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  NO/03 - 003


 セスタはいつになく、胸騒ぎのようなものを感じて落ち着かなかった。
 回収された箱は第三ゲートに置かれ、その周囲を遮蔽シールドに覆われている。周囲に付着していた未知の物質をそぎ落とされ、遠目に見えるそれは青銅色でわずかに透明感があった。それを眺めていると頭の中に何かが浮かびそうだ。
 これが、思い出しかけているということもしれない。彼は漠然とそう思う。
『セスタ……またあの箱から何か聞こえるのですか?』
 となりのゲートに駐機しているゼクロスはキイの持つイヤリングと襟裏のマイク、腕輪型通信ユニットで、視覚と音声による交信手段を確保していた。
「あれに見覚えがある気がするんだ……はっきりとはしないけど」
『それでは……』
 その声がわずかに揺らぐ。
 〈ミラージュベール〉からやってきた箱に見覚えがあるということは、セスタはこちら側の宙域の人間ではない可能性が高い。〈ミラージュベール〉の内部、もしくはその彼方の〈果て〉の者である可能性が高いのではないか。
 周囲に並んでいる者たちもそれに思い至るが、声を出す前に天井からハンライルが言った。
『司令官、分析が終了しました』
 レモンド司令官以下、スタッフの主だった面々もゲート内に集合している。遮蔽シールド内ではハンライルによる調査ロボットの遠隔操作で箱を詳しく調べていた。どうやらしっかり固定されているらしく、マニピュレータが溝を探すも、箱を開くことはできないらしい。
『それは一言で言うなら、コンピュータでしょう。大部分を何かのデータバンクが占めています……その内容を信号として発信しているのです。信号の内容は分析に時間がかかります。我々の宙域で知られた形式や言語ではありません』
「未知の文明の手によるものには間違いないな」
 科学主任が顔色を変えずに言った。すでに覚悟はできているのだろう。
 これ以上の情報を得るには、信号の詳細分析結果を待つしかない。司令官は司令室への帰還を命じかける。
「あの、待ってください」
 勇気を振り絞って言ったのは、必死の表情を浮かべた少年だった。
「もう少し……あれに近づけませんか? そうすれば、もっとはっきり聞こえるような気がするんですが」
 セスタが〈サイバーシンクロニシティ〉の能力者だとレモンド司令官もすでに聞いていた。それもあって、彼の決断は早かった。
「ハンライル、シールドを縮小できるか?」
『それは可能です。特に危険もなさそうですし……少し待ってください』
 内側に遮蔽シールドをもう一枚発生させ、挟まれた空間の空気を調整する。それが終わると、皆の手前にあったシールドが解除された。
 一歩進むごとに、セスタは大きくなってくる声を聞く。
 ――間に合うのか……。 
 ――家族に知らせなければ。このことを。座標、B297……3の8方向。
 ――いや、もう遅いかもしれない。せめて、誰かが気がついてくれれば……。
 それは訪れる危機を誰かに知らせようという、少年の声らしかった。なぜかセスタには、知らないはずのその言語が理解できる。だが、それよりも彼が驚いたのは別のことだ。
 彼が聞くその声は、彼自身の声に他ならなかった。

 ハンライルは信号の伝える座標を確認し、それが〈ミラージュベール〉内のある地点にあると確認した。
 もともと、何でも屋たちがこの基地を訪れたのは〈ミラージュベール〉を行く実験のためである。そのための準備が進められるが、緊急事態の解除で避難先から戻ってくる住民たちの帰還が終わらなければ出発はできそうもない。結局、基地内のホテルで一泊することになる。
 セスタやティアーノがホテルの部屋に落ち着いた頃、キイは一人、ひっきりなしによそのゲートにシャトルや輸送船が出入りするのを横目に第二ゲートの自分の船へと向かった。
「外はずいぶん騒がしいけど、ここは静かだな」
『完全防音加工済みですから。無音が嫌なら音楽でもかけますか?』
「いや、いい」
 キイはブリッジのいつもの席に腰を下ろす。
「どうだ、あの箱について何か感じたことはあるかい?」
『ASによりデータバンクに組成情報転写を行い分析してみましたが、もともとは別の大きな何かに接続されていた物のようです。おそらく航宙機でしょう。何者がなぜああして彗星に模して送ったのか、それがわかれば内容もはっきりするはず』
「〈ミラージュベール〉に行けばはっきりするか……不安はないか?」
『まさか。キイ、あなたは不安なのですか?』
 美しい合成音声は少し意外そうな声を出す。
『何も心配はいりませんよ。未踏領域とはいえ、今までにも何度もあった事前情報のない惑星とさして変わりありません。迷子にはなりませんよ』
「そこは心配してないんだが。セスタを狙う連中がいることだし……それに例えば、行った先が〈サイバーシンクロニシティ〉の能力者たちの住む惑星で、そこに悪意のある能力者たちが大勢いた場合はどうかな」
『……』
 ブリッジを訪れる束の間の静寂。キイは、言うべきでないことを言ったかもしれない、と少し心配になる。無駄に不安にさせただけではないか。だが、返ってきた答えは不安とはまた違うものを含んでいる。
『その可能性はあります。実は、あの箱から発せられる信号は何かを書き換えたような痕跡や、セスタの干渉と同じようなものを感じます。それも、複数の誰かの干渉です』
 これにはさすがに、キイも少し驚きをあらわにする。
「それがわかってても行くってことか」
 ゼクロスはまた少し間を置いて答えた。
『……何かあったら、あなたがセスタを守ってください』
「ああ、ちゃんと守るよ」
 きみのこともね――とは、口に出しては言わなかった。キイはただ苦笑し、遠く〈ミラージュベール〉の光の川にも見える姿を思い浮かべていた。
 間もなく、キイ・マスターがゲートから去っていく姿を見送ってからも、ベンチに座ったワイト医師とカウンセラーのシャンナはひっきりなしに行き交うシャトルとそれから降りてくる人の流れを眺めていた。時折、患者の姿を見つけては声を掛け合う。
「良かったですね、大事なくて」
 朗らかに言うシャンナとは正反対に、腕組みをした老医師は渋い顔をしていた。
「しかし、基地の兵装は通用しなかったというじゃないか。いつも都合良く強力な戦艦が通りかかるわけじゃないぞ」
「戦艦じゃなくて科学調査船だそうですよ、先生。それに今回は彗星も特別だったのでしょう? そうよねハンライル」
 声をかけると、即座に壁内臓のスピーカーから声が返る。
『はい。あれは人工物でした。未知の物質も自然にできた物ではないと分析結果が出ています』
「誰かがわざとこの基地を壊そうとしたと?」
 老医師は目をむいた。
『そうとは限りません。内部の物を隠すために彗星に似せただけで、この惑星に引き寄せられたのは偶然の可能性もあります』
「どうにしろ、はた迷惑なことに変わりない。まったく、どこのどいつだそんなことをしたのは」
 白衣の袖を握って怒りをあらわにするワイトに、カウンセラーは苦笑した。この老医師は何がなんでも腹を立てていないと気がすまない。一方、患者を相手にしているときはよどみない笑顔を見せる玄人根性が素晴らしい。
「そんなに怒っていると禿げますよ。はた迷惑な相手の顔なら、明日にも何でも屋さんたちが見に行くそうですよ」
「へえ。会ったら是非一発殴っといて欲しいな。しかし何でも屋をやっているA級人工知能がいるとはね」
 A級以上でなくても個人所有というのが普通は有り得ないとされていた。大量の資金と高度な技術を要求されるものなのだから当然のことである。
「先生、ゼクロスとお話しになりました? 彼、カウンセラー資格を持っているそうですよ。なかなか楽しいですよ」
「いや、きみみたいなのがもう一人いるとなるとわたしは恐ろしい……もとい、安心していられるよ。自分の仕事に集中していられるからな」
 二人の周囲を、人の流れが喧騒とともに途切れることなく行き交う。
 結局のところ、騒動は基地内時間で深夜に至るまでおさまらなかった。

 〈果て〉を望む惑星域では、足跡がつくのを嫌う者たちは身動きがとりにくい。行き交う人間の絶対数が少ないからだ。
 何でも屋たちの行方を追った三人組はHR基地までは行けず、となりのファルカンスで足止めを喰らっていた。彗星衝突の危機を免れたと知って帰還する人々に紛れ込んで潜入も考えられたが、HR基地を制御するハンライルは基地内の人員を把握している。身分を知られず潜入はできない。
「やはり、最後の瞬間を狙うしかなさそうだな」
 黒尽くめの男がエアカー内のモニターで流れるニュース映像を見ながら、肩をすくめる。ニュースでは、紺色の翼が宇宙空間を行く姿が流れていた。
「できればもっと早く決着をつけたかったが、こうなっては仕方がない」
「そりゃそうね。あっちの機動力はなかなか追い越せないし、先回りするしかないわ。次で確実に仕留めましょう」
 意気揚々と手にしたレイガンにパワーセルを入れる女に、体格のいい男が苦笑を向ける。
「いいか、生け捕りだぞ。何でも屋は始末しないとならんが」
「わかってるって。そこはあんたにも活躍してもらわないとね。ラスカーンのときみたいに邪魔は入らないはずだし、充分に力を振るえるはずよ」
「あとは、運と腕次第だ」
 ことばを交わしながら、三人は無料の簡易パーキング・エリア近くのレンタルエアカーに車を返し、自分たちのシャトルに乗り込んだ。
 まだ、彼らの標的の乗った船は駐機している基地を出ていないが、出てから追ったのでは間に合わない。それに行き先はわかっていた。ニュース報道もされた彗星の中から出てきた謎の箱――その正体を、彼ら三人は知っていた。
 だから、確実に何でも屋たちはそこに向かう。
 〈ミラージュベール〉の煌きに隠された、小さな小さな隠れ家へ――。

 ティアーノ博士は自分のラボで開発した通信機をゼクロスに接続すると、HR基地の一室を臨時の研究室として借りた。部屋も余っており、借りるのに何の障害もなかった。
「本当はわたしも乗っていきたいところだが……」
 キイたちを〈ミラージュベール〉へ行かせて自分は残ることに気が引ける様子だが、誰かが船外、〈ミラージュベール〉の外にいなければこの実験は成立しない。それに、本音を言えば〈ミラージュベール〉への研究に熱心な博士としては一緒に行きたい好奇心の方が強いだろう。
「この実験が成功すれば、誰でも気軽に行ける未来が近付きますよ」
 キイは笑い、プラットホームからラダーを登ってすでに少年のいるブリッジに向かう。
 今回の旅のもうひとつの目的は、箱から聞こえるセスタの声が告げる座標の探索だ。通信機を試しながらそこへ向かい、無事に帰ってくること。それが果たすべきすべて。
 ブリッジに入ると、定位置にした席に座ったまま少年は、いつもに増して緊張しているように見えた。
「ちゃんと無事に帰るさ」
 艦長席に座り、彼女はゼクロスにシステムの状態を確認させた。研究室に戻ったティアーノの通信機との接続も感度良好と確認される。
 ゲートの出入り口が開放されていく。
『良い旅を』
 基地の管理システムがお決まりの見送りのことばを告げた。
『発進準備完了。補助ドライヴ起動』
 耳慣れた綺麗な声は少し緊張を含んでいる。それでも宇宙船はいつもと変わらず、なめらかに無限の空間へと出た。
『座標、〈ミラージュベール〉。ハイパーAドライヴ起動、ワープモード。でき得る限り最短距離で目標地点へ向かいます――ワープアウト』
 ハンライルは基地の遠距離レーダーと接続していた人工衛星の光学センサーを初めとする各種センサーで紺色の翼の船を追跡していたが、一瞬のブレのようなものを感知した後、何の痕跡もなくその姿は消滅した。
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