TOP > ムーンピラーズ > ゼロの彼方


  NO/03 能力者 ―力が紡ぐ地―


 ほんの数日ぶりに、紺色の翼はシグナ・ステーションのゲートに寄港した。第82ゲートに誘導される。
 運び屋のクロウと別れるとここで一休みするつもりだったキイ・マスターだが、シグナがメッセージを預かっていると言い、映像をゼクロスのブリッジへと送信した。
 映像が再生されると、見覚えのあるスーツ姿の中年男性が顔を見せる。
『キイ・マスターどの、またお会いしましたね。ティアーノです……以前もお伝えしましたが、よろしければ、少し実験に付き合っていただければ思いまして。もちろん、そちらの都合が悪ければ断っていただいてかまいませんが』
 そう前置きして、博士は説明した。
 実験とは、〈果て〉とこちらがわの宇宙域を遮る〈ミラージュベール〉に関するものである。新開発の通信システムが上手く動作するか、一緒にHR基地まで行って試してほしい、というものなのだ。
『もちろん深入りするつもりはないけれど、〈ミラージュベール〉に突入する危険な仕事ですからね。依頼料もそれなりです。しかし、不安を感じるなら、やはり断っていただいても結構ですので』
「ふうん……」
 艦長席の背もたれにもたれかかり、キイは思案するように天井付近を見上げた。
「興味はあるが、今は別の依頼の最中だしねえ」
 少年は近くの席に座って話を聞いていた。彼にとっては〈果て〉どころか多くの星々が未知の領域だが、それでも人類が立ち入ったことのない未踏領域というものは大きく興味を引いた。
 それに、いつまでもこの何でも屋をひとりで独占していいのか、という思いは常に抱いている。自分は依頼料など払うあてもなく、生活上かかる費用はすべてキイに出してもらっていた。
「あ、あの」
 依頼料もそれなり、という博士のことばも彼の注意を引く。
「ああ、セスタ。何か気になるのかい?」
「うん……ぼくの方は、後回しでいいから。それに、〈果て〉にも興味があるんだ。だから、問題がないなら受けた方が……」
 キイとゼクロスとしては、次のセスタの故郷候補へと行くつもりだったのであろう。キイは少し驚いたように目を見開く。
「いいのかい? 故郷を早く知りたくないかい」
 知りたくないわけではなかった。ただ、今はそれほど焦燥感はない。それもまた、知らないがゆえかもしれない、と少年はわかっていたが。
「いつ帰っても、故郷はそんなに変わらないだろうし……それに、ぼくもちょっと見てみたいんだ。地下に捕まっていたときも何度か〈ミラージュベール〉について聞いたから」
 その単語は彼にとって嫌な思い出かもしれないとなんでも屋は思っていたが、そうでもないらしい。
『普段の生活圏から離れると、故郷が懐かしくなるものですからね。何か刺激になるかもしれません』
 天井スピーカーから、ゼクロスが声を響かせる。
 キイは少し考えていたものの、やがて顔を上げた。
「そうだな。ティアーノ博士に言ってみようか」
 彼女が言うなり、少年の表情は明るくなる。
 それだけでもこの決定は価値があったのかもしれないと、キイは密かに思っていた。

 一般的な宇宙ステーションや普通の惑星の宇宙港に比べ、当然、DS-B-201HR基地に立ち寄る宇宙船は少ない。ここから先はないのだから、基地自体に何か目的がなければわざわざここまで来る者もいない。
 とは言え、一応ここでも、約二万人もの人々が生活している。惑星上のものにも劣らぬ街として成り立っているのだ。
 そして、この基地は非常に優秀な人工知能により管理されている。ここがどこにあるのかを考えなければ、普段は最先端を行くと言われるエルソンのシグナ・ステーションに劣らぬ、利便性と安全性を備えた住み良い場所だと言える。
 しかし、時にそこは、危険と背中合わせとなる。
「ハンライル、接近時をどこまで割り出せる?」
 ぼさぼさの黒髪に無精髭を生やした三〇歳前後の男が、司令室の椅子に腰かけたまま、天井を見上げた。
『今のところ秒単位まではわかりませんが、二七時間と四六分後です。〈ミラージュベール〉で小惑星と接触し、プラスマイナス二時間の誤差が生まれる可能性がありますが』
 基地の制御システム、ハンライルの感情が欠落したような声が即答する。
 いわゆる〈果て〉と、こちらの領域を、無数の浮遊する小惑星やチリが遮っている。それを、専門家や基地の者たちは、、通称〈ミラージュベール〉と称していた。それが、〈果て〉への進出や観察を困難なものにしていた。
「レモンド司令官、どうします? 〈ミラージュベール〉で方向が変わる可能性もありますが……」
 長い赤毛をふたつに束ねた女性が、巨大モニターに映る青白い尾を引く彗星を見上げながら危機感のない口調でそうきいた。
 きかれた男、基地の総司令官レモンド・ロッブスは肩をすくめる。
「でも、彗星の規模から言ってここに真っ直ぐ飛んでくる可能性が高いんだろう。この星は重力が大きいし……自然に方向を変えられないなら、変えさせるしかない」
 言って、彼は半球形の室内を見回した。二〇人近いスタッフが、姿勢を正して彼のことばを待つ。
「ラファイル、クーダ、武器システムの準備だ。リックは念のため、脱出用のシャトルの用意と点検。ケイル、保安部を集めて、避難時の誘導手順の打ち合わせをしよう……ハンライルとカンナは、観測と計算を続けてくれ」
「了解しました」
 異口同音に応じ、大部分のスタッフは散り散りに走り去っていく。
 この基地でのこういうことは初めてではない。未知の危険にさらされるのは、ここに住む者たちが最初から覚悟していることだった。
「慣れたものだな……」
「それが仕事ですからねえ」
 相変わらずのんびりした口調で、赤毛のオペレーター――カンナ・シノザキが言う。
「いちお、となりのファルカンスに協力要請しといた方がいいんじゃないですか? シャトルも足りなさそうだし」
 それなりの武器や船があるものの、住民全員が避難できるほどではない。レモンドはうなずいてから提案に付け加えた。
「希望を取って、今のうちに非難しておきたい者は避難してもらおう。その方が後でいざというときにもシャトルが少なく済むだろう」
「了解しましたー」
 キーボードを叩き、一番近い惑星、ファルカンスの管理システム中枢への直通チャンネルを開く。
 彗星を映し出していたモニターのなかに、若い、育ちの良さそうな青年の姿が現われる。
「よ、ジョーデス。世話をかけるな」
 相手が口を開く前に、レモンドは軽い調子で声をかけた。画面の向こう側の青年は、気勢をそがれた調子で苦笑する。
『話は聞いた。必要なものがあれば何でも言って欲しい』
「ああ。シャトルと応援要員を頼みたい。力仕事もあるからな……」
 軽い挨拶を終えると、レモンドとジョーデスは脱出のための細かい打ち合わせに入った。昔からの知人であるファルカンスの総統は、全面協力を約束する。
「さて次の仕事だ。これは、今夜の夕食は遅くなりそうだな」
 通信を切るとレモンドは肩をすくめ、少し前から待っていた保安部を振り返った。

 基地のすべての機能の中枢へと続く、普段は人が来ることのない鈍い銀色の暗い通路を、ラファイルとクーダは早足で歩いていた。彼らにとっては慣れた道である。
「しかし、武器システムが使われるのも久しぶりだな。点検は怠っていないし、ちゃんと動くとは思うが」
「昔、使われたのはいつ?」
 さして興味なさそうに、クーダがきく。彼は二〇歳前半で、ベテラン技師ラファイルとは十歳近い年の差がある。それに、彼がここに来たのは約二年程前のことだ。スタッフの中でも最近来た方に当たる。
 壁に表示される赤い案内サインを辿りながら、ラファイルは答えた。
「つい三年前だよ。今と似たようなものさ。事故で無人調査船が破損し、基地に落下しそうになったんだ。今ほど余裕がなかったが、司令官の決断で当時来たばかりだったハンライルがレーザーで撃破した」
 今回も武器システムを操るのはハンライルだ。基地の者たちは皆、ハンライルの計算力を信じて疑わなかった。この〈ミラージュベール〉のこちら側の宇宙域、彼らが把握している世界の最先端、中央都市フォートレットのメイン制御システムだったコンピュータなのだから。
「でも、あの時とは決定的に違う部分もある。あの彗星は我々の造り上げたものじゃない。オレたちの知らない場所から来たものだ」
 壁のサインが消えた。ラファイルは、目的のドアのロック装置にパスコードを打ち込む。
「さ、ここが兵器の格納庫さ。珍しいものだ、見てみなよ」
 ドアがスライドすると、笑って手招きするベテラン技師に続き、クーダは広い内部に踏み込んだ。油の発するもののような、妙な臭いが鼻をつく。
 天井が高い部屋の奥に、巨大な装置が並んでいた。中でも最も太いパイプのようなものが2本、天井を突き抜けている。右手の壁には、モニター付きのコンソールが並んでいた。
 ラファイルが、コンソールを起動させる。
「ハンライル。ここの機能はどんな調子だ?」
 ここはいつも中枢と接続しているわけではないらしい。接続が完了すると、彼は制御システムに声をかけた。ハンライルの平坦な声が天井のスピーカーから降ってくる。
『特に問題ありません。いつでも起動できます』
「レーザー砲にツインバブル式2Sブラスター、光子魚雷に超重力砲まで……戦艦並みだね」
 モニターをのぞき込み、クーダは驚嘆した。未知の領域に近接しているのだからある程度は備えているだろうと予想はしていた。しかし、一級戦艦並みとは。
「最近は平和だが、ここは危険地域なのさ。もともとここは軍の基地になる予定だったし。それに、本当はこれで足りてるとも思わない」
『彗星にも未知の物質が感知されています……それが、武器により大爆発を起こす物かもしれません。多少の性質がわかるまで、分析は進められるでしょうが』
 二人のことばに、ラファイルは軽く目を見開いた。
 彼はこの基地にいることの危険を再確認させられた気分だった。

 住民の避難が始まった。
 避難を希望したのは、全住民の三割。まず、病人や緊急時の避難が困難な者が先にシャトルに運ばれ、残りに、事前非難の希望者が乗せられる。希望者の大体は、若者かここに来て間もない者たちだ。
「まったく、これだから若いモンは……」 
「まあ、ワイト先生ったら」
 苦々しげに、シャトルに乗り込む住人たちを眺める老医師のことばに、女性カウンセラー、シャンナ・ファーストは楽しげに笑った。
「大事な患者さんがみんな手を離れてしまうからって、そうおっしゃらないで。この機会に、休みを取ってはいかがです?」
 ワイトの眉間に、新たなしわが刻まれる。彼は怒りたいがそうすることはできないという、葛藤の表情で若いカウンセラーを見た。
「わたしの半分も生きとらんのに……まったく、きみにはかなわないな」
「あら、そんなことありませんわ」
 シャンナは、いつも笑みを崩さない、人望厚い女性である。彼女は透明な遮蔽壁越しにシャトルに乗り込む知り合いの子どもたちに手を振り、そのシャトルが宇宙空間へ出て行くまで見送った。遮蔽壁に守られているため、見送りの者にまったく害はない。
 二人のドクターはすべてのシャトルが出て行くのを見送ると、基地内の大通りに出た。西端から、中央へ。
 三割もの人間の姿がなくなったのだ。寂しい雰囲気は、気のせいではない。
「何だか違和感がありますね。三年前も、こんな調子でしたっけ?」
 司令室に近い中央公園のベンチに腰を下ろし、シャンナが言った。普段ならこの公園ももっと賑わっているはずだ。 噴水に、緑の木々。花が咲き乱れる花壇。壁と天井に囲まれていることを除けば、普通の惑星上の公園と何ら変わりない。人々の憩いの場であるという、その役目も。
「ハンライル。三年前は住民の避難はあったか?」
 ワイトが声を上げる。返答は、すぐに降ってきた。
『いいえ。あの時は、避難している余裕はありませんでした』
「ああ、それで。そういえばあのときは、いつもより賑やかなくらいでしたわね」
 人々の恐怖のざわめき。そして危機が回避された瞬間の、割れんばかりの拍手と歓声。
 それを思い出しカウンセラーは笑った。しかし、ワイトの方はとても笑う気分にはなれない。
「避難する余裕があることはいいことだよ。避難しなければいけない分、危険ということだが。……ハンライル、衝突予測時間まであとどれくらいだ?」
『あと、およそ二一時間三四分です』
 ハンライルは短く答えた。

 一方、司令室にはほとんどのスタッフが集合していた。レモンドが立ち上がり、一同の顔を頼もしげに見回す。
「作戦の決行は衝突の一八時間前丁度だ。ハンライルの計算ではもう彗星が方向を変える可能性は0パーセントに近い。小惑星に当たっても、ほんの少し勢いをそぐくらいのことだろう。つまり、変えさせるしかない」
 司令室に、ここ数年なかったほどの緊張感が走る。
「あの規模の彗星を動かすには、超重力砲を使うほかない。使用時には、バリアを展開する。パワーを武器システムに回すため一時基地内の機能を制限する。それぞれライトを持っててくれ。それと、避難する時には各自、迅速に航宙ゲートに向かうこと」
「アイ・アイ・サー」
「了解」
「持ち場に着きます」
 静かだった室内に、ざわめきが戻って来た。緊張感は張り詰めたものから、どこか心地よいものに変わってきている。自分の席に座りながら、レモンドはスタッフの様子に満足した。
 その目の前に、コトリ、とコーヒー入りのカップが置かれ、彼は我に返った。カンナが盆を手にして真っ直ぐこちらを見つめている。
「司令官はどうするんですかぁ? ここが危なくなったら」
 レモンドはドキリとした。彼は、自分だけは何があってもここに残るつもりだったのだ。
「まさか、残るつもりじゃないですよねえ?」
 どこかからかうような、挑むような声。
「それが司令官としての勤めじゃないか? それに、ハンライルも逃げられないんだぞ」
 疑いの目を向けるオペレーターに、言い訳じみたことばを返す。
 しかし、カンナは意外なことを告げた。
「何言ってるんですか? 危なくなったらハンライルは連れて行きますよ。もう、ラファイルさんとクーダさんがいざという時の準備を終えています。脱出用の特製シャトルを一機頼んでありましたし」
 不思議そうな彼女のことばに愕然としたのは、レモンドだけではなかった。
『そうなのですか……? 予備のシャトルだったのでは……?』
「置いていくわけないじゃなーい。またまたぁ、二人とも早とちりなんだから」
 この娘はいつも意外なことを言って周囲を驚かせる。それが彼女の生きがいなのだ――笑うカンナの前で目を白黒させていたレモンドは、やがて、肩をすくめてつぶやいた。
「まあ……後顧の憂いは絶ったというところだな」
 準備がすべて終わると、後は時間が流れるのを待つばかりである。
『作戦開始まで四五分』
 開始一時間前から、ハンライルは五分ごとのカウントダウンを開始していた。五分の時間の流れにつられて、緊張も高まっていく。
 司令室のモニター、それと同時に、中央公園の巨大スクリーンにも、青白く輝く彗星が映し出されている。その美しい姿が徐々に大きくなっていく。もう少し遠くの軌道を行っていたら、誰もが芸術的な天文ショーとしてその姿を受け入れていただろう。
「頼むぞ、ハンライル。我々の命がかかってるんだからな」
 スクリーンを見上げ、不安げにぼやくワイト医師の脇を、シャンナがつついた。
「ハンライルは神経質なんだから、プレッッシャーかけないでくださいな。そんなこと言わなくても、必ず成功しますよ」
 すでに、彗星の衝突時間、方向も、コンマ0秒以下まで把握されている。一撃が外れることはありえないだろう。彗星を形成する一部の未知の物質も、爆発を起こす類の物ではないと推測された。
 ただ待つだけの時間が流れ……やがて、時は満ちる。基地内のあちこちに配置された保安部員やラファイルやクーダたち技術部の者以外のスタッフは、全員司令室に召集される。
『すべての準備は整っています。作戦開始時刻まであと一分』
「ラファイル、全武器システムのロック解除。バリア展開」
『了解』
 モニターのひとつから、格納庫のラファイルが応答する。
 スタッフたちの目が、深淵の闇を横切る霧のような帯、〈ミラーベール〉の向こうから迫る彗星に集中する。
『作戦開始まで後二〇秒。武器システムの照準特定を開始します。一七……一六……』
 室内は静まり返っていた。ハンライルのカウントダウンだけが人々の耳に届く。
 そして、長いような短いようなときが尽き、カウントがゼロを告げた。
 瞬間、レモンドが息を吸い込み、空気を震わせる声を張り上げる。
「超重力砲、発射!」
 目に捉えられない一瞬、細い光の筋が巨大モニターのなかをを横切った。狙い違わず、真っ直ぐに彗星へ。
 火花のようなものが、闇に散った。青白かった彗星が、赤い光に包まれる。
 しかし、それだけだった。
「どうなってる、ハンライル?」
 レモンドのことばにわずかな間沈黙した後、制御コンピュータは答えた。
『大きさは一回り小さくなっていますが……残っているのは、未知の物質のようです』
 珍しく困惑したような声が告げる事実に、基地のスタッフたちはしばらくことばも出なかった。反重力砲は、一度使用した後は約二四時間は利用できない。
 しかし、いつまでも茫然とはしていられない。避難には充分な時間があるが、レモンドはこの失敗だけで基地を投げ出したくはなかった。彼はいち早く我に返ると、立ち尽くしている部下たちを見回す。
「一応残っている住民を西部公園に集めてくれ。それと、あの彗星のデータ収集だ。デアス、今まで把握されている彗星との比較を頼む。ハンライルも分析を続けてくれ。二時間後、再び集合だ」
 とりあえず働いていれば、不安を忘れることはできる。
 決定的な瞬間――絶望か歓喜かは、少しだけ先に持ち越された。


> next file
< return


TOP > ムーンピラーズ > ゼロの彼方