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  NO/04 到達点 ―故郷への決断―


 少年は夢を見た。
 夢とは思われないほど、リアルな感触。冷たい雪のひとひらがかじかんだ指に降りそそいで融ける。それ以上に、握り締めた金属の格子は冷たい。
 外では顔の見えない人影がことばを交わしていた。どちらも大人の男だ。
「じゃあ、作戦決行は一ヶ月後か」
「本当はもっと準備時間が欲しいが、奇襲に気がつかれる可能性が高まるからな。連中の能力さえ知ってれば対策のしようはいくらでもある」
「それは確かに。武力にゃとんと縁のない惑星でな。能力を逆手にとって混乱させることもできるぜ」
 少年は直感する。彼らが話しているのは母星のことだ――脳裏に、柔らかな青緑の霞に覆われたような母星の姿が浮かぶ。
 つまり、男たちは群を率いて故郷の惑星を襲おうというのか。
 そんなことは許せない。なんとしてでもここを脱出して皆に知らせなければ。今それができるのは自分だけなのだから。
 彼は精神を集中した。この建物にめぐらされた回路に入り込み、ロック開閉ルーチンの判断操作に割り込む。部屋の反対側の端からのカチリという音が彼の意識を呼び返す。
 ゆっくりと廊下に出る。見回りは外らしく、誰の気配もない。
 彼はすでに、この建物の経路図や設備表示も取り出していた。向かう先はドッグだ。そこには様々な種類の航宙機が並んでおり、それぞれの性能についての情報も取得してある。
 選んだのは、整備済みの小型船。長距離移動にも耐えられるカプセル型の頑丈なものだ。彼が以前使ったものと同じタイプのものだった。
 それに乗り込むと、ドッグのシステムに侵入してゲートを開かせる。さすがに周囲の者たちも気がつくだろうが、飛び出してしまいさえすればいい。
 だが、ゲートが開ききる前に彼は気がつく。
 誰かが宇宙船のシステムに干渉している。それは同じ能力を持った者でなくてはあり得ない……。
『セスタ、大丈夫ですか?』
 少年は優しく綺麗な声にゆるやかに引きあげられるのを感じる。意識を、より現実感のある空間へ。
 清潔に保たれた白い天井が見えた。ほんの少しの間ぼうっとしていたが、すぐに思い出す。まだ到着に時間がかかるというので、セスタは自室で仮眠をとることにしたのだった。脳が完全に覚醒すると、今かけられた声に意識が移る。
「ああ……ゼクロス、ぼくは何か迷惑かけなかった?」
『いいえ。何度かわずかな揺らぎは感じましたが、それだけです。あなたが少しうなされているようだから起こしたまでです』
 安堵したような声を聞き、セスタもほっとしてベッドから降りる。
「良かった。まだ、時間がかかりそう?」
『〈ミラージュベール〉内ではワープモードを使うわけにいきませんからね。あと四〇分余りといったところです……なかなか、退屈はしないところですが』
 乗員にとってはともかく、航宙機の航法制御を行う者には一瞬も気の抜けない進路だ。密集した小惑星やデブリ、遊星など様々な障害物を、ゼクロスは回避行動や機体をめぐるCSリングで叩き落すなどして何度もやり過ごしていた。進路ひとつとっても、障害物の間を縫うように移動しなければならない。
 そのような行動の痕跡も、機内にはまったく感じられなかったが。
 〈ミラージュベール〉内にいることを実感するため、セスタは展望室に向かった。部屋に入るなり、全面が大小さまざまな白、灰、青、赤茶などの星屑や遠くの光の粒、ガスのようなデブリの舞い上がる光景に満たされる。近くの天体などの動きは速いが、機体が慎重な速度を保っているため遠くのものの流れは穏やかである。
「本当に、川の中を行っているみたいだね」
 船の発する光に染まったガスの中をくぐり、沈み込むように小惑星を避け、奥へ奥へと進んでいく。神秘的な光景だった。
『わたしとしては、もっと清流ならば嬉しいです。ここは障害物が有り過ぎる。キイならここが腕の見せ所と言うところでしょうが』
「ずっと障害物を抜けていくのは疲れる?」
『いいえ。しかし、見晴らしが悪いと不測の事態に気がつくのが遅れます。ここはセンサーや通信にも障害が発生しやすい……幸いティアーノ博士の通信機は動いていますが、この追跡ビームも弱くなりつつあります』
 宇宙の闇の中に孤立しつつある。それを実感するが、セスタは不思議と恐れはなかった。それより先に待ち受けるものへの期待が大きい。彼はこの障害物の奔流も、以前に目にしたことがある気がしてならなかった。
 しばらく船の外の様子を眺めた後、彼はブリッジに戻る。キイ・マスターは相変わらず艦長席に座り、両手に一冊の本を持ち読んでいた。『図解・大物宇宙魚大事典』と銀河連合共通語の題字が書かれている。
 特に本を読む気も起きず、少年はメインモニターの機外の映像を見ながらゼクロスとことばを交わしていた。
『目標地点まで、あと五分』
 その案内が流れるまでが、長く感じられた。
 キイが顔を上げ、本をたたむ。その漆黒の目がメインモニターを見上げた。障害物が多過ぎて、未だ目標を視認することはできない。
「博士の通信機はどうだ?」
『だいぶ信号は弱まっていますが、交信は可能です。チャンネルを接続しますか?』
「いや、いい。映像は送信しているだろう」
 直後に、三分前の案内。セスタは自分の鼓動の音が鼓膜を震わせているような感覚を抱く。
 やがて、周囲を少しうるさく感じるくらいに覆っていた障害物らが途切れる。それでもそれは背景に敷き詰められたように姿を見せながら、白い小惑星を空間の中心に抱いていた。
『――明確な人工物や、機器の反応と思しき信号を感知しています』
 綺麗な声が張り詰める。
 より接近すると、それはキイたちの目にも明らかになる。灰色の建物がいくつか点在していた。近くには、小さな湖。サブモニターの表示によると、大気の組成や気圧、重力は制御されてるようだ。
「どこか郊外に降りれるか? あちらに、こちらへの反応は?」
『今のところありません。直接降りますか? とりあえずは探査機体を利用した方が良いと思われますが』
 ゼクロスは普段以上に慎重になっているようだった。キイは少し考え、首を振る。
「探査機体を通しての攻撃も想定しよう。バリアとステルス・コートを展開。郊外の地上一メートルまで降下だ」
 即座に了解し、小型宇宙船は言われた通りにした。紺の翼は光学的にも電磁的にも周囲の景色に溶け消えながら、ゆっくりと建物群から離れた雪原に降りていく。
 見えないはずのその行方を一対の機械的な目が見ていた。しっかりとマーカーを定めたそれは、最初から相手を待ち受けていなければ可能にならない動作だった。

 粉雪を舞い上げゼクロスが雪原に着いて間もなく、キイは動きやすい防寒具をまとって側面ハッチを飛び降りた。通信機つきのヘルメットも上着もブーツもグローブも、すべて白にまとめている。
 雪はそう深くはない。キイは音もなく移動した。目指すは、最も大きな建物の裏手だ。
「前にも言ったけど、危機を感じたらわたしを置いてでも逃げなよ。わたしは一人でも何とかできる」
『わかっていますよ。あなたはどうやっても死にそうにないですからね』
「それは言い過ぎ」
 ラスカーンと同じ構図だった。セスタはブリッジで二人の交信を聞いている。以前と違い、少年も安心してキイのヘルメットについたレンズからの映像を見ていられるが。
『しかし、未知の生物が存在する可能性がありますから気をつけてください。あいにく、建物内はスキャン不能です。ここは〈ミラージュベール〉の特性を収束して利用する仕組みになっています』
「肉眼で確かめるしかないわけだ。できるだけおいしい、少なくとも食える相手だといいな」
『何を言ってるんですか。変な本を読むからですよ……キイ』
 キイのヘルメット内に響く声の調子が変わる。
 視界が狭まっているが、彼女は気がついていた。行く手の建物の上にいつの間にか、銀色の人型戦闘機、機械兵が二体現われている。スマートな外観で、左のアームにシンプルな大型ブラスターを装備していた。
「食えない相手だ」
 左に跳んだその脇の、数十センチ四方の雪が一瞬にして蒸発した。
 ブラスターの射程内を離れようと走りながら振り返ると、機械兵は背中から細長いウィング・ユニットを広げたところだった。
「飛べるのか」
『ライノン社製、エアロフィリングM8――元の性能は飛行できることを除き大したものではありませんが、相当改造されています。ブラスターはおそらく4S40式、出力と精度より機動性重視型』
 追いかけることに重きを置いた機械兵らしいと知り、キイは逃げるのをやめた。
 振り向きざまにレイガンを発砲。接近しつつあった一体の安定翼の根もとを狙う。だが、滑らかな翼の表面は光線を弾いた。
 再びブラスターの砲撃。レイガンを持ち替えたキイは逃げるのが一瞬遅れ、衝撃で転倒する。そのまま転がってもう一体からの砲撃をかわす。
 起きて走り出し、彼女はレイガンの出力メモリを一杯まで上げる。
『そんなことをすればおシャカですよ。もう少しこちらに来ていただければ、わたしが――』
「それじゃあ場所を知らせるようなものだ」
 いつもと違う持ち方をして、キイは撃った。
 爆音が鳴る。レイガンの短いバレルは大きく裂け、破片と細い煙を噴き上げた。同時に二体の機械兵は重なり合うように落下する。
 慌ててレイガンを跳ね飛ばし、キイは痺れた手を振る。グローブの厚みもあってか、幸い火傷は負っていない。
「もうこっちには気づいてるだろうが……」
 予備の麻痺銃を上着の内側から抜き、キイは少し離れてしまった建物へと再び歩を進め始める。
 数歩も歩いたところで、彼女は羽虫のような音を聞いた。
 建物の屋根に並ぶシルエット――見覚えのある機械兵の姿。その数、十はゆうに超えている。
 銃口がいくつも向き、音もない射撃の雨が降る。
『キイ!』
 絶叫を聞きながらキイは転がる。ヘルメットのゴーグルにひびが入り、視界を蜘蛛の巣のように塞がれて顔をしかめながら彼女は走る。走りながらヘルメットを取ると、嫌な臭いがした。血と肉の焼ける臭い。
 もはや出し惜しみをしている余裕はないとキイは判断した。その手のひらに黄金色の光で構成された剣が現われる。形も長さも重さも硬さも自由自在の剣。
『早く片付けたら、治療しないとまずいですよ。消失した体組織が多い。出血多量の心配はありませんが、左足首と右肩はほとんど骨だけで、いつまでもつか……』
 イヤリング型通信機からの声。心配には違いないが、キイがASを利用することにしたことでゼクロスは少し安心したらしかった。
「そりゃ、こっちだっていつまでもこの姿は遠慮したいよ」
 痛覚を遮断しているせいか、キイの声はうんざりしてはいるが普段と変わりない。話しながら左手で長大な光の剣を振るい、上空の機械兵の半数を一掃する。
 だが、建物の向こうから新手が現れる。地上歩行型の機械兵五体。
 まずは敵を殲滅してから、と考えていたキイは作戦を変えざるを得なくなる。ここに至って彼女はすべてが罠だったのだと気がつくが、もはやどうしようもない。逃げて身を潜めるしかなかった。
「ゼクロス、どこか谷やら洞穴やらがあると嬉しいんだが」
 懐から取り出した煙と電波的撹乱情報を流す煙幕弾を放り投げ、後ろも見ずに雪原を走る。
『その右手側、湖畔の林の近くに……っ!?』
 声に走る揺らぎ。
 すでにしかめられていたキイの顔に、さらにあきらかな不審の色が浮かぶ。それを深める、悲鳴じみた声。
『キイっ! わたしの制御領域が奪われていきます! どこかから侵入を受けて』
「外部入力を遮断しろ! 博士の通信機もだ」
『駄目です、もうこちらの入力を受け付けない! キイ、わたしは――』
 通信が途絶える。
 キイは別の通信ユニットも試してみたが、何ひとつ反応は返らなかった。

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