な天気ですね』
 特に強制休眠手段も使われていない上に敏感なゼクロスは、注意を向けられるとすぐに目を覚ます。
「悪ぃな、起こしちまったか……大丈夫か?」
『はい……平気です。この空模様は勘弁して欲しいですが』
 黒雲は雨を注ぎ、その勢いは徐々に激しくなっていた。地上はすでに真夜中のような闇に包まれている。
 確かに気分の良い天気ではないが、元気なく答えるゼクロスの声には、不安の色がにじんでいた。いくら激しい雨が降ろうが〈リグニオン〉に被害はないはずだ。いや、地上ですら、被害と呼べるような事態は発生しないだろう。
「どうしたんだ、いくら雨が降ろうが関係ないだろ?」
 マリオンがきくと、困ったような沈黙が返される。その様子を見ていたエイシアが、何かに気づいたように技術主任の脇からいたずらっぽい表情をのぞかせた。
「わかった。前に聞いたことがあるわ。ゼクロス、雷が怖いんでしょう」
『そっ、そんなことはないですよっ』
 図星を突かれたらしく、ゼクロスは焦ったように反論するが、それは肯定と同義である。彼は、こういうことでの嘘や誤魔化しは成功したためしがない。
「雷が怖いって……子どもだなあ」
 あきれた様子のマリオンに、ゼクロスは今度は言い訳をする。やはり、効果をあげたことはほとんどないが。
『違います、これは本能ですっ。人工知能はおしなべて雷が怖いものですよ』
 〈リグニオン〉は当然のこと、ゼクロスにしても、飛行中落雷により機能に損傷を受けることはない。また、大抵の惑星は地上に雷を誘導する装置を持った施設がある。そうして施設に蓄えた電力にも使い道があるのだ。
 落雷による事故は、現在では十年にあるかないかである。
「よしよし、わかったから。雷が鳴ってる間は休むんだな」
 と、その時、ピピピ、とコールトーンが鳴った。エイシアが自動的に映像が切り替わったモニターをのぞき込む。
 この〈リグニオン〉と地上との行き来には、ワープゲートが使用されていた。地上にあるワープゲートもこのラボのシステムで管理している。ここを訪れる者は、必ずオペレーターの目とセキュリティシステムにより確認されることになっているのだ。
 今回エイシアの目に映ったのは、見知らぬ男だった。金髪碧眼で背が高く、どこか荒事に慣れていそうな、鋭い印象を受ける。それでいて、落ち着いていた。
 彼が差し込んだIDカードにより、その身元情報が入力され、モニターに表示される。名は、ウォルフ・ブロンクス。100メートル級宇宙船のパイロット資格を持つ。いわゆる『運び屋』だ。重そうな、長さ2メートル近くもある大きな長方形の箱を抱えている。
 エイシアは特に問題なしと判断した。ゲートが開き、ウォルフがモニター上のゲート内に姿を消すと、ラボ内のゲートから淡い紅の光が洩れる。
「やあ、こんにちは。ノイル・バントラムさんはこちらだね?」
「ええ、今、留守にしてますけど」
 愛想笑いを浮かべて近づいて来る男に、エイシアは荷物のほうに注目しながら答えた。ウォルフはすぐ近くまで来ると、やっと解放されたという様子で、抱えていた金属性の箱をそっと下ろす。見かけでは、腕力のあるものでも1人では持ち上げられそうもないような印象だが、その見かけよりは軽いらしい。
「一体、何入ってんだ? どっから送ってきたのかも書いてねえし」
 エイシア同様箱を凝視しながら、マリオンが問う。
「さあ……オレはエルソンで会ったおっさんに頼まれただけだ。なかを見りゃわかるって言ってたな。爆弾じゃないから安心しろだとさ」
 箱に危険な反応がないことは、ラボ内に入る前にセキュリティシステムが確認している。しかし、差出人も中身も不明となると、警戒するのが自然だ。
 マリオンは思い出したようにゲートの小型宇宙船を振り返った。
『爆弾など罠のようなものが仕掛けられている可能性はないと考えられます』
 自分に期待されていることを察知し、ゼクロスが箱の内部を調査して報告する。話くらいは聞いているだろうが、ウォルフは一瞬驚きの表情を浮かべる。
「びっくりしたなあ……ゼクロスか?」
『はい、初めまして、ブロンクスさん。お仕事お疲れさまです……あっ』
 気分が悪いなか、ゼクロスはつとめて明るく言った。しかし、窓の外からの雷光が閃くと、恐怖にこわばったような声を上げる。
「本格的に嵐になってきたわね。……道中、気をつけて」
「ああ、それじゃあ」
 確かに渡したということが、彼のカードに記録される。それさえ済めば用はないという様子で、だがそれでも〈リグニオン〉内とゼクロスに好奇心を抱いたように振り返りながら、ウォルフはラボのワープゲートに入った。間もなく光に包まれ、監視モニターのひとつの中にある地上のゲートに現われる。
 運び屋が問題なく出て行ったのを確認し、エイシアは箱に視線を移す。
「とにかく、所長が戻るまで待ちましょうか」

 昼を少し過ぎたころ、エイシアはバントラム所長が帰って来たのを確認した。レインコートと茶色のコートを重ね着し、左手の鞄で白髪の混じった頭を覆い、右手でコートの襟を押さえている。コートのなかに何かを入れているようだ。
 その姿がラボ内に移り、何か勝ち誇ったような表情で歩み寄って来る。途中、床に横たわった箱に気づいて怪訝そうな顔をしたが、気にせずに航宙ゲートの前で足を止める。
「私がいない間に何かおもしろいことがあったようだな」
……別におもしろくありませんよ。あなたに贈り物だそうです、所長』
 まだ雷鳴が響いている。弱々しく告げるゼクロスのことばに反応し、チラリと箱に目をやるが、所長の関心は別にあるらしい。
「誕生日はまだ先のはずだがな。ま、私ばかりプレゼントをもらうのも気が引けることだし」
 と、彼はコートの襟を開いた。そこからのぞいた物体に、エイシアもマリオンも愕然とする。
 みゃ~、と、可愛らしい鳴き声がした。その声の持ち主が所長の襟から顔を出した子猫であることは疑いようもない。
「所長、その子……
「ああ、警備隊長が預かってる捨て猫を1匹もらってきたんだよ。引き取り先を探していたのでな。前にも猫を飼っていたことだし、かまわんだろう?」
 〈リグニオン〉のスタッフたちには、別に反対する理由はない。それに、彼らは所長が何のために子猫を飼うことに決めたのかは理解している。
『かわいい~! 名前決まってるんですか? ねえねえ、私が決めていいですか~?』
 ゼクロスは雷のことも忘れ去った様子で、嬉々として言う。落ち込んでいたのが嘘のようだ。
「はいはい、お好きにどうぞ」
『え~と、では、そうですね~……
 ゼクロスのネーミングセンスに興味があるのか、ラボ内のスタッフたちが1人残らず振り返り、次のことばを待った。
『では……フーニャ! 可愛い名前でしょう~?』
「それって単に鳴き声……
「安直というか奇抜というか……
 スタッフから似たような内容の突っ込みが入る。
『じゃあ、他のに変えますか?』
 すねたような声に、一同は仕方なさそうに首を振った。今日から〈リグニオン〉の住人に加わることになった白に黒い斑のある子猫の名前は、とりあえず『フーニャ』に決定する。
 バントラムにより床に降ろされたフーニャは怖がることもなく、興味深そうに辺りを見回して鳴いた。そして、ある一点に興味を示し、そのそばに寄っていく。
 それは、例の箱だ。その角になつくのを見て、バントラムはやっとその存在を思い出したようだった。
「こんな大きな荷物をもらう覚えはないが……何かの装置の試供品かの」
『いいえ、所長』
 フーニャに集中していたゼクロスが我に返り、はっきりと否定した。
『その内部構造を考えると生体部分が大部分を占めています。冷凍保存されている模様です』
「ナマモノかよ……
 マリオンは嫌な想像を思い浮かべた。
 生体部品を使用した装置の可能性もあるが、それが大部分を占めているとなると、そうそうない。それに、2メートル近くの長さがある箱……まるで、人が1人入りそうではないか。1度そう想像してしまうと、段々、箱が棺そっくりに見えてくる。
 少しの間、沈黙の時間が流れた。
「とにかく……なか、見てみません?」
 恐る恐る、エイシアが顔ぶれを見回す。
「うむ……このままでは仕方がないからな」
『開けたら、すぐに離れてください』
 バントラムとマリオンが、それぞれ箱の端に立つ。彼らのあまりしたくない想像に気づいてしまい、怖がりなゼクロスは怯えた声を出した。しかし、箱のそばに臆することなく、フーニャが近寄っていったのだ。彼は、大丈夫、と思い込むことにした。
 フーニャは、エイシアが抱え上げて離れる。バントラムとマリオンが箱の蓋の角に手をやり、力を込めた。
 意外に軽かったらしく、わずかに隙間ができるなり、白い蒸気のようなものが噴き出す。2人は、慌ててそこから離れた。
 皆が凝視する中、蓋が自動的に横に開く。なかから吐き出された白いもやはすぐに消え、そのなかに横たわるものが姿を現わす。
 それは、小柄な少女の姿だった。なぜかワンピースのスカートにエプロン姿で、瞳を閉ざしている。栗色の髪の、整った顔立ちの少女だ。一見、ただ眠っているだけに見える。
 本当に人の姿が出てきたことに驚いたが、それが死んでいるようには見えないためか、それとも思いがけない姿をしていたためか、気味の悪さは消えていた。皆、ただただ茫然と、箱のなかに横たわった少女の姿を見下ろす。
「こりゃ驚いた……
 いつの間にかマリオンのとなりでのぞき込んでいたカート・アスラード博士が、自身のことば通り、驚きで気の抜けたような声を出す。
 〈リグニオン〉始まって以来有数の注目を浴びながら、その箱のなかに横たわる少女は、不意に目を開けた。済んだ海のような、緑がかった淡いブルー。その瞳に捕らえられた人々は、思わず一瞬身構える。
 だが、少女の顔に怯えたような表情が浮かんだのを見て、警戒の次に辺りの空気を支配したのは、困惑だ。その様子を眺めながら、少女はそっと身を起こす。
「あの……
 澄んだ声が洩れた。不安げに周囲の顔ぶれを見回す。
「ここは、オリヴンのラボ〈リグニオン〉でしょうか?」
 心細げにきかれて、一同は半ば茫然としながらうなずく。
 すると、少女は安心したように、柔らかなほほ笑みを浮かべた。
「初めまして。私はラファサといいます。ファジッタのトラム研究所より参りました」
 礼儀正しく自己紹介する。しかし、それは皆の疑問をさらに増やすことになる。
 代表して、バントラムが口を開いた。
「それはいいのだけども……なぜ、このなかに……どうして無事で?」
 思考の整理がついていないのか、その質問もどこか曖昧である。
 小首を傾げるラファサに代わって答えたのは、ゼクロスだった。
『その女性は人間とは思われません。おそらく――』
「人間型生体ロボットです」
 ラファサは、ニコリと笑って言う。
 いわゆるアンドロイドは、すでに存在していた。しかし、ほとんどはゼクロスほどの高度な精神構造を持つに至っていない。人間とまったく同じ体験を処理するには、別のシステムとプログラムの構造を持つ必要がある。それに、強固なセキュリティに幾重にも守られたゼクロスなどと違って、中枢部の守りが薄いとも言える。
「ナシェル博士から、こちらの方々のお役に立つように、と言われて来ました。お邪魔にならないよう努力しますので、どうぞよろしくお願いします」
 ペコリ、と頭を下げる。
 訳がわからにままに、〈リグニオン〉のスタッフたちはとりあえずうなずく他なかった。

 ラファサはもともとメイド用ロボットとして開発されたらしく、自ら仕事を見つけて働いた。3層構造になってる〈リグニオン〉のうち、もっとも人目に触れる中央部分はそれなりに整理されているが、上段の宿泊区と下段の倉庫はほとんんど整理整頓ということばとは無縁のありさまである。住人はあまり整理が得意な気質ではないらしい。
 宿泊区は今も眠っている者たちが少なからずいるため、後回しにされる。ラファサはラボの床をホウキで掃き、持参したらしい雑巾で磨き、散らばっていたゴミくずをダストシュートに入れ、モニターや窓を拭き、とりあえず見えているところを綺麗にした。
「ほんと、働き者だねえ。今、ここで働いているのはラファサだけだよ」
 茶を運んできた少女に、マリオンは苦笑混じりに言った。ほとんどのスタッフは同僚と談笑し、ヒマ潰し程度に機器の点検を行っているくらいだ。
「これが、私のお役目ですから。お役に立てれば光栄です」
 彼女はマリオンがどこかから持ち出してきたテーブルに、ハーブティーを並べる。そこはエイシアやバントラムらがパイプ椅子に座って談笑している一角だ。つまり、エイシアの持ち場のすぐそばに集合してヒマを潰しているのである。
「上の階の方々を起こすわけもいきませんし……他に、お掃除できる場所はありませんか?」
 と、問い掛けるその目は、航宙ゲートの方を向いている。
『あ……キイがいない間にいじると、怒られるかもしれませんから……
 いつになく大人しいゼクロスが、慌てたように応じた。
「早くキイさんにもお会いしたいです。あなたのこともナシェル博士から聞いて来ましたよ、ゼクロスさんですね?」
『ゼクロス、でいいです、ラファサさん』
「では、私のこともラファサと呼んでください」
 にっこりと笑い、少女はスピーカーから流れる綺麗な声にことばを返す。
 その様子を眩しげに見てから、バントラムは小声でぼやく。
「ナシェル博士もとんでもないお礼を考えたものだな……
「そもそも、なんでメイド服なんだ?」
「趣味じゃないか?」
 男性陣がことばを交わしているうちに、ラファサはホウキと雑巾を縁にかけたバケツを持ち上げた。新しい清掃対象を思いついたらしい。
「私、倉庫のお掃除行って来ますね」
 笑顔のままでそう言うなり、ワープゲートに向かっていく。
「1人で大丈夫なの?」
「私、けっこう力持ちなんですよ。人間ではありませんから」
 重そうにバケツを持ち上げている姿からはとてもそうは思えないけどな、と思いながら、エイシアは少女の姿を見送った。

 円形の中央のワープゲートに現われるなり、自動的に照明が点灯した。ラファサはバケツを置くと、機材が山積みになり、あるいは天井すれすれの高さがある装置が並んでいるのを見回した。ある程度の知識がある彼女だが、装置の半分以上は用途不明だった。もっとも、1番目につくのは何かの破片や紙くずとしか形容できないものだが。
 ホウキだけを手にして、ラファサはわざと装置と装置の間の隙間に滑り込んだ。身体の向きを横にして狭い間を抜け、斜めになった壁に辿り着く。
 そこは、背の高い装置に囲まれた、孤立した空間だ。壁は全面透過素材でできていて、防音効果で音はないが、叩きつけるような豪雨とそれを振り落とす黒雲は奇妙な騒がしさを連想させた。
 時折雷鳴が響くのを物憂げに見つめながら、人ならざる少女はエプロンのポケットから、銀色のカードを取り出した。それは、IDカードを偽装した通信機だ。
「ラファサより、博士へ。応答願います」
『ああ、報告しろ』
 若い男の声が、通信機から洩れた。それが合図だったかのように、少女の顔から表情が消える。それまでの柔らかな笑みは跡形もなく消え去り、仮面のような白い顔を暗い空に向けて立つ姿は、まるで意思を持たない人形のようだ……
「潜入完了しました。現在のところ問題ありません。ただ、キイ・マスターは本日はいないようです」
『そうか。……機会があれば、ターゲットをキイ・マスターに変更しろ。だが無理はするな、彼女は油断ならない相手だ』
「了解しました。予定の任務を遂行します」
『気をつけろ。予定の時までお前に死なれては困るからな』
 相手はそう告げると、通信を切る。
 予定の時まであとどれくらいだろう、と、ラファサは思った。
 〈リグニオン〉の技術の最高峰が使用されている宇宙船XEXについてできる限りのことを調べ、後の計画の布石となり、その開発に関わる重要人物――バントラムを巻き込んで死ぬこと、それが生まれながら彼女に与えられた使命だった。
 何のためにそれが必要なのか、彼女は教えられていない。ただ、彼女が自身の開発者に逆らえるはずもなく、ただ、言われたことをするだけ。
 自分は生きていると言えるのか。存在している意味があるのか……
 その思考自体が無駄なことだと考えながら、溜め息を洩らし、背中を大きな装置に預ける。
 きしんだ音がすると、ラファサは驚いて顔を上げた。その視界で、黒い物が巨大化していく。
 金属でできた板だった。その素材までが、ラファサには一目でわかる。しかし、今必要なのはそんなことじゃない――彼女は唯一の脱出口に目を向ける。彼女の脚力なら、充分間に合う距離だ。
 だが、不意に、視界が光に満たされた。窓からの雷光に一瞬方位を見失う。
 立ちすくむ彼女が気がつくと、すでに金属板は目前に迫っていた。
 これで終るのだろうか?
 重さに押し付けられ、床に叩きつけられるように倒れこむ。その重さが自身の腕力ではどうにもならならないものだと、彼女はすぐに確信した。身体の耐久性は低くはないが、長く持ちこたえることはできないだろう。
 それまでに、誰かが見つけてくれるだろうか。見つけてくれたとしても、この金属板をどかすのには時間がかかりそうだ。
 すべての計画が駄目になるかもしれない。でも、そのほうがいいのかもしれない。
 大きな、そして重い金属板にのしかかられ、息苦しさを感じながら、天井を見上げようとする。しかし、金属板に遮られて視界は黒一色だった。
 彼女はその闇に意識が捉われていくのに気づかず、いつの間にか、意識を失っていた。

 頬の辺りに、何かくすぐったいものを感じた。
 不意に、感覚が戻ってくる。ラファサはゆっくりと目を開けた。室内の照明は目に優しく控えめで、すぐに辺りの様子が把握できる。清潔そうな、調度品が白でまとめられた部屋だ。病室に類する部屋に違いない。
 だが、少々場違いなものが最初に視界に入ってくる。枕もとで声を上げた小さな生き物は、フーニャだ。
「気分はどう? ラファサ」
 身を起こして子猫を抱え上げた時声をかけられ、ラファサはようやくエイシアの存在に気づいた。仕事を誰かに代わってもらったらしいエイシアは、安心させるようなほほ笑みを浮かべて少女をのぞき込む。
「平気です。ご心配をおかけして申し訳ありません」
 ラファサは、彼女に当たり前のものとしてプログラムされた、非のうちどころがない、愛らしいほほ笑みを返した。誰もその笑顔の仮面の裏を見抜けないだろう、と、彼女自身は思う。それをどこかむなしく感じながらも、笑みは崩さない。
「いいえ、やっぱり1人で行かせたのが悪いんですもの。危険な場所なのに」
『一応監視カメラはあったのですが、もともと倉庫には少ないうえ、死角でしたしね。今後もこのような事故が起こるかもしれませんから、カメラを増やすか、サーチアイを飛ばしたほうが良さそうです……それに、そうするべきでした』
 室内にいる人間はエイシアだけだが、ここにも管理システムのセンサーや端末があるらしい。ゼクロスが少し疲れたような声を響かせる。
 少しぼんやりしていたラファサは、彼に助けられたことに思い至った。
「ごめんなさい……私のために……
『いいえ』
 ゼクロスは即答した。
 ラファサにのしかかっていた金属板を発見後即座に退かすために、彼はためらうことなくASを使った。金属板を分解して消滅させるくらいではそれほど消耗しないが、不調の彼がASを使うのをバントラム所長らは歓迎しないだろう。だが、それでも彼らは決断したのだ。
 何か異質なものを見る気分で天井を見上げるラファサに、ゼクロスは続けて言う。
『あなたの命に比べれば、安いものですよ』
 命。それが、自分にもあるのだろうか。
 一瞬茫然とする彼女の手に、フーニャがそのやわらかい毛に覆われた頭をなすりつけた。その心地よい感覚に我に返り、世界を知って間もない少女は思う。
 せめて、生きていられる間は生々しく世界を感じていたい、と。

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