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  NO/02- 002


 どこか遠くで、話し声がした。
 最初はぼそぼそと聞こえていたその声は、少しずつ、はっきりしてくる。やがて、内容が聞き取れる程度にまで大きくなった。
「ええ、後一時間といったところでしょう、準備が済みしだい、積み込んでいただいて結構ですよ」
 聞き覚えのある声に、反射的に目を開ける。
 そこは、宇宙船の機内でも、ホテルなどの室内でも、建物の外でもなかった。獣の毛皮のようなものでできたテントの淡い茶色の壁が視界に入る。地面の中央が掘られており、くぼみの底に照明とストーブの代わりの火が焚かれ、そのそばに敷かれたマットと布の上に、彼は横になっていた。身体の上には、毛布と、見慣れたジャケットがかけられている。
 テントの出入口の前で、白髪の老人とことばを交わしていたベレー帽の女性は、すぐに少年が目覚めたことに気づいたようだった。
「セスタ、起きたかい。もう少ししたら起こそうと思っていたところだよ」
「あ……」
 振り返って声をかけるキイに、セスタは戸惑った様子で、身を起こした。
 彼に、老人も目を向ける。老人は背筋の伸びた、穏やかな雰囲気をまとった人物だ。だが、彼の服の右腕部分は、肘から下がひらひらと揺れていた。袖口からは、やはり右手は出ていない。
「セスタくん、我々の隠れ家へようこそ。ここは谷の底にある小さな村だよ。わたしはここの村長ということになっている、アガス・レイハムだ。まあ、今日限りで村長は引退だけどね」
 苦笑しながらセスタに歩み寄り、彼は手首にシンプルなブレスレットをはめた、節くれだった手を差し出した。セスタはまだ少し茫然としながら、その手を取る。温かで大きな手に触れると、どこか安心感を覚え、意識がはっきりしてくる。
「よろしくお願いします、レイハムさん」
「ああ、よろしく」
 レイハムは笑顔で答えると、入り口のキイを振り返る。
「では、わたしは準備の具合を見てきましょう。孫のユミルは荷物をまとめるのが下手だから、少々心配でね」
「それでは、後で」
 キイの横を通り抜けて、谷底の村の村長はテントを出ていく。
 セスタは、キイと二人になるのを待っていた。意識がはっきりすると、まず初めに聞かなければいけないことが思い浮かんだのだ。すぐにもききたかったが、同時に尋ねるのが恐いことでもあって、とりあえずレイハムが出ていくまで先延ばしにしていたのである。
 だが、いつまでも尋ねないわけにはいかない。
「あの……ゼクロスは?」
 キイは、その質問を予想していたようだった。彼女は、責めるでも心配するでもなく、かすかな、どこかいたずらっぼい笑みを顔に浮かべて応じる。
「一時的に負荷ストレスが増加して、システムの保護のために強制休眠モードが発動しただけだ。人間で言うなら、気を失っただけだとでも言うかな」
「でも……」
 答を聞いて少し安心したものの、セスタは罪悪感を抱いている。
「でも、ぼくはゼクロスを傷つけて……」
「大したことじやないよ、ゼクロスにはいい休みだろう。きみの心のストレスを共有しただけだよ。きみには誰かを傷つける意思などなかったんだから、きみのせいじやないさ。それより、そんなストレスを感じて、大丈夫かい?」
「ええ、それは大丈夫です」
 そう答えながらも、彼は少し不安だった。あの光景を見たら、また同じ反応をしてしまうのではないか。今となっては、あの朱色の光景はぼんやりとしか思い出せない。
「ついでに少し休ませようと思って、ゼクロスを寝かせたままだからね。そろそろ荷物を運び入れないといけないし、起こしてくるよ」
 そう言って、キイはテントの出入口に扉代わりにかけられた厚い布に手を掛ける。
「あ、ぼくも行きます!」
 セスタは慌てて立ち上がり、キイのあとを追おうとして、地面の出っ張りにつまづきそうになった。谷底は岩場になっていて、足場は不安定だ。
「外は暗いからね、気をつけて」
 キイが苦笑交じりに言い、先導した。
 すでに半分以上は畳まれているらしいが、今も十近いテントが張られていた。その周囲
には、上に金属のカゴを固定した木の杭が打たれ、カゴのなかで燃える炎が照明代わりになっている。
 深い谷底には、陽の光も届かない。見上げると遥か上に、ぼんやりとした細い灰色の線が見えるだけだった。
 炎の放つ光はオレンジがかっているが、ある程度テントを離れると、別の色の光が闇を圧倒し始める。それはより鋭く闇を制する、白い光だった。
 やがて、見覚えのある紺の翼が、少年の視界に入る。光は、その左右の翼の付け根辺りから放たれていた。
「ああ、坊やは起きたのかい。こっちも起こすのか?」
 小型宇宙船の側部ハッチは開いていて、ラダーも降りていた。その周辺に丸められたテントや、荷物入りの箱が積まれている。キイとセスタに声をかけてきたのは、運び屋らしく手際よく荷物をまとめているクロウだ。
「ええ、そろそろ起こしたほうがいいでしょう。お疲れさまです」
「ああ、これが本業だから、大したことじゃないさ。充分間に合うだろう」
 運び屋の青年とことばを交わすと、キイとセスタは機内に入った。側部ハッチから入って間もなく、貨物室に荷物を運び入れてきたらしい、村人とすれ違う。余り多くのクルーが乗り込むことのないこの船で人とすれ違うことは、滅多にない機会だった。
 それも、キイたちがブリッジヘの通路に折れると、もうすれ違うこともない。
 見馴れた白いブリッジに着くと、セスタはほっと息をついていた。闇に脅かされる谷底では、無意識のうちに息がつまるような圧迫感を感じてしまう。明るい雰囲気の、それに馴れ親しんだブリッジでは、心も軽くなったような気になる。
 席に腰を下ろすセスタをよそに、キイは、真っすぐコンソールに向かった。そして、慣れた手つきでパネルを叩く。
 一連の操作が終わると、彼女は天井を仰いだ。
「ゼクロス?」
 すぐには応答がない。だが、セスタが不安になる前には、聞き馴れた美しい、そして愛嬌のある声が降ってくる。
『んー……うーん』
 どこか眠たげな声に、セスタは少し驚いた。  
 とりあえず、何かダメージを受けていることを感じさせる声ではない。
 ゼクロスは、さすがに人間の起床時よりはすぐに、状況を理解したようだった。
『キイ、それにセスタも……無事だったのですね? ここは……谷の底ですか。GP船の到着まで、大体あと五六分』
「まあ、そんなところ」
 どこか満足気に答えて、キイは艦長席に腰掛けた。
 ゼクロスの声の調子はいつも通りといった様子だったが、それでも、セスタはまだ、心配だった。
「あの……ゼクロス、大丈夫?」
 ためらいがちな問いかけに、先程とは違い、即座に応答があった。
『ええ、なんともありませんよ。ゆっくりと休ませていただきました。本当はもう少し、眠っていたかったのですがねえ……キイはせっかちなんだから』
「何を。きみが眠ってる問、こっちはマニュアルモードでここまで操縦してきたんだぞ。仕事さぼりおって」
『それくらいのこと、別にいいでしょう。たまには操縦しないと、腕がなまりますよ……ええっと、そういうことですから、セスタ、気にしないでください。あなたは何も悪くありませんから』
 ゼクロスが無理矢理話を戻して、そう言い切った。だが、セスタの不安はまだなくなったわけではない。
「でも……ぼくはまた、ゼクロスを傷つけるかもしれないよ。記憶にある場所を見たり、もし記憶が戻ったらその時も……また感情が抑えられなくなって、力を暴走させるかもしれない」
『そうですね……』
 天井に仕込まれたスピーカーから、慎重に考え込むような、少し音量を落とした声が流れた。
『セスタ、あなたは長い間、特殊な、不快な状況下に置かれていました。その上、自分の価値観を形成する上で必要な記憶も失っています。だから自信が持てないし、感情も不安定なのでしょう……あなたは、感情をコントロールする術を身につける必要があるでしょうね』
「でも……どうやって?」
『わたしはこれでも、きちんと資格を取ったカウンセラーなのですよ。まあ、任せてください』
 ゼクロスの声からは、自信が感じられる。その自信は、他人に安心感を与える、今の自分にはないもの。
 では、自信の無い今の自分は、他人も不安にさせるのだろうか?
 セスタは、自分を変えなけれぱ、と強く思う。
「うん、ゼクロス、よろしくね」
『はい、がんばりましょう』
 答えるゼクロスの声は、どこか嬉しそうだった。
 セスタは自室に引き取って、そちらでゼクロスとのレッスンを始める。
 そうしている間にも刻一刻と時間は流れ、貨物室への荷物の運び入れも、佳境にさしかかっていた。キイは機体の状態をチェックした後、貨物室の積み込みを手伝う。
 機内に運ぶ荷物は後いくつかとなったころ、その内の一つを、村長のレイハムが抱えていた。丸められたテントを左腕に抱えて角を曲がろうとしたとき、テントの端が角に引っ掛かり、バランスを崩して尻餅をついてしまう。
『大丈夫ですか?』
 即座に、優しい声が通路に響く。
 レイハムは苦笑しながら、転んだ拍子に落とした銀色の輪を拾い上げ、壁を背にして寄りかかるように立ち上がった。
「ああ、大丈夫だよ、ありがとう。椅麗な声をしているね、歌い手さんになれそうだよ」
『やだもー、何をおっしゃいますか。それより、この辺は通路が狭いのでお気をつけて』
 ゼクロスは、まんざらでもないような、まるで年頃の娘のような反応を返す。
「すまないね、やっばり本来あるべきものがないと、バランスが取りづらいようでね……普段から、よく転ぶんだよ」
 屈託のない笑顔で応じるレイハムのことばに、ゼクロスは一瞬、どう答えたものか迷うように沈黙した。
 だが、すぐに、少し控えめな声を返す。
『……あの、これから脱出して落ち着けば、きっと優れた義手を得ることができると思います。まだ皆さんがどこに受け入れられるかわかりませんが、少なくとも、エルソンやオリヴンは脱出者の皆さんに力を貸してくれるはずです』
「この歳になって、贅沢は言わないよ。それに、わたしはこの腕に誇りを持っているのさ。この腕は、ユミルを守った腕だ。ラヴァ・ハルスンの爆撃があったとき、孫は窓際にいてね。それを突き飛ばしたとき、割れたガラスの破片で怪我をしてこうなったのさ。それ以来、ユミルはわたしの片腕の役目をするんだと言ってくれているよ」
『そうですか……』
 ゼクロスは黙った。村長の話に感銘を受けたということもあるが、近づきつつある人物に気づいているためでもある。
 その人物は、角を曲がってそこにいる相手を見るなり、驚いたように声を上げた。
「お祖父ちゃん、何やってるの!」
 栗色の髪を三つ編みにした、エプロン姿の少女がレイハムに駆け寄り、丸められたテントをひったくった。彼女の左手首には、レイハムの物と同じ色のブレスレットがはめられている。
「ここにいたら後の人の迷惑になるわよ。まったく、のん気なんだから」
「はは……ユミルにはかなわんな」
 レイハムは苦笑しながら、孫と肩を並べて貨物室に向かう。
 二人が貨物室に着いたころ、キイが最後の荷物を抱えて、通路の角を通りかかる。
「ゼクロス、セスタはどうしてる?」
 歩きながら、彼女は声をかけた。ゼクロスは機内スピーカーではなく、彼女のイヤリング型スピーカーを使って答える。
『お勉強中です。熱心にレツスンを受けていますよ……ところで、あの三人組のことなのですが』
「ティルムスで会った連中か」
 キイは、なんとなくゼクロスが話題にしたいことに気づいていた。
『ええ……シグナによると、わたしたちがステーションを出るまで、少なくとも該当の人物が寄港したデータはありませんでした。しかし、相手が組織である可能性が高い以上、油断はできません』
「強力なハッカーがいる可能性があるしね」
『シグナからデータを奪えるとは思えませんが、衛星が捉えた映像は一般に公開されていますし……』
 キイは、ワープゲートに入った。上部に設置された装置から光が降りそそぎ、床まで輝く柱を作り出す。
 光は一瞬で去り、周囲の景色を変えていた。彼女は抱えていた箱を肩の上に持ち変えて、再び歩きだした。
「まあ、GPさえ来てくれれば安全度は増すけどな」
『はい、あと三〇分足らずの辛抱です』
 キイは、貨物室に入った。
 なかでは、クロウたちが荷物を整理していた。レイハムとその孫娘の姿もある。
「おお、これで最後だ」
 キイから箱を受け取ったクロウが、何段にも重ねられ、並べられた箱とテントの上に、それを押し上げた。
 普段はがらんとしている貨物室が、今は三分の二近く埋まっていた。それも、短時間で棚み込んだにしては整然と、無駄なスペースを空けることなく並べられている。
「よし、荷物はこれで終了だ。人問のほうは、GPの船にみんな乗るんだろう?」
 GP船のほうが安心感があるということと、脱出後の処理の関係で皆GP船に搭乗したほうが面倒がないだろう、ということで、話は決定していた。ゼクロスに全員を収容できないわけではないが、大部分に乗り心地の悪い思いをさせてしまうだろう。
 しかし、戦闘を最重要の役目として開発されるGPの船も、決して乗り心地がよいとは言えない。
『あの……そのことで、提案があるのですが』
 貨物室の内部スピーカーからゼクロスが声をかけた。キイを含む室内の者たちが、少し意外そうな顔をする。
「提案って、乗員の振り分けか?」
『はい。確かに全員は無理ですが、体の弱い方やや子どもだけなら、客室で間に合うと思います。ご両親と離れてしまう子どもは、一緒のほうが安心でしょうが……』
 ゼクロスの応答に、キイはレイハムに視線を向けた。村の人々に関わる決定はそちらに任す、というつもりらしい。
 レイハムは少し考えてから、結論を出した。
「親を亡くした子どもたちも少なくないんだ。その子どもたち九人と、そうだな、ユミルを乗せてくれるかな」
『了解しました。歓迎します』
 ゼクロスの声は、嬉しそうだった。おそらくセスタと子どもたちを会わせたかったのだろうと、キイだけは気づいている。
 子どもたちにユミル、それにクロウが、最終的にゼクロスに乗り込んで脱出することになった。
「それじゃあ、あたし、子どもたちを呼んでくるわね」
 ユミルが言い、貨物室を出ていこうとする。それを呼び止めて、レイハムも一緒に出ていった。
 貨物室にキイとクロウだけになると、クロウは笑みを浮かべて歩み寄ってくる。
「さて……オレはブリッジに入れるんだろう?」
「特別ですよ」
 キイは苦笑し、運び屋の青年をブリッジに案内する。
 半円形のブリッジに辿り着くと、クロウは目に焼き付けておこうとするように、内部を見回した。数少ない人工知能搭載船とあって、入力端末は最低限の物しかなく、設備はシンプルかつ機能的だった。
「あと十分余りだな……このままラヴァ・ハルスンの連中に気づかれないといいが」
 適当な席に座って腕時計に目を落としてから、彼はメインモニターをにらんだ。
 ゼクロスは、地上に探査艇を飛ばしていた。物陰に隠れて動かないまま、地上の様子を転送してきている。
 その映像には、何一つ変わりないようだった。
 ゼクロスが警告の声を上げたときも。
『キイ、シャトルが近づいています。レーザー砲を搭載し、改造されていることからして、ラヴァ・ハルスン軍のものと思われます』
「人々を機内に誘導」
 クロウが驚いている間に、キイは平然と指示を下した。
『交信してみますか? それとも、探査艇で谷から離れるよう、誘導してみます?』
「怪しまれそうだな……交信は通信用ビームから居場所を確定されるかもしれない。読まれるかもしれないが、探査艇のほうを試そう」
『了解』
 ゼクロスが少し緊張した声で応じたころで、ようやくメインモニター上にも、異変が見え始めた。でこぼこした稜線の上、灰色の背景から、黒い点が浮き出してくる。徐々に姿のはっきりしてきたそれは、黒光りする小型シャトルだった。
 そのシャトルを捉え続けていた映像の焦点が、突然動いた。ゼクロスが探査艇を操っているのだろう。
 探査艇はシャトルに向かい突進し、そのそばをかすめると、一度上昇してシャトルを見下ろすような形になる。画面の中央で、漆黒のシャトルは緊急停止した。
 それを確認すると、ゼクロスは探査艇を、谷から遠ざける方向に飛ばした。搭載されたカメラを後ろに向け、追いかけるシャトルを映し出す。
「よし……やったか?」
 身を乗り出してクロウがつぶやいたとき、画面上のシャトルの後方から、二つの何かが飛び出した。
『エアビーグルです。こちらに向かっています』
 遠過ぎてはっきりとした姿は見えないが、一台には一人、もう一台には二人が乗っているらしかった。キイは、ティムルスで会った三人組を思い出す。
「村人たちは?」
『客室、展望室、貨物室に入っていただいています。完了まであと少しです。また、GP船到着予想時刻まであと七分余り』
「いざというときの援護のために、探査艇をもう二機射出」
『了解……キイ、エアビーグルの三人は、最新の防護ベストや、プライベートシールド、レーザーガン、大出力のレーザーブラスターなどで武装しています。対宇宙船攻撃を想定しているようですね』
 ゼクロスは探査艇を射出した。探査艇二号と三号が転送してくる映像が、それぞれ左右のサブモニターの一つに入る。
 三号は谷の岸壁にそって飛び上がり、地上すれすれで停止すると、カメラを少し上に向けた。そこに、どんどん大きくなってくるエアビーグルの姿が捉えられる。
「間に合わねえ……行ってくる」
 クロウは立ち上がり、ブリッジを出た。彼のエアビーグルは、今はゼクロスのドック内に収められている。
 キイはチラリと運び屋を見送るが、今は自分はブリッジにいたほうがいいと判断する。
 メインモニターの画面に視線を戻すと、探査艇三号からの映像が、エアビーグルの搭乗者たちの顔がわかるほど大きく、対象を映し出していた。見覚えのあるその顔は、画面の上へと消える。
 カメラが下を向いた。暗黒の谷底に、二機のエアビーグルが吸い込まれていく――それを、探査艇も追った。
 メインモニターの映像が、ゼクロスの外部カメラのものに切り替えられる。映像のなかには、まだ機内に入りきれていない村人が、十人近くいた。その内の半数は十代半ばまでの子どもたちで、そばに、強ばった表情をしたユミルの姿もあった。その村人たちが見上げて、悲鳴に近い声を上げる。
 そのとき、機内から、エアビーグルが飛び出した。クロウはホルスターのレーザーガンを抜き、上に向けて発射する。
 それに対して、レーザーの雨が返ってきた。クロウは片手でハンドルを操り、熱線を左右にかわす。
『皆さん、急いで! さあ!』
 地面をえぐるレーザーという光景に恐慌をきたしかけた人々を、ゼクロスは必死に我に返らせ、機内に入るよう急かした。
 クロウのそばに、探査艇が援穫に向かう。レーザーを弾きながら、探査艇二号はクロウの頭上を旋回した。
『収容完了。クロウさん、戻ってください』
 相手側を牽制し、時間を稼いでいたクロウは、村人を全員収容してラダーを上げるなりハッチを閉める前から浮き上がったゼクロスの警告に応え、空中で取って返した。追撃しようと降下してきたエアビーグルを、呼び返されていた探査艇二機が牽制する。
 クロウがドックに入ると、エアビーグルの一機が地上数メートルを飛び、そこから一人が飛び降りた。体格のいい、ゼクロスのデータではレオン・クランベリンという名で記憶されていた男だ。
 彼は、重そうな砲銃を肩にのせてかまえていた。大出力のレーザーブラスターだ。本来は戦車や航宙機に設置したり、戦闘用ロボットの武器として使用されるもので、並の人間が担いで扱える代物ではない。
 その銃口が、ゼクロスの翼を狙う。
「バリア展開」
 メインモニターを見ながら、キイが指示を下す。同時に、数種類のバリアが幾童にも機体を包み込んだ。直後、レオンの太い指が、レーザーブラスターのトリガーを引いた。
 尾を引いて楕円形に見える一抱えほどの光弾が、ゼクロスを包む不可視のバリアの表面で弾け散る。
 ダメージはないものの、爆発の衝撃でわずかに機体が揺れた。
『皆さん、大丈夫ですか?』
 ゼクロスは、同時に各部屋の乗員たちの安否を確認した。セスタにあてがわれていた部屋には、今は彼だけでなく三人の子どもたちが割り当てられていた。
「大丈夫、誰も怪我はないよ」
 三人を見回して、セスタはそう応じた。
 色違いのブレスレットを左手首にはめた三人の子どもたちは、兄弟なのだという。セスタより一つ二つ年下らしい長男は唇を噛み締め、平静を装うとしていたが、双子だという二人の弟たちは互いにしがみつき、不安をあらわにしていた。
「すぐに脱出できるよ。こっちは宇宙船なんだから」
 セスタにも、本当に大丈夫なのか、という不安と恐怖はあった。それでも、子どもたちを怖がらせてはいけない、なんとか勇気づけたいという思いにかられて、双子の兄と同様、平然とした振る舞いを演じていた。
「そうだ。ゼクロス、ここに飲み物とかを運べるんでしょ?」
『ええ。対応表を表示しますね』
 ゼクロスも、できる限り明るく軽い口調で答え、室内のモニターに、冷蔵室に用意されている飲み物の一覧を表示した。
『この他に、多少ならお菓子もありますよ。遠慮なく、何なりと注文してください』
 緊張感のない、楽しげで綺麗な声に、双子の顔から不安の色が薄れた。代わりに、ためらうような、どう反応していいか困惑しているような表情が浮かぶ。
 少しの間視線の先を天井にさまよわせた後、一方が口を開く。
「大丈夫なの……落ちたりしない?」
『ええ、わたしの操縦を信用してください。  今までだって、一度も落ちたりしてませんよ。飛行機やエアカーより、ずっと安全ですから』
 自信満々のゼクロスに、今度は双子のもう一方が尋ねる。
「本当に? 撃たれて痛くないの?」
『心配してくださってありがとうございます。しかし、強力なバリアに守られているので、痛くも痒くもありませんよ』
 宇宙船制御システムは、嬉しそうに答えた。その、穏やかで印象深い声は、人の心をほぐし、落ち着ける効果があるらしい。
 双子は、ゼクロスの声とことばの効果か、不安を忘れかけているようだ。それを見て、セスタはさらに彼らの心を恐怖から引き離そうとする。
「ぼくは、ホットチョコレートがいいな。温かいのもあるんだね」
『ホットもアイスも、ぬるめでも。いくらでも調節できますよ』
 壁に、長方形の透明な部分を中心にしたパネルがあった。シュツという音がすると、丁度透明な部分に、円筒状のものが収まったのが見える。パネルの上部をつかんで引き倒し、なかに潜り込んだ右手を引き抜いたとき、セスタのその手には、円筒状の容器があった。容器の材質は紙に似ているが、熱伝導は低く、手のひらに少し温かさを感じるだけである。
 容器の上蓋を空けると、湯気が立ち昇った。チョコレート色の液体が渦を巻いている。
「ほら、おいしそうだよ。きみたちも頼んだら?」
 その一言が、最後の一押しをしたのか。
 双子は、おいしそうにホットチョコレートをすするセスタを見、次に顔を見合わせると、モニターの一覧を熱心に眺め始めた。



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