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  NO/04-02


 半円形のブリッジに響く警報。
 セスタは動転していたが、それ以上に響く合成音声は混乱していた。
『セスタ、メインコンソールの下のケース内のレバーを下ろして! このまま船の制御を奪われれば、あなたを傷つけるかもしれない』
「そ、そのレバーを下ろすとどうなるの?」
 立ち上がってふらふらと正面へと歩きながら、少年は舌を噛みそうになりながら言った。
『すべての動力を完全に断ちます。このブリッジは無事ですが、もう機関部も支配されつつある。急いで!』
 それは中枢を含むすべての機能を完全停止するということだ。どんなに損傷を被ったときでも、長時間の待機を行うときでも普通は決して取ることのない手段である。休眠モードやそれ以下に稼働率を下げることがあったとしても、通常は中枢の完全な電源の停止は行わない。
「大丈夫なの、そんな……」
 大丈夫ではない。電源を落とされればゼクロスは自分が死んだように感じるだろう。セスタは本能的に、あるいは忘れたはずの記憶のどこかでそれを知っていた。
『他に方法はありません』
 ――いや、ある。
 少年は思った。この小惑星に到着する前に見た夢を思い出す。おそらく、あれはただの夢ではなかったのだ。
 コンソールの上に両手をつき、彼は意識を集中した。夢の中で体験した感覚と今の感覚を重ねる。集中すると、彼にはデータの上では探れないはずの侵入ポイントが知覚できた。
 彼が何をするつもりか察知したゼクロスはそれを受け入れる。
 セスタの閉じたまぶたに幾筋も複雑に絡みあった光の道が浮かぶ。視覚化されたその光景はとてもわずかな間に理解できるようなものではないが、彼は理解した。生まれながら、もともと備わっている能力で。
 セスタは相手の強制力を押さえ込もうとした。それ自体は単純な、力と力の戦いだ。集中しながら彼は別のことも考える。この情況が余り長く続くようだと自分よりゼクロスがもたないかもしれない。
 少年はそうとは知らないが、ASに組み込まれた緊急時用プログラムにより制御室のゼクロスの中枢だけは侵入を免れる。しかし、連結システムの機能不全や損傷は中枢に負荷となってのしかかる。侵入されたシステムを機能的に切り離してしまえばネガティヴなフィードバックからも解放されるが、それは自ら制御権を放棄するも同然だ。
 サイバーシンクロニシティでネットワークに同調している間、その能力者は周囲のシステム内の状態もある程度把握できた。通常空間で他の作業に集中していても匂いや音声を取得しているようなものだ。
 ゼクロスは不安と心配、かすかな苦痛を意識しながら制御領域内の戦いを見守っていた。介入することはできない――介入すれば過負荷になり、戦場になっている連結システムは停止し中枢もダメージを負う。そうなれば侵入者は新たな侵入ポイントを見つけて侵入を再開するだけだ。
 少年の身体はコンソールに手をついたまま微動だにしない。頬をつたう汗が落ち、卓の上にしたたる。しかしセスタ自身はそれを意識してもいない。
 彼は全身全霊をかけ、侵入を――その奥にあるものまでを突き通そうと心を研ぎ澄ませた。

 湖の近く、林の並ぶ丘の下の崖で、キイはじっと時の過ぎるのを待った。
 ASを使えばゼクロスと連絡を取ることも可能だろうが、今は怪我の治療に集中している。治すのは行動の障害になるレベルの負傷だけだ。
 ――それにしても、抜かったな。
 彼女は珍しく反省する。セスタの目を意識し過ぎたかもしれない。いや、そうでなくてもレイガン以外にまともな武器を持っていなかったのは失敗だった。あるいは、もっと早くにASを使うべきだったか。
 ゼクロスはASにより最悪の事態だけは免れるだろう。だが問題はセスタだ。相手が待ち受けて罠を張っていた以上、バリアもステルス・コートも役には立たない。とうに居場所はばれており、機械兵たちがすでに向かっているはずだ。もう着いたかもしれない。
 機械兵たち――敵の攻撃能力は排除しなければならない。しかも、早く。
 体組織の再生が完了すると、キイは穴と焼け焦げだらけの上着やグローブを脱ぎ、いつもの姿になる。少々寒そうな、場違いな姿。
 大きく息を吐き、立ち上がる。身体のあちこちに痛みはあるが、それを意識から締め出してもう一度光が形作る剣を握った。思考を戦闘者のそれへと切り替える。
 敵を殲滅する。
 隠れ蓑にしていた崖を駆け上り、建物群へ。空を周回していたいくつかの飛行型機械兵が一気に急襲してくる。
 不可視の光線を避け、キイは刃を突き出す。枝分かれした刃が伸び、上空の機械兵たちを天に縫いとめた。それも一瞬で、刃が戻るなり重い落下音が次々響く。
 歩行型機械兵が向かってくるのを無視し、建物の横手へ。窓は小さな格子窓がいくつかあるだけで、内部の様子はうかがいしれない。
 足音がした。走り続けるキイの前にヘッドギアとプロテクターを着けた生身の人間が三人。レーザーサイト付の大型レーザーライフルをかまえている。
「止まれ!」
 誰かが叫ぶがキイは止まらない。撃たれた光線を右手の剣で斬り払い、左手で麻痺銃を放つ。プロテクターにもヘッドギアにも覆われていないわずかな隙間、首筋にビームが命中した。間断なく射撃は続く。
 キイは倒れた人間たちを跳び越え建物の正面に出る。
 見覚えのある顔があった。スタッド・マリスという偽名を使う男。ただし強化透過フィルター越しに顔が見えるだけで、全身はアームスーツに包まれている。赤と黒を基調とした無骨なフォルムは接近戦型と知れた。周囲を何種類かの機械兵七体が囲む。飛行型もいた。
 追ってくる者たちがガチャンガチャンとうるさい音を立てる。それを待たず、キイは走り続ける。
「命知らずだな」
 アームスーツの男のこもった声。
 男は右手の甲についている大型レイブレードを起動させた。同時に周囲の機械兵たちも標的への動きを開始する。
 攻撃を回避しながら、キイの視線はアームスーツの上から動かない。
 飛行型機械兵の急降下。ブラスターではなく腕から生えたブレードで斬りつけようというらしい。
 キイはそれを受け止めようとかまえ、一歩跳び退く。
「勘が鋭いな」
 レイブレードの太い刃が機械兵の胴を両断していた。回避しなければ一緒に斬られていただろう。
 さらに、アームスーツの両肩から光弾が飛ぶ。横に跳んで転がるキイの視界をまばゆい光が覆う。光弾は破壊と同時に煙幕の役割も果たすもののようだ。
 目を閉じ、それでもキイは動いた。刃を振るい接近してきた歩行型機械兵を三体、ひとまとめに薙ぎ払う。そして煙幕弾を投げる。相手も同じ条件にしようというのだ。一瞬、周囲のあらゆるものの動きが止まる。
 だが、機械兵たちはともかく人間を内包するアームスーツは騙せない。
「そんなもの、効くかよ!」
 再び光弾を発しながら、スタッド・マリスは跳びかかる。キイは光剣を両手に突きのかまえをとった。
 そのとき、ふと意識に引っかかる気配。何かが飛来する。
 相手もそれに気を取られた一瞬、キイは剣を伸ばしレイブレードの発動孔を破壊する。しまった、という顔をしながら男は左のアームに収納されている刃を出し、斬りかかろうとする。
 キイは跳び退いた。わずかな距離だが、それで充分だった。
 機械兵たちが落ちる。アームスーツの機能も破壊され、男は急に重さを感じて落下するなりうずくまる。筋力増強機構も移動補助機構も今は消失している。
 まだチカチカと霞がかかっているが、軽く見上げたキイの目には銀色の小さな飛行物体が映る。ゼクロスの高周波ビットだった。
 おそらく、ゼクロスはまだ無事な部分の外部センサーで機械兵の襲撃を知り、すでに居場所がばれているなら黙っていることはないと、積載機で攻撃に転じたのだろう。機械兵が何十体襲撃しようと一級戦闘艦クラスの兵装の相手にはならない――ゼクロス自身が攻撃手段を制御できている間は。
 高周波ビットは周囲の電子機器内部のプログラムをすべて破壊したが、キイのASは無事だった。存在し続けることを最上命題にしているASは、ASでなければ破壊できない。内側も、外側も。
 アームスーツはもう脅威にはならないだろう。キイはそれらと糸が切れた操り人形のような機械兵たちを無視し、建物内に入る。一番近くの、開け放たれたドアから。
 薄暗い内部はまるで監獄のようだった。むき出しの金属板の壁と天井、牢獄らしき部屋。だがすぐに、周囲は開ける。宇宙船もおさまる大きさのドッグのようだ。
 正面に通路への入り口があった。音もなく駆けてドッグを横切り、入り組んだ通路へ。
 人の気配を見つけたのは、事務室らしき場所。
 見覚えのある女と、男。
「あんた……!」
 入り口のそばにいた女が麻痺銃をかまえるが、余り慣れていない様子だった。背後のデスクで端末のモニターに向かっている男は微動だにしない。
 キイは麻痺銃の射線から身をかがめて逃れると、救い上げるように左手を伸ばして相手の腕を抱える。
「なっ!?」
 女が驚く間に麻痺銃の銃口の向きを変え、発射。
 崩れ落ちた女をそのままに、未だ動かずにいる大柄な男へ。
 ――こいつがそうか。
 即座にキイは理解する。サイバーシンクロニシティ。この男もセスタと同種のものであり、ゼクロスの制御権を掌握しようとしているのだ。ならば、肉体を刺激すれば中断するはずだ。
 だが彼女はそうしなかった。

 見えざる戦いは熾烈を極めた。
 侵入ポイントで強制力のぶつけ合いをやりながら、細かな部分で手を出してはそれを塞ぎ、ということを繰り返す。まさにイタチごっこだ。それでも、どちらも時間稼ぎにさえなれば有利になるのではないかという狙いがある。
 ただ、セスタはそれだけでは済まない。早くこの情況を脱さなくてはという焦りもある。
 ゼクロスも焦っていた。AS利用と制御領域内で襲撃者への迎撃、キイの援護を行うことで疲労を覚えながら、キイとセスタを心配する。高周波ビットのセンサーでとりあえずキイが無事なのは判明し、少し安堵はしていたが。
 だが、セスタはどうなのだろう。同じ能力者相手に経験の薄い少年が勝てるものなのか。相手はおそらく、熟練者だ――無理にでもASを使い情況を打開すべきかと、中枢は手段を考え始める。
 しかし不意にゼクロスは失神した。負荷が危険領域に入ったと自己診断機能で判断されたわけでもないのに、突然の強制休眠がかかる。
 連結システムは生きているが制御はされていない。無防備な状態だ。
 全システム内と連結しているセスタも当然情況を知り、焦る。このままでは危険だ。
 ネットワークの向こうで誰かが笑う。
 無防備で深いところに侵入者の手は及び――凍りつく。
〈捕まえた〉
 笑っていたのは侵入者ではなかった。
 セスタは迷いなく、抵抗できない侵入者の向こう側へ接続する。

 ほんの、冒険心からだった。好奇心とも言える。
 自分で必死に貯金した財産をはたいて買った小型航宙機だ。これでどこへ行こうと文句を言われる筋合いはないではないか。そう思い、針路を光の大河に向ける。
 未知の光景、未知の体験。航宙機のオートパイロット機能は優秀で、ときどき冷やりとするものの、決して浮遊する岩石や危険な大きさのデブリにぶつかることはなかった。少年にとってそれはスリリングで楽しい体験の一種に過ぎない。
 ただ、深く潜り過ぎたのが運の尽き。
 航宙機は撃ち落された。自然の浮遊物ではなく、人工のものの砲撃によって。
 警告を発するシステム。穴が空いた、というモニター表示がわかる。焦りながら彼はシステムとシンクロした。
 呼吸が苦しくなる。彼は叫んだが、声は出ない。誰かに知らせたかった。環境維持システムは崩壊しつつあるが、航宙機の通信機能はまだ動いている。
 せめてより遠くへ、沢山のものを――。

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