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  NO/03 - 002


 科学主任のデアス・ファッサーロは、オフィスでモニターとにらめっこをしていた。時間がないのはわかっているが、相手は未知の彗星である。すでに知られているものには、〈果て〉から来たと思われるものはない。
『しかし博士、把握されている彗星の中にも様々な種類がありますよ。あれがそのどれかに当てはまるとも限りませんが』
「とりあえず、超重力砲に耐え得る彗星は記憶にないねえ」
 メガネを取って布で拭きながら、デアスは肩をすくめた。四分割のモニターの画面には、ハンライルのデータベースに収められた種類の違う彗星の映像がそれぞれ映し出されている。
 立ち上がって腰を伸ばしていたデアスは、席に戻る瞬間、奇妙な音を耳にした。
「……何だ?」
 動きを止め、耳を澄ます。ノイズのような音が、確かに聞こえていた。
「ハンライル、これは?」
『……音声系統に障害が発生していますが……待ってください。これは……航宙機からの通信?』
 まさか、と科学主任は思う。今この基地を襲っている脅威については各所にも通報されており、航宙管理局はHR基地に近付かないように、と通達を出していた。それ以前に許可を得て出立した航宙機も、ファルカンスの付近を通れば警告されるだろう。
 あるいは、ワープモードでファルカンスも通り過ぎてきたのか。航宙管理局の警告が間に合わずワープモードでファルカンスを通り越して来たとなると、相当高性能なワープドライヴを持っていなくては有り得ない。そんな航宙機は名を知られているものは何機かしかない。
『相手は寄港を求めています。所属、惑星オリヴンの〈リグニオン〉、個人所有の宇宙船ゼクロスです』
 同時に司令室にもその報せは伝わっていた。レモンドは正体不明の相手を警戒するように眉をしかめる。
「相手の身分は確かか? どさくさにまぎれてやってきた海賊船などではないな」
『オーナーは何でも屋のキイ・マスター。A級パイロット資格を所持しています。ゼクロスはフォートレットのIBAN09登録、人工知能ゼクロスを搭載しています』
 何でも屋という職業はやや胡散臭いが、パイロット資格とA級以上の人工知能を表わすIBAナンバーは余りに強力な身分証明だった。
 ひとつの考えが司令官の脳裏に浮かぶ。それに名前をつけるなら〈希望〉に近いだろう。
「寄港を許可する」

 小型宇宙船は第二ゲートへと誘導され音もなく定位置におさまった。三人のクルーたちは静まり返った周囲の様子にわずかに表情を硬くする。
「なんだか、とんでもないところに来てしまったようですねえ」
 大きなトランクを足もとに置いてそう言ったのは、スーツ姿のティアーノ博士だ。もう彼らもこの基地のさらされている脅威について知らされている。
「セスタは機内にいた方が良くないか?」
「いえ、大丈夫……ちょっと、中も見てみたいし」
「確かにまだ決定的な事態になるまでは一七時間以上あるからね。それに、我々がこうして受け入れられたのには何か特別な理由もありそうだからな」
 キイは少年のことばに肩をすくめ、ちらりと紺色の翼を振り返る。
『おそらくキイの想像する通りでしょうね。レイモンド司令官が司令室でお会いしたいとおっしゃっています。道案内はハンライルに頼んでください』
「ここに来てサボりを覚えたな」
『違います。これは住み分けと言うべきものでしょうか……わたしがハンライルのデータベースかの地図情報を参照しながら案内をするのは失礼でしょう』
 ゼクロスは遠慮してゲート外に干渉しないつもりらしかった。それでも、キイの通信キットで連絡は取れる。
 三人はゲートを出ると、しばらく続く一本道を歩いた。壁にはいくつかドアが並び、やがて各ゲートからの通路が束になる大きな空間に出る。そこからの出口は一目瞭然だ。
 かすかなざわめきと明るさが行く手にある。アーチ状の大きな出口をくぐると地下街に似た街並みが広がった。基地は三層構造になっており、高い天井を見上げるとバルコニーやテラスのカフェらしきものが見える。もう一層は地下にあると聞いていた。
 一度見上げ、視線を戻したセスタの目を引くのは近くの商店街。多くの人々が避難していると聞いていたが、そこは充分に賑やかに見えた。
「おお、お客だお客だ。どうだい、名物を味わってみないかい?」
 一番近くにいた露天商が少し訛りのある共通語で呼び込みを行う。店に並ぶのはさまざまな種類の瓶詰めだ。
 セスタは色鮮やかな瓶詰め群に目を奪われた。どうやら果物をシロップ付けにしたもののようだ。
「わたしは司令室に行きますので、博士、セスタと一緒にこの辺で時間を潰していてはどうでしょう」
「ああ、そうしようか」
 博士も買い物で時間を潰すのに同意らしい。フォートレットの開発調査部所属の基地だけに、当然共通クレジットが使用できる。
 二人と別れ、キイは中心部へと足を向けた。
「ハンライル、聞こえるか?」
 通路が入り組んでくると、壁にインターフェイスがあるのを見つけて声をかける。彼女はまだハンライルがフォートレットで稼働中、何度かことばを交わしたことがあった。
『もちろんです。こちらで誘導しますので、司令室へは壁のサインを参照してください』
 電子的な響きを持つ音声がスピーカーから響き、壁に黒い線を引いたような小さなモニターに赤い光点で構成されたラインが走る。それを追って行くと、開け放ったままのドアに突き当たる。
 忙しく動くスタッフの姿が見える司令室に入るなり、奥の机の向こうの椅子に座っていた男が立ち上がった。
「キイ・マスターさんですね? ようこそHR基地へ」
「ええ。はじめまして、レモンド司令。どうも我々は、お忙しいところへ来てしまったようですね」
 司令官が手近な椅子を勧めて自分も座り直すと、キイは座ってから自分たちの目的を簡単に説明する。もちろん、今は〈ミラージュベール〉における実験などしている場合ではないとわかっているが。
 話を聞くと司令官は組み合わせていた両手の指を離し、相手の漆黒の目を見た。
「ご存知の通り、この基地は今危機に瀕しています。まだ時間はありますが、できればできるだけ彗星が遠いうちに対処してしまいたい。そのために、力を貸していただけると嬉しいですね。もちろん、終わった後はそれなりの礼はします。実験のためにも協力は惜しみません」
 ハンライルは宇宙船がゲートに入る際に、その機能についても確認している。ゼクロスの兵装についても司令官は把握しているようだった。
「わかりました。わたしたちとしても、この基地がなくては困りますからね。何でも言ってください」
 断る理由などない。目的を果たすにはどうしてもこの基地が無事でなくてはならないのだから。それゆえに、何でも屋は安請け合いと思われるほどに簡単にそう承諾した。

 出発はできるだけ早い方がいいとして、すぐにも乗員は第二ゲートに集まった。基地からは保安員二名と科学主任のデアスが搭乗することになる。ティアーノと、買ってもらったらしい瓶詰めを手にしたセスタも帰還した。
「実験の依頼主、とは博士でしたか。お久しぶりで」
「ああ、元気そうで何より」
 顔見知りらしい二人の科学者は、握手をしてからプラットフォームと宇宙船をつなぐラダーを登った。
 先頭になって歩いていたキイは一行をブリッジに案内する。長い旅ではない。この空間だけですべては事足りるだろう。
「外観よりなかなか広い感じだね」
 半円形の白を基調とするブリッジに入るなり、デアスはそう感想を述べた。持ち場に配置された席は十。操作卓はどれも簡素なものだ。
『HR基地の皆さん、ようこそ。わたしはゼクロス。この宇宙船に搭載された制御システムです』
「あ、ああ、よろしく」
 基地の者たちは天井を見上げて答えた。その合成音声が予想外に美しく、人間味のあるものだったからだ――ハンライルもその気になれば同じほどに感情を込めた声を出せるとは、基地の人々は予想できない。
「適当に座ってください。直ぐに発進しますから」
 艦長席に座り、キイは軽く手招きをして皆を呼び寄せる。
 正式には科学調査艦として登録されているが、この船にはラボ〈リグニオン〉の最先端技術を詰めた兵装が設置されている。彗星を砕くくらいはものともしない。
『発進準備完了。ゲート開放を待って目標座標へ向かいます。今回の任務について何か特別な注意などありますか?』
 適当な端の席に座ったデアスは、そのことばに少し考えてから顔を上げる。
「未知の成分が含まれているからな……できればでいいが、少しくらい欠片を持ち帰ることができれば嬉しい。もちろん、持ち運ぶのに支障がなければだが」
『了解しました。彗星に接近すれば、成分についても多少のデータは得られると思います』
 プラットフォームとの間に遮蔽シールドが下り、第二ゲートの脱出口が開かれる。ゼクロスは補助ドライヴを使い、音もなく大気のない空間へと滑り出た。サブモニターに映る岩石の惑星上の基地の姿が小さくなっていく。
 距離を取り、メインドライヴ航行を開始。
『彗星は現在、〈ミラージュベール〉を抜けたところです……キイ、どうします? メインドライヴだけでも作業に充分な時間はありますが』
「そうだな……」
 キイは少し考えて上を仰ぎ見る。メインドライヴ以上のドライヴを搭載しているのかと、デアスらはわずかに疑問を抱く。
「大した消耗するわけでもなし……大事を取っておこうか」
『了解しました。ハイパーAドライヴ起動。目標座標を修正します』
 何の震動もないが、モニター上の映像が変わる。光の筋が背後へと流れていく――それは実際の映像ではなく、加工されたものだ。船は光の速さを超えて移動していた。ワープモードを使うのは〈ミラージュベール〉にある小惑星群への影響を考えて使用を控えている。
 間もなく、ゼクロスはハイパーAドライヴから補助ドライヴに切り替えた。
『あれがそのようですね……』
 メインモニターに青みがかった灰色の岩石の塊のようなものが映し出された。もともとあった構成物質の大部分はHR基地からの砲撃で吹き飛ばされ、残された核の部分だけが不気味にもとの軌道を動いている。それも、砲撃によるダメージはあるのか細かなひび割れが走っていた。
 画面上のその姿に目を奪われているクルーたちの中、さすがにキイだけはゼクロスの声に含まれる妙な調子に気がついた。
「何か問題でもあるのかい?」
『いえ……ただ、あれには何か奇妙な気配を感じます。自然の彗星ではないような……』
「人工物……ということか?」
 デアスが聞き咎め、眉をひそめて映像をにらむ。
『何か不安定な信号のようなものを受信しています。あの未知の物質による作用なのかもしれませんが。キイ、そろそろ回収の準備を――』
 がたん、とブリッジ内で音がした。一斉に注目が集まるそこにいるのは、一人の少年。
「あ……あの中から、人の声みたいなものが聞こえる」
 デアスらは怪訝そうに目を丸くするが、キイが彼の能力を説明するとひとつの可能性に思い至る。セスタは直接人の声を聞いたわけではなく、信号のようなものに混じった音声情報を聞いたのだろう。
「となると……あれは彗星ではなく、一種の航宙機なのか?」
『どういう理由かはわかりませんが、確かに彗星を模した航宙機という可能性はあります。そうなると……単純に破壊、というわけにはいかなくなると思いますが』
 その声にはわずかに困惑の色を帯びていた。
 コンソールに肘をついて話を聞いていたキイは、一呼吸置いてから口を開く。
「重力波であれの推進力を奪えるか?」
『未知の物質に囲まれているので確実とは言えませんが……試してみましょう』
 ゼクロスは機体を彗星を追跡する位置へと回す。間もなく重力波を発生させ、彗星を一座標に固定した。
 彗星はドッグに収容するには大き過ぎる。しかし、中身の様子がわからないのでは砕くわけにもいかない。重力波で標的を捉えて宇宙空間に静止したまま、とりあえず詳細分析結果を待つ。
『……あの中には長方形の箱があります。有機生命体の痕跡はありません。周囲を囲む物質は強固ですが、どうしても壊せないほどではありません』
 となれば、やることは決まっている。箱を取り出し回収するのだ。
 出力を上げたレーザー砲を二門同時に操作し、長方形に彫りだす。それはまるで棺のようにも見えた。
「回収。基地に予定の変更を連絡してくれ」
『了解』
 重力波で箱を回収し、切り離した欠片は重力波でまとめてから光子魚雷の一撃で消滅させる。それを確認しながら宇宙船は機首をめぐらせた。もはや、彗星衝突の危機は存在しない。HR基地の者たちは少々拍子抜けするくらいだ。
 ――だが、問題はまだ終わっていないぞ。
 座り直したものの膝の上で握り拳を作ったままの少年を盗み見、デアスはさらに箱を思い浮かべてそう肝に命じた。


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